はてなキーワード: 表題とは
表題の通りです。
母親がよく恋愛をする人間だった。父親は何回も変わった。その中で一番長い父親からはずっと私はいないものとされていた。
母はホステスでとても美人だった。中森明菜みたいな感じ。実子ながら母が着物やドレスや普段着や何を着ても、髪型を変えても、口紅の色を変えてもどんな姿でもずっと見惚れてしまうほど美しいなと思っていた。
そのせいかバイセクシャルになり、若い頃の母とセックスする夢をいまだに何度も見る。
実父のことは何も知らないけど、私を一番長く育ててくれた血のつながっていない父は母を溺愛していた。
暴力団員で金も湯水のように注いでいたし、後から知ったが母が結婚する前の学生時代からずっと片想いしていたそうだった。
そんな重い愛を抱えていたせいか、母の遺伝子が半分入っていても、もう半分は別の男の遺伝子で出来ている私のことは道端のゲロを見るような目で見てきた。
その気持ちもわかります。金かけて育ててくれてありがとう。憎しみはありません。
バイのマザコンだったから、母にべっとりな私が本当に憎かったと思う。
運が悪いことに私の顔は実父にそっくりだった。母に似ていたらもう少し優しくしてくれたかな。
そんな感じでスタートした人生だったので、男性に関してはとても苦手でした。
実父にそっくりとはいえ、母は面食いだったため私の顔は整っていました。
そのせいか4歳から30歳の今日まで、多くの男性と女性から好意と悪意を向けられてきました。
誘拐未遂、性的暴行未遂、自慰を見せてくる同級生、盗撮、私物の盗難、私の写真へ射精した写真を下駄箱に入れられました。
30歳になってどうでもよくなって、向精神薬が一番効いてる時に勢い余って女性向け風俗を予約。
震えながら当日を迎えると、見目の整った同じ歳の男の子が控えめにホテルに入室してきました。
挨拶をして、様子のおかしい私を気遣って「横に座って大丈夫ですか?」と聞いてくれました。
頷くとそのまま震える手をゆっくり撫でて、背中も撫でてくれました。
そのまましばらく泣いて、謝って、ありがとうと伝えました。
大丈夫だよ、大丈夫だよと私の息が整うまでただ撫でてくれました。
接客時間の終了までそのまま、手と背に手を置いてくれて暖かくて嬉しかったです。
お金を払えば怖いこともされないで、優しさを買えるんだと思いました。
でもまたその彼を予約して、今はキスまで出来るようになりました。
まあそんなことはどうでもいいです。
外食中などで他人の会話が耳に入ってくると時たまタイトルみたいなことを言う人がいるのね。
流れ的に男女のあれこれの女性のグチがやや多めのアレ。あと男グループで温和な人をチョイ弄る系で出たりする。
世の中には在野の賢人がたくさん居るのだなあと独り言ちるんだけど、居ない。我の周りに聖人君子皆無。見かけるよ。レッドリストにな。
我の基準がチョモランマ?そもさん聖人君子とはなんぞや。知らんがな。他人からの評価だろうからな。一人一派では詰みである。あ、それと現代でよ?現代。昔の徳なんて上流階級の独占禁止法ガン無視じゃろ?この腐敗した世界のスタンドでアローンな現代に堕とされてなお徳詰みタワーバトルが上手い人とはなんぞやとくどくど知りたいわけよ。
それでも標本を集めて比較すれば何かが見えてくるかもしれない。世界に散らばる聖人君子の条件を広く集めてGet and 評価。神龍出てきてこんにちは。ぼっちゃん願いをかなえましょう。聖人君子ってどんな人か教えておじいさん。それはね、そんなことを聞かない人よ。
するかーい!そんな面倒なことするかーい!
日本にあまた居るタレントどもよ。我が家のTVの前に聖人君子を映したまへ。
大食いオカマアスリートに霊能力者。なんでもござれの芸能界から聖人君子キャラのタレントを鮮烈デビューさせたまへ。ASAP!
何?芸能界は汚れきっててタレントとして成立しない?ふーむ水濁れば聖人君子棲まず、というわけだね?ねーよそんな言葉!まだねーよ!俺が作るんだよ!
しかもアレだよ。表題が真とするならばタレントとして売れる要素がないじゃないか。TVに居ないことがつらまいことの証明だ?えーい中学校からやりなおせーい。もう中学生だと?お前はおっさんじゃーい!
はぁ、はぁ。うん、タレントはないね。アイドルにしようぜ。聖人君子9×4とかで36人グループ。いろいろ見れていいじゃない。聖人君子だから握手会も好評。偶像崇拝に最適です。おひとついかがです?
とにかくおりゃーよぉ、聖人君子を目にしてよぉ、この人はなんて聖人君子なんだぁ!!っつー清冽な感情を励起されたいワケよ?おわかりびあん?
つまらなくても良い。聖人君子だと思わせることが大事。そんな聖人君子にのびのびと育ってほしい。そして我が家に存在しない恩を返しに来てほしい。給付型聖人君子。
巷のごく一部で話題の「アイの歌声を聴かせて」を見たので、表題の件について、私の狭い観測範囲(vivyとか見れていません)の中で例を挙げて書いてみる。ネタバレアリなので注意をお願いします。
他にもこういうのは良かった悪かったというものがあれば教えてもらえるとありがたいです。
テクノロジー描写についてはよく出来てたと思うが終盤は感動で押し切っちゃえ!感がどうにも否めない。2回目見ると1回目感動したところでこれいいのか…?となる描写がちらほら。
アイが最終的に衛星からネットワークにつながったありとあらゆる機械を操作し放題オチとシンギュラリティ疑惑でこれを思い出した。
ぶっちゃけコロナの影響という言い訳をしたところで話そのものが途中からガッタガタなのであまり良い例とも言えない気もするが見た人も多いと思うので書く。
とにかくAIがやる必要のない仕事ばかりやっている点が目に付く。
AIがトレンドだし出してみるかみたいなノリ以上のものではない。AIはマスコットキャラクターになっているのも正直センスが古い
昔からAIと人間の交流でドラマを作るといった話はよく出ているが、昔と今とで違うのは「ラーニング」といった要素が取り込まれている点だと思います。
ロボティクスとAIをごっちゃにしがちなのは今も変わりませんね。ここをきちんと分けるにはネットワークのお勉強も必要だし何より直感的にわかりにくい、人を選ぶ内容になるので仕方ないところもあると思いますが。
夜画帳。
1990年代のエロゲを彷彿とさせるセックス&バイオレンスの濃厚なBLだ。
いつもコミカルなレビューを書いてるBL増田はこれを読んでどう思っただろうか。
見つけられない。
まだ書いてないのなら一話だけでもいいので読んでみてレビュー書いてみてくれないか。
読みたくない書きたくないなら無視よろ
私は「風と共に去りぬ」のファンですが、ルックバックと比較するのはやりすぎだと思います。あなたは風と共に去りぬを読んだことがあるのでしょうか?
作者であるマーガレット・ミッチェルは南北戦争時代の南部の思想に強く影響を受けています。
この作品では奴隷制を肯定し、黒人達は奴隷として幸せに暮らしていたと主張しています。4人の主人公のうち2人はKKKのメンバーで、黒人村の焼き討ちをおこないます。 当然KKK側が正義として描写されています。
表題の「風と共に去りぬ」とは、風のように去った美しい南部時代のことです。作品の多くのページが「美しき良き南部時代」「南部人から見た南北戦争」に割かれています。世間のイメージとは違って恋愛の部分はそれほど多くはないです。
例えばルックバックが「ロボトミー手術はただしかった」と主張する作品ならば風と共に去りぬと同様の問題を抱えているといえますが、そのような作品ではありませんよね。
それに私は「風と共に去りぬ」も規制しないでほしいと考えています。個人的には、当時の南部人やKKKメンバーの思想が垣間見えて興味深く感じています。
この作品を読んで「奴隷制は正しかった」と考える人はまずいないでしょうし、もしそのような人が存在するとするならばそれは教育で解決すべきではないかと考えています。
正確に言えば表題の組織やヒトは過去を見ても助けたことがないということ
過去のデータとかフェミニストの活動、主なツイフェミのツイート、国会の証言を見ても
そういった児童を搾取するような輩を防ぐ活動が一切見当たらない
多少「おっ?」っと思っても非実在児童についてのものばかりで実在児童に関してはなしのつぶて
本当に誰も手を付けてないのでインスタやツイッター、Tiktok、ツイキャスなどの配信サイトは無法地帯だよ
・裏垢でみだりに肌を晒す
・オフで会ってついて行ったら無理矢理ヤられる
・好きな配信者に妄信し、認知してもらえてると錯覚しDMで呼び出されデートしてヤられる
にもかかわらず、そういった被害を見もせず、明後日の方向をむいて叩きやすい非実在児童だけ叩きまくっている
もう何にも信用ならん
二か月に一度、部長クラスとの面談があるのだが正直に言えば苦痛でしょうがない
そういう人は多分仕事ができて、仕事をまじめに取り組んでいる人なんだろう。
私は仕事ができなくて、仕事を適当にこなしているから話すことが苦痛なのである。
ノルマは(おおむね)こなしている。
ただそれだけで、仕事に将来性を感じているわけではないし、周りに頑張っている人が多いからいつも気が引けている
つまりは原因が私にあるのだが、やる気はどうしてもあがらないのである。
給料も上がる気配ないといったらいい訳だろうか
お答え申し上げます。
ブコメでもすでに指摘されているように、現在元増田さんには上司として必要な能力に欠けているというのが結論になるだろうと思います。
ですが、それだけだと具体的に何がどう欠けているのかがおわかりにならないだろうと思い、100字ではとてもしたためられないため、このようにトラバで記しましたので、しばしお付き合いください。
まず元増田さんは「会社で怒鳴ってしまう自分は間違っていないと思うのですがどうですか?」と質問をしているわけですが、第三者がその是非を判断する場合最低限必要になる情報があります。
部下はどんな人間なのか、周囲の部下の評価はどんなものか(元増田さんの部下の評価との間に乖離はないか)、部下に施した教育はどんな仕方なのか、部下に与えたタスクの難度はどの程度か、部下は勤続何年目なのか、貴方は勤続何年目なのか、部下と貴方の歳の差はどの程度なのか、貴方の部下に対する叱責的な態度は職場で問題視されているのかいないのか、等々、そういった物事の輪郭がわからなければ、貴方の怒鳴ってしまう態度の是非なんて、どうして判断出来るでしょうか?
元増田さんの相談の中にはそういった客観的に物事を判断する為に必要な情報がなく、仕事の出来ない部下を前にして自分が感じた事柄が極めて主観的に書き連ねられているだけです。
他人と自分の持ち合わせている情報量がどの程度違うのか、自分の脳内にある事物を伝える為に何と何と何が必要になるのかを思考する能力に欠けている、煎じ詰めれば「説明力」がない。
そのことがご相談を読むだけで伝わって来ます。この調子で上司として部下に指導をしているのなら受けるほうはさぞ想像力を働かせねばならず、大変だろうなとも。
元増田さんは表題から「怒鳴る」という強い言葉を使っていますね、今時分職場で上司が部下に怒鳴った時点でどの様なあらましがあってもアウトだろうというのが衆目の一致するところと思いますが、しかし文中では、
自分は会社でよく怒鳴る。怒鳴ると言っても大声を出して威圧するわけでなく、その人ができていないこととなぜできていないのかを詰めるような言い方をしている。
ただ冷静に詰めているようで自分の中では実際はピキッときており、完全に怒鳴りだと感じている。大声で叫びたくなる怒鳴りを無理矢理抑制して言っているため、これはきっとパワハラ・ロジハラにあたるなとも思う。
となっており、必ずしも大声を出している訳ではないようですが、普通大声を出していなければ怒鳴るとは表現いたしません。
にもかかわらず元増田さんは一貫して怒鳴るという表現を使い続けますので、これを読まされた側は「大声を出さないように抑えようとはしているが、どうしてもイラついてしまいそれでもところどころでは少々声のボリュームは上がってしまう」程度の感じかな?
通常人間はある単語を使うに際して、その単語が一般的に大多数の人間の想起する意味だろうという想定に基づいて使用されるものですが、元増田さんの単語の使い方は元増田さんだけの独特な感覚に基づいており、他人と共有出来ていません。
元増田さんの文章を読んだ人間に仮にアンケートをとっても、元増田さんのおっしゃる"怒鳴る"の内実に対して読者が抱いたイメージは千差万別になることでしょう。
元増田さんは言語感覚にも難があると言わざるを得ません。この点も上司として求められる能力に欠けた点です。
もう一点、元増田さんは己の感覚を「氷河期世代に特有の傾向」だろうと分析しておりますが、この事に根拠らしきものがどこにもありません。
なぜそう分析したのか?仮にこの分析が妥当だとして、この文中に持ち込まれた意味はなんなのか?
元増田さんの中には何らかの必然性があるのでしょうが、読者にはさっぱり理解できません。
ですが、まあ想像することなら出来ます。あたっているかどうかはわかりませんが、おそらくこういうことでしょう?
『私(元増田さんのことです)は氷河期世代だということだけで、割に合わぬ苦労を重ねさせられて来た。仕事もまともに教えられたこともないし、わからないことがあれば全て独力で解決してきた、その中で嫌な思いもたくさんしたし、でもその御蔭でここまでやってこれた。
そんな自負を持って生きている自分の目から見れば、一体この目の前にいる仕事の出来ぬ部下のなんと甘えたことか?私の半分も苦労をしていないではないか?全くイライラして怒鳴らずにはいられないのも無理からぬことではないか?』
どうです?当たらずとも遠からずなのではないですか?
しかし、こんなことを元増田さんに寄って想像してあげるほど誰でも彼でも暇ではありませんし、これだってあっているかどうかもわかりません。
もし元増田さんが上述のようなことを主張したいのなら、こうやってきちんと言語化してくれなければ何も伝わりません。
元増田さんは自分の感情を言語化して他人に伝えるのが不得手である、これも言えそうです。
まとめます、3段落にわけてお伝えしてきましたが、言いたいことは一つです。
元増田さんは、他人とコミュニケーションを取るときには相手の立場に立った考え方をする必要がある、指導する立場であれば尚更そうである。ということを学ぶ機会に恵まれてこなかった、ということです。
いみじくもそれが元増田さんが日頃から指摘されている「元増田さんは出来ない人の気持ちがわからない」というクリシェの意味するところです。
このように問題は整理いたしましたので、この問題について元増田さんがどうなさるのかはどうぞご自身でお決めください。
転職なさるのか、今の職場を継続なさるのか、どちらでもお好きにして結構でしょう。
・氷河期世代で大変だった元増田さんへ「よく我武者羅に頑張って仕事を教える立場になりましたね、ご苦労なさったでしょう」
・自分の怒鳴りが問題かもしれないと危惧しながらも正当化したい元増田さんへ「元増田さんが苦労させられたのは過去のことなので、いまは上司としての自分にどう取り組めば最高の結果につながるかを考えてください」
・これから上司としての能力に欠けながらも仕事をしていく元増田さんへ「大変でしょうが今日まで頑張って来た貴方です、過ぎし日にそうしたようにまたゼロから上司としての能力を磨いてください、きっと出来るでしょう」
以上です、私の勝手な類推に依るところが大いにありますので、全く頓珍漢な回答と化している恐れも多分にありますが、その際はご容赦ください。
普通のカードが持てずデポジットカード持ち。家電の連続崩壊と言う事故があり、今月は限度額オーバー。
表題はぶっ壊れたスマホを買い換える際に、独自審査と言うことで使ったのだが、当初の説明では最初に全額の枠をおさえた上で、そこから分割金を差し引いていくと言う説明だった。
最初に枠をおさえられているので、分割代金は確実に担保されていて、後は追加で使って限度額がオーバーすれば弾かれる位に考えていた。
しかし実際は、毎月請求のタイミングで、一旦枠を解放して、その時点での残額で再度枠を取り直すことをしているらしい。何故そんなややこしいことをしているのかわからない。おさえた枠おさえっぱなしにしてればいいじゃんと思うが、そう言う仕組みだと言われれば引っ込むしかない。
結果、上限ギリギリまで使い込んでいるカードでは、他の決済で枠がおさえられ、分割代金分の枠がなくなってエラーとなった。
この枠ギリギリ問題は1ヶ月あれば解決するので、日本の金融機関なら当月分のみ現金ではらい、また来月移行カードでの分割払いする形で恐らく問題ない。
しかしそこは効率重視の米企業。1ヶ月分だけ現金で支払って、その後分割払いを継続することができない。選択肢として、別のカードを用意するか、分割プランをキャンセルしてスマホを返品するかの二択。
デビットカードは使えない。あくまで普通のカードのみだ。例え残額を一括払いできる現金があっても、打つ手がなにもない。
一応デポジットを増額し、枠を増やすことでギリギリ枠内に収めることが可能になりそうで、分割は継続できそうだが、先月臨時収入がなければスマホが無くなって、仕事もなくなって、無職一直線だったことだろう。
勿論、そもそもそんなにギリギリまでカードを使い込むなと言う話ではあるんだが、デポジットカード自体、そもそもスマホの分割用くらいにしか考えてなかったので、最低限の金額しかいれてないし、家電が立て続けに壊れる事故なんて想定しようがない。
なんでそんなサービス使うんだよと言う突っこみもあるかもしれないが、自己破産歴があって年収100以下の人間に、分割払いを許可してくれる日本の金融機関はない。格安SIMですら5分でNG出してくる。
僕は選挙権を得てからずっと野党に投票している(自民・維新に投票したことは無い)。
元文部事務次官「日本の有権者は愚か」に代表されるような、野党のコア支持層の「日本人が愚民だから野党が負けた」「日本はもう終わり」と言った投げやりな発言が目に余るので「ゆっくり日本が良くなっていけばいいじゃないか」という立場の自分の意見を書いてみた。
結論としては表題の通り、旧社会党のように野党は今後も、自民と比べてリベラル・平等主義的・革新的・外国に倣った先進的な政策を掲げ続けて戦い、そのような「リベラル政策」を掲げた野党が有権者の意識の変化とともに票を伸ばすのを見た自民党が野党の政策を取り込むかたちで徐々に日本が変わっていけば良いだろうと考えている。55年体制の歴史だな。
自民党が今回の選挙の前後で、「新自由主義からの脱却(分配の重視)」「夫婦別姓の検討」といった過去の政策からの転換を言い出した理由は、野党連合の出した争点を潰さないと選挙(今回だけでなく半年後の参院選も見据えて)で負けるという危機感からだろう。
同じように、野党は二度と政権交代できなくても、国民がどの程度リベラルな政策を求めるようになったかの変化のバロメーターとして存在し続ければ良い。
「夫婦別姓」や「同性婚」への強硬な反対派の多い定年退職した世代が10-20年後に亡くなれば、反対を続けることで得る票よりも逃げる票が多い(対抗馬の賛成派の野党候補に負ける)と当落線上の与党議員から先に「転向」を始めて、やがて与党内で賛成派が多数になるだろう。
僕の子供が結婚を考える20年後ぐらいには、「夫婦別姓」を選択できるようになってキャリア上の支障が減ったり、まだ幼いので性指向は分からないが仮に同性愛者だったとして「同性婚」ができるようになれば上出来、程度の長い目で物事を見れば良いのであって、一回の選挙ごときで日本に絶望したり日本人を呪う言葉を吐く必要など無い。
タイムラインに偶然いっしょに流れてきた二つの記事だけど、つながっているよな。
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◆「ファイナルファンタジー14」サイトで公開された禁止表現一覧が話題に 「すばらしい」「道徳の授業みたい」と称賛集まる(1/2 ページ) - ねとらぼ]
https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/2110/30/news060.html
◆バスケの育成年代を支配する年配指導者の横暴。「声をあげようにも、協会の中の方々なので、あげる場所もない…」 - 大人になってから学ぶサッカーの本質とは
https://keikun028.hatenadiary.jp/entry/report1
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表題に書いた伏せ字(「○○」)には、割と「ゲーム」って文字が入れられて槍玉にあげられることが多い。ここに「スポーツ」が入ることは稀だ。というか考えにくい。
テレビで見る日々の占いでは、ほぼ必ず「ラッキーアイテム」という項目があって、それを所持すると、その日は良いことがあるようである。
しかし、そんな様子をテレビで見ていて、表題のような疑問を感じることがある。
つまり、その占いが母体にする文化によっては、日本では認知度の無い「ラッキーアイテム」が登場したりするのだろうか、と。
「ラッキーアイテム」はおそらく、その占いで定められたアイテムリストから何らかの占術的方法で、あるひとつのものが抽出されるのだと推測するが、
そうだとすると、例えば、それが西洋発祥の占いだったら、「ラッキーアイテム」のリストも、その西洋に馴染みのある物品ばかりとなり、
占いの結果によっては、日本では認知度の無い「ラッキーアイテム」が登場したりするのだろうかと思うのである。
そうだとしたら、他文化を母体とする占いって日本で使えないんじゃ?と思うわけだが、しかし、前述のようなテレビで見る日々の占いでは、そのような事例を見たことがない。
そうでないとするなら、「ラッキーアイテム」はアイテム名としてではなく、その一文字ごとに、占術的方法の中で浮かんでくるものなのだろうか。
そうなると、上記のような占いが母体とする文化の違いは意識しなくてすむだろうが、言語の壁(アルファベットと日本語とか)が発生する。
というわけで、占いに対して私が持つ最大の疑問は、文化依存の文脈をどうやって異文化でフィットさせるかです。不思議だなぁ。
また、「ラッキーアイテム」の導出方法は、アイテムリストを使う場合、文字ひとつひとつが浮かぶ場合の2パターンを考えてみたが、
そもそも、占いでの「ラッキーアイテム」はどういう過程で導出されるのだろう?という点も気になる。
これが「ラッキーナンバー」であれば、0~9に対応したカード配置やら誕生日やらなどの1対1の規則性が、おそらく占術的方法のなかで定まっているものと推測するが、
「アイテム」については、無限と言ってよいほどの選択肢があるのだから、そのような規則性が定められない(先の「アイテムリスト」では、網羅性に欠ける)のではないだろうか?
トータルでは自慢話だと思ってもらっていい。
俺は割り合いモテる。
世間の平均がよくわからないが、10代後半から30半ばの現在まで、だいたい年に一回くらいは女性から告白されるので、まあモテる方だと思う。とりあえず、これが客観的な前提としてある。
好意を持たれると、そのことが感覚的になんとなくわかる。二人で話しているときの雰囲気とか、職場で俺が近くに行ったときの反応とか、飲み会のあとで送られてくるLINEとか、なんとなくそうなのかな、と思わせることがある。
半分客観的と言えるのはその後に実際告白されることがあるからで、半分主観なのはされない場合もあるからである。後者の場合は俺の勘違いも含むんだろう。
あと、「え、全然そんな素振りなかったよな?」という相手から告白されたことは一度もない。基本的に、好意は言葉にする前から相手に伝わっているものなんだろう。
俺もきっと伝わっている(いた)んだろうな、と思うと、けっこう恥ずかしい。俺は高校のときから同級生の女性のことが二十年近くずっと好きでいる。いまでも仲はそれなりにいいが、向こうから恋愛感情を向けられたことはない。上に書いたような理由で、それはなんとなくわかる。
ここからが問題なのだが、好意というか秋波というか、決まった恋人のいるはずの女性からこれが来て驚くことがある。
実際にそういう女性から告白されたこともあって、本来の相手は…と思う。告白の前にケリを付けてきたのか、俺の返事が良くなければ元のところに戻る想定なのか…。
というか、表題の『かけたりするものだろうか』という問いは実際に告白された経験があるのだからすでに答えが出ているのだが、どうも納得がいかない。
男性の貞操なんていうのはかなりいい加減であることを周囲の連中から深く理解しているので、チャンスがあれば、据え膳食わぬはなんとか(古い)的な行動が多いのはわかるが、女性の場合も同じ、というのが腑に落ちないのだ。
だいぶ昔に『げんしけん』を読んでいて班目が彼氏持ちの女性に迫られて「女こええ」という場面があり、そうか、女はこええのか、と思った。
しかし、どこまで行っても知識の域を出ないというか、自分自身がそういう体験をしても、まだ「ステディな恋人がいる女性でも別の男にモーションをかけたりするものだろうか」と、どうも得心のいかないところがある。
twitterで話題になっていた例の高専プロコンの審査員の発言と態度の件
「言い方が悪かったのは明らかだが、発言の主旨は正しくて、これはハラスメントと言うほどではない」というような旨の発言をしていて意外だった。
なんとなく読み解くと、「態度と内容は直交している」というような発言もあったので、表題を思いついた。
ハラスメントを定義するためにハラスメントの程度を表すハラスメント度を考えてみる。
ある発言に対してハラスメント度を算出する関数を考えるとする。
この前提のもとにハラスメントであるとはハラスメント度が一定の閾値を超えた発言の事である。と言えそうな気がする。
とすると上の発言を正当化するにはハラスメント度は態度と内容の線形和で表せて、
件の発言は態度としてはアウトだけど正しさを足してみるとトータルハラスメント度としてはセーフという理屈に(発言者にとっては)なるのではないか。
でもその主張(ハラスメントではなかった)に異議を申し立てる人としては、正しさによって下がるハラスメント度はそんなに大きくなくて、「これはハラスメントでしょ」と言ってるように見える。
なんならハラスメント度と内容(正しさ)は直交していると言いたげなぐらいの人も居そう。つまり人それぞれに独自の係数を持っている。
ここからは個人の意見だけど、線形和で書いていくとしたら緊急性とか公益性とかとかも入りそうだなあと思った。
例えば何か工事現場のようなところで大きなものが倒れてくる時に、人間うっかり手で支えようとしたりしちゃう習性がありそばで見てる人が「馬鹿野郎!逃げろ!」みたいな事は割と現実にある気がするけど、これをハラスメントと言うことはそんなにない。
緊急性がめちゃめちゃに高く、内容としても正しいので態度を凌駕してハラスメント度が上がらないのである。
リアルタイム性のある仕事って割と傍から見ると怒号が飛びがちなイメージもあり、そういうもんかなと思う。
あと公益性を思いついたのは名誉棄損罪みたいなものの例でも良いし、あるいは感覚的な「ここで放っておくと冗長する」から「怒る/叱ることが必要」という主張をしてる人たちを正当化しそうなパラメーターだなと思ったからだ。
それでいて個々人の差が大きそうなパラメーターでもあると思う。
最初の例の人も言外にそんなニュアンスを感じたので、コミュニティに貢献するタイプはむしろこういう使命感が高めだったりするんだろうか。
ハラスメント度を表す線形和に組み入れたい要素、ほかに何か思いついたら教えてください。
「双方の合意」みたいなのは客観性が薄いのと、一方だけが合意してると勘違いしてるパターンが多そうなので(それが割とハラスメントの本質っぽくもある)別次元かなあと思っています。
最近の表現の自由戦士は表題を持論とする人が増えてきているようだ。今日もそういうブコメにスターが多く付いているのを目にした。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4709467576634225442/comment/yujimi-daifuku-2222
中国における言論統制が表現の自由を侵害していることに異論はないが、報道規制より先に漫画アニメゲームの規制が始まるという言説は明らかに間違いだ。
中国で報道規制が始まったのは少なく見積もっても30年以上前、漫画・アニメが標的になったのは10年くらい前、ゲームはここ数年のことだ。
中国における報道規制は天安門事件(1989年)後に始まる。中国のテレビで例の戦車の前に人が立ちはだかる映像を流せなくなったのは最近始まったことではなく、当時からずっとである。
もっとも、誰の目にも明らかになったのが天安門事件後というだけでその前から諸々の前兆はあった。
たとえば日本マスコミが中国に駐在する条件を定めた日中記者交換協定は1964年に始めて取り交わされたものだが、1968年に下記の要件が追加された(外務省が合意した内容をマスコミは順守する義務を負った)。
中国に批判的な報道をするな、香港や台湾は中国の一部だといった内容である。
これらの取り決めを順守しなかった産経新聞は中国から追放され1990年代まで支社を置くことができなかった。
こうしたことから50年以上前から報道規制が存在したと言うこともできるだろう。
当初は市場規模が小さかったためさほど問題視されていなかったが、2010年代になると日本人にとっては理不尽な理由で規制が行われるようになる。
たとえば下記の記事のような内容だ。
https://www.reuters.com/article/idJP00093300_20150504_00420150504
おそらくこちらも大手メディアで扱われるようになったのが2010年代というだけで、その前から様々な軋轢はあっただろう。
しかし報道規制が始まった時期とは明らかに時間軸にずれがある。
2018年に新規IP審査停止、モンハン販売停止の騒動を経て2019年にプレイ時間や課金制限の法制化、2020年からはテンセントを狙い撃ちにした規制などが始まる。
2000年代からネットゲーム廃人の問題は取り沙汰されていたようだが、具体的な規制が始まったのは2010年代と見ていいだろう。
たぶん「そりゃ漫画アニメゲームは1980年代に中国に入ってきていなかっただろうし後から規制されるのは当然では?」という感想を持つ人がいると思う。
自分もそう思うのだが「漫画アニメゲームへの規制の方が報道規制より先に行われる」と主張する表現の自由戦士がいるのでこの記事を書いた。
当たり前のことが嘘で上書きされるのが嫌なので。
そもそもなぜ習近平が表現の自由を制限しようとするかというと、表現の自由が自分の権力を不安定にするからだ。
もし今後マスコミより激しく漫画やゲームで中国共産党や習近平に対する批判が行われるようになるならオタクコンテンツ規制が報道規制より先行する時代が来るかもしれないが、過去にそのようなことはなかった。
日本には表現の自由があるので嘘をつく自由も間違った意見を訂正しない自由もあるが、それを良いことにデマをばら撒くのはやめてほしい。
表題の事例で思い浮かべるのが、元・漫画家の「豊島ゆ〜さく」である。"元"と付けたのは、現実の豊島は、もう漫画を描いていないからである。同人誌活動も含めて、おそらく十年以上は描いていない。昔はアニメ雑誌でアフレコ現場レポート漫画とか描いていたが、そんな仕事も今はしていないようである。
豊島には、昔日曜日の朝に放送していた某魔法少女アニメのエロ同人漫画を描いていたという過去がある。そんな自分のことを棚に上げて豊島は、若いアニメファンを「性欲に踊らされている」として、ネット上で口汚く罵り続けている。
豊島の拠点は、自分が管理しているネット掲示板である。そこで長年に渡って「馬鹿な若年オタクとは違い、自分は物が分かっている!今日のダメなアニメ作品に対して意見することは、自分の務めである!」と堅く信じて、アニメの感想を書き連ね続けている。しかし、掲示板と言っても書き込みは認証制なので、実質、豊島の独演会状態である。と学会の山本弘が独善的に「昔のオタクは物が分かっていた!今の若いオタクはなっていない!」とやっていたが、あれを1億倍ぐらい酷くしたような感じである。
漫画家でアニメ評論活動に熱心といえば、あさりよしとおが有名であるが、実は豊島は初期のあさり作品にアシスタントとして参加していた経験もある。つまり、そういう年齢である。一方のあさりよしとおが漫画家として現役であるのに対して、現在の豊島は漫画家としての活動実績ゼロである。
元々、高齢オタクにありがちな、癖の強い口調・文体ではあったが、現在のようなレベルで口汚くなった時期は、ちょうど豊島の漫画家としての活動実績が消失した頃と符合する。
漫画家といっても十人十色だ。誰もが売れっ子になり、プロとして飯を食え続ける訳ではない。プロとしての目立つ表舞台からは消えても、同人誌やネット上でコツコツと創作活動を続ける人たちもいる。あるいは、筆を折って、漫画以外の仕事で第二の人生を地道に堅実に歩む人たちもいる。こういう人たちには、敬意を払うべきである。しかし、豊島は該当しない。
漫画家として芽が出なかった現実から逃げるために、若年オタクと自分は違うのだと信じたいがために、若年オタクを口汚く罵る豊島ゆ〜さく。ネットで若年オタク叩きに勤しむ人間を見ていると、そんな豊島と大同小異の「現実が上手くいっていない高齢オタク」が現実逃避をしている姿を思い浮かべる。自分は、あいつらとは違うのだ、と。
10年前くらいに亡くなってる。
故人の思い出は美化されると言うのが定説だが、表題の理由でどんどんと印象が悪化している。
例えば今日見た夢はこうだ。
「新しいパソコン(20万くらい)を買って、うきうきして家に帰ったらひどく不機嫌な母がいる。そしてまた金と無駄遣いした。早く売れと責め立ててくる」
だいたいこんな内容だ。
母は無趣味な人間だった。正確に言えば趣味にお金をかけるのをよく思わない人だった。漫画一冊買っても機嫌を損ねるようなタイプだった。
それは若い頃にひどくお金に苦労したと言うところから来ているかも知れないが、少なくとも母の前で「無駄な出費」を匂わせることはご法度だった。
母が出てくる夢はそうやって「好きで買ったものを否定される」か「稼ぎの少ないことを責められる」夢に二分される。
やや過干渉の毒親気味だったが虐待とかを受けていた訳ではない。いい思い出だってある。それに亡くなって10年以上経っている訳だからいい加減囚われたくもないのだが、夢に出る度げんなりする。
せめていい思い出だけを見せてくれ。
色んな世代の人と話す機会があるんだけど、特に若い人はかなり高い確率で眞子さまの結婚を祝福している。
もちろん観測範囲内の話なので、これは「男の子が恐竜が好き」みたいな話だと思ってほしい。恐竜が好きでない男の子もいるし、恐竜が好きな女の子もいる。
若者は「さとり」なんて言われるように、政治的な事にあまり熱心ではない。
関心がないというよりは、大人、特に政治を主導するような中高年の事をそもそもあまり信用しておらず、旧時代的な野蛮人だとでも思っている節があるのだろうか。
政治がなにかおかしなことになっていたり、ベテランの人が炎上したときの態度は、「まあ、大人が言うようなことなんて全部変でしょ」みたいな感じだ。
今の偉い人たちが死ぬまでじっと待つ必要があってそれからが自分たちの社会だ、という様子にも見える。
対して、烈火の如く怒りだすのが40代以上のおじさん・おばさんである。
特に今の40歳周辺の人物は、なまじネットの使い方にも長けていたり、氷河期時代の犠牲者でもあるので、とにかく政治不信が強い。
50代以上になるとパソコンやスマートフォンは少しとっつきにくい若者の機械として認識する人が徐々に増えるが(特に働いていない専業主婦)、3、40代ぐらいだとむしろネット黎明期に詳しいような人も多く、仕事で当たり前に使ってもいる。
若者と同様に大人(高齢者)を信じてはいないのだが、若者が他人事としてある程度距離を置こうとするのに対して、この世代は直接的な行動を伴う。
どっちがいいという話ではないのだが、このような態度の違いと言うのは確実にある。
表題の眞子さまの結婚の件に戻るが、これに反対しているのは自身の観測範囲では殆どおばさんであった。
若者のほとんどは、やはりこういった上の出来事をあまり自分事には捉えない傾向にある。
何人かと話したが、「1億円支払われるっていっても別に1人1円でしょ?1億円の税金とかちょっと道路工事したらなくなりそう」という1億円の価値がいかに低いかについて語る者もいれば、
結婚そのものの価値観が自由であるべきと考えていて、本人たちが望んでいるならどのような結婚でも祝福されるべきとか、他人に咎められる必要はないという発想の者もいた。これは昨今の同性婚の流れなどに敏感というのもあるのだろう。
払った税金の総額が積み重なっている事や、またその殆どが既婚者であることから結婚というものの障害も肌にしみて気になるのだろう。
また「皇室の品格」や「血税」というワードを良く使用するのもこの年代だ。他人の結婚に対して熱烈な興味があるというのもこの年代の特徴なのかもしれない。
ちなみにではおばさんではなくおじさんたちは何をしているかというと、この話自体にあんまり関心がなさそうに見える。
誰が結婚した、離婚したみたいなニュース自体にあまり興味が無いのかもしれない。「はじめは関心があったがもうさっさとこの話終わりにしてくれ、いい加減うざったいな」みたいな態度の人が多かった。
小室氏が天皇家に加わる訳でもなければ一時金も辞退しそうなので、もう他人事というかどうでもいいのだろう。
あとは男性視点から見た時に、皇族との結婚は少しばかり夢のある話なのかもしれないと感じるシーンも多かった。
男性としてわずかにある小室氏への親近感や共感のようなものが、この話に積極的に批判を浴びせたがらない原因なのかもしれない。
もちろん観測範囲内の話なので、これは「男の子が恐竜が好き」みたいな話だと思ってほしい。恐竜が好きでない男の子もいるし、恐竜が好きな女の子もいる。
お互い財布は別で生活費折半の都内DINKS30歳と35歳の夫婦です。
若い頃にモデルの仕事をやったり、広告になったりする程度には顔とスタイルが良く、スポーツが趣味なので本体に問題はないと思う。
髭も脱毛して、眉毛サロンにも、美容皮膚科にも通っていて美容に関心もあるみたい。
なぜ服と靴と鞄だけ、擦り切れて壊れるまで使い倒すのか。
今彼が履いているナイキの2万円のスニーカーは5年前に買ったもので、先端は敗れており靴底が二度はがれ、アロンアルファでくっつけてまでまだ履いてる。
GUで300円で買ったうっすうすの白Tを2年着ている。当然小さな穴がたくさん空いている。
平成のお兄系が着ていたような3000円のロングカーディガンを3年着ている。当然毛玉だらけだし、今時秋葉原の気合入ったオタクでももう少しまともなものを選ぶと思う。
靴や鞄は誕生日に自分が選んで5万前後のものをプレゼントしているが、それは「高くてもったいない」のでタンスの肥やしになっている。
むしろブランドものとか身につけるの見栄はっているみたいで嫌なんだと。
昔は物を大事にする人なんだな♡なんて思っていたが、最近は隣を歩くのが恥ずかしい。
上記の服装で有楽町や丸の内でディナーに行くと浮いていて胸が痛む。
これはもう諦めるしかないのか。はあ。