もうすぐ成人式当日という毎年この時期に痼のような歪な感情が湧き上がってくる。
成人式で当たり前のように振袖を着られる、着られると思っている人達に対して決して良い感情が起こらない。
我が事ながら大人気ないし歪んでいるとは思う。
どうしてこんな風に思うのかは、ひとえに自分が振袖を着られなかったからだ。
より正確に言えば着なかった、だが、心情的には着られなかったという方が正しいだろう。
うちが決して裕福ではないことは当然のように分かりきっていたし、たった一日の数時間の我儘の為に家計に大きな負担は掛けられないと、親から言われるまでもなく自主的に諦めていた。
自分では納得していたつもりだったけど、結局は良い子の痩せ我慢だったんだろう。
でなければ数年経った今でもこんなに引きずる筈がない。
だけども、振袖を着ることができた人達に対して良く思わないのは、一方的な逆恨みでしかないことは自分でもよく分かっている。
それでも自分は『当たり前に振袖を着られて、その当たり前を疑いもしない人達』が心底羨ましくて、妬ましくて、何より悲しい。
更に言えば振袖が着れる、着れた、ということよりも、それを当たり前だと思えることに後暗い感情を持ってしまうのだと思う。
成人式にスーツで参加するのは勿論悪くない。寧ろ格好良いと思う。
だけど、振袖が嫌でスーツを選ぶのと、スーツしか選べないからスーツを着るのとでは全く意味が違う。
結局何が言いたいのか纏まりがなくなってしまったが、早くこの嫌な感情から解放されたくて書いた。
成人式にスーツで参加したい人やスーツを選ぶ人を蔑む意図は全くないのでご了承願いたい。
追記。
先日これを書いてかなり気持ちが楽になったからそのまま放置していた。今日が成人式当日かと思ってふと開いたら思いの外反応があって驚いた。
結論から言うと、自分は結局振袖自体には別に思い入れも何もなかったのだ。
今は仕事をして収入もあるから、振袖を着ようと思えばレンタルなりして着られる。だけど別に着たいとは思わない、思えないのに気付いた。
つまるところ、『誰かが振袖が着られるのを当たり前だと感じている事』自体に苛ついていたのだと思う。お陰様で吹っ切れたが、今となっては大変大人気なかったと反省している。
ただ、(今はもう気にしてはいないが)生まれ持った環境に対する羨ましさや妬ましさなんてものはこんな所でしか吐き出せないから、ここへ書いた事で内観が出来て気持ちの整理が付けられたのだと思う。
色々言ってしまって申し訳ないが、改めて。新成人の皆様おめでとうございます。どうか良き大人の一員となって素晴らしい人生を歩んでください。
持てる者は持たざる者を想像できない。だから悪気なんてないのに振袖マウンティングになってしまう。これからは、自分で自分の世界を作っていけるようになる。素敵な人生を歩んで...
家計がだとか、うちは裕福ではないとか言ってるけど増田は学生だったの?バイトは難しい感じだったの? 過去の増田を責めるつもりはないけど、今からでもお金貯めてレンタル振袖を...
もういい年だけど、ワイも成人式行ってないな。というか、行けなかったな。 いい年になって振り返ってみたら、なんであんなに世間体を気にしてたんだろうと思った。 仲良くしていた...
今日、夫婦の間で成人式に出席したかの話題が出て、夫も出席していなかった。 きっと子供も性格的に出席しないような気がする。 私の欠席理由はひとえに面倒だったから。 今の出席...