はてなキーワード: 思い入れとは
水素を運ぶにしても送電するにしてもロスは生じる。これは程度問題なので数字を出したいところだけど
増田も俺もこちらは専門家じゃないようなので、問題提起するだけにして運よく専門家が拾ってくれるのを待とう
ただし、エネファームを代表とする家庭用発電システムが存在してるということは
現状水素は圧縮して保管する方法が主流なので確かに課題はあるのだが
リチウムイオンバッテリーにしても安全性に問題があり、大規模に運用したら火災などの危険性があるのはかわらないだろう
何より今のガソリンだって安全性に問題があってもなんとか社会が運用してる
(まあ京アニ放火みたいなヤバい事件は起こるし、あれ水素で爆発させたらあんなもんじゃ済まないけど)
元増田は発電所で発電した電力を直接EVで消費するモデルを考えているようだが
このモデルは原発などCO2発生せず大規模に発電できるものが必要だ
別にそれも未来のひとつとしてアリなんだけど再生可能エネルギーみたいな不安定なものと付き合うのが現代の主流っぽいんで
どうしても蓄電の問題が出てくる。水素燃料電池は要は蓄電技術の一つなんで相性はいい
ここまでやたらに水素推してるように見えるけど別に俺はそんなに思い入れはない
何より水素は単に電気を貯めるための方法の一つで、リチウムイオンが車ほど大容量が必要で長時間放電しなきゃいけないものに向いてないから
過渡期として利用できるんじゃないかって考えてるだけだ
あと水素ステーションはEV共存できる。乗用車や大型車は水素を利用し、
小型スクーターやら電動アシスト自転車は水素ステーションで発電した電力をその場で利用し充電するなどの対応ができるはず
かつての自分もそうだし、同僚の中にもいるけども
コーチングが何かまだ知られてないのもあるからそれは仕方ないけど、
気になるのは、クライアントの文法などの指導に逐一丁寧に答えてる
「クライアントの質問に全て答えることで信頼関係を作ってます!」
って話してて、うーん?となった。
申し込まれた時点でクライアントはコーチを含めたサービスをある程度信用してるし
コーチとして稼働してるのなら、会社からコーチとしての信頼はもらってあるはず。
最低限のベースはあるものとして、お互いを開示していけばいいんじゃないの?
わざわざ余剰サービスを提供してまで、信頼関係作らなきゃだめ?
むしろ、コーチとしての自信がないから、余剰サービスで補ってない・・・?
↑辛口すぎて、さすがに人に言えなかったけど、これには根拠がある。
昔、家庭教師をした時、初めての通訳業務をした時、コーチになりたての時。
自信がなかった私は、とかく生徒やクライアントに“尽くした”。
生徒に好かれるため、クライアントに認められるため、例えば生徒にはイベントごとに
今思えば、いわゆる「都合のいい女」よね(苦笑)
結局、生徒の気まぐれで家庭教師はチェンジ、通訳業務も次につながることはなく。
なんだかすごく損したし、すり減った。
たとえ自信がなくても、自信があるフリをする。
その分、本業をきっちり仕上げる!
大体、コーチの話に戻ると、そうやって文法の質問とかしてくる人、
十中八九、聞いても「ふーん、わかりました」程度。
こちらはプロだけど、わかりやすく説明するためにいろいろ調べてるのに!
ひどい人になると、質問している自分に酔ってるだけの人もいるから
教えない方がその人のため。
そして、熱血≠成果を出すコーチではない。
冒頭のようなことをしていると、クライアントはコーチに依存してしまうし
まぁ、その前にコーチが潰れるだろうけど…。
どっかでみんな気付くだろう。
感謝されないよー、、、と。
距離を空けて客観的に分析しつつ、痛いこともプロとしてずばりという。
尽くすコーチは言えないんだよ、嫌われたくなくて。
嫌われても、いうべきことを言える人は、結果としてクライアントのためになるし
それに気づいてくれた時、本当の意味で信頼してもらえるコーチになる。
ま、気づかれずにコーチ変更言われるかもだけど。
それはそれで。
そこは割り切らなきゃね。
最初からはきついだろうと思って、軽いところで日記をつけて自分の感情を客観的に見つめましょうと紹介されていたやつが実行しやすそうだった。
ものは試しにと思ってやろうとしたのだが、これがまったくもって書けない。
淡々と、xx時に起きた、増田を開いた、増田を書いた、xx時に寝た。と書けばいい。
寝たり起きたりしているので、虚無ではない。やってみ。
どうも人を信用できなかったり、自分に対してなにか言われていると過度に自分がなにかまずいことをしてしまったのではないか
という考えがまっさきに浮かんでしまいどうしようもなくなってしまう。
前々からそういう性質があるのだけれど、最近過度にひどくなってきているような気がしているので精神療法の本を読んでいる。
そんな中で興味を持ったのが、認知行動系のやつだ。
最初からはきついだろうと思って、軽いところで日記をつけて自分の感情を客観的に見つめましょうと紹介されていたやつが実行しやすそうだった。
ものは試しにと思ってやろうとしたのだが、これがまったくもって書けない。
自分の日常は虚無そのものだ。遊びも仕事もなく、それに関する思い入れもない。虚無なので書くことがひとつもない。
それでなければ自分がいかに人と比べてダメなのか、そしてこんな風になってしまったので、これから先変わることもないという諦めだけだ。
いつか社会で人として生きたい、という希望は持っているはずなのに、自分はこの先どうやっても這い上がることはできず惨めに死んでいくだけだという考えばかり出てきてしまうのだ。
解説ありがとう。長文に思い入れというかこだわりのある人だったんだね。今伝わったからあんしんしてね!
私としてはど真ん中ストライクというかナチュラル極まりないなあという肌感覚でいるのだけど、増田みたいな多くの人にとっては外している判定になるらしくて、いつもごめんねって思う。
なんかね、そういう感じの増田定義の「長文」(確かにこれ長文としか言いようがないね、もはやめちゃくちゃ紛らわしい同音異義語の域だね)を楽しみに増田を見にくる勢というのも確かにいるから、日記を書くにしてもなるたけご迷惑をかけないようにしようとは思っているのだけど、そんな思惑とは裏腹に私たちこうして出逢ってしまってほんとごめんね。
割と本気で申し訳ないから普段はあんま表に出さないし、今日はなんか我こそはインターネットなりみたいな気持ちになったので久々に増田にのーみそコネクトしたものの、びびりなのでいっぺん白紙投稿してから時間差で編集使って書いて、五~六ページは埋もれさせといたんだよね。なんで掘り返されちゃったんだろうねこれ。
なんだろう、ちょっとしたギャンブルというか、自分のアウトプットをインターネットのどこかに置き逃げして、誰の目にも止まらずスルーされたら勝ちみたいなのをちょくちょくやってて、今日はチートまでしたのに、増田とかを巻き込んで負けてしまった訳です。未必の故意丸出しでごめんね。
いちゲーオタ中年男性のハートのど真ん中の最奥部に抜けないほど深く突き刺さった「テン年代ゲーム」10本をランキング形式で挙げていきます。お付き合いください。
のっけから「特別賞」から始めることをお許しあれ。ランキング発表後だと、1位よりもスペッシャルな空気を醸し出してしまいそうで。それを避けたかった。
でも、本作がとくべつな1本であるには違いない。だから悩んだ挙句の……「特別賞」。まんまでごめん。
個人的には『ノベルゲー」って昔からあんまやらないんです。ノベルゲーやる時間あったら小説を読むほうが(たいてい)有益だろう、という長年の思いこみ集積のせい。でも、『Doki Doki Liteature Club』は例外。ゲームらしいインタラクティブな要素があるわけじゃないのだけど、小説でもマンガでもアニメでもこの表現は絶対不可能。
本作の凄さについてはもはや語り尽くされている感があるし、強く深い思い入れを持っている方が世界中にいらっしゃることも存じておりますし、まだプレイしていない方のためにも、内容については何も言いたくない。
でも、これだけは言わせてほしい。
本作は「神は存在を愛している」ってことをギャルゲー/ノベルゲーのガワで見事に顕してみせた一大叙事詩である。ここには生があって、性があって、詩があって、死があって……愛がある。さらには現象学的「彼方」をも開示してみせる。
その(一見)破天荒、かつ強烈な内容に憤怒するかもしれない。ショックのあまりマウスを壁に叩きつけるかもしれない。号泣するかもしれない。戦慄するかもしれない。でも最後にはきっと宇宙大の愛に包まれる……絶対。
ああ、すっきり。
では、こっから心置きなく2010年代・心のベスト10を発表させて頂きます。
「……なんか妙に懐かしいな。子供の頃、お前と行った鵠沼海岸をまざまざと思い出したわ」
ゲームと本の山でとっ散らかった僕の部屋にやってきて、このゲームをしばらく遊んだ君は、いかにも重たいPSVRヘッドギアをつけたまま、そう呟いた。
僕はかなり潔癖症だから、君が顔じゅうに汗をたっぷりかいてることがひどく気になって、除菌ティッシュ片手にそれどころじゃなかった。
けどさ、あの頃君と一緒に見つめた空と海の青さに、まさかVRの新規アクションゲームの中で出会えるとは夢にも思わなかったよ。
ハタチん時、『スーパーマリオ64』を初めてプレイした時の驚きと、海辺で自分の子と君の子が一緒に遊んでいるのをぼんやり眺めてるような、そのうちに自分たちも同じくらい小さな子供に戻って、一緒に無邪気に冒険してるような……切なくて温くて微笑ましい気持ちがじわじわこみあげてきた。そのことに、僕は本当に心底驚いたんだよ。またいつでもやりに来てくれ。
「あー、なんかシャベル持ったナイトのやつでしょ。古き良きアクションゲームへのオマージュに溢れる良質なインディーゲーって感じだよね、え、あれってまだアップデートとかやってんの? なんかsteamセールん時に買って積んでんだけど、ま、そんな面白いならそのうちやるわー」
あなたが『ショベルナイト』をその程度のゲームだと思っているのなら、それは大きな大きな間違いだ。
プレイ済みの方はとっくにご承知と思うが、本作はレトロゲーもオマージュゲーもとっくに越えた、誰も登れない山頂に到達した類い稀な作品である。アイロニーと切り張りだけで作られた、この10年で数えきれないほど溢れ返った凡百のレトロ風ゲームとは、かけ離れた聖域に屹立してゐる。
そして3つの追加アプデ(大胆なアイデアに溢れた全く新規追加シナリオ。今月でようやく完結)によって、本作は10年代下半期にリリースされた『Celeste』や『ホロウナイト』の先駆けとなる、傑作2Dアクションとしてここに完成したのだった。さあ、ショベルを手に彼の地へ赴け。
このゲームの印象を喩えて言うなら、
久し振りに会って酒でも飲もうものなら、いちいち熱くてしつっこい口論になってしまう、共感と嫉妬と軽蔑と相いれなさのような感情を腑分けするのが難しいくらい綯い交ぜになっている面倒きわまりない幼なじみ、みたいな。
正直、ランキングにはあまり入れたくなかった。が、初プレイ時の衝撃をまざまざと思い出してみると、やっぱり入れないわけにはいかぬと悟った。
もし未プレイだったら、このゲームはできればPC(steam)でやってみてほしいとせつに願う。当方バリバリのコンシューマー勢なので、ゲームでPC版を薦めることは滅多にない。だが、コンシューマー機ではこのゲームの持つ「鋭利なナイフ」のような「最後の一撃」が半減してしまうだろう。
作者トビー・フォックス氏は、かつての堀井雄二や糸井重里の系譜に連なる倭人的王道シナリオ(コピー)ライターと感じる。
確認のために本作の或るルートを進めていた時、初期ドラクエと『MOTHER』と『moon』が携えていた「あの空気」が30年ぶりに匂い立ってくるのを感じて眩暈がした。会えば会うほど凄みを増す狂人のような作品だ。
2020年内に出る(であろう)2作め『DELTARUNE』において、トビー氏は堀井/糸井が書け(書か)なかった領域に確信犯的に踏み込んでくるにちがいない。それが半分楽しみで、半分怖くて仕方がない。
その山の森の奥には古い洋館があった。
庭は川と繋がっていて、澄んだ水が静かに流れていた。
君は川沿いにしゃがみこんで1輪の花を流していた。
俺は黙って君を見つめていた。
君は俺に気づかない。
俺は木に上ったり、柱の影から君を見守ったり、触れられない手で君の髪を撫でたりしているうちに……君の可愛がってたシェパード犬がこちらにひょこひょこやってきて、ワン、と小さく吠えた。
ああ、なんだかこのゲームやってると批評的目線がどんどんぼやけていくのを感じる。まるで透明な死者になってしまったような、奇妙で懐かしい感覚に否応なしに包みこまれるような……。
本作は「VRで描かれた古典的AVG(アドベンチャーゲーム)」であると言われている。個人的には、そんな持って回ったような言い回しはしたくない。
VRでしか描けない世界と情緒に対して、あまりに意識的な本作。その手腕はあざといくらいなんだけど、実際に本作をやってみるとあざといどころじゃない。泣くわ。胸の内に熱いものがこみあげてくるわ。
『Deracine』はプレイヤーの原風景をまざまざと蘇らせる。かつて失ってしまった友人を、失ってしまった動物を、失ってしまった思い出を、「ほら」とばかりに目の前に差し出してくる。そのやり口はほとんど暴力的でさえある。
もしVR対応しなかったら、知る人ぞ知る良作(怪作)止まりだったであろう本作。
かくいう俺もPS Storeで見つけて何となく買った時は、まさか2010年代ベストに入れることになるとは思わなかった。怪しい仮面被ったバレリナ少女がサイケ空間を飛び回ってんなあ……製作者はドラッグでもやってんのか?くらいの。
しかしPSVR対応した本作を再度プレイして驚愕した。怪作がまごうことなき傑作に生まれ変わっていたのだ。あるいはコンテンポラリーアート作品としての本質を露にしたとも言える。ああ、VRというハードではこんな事態が起こり得るのか……。
画を作っているサンタモニカ・スタジオ(ゴッド・オブ・ウォー、風ノ旅ビト他)の仕事はいつだって凄まじいクオリティでため息が漏れるのだが、VRとの相性は抜群だ。とりわけ今作での仕事は白眉と言える。
とにかく、思わず自分と少女の頬をつねりたくなるほど美しい。少女が、景色が、色彩が、確実に「もうひとつの世界」(夢、とは言いたくない)を現出させている。
そして本作は本質的な意味で——究極の恋愛ゲーでもある。誰も認めなくても、俺はそう強く感じる。あの少女と過ごした時間を、あの少女が内に秘めていた闇の部屋を、あの少女が戦っていた怪物を、そしてこの狂気と色彩にみちみちた世界を日常生活の中で思い出す時、この胸に去来するのは——それは「恋」としか言い様のない儚い感情だ。
書き始めるまで、本作がここまで自分内上位に食い込むとは思わなかった。
が、確認のために軽くプレイしてみたら、やっぱりとんでもなかった。
実験施設内部に、そして自分の内側(Inside)に展開するめくるめく不穏な景色。ディストピアの先にある、吐き気をもよおさせると同時に、穏やかな安寧に包まれるような、唯一無二のビジョン——を完璧に描ききった本作。
終盤の怒濤の展開と比類なき生命体描写のインパクトに心奪われるが、本作の真骨頂は木々や空や雲や雨、海などの自然情景(それが何者かによって造型されたものであれ)の美しさだと思う。荒んだ世界の中、思わず立ち止まって、天に祈りを捧げたくなるような敬虔な心持ちを強く喚起させる。
俺にとって『INSIDE』とは、自己の内面に深く潜るための潜水艦、あるいは哲学書のページを繰っても繰っても掴めない、自分と世界との乖離を自覚するための尖った注射針であり、神なき世界の宗教である。
灰色にけぶった空の下、雨降るトウモロコシ畑で無心で佇んでいた時のあの安寧と絶望感に、これから先もずっとつきまとわれるだろう。
人の生には「もっとも幸福な時期」というものがたしかに存在するようだ。そして、それは必ずしも幼少期だったり青年期だったりする必要はない。
俺にとっては、傍らに愛猫がいてくれて、WiiUと3DSが現役ハードで、仕事から帰ってくると毎日のように今作にあけくれていたこの頃が——生涯でもっとも幸福な時期だったと言いきってしまいたい。なぜなら、幼少期や青年期と違って、その記憶ははっきりと想起できるから。
そして後から振り返ってみて、その時期がどれほどありがたいものだったかを確認し、やるせない気持ちに包まれるのだ。「ああ、やっぱり」と。
総プレイ時間は生涯最長となったし、この作品を通じて(自分にしては珍しく)老若男女多くの「オンラインフレンズ」ができた。
が、続編『スプラトゥーン2』は発売日に購入したものの、ろくすっぽプレイしなかった(できなかった)。
その理由は(おおざっぱに書くと)3つ。
ひとつは『2』発売時、先に述べた、俺にとってもっとも幸福だった時代が過ぎ去っていたこと(ごく個人的な理由だ)。
ふたつめは、初代スプラトゥーンが持っていた、俺を夢中にさせるサムシングが『2』には欠けているように感じられたこと(批評記事ではないので、それについてここでは掘り下げない)。
3つめは、次に挙げる同じく任天堂開発の対戦ゲームの登場である。
それは35年前に夢見た未来の『パンチアウト!!』だった。そして20年前に夢みた『バーチャロン』と『カスタムロボ』の奇跡的融合であり、同時にそれらとは全く別次元に昇華された「理想的格ゲー」であった。
『スプラトゥーン』で「共闘」の愉しさを味わった俺に、本作は「見知らぬ相手とサシで戦う」ことの妙味と厳しさをばっちり思い出させてくれた。
そして画面内のキャラをこの手で操る——そんなあまりにも原初的な「ゲーム」の喜びが本作には隅々までみちていた。こればかりは「Just do it」(やるっきゃない)。
やがて俺は日々のオンライン対戦では飽き足らず、リアルの大会にまで足を運んだ(あっさり敗退してしまったが……)。そんなゲームは、おそらく生涯最初で最後だろう。
余談だが、Joy-con特性を生かした「いいね!持ち」による操作こそが本作の革新性であると信じているのだが、革新性よりも「合理性」と「勝率」を求める猛者たちには殆ど浸透しなかった。
「いいね!持ち」メリットをうまく調整できてさえいれば、本作は『e-sports』ゲーム初の従来型コントローラーから離れた(両腕全体を用いた)操作形態を実現していたはずで、それについては至極残念だが、現在開発中であろう『ARMS2』に期待したい。
2010年代下半期は、俺にとっては「VRに初めて触れた年代」としていつまでも記憶されることになるだろう。
2017年冬、とにかく『Rez infinite』をプレイしなければならない——そんな義務感でPSVRを勇んで購入した。配線がややこしい機器をPS4に繋げ、想像していたよりもさらに重たいヘッドセットを被り、本作をプレイすると——すぐに「ここには未来がある」と思った。いや、正確じゃないな。「未来に至る——今の時間と自分」をばっちり感じたと言うべきか。現在は可視化され、360度方位に顕在し、俺をユニバーサルに包みこんだ。
AreaXを初めてプレイした時の、重たい身体感覚から自由になり、魂だけが全宇宙に放りこまれたような未曾有の感覚は、ゲームなるものと関わってから過去30数年を振り返ってみても、5歳の時に生まれて初めて電子ゲームに触れた時の体験と並ぶ、あるいはそれを越えかねない、空前絶後の体験だった。
これだけ長いこと「ゲーム」なるものを続けてきて、ゲームからそのような感覚を初めて得られたことに深く感動し、ラストではほとんど泣いていたことがつい昨日のように思い出せる。
そして『Rez infinite』の「次の体験」を今か今かと待っている。
『Rez infinite』からのまさかの……自分に驚き、何度も自身に問うた。
あれだけ昔から『どうぶつの森』嫌いだったお前が。とび森を。テン年代1位に。据えるつもりか?
お前はそんなにぶつ森好きだったのか? ありがちな中年男性みたいに「しずえ萌え」になったのか? それとも親子くらい歳の離れたフレンドと時々会えるからか? おいおい、かあいこぶってんじゃねーぞ、と。
だが本作を1位にした決定的な理由——それは、テン年代初頭に放たれた今作から「仮想世界」における、人間存在の理想的な在り方の萌芽をひしと感じたからだ。
一発で脳内に凄まじいヴィジョンを注入した『Rez infinite』と比べると、まるでアリが餌塚に砂糖を運ぶようなゆったりとした足取りだが、本作は確実に世界中のゲームファンに「もうひとつの世界」をキュートな顔つきと口調(しずえ嬢のような……)でじわじわと浸透させ、人々の無意識をしれっと変容させ、もうひとつの生活を愉しませ、ネット接続により文字通り「飛び出させた」。
『どうぶつの森』は今年3月に発売する次作『あつまれ どうぶつの森』においてさらなる大きな広がりと変化を見せてくれるだろう。
が、俺は本作をとくべつに、個人的に、偏執的に、限定的に愛しているのだ。
それは故岩田社長が生み出した『3DS』というハードへの偏愛と、ゲーム機では3DSだけが備えた「裸眼立体視」——ARとVRを折り合いし、先取りした——唯一無二の機能によって『どうぶつの森』というクローズドな世界をまるで飛び出す絵本のごとく彩り、「夢の中で他者の森を訪ねる」という奇妙かつ魅惑的な通信世界を生み出し——
要は、全シリーズを振り返っても今作『とびだせ どうぶつの森』だけが持ち得た、この奇妙で牧歌的で神秘的なアトモスフィアに由るものだ。
カフカ『城』や村上春樹『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』主人公のように、俺はある時、この森の中に、夢の中に、村の中に、これからも留まり続けることを選んでいた。
そういうわけで、本作を迷わずにテン年代1位に据えたいと思う。
※※※※※※※※※※
長々とお付き合いくださって本当にありがとうございました。
余談ですが、最初は「順不同」にしようと考えていたのです。これほど自分にとって大切なゲームたちに順位なんてつけるのは相当失礼な気がして。
でも、敢えてつけてみた。並べてみたら、なんとなく自分内重要度みたいなものがぼんやり浮かび上がってきたので。
異論提言はもちろん、よかったらあなたのテン年代ベスト(5本でも20本でも1本でも)教えて頂けると、いちゲームファンとしてめっぽう嬉しいです。
自分も薄々いや、大いに気付いてた
核心ついたこと聞くと毎回、上手に交わし、ある言葉を絶対口にはしなかった。
嘘でも口にはしたくなかったのだろう、
本気になられては困るから。
こちら、傷付きたくないから気付かない振りをし、言葉巧みの誘惑と強引さに負け勝手に脳内変換し1人浮かれた
1/22 体調の変化から、相手も疑問を投げ掛けてくるほど自分はおかしかった
1/23 相手の強引さに嫌気もあり、核心ついたら、とうとう真実を話した
意外とあっさりだったな
開き直ったようだ
傷付くことも、さらっと言った
いっそのこと、心がずたずたになるまで
言って欲しい
お前浮かれて馬鹿じゃね?
笑込み上げるの堪えてたわ
とか
そこまで言われないと踏ん切りつかない
途切れたこともあったけど
長い年数の思い出があるから
思い入れある人。
あーあ、
変わってないのは自分だけだった
色々な事情があるにせよ魔が差したとしても、良心が、、いや、そういう生物か。
あーあ、
泣きたいけどショックが勝って涙でない
アルコール飲んでも酔いもしない
1つ良かったと正解だったと思ったこと
余計、違う意味も込みで
立ち直れなくなっていた。
バカされた事、ショック受けている事、
見返してやる事をバネしジムに通う
母校、と言っても僕の指す母校は高校の方。大学は成蹊大学っていう吉祥寺にある大学で、まあお金持ちの頭のよくない子弟がたくさんいるような大学。首相の母校ってよく言われるけど特に深い思い入れはない。
一方の高校は、本当に優秀な人が多い学校だった。私立じゃなかったから高校から入る形の学校だったんだけど、よくもまあここまで優秀な人が揃ったなという印象。半分以上が生徒会長で、ピアノの履修率は8割以上。一年生の頃の仲良し六人組は「外務省」「プロパーの東大博士課程」「某外資メーカー研究職」「日立製作所研究職」「某大在学中に事故死」「ぼく」。確か前の席の彼は東大医学部を出たところまでは知ってて、後ろの奴は確かメガバンクへ。頭の悪いことで有名だった人も何故か現役で早稲田に入り、今ではWeb系の編集者になった。
悔しいな、と思ってる。自分には何が欠けていたんだろうとここ数年ずっと考えていて、それは結局継続的な努力ができるか否かという点だと思った。
たしかにあの頃の自分たちは優秀だったけど、大学受験以前に燃え尽きた自分は結局何も続けてこられなかった。趣味も勉強も、短期決戦の資格試験なら無双できる。けれどキャリアのこととか対人関係の構築のとか、長期的な目標を掲げて達成するのが苦手なんだ。
といっても、私は元から友達いないほうだし、なくした友達というのも「ママ友」よりも薄い繋がりだったから、メンタル傷ついたとかはないけど。
大学生の頃、バイトしてたスナックのバイト仲間に「たった一晩だけ」という約束で、スーパーコンパニオンのバイトの穴埋めをしてくれと頼まれた。私はよく知らないんだけど、仲間がいうには、スパコンのバイトは四人チームでやることになっていて、一人でも欠けると連帯責任で罰金一万円払わされるとかなんとか。それで、仲間のチームが一人、インフルで休んでしまったので、仲間は一万円払うのが嫌で私に泣きついてという訳。
それで、私はまあしょうがないか、一日だけだしと思ってOKした。一日ったって、たったの二時間。そして、時給は五千円。基本的に延長はないということだった。そこまで客に気に入られることってないらしくて。延長になったら多くの場合は、お客さん達と一緒にお風呂に入るらしかった。けど、お風呂に入ってもお客さんは女の子に触っちゃいけないことになってるから平気だという。
……まぁ、そんなの建前だよね。
後でスナックのお客さんから聞いた話では、スパコンはただのコンパニオンではないから、人前でセックスさせられるのは当たり前だし、それだけならまだマシで、ウンコ食わされても文句言えない奴だぞ、という話。
で、私が穴埋めに入った日は、稀にみるみる大当たり客にあたった、と、チームのお姉さん達が大喜びしていた。客はどこかの草ソフトボール部のおじさん達だった。
私達スパコンは、ただのコンパニオンみたいに配膳を手伝ったりお酌をしたり空いた食器を下げたりした。そして、宴もたけなわになって来ると、お酒やご馳走のお相伴にあずかった。
で、お客さん達は私達を気に入ってくれて、二時間延長してお客さんの部屋で宅飲みみたいなことをしようということになった。
本当に、ただ普通に宅飲みをする、という奇跡が起きた。普通はそれ、当たり前にセックスするコースだってさ……。なのに、奇跡が起きたんですよ。
「久しぶりに青春にかえれた」
お客さん達は爽やかにそう言った。
一人、私と二人きりになりたがっていたお客さんがいたけど、他の皆が中学高校生みたいにワーイワーイしている時に抜け駆けする気にはなれなかったようだ。
そんな感じで、バイト嬢、一人二万円。四人で合計八万円貰った訳なので、たぶん派遣元には同額以上の金が入っているだろうから(これは完全に私の想像)、お客さん達は、特に何もしないのに16万~20万も払ったってことだ。割勘で一万円ちょっと。たぶん、一番攻めた人でもお尻触ったり腰を抱いたりしかしていない。後は思いがけずに青春したくらいで。
ベテランのお姉さん達は帰りの車の中で泣いて喜んだくらい、例外的な出来事だった。
私は本当にそれだけしかスパコンをやらなかった。しかし仲間はそれ以降も続けた。どうやら仲間は運が良かったみたいで、私が穴埋めに入った日以前に三日働いたことがあったらしいのだけど、一度も客とセックスしなきゃいけない局面に当たったことが無かったらしい。で、四度目で大当たり客を引いたせいで味をしめたというか、自分を「ただのコンパニオン」だと思い込んでしまったらしかった。
いつものスナックのバイトで、仲間は他のバイトの皆にあの日のことを話して、「素人の増田さんでも出来たんだから大丈夫だよ」と言って勧誘した。インフルで休んだあの子がそのままスパコンを辞めてしまったからだ。いわゆるバックレとか、飛ぶってやつで。
「私はもうやらない」
って、私はその場で宣言した。なぜかというと、スパコンの先輩のお姉さん方が泣いて喜ぶほどにあの客は例外だったからで、普段のスパコンは客とお風呂に入るし、部屋に呼ばれればセックスしなければならないのが普通だということだったから。
けどそのときはまだ客からウンコ食わされることがあるとは知らなかったので、仲間が勧誘するのを強く反対はしなかった。
そしたら、そこにいた一人の、私の同期の友達が、そんな美味しい仕事ならやってみたいと言い出した。一緒に増田もやろうって言うから、嫌だの一点張りで通した。
それからしばらくして、友達はスナックのバイトに来なくなった。知らないうちに辞めていたのだ。そして、大学の同期達から私は変な目でみられるようになり、話し掛けても避けられるようになった。
仲間はスナックを辞めなかったが、スパコンは私と働いた次のシフトで即辞めたという。何でか聞いたけど、お願いだから思い出させないでくれと、首を振るばかりだった。
その件で私は同期達の全員ではないが一部からハブられてしまった。ハブる人達は口を聞いてくれないからわからなかったけど、たぶん、「大勢の客のセックスの相手をたった四人でしても平気な奴」と思われたのだと思う。
【追記】
何故、友達が勧誘されてノリノリになっているのを、私は止めなかったのかについて。
その時は自分がしたスーパーコンパニオンのバイトの危うさを、あまり深刻に感じていなかったから。
あのインフルで当日欠勤した人の代打をした時は、本当に無知だった。スーパーコンパニオンのことはさっぱり知らなかったし、コンパニオンのこともうっすらボンヤリとしか知らなかった。
それから、スナックでいつも通りバイトしてる時に、この間臨時のバイトでコンパニオンやってきたー、と、常連のお客さん達に話したことで、コンパニオンというのものを少し知ったのだけど、お客さん達の説明が、ただのコンパニオンとスーパーコンパニオンを混同している感じだったので、私の理解もまだらだった。その時得たコンパニオンという職業の知識は、
そんな感じ。本当は、ただのコンパニオンの仕事が上二つで、スーパーコンパニオンは全部やる、という区別があるっぽい。
私のした「コンパニオン」がただのコンパニオンではなく「スーパーコンパニオン」だったと発覚したのはもっとずっと後のことで、性風俗に詳しい男の人との雑談で、コンパニオンをしたときの話をしたら、「それがスーパーコンパニオンだよぉ!」と言われた。決め手はコンパニオンの仕事をするときに支給された制服だった。ショーツとブラジャーだけ着た上に、直接、ピンク色のペラペラのスーツみたいな制服を着た。HUNTER×HUNTERのパクノダが着てるスーツをピンク色にした感じ。フツーのコンパニオンはそんな無防備な格好はさせられない、ということだった。
ともあれ、同期の友達(実は数人の子が一度に勧誘されて、彼女らが更に友達を誘って派遣に登録していた)が勧誘されてた時には、私はコンパニオンってガチで勤めるとなんか大変そう……一緒に働いたお姉さん達も、普段はもっとハードだし嫌な仕事だよって言ってたし……くらいの認識しかなかった。
うっすらボンヤリ、危ない予感がしたので、友達から「どんな仕事?楽なんでしょ?」と聞かれても、「少なくとも私には向いていないと思ったし、私は二度とやりたくない」としか言わず、あの夜の仕事が実はなんか楽しかったということは一切口外していない。「嫌だ」の一点張りで通した。
あんな仕事やったら駄目だとは言えなかった。何故なら、私自身は全く危ない目に遭っていなかったので、具体的に何がどう危ないと言えなかった。
それに、一緒に働いた二人のお姉さん達は、それ一本で生活している人達で、嫌な仕事と愚痴りつつも、それなりプロ意識を持って働いているという人達だったので、「あんな仕事」なんて馬鹿にしたようなことは言いたくないと思った。私なんかたった四時間、他人の代打で働いただけだしね。
私はただの代打だったから、源氏名をつけられて制服を着せられはしたものの、私の顔も素性も派遣会社は知らないままだった。チームの管理はチームのメンバーが自力でやっていたことなので。
もし本当に派遣会社に登録していたら、何があっても中々辞められないと思うだろうし、怖いだろうなあ。しっかり素性をおさえられているのだから。常日頃から、一人でも欠けたら罰金一万円だからな!と脅されていたわけだし。
友達は臨時ではなくガチで登録してしまったので大変だったと思う。
私はただ臨時で働いて、特にヤバいことは何もしていないが、同期達から「キッッッモ!」と後ろ指を差されたくらいだ。友達、同期といっても所詮大学の中での狭くて薄い繋がりだから、切られたところでどってことはない。
しっかし、何がなんでも止めるべきだったのかなぁ。止めるべきだったんだろうね。ただ、何人もでやりたいやりたい騒いでるところで私一人が反対しても無力だったんじゃないかなあって思うけど。
ともあれ、「楽して稼げる美味しい仕事」が我も我もって感じで狭い仲間内で流行ったんだけど、結局何人かが痛い目見たら責任の擦り合いになって、私は擦り付けられた方だった訳。私は当時自分のいたコミュニティに全く未練がなかったからいいけど、コミュニティにすごく思い入れがあったなら、きっとこれって辛い出来事だったよね?
私から「パパ活をしてる友達が羨ましい女子大生」に言いたいのはそれ。パパ活そのもので自分は痛い目見ないかもしれないけど、友達の誰かが痛い目見れば、結局、友達同士の関係が壊れて泣くことになる、ということ。
高校生くらいまでの自分「別に苗字に思い入れなんてないし、変わることの何が嫌なの? それとは別に選択肢は多い方がいいので選択的夫婦別姓には賛成」
学部生くらいまでの自分「まあ流石に20年も付き合ってると、思い入れのない苗字でも今更変えるのもなぁ。アイデンティティというのはそういうものだろう。多分みんな同じ気持ちなのかな」
今の自分「面倒な手続きが多すぎる! これ全部苗字変えたら追加で変更手続き? マジ? 結婚したがる人ってマゾなの?」
ちなみに私は男性なので、小さい頃からずっと「結婚する時苗字変えるのは別に男性の方でもよくない?」とは思ってた。それはそれとして、「特に不都合のない限り苗字なんかに拘る面倒くさい精神の人とは肌が合わないだろうし、結婚もしたくないな」とも。なので「もし異性と結婚するとしたら、男性である自分の苗字に合わせるんだろうな」とは幼いながら想像していたけど、それはあくまで双方に何の不都合もない場合の話。(そもそも子供の頃の視野の狭い話でもあるが。)
まあ不都合を説明されても苗字に拘る変な宗教観を持つ異性とは別れた方がいいよ。「今後一生のプライベートを共有する」ことの重みを熟考した方がいい。
「大きなぬいぐるみ」をもらっている。
コストコで売っていそうな、全長1.5mはありそうなぬいぐるみだ。
中から空気を吸い込んで、みるみる膨らんだぬいぐるみが出てきて呆然としてしまった。
これが19,20歳くらいで
「ダッフィー・シェリーメイ大好き(はぁと)」とか言ってそうな
可憐な女子なら、大きなぬいぐるみを持っていても可愛らしいのだが
持て余した状態で1年が過ぎた。
楳図かずおの漫画で女の子が顔を引きつらせ「ギャーッ」と叫ぶ場面があるが
本気で頭を抱えた。
そのあとは数日間、仕事をしながら「どうやって持って帰るか」と悩みに悩んでいた。
結局、先輩後輩の協力を経て、ロープと布団圧縮袋でつぶして持って帰った。
先輩にはこっそり「〇ルカリで売ったら?」と言われたが、すべてが面倒臭くなってしまった。
おそらくこのまま粗大ごみ行きだろう。
今まで
「人様から頂いたものにケチをつけたらいけない」と思って生きてきたけれど、
ここまで、ずいぶん失礼なことを書いてしまっていることも
わかっているけれど、止められない。
お姑さんから変なものをもらって困っているお嫁さんの気持ちが、今なら痛いほどわかる。
「あと1,2体あったら寂しくないやろ」などと
本気なのか冗談なのか、よくわからないことを言われるだけだった。
「いりません、迷惑です」と強く言えない。
どうしよう、来年が怖い。
猫を飼えば100点満点の人生だろう。猫を飼っていないってことは本気度が足らんのですよ。
でも生き物を飼うってのは、命を自分の管理下に置くってのは結構しんどそう。その分の効能もあるのでしょうが、踏ん切りが付きませんね。
いつも猫動画とか錆びまくってる工具をリストアする動画をだらだら眺めている。
ところで、金をかけるなら人体改造だよな。ICLやりたいけど、今はそういった贅沢に使える金が無いので、投資対象の値上がりを願っています。
まぁ2021年夏ごろには最高値になると思うので、そのあたりで現金をてに入れて、眼鏡とおさらばしたい感じ。
余裕があるならシミとったりリフトアップとかしてみるか。まぁそんな年齢でも無いか。
家も車も興味ないんだよな。
そんで彼女もほしいんだけど、でもめんどくさそう。でも本当はめんどくさくないのかもしれない。付き合ってみないとわからん所あるし、やっぱり人によると思うんだよね。
ちんこ加えなくてもいい。乳首攻めてくれや。あとブルマとか学ラン着てくれ。こちとら青春をこじらせてて、学生時代へのコンプレックスがどろっどろなんだわ。そういう思いの丈をぶつけたいね。風俗はね違うんですよ。心のやり取りが必要なんですわ。
単に性欲発散するだけならオナニーで十分というか、風俗で自分のオナテクを超えられるとは到底思えないですし、おいらが女体に求めるのは心のつながり。
暴力振るうってまではやりたくないけど、乱暴にセックスしたいね。心を通わせた乱暴セックスだよね。童貞くんの妄想だね。
まあ若い女の子だったらそんなことしなくてもいいけど、同世代の彼女ならこれくらいはやってくれるでしょうし、やらないなら付き合う意味あんまないよね。人間同士のやり取りって基本煩わしいし、こっちに一番大きなメリットであるところの性欲発散を提供してくれないとなると、オイラよりお金稼いでくれるくらいかなぁ。
おいらは自炊も出来るし部屋も片付けてきれいだし、とくに家事とかやってもらいたいこととかないし、強いて言えば、家に誰かいたらペットとか飼いやすいけど、だったらニートしてる知人とルームシェアやるとかいう手もあるわけか。
でもそいつ呼んだら部屋が散らかりそうだな。
よく考えたらおいらは思ったよりも部屋が片付いてるので、他人と住んだら今よりも部屋が散らかりそう。
おいらよりもミニマリストな女って居るのだろうか。居たら居たでやっぱりアルティメット領域に片足突っ込んでてストイックすぎるので一緒に生活するのはキツそう。多少部屋が乱雑になるのは飲みましょう。
出会いないよね。職場とかに女の子居ても声かけると犯罪だよな。なんで犯罪侵さないと無理なのに彼女作れるのって無理じゃね?彼女持ちって全員犯罪者でしょ?
おいらに21歳のかわいい処女紹介してくれ。とても喜びます。これ以外に合法的に21歳処女の彼女を作る方法はありません。おいらを犯罪者にするきか!
経験とかあったら別の男と比較されるから、おいらが可愛そうでしょ。ちゃんとおいらちゃんのメンタルにも気を使って、女性を紹介してあげてね。
元気な子供産ませるから。たぶん。まぁ病気持ってる家計じゃないし。自分で言うのもあれだけど顔もブサイクではないよ。
昔メンタルやんでた時期のせいで吹き出物の跡がすごいだけで。これは環境要因なので遺伝子的には大丈夫だと思います。
実家に思い入れ無いし。てかあんまり関わりたくないし。悪い人たちじゃないけど、田舎特有の狭い世界にどっぷり使ってて世の中の流れをガン無視している、バックトゥーザフューチャーやってる感じ?の空間なので、一緒にいると世界観が違いすぎて脳がバグりそうですね。
精神病はないよ。少なくとも10年以上はなんも起きてない。最近は何も起きなさすぎて退屈で、彼女欲しいとかいうレベルまで精神が回復してる。
内田有紀とか剛力彩芽?みたいななんかアレ系が好きというか。好きになりやすいタイプではある。
幼児園時代に好きだったケーキ屋さん家の女の子もそれ系だったし、小中学校ののころ好きだった女の子もそんな感じだった。
彼女中学になってめっちゃ太ってたけどな。あのころ精神崩壊していなかったら彼女と付き合うっていうこともあったのかな。太ってたけど好きだったな。好きな子って見た目かわっても好きだよな。やっぱり中身で見てるんだろうな。橋本環奈もおなか揉みたいしな。
もうすぐ成人式当日という毎年この時期に痼のような歪な感情が湧き上がってくる。
成人式で当たり前のように振袖を着られる、着られると思っている人達に対して決して良い感情が起こらない。
我が事ながら大人気ないし歪んでいるとは思う。
どうしてこんな風に思うのかは、ひとえに自分が振袖を着られなかったからだ。
より正確に言えば着なかった、だが、心情的には着られなかったという方が正しいだろう。
うちが決して裕福ではないことは当然のように分かりきっていたし、たった一日の数時間の我儘の為に家計に大きな負担は掛けられないと、親から言われるまでもなく自主的に諦めていた。
自分では納得していたつもりだったけど、結局は良い子の痩せ我慢だったんだろう。
でなければ数年経った今でもこんなに引きずる筈がない。
だけども、振袖を着ることができた人達に対して良く思わないのは、一方的な逆恨みでしかないことは自分でもよく分かっている。
それでも自分は『当たり前に振袖を着られて、その当たり前を疑いもしない人達』が心底羨ましくて、妬ましくて、何より悲しい。
更に言えば振袖が着れる、着れた、ということよりも、それを当たり前だと思えることに後暗い感情を持ってしまうのだと思う。
成人式にスーツで参加するのは勿論悪くない。寧ろ格好良いと思う。
だけど、振袖が嫌でスーツを選ぶのと、スーツしか選べないからスーツを着るのとでは全く意味が違う。
結局何が言いたいのか纏まりがなくなってしまったが、早くこの嫌な感情から解放されたくて書いた。
成人式にスーツで参加したい人やスーツを選ぶ人を蔑む意図は全くないのでご了承願いたい。
追記。
先日これを書いてかなり気持ちが楽になったからそのまま放置していた。今日が成人式当日かと思ってふと開いたら思いの外反応があって驚いた。
結論から言うと、自分は結局振袖自体には別に思い入れも何もなかったのだ。
今は仕事をして収入もあるから、振袖を着ようと思えばレンタルなりして着られる。だけど別に着たいとは思わない、思えないのに気付いた。
つまるところ、『誰かが振袖が着られるのを当たり前だと感じている事』自体に苛ついていたのだと思う。お陰様で吹っ切れたが、今となっては大変大人気なかったと反省している。
ただ、(今はもう気にしてはいないが)生まれ持った環境に対する羨ましさや妬ましさなんてものはこんな所でしか吐き出せないから、ここへ書いた事で内観が出来て気持ちの整理が付けられたのだと思う。
色々言ってしまって申し訳ないが、改めて。新成人の皆様おめでとうございます。どうか良き大人の一員となって素晴らしい人生を歩んでください。
正直言わせてもらえば、今の時代には全くマッチしない、古臭い映画だろう。
だが、自分の年齢からだろうか、最初から最後まで観たかったシティハンターが観れて、とても満ち足りた気分で劇場を後にしたのだった。
さて、話は変わるが昨年末はあのスターウォーズの最新作にして、7以降の三部作の完結編にあたるエピソード9が公開され私も初日に観に行った。
スターウォーズシリーズは4〜6までは私もリアルタイムで観れてはいない。
そもそもスターウォーズを知ったのがエピソード1の公開が話題になったときだった。
エピソード1を先に観てからエピソード4〜6を観たので、ファンからはお叱りを受けるかもしれないが、アクションシーンや映像などに目が行きがちな子供だった私にはルークの旧三部作は、ストーリーや世界観は好きだが全体的にやや退屈な古臭い映画に感じられたものだ。
エピソード3を観た後に見返した時は自分が成長したからか、アナキンに思い入れが出来たからか、とても胸を打ったのだけれども。
そして今回の最新三部作。
これを言うと批判されるかもしれないが、私は正直あの中ではエピソード8が一番好きで、一番スターウォーズだったと思うのだ。
エピソード7は私には後半になるまでは少々退屈に感じた。
というのもまるでエピソード4の焼き直しのように感じられたからだ。
勿論後半にもそれに似たシーンはあったが、思い入れのあるキャラクターの死に心乱され、あまり気にはならなかったし、後半の決戦シーンは新たなスターウォーズの幕開けを感じられ、ワクワクした。
しかしやはりどうしても、古さを感じてしまい、それがノスタルジーならよかったのだが、あくまで私としてはプラスには感じられなかった。
そしてエピソード8。
開始時点では私も戸惑った。
しかしアナキンの三部作をスターウォーズ視聴のきっかけとした私にとっては、終わってからはむしろこれこそがスターウォーズだと感じられた。
確かにやり過ぎと感じる人も多いような、まるで日本のアニメーションのような描写も見受けられた。
しかしアナキンをリアルタイムで追っていた私にとって、その描き方は技術の進化を利用し、新しいことに挑戦するスターウォーズそのもののように感じられたのだ。
英雄には相応しくない孤独な人生を歩んできた彼が伝説になった瞬間は涙が溢れた。
多くのセルフオマージュに溢れた、ファンサービス溢れる作品だっただろう。
しかし、なんと言えばいいのだろうか。
私にはまるで人間がフォースの奴隷になってしまったかのように感じられた。
主人公はいるものの、群像劇の様相をしていた今シリーズだが、決着をつけさせるためだろうか、いまいち一人一人を掘り下げられていないようにも思えた。
しかしファンが求めていたスターウォーズはこれなのかもしれない。
実際この三部作よりもローグワンのほうが好きなのだから、やはりスターウォーズ自体が向いていなかったのかもしれない。
しかし、最初に書いたシティハンターの話を思い出してもらえるだろうか。
私はあの映画のレトロさに心を躍らせていたのに、最新三部作についてはレトロさに気分が沈んでしまった。
好きなはずの両シリーズ。
地震とか火事で死ぬっていうのはまあ全然わかるんだけど、洪水系で死ぬのってなんつうか無念感高くね
例えば人類が完全に一つの集合意識みたいなものを持ってたり、シミュレーションゲームのプレイヤーみたいな絶対的指導者を持ってたりしたら水害で死者が出ることはないんじゃなかろうか 死者を出さないことを目的として完全に合理的に動いたら というか
急にドバーッと水が来たので察知できた一番早い時点でどう動いてももう死ぬしかなかった っていう水害ってあるのかな
大丈夫っしょwってナメてたら案外沈んだ、経済的理由で躊躇してた、思い入れ的に動けなかった、みたいな物理的には助かることが可能だったパターンがほとんどな気がする
まあ言っても仕方ないし実際無理なもんは無理なんだけど、それでも見るたびウーンと思う
東京に出てきて15年以上経った。ずっと同じ所に住んでいる。
それなのに、ついこの間近所に老夫婦が営む八百屋があることを知る。
休みの日に何か料理を作ろうとその八百屋へ行くと、店頭の一番目立つ場所に葉っぱ付きの大根が沢山置いてあった。
小学校6年生の夏休み。いつものように母親の田舎へ帰って時のこと。
2つ上のMちゃんといつものように川遊びをして、野山を駆けるはずが、その年は違った。
Mちゃんはとても静かで、それでいて何かこちらの心を動かすような空気を出していた。
結果からいえば、僕はその夏休みにMちゃんとキスをした。そして同年代よりも早く彼女ができた。
といっても遠距離だし、多感な年頃なので、お互いどこか本気ではなかったと思う。
この関係は向こうが大学1年生。僕は高校2年生になるまで続いた。
特別思い入れがあったわけではなく、なんとなく波長が合った。ただそれだけ。
高校2年生の夏。先に上京していたMちゃんに会いに行ったが、「好きな人が出来た」と代々木公園で告げられた。
僕は少し安心した。付き合う様になってから、ずっと息苦しかった。
相手はMちゃんと地元が一緒で、僕も知っていた大根畑の農家の息子だった。
買ってきた大根の葉っぱを皿に入れ、しばらくすると黄色い花が咲いた。
昨年、2度目の流産をした。
ショックだったけど、妊娠して間もない頃で、正直子供の形なんてないし、
体もまだ変わり始めだったので、回復も早かった。
22週以降は、基本的に中絶も禁止。早期でも出産し生きている人も沢山いる。
一般的に15週から安定期に入る時期だったが、私の場合はひたすら辛いまま終わった。
12週以降は、出産と同じ手順で死んだものを生まないといけない。
お金も同じようにかかる。死んでるから、死産届も出さないといけない。火葬も必要。
誰にも祝福されなくて、痛みとダメージだけで何も残らない。
そんなこと、どこ調べてもあまり出てこなくて、実際はショックばかり。
そもそも誰もしらないし、経験者は辛くて思い出したくないことだからなのかもしれないけど。
無理しすぎは禁物だが、どうか妊娠中の人は自分を責めないでほしい。
私は、義母に無理しすぎたから流産したんだとか、職場で唯一相談せざるを得なかった子育て中の人に後悔するから休んだ方がいいと言われたけれど、正直傷ついただけ。
実際、流産後に遺伝子検査して、胎児側の原因であることが判明した。
そもそも歳をとるとそういう確率がぐんと上がるのは承知のこと。
色んな理由はあれど、自己責任だし、そうなってしまった以上時間は戻せないし、不運としか言いようのないことで、現実の運命を受け入れるしかない。
だから、周りの人は、安易に自分の意見を押し付けるのは気を付けてほしい。
9~10週頃に、出産する病院を決めて近所に移った。そこで育ちが悪いと言われる。
年齢的に心配だったこともあり、胎児専門の病院にも行って、似たようなことを言われた。
トリソミーなどでよくある形状の異常は見られないけれど、小さいと。
(首の付け根の厚みなどで、その兆候が初期に出たりする)
原因不明で、あまり見ない症例だということで、そこにはその後も何度も通った。
毎日毎日しんどすぎて、びっくりであった。ホルモンバランスの変化のきつさ。
口にするにも、ジュース飲みたくなったり、パスタ食べたくなったり、偏食になってしまった。
妊婦は生ものNG。ってことで、気を使うと食べられるもんが少ない。
<血流1.5倍>
血流が1.5倍になるって知ってた?妊娠してから知ったんだけど、1.5倍って!マジきつい。
例の胎嚢で栄養やっているうちはいいんだけど、胎盤ができてきて子供とつながっていき、血液から栄養送らないといけなくなる。
それは知識では知ってるけど、こんなに母体に負荷がかかるとは。身を持って実感した。
まず階段しんどすぎて、登れない。いつもさっさと歩いていた坂だって、途中休み休み。
電車もバスも立つのは本当にきつくて、息切れして心臓バクバク。人混みもすぐ酔うし、休み休み。
<頻尿>
お腹が大きくなるにつれ、それはそれは頻尿で参った。打ち合わせなどで事前に行っても、終わる頃にはギリギリ。客先などで苦労した。
<免疫低下と持病いろいろ>
赤ちゃんを異物とみなさないよう、妊婦は免疫が低下するらしい。知らなかった、、、、
だから、何年かに一度、弱っているときになるような病気がいっぺんにきた。
むせ返る止められない咳がきつくて、お腹にも力入るし、ハラハラだった。
それによりヘルニアが再発して、咳すると激痛走って痛い痛い。
さらにお腹がくるしくて前屈みになるから、腰が痛い。ヘルニアがいっそうきつくなる。
肌の痒みもすごくて、寝ているときに掻きむしってしまい手足がボロボロに。血だらけ。
目は結膜炎やらものもらいやらを左右繰り返し、まぶたの痒みはまだ残っている。
<不眠>
体調が悪くて寝付けなかったり、夜中に起きてしまって苦しくてもがいたり。
とにかく夜中に睡眠から覚めるのが毎日で、しんどすぎた。トイレも近いので夜中に何度も。
夜中に目が覚めてしまうと、色んな不安が吹き出すのも困った。このときスマホは悪の味方。
病院で言われたことや、言われなかったことや、とにかく育ちが悪かったせいもあって色々調べてしまった。
<むくみ>
色々辛かったけど、一番はこれかも。
もともと浮腫みやすい体質なんだけど、無理をするとお腹がパンパンに張ってしまい苦しくて気持ち悪くて動けなくなる。
職場ではヘルニアが出てしまい、と誤魔化していたが本当に辛かった。(実際それも出ていた)
下痢や便秘なども色々あったけど、上記色々が辛すぎたので記憶から薄れている。
つわりの気持ち悪さと、お腹が張って気持ち悪いのと。数ヶ月ほとんどずっと。
仕事もあるから寝ているわけにもいかないし、どうにもこうにも辛かった。
仕事は人に任せられないものも多く、立場的なこともあり部下の手前、がっつり働いていた。
頭の回転も悪いし、パフォーマンス落ちていたと思うが、何せ流産するかもしれないから妊娠も伝えられないため、頑張るしかなかった。
義父義母は近くに住んでいることもあり、夫経由で伝わってしまい、何度かお食事などもした。
自分の親は、少し離れていることもあり、育ちが不安定と言われている以上、言うに言えず。
流産の時は、母が子宮一部摘出手術になってると聞き、自分のことは言えず仕舞いになってしまった。
まだ伝えられていない。
いや、一応、ゆっくりとは育っていた。けれど、一般的な胎児成長曲線からは外れてしまっていた。
1W遅れくらいの大きさだ、と言われていたものが、14~15週にはそれ以上の開きが出てしまっていた。
普通だったら安定期に入るころ。一番楽しい時よと言われていたころ。
知らないことばかりだが、妊娠初期からこの辺までの成長ペースは、どんな人も大差ないらしい。大きさに差が出るのは、もっと何ヶ月も経ってから。
ネットで調べても、生理日や受精着床日が曖昧であることによる妊娠週数のずれ、というのがよくある話らしいが、こちらは不妊治療で病院に通っての妊娠なので、ずれはない。
病院では二箇所とも、原因不明と言われていた。胎児専門の病院では、万が一このまま育っても、低体重で生まれたり、障害を負うリスクが高いと言われた。
中絶も勧められた。産むとしても、NICUなど施設が整っているところでないとまずNGだとも言われた。
2人目、3人目だったら諦めたかもしれないけど、私には諦められず、悩む日々。
親から1本ずつもらって2本のペアになった遺伝子は、全部で22対に加えてXYの46本。
数が欠けても多くてもだめなこと。数が合っていても、どれか1本でも短かったり欠けていても駄目なこと。
例えばダウン症は21トリソミー、21番目の染色体が3本あることで起こる、一般的な障害だ。
私の胎児は結果として6番目の染色体が少しだけ欠けていたことが、死後の精密検査でわかった。
話を戻す。中絶する?しない?など悩みながらも、22週を越えれば出産している人も世の中にはいて、育っている人もいるという希望のもと、胎児がまだ生きたいと育つのなら、覚悟を持って産む選択をしたいとも考えていた。
しかし、育ちが悪いと言うことは、低体重児以前にそもそもまだ外では生きていけない大きさなわけで。
いずれにしてもリスクがあるので、紹介された病院に一時変えることになり、初診察の矢先。
こうなることも想定内ではあったんだけど。やっぱりショックで。わかりました、と言って涙を堪えるのがやっとだった。
夫はずっと仕事で忙しく、やっと同行してもらえたんだけど、動いている様子を一緒に見ることはなく終わった。(その前に録画した映像は見せたけど。)
超音波検査の後に、別の部屋で、今後について話があった。
頭ではわかっていて、話もちゃんと聞いているんだけど、目からは涙がぼろぼろ止まらなかった。
すぐに処置したほうがいいということだったんだけど、仕事があったり、先生の予定が合わなかったりで、入院は10日以上先になってしまった。
体がなぜか楽になった矢先だったので、やっぱりそういうことなんだ、と思った。
妊娠19週。5ヶ月が終わる頃。
初期の流産の時は、静脈麻酔で寝ている間に掻き出されて終わった。
1日の入院なので、日帰り。
鈍痛はあったけど、お腹も大きくなっていないし、なんてことなかった。
だから、分娩なの。
キラキラしたし新米ママのいる場所で、新生児の声が聞こえる場所で、自分は死と向き合う。
そんなところで、陣痛を起こして、産まないといけない。死んでるのに。
生まれてくるものでないものを生むように仕向けるわけだから、前段階の処理もきつい。
お金も、出産と一緒の金額がっつりかかる。もう生きてないのに…
初期流産と違って、この数ヶ月、育っていたことを実感していて、胎動と思われるようなものも感じていて、一人じゃない日々を過ごしていたから、本当にショックで。
理不尽に酷い仕打ちに、痛みも恐怖もすごいし、辛すぎて、前世で何か悪いことしたのかな?と思ったりもした。
<入院1日目>
朝から荷物持って入院先へ。当初は個室なんて贅沢言ってられないと思っていた。
聞くと、普通に出産する、し終えた、お母さん方と一緒だという。
赤ちゃんは別部屋だが、見ることもあるという。
個室は高すぎるので、せめて1日1万少々プラスの2人部屋を希望。
他の妊婦がいつ入るかはわからないが、幸い今日はいないと言う。
2人部屋へ案内され、奥のベッドで荷物を整え、1日目の処置へ。
子宮口を広げる処置。何か棒を何棒も入れられて。そのままにされるので、痛いったら。
体が拒絶しているんだろうか。
この時から基本的にずっと点滴。この日は栄養や水分を入れるため、その後は薬を入れるなど。手が穴と痣だらけに。
<入院2日目>
しかしこれが、意識が完全に落ちず、悪趣味な映画みたいな幻覚が見えて辛すぎた。
吐くのはおさまってきたけど痛みがずっとあって寝てるしかない。寝てても辛い。
翌日の処置も怖くて寝るに寝れない。
<入院3日目>
分娩台へ移動。なぜか色んな不安とか悲しみとか?で涙がボロボロ出てしまった。
猫のように丸まるように言われる。
背骨横に刺して麻酔を入れるんだけど、ヘルニアせいかうまく入らず、激痛。全身ビックン!!てなるくらいの痛み。
位置を変えてもらい、3~4回目でなんとか成功。仰向けになる。
陣痛の促進はどうやったか忘れたけど、麻酔が切れたあたりで周りに誰もいなくて、言うに言えず結局30分くらい陣痛くらってたのが辛かった。
ずーーーーーんという痛みの大きな波が、やってきては引いていきまた来る〜!というのを繰り返していた。
これが陣痛か、、、と思った。
やっと先生が見に来て、もうきてるね、となって、掻き出されると言うか引っ張り出されると言うか。
どろどろにゅるにゅるしたあったかいものが出て行き、どうやら出産したようだった。時間を記録される。
残りのものを掻き出す処理。これをきちんとしないと、後々いけないらしい。
その後、意識は戻ったものの体がまだちゃんと動かないため、ナースセンター裏あたりで寝かされることしばらく。
やっと昼すぎに、自分のベッドへ戻る。
あらかじめどうするか聞かれるんだけど、長く死んだままお腹に起きっぱなしだったし、そもそも未成熟な状態かつ人間の死体は、見てしまったらそれが呪いのように忘れられなくなりそうで、怖かった。
でも、ごめんね、って気持ちは今もあって、向き合えなかったことも、やっぱり辛い。
子供の名前は?火葬場はどこにるすか?火葬はいつにするか?遺体はいつ運ぶか?立ち会うか?骨壺はこれでいいか?一緒に入れたいものはないか?お骨は引き取らなくていいか?
などなど。
まだ出産直後でぐったりしていて、恐怖と痛みの感覚が残る茫然自失のところ、言われる。
名前なんてないよ!色々考えてたけどないよそんなの!入れるものだって、その子のためになんか用意したら思い出や思い入れ増えてもっと辛くなるじゃん!だから用意なんてできなかったよ!
そんな色んな気持ちがぐちゃぐちゃにあるんだけど冷静に言葉にできないから、涙がぼろぼろでて、たった一言ずつ、「ないです」とか、用件だけ答えるのがやっとだった。葬儀屋さんも別に悪気あってでもなく、人の良さそうなおじさんで、一緒に涙されてしまって、仕事だから必要なこと聞いてるのわかるんだけど、でもこの仕打ちは、死産後直後の女性には辛すぎる。
市町村への提出、代理で行ってもらうようにはしたんだけど、そもそもこれなんとかならないのだろうか。
若くて可愛らしい、女の子らしい妊婦が、夫に甘えながらやってきた。
夫は、夜八時の面会時間MAXまでいて、翌日も朝からきていた。
赤ちゃんの心音チェックや、夫へ甘えられる状況、すべてが羨ましく見えて辛かった。
<4日目、退院>
朝事務が動き出したら手続きしてすぐ出た。休み休み帰り、自宅で仕事など少々。
夫は仕事で忙しいこともあって、自分もそっちを優先すべきだと思い、死産のためにわざわざ来てもらうこともないと一人で頑張ったけど、これを見た男性は、女性が遠慮してもぜひ付き添ってあげてほしい。精神的にも、入院荷物運びで体力的にも、きつい。
帰路は、お腹の中が空っぽになり、心も何か穴が開いたような気持ちだった。
ただ、疲れやすくて夕方にはぐったりする日々はしばらく続いた。
何せホルモンバランスが一気に戻ろうとするため、なんか色々ぐったり。
骨盤や内臓の位置?もきっと戻ろうとしていたんだろう。なんかあちこち痛かった。
妊娠中運動もまともにできない辛さだったので筋力も体力もぐんと落ちてしまった。
一週間はほんとぐったりしていて、夜もすぐ寝て休みも寝ていた。
二週間目くらいから、アルコールも美味しいと思えるようになって、仕事外で人とも会えるくらいになっていった。
階段や坂も、徐々に登れるようになった。
しかし骨盤のあたりが痛い、というのはしばらく続いた。1ヶ月以上。
休み休み動いていたせいで驚くほど下がっていたヒップも、日常生活で2ヶ月後には大分戻ってきた。
<安置されたお寺へ>
1ヶ月半ほどして、お骨があるお寺に顔を出した。やや緊張しつつ。
本当は行かないつもりでいたけれど、それではあまりにも可哀想だと思って。
夫と一緒に足を運んだ小さなお寺では、本堂の仏さんの横らへんに、大切そうに小さな骨壺たちが沢山並んでいた。お人形やらぬいぐるみやらと一緒に。
それを見たら、涙が出た。手を合わせる。
家に引き取られなかったものたちを、大事に祀ってくれていたお寺に感謝の気持ちしかなかった。
天国でお友達ができてるといいな。ここでは1〜2年安置していただいたあと、供養となる。
結果が出るまで1ヶ月以上かかった。
結果、6番目の遺伝子がほんの少しだけ欠けていたそうだ。
身体形状の異常は全くなく、指先も鼻も、内臓も、体はきれいに作られていたのにな。
結局、今回の入院だけで全部で100万以上。入院費や葬儀屋代、無痛分娩や、染色体の遺伝子精密検査も含んで。
出産一時金で40万ほど戻ったけど、それでも痛い出費となった。それ以外に、事前に検査も色々したし事後も病院に数回通った。
これを書いてみたら色々思い出して涙が出た。普段もふと、思い出して一人涙が出るときもある。
何も残らなかったけど、経産婦になってしまい、心も体もめっちゃ痛めた。
友達の幸せそうな出産記録や子育て記録などを見かけると、ああ、あの子も同級生になるはずだったんだよなあ、と、思ったりする。
まずぜひ、みんな妊婦には優しくしてあげてほしい。
席を譲られたことはほぼなく、幸い座れた時に妊婦マークをつけておくことで高齢者の譲ってくれアピールには効果ありだった。
おばさんが譲ってくれたことが2回ある。流産しそうだったし、殆ど誰にも打ち明けられない状態だったから、妊婦として優しくされたことに、泣きそうになってしまった。
お腹大きく見えない頃こそ、心身共にしんどかったりする。男性が譲ってくれたことはない。
無事出産した人は、どんなに辛くても、そこまでいけなかった人もいることを知っておいてほしい。
本当に意味不明に辛くて、本人も理解できない状態だったりするから、一番近くにいる人が、一番大切にしてあげてほしい。
過剰なくらいで丁度いいし、どんな用事よりも優先してなるべく付き添ってあげてほしい。
最後に、お金めちゃちゃかかることや、精神的にも身体的にもダメージ大きいことが、誰にも知られず女性一人辛い思いして終わっている事実が、もう少し何とかなっていったらいいなと思う。
悩んでいる妊婦は、どう転んでも現実は一つだから、勇気持って受け入れて、前向きに生きてほしい。
体調悪いのしんどいと思うけど、頑張って。