はてなキーワード: 考察とは
腐女子の受け攻め固定に対する強い拘りとか面白いなって前から思ってたから興味深い話題だ
「BLは男同士だから対等だ」と言いながら「自分の推しは絶対右(受け)固定じゃないと許さない」と主張してて男同士でセックスする事に拘りある筈なのに何でそんな誰が女役やるのに拘るのかなあ…って不思議だった
ホモソーシャルとかジェンダーロールとか人間の性差についてやたら否定したがるのに、同性愛取り扱った作品ではやたら男らしい側女らしい側を気にしたりする人も多いし…
女性は男性より感情を理屈より重要だと思う人が多いから「私はこれが好きでこれは嫌い」という生理的な感情がまずあってそこに後から理屈を付けていくから色々とおかしいな、と感じる理屈を持ち出すのかな
関係ないけど↓のサイト様がBL趣味は無いけど娘さんはBL趣味がある女性のオタクという視点から色々腐女子やBLについて考察してて面白いし勉強になるなって思った
はてな匿名ダイアリーには毎日のように女性オタクが書いたと思われる日記が投稿される。
「自分は是々こういう界隈に居るのだけど、こういう人が居て不快な気持ちになった」という内容の物が多いような気がする。全てに目を通せている訳では無いけど
そう言う話を目にする度に「その人はどうしてそういう嫌な思いをする場所に留まるのだろう?」と感じていた。趣味なら自分が楽しむためにやるべきで楽しめなくなったら離れる物だと思っていたから
「好きな作品の解釈が自分と違う人が居る」「自分が好きなCPと違うCPが流行っている」「自分の好きな作家さんによく知らない人が絡んでいる」など分かるような内容もあればよく分からないなあと思うような物もある
CPというのも「別に原作で好き合ってる訳でもない二人が実は好き合っている」と考えるのが好きみたいで、解釈違いだと不快になっているCPも別に原作で好き合ってる二人でもないらしい。どちらも同じに見えるけど違うんだろうな。
何でその人にとって毎日神経をすり減らすような場所から離れないのかよく分からなかったけど、ある日「女性は他者との交流や感情が激しく揺さぶられるような事がとても好きなんだ」という感じの話を聞いた。
他者との交流が好きだから同好の士を探して共通の話題で盛り上がったり、逆に考え方が違う相手と喧嘩という形で交流したり、交流したいと思っているけど中々出来ない作家さんに絡んで行ける他人に嫌な気持ちを抱くのかな?
「交流」という要素を重視して、むしろ原作より自分の作った二次創作を他人に読んでもらったり他人の作った二次創作を読む事の方が好きという人も結構居るらしい。そういう人達にとって「原作」は二次創作のための燃料らしい。
その気持ちは、とても分かる。二次創作を作るために目を皿のようにして原作をチェックする事で原作に対する理解度が深まってより好きになったり、大好きなキャラクターを自分の手で描いたり動かしたり出来るのは本当に楽しいし、まるで原作の延長のような素晴らしい二次創作を書いてくれる人の事は第二の原作者のように思えるというか、ファンでありながら素敵な作品を提供してくれる創造主とも思える…ある種原作者以上に親愛の情を感じるかもしれない。
二次創作の場というのは、本当に楽しい。ひょっとしたらある日原作に触れるより二次創作に触れている方が楽しい、という逆転現象が起こるかもしれない。他人の作品に感想を送ったり、逆に感想を貰うのもとても楽しいし嬉しい。
そんな楽しい場所だからこそ離れたくないし、自分を不愉快にさせる相手に対する嫌な気持ちは強烈なんだろうな…。長年あるジャンルから離れられなかったけど、色々な要因が積み重なって最後には離れてしまった人の話などはとても物悲しい雰囲気だし。嫌だと思う事があっても中々離れられないし、嫌という気持ちが蓄積しても決定的な何かが起こるまでは我慢してある日爆発する事が多いんだろうか。自分が限界が来るまで溜めこんじゃう人は損をしてしまう。
原作への理解度や愛が非常に重視されるのが女性向けの二次創作の特徴だと常々聞いている。このキャラは原作での描写から考えて誰々が好きだろう、こういう事はしないだろう、という考察が大変熱心に行われているらしい。
男性向けの二次創作界隈は原作に対してそこまで詳しくなくても拒絶はあんまり強くないような印象がある。今人気のジャンルだから描けば売れる、と作る人も読む人も思っていそうだし、需要と供給が合致しているからそれで良い。
女性向けの二次創作界隈は軽い気持ちで参入する事は許されない、と聞いた事がある。同人活動はあくまでファン同士の交流がメインなので決して利益を出してはいけないとも聞いた。本当にストイックな人達なんだなあ…と思う。
まあR-18作品になるとジャンルの性別に関係なくこのキャラはこういう事しないような…こういう事を言わないような…と言う描写は増えてくる物だと思う。そういう時男性向けなら「まあいいじゃん」で済ませられる所も女性向けでは「このキャラはこんな事しない、こんな事言わない、この組み合わせはあり得ない」という議論が盛り上がるらしい。このキャラは多分同性じゃなくて異性が好きなんじゃないかな…という議論は起きないらしいけどまあそこは言いっこなしにしたい。
「自分が描きたいタイプや展開に適しているキャラが居るから」という理由で二次創作をする原作を選ぶ人も居るとこの前聞いた。これも二次創作は人の目に留まる事が多いし創作活動は楽しいから起こる事なんだろうな…と思った。
全く関係ないけど女性作家さんが一般の作品でもどことなくBLを連想させるような描写を入れたがる、という印象が自分の中で強いのは小野不由美先生と栗本薫先生の影響だろうなあ…と思ってしまうのは勝手な思い込みかしら。
取っ散らかって自分でも何を言いたいのか分からなかったけど、「二次創作という行為はそれだけで楽しいから原作の事が大好きという動機以外でも始めてる人も居る」と知って「そういう人も居るんだなと思った」と書きたかったのかな…
今更ながら最近流行ったおけけパワー中島の話題を見て昔のことを思い出したので書いてみる。
人数が少ないため自然と作品が好きな人同士で仲良くなり和気藹々としていて、神とはそこで知り合った。とても気が合い推しカプの話はもちろんお互いの悩みなども話せるような仲だった。神は地方在住のため連絡先を交換しスカイプをしたりラインなどで頻繁にやりとりをしていた、都心でしか買えないグッズを代行したり神が都心に遊びに来た時は会いに行ってお茶をしたり公式イベントに一緒に行ったり、お誕生日やお祝い事がある時には絵を交換しあったりもした。
しかしある時から神にアンチがつくようになった、pixivやマシュマロに攻撃的なコメントを何度も何度も送られて神は精神的に落ち込んでいった。
出す予定だった同人誌もそれが原因で筆が進まず結局出なかった。
それでも神は作品を少しずつ投稿し続けていたが目に見えて憔悴し不安定なツイートが増え、スカイプをしていても急に黙り込んでしまったりボーッとしていたりいつ来るかわからないアンチのコメントに怯えているようだった。
2年ほど経ってマイナージャンル故に供給も少ないため次第に別の中堅ジャンルにも興味が移るようになった、私は別垢を作ってそちらでも活動するようになった。
ある程度そちらの知り合いも増えてきた頃、マイナージャンル垢のTLでなんと神が私の今ハマっているジャンルに興味を持っていると呟いていた!私はすぐに声をかけ作品の見れる動画配信サイト、書籍などを連絡し布教した。
残念なことに作品にハマってはくれたものの推しカプはまったく違うものだったが、それでもまた同じジャンルで楽しめることが嬉しかった。
神も別垢を作り作品を投稿するようになった、もちろん私も彼女をすぐにフォローしどんどんリツイートをした。元がマイナージャンルだったため多くてもリツイート20程度だった神の作品は毎回すごい数のリツイートやいいねが付くようになり、神が元気を取り戻していったことが喜ばしかった。
元々フォロバをたくさんするタイプではなかったしCPが違うのであまり気にとめずリツイートやいいねを続け作品の感想をリプで気軽に送ったりしていたが、最初は返信があったものの次第に無視されるようになった。
そうこうしているうちに神はマイナージャンルの垢を消し、元いたジャンルの人たちとの連絡を完全に絶ってしまった。
私は絵は特別うまくも下手でもないが積極的な性格であることや考察好きなタイプであるため絵のレベルに見合わないフォロワー数を会得し仲の良い人をたくさん作れるどちらかと言えば陽キャラ、おけパ側の人間だ。
もし私がそうじゃなかったらすごく病んで悩んだだろうし、最悪神に毒マシュマロを送るモンスターになっていたかもしれない。
数年経った今も相変わらずその時ハマったジャンルにいるが、神はとても人気だったのにも関わらずアカウントを消した。またアンチが出たからだ。結局そのジャンルでも神の同人誌が出ることは一度もなかった。
なぜ彼女にアンチがつきやすいのかは分からないがマイナージャンルの時さえ大変そうだったので中堅ジャンルではもっと酷かったことだろう、今思えば安易に布教して本当に申し訳なかったと思う…。
後から知ったことだが神はアンチコメがつくようになってから人間不信がちになり、アンチも付かずいつもSNS知り合った自分以外のフォロワーたちと能天気に交流している私のような人間が苦手になってしまっていたらしい。
ここまで読んでなんだ自分自慢かよ!と思った人が多そうだが、何故今回この話を投稿しようと思ったかというとこのトピックについて陰キャラか陽キャラで説明を片付けようとする意見が多いことに疑問を持ったからだ。
人間は気の合う合わないはもちろんあるが、タイミング、生活環境、経済力、仲良くなれるかどうかは色んな要素が重なって決まる。
性格が明るかろうがスペックが高かろうがコミュ強だろうが相手があってのことである、波長が合わなくなればいくら仲良しだったとしても簡単に崩れてしまう。
今彼女がどうしているかはもはや分からないが、もしアンチが付かずにいたら今も一緒に楽しくやっていたかもと思うと純粋に寂しい。
で?っていうオチになったけどあまり自分のことも他人のことも陰キャラ、陽キャラという雑な括りにカテゴライズして可能性を限定して気に病まないでほしいなと思う、自分の反省も込めて。
仕事柄、いろいろな標語の選定委員を何回か務めたことがあるのだが、自分の感覚で「センスがいい」と思ったりしたような標語はほとんど選ばれなかった。選ばれるのは「目の付け所が凡庸で、分かりやすい、5・7・5」の標語。なぜなら関わる委員の大半は真面目に標語のあるべき姿について考察したことなんてなくて、そして一番重要なことは「誰も責任取りたくないから多数による無記名投票式」で選ぶから。つまり、「素人凡人による多数決」の結果だから、とがった名作など選ばれるはずがないのだ。575にこだわらず難しい言葉をキラリと光るセンスで捕まえて一読息が止まるような名作――まあそんな作品はほとんどないのだが――なんて残念ながら選ばれない。そもそも応募作に名作が少ないのは、応募側でもそういう事情をある程度理解しているからだろう、と思うと、深い絶望感にとらわれる。(実際、いい大人でそういう凡庸作を投稿してくる人は、明らかにそれを理解して狙っているとしか思えない。)
本来は、それなりの力量をもった専門委員を選び、その専門委員が選出理由をきちんとレポートにして作成した上で責任をもって(一存で)選出するのがよいはずだ。だがそうすれば、問題が発生したとき委員個人が責を負うことになる。公に近い機関であるほど、それを避けたがる。
「作品」を選ぶのに民主主義は関係ないし、従って投票というシステムもそもそも無意味だ。だが、責任を負いたくない人々のおかげで、今日も残念な標語コンテストは開催され、新たな増田をウンザリさせ続ける。
推しが死んだ。
それも本当に死んだわけではない。命が尽きたわけではなく人格の話だ。
そのジャンルは未だに更新のある生きたジャンルで、リリースからしばらく経つが人気も高い。
私がそのジャンルに落ちたのは1年ほど前のことでまだまだ新参者の類だ。
でも落ちてからは早かった。
推しに出会い、自分でも驚くほどそのジャンルにのめり込んで何度も同じストーリーを繰り返し読んでは公式最高!推し最高!と萌え狂っていた。
わたしは二次創作も嗜むオタクだったので自分でも推しを書き他人が書いた推しの話も支部の古いものから順にほぼ全てに目を通した。
先に書いた通り人気のあるジャンルだったため公式・二次創作ともに頻繁に供給があって本当に毎日が楽しくて仕方なかった。
推しの変化だ。
二次元のキャラクターは目まぐるしい速度で成長していく。アクション・SF・学園モノ…カテゴリーは様々だが、連載が長引くにつれキャラクターは必ず内心面や身体的に成長していく。
良い成長だけではなく時には悪い方向に向かってしまうこともあるが、不変ほどつまらないものは無いのでそれは話の展開に必要なものだ。そうした成長を見守ることが楽しく胸を熱くさせるからオタクはついつい同じジャンルに長居してしまうのだ。
そしてその日は訪れた。
更新されたストーリー内で、推しが絶対に言うはずのない台詞を口に出したのだ。
絶望だった。
ストーリーが突然グチャグチャになって、推しが支離滅裂なことを言い出したわけではない。あくまでも自然に徐々に推しの中身が異質なものになっていって、私が変化を強く感じたのがそのストーリーのその台詞だったというだけだ。
なんで?どうして?何故そんなことを言うの?
全く理解が出来なかった。変わってしまったと感じた部分は、私が推しに落ちた理由でありその推しの"核"だったのだ。
私はうまく回らない頭でTwitterを開いた。同じように戸惑っている人を探そうとしたのだ。
でも目に入ってきたタイムラインには、
「このページの推しの顔可愛くなかった?」
「今回のストーリーすごく泣けた…。」
といったいつもと何ら変わらない公式への称賛の声ばかりが広がっていた。
どうして誰も推しの変化に気付かないの?自分の好きなキャラクターなのに分からないの?
私が推しの"核"だと思っていた性格は、公式にとっても他のオタクにとっても重要なものじゃなかったの?
私が推しの解釈を拗らせて自分の中に空想上の性格の推しを作り出してしまったの?
推しは絶対にそんな考え方はしないしそんなことは言わない。いつそんな変革があったんだ。
ストーリー初期の推しであれば最新話の推しが言った言葉を絶対に否定すると思う。最新話の推しの性格が初期の推しに反映された場合にこの物語全体が破綻するくらいにはこの固定観念は変わってはいけないものだったはずなのに。作品のテーマだったはずなのに。
そんなことを一人でグルグルと考えて苦しくなって、わけも分からずずっと泣いていた。
例えば、
才能があって乱暴で自分勝手で、だけどたまにぶっきらぼうな優しさを見せるキャラがいるとする。(※これは上で語った推しのことではない)
そうした時に、このキャラを好きになる大抵の人が"ぶっきらぼうな優しさ"に惹かれるとする。ならばこの場合の私は"才能があることを自負している強さ"に惹かれるのだ。だから二次創作で原作の描写以上に終始優しい姿を見せるこのキャラを見ると「解釈違いです!」とそっとページを閉じる。でもどちらの性質もそのキャラが有しているものであってどこを好きになっても間違いではないはずなのだ。
感覚というかそのキャラの重視するポイントみたいなものが他人と違う。
つまり何って私とTLの感想が一致しないのはわりと頻繁にあるということ。
話を戻すと、
そんなことある?
否、そんなことは絶対にあってはいけないし、その場合は解釈違いを起こした私がおかしいのだ!いつだって公式が正しい。だって推しの在り方の正解を知っているのは生みの親である公式だけなのだ。
私の好きな二次創作も公式の原作あってこそのものだから、私はストーリーが更新されるたびに各キャラクターの変化を自分の解釈に反映させてきたし、それはきっとどのオタクだってそうだと思う。
供給をもらうたびに考察して、うまく飲み込めない時には他人の考察を見たりして、自分の中に落とし込んで、その都度自分の中の「好き」をアップデートさせていると思う。
でも私は今回それが出来なかった。
公式が間違っている!なんて独りよがりの最低なことを思ってしまうくらいには納得がいかなかった。
毎日楽しく漁っていたTwitterも支部も、二次創作すべてが見れなくなった。最新話に関係のない時間軸の推しを描いたものでさえ、「でも結局この推しは最新話のような思考に陥るんだ」という負の感情が邪魔して見れなくなった。
疲れているからマイナスな発想にしかならないんだ、時間を置いてもう一回最初から読み返そう。
そう思ってインプットもアウトプットも止めて、身体を動かして美味しいものを沢山食べてどこか退屈なだけど気楽な日々を過ごした。(その間も推しが恋しくなったが私生活に支障があっては困るのでなんとかして推しを脳裏から抹消した。)
そうして約一ヶ月後、もう一度推しと向き合った。が、ダメだった。
離れている間の他人の感想も検索して私と似た人も見つけた。推しと作品の傾向の変化について考察をまとめている人もいた。でもその考察がどんなに納得できる内容でも私はダメだった。
ジャンルを離れてもダメで、新しく何かにハマろうという気も湧かない。
死んだ推しの亡霊を追い求めているのだ。
もちろん前のような気持ちで見ることはできないし、私の許容範囲外なだけでもしかしたら他のキャラクターもおかしな変化をしているんじゃないか?と疑うくらいには公式に対する信頼も無い。今はまだそうはなっていないがもし今後すすんで粗探しするようになってしまったら本当にオタクとして終わりだと思う。
でも、「もしかしたら推しのあの台詞に対する言及が来るかもしれない!」サ終していないから、更新があるからこそ、私はそういった希望を捨てられないでいるのだ。
公式を信頼していないと言いつつ自分に都合の良いどんでん返しがきたらあっさりそれを受け入れられるよう準備をしているのだ。ボロボロになりながら呪詛を吐きながらそれでも追い縋ってみっともない。
だけどSNSで表立って愚痴を言っているわけでもない、公式をsageるようなことも言っていない。このヘドロのような感情を自分の中で室内飼いしているだけなのだ。
耐えきれなくなって開いた穴から毒が漏れ、ついにはこうしてはてなに書き込んでしまったわけだがどうか許してほしい。
恐らく私は公式にどうにかしてほしいわけでもジャンルの人間によしよししてほしいわけでも無いんだと思う。
許してほしい。
死んだ推しの亡霊が見えなくなるまで
その界隈の住人でいることを
どうか許してください。
ダ・ダ・恐山のTwitterで「近寄るな……解釈が混ざる……」という発言があった(正確にはこのセリフを含むツイート)。
このツイートを最初見たときはなんとなくわかる〜くらいの気持ちだったから、全然意識してなかったんだけど、今になって急にめっちゃこれ……ってなってる。
現在めちゃくちゃに流行っている、多分みんなわかるので名前は伏せるけどでっけーやつが大元のソシャゲに、私も爆ハマりしてしまった。
爆ハマりした後、腐女子である私はいわゆる「推しカプ」ができて、最初はROM垢でその推しカプを描いている人たちを見ているだけだった。
しかしそのうちに自分でも描きた〜い生産した〜いとなってしまい(私は絵描きです)、新しくアカウントを作りそこで自由に自分の好きなカプを描いたりキャラを描いたり、語ったりしていた。
アカウント作りたてのこの時はフォロワー数10人とかでほぼROM専状態。フォローしている人はみんな大好きな絵を描く人たちだけ。みたいな。
でもそのうち、仲良くお話出来る人とか推しカプについていっぱい語ってくれるフォロワーみたいなのほしいな、という欲が出てきてしまった。
人間なので仕方ないと思うけど、やっぱり絵を褒められると嬉しいし、描いたらいっぱい見てほしいし、もちろん推しカプ仲間が増えるのは嬉しい。
そうして私は繋がりたいタグ云々あれこれに手を出した。推しカプは結構大きいカプ(少なくともマイナーではない)なので、すぐにタグはそれなりに広まって相互の人数も増えた。
そこまでは良かった。それなりに話せる人も増えたし、楽しかった。絵を描いたら細々といいねをもらい喜んでもらえた。嬉しかった。
だんだんRTとかで絵が回って、フォロワーが増えてきた。といっても最近話題の神とか何千人フォロワーとかじゃない。
それに比べたら本当に少ないけど、それでも普段ひっそり暮らしている私にとってはめちゃくちゃ多いフォロワー数になってしまった。
※何度も言いますが普段から表で活動している人に比べたらマジで少ないです
相互の人数もめちゃくちゃ増えた。もちろん全員好きな絵を、文字を書く人だから、見ているだけでも楽しい。
毎日推しカプがどこかで更新されるタイムラインは、あまりにも私の精神を豊かにした。
けど、このあまりの豊かさに、私の心がキャパオーバーしてしまった。
というか大半がそういう人(オタクは考察をよくするので当たり前かもしれない)で、毎日いろんな解釈や考察が流れてきた。
ここで本題の「解釈が混ざる」という話になるのだが、推しカプ、マジでびっくりするほど考察がある。解釈がある。
すごい。口開けてれば賢い人たちが考え出した考察や解釈が流れ込んでくる。マジ?
これやばいな……マジですごい……天才か?って頭悪い発言しかできないんだけど、本当に毎日そんな感じだった。
そうしてそんなふうに垂れ流される考察たちを与えられるまま飲み込んでいるうちに、自分の解釈や考察がなんだったか分からなくなっていた。
いや、元々そんなに考察するタイプじゃないけど、それでも自分の中のカプ観とか解釈とかそれくらいはあったはずなんだ。
少なくともこんなにフォロワーが増えるまでは。
それが今では、自分の見ているカプ観は他人のものなのか自分で考え出したものなのか分からなくなってしまっていた。
新しい情報が出されて、自分なりに咀嚼して解釈を出すのが基本だったんだけど、今はそれをする前にタイムラインに考察・解釈が溢れるからまずそれを咀嚼してしまう。多分これが良くないんだと思う。
だからタイムラインを見るのをやめました。やめたというか、あんまり見ないようにした。解釈が混ざるから。
もう混ざってしまった解釈を一旦まっさらにしたい。まっさらな状態で推しカプに触れて、もう一度解釈し直したい。それを自分のものにしたい。
私は字を書く腐女子だ。
男同士の恋愛を妄想してはその一部始終をダラダラとツイッターに流したり、ピクシブ(支部)に投稿したり、気まぐれに本を出したりするのが生きがいだ。
今までに何度かイベントに出て、何度か新刊が完売したり、何度か完売しなくて現在もそれなりの在庫を抱えているくらいの、まあどこにでもいる同人女である。
色々な反応や記事を見てニヤニヤさせてもらった。ああいうのだいすき!!!!!!!私ならおけパ即ブロして、別垢から監視リスト入りさせてるけどな!!!!!!!
私は自分で言うのもあれだが相当に性格が悪い。中身はこんなんでも本アカでは健気に猫を被っている。
いつものように傍観者気取りで黙っていても良かったのだが、せっかくだし吐き出す事にした。
クソ腐女子の激重感情、お気持ち長文、分析考察、本当にありがとう。
↓
フォロバを貰えなかった本当の友川からすれば、私はおけパに近いのかもしれないな。でも私は自分の事友川だと思ってるから、そう自称させてもらうな。
今いるジャンルは主人公受け(主人公をBとする)のカップリングが一番人気だった。
規模はそれなりにでかいのだが、私がそのジャンルに出会った時には最盛期を過ぎていた。
それでも推しカプA×Bを検索すれば成人向け小説が4桁単位で出てくるし、「斜陽」となった今でも参入者はいるし、支部の作品だって時々増える。
今のジャンルに来る前の私は読み専、ロム専というやつだった。
いや、実は一次二次問わず執筆自体はずっとしていたのだが、一切ネットへ投稿せずに過ごしてきた。
私も最初は多くのロム専がするように、先人が残していった遺産をほぼほぼ漁り、漁りつくして、それでも足らなかったので自分でも書くことにした。
初めてのA×B。それなりのものが書けたので投稿した。3桁程度のブクマ評価を貰い、それなりに満足した。
もう一本思い付いたので、また書いて投稿した。
そんな事を繰り返し、自作品におおむね○○usersのタグが付くようになると、私もいっぱしの字書きになれた気がしてくる。
A×Bで書きたい話はまだあったし、私も本を出してイベントに出れば、神たちと交流できちゃったりして??
神絵師、神字書きのイベント終わりのキラキラアフターツイート群に、私も憧れていた。
そんな薄暗い野心を密かに抱きつつ、私はとうとう交流用の二次創作アカウントを作った。
初めは当然見向きもされなかったが、自分の作品や呟きには既に「ウケる」自信があった。
妄想ツイートを続けていると、♡やRT、フォロバやフォローしてくれる人が増えるようになる。
あの作品、まさか読んでいただけてたんですか!ありがとうございます、嬉しいです!作りたてのアカウントですが、よろしくお願いします!
そのうち「支部に最近現れた字書きの○○さん」本人だと認知されるようになった。
計画通りだった。
いそいそと推しカプのイベントに行き、一般参加だと買えない事の方が多い、とある神絵師の本を勝ち取った。
例のアカウントで「○○さんの本最後の一冊だった~~!!絶対欲しかったから大勝利♡」などと呟いていると、
ちょうど呼吸のごとくA×Bの妄想ツイートもしたところだったので、そちらに反応したのかもしれない。
神絵師は滅多にフォロバをしない人で、自身の呟き自体も少なかった。
その神絵師が私のツイートに♡やRTをくれると、みるみるフォロワーが増えていく。
うーん、さすが拡散力が違うな。
そんなこんなが積み重なり、今の私の本アカはフォロー<フォロワーである。
長々と現状共有をしたが、私にも界隈で嫌いな人はいる。けっこういる。
A×Bの解釈が合わないとか、A×Bで繋がったものの、その後別カプに移動してしまったり、はたまた別ジャンルに移動してしまったり。
私はA×B固定なので、申し訳ないと思いつつ、そういう人たちは早々にミュートしてしまう。
他のジャンルの話をされたくない。旬ジャンルに誘わないでほしい。お前が勧めてくるそのゲーム、私は公式ブロックしているからな。A×Bアカではその話だけしてほしい。困る。
・・・・・・すべて私のわがままなのは分かっているが、それが理由で相手に凸したりはしないので安心してほしい。
そんな私にとっても、当然おけパ、おけけパワー中島は存在する。
私と似たような字書きで、もっと古参で、もっと一般受けするような作風の人とか。
かなーりコミュ力が高くて軽率に褒めてくれるけどジャンルが見るたび変わる175エロ描きとか。
幸い私はクソマシュマロを貰ったことはないが、ここまで読んで貰えば分かる通り、非常~~~に自我が強い。
仮に貰ってもメソメソ病んで泣いて作品を消す事はないし、こちとら腐っても字書きだ。
日頃のツイートから窺える思考の癖や、暮らしぶり、攻撃の手口から絞り込めば、大体こいつだろうなってのは察する事が出来る。
私にも送ってくれないかな~。私は自分を嫌っている人間を特定できるし、送った側は(一旦)溜飲が下がるし、互いに良い事だらけなんだが。
話が逸れた。
私みたいな心の強い同人女だって、きっとこの世には沢山存在するに違いない。
フォロワーの数は肯定力だ。その人の価値全てではないにしろ、「オマエの事を定期的に見ていてやるよ」という意識を(一度は)表明された数だ。
誇りを持っていい。
ようやく本題に入れるが、私は自分が「友川」だと言った。でも同時に誰かの「おけパ」でもあるのだろう。
「友川が凸しなかったのは純粋に偉い。友川になれないオタクいっぱいいる。」
そんなことない。私程度でも友川もどきになれたのだから、友川はもっとたくさんいる。物陰に息を潜めているだけだ。
多分おけパの事わざとフォローしてないんだろうし、おけパと相互になってしまった世界線の友川はおけパの事さっさとミュートして鍵リストに入れてるだろ。
で、憧れの神絵師と自分より仲が良さそうなリプライを覗いては、黒い気持ちになったりしてるだろ。
自分が誰かのおけパになってる事にはうすうす気づいてるけど、さっきフォローしてくれたばかりの新しいフォロワーのホームまではいちいち見に行ってないだろ。
そいつ、最近界隈に来た私たちの後輩かもしれないぞ。あれは少し前の私かもしれないんだよ。
私が気軽にフォロバしない理由は、先述の通り「地雷を踏む可能性が高いと気付いたから」だ。
A×B以外を、私が望むタイミング以外で見せられたら困るのだ。
私は175作家と旬ジャンルに食いつく腐女子を親の仇ほど憎んでいるので、誰かをフォロバしようかなと思ってから少なくとも1か月は監視している。
誰と仲が良いか。そいつのジャンルは何か。コミュ力が高いか。ジャンルの経歴はどんなものか。
日常ツイートの傾向にイライラしないか。かまってちゃんじゃないかどうか。
生活レベルが自分とかけ離れていないか。価値観が合わないといつか決裂する。
・・・・・・私は結婚相手でも探しているのだろうか。でも実際、推しカプって大体は恋愛させているのだし、個人の恋愛観は重要だと思っている。
びっくりするほど上から目線だ。自分でも何様のつもりだって感じだが、結局ここまで吟味したフォロワーでなければミュートすることになるのだから、
腐女子が大好きな学級会で声高々に叫ぶやつだ。そういう事だぜ。
友川本人の話に戻ろう。
地雷は年々増えるものだ。私だって昔はプロフィールに「地雷なし」と書いていた時代があったさ。
普通は地雷を名言したりしないし、貴方のここが私の地雷だからフォロバしません!なんてわざわざ言わない。
友川からしたら綾城は好み100%圏内なんだろうが、綾城にとっての友川の作品傾向が100%好みの範疇に入るかは分からない。
綾城がどうでもいい日常ツイートをするたび、謎の鍵垢からどういう意味かも分からない♡が一定数付く。
原稿のご褒美と称した、ただのコンビニアイスの写真がRTされる。正直意味が解らない。晒されているのかと思う時もある。
賞賛の数だけ、嫉妬と中傷が付きまとう。人間が画面の向こうに居る以上は仕方がない。
友川だって、支部のブクマに1つでも評価が付いた瞬間から、誰かの綾城になっているのだ。
もう少し肩の力抜いて生きようぜ。オマエが綾城だけを見ている間に、オマエのフォロワーがオマエにフォロバして欲しがっているんだぜ。
https://anond.hatelabo.jp/20200629213448
おけパ中島がバズリ
https://twitter.com/sanada_jp/status/1269465337675698176
https://anond.hatelabo.jp/20200706042509(感想屋そのものには誘導したくない)
要約すると、
『とても文章力のある感想書きが界隈を席巻してしまった』という内容の愚痴増田が話題になる
↓
神字書きと字書きを題材にした創作漫画の登場人物『おけけパワー中島』に注目が集まる
↓
有償でポジティブな感想を書きますと言いだした『感想屋さん』を名乗る人物が、サービス内容の不備や文章の稚拙さおよび返金対応への不誠実さなど千々に炎上
ここ一週間ほどの間で、以上のような文脈が発生した。
この結果、感想屋という文言に幾つかの意味合いが発生してしまい混乱を招いたり、炎上したものと似た屋号のサービスへの悪影響が心配されたり、純粋な長文感想書きが誤解から心を痛めたりしている。このあたりは個々に注意されたし。また、有償の『感想屋さん』の問題点については羅列していったらきりがないので、特別に記述はしない。
前置きが長い。
私はオタクである。特に創作はしていない。時折、特に萌えを感じた時に短文を書く程度の人間である。昔長文を書こうとしたが冒頭三千字を書いたあたりで挫折し放置している。その上特に交流もしていないし、感想も書かない。一言で言えば、ROM専である。
それなのに、私には妙な自信があった。それは言葉にするならば、「俺だって本気出せば書ける」。小説はそれなりに読むオタクだから、ちょっとした文章ならば書ける。商業のような文章は無理でも、なろう程度なら。書評は無理でも、紹介文くらいなら。また嫌なことに、学生時分は図書委員会だの新聞委員会だので短文を書いて「本を読む人だから文章がうまい」と言ってもらって有頂天になったりしていた(今自分で思い出して、あれはお世辞だったのだろうと恥じ入っている)。
そんな私が、ここ一週間の流れを追って、何を思ったか。
まず増田を読んで、二次創作するオタクは大変だなあ、と他人事のように思った。
二次を書き、二次を読み、交流し、その動向に一喜一憂する。どうも大変そうだ。ROM専はその点気楽でいい。だが、まあ、感想というのは良くも悪くも人に影響を与えるものなのだな。時には感想を書くのも、善行かもしれない。そのように思った。
次におけパ中島に触れた。
最初は創作物として面白く読み、リツイートした。その後おけパ中島が話題になっていることを知り、もう一度、我が身我が事として考えてみた。私にとっての神とは誰だろう、おけパは誰に当たるだろう。実際に当てはめてみると、ツイッターでつぶやかれている感想は、なるほどもっともと思えるものも多々あった。私の悪いところは、ツイッターにすぐ感化されるところだ。オタクの嘆きに共感し、すぐに自分で考えついたように錯覚する。私は、まるで自分が主人公になったかのように(馬鹿げたことだ)酔いしれ、おけパ中島への薄っぺらい恨み節をツイートしてみたりした。
感想屋が出してきたものは、かなりひどいものだった。界隈のオタクの気持ちを踏みにじるものだったし、何より悪文だった。それは野次馬である私にさえわかるものだった。下手くそで、金を取るような文章ではなかったし、そも人に見せられるような文章ですらなかった。
その程度の文章に、私はひどく動揺した。
何が私に衝撃を与えたかって、それは、その悪文が、私の書くものに途方もなく似通っていたことだ。
いや、あそこまでの悪文ではない。ない、と信じたい。下ネタを好まないゆえにあそこまでの下劣さではない、はずだ。
だが、似ている。文章の構成が、筆の運びが、何より配慮の欠けた思考回路が。私もかつてこういう文を書いて、自信満々に教師に提出したことがなかったか。こういう感想を、臆面もなくファンレターとして出しやしなかっただろうか。その稚拙な文章が他人を傷つけていたかもしれないことを、否定できない。
それは、他人よりも本が好きだという自負だ。小説を読むのが好きなことと、文章を書くのが得意なことを、取り違えて混同した、おぞましい勘違いだ。その上、私が読むのは『他人に比べて』多い程度であって、誇れる程ではない。何一つ、誇れることなどなかったはずだ。眼高手低とはこういう事を言う。
私は自分の文章に向き合ったことがあっただろうか。何度も推敲し、多面的に読み直し、練り上げた文章を書き上げたことなど、一度でもあっただろうか? そう問うてみれば、一度もなかった。この文章だって、ほとんど読み返さず、激情のままに綴っているだけだ。プロットも、描写力も、考えて作ったことなど、一度もない。
私自身が、物事を考えたことはあっただろうか。物語を読んで、薄っぺらい表面的な理解をしてすべてを分かった気になったことは。まるで自分で考えたかのような顔をして、他人の考察を口にしたことは。私は、私自身の無能と向き合った事が、これまでに一回でもあったのか?
これは恐ろしい事だ。誰かにとって恐ろしいのではない。タイムラインのオタクにとって恐ろしいのではなく、創造上の誰かにとって恐ろしいのではなく、私にとって恐ろしい。誰かではない。私の恐怖だ。私の足元が崩れ、私の心が崩れている。他人事ではない。それが、こんなにも恐ろしい。
私は今、パソコンでエディタを開いて、この文を書いている。隣にはもうひとつウインドウが開いていて、そこはまだ新規ファイルのままで、まっさらだ。そこに、小説を書いてみようと、思っている。
私は感想屋にすらなれない。
『なれなかった』と、過去形にしたい。今、切実にそう思う。せめて自分に誇れる自分でありたい。
そして、今度こそ。
自分で読み返してひどいな、これ。
同人女界隈でバズってる例の漫画で、私は限りなく「おけけパワー中島」側の人間だった。
「もどき」と見出しにつけているのは、私がジャンル内で全く存在感が無かったからだ。七瀬や友川のように陰ながら誰かに影響を与えていたとも思えない。
私は、ただ綾城ポジとリア友だっただけの、いわゆる底辺ヘタレだった。
私は文字書きで、友人は絵師だった。あの作品になぞらえて私を中島、友人を綾瀬とする。
軽率に布教した某アニメ作品が綾瀬のストライクゾーンに当たり、彼女はこちらのジャンル沼に転げ落ちた。
綾瀬は元々絵が上手く、萌えが爆発すると筆が止まらないタイプで、毎日推しのカラーイラストや漫画をアップしていた。そんな様子だからフォロワーはあっという間に増え、気付けば5桁に突入していた。
一方の私は綾瀬に布教したのは良いものの、ドヘタレの底辺字書きに過ぎなかった。フォロワーの多さがすべてではないと思うが、2桁だった。
さらに、腐女子のくせにCP萌えせず単推しとなり、原作の隙間を書くような日常話をべったーに上げていたくらいの活動だったため、需要が低く読む人もかなり少なかった。腐女子が多い界隈では、私のような非CP者はいてもいなくても変わらなかった。それが漫画ならともかく、字書きとなればなおさら読まれない。
私は友人の作品が好きだったのでたくさんRTしてリプライも送った。リアルで会った時も感想を言っていた。
優しい友人は、私の小説をRTしてくれて「最高だから読んで下さい!」などと友人のフォロワーに向けて言ってくれた。するといいねRTがパラパラとついた。綾瀬を通して私を知ってくれた人が、「好きです!」とコメントをしてくれた上でフォローもしてくれた。その人、仮に田中さんと呼ぶが、田中さんとは相互になれた。それでもフォロワー数は2桁のままだったが、田中さん1人でもそう言ってくれたのは初めてで嬉しかった。
友人が見落とした、あるいは合わずRTしなかった作品は、全くと言っていいほど人に読まれなかった。
私としては、まあそんなもんだよな、私自身に知名度ないしな、と思っていたのでさほど気にしていなかった。この時は。
友人は、このジャンルで本を出してみたいと言った。同人人生で初だった。私は別ジャンルで出したことがあったため、そんな友人をサポートした。必然的に合同スペースで出ることになった。
友人がイベントの参加意志を示すと、あらゆるところから声がかかったようだった。アンソロへの寄稿、ジャンル内プチオンリーのグッズや特大ポスターの描き下ろしなど引っ張りだこだった。純粋にすごいと思った。
さぎょいぷしながら両者とも無事に脱稿した。綾瀬は自分から申し出て、私の本の表紙も描いてくれた。本当に嬉しかった。たくさん寄稿を抱えつつ全部こなしていたから、本当に神絵師なんだなと思った。
そして迎えた当日。
友人の頒布数が100とすると、私は1以下だろうと覚悟していた。実際そうだった。覚悟通りだが切なかった。
何よりもショックだったのは、友人以外から「私」を認識しされなかったことだった。
スペースに来た人からはほぼ「誰だろう」という目を向けられた。「好きです!」と直接言ってフォローしてくれた田中さんですら、中島という存在を認識していなかった。
田中さんがスペースに来て名乗ってくれたので、「中島です!」と言ったが、ものすごく怪訝な顔をされた。「誰なんだろう?」と言いたげな表情だった。もちろん相互になっていたのである程度の会話はしたことがあった。
驚きのあまり、「Twitterでお世話になってます」の言葉が咄嗟に出なかった。私はすぐに切り替えて「すみません、綾瀬は今席を外してるんですよ〜」と伝えた。彼女は笑顔になって、「じゃあこれ渡してくれませんか」と差し入れを取り出した。私の頒布物をスルーし、友人の本を買って行った。
その後、綾部が戻ってきた後、プチオンリー主催者が御礼としてひとりひとりのスペースを回っていった。主催者はテンション高く綾瀬に普段の感想と存分な感謝の念とアフターの誘いを伝えたのち、私の方をちらりと見て、誰だろうという顔をしつつ「プチオンリーご参加ありがとうございます」と社交辞令を一言だけ述べて去っていった。
来る人の9割9分が綾瀬に声をかけ、中島である私のことはチラッと無関心な目線を向けていった。片手で余るくらいの人は私の本も買ってくれた。
両手両足で足りないくらいの人数が、綾瀬表紙本文中島の本を手に取り、パラパラとめくったあと「なんだ小説か」という顔をして戻した。そしてメイドインオール綾瀬の本だけ買っていった。
友人の初イベントの空気を悪くするわけにもいかす、ずっとニコニコしていたが、正直かなりキツかった。
相互の田中さんにすらイベントに参加していることを認識されてないのだから、「私」へ声をかけてくれる人は誰もいない。さらに、表紙がイラストで本文が小説だと、一瞬手にとられて戻される率が普段より高かった。これも堪えた。1人だけの参加ならともかく、隣で飛ぶように売れている綾瀬の本を目の当たりにしているからだ。
イベントは終了し、アフターに行く綾瀬を見送って、在庫を担いで帰っていった。
あの漫画のように「このジャンルの人は私に感謝してくれてもええんやで」とでも言える性格なら良かったが、無い周囲の目を気にしていたため、私が綾瀬を誘ったことは一切口にできなかった。
ジャンルの神になった綾瀬を見て、素直に友人として嬉しい私と、私がいなければハマってなかったかもしれないのに…と後ろ暗い思いを抱く私の両方の側面があった。
あの漫画の中島の発言はかなり叩かれていた。でも私は、あそこまで言い切れる中島が羨ましかった。「は〜コイツ何言ってるの?」と思われたとしても、「思われる」ということは認知されるということだ。勝手な想像だが、あの漫画の中島はジャンル内でもそこそこの存在感がありそうだった。
Twitter内で流行っているおけパ中島への考察や妄想でも、「ギャグをよく書くが時折深いシリアス作品を書いてそれが泣ける」とか「毒マロが来てるけど綾瀬には言わない」とか「交流上手で友達が多い」とか色々言われていて多くの共感を集めていたが、どれも私には当てはまらなかった。中島ポジのくせに中島にもなれなかった。パワーがない。
いくら神の友人でも、ジャンルで空気だった私は、怪訝な目線しか貰えなかった。もしかすると、「怪訝な目線」というのが勘違いで、「コイツがあのヘタレ中島か…」と思われていたのかもしれないが。
「私が綾瀬さんを誘ったんです!」と公言し、綾瀬の作品に馴れ馴れしいリプライを送りまくり、他の人にも似たような対応をしていたら、何か変わっていたのだろうか。
たぶん変わらないだろう。絵師と字書き、神とヘタレの差が埋まるはずがない。
あの漫画を読んで、私は中島のなりそこないだなと感じて、ただ悲しくなって終わった。
綾瀬とはそれから声優のトークショー等何度か公式絡みのイベントに一緒に行ったが、そこでも綾瀬に声をかける人を大量に目撃した。私は横で見守るだけだった。そんなことがずっと続いた。
しばらくするとジャンルが完結し、私の中では区切りがついたのと、別のジャンルが気になったため、私は綾瀬に今までの御礼を伝えて静かにジャンルを離れることにした。綾瀬の好みには合わないと分かっていたため、私の新ジャンルは布教しなかった。
ジャンルから離れる少し前に、「また本出そうかな」と呟いたら、田中さんからいいねが飛んで来て「楽しみです」とリプが来たのが一番意味が分からなかった。本は既に出していたが、それを認識しないほど私が取るに足らない存在だったのだろう。
綾瀬は未だにそのジャンルの神であり続け、底辺の私は色んなジャンルを彷徨っている。
DMMゲームズ(現:合同会社EXNOA)で配信されている「文豪とアルケミスト」というゲームがアニメ化された(通称文アニ)。
元のゲームは本を侵蝕し消そうとする侵蝕者という敵に対抗する為、アルケミストである特務司書が文豪を転生させて戦わせるという、艦これやとうらぶの本・文豪バージョンみたいなものだ。基本システム(クリックゲー)なのも大体同じである。
ただ転生した文豪は本人という訳ではなく、本人の逸話や後の評価、あるいは著作といったものから出来上がったイメージが元となっている。例えば前者なら芥川龍之介がヘビースモーカーであること、後者ならば江戸川乱歩が奇術師のような格好・振る舞いをしていることなどが挙げられる。
昨年末にアニメ化が発表されたのだが、当初の評判は芳しくなかった。
なんといってもキャラクターの立ち絵だ。中嶋敦子氏の絵は華麗ではあるが癖が強すぎる。服飾の柄がかなり省略されていたことなどもあり、「大丈夫か?」という不安の声があちこちで聞こえてきた。また、他のゲームほどの知名度もないのも相まって「本当にアニメ化するのか?」と考える人もいたくらいであった。
ところでゲームのアニメ化は「新規ユーザー獲得の為」と「既存ユーザーへのサービス」という二つの観点があると思う。
まずOP。神風動画が担当しているのだが、あまりにも小ネタが多すぎて一話にして考察タグが作られた。
https://togetter.com/li/1490059
冒頭に作成スタッフのツイートも纏まっているが、現段階でまだ見つかっていない要素が三分の一あるという。
本編のストーリーに関わる箇所もあったことが判明しているので仕方がないとはいえ、まだあるだと……?!とゲームからの司書(特務司書という役職からユーザーのことを『司書』と呼ぶ。提督や審神者と同意)に驚かれたものだ。
なお本当にやばいのはOPそのものではなく、アニメ化以前からOPムービーを作らせて欲しいとゲーム制作再度へ主張し、いざ依頼してみると曲が決まる前に絵コンテが届いたということだろう。こちらはサウンドトラックCDのブックレットで明かされている。
キャラクターの造形に関しても「キャラを動かす為の省略である」「立ち絵が一番アレ」と一掃された。特に戦闘シーンはキャラがよく動く。柄なんて描いていたらアニメーターが過労で倒れてしまう。
以下からはネタバレを含みつつになるので、何も知らないまま見たいという人はアニメを見てから読んでいただきたい。
第一話のモチーフは「走れメロス」だ。恐らく多くの人が教科書などで読んだことがあり、また読んだことがなくとも大まかなストーリーを知っているだろう物語で、アニメで初めて文豪とアルケミストを知った視聴者には良い取っ掛かりだ。
けれどストーリーの中で「当然知ってますよね」といった態で織り込まれたのが「パビナール中毒で入院」と「四メートルの手紙」という太宰治のエピソードだ。
「パビナール中毒で入院」というのは鎮静剤パビナールの中毒になった太宰が師である佐藤春夫の紹介で彼の弟が勤務する病院に入院したものである。いくら深夜アニメとはいえまさか初回でそれを持ち出すとは、とあまりにもチャレンジャーな内容に驚いたものだ(しかしこれはほんのジャブであることを話数が進むにつれ思い知らされる)。
「四メートルの手紙」というのは芥川賞の選考委員でもあった佐藤春夫へ芥川賞を嘆願する手紙のことで、近年発見された書簡は何度か展示もされている。芥川賞を熱望した太宰は他にも佐藤へ色々やらかしているし、ついでに太宰が受賞することに反対した川端康成宛へ誌上で「刺す」と書いたり、嘆願の手紙を出したりもしている。
これらのエピソードは司書達は共通認識として知っていることであり、改めて説明が不要な内容であった。それらを深い説明もなくさらりと盛り込んだのは「司書たちならわかりますよね」といった制作者の意図が透けて見えるようだ。
そう、あくまでさらりなのだ。OPの考察タグからもわかるように司書たちは元ネタ探しを厭わないし、それを共有する下地がある。知らない人が「ふーん」と流すことも「これこれこういうエピ-ソードがあるから……」と今までの知識から察し、あるいは知見ある人のツイートを共有して考察していくのだ。
それらが決定的になったのが最新話の第八話である。
ただでさえ前話で人気キャラが燃えた上にコロナの影響で一ヶ月休止があったのに、更に重くなっていくストーリー、に上乗せしていくエピソードや考察、そしてOPの新発見。
「クライマックスに向けて物語は加速していきます」「次回は控えめに言って凄い」「アニメチーム渾身の9話」「お覚悟を」
妄想を考察っていう文化?の弊害か、大学の文学科にいたときなんちゃって文豪オタクの「考察」腐女子が何人か後輩として入ってきて、演習発表の授業で考察と称して文学作品のBL妄想(根拠はこじつけ)繰り広げたことがあってぞっとした。
ブックマークコメントの中に、メガネが有史以降かなり最近になって発明されたデバイスなのに、何故にフェチになってしまうのかというコメントがあった。
これについては、個別の作品が引き金になる、という問題とは別に考察の余地があるように思う。
個人的にはかつて人類が今よりもずっと当たり前に行なっていた刺青の風習が関係しているように思う。
本州人は、『魏志倭人伝』の記述を信ずるのであれば「鯨面文身」していたという。
当然、刺青の風習が長く残った北海道や千島・樺太に住んでいたアイヌ民族の事例もある。
近代国家の軛によりアイヌ民族の刺青は厳しい抑制を受けたが、元来はああした風習は少なくとも東アジアにはあったのだろう。
顔に何か意味を持つものが付いているってのはフェチに十分なりうると思う。黒子とかでもなるんだから。
時は流れて、科学的なものや文字に依拠した社会を構築している我々の時代においては、その機能を補助するメガネというものは実利的な意味合いに力点を置きつつもおしゃれの一つとしても位置付けられている。
小説、漫画、アニメを読むにも気づいたら研究している(例:ネタをググり考察する)
ゲームするにも気づいたら研究している(例:パターン分析、マッピング)
創作行為とは研究そのものである(例:流行や他人の技術を真似る、よりよいソフトの使い方、よりよい機材)
研究と言うと大げさだが、インプットの後やアウトプットの前に、ソースを「こねる」手間を加えるということだ。
ただ吸い込んでただ吐き出す、それだけでは飽き足らないから何かを加えて高次にしていこうというのがオタク的研究だ。
そうすることで、継続するうちによりリッチなI/Oを得られるようになる。それが喜びなわけだ。
逆に言えば、一週間遊んでいてひとつも自由研究要素が見当たらない人はオタクではないのだ。
昨今感想屋とか、おけパとか面白い単語が流行っているのだけど、その中でも「こっち側」の人間の意見を見つけられなかったので自分用のメモとして書いておく。
好きな推しCPが出来て、親しい仲間内で同時に作ったアカウントだった。
当初は親しい身内だけフォローして他には誰とも繋がらず、互いに推しの絵を描いたり各々の好きな話をしてキャッキャと遊んでいた。
今思うと、私はこれが好きだった。私の求める二次創作は、好きな絵を描いて、好きな妄想をして、親しい友人と分かち合って、原作を考察したり。それで充分だった。
なので同人誌とかを作る気も起きなかった。神の絵や同人誌を読むのはもちろん好きだったけど、仲良くしたいなんて微塵も思わなかったし。何しろ住む世界が違うので。
ただひたすらそうやって友人と楽しく過ごしていたら、フォロワーが増えていた。
他の友人も新しい友人を作って遊んだりしていたので、楽しそうだなあ、と思いながら絵を見た事がある人を探してフォローを返した。
相互フォローを増やして、楽しく会話した。もちろん以前からの友人とも同じように話した。
フォロー外からリプライも来るので、それなりに返事をした。漫画や絵をアップすれば感想が来るので、ありがたく返事した。
そんな中で、友人から「クソマシュが来た」という報告を受けた。
今思うとこれは「おけパ現象」だったんだけど、つまり私と親しくするな、お前が親しくしていい相手ではない みたいな内容だったらしい。
全然意味がわからなかったが、私は友人が傷つくのは嫌だし、ツイッターで会話するのをやめた。ディスコードで喋ればいいし。
程なくして、私はそのクソマシュを送った相手が最近相互フォローになって楽しく会話をしていた相手だという事に気づいた。
なんでああいうのって匂わせツイートみたいのしてしまうんでしょうね。
「あの人にはいいねするのに、私にはいいねがないのは実力不足なんだな・・・」
今まで自分の事だなんて微塵も思って居なかった謎のツイート群が、友人とツイッターで絡まなくなったら途端に消えたので察した。
ちなみにTLが高速で流れていいねができないなんて普通だし、親しい人間は脳直でリプライできるからすぐ返してしまうだけです。
私が何だかツイッターに違和感を感じ始めていた頃、別の友人が最近始まったソシャゲにハマっていた。
序盤だけでいいからやって!と言われ、推しの論を説かれ、普通に面白かったので面白かった、とツイートした。
友人が描いて!というからちょっと絵も描いた。友人はとってもとっても喜んでいたので私は嬉しくなった。
が、まあこれは予測できた事態なんだけど、「もう〇〇は描かないんですか?!」「ジャンル移動するなら垢消せ」みたいなリプやマシュマロが届いてしまう。おけパ現象も発生した。
意図がよくわからないけど、「〇〇のジャンルは落ち目だから早く覇権の〇〇に移動した方がいいですよ!」とかも来る。
私は自分のジャンルや推しを捨てる気は更々ないし、覇権だから好きになるなんて言う事は全くないので普通に気分が悪い。
ただ、私も不注意だったなあ、と思い、今後一切そのジャンルの話や絵は出さない事に決めた。友人とは鍵垢で喋ればいいし。
それでも推しCPの事は好きなので、絵を描いたりしていたものの、様々な要因から喋りづらいのは事実なので日常ツイートをした。
日常ツイートでタイムラインを流されるのを嫌う人が居るのはわかっている。なので1日2、3ツイート程度。
内容も「好きな服セールで買った」「このお菓子うまい」「髪切った」とか毒にも薬にもならないツイートだった。
ただ不可解な事に、そんなどうでもいいツイートにすら大量にいいねやリプライがついてしまうし、
あげくの果てには「私も同じ服を着たい」「あなたがこのお菓子を食べていたので私も食べた」「同時に髪を切りたい」などとのリプライが届いた。
最初はギャグだと思っていたのだけど、どうやら本気のようで、なんだか私は肝が冷えた。
ライフハックを真似る事は私もあるけれど、私のそれはただの日常行動で、インフルエンサーとして生きている訳でもないし、ただのオタクです。
きっとこれが嬉しい人もこの世には居るんだろうけど、私は単純に怖かった。
なんとなく怖くなってきた私は信頼できる相手だけいる鍵垢にこもり、最終的にインターネットも見ないで過ごした。
私は多趣味な方で、絵を描くのも一つの趣味だと思っている。お金を稼ごうとか、命をかけようとか全然思っていない。
インターネットを見なくても、絵を描かなくても、お菓子を作ったり、DIYをしたり、筋トレをしたり。コロナの中でも楽しく生活をしていた。
親しい人間とはLINEとか、別の媒体で会話をしていたし孤独も無かった。そもそも孤独を厭う方でもないし。
そういう訳で数日後久しぶりにツイッターに顔を出した所、怒涛の勢いで自分の事を心配するリプライがフォローフォロー外問わず届いた。
「死んだかと思った」「あなたが居ない間毎日毎日寂しくて辛かった」「あなたがツイートしてくれないと生きる意味がない」みたいなあまりにも重たい文章が並び、私はちょっと青ざめた。
これが家族とか恋人なら仕方ない部分もある。しかし顔も本名も知らない私にどうしてそこまでの感情を持つのか、理解できなかった。
もうツイートはやめて、鍵垢で過ごそう、絵も鍵垢にアップして最初みたいに、仲間内だけでキャッキャしよう・・・。
そう思って鍵垢で過ごしていたものの、なんと鍵垢を捜索され「どうしても心配だったので鍵垢を見つけて、生きている事がわかって救われた」などとDMを貰った。
ああ、もうだめだ・・・と思った。私がインターネット上で生きている事がもはや義務だった。そんな義務のためにツイッターを始めた訳では無かった。
きっと皆私よりツイッター自体を重たく所持している。そんな中で私がツイッターを軽んじすぎているのかもしれない。それなら尚更よくない。
私が数日間居なくなっただけで大騒ぎしている人々が、私が垢消しした時どんな反応をするか想像できたけど、結局私からしたら顔も名前も知らない人でしかない。
自己中心的と言われればそれまでだけど、私は自分のためにアカウントを消した。
きっと半年もすれば皆新しい神を得て私の事は忘れてくれると思う。
実はこれ、はじめての事ではなくてもう何度も繰り返している。
どうしてこうなるのか自分ではわからないし、人にも相談し続けて来たけれど、皆首をひねるばかりで同じ立場の人間が居なかった。
実際最近の諸々の件を見ても、こっち側の悩みを持つ人は探せなかったし、まあ、言えないよね・・・という部分もある。
ただ少数派でも居るには居るんじゃないかと思うし、あと、もうツイッターのアカウントを作るのはやめよう・・・という誓いを込めて記した。
多分大多数のひとは私の気持ちがわからないし、羨ましい!身勝手だ、享受すべき、なんて考えると思う。
でも私がアカウントを消してしまったのは事実なので、もしアカウントを消して欲しくない神が居る人は、こういうケースも考えて欲しいな、という話。
最後のDMの件だけ説明不足だったので追記するけど、DMは開放してない。
女オタっていうか腐女子はツイステッドチンチンとかツイステッドアナルワンダーランドとか、(男キャラに)生理重くて八つ当たりヤバそうとかをはしゃぎながら言うの大好きだけど(ちゃんと鍵垢でやってるよ)、男ヲタはどうなのかなと
たとえばアイマスだと、このキャラのはチンポの食べログしてそうとか、それチンマスじゃんとか、そういう下品なジョーク考察してゲラゲラ笑ったりしてるのかなとか
半ばトランス状態になっているのかもしれない。夢中になって読んでしまう。
すると「犯人は誰だろう?」だとか推理ができなくなってしまうのだ。
そのため、気付いたら推理せずに一気に最後まで読み切ってしまっていたということが頻繁に起きる。
もし自分が推理小説をパズルとみなして挑戦するとしたら、あえて物語に夢中にならないようにするしかない。
それは「夢中になって一息に読めてしまう小説ほど素晴らしい小説だ」と信じている私にとってとてもつらいことだ。
「名探偵皆を集めてさてと言い」のシーンに差し掛かったら我に返り、自分の推理がまとまるまで次を読み進めない……のように謎に挑戦しているのだろうか?
そして私のように「面白かった!」の感想が主となり、謎には強く頓着しない読み方は邪道なのだろうか?
【2020/07/07 追記】
同じく読書が好きな私の友人たちと感想を交換している際に違和感を感じたことがその発端となった。
友人たちはどうやら推理小説を読んだときに推理できているようなのだ。
私といえば物語の謎には触れず、いかに物語が読者を夢中にさせるものだったかを感想として述べていた。
私は劣等感を感じたのだ。そして羨ましいとも思ってしまったのだ。
推理小説であるからには推理をして楽しむのが一番楽しい読み方ではないのか、とその時思ったのだ。
推理できないことに劣等感を覚え、推理できている友人のことを羨ましいと感じたのだ。
【2020/07/07 再追記】
以下の再追記はタイトルからずれた内容となり、完全に蛇足である。
思わず膝を打ったコメントをtwitterで見かけ、それが私が本当にもやもやしていたことを気付かせてくれた。その内容を要約し、箇条書きで記載する。
(引用のほうがいいのだろうか?マナーがわからないので不適切でもご容赦していただければ幸い。)
・推理小説を無理に読む必要はなく、他ジャンルを読めばいいのではないか?
・推理しながら読むようなスタイルは、他ジャンルでは「考察」と呼ばれる。
・この増田は他ジャンルでも「考察勢」に引け目を感じているのではないか?
……といったものだ。
全くその通りである。考察勢に憧れ、自分がそうでないことに引け目を感じている。
私の属しているコミュニティの他の方々が考察を述べている横で、私は主観的に私がどういう体験をしたか(≒ほかの方も読むとこのような心の動きを得ることができますよという喧伝)を述べている。
さて、そのコメントを書かれた方含め複数の方から「もし推理/考察をしたいのならば再読するとよい」と解決方法を示していただいた。
なるほど道理である。確かに自分はおおむね1回しか通して読まないことが多い。なんと単純な解決方法だろう、そんなことに自分で気づけないとは。ありがとうございます。
ただこの解決方法をとると、積みあげている本の高さがさらにうず高くなってしまうだろうが……
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自分は「星を継ぐもの」をきっかけに数年前からミステリにも手を出し始めたSF好きです。
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
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00 | 83 | 15906 | 191.6 | 58 |
01 | 64 | 16263 | 254.1 | 65.5 |
02 | 75 | 23075 | 307.7 | 50 |
03 | 62 | 22508 | 363.0 | 134.5 |
04 | 40 | 9153 | 228.8 | 95.5 |
05 | 38 | 7476 | 196.7 | 76.5 |
06 | 39 | 7677 | 196.8 | 48 |
07 | 52 | 7547 | 145.1 | 54 |
08 | 79 | 11939 | 151.1 | 47 |
09 | 91 | 9851 | 108.3 | 48 |
10 | 106 | 12886 | 121.6 | 57 |
11 | 146 | 16901 | 115.8 | 46.5 |
12 | 99 | 8558 | 86.4 | 44 |
13 | 137 | 19372 | 141.4 | 59 |
14 | 106 | 22291 | 210.3 | 72.5 |
15 | 180 | 25169 | 139.8 | 54.5 |
16 | 157 | 20745 | 132.1 | 50 |
17 | 175 | 20014 | 114.4 | 46 |
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1日 | 2753 | 399484 | 145.1 | 48 |
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大学卒業後7年間引きこもっていたのだが、心機一転働き始めて約1年になる。その経緯を記しておこうと思う。
というのも、幼少の頃、一つ上の兄とは別に母方の実家で年下の従兄弟と一緒に祖父母に育てられたり、
父親に無意味に脅かされたり(曲がり角や暗がりから「ワッ!」と言って脅かしてきた)、小さな失敗を蒸し返して執拗にからかわれたことなどが影響したためだと思う。
自分から心を開くことはなく、相手が心を開いているかどうか疑いながら仮面を被って人と接してきた。
初めての一人暮らし、滑り止めで受かった大学では周りに馴染めず(若者が怖い)、居場所は2ちゃんねるだけだった。大学は憂鬱と不安と恐怖と怠惰にまみれた日々だったと言える。
高校の頃から長らく体調不良気味(慢性的な下痢・眼精疲労)だったのも関係しているかもしれない。
勉強のやる気を失い、優等生だった高校までと打って変わり落ちこぼれた。アルバイトもサークルも続かず、夜ふかしによる寝坊で授業をサボった。
人生が何かしっくりこない感じがあり、1年休学して第一志望を目指し予備校に通わせてもらったがすぐ行かなくなった。その後勇気を出して復学した。
実家から通うようになってしばらく続いたが、4年生の研究室で馴染めず、一時期登校拒否になった。
なんとか卒業の目処が立ったものの就活するのが怖かったため、作曲家を目指すと言って逃げ、就活せずそのまま無職引きこもりになった。
どうせ就職しても、責任が伴うのが怖いし、周りから浮いて仕事に適応できずにうつになったり自殺したりしてしまうだろう、だったら働かない方がましだ、とも考えた。
これからのビジョンがまるで浮かばなかった。ただ休みたかった。
世の中の人達と自分が全然違うという意識があった(それは今も変わらない)。また、世の中嫌な奴ばっかりだとも思っていた。大学に入ってから、気が緩んで性格が悪くなったのが原因かもしれない。
作曲について人一倍プライドがあったが(雑誌に投稿して賞をもらったこともある)、独学だし楽器も得意ではないのでとんでもなく無謀だった。
人生に失敗した分を取り返そうという、ギャンブル依存症的な感情に囚われていたのだ。
高校時代の友達がいたが、煩わしくて連絡を無視して縁を切ってしまった。
昼夜逆転はそれほどしなかった。2時半に寝て10時に起きるという感じ。昼寝もしていた。
一歩も外に出なかったわけではない。たまに自転車で人気の少ない場所に出かけた。
また、母親と一緒に図書館に月1で自分が車を運転して通い、小説を借りて読んだ。
両親になぜ就職しないのかと問い詰められることがあったが、無視するか、人と関わりたくないからと答えた。
それでも、引きこもりの繰り返しの日々で、体調不良の原因がわかってきて改善していった。
また、お絵描き(落書きレベル)、日記、将棋、ラジオ体操、読書を始め、次第に心が癒やされていった。
色々なYoutuberの動画を見たり、将棋の藤井君や羽生さんの活躍を見て感動するときもあった。世の中に希望を見出してきた。
心身ともに回復するにつれ、「そろそろ働けるかも」と思った。だが、あと一歩の勇気が出なかった。
そうして引きこもり7年目、30歳目前になって焦りを感じた。もはやモラトリアムなどと言っていられる年齢ではない。
母親がもうすぐ退職することになり、すでに退職している父親だけでなく母親とも日中顔を付き合わせることになるのが嫌だった。
その頃、8年使っていたパソコンが壊れて起動しなくなってしまった(幸い後に復活したのだが)。
パソコンには、過去作ってきた絵や曲が合計一千点以上入っている。作曲についての考察やソフトの使い方のメモも書き残してある。
それらが失われるというのは、引きこもりの間、自分は死んでいたと言うのと同然だった。
死を意識してみると、絵も曲も自分の人生においてどうでも良いものだったと悟った。ショックでベッドに横になった。如何に時間を空費していたか痛感した。
あれだけ取り組んできたのに、人生において意義のあることではなかったのだ。
大学生で塾講師をやっていたとき、わからないところを教えたら「ありがとうございます!」と笑顔で答えてくれた中学生の女の子、
高校の文化祭で(歌うのが好きなので)バンドのボーカルをやらせてもらったとき、終わったあと「良かったよ。」と声をかけてくれた先生、
高校の部活で、居残り練習をしていたのをお世辞で褒めたら、本気で受け取ったのか嬉しそうに微笑んだ後輩の子、
その3人だけ。他愛もないことだ。人生を無駄にした後悔の念と、人に少しでも喜びを与えることができた嬉しさに涙が止まらなかった。
「誰かのためにならずして死ねない、死ぬ前に感謝されたい」という答えに行き着き、それが根本的に自分の求める生きがいであることに気づいた。
それからなけなしの貯金を叩いて新しいパソコンを買った。しかし運の悪いことにそれも初期不良で壊れてしまった。
さらに国民年金の支払いを全額免除するかどうかの通知(よく覚えていない)も届いた。当然年金は一銭も払ってなかったためだ。
パソコン関連のゴタゴタに加え、冬の時期で冬季うつ病っぽくなっていたため、神経が参っていた。
母親にパソコンや年金の件を相談していたら「働いたら?」と言われ、そこで素直に頷いたのだ。
まるで、立てこもり犯が説得に折れて投降したかのようだった。それが脱引きこもりのきっかけだった。
就活は半ばやけくそだった。引きこもりで自信がなかったので正社員なんぞ端から目指さなかった。
ネットの求人サイトで事務職の応募に電話したのがきっかけで、紆余曲折あって地元の工場の検査業(肉体労働)の派遣社員をすることになった。
親に反対されたが言うことを聞かなかった。流れに乗ろう、直感を信じようと腹をくくった。
どうせ自分は働くのに向いてないので、続くところまで続けようというスタンスで挑んだ。
明日はどうなるかわからない、と覚悟した。おんぶに抱っこで、ずるい人間であろう、とも考えた。
始めは何も仕事がわからず、赤ん坊同然の気分だった。初日は久々に初対面の人と会話したり見知らぬところを歩き回ったので、
夕方帰宅したとき、まるで3日ぶりに家に帰ってきたかのように感じた。
出社拒否にならずに一日一日出勤できたことを自分で褒めた。3ヶ月くらいかかって次第に仕事に慣れていき、やりがいを感じるようになった。
職場の人達は親切な人が多くて意外だった。ここは本当に現実世界なのか?と思ったりした。女性の多い職場(お母さん達ばかりだが)なのもツイていたかもしれない。
職場の人に前職について聞かれたが、塾講師をしていたと嘘をついた。
家から近い工場なので近所にも勤めている人がいる。元引きこもりなんて言ったら噂が広まってメンツが潰れる、と親に止められたからだ。
正直に答えたかったが、職場の人に心配されると逆に面倒だったかもしれないので結果的に良かった。
週5のフルタイム勤務だが、残業したり土曜日出勤もある。仕事がきつくてストレスが溜まって週末泣くこともあった。
・好きなものを好きなだけ買って食べることができるようになった。その他欲しいものが買えるようになった。
・気後れすることなく病院で保険証を見せることができるようになった。
・人の視線が気にならなくなった。
・高校の頃から、死にたいと思っていたが、徐々にそう思わなくなってきた。
・肉体労働で汗をかいて、体調が良くなった。大食いになって、筋トレもするようになり、7kg体重が増えた。元々ガリガリだったので丁度いい。仕事ぶりを褒められるようになり自信がついた。
・ネットに毒されていたが、毒が抜けた。ネットと距離を置けるようになった。
・不安と恐怖で胸がいっぱいということがほぼなくなった。
・心に余裕が出来たためか恋愛したくなった。
・せっかく大学卒業したのに非正規の肉体労働の身なので自分自身を認めることができず、気持ちが楽になることがない。
・人生がつまらない。引きこもっているときとほとんど同じことしかしてない。
・スーパーや雑貨店、本屋以外の店に怖くて入れない。外食も怖くてできない。
・涙ながらの決意もどこへやら、感謝されるようなことを何もしていない。
・低収入で親と同居しているため、彼女を作る自信が出ない。まともな職についていれば良かった。
・もっと早く働き始めれば良かった。
・大学生の頃までは、同級生と自分というのをよく比べて劣等感を感じていたが、今は、自分は自分だと思うようになった。そんな心持ちで大学生の頃に就活をすれば良かったかなと思う。
たくさんのコメントありがとうございます!すべて読ませてもらいました。
元
https://anond.hatelabo.jp/20200703193938
https://anond.hatelabo.jp/20200704211736
https://anond.hatelabo.jp/20200705112649
これを読んでいつも思っている話が何となくよぎったので少し書いてみる
上のブログでは、「対価システムにとらわれるコミュ障」の話がメインで語られている。非常に面白い考察なので是非とも全編読んで欲しいのだが、簡潔に言うと「自分に自信のないオタクはもともと自己評価が低いために、相手に対価のあるものを提供しようとしてなんとかコミュニケーションをとろうとするが、特に相手はそんなものに興味はなく普通に人間として交流できる人が欲しいため、コミュニケーションをとれずに終わりがち(最悪の場合は相手に対価を求めてすらしまう)」みたいな話である。
自分もこの「対価システムにとらわれるコミュ障」側の人間なので「わかる」という気持ちなのだが、これに加えてこういうタイプの人間には「人間性への興味の欠落」が発生しているのではないかという思いがある。わかりやすく言うと、七瀬は綾瀬の作った作品にしか興味がなく(本人が自覚しているかどうかはともかく)大して綾瀬という人間には興味がもててないのではないか、という話である。
「いや、七瀬は綾瀬のことをかっこいいとか言ってるし、ツイッターでの日常ツイートとか見てるかもしれないだろ」という意見もあるかもしれないが、結局は綾城を「神作品を作ることができるマシーン」としか捉えていない。「神作品を作ることができるマシーン」がどういう日常を送っているかには興味があっても「自分なりの人生を送って、こういう性格をしていてこういうものが好きで、創作をしながらも日常を送っている綾城」に一切の興味がないのである。なんならさらにいえば「自ジャンルの神創作をする綾城」にしか興味がない。いっぽうの中島は、きっかけは綾城が神作品を作ることかもしれないが、きちんと綾城という人間に興味を持っているように見える。だからこそ中島は綾城に一人の創作を楽しむ人間として色々なジャンルをお勧めできてともに楽しむことができるし、友川は綾城を自ジャンルにどうにかして引きずり戻そうとするのである。
自分の観測範囲では、こういう創作者を「創作者」としてとらえて人間性への興味をなかなか持てないタイプの人を特に創作界隈でよく見かける気がしている。(そして私もそうである。)
こういう場合、コミュニケーションが創作を通じてのみになりがちである。具体的に言えば推しの話や創作をする際の悩みの話、そして自分の作品のみでコミュニケーションをとるのである。
もちろん、それが悪いとは言わない。なんなら創作界隈なんぞ「推しの話をせずになんの話するんだ」「ごたごた言わずに作品で語れ」みたいな界隈なのでどこもかしこも大なり小なり上で書いたような空気はあると思う。が、上で言うような人間性への興味がかなり欠落している人は、「それでしか」コミュニケーションをとらないということになってしまいがちなのである。そしてそうなると往々にして息苦しくなることが多い。なぜなら、その界隈での自分の存在意義を「どれだけ良い作品を作れるか」「推しへの熱量」のみによって測るようになってしまうからである。
誰もが常に創作を続けられるわけではない。日常が忙しくなったり、色々なジャンルに興味が出ることもあるだろう。そもそもとして人によって使える時間、お金は違うし、ジャンルにかけることができる熱量も違う。一つのものに熱を注ぐ人もいれば色々なジャンルをくまなく漁る人もいる。にもかかわらず、創作の質や量、そしてジャンルへの熱量のみで自分の存在意義を測るのならば、ちょっと忙しい時期が続いたりスランプに陥ったりするだけであっという間に居づらさを感じることになってしまう。
普段から創作の話やジャンルの話しかせず、リプライも推しの話か創作の悩みの話のみしか交し合わない。それでいて自分がジャンルに時間や熱量を(やむを得ない事情で)あまりかけられなくなると、「自分は界隈での存在意義がない・・・」とか一人で勝手に病みだすのである。傍から見てると自業自得のただの面倒くさいやつである。
こういうことは人間性によってコミュニケーションをとり、関係性を築いてる要素が多少にでもあれば起きづらい。普段から「△△な作品を作る○○さん」ではなく、「○○さん」という形で多少なりとも人とコミュニケーションを取るようにしていれば、創作に多少熱量が避けなくなっても「自分の居場所を失ったように感じる」ことは少ないだろう。なぜなら自分自身の存在が存在価値になっているからである。(もちろん完全に不可分というわけにはいかないと思う。でも、創作をしている自分100:自分自身0という状況に比べれば、90:10とかにしておくだけでもだいぶ変わるだろうという話である)
だが、人間性に興味を持てないオタクはこうすることができない。上で述べたように創作を通じたコミュニケーションしか取れない。そうするとやはり熱量のみでしか存在価値を確保できないし、それが少し減るだけでとあっという間に居場所を失ったように感じるのである。
補足だが、これはすべて自分から見た視点での話である。界隈の他の人が自分を自分自身としてみてくれていてもあまり関係ないのである。大事なのは自分自身が他の人とどういう風にコミュニケーションをとろうとするかである。「創作を通じてのみでコミュニケーションをとろうとしている人間」は「創作ができない自分自身はコミュニケーションをとることができない」と「勝手に自分で感じて」、「勝手に居づらさを感じている」のである。ただただ面倒くさい。
この話は「自分自身という人間に価値を感じることができないので、代わりになんとかして対価を出す」という話と外からは同じように見える。なんとかして対価を出すことによって存在価値のない自分が相手とコミュニケーションをとろうとしているとみることもできれば、相手という人間に興味を持つことができないので、コミュニケーションをとる方法が創作しかない、とみることもできる。おそらく多くのこのタイプの人は両方の側面があって個人個人によってそのウエイトが変わるだけだと思う。あるいは、例えば自分という人間に価値を感じないので、相手という人間に対してどういう風に興味を持てばいいのかわからないのかもしれない(たぶん自分はこれ)。
どうするべきかわかっていれば正直自分もそんなに困っていないので、個人的には結構難しいイメージがある。特に、相手という人間に対して興味がないならば興味を持てるようにすればいいじゃないか、とぃう話にも見えるが人に対して興味が持てるならこんなにこじらせてないし、もっと人生楽に生きることができると思う。相手という人間への興味を持てないからこんなに面倒くさいことになっているし、自分自身の存在を承認してもらい、社会や界隈とどうにかしてコミュニケーションをとるために手を動かし続けているのである。
その中で個人的に大事だと思っているのは、「自分を自分として見てくれる人からの言葉を否定しない」である。創作でしかコミュニケーションをとれず、創作が進まないために人とやり取りできなくなっている時に「あなたはあなたのままでいい」と言ってくれる人がいたら、そこで「いや、自分なんてなんにも出せてないし語れないし・・・」と卑屈になるのをぐっとこらえて素直に受け取るようにするのだ。そういうやり取りを少しづつ積み重ねていくと、そのうち「相手が自分のどういう人間であるところに興味を持ってくれているか」がわかるようになってくる。そうすると、今度は自分という人間への興味の持ち方が少しづつわかるようになってくる。そうすると、そのうち相手の人間性に対して興味を持つことが少しづつできるようになると思う。
おけけパワー中島のムーブをぐっとこらえて素直に受け取っておくようにすれば、そのうちおけけパワー中島が自分を救ってくれるかもしれない。
元増田だけどこんな雑な愚痴に結構な反応があってびっくりしてます。
確かに男性向け同人もエロが主流だし、人間の性愛に対する執着を感じますね…
元のトピックが同人女だったからそう書いてしまったけれど、あたらめて考えると自分はそもそもその手のキャラ妄想ベースの二次創作全般に対して興味が無いんですよね。原作原理主義過激派なので。
一応書いておくと、別にそういう二次創作が悪いとは言ってないし、同人にはそれしかないとも言ってないし、キャラ妄想楽しむ人たちが世界観考察とかしてないとも言っていないです。
ただ、2次元コンテンツ好き≒キャラ妄想好きと言っても過言ではないくらい一般化されてる現状が肩身狭いな〜という個人的な愚痴です。
ちなみに自分のオタクっぽい活動としては、コミティアとかで同人漫画や考察本をたまに買ってる感じです。
本当にそうですね。
制作側もキャラクターコンテンツビジネスは結局儲かるし、消費者の多くもそれを求めているからか凄い勢いで日々新しいコンテンツが供給されていますし。
おれは対価システム側の人間なので、増田の考察はかなり参考になる。増田自身もかなりの苦労を乗り越えて今の見地に到達したのだろう。
だがしかし、あえて些末な部分にツッコミをいれさせていただくが、世界公平仮説という言葉をこういう話に使うな!!
世界公平仮説というのものは、「努力は報われるとは限らない」とか「ひどい目に遭っているのは努力していないからだ」とか、そういう次元の話ではない。
世界公平仮説とは、精神がやばい側がかかるバイアスではなくて、健常な人間側がかかるバイアスなんだよ。
健常な人間は貧困な人間に対し「お前が貧困なのは努力してこなかったからだ。おれが豊かなのは努力してきたからだ」というような話をよくする。
しかし、そいつの努力が実を結んだのは、そいつの身体や環境が恵まれていたからで、そういう恵まれた状態であれば努力すればおおよそ報われる。そして努力が報われるという経験を得たものは貧困な者を見て「お前が貧困なのは努力してこなかったからだ」と言うのだ。
恵まれているものは、自分が恵まれていたことに気づけない。貧困な人間がどういう状況で戦っているのかを知らない。世界は公平だと思っている。