はてなキーワード: 鬱屈とは
大変だったんですな。
あと、よく頑張ってたんですな。
傷つける意図はなかったです。
ただ、元増田さんの記事に付けるコメントとしては、傷つける要素があったので、書いてしまいました。
ここからも、少しでもこのコメントがいいものになるようにって思いで書くんですが、
「うるせぇ」ってやってもいいです。それは自由なので。
私の体感として、
理解しようとするつもりがない人を理解させるのはほぼ無理です。
出来なくないけど、コスパはかなり最悪です。
それより、理解しようとしてくれる人が多い場所に、自分が行く方が断然早いです。
普通の振りと書いてましたが、
発達でのお困りを解決する手段を講じることを習慣とすること、ですよね。
それは努力ってやつで、きっとずっとやってきて、それで鬱になったのだと思います。
でも、結局のところ、相手を変えるのではなく、自分でできることと言ったら、
鬱になってしまうことがあったとしても、
こういう時の論点としては、不幸の評価や、相対的な評価はあまり意味がなくて
②ではそれを最小限に抑えるにはどうしたら良いか
の2点のみだと思ってます。
で、結構真面目に振りをしていて、
かつその振りを頑張ってることを、周りにたまにぽそっと話したりしてると、
(ここの具合は絶妙で、聞かれたら応えるくらいじゃないと引かれる。バランスとる)
その内、理解しようとしてくれる人が現れるので、
これが私の解決策でした。
鬱はいつでも横にいて、
体は今日も重いです。節々が痛い。
防げたら鬱になんかなってないので、
「仕方なし」として、鬱になった自分を許します。これでいいのだ、って設定で休むことに専念します。
鬱明けのじり貧戦中は、努力にもコスパのいい努力とそうでない努力があることを念頭に入れて、
「どうしたら、今より楽になるんだろう」って真剣に考えて戦略をもって、
その内、いい「場所」が出来上がってくることもあるので
見つけたら、そりゃあもう大切にします。
…
でもまぁ、増田に書く元気があるのであれば、
傷つけただけで終わりたくなかったので、書きました。
考えてみたんですが、
外で語られにくい不幸達の内、
たぶん大切な人の死って、ほぼ全員がタイミングはどうあれ経験するので、
共感できる人が多いのでしょうね。
たくさんあるのだと思います。
共感できる人の多さ、かわいそうさ、に寄るのかもですね。
まぁ事実なので「仕方なし」として、
何かと比べても
なるべく。(たまに鬱屈としちゃうときもあるので、その時は何も考えないようにぼーっとしてます)
丁寧に書きましたが、
あ~~~~~~~楽に生きてぇ~~~って気持ちでいっぱいです♪
先日友人の結婚式に参加した。
移動の費用やらを考えると、それなりの金額を支払って、出席することになる。
ただ、全然出せないことはないし、むしろ大人の余裕で前後泊しちゃう?という矛盾の塊のような結論を出し、二泊三日の一大旅行となった。
旅行もそれなりに楽しめて、旅先の工程も満足行くものではあったのではあるが、結婚式に出るたびに毎回首をもたげる、「あれ、結婚式出て、意味あった?私の人形そこに置いといたのと何も変わらんくね?」という思いがが今回はより、私の胸の中にのしかかった。
パートナーにその旨を告げると、出たことに意味があると、お嫁さんの晴れの姿を生で見れたことに意味があるのだと。
確かにそれはそうかもしれないが、約二週間たった今も、胸の引っ掛かりは取れない。
それはそれで気持ちが悪く、そして私自身その気持ち悪さをきっちりと言語化できたときの気持ち良さを知り得ているので、いつまでも目をそらし続けることはできない。
今までよりも強い違和感は、以下の背景に起因するものであろう。
今まで出たどの結婚式よりもお家柄色が強く、異物感を感じざるを得なかったこと。
そういうわけで人数も全体としてかなり多く、ひな壇に気軽に行けるような感じでもなかったこと。
少なからず自分が世界の主人公だと思ってしまっており、どうしてもその幻想は、私が私で生きている以上拭い去れないこと。
その勘違いが、自分にはもっと何かできると、鬱陶しいほどに心臓に早鐘を打たせること。
また、それなりのお金を支払って行っていると言う事実も、なんらかしらの手段でこの感情を顕現させたいことに拍車をかける。
しかし、直接本人に言うのは、流石に自己満足の押し付けが過ぎ、幸せ絶頂の花嫁に水を指すのもいかがなものか。
上記理由から、皆様のお目を汚すような個人的な感情をここに書くに至った。
さて、私がいかに面倒な人間かわかって頂いたところで本題である。
彼女とかかわり合いになったのは、大学のサークルの内のことで、たった3年間のことであった。ただしそのサークル内でも何かしら一緒の活動を行うということはなかった。しかしながら、部と学科が同じということで、授業の話をしたりだとか、自分が読んで来た本の話しなどもしたような記憶がある。
私自身高校生活から大学生になるにあたって、非常に鬱屈とした学生生活を送っており、端的に言えばなかなか人とうまくはなせずにいた。
そこからサークルという否応なしに共通の目的やら問題やらに向かえる集団に所属したことで、元来人が持つコミュニーケーションを取りたいという欲を取り戻した。
そんな最中サークル終わりの飲み会で、彼女と横並びに座敷の壁に寄りかかりながら、なんとなく高校の頃の話を聞いたような思い出がある。
ぼんやりとうすボケたような記憶なので、話の内容も対して覚えておらず、自分もなんと返答したのか全く思い出せないが、人間関係の話で、今まで仲の良かった人がいたけれど、あるなにかの事件がきっかけとなって、疎遠にむしろやっかみを受けるようになり、その時から人との関係がよくわからないというような話だった気がする。
以前の記事私がどういったふうに答えていたか相変わらず覚えていないが、今の私であったらこう答えていたと思う。
何も気にすんな。人との関係性は、相手じゃなくて自分で決めるものって考えたら楽んなる。相手がどんなにこちらを嫌っていたとしても、仲良くしたいと思えば、何でもいいから話しかけにいけば良いし何か違ったなと思ったら、話しかけずにいれば良い。
こっちが友達だと思ったら友達だし、時と場合によって今日はご飯食べに行きたいと思ったやつとご飯食べれば良い。
思えば色々と感化されやすい性格だったように思う。私がこうした方がいいのでは?と言えばそれに素直に従い直したし、私のつまらない話にもよく笑ってくれた。
そして感情が豊かで感受性も高かったように思う。友人といざこざがあればすぐ顔に出たし、義理が果たされないようなことには、怒りを顕にした。
そんな人間が、私からのそんな話を聞いてどうなったかといえば、本当に何も気にしなくなった。今までは自分の発言で傷つく人がいるのではないかと考え、うまく言葉を紡げなかった彼女は、傷ついたなら傷ついたで仕方ない、と思い直し自分の考えを堂々と言うようになった。あるいは、間違えたらどうしようと、行動が起こせなかったことも、今考えた限りはこれしかないのだから、やってしまおうと、行動に移すようになった。
そうして、間違ったことも、壊してしまったことも、傷つけたことも、そして、それらが元に戻らなかったとしても、それはそれとして、前に進んだことの確かな証拠だということに気づいていったのだと思う。
見ようによってはヤケになってしまったようにも見えるけど、それは確かな一歩である。
私から見たあなたは、そんな風に歩んでいったのではないかと思う。
私があなたと会わなくなってから、かなりの空白があるわけで、先のことも遠くの記憶であるからにして、真実かどうかもわからず、もうもはや事実とは異なる空想めいたものかもしれない。
私があなたに言える確実的なことは、私が過ごしたここ最近の数年のことであるから、そのことをひっそりとお話して、この文書を閉じたく思う。
ひとえに、気の置けない人がいるというものは素晴らしいことであると思う。
自分一人では、私は到底私らしく人生を生きて来れなかったと思う。料理を作って美味しいと言ってもらえること。そうでなくとも、この間のあじつけの方が好きと一刀両断されること。
服の干し方で一々文句を言われること、食器の洗う順番にとやかく言われること、穴の空いた靴を履いているとこそからくすぐしてくること。自分一人でいたら、どうでもよく、そのまま過ぎ去ってしまう一つ一つの生活が、パートナーがいるというだけで、数倍は人生が伸ばさせれるように思う。
洗濯機の液体洗剤のいれるタイミングがどうしてもわからなかったり、大きななべを洗うのが億劫であったり、キッチンの排水口の掃除がどうしても受け付けなかったり、りんごを剥くとたまに芯が残ってしまっていたり。自分が凸で、相手の凹を埋めるときもあれば。
朝はどうしても起きれなかったり、休日の過ごし方のプランを立ててもらったり、バスタオルを一週間に一回洗ったり、部屋の片付けを率先してやってくれたり。自分の凹を相手の凸が埋めてくれることも勿論ある。
人生なんて所詮、この地球上の一生命体が生まれてから、終わるまでのお話であるから、結局のところ意味なんてなくて、でも、それでも、
一緒に足りない何かを補ったり、補われて、そこにちょっとした温かさを感じて。
それは意識されないまでも、どこか自分の根底にそれはあって、それを抱えたまま眠りにつく。それが自分がどんな状況であろうと、立場であろうと、確固たる標として、自分の中に位置づけられる。自分として戻って来られる。
あなたはどうであるか、そもそも私自身あなたの相手のことすらも知らぬわけであるから、もうただ同じ感覚を持っていることを祈るばかりである。
なんていうか思い込みだけで生きてない?
氏ね、逝ってよし
厨房、○○厨
ドキュソ、DQN
クソコテ
電波、デムパ
もっと直接的な悪口でいうと、普通に馬鹿とかカスとかゴミとか消え失せろとか罵倒し合ってた
2chが異常に女に態度悪いように見えるのは
みんな罵倒し合って治安悪い感じでその暴力的コミュニケーションから光るものを見つけるハイコンテクストなフィールドだった
でもリアル性別が女だと「わたし女なのになんでそんなこと言われなきゃいけないんですか!?」っていちいち発狂するんだよね
こっちはお前が女とか知らんし、プロトコルに従ってやり取りしてんのよ
そのプロトコルが令和の今も通用するもんかは置いといて、確実に空気は読めてなかったわけ
頼んでもないのに自分語り、空気読まずにコミュニティに自分の流儀持ち込み、これ別に令和でも誰からも嫌われるやつだとわからんかな〜
でもリアル女をアピールすると令和になってもまだまだいるオチンポ騎士団が平成にもやっぱりいて、そいつら湧いてきて女を肯定し始める
平成はもう既にテレビでは男女差別が酷くて、女は絶対に持ち上げないといけなくて男はどれだけ貶して罵倒して人格否定してもOKって風潮だったよな
てか2chの罵倒し合う特性も割とそのマスコミの風潮から来てるよね
女に罵倒するのは明らかにタブーだったし、タブーすぎるからこそ鬱屈してそれを破ったりとかさ
たち悪いのは女もそれを見越して空気をあえて読まないんだよな〜
そりゃ女出禁になるでしょ
辟易してる女もいたと思うよ、てか俺の知り合いに実際いたし
女を隠してみんな男っぽく振る舞ってたのは男に理解があってコミュ力ある女が望まない姫プを避けるための処世術で、自然発生的に生じたものだし
そもそも今でもまともな女は姫プを避けるためにやってることだろ。知らんのか?
まぁ不本意なやつもいたのかもしれんけど
その不本意な制限ってのはリアル女とAmazon欲しいものリスト晒せばバンバン荷物貢がれるような甘い扱いと表裏一体だし
まあこういうこと言ってもわからなそうだよな
ようやっと金貯まったから今度生殖器摘出しにタイ行くやで~ガハハとか思ってたらTwitterに『すとぷり症候群』とか流れてきてゲラゲラ笑ってる。笑い事じゃねえけど。治療(笑)して8年になるけど何しろワイも自分がトランス男性だとは思ってねえ。
FTM(トランス男)診断って統合失調やら自閉症やら解離性同一症やらの可能性も視野にカウンセラーと半年以上かけて面談し病気を確定させて行く。医者がヤブでなければワイはとりあえずそっち方面は健常者のはずや。
きっかけになったすとぷりメンバー?のFTMって声が低くなりたくねえつって男性ホルモン打たねえまま子宮卵巣摘出したらしいけどそれってFTMじゃなくてXジェンダーなんじゃねえかな。知らんけど。
トランスジェンダーは一般的に『自分の性自認と自分の実体が違うことで自分の体(性別)が人形みたいに感じる』とかなんかわけわからん感覚があるらしいがワイはそういうのねえしな。で、カウンセラーと話してたときに『あなたは性自認が男というより女性性への怒りが強いと思うのですがそこら辺はどうですか?』って言われた。はいそうですって肯定してじゃあ治療は許可できませーんwって言われたら正直地獄だったので適当に言葉濁してFTM診断をもぎ取ったが、確かにその通りやった。
父親が子供の扱いに性差をつけるし、今は縁切った実の兄貴は兄弟間家庭間で気に入らないことがある度に腕力巻かせに事を進めて、天地がひっくり返っても腕っぷしで勝てるわけもねえ妹のワイはボコボコにぶん殴られた。でも性根は負けず嫌いだったので兄貴に逆らって、更にぶん殴られた。それでワイが勝てへんのはワイが女のせいやって女性性に恨みを持つようになったし、男みたいに強くなりたかった。こんなこと言ったらご本人に怒られるが□田○保里とか超羨ましかった。あんなの天が与えしものだろ。
そんなねじ曲がった性根ができたあとに思春期に突入、仲良かった同級生の男どもはどんどん背が高くなり声が低くなり身体能力がはね上がり、胸が出てマンコから血垂れ流して小6の時点で身長が止まった女のワイは友達として相手にされなくなった。兄貴には余計敵わなくなった。死ぬほど悔しかった。そんなときにテレビで性的マイノリティの人間が魔女裁判みたいなのにかけられてて、FTMって存在を知った。
トランスジェンダーは『自分の性に違和感を感じる人』って書かれていて、『男になりたい』と思っているワイは当事者じゃねえだろと思いはしたが、一刻も早く女性性(劣等感)から解放されたくてそれに救いを求めるようになった。まあ男性ホルモンを打てるのは18歳からなので成長期終わってから男性ホルモン打ったところで身長なんて伸びねえし骨格だって変わらねえんだけど、低身長射精能力なしの風俗にすら行けねえ男として価値無しの人間になってでも女性性を捨てたかった。
じゃあお前そんなナリで男好きなんかって言われるとところがどっこい当初は恋愛(性欲)対象って女だったんだよな~エロガキワイ、小一のころに同じ学区にいた小六の胸のでっけえお姉ちゃんのことガン見しまくってた。顔は覚えてねえけど胸のデカさだけは覚えてる。運動会のときとかマラソン大会のときとかたまんね~wwwって感じだった。日本が誇るアニメも漫画もエロい女の子いっぱい出てくるもんだからムヒョヒョ~wwwって感じで、これはもうFTMを名乗っても差し支えないのでは…?と割りと納得して今までFTMとして過ごしてきたのが経緯や。まあ抜刀できるもんがねえので女の子とイチャイチャしてェ~と思っても風俗にすら行けず家でぼっち飯や。射精できるお前ら羨ましすぎ。
なお当初はという記載がある通り最近はオタクジャンルに染まりすぎたせいか性別もジャンルも問わずにいけるようになってきた……こわ……もはや自分がシスなのかレズなのかバイなのかゲイなのかトランスなのかわからん。アイデンティティがガバガバや。
最近は疑似射精機能のあるチンコがつけられるみてえな話を小耳に挟んだが真偽は不明。また子宮卵巣乳房摘出に150万、疑似陰茎作成には更に300万かかる。射精機能つけるとなればどんな額になることやら。手が出ねえのでとりあえず今回は性別変更に必要な最低ラインの子宮卵巣乳房摘出だけやる。膣閉鎖は陰茎作成のときらしいので膣(まんこ)は残ったまんままや。とんだキメラやで。
買ってもいねえ宝くじ当たって疑似射精機能チンコほし~って思ったりしたもんやが、そういえばこの前テレビでカウンターカルチャー特集やってたんや。カウンターカルチャーの一つに身体改造ってのがあって、それでチンコから火炎放射できるやつ紹介されててはあ!!???ってなった。正直めっちゃ興奮した。
すげえ欲しい!!!
火炎放射チンコとかいうアホの発想にそう思った辺りワイの根底にあるのはガキの頃に感じた““““強くなりてえ””””という願望で、ワイが身をやつすべきはLGBT界隈ではなくカウンターカルチャー界隈かもしれん。しらんけど。
──
なんとなく自語りしたくなったのでだらだら書いたが反応ありがとうやで、めっちゃ笑いながら読ませてもらったわwwww
[ちんこから炎を噴射して兄貴をアナルの内側から丸焼きにするってのが増田の究極の願望なんじゃないかな
夢見るのは勝手やがもうちょい人としての範囲内にとどまる願望に矯正した方が幸せになれるで]
すげー笑った、そんなわけないだろwwwwww
でも兄貴をねじ伏せたいっていう願望があるのはそのとおりで、恐らくそれは死ぬまで持ち続けるやろな。
筋トレに関してなんやけど、まあ筋トレすれば男っぽい体つきになってもう少し強く抵抗もできたかもな。せやけどワイが筋トレしなかったのには理由があって、女って健康体だと生理が来るんや。
もともとワイは動けるデブで膂力もあり(動けるジャイアン)、中1前半くらいまでは同級生の男どもとじゃれあってても力では負けなかったんや。兄貴にも多少は抵抗できたが倍返しでボコボコにされた。
前述の通り第二次性徴で身体能力に差が出るようになると思春期ってのもあって男友達から相手にされなくなり、残ったのは友達から置いてぼりくった負け犬性別(女)や。女性性への劣等感渦巻いている中で女の象徴の生理が来るとかほんまに気分最悪でな、死にたくて仕方がなかったやで。せやけどテレビのデブ特集でな、超肥満女は生理が来ないっちゅー内容が放送されててこれや!!!!ってなんたんや。どうも腹の脂肪が性器を圧迫して生理が来なくなるらしい。栄養失調なみにほせー体でも来なくなるらしいがそれじゃ膂力は出ん、筋トレしてデブの時より多少パワーアップしても男には勝てねえし健康体じゃ生理が来る、超肥満なら膂力維持のまま生理も止まる。未成年の間は薬(男性ホルモン)接種できねえから生理止められねえし、当時は超肥満の選択肢を取るしかなかったね。まあこれのお陰で今は体壊してガタガタやし、病院通さねえで個人輸入とかすれば未成年でも接種できたらしいきどあとの祭りやな。
ワイの場合は家庭環境教育環境、思春期の多感性からくる劣等感が原因やったし、家族と距離置いて自分のやりてーことやって好きなように暮らしている今は『男として扱ってください><』っていう感情はほぼねえな。思春期の頃は女扱いされるとアレルギー反応みたいに情緒が崩れたが今は冷めたもんや。どっかの大学の先生だか学生だかが言ってた『怒りや悲しみは所詮脳が発するの電気信号に過ぎない』っていう言葉がしっくり来てな、最近は人に何か言われてもなんも感じん。こういう言葉がしっくり来る辺りも、ワイはカウンターカルチャーの身体改造みたいなSF的なもんが好きというか性にあってるのかもしれん。感情は電子信号、火炎放射機能付きチンコは拡張パーツみたいな感覚や。
なので正直、今は精神的に性別変更がしてえ!!!って切迫感はない。まあするんやけど。性別変更するのはついでやな。家族と距離置くのに氏名変更するには性別変更って格好の口実なんや。性別変更後に下の名前変更するのはよく聞くのに対して氏名変更は聞いたことないので実行できるかはまだわからんがな。
今は体壊して本格的な筋トレできねえし、筋トレして兄貴をぶっ飛ばせるくらい強くなったところで互いに成人した今傷害罪で捕まって終わりや。下らん。鬱屈した感情を燻らせながら報われることのない願望背負って生きていくよりワイは兄貴から離れて静かに暮らすことを選んだやで。
筋トレして表面を取り繕ったところでチンコねえから女にもモテへんしな。
ガキの頃みたいに男として扱ってくださいっちゅー他人からするとクソ面倒臭いお気持ち表明もないし、お前らには迷惑かけずに(かけてへんよな?)生涯ぼっちで暮らしていくわ。
すとぷりのやつなんやけど、ショタの声帯で売りたいなら女のままでええわけやし、じゃあ女のまま“男性アイドルグループ”に所属できるかっていうとそんなことはあり得ねえので、『商売のためショタの声帯を維持したいからホルモン治療しない』っていうのはあり得ねえんじゃねえかなと個人的に思う。
ただ他の書き込みの[文化はグラデーション]ってやつみたいに本人にショタ願望があるのかもしれんな(まので女の生殖器は取るけどクリチンポとか低い声は欲していない)。知らんけど。
あとすとぷり症候群の何が耳が痛えのかっていうのを書き忘れたんやが、『すとぷり症候群って思春期のまんさんが『自分は特別だ』って思い込みたいだけのやつだろwwwww』みたいな書き込みがあって「はいその通りです私は思春期の頃に拗らせて自分を受け入れられなかったとか抜かす痛い女子中学生でした……」っちゅー気持ちになったんやな。耳が痛いやで。
当時、吃音をよりメジャーにすることに一役買ったマンガだと思う
ただ楽しいマンガではないから好き好んで読み返したいと思うものではない
たぶんまだたった2,3回しか読んでないと思う
ラスト、オンチの友人がそれでも文化祭で歌うのを見て、自分も吃音と向き合うこと、恥ずかしがらないようにすることを決意したところは、
悪くはないしむしろいいシーンだとは思うんだけど、
それまでの鬱屈として沈んだとこから一気に上がりすぎてて正直違和感もある
ラストのまるで夢のようなシーンも美談っぽくしすぎてて蛇足でしかないし
あれはオンチのヒロインをがっかりさせないため主人公がウソで歌うまいよとかいってたら、
ヒロインが文化祭でとんでもない大恥をかいちゃうという話があった
しかも主人公は熱だして文化祭に行けず、あとでそれを知るというね・・・
んでヒロインとは一気に疎遠になってそのままマンガも終わるっていう最悪だった
多分打ち切りきまってその展開にしたんだろうなとは思うけど
一方こっちも夏休みずっと引きこもってたし、もし現実なら夏休み以降不登校になって文化祭も休んで家にいる感じになってたんだろうなという感じがする
その場合は救いようがなく落ちるとこまで落ちて行って不登校から社会復帰が難しいレベルまでいってたことも容易に想像できる
ただまあそこまでやるとほんまに救いようがないだけのマンガになるからそこはマンガとしてカタルシスをわかりやすく作ったんだろうなと
あとがきで作者自身が、自分の話にはカタルシスがないと言われる、と書いてたし。
まあ文化祭っていうのがひとつの区切りとして最初から考えてた可能性も十分あるとは思うけどね
しかしこの作者は自分のどろどろしたところをマンガに昇華することができていてほんとすげーと思う
こんなことやってたらあっというまにかくもんなくなるだろと10年前は思ってたけどいまだに書き続けてるし
いやーほんとすげーわ
Mami Tanaka
@mami_tanaka
実は私は雁琳(さん、と書くべきか)にフォローされていた時期があり、たわいもないフレンドリーなやり取りすら過去にしたことがある(ツイログで見つけた)。モディリアーニのアイコンは目立つし、自分のツイートをRTしてもらうことも少なくなかった。だから中傷行為を知った時はひどく驚いたのだ。
話のわかる、理知的な人だとこちらが勝手に思い込んでいた相手が、理解に苦しむような主張や加害行為を始めるというのは、考えてみればそう珍しいことではないかもしれない。ネットデマを信じて加担したり、偽科学の餌食になったり、あと女性の権利を唱えてトランスジェンダーを叩き始めたり。
ネット空間には一線を超えてしまったときに、行っちゃった側にも(側には)大勢の仲間がいる(ように感じられる)。でもその「仲間」は意見が一致した案件だけでなく、意見が異なる時も、言葉のやり取りによって自分の思考や判断を更新する助けになる「仲間」なのか。
書いたものは残る。消したら増える。だから後戻りできないと思うのかもしれないが、だからといって先に進まなくても止まることはできる。雁琳氏の件は、学問的手続きに通じた研究者が他者の人権を毀損し、指摘されても止まらない複数の事例を改めて考えさせる。呉座雁琳東野どこみても池内恵いるよな。
@forward_ac
雁林さん、私も割と心理的な気遣いを込めたやり取りまでしたことがあります。理知的で、難なら論理力に優れて、場合によっては紳士的ですらありました。
恐らく元から鬱屈もされていたのだと思います。鬱屈が理知に勝れば、人は暴走するのだと。もしかすると理知と鬱屈が絡み合って補強した面すら。
診断に行ったけどADHDじゃないって言われて惨めな気になって終わった話。まぁでも学ぶこともあったので、同じような気持ちの誰かの参考になるかもと思ったので書き留めておく。
仕事が何も上手くいかなくて落ち込んで、もしかしたら自分は軽度のADHDなんじゃないだろうかと思った。なので、とにかく一番近い病院を予約した。
診断でADHDじゃないと言われるのは怖さもあった。けど毎日苦しすぎてとにかく誰かに助けを求めたかった。例え結果がADHDではないと言われたとしても、鬱屈した気持ちを抱えたままよりかは、専門家に何かしら助けを求めた方が良いと思った。
一応ネットでその病院がADHD相談を受け付けているかどうかは確認していたが、検査まではやっていなかった。
予約した時点で聞いておけば良かった。完全に自分が悪いのだが、惨めな気持ちになって自己嫌悪が深まった。
検査はできないが話は聞いてくれるようなので、診察は受けることにした。
最初にこんなことを聞かれてたので、仕事でミスをしていたことと、今は出社できていることを伝えた。
素直な気持ちを言うとショックだった。全然深く聞いてくれないうちから言われても、お前に何がわかるんだと言い出したくなる気持ちだった。
先生としては問題なく出社できていることと、席を立ったりせずこうして診察を受けれていることからADHDではないと判断したみたいだった。
その後、軽い質問があったが「仕事に慣れなくて疲れが溜まってるんでしょ?」「出社できてるなら大丈夫だから」と言われた。自分の欲しい答えがもらえなかった自分は、もう先生の言葉を素直に聞けなかった。
自分の状態を決めつけのように話されているようにしか感じなくてその場で泣いた。泣きながら早く帰りたいと思った。
なんでもいいから早く終わってほしくて、全部「そうですね、そうだと思います」で返した。もう悩みを話す気になんてなれなかった。
診察時間は10分かそれに満たないぐらいだったと思う。会計で2000円ほど払った。
別にADHDじゃなくても良かった。それきっかけでなにか相談のとっかかりになればいいと思っていたが、結果は何もなかった。
非常に惨めでしにたくなったが、今冷静な頭で振り返るとまぁ学びはあった。
・まず診断を受けたいと思ったらちゃんと予約時点で診断をやっているかどうかを聞くこと
・おそらく診断を受けた方がよい人というのは、薬の力を借りないと日常生活が難しい人のこと。
→精神科と心療内科とカウンセリングで何やら色々違うらしいと後から知った。病気に対する治療が必要なら診断を受けた方がいい。
逆に私は会社に出社するという日常生活はできているので、治療よりも誰かに悩みを聞いてもらうカウンセリングというものの方が必要だったのかもしれないと自己分析した。
何もかも嫌でとにかく楽になりたくて病院に行ったが、診断書を貰う目的を何も考えていなかった。
私は日常生活をなんとか送れているので、相談できる人が欲しいと思っても、診断書が必要なサービス(障害者雇用とか薬とか)を受ける必要はない。ここに気付けたのは良かった。
なので、セカンドオピニオンは受けなくてもいいかなと思っている。次は診断ではなく、どこかのカウンセリングを受けたいと思っている。
もし自分はADHDかもしれないと思っている人がいれば自分は診断書が必要かどうかを一度考えてみるのも手かも知れない。思いつきで診断に行ったって惨めな気持ちになって終わるだけだから。
【追記】
勢いのまま書いた文章に反応ありがとう。思ってたよりも人に見てもらえてびっくりしている。
いろんなコメントを貰って自分の中の視野が広がったので本当にありがたい。
最後は尻切れトンボのように雑に終わらせてしまったのでちょっとした補足と、貰ったコメントへの返信をしたいと思う。
→これは本当に心を救われた。大人のADHDに対する理解は想定してたよりも世間で進んでなくて、みんな通る道っぽい。そんなもんなんだと苦しさが小さくなった。ありがとう。
ちゃんとした知能検査を受けてADHDではなかったとしても自分の特徴を知って対策を練れるのはいいなと思ったので、めげずに検査できる場所を探すのもありかも知れないなと思った。
→個人的な感情を正直に言えば碌に話を聞いてくれなくてむかついたのだが、医者としての判断は正しかったんだろうなとは思う。
働けてるのに「病人」になって働けなくなったら元も子もない。薬についてはまったく詳しくないが、副作用の話などもよく聞くのでそれで出社できなくなるのは確かに嫌だ。医者が患者を増やしてどうする的な。
それはそれとしてヤブというコメントを見て感情は幾分かスッキリした。先生すまんね。
→これは本当にそう。今考えると冷静じゃなかった。
仕事で滅入ってる時にたまたまADHDの話を見て、もしかしたらこの辛さはADHDだからなんじゃないか?そうに違いない!という思い込みというか、縋るような気持ちで検査を受けてみたいという発想に至った。
(ネット上にいっぱいあるセルフ診断を受けて可能性があるという結果だったのも一因)
後、これは完全に自分の甘っちょろい考えなんだけど、例えADHDじゃないと言われても「ADHDな気がするんです」→「結果は違いますね。ですが、増田さんに困り事はあるのは事実なので、別の方向で一緒に考えていきましょうか」みたいな流れでなんとかしてくれないかなと思ってた。漠然となんとかなりたいって気持ちだけで持っていって後は丸投げなんだから嫌な患者すぎる。
→これは今回受診して初めて気付けたことだった。医者はあくまで薬という手段で治療を手伝ってくれる相手であって慰めてくれる相手ではない。慰めや相談が欲しいならまずカウンセリングなどを受けるべきだったと思う。
今後大事にしたい考えとしては「目的を持って受診をしろ」ということだ。
本文にも最後に書いたが、この目的意識に関する話をコメントでも多く貰った。
漠然となんとかしてくれるなんて気持ちで受診するのはよくない。
(これは自戒なので否定的に書いたが、助かりたいと漠然とした気持ちでも誰かに相談するのも悪いことではない。しぬよりはマシだし、相談する一歩を踏み出せるのは偉いと思う)
どこかの本でも書いてあったが、診断をもらったとしてもそこがスタートであってゴールではない。診断書を貰って障害者雇用に回ったりだとか、薬を飲んで社会生活に戻りたいだとか、そういう具体的な未来像がないといけない。手段と目的をすり替えていた。
改めて今後の自分としては、カウンセリングでまず自分が何に悩んでるのかを具体化して、その悩みが努力だけでは解決できにくいようであれば、セカンドオピニオンに行ってみようと思う。
発達障害のコミュニティなどがあることもコメントで教えてもらえたので、そういった場にいくのもあり。
自分と同じように「ではない」判定を貰ってる人も沢山いるだろうから、この話がなんらかの手掛かりになれば嬉しい。厳しい道だけどお互いになんとかなろう。
ちなみに川で泣くの割と良かった。家だと布団に引っ込んで出勤までの時間があっという間だが、外だと時間がゆっくりでいい感じ。外出るの大事信者の言い分が分かったわ。
「増田!お前それはADHDだよ!」と同意を貰いたい訳ではなかったので省いていたが、自分がかも知れないなと思った要因を書いておく。似てる人はあるある〜ぐらいにでも思ってくれ。多分不注意が強いタイプ。
・締め切りがあるものをギリギリまでやらない。夏休みの宿題は最後まで忘れましたで通した
・「次は〇〇の作業をするぞ」→PCのフォルダ開く→「何しようとしてた...?」(しばらく考えたら思い出せる)
・上司から指示を受けている途中、後ろで誰かが話しているとそっちの会話を拾って上司の声を拾えなくなる
・議事録の作成で何度も見返すのだが、上司チェックを通すと誤字が見つかる(しかも直した筈の箇所が直ってなくてアレ?になることもある)
・人の前では多動っぽい症状はでないが(親に昔怒られたので)、一人の時はつま先を揺らしたり手首揺らしたりなんらか動いてる。人前でも感情が昂ると揺らしてしまう。
・優先順位がつけられない。新しく仕事を頼まれるとそれに集中して、それまでやってた仕事を忘れる。(備品整理してる途中に別の仕事任されたんだけど、床に備品出しっぱにしてて怒られた)
・自分はADHDだ!と思ったら、その日の退勤後に即病院に足を運ぶ。ワンチャン予約なしで見てもらえないかなと思った。そんな訳ない。(思いつきと衝動)
他にもあるけど大体こんな感じ。
基本的に自分はやらかすと思っているので、その前提で動くことでなんとかギリギリクビになるような大ポカはやらさずにすんでいる。
部屋出る前に部屋を一望する(物を出しっぱにしてないか)、帰る前にポケットに手を突っ込む(会社の物を持ち出してないか)とか。
そんな感じでなんとかやってたんだけど、ここ最近は特に上手くいかないことが多くて悩み、一番上に戻るという感じ。
構ってもらえたのが嬉しくて長々と書いてしまった。
見てくれてありがとう。
【最後の補足】
このまま締めようと思ったんだけど、書き方が悪かったのでこれだけ補足しておく。
今は自分がADHDであるかどうかということは考えていない。一旦棚上げしてる。
ADHDじゃなくて鬱とか他の症状なのかもしれないし、普通に仕事がキャパオーバーで落ち込んでるだけかも知れない。
なんでこんなに辛いんだ?っていうのをカウンセラーと話して見つけてくるよ。
スコセッシの映画みたいな派手に成り上がって転げ落ちて、でも生きてる。人生ってそうやん?みたいな作品が割と好きだったんだけど、最近ちょっと飽きてきた。なんでフィクションでまで現実に引き戻されなアカンねんなって気持ちになる。
こうなるとたまには何もかも全部手に入れてムカつく奴を全員ぶっ倒して、ワッハッハッハッハッ……ワーーーーッハッハッハッ……って高らかに笑いながら𝓯𝓲𝓷を迎えるようなのが見たくなってくる。
スターウォーズやロッキーが鬱病みてーなニューシネマの反動でウケたという話はホンマかいなと思ってたけど、ちょっと分かるような気がする。ロッキーは全部を手に入れてはいないが。
成り上がるのとは違うけど、トレインスポッティングとかNHKにようこそとかキッズ・リターンとか鬱病方面の青春作品も、やっぱり生きていくしかないやん?みたいな落とし所は最近あまり好きでない。
それだったらミーンストリートとか往年のニューシネマ作品みたいな、やるせなさや苛立ちや閉塞感、鬱屈、焦燥感を爆発させて呆気なく(派手にでも全然いい)散る話が好きだ。
長々と生きてしまった、生きざるを得ないと悟ってしまった手前、自分の納得も程々に大事にしつつ、ショボくともみっともなくとも目先の生活を着実に生きるのが結局一番大事なんだよな。なんて言わざるを得ない状況になる前にやっぱ派手に死にてえ。真面目に生きるのって面倒臭えしから嫌だし、でも真面目に生きないと幸せになれるビジョンが見えねえから。ワンスアポンアタイムインアメリカのデニーロの破滅的な笑顏になりてえよおれは。
これは飽きたとかだけではなくて、おれの情緒が最近著しく悪化している事が多大に影響している気がしてならない。そんでこのうらぶれた気持ちが嫌だとか直したいだとか全く思いっていないというのが、傍から見れば一番重症な部分なんだろうなって思う。
ティーバッグで紅茶を美味しく入れる方法というのはネットが発達する以前からすでに周知されており、自分も店で出された時は出来る範囲でやっている。
https://www.nittoh-tea.com/enjoy/brew/brew02.html
ティーバッグを使ったホットティーのいれ方 | 【神戸紅茶コラムサイト】1925年の老舗紅茶メーカーによる紅茶の雑学
https://shop.kobetea.co.jp/blog/take_pleasure/pouring/hot/
【紅茶のプロが教える】ティーバッグ紅茶をとびきり美味しくいれるには | リクナビNEXTジャーナル
https://next.rikunabi.com/journal/20210310_d11_t/
要約するとコツは
・熱々のお湯をつかうこと。出来れば汲んだばかりの水を使えればベスト
・カップやポットを温めておき、抽出時の温度を下げないようにすること
【追記】
紅茶はジャンピングで味がぐんと美味しくなる。詳しくはこちらの記事を参考に。
紅茶の”ジャンピング”とは? | 【神戸紅茶コラムサイト】1925年の老舗紅茶メーカーによる紅茶の雑学
https://shop.kobetea.co.jp/blog/2803/
三角のティーバッグが平らなものより優れているといわれるのはこのジャンピングの為の空間が確保されるから。
さて、これがティーバッグで淹れるコツになるのだが、紅茶党の自分が外食の紅茶に文句をつけているのは、
に集約されている。
つまり
・平らなティーバッグ
・冷めたお湯と器
・を自分で淹れてね
というのを「店主こだわりのブレンドを店舗で焙煎した一杯」と同金額で提供されているからだ。
ここまで極端なことは早々ないが、良いエスプレッソマシーンの珈琲と自分で淹れるティーバッグの紅茶が同じ料金だったりドリンクのセットとして提供されることはままある。
これが珈琲500円紅茶200円ならまあまあ差が出ても仕方がないと思うのだが、そうではない。だから冷遇されていると思ってしまう。
ブレンドとアメリカンのようにダージリンとアッサムから選べるようにしろ、などとは言わない。
ただティーバッグで出すにしてももう少し珈琲との格差をなくしてほしい、そう思うのだ。
【追記】
主に言いたいことは後半なんだけど、珈琲チェーン店だけじゃなくて飲食店全般でありがちなことかな。
id:sds-page さんのブコメがまさにそう!となってる。ありがとう。
せめて熱々のお湯を提供してほしい……。
おじいちゃんが亡くなって、もうすぐ2年なので二重の意味で供養する
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更には、大金かけて入学させてもらった私立大を中退して実家に帰ってくる親不孝でもあった。
5歳下の弟は国立大へ入学後、大学院へ、卒業後は隣の県で、地元の有名企業に新卒採用された。
私はというと、実家から通える職場に何とか腰をすえて、朝から夜遅くまで働く毎日。
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絵に描いたような出来損ないの姉と優秀な弟だが、おじいちゃんとおばあちゃんからみれば、どちらもかわいい孫だったようで、平等にかわいがってもらっていた。
あと、他にも孫は5人ほどいて、同じ歳の従姉妹たちは20代で赤ちゃん生んで若いママとなり、従兄弟たちは実家の事業継いだり、東京で仕事したり、そんな感じ
親戚の集まりでも、叔父さんたちから、アネちゃんは…とりあえずいい人見つけて、早く赤ちゃん生まなきゃね…😅みたいに言われて、しんどかった。
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そんな鬱屈した30代を過ごす私のもとに、祖父の訃報が届いた。
深夜、両親は先に実家へ、私は夜が明けてから、会社に忌引の連絡と荷物をとりに行き、車で向かった。
夜のうちに看護師さんたちが、着替えさせてくれたそうで、いつものシャツにニットベストを身に付けたおじいちゃんが布団に横たわっていた。
すごく綺麗な姿をしていた。
おばあちゃん「これもう、目も口も閉じないのかね」
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伯父伯母たちは「もう死後硬直してるから無理でしょ」と諦め
葬儀屋さんは「半眼半口(はんがんはんぐ)といって仏様と同じ成仏の相で、ありがたいお顔なんですよ」とかなんとか、祖母をなだめてくれている。
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「じゃあ目と口閉じるね。ピンセット使うから、危ないから頭元から離れて見守っていてね」
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葬儀屋さんによって、故人の死化粧とか納棺師さんがいるところもあるんだろうけど、おじいちゃんの葬儀を依頼した葬儀屋さんにはいなかったようだ
専門の道具を持ってきた私をみる目が、完全に変わるのを感じた
私の勤め先は、隣町の老舗葬儀社で、何だかんだ8年ほど勤めている
親や親族が取り囲んで見つめる中、15分程でおじいちゃんのまぶたは閉じ、口元は含み綿で自然に閉じることができた
半目半口の考え方も、もちろん知っているが、喪主が閉じてほしいといってるのなら、私ならできるだけ善処する。
とりあえずおばあちゃんが喜んでくれたので、よかった。
どうやら私が葬儀社に勤めていることは、あんまり知られてなかったようだ。
…うちの親は、親戚間では基本弟の自慢で、私の話してないだろうからね。
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その後も、率先して納棺させてもらったり、式場の御供えの順番を、おばあちゃんの相談受けながら決めたりしてお通夜を迎えた。
直前に伯父さんから、遺族代表挨拶を考えてほしいと言われた時は、さすがに焦ったけど、それっぽい文面作って渡したら、大層感謝してもらえたよ。
そして、本当にそれをそのまま読み上げてて、内心、それでいいんかい、とツッコミを入れてしまった。
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翌日、伯父が今度は、告別式で7人の孫を代表して、誰か弔辞を読めと言い出した。
この時点でだいぶ嫌な予感はしていたが、まあ皆、人前で話したくないわ、文章考えたくないわで、押し付け合いになるに決まっている。
孫代表になったことを母に話すと「初孫でもないし、祖父といっしょに住んでたわけでもない、孫代表はあんたじゃないでしょ」と否定的。
そうは言っても他の孫たちはやりたがらないし、母にとっては、いらん恥かかされたらたまったもんじゃない心境だったんだろう。
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そんなこんなで、本番。
今まで、仕事でみてきた何百という葬儀の、いろんな感動的な弔辞や孫からの言葉を、いい感じに繋ぎ合わせて読んでいるだけだが、なかなかどうしてサマになっているらしい。
最後に、自分たち孫のことだけでなく、親族一同をあげるようなことを入れれば、完璧。
振り向いたとき、揶揄ではなくまじで式場にいる全員が泣いていた。
葬儀屋さんも泣いていた。
私はまるで、世界一おじいちゃん想いの孫で、傷心の中想いを込めて言葉を送った、そんな空気だった。
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葬儀後、会う人会う人とにかく褒められまくった。
あんなに素晴らしい弔辞きいたことない、こんなに素敵なお孫さんがいておばあちゃんは鼻が高い。
まあ、素直にうれしいよな。褒められたらさ。
否定的だった母も、周りの評価で手のひらクルっとなり、親から手放しでこんなに褒められたの初めてなんじゃないかレベルで褒められたよ。
なんだか、ありがたい経験だった。
弟からは「こういう時にしか輝けない仕事」と言われたが、この先「こういう時」が増えてくるんだから、大人しく、お葬式は姉に任せなさいね。
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クリエイターなんて元が変だからクリエイターやってるやつが多いやろ。
変なやつが鬱屈してるからクリエイターとして成立してて、そんなやつが閉じた人間関係で調子乗ったら世間からドン引きされるのは当然。
昔から「しんどい」とか「疲れた」とか「甘えたい」という感情を出すのが下手で、自分の中に溜め込んで爆発することがあった。
就職してから精神的な病気になってしまい、今は落ち着いているものの、そこから自己表現の下手さに拍車がかかった気がする。
嫁に自分の辛さをわかってもらいたいという気持ちと、共働きで一緒に子育てして、辛いのは自分だけではなく体力的には嫁のほうがもっとしんどいはず、と弱音なんか吐いちゃいけないという気持ちがあり、毎回後者が勝つ。
とはいえ、急にしんどくなってに態度に出してしまったり、見せびらかすように落ち込んだり弱音を吐いたりする。嫁からしたら「また始まった」という感じだろうし、いい大人が何やってるんだと思うとさらに辛くなる。
悪循環の中で鬱屈して、嫁に迷惑をかけたくないといいつつ、本音は嫁に甘えたい、助けてほしい、救ってほしい、と考えている。
それはたぶん、嫁に精神的に依存してしまってるからだと考えている。好きな子を困らせるという小学生がやることを今でも続けているような感じだろうか。嫁からの認めが自分の価値の全て、いや、「奥さんから認められているという自分」が好きなだけかもしれない。
先日嫁に「弱音吐いたり、態度に出たりするの、やっぱり嫌だよね」と聞くと食い気味にうんと言われた。勝手にしんどくなって慰めてもどうにも何ないし空気も悪いし子どもも察して不安な顔するし嫌だ、と。当たり前だ、その通りだ、と思いつつ、じゃあ俺はいつ誰に甘えたらいいんだろう、どうすればいいんだろう、と泣いてしまった。泣きながらそう告げると「急に爆発されてもどうすればいいかわからない」とまた言われ、俺が変わらないといけないのに、30数年生きてきて変われる自信はないし、何より「あなたのその部分は受け入れられない」と言われた気がして(当たり前だが)、もうどうしていいかわからなくなってしまった。嫁に心配されたい、大丈夫だよと言ってもらいたい、慰めてほしい、それだけだったのに、そんなことはできない、とハッキリ言われてしまった気がした。
嫁が好きか、と言われると、わからない。長いこと一緒にいて暮らしてきたから、愛情はあるのかもしれない。でも、俺が変わらない以上、嫁に人生の安らぎを求めることはできないとも思う。
こうして、「俺だけがつらいんじゃない」と我慢する選択肢を選び直す。しばらくすると耐えられなくなってまた爆発して同じことを繰り返す。
嫁が何で俺と結婚生活を続けているのかわからない。聞いてみたいが、「愛情の再確認」でしかないし嫁の負担になるだろうからやめておく。嫁のために今日も生きる。我ながら気持ち悪い。