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2024-05-12

詩とか俳句短歌について思うことメモ

もう人生の折り返し点をすぎて久しい。目を通す文字は、仕事書類ばかりとなった昨今。

でも小学校高学年から中学生にかけての頃に、文学少女に憧れた時期があった。

書店の奥のほうにいっては新潮文庫コーナーで、適当に数冊手に取っては解説に目を通したりしていた。

まれて初めて自分で買った詩集は、井上靖詩集だった。小学校5年生か6年生の頃だと思う。

頁を開いたとき、これは詩なの?というのが最初感想だった。普通に文章だったからだ。

調べてみると、井上靖の詩は、散文詩という形式らしい。なにが自分の知っている詩と違うのだろうというところで

「韻」という言葉もその時初めて知った。

井上靖詩集を手に取ったのは、国語教科書に載っている著者の本でなるべく読みやすそうなものを探したからだった。

というわけで、あすなろ物語のついでに手にしたのが、人生最初詩集だった。

小中学生の頃、国語の授業で、詩や短歌に少し関心をもった私は、韻を踏む、という作法が苦手だった。

季語などルールがあったり、韻で楽しめなければならない、みたいなもの短歌俳句だとすると、ちょっと縁がないなと。

特に覚えているのは、中学校の時習った在原業平短歌に、かきつばたを詠みこんだものがあるが、韻だけでなく、言葉ニュアンスにいろいろな仕掛けを作らないと詩として成立しないのかと思うと到底自分には向いてないジャンルだった。しかし、そうはいっても、短い言葉で何かを表現してみたいという思いは消えず、ひそかに詩集をつくって引き出しの奥底にいれていた。


井上靖の詩のなかに

幼少の頃、川辺の石段の下で手を洗っているとき不意に石鹸が手元を離れ、深みに落ちていったという情景の詩があった。その喪失感をその後の人生でも刻まれているという内容だった。これなら自分でも書けるかもしれない、と思った。

自分世界表現の仕方や詩の味わい方を学べたのも井上靖の詩の影響が大きかった。

例えば、雪という詩がある。


 ―― 雪が降って来た。

 ―― 鉛筆の字が濃くなった。

 こういう二行の少年の詩を読んだことがある。

 十何年も昔のこと、『キリン』という童詩雑誌

 みつけた詩だ。雪が降って来ると、

 私はいつもこの詩のことを思い出す。

 ああ、いま、小学校教室という教室で、

 子供たちの書く鉛筆の字が濃くなりつつあるのだ、と。

 この思いはちょっと類のないほど豊饒で冷厳だ。

 勤勉、真摯調和

 そんなものともどこかで関係を持っている。

井上靖詩集運河」より

中学生の私は、なるほどと思った。

詩というのは、雪が降って鉛筆の字が濃くなったという描写やその言葉なかにあるのではなくて、物語は書かれてない背景のなかにあるのだなと。

鉛筆の字という描写だけだったら、だから何?という感想しかない。しかし、鉛筆を持つ誰かの表情を想像し、その背景を想像して足してあげることで一枚の絵になる。

井上靖の次に手に取った詩集もよく覚えている。

武者小路実篤だった。やぱり散文詩だった。

当時、大好きだった先輩が「友情」を読んで感動したといっていたので、友情ともう一冊詩集を手に取った。その後しばらくして、私の失言が原因で先輩は私からフェイドアウトしていった(つまりフラれた)ので文学をダシに先輩と仲良くなろうという作戦は失敗した。しかし、武者小路実篤の詩はそんな私をなぐさめる言葉にあふれていた。

いじけて 他人にすかれるよりは 欠伸(あくび)して他人に嫌われる也 夏の日。 嫌う奴には嫌われて わかる人にはわかってもらえる 気らくさ。


ほどなくして、種田山頭火という自由律俳句というジャンルを知った。

山頭火面白い普通俳句じゃないところがいい。規律から解放されるってすばらしいことだと。

定型詩嫌いな私にとっては、ある意味で、俳句短歌エントリーポイントとなって、

新聞の俳壇や短歌欄に時々目をやるようになった。

いわばお勝手からこっそり入門したような形だ。

しか俳句は、季語の煩わしさにどうしてもなじめず、自分には遠い世界のままだった。

いつしか手にしていたのは、興津要解説する江戸川柳 誹風柳多留だった。古典落語にはまり始めた時期だった。

剣菱という酒を飲むことを江戸時代の人が剣菱る(けんびる)と言っていた、など、現代言語感覚と近い、興味深いことがいろいろと書かれていた。

エロい川柳結構好きだった。今でいうサブカルチャーだ。

その後は巴毎晩組み敷かれ

木曽義仲の元を離れ、和田義盛に見初められ身柄を預けられた巴御前、ネトラレ系の元祖ともいうべき味わい。思春期の私はこうした江戸時代川柳妄想たくましく想像し、手が動いた。五七五だったら、こっちの世界のほうが楽しい

一方、短歌のほうは、というと、当時の朝日歌壇は毎週とても楽しみにしていた。

俵万智サラダ記念日ベストセラーになったからというのとは全く関係なく、プロではなく、市井のいろいろな人が短歌を詠んでいるということが興味深かった。

例えば、こんな一首。

わが胸にリンチに死にし友らいて雪折れの枝叫び居るなり

あさま山荘事件を起こした連合赤軍幹部坂口弘収監中の東京拘置所から毎週のように短歌朝日歌壇投稿していた頃だ。

朝日歌壇では他にも穂村弘がいた。短歌表現する世界の幅広さを朝日歌壇で知った。

そして渡辺松男太田美和が常連投稿者として名を連ねていた。

風花って知っています

さよならも言わず別れた陸橋の上

渡辺松男太田美和は実社会で互いに関係があるわけではなく、それぞれの思いを歌に込めていたのだと思うけど、なぜか不思議と互いに呼応し合うものがあった。これは当時の歌壇リアルにみていた人にしかからないことだけど。雨の森や樹々など独特の世界観を表現する渡辺松男に対して、雨の日に部屋にこもれば憂鬱発酵すると詠んだりする太田美和。

生活で恋をしていた私は太田美和の言葉自分を重ね合わせた。


でもこのころが私の文学少女期のおわりだった。

大学卒業したものの、就職できずに苦しむ時期がやってきた。就職氷河期というやつだ。

生活が一変した。

書店で立ち寄るのは、奥の文庫コーナーではなく、店の前の新刊コーナーであり、資格取得のコーナーだった。

購読紙も朝日新聞から日経新聞に代わり、東洋経済となった。

世の中からどんどんと取り残されてゆく焦りでいっぱりになっていた。

山頭火武者小路実篤もへったくりもない、そんなことより面接資格だ!という日々。

就職が決まってからは、病気になったら人生終わりだし、干されたら終わり。もう一歩先に、もう一歩とただひたすら走り、走らされる人生が始まった。

たまに思い出しては、現代短歌最近の潮流を知りたくなって、枡野浩一の本を手に取ってみたりはしたものの、ピンとこなかった。

若い頃あれほど好きだった渡辺松男も改めて著作をみると作風が変わったのかと思うほど、何一つ言葉にくすぐられることなく、不感症になっていた。変わったのは自分のほうだ。


それから数十年、あるとき気が付くと、新しい家族が増え、家が建ち、旅行などしている。

そういえば何十年も詩や短歌を目にしていない。寺山修司の本は引っ越しのどさくさでどこかにいってしまっていた。

思春期のことを遠く思い出すようになった。実家の部屋の引き出しにはまだヘンな自作ポエム集が眠ってるはずだ・・。自分死ぬ前にはなんとしても奪取してこないといけない。

中年になっていいかげん自分限界を悟って、ふっと一息いれた、という形だ。

ふと思い出すのが、最初に買った井上靖詩集

 ―― 雪が降って来た。

 ―― 鉛筆の字が濃くなった。

この二行の子供の詩を、何十年も経って思い出す井上靖感覚がとてもよくわかるようになった。


これは人生の楽しみを食に見出して、ワインをたしなむようになってから思ったことでもある。

詩を楽しむということとワインを楽しむことには、ひとつ共通点がある。

どちらもウンチク語ってめんどくさい奴がいる、という意味じゃない。

鉛筆の字が濃くなる、という情景として、勤勉で真摯子供の姿を思い浮かべる、という

文として書かれていることと、書かれていない想像の背景の補完的な関係は、ワイン食事、一緒に食事するひととの関係によく似ている。

ワインの味や香りは、それだけで勿論、それぞれのワインに特徴があるし、品種ビンテージ気候土壌などさまざまな情報がある。

しかワインのおいしさを決めるのはそれだけではない。過去に飲んだ記憶とか、一緒に食べているもの、そしてそのとき話題、体調などに大きく左右される。

だって同じことで、喉が渇いているときの一杯と会議中にやり込められているときの一杯は全然違うはずだ。

マリアージュという言葉があるように、ワイン一種調味料として機能するため、食べ合わせ重要だ。

またワインプロファイル情報あるかないかも味を左右する。

ブラインドで呑むワインはどんな高級ワインだろうが、初見ワインしかない。ワインの特徴まではわかってもそこまでだ。

逆に偽の情報表現かに補完してしまえば、コンビニ販売しているワインを高級ワインと偽って出してもたいていの者には気が付かれないだろう。

ワインを色やら香り、余韻など物理的に因数分解した表現ができても、美味しさは客観的規律として表現することはできない。

詩も同じだと思う。規律ばかりを語るひとがあまりにも多い。本居宣長には悪いけれど、歌をつくるのは道だとしても楽しむのは道じゃないと思うんだよね。

井上靖が「小学校教室という教室で、子供たちの書く鉛筆の字が濃くなりつつあるのだ、と。この思いはちょっと類のないほど豊饒で冷厳だ。」というとき井上靖にとってその詩に初めて出会ってからの何十年間が効いてくる。井上靖は詩は規律ではなく、詩との出会い方だと教えてくれた人だ。

その情景を自分のなかでセットできるかどうかは、鑑賞眼の問題ではない。

どちらかというと、そのような情景がセットされてしまう、長年の思いの蓄積、その詩と出会ったときメンタル、いわば偶然の力だと思う。

渡辺松男太田美和が並んで歌壇掲載されていたあの空気感にしても、あのとき限りのものだったのだろう。

失恋をして武者小路実篤の詩に慰めれられた思い出もそう。まさに一期一会

先ほど、卒業してから詩どころではなくなったと書いた。

そのとき自分が置かれれる状況やそれまでの経験によっては、詩に対して、鈍感になることだってあるのだ。


ところで、先日、Yahoo芸能ニュースをみていたら、TBSプレバトというバラエティー番組で、俳句を競う企画があって、ある芸人俳句先生から5点と酷評されたと報じていた。

お題は「文房具」で彼女が読んだのは

消しゴムが 白き水面に ボウフラを

というもの。作者は「頑張って勉強して、消しゴムを何回も消すと、消しカスがたくさん出る。それが白いノートにたくさん積もっていると、ボウフラのように見えるという句です」と意味説明したものの、腹が立つ、とまで評者先生にののしられている。

ちょっと間抜けた感じはするものの、正直、なんでそこまで素人俳句酷評されなければならないか理解できなかった。だが、番組演出脚本としてはそれがオチなのだろう。

演出もさることながら、これは、他の出演者俳句が以下のようなものだったことも影響しているように思えた。

迎え梅雨 紙端に滲む 友の文字

虹の下 クレヨンの箱 踊り出す

天王山 黒ずむ袖に 薄暑光

薫風や 隣の君と 教科書

こんなふうに優等生を気取った俳句がずらりと来たら、それは「お約束」として、こき下ろすしかないのかもしれない。

バラエティー番組のなかで俳句を味わうということはつまり、こういうことなのだ。その芸人に対するイメージ作品クオリティが補完されてしまうのだ。

しかし、この句が仮にお笑い芸人ではなく、どこかの学校児童生徒が作ったものであったとしたらどうだろう。

消しゴムをかける姿は、情景としては授業中であることを示唆している。5月番組文房具からまだ気持ちフレッシュだ。だけどがんばろうという気持ちは長続きしない時期でもある。

ぼうふらにみえるほど消しゴムをかけるくらいだから、授業中、何度も消していて、その間、ノートをとる手が止まることになっただろう。

それでも授業はお構いなしに進んでいく。溜まってゆく消しごむのカスからは、授業についていく焦りとともに、生徒のひたむきさ、間違って消すことが多い生徒のどんくささも垣間見られる。

いかげん疲れたかもしれない。めんどくさいと思ったかもしれない。

一方で白い水面(ノート隠喩)は、清潔さや純粋さを象徴している。

ふと手を止めた瞬間に、そこにボウフラがいるようにみえた、というのは、一瞬立ち止まってボウフラ?などとくだらないことを想像してしまった自分の不純さや切れた集中力で抜けてしまった気力(投げ槍感)との鋭い対比となっている。

と、このように解釈すれば、俳句としてむしろ「ボウフラを」で間抜けた形で止めた意味が出てくる。そこから先は、苦笑いなのだ

ボウフラを季語と認めるかどうかはわからない。しかし、純粋に詩としてみれば、消しゴムとボウフラという組み合わせは非常にユニークだ。

また、どんくさいもの弱者がボウフラというノート上のより小さい存在視線フォーカスする、という手法小林一茶方法とも通じるところがある。

番組の評者は、この芸人俳句酷評したうえ、次のような添削をしたという。

しかすはボウフラみたい夏休み

夏休みかよ。口論の途中で勝手に話の前提を変えられたときのような不快感を覚える添削だった。消しかすって文房具じゃないし。

しかし、誰しも詩に対して鈍感になる、そういうことはある。端的にあれバラエティ番組からね。

ただ、私の場合、やっぱり俳句には縁遠いのだろうと思った。俳句がメインのカルチャーであろうとする、優等生を選ぼうとする、そのいやらしさも嫌だ。上品そうな季語を競うかのような世界一種ルッキズムだ。夏休みかいって勝手おめかしさせようとするんじゃねーよ。

そういうところがまさに、かつて私が川柳などのサブカルに引き寄せられるひとつ動機だった。ボウフラにシンパシーを感じる感受性は恐らくはかつて親しんでいた落語川柳で身につけたものだろうからゆりやん一句を悪くないと思うのは邪心かもしれない。そもそも番組ADがテキトーにつくりましたってオチかもしれないんだけどね。

300円でおいしく飲めるワインもあれば、駄作でも楽しめる作品もある。そういうことだと思う。

2024-05-11

anond:20240511114238

今後の博覧会というものは、むしろ会場というのを設営しないほうがいいのかもしれない

バル形式ハシゴするように分散させる

…てかそれなら博覧会のものが要らねーか!😁

絶対的正論なんてない。「状況」ってのが無限個あってそれぞれで最適解が違う。

機械が発展して最適解を出すソルバー対話形式で使えるようになったとして、それが「絶対的正論」を出してくれることにはならない。

「状況」を詳しくわかってるのはそこにいる君自身なので、将来、労働というのは「状況」を理解してソルバー情報を与える動作のことを指すようになるんじゃないかな。

2024-05-10

anond:20240508144514

ああ内容に対しての縛りじゃなくて表現形式ライトノベルってことか。なるほどね

2024-05-09

ラーメン再遊記ってやっぱ最後ゆとりと戦うんかな

発見伝:客不信で理想の味から妥協した芹沢vs客を信じて100%理想の味を出した藤本

才遊記:ラーメンフェイクという過去証明したようこvsフェイからクワクという未来を創るゆとり

再遊記:?vs万人の形式を目指してる芹沢

今のところ強いキャラゆとりしかいないんだよなー

2024-05-08

anond:20240508210756

昔のインターネットインテリしかいない輪の中でも、温度感分からんジョークで仲違いが発生してたらしいしな。それで :-)ジョークの印としたみたいな歴史があったはず。

https://www.wussu.com/various/fahlman.htm

から元増田提案は古くから伝統正式形式化、ブラッシュアップみたいなものになるのかもと思う。

ちょっとズレるが、いいね的なリアクション電子メール実装するヤツ(最近gmailにこんなんできた気がする)。

https://www.rfc-editor.org/rfc/rfc9078.html

anond:20240508133151

さすがだな

Chat GPTだとこんな感じの鑑賞だったよ

まだまだ人間が上か

この俳句は、日本の伝統的な文化である俳句形式使用していますが、その内容は現代ポップカルチャーとの興味深い対比を表しています一般的に、魔法少女というキャラクターは、可愛らしさや女性らしさを象徴するイメージがありますが、「実はおれ」という男性主語使用されており、性別や期待に対する挑戦を示唆しています

また、「告げる雪」というフレーズは、冷たい雪のイメージと、何かを伝えるという意味合いを持っています。この対比は、普段は明るく希望に満ちたイメージ魔法少女と、冷たく静寂な雪のイメージとを結びつけ、その両方に含まれ可能性や複雑さを示唆しています

この俳句は、伝統的な日本文学形式を通じて、現代ジェンダー役割文化的な観点に挑戦し、異なるレベルでの理解考察を促しています

Wordの.docxやらExcelの.xlsx形式ZIP圧縮だけど、

これをさらZIP圧縮するとファイサイズいくらか小さくなる。

536 デフォルト名無しさん 2024/05/07(火) 09:55:37.07 ID:eRnvNXkn

>>531

数学では様々な構成において、ある関係をみたすA1, A2, A3, ... を集めてくると、新たな対象Aが一意的に定まる、という形式のものがある。

これは普遍性と呼ばれている。

たとえば、Rを環とし、R加群M, Nのテンソル積π: M x N → M⊗Nは、次の性質で特徴付けられる。

(☆) 任意のR加群Lと、双線形写像f: M x N → Lを与えるごとに、線形写像g: M⊗N → Lが存在して、g∘π = fをみたす。

アラビア語圏では、材料となるデータA1, A2, A3, ...のことを「マンコ」、新しい対象Aのことを「ハメル」という。

それぞれの意味は「欠けたもの」、「補われたものである

anond:20240508000328

幹事で店の予約とかいろいろやってくれたなら、多少なら面倒なこと言わず持っていけばいいじゃんという感じではある

余った額が大きくなりすぎるとさすがにちょっと考えるけど

というかそれくらい手数料でえーやんっていうか、文句言うやつがいればお前が幹事すりゃいいじゃんって感じではある

幹事無料です形式居酒屋とかもあるじゃん 10人以上の飲み会とかなら幹事無料でもいいよ俺は 5000円とかでも一人当たりで割れば500円とかだろ

2024-05-07

anond:20240505203321

そうね、そろそろ、型月旧世代と、FGO以降の新世代で、噛み合わなくなってくるよなとは予想していました

なので、元増田みたいな人が心情を吐露してくれたのは、正直嬉しいぐらいの気分はあります

以下、旧世代はこんなこと考えてますよ、というのを説明しますね

 

要は型月の世界FGO以外も含めて枝状に分岐してる世界があって

これはちょっと違う。別に分岐してるわけではない

もともと別作品なので別物で、魔術協会とか魔法とかの作品内設定の使いまわしをしてるだけ、です

パラレルワールドとして厳密に決められてるわけではない

というか、作者が特に気にしてないところでファンが作中で書かれた設定をつき合わせして勝手に言ってるだけです

作者もそれを否定肯定もしない

というか、作中の文章記述では暗に否定してはいるんだけどね。明言はしないだけで

 

今回のコラボも青子がもしも暴走したプロイキッシャー倒せないなら倒せないでこの世界線をこれ以上伸ばすのは諦めようって上位レイヤーから判断されて終わっちゃう

それはないです

なぜなら、ちゃんと倒すから

なぜ倒せるかというと、そういう物語から倒せちゃうってだけなんだけど

「倒せない」ときのこととかは、設定の外側ですね

 

世界観の迂遠な補完であって今まで潰してきた異聞帯を剪定するように要らないって判断した上位存在達の傲慢

おそらくですが、次のどっかのイベント(なんならFGO第三部かも?)で、そういう上位存在と戦うシナリオが作られるでしょう

なぜなら、こういうパラレルワールドメタイベントって、常にそういうふうに戦い続けてきたからです

アメコミヒーローの上位存在検索するとわかると思います

 

こういうふうに書いてくと、元増田

「そんなデタラメなことやってて面白くもなんともない。そんな展開が許せないから俺は怒ってるんだ」

と思うかもしれません

だけどすまない

古参の型月、奈須きのこ読者は、むしろそれを歓迎する人たちなんだ

 

”””設定は、後付けで変更されるもの”””

 

これが型月ファン基本的了解事項です

 

元増田は言うでしょう「え、なんでそんなもの面白がるの、理解出来ない」

 

うん、それがね、文脈的に、そんな文章が好きっていう文脈があるんですよ。ミステリジャンルっていうんですけど

「設定は後付けで変更される」、これは

密室は必ず破られる」

というジャンル読者の了解事項をなぞったものなんですね

 

奈須きのこは、何ページも何十ページも続く、かったるい”俺の決めた世界設定”を読ませるので有名ですが、そしてさらに、そうやって読まされた「ぼくちゃんのすっごい設定」を、あっさりとひっくり返すのでも有名です

これは密室殺人密室がどういう状況なのかを延々と説明して、それからネタばらしして密室破りをする形式と同じで、

奈須きのこのすごいたくさん書かれた設定は、基本的

「そんな設定なんか関係ない、こうだ」

と、ぶっ壊される前提の「設定」なんですわ

 

例として、Fateシリーズサーヴァントについてですが、サーヴァントの設定はすごいたくさん書かれてますが、基本、守られません

出てくるサーヴァントが「日本人男子高校生1名」そんだけ

他出てくる人みーーーーーんな2001年だか1999年日本富山県に来てた存命人物ときたもんだ

いやそれ、通常運転です

設定どおりのサーヴァントのようでいて、実は違う

設定どおりのサーヴァントが出てきて設定条件下で戦うなんて絶対にしない

毎回、これやります

そもそも1作目の stay night のセイバーラストで「実はサーヴァント召喚説明と違う状態召喚されてたんだテヘペロ」をやってます

FGOでもやってます

奈須きのこが書いたのが確定してる第一部6章、「サーヴァントだと思ったでしょう? 実はサーヴァントじゃないんだ、ごめんね!」をやってます。思い出しました?

第二部6章、「サーヴァント召喚どうしよっかな…そうだ! 実は全員サーヴァントなんだ!」とかやってます

奈須きのこは、Fateにおいて、自分の設定した聖杯戦争ルールサーヴァントを設定どおりに動かして、なんてことは、絶対しません

 

設定は、破られるもの

(設定どおりの)サーヴァントは、否定されるもの

 

型月信者は、そういうデタラメで雑でいいかげんな文章を20年も読まされ続けてラリってる人たちなので、

「いやこんな設定を出してくるのアリなのかよ、今までの話はなんだったんだよ」は、ご褒美なのです

 

新しい世代の人たちは、「一生懸命に読んで暗記して勉強した設定を無駄にするなんて許せない」と思う人、多いと思います

無駄ではないです。無駄ではないんですよ

しろ奈須きのこは、そういう人たちを愛しいと思ってます

奈須きのこテーマとして、嘘を愛する、というのがあります

存在しないものとか、矛盾してるものとか、設定がカチあってねじれてるものとか、本当じゃないものとか、そういうのを指してきて愛おしいと書く、ただそれだけ言いたい、というのを20年ぐらいずーっとやってます

嘘、フィクション、というんですけど

わかりやすいのでいうと、ジャンヌじゃなくてジャンヌオルタ主人公シナリオを書いたりしてますよね

嘘、が書きたいんですよ。だからフィクションガチガチの設定を暗記することは愛おしいんですけど、ただ、その設定が何の意味もなくぶっ壊れる嘘でしかないところも描かずにはいられないんですよね

嘘だとわかって、でも嘘だけど愛おしい、とやりたいので

この、しょうもないマスターベーションに付き合うのが旧信者だとご理解ください

理解したくないでしょうけど

もしかして5年後、10年後ぐらいに、ちょっと振り返ってみて思い出してくれたら、もしかして思い当たってくれる、かも?

anond:20240507102409

ガチキリスト教形式であればそうだな

一般的な女が憧れてるエセキリストチャペル式は70万とかかかる まぁカメラマン代とかも含めてだが

https://www.mwed.jp/articles/13481/

挙式・披露宴で300万くらいかかるそうだ

https://zexy.net/mar/manual/kiso_souba/

事情によってはご祝儀を3万ずつ貰っても尚ローン組まないといけないレベル

親戚は更にそれで離婚たか馬鹿か?と思った

街コンに行ってきたお

GW街コンに参加した。27歳オス。

街コンの参加自体は2回目だったが、初めて友人と一緒に行ってみた。

男4女2くらいのテーブルが3つあり、30分くらいで各テーブルを男が回る形式

適当オードブルと、ドリンク飲み放題付きで男6500円くらい。

同行した友人がコミュ力お化けだったので、どの卓でも盛り上がった。マジでナイス

もし、今後も本気で関係を続けたい人がいたならば、その子絶対2次会に行かなければならない。

高々30分くらいの会話で、相手名前やらなんやら、そのすべての情報を叩き込める人間なんて少ないし、

ましてや女性サイドは飯食いに来てるパターンも往々にしてあるので、そもそも興味なかったりする。

会場のノリでLINEを交換し、会が終わった後に社交辞令ラインを送ったとしても、

その後の飲みに発展するわけがない。

少人数で2次会を敢行し、意地でも関係性を深めた方が良い。

そもそも2次会に誘えなかったらそれまでなのでしゃーない。

誘うときも、こなれてる感を出すのが大事だと思った。

「もしよかったら・・・」とか下手に出るのではなく、「2次会いこーよ!!」と、無理にでも陽キャ演出する。

「えー・・・」とか渋られても、初手で「いや、無理です」と突っぱねられていないなら、案外押せばなんとかなる。

会の中で1,2を争う可愛い子と2次会に行けたので普通に満足でした。

そこまでしないと絶対に覚えてもらえない。

男は18人参加していたが、2次会まで行ったのはたった6人。

もっと頑張れ、男子

2024-05-05

なぜほとんどの学会オンサイト開催に戻ってしまったのか

概要

ほとんどの学会オンライン開催からオンサイト開催に戻ってしまった。ポスター発表が盛り上がるような良いシステムがないので得るものが減るし学生未来がひいては学問未来ヤバイのが理由である

はじめに

学会も全部オンライン開催でよかったのにみんなオンサイトに戻った」のを不満に思っているのを確かGW前の増田で見た気がする。

今日はなんでそうなっちゃったかを書いておこうと思う。

そもそも学会ってなんだ

まあ学問仕事にしている人ならわかっているが、私は仕事にしている人ではないし、ここは増田なので書いておく必要があるかもしれない。付録にして後ろに置きたいが先に書いてしまおう。

学会というのは意味が2種類あって、

のどっちも学会と呼ばれる。文脈で分かれるから注意だ。

コミックマーケット準備会コミックマーケット対応しているようなものだ。コミケットを開きたいか準備会設立する必要があったんですね。

ただ、両方を指して学会って言ってるようなもんでなんでそんなめんどくさいことになってるのかは私の分野ではないので知らない。日本語関連の先生に聞いてください。

学会の初期の緊急対応

新型コロナウイルスcovid-19が流行り始めて対処も良くわからない時期があった。今なら換気してマスクしてワクチン打って手洗いうがいをすればかなり抑えられることがわかっているが、2020年ダイヤモンドプリンセス号が魔界の船のような雰囲気を出していた時点ではそうもいかなかった。

というわけで現地開催が無理になり、急遽学会中止にしたり、スポーツで言う無観客開催のように予稿集に載ったことで発表したことにするね!現地には来ないでね!といった対応をとったりした。全部未発表扱いにした学会はあったのかな。私は知らない。

covid-19前提の学会開催へ

病気への対処全然からない時点でも、学会を開催する側は来年の開催を考える必要が出てくる。学会の準備って9か月前ぐらいからやってるんで。なんなら会場の予約は1年前にしとかないといけないんで。

そこで注目されたのがオンラインである結構からオンライン会議できることは知られていたしZoomは急速に普及した。それにyoutube動画イベント講義動画を発表したりするのは以前よりよくやられていたか当然の帰結である

vimeo使ってもいいし、youtube使える場合だってあるし(学会計画時点でだれでもyoutubeliveできたのに計画中にチャンネル登録一定以上じゃないとできなくなって慌てて違うのを探したという事件を聞いた)、ニコニコだっていい(参加有料の学会ニコ生でやったのは知らない。一般向けの講演ならやってるのは見た)そもそも動画とっといてUPしてもらえば何とでもなる。

そんなわけで2021年から既存学会がたくさん、オンラインにいったん移行した。

これはある程度うまくいった。講演や口頭発表のように、広い会場で一人が発表して、司会がほんの少しの質疑応答を仕切るスタイルだと、質疑応答オンサイトよりやや盛り上がらないぐらいでほとんど問題にならなかったのである。なんなら質問テキストでのみ受け付けて司会が代読するスタイルにすると演説始めるような変な質問者をはじけて最高。それに住んでいる地方関係なく参加が簡単だし、おまけに講演者外国活躍している人を旅費なしで直接呼べちゃう。さっきまで動画でしっかり講演してた先生リアルタイム質疑応答になったらコロナで息も絶え絶え熱が下がんねえよって言いながら回答してたのは不謹慎ながら未来を感じたりした。

ところが大きな問題があった。懇親会とポスターセッションである

懇親会ができない!

あんなん飲み会じゃんと思う人がいるかもしれないが、基調講演するような偉い先生に対して講演の質問をできる機会というのは貴重である。懇親会に出てくれるからかい質問は後にしろって講演の時に質問ぶった切られたりするしね。それができないんなら全部質問させろってことになりかねない。

それにそういう質疑のサブセットがフラクタル状に起きてるのが懇親会なのである

でもまあ非常時だから仕方ないよね疫病だもんねっていうのでまあ納得できるぐらいのダメージではあった。

ポスターセッションがうまくいかない!

最大の問題はこれである

ポスターセッションというのは、会場に模造紙サイズのでかい紙を貼れる板を何十枚か用意して、そこに研究の成果を貼って、来た人に研究説明をして、来た人の質問をもとに議論するっていうセッションである

すげえよな2024年なのに板に紙貼ってるんだぜ紙。布もあるけど。私は全ポスターモニタープロジェクターになった学会は見たことない。多分お金土地と電力が足りないんだと思う。

オンライン学会ポスターセッションはいわゆるZOOM/WebEX/Teamsみたいな会議ツールがよく使われた。Zoomブレイクアウトルームでよく参加したなあ。わーい紙じゃない未来が来たぞ。

これの問題としては

  • 全体をざっと流して興味のある研究がないか探すことができない
  • 今質疑が切れたから聞きに行こうとかあそこあまり混んでないから聞きに行こうとかできない
  • 質問同士が同時に出てお見合い状態になるしそれを防ぐために遠慮がちになる
  • 発表者が虚空に呼び掛けている徒労感が強い

などがある。

あとはoViceみたいなオンラインオフィス系統もあった。オンライン会議に比べると比較的質疑し易くはあるんだけど、一方これだけで学会しようとするとこの形式は講演がやりづらいとか資料が見づらいという問題がある。

どのシステムでも質疑応答が盛り上がらないし、質問する方は回れるポスターが減る、質問される方は場数が踏めないし、質疑応答からまれる新しい発想なんてのも生まれてこない。

結局、多人数が発表していてさらに多人数が質問するけど質問者は発表者一人一人の声がクリアに聞こえなくちゃいけなくて、なおかつ空いた発表がどこなのかわかりやすツールはまだ出てきてない。

そりゃVRChatの部屋みたいなところでポスターセッションできればいいと思うよ。でも同時に2百人とか3百人とかは入れないじゃん。3百人いて発表者30人ぐらいをさばけるシステムがないんだ。どうしても時間あたりに議論に参加できるポスターの本数が減っちゃうんだよな。

学生さんが充分な質疑応答経験を積めないということは、学者としての経験値が不足するということだ。ということは学生さんの成長がヤバイ学生さんが成長しないということはその学問の分野の未来ヤバイ。なんのために学会やってるんだっけってなる。

そんなわけで、covid-19の対策が進んだことにより学会オンサイトに戻っていった。

じゃあハイブリッドにしてよ!

オンラインだけだと不都合があるのは分かった。じゃあハイブリッドにしてオンサイトオンリーはやめてほしい。

うんわかる。参加者からそう言いたいのは分かる。特に参加費より旅費交通費が大きい民は特にそう思うと思う。わかるんだけど、発表者にオンサイトポスター見ながらオンライン会議質疑応答もやれっていうのは負担普通に倍なんで無理です。学生さんだぞ。ネットレスバしながらゼミ受けろってのと変わらん。何の拷問ですか。

あとな、オンライン学会システム利用費、なんかリアル会場に引けを取らないぐらい高い。運営したらわかる。ピッタリ一緒じゃないけど、10分の1で済むとかそういう感じにはならない。桁がおんなじ感じ。

まりフルにハイブリッドでやるとお値段がだいたい倍かかるんだ。参加者が倍になってくれないと割が合わないよな。で、倍にならなかったんです。

残ってるオンラインハイブリッド学会大事にしよう。もしくは立ち上げよう

結局、いままだハイブリッドやってるとかは相応に頑張ってるので応援してあげてほしい。あとポスター少なくて口頭発表と講演中心の学会であればオンラインも十分やっていけると思う。そういう学会自分でやるしかないんじゃないかなあ。

結論

学会オンラインだけに戻るのはポスターが盛り上がる発表システムがないと無理。そうじゃないと学生学問未来ヤバイオンライン学会向けの発表システムについては今後の課題である

Notion AI微妙なんだよなあ

対話形式には向いてなさすぎるしシンプルドキュメント生成としてもそんなに質がよくない

2024-05-04

消費が増えてもキャッシュレス決済サービスが数%をかっさらう。事業者側にとっては増税みたいなもんだ。

からユニオンみたいに断固現金って手段を取る手もある。ただ、結局イカツい現金識別マシーンメンテ代はかかる。

飲食店だったらここらへん工夫できる。例えば全品100円にする。量はちょびっとで物価変動に合わせて調整する。払う方も釣り銭も楽なので現金識別マシーンはいらない。

これを既に実装したのが、形式化した「せんべろ」(千円でベロベロに酔える。ここでは、1000円で酒やツマミと交換できるトークンを数個貰える形式を指す)。ほぼ赤字の目玉メニューと原価安いメニューを混在させたり、ツマミトークン1.5個必要にしたり、細かい調整が効く。客はサッと1000円飲んで二軒目に行くので回転もまあまあ早い。

代金のやり取りという手間を解消して、物価変動に巧みに対応して、うまいこと客を回す妙手だ。

anond:20240504115938

日本漫画だって切り貼りして縦読み形式にしてるのに…。

日本漫画の衰退が行き着くところまで行き着く前に老衰で死にそうで幸せそうではある。

2024-05-03

私が初めて創作らしいことに手を付けたのは、物語を作ることではなく何かしらのテーマキャラを当てはめることだった。

【文アル】文豪タロット

https://note.com/euphoniumg59/n/n8cb90fceb072

これはタロットで当てはめたもの。ノリとしてはこんな感じ。

元々お酒好きと言うこともあって、それぞれのキャラカクテルを選ぶという遊びは今メインとしているジャンル……文アル以前からやっていた。文アルで選んだ時の画像のまとめを出そうとして、主にTwitterに上げていたせいで凍結した今では見られないという事実にたった今気づいたので、今度どこかでまとめなおそうと思う。

文豪混酒紹介譚

https://www.pixiv.net/novel/series/1067167

こちらはそれを元にして書いてる対話形式二次創作小説

そんな遊びを始めたのは2017年。始めた頃はほぼ壁打ちで、一人で細々とあげ続けていた。そんなある日、重治に選んだカクテルについて、とあるフォロワーさんがこんなことを教えてくれた。

ミモザの花は、もともと女性労働者を象徴する花。女性の同志にも寄り添っていた彼によく合う」

選んだカクテルは「バックス・フィズ」、イギリス発祥シャンパンオレンジジュース割りで、タンブラーグラスに氷を入れてその中で混ぜて作る。これを氷無しでシャンパングラスで作ると「ミモザ」というカクテルになるのと合わせて、プロレタリア文学の3人の共通テーマとして挙げていた「簡単に作れるもの」に「花でいることもできるのにその道を選ばなかった」辺りからイメージして選んだのだけれど、当時はミモザ自体にそんな意味があったのかと驚いたのを覚えている。その後も新作を上げるたびに反応をくださって、好きと言ってくださって、特に啄木で選んだ「ブラッドアンドサンド」では一節のショートショートを頂いた。あれから私も小説を、物語を書くようになって、微々たるものではあるが作品も積みあがってきた。見せられればと思っていた矢先に、その人はいつのまにか、何も言わずに、いなくなってしまわれた。

Twitterしか繋がりが無い以上、あの人が今どうしているのかは分からない。何の前触れもなくつぶやかなくなってしまわれたので、元気にしていればそれでいいけれどもしかしたらそうじゃない可能だってある。人との別れは突然でいくつになったって慣れることは無い。私も小説を書くようになったんですよと伝えたくても、伝える術が無いことに棘が刺さるような思いがする。今の私にできるのは、気が向いたときにでも世界に向けて作品を上げ続けることぐらいだ。万が一でも、目に止まればいいのにと願いながら。

ミモザの日が来ると思い出す。

私が作ったものに初めて感想をくれて、初めて好きだと言ってくれた人。

どうか、この青い空の下で、好きなものとあの黄色い可愛らしい花に囲まれて、生きていて欲しいなぁと切に思う。

2024-05-02

学歴コンプレックス卒業した 2/4

https://anond.hatelabo.jp/20240502193038

大学2回生の頃~

学生時代は、健康づくりのために、鹿渓館(学生棟)という建物の地下2階にある【トレーニングルーム】に通っていた。授業が終わった後に、週に三度くらいかな。

ここでは、体育会部活支配(?)が圧倒的だった。柔道とか空手とか陸上とかラグビーとかウェイトリフティングはもちろん、数多くの部活トレーニングルーム使用していた。めちゃ狭かった思い出がある。

自分のように体育会でない者は、ひたすらにベンチプレスの順番を待つしかなかった。でも、なかなか空かないんだよな。ベンチプレス。あとは、体育会利用者が優先という空気があったし、実際そっちの方があるべき姿だと思っていた。

ただ、自分の番が周ってきて、ベンチ台でバーベルとか持ち上げたりするじゃん。その時にさ、ガーーーンッ!! という大きい音がするのだ。見れば、隣のスペースでアップライト気味に胸~頭上にバーベルを上げていた柔道部の人が、バーベルを放り投げるようにして床に落とすのだ。

あれは、マジでびびったわ。重さが50kg以上もある物体を放り上げるだけの筋力が俺にもあれば、驚かずに済んだのかもしれない。

結局、夕方以降にトレーニングルームを使うのはやめて、早朝にトレーニングする派に転向したんだっけ。朝だったらベンチプレスも、腹筋台も、エアロバイクも、大型鏡の前も空いている。

確か、カブトムシその他の甲虫類が、クヌギコナラの樹液を深夜に吸うのって、スズメバチ回避してるんだよな。日中スズメバチとやり合うと甲虫側がボロ負けするので、彼らは仕方がなく時間帯を変えて樹液を吸うのだ。俺もその仲間だった。正体は甲虫である

ただやはり、体育会の人たちはバックグラウンドが違うこともあって、正直無理なことがあった。特に野球部柔道部といった上意下達イメージがある部活は、当時の自分からするとヤベーことばかりしていた。

3.柔道部とそれ以外の部活の人

 夕方以降にキャンパスから下宿に帰ろうとする時、北側キャンパス中庭付近で、体育会の人たちがバイオレンスなことをしていた。例えば、誰かのTシャツの胸あたりを両手で掴んで、ブンブン振り回していた。後は、後輩にエレベータートイレの前のタイル貼りのところで、床オナをさせていた。あれは振りだったと信じたい。通りすがりの人は普通にスルーしていた。

 基本的に、体育会人達はやりたい放題だった。2024年現在と比べれば、あの頃の世界は「実績があれば何でもよかろう」の世界だった。実際、彼らはある程度の実績を出している。

 例えば、先ほどの鹿渓館の中にある部室棟について、2階とか3階の日当たり良好なスペースは体育会が占めていた。部室の出入口は中がいつでも見えるように、目線の高さの0.5㎡ほどがガラス張りになっているのだが、彼らはそれすら張り紙で覆い隠していた。たまに、男性女性の怒声や、うめき声や、金切り声が聞こえていた。一体、中で何が行われていたのだろうか……。

 ちなみに、【文化系部活】は地下1~2階に生息していた。ジメジメとした暗い空間である。そこで毎日部活動をしていた。最新の大学キャンパスを見る限りは、おそらく今でも其処に彼ら彼女らは生きているのだろう。



まあ、でもこの頃って、だいたい20才くらいだったからだろうか。なんでも楽しかった記憶がある。

大学の構内だと、学食でごく稀にだけど、同じゼミの人と一緒にご飯を食べることがあった。京都山間部にフィールドワークに行く関係で、事前に同じチームで親睦を深めるのだ。半強制イベントだったけど、ああい体験って、あの時分じゃないとできない。

大学近くでも、例えば喫茶店がふたつあったんだけど、社会福祉カフェの方に割と行っていた記憶がある。お値段が安いからだけじゃなくて、なんか、どんな人でも受け入れるというか。そういう感覚がよかった。

教授が言うには、昔は大学に接している市道の上に、お昼時にたくさんの屋台が出店していたらしい。むかし、食中毒みたいな事件があってからは締め出しにあったみたいだけど、人生で一度は観てみたかったな。

大学の構外だと、ちょっと北の方にはおいしいラーメン屋とか、南の方にはカフェとか、中華料理のお店とか、いろいろあったな。文芸サークルの皆でよく利用していた。



4.野球部の人たち

 今はどうか知らないが、大学の授業の出席確認に際しては、出席カードを提出する形式だった。時代の先を行っている大学だと、学生証をピッとやれば出席したことになるらしい。

 どうでもいいけど、今って授業は15回中10回以上出ないと単位をもらえないらしい。厳しいんだな。あと、年間に取得できる上限単位は42らしい。ちょっとなすぎるよ。俺の時だと、大学3回生の前期終了時点で最低110単位は取っていたはずだ。

 さて、あれは大教室での授業の時だったか。秋だったと思う。佛大の若き学生がこの日記を見ている可能性はほぼゼロかと思うが、5号館の101という大きい教室(余談だが同志社講義室に似てる)で、中国明朝歴史の授業中だった。当時の日記によると、倭寇とか康熙帝とか足利義満とか、そのあたりの絡みがある回だったとある。もちろん全く覚えていない。

 授業が始まると、出席カードが前の席から回ってくるのかな~と思いきや、一番前の人が一番後ろの席まで配り切る形式だった。自分が出席カードを受け取ると、すぐ後ろには野球部と思しき人達がいた。彼らは、「すんません、出席カード追加で5枚くれる?」と発言していた。

 出席カードを配ってる人が「すいませんね~」と言って去ろうとすると、「おいお前、待てやコラ!!」と野球部人達が彼に絡み始めた。出席カードを配ってる彼も引かず、収まる気配がなかった。

 これはいかん、と思って俺は、「ちょっとちょっと~」と騒いでいた。やがて中年ほどの先生がやってきて、彼らをひと睨みすると、何事もなかったように騒ぎは収まった。

後輩に「当たり屋やれ」 佛教大野部員、無期停学に

(以下は個人ブログURL長大のため短縮化)

https://x.gd/2hdl3

 上記ニュースは私が入学する前の出来事だが、大学体育会というのは、どこもこんな感じだろうと思う。佛大野球部も、京滋リーグという枠ではほぼ無敵だった。その線でいくと、日本大学もそういう感じだったのだろう。結果だけは出していた。

 結果を出しているうちはいいのだが、佛教大学だって、やりすぎるといずれは日本大学福山大学のように、不祥事(大麻とか)>実績となってしまい、とんでもない結末を迎える。

教職員に対する懲戒処分について(令和6年2月13日

https://www.bukkyo-u.ac.jp/news/info/20240213-26933.html

 上記のように、今でも事件はあるといえばあるが、こういうのはいいよ。間違った人材(臨時雇いの研究者)を雇ってしまったんだろう。大学はいわば騙されてしまったわけだ。次から気を付ければいい。

 ただ、卒業生の一人としては、学生という本質的存在についてはキッチリ管理して、自分のように不愉快な思いをする学生を無くしてほしいと感じている。

不満ばかりを書いてる気がする。

大学生活、楽しいことはいっぱいあった。例えば部活がそうだ。文芸部(サークル)である

文章を書くのが好きだった。それこそ子どもの時分から中学でも高校でも、そういう系の部活がよかったけど、運に恵まれなかった。大学生になって、ようやく文字作品創造する喜びを得ることができた。

あとは、学園祭だ。その名も鷹稜祭(おうりょうさい)というイベントなのだが、年に一度の楽しみだった。一度だけ実行委員になったことがある。みんなで何かひとつのものを作る、といったら大げさだけど、最初は何をしたらいいか全くわからない……という段階から、次第にステップを踏んでいって、尻上がりにイベントづくりが面白くなっていく。

最初の一歩を踏み出すのが早ければ早いほど、ドンドンと楽しくハイになっていって、最終日を迎える頃には、自らがイベントと一体になっている。自分仕事ひとつになっていく感覚

こういう感覚は、仕事はもちろん、趣味活動だってある。精神的な意味で、自分とナニカが溶け合ってひとつになっている感覚である。そのナニカは、人によって違う。パートナーや仲間だったり、参加してる社会のものだったり、取り組んでいる事柄だったり、特定空間だったりもする。

ひとつ、少なくともひとつ大学に進学してよかったと思えるのは――これまでの人生で一番、没頭できるものを見つけられたことだ。これだけで大学に進んでよかったって、そう思える。

あとは、アニメがそうだな。それまでのアニメって、安っぽい作画が多かった。特に子ども向けアニメはそうだ。ポケモンはまだいいけど、デジモンとかはひどいものだった。この頃から、なぜかはわからないが綺麗な作画が増えていった。

どのアニメかは忘れたけど、女の子ドンパチやる系の朝のアニメで、必殺技ダンスバンクがあったのだ。サンバを踊ってたんだけど、最後に「ウー!マンボ」ってやるんだよな。「サンバなのかマンボなのかどっちなんだよwwwwww」と、当時は大笑いした記憶がある。

え、そんなもの面白いのかって? 当時はまだ20代前半である。箸が転んでも面白い年頃なのだ

https://anond.hatelabo.jp/20240502193040

2024-05-01

anond:20240501222725

MMT間違ってるって言いたいなら、MMTの主張内容の何が事実データと相違してるのか書いてくれない?

この記事ルール違反してるから無視されるんだ、とか書いてるがMMTの内容自体反証は一切してないし、そのルール実在するのかもよく分からんルール内容も反証可能性があること、ぐらいのことは書かれてるが内容が曖昧であるし、ツイッタとかで主張を広めようとするやつがダメなら増税・緊縮をマスコミ使って広めてる財務省とその御用学者はどうなんだ?って話だし、ツイッタやって自説を広めてる経済学者派閥によらず多数いるし、ルール違反してるから相手にする必要はない、ってそれこそ反証可能性のない論法じゃないのか?

もし「誰か」の理論が主流派から無視されているとしたら、それは「攻撃やす形式で発表する」という、最低限のルールを守っていないからだ

あとこれとかこの人の憶測しかないよね。無視する理由とか多数想定出来るわけだし。

俺をAI化してきた

結構な額が掛かったのだけど、新しいもの好きなのでファーストペンギンとして飛び込んできた。

ちなみに、その仕組みはこうだ。

俺の人工学データじゅうに散らばっている量子シナプスには数百万個のスペアが含まれていて、機能中のセクターのどれかが故障したときに代わりができるように待機している。そのスペアは、前もって特定言語思想に割り当てられてはいない。なぜなら、たとえば代替需要右翼的左翼的に偏った場合に、左翼派に割り当てられたスペアが、うまい棒チーズみたいな人気味によって場所ふさぎに終わることがないようにするためだ。そして選択後に俺の思想を真似る手段は、形式分子言語フィルターではなく、量子井戸全体に一連の電圧を設定するというものなので、スペア表現できるのは民主主義共産主義のような二元論限定されない。

次の局面では優位な反応を示していた。標準の思考はい・いいえ)の曲線はすでにかなりの部分が重なりあっていたが、青の曲線はそこからほぼ完全に離れたところにあった。デフォルト選択されているのは、青と赤のあいだにふたつの新しい曲線を押しこんでからさら折衷案の端にひとつ否定案の端にひとつの曲線を付け加える方法だ。 

”逆方式”のデフォルトもひと組用意されていて、それは新しい思考のさまざまな組みあわせからどのようなかたちで情報を引きだすかを指定するもの。あらゆる人間の頭の中で赤と青の反応の違いが計算され、脳へ送られるのとまったく同じように。

このようにして作られたAIと俺は今週中に面会する。仲仲良くやれれば良いなと思う。 

2024-04-30

[]4月29日

ご飯

朝:納豆たまごかけご飯豚汁。昼:なし。夜:ウインナー大根人参キノコスープきつねうどん。いりたまごバナナヨーグルト。間食:柿の種

調子

むきゅーはややー。おしごとは、おやすみなりー。

刑事J.B.ハロルドの事件簿 マンハッタンレクイエム

1987年に発売されたコマンド選択ADVSwitchリメイク遊んだので感想を書く。

JBハロルドシリーズの第二弾、前作で事件の本筋とは関係していなかったが印象に残る色気のあるキャラだったサラ・シールズ殺害されるところからストーリーが始まる。

ストーリーの繋がりはこの程度で非常に薄めで、シリーズキャラになる主人公JB一人称述懐するシーンが限りなく少ないため、あらすじが気に入った順にプレイして問題ない。

システムSwitch移植の際に統一されたのか、ほとんど同じエンジンでガワが変わっているだけな印象。(細かい変化はあるので全く同じわけではない)

そんなわけで前作同様に、ひたすらに聞き込みと現場捜査を繰り返す足で稼ぐ系のアドベンチャーゲームだ。

とにかくコマンド総当たりで聞き込みを繰り返していき、少しづ事件輪郭を浮き彫りにしていく、非常に原始的アドベンチャーゲームのそれを楽しむことになる。

UI周りはスッキリしていてモタつかないのは流石にリメイク恩恵がありそうな部分。

今作では何と同姓同名被害者が3人おり、さらいづれも同様な飛び降り自殺を行っている、そんな奇妙な謎が開幕早々に提示される。

しかし、この謎はどうも、アドベンチャーゲームとしての総当たりコマンドにおけるコマンド数の省略、すなわち「サラの〜〜」を聞くという形式にすることで3人いるサラJ、サラO、サラNのいづれか3人の質問をまとめる効果を狙ってのもののようだった。

なので、同姓同名が出てきたということは、なんてミステリオタクが先回りしがちなアレやコレや全くなく、正直ただただテキストを読む際に整理しながら読む必要があっただけだった。

とはいえ、ひたすらに聞き込みを行い誰の証言が信用おけるのか、誰を疑うべきなのかを切り分けていく、JBハロルドシリーズの骨子の部分は面白い

特に意外な人物達が繋がっていくのはこういう聞き込みを繰り返すゲームならではの楽しみだ。

古いアドベンチャーゲームなので、良く言えば媚びていない、悪く言えば味付けが薄い部分も前作同様。

特徴的なキャラ付けも薄いので、登場人物たちを覚えるのに一生懸命だった。

読んでいけば自然と彼らのことが分かっていき、クリアまでにはほぼ全員をしっかりと理解できるのは、何回も何回も聞き込みを繰り返してこそだ。

面白い面白くないの軸で評価するというよりは、テンポよくテキストを読むのが気持ち良いそんな軸で評価をしたくなる一作だった。

anond:20240430000822

街コンって居酒屋とか数店舗回りつつ席替えしつつ30分*4セットとか、20分*6セットくらいでみたいなイメージだったけど

もっと婚活パーティーっぽい感じなのかな(10年ぐらい前に2~3回しか行ってないから今は違うのかも)

何喋ればいいかは確かにわからんが、そこはプロフィールフッキングになる項目を書いた方が良いのでは

それで会話のとっかかりを作って会話が盛り上がりさえすれば(複数人投票できる形式なら)

マッチング確率を上げることは可能だと思う

男女ともにコミュ障多すぎってことは周囲が弱いので抜け出せる可能性はあるんじゃないだろうか

もちろん金と見た目はあるに越したことないし、持ってる奴はブーストかかるけどそれがすべてじゃない

プロフィールに余計な情報(よろしくお願いします、とかこういう理由で参加しました、みたいな駄文含め)を入れずに、

情報解像度を上げる(例えばお酒が好きです、じゃなくてビール党だったんですけど最近日本酒も飲むようになりました、とか

旅行好きです、じゃなくて去年は北海道八丈島に行きましたとか)ことで、たとえそれに興味がなくても

お互いに最初トピックは喋りやすくなるはず

見た目と年収どっちも揃ってるやつってなんだかんだでコミュ力あるやつが多いけどそこに群がったとて

結局は1人しかマッチングしないし、第2希望第3希望でも、自分に入れてもらえれば勝ちなんだよ

ちなみにマッチングアプリだとその場に競合がいないだけで、より多くの人との競合を勝ち抜かないと駄目なので

やっぱり今のままだと厳しいと思うが健闘を祈る

おっさんが久々に街コン行ってきて気づいたこメモ

彼女に振られたので久々に街コンにいってきたおっさんの話

テーブルぐるぐるまわって最後投票した人とマッチングするふっつーの形式街コン

気づいたこ

意外と人多い

前回行ったのがコロナちょっと前位だったがその時と比べて人が倍位に多かった

コロナ明けで婚期逃したアラサーが多いのかな

何話せばいいのかわからん

プロフィール見ながら会社面接みたいなトークになりがち

色々話してくれる相手だと話を広げやすいがYes or Noの相手はほんとに面接状態

コミュ症多すぎ

上で書いた通り俺もひどいもんだったが

他のテーブル見てみるとどちらも何もしゃべらずスマホにらめっこしてたテーブルぼちぼちあった

女側は俺とは普通に喋っていたので男側がリードできてないけど女もリードされないとしゃべれないってことよな

トークの盛り上がりは関係ない

↑で見た何もしゃべってないテーブルの一つがマッチングしてた

やる前からすでに誰にするか決めてるやつおる

こちらが何話しても何聞いてもうっすい反応しかしないのに次の人が来た途端いきなりキャピキャピトークおっぱじめる女おってびびった

男はかっこいい人ではなかったが頭が良さそうな人だったので年収が高かったのかもしれない(俺は年代年収平均値くらい)

所詮と金

マッチングしなかったメンバーの顔拝見すると男女共に見事に全員・・・(俺含む)

女性陣でずば抜けて年増だけど割と美人な人もマッチングしていたので年齢は関係ないこともわかった

ちなみにキャピキャピトーク女もマッチングしていなかった

マッチング0件は結構心にくる

わかっちゃいたけど誰にも選ばれなかった事実は終わってしばらく経ったあとにじわじわと心に来る

男女共にきっとみんな同じ人に投票していたんでしょうな

街コンブサイクだと無理ゲー

10分かそこら会話しただけで人間性理解したりあえてブサイクを選ぶような女は街コンそもそも来ないんじゃないか

まあこれは男にも言えるかもだが俺は喋れるブスにも希望出したがマッチングしなかった

(その喋れるブスも誰ともマッチングせずいそいそと帰宅していた)

ブサイク普通にやっても勝ち目はなさそうと感じた

次試してみたいこと

心理戦に持ち込む
マッチングアプリに手を出してみる(マッチングアプリ童貞なので)
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