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はてなキーワード: 効用とは

2021-05-04

中国現代文化か…

韓流なんかはやたらと掃いて捨てるほど日本情報で溢れてるんだが、

それに対して中国文化が入ってこないのは本当に不気味なんだよな。

また韓国漫画なんかも、ネット広告に入っている漫画韓国系が多いと聞いて、

なるほどなんか変な雰囲気やノリだと思っていたがあれは韓国系だったのかと得心するとともに、

あいった韓国漫画系は韓流のような日本広告宣伝ラインには決して乗ってこないというところも不気味だ。

さて、前置きはさておき。

中国の喪文化の件である

ウィキによるともう2016年くらいから始まった文化のようだ。

葛優躺」や「我差不多是个廃人了」(自分廃人同然だ)といった喪文化の表情包

この一文だけで、中国若者文化ハイコンテクストさというか、

こんなに中国世界を席巻しておいて我が国ではこんな一文程度ですら解説を多くしなければ理解できないほど中国文化人口膾炙されていないのかと感じる。

1990年代に生まれ若者の一部の、受け身、無関心で、高望みをせず、世間を冷めた目で見る生き方」といった現状があるのか。

「下の世代の子供を養う必要があるとともに上の世代の両親の面倒を見る必要のある集団であり、それに家賃が加わる場合もあり、

 そのため生活上のストレスが大きく、喪文化に染まりやす集団

人民網は喪文化を「精神アヘン」と批判し、喪文化流行がもたらすマイナスの影響を警告し、その背後につきまとう文化侵食を警戒すべきとした。

また中華民族精神を発揮して、挫折や失敗には、後ろ向きに対応して喪文化の際限ない蔓延を許すのではなく前向きな態度で対峙するように述べている。

中国青年網は、人生において失敗や挫折に遭遇するのは必然であり、だれにとっても避けられないことであって、

文化による逃避は実際の問題をまったく解決できず、歪んだ価値観形成するとする。

前向きに対応すれば、困難に打ち勝ち、人生の進む先を発見し、人生理想を実現することができるという。

また中国青年網は、中国若者は喪文化抵抗し、中華民族の偉大さの復興にむけ戦うべきだとも述べた。

2019年1月9日中国網絡視聴節目服務協会は「網絡短視頻内容審核標準細則」を公表し、

インターネット上のショートムービーで喪文化を広めることを禁止した。

これが実に中国真骨頂で、思想すら中国共産党が"指導"していくということだ。

…こういう部分が、日本マスコミ等々が中国文化を紹介することを躊躇う一因であるのかもしれない。

何のことはない。

ウイグル思想改造が喧しく取り沙汰されているが、

中国共産党はウイグルだけ差別しているのではなく、

普く中国人民を平等に"指導"しているだけなのだ

復旦大学経済学博士、林采宜は、喪文化名誉利益を求めず、自らの身を大切にすることを提唱しており、

道教文化体現であって、功利が重視される現代社会への一種の解毒剤だと考える。

澎湃新聞の曾於里は、喪文化の生まれた原因を考え、現代若者が「喪」に走るのは、彼らが進取を嫌がるからではなく、

かつて成功を求めようとしたにもかかわらず、現代社会競争の厳しさなどのさまざまな問題によって成功しなかったためだと考える。

幾度もの失敗と挫折という打撃を受けたために彼らは喪文化の受容層となったという。

文化を通じ、彼らは自らの目標をふさわしく下げ、心情を落ちつかせ、絶望に陥るのを避ける、

これは一種自己防衛方法だといい、曾於里は喪文化悪魔化するべきでないと考えている。



ある意味中国という国家の「鬱病の初期症状」なのかもしれないな。

これを抑圧すれば、パッと見社会という名の会社一時的には復帰できるかもしれないが、

ひとたび「壊れた」ら、全治数十年は見積もらなくてはならないのかもしれない。

まあそれは脇においといて。

中国という国は爛熟期から衰退期にかけて大抵宗教王朝転覆要因となってきたが、

21世紀現代においては、若者文化においてこうした概念が普及することで、

それが一種宗教的な効用を務めることになるのかもしれない。


ところで、利路修である

翻訳で、番組制作に関わってたって前段があったんだな。

例のリアリティーショーは、スマホも取り上げて隔絶させるのか。

あいろいろ"ノウハウ"が蓄積されているんだろう。吐き気がするな。

私生活まで「カネ」に変換させられ、やめれば巨額の違約金。奴隷だなまさに。

家に帰りたい、疲れた、ってことか。

2021年には「躺平学」という概念も登場したらしい。

これはまだまだ日本検索では一切ヒットしない概念のようだが、

これから更に肥大発展する可能性はありそうだ。

若者文化とは言うが、最近読んだ明治期の発展なんか見ても、

若い連中は夢に向かって将来に大きな、バクダイな期待があると思うからこそがむしゃらになって夢に邁進する

楽しくてしょうがなく、強烈な使命感があるからこそ、あらゆる努力が全て自発的にでき、またエネルギーが生まれてくるのだろう。

その夢が中国から失われているとするのなら、

そしてそれを中国共産党が"指導"するというのなら、

スピリッツのない人造成長」の末路を、世界は目撃することになるだろう。

2021-04-29

弱者男性論が暴いてしまったもの

弱者男性論は、フェミニストにとっての不都合な真実なんだよ。

現実

世の中のほとんどの女は、男がフェミニズム的な基準を満たすことを男選びの条件にしないし、本音のところでそんなに興味がない。これが現実だ。

以前、マクドナルドで一時サラダとかヘルシーなメニューが出たが、あまりに売れないので、元のジャンクラインナップに戻したら、売り上げがV字回復した、という事があった。実態として、欲しいもの綺麗事じゃない、ということだ。実際、ゴリゴリ体育会系の男を捕まえて、DVに悩まされる女が後を立たない訳だが、そういうパターンを取る女はなかなか居なくならない。

マクロ的に女が変わらないのだから、男視点で見ると、フェミニズムに従う利点は特に無い。だから、対女性戦略として、「旧来の価値観」のオプションを捨てるのは単なるバカだ。専業主婦希望とか、マッチョ好き、旧来の男らしい男を求める女を落とすためのオプションキープした方が良い。

男性視点では、フェミニズムに従う事で、戦略パートナー選択肢が大幅に失われる。だから処世術として口先では男女平等尊重するふりをしながら、心の中では無視するのがベストなのだ

モテの条件

基本的男性に求められるリソースを多く持つ、男らしい個体ほどモテる(社会的地位、力強さ、会話力、経済力学歴など)。これがマクロ的に見た現実だ。会話力に関する比重は上がっているが、価値観としては昭和以前と変わらない。そのマクロ的な傍証上方婚に関するデータだ。女は自分より優れた男を求め、劣った男を求めない、という事だ。これは、すもも調査データが出る前から変わらない(「結婚社会学」にも似たデータがある)。

それどころか、そもそもフェミニストが「男らしさに縛られない男選び」を徹底できていない。フェミニズムを主張しながら、旦那は優秀なオス、という欺瞞に満ちたフェミニストゴロゴロいる(興味深い事に、そういう人は口汚いオタク批判も行ったりする)。少なくないフェミニストパートナーに関するデータを語りたがらない事もそう。つまりは、フェミニストですら、自分の異性選びにフェミニズムを使うつもりなど毛頭ない、という現実を強く示唆している。

フェミニスト欺瞞1

ジェンダーフリーの世の中を実現する、最強の方法は、女性がその価値観共感する人間だけをパートナーにする事だ。フェミニズムはこのことをもっと本気で女性に広め続ければ、間違いなく世の中変わるよ。男はフェミニズム理解しないとモテなくなるし、フェミニストの男からしか子供は生まれなくなるから効果は抜群だ。ま、フェミニストは何故か女性に対しては何も言えないヘタレから、こんな当たり前のメッセージを主張することすら、ほぼ絶望的だけどな🤣🤣🤣

せめてフェミニズムご飯食ってる奴ぐらいは、フェミニズム同意しない奴とは絶対セックスしないし付き合わないと、みんなで宣言したらどうかな。それがお仕事でしょ?ま、無理だと思うけど🤣🤣🤣

フェミニスト欺瞞2

フェミニズムは、女性起点の運動であるが、その正当性一般に、宗教的価値観(キリスト教における平等概念)や憲法(14条など)をベースとしている。性別によって人を差別してはならない、という考え方だ。

そして、フェミニズム20世紀末に思想として広がり、部分的ではあるが定着してきた。性別によって差別される、という事が不合理である、という考え方は相応に合理的であるため、広まったこ自体理解できる。

ところで、人に倫理道徳を守れと言う人間は、往々にして倫理道徳を守ることを嫌う。道徳を守れと主張しつつ、スキャンダルから醜く逃げ回る保守政治家が少なくないように、性別による差別をなくせと叫ぶフェミニストの多くは、言い訳をしつつもトランスジェンダーに対して頑なに差別を行う。往々にして非フェミニストよりも言い訳をつけて苛烈差別を行う。性別平等を主張する本人は、性別による差別(本人の中では区別)をやめたくないのである

モテない奴は説教(splaining)される

さて、弱者男性論に戻ろうか。

不幸にもフェミニズム共感してしまった男は、ふと、何も果実がない事に気付く訳だ。おめでとう。コロナ自粛に従って外出を我慢している人と同じで、報われないけどな🤣🤣🤣ま、コロナは今後変異種が出るからガチで身を潜めた方が良いけど。

たまたま共感した男が強者側の男性であれば、強者として女にモテる。しかし、そうでなければ、モテない事になる。残念でした。ちょっと格下の(自分より劣位の)女にどんどんアタックして、たくさん経験積んだ方が、結果として女性と上手く話せるようになって、幸せに暮らせるんだけどね。フェミニズムのような縛りプレイだと、そもそも成功にたどり着けるのか疑問🥺他のところで頑張れば、弱者男性入りを回避できるかもだけど。。

「男らしさ」と相関性の高い競争で負けた男、それが弱者男性だ。そして、女は、もちろんフェミニストも、負け犬には非常に厳しい。フェミニズムに従う負け犬より、フェミニズムに従わない勝ち組が大好きなのだ

フェミニズムへの幻想を捨て、リアル果実を得ていくべきであろう。

結論

返信(05/01)

ikanosuke 女の多くは別にガチガチフェミニストでは無いし、現適齢期世代において価値観の合わない相手結婚するのは少数派だと思うが…?ノイジーマイノリティだけを見て全体を想像してない?

おっしゃる通り。

女の多くは別にガチガチのどころかフェミニストと相容れない価値観を持っている。だから、女の価値観と合わせようとすると、フェミニズムは忘れた方がうまくいく局面が多い、という事。「レディーファースト」とか、過去ベタ価値観引用した方がうまくいくことが多い。フェミニスト自称する女子と付き合っている時であっても。

daisya 社会的地位、力強さ、会話力、経済力学歴自分は男じゃないけどこれ全部欲しいわ。そういやはてブで見掛ける女性って既婚者ばっかかも。そんなもの目指せる世の中じゃないと割り切ったのか。

はてブ若い世代あんまり来ない傾向はあると思う。本質的SNS以前の思想に基づくサービスから仕方がない。

yodogawa-kahan 交際のエサに結婚扶養を入れなければ、フェミニズムも両方の性的欲望の解消も両立可能なのを、わざと外しているのか。思いつかないのか。

そもそもからすると、フェミニズムと何かを両立する必要がないんだよ。フェミニズム共感するメリットすら皆無だから。本文読んでからコメントしようぜ。

warulaw 結婚恋愛などのパートナー選びは、効用(一緒にいて楽しい=会話力や容姿)とリスク軽減(トラブっても助けてくれる=経済力精神的安定)の足し算ってだけの話。フェミニズム関係ない。

効用(一緒にいて楽しい=会話力や容姿)とリスク軽減(トラブっても助けてくれる=経済力精神的安定)」の中に、ジェンダーに基づく要求たっぷりまれているもんな。ジェンダー込みで相手を選ぶのは当たり前だからフェミニズムでガタガタいうのはおかしい、というのはよくわかる。

HanPanna 男尊女卑を維持したいという結論に、弱者男性を利用するのはやめろ。/弱者男性論とはかくの如く「女」か「フェミ」が主題弱者男性の苦しみはどうでもよく、フェミに対抗する為に逆に"男らしくあれ"と迫るのだ。

男尊女卑を維持したい」じゃなくて、「男尊女卑が(女によっても)維持されているから、フェミニズム共感するのは無駄」と言っているだけだ。フェミニズム無能だし、カチカチに硬直した構成員しかいないから、もう期待するな、という風に解釈してもらっても結構。男も女も、フェミニズムで女は変わっていない、という現実ちゃんと見ろ。男尊女卑の維持には、男だけでなく女も加担している。女が変わらないと、男も変わらない。女にアプローチしたら「男らしさ」を求められる現実が常にあるんだ。選ばれる側の男がそれに合わせて、男尊女卑を維持しているのは、自然なことだ。

それどころか、そもそもフェミニスト女ですら本当にフェミニズム大事と思っているかどうか、疑問に思うことが多い。「ダイエットしたい!」と言いながら高カロリーのものを食いまくる奴と同じように見える。(フェミニストですら、競争の勝者ばかりをパートナーに選ぶあたりで爆笑してしまう)。やっぱり本音では「優れたオス」が好きなんでしょ?

  • 女(フェミニスト女を含む)は「優れたオス」が大好きで、「劣ったオス」が大嫌い。

弱者男性という切り口は、そこの欺瞞を暴いているんだよ。「劣った男は嫌いなんだろ?」って。「優れたオス」の定義は人それぞれだから言い逃れ余地が大きいが、「劣ったオス」は、モテていないという結果ベース判断できるから、「優れたオス」ほど定義にブレが生じにくい。

そして、多くのフェミは、この問題にまともに答えることができなかった。切断処理(フェミニズム関係ない)で逃げた。それどころか、激しく罵倒するコメントが相次ぎ、増田が憎しみに満ちたエントリで溢れた。これは予想を超えていたが、それだけ「劣ったオス」が嫌いな女、それもフェミニスト女が多いということだったのだ。

フェミニスト女ですら、「優れたオス」が大好きで「劣ったオス」が大嫌い、ということであれば、そりゃ世の中変わらない。男としては激しい競争を生き抜かなきゃならなくなる。女が言っているフェミニズムなんて、マクドナルドのヘルシーメニューよろしく、話半分に聞いた方が良い、となる。弱者男性は憎まれるだけだから、あらゆる手段を使って強くなれ、としかいうことができない。

そして、今回の流れで、フェミニストが人のことを指摘することしかできない奴ら、ということがよくわかった。ま、当のフェミニスト女が、男に求めるのと同じ規律自分を律していないのであるSDGsに従うと宣言しておきながら、言い逃れの効かない男性差別を開始したABCクッキングには爆笑したが、つまり自分を律する覚悟がない奴らというのは、そういうものだ。

君も、フェミニズム問題だらけなのはきっと気付いているんだろうけど、それでも「フェミニズムには関係ない」と切断処理をするための言い訳を作り出して、見て見ぬふりをするんでしょ?知ってる。だってフェミニズム無責任な体系だから

RRD キモいヤツ同士でキモキモ集まってキモいことをキモキモ言ってても、キモさが煮詰まるだけだよ。

議論に参加できないお前がキモいだけ。このコメントが一番キモい

2021-04-10

もし自分のことをめちゃくちゃ可愛い子がじっと見つめてきたらさ

少しでも良いところを見せようと思って襟を正したり、仕事を頑張ったりするわけじゃん

まり神様を信じることの効用はそういうことなんだよ

2021-04-07

「あてがえ論」は実際あるよね

タイトル煽りを含みます

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/10anj10/status/1378252302696390659

あてがえと言ってる人はいない

かに直接的に言ってる人はほとんどみないが、「あてがう仕組み」自体現実存在しており、それが失われることを危惧する言説は散見される。

単婚(一夫一婦)制は配偶者候補の独占を抑制するという意味で既にマイルドな「あてがう仕組み」になっている。また、廃れたとはいえ見合い制度は直接的な「あてがい」だ。

「あてがう仕組み」には、孤立した個人・「無敵の人」を減らすという社会的効用があった、という視点妥当ものだろう。

それらの言説を含めれば(表現がかなり悪意的ではあるが)あてがえ論は存在すると言ってもいいと思う。

分配されても承認欲求満たされないだろ

これは見合い結婚幸せ共同体生活を送っている方々が反例になるかな。

「分配」とか「あてがい」とかのワードが悪意的でよくない。その点「見合い」は両者の尊厳を損ねずに、実態としては「あてがい」であるという点で上手い仕組みだわな。歴史は偉大だ。

モテないという資質はどうしようもないのであてがいは不可能である

人間は一緒にいればだいたい仲良くなるものである」という自然な前提が抜けてるかなと思う。

実際そうじゃなければ見合い婚活なんて成立してない。

人間自由意志はそこまで強固なものじゃないし環境に左右されるよ。

でもブスはいやなんでしょ?

「三日で慣れる」「あばたもえくぼ」という先人のありがたいお言葉がありまして。

なんとなく仲良くなる環境、みたいなものをもうちょっと多様に考えてみてもええんちゃう

人権のある存在である人間女性)は分配できない。自分が分配される覚悟はあるのか

「分配」という言葉を選ぶから話がずれていく気がするんですが、あえて分配の話をすると、実際男性は分配されてる。

生涯未婚率男性の方があきらかに高く、配偶関係においては単一男性複数女性に分配されている構造

これは、男女の生殖コスト非対称性によるもので、「種を貸す男性はいるが、腹を貸す女性はいない」。

この点は特にフェミニズム男性特権として解釈されることが多いけど、遺伝子継承という文脈においては、男性と比して「望んだ相手の子供を作りやすい」という意味で、女性特権である

このへんの逆方向の権力勾配はもうちょっと意識されてもいいんじゃないかなと思う。

まあ明示的に分配されたわけじゃなく、自由選択の結果として時間一夫多妻になっているだけではあるんだけど。

ただ無敵の人が増えちゃう構造ではあるんで、人権毀損しない範囲是正されるべきだとは思うのよね。

初婚重視傾向の男女バランスを整える方向に流行を動かすとかね。あるいはラジカルには「腹を貸す」のを制度化するとかもあるかもね。精子バンクは既にあるし。

草食男子ブームはその点マイルドで丁度いい潮流だったと思うんだけど、定着しなかったのはやはり本能に勝てなかったということなのだろうか。

なぜ女性からあてがえ論がでないのか素朴に疑問

上述のとおり、男女の生殖コスト非対称性から男性と比べて女性相対的に「あてがわれている」んだと思います

構造的には弱者男性孤立男性)の反対側にいるのはシンママなんだけど、シンママ子供いるからあてがえとか言ってる余裕ないんよね。

養育権のアファーマティブアクションも一つの是正の道かもしれんね。

2021-03-22

ガチャピンさんへのレス(に、かこつけた諸々の話)

https://anond.hatelabo.jp/20210318185716

最初に言っておくと、“擁護”という言葉、muchonovさんこそが批判されているというフェイズにおいてその様に用いられる“擁護”という言葉は、ただの批判回避しかありません。『「xx批判」に対する批判』を「xx擁護」という事にしておくと、あくま批判されてるのはxxだけという事に出来て、「xx批判」こそが批判されてる事実を誤魔化せる、そういう小手先テクニックです。これはその意図の有無に関わらず、です。



『彼が“表現の自由戦士”の事を笑っていたと思ったら、笑われても構わないとか言い始めた』 な… 何を言ってるのか わからねーと思うが(AAry


自分は、著作物に対する著作者の諸権利には二次利用者の表現の自由優越する要素が確実にあると思う。だから著作権を持つコンテンツホルダーに対して二次利用者が配慮を示すこと自体は、何らおかしなことじゃない。「コンテンツに対する権利を持ってる人達ガチで怒ったらどうなるかわからいから、謙抑的にやりましょう」というのは二次利用者としてごく常識的判断だし、自分だって似た状況が発生したらフツーに相手の「お願い」に従うし、何ならゴロニャンする。日頃「表現の自由」について何か勇ましい物言いをしてたとして、その忖度や阿りとのギャップを誰かに笑われても構わない。「それとこれとは別です」でおしまい


いやいや、意味わかんないですよ、これ。

だって「発端」のブコメhttps://b.hatena.ne.jp/entry/4699940658477561058/comment/muchonov)は

好意多寡」云々と強弁してるけど、勇壮表現の自由戦士たちが権利者の意向には簡単にゴロニャンするという構図は変わらない。自分たちからオモチャを取り上げる権利を持つ相手に屈服してるだけ


ですよね。

それに対してこちらが、それは“事実上の『私は「表現の自由」について全く理解していません』宣言”だよねと指摘して、そこにmuchonovさんから返ってきたブコメhttps://b.hatena.ne.jp/entry/4699974732078626146/comment/muchonov)が

そうかなあ? 自分著作物に対する著作者の諸権利二次利用者の表現の自由優越すると考える一方で、元増田は「グロく描こうが殺そうが馬刺しにして食おうがなんでもあり」だと言ってるんですけど。


この時点で、もうだいぶ「????」なんですが、これについてこちらが『“著作物に対する著作者の諸権利二次利用者の表現の自由優越すると考える”様なmuchonovさんが“コンテンツホルダー意向には簡単にゴロニャン”とか言っちゃうの、さすがに意味不明すぎでは。』と指摘して、それに対する応答が上の増田なわけですよね?(こちらへの応答だけのつもりではないにせよ)

日頃「表現の自由」について何か勇ましい物言いをしてたとして、その忖度や阿りとのギャップを誰かに笑われても構わない。「それとこれとは別です」でおしまい


とか仰ってますけど、笑ったの、他ならぬmuchonovさん自身ですよね。その“笑われても構わない”って、それ「笑う側のmuchonovさん」からしたらつまりは「“表現の自由戦士”たちは、おとなしく我々に笑われてろ」の意味なわけですよね?うん、やばいですね☆



更に言っておくと、そのmuchonovさんの増田もやはり“私は「表現の自由」について全く理解していません』宣言”にしかなってないよね


著作物に対する著作者の諸権利には二次利用者の表現の自由優越する要素が確実にあると思う


って、muchonovさんの中では、「著作権」と「表現の自由」が、かめはめ波の撃ち合いか何かみたいになっていて、「著作権」の方が勝ってる…という様なイメージなのでしょうか?


いや、「表現の自由」ってそういう事じゃないですから…。



もう何度も述べてきている事ですが

表現の自由」で最も重要なのは価値観自由競争市場)』。『公権力から自由』はあくまでその手段の一つ(もちろん重要だが)。『表現の自由度』はその結果。


です。


これは、『絶対に「正しい」とされる、そんな「思想」は存在しない。だからこそ、「思想」の媒体たる「表現」は常に「自由競争」の下にあらねばならない。』事こそが、「表現の自由」の根幹である、という話です。

また、「市場」の中で自身の「効用」を最大化する事は、個々の主体が持つ権利であるべきだから、という考えに基づくものでもあります

ですから、もしこれを否定しようとするならば、『全人類が、それぞれの権利放棄してでもコミットすべき、絶対に「正しい」とされる「思想」が存在する』と主張し、証明しなければなりません。完全に狂気であり、全知全能の神の召喚でも試みた方が早いレベルだと思います


つまるところ、その根幹が「自由市場である以上、各々の「私的所有(財産)」を認める事は「表現の自由」に織り込み済みだと考えるべきです。「表現の自由」vs「著作権」、どちらの方が“優越する”か(アクセルブレーキ、どちらの方が強いか)みたいな話とは違います

ですから、“日頃「表現の自由」について何か勇ましい物言いをしてたとして”も、「私的所有」を認める事に“ギャップ”はありませんし、もちろん笑われる理由存在しません。



とはいえ、「権利」(今回の件で言えば著作権)、及びその行使について疑問を呈する事がおかしいわけではない


これはmuchonovさんに限った話ではないと思いますが、恐らく『「権利がある」というのは、「その“権利”を行使した時に不評を買わない権利がある」の意味ではない』という事を理解されていないか、もしくは失念されています

他の言い方をすれば、『「ルール」に従うか/逆らうか』と『「ルール」を肯定するか/否定するか』は、それぞれ別の事柄だという話でもあります

(一応言っておくと、個人的には例の“お願い”について、曖昧であり「忖度学級会」を誘発するものだとして、2018年6月時点で批判的にコメントしています。)


また、「私的所有」を認めるという事は、その是非(その「大きさ」の妥当性や、そもそもの有無等)を問わないという意味ではありません。それは「表現の自由」とは別個の問題として論じる事ですし、今回の流れで言えば、もう少し著作権に関する是非は、議論俎上に載ってもよいだろうと考えます個人的には著作権もっと「小さく」していくべきだと考えていますし、むしろ逆に「大きく」なる傾向のある現状については危惧しています)。

実際、話題になった「馬名のパブリシティ権」の話は、その辺りが問われた件だとも言えるかもしれません。もちろん逆に、「せやかて、やっぱ馬名については馬主が優先的ステークホルダーであるべきやろ」と主張するのも、それはそれで一つの考えでしょう。

どうであるかと、どうあるべきかは、やはりそれも別の事柄なのですから



公式”と“オタク”の関係は、そんな一方的ものではないよね


muchonovさんは二者の関係を「権利者と利用者の力関係」と述べており、もちろん嘘ではないのですが、それ以前にまず「供給主体需要主体」の関係である事を忘れてはなりません。

コンテンツ二次利用権利者のお目こぼしのもとで成り立ってるグレーゾーンで、『お願い』を無視し続ければより厳しい使用規制が課せられたり、コンテンツ自体供給されなくなっちゃ危険があるから、みんなそれを避けるために『お願い』を遵守してる。


これはむしろ基本的には真逆ですよね。

供給側としては、コンテンツに対する需要がなくなってしまう事こそが最も恐れる事態の一つであり、つまり馬主のご機嫌よりもよほど)需要側のご機嫌こそを気にしなければならないわけです。趣味製作しているアートか何かではないのですから

恐らくは、だからこそ曖昧な“お願い”なのであり、また2018年6月20日なのでしょう(せめてアニメ放映中には冷や水を浴びせたくない、夏コミが控えてる、ゲームはしばらくリリースできそうにない…というタイミング)。

そしてもし、muchonovさんが記した様な「逆転現象」が起こるのだとしたら、それこそが「惚れた弱み」であり、正に元増田が述べていた状態のものなのです。

お客様神様」と「殿様商売」との間で揺れ動く、その実に「自由市場」的な動きの中で「表現」の在り方も変動するというのは、むしろとても「表現の自由」的である、とすら言えるでしょう(元増田に、そこまでの考えがあったとは思わないし、個人的にはやはり「忖度学級会」には否定的だが)。

にもかかわらず、それを“バカみたいじゃん。”と切って捨てるmuchonovさんの発言のほうが、よっぽど“バカみたい”なのではないでしょうか。


追記


HanPanna 価値観自由競争というのはrag_enさんの造語なので、法学だと思わないように(もし学説があれば教えて下さい)"思想自由市場"について知りたいならコチラのブログのが良いです。https://arecolle.hatenablog.com/entry/2021/03/06/124923


法学”ってどこから出てきたん?というか、『公権力から自由』はあくまでその手段の一つでしかないよ(大切だけどね)って話、してありますよね?ちゃんと読んでます

なんか理解されてないようですけど、その箇所への反論は「ちゃんとできるようにしてある」んですよ。つまり『全人類が、それぞれの権利放棄してでもコミットすべき、絶対に「正しい」とされる「思想」が存在する』と主張し、証明してみせればいいだけなんです。はい、頑張ってください。

まぁ、HanPannaさんが同じ話題でやらかすの、これで3回目ですし、間違った事でも言い続ければ押し通せるみたいなの、完全にオカルトなんで勘弁してください(HanPannaさんに許可を頂ければ、過去のやりとりも晒しますよ)。

あとリンク先、よりにもよってU.G.R.R.の人かよ…ギャグで言ってるのか?ってのが正直な感想ですけど、ぶっちゃけ謎の(マジで謎の)出禁を食らってるので(とはいえ、さすがに閲覧不可は無視するが)言及は避けておきます。やさしみ

追記2


Silica ところでこの"価値観自由競争"の中では寛容のパラドックスはどうなるんだろう、この人の言う"SJ"的な価値観がその競争勝利したらどうなるの?


嘘・デマ・偽科学の類が支配的な状態(人気になる)みたいな感じになるだけですね。

2021-03-20

波とうまく付き合うことに関する雑記

さて、今年度の7月適応障害と診断を受けてから8ヶ月の時間が経ちました。

この8ヶ月の中での変化や、心や気持ち環境との対峙の仕方などについて書いてみたいと思います文脈崩壊したり、段落のつながりが見えなかったりしたら、ごめんなさい。

【読んでくれると嬉しいなーという人】

自分の心の状態と向き合っている方

自分と関わりのあるお友達

1、診断の効用と注意点

自己理解・波と付き合うための方法を身につける

診断が下ったことで、自身状態が外部のストレス環境に大きく依存するということがわかりました。環境によって波は大きくなったり小さくなったりしますが、そういった波とうまく付き合っていくための方法を獲得できました。もちろん、まだまだ未獲得だったり、未学習な部分も多いですが。

(これについてはあとで詳しく書きますね)

②「自責をしないためのラベル

一度自身精神的にきつい状態を認めて病院に行き、診断をもらうということは、”病理”の世界に立ち入るということなのだと思います

そうなったときに、一点不安だったことが、自分アイデンティティの根っこを「病気」に持っていかれるのではないかということでした。つまり病気だ」というラベル自分自身につけて剥がせなくなるということです。これはメリットデメリットもあることだと思います

例えば、症状がひどかった当時は、診断書かばんに入れて持ち歩いたりしていました。おそらく当時を振り返るに、自責傾向の強い自身にとっては、「自分病気だ」とラベルを貼ることが唯一自分を責めないための手段だったのだろうと思います。「がんばらないと自分価値がない」という精神シャカリキから、「もうがんばらなくてもいいんだ」という気持ちへ、診断を機にやっと切り替えることができた感じですね。診断の力はすごいです。

また、適応障害を機に、調べたり本を読んだりすることで、自分認知がかなり歪んでいるということにも気づくことができました。(「認知の歪み」は過去記事にもある通り、去年の7月に「みんな私のことが嫌いなんじゃないか」などの考えのことですが、これは日常のささいな他人言動を捉えるときにも適応されるので、取り組むことは一定重要課題だと思います)。これは一朝一夕では解消されないので、なかなか苦労していますが、長期的に改善できるといいなと思います

③別の病気への移行

適応障害ストレス環境により症状が出てしまうという一過性のものなので、ストレス環境から身を離せば、症状がなくなります。ただし、うつ病(恒常的な)だったり双極性障害にも移行するということもあり、ちょこっと注意しなきゃいけないな…と思っています

この移行は、診断をきっかけに起こることなのかわからないですし、ごく個人的な所感なのですが。あまり病識が強くなりすぎた場合に、「ほかの病気のこの側面も自分状態にあてはまるんじゃないか…」と強く思いすぎることにより、自分不安定な状態を強化していく…というサイクルに入るんじゃないかなと思います。ここについては、ちょっと個人的に思うところもあるので、また別の記事に機会を見てまとめます

2、波とうまく付き合うためのあれこれ

感情を記録する

「muute」というアプリを用いて感情とその日にあった出来事を記録しています。記録することでよかったことはまだよくわからないけれども、2ヶ月くらいやってみた所感として「気分がいい時には記録つけない」「気分が落ちすぎていても記録つけられない」ということ、軽くしんどい時には記録を取れます。記録を見返すことで、「何がきっかけで落ちることが多いのか」を把握することができます。あと、アプリデザインかわいい。そして、毎週AIからの「ニュースレター」が届くのが嬉しい。

もうちょっと重めの出来事を整理するのために「認知行動療法アプリ」というアプリを入れています。これは割とがっつりと書かなきゃいけなかったり、アプリデザインあんまりかわいくなかったりするので、個人的には使いにくいなーと思うんですが、ちゃんとやれるならよいと思う。私は一度だけ、先月末に仕事であった出来事を振り返るために使いましたが、頓挫しました。認知行動療法を一人でやりきるのは、結構エネルギーがいるので、信頼できる人と一緒にやれるといいかもです。だれか一緒にやろう。

依存先について

どっかの大学熊谷先生は「依存先を増やせ」ということを常々から言っていますが、その通りです。依存できる場所分散し、相談の内容もそれぞれに分けられると超ベスト。これは相手のためでもあるし、自分のためでもあります

ざっとあげると、「母親」「病院」「社内の相談窓口(キャリアセンターこころ相談センターなど)」「仕事の同僚」「退職した元同僚」「パートナー」「知人」「元劇団の人たち」などかな。大学とか会社とかなんらかの組織に属している人は、組織リソースガンガン使った方がいいです。これ読んでいる人に学生さんがいたら、とりあえず健康センターとか保健室とか、なんでもいいから、お茶しばきに行く感覚で軽めのノリで一度はいっとくことをおすすめします。相談ハードルを元気なときに下げておくことも大事です。

個人的な話に戻ると、最近は友人との接触頻度を増やすことに意識を向けています。例えば、「ゲームやるだけの仲間」に入れてもらったり、過去大学の友人に気軽に話せる場(「mocri」というアプリ)を持ったり、「〇〇の会」と称してエネルギーのある時には知人を家に呼んだりしています(例、「私たちのためのバレンタインの会」など)。対面で会うのは結構エネルギーいるから、そのときにはオンライン手段もまぜこぜにしながら、ぼちぼちね。

あと、予定の管理がなかなかできないので(当日体調が悪くなったり、コンディションが悪くなるということが結構ある)、気の知れた人には「波が読めないので、当日連絡するか、遊びをやってることだけ教えてもらえたら当日調子がよければ行く」というふうに事情をつけて話しています

③過敏さとの向き合い方

今「HSP」なんて言葉が大流行しており、書店での平積みも凄いことになってますが、「過敏さといかに向き合うか」という命題は、特性によりけりでしょうが、「すぐ疲れちゃう」と感じている方にとっては、とても大事です。情報の取り込みすぎは、疲れちゃうから制限しながらね。私の方法を載せておきます

【音】

音への過敏傾向のために「耳栓」はマストです。トイレキッチン換気扇冷蔵庫の「ブォーン」という音が気になった時には情報取り込みすぎのサインだと思っています

最近耳栓が役に立ったのは、水族館イルカショーに行った時でした。意図せずスピーカーの真ん前に席を陣取ってしまい、生の音に触れた時には頭が割れるかと思ったので、よいしょとつけました、危機回避成功。あとは最近電車ですね、地下鉄JR快速は要注意。窓が開いていて大変に脳みそに音が突き刺さってくるのでイヤホンもしくは耳栓マストです。

【光】

これは入社当時から苦労していたのですが、白熱電球が大の苦手でして。白熱電球の下にいるだけで、パフォーマンスが低下することがわかっています。だから、なるべく太陽光を取り込んだり、廊下の光だけで部屋の中は電気を消したりと、いろいろ工夫をしています。前の教室とかだと「電気ついてるけど消そうか?」とか「窓のある部屋がいいですよね」とか、スタッフみんなが配慮してくれました。感覚はひとそれぞれだからしんどいときにはちゃんと言えることが大事です。ちょっと勇気いるけど。

睡眠

ストレスサインとして「悪夢」と「途中覚醒」は念頭に入れておいていますキャパティを超えるストレスを受けた時って、交感神経優位な状態睡眠に入ってしまうことが多いので。交感神経鎮めてから入眠する(お風呂に入ったり、湯たんぽ使う)などがベストですが、極度に疲労しているとそれもできにくいと思うので、お薬の相談もできるといいかなと思っています自分はまだ眠剤使用していないですが、場合によっては。

【教えて】

スマホとの距離感は、今試行錯誤です。依存気味なので、いい方法あったら知りたいです。

【その他】

鬱の状態とき衝動性は怖いなとも思うんですが、早く通り過ぎるものに吸い込まれるってのは、本当にあるのね。だからホームの端っこにはいかない」「赤信号の時には道路のキワに立たない」ことは普段から意識をしたいものだなって思います

3、最後

新年度が始まり社会人4年目になる4月に向けて、近況報告がてら書いてみたいという思いで書き始めましたが、波と付き合うための手立てやアウトプットできることがなかなか増えていて、自分でも感心しました。

こないだ見た映画で「いいなあ、君は私とは別れられるけど、私は私とは別れられないんだよ」というセリフがあって、「あーその通りだなー」ってぼんやりと思ったんですよね。そうそう、別れられないなら仲良くする方法を探すしかないのです。死ぬ勇気もないので生きるしかないんですが、穏やかに生きられるための方法環境をゆるゆる作っていきたいものです。

2021-03-18

anond:20210318220031

「不合理な世の中で何をしたら自分効用が極大化(最大ではない)できるかに注力した方が健全

名言やん👽素敵やん👽

2021-02-23

https://anond.hatelabo.jp/20210222233810

1.MMT信奉者ではないか

MMT論者なら、五輪賛成もありだろう。公共投資リソースに余裕があるなら五輪もありだ。

MMTは行ける証拠ダメ証拠もない、ゆるふわ仮説段階の経済理論というのが自分認識。今やるなら大博打になる覚悟必要だ)


2.公共投資としてやや筋悪だから

建設投資自体別にいい。だが五輪のような一過性イベントへの建設投資は、日本の現状では優先順位が低い。

承知の通り、五輪は一地域、一時に需要が集中する。需要自体はいいが、こういう需要増は中長期的な効果投資額の割に低い。

一気の需要増では建設コストが高くなるので作られたインフラコスパが悪く、一時の特定需要に合わせたインフラである以上、流用すれば無駄ではないにせよどうしても効用が落ちる。

同じ額の建設投資をするなら、日本全国津々浦々の老朽化インフラの中期的な修繕整備に廻した方が、フロー乗数効果ストック効果も高いはずだ。

衰退国家必要経済政策は絶えざるデフレ圧力需要減少の中で軟着陸するための撤退戦戦略

「強力な需要喚起で、そこを経済成長起爆剤に!」みたいな考え方は成長過程では妥当政策だが、ファンダメンタルマイナス気味の国家では通用しない。


最も重要な「経済成長」を達成する手段がもはやない、「不幸の中でマシなものを選べ」というのが、日本経済政策選択肢の現状、という認識が前提。

ゆえに財政出動としての効率の悪さから、開催決定前から五輪招致自体に反対している。

緊縮は自殺行為だが、五輪開催のような根底に「どこかに低成長脱出経路があるはずだ」という夢想がある政策も、延命治療リソースを減らす寿命を縮める行為に変わりはない。

本邦には「プラスからいいじゃん」というような余裕はない。限られたリソースを最適に運用しなければ、衰退まっしぐら崖っぷち国家なのだ

(繰り返すが、もしMMTが正しければ、という点に一縷の望みがあることは認める。)

2021-02-22

必読書コピペマジレスしてみる・哲学

日本文学編→anond:20210222080124

追補編→anond:20210218080224

プラトン饗宴

おっさん飲み会真実愛について延々語るだけなので、哲学書の入門編にいいんじゃないかな。楽しそうにしてるおっさんはいいぞ。

アリストテレス詩学

どうしてフィクションで人は感動するかについて述べた本の走りで、後半は散逸しているんだけど、カタルシスについてはなるほどなあ、とは思った。作家になりたいんだったら普通にハリウッドの三幕構成の本を買ったほうがいいかもしれないが、この読書リストを読んでいる人は実用的な知識よりも読んでいて楽しいかどうかを求めている気もする。

アウグスティヌス告白

読もうと思ったまま長い時間が過ぎてしまった本で、まだ読めてない。アウグスティヌス若いころややりたい放題やっていた時期のことも書いてあるらしいので、宗教書として以外にも楽しめるんじゃないだろうか。

マキァベッリ『君主論

塩野七海エッセイですごく推していたから読んでみたけれども、普通に面白い。例えば、中途半端に生かしておくと復讐されるから、いっそとどめを刺しておけ、みたいなことが書いてあって、優しいと人から言われてしま自分には大いに刺激になった。ところで「孫子」もそうだが、戦争政治学について書かれた本はたいてい「そもそも戦争は大悪手で、戦争になる時点で何かやらかしてる」という趣旨言葉があり、全くその通りだと思う。

モア『ユートピア

未読なんだけど、結婚とはある種の契約なんだから、まず処女童貞がお互いに裸を見せ合ってからだ、みたいなディストピア的な描写もあるらしく、ディストピア文学好きの人は楽しめるんじゃないかな。あとは非モテ界隈の人とか。実際、完全な平等社会を目指そうとするとどっかしら歪みが出るもので、それについて考えるのにも使えそう。

デカルト方法序説

自然科学的な考え方、ロジカルシンキングマニュアル。長くないのですぐ読める。得るものがあるかどうかはわからないけど、逆に普段している論理的思考そもそも存在しない時代があったことは、実感しておくと歴史を学ぶ上で面白いかも。

カント純粋理性批判

平凡社の上巻を読んで挫折純粋な理性っていうけれども、ヒトの心にはデフォルト時間とか空間とかの枠組み、基本的概念が組み込まれているよね? 的な話をやたら細かく述べていく内容だったように記憶している。長いので三行でまとめたくなる。

この本に限らず、いくつかの哲学書は「この本さえあればあらゆる哲学的論争をおしまいにできる」「この本からあらゆる結論が導き出せる」的なスタンスで書かれたものが多い印象。

キルケゴール死に至る病

エヴァヲタなら読まなきゃという謎の義務から読んだ本。要は、どうすれば自分を信じることができるか、について語った本であったような気がする。自分は救われないだろうという絶望から、それでも神を信じるという境地に至るまでの道筋を延々と語ったようなものだった、はず。

自分特定信仰を持たないが、どうせ自分なんてと己を見捨てた境地から、まあ自分自分だよね、的な気分に至った経験がある人が読むと楽しめるだろう。

ニーチェ道徳の系譜

善悪の彼岸」と「ツァラトゥストラはかく語りき」なら読んだ覚えが。自分カトリック中高一貫校出身であったせいかキリスト教思想にある欠点を指摘したこの本を面白く読んだ。キリスト教になじみがなくても、たとえば来世があると考えることで現在を生きることがおろそかになるといった指摘は、興味深く読めるんじゃないだろうか。あとは、増田で定期的に出てくるルサンチマンがどうこうとかいう話が好きな人にもおすすめマッチョぶってるところはあるが。

フロイト快感原則彼岸

新潮文庫の「夢判断」「精神分析入門」「トーテムとタブー」「一神教起源」なら読んだ。フロイト自身はヒトの心を脳から探りたかったらしいのだけれど、当時はMRIやら何やらはまだないので対話式の治療法を導入したらしい。

彼の理論は今となってはツッコミどころがたくさんあるのだろうけれど、クラインだとかビオンかについて触れるなら頭に入れておきたいし、心理学特にパーソナリティ障害について読むなら知っておきたい。自分フロイトアドラーよりもユング派だが。

ラカンについては新書を読んだがさすがについて行けなかった。

ブルトンシュルレアリスム宣言

ラブストーリーの「ナジャ」だけ読んだ。謎めいた女のあるある的な話だ。

ウィトゲンシュタイン哲学探求』

論理哲学論考」だけなら読んだ。これもカントみたいに「俺が哲学のくだらない争い全部終わらせてやる」的な立場で書かれている。定理がずらずら並んでいるだけで、余計な表現がなく、簡素

ただ、言語限界について今の人が持っている感覚ってのは大体この時代の人が言っていたことだった気がするし、そういう意味では面白いんじゃないかな。この辺は数学ともかかわっていて、ペアノとかゲーデルとかヒルベルトとかその辺興味があったらいかがでしょう。

ちなみにウィトゲンシュタインポパーとの議論でキレて火かき棒を振り回したヤバいやつだというのは哲学界隈では有名らしい。

レヴィ=ストロース野生の思考

シン・ウルトラマン予告編でちらっと映っていたので読んだらいいかもしれない。

この本そのものは未読で「悲しき熱帯」ともう一冊なんか専門書を読んだことは覚えている。面白かったエピソードの一つは、ある民族身分入れ墨にするんだけど、入れ墨のない人間白人たち)を見て面食らう。要するに身分証明書を持ってないようなものから

定期的に異民族と共に暮らすドキュメンタリーが読みたくなる性分なのだが、それはたぶん、自分のやり方や考え方が絶対じゃないってことをよく教えてくれるからで、これも本を読む効用の一つだろう。趣味なので効用なんて本当はどうでもいいが。

サイードオリエンタリズム

面白い。僕自身スタンスとしては、日本人海外で誤解されていることを批判するんだったら、自分外国に対する偏見無知を減らそうと努力するのが筋だと思っていて、それの理論的な補強をしてくれた本。身近に外国人の多い環境ではないが、すぐに役に立たないからと言って読まないというのはなんか違うんじゃなかろうか。自分イスラーム世界インドについて、どれほどわかっているのだろう?

上田秋成『胆大小心録』

雨月物語しか読んだことがない。「雨月物語はいいぞ。

九鬼周造『「いき」の構造

どっからがいきでどっからが野暮なのか、直方体を使った図があった気がするが忘れた。

柳田國男『木綿以前の事』

遠野物語しか読んだことがないし、それも「マヨヒガ」のことしか覚えていない。

おまけ:いしいひさいち現代思想遭難者たち

自分現代思想に出てくる名前がわからなすぎて最初に読んだ本の一つ。四コマ漫画だがかなり本質をとらえており、いしいひさいち本業は何だったのかよくわからなくなる。素直に笑っておきましょう。勉強ってのは楽しみながらするもんだ。

おまけ2:ローラン・ビネ「言語の第七の機能

上のリストでは省略した20世紀哲学者が実名で登場するミステリなんだけど、フーコーサウナ美青年イチャイチャしたり、七十年代音楽を聞きながら薬をキメたりしているので、現代思想だのポストモダンだのをかじったことがあるならおすすめ。著者がやりたかったのは、たぶん上の世代の脱神話化というか、強すぎる影響の破壊なんだろうけれども、ここも素直に笑っておくのがいい。


以上。

2021-02-09

anond:20210209133228

別に知らないから言ってるわけじゃないし、教養がないって煽りボキャブラリーなさすぎ

建築家領域エンジニア領域を超えるのは工業デザインと、せいぜい都市計画くらいまで

どれも建築家以外ではタレント扱いされることはまずない

同じ土木建築分野でも橋の設計者は、設計デザインも両方やるけど芸術家とよばれることはほとんどない

建築がある種の芸術性を持っていることは否定しないけど、公共施設において税金から多額の設計費を払うほどの効用があるのかい

国立競技場デザイナー選定騒動はばかばかしいものだったし、都庁だっていまさらあれを芸術だといって愛でる人や、優れたデザインによって都民シンボルになっていると主張する人はほとんどいるまい

2021-02-03

健康保険を例に考えてみればいいのでは

それは健康保険を例にして考えてみればいいのでは。国民皆保険制度で、患者医療費自己負担率は年齢(6歳未満・70歳未満・75歳未満・それ以上)だけで区切られてて、「年収1200万円以上のひとは自由診療になります」みたいなことはしないじゃん? それは、国が提供する社会保障制度の水準は、対象者所得によらず一定に保つのが公平だという社会的合意があるからだと思うんだよね。あと、再分配の局面年収とか資力の制限をつけると、制度運用が複雑になって、行政処理のコストが跳ね上がっちゃうから、というのもある。

根本から考えてみると、政府もつ重要機能ひとつとして、租税制度社会保障制度の組み合わせによる所得再分配があるわけだよね。お金持ちから取って、貧しい人に(手当や保障行政サービスとして)配ることで、格差是正して、社会的公平性と活力を維持するということになっている。ここまではいいよね?

そんで、ここが重要なんだけど、もともと「収入レベルに応じて多く取って貧富の差を緩和する」という仕組みは、租税制度(=徴収の側)に組み込まれている。だから、再分配の大枠はこの時点で調整するのが好ましい。租税でやれる調整を社会保障でもやるのは二重処理で無駄が多いし、全体として貧富の差がどの程度緩和されたか定量的に把握・調整するのも難しくなるから(一応、再分配所得ジニ係数という指標では手当・給付系も算入されているけどね)。

再分配の程度を強めたい時には、高額所得者への課税強化で対応して、社会保障制度のほうはなるべくシンプルで一律な仕組みのままにするのが筋が良い。増田が例に出している児童手当も社会保障制度=分配の側での所得再分配なので、ここには収入制限を設けないで一律に15000円にしてしまい、原資は高額所得者への課税強化で賄うほうが良い制度設計といえる(だから児童手当についての「960万以上は5000円」という減額枠も、高校教育無償化にある所得制限も、自分はなくしたほうがいいと思ってる。ちなみに幼児教育・保育の無償化には所得制限はない)。

所得での調整だけだと子あり高所得者世帯と子なし高所得者世帯に不当な差が付くのでは」という反論もあるだろうけど、そこは子供の数による非課税限度額という項目でも調整できると思う。といっても自分は、子供を1人生み育てることによる社会全体への効用(貢献)は、世帯収入によらず同じだと考えてよいと思うので、子供を持つ高所得者世帯にも所得が低い世帯と同じように再分配することには何の問題もない気がするけどね。



anond:20210202223022

2021-01-14

anond:20210114180355

まあともかく、人的ケア問題って

問題への対処コスト問題放置した場合コスト

になる場合が多すぎるんだよなー

QOLを上げるのは難しいが下げるのは簡単

しか効用はすぐ感じられなくなり感謝はすぐに薄れる

2021-01-10

anond:20210109213515

色々考えていて、興味深いな。

これ、一から考えるのは、結構大変だったんじゃない?

まずは、そこに敬意を表したい。

ブコメシチュエーション

ご飯を作ってあげたときに「美味しいよ」とか「ありがとう」の前に「鶏肉ももからむね肉にしたんだね、さっぱりとした味になっているね」とか言われたらそりゃモヤモヤするよ

について、あなた

ご飯食べてる時は他に色々考えているはず

と書いた。

「美味しい」とか「今は7時だ」とか、いくつか案を書いてくれている。

この後、聞き手脳内で起きる処理について、説明をしてくれた、と理解している。

それで大丈夫だよね?

ここからは僕の意見を書くね。

今回の説明には、気になる点が1つある。

ご飯を作った人、奥さんの話が出てきていない、ということ。

もちろん、ここに題材に出てきた奥さんがいるわけではないから、推測以上のことは書けないんだけど、書かれていないのは事実

その意味で、

そもそも奥さん気持ち言葉キャッチして、キャッチしたことを示すプロセスが抜けている」ように見える。

話し方講座なんかに行くと「おうむ返し話法」を教えてもらう事が多い、という事は知ってるかな。

知識としては知ってるかもしれないが、少し説明を読んで欲しい。

相手言葉を復唱する事の効用はいくつかあるけど、今回はそのうち1つを説明する。

相手言葉を受け取りました」という事を相手アピールする、という事だ。

実際には「おうむ返し」オンリーだとリズムが崩れるので、相槌のバリエーションを増やす練習などもするんだけど、目的は同じ。

どちらも相手言葉を聞き、ちゃん相手存在を認めている、とアピールする事に使える。

今回のシチュエーションでまず行うべきは、

相手気持ち言葉キャッチしたことを伝えること。できれば、相手気持ちを受け入れて反応すること」だ。

コミュニケーション言葉を使って、もっと深い情報(感情など)を伝え合うものからだ。

相手気持ちを確実に特定するのは難しい。

からこそ、「ベタに」感謝気持ちを伝えるのが定番パターンとしておすすめだ。

あなたの頭の中で起きたことを話すのは、もっともっと後だ。

まずは話しかけてきた相手に合わせて、適切な反応を返すのが先。

注意点がある。

この順番を無視して、いきなり自分の反応を話さない、ということだ。

相手立場で考えてみよう。

自分から話をした時に、相手がそれをキャッチすることなく別の言葉を伝えてきたらどうだろう。

やってみるとわかるけど、無視、もしくは拒絶されるのと感覚的にはあまり変わらない。

こんなことをするとコミュニケーションが壊れかねないのは明らかだ。

もちろん、自分の反応を話すことそれ自体問題ない。

大抵の場合相手が話していることを、きちんとキャッチした後が良いだろう。

具体的には、相手が話したい気持ち言葉がある程度出切ったあたりで、すれば良いと思う。

もちろん、質問されているなら、質問に答えれば良い。

上記説明で納得してもらえたならば、嬉しい。

2021-01-07

anond:20210107013634

うーん

納得したり感動したりってのは、どうしても文脈とか読み手によって効用に差がでてしまうんだよなあ

読み手にかかわらず絶対的ものと、読み手に応じて使い分ける相対的ものを分離することはできないものかねえ?

2020-12-05

化粧代出せってのは、化粧の効用はフル活用したいけどコスト負担しろという甘えなんだよね。

筋としてはみんなしんどいなら別に化粧しなくてもいいんじゃね、したい人はしてもよくね、という社会を目指すべき。

2020-11-24

anond:20201124144316

恋愛市場勝者総取り方式になると圧倒的多数の敗者が得られるはずの効用がなくなって不経済になるよ的な話?

2020-10-24

anond:20201023210018

横だけど、「些末なことは」必ずしも些末ではないと思うし、客への理解の正確さではなくコミュニケーション技術の弱さについて言いたかったんだろうし、「相手発言を何度も反芻して相手に落ち度があると確認し続け」ているって証拠はなくてむしろ何度も言ってるのは彼女の方だし、不要なことを書かないのは恐怖が原因とは限らない。

行間を読むのは大事だし才能だが、いささか決めつけが過ぎると思う。

いやいや、ここで自分の話ばかりしてたらますます自己中のおっさん」「人の気持ちがわからないオタク」と非難されるでしょう。

あなたが誰に非難されるのを恐れているのか知りたい。あなたレンタル彼女というサービスを利用している客で、金を払って相手時間を買い取っているのだから自分の話ばかりしても何の倫理的問題もないはずだ。

この部分は読み間違いだ。元増田が弁明しているのは「増田自分の話を書かない理由」であって、「彼女自分の話をしない理由」ではない。

そのように考え方を変えるためにカウンセラーを利用することは有益だと考えられる。

性欲と向き合うように考え方を変えるべき、って提案元増田は納得したのか? あの文章で納得させられる自信があったのか?

通院を勧めるのは相手論破したあとだ。間違いを認めて初めて、なぜ間違えたのかを考えられる。一般に「カウンセリングに行け」はアドバイスハラスメントだと思う。本当に相手病院に行って欲しいとは思っていないし説得するつもりもない奴が、単に賛同のしやすさだけを狙ってそれを言う。意味は「こいつはキチガイ」。増田に悪意があったとは思わないが、ネット他人に、価値観が違い信頼関係も築いていない赤の他人に助言するときは注意深くあるべきだ(今回のケースだと例えばカウンセリングへの擁護って形で効用説明したりもできる)。理解共感も期待するのは不合理だからといって、不用意な言葉を投げて傷つけていい理由にはならない。最後の文を「自分キチガイだってことを記憶の片隅に残しておけ」と受け取ってほしくはないだろ?

2020-10-17

エナドリ飲むやつの気がしれん

残業とか追い込みとかでエナドリ栄養ドリンク飲みまくってる描写ってすげー見るけど、あれってあほなん?

エナドリそもそも眠気を失くす効果なんてないし高いだけの甘い飲み物じゃん。

栄養ドリンクも同様に高いし。

あんなもんをパカパカ買って飲んで、不健康になるだけなのになんで飲んでるらしきやつ結構いるの?

効果効用なんて調べればすぐに辿りつけるはずだがそれくらいもしない情弱ドリンクなのか?

2020-10-08

anond:20201007204228

すぐ帰ってやれよ。さすってやれ。会う前にイソジンでうがいして喉を消毒しておけばいい。イソジン叩かれたけどその効用はあるから

2020-10-06

anond:20201006003637

結婚制度ヘテロ優遇なので、そもそも結婚制度自体をなくせばいいという話もあるよね。

同性婚を足すか、結婚制度をなくすか、同性愛者にとって、その意味では効果効用が同じ。

2020-09-10

和歌山県大麻犯罪防止啓蒙マンガ大麻効用知識私刑描写はまあ置いといて、一人で SUGOI DEKAI ジョイントを吸ってたのに笑ってしまった。それ、複数人で回し飲みするような大きさだよ。質の悪い(酩酊成分の少ない)大麻から大量に吸わないとだめだったのかしら。

2020-09-08

anond:20200907223020

元増田の言いたいこととブコメの内容や流れとがかけ離れてしまっているのでちょっと書きたくなった。

要点は以下の通り

元増田は「傷付いた」概念解体しようとしている

まず「傷付いた」という考え方は、多くのブコメが書くように、ある。存在している。

ただし、他の感覚全てがそうだけれども、「傷付いた」という言葉言語によって諸人が感覚を構築してきたという背景・歴史がある。

構築にはある程度共通経験少女漫画でもなんでも)があり、日本語としての「傷付いた」がこれを結びつけている。

元増田はこの「傷付いた」を一度構築し直しませんか? と言いたいのだ。

ただ、言い方が結構雑で「嘘の概念」とまで突き放してしまっているので、

ブコメでは「傷付いたことがある」「元増田感情が欠落している」などの反応が多く、建設的な議論に発展しにくい要因になってしまっている。

ところが、元増田は「傷付いた」概念解体してどのような効用があるのか明言できていない

では、元増田はどうするべきだったのか。

もっと感情を「傷付いた」カテゴライズに放り込むデメリットや、そうしないことに関してのメリットを示すべきだったと私は感じている。

元増田ブコメなどへの返信でようやくその片鱗をみせているが、確かに「傷付いた」を一度考え直してみるのは良いことなのかもしれない。

ただし「ムカついた」「ビビった」もまた「傷付いた」と等しく、感覚言語で取りまとめられているに過ぎない。絶対的指標は、ない。

元増田もまた人生の中で、他の人が「傷付いた」ような経験をして、色々「ムカついた」り「ビビった」りしているのだろう。

その感情の処理がどう効用があるのか、「傷付いた」を常用している人に訴える射程がないと、話が噛み合わないのだ。

「傷付いた」の現状

元増田がなぜ「傷付いた」概念に疑問を抱き、それを脱構築しようと考えたのかはわからない。

以下は私個人の感じていることだ。

ネットでは「繊細ヤクザ」というスラングがある。

誰しもが情報を色々なところで発信できるようになり「私はこんなに傷付いています!(だから配慮してね)」「私は傷つく恐れがあります!(だから配慮してね)」が必要以上に溢れている世の中になったことは確かだ。

誤解のないよう述べておくと、当然社会的に十分以上の(例えば違法仕打ちなど)をされた人が必死の訴えでそう述べるのは重要なことだ。そして人生の中で「傷付いた」経験は各員日々生じているだろう。

しかしたら元増田は「傷付いた」で周囲を困惑させるある少数の人々の振る舞いが気になっているのかもしれない。

終わりに

じゃーこの増田&ブコメから何を考えればいいのだろうか。せっかくの秋の近く火曜日。何かちょっとでも考えたほうがいいような気が、私はしている。

元増田が雑だけど訴えている通り、確かに「傷付いた」カテゴリになんでも放りこまず、もう少し考えるってのは大事かも、と思う。

ブコメでも、自分が「傷付いた」と感じるときはどういう時だろうか、と考察している方がいる。

「傷付いた」を一度解きほぐすことは、確かに自分生活心理面を考える上で役立つかもしれない。

同時に「ムカつく」「ビビった」も解体してみるといいだろうし、「怒り」「安楽」など当たり前にあるような言語で示される感情の、それぞれの内実を省みることは、きっと生活重要と思う。

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