はてなキーワード: 表題とは
表題のとおり、2021年末のコミケ(C99)で初めてサークル参加して1冊も売れなかったので、その気持ちと反省点の整理のために書いておきます。
◎経緯
あるアニメが好きで、その二次創作本を作りたくなった。作るのは小説。
・2020年冬
二次創作の小説が完成した後、とりあえず某サイトに投稿してみたが、せっかくだしということで、コミケにサークル参加しようと思った(ちなみに某サイトに投稿したやつはいまだにそんなにPVを得ていない。)。
コミケの参加申込書は、その前のコミケで配布されていたような気がしていたので、12月ごろが次のコミケの申込みの時期かなと思って待ち構えていたら、いつの間にかその期間を過ぎており、あえなく断念。
5月のC99が延期されて(今年の冬はどうかなぁ)と思いつつ、前回の失敗を活かし、コミケの開催情報に注意していたら、どうも2021年末には開催されるらしいことと、申込開始時期が判明。
ひとまず、8月中頃にcircle.msに登録して、それでコミケの申込みを完了した。
なんやかんやでサークル参加の抽選?に当たり、コミケにサークル参加にできることになった。
サークル参加の人のための封筒もたぶんこのときくらいに届いて、コミケにサークル参加する実感が湧いてきたし、とてもうれしかった。
ただ、本の内容自体は(微修正は繰り返していたけど、)完成していたこともあって、かなり余裕がある気持ちでいた。
そろそろ印刷会社を探さないとやばいのでは、と思っていたら、表紙を作っていないことに気づいて、クリエイティブコモンズの絵を拝借して慌てて作成。
ワードのサイズの設定とか、表紙のサイズの設定とか、かなり苦労して、いつの間にか入稿ギリギリになり、サンプル(有料)も見ることができないまま、コミケ会場へ直送してもらうことになった。
発注部数については、ネットに「たくさん刷るな」と書いてあったので、最初はそれを受けて50部を考えていたけど、もっと控えめに20部にした(10部でもよかった。)。
コミケが近づくにつれて、とてもわくわくして興奮してきて、周りの友人に「サークル参加するから(ドヤ顔」と言いまくり、「やっぱり初参加だし、1冊も売れないと思うんだよね~(ドヤ顔」と話していた。
それから、「たぶんたくさん余るから買ってよね」と、もしかしたら売り切れるんじゃないかと思いながら友人に話していた。
一週間前に、サークル参加するのに必要なものをネットで調べて買いそろえ、参加日の前日に東京へ出陣した。
また、必要なものを調べているときに、「コミケットアピールを必ず読め」と記載されており、慌てて確認した(「○○する場合には○○日までに連絡してください」などと書かれていたので、私にはあまり縁のなさそうな事項でしたが、読んでいなかったことを反省しました。)。
自分が発注した本がどんなふうになっているのか、サンプルを見ていないので、不安と期待が入り混じっていた(売れるのかどうかとは別に)。
・コミケ当日
準備に時間がかかるかもしれないと思い、8時くらいに会場入りする予定が、ふつうに寝坊して9時前くらいに到着した。検温等あったので、もう少し余裕があった方がよかったけれど、結局、それでも準備自体にはそんなに時間はかからなかった(10分くらいで終わった。)。
隣のスペースの人に挨拶したら、2人で来ていて、周りも複数人で来ているっぽくて、ふつうはそうなのかなと思った(一人での参加なので、トイレ行くときとかどうしようかと思った。)
自分のスペースに着くと、椅子と見本誌を入れる封筒が置いてあって、サークル参加することにドキドキしてきた。
頒布価格を500円として考えていたが、当日自分のスペースに搬入されていた本(80頁)の薄さを見てびびり、300円に変更した。見本誌票を出すときは、これを出す前でよかったーと思ったけど、よくよく考えたら、用意していた500円玉の意味がなくなり、つり銭がなくなった。
(どうしようもなくなり、ファミマで水を購入させていただき、400円×2を錬成した。ちなみに1冊も売れてないので、つり銭がない!という不安は杞憂でした。)
100均で買ったテーブルクロス(消毒液っぽい匂いがする。)を敷き、一応、場所名と新刊300円と書いた(オレンジのペンでアンダーラインを引いた)画用紙を、100均で買ったイーゼルっぽい何かに立てかけ、1部に「見本」と書いた付箋を貼って、見本の隣に10部だけ平積みした(人を迎え入れる準備が整った瞬間、わくわくは最高点に達しました。)。
友人(コミケに来ない)とツイッターでやりとりし、再度「今日1冊も売れないと思うんだよね~(ドヤ顔」という趣旨のリプライを送ったりした。
・開催後
拍手が鳴り響く中、コミケC99の開催が宣言され、次第に人が入ってきた。
まず、右隣りのサークルの新刊が1部売れた。そのうち左隣のサークルの新刊も1部売れた。これを見ていて、自分もいつか1冊売れるかなと期待していた。
通路を挟んで反対側のサークル(同ジャンル)も本が売れているようだった。
周囲のサークルは、人が入ってくるにつれ、1部、また1部と売れていった。
人が少ないな~とは思いつつも、ネットでは、「午前は事前に検討していたサークルを回り、調べていないところは午後から」みたいなことが書いてあったので、自分のところをすべて素通りされても、「午後になったら1冊くらいはね…」と思っていた。ただ、周りでは、「見せてもらってもいいですか」と見本を手にとる人もいる中で、自分のところだけ、素通りされていて(少し表紙を見る程度)、そんな事象が起こる予感すらなく、少しずつ不安になった。
周りをきょろきょろし、本を読み、ぼーっとし、ということを繰り返していた。
ネットで「初心者 売れない」みたいなことを検索し、「コミケは事前に検討していたものを買うと時間がなくなり、新規開拓する時間がない」みたいなことが書いてあって、今日は売れないんだと思った。
午後になって、周りでは「見せてもらってもいいですか」という人が増える中で、自分の前にはそんな人は一向に現れる気配がなかった。
それで、まずは「見本」と書いた付箋に「手に取って読んでみてください」という一言を添えてみたが、字が下手なこともあってか、あまり効果はなかった。
次に、あらすじを書いた画用紙を設置した。すると、1人か2人が、そのあらすじを読んでくれていたようだった。ただ、結局、見本も手に取ることはなく、そのまま去っていった。
このころ、前日にあいぽんの充電を忘れていたため、ツイッターで「売れない実況」をできなくなり、さらに不安とみじめさが募っていった。
また、このころから、精神的にしんどくなり始め、「ああ」とか少し声が漏れた。
(ただ、今回はあまり一般参加者が少なかったこともありますが、あまりにも本が売れる気配がなく、盗まれる心配がないので、(お釣りは持っておくとしても)本を放置してふつうにトイレに行くことができました。本が盗まれたら、それはそれでよかったのですが……。)
売れる気配がないので、周りのサークルがどんな本を売っているのか、少し見て回った。
14時頃から周りのサークル参加者が撤退し始め、会場にいる人も少なくなってきた気がしたので、15時になったら撤退しようと決めた(あまりに辛すぎたのと、時間が経つのがあまりに遅く、1時間を耐えられなかったため。)。
「もしかしたら15時くらいまでに買う人が来るかも!」という期待は見事に打ち砕かれ、全く人は来なかった。
最後に、右隣りの人の本(もともと興味があった。)を1冊買って帰宅した。
帰る途中、周りがコミケに参加できてよかったという晴れやかな顔(だと思う)をしながら帰っているのを横目に、一人、うな垂れて、重い荷物を持って帰宅した。とてもみじめな気持ちになりました。
◎コミケを終えて
心は折れたものの、「いきなりコミケに参加したのがよくなかったのでは?(ジャンルオンリーのイベントから参加した方がよかったのでは?)」という思いと、昼頃にした「売れない」みたいなツイートをリツイートしていた人が、応援してくれるツイートをしていたので、もう少し頑張ろうと思いました(在庫も残っていますので)。それに、1部でも売れるまではあきらめきれないところです。
ちなみに、「全く売れないかも」と想像できても、実際に全く売れない(素通りされるだけ)ときのみじめさは、想像できておらず、耐えがたかったです(初参加を目指している人向けにフォローすると、たぶん後で笑い話にできる系の失敗談なので、果敢にチャレンジしてほしいです。)。
◎反省点
反省点1: そもそも最初にコミケに参加することがよくなかったのではないか。
二次創作を作って同人誌即売会に参加しようと思ったときに、真っ先に思い浮かんだのがコミケだったのでコミケに参加したけれど、まずはジャンルオンリーのイベントに参加して、それを通じて知り合いを増やすところから始めた方がよかったのではないかと思いました(ネットの受け売り。ジャンルオンリーのイベントがあるのは知っていたが参加したことはない。)。
実際には、C99は参加者の人数が制限されていたので、単純にこのジャンルの参加者も減ったからその分買ってくれる人が現れる可能性が減ったという可能性もありますが、今後どうなるか分からないので、コミケに一般参加者の人数制限があることを前提に考える必要がありそうです。
とりあえず、私はジャンルのオンリーのイベントに一般参加するところから始めます。
反省点2: 表紙に、そのアニメのイラストが描かれていなかったのがよくないのではないか。
周りのサークルの新刊等を見ていると、表紙にアニメのキャラが描かれており、ひとまず手に取ってもらえていたように思います。そうでなくても、素通りしようとしたときに、一瞬目に留まっていたように思います。
確かに、自分としても、ほかのサークルを見ているときに、表紙にアニメのキャラが描いてあると、「どんな内容の本なんだろう」と思って手に取ってみたくなる感じはありました。
しかし、この点は、私の主義思想に反する(アニメのキャラのイラストを描くと著作権に真正面から抵触してしまう。)ので、利用許諾を受ける道筋や実際の取扱いが分からない限り、自分にとって今後も採ることが難しい作戦です(本作品の内容とは異なる物語の小説を書く場合、著作権法上の複製権や翻案権に違反しない場合があるようで、今回の私の二次創作小説も、著作権を侵害していないのではないかなと思っています。)
なかなか難しい思想を持ってしまいましたが、この点について自分の中での折り合いのつけ方は今後要検討です。
たぶんディスプレイの仕方などほかにも反省すべき点はあるのでしょうが……。
なんやかんや言って、(今度は売れるようになった上で、)もう一度サークル参加したいですね。
以上
きっかけ
人狼は身内でやるのと、オンラインでやったのが多分それぞれ10回程度で、つまりそんなに人狼はやったことないんだけども、表題みたいな妄想を始めたのは、小野ほりでい氏の
https://omocoro.jp/kiji/163991/
を見てたとき、
>たとえばこのように、参加者全員が「市民」だった場合はどうでしょう。この村で争いごとは起こるでしょうか?
この記述を見て「人狼がいなくなったのに身内を疑う村人だけの村」があったら楽しいんじゃないかとふと思ったのです。騒動の元凶は去ったのに疑心暗鬼から自壊していくコミュニティ、結構絵的に面白くないですか?
1.勝利宣言
村人:全会一致
人狼:村の半数以上
妖狐:一人以上
の賛成で「〇〇陣営」の勝利をGMに対して宣言することができる(人狼と妖狐の勝利宣言は同時に起こりうるが、その場合は人狼の勝利宣言があったものとして勝利判定へ移行)
2.勝利判定
村人
勝利宣言に賛成した人物の中に村人、妖狐がいる場合:反則行為として人狼の勝利(村の狼騙りによる勝利宣言を防ぐためのルール)
妖狐が残っておらず、人狼の人数が村人の人数以上の場合:人狼の勝利
妖狐が残っておらず、人狼の人数が村人の人数未満の場合:村人の勝利
妖狐
村人、人狼の勝利条件が満たされていない場合:勝利宣言をした人物がその場で死亡し、議論続行(勝利判定で唯一勝負が決まらないケース)
人狼勝利の場合:人狼陣営全員に(生き残った人狼数)×10pt
妖狐勝利の場合:妖狐陣営全員に(ゲーム開始時の人狼数)×10pt、妖狐の勝利宣言により勝利した場合+5pt
「夜に襲撃しないことができる」(「月夜の人狼」でいう慎重な狼)ルールを適用すべきかどうか、このルールがあれば平和な朝を迎えても狐噛み、護衛成功、狼全滅以外にも潜伏の可能性が出てきてゲームの幅が広がるが、連続非襲撃を認めると狼に有利すぎる。「2日連続での能力使用は不可」としたら結構バランスいいと思う
このルールだと、生き残った人数によってスコアが加算される方式(早めに勝利宣言することによるインセンティブを付与)にしないと、村人にとっては最後の1人になるまで殺し合うのが最適解になるディストピアと化すのが目に見えているが、そのポイントの基準をどうすべきか。上記のポイントは厳密に勝率等を考慮したわけではない適当なものなのでプレイ結果に対して適正な評価ができる基準があった方が望ましい
○終盤の攻防が過熱する
○点数制の場合複数回のプレイが前提になるのでまとまった時間が必要
○狐が自動的に勝利できない、特に人狼数=村人数達成の見極めが困難で難易度が高い?
(デメリット多くね?)村人勝利宣言に紛れ込もうとする狼と狐とか、平和な朝を迎えた時の議論とか、面白そうな場面が結構出てくると思うのだけど、正直経験が少なくてこういうルールにしたときにどういう推理の幅が出てくるのか予測しきれないところがあるので誰かやってみてほしいですね…
表題のとおりです。今年のうちに書いておかないとなんか気が済まないのだが、あまりにも恨みがましい文章になり、個人ブログとかに書くとリアル知人にドン引きされそうなので、匿名でお焚き上げさせてください。
今年、前の職場にて、辞職するよう勧告されたので、転職先を探して転職しました。
なぜ辞職勧告されたのか? 端的に言えば仕事をサボりまくっていたからです。Web閲覧やTwitter等を業務中にやりまくっていました。だから辞職勧告されたこと自体には恨みはありません。当然と思います。もっとも、意訳すると
「解雇は可哀そうだから数か月待ってやる。その間に次の仕事を探せ」
という上司の言葉には(恩着せがましく言ってやがるけど、要は解雇にするために懲戒委員会とかにかけるにあたり、お前らの管理監督責任も問われるのが嫌なだけじゃねーか)と内心そうとう憤りましたが。
で、仕事をサボりまくっていた、具体的には、絶対にやらなければならない定例業務とかを除いて、イレギュラーな検討事項等についてサボって終わりを引き延ばしていました。3年?4年?くらいそんな感じでした。タイムカード切ってから2時間くらい会社でWeb閲覧してたなんてこともしょっちゅうでした。何故そうなってしまったかと言うと、あくまで私からの目線ではありますが
・基本的にイレギュラー案件のゴールラインが露骨に上司の気分で動かされる
・質問=詰める開始の合図の上司→気づけば言い訳を探すようになっていた私
・「案件が終わってないのに何故帰れる。何時まで残業してでもやるのが当然だろう」と言われたので上司より先に帰れなかった
・会議や役員に出す段階でない、上司との検討ミーティング用の資料であっても、ちょっとした誤字やフォントの修正違い等の間違いをめちゃめちゃ詰められる(誤字があるということは確認してないからだ! という主張はご尤もだと思いますけど、上司的にも進めないとまずいなと認識してると思しき案件ではあまり言われなかったので、意図的だったかどうかは知りませんが、攻撃材料だったと思っています)
・「わからないなら聞け!」→「それくらい自分で考えればわかるだろ!」のコンボはしょっちゅう
・よく言えば体育会系の気風の良い人ではあるのだが、悪く言えば恫喝パワハラ気質の上司
あたりが根本原因だったと思います。要は上司と私とが合っていなかったということですね。もっとも、その上司によって直接的に退職に追い込まれた従業員は私の他にも数名いましたけど。
強い言葉で叱責される……詰められるともう頭が真っ白になるようになってしまったので、一度だけ
「それだけ強い言葉で言われると委縮してしまって会話するのも難しくなるので、改善してもらえないか」
「俺はそういう言い方しかできない!」
と開き直られたのが、今にして思えばサボるようになった本当の直接のキッカケだったように思います。
全て、今にして思えば、ということとして、一番酷い時は鬱状態だったんじゃないかと思います。具体的な症状として、とにかく起きられませんでした。本当に今すぐ着替えて家を出ないと遅刻するくらいのタイミングまでベッドから起き上がれない。めちゃめちゃ夜更かししていたわけでもないのに、休みの日では昼くらいまで全然寝れてしまう……というか起きられなかった。一応仕事や趣味には行っていた、生活が破綻するレベルで起きられなかったわけではなかったので、当時は「なんかおかしいな? もともと朝が弱い方でもないのに最近やけに起きられないな?」くらいの認識でした。ものすごく疲れてるとかでもないのに、普段普通に起きてる人が起きられなくなったら「それはおかしい」って認識すべきだったな、というのが個人の教訓です。そんときメンタルクリニックに行っていればもうちょっと色々改善できていたような気がします(むしろ休職していた可能性もありますが、それはそれで)。
そこまで追い詰められていたけど、転職して時間も過ぎ、ある程度冷静に振り返られるようになった今でも、上司の言うこと・指示は基本的に正しかったと思っています。ただ、あまりにも言い方がキツかったのと、そこまで詰めなくてもよくない?というのと、こちらの欠点=直すべきものであり、欠点を許容しようという姿勢がまったくなかったのがしんどかったですね。
ラスト数年間では、露骨に後任の奴が異動してきたり、しょっちゅう詰められるようになっており、上司的には口清いことを言いつつ私を退職に追い込もうとしていたのは明白でした。最終的にはサボっていた証拠(Webログ等)を突き付けて辞職勧告をしてきたわけですが、後任への引継等もほぼ終わりかけの段階だったので、「こいつの利用価値はもうなくなったのでそろそろ辞めさせよう」という露骨なタイミング過ぎて笑ってしまいました。
要約すると、パワハラ気質の上司と、サボりまくりだが一応定例業務はこなし他の人にできない仕事を持っていた私との、変な共犯関係がそこにあったという構造でしたね。職歴的に、中途入社は基本上に行けない職場だったので、辞職勧告で踏ん切りがつき、真面目な転職活動をして、より大きな会社へ移れたので、私の人生のタイミング的にもよかったのかなと思っています。転職先の上司や年下の先輩たちが基本的にものすごく良い人で、「少しのミスを詰められないこと」がこんなにもストレスにならないんだと感動する日々です。5年くらい前の私に対して「その上司との関係性は結局どうにもならんしお前そのままだと腐るから転職する方がええぞ」とアドバイスしてやりたいですね。
とりとめもなく書いてきたのでまとめ
・相性の悪い上司はどうしようもないので、どうしようもないとわかった時点で転職すべき
・てゆーか詰めてくる上司はやっぱクソ
・「疲れてるわけでもないはずで、睡眠時間もそれなりに確保してるはずなのに、起きられない」のはヤバい兆候
辞めてから知ったけどな! 過去に横領まがいのことして一回辞めたことのある人間だって知ってたら、なんでそんな人間に詰められなきゃなかったんだってなおさら腹立ったわ! そんな上司を野放しにする会社も普通にクソだったわ! 転職して明らかに幸福度上がりました! ざまーみろ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
そりゃ友達同士のグループや趣味のグループ、遊ぶために集まってるなら気を遣ってでも喋り続けて当然だけど
表題のような人間は仕事中や作業中ですら沈黙を怖がるので鬱陶しくてたまらない
「今集中したいのですみません」とやんわり断っても
言葉の裏を深読みして(裏など無い!)余計必死になってひどくなるか
黙るけどソワソワソワソワ落ち着きなくなるか
本当にウザくて仕方ない
うちの奴は上から注意してもらってもあまり効果がなく、病気か障害なのでは?と噂になっている
はたまた新宿へ呪術廻戦0を見に行き、百鬼夜行の一部と化しているかもしれない。
一般企業のOLである私は、クリスマスとはいえ平日の金曜日なので普通に仕事である。
だが私は今まで1度もコミックマーケット、通称コミケに行ったことはない。
負けたというのはコミケの戦場で打ち破れたのではなく、【当時の彼氏が彼女よりもコミケを優先させた】という話である。
毎年クリスマスが近づくたびに思い出す忌々しいにもほどがある記憶なので、いい加減呪縛から逃れるためにも吐き出そうと思う。
数年前、私には彼氏がいた。学部は違うが大学の同級生で、卒業後に付き合い始めた。
お互いにオタクで、私は拙いながらも小説を書き、相手は小説と時々漫画を描いていた。
もともと元カレは同人をやっており、サークル参加しているとは聞いていた。
だが私は二次創作は読む専門で、本を作る工程が大変であるのは知っていても、具体的にどれだけ大変なのかは知らなかった。
ただお互いオタクなので、イベントがどれだけ重要なのかは理解しており、うまく付き合っていけるだろうと思っていた。
きっかけは付き合って数ヶ月後、初めてデートをドタキャンされた時だ。
「体調が悪くなってしまった」
ちなみに遠距離で、私が元カレの家に行くには電車で2時間、更に路線バスで30分ほどかかる。
そのためお互いに比較的アクセスしやすい都内で、大体月に2~3回程度会うスタイルだった。夕方も大体早めに解散し、元カレの帰宅が遅くならないように気を遣っていた。
体調が悪い中長距離移動するのも大変だろうと心配したし、手伝いが必要なら家に行こうか? とも申し出たものの、寝ていれば大丈夫と断られた。
早く元気になるといいな、と当時は真面目に心配していたのだが、のちにこれは半分嘘だと発覚する。
初めてドタキャンされてから、3回の内に1回はデートをドタキャンされるようになった。
理由は体調不良。純粋だった私は真面目に、頻繁に体調を崩すなら病院に行ったらどうか、それとも仕事が大変なのかと聞いたが、
本人は大丈夫大丈夫と言うし、会う時には普通に元気だった。何なら私よりハイテンションだったくらいである。
ドタキャンが3回目を超えた。
おかしくね?
馬鹿な私はようやく気が付いた。
そこで普通にデートできた場所と、ドタキャンされた場所の違いを考えてみた。
共通点は1つ。
ドタキャンされたデートの行き先は全部、【私が行きたいと言った場所】だった。
(誤解なきようにあらかじめ補足するが、私が希望した場所もドタキャンせずに一緒に行った時もある)
つまり【元カレが行きたいと言った場所】は、絶対にドタキャンしていなかったのである。
元カレは当時某動物アニメにはまっており、よく動物園に行きたがった。私も動物は好きだったので特に行き先に不満はなかった。
ただ一つ嫌だったのは、元カレが行きたがった時期が初夏から真夏だったことだ。
初夏とはいえ晴天だとかなり暑いし、真夏は薄っすら地面に陽炎さえ見える。
ぶっちゃけあまりの暑さに人間も動物もぐったりしてて覇気がない。
汗っかきの私は化粧をドロドロにして汗だくになりながらも、元カレが楽しそうにしているので不満なく付き合った。
豪雨の上野動物園にも付き合った。当時の私はものすごく健気だった。疑うことを知らない馬鹿とも言える。
私の行きたい場所ばかりドタキャンされるのに気が付いてから、元カレに対して不信感が芽生えた。
本当に体調が悪いのか? 疑いたくないが、偶然にしてはあまりに出来すぎている。
そもそも体調が悪いなら当日の朝ではなく、3回あるうちの1回くらいは前日の夜に気づかないものか? 薬を飲めば翌朝治るのではとワンチャン祈っていたのか?
(元カレが住んでいる場所はかなりの僻地で、職場も男性ばかりだったので浮気はそもそも疑っていなかった)
私が行きたい場所は、某擬人化ゲームが趣味なこともあり美術館や博物館が多かった。
もしくはオタク趣味の関係ない、新宿や浅草の散策デート。デートのプランを聞いた時は快諾してくれたが、
もしかしたら本当は嫌だと言えなくてドタキャンしてしまったのだろうか。
回りくどい言葉で質問するのは性に合わず火の玉ストレート、本人に直接ラインで訊いた。
「体調が悪いのは本当なのか?」
理由があるならきちんと話してほしい、スケジュールを合わせているので当日朝のドタキャンは困るとも。
しばらくして、元カレの返事がきた。
「本当に体調が悪い日もあったが、全部ではない」
流石に怒った。前述したとおりお互いにオタクだ。イベントに理解はあるつもりだった。
正直に締め切りがヤバいと言えば納得したのに何故しょうもない嘘をつくのか。病院に行った方がいいと真面目に心配していた私が馬鹿じゃないかと。
黙っていてごめんと謝られたため、
・原稿の締め切りを抱えているならあらかじめ言うこと
・デートをキャンセルするならせめて前日か数日前の夜に言うこと
この2つを約束して、仲直りをした。
だが、ドタキャン癖は治らなかった。
デート当日の朝6時頃に「今日行けなくなった」とラインが来る。私はそのラインの通知音で目を覚まし、メッセージを確認してがっかりする。
1ヶ月に1回はそんなことが続いた。
そんなに頻繁にイベントに参加しているのかと聞くと、元カレは1人で参加しているのではなく、友人同士複数人で組んだサークルで活動しているのだという。
今はサークルが波に乗っているので、可能な限り多くのイベントに新刊で参加したい。詳細は忘れたがこんなニュアンスのことを言われた。
サークル参加に詳しくない私は、そういうものなのか? と引き下がった。
締め切りが大変なら手伝えることは手伝うからドタキャンはどうか止めて欲しいと訴えたものの、結局治らなかった。
嫌われたくなくて強く言えなかったのもあるし、元カレは後から謝れば許してくれるだろうと思っていたのかもしれない。正直舐められていたと思う。
そしてやってきたクリスマス。もう何度もドタキャンされて精神的に消耗していたが、さすがにここでドタキャンはしないだろうと思っていた。
ただオタクなら知っている。
サークル参加するのは知っていた。正直、ものすごく嫌な予感がした。
クリスマス当日は土曜日だったけれどコミケがあるならキツイだろうと考えた私は、12月上旬に都内のクリスマスマーケットに行きたいと言った。
だが11月末。「デートは無理かもしれない」と元カレからメッセージが来た。
会えないのは残念でも、ドタキャンじゃないだけ全然いい(そう考えている時点でだいぶ末期だった)。
すると珍しく元カレから代替案を出された。「クリスマス当日は元カレ家でゆっくり過ごしたい」と。
そりゃあもう喜んだ。クリスマス当日を一緒に過ごせるなんて! と舞い上がった。会えるなら2時間半の距離なんて横断歩道をスキップ渡るくらいに感じられた。
おしゃれなレストランでデートじゃなくても、スーパーのチキンや総菜とケーキで充分だった。あとは軽いおつまみをいくつか用意して、アニメや何か映画でも見て過ごせたらいい。
お家デートならおしゃれしすぎず、かといってカジュアル過ぎない格好にしよう、かわいいと言ってもらえるような服にしようと考えた。
ただやはり不安は消しきれなくて、もしも都合が悪くなったら前の日までに言って欲しいと何度も伝えた。
そして23日の夜も明日は大丈夫かと確認した。大丈夫だよ、と返事が来て本当に嬉しくて、遠足の前の日の小学生みたいに眠れなかった。
そして24日。
私は朝5時に起きて、頑張ってメイクをして、慣れない手つきで髪を巻いた。
相手の家に10時に到着するためには、6時半には家を出なくてはいけない。そろそろ家を出ようとバッグの中身を確認していた時だ。
メッセージの内容はこうだ。
「ごめん今日は無理。家にも来ないでほしい」
呆然とした。
わくわくしていた気持ちが、落としたガラス細工の如く粉々に破壊された。
泣きながらキレて彼氏に電話をしたと思うが、確か向こうはひたすら「ごめん」しか言ってこなかった。
というよりそれ以外に何か言われても全て言い訳にしか聞こえなかっただろう。
電話を切ってしばらく泣いて、気が付いたら化粧も落とさず着替えもしないままベッドで寝ていた。
時刻は正午を過ぎていた。
泣きすぎて目の奥と頭が痛いまま、しばらくぼんやり時計を眺めていたのは覚えている。
14時を過ぎたあたりで、おざなりに化粧と服を直して外に出た。
電車に乗って、数駅先の大きな駅へ向かった。
行きたかった場所よりも規模は小さかったけれど、クリスマスマーケットが開催されているのを最寄り駅に貼られたポスターで知っていたからだ。
色々出店を回っているうちに16時を過ぎて、あっという間に薄暗くなっていった。青で統一されたイルミネーションが、駅のコンコースを眩しく彩る。
意味もなくイルミネーションを写真に撮っていると、少し遠くから音楽が聞こえてきた。
よく見ると、駅と繋がっている広場で特設の野外ステージと出入り自由の客席が設けられ、何組かのアーティストが歌を歌っている。
クリスマスのチャリティーコンサートだ。看板に書かれたタイムテーブルを見ると、とある女性シンガーソングライターの名前が目に留まった。
知っている名前だ。とあるアニメ映画の主題歌を歌っていて、大好きな曲だった。
必ずその曲を歌うとは限らない。
それでも私は居ても立っても居られなくなって、偶然にもぽっかり空いた最前列のパイプ椅子に座って彼女の出番を待った。
そこから更に何組かのアーティストが歌い楽器を入れ替えて、やがて彼女が現れた。
彼女は【失恋ソングの女王】と呼ばれることもあり、優しい歌声と切ない歌詞が持ち味だ。
クリスマス向きじゃないかもしれないと自分で触れながら、彼女は歌ってくれた。
歌詞がこんなに心に響いたのは初めてだった。
初めて聞いた曲だったのにその歌詞が忘れらなくて、今でもはっきり思い出せる。
気が付いたら私は泣いていた。
歌がとても素敵で感動して、でもどうしようもなく辛くて悲しくて惨めで、心の中がぐちゃぐちゃになって涙が止まらなかった。
凍えそうな風が吹きすさぶ中、広場の巨大なクリスマスツリーのイルミネーションに照らされて静かに号泣する女は端から見たらさぞホラーだったことだろう。
そして女性シンガーソングライターは、あのアニメの主題歌を歌ってくれた。
大好きな曲をこんなに近い距離の生音声で、しかも無料で聞けるなんてなんて贅沢な時間なんだろう。
嬉しかった。今日この場所に、この時間に訪れていなければ絶対に聞けなかった。
けれど本当なら、本当は私はここにいないはずだったのだ。
ドタキャンの理由は想像通り、冬コミの準備が終わっていなかったからだ。
私はコミケに負けた。
同人誌を作るのが大変なのも理解をしていたし、複数人のサークル活動でメンバーに迷惑をかけられないというのもわかる。
ただドタキャンはしてほしくなかった。
正直、私は美人ではない。どんなに着飾っても【おしゃれなカラス】にしかなれなくて、心の底でイケメンの元カレに引け目を感じて強く言えない馬鹿な女だった。
本当は暑い中動物園にばかり行くのも嫌だったし、豪雨の中歩かされたのも嫌だった。でも我慢してしまった。
元カレはきっとそんな私を舐めていたのだろう。
結局、私は冬コミの締め切りとサークルメンバーには勝てなかった。
元カレが好きだったアニメも、コンテンツに罪はないのに見れなくなった。
そして何より、何度もドタキャンと遅刻を繰り返す人間が許せなくなった。
恋人や家族ができても、趣味を続けたいという気持ちは大事だし尊重したいと思う。
最低でも10を9、8に減らす覚悟をして、恋人や家族にキャパシティを割いて欲しい。
少なくとも一度した約束をドタキャンするのは最低の行為だし、そもそもできない約束をするべきではない。
約束を守れない人間は、一度箪笥の角に小指をぶつけて骨折してほしい。
ドタキャンする奴は首にチップを埋め込まれて爆発四散してほしい。
それでは皆さん良いクリスマスをお過ごしください。
表題の件なんだけど、ああ確かにそのとおりだなって実感した事例がありました。
よく女の子の二人組がダンスする動画とかってあるじゃないですか。
見事なくらい
ブスのほうへのフォーカスが外れて
これ、本当なんですよ。
それでいて、そのことに気づくことはなくてメチャクチャにナチュラルに
ブスには目もくれなくなります。
難しいのですがこのことを頭の隅に入れておいて
今度似たような動画があったら思い出してみて下さい。
本当に面白いようにブス(と自分が感じる方)の人には目線がいかなくなります。
ただこの場合のブス、というのは極端にブサイクとかではなくて、さりげないブスの必要があるのかもしれません。
正確にはブスと言うよりかは、かわいく「ない」、きれいで「ない」という感じ。
こいつブサイクだなあ、とマジマジと感じる人は逆に視線が向くかもしれません。
だから割と動画の選定は厳選しないと再現性はないかもしれませんが
本当です。
両親は50代だが、最低でも75歳まで年金出るかどうかわからないから、といろいろ投資をしているらしい。
では、日本の多数の中央値に属する人たち、いやそれ以下の人たちはどうなるんだ?リアル地獄??
なんなんだ???
でもさあ、日本の政治家、誰がどう見ても国民のために仕事していないよね。国民、ただしお友達に限るだよね。
パソナや電通、その他もろもろ政治家にすり寄るレガシーな滅びゆくべき企業に税金ばらまくだけで、人々の暮らしが、未来がよくなるわけがない。
それでも投票率は低い、投票していても、売国活動に勤しむ政党を支持する。
未来が暗いのは必然であり、民主主義によって、国民の教養レベルに合ったレベルの社会が形成されるんだ。
表題の通りです。
自分は165cm48kgHカップで顔立ちはクールというより幼い感じです。
というより自分で自分を見ていても、キャラクリ失敗してるなというバランスの悪さを感じます。
長身好きはクールな顔立ちやすっきりした雰囲気を求めているし、
低身長好きはそのままに150cmを求めている。
キャラクリ失敗の割に平均身長より高いのと、顔はメイクで印象を変えられるのでこのアバターの着せ替えは楽しめている。
問題は、恋愛市場に置いて地味にどこの層にも刺さらないということ。
私自身が楽しく生きる分には充分なのだが、どの層からも「お呼びでない」感じを受ける。
というか、歴代好きになった男性が低身長好きコンプレックスになっている。
「顔と服装は好きなんだけど」「すらっとしているのはいいことなんだけど」とうっすらとしたお断りを受けてしまう。
やっぱかわいいよ、小さい女の子。頭もちいさいし、手も小さいし、声も高いし、ぴょこぴょこしてて。
ヒールとか厚底とかもかわいいし、それ履いても彼氏より小さいとか超かわいいじゃん。
守りたい感じもするし。
表題の通りです。
母親がよく恋愛をする人間だった。父親は何回も変わった。その中で一番長い父親からはずっと私はいないものとされていた。
母はホステスでとても美人だった。中森明菜みたいな感じ。実子ながら母が着物やドレスや普段着や何を着ても、髪型を変えても、口紅の色を変えてもどんな姿でもずっと見惚れてしまうほど美しいなと思っていた。
そのせいかバイセクシャルになり、若い頃の母とセックスする夢をいまだに何度も見る。
実父のことは何も知らないけど、私を一番長く育ててくれた血のつながっていない父は母を溺愛していた。
暴力団員で金も湯水のように注いでいたし、後から知ったが母が結婚する前の学生時代からずっと片想いしていたそうだった。
そんな重い愛を抱えていたせいか、母の遺伝子が半分入っていても、もう半分は別の男の遺伝子で出来ている私のことは道端のゲロを見るような目で見てきた。
その気持ちもわかります。金かけて育ててくれてありがとう。憎しみはありません。
バイのマザコンだったから、母にべっとりな私が本当に憎かったと思う。
運が悪いことに私の顔は実父にそっくりだった。母に似ていたらもう少し優しくしてくれたかな。
そんな感じでスタートした人生だったので、男性に関してはとても苦手でした。
実父にそっくりとはいえ、母は面食いだったため私の顔は整っていました。
そのせいか4歳から30歳の今日まで、多くの男性と女性から好意と悪意を向けられてきました。
誘拐未遂、性的暴行未遂、自慰を見せてくる同級生、盗撮、私物の盗難、私の写真へ射精した写真を下駄箱に入れられました。
30歳になってどうでもよくなって、向精神薬が一番効いてる時に勢い余って女性向け風俗を予約。
震えながら当日を迎えると、見目の整った同じ歳の男の子が控えめにホテルに入室してきました。
挨拶をして、様子のおかしい私を気遣って「横に座って大丈夫ですか?」と聞いてくれました。
頷くとそのまま震える手をゆっくり撫でて、背中も撫でてくれました。
そのまましばらく泣いて、謝って、ありがとうと伝えました。
大丈夫だよ、大丈夫だよと私の息が整うまでただ撫でてくれました。
接客時間の終了までそのまま、手と背に手を置いてくれて暖かくて嬉しかったです。
お金を払えば怖いこともされないで、優しさを買えるんだと思いました。
でもまたその彼を予約して、今はキスまで出来るようになりました。
まあそんなことはどうでもいいです。
外食中などで他人の会話が耳に入ってくると時たまタイトルみたいなことを言う人がいるのね。
流れ的に男女のあれこれの女性のグチがやや多めのアレ。あと男グループで温和な人をチョイ弄る系で出たりする。
世の中には在野の賢人がたくさん居るのだなあと独り言ちるんだけど、居ない。我の周りに聖人君子皆無。見かけるよ。レッドリストにな。
我の基準がチョモランマ?そもさん聖人君子とはなんぞや。知らんがな。他人からの評価だろうからな。一人一派では詰みである。あ、それと現代でよ?現代。昔の徳なんて上流階級の独占禁止法ガン無視じゃろ?この腐敗した世界のスタンドでアローンな現代に堕とされてなお徳詰みタワーバトルが上手い人とはなんぞやとくどくど知りたいわけよ。
それでも標本を集めて比較すれば何かが見えてくるかもしれない。世界に散らばる聖人君子の条件を広く集めてGet and 評価。神龍出てきてこんにちは。ぼっちゃん願いをかなえましょう。聖人君子ってどんな人か教えておじいさん。それはね、そんなことを聞かない人よ。
するかーい!そんな面倒なことするかーい!
日本にあまた居るタレントどもよ。我が家のTVの前に聖人君子を映したまへ。
大食いオカマアスリートに霊能力者。なんでもござれの芸能界から聖人君子キャラのタレントを鮮烈デビューさせたまへ。ASAP!
何?芸能界は汚れきっててタレントとして成立しない?ふーむ水濁れば聖人君子棲まず、というわけだね?ねーよそんな言葉!まだねーよ!俺が作るんだよ!
しかもアレだよ。表題が真とするならばタレントとして売れる要素がないじゃないか。TVに居ないことがつらまいことの証明だ?えーい中学校からやりなおせーい。もう中学生だと?お前はおっさんじゃーい!
はぁ、はぁ。うん、タレントはないね。アイドルにしようぜ。聖人君子9×4とかで36人グループ。いろいろ見れていいじゃない。聖人君子だから握手会も好評。偶像崇拝に最適です。おひとついかがです?
とにかくおりゃーよぉ、聖人君子を目にしてよぉ、この人はなんて聖人君子なんだぁ!!っつー清冽な感情を励起されたいワケよ?おわかりびあん?
つまらなくても良い。聖人君子だと思わせることが大事。そんな聖人君子にのびのびと育ってほしい。そして我が家に存在しない恩を返しに来てほしい。給付型聖人君子。
巷のごく一部で話題の「アイの歌声を聴かせて」を見たので、表題の件について、私の狭い観測範囲(vivyとか見れていません)の中で例を挙げて書いてみる。ネタバレアリなので注意をお願いします。
他にもこういうのは良かった悪かったというものがあれば教えてもらえるとありがたいです。
テクノロジー描写についてはよく出来てたと思うが終盤は感動で押し切っちゃえ!感がどうにも否めない。2回目見ると1回目感動したところでこれいいのか…?となる描写がちらほら。
アイが最終的に衛星からネットワークにつながったありとあらゆる機械を操作し放題オチとシンギュラリティ疑惑でこれを思い出した。
ぶっちゃけコロナの影響という言い訳をしたところで話そのものが途中からガッタガタなのであまり良い例とも言えない気もするが見た人も多いと思うので書く。
とにかくAIがやる必要のない仕事ばかりやっている点が目に付く。
AIがトレンドだし出してみるかみたいなノリ以上のものではない。AIはマスコットキャラクターになっているのも正直センスが古い
昔からAIと人間の交流でドラマを作るといった話はよく出ているが、昔と今とで違うのは「ラーニング」といった要素が取り込まれている点だと思います。
ロボティクスとAIをごっちゃにしがちなのは今も変わりませんね。ここをきちんと分けるにはネットワークのお勉強も必要だし何より直感的にわかりにくい、人を選ぶ内容になるので仕方ないところもあると思いますが。
夜画帳。
1990年代のエロゲを彷彿とさせるセックス&バイオレンスの濃厚なBLだ。
いつもコミカルなレビューを書いてるBL増田はこれを読んでどう思っただろうか。
見つけられない。
まだ書いてないのなら一話だけでもいいので読んでみてレビュー書いてみてくれないか。
読みたくない書きたくないなら無視よろ
私は「風と共に去りぬ」のファンですが、ルックバックと比較するのはやりすぎだと思います。あなたは風と共に去りぬを読んだことがあるのでしょうか?
作者であるマーガレット・ミッチェルは南北戦争時代の南部の思想に強く影響を受けています。
この作品では奴隷制を肯定し、黒人達は奴隷として幸せに暮らしていたと主張しています。4人の主人公のうち2人はKKKのメンバーで、黒人村の焼き討ちをおこないます。 当然KKK側が正義として描写されています。
表題の「風と共に去りぬ」とは、風のように去った美しい南部時代のことです。作品の多くのページが「美しき良き南部時代」「南部人から見た南北戦争」に割かれています。世間のイメージとは違って恋愛の部分はそれほど多くはないです。
例えばルックバックが「ロボトミー手術はただしかった」と主張する作品ならば風と共に去りぬと同様の問題を抱えているといえますが、そのような作品ではありませんよね。
それに私は「風と共に去りぬ」も規制しないでほしいと考えています。個人的には、当時の南部人やKKKメンバーの思想が垣間見えて興味深く感じています。
この作品を読んで「奴隷制は正しかった」と考える人はまずいないでしょうし、もしそのような人が存在するとするならばそれは教育で解決すべきではないかと考えています。
正確に言えば表題の組織やヒトは過去を見ても助けたことがないということ
過去のデータとかフェミニストの活動、主なツイフェミのツイート、国会の証言を見ても
そういった児童を搾取するような輩を防ぐ活動が一切見当たらない
多少「おっ?」っと思っても非実在児童についてのものばかりで実在児童に関してはなしのつぶて
本当に誰も手を付けてないのでインスタやツイッター、Tiktok、ツイキャスなどの配信サイトは無法地帯だよ
・裏垢でみだりに肌を晒す
・オフで会ってついて行ったら無理矢理ヤられる
・好きな配信者に妄信し、認知してもらえてると錯覚しDMで呼び出されデートしてヤられる
にもかかわらず、そういった被害を見もせず、明後日の方向をむいて叩きやすい非実在児童だけ叩きまくっている
もう何にも信用ならん
二か月に一度、部長クラスとの面談があるのだが正直に言えば苦痛でしょうがない
そういう人は多分仕事ができて、仕事をまじめに取り組んでいる人なんだろう。
私は仕事ができなくて、仕事を適当にこなしているから話すことが苦痛なのである。
ノルマは(おおむね)こなしている。
ただそれだけで、仕事に将来性を感じているわけではないし、周りに頑張っている人が多いからいつも気が引けている
つまりは原因が私にあるのだが、やる気はどうしてもあがらないのである。
給料も上がる気配ないといったらいい訳だろうか
お答え申し上げます。
ブコメでもすでに指摘されているように、現在元増田さんには上司として必要な能力に欠けているというのが結論になるだろうと思います。
ですが、それだけだと具体的に何がどう欠けているのかがおわかりにならないだろうと思い、100字ではとてもしたためられないため、このようにトラバで記しましたので、しばしお付き合いください。
まず元増田さんは「会社で怒鳴ってしまう自分は間違っていないと思うのですがどうですか?」と質問をしているわけですが、第三者がその是非を判断する場合最低限必要になる情報があります。
部下はどんな人間なのか、周囲の部下の評価はどんなものか(元増田さんの部下の評価との間に乖離はないか)、部下に施した教育はどんな仕方なのか、部下に与えたタスクの難度はどの程度か、部下は勤続何年目なのか、貴方は勤続何年目なのか、部下と貴方の歳の差はどの程度なのか、貴方の部下に対する叱責的な態度は職場で問題視されているのかいないのか、等々、そういった物事の輪郭がわからなければ、貴方の怒鳴ってしまう態度の是非なんて、どうして判断出来るでしょうか?
元増田さんの相談の中にはそういった客観的に物事を判断する為に必要な情報がなく、仕事の出来ない部下を前にして自分が感じた事柄が極めて主観的に書き連ねられているだけです。
他人と自分の持ち合わせている情報量がどの程度違うのか、自分の脳内にある事物を伝える為に何と何と何が必要になるのかを思考する能力に欠けている、煎じ詰めれば「説明力」がない。
そのことがご相談を読むだけで伝わって来ます。この調子で上司として部下に指導をしているのなら受けるほうはさぞ想像力を働かせねばならず、大変だろうなとも。
元増田さんは表題から「怒鳴る」という強い言葉を使っていますね、今時分職場で上司が部下に怒鳴った時点でどの様なあらましがあってもアウトだろうというのが衆目の一致するところと思いますが、しかし文中では、
自分は会社でよく怒鳴る。怒鳴ると言っても大声を出して威圧するわけでなく、その人ができていないこととなぜできていないのかを詰めるような言い方をしている。
ただ冷静に詰めているようで自分の中では実際はピキッときており、完全に怒鳴りだと感じている。大声で叫びたくなる怒鳴りを無理矢理抑制して言っているため、これはきっとパワハラ・ロジハラにあたるなとも思う。
となっており、必ずしも大声を出している訳ではないようですが、普通大声を出していなければ怒鳴るとは表現いたしません。
にもかかわらず元増田さんは一貫して怒鳴るという表現を使い続けますので、これを読まされた側は「大声を出さないように抑えようとはしているが、どうしてもイラついてしまいそれでもところどころでは少々声のボリュームは上がってしまう」程度の感じかな?
通常人間はある単語を使うに際して、その単語が一般的に大多数の人間の想起する意味だろうという想定に基づいて使用されるものですが、元増田さんの単語の使い方は元増田さんだけの独特な感覚に基づいており、他人と共有出来ていません。
元増田さんの文章を読んだ人間に仮にアンケートをとっても、元増田さんのおっしゃる"怒鳴る"の内実に対して読者が抱いたイメージは千差万別になることでしょう。
元増田さんは言語感覚にも難があると言わざるを得ません。この点も上司として求められる能力に欠けた点です。
もう一点、元増田さんは己の感覚を「氷河期世代に特有の傾向」だろうと分析しておりますが、この事に根拠らしきものがどこにもありません。
なぜそう分析したのか?仮にこの分析が妥当だとして、この文中に持ち込まれた意味はなんなのか?
元増田さんの中には何らかの必然性があるのでしょうが、読者にはさっぱり理解できません。
ですが、まあ想像することなら出来ます。あたっているかどうかはわかりませんが、おそらくこういうことでしょう?
『私(元増田さんのことです)は氷河期世代だということだけで、割に合わぬ苦労を重ねさせられて来た。仕事もまともに教えられたこともないし、わからないことがあれば全て独力で解決してきた、その中で嫌な思いもたくさんしたし、でもその御蔭でここまでやってこれた。
そんな自負を持って生きている自分の目から見れば、一体この目の前にいる仕事の出来ぬ部下のなんと甘えたことか?私の半分も苦労をしていないではないか?全くイライラして怒鳴らずにはいられないのも無理からぬことではないか?』
どうです?当たらずとも遠からずなのではないですか?
しかし、こんなことを元増田さんに寄って想像してあげるほど誰でも彼でも暇ではありませんし、これだってあっているかどうかもわかりません。
もし元増田さんが上述のようなことを主張したいのなら、こうやってきちんと言語化してくれなければ何も伝わりません。
元増田さんは自分の感情を言語化して他人に伝えるのが不得手である、これも言えそうです。
まとめます、3段落にわけてお伝えしてきましたが、言いたいことは一つです。
元増田さんは、他人とコミュニケーションを取るときには相手の立場に立った考え方をする必要がある、指導する立場であれば尚更そうである。ということを学ぶ機会に恵まれてこなかった、ということです。
いみじくもそれが元増田さんが日頃から指摘されている「元増田さんは出来ない人の気持ちがわからない」というクリシェの意味するところです。
このように問題は整理いたしましたので、この問題について元増田さんがどうなさるのかはどうぞご自身でお決めください。
転職なさるのか、今の職場を継続なさるのか、どちらでもお好きにして結構でしょう。
・氷河期世代で大変だった元増田さんへ「よく我武者羅に頑張って仕事を教える立場になりましたね、ご苦労なさったでしょう」
・自分の怒鳴りが問題かもしれないと危惧しながらも正当化したい元増田さんへ「元増田さんが苦労させられたのは過去のことなので、いまは上司としての自分にどう取り組めば最高の結果につながるかを考えてください」
・これから上司としての能力に欠けながらも仕事をしていく元増田さんへ「大変でしょうが今日まで頑張って来た貴方です、過ぎし日にそうしたようにまたゼロから上司としての能力を磨いてください、きっと出来るでしょう」
以上です、私の勝手な類推に依るところが大いにありますので、全く頓珍漢な回答と化している恐れも多分にありますが、その際はご容赦ください。
普通のカードが持てずデポジットカード持ち。家電の連続崩壊と言う事故があり、今月は限度額オーバー。
表題はぶっ壊れたスマホを買い換える際に、独自審査と言うことで使ったのだが、当初の説明では最初に全額の枠をおさえた上で、そこから分割金を差し引いていくと言う説明だった。
最初に枠をおさえられているので、分割代金は確実に担保されていて、後は追加で使って限度額がオーバーすれば弾かれる位に考えていた。
しかし実際は、毎月請求のタイミングで、一旦枠を解放して、その時点での残額で再度枠を取り直すことをしているらしい。何故そんなややこしいことをしているのかわからない。おさえた枠おさえっぱなしにしてればいいじゃんと思うが、そう言う仕組みだと言われれば引っ込むしかない。
結果、上限ギリギリまで使い込んでいるカードでは、他の決済で枠がおさえられ、分割代金分の枠がなくなってエラーとなった。
この枠ギリギリ問題は1ヶ月あれば解決するので、日本の金融機関なら当月分のみ現金ではらい、また来月移行カードでの分割払いする形で恐らく問題ない。
しかしそこは効率重視の米企業。1ヶ月分だけ現金で支払って、その後分割払いを継続することができない。選択肢として、別のカードを用意するか、分割プランをキャンセルしてスマホを返品するかの二択。
デビットカードは使えない。あくまで普通のカードのみだ。例え残額を一括払いできる現金があっても、打つ手がなにもない。
一応デポジットを増額し、枠を増やすことでギリギリ枠内に収めることが可能になりそうで、分割は継続できそうだが、先月臨時収入がなければスマホが無くなって、仕事もなくなって、無職一直線だったことだろう。
勿論、そもそもそんなにギリギリまでカードを使い込むなと言う話ではあるんだが、デポジットカード自体、そもそもスマホの分割用くらいにしか考えてなかったので、最低限の金額しかいれてないし、家電が立て続けに壊れる事故なんて想定しようがない。
なんでそんなサービス使うんだよと言う突っこみもあるかもしれないが、自己破産歴があって年収100以下の人間に、分割払いを許可してくれる日本の金融機関はない。格安SIMですら5分でNG出してくる。
僕は選挙権を得てからずっと野党に投票している(自民・維新に投票したことは無い)。
元文部事務次官「日本の有権者は愚か」に代表されるような、野党のコア支持層の「日本人が愚民だから野党が負けた」「日本はもう終わり」と言った投げやりな発言が目に余るので「ゆっくり日本が良くなっていけばいいじゃないか」という立場の自分の意見を書いてみた。
結論としては表題の通り、旧社会党のように野党は今後も、自民と比べてリベラル・平等主義的・革新的・外国に倣った先進的な政策を掲げ続けて戦い、そのような「リベラル政策」を掲げた野党が有権者の意識の変化とともに票を伸ばすのを見た自民党が野党の政策を取り込むかたちで徐々に日本が変わっていけば良いだろうと考えている。55年体制の歴史だな。
自民党が今回の選挙の前後で、「新自由主義からの脱却(分配の重視)」「夫婦別姓の検討」といった過去の政策からの転換を言い出した理由は、野党連合の出した争点を潰さないと選挙(今回だけでなく半年後の参院選も見据えて)で負けるという危機感からだろう。
同じように、野党は二度と政権交代できなくても、国民がどの程度リベラルな政策を求めるようになったかの変化のバロメーターとして存在し続ければ良い。
「夫婦別姓」や「同性婚」への強硬な反対派の多い定年退職した世代が10-20年後に亡くなれば、反対を続けることで得る票よりも逃げる票が多い(対抗馬の賛成派の野党候補に負ける)と当落線上の与党議員から先に「転向」を始めて、やがて与党内で賛成派が多数になるだろう。
僕の子供が結婚を考える20年後ぐらいには、「夫婦別姓」を選択できるようになってキャリア上の支障が減ったり、まだ幼いので性指向は分からないが仮に同性愛者だったとして「同性婚」ができるようになれば上出来、程度の長い目で物事を見れば良いのであって、一回の選挙ごときで日本に絶望したり日本人を呪う言葉を吐く必要など無い。
タイムラインに偶然いっしょに流れてきた二つの記事だけど、つながっているよな。
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◆「ファイナルファンタジー14」サイトで公開された禁止表現一覧が話題に 「すばらしい」「道徳の授業みたい」と称賛集まる(1/2 ページ) - ねとらぼ]
https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/2110/30/news060.html
◆バスケの育成年代を支配する年配指導者の横暴。「声をあげようにも、協会の中の方々なので、あげる場所もない…」 - 大人になってから学ぶサッカーの本質とは
https://keikun028.hatenadiary.jp/entry/report1
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表題に書いた伏せ字(「○○」)には、割と「ゲーム」って文字が入れられて槍玉にあげられることが多い。ここに「スポーツ」が入ることは稀だ。というか考えにくい。
テレビで見る日々の占いでは、ほぼ必ず「ラッキーアイテム」という項目があって、それを所持すると、その日は良いことがあるようである。
しかし、そんな様子をテレビで見ていて、表題のような疑問を感じることがある。
つまり、その占いが母体にする文化によっては、日本では認知度の無い「ラッキーアイテム」が登場したりするのだろうか、と。
「ラッキーアイテム」はおそらく、その占いで定められたアイテムリストから何らかの占術的方法で、あるひとつのものが抽出されるのだと推測するが、
そうだとすると、例えば、それが西洋発祥の占いだったら、「ラッキーアイテム」のリストも、その西洋に馴染みのある物品ばかりとなり、
占いの結果によっては、日本では認知度の無い「ラッキーアイテム」が登場したりするのだろうかと思うのである。
そうだとしたら、他文化を母体とする占いって日本で使えないんじゃ?と思うわけだが、しかし、前述のようなテレビで見る日々の占いでは、そのような事例を見たことがない。
そうでないとするなら、「ラッキーアイテム」はアイテム名としてではなく、その一文字ごとに、占術的方法の中で浮かんでくるものなのだろうか。
そうなると、上記のような占いが母体とする文化の違いは意識しなくてすむだろうが、言語の壁(アルファベットと日本語とか)が発生する。
というわけで、占いに対して私が持つ最大の疑問は、文化依存の文脈をどうやって異文化でフィットさせるかです。不思議だなぁ。
また、「ラッキーアイテム」の導出方法は、アイテムリストを使う場合、文字ひとつひとつが浮かぶ場合の2パターンを考えてみたが、
そもそも、占いでの「ラッキーアイテム」はどういう過程で導出されるのだろう?という点も気になる。
これが「ラッキーナンバー」であれば、0~9に対応したカード配置やら誕生日やらなどの1対1の規則性が、おそらく占術的方法のなかで定まっているものと推測するが、
「アイテム」については、無限と言ってよいほどの選択肢があるのだから、そのような規則性が定められない(先の「アイテムリスト」では、網羅性に欠ける)のではないだろうか?
トータルでは自慢話だと思ってもらっていい。
俺は割り合いモテる。
世間の平均がよくわからないが、10代後半から30半ばの現在まで、だいたい年に一回くらいは女性から告白されるので、まあモテる方だと思う。とりあえず、これが客観的な前提としてある。
好意を持たれると、そのことが感覚的になんとなくわかる。二人で話しているときの雰囲気とか、職場で俺が近くに行ったときの反応とか、飲み会のあとで送られてくるLINEとか、なんとなくそうなのかな、と思わせることがある。
半分客観的と言えるのはその後に実際告白されることがあるからで、半分主観なのはされない場合もあるからである。後者の場合は俺の勘違いも含むんだろう。
あと、「え、全然そんな素振りなかったよな?」という相手から告白されたことは一度もない。基本的に、好意は言葉にする前から相手に伝わっているものなんだろう。
俺もきっと伝わっている(いた)んだろうな、と思うと、けっこう恥ずかしい。俺は高校のときから同級生の女性のことが二十年近くずっと好きでいる。いまでも仲はそれなりにいいが、向こうから恋愛感情を向けられたことはない。上に書いたような理由で、それはなんとなくわかる。
ここからが問題なのだが、好意というか秋波というか、決まった恋人のいるはずの女性からこれが来て驚くことがある。
実際にそういう女性から告白されたこともあって、本来の相手は…と思う。告白の前にケリを付けてきたのか、俺の返事が良くなければ元のところに戻る想定なのか…。
というか、表題の『かけたりするものだろうか』という問いは実際に告白された経験があるのだからすでに答えが出ているのだが、どうも納得がいかない。
男性の貞操なんていうのはかなりいい加減であることを周囲の連中から深く理解しているので、チャンスがあれば、据え膳食わぬはなんとか(古い)的な行動が多いのはわかるが、女性の場合も同じ、というのが腑に落ちないのだ。
だいぶ昔に『げんしけん』を読んでいて班目が彼氏持ちの女性に迫られて「女こええ」という場面があり、そうか、女はこええのか、と思った。
しかし、どこまで行っても知識の域を出ないというか、自分自身がそういう体験をしても、まだ「ステディな恋人がいる女性でも別の男にモーションをかけたりするものだろうか」と、どうも得心のいかないところがある。