はてなキーワード: ドイツとは
別に宗教団体が闊歩してても良いよ。アメリカやイギリス、ドイツは政治や市民生活に宗教の影響出てないからね。日本は市民や政治への影響が強すぎるからダメ。公明党とかが与党とかやばすぎだろ。
殆どの国の政教分離は国家の宗教活動を禁じている。例えば政府が特定の宗教を利すること、国民に特定の信仰を強制することなど。つまり宗教団体の側から政治活動に参加することは禁じられていない。日本は当然のこと、イギリス、ドイツ、アメリカなんかも同様。もし今の日本で宗教団体の政治活動を法律により禁止すれば、憲法14条一項、19条、20条一項、21条との関係で違憲となる。そのため公明党や統一教会が闊歩する事態となっている。そもそも我が国の君主(笑)が税金で生活し国事行為を行う存在なのに神道の祭祀みたいなことしてるし。
一方厳格なのはフランス。フランスは政府が宗教活動をすることは無論のこと、公共空間での市民の政治活動も禁止されている。宗教教育もダメ。完全にプライベートな空間で信仰するのは当然OK。それでもカトリック勢力が日本の日教組みたいに教育現場に強く影響を及ぼしてるそうだが、日本の宗教団体程の影響力はない。日本もフランス型の政教分離を採用してはどうだろうか。
国 感染者 死者 致死率 アメリカ 95,157,367 1,064,665 1.12% インド 44,311,584 527,206 1.19% フランス 34,299,686 153,427 0.45% ブラジル 34,245,374 682,276 1.99% ドイツ 31,725,160 146,214 0.46% イギリス 23,460,787 187,018 0.80% 韓国 22,000,037 25,896 0.12% イタリア 21,581,917 174,447 0.81% ロシア 19,000,055 383,362 2.02% トルコ 16,671,848 100,400 0.60% 日本 16,465,626 36,302 0.22%
端的に言ってアホですかね
(中央公論平成26年9月号に戸部良一・帝京大学教授が「日本は何のために戦ったのか 戦争の理念と『政治戦』」と題して、大東亜戦争について書いておられます。とてもいいと思いました。
開国以来日本外交は英米という二つのアングロ・サクソン国との関係を基軸に、これら二国との関係を調整することを基本にして、外交政策をつくってきました。東アジアから欧米諸国を駆逐し、自分が東アジアの盟主になるというような政策をとったことは、一度もありません。日本の歴史や外交史を読めば、簡単なことです。
では、「あの大東亜・太平洋戦争は?」 となるかもしれません。「自衛の戦争」と無理してこじつければ、そう言えない部分もないこともないでしょうが、しかし、ろくな外交をしないでおいて、つまり戦争を避けるような外交をしないでおいて、追い込まれ、「ハイ、自衛のためです」の主張には、賛成しかねます。 かと言って、アメリカは完全に日本との外交交渉に誠実であったとはいえません。
極東軍事裁判の判決のようなアメリカの言い分が100%正しいわけではありません。連合国側が広めたこの理屈が世界に流布していて、こまります。かといって、日本が100%正しかったという主張にも、うなずけません。もし、軍部とくに陸軍があれほど政治に横槍をおさなかったなら、日本の外交はアメリカと戦争などをしていないでしょう。中国問題をかたずけていたでしょうし、ドイツとの同盟なども結んでいなかったでしょう。陸軍は自己のメンツのために日本を犠牲にしたのです。
故リチャード・ストーリという有名なイギリスの日本史家は、「日本外交は明治以後優秀であり、軍部が口出ししていなかったら、あんなことにはなっていない」と言っています。こうした国際的規模の大きな誤解のもとは、ナチ・ドイツと日本を同じものとして考えるからです。
日本は中国と戦争をする意思はなく、また昭和12年に偶発し拡大する中国との争いをやめ、中国から兵を引きあげたかったのです。ましてや、アメリカとの戦争などは、ぜひとも避けたかったのです。アメリカもドイツとは戦争がしたく、それゆえ当初は日本との戦争を避けたかったのです。
日本は大いなる野望ともち、まず中国との戦争からはじめていき、やがてその野望達成の必要上ナチ・ドイツと同盟を結び、ドイツは欧州を、日本は東アジア全部を支配するため戦争をした。日本については間違いの解釈をしています。アメリカは正義の保安官で、町の秩序をみだす日本という悪漢を二丁拳銃で打倒したという西部劇です。
専制全体主義国家は暴力と脅迫と大虚偽宣伝にみちあふれていました。日本は違います。)
日本の「鬼畜米英」は戦争が始まってから言い出された言葉で、最初に鬼畜米英の考えがあって、その考えにしたがって政策目標が作られ実行されたわけではありません。国民の間には英米への強い好意がありました。東アジアでは、日本がもっとも英米への好意が強かった国でしたし、今でもそうではないかとと思います。
昭和12年(1937年)7月7日盧溝橋での偶発的些細な事件では、日本も中国も拡大する意図はなく、そのまま停戦して終わりにしたかったのです。しかし、日中双方の停戦の意図にもかかわらず、拡大し、大げんかになり、ついにアメリカとの戦争になりました。
アメリカとの戦争になるまで、つまり昭和16年12月まで、4年と5か月もあります。アメリカと戦争したければ、もっと早く、対中戦争で体力を消耗するまでに始めています。なぜそんなに待つ必要があったでしょうか。また、もしそうならば、対米衝突を避けるために、日本が提議して日米交渉などする必要もありません。日本は中国全土を占領しようとか、東アジアから英米の勢力を駆逐するというような、大それた考えや予定などもっていませんでした。東南アジアの植民地を解放しようという崇高な考えで戦争をしたのではありません。対米関係が悪化し、アメリカから経済的に締めつけられ、南方の天然資源のほうに眼が向いていったのです。最終的に南方の天然資源確保のために英米仏蘭と戦い、これらの地域から英、仏、蘭を追い払いました。その結果、戦後これらの国々がふたたびその植民地に支配者として帰ろうとしましたが、東アジアの人々の激しい抵抗にあい、不可能になりました。
もし、こうしたことがなかったなら、アジアの国々の解放は、フィリピンは別かもしれませんが、ずっと遅れていたのは間違いありません。
ライシャワーも「ザ・ジャパニーズ」で書いていますが、日本は東アジアにあって他の国々と違う国なのです。理由は歴史的経験の違いです。東南アジアの国々と、歴史上たえず専制国家であった中国とそれを手本とした朝鮮・韓国と、封建制度を発達させた分権的な、しかしながら、統一された社会としての日本という経験の違いがあります。また西洋帝国主義の挑戦にいちはやくうまく応じて独立を維持した日本という違いがあります。また明治以後日本だけ豊かになり、敗戦後もいちはやく日本だけいちはやく復興しそのうえ豊かになった日本という違いがあります。また戦後一時的な占領をのぞくと、西洋諸国の植民地になったという経験ももちません。ヴェトナム、インドネシア、ビルマなど、植民地になった国々と人々がどんなにみじめな政治や生活を強いられたかという、経験をしたことがありません。
日米交渉において、アメリカから経済的に締めつけられと書きましたが、こう書くと、「じゃあ、悪いのはアメリカだ」という意味でもありません。そこには交渉過程における相互のやり取りというものがあります。アメリカとしては、そうでなかったら取りにくかっただろう強硬な手をうつことができたからです。
イギリス、フランス、オランダとしては、日本に負かされ、かつ植民地を失い、大変不愉快だったでしょう。
なお、日本は南方の天然資源確保・・・といいましたが、ナチは東欧とソ連に一方的に襲いかかりました。日本はそんなことしていません。万一アメリカからの資源買いつけに支障が出た場合にそなえて、事前にオランダと商業ベースでの購入をのぞみ、交渉をしています。この交渉はまとまりませんでした。
万が一のインドネシアへの進出のため、また英米の中国援助の道を封鎖するため、フランスとはヴェトナムへの進駐を考えて交渉します。この交渉には軍事的圧力をちらつかせ貫徹しますが、これにたいしアメリカは石油の輸出禁止と在米資産の凍結という厳しい手段でこたえます。このアメリカの予想外の反応に近衛はびっくり仰天。そこでルーズベルト大統領との直接会談を提案します。それは軍部が対米交渉の障害になっているから、軍部の頭越しに話し合い、交渉をまとめよう考えたからです。この直接首脳会談には、アメリカはハル国務長官などが強く反対し、この提案を拒否します。
さて日中戦争ですが、これが中国で拡大し、英米との雲行きがあやしくなり、対決を避けようとして、対米交渉を提議し、日米交渉がワシントンで開始します。その交渉がまとまらなかったのは、日本にも大きな責任があります。しかし、「それは日本だけの責任だ。アメリカは悪くない」と一般に考えれていますが、これは大間違いです。ハル国務長官の態度にもみられるように、アメリカにも大きな責任があります。ハル国務長官には、アメリカの学者にも同じ意見がありますが、「だいたい戦争を避けるため、日本との交渉をまとめるつもりがあるのですか」と言ってもいいぐらいのところがありました。
日本は昭和にはいると、右翼的国粋主義の風潮も強くはなりますが、ドイツとは違い、多くの組織が併存しており、どの一つの組織も他の組織を圧倒するとか、ましてや他の組織を滅ぼしていくということはありませんでした。そのときそのときの事情や都合で、ある組織あるいは政治勢力の意見が強まったり弱まったりしていました。日本の場合は、偶発戦が拡大していくにつれ、その戦争遂行上戦時体制ができ、陸軍の要望が聞き入れられていき、陸軍が威張ったのです。決して陸軍は他の組織を吸収したわけではありません。一部の軍事費をのぞくと、法案も予算案もすべて国会を通過しなくてはなりませんでした。そういう意味で国会は機能していたのです。意外だと思われるかもしれませんが、軍部は議会や世論を気にしていたのです。
陸軍に反対したからといって、消されるとか、強制収容所おくりになるということはありませんでした。強制収容所もないし、ゲシュタポなどの恐ろしい暴力警察もありませんでした。日常生活については、もっと具体的なものを当時の新聞とか記録とか小説などで、実際の日本人の日常の暮らしを知る必要があると思います。(たとえば田辺聖子の小説や思い出。向田邦子の小説。芹沢光治良の「人間の運命」も面白い本です。)
日米交渉の難点の一つは、中国からの撤兵問題でした。陸軍も東条も中国から撤退はするが、それには二、三年は必要だと言い張ったのです。ナチと違って、中国全土を占領するとか、中国国民を奴隷化するというような主張は、100%ありません。アメリカは二、三年の期間は不満で、二、三か月の以内の撤兵を主張しました。ここに陸軍の横暴があるのです。すぐ撤退しては、陸軍の印象が悪いのです。負けたようで格好よくないというわけです。
大東亜共栄圏思想ですが、日本が中国全土を占領するとか、中国人を奴隷化するというような考えではなく、日中戦争が拡大したから、その説明の一つとして喧伝されたのであり、日中国民の平和友好といったムードがその本質であり、具体性のないものでした。当時もやはり、日本人は根底に日本人の中国にたいする「シナ(中国)コンプレックス」をもっていたのです。
東条は陸軍の「行進」の先頭で旗をもっていましたが、「俺についてこい」と陸軍を引っ張っていたのでなく、陸軍というおみこし担ぎ運動で、その集団行動行進で、たまたま旗手をつとめていたにすぎません。もちろん、それで得意になっていたわけですが。といって、東条に責任がないわけではありません。
日本の場合、いくら東条などでもある一定以上の文化・教養があったわけです。それを、ナチも日本も一緒にしてもらっては困ります。
この教養の差は、例えば敗戦の受けいれかたにも、大きな違いとなって表われます。日本の場合は、これ以上の負担を国民に強いるのはいけないという、コンセンサスがありました。ポツダム宣言の受託については、その内容の具体的な確認とか、「これでは国体が守れないではないか」といった意見の違いで、受諾がおくれただけであり、基本線は敗北やむなしでした。
東条でさえ対米交渉の妥結を希望をしていました。彼は10月中旬近衛に代わって総理大臣になりますが、東郷という、軍部の考えに抵抗した、超ハト派の、言葉をかえれば「強硬なハト派」の人間を外務大臣にして、交渉を継続します。(東郷は昭和20年4月成立の鈴木内閣という敗戦・終戦のための内閣で、外務大臣として、敗戦・終戦のために尽力します。彼は東京裁判では有罪。禁固二十年の判決。)
東条は反英米主義者でもありませんでした。中国との戦争で泥沼にはいってしまい、戦線を縮小する勇気、そこから撤退する勇気、をもたなかったのです。これがため、大事になってしまいました。昭和7年から大平洋戦争勃発までの駐日アメリカ大使のジョセフ・グルーという人は、知日家、親日家でしたが、日記で「日本人は何か困難があると、(それを解決しようとしないで)回れ右をしてしまう」と書いています。
日本は「勝った、勝った。悪いシナを懲らしめた」という形にもっていけなかったわけです。戦線を大幅に縮小する勇気が必要でした。
中国も内部に大問題をかかえており、また、日本を一方的に大陸から追い出すほどの力をもっていませんでしたし、また、英米もそこまで中国を援助する必要は感じていなかったのです。中国が協定を守らないので困っているという点では、英米も日本と同舟でした。
陸軍は英米と大平洋方面で戦うための軍隊ではなく、大陸での権益を守るため、(ということは、間違いなく、日本の帝国主義的政策と関係しますが)、の軍隊であり、その対象は一貫してソ連でした。
また、よく誤解されることは、「日本は日清戦争とか、日露戦争とか、あるいは満州事変のあとから、大規模な軍隊を中国大陸に駐屯させていただろう」ということです。これもよくある誤解で、昭和12年の日本と中国の偶発的事件が拡大するまでは、中国大陸に少しの軍隊を駐留させていただけです。
https://b.hatena.ne.jp/entry/kaigainohannoublog.blog55.fc2.com/blog-entry-4291.html
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タイトル通りの内容について話していく。
日本ではシュレディンガーの猫と並ぶ有名な思考実験であり、それと比べて随分と簡単な内容なのに本質を理解している人が少ないように感じたのが書こうと思ったきっかけである。
まずトロッコ問題の具体的な内容なのだが…説明するのが面倒なんでwikiからコピペしてくる。
線路を走っていたトロッコの制御が不能になった。このままでは前方で作業中だった5人が猛スピードのトロッコに避ける間もなく轢き殺されてしまう。この時たまたまA氏は線路の分岐器のすぐ側にいた。
A氏がトロッコの進路を切り替えれば5人は確実に助かる。しかしその別路線でもB氏が1人で作業しており、5人の代わりにB氏がトロッコに轢かれて確実に死ぬ。A氏はトロッコを別路線に引き込むべきか?
なお、A氏は上述の手段以外では助けることができないものとする。また法的な責任は問われず、道徳的な見解だけが問題にされている。あなたは道徳的に見て「許される」か、「許されない」かで答えるものとする。
というものなのだが、ようするに5人を助けるために1人を殺すか、何もせずに5人を見殺しにするべきか?という2択から選べというやつだ。
まぁ先に結論から言ってしまうと、これは「功利主義」か「義務論(カント主義)」どちらを支持するか?という倫理学の問題である。
倫理学にはいくつかの流派があって、その中に「皆が幸せならそれでいいじゃない」という考えの功利主義と「正しいことは絶対正しいんだよ!」という考えのカント主義が存在する。
功利主義では「1人が死んでも5人が助かるなら幸福の総量は多いんだからそれでいいじゃない」と1人を殺して5人を助けるほうが正しいと考える。
逆にカント主義では「他人を目的のために使ったりしてはいけない」と考えるので、結果的に5人が死のうがそれを助けるために1人を殺すのは悪だと考える。
ようするに功利主義が正しいと思うのなら分岐点のレバーを引いて1人を殺し、カント主義が正しいと思うのなら何もせずに5人を見殺しにするという至極単純な問題なわけである。
くだらない議論だし、功利主義は「最大多数の最大幸福」という基本原理を掲げてるだけでそれが正しいという根拠はないし、カント主義はカントというドイツのおっさんが「目的のために他人を利用するな!」と言ったからそれが正しいとされてるだけで、その正しさにも根拠はない
ただ日本には義務論的な土壌がないので、直感的に5人を助ける方が正しいと答える日本人が多いと思う。
どっかの高校の教師が授業中にトロッコ問題を出して、とある一人の生徒がカント主義の考えを主張したら冗談だと思ったという冗談みたいな話がある。
これを昔、授業でやったら「なぜ助ける必要があるのかわからない。俺は傍観者だから放置して5人が死んでも責任はない。でも切り替えたら俺の責任になる」と言った生徒がいて衝撃を受けた。確かにその通り。「5人の人に感謝されるメリットよりも、1人の遺族に責められるデメリットの方が大きい」と。 pic.twitter.com/BU9tmtMnMU— とある高校教師S (@hellohellock) April 11, 2019
彼はひねくれていたから敢えて俺を困らせようとした可能性は濃厚だけど、彼が本気でそう思っていたのかはさておき、そういう意見が出てくる授業というのは「良い授業」だと思う。周囲も衝撃を受けていたけど、どう受け止めたのかは未知数。それが良い点であり怖い点でもある。授業はまさに生き物だ。— とある高校教師S (@hellohellock) April 11, 2019
仮にも大卒の教員が問題の意義も知らない上に、それを生徒に出題するなんてアホだと思うが、それだけ「トロッコ問題」という名前だけが独り歩きして本質が理解されていない例だと考えている。
ちなみにこのトロッコ問題に関連する事柄があって、5人を助けるために1人を殺しても許される。と考えるならば「5人の臓器移植しないと助からない患者のために、1人の健康な人を殺してその臓器をそれぞれ5人に移植しても許されるはずだ」という論調が存在する。
トロッコ問題では「1人を殺してでも五人を助けるべきだ」と直感的に答えた人の数が多かったとしても、臓器移植の問題になると罪悪感を覚えるのか、五人の為に1人を殺そうと考える人が急激に少なくなる。
トロッコ問題も臓器問題も「多数の幸福のためならば少数の犠牲を厭わない」という功利主義の原理は同じなのだが、前者と後者で人間の善悪の判断は変わってくる。それはなぜだろうか?
と、このように「功利主義」と「カント主義」どちらを支持するか?でなく、その根拠になる人間の善悪や罪悪感の基準はどこにあるんだろう?といった話に繋がる思考実験なのである。
1999年桶川ストーカー殺人事件 冤罪を訴え続ける“首謀者”「再審請求がダメなら一生獄中です」
実行犯の店長が逮捕後、「武史に頼まれてやった」と供述したことだった。
BS世界のドキュメンタリー|偽りのヒロイン ~全米を欺いた5年間~
発端の生徒告発はうそ 風刺画の授業、実は欠席―昨年10月の仏教諭殺害テロ:時事ドットコム
朝日が報じ続けた慰安婦証言の吉田清治氏 証言も経歴も虚構 (1/2ページ) - 政治・社会 - ZAKZAK
CNN.co.jp : 「難民が集団強姦」、少女の作り話だった ドイツ
「集団で襲われた」ウソの強姦被害通報…容疑で20歳の女逮捕 姫路 - 産経WEST
「虚偽レイプ」訴えた元町議を支援した団体に「人権賞」、弁護士から疑問の声「趣旨に反する」
ttps://www.bengo4.com/c_23/n_16867/
時事ドットコム:冤罪の黒人2人、39年ぶり釈放=警察強要の証言撤回で−米
レイプ被害に遭った上、誤った目撃証言で冤罪を惹き起したことを悔やむジェニファーと、無実でありながら終身刑囚とされたロナルド・コットン。10年後、DNA鑑定によってコットンの無実が証明されて、二人が出会った……。
アメリカンスナイパーって映画が面白かった!
ブラックホークダウン
どっちも超面白かった。
船や戦闘機はあんまり興味なくてトップガンは微妙だけどUボートの映画は面白かった記憶がある。たぶんU-571かな?
SFだけどオールユーニードイズキルも前半の泥臭いアーマースーツ戦も好き。世界侵略: ロサンゼルス決戦は微妙。
スナイパーと言えば山猫は眠らないの1は面白く見れた。2は途中でやめた気がする。
それとジャングルからヘリで脱出するために悪戦苦闘しながら現地民に追われる?映画も見た記憶があるけどタイトルすら忘れてる!
もっとみたいけど映画の探し方が全然わからなくてよさそうな映画が見繕えない!
あるなら見てみたい映画は
戦車(兵)の話
城や要塞の攻防の話
ベトコンやべぇ!みたいな話
旅順の話
ドイツがいけいけどんどんだった話
とかかかなー。現代じゃなくてもいいんだけどキングダムみたいに武将の一騎打ちで決着とかになると白けちゃうのね。
それと日本製の映画って辛気臭くて説教くさくて戦争の悲惨さを打ち出してるって偏見があるからか視界に入ってなかったことがわかった。USAばりに大日本帝国!大日本帝国!なんてなる映画なんてあるのかな?最近の映画にはなさそう。
とりあえず名前だけずっと知ってるフルメタルジャケットでも見てみようかな。
ポコマーとはチンポコマーチの略であり、暑さに脳をやられた鹿島(艦これ)たちが繰り広げるマーチである。
上のマーチはワーグナーの「双頭の鷲の旗の下に」の冒頭の節に合わせる。
https://youtu.be/uGAlLbj6z2A?t=18
ポコマーは判時(毎日午前2時4分34秒)、マーベラスチャージ(2014年5月6日~不定期)と並びimg三大奇祭のひとつとされている。
またポコマーは夏の季語とされており、角川俳句大歳時記の次の改定でポコマーが登録される可能性がある。
2018年3月10日、貼り付けられたこの画像に対するレスとして「チンポコマーチ!」とつく。
その後、2018年7月2日の正午に始めてポコマーが行われたとする説が有力である。
その日の正午の時点で日本国内で35℃以上になった地点が存在する平日、若しくは特定の祭日とされている。
https://www.data.jma.go.jp/obd/stats/data/mdrr/rank_daily/data00.html
正午までに猛暑日である35度を観測する地点が存在している場合建つ。
初期は真夏日である30度であったが、2019年5月の猛暑で30度以上を観測する日が続き
連日マーチが行われた結果気温レギュレーションが35度に更新された。
2022年現在、地球温暖化により5月や6月でも猛暑日を記録することが増えたため
なお、土日は基本休みとなる。
そのため、正月や天皇誕生日(2月)などおめでたい日には必ず建つ。
35度を越えていない2020年11月8日(平日)に秋篠宮さまが新しい皇太子となったことを内外に示すための儀式「立皇嗣宣明の儀」が行われた。
その日にもマーチが行われたため皇室関連の日であることも条件の一つなのかもしれない。
また2022年5月29日は日曜日だが、5月でありながら猛暑日であったためか異例のマーチが行われた。
妄コンとも。
元は艦これアンチのレスであるが、擦られ続けた結果定型となった。
その日の正午以降の天気の予報を行うコンテンツ。
気象用語が艦娘の名前と合致した場合「さん」をつける(例:「北上さんする」「雷さん」)
湿度が高いときは(ムッワァ…❤️、暑いときは(アッツゥ…❤️、寒いときには(サッムゥ…❤️を付ける、
「激しい」等の単語の後に❤️を付けるなど天気予報の内容には一定の法則がある。
現在はマーチと共に天気予報が行われることも正規のポコマーのレギュレーションのひとつとする者も多い。
今後は東シナ海を北上さんし、2日(水)~3日(木)にかけて非常に強い❤️勢力❤️で九州に接近するおそれがあります❤️
1日(火)は沖縄や奄美で、2日は九州でも暴風やうねりを伴った高波さん、高潮、大雨による土砂災害などに厳重に警戒をしてください❤️
その他の地域では2日にかけて、西日本~東北の太平洋側では雨が降りやすく、東海から西の地域では局地的に非常に❤️激しい❤️雨や激しい❤️雨の降る所があるでしょう❤️
日本海側では晴れる所が多い見込みです❤️
ポコマーではチンポコマーチを改変した怪文書が多数投稿されるため、おそらくメインのコンテンツである。
はじめは艦娘がチンポコマーチを改変したマーチを行うだけだったが、
猛暑急襲ね!こんな時こそ、栄養満点のトンカツ定食で体力をつけるのよ!
敵に勝つ!猛暑にも勝つ!これよ!!
よーし日差しにも負けないくらいアツアツに揚げていくわよー!!(ジュッワァ…❤)
キャベツもいっぱいお代わりしていいわよーっ!!(ワッサァ…❤)
全てはチャンス!未知のエリア!
どうも、木吉さん…兄上です
だがちんちんは 歪みねぇな
植え付けを行う!パチュリーウッ!
やつを責めることは出来まい…それに乗っかったのは俺達だ…
わかっていただろうにのうワグナス…「」はうんこちんちんが大好きだと…
では我々はなんの手立てもないまま他ジャンルにも被害を出すしかないというのか!
そうじゃ…それが「」の言うおあしすじゃ…
よし(チャッキィ…)
行くのか?死ぬなよ?
MO! SO! でしか キャラを語れない 虚しい 提督 マーメイド
ココロまで脱がされる 熱い風の誘惑に
主にドイツ艦が改変チンポコマーチに合わせて脱糞するという内容の怪文書だが、
ウンマー待望論も根強いがレギュレーション違反であることは揺るがないため、
最近は不謹慎なニュース(過去の重大な事件・事故、死刑囚の死刑執行など)を添えることが多い。
・・・!!
ビスマルク姉さま❤今日は和歌山カレー事件から24年目です❤️ヒ素入りカレーとかもうウンポコみたいなものですね❤️ところでカレー味のウンポコとウンポコ味のカレーどっちが食べたいですか❤イッヒフンバルトデルベーン❤(臭っさぁ…❤)
꧁ቻンቻン꧂
ቺቻቺቻ
近年では廃れつつある。
うるせ〜〜!!!!!知らね〜〜〜〜!!!!FINAL FANTASYと合体して以下のようにもなる
ቻンቻン~~!!!!!
ቺቻቺቻ~~~~!!!!
꧁꧂
👊╋━━━━
𝑭𝑰𝑵𝑨𝑳 𝑭𝑨𝑵𝑻
𝑨𝑺𝒀
三食麦飯と茄子の糠漬一本が基本給で、稀に遠征組が持ち帰った青魚がつく
休日には休暇手当として、何を材料に用いたか分からない菱餅や、
一心不乱に汁粉を啜る俺を見て、鳳翔はいたたまれない顔をしていた
例えば煙草の場合、鋼材やボーキを山盛りにした大八車を工廠へ何度も往復させ、
日が暮れて精も根も尽きた頃、ぽいと足元に煙草が一本投げ渡されるという具合だ
こんな生活だから、たまに死にたいと漏らすことがある…すると秘書艦の香取が柏手を打つ
すかさず鹿島がやって来て、チンポコポーンと歌いながら俺の周りをぐるぐる行進する
直後、桃源郷の心地になり、嫌な気分も疲労も失せ、活力がムラムラムクムク湧いてくるのだ
元々はポコマーに対する反応だったがコンテンツのひとつとなった。
ポコマー鹿島を殺そうとする鹿島。ポコマーと同時に現れることがある。
練習艦の鹿島は、お昼になるとやってくる鹿島のことが大嫌いでした。
「今日こそぶっ殺してやるっ」そう言って二人は毎日喧嘩ばかりしていました。
鹿島はいつも鹿島に負けていましたが、それでも喧嘩をやめようとはしませんでした。
ある日、鹿島がポコポコと逃げる鹿島を追いかけて、提督の机の周りを走り始めました。
ぐるぐる回っているうちに二人の体はどんどん溶けて、銀色のバターになってしまいました。
提督はバターをドラム缶に集め、卵と砂糖と小麦粉と混ぜて、オーブンでこんがりと焼きました。
するとどうでしょう。オーブンから香取という可愛らしいお姉さんが出てきました。
そう、香取の髪が綺麗な灰褐色なのは、オーブンで焼いたからなのです。おしまい。
──俺の読み聞かせが終わり、駆逐艦が寝床へ帰っていった後に、香取が呆然と立ち尽くしていた
「え…嘘ですよね…」声を震わせる香取に、俺がアイオワと共に銀色のバターをかき混ぜている写真を見せた
「嫌ぁぁーー!嘘っ!うそよ!」
ポコマーの画像の解像度を一端下げAI画像処理によって無理矢理高解像度化することで溶けたように見えるポコマー。
35度に達していない日に出現するため正規のポコマーでは無いが、
チンポコマーチは鹿島が香取の携帯を使ってスレを建てているという体裁になっている。
IDが出ることで鹿島は香取に携帯を返却し、正式にチンポコマーチが終了する。
最近は定着しているため中々IDが出なくなっており、携帯が返されないままスレッドが終了することもよくある。
そのような経緯があるからか、最近香取はよく死んだことにされる。
・・・💢💢💢
よー早漏❤❤❤❤❤❤
新海誠は2004年に「雲のむこう、約束の場所」という映画を製作している。
本論では、この映画から政治性が巧みに隠蔽され、特にアイヌ民族が消えてしまっていることを論じる。
北海道をソ連(作中ではユニオン)に占領された世界。藤沢浩紀と白川拓也はそこに建造された不思議な塔まで、自作の飛行機で密航することを夢見ていた。その秘密がふとしたことで同級生の沢渡佐由理に露見してしまうが、彼女は二人の共犯者となり、いつか彼女も塔まで連れて行ってもらうことを約束する。しかし、彼女は突如姿を消し、飛行機の話もそれっきりになってしまう。
三年後、拓也は塔の破壊を企てる反ユニオン組織ウィルタ解放戦線に内通しつつ軍属で研究し、塔の秘密を探っていた。塔の目的は並行世界の観測による高度な未来予測であった。そして、塔の設計者であるエクスン・ツキノエには孫娘がおり、その孫娘たる沢渡佐由理が原因不明の奇病で三年間眠り続けていると知る。
一方、東京に出た浩紀は、佐由理の夢に悩まされていた。そんななかで彼女の痕跡を追い、かつて入院していた病院にたどり着くと、突如佐由理と浩紀は夢の世界で心を通い合わせる。浩紀は佐由理を救うには三年前の約束を果たさねばならないと悟る。
だが、拓也側の研究の成果により、佐由理は眠り続けていることで塔からの並行宇宙の浸食を防いでいると明らかになる。彼女が目覚めれば、この世界はあっという間に浸食されるだろう。
浩紀は青森に戻り、拓也と再会する。浩紀は拓也に「ヴェラシーラに佐由理を乗せ、塔に連れていくことで佐由理は目覚める」と伝え、協力を求める。佐由理の目覚めによりこの宇宙の消失を恐れる拓也は、一度は協力を拒絶する。しかし葛藤の末、佐由理を軍の病院から連れ出してきた。浩紀は佐由理を後部座席に乗せ、米ソ開戦直前でヴェラシーラを発進させる。
緊張が極限に達した米ソは開戦し、その混乱の中で浩紀はヴェラシーラを飛ばす。塔の傍で目を覚まし、涙を流す佐由理。浩紀はウィルタ解放戦線に託された爆弾を投下し、塔を壊して宇宙の消失を食い止める。
佐由理は目を覚ました。しかし、目覚めと共に浩紀に対する思いは消えてしまっていた。
さて、先ほど述べたように、作中では日本がソ連の侵攻によって南北に分断されている。そして作中のテロ組織は(南北統一のため?)北海道の塔を破壊することを目的としている。
そこで、「ウィルタ解放戦線」という名称が問題になる。ウィルタというのは北海道ではなく、サハリン(樺太)の先住民族の名前なのだ。確かにウィルタは北海道に数名居住していたが、北海道の解放を願うなら、「アイヌ解放戦線」とならなければ筋が通らない。
アイヌ民族に言及することによる政治的問題を避けるために事実を歪曲させたのではないかと疑われる。樺太開放も目標としていたと仮定すれば、考えられなくもないが……。
祖父の名前、エクスン・ツキノエは、日本語話者にとっては異質な響きを持つ。また、ロシア語風でもない。元々新海誠は多少いい加減なネーミングを行うことがあるので、深い意味はないだろうと思って数年間はこの名前に注目してこなかった。しかし、私がたまたまアイヌ民族に関する書籍を読んでいたとき、ツキノエは国後島アイヌの首長の名であると知った。同様のことを述べたツイートがあったが、現在は消えてしまっている。
そこでエクスンとはどういう意味かというと、ここによれば「向こうへ」という意味らしい。「沢渡」という姓はここに由来している可能性がある。
http://tommy1949.world.coocan.jp/aynudictionary.htm
浩紀はラストで単身ヴェラシーラに乗り、北海道中央部にそびえる塔を破壊する。すべては佐由理の目を覚ますためであり、並行世界が流れ込んでくるリスクを引き受けてのことだった。
しかし、実はまことに政治性の強い作品である。SFっぽさと感傷的な恋愛描写がまぶされているが、描かれているのは間違いなく世界を変える(少なくとも一国の軍事施設を破壊し、地域のパワーバランスを崩壊させる)テロリズムである。米ソ開戦中の混乱に乗じてのことであり、もしも両国が責任のなすりあいを始めたらと考えると恐ろしい。
新海誠がこの件についてどの程度自覚的であったかは疑問である。どちらかといえば気分的なものでプロットを作っており、作品の政治性についてはあまり深く考えていなかったのではないか。
実際、朝鮮半島やドイツの分断に伴う深刻さは、出会えなくなった家族に言及されることもあるが目立った悲痛さはなく、この作品では過去の背景に退いている。
米ソ戦のなかで時に死体が降ってくる場面はあるけれども……?
作中では「ヴェラシーラ」とは「白い翼」の意味だと説明されていた。
はじめ、自分はこの言葉をスペイン語だと思っていた。つまり、Bella Cielaだ。アルゼンチン方言ではbをvで発音することがあるらしいし。しかしよく調べてみると、スペイン語の語順や活用の形としてはおかしい(当時のウェブ翻訳は今と比べてずっと貧弱だったし、単語の原形で検索するしかなかった)。
そこで、ロシア語ではないかと思い、いろいろなつづりを試みた。すると、「白い」は「белый」ベリイ、「力」で「сила」シラとなり、それっぽい。ソ連にいる祖父がいるのだから、彼女にロシア語の知識があったとしてもおかしくはない。意味は「白い力」になるが、「白い翼」には十分近い。ベラルーシの「ベラ」が白なので、そこから取った可能性もある(同じことを言っているページを見つけた)
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1216740382。
ただし、これもまた活用の問題がある。「白い力」はロシア語では「белая сила」ベラヤ・シラとなる。それに、よく考えればbとvの音の混同が起こっている。
もっとも、「星を追う子ども」では潜っても呼吸できる水を「ヴィータクア」、世界の果てを「フィニステラ」とラテン語としては語順が逆の形で名づけているので、そのあたりはいい加減なようだ(それぞれアクア・ヴィタエ、テラ・フィニスが標準的なラテン語の形である)。
また、同作の中では深い意味もなくセフィロトの樹が引用され、シャクナ・ヴィマーナやケツァルコアトルなど無関係な神話がコラージュ的に用いられている。その背景には明確な思想を読み取ることはできなかった。
「雲のむこう、約束の場所」では感傷的なまでに甘い思春期の心情を描いてみせた。一方で、この作品はかなり政治的な危うさをはらんでもいた。危うさの一つはテロリズムの肯定であり、もう一つはプロットに入り込んでいるはずのアイヌ民族の存在を背景に退かせたことであった。後者に関しては少なくとも筆者の知る範囲について、ヒロインがアイヌ民族のクォーターであることに言及した資料は見当たらなかった(註:とあるウェブサイトで、佐由理は恐山かどこかの巫女の家系だという初期設定に言及したところがあった。興味深いのでここにリンクを貼るhttp://www.green.dti.ne.jp/microkosmos/anime/promisedplace2.html)。
しかし、2004年には許された描写だったが、ゴールデンカムイなどで正確なアイヌの描写が出てきた2020年代にあってはどうだろうか?
最近筆者は新海作品からは遠ざかっている。映像が十分雄弁なのに、台詞で説明しすぎてしまうからだ。あるいは加齢による感受性の変化かもしれない。あるいは、この感傷マゾから「卒業」しようと自分を鼓舞したからかもしれない。本稿を書いているうちに、少し懐かしいような苦しいような気分を思い出しかけた。
作中では、北海道に建設された塔が東京からも(かなりの高さで)見える描写がある。しかし、それにしては塔が細すぎやしないだろうか? 以下、視聴当時にした計算を抜粋する。
塔が経っていたのが北海道の中央部、都心から道央まで凡そ1000kmはある。
かなりいい加減な推定だが、視力1.0を有するとは視角60秒の二点を見分ける能力があるということだ。つまり空気による散乱だの屈折だのを度外視すれば、主人公がそれだけの視力があると仮定することで塔の直径を算出できる。それにウィキペディアによれば大きく見えるときの金星がこれくらいの視角だそうだ。塔が自ら光っているわけではないだろうし、このくらいの値でいいだろう。映像を見てもそのくらいだったし。
sinθ=tanθ=θ(ラジアン)の近似を用いると、都心から道央まで凡そ1000kmはあるので1000km×(2π)×(1°/360°)×(1′/60′)= 290.8m程の直径が必要になる。荒っぽい計算だが、作中のヴェラシーラとの比較から見てもそこまでずれていない。ただ、空気があることからはるかに太いと考えたほうがいい。北海道全体が映るシーンでも塔はしっかりと見えていたし、直感的にも300m程度の太さの道央の物体が都心から見えるとは考えにくい。
なお、仰角は30°はあろうかという様子であった。三角関数で考えれば577.3km以上の高さだ。地球の自転の影響でこれだけの構造物は大きくたわむことであろう。ソビエト連邦にそれだけの物資があったかどうか。一応ユニオンは全共産圏を統合した国家だそうだし、この世界では宇宙開発の代わりに並行宇宙が研究されているとすれば、なんとかなる……かな?
EVゴリ押ししたVW社長が任期途中でクビになって、代わりに例のポルシェ社長がVWの社長になるしな
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2022-07-22/RFFLLHDWX2PS01
https://news.yahoo.co.jp/articles/991f202a247368067b29b3430d571afdce62a998
トンチンカンなブコメ多すぎ。EVシフトだけの話じゃないよこれ。
Brexit以降イギリスで車を作る意味が薄くなったから関税リスクとかもあるしホンダはもう撤退するし
(https://www.bbc.com/japanese/47287935)
トヨタさんサイドとしてはEVシフトをダシに撤退するぞと脅してるだけ。
現にイギリスで1番売れてるトヨタ車はフランス生産のヤリスで、
TMUKが作ってるカローラはそれより販売台数少ないからイギリス生産の8−9割程度が輸出されてる。
ましてや2030年に販売禁止するならカローラをTMUKで作る意味ないよね。
EUはポルシェさんサイドとズブズブの政治家のおかげでドイツがE-fuelなら内燃機関でもおk路線を唱え始めてるし
Zがドイツにおけるハーケンクロイツのように禁忌とされ、アルファベットはA〜Yの25文字となる。
Zが使われていた単語はXかSで置き換えられる。
Zで始まる名字の男性はミスターXを名乗ることができるようになる。
コンピュータープログラムのすべてのZも根絶する必要があるため20XX年問題が起きる。
size → sise
analyze → analyse
blaze → blase
hazard → hasard
zero → xero
zone → xone
zombie → xombie
zip → xip
Mizuho → Mixuho
Z軸 → S軸
ポケットモンスターXY&Z → ポケットモンスターXY&X
津 Z → TS
福島第1原発の事故で日本が大幅に電力が不足して石炭火力発電を増設しようとした時に、「そんな事はまかりならん」と一番強く圧力をかけてきたのがドイツだったのだが、いざロシアから天然ガスの供給を減らされた所、急遽石炭火力発電に頼る方針に転じたらしい。しかもその政策が国民に支持されているらしい。
この方針転換を、ドイツ人自身はどう考えてるのか聞いてみたい。可能ならマライ・メントラインさんにも聞いてみたい。
(別にご都合主義を反省しろとか方針を変更しろとか言いたいわけではなく、自分達の中でどう整合性・折り合いをつけているのか知りたいという事)
「お先にどうぞ」で歩行者妨害は不成立 道を譲られたドライバーの交通違反が撤回へ 警察が謝罪
大手メディアにも取り上げられ警察は面倒な議論を避けるために火消しに回っただけ
そこまで含めて弁護士の活動によってクライアントの利益は守られたのであり弁護士としては勝ちだ
弁護士としては
クライアントを守るためなら言い逃れの余地のない殺人犯でも弁護する。
法学的には具体的な歩行者のみを指すのだろうがこれを言い出すとあらゆる交通取締りは整合性を失う。
スピード違反の取締を行っているがこの場合の保護主体は誰であるか、
スピード違反をしてそれが原因で事故を起こしたときだけ処罰すれば良いことにはならない。
つまり社会政策、道路交通全体の秩序を守るために取締をしている。
敷衍し、38条の妨害の客体は具体的な歩行者のみならず道路を歩くすべての人が対象になる。
手を降って通過を促した歩行者男だけではない。
社会が自動車優先社会を容認し続けるか、欧米のように法律通り(道交法は道路条約の縛りがあるのでどの国も内容はほとんど同じ)歩行者優先に転換するか。
歩行者が先に通過するようなジェスチャーをし車が動き出したにもかかわらず歩行者は止まらずに車と接触した場合。
さぁこれ法的にどう処理する?
このように考えればこの事案で無違反主張するのは筋が悪いのがわかるだろう。
自動車が100%悪い、ドラレコ出そうがムダ。簡単に言えばダメなものはダメ。
車はルール通り停車し歩行者へ先に通過するように合図し待ち、それでも歩行者が頑なに動かない。
なるほどこれが数十秒も続けば期待可能性の議論になるだろうが、あの動画を見る限りそんな時間は経ってない。
さて、警察が今回どのようなロジックで取り締まりを撤回したのかわからんが、
説明すべきだわね。まぁ答えないだろうけど。
可罰的違法性あたりで有耶無耶にするだろうが、これは警察は負けてほしくなかった、司法できっちり処理して判例を残すべきで。
警察はネットの力を過大評価しすぎ、ポピュリズムに呑まれてほしくなかったねぇ。
骨がない。
面倒な議論を避けるためにあっさり取り消ししたのが非常に残念。
さて、次の問題、
歩行者が違法に立ち止まって自動車に通行を促したというならば、改めて歩行者を検挙すべきだ。
ん?
そっちはどうするのだと。
警察はこっちやるの?
やらねぇわね
76条4項
二 道路において、交通の妨害となるような方法で寝そべり、すわり、しやがみ、又は立ちどまつていること。
今回ゴネてる自動車運転手側は改めて歩行者を告訴すべきだろう、歩行者の違法行為によって取り締まりを受け弁護士を雇って警察と交渉などと煩わしい目に合わされている。
あれれぇ
なぜこれ怒らないのぉへんだねぇ
ドライバーはそこまで主張するのは筋が悪いのは自分でも分かっているのだ。
ちなみに38条は
横断しようとする歩行者等があるときは、当該横断歩道等の直前で一時停止し、かつ、その通行を妨げないようにしなければならない。
件の弁護士は歩行者自らが通過を促したのだから「妨げ」になっていないと主張している。
歩行者がそのまま進行すれば自動車と干渉することを歩行者自身が認識しており、動画をみてもその位置関係から明らかであり、
「妨げ」ていることが証明されている。
妨げるは本人のお気持ちではない、形式犯の規定なのだからその通りに解釈すべきだ。
道交法の理念は円滑で安全な道路交通の実現であってそれには歩行者も含まれている。
諸外国と比較して日本が極端に歩行者の事故が多いのは戦後モータリゼーションの国策誘導によって自動車を過度に優遇したツケであり、それをいい加減に転換しましょうという世相にも逆行する。
日本は歩行中(1644人)と自転車(712人)の死者が2356人に対して乗用車の死者が1046人
アメリカ 7000人 対 13400人
ドイツ 900人 対 1500人
フランス 700人 対 1800人
異常な国。
信号のない横断歩道で自動車優先が当たり前に代表される社会通念が結果として歩行者を殺している。
止まるのが当たり前であれば歩行者は平然と通過したであろうし、欧米は実際そうなってる。
どんなに歩行者が先に行けと促しても自動車側も頑なに歩行者の通過を待ち
そうすりゃ歩行者の死者は減る。
社会実験はとっくに結果出てる。
道交法運用の転換過渡期であるから従来の常識と不整合が起きて理不尽と感じる取り締まりも出るだろうが。
うまく転換できれば死者は万人単位で減らせた。
この流れを止めた。
それが世論でもある。
あーあ
自動車は止まるのが当たり前、歩行者は我優先と渡るのが当たり前。
何年遅れることになるのか。
件のドライバー、弁護士は間接的に被害者を増やしたと自覚して欲しい。
許さない。
「投票しなければいい」なんてのは「嫌なら見なきゃいい」と同じ理屈であり、許さない。
落選したとしても「立候補した」という事実だけで既に◯◯の「勝ち」なんだよ。
何が欺瞞かって、「こういう人でも立候補できてこそ民主主義」とか言うけど、本当に言うほど「どういう人でも」立候補できてるか?
真面目に真剣に世の中を良くしたいと思って頑張ってても、カネとコネが無くて立候補できないという人が大勢いると思うのだが。
世の中を良くするためにふさわしい人々が選挙に出ることすら出来ない現状をスルーして、こういうイロモノが出てきて批判された時だけ颯爽と登場し「こういう人が立候補できてこそ民主主義(キリッ」とかイッチョカミすんの単なる逆バリだからなそれ。
そういう浮わっついたサブカルしぐさが、庶民の感覚からかけはなれてるんだよ。
しかも、◯◯が絶対に当選しないとは絶対に言いきれないからな。
浮わっついたサブカルしぐさで地に足のついた庶民をバカにするのも許さないけど、
◯◯なんてあの◯◯を◯◯させ続けてきた◯◯だぞ。
それ以上はヤバすぎて言えねえ。
だがそういう、「嫌なら投票しなければいい」とかいう甘い考え、ト◯ンプ政権が誕生する直前はアメリカや、ナチスに牛耳られる直前のドイツや、タ◯バンに支配される(選挙じゃないけど)直前のアフガニスタンや、
それみんな、同じように油断してたんだぞ。
権力を奪取しようとするタイプの人間は、必死でどんな手段を使ってでも目的を達成しようと頑張ってるんだよ。
その手段や目的は邪悪なものかもしれないが、その何としてでも夢を叶えようとする全力の気迫が、「こっち側」には「無い」だろ?
向こうが全力を尽くして戦ってるときに、こっちがのんびり「嫌なら投票しなければいい(笑)」とかやってて、そんなんでこっちに勝ち目があると本気で思ってんのか?
実際、どんな変な候補にも必ず一定の「投票する人」は「いる」。
しかし有権者の大半は選挙自体に関心が無かったり、「どうせ変な奴が当選するわけないだろ(笑)」と呑気に構えてるから、投票率はいつも低く、よって、変なのでも当選できる確率は高くなる。
向こうはそれを狙ってんだよ。
相手が全力で「勝ち」を狙って来てるんだから、こっちも全力で、どんな手段を使ってでも阻止しなきゃならないんだよ。
そうなんだよ。
それがわかっててなんで「◯◯はそのおかしみをみんなが認知してるからいいけど」なんて甘い考えでいられるの?
「なんか有名だから」程度の理由で「なぜ有名なのか」もわからずに投票しちゃう人とか、むしろどんな人間だか知ってるからこそ投票する奴とか、絶対いるのが日本という国なんだよ。