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はてなキーワード: 螺旋とは

2022-02-17

サブカル女子女の子への情愛が醒めた話

話の中で、映画1984」のあるシーンを知らないということがわかって「こんなもんか」と思ってしまった。

サブカル女子として振る舞うならもっと勉強しろよとか思いながら家路についたものだ。

その後、自分自身のこうした考え方に嫌気がさして、私はサブカルの殺し合いの螺旋から降りた。

2022-02-14

anond:20220214101735

見てきたソシャゲ大体そうだったから(例えば夏まで不登校だったキャラは夏まで出てこないなど)全部そうなのかと思ってた、確かにコナン螺旋状で前に進んでるな

ゆゆ式かいう本当の意味時間ループしている日常系作品

多くの日常系では同じ1年間を繰り返してしており3月の次にはもう一度同じ4月がやってくる、しか記憶人間関係を引き継いだ状態いわゆる”強くてニューゲーム状態時間が巻き戻るのに対して、ゆゆ式では「2度めの4月ではなく1度目の4月の別のシーンに戻る」という構造を取っているのが特徴の一つ。

例えば「2年生の5月に仲良くなる新キャラ」がいるとして、普通の歳を取らない系だとループした後の4月に「仲良くなった状態での新キャラ」が普通存在している。つまり2周目の4月の新キャラは登場してから11か月目の新キャラということになる。次の4月には23か月目の新キャラになっており、その次の4月には35か月目の新キャラになる。

これは名探偵コナンなんかを見るとよくわかるんだけど、灰原や赤井安室はかなり巻が進んでから登場した「新参キャラだけど、いつの間にか「同じ1年間」のオールシーズンを通じて登場するキャラになっているし、季節が進むごとにどんどん関係値が高まっていっている。決して季節が一周したからと言って関係値がリセットされたりはしない。

同じ1年を過ごしているかのように見えて螺旋のように関係はどんどん前に進んでいっている。

それに対してゆゆ式は「2年生の5月に仲良くなる新キャラ」は「次の2年生の4月」には登場していない。これに関しては作者も「5月までは仲良くなってないから出せない」と明言しており、ゆゆ式時空では「関係値の引継ぎは行わない」という明確な意思が見て取れる。また特定の月を跨ぐか跨がないかで「キャラ呼び方が変化」したり、備品状態がかわったりとかなり厳格な時間管理が行われている

まりゆゆ式に関しては本当の意味で「時間ループしている」作品なのだ

ゆゆ式は2年生の3月の次には2年生の4月に戻るが、4月になると必ず状態リセットされる。

サブキャラである岡ちーやふみおは登場しなくなり、部室のロッカーシールはなくなり、唯の胸は縮む。そしてそこからもう一度時が進む中で岡ちーやふみおが登場し、ふみおの呼び方がふみちゃんに変わり、部室のロッカーシールが増え、唯の胸がデカくなっていく。

そうして3月が過ぎるとまた2年生の4月がやってきて、すべては元に戻る。

だがゆゆ式の中ではたびたび3年生になって卒業していくことに対する不安希望が語られる。

いつかは終わっていく関係示唆しながらも、何度も同じ1年の違うシーンがリフレインする。

1度しかない高校2年生の1年間を大切にするゆゆ式が俺は好きだ。

ゆゆ式はいいぞ。心が豊かになる。

2022-02-13

第三インターナショナル記念塔を見るとなぜかクレヨンしんちゃん連想した

まぼろしの奇想建築』という本を読んだ

実際に建築はされなかった奇妙な建物を絵や写真、図案を大目に載せて紹介する図鑑みたいな本だった

その中で第三インターナショナル記念塔を知った

世界各地の共産主義革命のための象徴としてウラジミール・タトリン設計したキテレツな見た目の塔だ

70度くらいの角度で空へと伸びる1本しかない橋げたに、上空に行くにつれ円周を小さくなるように螺旋を纏わせたような恰好をしている

東京タワーの様に支柱はむき出しなので、一言で言うとタケノコ骨格標本とか、循環しないジェットコースターみたいに感じた

そして何より、なんか見たことある感じ、いわゆるデジャビュを覚えた

クレヨンしんちゃん映画でこんなんなかったっけ

アクション仮面VSハイレグ魔王で野原一家が出かけた海岸にこんなものがあったようなと思い、先ほどNETFLIX確認したがそのような建物存在しなかった

ハイレグ魔王を模した塔は劇中登場するが、それはハイレグ魔王の像を巨大化したような見た目で、第三インターナショナル記念塔とは全く似ていない

念のため、ヘンダーランドと暗黒タマタマもシーンをスクロールして似た建物がないか確認したがそんな建物は見つからなかった

おそらく、クレヨンしんちゃん映画には悪の組織が潜む巨大建造物が登場しがちで、ヘンダーランドのババ抜きでの攻防やオトナ帝国のタワーのらせん階段を駆け上るシーンのように、建物の形状や構造が印象として強く残る場面もある

そんな映画を幼少期に見ていたため、キテレツな巨大建造物クレヨンしんちゃん感を覚えているのだろう

数年前、海に浮かぶジェットコースター廃墟カジノピア)の写真を初めて見たときも、ハイレグ魔王海岸シーンを思い浮かべたことを覚えている

野原一家渋滞を抜け出し、道なき道を走り、視界が開けた瞬間に誰もいない砂浜とその上に立つアクション仮面の巨大な塔、そしてパッチワークのように重なり揺れる怪しげなサーカステント

そこで野原一家は時空を超えるというアトラクションに乗り込むことになる

先ほど見たら、それはARアトラクションのような球形の全面スクリーンに囲まれ乗り物で、錆びた骨型のジェットコースターでも何でもなかった

Aを見たときも、Bを見たときも同じCのような感傷を覚える、Dという自分

浅はかで歪曲していて、透き通っているとは言い難い濁った自分というレンズ自覚

人間は誰しも同じものを見ても違う感想を得るものなのだよと語るとき多様性を頭に浮かべるために無言で無視する自分視点

共感性によりかかって、ありふれた価値観の見せあいっこのなれ合いでいいねを稼ぐクソ文化蔑視しながら、誰かが描く共感性のスケールの中にしかまらない自分への自覚

何を見ても、自分体験を通してしか語れない人間のナルシズムのグロテスクさを自分の中に見たときのおぞましさ

どうせ色眼鏡をかけるなら、間抜けデザインで、あきれさせるような色をしていて、達観した拡張性を持ち合わせた一点物がいいわという欲張りな自己愛

第三インターナショナル記念塔を見て思ったことを考えながらもんもんとして、最終的にオラは野原しんのすけになりたかったのだろうかと思った

2022-02-05

何故、嫌韓が駄目なのかを教えておく。よく聞くように

平成臭くてダサイから

全てはココに収束する。

人類進歩した感を味わいたがる生き物である

同じ場所グルグル回っているだけなのを螺旋階段を登っていると言い張りたがるのだ。

その円環を進む日本人の群れにとっては嫌韓は2,30年も前のブームであり、もはや嘲笑されるべき過去遺物だ。

今どきのディスコジュリセンをヒラヒラさせる人間がいたら「昔の人のコスプレ」にしかならないがそれを本気でナウいと思えば「痛い」のである

嫌韓はもはや過去遺物だ。

ダサい

ポリティカルにコレクトネスではないか

今のナウは人種差別をしないことだ。

門地による差別をしないことが憲法に刻まれた真面目くんルールから一周回ってイケてる今どきボーイが守るべきルールになっている。

黒人フィリピン人とも友達のA君は格好良く、たとえ友達100人いても日本人率100%のB君はダサいレイシストなのだ

そういう時代だ。

韓国技術力で追いつかれたか

これは逆に日本が「戦後朝鮮戦争バブルで得たリードを失って本来島国レベルになってきたから」というだけなのだが。

それでも昔は下に見ていた韓国文化も今やそれなりの水準。

チンパンジーの群れとしてコケにしようものなら日本も巻き添えを食ってチンパンジーであることを認める羽目になるがそんな現実は誰も見たくない。

敵対するには多くを知る必要があるが、単に浅く仲良くするだけならそれなりまでを知ればいい。

知りたくないことが相手にあるなら敵対よりも表面上の友好を選んだほうが楽なのだ

2022-02-02

美学がない奴が嫌いだ

虎殺投げ

輪廻落とし

真空投げ

虎殺掌

天倒殺活二段蹴り

飛燕失脚

跳び連打掌

雷光回し蹴り

烈風

邪影拳

当て身投げ螺旋

当て身投げ・弧月

下段当て身打ち

疾風拳・小or大

虚空烈風

レイジングストーム ←

レイジングデッドエンド ←

デッドリーレイブ ←

センスねぇわ

2021-11-29

隣でアスペアスペが会話してる

お互いがお互いの言っていること自体を3割くらいしか理解してない上に相手に対して答えるべきことが理解できてないか平行線どころか会話が螺旋状にツイストし続けてるの逆にすごい。聴くドラッグみたいになってきた。

2021-11-02

anond:20211102125011

事件当時はテレビ螺旋階段模型解説してたけど、あの構造のせいで炎と煙が一瞬で回った原因があるのでは

もちろん犯人が悪いには決まっているけど

2021-09-24

anond:20210923161411

「時は準宝石螺旋のように」

「もし星が神ならば」

2021-09-18

コロナ渦で子供を持つべきか迷ってる

自分:35歳、年収1300万

妻:33歳、年収300万

妻は子供がほしいらしいのだが、このコロナ渦で本当に子供を持つべきか迷っている。

コロナによって行動は大きく制限され、ソーシャルディスタンスの元にコミュニケーションも格段に減った社会ができあがってしまった。

これにより子供の知能も大きく低下しているようで、これから時代子供幸せに生きていけるか不安で仕方がない。

まして日本世界一政治家無能で、国難最中ですら、利権しか関心を示さず、流石に血の気が引いたものだ。

それもそのはず、国民世界一政治に関心が低く、選挙があろうと、各政党政策なんてどれだけの人間が気にしているというのか。

世界最速の凋落の負の螺旋から抜け出せる要因がない。

与党少子高齢化是正する努力なんて微塵もない。少なくとも利権のためにしか働かない。

国家として持続可能性がないという現実は揺るがず、子供を作ることはもはや責任放棄に等しいとすら感じる。

この凋落著しい国で生まれ子どもたちはこれから先、今以上の増税を課せられ、将来の社会保障も存在しない。子供を持つのであれば、相当な資産子供に残してやる必要がある。しか子供にまとまった財産を残せるほどの収入資産も今のところ無い。

日本教育環境にも絶望している。

個性を重んじず、押さえつける。いじめがあろうと、見て見ぬ振り。例え自殺者が出ても全力で保身に走る輩ばかり。自民党か?都民ファか?

日本全体が責任放棄しているように見えてならない。国家首相、その取り巻き大臣ですらその体たらくだ。

そんな社会子供倫理的に正しく成長していけるだろうか?

今、これだけ悩むなら、10年後に子供を持とうと考える家族もっと悩むだろうな。

anond:20210918122914

憎しみの螺旋から抜け出すことが人生中盤までの重要タスクに思われる

2021-09-03

はてな蔓延バカの壁問題

バカの壁という言葉が昔流行った。

情報化社会黎明期、人同士のつながる量が加速度的に増えていくことで可視化された問題の一つだ。

当時は言葉の響きだけが独り歩きして、本そのものちゃん理解できた人は少なかった。

その反応は大きく分けて2つ。

自分の言いたいことをはっきりと言ってくれた」と肯定的な反応と、「バカとはけしからん。人は言葉でわかりあえるに決まってるだろう。」と否定的な反応だ。

しかし、その反応のどちらもがこの言葉に対して大きな勘違いをしていた。

それは、「自分の話が相手に伝わらない理由は、相手バカからであり、そこに越えられない壁バカの壁があるから」という理解で読み解いてしまたことだ。

しかし、バカの壁本質は違う。

「人は自分の話が相手に通じなかったとき相手バカだと決めつける性質がある。」ことこそが、本当の意味でのバカの壁存在意味している。

しかもこの時、聞き手側にも「自分相手の話を理解できない時、説明できない相手の方がバカであると決めつける性質がある。」というバカの壁も同時に存在している。

しかし、どちらの場合も、本当に相手バカなわけではない。

なぜなら、人の理解というものはその人の経験知識から成り立つものであり、それらが両者に存在していない限りは、お互いが理解しあえるなんてことはありえないからだ。

まり相手バカなのではなく、相手バカと決めつける自分バカなのだ

これについては著者すら気がついていなかったと思う。

からこそバカの壁本質理解できないやつは全員バカだ。という論調であの本は締めくくられていた。

自分の話が相手に伝わらなかった時、自分が「相手バカだ」と思うのと同時に、相手も「説明がしっかりできないだなんてこいつはバカだ」と思っている。

から、あの本の本質を理解できなかった人にしてみれば、著者はバカであり、バカの壁なんて概念無駄ものだと考えられていた。

そうして、著者と読者それぞれがそこにバカの壁存在していることを証明してしまうという皮肉な構図に至っていたことは、あまり知られていない事実だろう。

そもそも言語というものコミュケーションの中でそれほど多くの情報量を持っていない。

人同士がコミュニケーションを行う上では、ボディランゲージや声のトーン、表情、目線などのほうが、伝える情報量はよほど多い。

なぜなら、言語という道具を使い始めた歴史はそれ以外のコミュニケーション方法に比べれば非常に浅く、言語だけで情報を伝えられると思っていることのほうが誤解だからだ。

残念ながらそのことを理解できている人間は少ない。妄信的に言葉情報の全てを伝えられると思いこんでいる人がほとんどだろう。

ここまで考えてみれば、つまり本当の意味でのバカの壁とは、言語のみで自らの思考情報を伝えられると思いこんでいるおごりのことであることがわかる。

受け手に置き換えても、言語のみで説明されても理解できるはずだというおごりがそこにある。

だってSNS上では当たり前のように誤解が繰り返され、真意理解されることもなく説明も釈明も許されないまま受け手の都合によって勝手解釈が広まっていく。

悲しいかな今の人類ではそれを止めることはできない。

なぜなら、そこにバカの壁存在するからだ。

しかし、バカの壁存在認知できているだけで、人の理解力はまったくもって変わってくる。

情報理解できない理由相手ではなく自分に求めることができれば、足りない情報を自ら補うことができるからだ。

ただ、バカの壁存在認知できていない人は違う。

自分理解できなかった理由相手にあると考え、誤解させた人間を責める行動を取る。

自らのバカを棚に上げて、相手バカだと罵るだけの野蛮な行為に走る。

今のはてなはまさにその縮図である

そこにあなたがたの大好きな多様性生産性もない。

ただただ情報や人の人生エンタメとして消費するだけの、消費行動のみだ。

声高に批判する相手のものに成り下がるというのも、バカの壁に見られる特徴的な行動の一つだ。

果たしてはてなユーザーに、バカの壁を越えてこの内容の真意理解することはできるだろうか。

結局はこうして、バカの壁の話をする度にそこにバカの壁可視化させることでしか存在理解させることは不可能なのだろう。

今一度一人ひとりが自らの心にそびえるバカの壁存在を見直すべきときに来ている。

人にはバカの壁存在していて、相手に話を理解させることも相手の話を理解することもそもそもできないのだ。

からこそそのまま情報の一つとして受け止めて、その情報を役立つものへと活かしていく。

それができる人だけがバカの壁を越えた向こう側に行ける人なのだろう。

これすらできる人にはとっくにできていることで、できない人だけがバカの壁の内側に取り残されているという皮肉しかないのだが。

いまのはてなを憂い、向こう側に行きたい人にだけ届いてくれることを切に願う。


蛇足

ブコメに「無知の知」という言葉があったので蛇足を一つ。

かつて士郎正宗氏は無知の知ではなく「不可知の知」であると置き換えていた。

人は何かを知れば知るほどに、知ることができないことを知るのだという。

そしてその時の自分は、それがコミュニケーションにおいても同様なのだと悟った。

どれだけ理解を深めようとも、最後まで理解することも理解させることもできないのだと。

それならば、そもそも理解を深めることだけを目的にすることはナンセンスである

そこには最後まで取り払えないバカの壁があるのだから相互理解はそこそこに、目的や行動を優先すべきだと悟ったのだ。

人の意見批判することは、それをきっかけにやめた。

そこに少しでもヒントがあれば吸収し、利害がなければ自分には関係のない情報なのだと切り捨てるようになった。

確かコミック攻殻機動隊あとがき(BLACK MAGIC M-66だったかも)だったと思うが、他にも人生螺旋階段を登るようなものだとか、士郎正宗氏の哲学の一部を垣間見ることができてとても興味深かった。

2021-08-25

ソラシドのあとに来るものはレミファ。

そのあとにくるものソラシド

そのあとにくるものはレミファ。

そのあとにくるものは……。

なにか人生のような感じがしないでもない。

同じところをぐるぐると回っているような気がするのだけど

音階は上がっていき音を奏でる難易度は上がっていく。

同じ場所のようで同じ場所ではない。

螺旋階段を登るように位置は上がっていくのだ。

まるで人生のように。

三大FF14画面酔い

・トトラクの千獄等、狭くて曲がりくねった新生ダンジョン

モーグリ、ドマの子供。マップに隠れたキャラを探すクエスト

・クルザス中央高地螺旋階段の塔にいるキャラに話すクエスト

2021-07-25

人生なんて繰り返し作業の塊だからな。

まずそのことに納得しなければいけない。

それは避けようとしても容易に避けれるものではない(放置は出来るが)。

そのことを承知した上で繰り返し作業の質を上げる努力をするかどうかが問題になる。

する義務があるわけではないがしなければ物事は変わらない。

たくさんの繰り返し作業の質を少しずつ向上させる細かな積み上げが何者かになるということだから

天才はもちろん例外なんだろうけれど(ただ天才なんて今までの人生で見たことはない)。

螺旋階段をぐるぐると回っているのが人生

下っていくか、登っていくかは、その人次第。

2021-07-16

DNA鑑定をした

二重螺旋角度とかが悪いですと言われた

2021-05-15

「殺し合いの螺旋から俺は降りる」

バガボンド面白い

続き読みたいよ

2021-05-12

anond:20210512115628

進撃の巨人のような歩みを止めないある種の異常者だけが進み続けるんだろうなぁ。おれは降りる、この戦いの螺旋から

2021-05-11

夢日記

2011/1/16

こんな夢をみた.友人と車でお祭りへ向かう途中,交通事故あい幽体離脱.「あー死んじゃったかー」とか思ってグチャグチャになった車を俯瞰していると,僕の体は車から這いでて警察を呼び,友人と一緒に立ち去ってしまった.僕は取り残された.

2011/12/6

こんな夢をみた。僕は中学校にいて、何人ものクラスメートと顔をあわせた。それも男女問わず卒業から会わなくなった人達ばかり。最後に、初恋の人と食堂てんぷら定食を食べた。そこで僕は、彼女玉子が嫌いだったことを思い出した。あの中学校食堂なんてなかったことも。目は覚めた。

2012/1/21

こんな夢を見た.携帯が鳴り,研究室ソファから起き上がる.時刻は3時過ぎ.伸び上がって靴を履き,立ち上がる.と同時にソファで「目が覚める夢」から 目が覚めた.時刻は4時過ぎ.立ち上がる.と同時にまたソファで目覚める.時刻は5時過ぎ.6時,7時,8時.昼には諦めた.目は覚めていた.

2013/1/6

こんな夢を見た。温泉から上がり部屋で一息つくと、脱衣所での忘れ物に気がついた。取りにかえるも、その温泉に戻れない。あるのはロビーと地下への階段。 迷わず下る。1/3ほど照明の点いたバーで、3人が飲んでいた。女性は言う。「私が代わりに探してあげる」。忘れ物はついに思い出せなかった。

2014/9/15

こんな夢を見た。私は知らない農家の宴席で、その男の話を聞いていた。男は次第に興奮し、暴れ、自らの腹をナイフで抉った。私は取り押さえられた男の腹から一筋の血が流れる様子を眺めていた。「俺はあの牛なんだ」そう言い残した男は車で連れていかれた。

私は外へ出た。庭には一匹の黒毛牛がいて、気が違っていた。腰のベルトを外して叩きつけると、牛は逃げていった。それを横目で追いながら、川を越え、古いバス停腰掛けたところで、読んでいた小説を閉じた。タイトルは「牛の首」だった。私は街へ下りることにした。

大きな駅の向こう側へ行きたくなって、地下連絡通路を目指した。下って歩いて上った先で、一人のセールスマンが待っていた。私は家を探していたことを思い出した。マンションの一室へ向かう。「紹介するのはここと同じ造りのお部屋です

お客さんは運が良い。ここのご主人は昨日自殺したので、誰もいません。見るなら今日です」フローリングは酷く黒ずんでいた。部屋を検分していると、喪服の女が階段の上に現れた。木製で高さのある螺旋階段は、このマンションには不釣り合いに思えた。

女は言う。「見よ、あの牛を。涎を垂らし、目を泳がせる、あの醜い黒毛の牛を」それは「牛の首」の一節だった。「ご主人はどちらですか。あの男ですか。あの牛ですか」「牛よ」そう答えた喪服の女は声を上げて笑った。私は部屋を出た。目は覚めた。

2015/4/10

こんな夢を見た。高速道路トンネルに入ると何十もの真赤なランプが光っていて、渋滞のようだった。車が完全に停止するまでブレーキ踏み込み、サイドを引くと同時に、警官に声をかけられた。「車を降りてください。指示に従ってください。」私は他の運転手と同様に非常口へ向かった。

先には窓のない畳部屋があって、黒い長机と弁当が並んでいた。奥から二番目の空席に腰を下ろす。右隣の男性貧乏揺すりが続く。弁当はやけコントラストが低い。向かい女性は口を開けて呆けている。どこかでパキという音。戻ろう、戻ろう、私はつぶやきながら独り部屋を出た。

トンネル警官の姿は無く、ナトリウム灯がまばゆいばかり。私は車を捨てて歩いた。出口に辿り着いたが、無機質な車列は途切ず、青空の下とても静かだった。脇にはトンネル名が刻まれた石碑があって、それをなぞる。五文字目で指先に鋭い痛みが走った。目は覚めた。

2015/4/21

こんな夢を見た。夜祭の喧騒を抜けると、人のまばらな屋外ステージ中央で、男が何やら呟いていた。それらは全て、この地の死者が今際の際に発した言葉だという。石段に腰を下ろし聴き入る。殆どが呻き声でよく聞き取れないが、どれもこれも懐かしい。それらは確か、私の最期だった。

2016/11/10

こんな夢を見た。私は窓の無い病院に何年も入院していて、その日は定期検診だった。入院患者の列に混ざって待っていると、前の一人が脇の通路を指差した。「そこから外に出られるかもしれない」

患者達は一斉に走り出した。初めは様子を伺っていた私も、後に続くことにした。無機質な通路を抜け、いくつもの自動扉をくぐると、急に冷たい空気が鼻に触れた。外は夜だった。私は、電灯に照らされた公園と人工の川に患者達が散る様子を眺めていた。

胸許の携帯が鳴った。「早く戻りなさい。外は身体に悪い」それは心の底から私を案じる声だった。「しかし、みんな喜んでいます。こんなにも空気が美味しいのです。こんなにも自由なのです。」話し終えると同時に、別の電話が入った。「ボートを見つけた」

それは汚いスワンボートだったが、迷わず乗り込んだ。ボートは勢いを増す。川底の石を蹴り、橋を越え、カモメを追い抜いた。ついには岩に乗り上げてしまったが、川岸からボートを押していると、その人数は少しずつ増え、豪快な波しぶきとともにボートは川に戻った。歓声が上がった。

ボートに再び乗り込んだそのとき、朝の光が目に飛び込んできた。「もう戻らなければならない」そう思った瞬間、電話で使った『自由』という言葉に重さを感じた。その言葉意味に初めて気が付いた。目は覚めた。

2020/1/2

こんな夢を見た。私は講座「反境学」のガイダンスを受けるため、大教室の扉を開けた。百名以上が座っていたが、私だけ後ろ向きの席に案内された。私の背中女性講師が言う。「反境学について質問はありますか。」前を向いた学生の一人が手を挙げた。

環境学とは違うのですか」「環境学も反境学に含まれます」「社会科学ですか」「あらゆる概念が当然含まれます境界を無くす学問なのか、そう考えた途端、周囲の学生は消え、私は前を向いていた。講師と目が合った。「違います。」目は覚めた。

2021/5/11

こんな夢を見た。私は想い出の場所に向かうため、登山をしていた。久々の単独行。ペースは上がり、森林限界を抜け、雪渓差し掛かった。酷く咳が出る。雪渓は雪と砂が細かく混ざっていて、古い雪崩跡だと思った。視界の端に何かが映る。黒ずんで、痩せた人間の手が転がっていた。

足を止めた。酷く咳が出る。後ろから声がかかる。「ありがとう。○○さんは手伝ってくれるんだね。」初老女性だった。「なぜ、私の名前を知っているのですか」「あなたに会ったことがあるからです」やはり酷く咳が出る。足元の誰かを、背後の誰かと掘り起こすことにした。

女性は言う。「ごめんなさい。もう、そのシャツ臭いはとれないねしか腐臭は感じない。いよいよ咳は酷い。掘り起こした誰かは、結局腕しかなかった。それもぐずぐずに崩れてしまった。私は手を合わせ、先に進むことにした。咳は血を吐かんばかり。痰が喉でゴロゴロと騒がしい。

すれ違った何人かの怪訝な目に、染み付いた腐臭を初めて認識した。視界が狭まり、白黒する。歩く。歩く。そうして日が沈む直前に、山小屋に辿り着いた。咳をすることでしか呼吸ができない。硬い床に雑魚寝する。眠れない。だからきっと白昼夢だったのだろう。こんな夢を見た。

私はベッドに横たわっていた。寝返りうつと、そのきしむ音と合わせて時計が目に入った。時刻は午前二時五十分。外に錆びた自転車が見える。跳ね起きて質素な窓枠に足をかけると、不意に声がかかった。「子供はどうする」ようやっと、家族3人で寝ていたことを想い出した。目は覚めた。

2021-05-08

うまい返し方

anond:20210506052332

右手首を掴まれときに内側から螺旋を描くように握り返し、そのまま手前に引き倒しながら鼻頭に膝蹴り一発、その後残った左足でバランスを崩した相手の足をかけて倒しましょう。引手で相手が倒れない場合、手を引きながら体をひきつけて頭突きで鼻頭を潰します。その後、腹部へ膝、少し離れたら金的ヒールで終了です。

引っ張ると同時に膝、金的と覚えておくと日常有事に素早く対応できます

「どうなりたいですか」、という問いですが、素早い連撃で敵を倒すトミー・カルザースのようになりたいです、と答えましょう。あるいは敵が殺気を放っていた場合、「どうなりたいですか」の「ど」の瞬間に中指リードとして人差し指、薬指を使った目つぶしから手刀に切り替えての喉つぶし、髪の毛を掴んでフロントチョークで一気に決めてしまます相手に隙きを与えてはなりません。

2021-04-07

うつ病者の大樹

あるうつ患者が死んだ。うつという言葉すらも確かではない時代

気狂いだの、かたわだの、そんな言葉が平気で横行していたある中世の街の一角

彼はともかく、その身分の苦しみと自らの容姿生来虐待によってたくさんの苦しみを身に受けて、ある絶望の朝、地上に沈み込むように倒れた。

太陽がすべての命に強い明暗を落とす、残酷で何気ない日だった。

彼が死んでも誰一人として弔いに訪れるものはなく、その肉を食べに訪れたカラスもただ無感情に自らの体を温めるために彼の体をついばんだし、感傷もなく去っていった。

骨になった彼を小鳥たちが楽しそうに眺めていたが、それすらいなくなると草が茂り、小さな花が周辺に咲いた。

それからどの大陸の風から運ばれたかもわから種子が舞い降りると、小さな枝となって春の小鳥歌声とともに伸び始めた。

数十年後、枝は螺旋状に絡まり、大きく薄暗い大樹となって周辺を覆うようになった。

かつて遊んでいた子どもたちは、昼間なのに暗い場所から近づかないように、という大人たちのいうことをきいて近づかなくなった。

そうして様々な不可解なエピソードと共に人々から忌み場として記憶され続け、木は10年に一度の実をつけた。

果実はさして甘くもなく、少しだけ酸っぱく、少しだけ苦く、七色をしていた。

その頃からか、大樹の主はこの木の近くに魂として漂うようになった。

実が十分に熟した頃、ある行商が木の前を通りかかった。彼はこの土地のことを知らないものから、忌み場の木の実だと知らず食べてしまった。

商人は思った。これは美味しくもなくとりたてて褒められるものではないが、何故かいつまでも同じことを繰り返したくなってしまう。ちょうどたった今、この実をいくつも食べてしまうように。

商人は忌み場近隣の村に商品を売りつけたついでに、忌み場の実について村人に知らせてみた。すると翌日実に興味を持った村人たちが木こりのついでに忌み場に訪れて実を食べてしまった。たちまち村人たちはこの不思議な実を繰り返し生真面目に食べるようになってしまった。村人たちは口々にこの実のことを美味とは言えないが、何故か食べてしまう、と語った。

やがてその実の噂は国王様の耳にも届いた。大臣いわく、その身を食べた村人は粉骨砕身、とても生真面目な人となりに変わり、国のために尽くすのだという。

それは面妖なことよ、と思った王様は忌み場の実を取り寄せて食べてみることにした。みる間に王様の眉間にしわが寄り、自らの治世をまだ足りぬと責めるようになってしまった。

国王も、村人たちも、城下の者達もみなが皆自責かられながら、生真面目に働き始めた。

鍛冶屋は完全な仕事ではないとたくさんの銀食器を壊し、農家は完全な作物ではないと、大量の作物を捨てた。

兵隊は訓練がまだ足りぬと自責の念にかられて自殺者がたくさん出た。

国中からいい加減が消えた。そして皆が皆こう思うようになった。

俺の気持ちはわからない。

私のやっていることは無駄なのかしら。

かに理解されたいけど、誰も理解したくない。

こんな自分は嫌いだ。

こんなに真面目なのに認めてもらえない。

誰もわかってくれない。

大樹に漂う気狂いの男の魂はおかしくも悲しい、今までとは比べ物にならないくらい、窮屈に発展してゆくその国中の様子を見て、ああ、やっと自分気持ち理解されたのだ、と言って天に登った。

大樹は数年後に枯れ、実のことを覚えているものはいなくなった。

やがて国はもとに戻り、うつの男のことを思い出すものは誰もいなくなった。

誰かが悲しかたことも、窮屈だったことも忘れてしまった。

anond:20210407073753

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