はてなキーワード: 卒検とは
福島県のど田舎の自動車教習所で、卒検とった帰り道にババア(72)の暴走車にはねられて男女2人が死傷。
なんでも駅前T路地でブレーキとアクセルを踏み間違えて、つっこんだとのことで。
合掌。
亡くなった子の親はガッカリだよね。
せっかく金かけて育てて、
ちょうど車がつっこんだ場所に、
って、
あと、田舎出身者なら分かると思うが、買い物も仕事も車がないとはじまらないから、
大事なことを言うが、
もしT路地のロータリーのような開けた場所で、暴走車が直進してきたら、普通の若者なら避けられたはずだ。
ひょっとしたらスマホ見てて気づかんかったんかな、とか思った。
ババアが悪いのはもちろんだが。
自分は仮免と卒検の実技でそれぞれ一回ずつ落ちたことがある。地元の知り合いたちは当たり前のように一発オーケーを出すから、自分がものすげえポンコツだと思った。
でも、インターネットの知り合いの話を聞いてみたら、5回以上落ちるのがデフォ、という地域もあるようだ。停止線をちょっとはみ出しただけで落ちたりとか、車の寄せが足りないとか、小さい理由で何度も何度も落とされている人もいるようだ。
自分の通っていた自動車学校はポールにぶつかるとか、脱輪するとか、停止するべきところでしなかったとか、そのぐらいでしか落とされてない。寄せ幅とかの細かい指定なんてなかったし、かなり判定がゆるかったんだなあ、自分の地元は……
「ゲームでしか運転しないペーパードライバーが久々に運転したら、(本物なのに)めっちゃリアルなドライブゲームに思えてやばかった。ぶつかっても平気そうに見えた」
んな訳ないやろ、加速に伴うGや、実車のハンドル操作をゲームに思えるって空想がひどすぎるで。(ハンコン使っててもゲームと本物の差はあきらか)
「自分は免許持ってるけどほとんど運転してないもんで、もう怖くて……。今の車ってサイドブレーキがサイドのレバーじゃないらしいじゃん。」
サイドブレーキが運転に影響するのって最初の発車時のみだよね?レバーじゃないから恐怖を感じるのはどの部分?
「この前乗ったレンタカーのサイドブレーキが運転席の左前あたりにあるスイッチ型で、全然気付かず聞きに行くハメになった。手で引くのも足で踏むのもあるし、車種ごとにコロコロ変えんなよとは思う」
何で全車種共通の操作方法である必要あるねんな、説明書を読め。ジョイスティック操作の車が欲しい。
「恐山のユーロトラックシミュレータープレイ動画は本当に名作なのでぜひYouTube見てくれよな」、「恐山さんのトラック運転ゲームまじで面白いので見てほしい。」
その通り!
「俺は昔、休日はドライブをしていた→座ってばかりで身体に悪そうだから自転車に乗るようになった→青信号を渡っていたら右折車に跳ねられ怪我で半年間仕事できず無収入→自転車は復帰できたが自動車は無理。の流れ」
言ってる意味分からんし、自動車運転は冤罪やんけ。運転すると人を跳ねそうで怖いという話やで。
「「政治・宗教・野球の話はしてはいけない」に自動車も付け加えたほうが良いね」
「生活必需品だから苦手とか関係無いのに練習するわけでもなく嫌~とか苦手~とか文句ばかりいっちょ前に言ってるのが風当たりの強い理由じゃないでしょうか。」
練習しろっていうと、苦手・怖い・無理の言い訳オンパレード。運転上手い人も練習したんやんな。
「咄嗟にアクセルとブレーキ踏み間違えそうなので、万年ペーパードライバー。」
「車含め機械の操縦は得意なんだけど集中力を維持できなくて事故るの間違いなしなので運転はしないことにしてる」
それは「機械の操縦は得意」とは言わん、自動車運転と機械の操縦は天と地ほどの差がある。
「記事見てもコメ読んでも、じゃ乗らなきゃいいじゃんとしか思えん。結局慣れ。自動運転完成なんてのも高速ならともかく、情報量の多い下道をセンサーカメラ半導体で処理して進めるのは死人の山築いて百年先の話だろう」
乗らなきゃいいじゃんについてはその通り、慣れというか習熟するための練習が免許取得時に終わってるという認識がダメ。
こういう運転怖いとほざく奴らが、自動運転の普及を阻害することに問題があるのですがね。死体の山築いていいならすぐに普及するだろ、事故どころかシステム停止も許さんとなっているから百年先の話になる。
「少なくとも6割以上の男性は難なく、普通レベルに運転できているように見えるので、俺にだってできな訳がない!と思って練習した。今では運転を褒められることもあるが、どこかに苦手意識は残ったままである。」
偉い、それでいい。苦手意識残したまま普通レベルに運転できていればそりゃ褒められるよ。
「「バック中は左右が逆になる」左右盲だと思って生きてきたけどこれはないな。ハンドルを回すとタイヤが回した方に向いて、それに対して物体は内側にまわるイメージがある...何言ってるかわからんが。」
左右盲は左右不覚ではなく、左右がとっさにどちらか分からないこと。どちらかに曲がるのを理解することと左右は関係ないで。
「バック中は左右が逆になる」は、むしろ日ごろから左右を認識できているから混乱するものだと思うぞ。左右盲は自分からみて右だの左だの認識しとらんから混乱しない。
「左右盲でしょっちゅう右折と左折をミスるため、いつかアクセルとブレーキも間違ってしまうのではという恐怖から極力運転したくないけど、地方の郊外住まいはないと暮らせない…」
てめぇはアクセルは右、ブレーキは左と頭で考えてから踏んでるのか?右か左か分からなくなることと、方向が分からなくなることは違うぞ。
踏んでるペダルの感覚を認識していないなら感覚掴むまで練習するか、運転しないで生きよう。
「交通秩序は「みんながルール通りにふるまうはず」っていう暗黙の信頼関係で成立してるので、そこに寄りかかれない人は怖くて運転できないと思う。逆に言うとルールさえ守ってればほとんどの事故は起こらない」
練習してそのへんの信頼関係を感じ取るんやけど、練習せん上に「相手がルールを破ったら」という最悪のパターンのみ考えて運転するから、かえって周りに迷惑かけるんよね。
「自動運転な上にとってもカワイイスマートモービルこと馬、都市部でも小回りの利く人力車」
馬が自動運転なわけないでしょ、目的地設定できて寝ててもたどり着くのか?燃費(餌代、飼育費)もそれほど安くない。
「仕事で徹夜明けに運転して事故るのを二回やって人を殺すの時間の問題だなとなったので仕事と一緒に運転も止めた。」
うん、お前みたいなやつは運転しなくともよい。公共交通機関とタクシー使え。
「“苦手派としては足での操作が常識となってるってのが怖すぎる”実際、手だけで操作できるゴーカートとかは開発されてるのよね。乗ったことあるけど問題なく運転できた。今後は増えるかも」
ワシは手だけで運転したいけど、足の操作が苦手と言ってるやつは手だけで安全運転できるわけないと思っとる、手でやることが今より増えるのに対応できるわけがない。
「はやく自動運転が導入されてほしい」
「車幅感覚とバックは激しく同意。車幅は自分の車を保有すればわかってくるらしいが。バックは、まずは微小に動かして自分のイメージとのズレを修正してるが、毎回ビビってる。」
それでええで、車幅もバックも感覚をつかむまで練習やで。イメージとのズレを修正できているなら大したもんやで。
「私と同じだな。殺人マシーンになる自覚があったから卒検以来自動車は運転してない。(原付は乗ってた) “免許をとって練習をするも50分くらいで運転センスのなさを確信。「俺は車は運転しない!」と心に決めた”」
センスなんかいらんねん、ともかく練習あるのみ。50分なんて練習の内に入らんお遊びやで。
「車の運転に慣れるということは、紅の豚の飛行艇乗りみたいに無意識のうちに前後左右に注意を払い続けるようになるということ。」
そう、練習によってリソースの割り振りを制御できるようになるねん。注意してなくても前後左右の事象に反応できるようにな。
「バック逆転のやつ、言わんとしてることはわかる。進行方向でない車輪が曲がるってのに感覚が付いていけないんだろう。Rに入れたらハンドル切った方向に後輪が曲がる仕様だったら言われてる通りになると思う。」
ハンドルでタイヤを曲げてるって認識がないからそないなことになるんやで。フォークリフト運転したらええやん(だいたいが後輪で曲がる)。
「車のインターフェイスにデファクトスタンダードを求めながら不文律を否定するのはずるくない?/なんか「考えすぎて算数を苦手になる子供の話」系に近い印象があった」
単なる練習嫌いの言い訳やで、ダブスタになるのもムベなるかな。
「慣れですよ、慣れ。最初は誰でも下手で積極的に運転したくないと思うけど、それを越えて運転してると運転が楽しくなる。目的地なんてなくても、純粋に好きな車を運転すること自体が楽しい。」
慣れるために練習(運転)する必要があるのだが、奴らはとかく運転をしない。
「車の運転って体の色んなセンサー使いまくってやっと出来る事なので、上手いとか下手とか簡単に語れる事では無いよね。自分はめちゃ方向音痴なのでペーパーになったわ。」
そうだね、体中のセンサーを何の気なしに使えるようになるよね。(ゲームの時とは違うはず)左右盲ではなく方向音痴と記載するところは正しい認識ですね。
「原宿さんのコメントが私と同じ過ぎて泣ける。特にこれな。 “前から突っ込んでも、前から出ることができる駐車場の開発が待たれる。”」
「「運転苦手」だから丁寧になると思ってる。「運転好き」が上手いとは限らない。」
そだねー。
元々、理由があってもなくても、すぐに落ち込んだり、何でもできると思い込んだりする性格に悩まされていた。なんでもやりたいのに、どうしても継続ができなくて、苦手となんちゃってトラウマみたいなものだけが増える人生だった。言い出しっぺの癖に手に負えなくなって迷惑を掛けるし、バイトのシフトはいつも入れすぎて生活が破綻していた。12時間寝るし、人の話もいつの間にか聞いていない。
これら全て、どうせ自分の努力不足のせい、気合が足りないんだと思っていた。情けなさで肉体が消滅するかと思った。して欲しかった。
研究がしたくて、浪人してなんとか行けた第一志望だから、凄ぇ同期達とのギャップを思い知らされつつも、開き直って駆け抜けた。前期の成績は良かった。私は生還したんだ、と思った。
やっとゼミが始まった10月。何かが狂い始めた。実技の説明がわからない。何がわからないのかもわからない。まあ次回までに整理して振り返っておくか。それがずっと続いた。
そうだ、オンライン授業だし、今のうちに合宿で普通二輪免許でも取るか、なんて、変なタイミングで予約した。月末に合宿代と学費と家賃とカードの引き落としが重なっていることに気が付いた。残高は足りなかった。分割払いが助けてくれた。結局、卒検に2回落ちて、大学の単位が危ういために一時帰宅した。
あれ?おかしいぞ? でも、考えている暇はない。秒で履歴書を書き、キャンパス近くのコンビニで週に40時間ほど働き始めた。いつ寝ればいいのかわからない。もう何もできなくなっていた。期末が近づくにつれ課題が増える。そのうち幾つか諦め、シフトを減らしても間に合わなかった。勤務中、眠気のあまり幻覚まで見た。その直後、ケアレスミスでクビを言い渡された。最後までわからないままにしていた実技の試験も、後回しにしてしまった。長期休暇中は引きこもり、知らないうちに春が来ていた。
これでは駄目だと思い、メンタルクリニックに行き、今までのことを話した。話すことメモを用意していたけど、一度も開かなかった。
担当医師から「傾向というか、そうだと思います。」と告げられ、ADHDと双極性障害の薬を処方してもらった。違ったらどう対策しようかと考えていたのに。本人の証言と簡易検査だけで診断って降りるんだ。
それでもまだ、何かのせいにして安心したいだけなんじゃないかと思い、5chで関連スレを見まくった。身に覚えのある内容の4コマに対して、「ここまでいってるとガチで病気」と書かれていた。覚悟を決めた。器用には生きられない。
思い返すと、過眠や飽き性、物忘れだけでなく、気分の浮き沈み、過食、Twitter依存、時計を見たのに時刻を見てない問題 などなど、今まで悩んでいたことすべてが、「ADHD」で説明できるような気がした。私はそんな万能な言葉を手に入れてしまった。どうやって向き合っていこうか。望んでいるのは、他人からの特別な配慮や助けではなく、自らでどうにかしていく力をつけることだ。
私が必要なのは努力だということに変わりはなかった。努力をする上で、重大なヒントとなる自身の特性を見つけたに過ぎない。
私は言い訳が好きだ。だからADHDを、目が滑っても、声が耳をすり抜けても、繰り返し食らい付くための言い訳にしようと思う。落ち込む前に一つフィルターが増えた。
ぱからっぱからっぱからっぱからっぱからっぱからっぱからっぱからっぱからっぱからっぱからっぱからっぱからっぱからっぱからっぱからっぱからっぱからっ
卒業研究程度は、代わりに書いてやる程度のネタは合っても、卒検は出席してない上に、大学院生にすら連絡とらないだときびしい。
研究室に配属さえされれば、あとはなんとかしてやっから、研究室こい
実力とか、お金とか、いろいろあるから、心配する気持ちだけもってこい
出席はしろ
就職したいやつは教務課にも連絡取れ(無理なら無理って院生にメール)
いないとおもうけど、うちの大学で本当に留年2回は、メールくれ。
出席日数だけ足りてりゃなんとかなるはずだ。
それも足りなきゃ衛星設備もあるから相談にきてくれ。地級の裏でも月でもなんとかはなるはずだ。
Q.月にいるため、出席できません
たぶんなんとかなる
どっちが弱いか教えて?
私も似たような所にいたのでデジャブかと思った。ただ俺の場合は某大手メーカー。
ディープラーニングをこき下ろして自分たちのAIがより優れていると宣伝するのはどこの業界も同じなんだな。
某大手メーカーの研究所で作られたそのAIは「ディープラーニングのような旧世代の単純なものではなく、次世代の汎用人工知能」といった触れ込みで
AI事業をやっている我々SE部隊の所に降りてきた。AI事業というとかっこいいが、その中のSEは基本的に技術的なことはわからずITゼネコンの頂点として
PMをやっているような人たちが大半を占めるため、「技術的に顧客価値につながるか」ではなく、「顧客をその気にさせるパワポが用意されているか」の
ほうがよっぽど重要だった。また開発した研究所の方も、主任研究者だけは「そのAIすごい!」って心から信じてたみたいだが(笑)、
おそらくその他の研究者は詐欺っぷりには気づいていたと思う。でも「どうせSE土方共にはばれないだろw」という感じで押し付けてきた感あった。
その主任開発者の態度はまさに同じだったね。「なんでもできます。でも『チューニング』の必要があるのでPoCの費用はいただきます。」
という感じ。俺はそれをそのままスルーして客に伝えると「かの有名な○○さんがそういうならそうなんだな!」という感じで客は納得し、
数M~数百Mの金をポンと出す。PoCバブルの2018年頃はそんなボロい商売がいっぱい転がっていた。
しかし、このAIの中身は単に線形回帰程度しかしていないポンコツであり、ディープラーニングと比べるのもおこがましい代物。
「チューニング」といわれるものは実は有効な特徴量などを頑張ってSEや平の研究者が死にものぐるいで見つける作業であり、
全然「チューニング」レベルの話ではない。完全にカスタムAIをSIで作るような作業だった。しかも適当な特徴量でもある程度良い成果を出す
LightGBMやDeep Learningの使用は禁止され、ポンコツAIでも良い成果を出すような特徴量を見つけるという縛りプレイだった。
さらにアルゴリズムの部分がしょぼいだけではなく、エンジニアリングの部分もひどいものだった。
企業のソフトウェアプロダクトというのは開発した人ならわかるだろうが、一部のスーパープロダクトを除いて、正直コードやロジックは大したことがない。
でもテストは少しはしていてドキュメントは揃ってなんとか動くとか、使うための人力サポートは用意しているとか、最低限顧客を
ところが、だ。このAIに関してはデータサイエンス・アルゴリズムだけでなくソフトウェア・エンジニアリングの酷さもすごいものだった。
簡単なメモがあるだけでドキュメントはほぼ皆無、データを食わせると3回に1回はまともに動かない、非公開とゴネられたので
無理やり引っ張り出したコードを見ると大学生が卒検のために書きなぐったようなコード。おまけに「アルゴリズム」という名のくせに計算量解析すら
されていないロジック(そのため特定のサイズや値のデータを入れるとハングする)。
ここで疑問に思うのは「なぜこんなポンコツAIが全社的代表プロダクトになれたのか」であろう。
とにかくポンコツであることはひた隠しにして「次世代の汎用人工知能」というブランディングだけを
ひたすらフロントを使って確立させた事が大きい。さらに開発者は徹底的に外部の雑誌を避け自社の雑誌にのみ論文を大量に投稿し、
社外成果は特許、プレスリリース、雑誌のインタビューに絞ることでプレゼンスを上げるということをやっていた。
(当然だがディープラーニングより優れているなんて社外の学術雑誌に投稿しても「は?またトンデモ論文か」と言われてRejectされるだけである)
そしてこれこそがITゼネコンの真髄とも言うべきところであるが、子会社に専門部隊を作りいつでもそのAIを使ったビジネスをReady状態にする
社内体制づくりをしっかりやったところが大きい。例えばPFNあたりが「うちすごいAIあるんすよー」っていってよくわからん若造(実は東大IS Dr.)
とかが出てきて専門用語を並べ立てたりすると、古い企業からすれば「(どうも信用ならん・・・ほんとにコイツら仕事できるのか?)」となるだろう。
しかし、スーツをビシッと決めた営業と多少技術もわかるSE(もちろんスーツ)が来て、アルゴリズムの説明は一切なく、「ビジネスにどう効果があるのか」
「エンドユーザーへのインパクト」「金銭的効果」など一般人にわかりやすいパワポで説明し、来週から定例会議や進捗会議などPM面もおまかせ、
ふわっとした状態からの要件定義でもやってみせます!といわれる「(これは・・・いける!!)」となるのである。
また2018年あたりは顧客の方も偉い人から「AI使ってなんかしろ」という予算枠だけ用意されたふわっとした状態なので優れたアルゴリズムを使いたい
仮免の検定員が最悪だった。
ただの愚痴なんですがよければ聞いてください。
昨日仮免試験を受けたのですが、試験を始める前に大きい教室で受験者全体への試験についての説明がありました。
そこで技能のコースについての説明してる途中にその検定員がいきなり私を名指しで〇〇さんはこう言うところで落ちるといきなり言ってきました。
この時点で大分困惑したのですが、その後も技能で落ちるのは大体最後の人(一番最後は私です)などと受験者全体の場で言い、検定後も遅すぎる、わざとやってんのか?などと言われ、更に待合所の人が多いところで多分落ちるけど午後からの学科試験勉強しておいてなどと大声で言われました。
遅いと言われましたが私は右左折、クランクs字その他徐行する場所以外は大体20〜30kmのあたりで走行していました。私の一つ前の受験者もそのくらいで走っていましたが、特に何も言われてません。
それに上記の検定員とは私は初めて構内で走った時の教官だったこと以外関わっていません。
結果として受かりましたが、この検定員の態度に本当に腹が立ちました。
大学は一般教養と専門分野の基礎知識を学ぶことができる施設である。だが、大学で学んだ知識を活かした仕事をしている人は少ない。では大学は何のためにあるのかというと大学卒の肩書きと人脈を作るためにあるのだと思う。それならば、数百万円の金を払って大学に通う必要はない。卒業資格は大検(大学入学資格検定)のように卒検(大学卒業資格検定)で取れば良いし、人脈は大学でなくても作れる。
しかし、現状では数百万円の金を払って大学を卒業しなければ社会で冷遇される。高卒や専門卒は大卒よりも格下であり、大卒でないものは人間ではないといった態度をとる会社がほとんどである。このいびつな社会構造を是正するには何が必要かと考えてみたが良いアイデアが思いつかない。子供を幸せにしたいと思う親は授業料を稼ぐために働くしかないのか。
そこまで拍動は激しくなかったけどすごい手が震えててあんまりちゃんと握れてなかったような気がする
あと3速から落とすの忘れて信号で止まってからそのまま発進してたらしい
もはや緊張しててよく覚えてないけどなんかそんな感じもする
全部走り終わった時にオワったなこりゃと思ってたけど受かっていてよかった 奇跡かな
もうバイク買っちゃったので今から乗り回すのが楽しみな一方、結構不安でもある
バイクはスピードが楽しいっていうのはよく聞くけど、とりあえずは基本の操作(発進やら停止やら右左折)を公道で落ち着いてできるように心がけて運転してこーっと
あんまり教習中にコケた経験がないからいざ自分のバイクに乗った時にコケたらと思うとまた不安になるけど、とりあえず、安全に、楽しむぞ!!!
泥臭い実応用研究は認めないわけではないが、大きな評価にはならないという立場です。
以下長文で失礼します。
まずはじめに、産学の役割分担はきちんとなされるべきだと考えている。
大学はあくまで学術機関であり、本来は「学問」をする場であって、
「工学部が実応用を軽視している」って言われてもそれは学問かという問題もあるし、
役に立つ技術を企業のために用意してあげる下請け機関ではないので。
研究活動では、新しい方式や理論を研究し、学問として確立するところまでが大学の役割で、
泥臭い実応用の問題を解決して社会に製品やサービスとして世の中に還元するのは企業の役目。
ここを曖昧にすると、企業でやるべきことが大学でできてしまうなど、公私混同の問題が発生する。
例えば、表向きは泥臭い応用研究をやりますよと言って公的な研究費をもらえるのであれば、
実際は特定の企業が自腹でやるべき課題を大学にやらせるとかそういうことが公にできてしまう。
「泥臭い」部分にもきちんと学術的な新規性や独自性があるならともかく、
税金が使われているんだから、特定の企業の作業の下請けみたいなものを許さないためにも
ここはきちんと線引きしておくべき。
ただし、冒頭で「泥臭い研究は認めないわけではない」と言ったのは、
その研究自体に価値があるのではなく、そういうことをやる過程で新しい問題に気づき、
大学でやるべき独自性のある課題に発展したりすることもあるから。
(なんでもかんでもダメだと言いすぎると研究の範囲が限られすぎるので)
正当化するために言っているのだとしたらちょっとそれは問題だと思う。
論文(研究成果)は、大学以外にも企業や一般の人も読める人類の共有財産だが、
対象読者としては産学分離の観点からも同じ学術界(学術で研究を行う人)に向けて書かれている。
論文を最もよく読むのは本職の研究者だし、論文を査読・評価するのも研究者。
研究者というものは常にいい研究とは何か、どういう研究テーマを選ぶか、
また行き詰まった時に次どうするか、そういうことをずっと考えてるわけで、
論文というのはまさにそういう時の研究者のアイデアの源泉としての役割が強い。
「当たり前のことを当たり前に努力して当たり前のものができました」
という論文があったとして、進んで読みたいと思うだろうか。
このように考えると、学術界への貢献とは何かが見えてくる。
「研究者の考え方や研究方針にどれだけ影響を与えたか」に重点を置いているように、
論文の読み手に大きな影響を与えることが、学術界に対する貢献とされている。
学術界の誰もが読みたくない(影響を受けない)論文の評価がどうしても低くなるのは仕方がない。
もちろん、たまたまその技術を実用化しようとしていた会社がいれば
この論文の研究結果はそのまま使えるってなるのかもしれないが、
それは学術界に対する貢献として評価できないし、産業界に対して中立とも言えない。
また、全ての分野ではないかもしれないが、
学会で知り合ったその会社の社員は発表されている論文を全てチェックしていて、
製品化できないか検討を進め、(おそらく泥臭い部分を解決して)
これに関しては良い役割分担だと感じている。
企業というものは、儲かるとなれば少々泥臭くても大変でもやるもので、
大学生個人が卒検の1〜2年でできる範囲の泥臭いことぐらい、儲かるとなればどこでもやってるからね。
大学が実応用を考えていないから世の中に還元されていないというのは勘違いに近いと思う。
(逆にいうと、別に就職しても、会社を選べば企業の立場から研究みたいなことができるということ)
また逆輸入で、研究界で生まれた研究の泥臭い部分をある企業が解決してサービス化し、
今度は研究室でそのサービスを契約してさらに発展した問題に取り組むみたいなことはよくあるけどね。
>「企業でも出来る実応用のステップは企業に任せるべき」という点については必ずしもそうであるとは思いません。もしそのような姿勢を取り続けると、「営利価値がある」と企業が判断したものしか一般人はアクセスできなくなってしまいます。
そもそも「営利価値がない」と判断されるものは世の中に還元する必要がない役に立たない研究では?
(あるいは、ニッチすぎてお客さんが集まらず採算が取れない、であるとか)
言い換えると、企業は価値のあるものはきちんと取り組んでいる訳で、
それ以外のものを大学で研究してるとすれば、わざわざ税金を使って価値の低いことに取り組んでることになる。
(もちろん「すぐに役に立たない」研究もあるが、その場合は独自性や新規性のある学術的問題があるはず)
やるとなったら自社のお金で取り組み、失敗した場合は自分で責任をとるわけだけども、
好き勝手に研究テーマを設定できる大学みたいな公的な機関で自分の好みでテーマを設定し、
企業も見ていないような技術の実応用に取り組んでいるとすれば、その方が税金の無駄と思わないですかね。
>実応用のための泥臭い部分を投げっぱなしにしているから、世間一般から「大学は好き勝手やって金を無駄にしている」みたいなことを言われてしまうのだと思う。
ノーベル賞受賞者の研究や Nature や Science みたいな
実応用で新規性の少ない「泥臭い」ことで評価されてる論文がどれだけあるでしょう。
そう考えたとき、私には「大学は好き勝手やって金を無駄にしている」っていうのは
むしろ実応用とか泥臭いことをやってる人のことを言ってるように聞こえてます。
ただでさえ今は研究費もポストも削られ、学生数まで減ってるんだから。
>眠っている研究成果を一般に届けるための「研究」に力を入れたほうがよほど産業界にも有意義
上にあげた理由で、企業がやるより大学でやる方が「有意義」という部分が疑問。
(大学でやれば「無料」という発想をしてたりしてないですかね)
大学では「社会に役に立つことをやっていれば何をやってもいい」というのも間違い。
どのように貢献しているかをうまく説明できれば良いと言うことであって
それを一言で表すのが「新規性」とか「独自性」っていうことかと思う。
(=研究にお金がかかっている)という側面を考慮することかなぁ。
補足として、案外企業から増田さんがやりたいようなことをやってる企業も
割と多いと思うので、そういう道を模索すると適職が見つかるかもです。