はてなキーワード: すいとんとは
本物プレイしたらいよいよ偽物だったなという感じしかなくありません?
露骨にアムロとシャアする寒々しさが初っ端襲ってくるのとかやっぱキツかったなあって今更ながらに思い出すますでしょうよ。
そもそも中途半端にハクスラっぽくする必要があったのかというのは本当に謎で、単に面倒なだけだったとしか思えないんですよね。
やたら詰まる時は実は接近戦を強要させられてたって共通のクソ要素もありますし、デモエクの場合は単に「普通にやってたら弾切れする上に接近戦ならテレフォンパンチマンだから接近オッスオッスがてっとり早い」っていうより奥行きが少ない理由なわけですよ。
発売した年が違うとはいえ、じゃあデモエクってAC3やAC2より面白かったかと聞かれたら「ジェネリックじゃなくてトップバリュ」って感じだったと思うんすよね。
飢えていたからアレでも美味しかったわけですけど、本物を食べてしまうと「やっぱ偽物だわ」ってなりません?
時間つなぎの偽物としては頑張っていたのでそれは評価したいんですが、わざわざAC6が出たタイミングで再評価するのは、この作品の最大の存在価値である「本編がなかった状態での擬似的AC新作」という立場を排除するような評価になりそうで恩知らずを感じますわ。
当然一人で表現の自由を守ることはできません。
一人でも辛い旅も、隣に寄り添ってくれる人がいれば乗り越えられる、UQホルダー大好きです。
あの作品のように、色々な仲間を揃えて共に表現の自由を守りましょう。
なので、同じ「赤」の力を持った仲間達を集めました。
赤松健先生の中に蠢いている「赤」の力が共鳴するので、仲間であることがわかります。
「赤」の力を持つ理由と、表現の自由の戦いで繰り出せる必殺技を紹介します。
かぐや様も推しの子と二つの作品を同時に連載できる程の漫画力の源である苗字と名前の両方に「赤」の力が仲間の証明。
必殺技のわたモテ田村ゆり番外編でTwitterの馴れ合いの延長線でアンソロジーまで書いているアイツらを一網打尽だ!
僕は、うちもこ派です。
コミケ100記念にこみっくパーティ同人誌を頒布してくださった過去を大事する漫画家。
名前に赤が入ってる上に、メインヒロインの高瀬瑞樹は赤毛なので間違いなく「赤」仲間。
必殺技は「ぶっちゃけ、蛸壺屋の同人誌の方が公式感あったよなあ」とかいう意味不明な回想をするオタクを蟯虫検査します。
僕は、すばる派です。
政治に関係する漫画や、成年向け漫画を書いており、多種多様な表現をされている。
レッドってタイトルの漫画を書いてるから、仲間っぽいしなんか山本太郎と名前が似てるから多分政治パワーもあるんじゃね?
必殺技は「ぶっちゃけ、蛸壺屋の氷菓の同人誌の方が面白かったよなあ」とかいう意味不明なオタクにすいとんを振る舞います。
僕は、ナコルル先輩派です。
うなー! 漫画家。
うなー! うなー! うなー!
必殺技は、うなー!
僕は、うなー!
レジェンド声優、漫画家だけでなく声優も表現をする以上、当然表現の自由の戦いに参加する権利がある。
必殺技は、俺はパーを出したぞ。
僕は、オマツリ男爵派です。
あかほりさとるチルドレンの代表者、漫画家や声優だけでなく脚本家も当然表現の自由を守った方がよい。
必殺技は、信じていたい見つめていたい誰も止められないこの想いを転んでも起き上がる勇気、君に胸を張れる生き方、全て明日へと羽ばたけ、パワー、オブ、ドリーム!
僕は、阿智太郎派です。
漫画家とVTuberの二足の草鞋を見事に成し遂げている今一番僕が好きな配信者。
赤が付いてればなんでもいいので仲間。
僕は、男の娘派です。
https://m.youtube.com/c/赤佐たぬ/videos
表現を行う側だけでなく、表現を享受する側が、表現の自由を守る立場に立つことも大切である。
太陽は赤いし、ファイバードには赤い炎の意匠があるから、ファイバードが大好きな彼は仲間に違いない。
必殺技は、2万5000円。
僕は、ダグオン派です。
赤福には赤が入っており、半年に一回は食べてるから資格があるに違いない。
必殺技は、耳が長くてウサギちゃん! 首が長くてキリンさん! 増田が面白くて俺! 俺だ俺だ! 俺だった!!!
僕は、mouseionさんのアニメ感想ブログが面白いと思っています。アニシャドFのエッチなスクショ助かるし。
SHUFFLEのYOUの「キミの大切な思い出にどうか私も居ますように」のところ好き。
ダ・カーポセカンドシーズンのサクライロノキセツの「階段登っていく愛のゴールを信じていく」のところ好き。
はぴねす! のマジカルジェネレーションの「女の子はみんな魔法が使える特別な存在」のところ好き。
恋と選挙とチョコレートのシグナルグラフの「眩しい光が背中を押すように広がる」のところ好き。
総武線で新宿を出て三鷹方面に向かうとき、中野で停車する時間が無駄に長い。誰も乗り降りすることはないのに列車はドアを開けたまま停まっている。この時間がほんとうに長い。停車時間は2分とアナウンスが入るが、この2分はぜったいに2分じゃないと感じる。中野から2駅あとの阿佐ヶ谷で降りる自分にはこれがいつも軽いストレスだった。
中野でこれから2時間停車と車内放送が聞こえたときには、聞き間違いだろうと思った。先週までは(たぶん)2分後に列車はきちんと走り出していた。だが乗客はどんどん列車を降りていき、車内には自分だけになった。東日本国有鉄道の業績が疫病のせいで傾いていると新聞に載っていた。そのしわ寄せが来るとしたら中野のような所なのだろう。しかたがないから降りたが、中野でなにかをするあてがあるわけでもない。
中野は阿佐ヶ谷に比べると殺伐としているので、本当に用事があるときでないと降りない。改札には人が立って切符に鋏を入れていて、SUICAは使えない。さんざん並んで一時降車証明書をもらって駅を出ると、乾いた小便の臭いが鼻を突く。駅の軒下には浮浪児がたむろして寝転がったり莨(たばこ)を呑んだり、片足の傷痍軍人がアコーディオンで天然の美をプカプカ弾いたりしている。
駅前に広がる街があきらかに茶色い。泥のなかに崩れかかったバラックがごたごたと並んで店を出して、どこの盗品かわからないようなベルトや万年筆、シケモクをほぐして干したものを売っている。食べ物といえばすいとんやじゃんぎ丼のようなものを出す屋台しかなく、労務者が地べたにしゃがみ込んで丼を掻き込んでいる。疥癬で背中がボロボロになった野良犬が物欲しそうにそれを見ている。
中野で途中下車する乗客をあてこんだ商売も出始めていた。ピンク色の法被に黒のスラックス姿の男が、新しめのバラックの前に立っている。そばを通ると、「発車までお遊びどうですか」と声をかけてきた。傍らの看板には毛筆で『列車ヲ待チナガラ花ビラ大回轉 一時間五千圓ポツキリ』とある。いくら時間があっても密室で接待を受けていたら疫病にかかるかもしれない。とても無理だなと思いながら通り過ぎると、サラリーマン風の男二人が店に入っていった。
最近都内で増えている屋外の娯楽がパブリックハンギングだ。中野駅前の広場にも櫓ができて、周りに人が集まっている。場所にもよるが1000円くらい払うと、櫓の上に設置した処刑台に人を吊ったり、自分が吊られたりすることができる。目隠しをした相手の首に縄をかけるか、自分がそうされるかを選べる。吊られた人はすぐに下のトランポリンに落下して大きく飛び跳ねる。野次馬は拍手したりしなかったりする。他愛ないといえば他愛ない遊びだが、最近なぜか流行っていた。世相のせいだろうか。
そんなに刺激を求めているわけではないが、スマートボールはこの前やったばかりなので、結局自分はうずら園で時間をつぶすことにした。入場料を払って囲いの中に入ると、うずらがたくさんいて地面を歩き回ったり、藁の上に休んでいたりする。その辺を探すと卵が見つかることがある。これは持って帰ってよいことになっている。うずらの攻撃を避けながら制限時間内に卵を探すだけの地味な遊びだが、自分はこれがけっこう好きだった。
駅から徒歩5分ほどのところにある中野のうずら園は、それなりの規模だった。囲いの中には植え込みがたくさんあって、2、30羽はいるうずらが好き勝手にやっていた。真ん中には丸いテーブルと椅子があり、ポットからお湯を注いでハーブティーを飲めるようになっていた。
ミントティーを飲みながらうずらを眺めていると、植え込みの中に先客がいることに気づいた。グレーのスーツにスカート姿の、髪の長い女性らしい人がしゃがみ込んで、両手で顔を覆ったまま動かない。
囲いのゲートが開いてまた一人やってきた。背の高いおじいさんで、白髪交じりの長い髪は何年前に洗ったのか不明なほど汚れていて、フエルトのように固まっていた。染みだらけの黒いベンチコードにピンストライプのスラックスをはいていて、左右の靴が違った。おじいさんは恍惚とした満面の笑みで、腕を上げてゆっくりとしたリズムの手拍子を打ちながらこちらに近づいてくる。手拍子は歌にあわせていることが、近づくにつれてわかる。あーいあーいおー、あ、あーいあーいおー、あ、ああーいああんあああっあっあいあー、あっ、おあいおああんあああお、ああいああんあああーお、ああいおあんあああっあ、あいおー。これはあれだ。植え込みにうずくまったままの女は動かない。あーいあーいおー、あ、あーいあーいおー、あ、ああーいああんあああっあっあいあー、自分は手拍子だけでつきあおうと思ったら、あーいあーいおー、あ、あーいあーいおー、あ、ああーいああんあああっあっあいあー、電車の発車時刻はおあいおああんあああお、ああいああんあああーお、ああいおあんあああっあ、ああいおあんあああっあ、あいおー
幼少時は、今思うと味覚過敏だったかもしれない。
とにかく苦いものと、グニャっとした食感を全く受け付けなかった。
それから幼少時は扁桃腺でよく寝込んでいたため、粉薬が嫌で嫌で仕方なかった。食後の薬で毎回泣くほど嫌がっていた(笑)
あと、食べられなくはなかったが、酢の物も結構苦手だった。酸っぱい以外の旨味が感じられず、食べにくいことこの上なかった。
てかさー、保育園ってか園の給食を担当した栄養士に対しては、今でも控えめに言って死ねとしか思えない。
ピーマンのソテーなんて、どう考えても子供が好む味じゃないと思うんだが、なんで毎月毎月、バカの一つ覚えのように出しやがった?
ピーマンが食べられるようにするための「食育」?スライスしたピーマンをバターで炒めただけの代物じゃ、どう頑張っても食べられるようにならねーから!なるわけねーじゃん。
昭和50年代にもなって小麦粉を積極的にすいとんにして、しかも子供に食べさせるとか何の意味があるんだ?戦時中の貧乏体験ツアーですか?
まあでも、大人になって一応ピーマンは食べられるようになった。
青椒肉絲とか回鍋肉とか、肉詰めとかジャンバラヤとか、結構食べる。バーベキューで出てきてもなんとかなる。
でも一番美味しいのはサラダでお目にかかる、赤や黄色のパプリカなんだよなあ。見た目も美味しそうだし、実際ピーマンと違って苦味がなくて、普通にフレッシュな味だし。
そしてすいとんは…一昨年に某所の名物(?)として食べたので、食べられなくはない感じだが、今でも積極的には食べたいと思わない。
酢の物、旅館や料亭で出されれば食べるし、実際食べると凄く美味しいのだが、今日は酢の物食べよう!とはならない件。幼少の記憶って大きいね。
粉薬もなあ、錠剤が喉につかえたら一大事って今なら分かるが、それでもあの苦味は思い出すだけで泣きそうになる。
マジであんなの飲むくらいなら病気治らなくていいと思ったからな。
結局、小学生の時分に引っ越したので、そこの保育園が今でもそんなふざけたメニューを出しているのかは知らない。
でも、ピーマンとすいとんと粉薬に泣いていた保育園児が、後にも先にも自分だけとは思えないので、どうにかなっていて欲しいのだが。
だんごといいつつ、かぼちゃのすいとんが正しいのかもしれないけど、昔からこう呼んでるのでこれで。
すごく地味だけどたまに食べたくなるくらいには好きなので、どこかで誰かがハマってくれないかなと思ってメモすることにした。
ところで冬至にやればよかった……。
かぼちゃは1/4カットでもいいけれど、ある程度量がないとだんごを煮られないので1/2カットを使用している。
この分量で1.2Lの片手鍋に3/4くらい出来る。
小麦粉の量も実はお好みで。わたしはだんごそこそこ多めが好きなので小麦粉のだんごは多めに作ってる。
すいとんと違うのは、どちらかと言えばおやつっぽいのと、だんごを伸ばすところ のような気がする。あと生地がべたつくくらいのものを伸ばすから?
指で取って、団子の自重で下にびよーんと伸びるのを、手で横にも広げてあげるとうまくいく。
あと小麦粉が少し溶け出すんだろうけど、かぼちゃの部分もちょっとぽってりするので、かぼちゃを煮る水は少し多めでも。そして小麦粉だけなので茹で過ぎるとドロッドロになったりする(やった)
http://anond.hatelabo.jp/20131203160844
元増田なのですが
ある程度は構わないしみんな許容できると思う。利用して甘い汁を吸ってる人がいるとかはとりあえずどうでもいい。すべての差別に配慮するあまり冗談ひとつ言えない社会とか、貧困層の救済のために結局みんながすいとんしか食えない社会になるのは嫌だ。
我慢の閾値がどこにあるのかはわからないし、自分(達)だけが気軽におしゃべりするために傷つく人を放置していいとも思えない。
他の人(ブコメ)が言うように、緑の革命のように生産の総量が増えれば貧困は少しマシになるのかもしれないが人の競争心や悪意や独占欲、支配欲ってのは簡単に消える物ではない。競争に負ける人、悪意にさらされる人、独占できない人、支配される人を無くそうとすればどこかにひずみが出るような気がする。そもそも差別や虐待のような悪意に対する「生産の総量を増やす」ってなんだ?みんなが何か宗教でもやって愛と我慢の限度値を上げればいいのか?
それこそロボトミーや機械に頼らないといけないかもしれない。漫画 銃夢のユナニマスシステムのように脳にナノマシンを入れて「いいこと」しか考えられないようにするとか。
完全に平べったい共産主義になればみんな不幸だろうよ。