はてなキーワード: 効用とは
・年功序列
・権威主義
・マナー重視
生産性悪化、道徳レベル低下、本末転倒を無限に引き起こせる精神の猛毒というほかない。
確かに相手がガチのチンパンジーでまずは鞭で躾けなければいけないが褒美が必要という場合に「お前は階級が低いのでマナーを守れ。偉くなったら階級で殴ってもいいから」という形で飴と鞭を行ったのは有効だったのかも知れない。
与えられる飴の正体が程度の低いチンパンジーレベルの権力であることに気づき自分から拒絶するまともな人間に成れる可能性もあるわけだしな。
だけど今の人間ってのは道徳の平均レベルが昔よりだいぶ高まってきているので、もはやそんな飴と鞭を今更持ち出すとかえって逆効果になる。
一部の宗教が「昔の病院の衛生環境では輸血をするとかえって悪化する」ということから掲げた「輸血禁止」を今なお守っているのと同じレベルで頭が悪い。
レガシーな宗教のレガシーな思想が現代ではマイナスの効用ばかりを産むパターンは多いが、その中でも儒教はとびっきりにマイナスが大きい。
儒教の重んじる礼が結局の所は「老人共の作り上げた幻想の常識を守ること」であるのだから完全に終わっている。
とあるワイドショーの「平成の常識やってTRY!」なるコーナーが、当時の価値観に置いては「立派な人生の先輩であるおっさんたちが、女は料理ができなければいけないという常識棒で殴ってやる有り難いコーナー」として成立していたがの、令和の常識に当てはめるとそもそもこんなコーナー自体が常識はずれのゴミであるとされるのと同じような状態だ。
やってTRYの存在は本当に平成という時代の道徳レベルをよく象徴している。
昭和が酷すぎたせいでだいぶマシだったなんて思ってしまいそうだが、冷静に少しずつ振り返っていくと平成という時代さえも十二分にその存在そのものが日本史の恥とも言えるモラルハザードの真っ只中である。
だが、儒教の素晴らしい思想を守ろうとすればそんな平成のモラル感、それどこからそれに3周りほど輪をかけてゴミクズナ昭和の道徳観を「老人たちの語る素晴らしい常識感」として崇め奉ることになるのだ。
歴史の中にだけ存在すべきであり、そういった宗教が存在したことだけを伝えればよいだけの代物になった。
失敗は失敗として残さなければ、頓珍漢が「誰もまだ気づいてない素晴らしい手法」だと思いこんで後の世に再現しかねないからだ。
「とは言うものの」の意味で用いる「もっとも」は漢字にすると「尤も」となるので、「最も」と書くよりはひらがなに開いて書いたほうがよい。
文章にこだわりがありそうだったのでそこだけ気になった。
内容に関してはまあそういう人もいるだろうと理解できるし、選択権や差別のくだりは共感すらする。
とはいえ個人的な意見としてはやっぱり国が金出して無償で打てるものなんだから、よほど忙しいとか体調を一時も崩せない事情がない限りは接種に協力してあげるべきなのではないかと思う。
ワクチンは自分の感染や発症率を下げる為だけのものではなく、他人に伝染させてしまうリスクを全体として抑えていくためにも必要なものだからこそ、国が「お願い」をしているということをそれなりに重く受け止めてもいいのではないか。
効果期間がそれほど長期間持続しなくとも、パンデミックを抑えることができれば収束に向かっていくので、個人として見た時のワクチンの効用は微妙に見えても、集団における対ウイルス戦略としては絶大な効果になると言えるだろう。
それは昨今の遷移を見ていても分かるはずだ。
『リベラルは自民党を見習え。自民党的なある種の不潔さは、人間性の深さだ。人間は不潔で当たり前なのだ。みんな人間が不潔なことに気づいて、人間の不潔さを受け入れよう。』
『みんな当たり前のように差別していて、差別のある優しい世界もあるんだよ』
とか言い出す人。
そういう話をする根拠は、自身が差別より潔癖さとかで傷ついてきたことにあったりするのだろうけど、結局、差別で傷ついた人に対して『君が潔癖なのが原因』とか説教しそうな人にしか見えない。
結局『ある種の不潔さ』と『ある種』と限定して言ってるはずなのに、それが(本人が意図してるかどうかは別として)結局は見せかけで、結局どんな不潔さも許容することに最後はなってるというか、不潔さを批判する側しか問題視しないんだろうなぁという。
本音と建前のバランスという話だとしても、たいがいそういう人は、建前嫌いで本音ばかり強調して、本音で守れないものや建前で守られるものについて、つまり建前の効用については無視、もしくは見捨ててるように見える。
いいことを言うね。俺も素直に教えればよろしい、くらいには思っていたが、この視点は無かった。
そうだ。「バカにされた悔しい!」が原動力になる時代は確かにあった。
誰かのエンジンにとってのガソリンになるのなら、バカにすることには効用がある。
バカにすることって、一方的で身勝手な、自分の支配欲を満たすためだけの中傷、と思っていた。
でも、相手のためを思って慈善を目的としてバカにする人もいる・いた、のかもしれない。そうだとしても何の不思議もない。
炎上を社会的制裁として、集団リンチのような卑劣な行為でなく、全体の利益のための善的行為として、ポジティブにとらえる見方もある。やらない善より、やる偽善。悪意の有無は結果の善性に影響しない。
RT数100以上のみ
@nmcmnc
午後1:19 · 2021年7月23日·feather for iOS
@nmcmnc
戦闘機飛ばしただけでご機嫌になっちゃう人に冷や水ぶっかけて嫌な気分にさせたいから書いてるに決まってるじゃん
木村知
@kimuratomo
ブルーインパルス、自衛隊の宣伝以外にどんな効用があるのか要検証だ。むろん大好きな人は嬉しかろうが、まったく興味ない人もいる。励まされた医療従事者もいただろうが、空を見上げるヒマすらなかった医療従事者がほとんど。少なくとも国民こぞって讃えてるモノじゃない。血税投入されてるモノだが。
@uchu1dane
ブルーインパルス…何か悪いものでも空中散布しているのでしょうか?
うるさいだけで必要ないです😔
医療現場で空を見上げる時は 自分たちの力が及ばず患者さんが亡くなった時の涙を堪える時だけですから。
Hiromi1961
@Hiromi19611
それを平和の祭典のために、医療者を励ますために使うのが、私の中では整理できません。
いざとなったら、戦争のための、人を殺傷するための戦闘機を見上げて感動するって、ちょっと感覚まひしてませんか?
SAKOMOMI 🙋♀️
@SAKOMOMI
あとブルーインパルスは戦闘機なので、わたしはポジティブな気持ちで見上げることは絶対にできない。さらに移動手段としての飛行機すら、二酸化炭素の排出量の多さから電車を選択する人もいるなか、無駄に飛行機を飛ばすことにはデメリットしかないと思う。本当にすべてがきつい。
ぷえ🍰わきまえるって美味しいの?
@pueteen
税金は使わないでください。
午後9:08 · 2021年7月23日·Twitter for iPhone
https://twitter.com/TotalDeepDoku/status/1418663229031546881
@kyokosakaino
ブルーインパルスって
持ち上げられるようになったの?
PS5やプラモみたいに、時間経過とともに供給量が増加していくものの転売と、公演チケットや数量限定販売商品みたいに供給量自体が制約されてるものの転売では、その構造も対策も違うと思うんだけど、主に前者について。
人気があって定価販売の商品は、供給当初は需要が供給を大幅に上回っていて「財の希少性」が高い。市場理論的には本来もっと高く売ってもいい(売るべき)商品を、本来の実需との均衡価格に見合わない安い価格で販売しているから、結果的に転売益を取る余地が生まれる。需要者の効用(買うために出せる金額)がメーカーの標準小売価格を上回っている間は、その差額分の転売益を期待できるので、どうしても転売屋・転売行為は発生する。今はメルカリその他の古物販売プラットフォームもあって、参入障壁がとても低く、誰でも転売屋になれる。極端な話、普通のエンドユーザーがその商品をどうにか入手できて「さあ遊ぼうか」というタイミングで一応メルカリ見て、差益が2万円も出せることを知って、「なら遊ぶのはしばらく待ってもいいかな」と心変わりして転売する、なんてことも普通にありえる。いくら倫理で批判しても、転売益という実利がある以上は、転売行為を撲滅するのは難しい。
だったら、転売益という実利自体をなくしてしまおう。転売屋は市場の仕組みを利用しているのだから、メーカーも同じことをすればいい。新発売から一定期間(より受け入れられやすい表現で言えば「事前販売期間」)は、メーカー自身が自社サイトでネットオークション形式で売るのだ。サイトで一番高値をつけた人たちに順に商品を販売していく。こうすると、転売屋はその商品に手出しができなくなる。
ちなみにオークションといっても1台ずつオークションにかけて1台ずつ落札する必要はない。ヤフオク・モバオクなどでも実装されている複数出品オークション方式を取れば、たとえば初期ロットとして5000台を出品し、それを同時に多数の購入希望者が値付けして、入札額が上位のユーザーから5000人が落札する、ということができる。
なぜこれで転売問題が解決するか。具体的にはこういうことだ。転売屋は3万円で商品を買って、「5万円でも欲しい」という一般エンドユーザーに5万円で売り捌くから、2万円の利益を出せる。でも、メーカーが供給当初にオークション形式で商品を販売すれば、その「5万円出してでも欲しいエンドユーザー」達は、5万円を出してその商品をメーカーから直接購入する。彼らはその時点での本人の主観的効用に見合った金額を払って購入しているので、一切〈損〉はしていない。さらに時間経過とともに生産・供給が進むことで、より高い値段で値付けする「その値段でも買いたいユーザー」から順にどんどん商品を入手してゆき、実需がしだいに満たされ、オークションの約定価格は下がっていく。全てのユーザーは、約定価格が「この値段なら欲しい」と思える値段まで下がった時点で、その商品を入手可能になる。これは市場の仕組みそのものだ。
一方で、転売屋も一般エンドユーザーと同様、メーカーの公式オークションで、たとえばある時点では5万円を出してその商品を買うことはできる。それなら結局、オークション出品分も転売屋が買い占めて転売してしまうのでは?と思う人がいるかもしれないが、そうはならない。考えてみてほしい。オークション実施時の市場の需給均衡価格は5万円なので、転売屋が入手後すぐに転売しても、そのときに期待できる転売益は0円なのだ。
さらに時間経過によって、商品の市場供給の総量は確実に増え、財の希少性が解消されていくので、仮に転売屋が在庫を抱え込んだとしても、それは必ず不良在庫になっていく(時間が経つごとに、入手価格と再販価格の差損(逆ザヤ)が大きくなっていく)。これにより、原理的に転売屋による商品抱え込みが発生しない。
転売屋による買い占め・抱え込みが起こらないということは、オークションで販売される商品が確実に実需を満たしていくということでもある。これにより、発売初期の供給難は、(転売屋の介入余地がある)通常価格での販売よりも、オークション販売の方がずっと速く解消されていく。これも市場の仕組みだ。
オークション形式を取ることで、メーカー側は想定小売価格を超える超過利益が出る。その超過利益は、初期にプレミアム価格で買ってくれたユーザーに、購入時の登録アカウントと紐づけ、特別なバッジやゲーム内決済クレジット付加などゲーム体験に関わる形で(≒転売屋が転売時に付加価値化しにくい形で)還元すれば、ユーザーの満足度も更に高まるだろう。あるいは何か慈善的活動に寄付するでもいい。超過利益を何らかの形でユーザー自身あるいは社会に還元するというポーズを取ることで、メーカーは「強欲」という批判を回避できる。そもそも超過利益を生むことがオークションの目的ではなく、転売行為を抑制して流通上の目詰まりを早期に解消できればそれでいいのだ。
そしてオークション販売サイトでの平均約定価格が本来の想定小売価格に近づいた時点で、メーカーはオークション形式を辞めて通常流通に切り替えればいい。その頃には、その商品の転売行為で利ざやを取れると期待する転売屋は誰もいなくなっているはずだ。
オークション販売はネット通販でないと難しいから、小売店など既存の流通チャネルはどうすんだというのが課題になるが、本体そのものではなく購入権やアクティベーション権だけをオークション販売する、などの迂回策は取れなくもない。転売屋の跋扈を倫理ではなくシステム的に抑え込むという点では、これが一番効果的な対策のひとつだと思う。転売屋の意見を聞いてみたい。
チェンソーマンの作者の読み切りが公開されたそうで、ツイッターのTLをにぎわせていた。
「すごい」「感動」「震えた」と絶賛の嵐なので、あまり気は進まなかったが職業柄もあり一応目を通しておこうかと読んでみたのだが、いまひとつぴんとこない。自分ももう歳ということだろうか。そもそもこの人の作品は、個人的にあまり好みではないのである。
しかし個人的に好みでないからといってそれで済ますのもなんなので、もうちょい反応を探ってみようかと検索して気づいた。
読み切りのストーリーには京アニ放火事件を想起させるような不条理な展開がある。あの事件の時も、ずいぶんヒステリックな動揺があった。失ったものは戻らない。長く丁寧にバックボーンを描かれた主人公の喪失感に読者はシンクロする。
要するに遠くの悲劇をあたかも自らのものとして嘆き、同じ感覚を持つもの同士でいたわりあうゲームが展開していたということであった。時期的に狙ってやっているのは間違いないし、目論見は見事に成功している。しかし何の参考にもならなかった。
まあなかには“異常者”を安易に悪として描く単純な構図に苦言を呈したりとかする者もいるだろうが、被害者とそれに寄り添う心清らかな人々の興を削ぐ敵対者の言説が聞く耳を持たれることはなかろう。そしてみな心行くまでカタルシスを味わったあとは、すっきりしていつもの日常に戻っていくのである。
さて、今回はジェミニ杯のテーマとも言える「スタミナ」について答え合わせをしよう。
始まる前に言えって思うだろうけど、ジェミニ開始前に言ってもみんな自分の持論に精一杯で人の話に耳は貸さないだろうからこのタイミングしかなかったのだよ。
「スタミナが足りていませんね」とたづなはすぐに言うけど、そもそもスタミナが足りないとはどういう状態だろうか?
正解は全部でもあるし、どれか一つでもある。
「スタミナが足りない」という言い方では答えは一つに絞れないのだ。
更に対人レースではこれに「④デバフを食らっても状態が変わらない余地があるか」という要素も追加され、いよいよ誰がどういう意味で言葉を使っているのかなんて本人さえ把握しきれなくなってるのだよ。
長距離レースに勝つことを目指すという意味で「十分なスタミナを確保する」という概念を用いるのならば、狙うべきはラストスパートをフルに走れるようにすることだ。
ゲーム開始当初スタミナの効用は「スタミナ切れ」と呼ばれるウマ娘がジョギングを始める状態を回避するものだと思われており、なぜスタミナを確保するとスピードが上がるのかが疑問視されていた。
しかしラススパートシステムの解明により、スタミナがなぜウマ娘の最高速を決定するのかに対し理解が進み「スタミナが足りない」「スタミナが十分」という言葉の意味が変わってきたのである。
過剰だったのだ。
更に今回は「ゴルシしか勝てないからもうデバフ2枠使うわ」といったトレーナーも参戦していたせいでデバフの量が前回以上に酷いことになるレースも多く、それをかいくぐり完全なスタミナ確保を目指すのならばスタミナ1200金回復3つは必要にはなる。
「だがジェミニで勝っている多くのウマはスタミナ1000金回復2ぐらいではないだろうか?」という疑問は当然起きる。
実際そうだ。
タキオンやクリークなんてスタミナ800金回復2ぐらいでレースに出てそのまま勝ってることもある、固有回復が金回復5にでも相当するというのだろうか?(※上位版のLV5でおよそ1個分っぽいです
それは半分正しい。
後半に坂道が存在するため、ラストスパートの入りが遅くなると坂における競り合いにおいて圧倒的に不利になってしまうのだ。
競り合い突入が遅れてズルズル後退していくとそこから逆転するのが難しい。
それを証明するのが今回のレースにおける差しの謎の弱さである。
差しが加速しだすタイミングと坂のタイミングが上手く噛み合わず、差しが頑張って加速しようとしても他のウマとの競り合いに妨害されてしまい伸びがイマイチとなることが多々起きている。
追込脚質であれば最終直線突入後に再加速することが可能なため坂でダンゴにされても復活することが多く、逃げや先行であれば坂でダンゴになりかけても自分が先頭にいる側なのでむしろ有利に働く。
A.はい
そもそもスタミナ+20%というだけで長距離育成に有利すぎてインチキ臭いのに坂が鬱陶しいレースでパワー+10%、坂の場所もなんかしらんけどやたら追込みに都合が良いと来てるんだから使わない手はない。
選択肢の多かった前回であれば「デバフに枠を割くより3枠それぞれで勝利を狙う」が最適解と見られたが、今回の場合は「ゴルシに全てを賭けるためにデバフに2枠を使う」が無課金の最適解として成立してしまっている。
その原因は3つである。
「追込が強い」と「コースが長い」がそのままデバフを使う大きな理由となってしまっている。
チャンピオンミーティング2回目にして早くもメタゲームがデバフを完全に肯定しきている……。
じゃあ逃げや先行にすりゃメタゲームを上から叩けるじゃんというのは言葉では簡単だがゴルシに匹敵するだけの駒を用意できず、多くのプレイヤーはゴルシゲーデバフゲーの中でグルグルと戦い続けることになっていた。
タイシンもクッソ強いのだが、タイシンは追込なので追込を中心としたメタに拍車をかける側である、というかタイシンも強いからこそメタの中心が追込として完成した節はある。
(無課金でも手に入るウマの中でもタキオンであれば固有+覚醒LV5+クリーク+イベスペの組み合わせで容易にスタミナを必要量まで確保できる上に、スピード+20%により簡単にスピスタの両立を可能。あとは因子でパワーを補えばいいだけの超お手軽キャラである。なぜかあんまり走ってなかったけど、固有着てなくてもいいからタキオン育てるべきだったんじゃねってトレーナーは実際多かったと思いますわ)
今回の距離でも450あれば十分。
でも350切ってるとかなりキツい。
正確に言うと、450を超えても無駄ではないがそこからは明らかにスタミナに振ったほうが強いのでスタミナを上げる方面に育ててるウマのほうが強いが、スタミナがあっても長距離レースで根性が350切ってるとそれを活かせないので厳しい。
わからん。
350あればスキル発動には十分だけど、賢さが高いと坂道に有利になるから500までなら無駄にならなかったんじゃない?
上げてる余裕ないしこれも最低限確保できてるかどうかが大事なステよね。
受け手によって解釈が違う表現って、視聴者間のレスバトルが引き起こされて嫌な気分になるんだよね。
作品自体は面白かったとしても、その後のネットコミュニティが荒れまくると、うんざり気分に上書きされちゃう。
人類史上もっとも一般人の推し活とレスバが盛んなこの時代、揉め事の種にならないようにはっきり説明してくれる作品や解釈の幅が少ない作品が求められるのは自然だね。
つまりカップリング論争なんて最早うんざりだから、公式正史における本命CPは明示されてる方がありがたいってことよ。
現代では、作品そのものの効用と、その作品に対してネットでお祭りすることの効用が、同じくらい重要になってる。
オタクジャンルでは以前から「公式が新情報を追加し続けて、オタクの二次創作や限界萌え狂い芸やトレンド乗りといったファンコミュニティの活気を絶やさないことが大事。それってまるで作品よりもコミュニティを作ってるみたいではあるけど」なんて言う人がいたけど、映画やドラマでも割とそうなってる。
友達と映画見た後の感想会が楽しいのは昔からだが、今はその感想会の重要性がめちゃデカくなったんだな。
そんでここから本題だけど、友達同士の感想会ですら評価が別れるとやや気まずくなるのに、何万人とやりあうネットの関係で評価が分かれてるとコミュニティが荒れまくってしんどいんだわ。
(ここで友達同士の違う感想を聞きあうのがいいんだろとか言おうとした人もいるだろうが、それは心身が健康かつ信頼関係のある友達とたまにやる時だけ言えること。一時的には議論を面白く感じても、やっぱり疲れるから、好みの合わない相手とは次第に一緒に見なくなるぜ。)
人によって受け取り方が違うのは文学性かもしれんが、はっきりしないものについて語り合うのって耐えられないほど疲れるんだよ。
なんなら作品鑑賞時間より、その後のネットでコミュニティに入ってる時間の方が長いくらいなんだからさ。
大昔なら他人の感想を見るのなんて批評家の本くらいだし、ネット時代もしばらく前であればブログに長文書ける限られた人のものしか目に入らなかったから、我々は自分vs作品で孤独に向き合う時間が多かった。
そこで一応自分の中でまとめた自己解釈は、二つ三つの他人の感想と違ってても辛くなかった。
でも今は世界と繋がってんだから、解釈が固まらないうちに、他人の何千という意見を目にするせいで「私が間違ってるのか?」という不安や「あいつら、読みが浅いくせにそれが正当みたいな顔してやがる」みたいな怒りが沸いてくる。
自分と近い解釈の【仲間】も沢山見つかるが、それは自信を補強するというより、陣営に別れての対立を激化させる効果が大きい。
SNSが日常のスキマ時間に入り込んだ現代、スキマ時間に対立を目にするのはマジでキツいんすわ~。
だから近頃は萌えカプ重視のオタク作品ですら、カップリング論争が激しくなりそうな関係描写は敬遠されて、公式CPはほぼ明示、ハーレムでも正妻ポジションがわかりやすい作品が、安心できる福利厚生としてウケるんだよ。
シン・ゴジラはエンタメ性のバカ高さで内閣総辞職ビームwwwつって盛り上がったが、もしも流行初期にもうちょっと「原発の比喩か否か」「日本官僚への期待か否か」「庵野は政治的主張をしたがらないんじゃないか」みたいな議論厨がファン内の主流になってたら、疲れそうだから人がこなかったと思うわ。
わかりやすさを求める人への軽蔑トーンが強すぎるぞ、煽ってアクセス集めるのはやめろ、と思ったが、興味深い部分はある。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/83647
『逃げ恥』『シン・エヴァ』…「リテラシーが低い人を差別しない」作品が時代を制する
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/83706
低リテラシーへの思いやりでわかりやすい作品が増えており、それは低リテラシーへの差別予防であり、反差別やポリコレと通ずるブームだという指摘は面白かった。
だが、それだけじゃない。
作品から視聴者への差別防止だけでなく、視聴者間の差別も防ぐ効果が、わかりやすい作品にはある。
視聴者も他の視聴者を差別したり、憎んだりしたくないんだよ。ファンコミュニティ内で荒れたり議論になったりしてほしくないし、自分も荒らしたり議論を吹っ掛ける誘惑にかられたくない。
たとえば意味深な表現があると、それを誤読した低リテラシーな人に対してどうしても「あーあ、バカな奴ら」って差別的なこと考えちゃうじゃん、そんな感情を誘発させないでほしいんだわ。
自分が誤読してるのに、ちゃんと読めてる高リテラシー側に対して「バカな奴ら」って差別的なことを考えてるのかもしれないと心配になる。そんでこういうぐちゃぐちゃした思考に自分でうんざりする。
とにかく「解釈の幅が生まれやすい表現」てのは、皆が繋がってコミュニティになってるこの時代には揉め事の原因になるからやめれっつーことよ。
仕草だけで好意を伝えるなんてやったら、それは本当に好意を読みとれるかどうかで揉め、作者が意図してるかしてないかで揉め、仕草から感情を勝手に解釈して判断するのはデートレイプとかに繋がるんだから性交同意書が提案される現代には許されないとかで揉め、言外の意味を察することを求めるのは発達障害に厳しいとかで揉めるんだぞ。だったら好きか嫌いかはっきり言わせよう、となってあたりめーだよな。
だいたいさ、はてなーもツイッタラーも5chもふたばも、主語がデカい、比喩を使うな、皮肉は伝わらないからやめろ、意味が一意に取れるように書け、みたいなツッコミをする人がすげー増えたじゃんね。
だったら、物語もそれに合わせてわかりやすく直接的で解釈の幅を狭くする描き方をして当然だよな。
そーゆー批判は有名人の発言やブログに対してだから物語に対しては別だと思う? 物語は比喩や間接性こそが価値だから明確さなんて求めてないって?
事実半分物語半分みたいなエッセイブログ・エッセイツイートですら「誤解を招く表現はやめろ」「曖昧さを利用して分断と偏見を煽っている」なんて言われてんだからさ。
受け手によって解釈のブレが生まれやすい表現は混乱の元だからやめとけやめとけってのが、ネット発言についても物語表現についても当てはまる時代なんだわ、今は。
【追記】
ブコメで「他人の感想を見るな」などのアドバイズをしている人いるけれど、この記事では困ってるなんて全然書いてないっすよ。
むしろ逆で、わかりやすくてSNS受けしてみんなで同じノリがしやすい作品が増え、応援上映だのイベント生配信だの実況ハッシュタグだのも公式が準備して、モノ消費よりコト消費なんてスローガンも広まって、対人交流が好きな人間にはどんどん都合がいい世の中になってるぜ、と言っている。
それなのに、なんでわざわざ我が世の春を捨てるような、古の単独ムッツリオタクとしての生き方に回帰せよってブコメがつくねん! そもそもオタクだけの話をしてるわけじゃないし!
あとどっちかっつーと、いま助言される立場はオールドスタイルオタクの方じゃない?
「作品と鑑賞者がタイマンで向き合うのが本義で交流共感は二の次三の次というの、今の時代では逆風で大変そうですね。もっとコミュニケーションやってみんなで盛り上がる方が生きやすいですよ」ってな。
私はそんなこと言わんけど。
だってこの記事は周囲を見て考えたことを書いたものであって、私自身は6:4くらいでオールドスタイルオタクに近いから。本文で一人称を使ってないのは、私の価値観吐露じゃないからだよ。
というのも、増田は
理論経済学的には、最低賃金を設定することで、死荷重(最低賃金以下での雇用機会の損失による非効率)が発生し、労働市場の効率が悪くなり、社会全体の効用が下がる、という予測が導き出される
と書いているけれどもこれは正しくなく、経済学の理論の上ではまさにあまりに低い最低賃金(あるいは最低賃金がない)でもあまりに高い最低賃金でも、どちらも社会厚生を悪化させるという予測が導き出され、これが実際上にも問題になってくるから。どうして理論の上であまりに低い最低賃金が問題になってくるかといえば、雇用者と労働者では交渉力に違いがあるため、労働市場は完全競争市場ではないので価格規制的な最低賃金が雇用を増やすケースがあるためだ。興味のある人は「最低賃金 買手独占」で検索してみると色々と解説が見つかるだろう。
では、最低賃金は低すぎても高すぎてもだめな、いわゆる程度問題という時に、たとえば現在の日本で全国一律1500円というのはどのような具合と想定できるかであるが、これは高すぎ(つまり社会厚生を悪化させる)な可能性が高い。
そう考えられる理由は3点。一つは、平均的な人にとっては別に高すぎる最低賃金ではなくても、これまで就労による技能獲得の機会に恵まれなかった人たちなど特定の層にとっては高すぎる最低賃金となり得て、その人たちに皺寄せが行ってしまう可能性があること。もともと恵まれない層に苦痛が集中することは社会厚生を著しく悪化させることである。これは可能性だけではなく、これまでレベルの最低賃金引き上げでも実際に観察されており、ここからさらに1500円まで引き上げればさらに悪化すると予測される。
二つ目は、各都道府県別に時給の分布を見ていくと、1500円というのは時給の中央値を超えてくることもあるくらい非常に大きな数字であるということ。最低賃金が雇用を大きくは傷めない、高すぎない数字は時給分布の中央値の約6割くらいだとされているので、これはやはり雇用に悪影響を与えて社会厚生を悪化させる可能性が高いであろう。
三つ目は、1500円というのは海外で出されている数字を持ってきている面が強いものだけども、日本と海外では労働生産性に大きな隔たりがあるのに同じ数字を求めれば、当然日本にとっては高すぎになってしまう可能性が高いこと。
https://www.nikkei.com/article/DGKKZO72122240R20C21A5KE8000/
ここで日本の時間当たり労働生産性(就業1時間当たり付加価値)は米国の約6割の水準である。
https://www.jpc-net.jp/research/detail/005009.html
最低賃金に関係してくる層の賃金分布の形状にも日米で違いがあるとはいえ、大まかに言って米国での最低賃金15ドルは日本でいえば全国一律950円程度のものである。1500円はあまりにアグレッシブ過ぎる数字であり、社会厚生を悪化させる可能性が高いであろう。
以上、最低賃金というのは程度問題なので、上げるのがいい下げるのがいいという議論には具体的な数字がないと意味に乏しくなること、そしてたとえば1500円というものを考えると社会厚生を悪化させる可能性が高い、という話でした。たかが1500円でもこうなるのだから、最低賃金に頼らない貧困対策が必要ということですね。
同じく会社経営だけど、元増田とはだいぶ意見が違うので簡単に書いてみる。
①最低賃金をめぐる経済学的な議論には、色々な立場がある。理論経済学的には、最低賃金を設定することで、死荷重(最低賃金以下での雇用機会の損失による非効率)が発生し、労働市場の効率が悪くなり、社会全体の効用が下がる、という予測が導き出されるけど、統計上はこの死荷重による負のインパクトははっきり観測されていない。最低賃金の存在が労働市場を歪めているという実証的な研究結果はない。
②最低賃金という制度の重要なポイントは「地域内では一律に設定される」という平等性にある。つまり、輸出中心の産業(海外の労働力コストと直接競争する産業)を除いたドメスティックな業種では、自社もその競合業種も、労働力の調達コストにおいてみんな同条件の上方シフトを被る。これは、各企業がこれまでと同じ収益性と雇用を維持し、同じ水準のサービスを提供しようとした場合、そのコスト上昇をすべて販売価格に転嫁しても競争力を失う可能性は低い、ということでもある。労働コストの上昇分を販売価格に転嫁しない企業があるとすれば、「企業の収益性を下げてでもシェアを取る」という選択をしたからで、これは人件費に限らず部材調達やその他諸経費の値上げなど、原材料費や外部経費のすべてに妥当する話だ。最低賃金に固有の問題ではないし、いずれは市場の機能によって均衡する。
→これは短期的には正しい。人員1人あたりに期待される労働生産性が上がり、その水準に満たない人は雇用できなくなる。一方で、長期的には正しくない。最低賃金が上昇すると、社会全体での労働財の単位価値が上がり、それによって「時給1500円の仕事」の水準が相対的に下がるからだ。
→労基法を遵守している企業なら、上のやつは不利益変更だからそもそもできない。普通の正規雇用社員の給与体系では、生産性の高い(職位が上、業績が良い)人材の給与が下がって、生産性の低い人材の給与が上がるような人件費の調整はできない。
元増田は、最低賃金アップを「生産性の高い/低い労働者間のバランスを変える問題」としてとらえているようだけど、認識がズレていると思う。ぶっちゃけ、単位労働の価格が上がることによって労働者間のバランスはほとんど変わらない。労働コストが上昇したときに企業が取り組むのは「労働集約的なタスクを、技術集約/資本集約的なタスクに振り替える」ことだ。労働コストが上がると、いままで人間がやってた仕事の中に、設備投資して機械化したりロボット化したりICT化して人を減らすほうが低コストになる仕事が増える。しかもその仕事は、必ずしもブルーカラー労働というわけではない。リンダ・グラットン『LIFE SHIFT』では、各業界の市場成長や機械化の可能性をもとに予測すると、これからの時代に雇用数が減っていく職種は①機械操作/肉体労働、②製造、③事務/管理部門、④セールス、⑤管理職の5職種で、伸びるのは①介護、②警備、③専門職、④技術職、⑤食品/清掃の5職種とされている。
→上で書いた通り、最低賃金アップは「生産性の高い/低い労働者のあいだの力関係を変える問題」ではない。最低賃金が変えるのは「人的労働と機械化のあいだの力関係」で、その影響はスキルの高低や学歴や職歴には関係なく、その職種の主なタスクの定型性が高い(機械化と相性がよい)かどうかによって決まる。だから、セールスだって管理職だって失業する。
→労働コストが上がると、労働者にはそれ相応の労働生産性を獲得してもらわないといけなくなるので、人材教育の重要性が高まる。社会変化によってスキルの陳腐化が加速しても、やっぱり人材教育の重要性は高まる。だから文科省も産業界もやたらとリカレント教育と言い始めている。そもそも未経験者を職業訓練しなければ、既存社員はどんどん高齢化して離脱していく。いまは経験年数の長いハイスキル人材の流動性もすごく高まっていて(顧問名鑑などの高度人材紹介業がそういった人材を活用している)、そういった人材を今の雇用条件で繋ぎ止めることは難しくなっていく。だから企業経営者として、将来的に職業訓練機会を減らしていくイメージが全く湧かない。逆にどれだけきちんと教育できるかを常に意識している。
→失業保険は一時的な問題だからここでは措いておこう。生活保護については、最低賃金の改定は、生活保護の支給条件である「最低生活費以下の収入」に対して正のインパクトも負のインパクトも及ぼす。たとえば最低賃金を500円にした場合、月20日フルタイムで働くパートタイマーの月収は8万円となり、現在の首都圏の最低生活費(約12万円)を下回る。最低賃金を下げることで、いまコンビニやスーパーや工場などで最低賃金で働いている非正規労働者が、みんな生活保護の潜在的対象になってしまう。逆に最低賃金がアップすることで、この最低生活費以上の収入を得て生活保護を脱することができる人々も出てくるだろう。
最後に陰謀論的な読み解きをしているけど、その前にこういう個別の論点をきっちり検証していったほうがいいよ。それが経営者の仕事。間違った前提で間違った舵取りをして、従業員を不幸な目に遭わせてはいけない。
これは労働と同じ。どんな会社でも人間の時間を拘束し身体を働かせることを条件にして給料を払うもの。この理由だと労働も批判しないといけなくなる。
同語反復になっているから理由として使えない。してはいけないからしてはいけない、では説得力がない。
「搾取」の意味を、本来その人のものであるはずのものが不当に他人に奪われる事態を指すと考える。買い手が売り手の性器を使用して快楽その他効用を得ることには金銭が対価として出されており、合意の上であるなら、不当に奪われているとは言えない。無論、金銭の支払いがなかったり合意がないならば搾取であるが、これは売春特有の問題ではなく取引の不正から生じていることであり、売春の不正に由来する不正ではない。
すべての資本家は労働者を搾取しているため、売春固有の問題ではない。労働基準法などで解決されるべき問題であり、売春が悪いことに由来する悪ではない
売春でも売春以外の労働でも、金銭が獲得可能であり、根拠が希薄
貧困は悪であるが、売春が原因ではない。売春をなくしても貧困はなくならない。
社会保障の充実によって解決されるべき問題。売春が不可能になればそれらの人々に自動的に社会保障がされるようになるわけではない。一旦路頭に迷わせ社会保障の対象にすることが倫理的かどうか怪しい。
通常の交際などのルートで欲望を叶えることとの差違が説明できない
売春は行っていないが性的に奔放な女性は存在し、彼女らの人格が性的に貞淑な女性と比べて劣っていると考えることは不当
金銭以外の、例えば人格的な信頼や、相手の性的な能力と交換した場合と比較して金銭にだけ悪性が伴うと考える根拠が不明
すべての商品は金銭と本来交換不能であるのに、金銭の量によって価値がはかられるという性質がある。性を例外にする理由がない。
⑬女性の身体は男性のものであるという規範を再生産しているからだめ
むしろ、高い金銭を支払わなければ手に入らないものとして大切に扱われている。金銭を対価にしない性行為を規制することが帰結する
確かに男性のものは少ないが、それを拡大するという差別解消方略もある。また、女性向けの美容商品があるからといって男性が差別されているわけではないように、需要に対して供給があるだけである
⑮売春は女性の価値を性の対象としてしか捉えておらず、人格的な側面を無視している
労働は人間を価値を生み出すためのものとしてしか捉えておらず、人格としての人間のことは無視されている。この理由だと労働も同時に批判なければならない。
⑯貧困女性が売春を始めると売春しかやらなくなり、売春からぬけられなくなる
就労支援などで対処すべき問題であるし、すべての単純労働に同様にあてはまる
思い付くままに書いたが、A.売春を労働として認めることで解決するもの B 社会保障を充実することで解決するもの C 性の価値をなんらかの意味で特権視している のどれかに分類できると思う AとBは、売春を他の労働と比べて保護に値しないものと考えることが問題を悪化させる。Cにおいては、性の価値を異常に高く見積もることは、処女性を重視して女性は性と家事を、男性は女性の生活を全面的に保護する、金を渡すという形で家族を形成するという社会規範の再生産にもなっている。売春批判は、売春とそれ以外の“正当な”性のあり方を切り分け前者を批判、貶めることで、現行の保守的家族制度の再生産を意図している可能性もある。神聖化は女性の神秘化であり、結婚以外の性を認めない女性の管理であって、女性を祭り上げながら貶める態度にもなりうる。
他にも理由が挙げられたら教えてほしい