表題の通りです。
母親がよく恋愛をする人間だった。父親は何回も変わった。その中で一番長い父親からはずっと私はいないものとされていた。
母はホステスでとても美人だった。中森明菜みたいな感じ。実子ながら母が着物やドレスや普段着や何を着ても、髪型を変えても、口紅の色を変えてもどんな姿でもずっと見惚れてしまうほど美しいなと思っていた。
そのせいかバイセクシャルになり、若い頃の母とセックスする夢をいまだに何度も見る。
実父のことは何も知らないけど、私を一番長く育ててくれた血のつながっていない父は母を溺愛していた。
暴力団員で金も湯水のように注いでいたし、後から知ったが母が結婚する前の学生時代からずっと片想いしていたそうだった。
そんな重い愛を抱えていたせいか、母の遺伝子が半分入っていても、もう半分は別の男の遺伝子で出来ている私のことは道端のゲロを見るような目で見てきた。
その気持ちもわかります。金かけて育ててくれてありがとう。憎しみはありません。
バイのマザコンだったから、母にべっとりな私が本当に憎かったと思う。
運が悪いことに私の顔は実父にそっくりだった。母に似ていたらもう少し優しくしてくれたかな。
そんな感じでスタートした人生だったので、男性に関してはとても苦手でした。
実父にそっくりとはいえ、母は面食いだったため私の顔は整っていました。
そのせいか4歳から30歳の今日まで、多くの男性と女性から好意と悪意を向けられてきました。
誘拐未遂、性的暴行未遂、自慰を見せてくる同級生、盗撮、私物の盗難、私の写真へ射精した写真を下駄箱に入れられました。
30歳になってどうでもよくなって、向精神薬が一番効いてる時に勢い余って女性向け風俗を予約。
震えながら当日を迎えると、見目の整った同じ歳の男の子が控えめにホテルに入室してきました。
挨拶をして、様子のおかしい私を気遣って「横に座って大丈夫ですか?」と聞いてくれました。
頷くとそのまま震える手をゆっくり撫でて、背中も撫でてくれました。
そのまましばらく泣いて、謝って、ありがとうと伝えました。
大丈夫だよ、大丈夫だよと私の息が整うまでただ撫でてくれました。
接客時間の終了までそのまま、手と背に手を置いてくれて暖かくて嬉しかったです。
お金を払えば怖いこともされないで、優しさを買えるんだと思いました。
でもまたその彼を予約して、今はキスまで出来るようになりました。