はてなキーワード: 鬱屈とは
良いね。やっぱ賢くて善良やね。
俺が思うに、君の言う、テロと無関係の問題解決、それもうやってるんだよね。
なぜならば、全てのテロが起きる原因は、大枠では常に判明しているからだ。
その原因とは、貧困だ。
貧困の撲滅こそが最も根本的なテロ対策であることは、テロに譲歩したらダメだって話と同様、世界でよく知られている。少なくとも我が日本は、確かにさまざまな問題や意見の対立はあるにせよ、貧困の減少を目指している。(とか言ったらアホの横増田がヘルジャパンを強調してくるんだろうが知らん)。
前回も今回も、要は金がなくて鬱屈してたからやったわけよ。統一だの自民だのは、本人的にはほんとの気持ちなんだろうが、全体として原因を考えるってフェーズでは無関係だろ。その問題が人生にあったとしても、貧困がなければ犯罪行為はなかった。
ちなみに統一教会だって、別に放っておいても10年もすれば潰れたからね。もとからネガティブキャンペーン成功で新規会員ほぼゼロだったんだから。
なんで、犯人の動機とかを知ることには、実は問題解決的な意味は全くないと、俺は思う。
ワイドショー的な野次馬欲を満足させるぐらいだろうし、実際そのためだけに報道は行われているんだろう。効果がないであろうことなんか、俺ごときが言わなくても多くの人がわかってるだろうからね。
とはいえ、理由を報道してほしい・すべき、という意見を持つ君のような人が、ワイドショー的な根性でやってるとは思わない。そこで考えるべきは、20世紀的な理性主義を批判することなんだろうな。
増田はゼロリスク神話を批判してたけど、その更に根底にあるやつが、やはり君にも根付いてしまってるのではないかな。コントロールして対処することへの検討のない妄信というか。
残念。だけでいいはずだけどわざわざ「賞」つけて残念賞!という事がある。俺はその語源を知っている。
俺が一番最初に見たのうすた京介のチクサクコール多分マンガだな。Web上に情報がまったくないのでわからんし、うすた京介審判みたいな情報でググっても全く情報が出てこないのでわからんけど、とにかくうすた京介の審判がテーマのマンガだよ
そこでマサルさんとかジャガーさんてきなポジションのボケキャラが絶妙な野球ボールのラインを捉えてストライクの線引を迫られて答えた一言が「残念賞!」なんだけど
このジャッジは「賞」という意味不明な言葉をつけたということでとてもおもしろいギャグであると同時に主人公が、審判として本当に白黒つけがたいボールに遭遇したときに自分に嘘をついてジャッジしたくないという葛藤も現れてるいいギャグシーン出る。ただ残念と言いたくない。「賞」をあげたい気持ちがボールではなく「残念賞!」という頓珍漢な判定を下したわけです。
さてたぶんこのマンガとかこのセリフのこと知らないでのりだけで残念賞って言葉使ってる人が存在する。
印象的なセリフなので憶えてるし、実際にネットやマンガなどで「残念賞!」と言う言葉も実際にみたことあるので、これをパロディとして使ってる人がかこにいはたはずだし今もパロディだと理解して使い続けてる人もいるはずなんだが、Webに情報が皆無。そんな事ありえる???
使ってた人たちもいわゆる賞としての残念賞ではなく、残念という意味での残念賞、そんな変な言葉の使い方の出典を忘れてるのかもしれない。
残念賞についてBingと会話しようとしたけど、こいつが何も情報引っ張ってこれなくてアホかと思ったけどたしかにググっても情報がまったくないんだわ。
これさGoogleとかのインデックスが腐ってる可能性も高いと思ってて、絶対に残念賞についてマンガとかの感想とかあると思うんだよな
Webのどこかで全世界に公開されてるはずだけど、Googleはそれを不要な情報であると切り捨ててるはずであり、Bingもまたそのような情報を取り扱えていないということがある
AIもいいけど、マンガとか小説とかの内容も横断したインデックスを作ったほうがいいんじゃないだろうか。インデックスを作るだけなら著作権侵害にはならん気がするんだけども、まぁ検索結果が有料コンテンツとか電子書籍とか映画とかマンガとか動画だらけで埋め尽くされるのもしんどいではあるけれども、少なくとも残念賞という言葉については特にうすた京介の漫画を語る文脈において、どのマンガで登場した言葉であるかくらいは既存の公開された情報から論理的に導け出せないと行けないと思うので、検索には頑張って欲しいし、それができないからやっぱりAIに期待があるしAIが賢くなってあらゆる情報を勉強してほしい気持ちもあるな
著作権とかのしがらみのせいでAIが学習できなくなるととしたら、この情報が閉ざされた暗黒時代がしばらく続きそうで鬱屈した気持ちになるな
残念賞!
春の話題作、『フェイブルマンズ』『シン仮面ライダー』『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』
どれも面白かったが、人に勧めるなら迷わずフェイブルマンズになるな。よく考えたら万人ウケする内容でもないのだが、人生における芸術との付き合い方という好きな人にはとことん突き刺さる内容だ。そんなテーマではありつつ、スピルバーグの腕でエンタメとして高いレベルにあると思う。映画少年の話ではあるけど、タイトル通りフェイブルマン家の物語がかなりのウェイトを占めるので、その辺で肩透かしは喰らうかも。心のままに生きたいものだぜ。
シン仮面ライダーは評価割れてるな〜。目配せに溢れた、面倒臭いおっさんが自負するような意味でのオタク向け作品なんだろうなと思う。庵野のオタク、エヴァのオタク、特撮のオタクと、色々な見方があると思う。斎藤工と眼鏡の人が名乗る場面はニヤリとさせる演出なのだろうけど、なんのこっちゃと思った。他にも色々と拾えてない要素はあったのだろうが、力は使い方次第でヒーローにも怪人にもなるという仮面ライダーに通底するテーマを頭に観ていれば色々と思う所はあった作品だ。特撮には明るくないが、普通にエンタメとして面白かったと思う。私は節々のチープさやわざとらしさを特撮的演出として好意的に受け取ったが、世間はそうでない人も多かったよう。その辺が大きな分かれ目にもなるのかな。
「エブエブ」も好みが分かれそうだよな〜と思った。序盤は鬱屈とした生活の状況説明でちょっと冗長、国税庁でのマトリックス風のシークエンスで日常を打破、おちゃらけたハジケバトルが始まってようやく盛り上がる感じ。後半の小難しい状況を初見でしっかりと理解できる人は少ないと思う。仮面ライダーの後に続けて観るとセカイ系で食傷気味になるかもしれない。設定は奇抜ながらストーリーとメッセージは王道で、私は好きだった。中盤でハマって勢いに乗り切れれば良いけど、冗長だったりクドく感じる部分が気になり始めるとダメかも。
『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』を観た。
セカイ系ハジケバトルだな、と思った。他の運命を辿った自分たちの皺寄せを食らってるってくだりでは、まどマギでもそんな感じの運命が収束してどうのみたいな話があったのを思い出した。
冒頭の前置きは鬱屈とした生活を見せるのに必要なんだろうけど、ちょっと冗長に感じた。
国税庁でのシークエンスはマトリックスのオフィスのそれみたいな緊張感があって良かった。敵の現れ方もなんかエージェントスミスみたいだし。
ペーパーカットは痛みがリアルに分かりすぎてついつい目を背けてしまった。
ブッ飛んだ事を色々試す辺りはおちゃらけに徹してる感があって面白かった。この辺もマトリックスの"I know kung-fu."を思い出した。意識しているんだろうか。この擦られた陳腐な例えはあんまり使いたくないけど、ボーボボのハジケバトルそのものだった。
別世界の自分を呼び出すのはジョジョのD4Cみたいでもあってちょっとかっこよかった。あり得たかもしれない運命を呼び出す、というアクションのトリガーがヘンな事をする、すなわち日常から一歩踏み出すというものになっているのはなんか良かった。
手がソーセージになった世界線のくだりでの2001年〜のシーンはちょっと笑った。ディルドは長すぎでは。
Part.2以降ではおちゃらけから少し離れてシリアス色が強くなった。暗黒ベーグルがどうのの話辺りはほぼ置いてけぼりだったが、「結局意味なんてないんだから、全部終わりにしちゃえばいい」みたいな台詞から、ニヒリズムや実存主義の話が好きなのでそういう文脈で捉えておいた。
冒頭で出たトロフィー?は何かプラグっぽいなとは思ってたけど、最悪の形で伏線回収がされた。局部のモザイクとかもあったが、結構話がシリアスになっていたので反応に困った。
落とし所としては愛による解決という事で、無碍にしていた旦那の「おふざけ」の目玉シールを貼っ付けて、くだらなさを優しさに転じさせたって感じだろうか。愛だねえって思った。
生命が誕生しなかった世界線の辺りからはほぼ理解していなかったが、娘と腹を割って話し合ってハッピーエンドになりセカイ系だあ……と思った。
https://anond.hatelabo.jp/20230316083855
https://anond.hatelabo.jp/20230316084129
https://anond.hatelabo.jp/20230316084258
ちなみに冒頭で触れた福岡地裁の名誉棄損判決に至った盗撮事件であるが、風呂、トイレ、パンチラなどの各種盗撮作品を扱うマーケットおよび撮り師が一体的に摘発されたもので、10億円の被害があったとされる。この判決では映像そのものではなく映像を紹介する文面が名誉棄損に相当するとされたが、そのためか映像自体は何事もなかったかのように転載サイトに流出して今も止まっていないようである。それどころか、おそらくインディーズ版と思われるDVDが存在している。そうしたDVDは、無修正作品のようにアングラに出回っているならば理解できるが、本稿を執筆した時点でもJADMA加盟の大手の中古コンテンツ系ECサイトで普通に出品されていることを確認した。削除稿に書いた歴史的な経緯や、こうした目の前の事実を飛ばし、会議室の中で盗撮罪の議論が進んでいく現状に、むなしみを感じる。
アクション系と言われた成人向け雑誌の創刊は1981年9月であり、盗撮の商業化からおよそ40年の時が流れた。現在オークションでその創刊号の相場価格を調べるとおよそ1万5千円の高値を付けている。この価格はおそらく当時のカメラ小僧が社会的地位を手に入れ、趣味にそれだけの金額を支払っても惜しくないと思える程度の生活基盤を築いていることを示唆している。盗撮は一部のめりこむ人もいるようだが、特に日常生活を破綻させるほどの魔力を発するわけでもないし、前述の「盗撮をやめられない男たち」では相応の社会的地位を有する人の愛好家が多いことが紹介されている。そうした人たちはおそらく慎重に盗撮の性的志向を隠し、今後もひそかに楽しむと思われる。また、女性側も自衛の意識はありながらもスカートとパンティを履き続けるだろう。この業界で多くの人がチェックしている「スカートの下の劇場―ひとはどうしてパンティにこだわるのか」の中で、著者の上野千鶴子氏はパンティというものに対してどういう好みでどう買ってどう選んで履いているのか正直よく分からんという旨を仰っていたように感じる。おそらく上野氏にしてモヤっとした書けないレベルのパンティという宇宙をその他多くの女性が制御し切れるとは思えない。
さて新規ファンはどうか?もし盗撮罪が発効して想定の通り機能すれば、撮影と流通は大幅に減ると思われる。そうしたときに前述のリーチサイト等に既に存在し、今後も削除困難な過去の盗撮コンテンツへのアクセス数はどうなるだろうか?私は徐々に減少する一方と想定する。なぜならば、削除稿にも記した通り、盗撮コンテンツは撮れていればよいというものではなく、女性の笑顔や仕草やコスチュームなどが重視され、鬱屈し発酵・熟成した思いが投射される性格が強いからである。そうすると自分の青春時代等がいつまでも残り続けるという点で、現状のファンは今後もファンであり続けて旧作を楽しめるが、いつかは精力を失って退出していく。そして新規は、ドラマ「舞い上がれ」でも時代を象徴する小道具として使われてしまったようなパカパカするガラケーなどを使っている被写体には、まったく接点がないため、パンチラの魅力を感じないのである。そのことは一般AVで看護師のコスプレが激減していることからも補強される。看護師は10年以上前からパンツルックに移行しており、今の若者はスカートの看護師になじみがない。あの「白衣の天使」への思い入れが薄いのである。ましてや看護帽などAVでしか見たことが無いだろう。
新規ファンは盗撮影像に影響を受けずとも、日常生活の中で目撃したパンチラに「良いな」と思うことで自然発生し続けるだろう。その中からごく一部どうしても抑制しきれずに盗撮に手を出し、確率的に逮捕される事象は続くが、マーケットが閉じられれば職業撮り師による大量撮影および流通が完全に止まるため、被害規模は減少するはずだ。それを横目に眺めながら旧作はおっさん達の寿命とともに誰からもダウンロードされなくなり、アルゴリズムによってネットの深海に沈んで鯨の骨よろしく消えていく。一般AVは裸になってしまえば昔も今もない。しかしパンチラという世界ではことに文脈が重要なのである。削除稿から本稿にかけて引用部を除いた地の文でどうしても一度だけパンツと言わざるを得なかったことが残念だ。
∩_∩ (・(ェ)・ )パンティ _____ (\ ∞ ノ \ヽ / ヽ)⌒ノ  ̄
百合豚は激怒した。必ず、かの邪智暴虐の王を除かねばならぬと決意した。百合豚には政治がわからぬ。LGBTもSDGsも実際のところよくわからぬ。百合豚は、一介のオタクである。ウマ娘のトレーナーを女性に設定し、#女先生(ブルーアーカイブ)で検索をかけて、キャラクターたちのプレイヤーを相手取った感情を無理矢理百合に変換し、プロセカやらトワツガイやらを尊んで暮らしてきた。けれども邪悪に対しては人一倍、敏感であった。
百合豚はヘテロ作品が嫌いである。そうしてしかし、なぜ嫌いなのかが少し前まで判然としていなかった。百合豚は極度の女性恐怖症の態を表していた。百合豚を拗らせ過ぎて、男であるところの自分が女性と話している現実が受け入れられなかったのである。先の嫌悪の理由も、概ねそういう類の話である。
憐れむべきかな、百合豚にも性欲はあった。然して、男女のまぐわりは受け付けないので、女性同士や一人だけの、あるいは人間を介さないより倒錯的なものをも好むようになった。そうしてことが終わると、都合よく人間の性欲を否定するようなツイートをして暮らしてきた。
百合豚には、最早自分が分からぬ。自分が女性を愛するのは事実である。然し先の通り、自分が女性と、下世話な隠喩ではなく言葉の通り何かしらの関係性を持つのは到底耐えられぬ。百合豚は、自分は女性になりたいのかと深く自問したことがあった。それでも、これまた愚かな自分の趣向から知っていた女性を愛する女性の苦悩の事を思うと、それが途端に今まで自分が誠実でありたいと思っていた全てに対する不誠実に思えて、するともう、到底そんなことは考えられなかった。
今日未明、百合豚はついに激怒した。何者かもわからぬ漠然とした悪意に憤怒の限りを覚えた。或いは、それは誰からの悪意でもない、ただの鬱屈の塊かも知れなかった。ただ、何人たりとも生かしておけぬという殺気だけを持て余していた。
そうして、百合豚は走った。野を越え山越え、シラクサまで届かん限りの気概を胸に、三〇〇メートル走った。それだけ走って、百合豚はぜえぜえと息を吐いた。百合豚はヒョロガリのオタクである。中学高校時代を男子校で運動部に怯えながら暮らしてきた。人並みに走れよう筈もない。百合豚は人目も憚らず通りに横たわると、瀑布の如くおいおいと泣いた。浮かす枕も無いまま、こんこんとアスファルトを濡らした。そうして、最後に一つ絶叫すると、それを最後に、ぴくりとも動かなくなってしまった。
とにかく欲しかった。誰かが好きになるというかは誰かを彼女にしたかった。
ただ積極的ではないので、空から美少女が降ってくれればいいみたいな夢想をしていた。
あと、積極的にモテるようなファッションをするというのは負けとおもっていたのでそんなモテたい素振りをしないようにしていた。今思えばどうしてそれをしなかったんだと思うが…
高校生の頃、彼女ができる夢を見た。特定の誰かではなく、架空の人物、その時僕はついに「ついに僕にもできたぁぁ!!」という気持ちで、今でもその高揚感を覚えている。そして目が覚めた時にそれが夢だと分かったときの落胆ぶりも覚えている。
好きな人と付き合いたいではなく、誰かと付き合いたいだった。
90年代は、何かと恋愛文化が重要視されていて、ドラマは恋愛ものがほとんどだったし、やらずに二十歳を超えることを「ヤラハタ」と言われて童貞は恥ずべきものというのが男どもの共通認識であった。
彼女ができるというのは、その社会での一つ上のステップにいけるという気持ちだったのかもしれない。
いわゆるトロフィーってやつ。
19のときに初彼女ができた。しかし1か月で別れた。それでもなお僕は「彼女がいたことがある人間だぜ。20歳前にできたんだぜ」という気持ちになった。
完全にトロフィーだよね。何を勉強するかではなく偏差値で大学を決めている人間と同じだったわけだ。
初彼女と別れた後も、付き合っている状態じゃないとダメだという気持ちになった、フラフラし始めてしまったが、
その後いろいろあって大人になって、大学時代にできた彼女と(前述の人の次に付き合った人)そのまま卒業と同時に結婚した。
ステータスや世間体じゃなく人として見るということを教えてもらったんだね。なお妻は大学生ではなく、自分の周りとは違った価値観を教えてくれた。年もだいぶ違ったし。
19歳の頃初彼女ができなかったり、今の妻に出会えなかったりして、あの頃のトロフィーを求める気持ちをもったまま今の年齢になっていたらどんな人間になっていたんだろうと思うことがある。
ある時から諦観していたと思う。僕を選ばない側が悪いと思っただろう。それには根拠があって、こじれていた16くらいの頃はでも、チャラい男を選ぶ女が目がないという気持ちになっていたからね。
勉強ができる僕のような人がいいだろうとも思っていた。
その気持ちはおそらくずっと増幅されることになっただろう。
あと、当時のスクールカースト上位の男子たちを疎ましくも思いつつも、どこかあこがれているところがあった。
僕は本当はおしゃれしたいけれど、気恥ずかしさがあってできない。それをやすやすと越えている連中はすごいという気持ちもあったが、鬱屈しているメンタリティは素直になれない。
強そうだからモテるとか、イケメンだからもてるとか、はやりのファッションをきているからだとか、体育会系だからとか、表面的な分析にしかならないわけだ。
だから、連中のことを嫌だと思いつつ、自分にないものを持っていて社会に認められているとも思っている。つまり強さとか男らしさというモノの価値を逆説的に認めちゃっている状態だった。
このまま僕があのまま年を取っていたら、男らしさというモノへの羨望と恨みで鬱屈した感情を持つかもしれない。
「僕は男らしさを持てなかった。男らしさは低俗なものだ。粗暴だ。だからあえて持たなかったともいえる。でもそれでは女からは見向きもされない。女どもは男らしさを無くせというが、その結果が俺みたいなもんなんだぞ」と思っていそうだ。
わかり手こと小山晃弘も、白饅頭も、弱者男性のことを収入・容姿・コミュ力・モテなどが不足した社会的弱者ととらえてきた。
そしてその層の生きづらさと鬱屈の責任を、弱者男性と対をなす「強者男性」ではなく、「弱者男性を相手にしない女性」に結びつけてきた。
声なきマイノリティのあり方に耳を傾けるテイを取りつつ、彼らの声を聞き届けないのはあくまで「女」だということにしていた。
こういう風に「女性」に矛先を向ける議論は、多くの弱者男性当事者にとって心地よい、受け入れやすい議論だった。
自分を弱者男性だと考える人が「強者男性」の格差について正面から向かい合ったら、そこには自責の余地が生まれる。
自分は「彼らより」収入が少ない。容姿が劣る。コミュ力がない。なぜそうなのか。どうすればいいのか。
考えても解決するわけではない「劣り」について考え続けるのは、緩慢な自傷行為だ。
それとは真逆に、「女性」に矛先を向ける議論は、他責の矛先を提供してくれる。
弱者男性が救われないのは、彼らの弱さに配慮しない社会、彼らの弱さを受け入れない女が悪いから。
そこでは「弱さ」は所与の前提になり、ことさらに「なぜ」を問われるべき課題ではなくなる。
ところが去年、白饅頭が医療従事者を社会的強者として叩いて炎上した。
https://togetter.com/li/1926636
今回、わかり手が大谷の容姿をネオテニーだ中性的だとdisり、白饅頭がそれを擁護して炎上した。
https://togetter.com/li/2098940
どちらも、これまで彼らがあえて焦点化してこなかった「強者男性」自体を直接射程に入れた議論だ。
「医者はもっと強者であることを自覚して(医療負荷について悲鳴を上げたりせず)わきまえろ」「大谷の顔は小綺麗で知的でブルジョワっぽいからキモい」「SAPIXっぽい」「高学歴エリート層と同じ」「実家が経済的に豊かであり、幼いころから潤沢な英才教育を受けていたアマチュア・エリート出身者」「メス化」…。
ここで語られていることが事実かどうかはさておき(たぶんだいぶ事実と違う)、
それも、「強者男性にはもっと旧来のマスキュリニティを発揮してほしい」という、倒錯した批判だ。
(「白饅頭の言う「かわいそうランキング」で下位に位置する強者=医療従事者の訴えが世間に聞き届けられるのはおかしい」と言いかえてもいい)
彼らがこれまで語ってきた世界観と、世間で活躍する「強者男性」たちの実像のズレが露呈しつつある。
だから彼らは、そうした現実をファンタジーの方に合わせようとして、
彼らの先入観と違う振る舞いをする「強者男性」を批判している。
彼らは強者男性にいつまでも「古き良き強者男性」らしくしていてほしい。
雄々しく、力強く、堂々としていて、だからこそ思うままに「メス」を手に入れられる、
そうした軸において弱者男性がかなわない「アルファオス」であってほしいのだ。
この数年プチバズり続けているタワマン文学(窓際三等兵など)は、
こういう「おとぎ話のような強者男性」像に対するアンチテーゼにもなっている。
そこで語られるのは、端的に言えば、教育・就職先・文化資本・社会階級をめぐる堂々巡りの自意識だ。
そこでの「成功者」は、マッチョでもないしモテるわけでもないしコミュ力が高いわけでもない。
単純に「親が金持ちで人脈があってSAPIXや鉄緑会に入って良い大学を出て良い会社に入って
高収入を得て美しい妻を娶って生まれた自分より目鼻立ちの整った子を自分以上のレールに乗せられる男」が
人生の勝ち組であり、その中でも新参者や中途半端な位置づけの人間は「さらに上」への嫉妬に身を灼かれる。
この世界観の中でも女性は相変わらず「トロフィー」ではあるが、
トロフィーを手に入れられる人間とそうでない人間の差はほとんど宿命的な筆致で描かれ、
そこにはもはや「女性は弱者男性に目を向けるべき」などという主張が介在する余地は全くない。
一億総中流と言われた社会が解体しきって、日本でもペアレントクラシーによる
階級再生産のサイクルが強固に確立したことを苦々しく再確認する物語だとも言える。
わかり手や白饅頭らは大谷批判の中でこうした論点を取り込もうとして、失敗してしまった。
その白饅頭自身が今やnoteで稼いだ金で買ったタワマンに住んでる勝ち組だから、という皮肉な現実はさておいても、
そもそもこうした露骨な階級社会論は、これまでの「女性が悪い」系の弱者男性論とすこぶる相性が悪いからだ。
タワマン文学時代の強者男性とは、すなわち階級的強者であり、自らがずっと勝ち続けるための盤石の基盤を整えた勝ち組たちだ。
そうしたペアレントクラシーによる階級の固定化を緩和するなら、再分配すべきは、女ではなくカネと教育だ。
でも、こんな野党みたいな話をして、弱者男性を自認する当事者が「そうだそうだ」と溜飲を下げるだろうか。
そんなわけがない。「いま」弱者男性である当事者が、カネと教育の再分配によって階層を浮かび上がれるはずがない。
語ってはいけない真実、語れば絶望しかもたらさない真実というものがある。
老婆心として一応言っておくんだけど、ヨッピーって認知に偏りがあるのに無自覚なんじゃないかと思います。具体的には「自分の身内におけるルール」を「世間でも当たり前に通用する」って思ってるところ。それ多分一般的じゃねーです。
たとえばさ、例の記事について総ツッコミ受けてた「仲間内では女性を数に入れずに男だけで割る」ってやつ。
あれさ、多分ヨッピーは「はてな民はまたあら探ししてウザ絡みしてくる……」くらいの気持ちなんだろうけど、違うんよ。
色々書いて最終的な結論として書いた最後の最後に例示で書いたから「それ一般的じゃねーから!」ってみんなずっこけたんじゃないかと思うんすよ。その流れだと例示にそれなりに強い説得力があることが望ましいんだけど、説得力に欠いてたらツッコミが入るんすよ。これは内容の正誤ではな文章技術の話です。
で、これはゲスパーなんだけど、ヨッピーはあれ書いたとき「自分たちの身内の行動」にめちゃくちゃ説得力があると思ったんじゃない? で、それにツッコミ受けて「カチンときた」んじゃない? 違ってたらごめん、あとは全部読み飛ばして。
割と長くヨッピーをはてなで見てるけど、ヨッピーって身内への信頼が強すぎると思うのよ。
それは友達思いなことと地続きなので悪いことじゃない。でもね、多分、ヨッピーの身内のノリってそんなに普遍性ないんじゃないかな。
たとえば、これ書いてる増田はライター業から一般企業に転身したりして色んなタイプのコミュニティ見てきたけど、「男全員で女の分をおごる」ははじめて聞いたよ。
あと、それ人に話す際に「多めに出したくない人がいても何も言えないだろうな」って可能性を考慮してなさそうに見えたのが気になった。で、それもおそらく同じ話で、友達のこと信頼してる、つまり「友達はみんないいやつだから、そのやり方をみんな良いと納得してる」と信じてるんじゃない?
それホントかな? 友人のひとりくらい内心嫌がってる可能性ない? 友達だろうがなんだろうがその手の話題は嫌がるひと地味に多いよ。だってお金の話だもん。
……とかさ、なんかこう、「これ人に話したら突っ込まれるだろうな」みたいな予防線の張り方、ヨッピーって身内の話になった瞬間ガバガバになるのよ。
嫌な話題思い出させるとさ、この流れ既視感あるのよ、はあちゅうさんの事件でヨッピーがはあちゅうさん守ろうとしたときのことそっくりなのよ。そこだけ認知偏ってない?
こう言い換えてもいいよ。「ヨッピーたちは陽キャの集まりなんだから、陽キャのノリが陰キャの集まりであるはてな相手に通じるわけがない」。
廃人ツイッタラー相手だって言ってるのにはてブ相手に反論しまくってるのが割と謎で、はてブとか無視すればいいじゃん陰キャのクズの集まりなんだし。だってはてブユーザーに陽キャのノリ理解できるわけないじゃん。
ヨッピーみたいな割とライター業長い人がそのことわかってないのが(あるいはわかっててもいつもキレてる)のが不思議で仕方ないんよ。
というわけで、今回のお題は「ヨッピー、身内を信頼しすぎに見えるけど、その身内ノリは少なくともはてなじゃ普遍性ないの気づいてる? 自分らのノリを理解されないと毎回キレてるけどそれって自分の身内に対する認知が偏ってる可能性ない?」です。
余談だけど、自分があの記事読んだ感想は「ヨッピーの周りに生物学上は男性で、周りからも男性扱いされてるけど性自認は女性の人がいたら『私も女の子なのにな……』くらいの鬱屈は抱えるだろうな」でした。男女で区別することの弱点としてご認識ください。
Twitterに書写お題垢というながらあるのはご存知だろうか。
ほか、この朝活書写垢が人気になったあと、雨後の筍状態で数多くの書写お題垢が生まれ、運用が続いてたり、運用が終わったりしている。
さらにいうと、朝活書写から派生したコンテンツを送り出す人もいる。
その書写お題垢からでるお題を楽しみに、書写に勤しむ人は多い。
全員がそういうわけではないが、Twitterで書写をする奴にはどうしてあんなに我が強い多いのか。我が強いから悪目立ちしているのかも知れない。強い奴同士だから、揉め事が絶えない。
誰のものでもないハッシュタグを自分の占有タグのようにしようとするやつ。
それに対して、対抗してくるやつ。
エアリプでキレ散らかすやつ。
お題について感想を呟いてるツイートを発見すると、たちまち書写お題垢信者が「タダでやってくれてるものに文句を言うとは」「嫌ならなら見なきゃいい」そういったエアリプが飛び交うのも茶飯事。
一見、字を書く習慣を持つ人は穏やかな人が多そうなもんだが、Twitterの書写周辺は治安が悪い。
口が悪い奴ほど目立ち、そういう奴ほど字が汚い傾向があるのは不思議だ。汚い字でも平気で出せるメンタルの強さが口の悪さに繋がるのか。
あいつらと同じカテゴリと見られるのが嫌でTwitter書写はやめた。やめたら精神的に平和が訪れた。
鬱屈としながらTwitterで書写をしている人もいると思う。思い切って止めて、別の字を書く習慣を始めたほうがいいかも知れない。
オタクは基本的にファッションに関して「ちゃんと選んでるはずなのに俺のファッションを認めてもらえない」「バカにされている」という鬱屈した感情を持っている。
試行錯誤の結果何度もバカにされるので諦めてしまって対外的に「俺は服に興味ないから」という態度を示してるんだけど、本心から思えてない。
なので「ファッショナブルになりましょう」とか服ネタを振られたときに「俺が馬鹿にされている!」と過剰反応してしまう。
こういう不幸を解消するにはまずは「俺も服を褒められたい!」「ファッションセンスを認めてくれ!」という欲求は人間の社会的な欲求として健全だということを理解することから始める。
素直に「カッコよくなりたいけどなれていない俺」を受け入れるしかないのだ。
【追記】
こんな駄文にとても多い反応があって凄くびっくりした。
励まし・慰めの言葉をくれた人、後輩を悼む言葉をくれた人、本当にありがとうございます。正直、時間が経った今でもあの日のことは夢だったんじゃないかって思うことがあって、でも現実を突きつけられて。の繰り返しだった。けど、これを書いたことで、少し気持ちが楽になった。今まで誰にも相談できなくて鬱屈としてたんだけど、誰かに聴いてほしかったんだな。
書いてると感情が凄く乗ってしまって、嫌に創作臭くなってしまった。
事故に関する記事については「高速道路名 事故 後輩の名字」で調べないともう出てこなくなってしまっていて、これはさすがに晒せないから事実ということを証明するのは少し難しいんだ。
けど、それじゃ「嘘松だ」っていう人を納得させるのは難しいし、自分としても後輩の死を嘘松って言われながら消費されるのは絶対に嫌なので、事故にあった後の車の写真を置いときます。これを見て事実かどうか判断してもらえたらと思う。
ちなみに、今までにインターネット上に公開したことは無いから、画像検索しても出てくることは無いと思う。
また、この画像を見て交通事故の恐ろしさを改めて認識していただけると救われます。
https://gyazo.com/0b58ed31e1a84df6198a377d71c0b94f
https://gyazo.com/5390deb73e4458ef787743ac240fe85f
【追記終わり】
大学の部活で仲が良かった男4人組で日帰り旅行に出かけた帰り道での出来事だった。
片道250kmくらいの道のりで、あと50kmくらいで無事に家に帰れるはずだった。高速が事故で渋滞していて、渋滞の最後尾に追いついたんだ。
トラックの後ろに停車してハザードを焚いてバックミラーを覗いた。それから数分間の記憶はない。
目を覚ますと、運転席の中だった。目の前に巨大な鉄の塊があって、本来それと自分たちを隔てる、あるべきものがなかった。
状況が理解できなかった。けど目に飛び込んでくる夥しい量の情報がその事実を残酷に突きつけていた。
助手席の友人に大丈夫か聞くと返事が帰ってきた。彼に一旦外に出ることを伝えて、ドアを開けて外に出ると前のトラックの運転手が携帯電話でどこかに電話していた。
「そうだ、自分も通報しないと」携帯を取り出して110番に通報した。
電話を終えて後ろのトラックをチラッと見てみると、運転席に運転手が座っていた。60〜70くらいの男性だろうか。呆然とした様子で、誰かに電話をかけるような様子もなければ、降りてきて救護する様子もなかった。
でも、自分には彼にかまっている暇はなかった。後部座席に座っていた後輩2人の無事を確認しなければいけなかった。
後部座席を運転席側から覗くと、とても現実とは認めがたい光景が眼前にひろがっていた。
運転席側に座っていた後輩は口から血の塊を吹いていて、目を見開いていた。気付くと血の塊を手で拭っていた。血の塊はゼリーのように半固形状になっていて、事故が起きてから経った時間を物語っていた。
大丈夫か問いかけても反応がなかったけれど、なんとか息はしているようだった。奥を見やると、助手席側に座っていた後輩の首から上が、後ろのトラックに圧迫されているのが確認できた。
一気に自分の心拍数が上がるのを感じた。次の瞬間、思わず叫んでいたことだけ覚えている。窓から手を伸ばして、背中を叩きながら、ただ一命をとりとめてくれることを叫んで祈るしかなかった。
急いでドアを開けようとしても開かない。ビクともしなかった。追突の衝撃で歪んだせいだろう。どれだけ力を加えても開けることができず、それがより不安を加速させた。
ビクともしないドアが、生と死の境のように感じられた。それからずっと、救急車が来るまでただひたすらに、叫ぶことしかできなかった。もし少しでも止めてしまったら、2人がもう二度と帰ってこない気がしたんだ。
気付くと、救急隊の人が到着していて、引き剥がされながら、いつの間にか脱出していた助手席の友人と救急車で近くの病院に搬送されることになった。
結局、自分は左足骨折と頭を数針縫う怪我を負い、助手席の友人が頭を数十針縫う怪我、運転席側の後輩が顎の骨が砕けて、全治半年以上の怪我を負った。助手席側の後輩は帰らぬ人になった。
今でもあの日のことを思い出す。あの日、あのとき、直前のSAでもう少しだけでも休憩していれば。JCTで別の高速道路に抜けていれば。停車したときにもっと車間を空けていれば。別車線にいれば。そもそも誘わなければ。
事故を防げたかもしれないあらゆる可能性を思い浮かべては、そうできなかった自分を責めている。
数日後に控えていた後輩たちの旅行も台無しにして、亡くなった後輩のご両親からもただ一人の息子を奪ってしまって本当に申し訳がない。生きている価値がない。
あれからずっと、生きている実感が無い。
ここまで読んでくれた人たちにお願いがある。交通事故は本当に、誰一人も幸せにならないから、本当に気をつけて運転してほしい。
そんな状態をここで愚痴ってったら「ぼーっとした方が良い」と言われた
やりたい事も無いのに移動時間がもったいなと言う気持ちもあったが、現状を改善するためにアドバイスを試してみる事にした
今日の天気は晴れていた
途中、ドラックストアでランチパックとコーヒーを買って食べながら歩いた
寒いとか足が痛いとか耳が冷たいとかそんな事を考えていた気がする
ただ、辛さが心ではなく体に向いたせいか、頭の方は軽くすっきりした気がする
体の辛さなら、家に帰れば改善するからゴールが見えている分、大した問題ではない
心が軽くなった分、「何をしたいかな…」って言うのに気持ちが回せるようになった
こういうどうでもいいことをいちいち腐しに来る人ってなんだろう。鬱屈おじさんというか。