はてなキーワード: 中学校とは
幼稚園の頃から父親や同級生に殴られてて常に痣があった。わたしはコミュニケーションが不得意でブス。他人から嫌われたり疎まれる要素しか無かった
小学校も中学校の時も先生や親から理不尽に毎日怒られる生活。 親はともかく先生はきっと理不尽に怒っているつもりは無いのかもしれないが出来ないことに怒ってくるので理不尽だと思っている
生活がガラッと変わったと思ったのは中学2年生の頃私にスマホという名の黒船が到来した。
深夜にネットサーフィンをして病み垢と言うものの存在を知った。知った瞬間からTwitterのアカウントを作ったと思う。病み垢のお姉さんから夜の仕事(所謂デリヘル)の存在を教えて貰って、どんなクズ人間でも高給を貰える仕事を知ってから密かな将来の夢がデリヘル嬢になった。
年も開けて中学3年生、受験シーズンになると担任の先生からどんな馬鹿でも入れる女子校を勧められ勉強できる頭も器量も環境も無かったのでそこにした
これが私の間違いだったと思う。
私は病み垢のキラキラした女の子達を見て重大な欠陥を忘れていた。ブスという事である
女子校においてブス、コミュ力なし=人権なしなので私は1軍と呼ばれるキラキラグループからは離され所謂普通の女の子である二軍の女子からは陰口を言われ同類と思っていたチー牛女オタクからはTwitterで悪口を書き込まれていた。
遂に精神を来たし始めた私は担任の勧めでメンタルクリニックを受診しはじめるようになる。
全ての落ち着きのなさ、コミュニケーションの取れなさに病名がつきほっとしたような気持ちになった。
これが高校2年生までの話。この頃にはデリヘル嬢になりたいなんて馬鹿な夢は消えていたと思う。
高校3年生の確か夏、担任の先生からは推薦での進学を勧められていたが名前の知らない九州と北海道のFラン大学だったため就職コースに乗った。
最初は製造系の面接を受けてその次はショップ系その次はスーパー。最終的に5つくらい受けた。高校の就活は1人1社なので普通2つ受けたら受かる筈なのに何故か全て落ちた。おかしいと思い5社目に落ちた理由を聞いたら障害がある事が理由だった。
私は障害がある事を先方に伝えていなかったのに担任が勝手に障害がある事を伝えたらしい。
だから勉強の出来ない私に大学を進めていたのかと思うと妙な納得感が出てきた。
結局1社も受かること無かった私は4月1日30万円の入った封筒を父親に投げられ家を追い出されることとなった。
30万円を持ち私が向かったのは東京だった。
昔見たインターネットカフェ難民の動画を見て下手な知識をつけた私は下町の激安ネットカフェを拠点に生活していくこととなる。
だがこれが間違いの元だった。基本的に住所のない人間はどこも雇ってくれないことを私は知らなかった
激安ネットカフェでコンビニの飯を食べながら東京生活を満喫していた頃には渡された30万は残り5万程度になっていた。
ある日、東京の街を徘徊していると「求人、高収入」と歌いながら走っているトラックを耳にした。
急いで拠点に戻りそのサイトを見てみると風俗の情報がいっぱいあった。
職業が決まった私は嬉しくて嬉しくて仕方なかった。
サイトに貼られた時給は顔がいい女の時給で私の給料は8時間で6回して9000円。
しかも私は上手いこと乗せられて知らないおじさんの客に初めてを捧げてしまった。
惨めで死にたくなってしまいそうな時もあったがそこしか私の居場所は無かった。死ぬ度胸も無かったし
退勤している時ホストに声をかけられホイホイついて行った。そして売掛という形で借金を作った
なんで私の人生はこんなにダメなんだろうか。 発達障害だから?馬鹿だから?計算がまるでダメだから?
話は変わるが男女論を見る度に女は股を開けばお金が稼げるという煽りを見るが股を開いてもブスだと二束三文にしかならない。なぜ自分が股を開けば稼げる美人に産まれると勘違いしているんだろう。
もう書きたいこと思いつかないのでやめる
中道徹所長(53)は「世間には学びたくても学べなかった人がたくさんいる。学び直しの機会を得られたことの意味をよく考えて勉強に励んでほしい」とあいさつした。
諸事情あっていつもと違う道筋で暗がりを歩いていると道路沿いに建てられた中学校の体育館からオレンジの灯りがぼうっと漏れ出ていてその中からは黄色い掛け声と木の床を蹴り付けるどすどすという音が響いてきてああこんな時間まで部活頑張ってるんだと思ってなんとなく若いころを思い出して少し元気になったその中ではこの時期特有の新たな出会いがあったばかりのぎこちなさやなかなか頭を離れない進路への不安や友人恋愛家庭色んなまどろっこしいものを振り払ってひとつのことに打ち込んでいる姿があるんだろうそんな瞬間の大切さなんて大人になって初めて気づいたけどその大切さを知らないことが先へ進める原動力でもあるみたいなしょうもない思いつきに脳のリソースを持っていかれながら歩き続けるとやがて体育館の下に並ぶ小窓を通して木の床に照り付けた光が目に飛び込んできてオレンジに切り取られた空間だけがその外側の薄ぼんやりした世界から何段階も解像度を上げているように感じられてその中の眩しすぎる黄色い声やどすどすと遠慮を知らない音たちもいつかこの都会とも田舎ともつかない薄ぼんやりした街から消えていくみたいなこれまたしょうもない思いつきに脳を持っていかれそうになっていると半開きのドアに差し掛かり中をみるとそこでは異様に元気なジジババたちが超ハードにバレーボールしていてまあそうなるわなって思った。
会社でやらない・やれないというのはビジネスルール以外の何者でも無いじゃん
仕事上でBTS聞いてて馬鹿にされるなんて事は無いしそもそも誰が何聞いてるかなんか知らないし
中学校とかそういう話をしてるのでは無いよね?
[B! 校歌] 生徒の校歌「音程が低い」赴任した中学校長、始業式で抱いた違和感 もとの楽譜を調べてみたら
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.kobe-np.co.jp/news/himeji/202404/0017511004.shtml
ブクマカの論調は、作曲当時のニ長調への回帰派に比べて、改変したハ長調の維持派が優勢なように思える。
しかし、次のような視点にも留意したほうがいいんじゃないかと思う。
これらはいずれも記事から直接読み取ることはできない、あくまで可能性の列挙に過ぎない。
実際に、ハ長調にすることで歌いやすくなって大好評だった可能性もある。
改変した当時、実際に生徒に歌わせてみて誠実に比較したはずだとも思う。
しかし、このような記事を読んだ瞬間に、上記のような可能性をあれこれ連想することができるかどうかは、どんな記事を読むときにも役に立つ感性だろう。
なお、ハ長調への改変の理由として挙げられた「変声期の男子生徒への配慮や、アルトリコーダーで演奏しやすくするためでは」というのは、ニ長調への回帰を目指した校長による、あくまで推測である。
もうかなり前です。
留学した当時は,その大学はスポーツ推薦はありませんでした。それが誇りでもあったと聞いたことがありますが,さすがにコンファレンスでいい成績が出ない。僕が帰国してからだったと記憶しますが,スポーツ推薦を始めたようです。
ただし,その大学だけじゃなく,最近バスケットボールで留学した渡邊君も言ってましたが,学期ごとに成績がある基準を下がると試合には出られなくなります。
ですから,そうなりそうな学生は,同級生の中からチューターを雇用して(もちろんお金がかかります),夕食後に図書館などで深夜まで勉強を教えてもらっていました。スポーツができるだけでは卒業はできない仕組みです。
さて,講義レベルのことですが,まず米国の入試では,共通テスト (SAT) 等以外に筆記試験がありません。
つまり日本の一般入試というシステムではなく,日本のAO(今の総合型)入試が,米国入試を真似たシステムです。
そして,共通テストの内容は,日本人の高校3年生が受ければ,多分簡単です。中学校レベルに毛が生えたくらいだと言われることもあります。これは,米国の中等教育の
しかし,SAT の成績がいいから合格するってわけでもありません。MIT も昨年度までは,入試の合否で SAT などのスコアを使っていませんでした。つまり面接や応募書類の中身で合否判定をしていたわけです。
しかしとうとう,今年からだったか MIT も共通テストのスコアを参考にすることになったようです。
秋ごろの日本の全国紙に,ハーバード大学が調査した大学卒業率の記事がありました。
米国の全国大学平均で,卒業率は50%,つまり二人に一人は退学になって卒業できないんです。これが入試に筆記試験が無いからなのかどうかは,記事には書いてありませんでしたが,さすがにハーバード大などの研究型大学の卒業率はもちろん90%を超えます。当たり前です。
さて,そういう事情ですから,例えば米国の研究型大学1年生と,東大の1年生に,東大の理科 I 類の1年生の数学の中の線形代数の試験を受けさえると,東大生が80%は合格するのに対し,米国大学の学生は20%しか合格しないかもしれません。
僕は留学先で,試しに1・2年生を対象とした複素関数の講義の一回目に(ひやかしで)座ってみました。日本の大学の数学の講義よりも丁寧で,分かりやすいです。
ところが60分の講義が終わった途端にひとりの学生が挙手をして質問しました。「先生,この時間内でしょっちゅう出てくる i って何ですか?」です。
日本の大学生なら,文系の学生でもこの発言にはびっくりしますよね。
つまり虚数単位を知らない学生が,世界大学ランキングで東大よりも上位の大学の1年生に,少なくとも一人はいたわけです。
これが,米国の高校までの教育目標と日本のそれが異なることの一例ではないでしょうか。
ところが,例えば工学部3年生以上の講義科目の内容を日米で比較してみましょう。ほぼ同じです。実際僕は,その両方を履修していますから,これは本当のことです。
僕の知人が勤めている日本の旧帝大工学部のある学科は毎年のように優秀な学生で英語で不自由しない3年生を,1年間の交換留学させていて,米国で取得した専門科目の単位を持ち帰ること(読み替えること)が可能でした。
ところが,東大よりもランキング上位の大学に留学した旧帝大学生の成績があまりにも悪いということが数年続いてしまいました。
講義内容は,3年生なら日米ではそんなに違いがありませんが,quarter 制度のあの詰め込み講義と毎週の宿題と,応用問題が出される期末試験でいい成績をおさめられないってわけです。
卒論は,オプションです。やる学生は圧倒的に少ないと感じましたが,これについては統計も何も持っていません。
僕が勤めていた大学では,工学部3年生の応用数学や力学などの一部の講義をすべて英語で実施しています。
これは,交換留学の公式のプログラムに,欧米やアジアの成績がいい3年生が半年か1年留学受け入れがあり,その学生が,日本人に提供している講義を一部だけ全部英語で実施しているものです。
僕の英語があまりにも上手だからでしょうか,日本人の学生には不評な講義でしたが,日本人の学生も80%は70点以上をとります。80点前後にピークが来ます。70点あたり
数年前に父が亡くなり、半年前に母も亡くなった。ずっと実家暮らしで、会社仕事の合間に農業をやっていたが、そろそろこの家ともお別れである。家族が俺一人になったので、土地と建物を売りに出して、会社の近くにある空き家ハウスに引っ越すのである。
相続が終わってから、遺品整理屋とかリサイクル屋とか解体屋さんと話をすることが多くなった。処分すべき財産はあっという間に片付いたが、最後に残ったのが……西暦で言うと2000年頃に亡くなった実弟の漫画だった。部屋を共有していたので、本棚には俺と弟の漫画が並んでいた。
その大半は、ブックオフでも1冊10円すらつかないモノだった。メルカリで売るにも手間がかかりそうだ。遺品整理屋も「今のご時世、紙のマンガは売れないんですよ」と引き取りを断った。ほかの価値のなさそうなモノは、タダ同然でも引き取ってもらえたのだが。
何か月か経って、今年の正月を過ぎた頃だった。
実家の本棚にあった俺の漫画を何冊か、手に取って読んでみた。うーん、これは……「懐かしい」という感情が僅かにあった。一番好きだった漫画、『天使禁猟区』『スカイハイ』『クロマティ高校』を読んでみたが、いまいちピンとこない。楽しい思い出が蘇ってこない。お楽しみの記憶は脳裏から消えてしまったのだ……。
ふとここで、亡き弟の漫画を手に取った。あいつは将来裁判官になりたいと言ってたっけ。『家栽の人』が本棚の目につくところに置いてあった。一番上の段だった。
そして、一番下の段に視線を移すと……ここで一番、ドーン!! と、当時の記憶が蘇った。それは、『まもって守護月天!』だった。弟が一番好きだった漫画。
家族で食卓を囲んでいる時も、旅行をしてる時の車内でも、何気ない団らんの瞬間でも、とにかく弟は、この漫画の話をしてることが多かった。
弟の死因は、自動車に轢かれた後の外傷から、内臓の疾患にかかったことにある。交通事故の原因の半分は弟にあり、当時は自業自得だと冷たいことを思ってたけど、まさか亡くなるとは……。病院でお見舞いをしてる時にも、弟はこの漫画を繰り返し読んでいて、ずっとその話の内容とか喋ってるんだよ。どんだけ好きなんだよって思った。
確か、アニメも観たいって言ってたかな。病室にテレビはあったけど、ビデオを再生できるものがなかった。弟は泣いて悔しがっていた。
さて、当時の俺は高校生であり、ガンガンコミックスの漫画を読むことはなかった。守護月天の漫画を読んでみたことはあったが、すぐに読むのをやめた。「稚拙だな」と思ったのもあるし、「絵がちょっとな~」という思いもあった。当時の俺は、CLAMPが描くような、Xとか聖伝とか、ああいう精緻な絵柄のエログロが好きだった。
とにかく弟は『まもって守護月天!』が好きだった。それを、この本棚を見ていて思い出した。この日は休日であり、時間がたくさんあった。せっかくなので、この日から一週間ほどかけて、全11巻を読んでみることにした。
読んでみた感想を、以下に綴っていこう。感想を交えつつ、各巻に1~2箇所ずつ、印象的だったところを抜き出して引用する。
ネタバレがあるように見えるけど、本当に大事なところは抜き出してない。隠してる。まあ、俺の人生で『まもって守護月天!』を取り上げるのはこれっきりなんだし、少しくらいは許してくれ……。
その前に、これはどういう漫画やねん、と気になった方はWikipediaでググってほしい。あらすじは、概ねこんな感じである。
~ブックライブ!から引用~
一人暮らしで寂しさを抱える少年と、ご主人様をあらゆる不幸から守る役目を持つ守護月天の美少女とのファンタジー・ラブストーリー。 一人暮らしの中学2年生・七梨太助(しちり・たすけ)は、中国を旅する父親から支天輪(してんりん)という八角の輪を送られる。
つまり、主人公の何気ない行動をきっかけとして、小璘(シャオリン)という女神様のようなものがやってくる。お互いに惹かれつつ、ラブコメディが進行していく。その中で、超えないといけない壁がいくつもあって、主人公である太助がシャオにふさわしい男になるために奮闘する物語である。
では、さっそく始める。
読み始めは、正直キツかった。絵柄が古いのもあるし、漫画表現が昔風なのもあるし、ラブコメを読んだ経験がない人間には何がどう面白いのかわからない。
あまり楽しめないのは、すでに四十を過ぎているからだろう。子どもの頃であれば、まだマシだったのかもしれない。ただ、まあ……コンセプトはいいと思う。すごく。
なんとなくだが、『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』という映画を思い出した。某グルメ漫画でいうと、「うん こういうのでいいんだよ こういうので」を地で行く。
①シャオリンが「この平和な時代に、どんなものからご主人様を守るか」を決めたシーン
「太助様…」
「…え……」
「もし迷惑でなければ あなたの中にある「孤独」や「寂しさ」から あなたを守ってさしあげたいのですが それではいけませんか?」
シャオが歴代の主を守ってきた手段は、主に暴力である。星神を呼び出して使役し、主人を狙う者を撃退する日々を過ごしてきた。だが、平和な現代でそんな行為に需要があるはずもなく。シャオは、呼び出されてすぐにお役御免になってしまう。
ならば、主人である太助をどのように守ればいいのか――その答えが上記の台詞である。命を狙う敵がいないのであれば、孤独や寂しさから主人を守るのだ。太助には家族が3人いるが、全員家を離れて放浪の旅をしている。ネグレクトに限りなく近いものがあるが、ラブコメの都合というものだ。
このあたりは、まだだるかった。物語の登場人物は揃いつつあるのだが、展開が退屈でなかなか話が進まない。この巻から、慶幸日天の汝昴(ルーアン)という主人公の恋路を邪魔する、まさにお邪魔キャラみたいな人が出てくる。
別に、なんということはない恋愛妨害工作なのだが、この時代のラブコメは高橋留美子の影響がまだ色濃いのだろうか、暴力性が強い。この巻以外にも「死ぬやろ……」というシーンがけっこうある。昔は気にならなかっただろうが、やはり時代というものか。
②ルーアンの計略によりシャオが太助の元から離れようか迷っているシーン ※太助が駆けつける
「えーっと 今はうまく言えないけど… 俺はシャオにずっとここにいてほしいんだ ――それだけじゃここにいてもらう理由にならないかな……」
ルーアンがそれっぽい発言をして、「シャオは現代には不要ではないか」という意見を伝える(あなたなんて いても邪魔なだけなのよ)。シャオは真に受けてしまって、支天輪に帰ろうとするのだが……すんでのところで太助がやってくる。そして、ふたりきりの状態で上のような会話をする。
この場面は気に入っている。シャオの気持ちも、太助の気持ちもリアルに描いていたからだ。ストレートさがいい。
このあたりから恋愛路線に入ってくる。太助がシャオに愛情を意識する場面が出てくる。
ネタバレは避けるが、シャオには恋愛ができない事情がある。本人ですら認識できない事情が。
以下の山野辺というのは、最初の頃は万引きとかするキャラとして描かれていた。物語が進むにつれて応援キャラになっていく。
③シャオと山野辺が一緒に温泉に入っているシーン
「なあ シャオ…」
「…………」
「シャオ?」
「はい?」
「なんか元気ないけど七梨と何かあったのか?」
「翔子さん…………私 病気かもしれないです なんだか…ね 胸が苦しい… 太助様がルーアンさんと一緒にいると とっても胸が苦しくなります さっきなんか どうしてだか自分でもわからないけど そっけない態度とっちゃったし太助様が話しかけてくれたのに 太助様にきっと変に思われちゃった きっと悪い病気にかかっちゃったんです ――でも どうしたらいいのか わからなくて…」
(へえ…精霊ってのも 人を好きになったりするんだあ…)
うん。女性作者が描いてるラブコメってさ。女性側の心理描写がリアルだよな。女の子ってさ、好きな男性の目の前だと萎縮することがあるじゃん。意中の人を目の前にすると、体がつい後ろに下がってしまうとか、廊下を走って逃げだす子とかいるよな。
なんかこう、恋愛感情に対して不安になった時の女性心理というか。リアルさが伝わってくる。子ども時代に読んでも全く認識はできなかったろう。
この巻くらいになると、ストーリーの基本線が定まってくる。何らかの事件やイベントが起こって、太助とシャオが巻き込まれて、レギュラーキャラがそれぞれの立ち位置で動き回って、なんやかんかで解決して、ふたり(又はほかのキャラ同士)の間柄が深まって……という流れである。
基本は、太助~シャオの関係性がメインだ。この作品のうまいところは、ふたりばかりを推すのではなく、ほかのキャラクター間の友情とか愛情もガッツリ描いてる。
この巻だと、2つの場面が印象に残っている。いずれも、ルーアンがふたりの仲を妨害するための工作を試みて、やってしまった結果である。
④-1太助が高速道路を自転車で走行中にタイヤがバースト、そして前方車両(トラック)と自転車を括っていたロープが取れて転倒した後のシーン
「………え 太助様!? 太助様太助様!! 太…助様あ… ……う…」
「あ…あの小璘さん…」
「どうしよう…どうしようどうしよう ルーアンさん! ――太助様が 死んじゃったらどうしよう!!」
「あ…いや まさかそんなあ」
「どうして支天輪を車に乗せちゃったりしたんですか 私……太助様に何かあったら ルーアンさんのこと絶対許さない!!」
「…………」
「太助様に…太助様に何かあったら… 太助様… 太助様早く帰って来てください」
「小璘…………あんた」
④-2保健室で、シャオがベッドに横たわって寝ているシーン
「なあ…ルーアン」
「はい!?」
「…俺シャオのこと 好きにならない方がいいのかな…」
「………… あんたあのおじょーちゃんになんか言われたでしょ ――じゃあひとつ聞くけどなんでそう思うの?」
「――…」
「…………」
「…ねえ たー様 あたしは たー様のこと好きよ 考えれば悩みなんていくらでも出てくるけど 一番大切なのは自分の気持ちでしょ だからあたしはあんたみたいに悩まない 悩んでも変わらない想いなら 悩むだけ損だと思わない?」
気持ち、とでもいうのかな。かの有名な『BLEACH』でいうと、ウルキオラ・シファーの名台詞のひとつである、
心か
みたいな感じだ。登場人物の心境がさ、わかるんだよな。喜んでるのもわかるし、苦しんでるのもわかる。そんな中でキャラクターが足掻いている姿が印象に残った。
漫画を読む前に下調べはしなかった。今も一切してない。よって推測になるんだけど、この作者である桜野みねねっていう人は、この時(1998頃?)は大学生かそこらの年齢なんだよな。作者あとがきを読むと、若いんだなというのは伝わってくる。
俺が二十代前半の頃は、地面から出てきたばかりのカブトムシの如き勢いでスポーツをするか、水道工事の現場であくせく働くか、盛りのついた獣のように女を口説いて、年間に何人とセックスしたか記録を付けるとか……同じ会社の女の子と無理やりそういうことをした後でも、最後にベッドの上で「愛してるよ」と言ったら許されるから大丈夫とか、そんなことしか考えてなかった。人間性が動物レベルだった。
でも、この桜野みねねという人は、そんなどす黒い人間の対極を行く感性がある。この作者は凄い……と、いい年になったおっさんは感じた。※私個人と作者の年齢差は、干支0.5周り分ほどと思われる。
20年以上前の漫画なので、さすがに創作でも……というシチュエーションが生じることがある。作品内では、たまに登場人物がみんなで旅行とか海とか温泉に行くのだが、メインキャラがほぼ中学生で、20才以上は大変少ない。無理があるし違和感がある。
しかし、旅行とかでないと表現できないラブコメ的なシチュエーションもあると思うので……そこが創作の難しいところである。いや、文学作品の創作とかしたことないからわかんないけどさ。
⑤仲間と海に来ていて、ようやく夜の海岸で二人で話ができたシーン
「なんだかね………私 太助様ととってもお話したかったです 別にお話したいことがあるわけじゃないの… でも… 太助様とお話してるととっても落ち着くから…」
「……シャオ」
太助とシャオは、何度もこういうシチュエーションになっている。が、恋愛が進む気配はない。事情はあるのだが、あまりに絶望的な事情なのだ。
あと、文章量の都合で載せなかったが、クラス演劇(かぐや姫)の数話分も大変よかった。ルーアンと、ほぼサブキャラの乎一郎が主体の話なのだが、中学校の学芸会でかぐや姫をやることを通じて、「離れていても心は繋がってる」という要素を表現している。
この回は、大人ながらにしみじみときた。気になる人は、是非5巻を読んでほしい(ダイレクトマーケティング決行)。
大まかな流れを言うと、ラストのお別れシーンでかぐや姫役のルーアンが台本にないセリフを言う → 月の使者役のシャオがお迎えを中止発言 → 乎一郎がそれを制止 → その後の会話のやりとりで、離れていても心は繋がっていることを示唆~といった具合である。
ここまで五千字以上は書いている。一旦切ることにする。
文量の都合で2分割。
次に続きます。
1日に職員の異動や新卒の先生の辞令が発令されるから、当然動けるのはその日から。
5日には学校生活が始まるんだよ!!
そんな短時間で準備ができるわけないじゃん!!
そんな無理な日程組むから、現場の先生たちは勤務時間すぎても残業するしかなくなるんだよ!!
でもそうしないと学級が開けないの!!
いや、日程を学校長判断で決めてるのは知ってる。でも、結局市教委が日程決めてるのよ。市内で日程違ったら変でしょ。その上で、県下の公立小中学校全校が4日か5日に始業式だよ。明らかに県教委から有形無形の通達が出てるじゃん!!
それとも、県内の全市教委が揃いも揃って前年を踏襲してるの!?
マジ無理だって!!
名古屋市も岐阜県も三重県も8日入学式じゃん!!静岡県は市によって違うけど。
ていうか、全国的にだいたい8日じゃん!!
大村知事、本当になんとかしてください。県教委からの通達で、日程を決める時は現場の負担を検討するように言ってくれれば、それぞれの市教委で良いようにやってくれるから。本当に本当に頼みます。
日 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
---|---|---|---|---|
01 | 2906 | 274361 | 94.4 | 38.5 |
02 | 2522 | 250371 | 99.3 | 41 |
03 | 2274 | 214017 | 94.1 | 38 |
04 | 2499 | 249182 | 99.7 | 39 |
05 | 2557 | 220369 | 86.2 | 39 |
06 | 2789 | 282130 | 101.2 | 40 |
07 | 2592 | 240437 | 92.8 | 40 |
08 | 2784 | 240895 | 86.5 | 37 |
09 | 2459 | 241962 | 98.4 | 42 |
10 | 2628 | 239507 | 91.1 | 41 |
11 | 2637 | 260003 | 98.6 | 42 |
12 | 2975 | 279741 | 94.0 | 42 |
13 | 3017 | 266981 | 88.5 | 41 |
14 | 2543 | 238125 | 93.6 | 40 |
15 | 2955 | 232387 | 78.6 | 37 |
16 | 2352 | 233223 | 99.2 | 40 |
17 | 2769 | 258242 | 93.3 | 39 |
18 | 3194 | 298391 | 93.4 | 41 |
19 | 2758 | 254176 | 92.2 | 37 |
20 | 2721 | 260455 | 95.7 | 38 |
21 | 3258 | 314842 | 96.6 | 39 |
22 | 2838 | 271960 | 95.8 | 39 |
23 | 2607 | 231038 | 88.6 | 36 |
24 | 2475 | 239274 | 96.7 | 37 |
25 | 2230 | 228624 | 102.5 | 39 |
26 | 2728 | 274546 | 100.6 | 39 |
27 | 2545 | 238343 | 93.7 | 39 |
28 | 3167 | 263904 | 83.3 | 43 |
29 | 2456 | 228303 | 93.0 | 38 |
30 | 2101 | 184625 | 87.9 | 35 |
31 | 2245 | 254626 | 113.4 | 39 |
1月 | 82581 | 7765040 | 94.0 | 39 |
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借金玉氏は高校生の頃の俺の希望だった。いじめでドロップアウトした先にて発達障害と診断され絶望の中をぷかぷか浮かんでいた俺にとっての灯台だった。自分は信じられなかったが、氏を信じる自分なら信じられた。
発達障害という病は心を殺し、自信を奪う病だ。あらゆるタイミングで道を阻み自己肯定感は潰される。曖昧ゆえに決まった治療法はなく、すべては自己責任とされてしまう。「おれは発達障害だから人生積んだのだ、何をしても無駄だ」諦念の中、世界を知らない俺がこうした結論に行きついたのも不思議ではない。
そんな時、借金玉氏と出会った。これが転機だった。発達障害者でも何かを為せるという当たり前の事を氏を通じて知れたのだ。それはある種の信仰でもあった。
発達障害者でも早稲田大学に合格できるし、起業だって、営業の仕事もできる、就活も成功できる、そしてきっと、仕事もできる。その気づきが、実感が、希望が、どれほど尊かったか!「俺でも人生何とかなるんじゃないか」と少しだけ思えたんだ。そして、実際そうだった。
俺は借金玉氏を信じて、勉強を始めた。当然のように不登校だったから、中学校一年生用の参考書を高校生にもなって勇気だして買って、勉強した。これは偉業だった。「何かをできるようになる」ができるようになり、「俺は不可能を可能にした」という小さな光が俺の胸に灯っていった。
物事をするには、人生を生きるには、希望が、光が必要だ。希望があって初めて努力ができる。「可能である」と信じて始めて人間は動く。消えてしまった光を蘇らせた俺の二度目の希望の光は、きっと借金玉氏からの分火だった。そして、一度灯った光は大きくなり、もう分火とは言えない一つの光になった。
未だに光が消えそうになる事もある。けれど、もう俺は子供じゃないから、どうにかこうにかやってきていた。そんな中、氏のニュースを知った。
俺は何も言えない。言う言葉を思いつかない。氏のこれまでの流れをやっと今詳しく知った程度の人間が、何を言えるというのか。
けれども、苦しんでいるあなたにどうか光がありますように。この文章が光になれなんてこと言えないが、昔救われた人間の一人として、身勝手ながら、あなたに希望が救いが幸福がありますように。祈っています。
2024年3月、某大学大学院の修士課程を修了した。2024年4月からは同大学院の博士課程に進学する。
さてここで、折角なので、ここまでの自分の人生を少しだけ振り返ってみようと思う。
俺は、地元の自称進学校の中学校を出て、地元の商業高校に進学した。そこに行った理由は、高校を卒業したらとにかく働きたかったから。
小学校高学年の頃から、家を出たくて仕方がなくて気が狂う寸前だった。そんなんだから生きることに意味なんか見出せなくて、「ちょろっと働いて小金を稼いで、趣味のサッカーをそれなりに楽しみ、さっさと人生畳んでしまおう」というのが中3で進学先を考えていた時の完璧な人生設計だった。
何故そんな設計かと言うと、毎日死にたくて堪らなかったから。今でも少し。本当に、死にたくて堪らなかった。生きてる意味がなかった。ほとんど毎日、親や学校の教員からは理不尽に責められ、侮辱され、殴られた。友人と思っていた人間からも屈辱を受けた。生きてる意味なんてなかった。あるのは親への明確な殺意だとか、大人や友人、社会への怒りだった。大好きなサッカーだけはその感覚を少し忘れさせてくれたけど、それが続くのは90分だけだった。
本当に、死にたくて堪らなかった。今でも少し。生きてる意味なんてなかった。あるのは親への明確な殺意だとか、大人や社会への怒りだった。それは今でも変わらないし、たまに自分の内側から顔を覗かせる。何かがずれていたら新聞の一面を鮮やかに掻っ攫っていただろう。
だから、家を出たかった。サバイブするために絶対に抜け出さなきゃいけなかった。そのために、働いて家を抜け出して1人で生きる金を稼ぐために商業高校に通った。そこなら、高卒で働くのに有利だってって聞いていたから。3年耐えれば良いんだって、少し希望が見えた気がした。
20代後半まで生きてるつもりは想定してなかったし、できなかった。やりたいことなんてあるわけがないから、どうやって生きていけばいいのか、ほとんど分からなかった。
大学進学なんて微塵も興味がなくて自分には関係のない、想像もつかない世界の話だと思っていた。現在通っている大学院が旧帝大と称され、世界で有数の教育・研究機関だなんてマジで知らなかった。
仰々しいかもしれないけど、もう本当に、とにかく目の前の一日を誰にも脅かされずに、心穏やかに慎ましく生きるために必死だった。そんな一日だけが欲しかった。その一日を安定して手に入れて、噛み締めるためには最低限の金が必要だった。
運が良いことに、その高校は自分に合ってて、自分を受け入れてくれる最高に面白い友人達にも恵まれた。バイトもして、稼いだお金は家の外で過ごす時間に充てた。そのおかげで家にいる時間も少しずつ減らすことができるようになってきていた。
さて、こうなると「意外と楽しくなってきたし、もう少し長く人生やろうか」なんて考えそうだが、それでも当初のプランに変更はなかった。心の渇きは潤わず、やり場のない怒りが消えるわけもなく、遅くても30歳で終了だと漠然と考えながら日々の空虚感を味わっていた。
3年間耐えれば全ての苦しみから解放されるはずだと、そんな未来を祈りながら高校時代の生活をサバイブしていた。高校はマジで毎日が楽しくて仕方がなくて、今更すぎるけど本当に関係者に超感謝してる。
そしてどうしてか、家を出て関東の大学に4年間通うことになり、入ったゼミで最高の恩師と先輩・友人・後輩に出会ってしまった。
毎日が楽しくて仕方なくて、自分の居場所が少し見つかってしまった。自分が役立てる瞬間だとか、できることに気がつく瞬間にどんどん遭遇してしまった。ここでも人間に恵まれてしまい、人生を取り戻したいモードに心が傾いてしまった。大学時代の出会いは、本当に、人生が変わってしまうほどのものだった。感謝してもしきれない。
本当に、大学生の時は明日が来るのが全く怖くなかった。何なら楽しみで仕方がなかった。高校生までは、あんなに嫌で堪らなかったのに。眠っている時間と学校にいる時間のみが心の安寧が保たれる時間であることに心底腹が立ちながら、勘弁してくれよって思いながら、そのまま一生起き上がらないことを祈りながら床についてたのに。
働いてさっさと死ぬつもりが、気がついたら大学院まで行き、修士を修めていた。今は博士になろうとしている。こんな人間が大学院に進学しているなんて、人生はわからない。本当に運が良くて、人に恵まれたと思う。
といった感じで、俺はこんな人生を送ってきた。
俺について、周りの友人からは「よく分からない人間だ」と言われることが多い。
自分のことを基本的に話さないから当然だ。こんなことは話せないし、話すのが怖くて堪らない。話したところで何かが変わるわけでもないし誰も助けてくれないから、自分で解決しなきゃいけないことだから、話す必要がないと思っていた。話してはいけないとも思っていた。それに、それでここまで上手く立ち回ってこれた。
けど、人に自分のことを話せないって超辛いんだなって最近理解できた。
俺は、自分のことを誰かに理解してほしかった。「君は悪くない」と誰かに言ってほしかった。
そんなことは人に伝えられないから、自分はタフで強いんだと言い聞かせて、そうあらねばならないと思っていた。自分1人で生きていけるように振る舞い、悩みを隠してなるべく人に頼らず生きていた。そのせいで「悩みがなさそう」とよく言われる。そんなことはない。
大学院まで進学して、完璧に強い奴はどこにもいないんだと気づいた。周りにその強さを求めていたけど、そんなの無理なんだって気がついた。自分が一番苦しい思いをしているって驕りがどこかにあった。そんなことなくて、何かしらの傷を皆が抱えていて、それでも必死に生きているんだと気がついた。反省した。そう思うと同時に、少し心が軽くなった。
今、少しずつ自分を大事にして、心が充電されてきている。ようやく失った人生を取り戻せるところに来ている気がする。
博士課程に進学が決まり、少なくともあと3年間は生きてることが確定した。残りの人生設計はこれから考える。それくらいがちょうどいい。多くは望まないから、俺はそれで良いんだ。
選択肢がなかった?自分がお勉強をさぼって都内の大学に行けなかっただけ。
地域格差がある?20年前の2,000年代前半なら学習塾も増えていた。地方都市というレベルではあるが自分が住んでいた広島にも90年代ですらそれなりに塾はあった。
小5の時に夏季講習で通った塾の講師からは成績を見た後私立中学受験していいんじゃないかとも言われたし教師からも勉強について褒められ進学の話はあったが、増田はどうなんだ?
実のところ上澄みから見たら大したことがないレベルの自分ですら教師からは光るものがあったら教師は進学を勧めてくる。
今は過疎地で仕事をしているが、40年以上前は中学校卒業も当たり前な地域性ながら優秀な子は都会の学校へ出させようと教師が親に頭を下げに来るなんてことはざらにあったそうだ。
昔の自分が周りを認めさせるくらい能力を磨けていれば説き伏せることはできるがそれをしなかったのは増田自身だ。
あと編集者という仕事についての解像度も足りていない。同人誌発行は大変な作業だが仕事としての出版業務からしたらお遊戯みたいなもの。
たまたま求人覗いて募集面接あるから受けてみよで通るような業界ではない。
新卒ですら市内では1番頭がいいレベルの元神童がしのぎを削って入る枠で、中途採用にしたってそういう神童の中の勝者が応募するような枠。
そんな枠にお散歩気分で仕事に対する解像度が低い志望者が来たら困るだろうし、地方出身で血をにじむ努力をしたかと思われる採用担当からしたら増田の言動は侮辱としか見えないだろう。
増田の立場からしたらレスバしなくてよかったよ。絶対完膚なきまでに叩き潰されていた。
どうしても心苦しく逃げ出したくなったので、仕事を休んで旅をした。
その顛末を話したい。
大学時代、親(同じく学校教員だ)に強く勧められなんとなく教職課程の受講を始めた。
なんとなく高校教員になろうと思っていたが、何の因果か教育実習は中学校に配属された。
実習中は忙しかったものの、生徒が人懐っこくこちらに近づいてくれたことが非常にうれしく、授業以外でも彼らとの交流(体育祭の練習に一緒に参加するなど)に楽しさを覚えた。
これって本当に教員の仕事か?と思えるような事務作業がやたらと多かった。
また、「校務分掌」という名目でやたらと多くの業務が割り振られた。日本は年寄りは何でもありの価値観が蔓延しており、年齢の低い私には特に業務が集中した。
これらの業務は事務職員の仕事ではないらしい。事務補佐員は人数が少なく短時間しかいない。また、個人情報を含むものの取り扱いができないため依頼できることがほとんどない。
やっと作業が終わり(もちろん時間外)ヘトヘトになったところで始めるほかなかった。
建前では休憩時間はあるらしいが、その時間も業務が振ってきて休むこともできず。
おまけに最近はアクティブラーニングやICTの重要性が叫ばれており、授業の事前及び当日の準備はそれどころではない大変さがあった。
それでも、教育実習の時と変わらず、コミュ障の私に偏見を持たず純粋な心で関わって、笑顔を見せてくれる生徒たち(教室に来れない生徒にも)に元気づけられていた。
体育祭は大嫌いで、私は自チームを応援する気は起きなかった(自チームカラーの服を着ている先生が目立ったが、私はどのチームにも関係ない色のものを着ていた)が、練習は一緒に楽しんだ。
生徒に交じって競技を楽しむのもまた一興。一緒に生徒の中に混ざるだけで生徒は喜んでくれた。
授業はただ真面目にやるのではなく、時にネタを入れると生徒が反応してくれてうれしかった。
アイマス(担当アイドルの話とか)をはじめとしたソシャゲネタ、鉄道ネタ、自虐ネタ、淫夢ネタにちょっと不謹慎なネタなどを入れるだけで笑いが取れた。
定期テストも、かなり完璧主義的に作ったにもかかわらず、その結果を見て教えたことをしっかり身に付けてくれたこともうれしかった。
しかし、どうしても大変なことは大変で、それが私を疲弊させた。
例えば、生徒の失くしもの(学校からの貸与品)の捜索を命令され、どうしても見つからず教頭に報告すると「知るか、自分で何とかしろ」の一点張りで取り付く島もない。
なければ学校に余りはありますか、それとも購入は可能ですか、と聞くと「お前さぁ、それ教育者としてやることか!?」と怒鳴られた。
また、目標申告書(全国でやっている)で下っ端は記入不要の項目も「制度上は記入義務はないがみんなやっている」と強制された。
(余談だが、記入例に不登校生徒減少の話があったが、なぜ不登校は生徒自身の選択なのにそれを無視して無理やり連れだす必要があるのか、それが原因で自殺されたら本末転倒ではと思った)
まあいいやこんなこともあると思いつつ耐えていたが、こんな出来事があり、ついに限界が来た。
生徒が下校した後、いつも通り雑用に追われていたが、なぜか隣の校舎の窓に火が見えた。
他の先生方に相談したところ、無関係な私が急行するよう言われた。するとなぜか鍵が閉まっていた。
鍵を開けると、面識のない生徒数人がおり、その隣には火柱が上がっていた。
どうやら裏側から侵入して火遊びをしていたらしいが、すぐに水をかけ消火した。
事情を聴くと「これは作業だ」「面倒だから仕方ない」「効率的だからやっている」と。
今後こういったことはやめるよう言えば「燃料は自腹だ。100円の自腹がもったいない」と反論。さすがにこちらもキレて「命と100円どちらが大事なんだ」と言って無理やりやめさせた。
重大事案なので当該生徒が在籍する学年に報告すると、ある先生は「あー…最悪のメンバーがそろってる」と。
管理職に報告するとこちらの責任のあることではないのにやはり怒鳴られた。「どうするか自分で考えろ」「早くしろ」とわけのわからないことを言われ。
教頭から「怒るのはあなたを信頼して成長してほしいからだ」と言われたが、(わざわざ応募して選考を突破した)管理職と下っ端は意欲が違うし、成長したくないので信頼せず放置してくれと思う。
校長は「生徒の失敗を大目に見たらどうか」と状況を理解せず、面倒をこちらに丸投げする発言。
なぜ私だけこんな目に遭わなければいけないんだと思った。
気づくと、どうすればこんなことから解放されるだろうと思い色々検索していた。
隣の先生にこれを見られ、「行動に出る前に管理職に相談した方がいい」「教頭は口調がきついから真に受けないほうがいい」「私も色々失敗した」などといろいろ慰めの言葉をくれた。
私と同時に着任した先生などにも相談に乗ってくれた。「あなたは完璧を目指そうとしてたんだ。60点でいいのでは」とも言ってくれた。
また、該当生徒の指導はその生徒が在籍する学年に依頼できることになり、非常に助かった。
何もかもやる気を失った。大好きな曲を聴いても拒否反応がすごかった。
テレビをつけると、時代劇の切腹シーンが出てきてますます気分が沈んだ。
通勤途中に外国人観光客を見ると、なぜ日本人だけ労働に苦しまなければいけないのかと思った。私も自由気ままに旅行したいのに。
(日本は労働法規に甘く、バカンスもなく権利行使がしにくい、下手すると同じ立場の労働者が権利行使を妨げてくるのはなぜだろうか。一説には資源の少なさと正社員制度が原因だというが…)
その後の数日、外出したいとも思わなかった。
そういえば、今までも出勤できていたものの、疲れというかなんとなく休み明け出勤したくない気分になることがしばしばあった気がする。
しかし今回はその気持ちが特に強かった。そんななか、ベッドの上のぬいぐるみが私に話しかけてきた。
渋谷凛「もう休めば。疲れてるでしょ」
島村卯月「早く休まないと…大変です!」
本田未央「よく頑張ったねプロデューサー。思い切って休んじゃお!」
あれ、苦しいときは休めばいいんじゃね?なんでこんな簡単なこと思いつかなかったんだろう。
今まではこんなこと考えつかなかったが、思いついた途端肩の荷が一気に下りた気がして、気がすごく楽になった。
そういえば、小学校の頃の私は皆勤至上主義で、ひどい風邪でも登校していた。
高校でそのおかしさに気づき少しでも体調が悪ければ欠席するようになったのだが、なんでこの解決法を忘れてしまったんだろう。
だが、この計画は勤務校はもちろん、何かの機会で口外するリスクのある同僚には当然言えない。
一見仲間にも見える両親にも口外してはならない。
母親は祖父(母方の曾祖父)が職を失いつまらなそうにしていたのを見て、仕事があることが素晴らしい、働かせていただいていると思うようになったそう。
つまり、「クビになりそう」→「ならないようにどんなことでもする」という感覚の持ち主だ。
父親は偉そうに上司にも独りよがりなイデオロギービジネスマンとしての心構えを力説していたらしい(それで啖呵を切って職を転々としていたらしいが)。
「自分の思い通りにならない、またはその仕事の責任を120%果たせないなら辞めるべき」と思っているらしい。
その日は特別な準備を要する授業や前述の生徒の指導も予定されており、休んだら迷惑かと思ったが、どうでもよくなっていた。
となると、どのような手段で休もうか。
休むのは電話すればいいのは知っているが、真っ暗な家で引きこもっても体調回復は絶望的だろうと思った。
じゃあ逃避行してしまおう。せっかくだし最近行っていない江ノ島に行こう。
ふと気になった。この休みはどういった扱いになるのだろうか。休暇の一覧表をみると、「病気休暇」があった。
利用条件は「ケガや病気で勤務できないとき」とのことだが、「病気」の詳しい定義がない。
ということは、「精神的に辛く体調がすぐれない」(これが悪化したものが「うつ病」「適応障害」などの精神疾患)も問題ないはずだ。
日数でいろいろ条件も変わるらしいが、今回の場合はまずは電話一本で、正式な手続きは出勤できてからで問題ないらしい。
ところで、病気休暇を取得している期間は病気の療養に専念しなければならない。
逃避行で精神の不調が回復するのならそれも療養であるから問題なく、むしろ進んで行わなければならない。
病気休暇が使えないなら年次有給休暇の利用、それもダメなら(給与が減るが)欠勤扱いでもよい。いずれも無断欠勤よりずっとマシだ。
今日は出勤しなくていいんだ。そういうつもりで髭剃りと歯磨き、自宅の風呂掃除とトイレ掃除を念入りに。
教員の労働環境のブラックさが世に知られ叩かれ出したことから、働き方改革の一環で電話は始業時間までつながらない。
始業後に連絡すると迷惑だろうから、自分が所属する学年団への連絡手段(こちらは連絡時間の制限は特にない)があったので、先にそちらに体調不良の旨連絡した。
学年団の先生方(原因となった出来事を直接は知らない人含め)は「ゆっくり休め」と言ってくれた。
「次の日も厳しいかもしれない」と続けて言えば、「好きなことをしてしっかりとリフレッシュしなさい」とも。事情を知っているのかな?
元気のない声で、やる気を出そうにも空回りしている雰囲気を出した。
何の問題もなく休暇が取れた。休暇届提出は次回の出勤日でいいらしい(説明もその時するから急ぐなとのこと)。
混雑したバスが来るいつもと変わりないバス停。そこに私はとてもラフな出で立ちでいた。
家を出発する際は、勤務するときと同等の服装だったが、バス停近くの隠れられる場所で着替えた。
・本田未央ちゃんのフルグラフィックTシャツ(二次元コスパ)を着てアロハシャツを羽織り
・本田未央ちゃんの腕時計(キャラアニ。スーパーグルーピーズじゃないよ)を左腕に
・本田未央ちゃん、渋谷凛ちゃん、島村卯月ちゃんのぬいぐるみをカバンにしまい
・八宮めぐるちゃんやライブ(空は澄み、今を越えて。他)記念のキーホルダーをカバンに付けた。
どうだ、カッコイイだろ。
普段の通勤と時間があまり変わらないので混雑がストレスになるのは変わらない。
まあすぐに解放されるしいいか、と思っているうちに新宿駅に着いた。
ATMでお金を引き出し、藤沢までの切符とロマンスカーの指定券を購入(本当は特急券不要の快速急行でもよいのだが、せっかくなので…)。
江ノ島方面のロマンスカーは夕方までないとのことなので、相模大野で普通電車に乗り換えることにした。
横断歩道で信号待ちをしていると、知らない人からサイエントロジーとかいう宗教団体のチラシをもらった。すぐ捨てた。
コンビニで酒(ほろよい桃味)とつまみを買ってから(車内は)滅多に人が来ないところなんで、そこでしこたま酒を飲んでから(デレステを)やり始めたんや。
飽きたので、Amazonで大崎甜花ちゃんのフルグラフィックTシャツをポチっと購入。送料込みで7,321円也。
小田急線を乗り通すのは15年ぶりだ。複々線区間が代々木上原~向ヶ丘遊園まで伸び、列車種別構成の大きな変更があり、準急が緩行線を走行するようになったらしい。
藤沢に着いた。片瀬江ノ島まで行っても江ノ電を使ってもよかったが、せっかくなので大船まで戻る。
乗り換え専用改札があった。こういう改札は利用区間が制限されないICカードでしか通行できないものだが、聞いてみるとICカードとここまでの切符の組でも通れるという。
ここまでの切符を入れ、すばやくICカードをタッチすれば通行できた。ちなみに、新幹線乗り換え口でも似たようなことができるらしい(クレジットカードやEX-ICは不要)。
ここからは神奈川のジェットコースターとも評される、湘南モノレールに乗車。
強烈な地響きとともに列車が入線。駅壊れるぞ。
大船を出たばかりなのに猛スピード。おい、右に葬儀場があるぞ。車両は棺桶じゃないぞ。
思ったほど揺れなかったが、心配なのは走行高度が低すぎる点だ。大型路線バスとかぶつかるのでは。
湘南深沢から先はさらに本気を出した。70-80 km/hは出したか。これに匹敵するのは東京モノレールの一部区間(昭和島付近)だけだ。
15分程度で終点の湘南江の島に到着。テラスでアイドルたちと記念撮影。
そのまま南に歩き、湘南海岸公園に。やることがないので近くの岩場で昼寝。
雲が動き日差しがまぶしいので、目隠しをした。時に涼しく時に熱くなるがこれが気持ちいい。
1時間ほど寝たら、桟橋の方を覗いてから15年ぶりに新江ノ島水族館へ。
岩場を歩いたり、飛び込み泳ぐペンギンさんが人間の言葉を話せたら何を言うのか、不謹慎なセリフを考えると非常に面白い。
最後に物販店でくじ引き。2等が当たり、店員さんがハンドベルを鳴らした。後ろから拍手。恥ずかしいだろ。
江ノ島にも行った。
恋人同士が鳴らす鐘らしきものの前で、本田未央ちゃんと一緒に記念撮影。
気づかず徒歩で戻ったのだが、どうやら船で江ノ島大橋のところまで帰れたらしい。
時間が足りず、江ノ島シーキャンドルやそのまわりの施設群、しらす丼は手付かずだった。また今度行った時味わおう。
江ノ電は意外にもVISAのタッチ決済による運賃収受を行っているらしい(決済端末は改札内なので、一部改札は不正通行検知装置を切っている)。
日本の改札は専用の券を駅などで購入し、機械に通す方式を取っており、欧州で一般的なQRコード付きの切符を任意の場所で印刷して通行するようにするのは難しいとのこと。
そこでVISAのタッチ決済による運賃収受が導入されたが、おそらく江ノ電は日本で2-3番目あたりには早く導入したかと思う。
本田未央「今日は楽しかったね!ねぇねぇ、明日も一緒にどっか行こうよぉ!」
勤務校と学年団に連絡した。2回目なので良心の呵責は全くない。
電話は教頭ではなく事務職員が取るため、こちらの事情は知らない。「はい分かりました」で終わり。
そこで、今日はアロハシャツの下には乙倉悠貴ちゃんのTシャツを。
いつものバス停に行く途中、ネームホルダーが落ちていた。手に取って見ると近くの幼稚園のものだと分かった。
グーグルマップでその幼稚園の電話番号を調べ電話をかけると、「どこに落ちていたのですか」と聞かれた。近いので「そちらに持っていきます」と伝えすぐに向かった。
その幼稚園に着くと、ちょうど登園時間とかぶっており保護者が子供を預けに来ていた。
乙倉悠貴ちゃんのTシャツ丸出しの男はロリコン扱い間違いなしなので、アロハシャツのボタンを閉めて事務室へ。
対応した職員さんは、電話に出た人とは別のようだが、「これ落ちてました」と言えば「ありがとうございます」で終わり。さっさと退散。
暑いので路地裏に入って下着を脱ぐ。肌の上に直接乙倉悠貴ちゃんがくっついてきて興奮する。
昨日歩きすぎたのか、右足小指に水ぶくれが。
昨日よりかは早いが、それでもまた出発が遅れてしまった。
今日もバスと電車を乗り継いで新宿へ。今日は小田原方面に向かうのでロマンスカーも多く走っている。
なんと小田急の自動券売機はクレジットカードに対応していた。箱根湯本までの切符と特急券を買うと、なぜか乗車券は小田原→箱根湯本のものしか出てこなかった。
小田急の改札は切符を2枚重ねで投入できるが3枚重ねはできず、しかたなく新宿→小田原の切符と特急券を投入。箱根湯本到着後有人改札で事情を話すことにした。
今日もセブンイレブンに行き酒とつまみを買い乗車。今日は酒2本(ほろよい桃味とぶどう味)。
電子レンジによる加熱が必要だが温め忘れてしまったものがあった。まぁ生で食べて腹を壊せば休みを伸ばせて都合がいい。
車内でつまみを全部食べ終わってから Permalink | 記事への反応(12) | 13:12
防衛大は入った時点で自衛隊に就職できることがほぼ確定している。
同じように、旧帝大の学生は入学した時点で公務員(準公務員も含む)になれることはほぼ確定。
みたいな感じにしてやったらいいと思うんだけどどう?
県庁の総合職、技術職、(もうちょい待遇を上げた上で)国公立小中学校・高校の教員、国公立図書館司書、国公立美術館・博物館の学芸員など
これらには、よほど成績が悪かったり素行が悪かったりしない限りほぼ確実になれる。
旧帝大に入れる時点でそれなりに性格も真面目で地頭もいいだろうから、仕事は務まると思う。
もちろん公務員になるには旧帝大じゃなきゃいけないってわけではなくて、他大卒用の採用枠は用意する。
あと旧帝大に入ったら絶対公務員にならなきゃいけないわけでもなく、民間就職したければしてもよい。
いや、なんというか、
能力的には申し分ないんだから、さっさと国が雇って、国のために働かせればええやん。
芋っぽくて大人しいけど真面目で優秀な彼らには公共の仕事がうってつけでしょ。
なにSPIで小学生レベルの算数解かせてんねん。コミュ力とか容姿で落として自信失わせてんねん。
嘘のエントリーシート書かすな。
そんで「就職できなかったらどうしよう・・・」ってビクビクさせるんだろ?
あと、優秀層の囲い込みという意味もある。
旧帝大でも垢抜けていてコミュ力抜群なやつはいるけど、結局、そういう層は外資に取られてんじゃん(特に東大)。
外資に取られるくらいなら、日本で公務員やってくれた方が良くない?
大学で研究して新技術を開発したり、歴史・文化の保護をしたり、地域のために働いたり、子どもの教育に携わったり、
そうしてくれた方が良くないか?
学歴社会叩きとか公務員叩きとかあるけど、そんなの全部嫉妬じゃん。
ちゃんと社会全体で優秀なやつを持ち上げて(上手いことおだてて)、安心して活躍してもらった方がええに決まってるやん。
変に引き摺り下ろそうとするから、民衆に敵意を抱いたり、自分の利益しか考えなくなったりするんや。
旧帝大生の人生を保証してあげることで、安心して国の発展のために働いてもらう。
だと思うんだけど、どう?
【追記】
別に低学歴をいじめろとか一言も言ってないのに、みんな意地悪やな。
この時期、行動→五感認知→快楽がインプリメンテーションされるわけです
射精するのに有意有効な行動が快楽のトリガーとして回路形成される
その回路によって人は同じ行動パターンを繰り返すようになる、種の保存として合理的な機能
「乳のでかい」が回路に挿入されると
以後「乳のでかい」が性的興奮のトリガーになり「乳のでかい」を追い求める人が完成する
これが布であったりさらに盗撮という背徳、禁忌、不道徳、犯罪がスパイスとなりブーストされてセットで刷り込みされた場合
布の盗撮でドーパミンが放出される厄介な男の子が完成してしまう
より強い性的快楽を繰り返して上書きしなきゃならない、無理ゲー
盗撮モノAVや、なにか属人的、偶発的な因子で「布」に刷り込みされちゃった人
ちなみに小生はたまたま中学校時代に万引きしたエロ本がSM緊縛モノでした
運が悪かったとしかいいようがありません
うっせぇなぁチッ
コピペにネタマジレスなんだからこまけぇことはどうでもいいんだよ
A10神経、報酬系と書いてもいいんだけどちょっと長いとオマエラすぐに長いって文句いうじゃん
短縮形だ短縮形、ぼげぇ
わーたわーた、専門用語の重要な字句は正確に書け、間違いが流布される、だろ?
うっせぇボケ
「A10報酬系」でググれば正確な説明と字句にたどり着くから問題ねぇの
わかったか?
こまけぇんだよ