2022-08-16

トロッコ問題とはなんぞや?というお話

タイトル通りの内容について話していく。


日本ではシュレディンガーの猫と並ぶ有名な思考実験であり、それと比べて随分と簡単な内容なのに本質理解している人が少ないように感じたのが書こうと思ったきっかである

まずトロッコ問題の具体的な内容なのだが…説明するのが面倒なんでwikiからコピペしてくる。


線路を走っていたトロッコ制御不能になった。このままでは前方で作業中だった5人が猛スピードトロッコに避ける間もなく轢き殺されてしまう。この時たまたまA氏は線路分岐器のすぐ側にいた。

A氏がトロッコの進路を切り替えれば5人は確実に助かる。しかしその別路線でもB氏が1人で作業しており、5人の代わりにB氏がトロッコに轢かれて確実に死ぬ。A氏はトロッコを別路線に引き込むべきか?

なお、A氏は上述の手段以外では助けることができないものとする。また法的な責任は問われず、道徳的見解けが問題にされている。あなた道徳的に見て「許される」か、「許されない」かで答えるものとする。


というものなのだが、ようするに5人を助けるために1人を殺すか、何もせずに5人を見殺しにするべきか?という2択から選べというやつだ。


まぁ先に結論から言ってしまうと、これは「功利主義」か「義務論(カント主義)」どちらを支持するか?という倫理学問題である

倫理学はいくつかの流派があって、その中に「皆が幸せならそれでいいじゃない」という考えの功利主義と「正しいことは絶対正しいんだよ!」という考えのカント主義存在する。

功利主義では「1人が死んでも5人が助かるなら幸福の総量は多いんだからそれでいいじゃない」と1人を殺して5人を助けるほうが正しいと考える。

逆にカント主義では「他人目的のために使ったりしてはいけない」と考えるので、結果的に5人が死のうがそれを助けるために1人を殺すのは悪だと考える。

ようするに功利主義が正しいと思うのなら分岐点のレバーを引いて1人を殺し、カント主義が正しいと思うのなら何もせずに5人を見殺しにするという至極単純な問題なわけである


くだらない議論だし、功利主義は「最大多数の最大幸福」という基本原理を掲げてるだけでそれが正しいという根拠はないし、カント主義カントというドイツおっさんが「目的のために他人を利用するな!」と言ったからそれが正しいとされてるだけで、その正しさにも根拠はない


ただ日本には義務論的な土壌がないので、直感的に5人を助ける方が正しいと答える日本人が多いと思う。

どっかの高校教師が授業中にトロッコ問題を出して、とある一人の生徒がカント主義の考えを主張したら冗談だと思ったという冗談みたいな話がある。

仮にも大卒教員問題の意義も知らない上に、それを生徒に出題するなんてアホだと思うが、それだけ「トロッコ問題」という名前けが独り歩きして本質理解されていない例だと考えている。


ちなみにこのトロッコ問題に関連する事柄があって、5人を助けるために1人を殺しても許される。と考えるならば「5人の臓器移植しないと助からない患者のために、1人の健康な人を殺してその臓器をそれぞれ5人に移植しても許されるはずだ」という論調存在する。

トロッコ問題では「1人を殺してでも五人を助けるべきだ」と直感的に答えた人の数が多かったとしても、臓器移植問題になると罪悪感を覚えるのか、五人の為に1人を殺そうと考える人が急激に少なくなる。

トロッコ問題も臓器問題も「多数の幸福のためならば少数の犠牲を厭わない」という功利主義原理は同じなのだが、前者と後者人間善悪判断は変わってくる。それはなぜだろうか?


と、このように「功利主義」と「カント主義」どちらを支持するか?でなく、その根拠になる人間善悪や罪悪感の基準はどこにあるんだろう?といった話に繋がる思考実験なのである

もし他人トロッコ問題を出すときは、トロッコだけではなく臓器問題も一緒に出題してはいかがだろうか?

  • という話いうないうてるだろという話 anond:20220816082248

  • トロッコ問題と臓器くじはパラレルにならないんだよね、特に日本では トロッコ問題はトロッコ轢かれうるような職場にいる時点で覚悟してきてる人の自己責任と見做せるけど、国につ...

  • 毎度思うんやけど功利主義って別に「多数の幸福のためならば少数の犠牲を厭わない」みたいな思想やないやろ。「民主主義」が単なる多数決でないのと同じで。

    • 最初はそうだったんだけど奴隷制とかと食い合わせが悪いのでパッチ当てられた

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