はてなキーワード: SUとは
住宅情報サイト「SUUMO」のキャラクター「スーモ」が描かれた広告用の円筒形人形を盗んだとして、大阪府警南署は19日、窃盗などの疑いで東大阪市の男(53)を逮捕した。「触って癒やされるためだった」と供述しており、自宅から計16個を押収した。
南署によると、ほかにソフトバンクの携帯電話のCMに登場する「お父さん犬」などが描かれた円筒形人形4個も見つかっており、関連を調べている。
逮捕容疑は17日午前11時10分ごろ、無施錠だった大阪市中央区の不動産仲介店に侵入し、スーモの高さ約1.5メートルの円筒形人形1個(約1万円相当)を盗んだ疑い。スーモは緑色の丸い姿が特徴。人形は寝室に飾られていたほか、押し入れや車の中に保管されていた。
https://www.sankei.com/smp/photo/daily/news/170519/dly1705190024-s.html
Supper(サパー)
子供生むのなら食習慣・生活習慣はいますりあわせても無駄な気がする
子供はミルクや離乳食しかたべられない時期が一年以上つづき、それ以降も甘口カレーとのつくりわけなどがあって非常に大変
6歳になってご入学して1学期おわるまでは子供の3食をだれかが用意しないといけない
あと夜なきはうちは3歳くらいまで続いた 夜眠れないのけっこうつらいのでパパが保育園の送り迎えをしてた
(保育園という手で1食はおまかせできるが結局朝夜おやつは用意したり、アレルギーがあれば給食に頼れなかったり)
なら保育園や学童保育に余裕のある(LINEとかできめこまかくふぉろーしてくれる)地域に
ご実家にどれだけ救援を頼めるかもふくめてご挨拶にいくのが一番最初ではないか
どうしても人的援助が公的援助だけではたりなくなってこの増田に「保育園落ちた日本死ね」と書きに来た先輩を他山の石とすべき
②中でもポルノは風紀を乱すとし、焚書されることが当然の世であった
③時代は移り、民主制が台頭すると、「表現の自由」なる概念が生まれた
これは、為政者が政府批判などを規制したり、投獄するのを防ぐ目的で制定された
④本来、「表現の自由」は行政や司法により制限されないが、それでは「表現を用いた他人への攻撃」を取り締まることが出来ない
よって法治国家では「名誉棄損」などに関する法律を定め、権利の対立を解決できるようにするのが普通
⑤ポルノ規制運動への反発には「表現の自由」が用いられることが多くなる
ポルノは「世間的にマイナスとみなされる」類の表現であり、規制に対抗する時「有用性」での主張が難しいため
⑥人権意識が進んでくると、「差別」などの概念も発達し、これを行うことは「正しくない」と規定されるようになる
⑦それらが先鋭化し「ポリティカルコレクトネス」(政治的正しさ)という概念が生まれる
そこでは、女性差別、人種差別などを構成する偏見が助長されることすらNGとされた
⑧女性の権利強化が進み、女性を性的に扱う表現を「正しくない」と言えるようになる
この運動は「女性差別」を基底としているため、ポルノ問題が「差別問題」へ変化する
問題を「差別である」としたことで、玉虫色の意見をけん制できてしまった
事が差別であれば、「この程度の差別は許容されるべき」という意見を構成できない
反論しようとしたならば「差別でない」と言わなければならないが、そこで軸が「差別的」にずれる
耐えてきたハラスメントなどが「性差別の産物」なのだと定義されるのだから当然の帰結
⑩人工知能学会誌の表紙がやり玉にあがる(のうりん、宇崎ちゃんと続く)
「(一部の)女性を不快にする」コードで繋がれた家政婦という表象が「性差別である」として炎上した
最終的には「男性社会の偏見の現れ」とかいう差別「性」に論がずれ
「一般社団法人」でしかない人工知能学会に対して、公的機関などの言葉を使って「微細な偏見すら許されない」と攻撃された
以後、定期的に萌え表現は燃える事になるが、「差別」が前面に押し出されるようになる
⑪「お気持ち」返答が始まる
対する男性側は「差別につながる偏見強化の恐れ」レベルにまで拡大批判してくる相手に対して
「それ、お気持ちでしょ?」と返すようになる(意訳:差別ではないでしょう?)
具体的にいけば
少年漫画で「取り柄がないように見える主人公に惚れるヒロイン」がラッキースケベの餌食にあう事は差別的で許されないが
少女漫画で「ヒロインにだけ優しいイケメンだが札付きの悪」が「嫌がるヒロインに強引な壁ドンからキス」するのは許されるのである
そして、それらのイケメンが、性的に安全なよう最終ロックがかかった去勢された存在となっていてもオーケーなのである
※それらを享受することすら許さない楠本まきのような人も当然居るが、表象としてはエロいセーラームーンなどにも矛先を向ける原理主義者は少ない
そうした不整合を処理するのに生まれた概念が「性的にまなざす」だ
今では忘れられてしまったが、一時「まなざし村」などとして流行った
⑫ポリコレ集団は表現の撤去を求めてくるので表現の自由が使われる
相手の動きが差別を御旗にした「表現規制運動」であるため、「表現の自由」が使われることになる
当然、古の経緯も影響あるだろうが、そも「差別」の解釈を広げすぎて「何でもかんでも差別(の助長)」状態の相手と会話など成立しない
この動きが一般化すると、それを揶揄する「エロ表現の自由戦士」という言葉が生まれる
彼らが守っているのはエロコンテンツだけであり、自分が気に入らなければ打ち切りに追い込んだり、削除に追い込んだりする「お気持ち自警団」であると定義される
ここでバカバカしいと思うのは、そもそも表現の戦場は「お気持ち」の戦場だ
「不人気」だってお気持ちだし、面白いが掲載場所が合わず死ぬ作品もある
「不快な表現」を理由に撤去されるポスターや中止されるCMだって普通にある(死霊のはらわたとかサイレン)
問題なのは、「お気持ち」だと勝率が悪かったまなざし村の村民が、「ポリコレ」という手段を知ってしまった事だ
これまでなら「妻がカレーを作るCMは不愉快です」だったのが、「妻がカレーを作るCMは性差別」として叩けるようになった
発展。
ただしTONOSAMAをいくら押さえても追放できないので忍者の補助という位置づけ。
このためへたくそな捕り方や忍者はTONOSAMAにSATSUGAIされうる。
SATSUGAIを避けるためにTONOSAMAは基本逃げ回る。
TONOSAMAに殺到する忍者を捕り方が迎え撃つ展開になる。
捕り方はABC3名,忍者はAB2名いるので,忍者Aが捕り方ABに押さえられているあいだ忍者Bが攻め込んで捕り方Cと1on1になる。
もし忍者Bが勝ったらCは10秒動けない。TONOSAMAがあぶない!
捕り方ABは行動を解除してBに向かう?1名?2名?
総武線で新宿を出て三鷹方面に向かうとき、中野で停車する時間が無駄に長い。誰も乗り降りすることはないのに列車はドアを開けたまま停まっている。この時間がほんとうに長い。停車時間は2分とアナウンスが入るが、この2分はぜったいに2分じゃないと感じる。中野から2駅あとの阿佐ヶ谷で降りる自分にはこれがいつも軽いストレスだった。
中野でこれから2時間停車と車内放送が聞こえたときには、聞き間違いだろうと思った。先週までは(たぶん)2分後に列車はきちんと走り出していた。だが乗客はどんどん列車を降りていき、車内には自分だけになった。東日本国有鉄道の業績が疫病のせいで傾いていると新聞に載っていた。そのしわ寄せが来るとしたら中野のような所なのだろう。しかたがないから降りたが、中野でなにかをするあてがあるわけでもない。
中野は阿佐ヶ谷に比べると殺伐としているので、本当に用事があるときでないと降りない。改札には人が立って切符に鋏を入れていて、SUICAは使えない。さんざん並んで一時降車証明書をもらって駅を出ると、乾いた小便の臭いが鼻を突く。駅の軒下には浮浪児がたむろして寝転がったり莨(たばこ)を呑んだり、片足の傷痍軍人がアコーディオンで天然の美をプカプカ弾いたりしている。
駅前に広がる街があきらかに茶色い。泥のなかに崩れかかったバラックがごたごたと並んで店を出して、どこの盗品かわからないようなベルトや万年筆、シケモクをほぐして干したものを売っている。食べ物といえばすいとんやじゃんぎ丼のようなものを出す屋台しかなく、労務者が地べたにしゃがみ込んで丼を掻き込んでいる。疥癬で背中がボロボロになった野良犬が物欲しそうにそれを見ている。
中野で途中下車する乗客をあてこんだ商売も出始めていた。ピンク色の法被に黒のスラックス姿の男が、新しめのバラックの前に立っている。そばを通ると、「発車までお遊びどうですか」と声をかけてきた。傍らの看板には毛筆で『列車ヲ待チナガラ花ビラ大回轉 一時間五千圓ポツキリ』とある。いくら時間があっても密室で接待を受けていたら疫病にかかるかもしれない。とても無理だなと思いながら通り過ぎると、サラリーマン風の男二人が店に入っていった。
最近都内で増えている屋外の娯楽がパブリックハンギングだ。中野駅前の広場にも櫓ができて、周りに人が集まっている。場所にもよるが1000円くらい払うと、櫓の上に設置した処刑台に人を吊ったり、自分が吊られたりすることができる。目隠しをした相手の首に縄をかけるか、自分がそうされるかを選べる。吊られた人はすぐに下のトランポリンに落下して大きく飛び跳ねる。野次馬は拍手したりしなかったりする。他愛ないといえば他愛ない遊びだが、最近なぜか流行っていた。世相のせいだろうか。
そんなに刺激を求めているわけではないが、スマートボールはこの前やったばかりなので、結局自分はうずら園で時間をつぶすことにした。入場料を払って囲いの中に入ると、うずらがたくさんいて地面を歩き回ったり、藁の上に休んでいたりする。その辺を探すと卵が見つかることがある。これは持って帰ってよいことになっている。うずらの攻撃を避けながら制限時間内に卵を探すだけの地味な遊びだが、自分はこれがけっこう好きだった。
駅から徒歩5分ほどのところにある中野のうずら園は、それなりの規模だった。囲いの中には植え込みがたくさんあって、2、30羽はいるうずらが好き勝手にやっていた。真ん中には丸いテーブルと椅子があり、ポットからお湯を注いでハーブティーを飲めるようになっていた。
ミントティーを飲みながらうずらを眺めていると、植え込みの中に先客がいることに気づいた。グレーのスーツにスカート姿の、髪の長い女性らしい人がしゃがみ込んで、両手で顔を覆ったまま動かない。
囲いのゲートが開いてまた一人やってきた。背の高いおじいさんで、白髪交じりの長い髪は何年前に洗ったのか不明なほど汚れていて、フエルトのように固まっていた。染みだらけの黒いベンチコードにピンストライプのスラックスをはいていて、左右の靴が違った。おじいさんは恍惚とした満面の笑みで、腕を上げてゆっくりとしたリズムの手拍子を打ちながらこちらに近づいてくる。手拍子は歌にあわせていることが、近づくにつれてわかる。あーいあーいおー、あ、あーいあーいおー、あ、ああーいああんあああっあっあいあー、あっ、おあいおああんあああお、ああいああんあああーお、ああいおあんあああっあ、あいおー。これはあれだ。植え込みにうずくまったままの女は動かない。あーいあーいおー、あ、あーいあーいおー、あ、ああーいああんあああっあっあいあー、自分は手拍子だけでつきあおうと思ったら、あーいあーいおー、あ、あーいあーいおー、あ、ああーいああんあああっあっあいあー、電車の発車時刻はおあいおああんあああお、ああいああんあああーお、ああいおあんあああっあ、ああいおあんあああっあ、あいおー