はてなキーワード: 考察とは
けっこう有名だから知ってるかもしれないけど
【不可思議なご依頼】
投稿者はお坊さんで「墓の移設をしたいから来てほしい」という依頼を受けて向かった家がヤバかったって話
坊さん繋がりで
YouTubeやニコ生で定期的に配信してる「OKOWAグランプリ」っていう怪談の大会で優勝した人
ツイッターにまとめられてバズったこともあるけど書き起こし+要約で怖さが半減しているので元の動画を探して見てほしい
【忌録】
電子書籍限定のホラー小説のようなもの、ホラー小説っていうかオカルト話のまとめみたいな感じ
作者は阿澄思惟と書いてあるけどホラー作家三津田信三の偽名説が濃厚
収録作のうち「みさき」と「綾のーと。」はネットで公開されている
薄気味悪いのがhellojdoeなる人物が4年間ずーっと忌録の考察をtogetterにまとめ続けていること
たぶん作者なんだろうけど……「謎の人物がtogetterに怪談の考察を集約している」というのが作品の一部というか呪術的な何かを感じる
【九大SCPサークル】
九州大学にSCPサークルがあるらしくそこの在籍者?が作ってるSCP
今のところ公開されてる作品は「無縁」「しんに」「けりよ」「てうぶく」「がきじろ」の5つ
「てうぶく」はきさらぎ駅とか蓋っぽい
【禍話】
ツイキャスで怖い話をしてるユニットがあって書き起こしがネット公開されてる
昔のオカ板みたいな話がいっぱい読める
あとは三和交通タクシーがニコ生スタッフと一緒に心霊スポットに凸する企画で
夜中に自殺の名所歩いてたらスプレーで落書きされた「死」の文字が懐中電灯に照らされてぼうっと浮かび上がった時はめちゃくちゃ怖かった
オカ板は死んじゃったけど残党が色んなとこに散ってるみたいだからそれを探してる
考えたってわからないし
暗い部屋、感想を待った
ねぇ、これからどうなるんだろうね
バズり方教わらないんだよ
神のツイを見た 何も言えず僕は歩いた
旬ジャンルはハマれないし
辞めた筈のSNS、通知を見る癖が抜けない
ねぇ、将来何してるだろうね
困らないでよ
どうしても消えなかった 今更なんだから
なぁ、もう思い出すな
間違ってるんだよ
わかってないよ、あんたら読み専も
考えたんだ 175のせいだ
将来何してるだろうって
大人になったらわかったよ
何もしてないさ
幸せな顔した人が憎いのはどう割り切ったらいいんだ
満たされない頭の奥の化け物みたいな劣等感
間違ってないよ
どうでもいいか おパ島のせいだ
考えたってわからないし
原稿するのも苦しいし
字書きとか儲からないし
どうでもいいんだ
間違ってないだろ
間違ってないよな
間違ってるんだよ わかってるんだ
あんたらオタ共も
どうでもいいや 僕のせいだ
僕だって信念があった
今じゃ塵みたいな萌えだ
売れることこそがどうでもよかったんだ
本当だ 本当なんだ 昔はそうだった
私は夢女子であり腐女子であり百合豚であり男女カプ豚である。ストライクゾーンは広めで、シチュリョナ物理リョナスカ死ネタヘイト創作人外ケモ触手状態変化近親モブレ超乳BUZAMAスカル等々、様々なジャンルのものを日々嗜んでいる。
もちろん今のところ理解できない性癖もいくつかあるが、実在人物に実際に危害を及ぼさない限りは表現の自由は守られるべきという、彼らに言わせれば「表現の自由戦士」である。
先日「twitterのBLポリコレ論争が面白すぎる」という増田を見かけ、反ポリコレ棒派のいち腐女子として発言したくなり、この文章を書いている。
https://anond.hatelabo.jp/20200710045020
私の友人や相互フォロワーにも、萌え絵をポリコレ棒で叩くことに賛同する、男オタク嫌いの腐女子が数人いるのだが、彼女たち曰く、「腐女子に比べて男オタクどもは社会の許容に甘えすぎている」「影に隠れていれば殴られないのに」ということだ。
これはまさしく痴漢被害者のスカート丈を目の敵にするような言動であり、彼女たちの好むフェミニズムではそういった思考はタブーのはずなのだが、なぜか殴られた絵が悪いということになる(叩く行為の是非はともかく、萌え絵叩きの考察としてなら「陰に隠れていれば殴られない」という理屈は一部正しいのだが、フェミニズム的にそれはセカンドレイプにあたる禁止カードなので、彼女たちが使うわけにはいかないはずである)。
ではなぜ彼女たちはセカンドレイプまがいの行為を行うのか? おそらくは、鉄の掟と化した自治ルールにあると思われる。
一部の方にはなかなかご理解いただけないかもしれないが、ある年代以上の腐女子は「自治ルール」という独自のルールをいかな法律よりも重くとらえるようになる環境で過ごしており、これは一種の洗脳に近い。
また、これは腐女子に限ったものではないが、自治ルールにとらわれすぎ、かつ攻撃性を内包している構成者は、進んでルール違反狩りをするようになる。ルール違反者が何も裁きを受けずにいると、自分の正しさや苦労の価値が揺らいでしまう不安からの行動だ。
ルールを守りたい人間が、おなじく同意している者との間で守る分には自由だが、押し付けが過ぎると自治厨になってしまう。それと、積極的に押し付けないにしても、被害者がその自治ルールに従っていなければ殴られて当然、という思想の持ち主は多い。
自治ルール違反者を裁くために犯罪行為をする人もいるが、あくまで自治ルールは自治ルールで、法律よりは重くないと理解してほしい。
具体的な作品名などは伏せさせていただくが、某国民的漫画のライバルキャラクターが、公共の場でモブに菊座と乳頭を刺激され絶頂する1枚漫画のセリフが某botに一部改変された状態で無断転載され、ネットミームと化してしまった事件がある。
公開場所が甘かったのではと思われるかもしれないが、作者の方は検索除けをしたホームページでパスワード限定公開というトップクラスのゾーニングをしていた。それでもなお拡散されてしまったのだから、ゾーニング万能論は成立しない。もちろん、限られた人に見せるためのゾーニングは全く無意味というわけではないが、それでも事故は起こりうるということだ。
某献血ポスター騒動においても、献血センターに行かなければまず閲覧できないうえ、某弁護士がツイッターで取り上げるまではその表現を好まない層にはほとんど存在を知られておらず、ゾーニングは成立していたと言ってもいい。これをゾーニングでないとするなら、一般書店の「今月の新刊コーナー」という、特定ジャンルを寄せ集めたものではない場にBL漫画を置くこともゾーニング違反になるので、よく考えてみてほしい。
蛇足だが、グロ注意といいながらブラクラ画像を垂れ流すような行いをされて、発信者ではなく無断転載された製作者を恨むのか不思議でならないのだが、誰か答えてくれないだろうか。
さて、かつてのフォロワーと話していた際に出てきた発言が、「腐女子の多くは社会に溶け込む努力をしているのに男オタクはキモいままなので無理」であった。このキモいはてっきり、萌え絵のキャラクターがやたらとモロ肌を見せていたり、そのものズバリな表紙が多いことへの批判かと思いきや、身なりのことであった。
彼女曰く、大半の男オタクは腐女子と異なり清潔感や化粧といった、「社会に参加するために求められるコスト」を払っていないらしく(とんだヘイトスピーチである)、それなのに自身の要求ばかり押し通しているようなので許せない(要するに苦労自慢である)らしい。
人間、異なる立場にはなかなか想像が及ばないものなので仕方のないことなのだが、社会的なコストを払っていないと創作できない理論はシンプルかつ力強い差別であることは自覚してほしい。たとえ100日風呂に入っていなかろうが、年中ジャージにサンダルだろうが、創作を否定する理由にはならないのだ。
一般的に、怒りやすい人は主に読解力などの知能が低い。それに自他の区別がつかないと正義感が強いが合わさるとどうなるか? 人の話をまともに聞かず明後日の方向に理論を展開し、自身の謎解釈にキレ続けるやばい人の誕生だ。
謎の行間を読み、謎の人物像を当てはめ、謎のレッテルをし、謎の反論をして去っていく。私も何度か絡まれたことがあるが、彼らの主張をまとめて言うと、「自分(たち)は正しい、お前は間違っている、非を認め謝れ」である。アンケートを取ったわけでもないのになぜか高確率で多数派を気取っているのだが、自他の区別がついていないのだろう。
もちろん、彼らが脳内で好きな理論を組み立てる自由を侵害するつもりは毛頭ない。こちらは黙って、ミュートやブロックする自由を行使するだけである。何かとムカつく人も、私と同じようにミュートやブロックを多用してみてはいかがだろうか。
直情的な、かわいいとか熱いとかじゃなくて、なぜ良いと思ったのか書きなぐってるのをフムフムとうなずきながら読む。
https://anond.hatelabo.jp/20200709170615
これの考察に「実は友達側が書いている」という考察があったけど、なくはないかなと思う。
私はこういう友達のことを5ch同人板のとあるスレに愚痴ったことがあった。
数年前にとあるジャンルで知り合ったおそらく40代(30代の私や他の人が年齢を明かしても頑なに言いたがらないので)の人がやばかった。
ツイッターで相互になってイベントで初対面の時に正直うわっと思った。
肌が汚い。皮脂でギトギト。毛穴パカパカ。イチゴ鼻ブツブツ。だけどまぶたに変な色のシャドウ乗せてる。眉毛は描いてない。唇はガサガサ。
髪ボサボサ。そのボサボサの髪でリボン編み込み。変なバレッタもついてる。
どこのキッズバレエの発表会ですかみたいな大きく広がったチュチュみたいなスカートのフリルたっぷりワンピ。
あとごめん、デブ。
正直アフターに行くのに一緒に歩くのも一緒に店に入るのも恥ずかしかった。
話してみたら、自分はジャンル最古参なのに同じく最古参で今や大手になっているあの人やこの人からいつの間にか
ハブられるようになってアンソロにも呼ばれないとか色々聞かされたけど、最古参大手の中心人物が有名企業に勤めていて
そこのHPに「先輩からのメッセージ」的な顔出しで出ているイケイケOL風な人だったし、子供おばさんはまず
やばい見た目が原因で一緒に行動することを避けられて弾かれたんじゃないかと思ってしまう。
人を見た目で判断するなんて云々、何を着ようが本人の自由云々。
同じ立場になってみたらいかにきついか分かると思うんだけど、そういう友達がいない幸せな人なのか自分がそうだから目を背けたいのか
こんなことを書いている私のことも「自分のことを棚に上げているんだろう」とか「オタクに見えないと思っているのは自分だけ」とか
色々言う人はいるだろうけど、それも実際どうなのかは増田を読んでいるだけの人には分からない。
自分ではだいぶ老け込んだと思っているものの、たまに仕事絡みの人から言われる「若く見える」がお世辞ならいいけれど、
宮崎勤の事件があったりして、とにかくオタクは迫害対象であるという事実を突きつけられながら育った世代なので
ある程度の年齢以上になってからはいかに一般人に偽装するか、せめて見た目でオタク認定されないようにと思って生活してきた。
「オタクに見えない」と言われるのが一種の安心材料というかステータスというか。
ちなみに私は自分のお金の使い方は決して褒められたものではないと思う。
ソシャゲは飽きてグッズもランダム商法には乗らなくなったけど、別に独身で一人暮らしだから子供のための貯蓄とか必要ないし…と
「物より思い出」「推しは推せる時に推せ」の語感の良さに乗っかって作品の公式イベントは遠征も辞さず参加しているし、
聖地巡礼旅行でお金を使ったりしているので、ランダムグッズを買いまくっていた頃と出費は変わらない。
経済的には誰の世話にもなっていないし、年の収支はプラスで今のところは生活に困らない範囲なのでまあ、といったところ。
あと、定期的に会うような友達はいない。こんな時期に飲み会やカラオケの写真をツイッターに上げている都会の相互を内心蔑んでいる、そんな感じ。
百歩譲って解釈(物事や人の言動などについて、自分なりに考え理解すること)はまあまあそう受け取ったんだな、この人の中ではそう理解した方が都合がいいんだろうなと思うけど、妄想のことを考察(物事を明らかにするために、よく調べて考えをめぐらすこと)って言う腐女子は嫌い
ここでの「描けなくなった」というのは中傷されて、とか攻撃されてとかじゃなく、ただただ描けなくなったという話だ。
1か月前ツイッターアカウントを消した。フォロワーは4桁そこそこいるアカウントで、4年そこら二次創作を楽しんでいた。
そこではBLのカップリングの萌え語り、絵をあげることを主にやっていた。たまに同人誌を出したりなんかもしていた。しかし私生活や今のコロナ流行、オタクたちの学級会に疲れ果てて消した。
ただ普通に仲の良いオタクとは別の連絡手段があったし、そのジャンルのことも好きだったから二次創作をやめるつもりはなかった。気持ちが落ち着いたらまたすぐ戻ろう、と思ってたからアカウントでのあいさつなんかも特にしなかった。
しかし3日経っても1週間経っても1か月経っても二次創作はできなかった。
最初の方はROM垢やpixivで他人の二次創作を見て楽しんでいた。でもそこで目に入るジャンルへの不平不満が嫌でその頻度も減っていき、1週間くらいする頃には全く見なくなってしまった。
時間ができたから絵を描こうとした。でも今まで描いてきた推しキャラクターの絵がどうしてもうまく描けない(リハビリと称してほぼ初めて描く創作イラストは、普段よりも力を込めて完成させることができた)。
次にあるかもしれないイベントに向けてあった描きかけの同人誌も、もうどうやって描いたらいいのかわからなかった。
一度書いてみたかった小説も、以前は得意でよく描いていた簡単なデフォルメイラストも、全部だめだった。二次創作ができなくなった。
しかし、こうなってしまっていても原作のことは相変わらず好きで、この期間も原作を追い続けている。ストーリーやキャラクターたちの心情に心揺さぶられる。でも以前よりはフラットに作品を見るようになったと思う。そこから考察を練ったり、空白の間を妄想したりということはしなくなった。
もしかしたらツイッターアカウントがあることでジャンルや推しキャラやCP等に強い感情を向けることを自分に強いてたのかな、と思う。
確かに今でも私はそれらが好きだしその気持ちが軽くなったとは思いたくないけれど、その「好き」を表現してツイッターアカウントという他人に見せるものとして昇華する際に、自分を必要以上に削っていたのかなと思う。
多分、私はとっても疲れていてコンテンツに強い気持ちをぶつけられる体力がなくなってしまった。
昨日、部屋中の推しのグッズ(公式、同人どちらも)と同人誌を段ボールにまとめ、封をした。飾られているこれらを見ることにもなんだか疲れを感じるようになってしまってた。
>彼女のキャラ考察というのはキャラでなくてご自分の心情や思考の考察であるなあというのが分かってしまうのだ。
A×Bが~C×Dが~というクソくだらないどうでもいいお気持ち表明が多い中で元増田のは読みやすくてよかったわ
花丸やる◎
私は腐女子である。過去には自らイベントに参加し本を頒布するなどもしたが今はただの出戻りROM専である。
私が二次界隈から去っている間に、この創作世界にも様々な変化があったように思う。
主に夢だ。
こんなにも市民権?をとっているとは過去の腐女子には想像もつかなかった世界である。
彼女らは大変に気遣って住み分けし、支部ではタグを入れて事前注意をしてくれるし、別に避けているわけではないが彼女らの主張をSNSなどで見たことがない。少なくとも私は。
女体化。
別に嫌いではない。支部でジャンルに女体化を描く人はいく人もいる。しかし大勢いるそのうちの一人にもやっと来る。
その人はいわゆるツイ廃で、心を病んでいる。よく死にたいツイートをしている。自らメンヘラを自称している。
私は過去の経験から、8割くらいの二次同人女は過去未来現在のどこかで心を病んだことがあると思っているので別にそれは気にならない。
TwitterというのはSNSの中でも危険度の高いツールだと思う。呟きツールというだけあって、脳と指先が直結している。
気軽に自分自身についてツイートする。そして自分の好きなキャラについて考察したりする。
しかしこちらは同時に同じような意見を見ることになるので、彼女のキャラ考察というのはキャラでなくてご自身のセルフ考察であるなあというのが分かってしまうのだ。
何しろそのキャラは某人気王道バトル少年漫画の主人公であるので、間違ってもフロイト的な、全ての心の問題は性問題であるみたいな、そういう考察にはなり得ないのだ。
女体化作品でも作者が透けて見えなければよかった。たとえキャラ崩壊してだれおま状態でも気にならない。
しかしこんな明確に自分の問題をキャラに投影して、このキャラの考察はこうでこうで、などと大真面目に語られるともはや二次というより彼女が彼女自身を描いたエッセイ?を見せられているような気になってしまうのだ。
エッセイも好きだ。しかし、それは自分を客観的に見れていたらの話ではないか?
明らかに美化?した理想の悲劇の主人公。女体化。もはやなり変わり夢と化している男性キャラ。
絶世の美人(元はフツメンの男性キャラである)登場人物全員このキャラを愛している。総受け固定、などと語られると
(自分ではなく好きなキャラを語っているというつもりなので)、こちらとしてはヲチ目線で見るしか無くなってしまうではないか。
男体のままならまだ自分をごまかすことができたかもしれないが女体化。
もちろんこちらは見なきゃいいだけの話なのだが、こんな彼女のリアルな友人も見ているだろう垢で、欲求不満です通りすがりの誰でもいいみたいな作品をその女体化キャラでリアルチックに描かれられると、そんな赤裸々で大丈夫かとハラハラしてしまう。
なんだかひと昔前の携帯小説の援助交際女子高生みたいなこと言っている。
援助交際ってお金が目的なんだと思ってたけど、あれ、普通に欲求不満なだけの人もいたのだろうか?
BLという隠れ蓑を纏っているなら他人にその願望をバレたくはないと思っているんじゃ無いだろうか。多分だけども。
きっと未来に死ぬほど後悔しそうな気がするのだけど、ひと事ながら大丈夫なのだろうか。
それとも恥ずかしいと思うのは私がオババだからで今の若い人は平気なのかな。
なんかこう書くとエラソーだなと思ったんで付け加えますが、正直BLの性的表現というのは私も含め全て自己の投影だと思ってます。
自分の性についておおらかに表現するのに抵抗がある女性が、男性同士です、私とは無関係ですよ、という名目の元に性的なものを創作物として昇華させていると思ってます。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20200711093806
クオリアと人工意識 (講談社現代新書) (日本語) 新書 – 2020/7/15
その「鏡」の中には、果たして、「クオリア」に満ちた私たちの「意識」もまた、映っているのだろうか?
人工知能をつくることは、「人工意識」を生み出すことにつながっていくのだろうか。
<本文より>
〇眠る前の「私」と、目覚めた後の「私」はなぜ同じなのか?
〇私たちは、「ホモサピエンス」(知性を持つ人間)である以上に「ホモコンシャス」(意識を持つ人間)である。
〇物質に過ぎない脳から、「意識」や「クオリア」が生まれてくる不思議。
〇人工知能をめぐる議論に、ときに驚くほど終末感が漂うのはどうしてなのか?
〇記憶を「外套」だとすると、脳は、その外套を引っ掛けておくための壁に打たれた「釘」に過ぎないという考え方。
〇「私」という「意識」は、この宇宙の全歴史の中で一回だけのものであり、一度死んでしまえば二度と戻らないという「セントラルドグマ」は正しいのか?
最近ハマっている(いや、もう過去形だけど。ハマっていた)ジャンルの話。
原作はそこそこ有名で、同人界隈では爆発的な人気を誇ってるわけじゃないけど、それなりに人が多いジャンル。
新進気鋭、って言い方が正しいかはわからないけど。某赤豚ではジャンルオンリーイベ、某貴様ではCPオンリーイベの開催も新しく決まって「今まさに旬ジャンルへの道を駆けあがってます」ってイメージの、とあるジャンルの話だ。
原作に携わってる方がツイッターで二次創作絵に反応することも結構あった。
たぶん一番人気だろうCPの中に、キャラ名ががっつりそのまま入ってしまってることもあって、検索に引っかかりやすいのも一因だったのかもしれない。
(例えば、ユウタ×アキラ→ユウアキ、だったらキャラ名検索には引っかからないだろうけど、ユウタ×レオ→ユウレオ、だと「レオ」部分で引っかかりやすくなる、みたいな)
「ユウレオ」って表記していたものが「ユレ」になったり、ツイッターだったら絵文字使ったり。
原作サイドに腐向けの創作が見つからない様に隠れる、腐女子だからこの傾向はわかるし大切だと思う(1番はSNSに腐向けをアップしないことだろうけど、昨今の風潮的に難しいだろうな)
わたしは基本的に見るだけで、このジャンルで創作することはほぼなかったけど、「ユウレオ」が「ユレ」になりイニシャル表記になり絵文字になり最終的に「コし」(字形が似てる全然別の字を使った呼称、っていえば通じるかな)になる過程を見ていて、創作する側はいちいち今どんな呼び名されてるのか(というより、今までの呼称が「検索に引っかかりやすいNGワード扱いされていないかどうか」)追いかけるのか、大変だな、とぼんやり思っていた。
考察好きが集まって、原作の考察をプレゼンする会をオンラインで開催した際に、途中から例の一番人気のCPの話が混在で盛り上がり、最終的に「CP部分をぼかせばこの考察を原作サイドに見てもらえるのでは」とまで言い出す異常な盛り上がり方をし、さすがに苦言を呈された、というのが炎上元だった。
わたしは考察には興味がないので(というより他人の考察を見るとその考察に影響されまくってフィルターかけて原作を見てしまうのであまり見ないようにしている)プレゼン会の存在も曖昧にしか知らなかったんだが、今回ばかりはさすがに何が起きてるのか確認して、その内容にドン引きした。
あれだけ隠れよう隠れようと周りに呼びかけてたCPの人間が、「CP部分をぼかして原作サイドに見せる」とかよく言えたもんだな、と思った。
同じことを考えた人は当然たくさんいたらしく、荒れた。別CPの人間には白い目で見られたし、同CPの人間からも「さすがにこれはひどい」という意見をよく見かけた。プレゼン参加者は、「迂闊だった・浅はかだった」と反省する人と、「そもそもプレゼン会の要綱にCPが含まれることを書いてるんだから悪くない」って言い張る人と、我関せずを貫く人と、三者三様だった。とりあえず、悪くないと言い張る人をブロックしながら動向を追った。
結局、苦言を呈した人vsプレゼン会主催+盛り上がってたプレゼン参加者で一通り荒れたあと、プレゼン会の主催が謝罪+垢削除+「界隈荒らしてすみませんでした、もう二度とこの界隈で創作しないのでわたしのことは忘れてください」宣言で、この話題は落ち着いた。
よくある学級会案件の終息方法だし、もともと関わり合いもなかったので、とりあえず落ち着いたのか、くらいに思っていた。
匿名でCP小説を提出しあって参加者が読み、感想を言い合い、作者を当てる、という企画だった。
わたしは仕事中に発案を知ったので、面白そうだなと思いながらも参加はしなかった。
企画自体はディスコードで行われていたらしいが、その後、参加者で集まって喋るフリースペースが、もくりに出来ていた。URLがツイッターに公開されていたので、見に行ってみた。
フリースペースの参加者に、この間大炎上したプレゼン会の主催がいた。ほんの半月前に、謝罪して、垢削除して、もう二度とこの界隈で創作しない、と宣言した人が、CP小説を提出する企画に参加していた。
それを見た瞬間、なんだかいきなり、このCPにかかわるすべてに疲れてしまった。
「問題を起こしたんだから一生反省していろ、二度と創作するな」とか言いたいわけじゃない。
でも、大炎上を起こして、「もう二度と創作しません、わたしのことは忘れて」という内容の謝罪をした人が、容易にその本人だと特定できるアカウントで、1ヵ月もしないうちに新しい企画に参加している。そして、企画参加者に受け入れてもらっている。その事実は、素直な言葉でいうなら「気持ち悪い」という感覚に近かった。半月では、とてもじゃないけれど、わたしはあの炎上を忘れられない。
あの謝罪は何だったんだろう。あの宣言は何だったんだろう。受け入れている人たちは何なんだろう。受け入れている人たちも、普段は過剰に「隠れろ」って言っているんだろうか。
そんなことを考えているうちに、どんどん、このジャンルにいることは無理だな、と思うようになっていった。
参加しようかどうか迷っていた赤豚のイベントは、参加しないことにした。
今まで、新しく気になるジャンルが出来たから、前のジャンルから少しずつ離れていったことはあったけれど、これだけ明確に「足を洗おう」と思って離れるのは初めてだ。
本を出すサークル参加者は多そうだし、大して創作してもいないわたしひとりが消えても、きっと誰も気づかなくて、何も変わらないのはわかっている。
クオリアと人工意識 (講談社現代新書) (日本語) 新書 – 2020/7/15
その「鏡」の中には、果たして、「クオリア」に満ちた私たちの「意識」もまた、映っているのだろうか?
人工知能をつくることは、「人工意識」を生み出すことにつながっていくのだろうか。
<本文より>
〇眠る前の「私」と、目覚めた後の「私」はなぜ同じなのか?
〇私たちは、「ホモサピエンス」(知性を持つ人間)である以上に「ホモコンシャス」(意識を持つ人間)である。
〇物質に過ぎない脳から、「意識」や「クオリア」が生まれてくる不思議。
〇人工知能をめぐる議論に、ときに驚くほど終末感が漂うのはどうしてなのか?
〇記憶を「外套」だとすると、脳は、その外套を引っ掛けておくための壁に打たれた「釘」に過ぎないという考え方。
〇「私」という「意識」は、この宇宙の全歴史の中で一回だけのものであり、一度死んでしまえば二度と戻らないという「セントラルドグマ」は正しいのか?
それ「私の」ってつければいいってもんじゃないだろうに。「考察」や「解釈」ならそう考えるに至った論拠を示さなければならないし、それが客観的に見て間違っていたらツッコミが入るのは当然だよ。妄想は自由だが考察や解釈となれば本来は厳しい目で検証されるのが当然なんだが、どうしてそれらの単語が「私の」を頭につければエクスキューズになると思ったのかがわからない。
たぶんだけど、考察と妄想の区別がついてない系の人って、ガチな考察をするオタク(腐女子にもふつーにいる)の文章を読んで、自分も書きたい!と思ったが考察とは何かちゃんと理解できず、ふんわりと「自分の言いたいことを言うのが考察」だと思い込んで、考察と称して妄想文を書き散らしているだけだと思う。
一方、そういう「考察」の意味を辞書で調べもせずに考察の名のもとに好き放題書き散らす人を見た人達が、「腐女子の世界では『考察』っていうのは妄想を屁理屈っぽく書くことをいうのか!」という感じで、つまり周囲の空気を読んで、『考察』をわざと誤用してるようにも見える。
個人の勝手な妄想なのにモメることがあるんだよね〜世紀末Twitterランドなので。
だから、あくまで私の見えてる世界のお話ですよって意味で(私の)考察、(私の)解釈って言いはじめた。原作から私が読み取っただけ、そう考えただけの妄言ですよ〜って意味で。それが広まって腐女子用語化して今に至る。
SNSが無い頃は自分が興味なかったり苦手なCPの作品なんて見ようと思わなければ見ずに済んだけど、今はそれが難しいので、スルーできない精神の幼い人は個人の妄想にケチつけはじめる。TLに流れてくるもの全部自分に向けて発信されてると思ってる人いるじゃん?あれ。
〜要約〜
ジャンルバラバラでも仲良くできてたはずのフォロワーたちに、私以外のジャンルが一致した瞬間ハブられた。クソ。
◇
あるジャンルで繋がった相互でも、一方あるいは両方がジャンル移動した結果ジャンル違いになるってのはよくある。それで関係が切れることも最近は普通なんだろう。
けれど界隈の風潮なのか、私のフォロワーの多くはお互いのジャンルが変わった程度では、絡みはなくなっても切りはしなかった。私も特に嫌な思いもしてないのに相互を切る理由もない。
そうやって10年近くTwitterを続けてきた私のTLは今やジャンルの坩堝である。時々アニメ化とかで流行が垣間見えるけども。
でもまあ、見ていて仲良さげにしているフォロワー同士というのは、大抵同じジャンルに属していた。当たり前の話である。
◇
よく「ジャンル変わっても切らないでほしい、ジャンル関係なくあなたが好きなんだ、新しいジャンルで狂っているところを見せてくれ」といったツイートがバズっているのを目にする。
ジャンルが変わっても切らないどころか変わらず仲良くしてくれるフォロワーというのは貴重である。もしこれを読んでいるあなたにもそういう存在がいるなら大事にしてほしい。
まあ、私は今や大事にされなくなっているわけだが。
◇
身内垢という言葉を知っているだろうか。特に仲の良いフォロワーで集まって、TLを汚さず配慮もせず空リプを飛ばしまくるためのアカウントである。いろいろあって私もそういうものを作るに至った。
フォロワーのフォロワーという繋がりで自然と集まった私の身内フォロワーグループは、珍しいことに繋がった時点で誰一人私のいるジャンルに属していなかった。それどころかジャンルはみんなバラバラだった。しかもマイナー。
ただお互いのジャンルはみんな軽く履修していたし、知らないジャンルでも手厚い布教があったりしたので、互いの創作は問題なく楽しむことができていた。
ジャンルのバラバラな私たち身内グループがどんな交流をしていたかというと、シチュエーションやパロディといった共通のテーマをそれぞれの推しカプに当てはめて語り合うというものが多かった。あと日常ツイ。
うちカプはこうだと思う、Aさんとこのカプはこんな感じじゃないかな、とか。ジャンル違いの私たちは解釈で対立することもなく、それどころかそれぞれの書き手に解釈を染められていた。そんな彼女らの語る自分の推しカプが刺さらないはずもなく、私もそれなりに刺してきたと思う。
(互いの推しカプをその人のために描く、ということもお互いやっていた。身内でのことなのでその他に大っぴらに公開することはせず、そのジャンルに参入したとはいえない状態ではある)
長くTwitterをやっているが、彼女らと深夜までワイワイやっていたあの頃が一番楽しい期間だったと自信を持って言える。
私は彼女らの創作が好きだったので、その手腕を私の好きな作品で発揮してくれたなら、それはとても嬉しいことだとは思う。しかし、それでも積極的に自ジャンルを布教する気にはならなかった。推しの供給は彼女らから十分に受けていたし、私は各々が自分の「好き」を追いかけているのを見るのが好きだったのだ。
◇
彼女は布教に積極的なタイプだった。あっという間に私以外の全員がメインジャンルをその大手ジャンルに定めた。沼落ちというやつである。
もうこの時点で疎外感があったし、彼女らの代名詞ともいえるかつての推しカプをほとんど見れなくなったのは残念だった。
でも新しい場所でもみんな素晴らしい創作をするのだろうし、私も沼には落ちなさそうだけど(私の趣味とは全く違ったので)履修くらいはするかーと思っていた。実際した。沼ではなかったけど、あの人がこのキャラに落ちたのめちゃくちゃわかる〜!!という納得を得た。
その上で今までと同じように仲良くできたらな、と思っていたのだが。
今ではこれを書き殴っている次第である。
◇
当たり前だが、どうせ語るなら共通のジャンルにハマっている人間と語るのが楽しいに決まっている。軽く履修しただけのジャンルとは、お互いのカプの解像度が桁違いなのだ。
なんとなく感じていた疎外感が確信に変わるのにそう時間はかからなかった。
「これ増田ちゃんとこのカプっぽいよね」的なツイートはぱたっとなくなった。
「みんなの○○パロが見たい!」は全て「(大手ジャンル)の○○パロが見たい!」に変わった。表垢で言うならまだいい。私含めた身内しかいないアカウントでそれを言うのである。
なんか、すっと、冷めた。
◇
今では彼女らは自ジャンルの民だけで固めた新しい身内を形成している。面白いことに件の大手ジャンルからみんな揃ってまた別のジャンルに移っている。仲良しか。そうだな。
険悪になったわけではない。作品が上がっていればいいねするし向こうもしてくれる。ただ絡まなくなった。かつて同じジャンルにいたけどジャンル移動で接点がなくなった数多くのフォロワーと同じように。違いといえば私抜きの身内できゃいきゃいやっているのを見せつけられているという点か。
なんか、うまくいえないけど、クソだなと思う。雑な結論で申し訳ない。
◇
これは余談なのだが、布教を受ける前にかつての身内のひとりが「ノリが無理になった」と私以外の全員を切ってグループを抜けている。
彼女との関係は今もなんの問題もなく続いている。私と彼女のジャンルは被らないままだし、めでたく繋がった同じジャンルのオタクと長文考察ツイートの応酬を見せるときもあるのだが、だからといって私の扱いを変えることはしなかった。
身内の彼女らが身内で固まることで切り捨てていった共通のフォロワーたちとも、私は恙なく近すぎない距離で交流できている。
身内から抜け出したことでTwitterライフの密度は確実に減少したが、そのぶん世界が広かったことに気づいた気分だ。
身内ってめちゃくちゃ悪い文明なんじゃないだろうか?
ただ、観た奴が悪い理論は解せない。自分はそれを見に行くことはしてない。フォロワーからのいいねや検索先で出てくるものに辟易してるだけ。
いいねしてくるフォロワーをブロックするのもこっちの労力、センシティブ設定するのもこっちの労力。不利益こうむる事自体に腹が立つ。
考察と卑猥な妄想絵が一緒になってる検索欄に吐き気がする。これ全部自分が取捨選択して見てみぬふりしないといけないの?
わいせつな絵を描いてる側がもっとそれを自覚して欲しいのに、何でこっちが自衛を強いられなければいけないのか。これをセクハラと言わずになんと言えばいいんだ。
腐女子の受け攻め固定に対する強い拘りとか面白いなって前から思ってたから興味深い話題だ
「BLは男同士だから対等だ」と言いながら「自分の推しは絶対右(受け)固定じゃないと許さない」と主張してて男同士でセックスする事に拘りある筈なのに何でそんな誰が女役やるのに拘るのかなあ…って不思議だった
ホモソーシャルとかジェンダーロールとか人間の性差についてやたら否定したがるのに、同性愛取り扱った作品ではやたら男らしい側女らしい側を気にしたりする人も多いし…
女性は男性より感情を理屈より重要だと思う人が多いから「私はこれが好きでこれは嫌い」という生理的な感情がまずあってそこに後から理屈を付けていくから色々とおかしいな、と感じる理屈を持ち出すのかな
関係ないけど↓のサイト様がBL趣味は無いけど娘さんはBL趣味がある女性のオタクという視点から色々腐女子やBLについて考察してて面白いし勉強になるなって思った