はてなキーワード: 一言とは
小学校低学年の頃学童保育で、トイレ行くたびに男子に鍵を開けられそうになって怖かったな
女子トイレ1つと男子トイレそれぞれ1つしかなくて、ドアを隔てて遊ぶ部屋がある
女子トイレの集まったスペースとか無かったから、ドアにいたずらし放題だった
外側から鍵を開ける方法、どうやったかわからないけど本当に開いちゃうんだよね
ドライバーの代わりに何か硬くて薄いもので外側から開けたんだと思うけど
便器とドアの距離がちょっと離れてたから、用を足しながら鍵を抑えることもできない
すごい力なんだよ。トイレの内側のほうが方が鍵を回しやすいのに、それを上回る力で鍵が開こうとするの。マジでどうやってたのかわからない
こっちはパンツ脱いでるのに、ドア一枚隔てて複数人がギャハギャハ笑いながら「おい開けろよ」って怒鳴ってドアドンドンして鍵ガチャガチャしてくる
それがいつまで続くかわからない
怖かった。やめてって何度も言ったけど無視された
先生たちも知ってか知らずか助けてくれないしね
先生に言っても何も変わらなかった。増田ちゃんのことがが好きだからよってなだめられておわり
1回開けられれば、なにか証拠が残るような暴力を振るわれれば、違った結果になってたのかな
でも親に心配かけさせたくなかったんだよ
女子トイレを無理矢理開ける楽しさなんて、男子達はどこで覚えたんだろう
本当にギャハギャハ楽しそうだったんだよ
当時そんなアニメは放送されてなかったと思うし、アニメやマンガの影響だけじゃないよ
子ガチャひいて攻撃性の高い個体が出たのならその分ちゃんと躾けろ
子ガチャ引いたのはてめえだろ
はー
思い込みで突っ走りすぎ
書いてないことを読み取らないで
国葬という誰の財布も傷まない形でやらないと(自民党、及び安倍に近かった人間の間で)遺恨を残すから。
内閣と自民党での合同葬でやるとなると貴重な政党助成金からの持ち出しが発生するわけ。それは避けたい。
岸田が国葬をいち早く決断したのは「なんで死んだ安倍のために党の金を使わなきゃいけないんだ」と考えたためだし、清和会からしても葬式を盛大にやったところで失われた権力は戻ってこないのに持ち出しで葬儀はやりたくない。っていうか合同葬だとショボいけど国葬だと清和会的には箔がつくので国葬の方がありがたい。
生前ゆかりのあった(民間を中心とした)人間が集まって偲ぶ会的にやればとかブコメで言われてたけど、これもお金が理由でアウト。
死者へ対して金を出して拝んだところでメリットなんて何も無い、なのに金を出さなきゃ出さないで「おやおや、生前お世話になっておいて死んだら放置ですか」と突っ込まれるし、良いこと無いんだよね。
死んだ人間に媚なんか売っても誰も得しないから仕方ないよね。安倍に子供がいたら「坊ちゃま」のために沢山の人が喜んで金出したかもしれないけど、御存知の通りお子様はいないので。
な? だから国葬って形で税金から拠出してやらないと何かしらの問題が発生しちゃうんだよ。国葬でやって税金で賄うのが一番平和なわけ。
ただ議会をすっ飛ばしてまぁまぁの金額の使用用途を決めてしまうのは問題なので、やるならきちんと国会の場で「国葬税」を定めて国民から香典代わりに一人5,000円徴税して、その上でやって欲しい。
そこまでやって初めて国葬と言えると思うし、そうではなく既に徴収済みの税金からチョロっと使うというのであれば、一言だけ言わせてもらいたい。
「財源は?」
小説投稿サイト『小説家になろう』様には、誤字報告機能っていうのがあります。
昔はそういう親切なのなかったんですけどね。
たぶん感想欄に書き込む人が多くて作られた機能なんじゃないかなって。
私は報告したことないので、どういう風に使うかわからないんですけど、
作者の元に届くのは、間違ってる文字に取り消し線が引かれて、すぐ隣に赤文字で訂正指摘された文字が表示される感じです。
その指摘を適用するってやると、公開されてる本文の該当箇所が修正される仕組みになってるみたいです。
私、結構うっかり消しちゃったりしてる脱字が多いんで、報告してもらえると大変助かるんですが、漢字変換ミスってる方の指摘ばっかで…脱字はあんまりもらわないんですよね(笑)
変換ミスってるのって何度チェックしてても見落としてるんで、これもまた有難いものなんですが。
そんな有難くも便利な誤字報告機能。
幸いにも私はまだそういう人には巡り合ってないんですけども。書き直させるレベルの指摘ってなかなかすごいですね。自分でも書く人なのかな?
なんで突然こんな話を言い出したかというと、
先日、同じ人から50件以上の誤字指摘を頂くことがありまして……ふふっ(疲)
いや、助かるのは事実なんで有難いんです。有難かったんです。
これは嘘じゃないです。
でもね、
敢えてそっちの字で変換してる部分とか(下と降、上と昇とか)そういうのも全部指摘してきてくれたんですよね。
いや、確かに間違いかも知れないですけど、「一般的にはこっちだけどこっちでもOK」みたいな字にまで指摘入れられてたりしてですね……うん。そういうことよ。
報告通知欄に報告者の名前は出ないんですよ。
登録IDというか、各人に振られた登録番号が表示されてるだけなので(そんなものまでいちいち把握してないし)誰だかわからないもんだから、嫌がらせじゃないかと思った次第です。件数が件数でしたからね。
指摘はまっとうなものだし、親切心から指摘してくれてるんだろうなってのはわかったんですけど、20件超えたあたりからマジで嫌がらせを疑い始めました(笑)
読んでいる途中で見つけて報告~ってわけでもなく、ページを行ったり来たりして誤字を探しまくってるように見えたし、そこまでしてなにがしたいんよ?ってちょっと恐くなったですよね。
ID検索してなんとなく知ってる人だって気づいて思い留まりましたけども。
ご本人曰く、別に「わざわざ誤字を探し回っていたわけじゃない」そうなんですけどね。ページを行ったり来たりしてたのに。
誤字チェックしてしまうのは昔からの癖なんだそうです。それで指摘してくださってるそうなんですけども。
それは有難いですし、助かる作者さんはたくさんいらっしゃると思うんで、とてもよいおこないだと思うんです。これからも続けて欲しいと思います。
でもね、
私は別に「誤字チェックしてくれ」とは頼んでねぇんだわ…
誤字報告機能をONにしているのは「自分でも定期的に見直してるけどまだまだ見落としてるから、見つけたら教えてくれると嬉しい」って気持ちからなので、報告してもらえるのは本当に有難いんですよ。
でも、探す為に読み直すまではしてくれなくてもいいし、そんなことまではまったく望んでないんです。読んでる途中で気づいたら教えてくれる程度でいいんです。
そのことをお伝えしたのですが、…どうも上手く伝わってないような気がして…。
一度目は面白くて読むのが止まらなくて先に先に…で、誤字報告が出来なかったそうなんですよ。で、読み直してると誤字が気になったから指摘を送ってきてくださったようなんですけど、
なんかもう、途中から読み直すより指摘するのがメインになってないか?って感じでしたけどね。そうでなけりゃページを行ったり来たりしないだろうし、一晩で50件も送ってこないだろ。
ご本人曰く「指摘はあくまでご提案なので、直すのも直さないのも作者様の自由です」とのことですが、
修正するものとしなくてもいいものを確認して何十件もの通知を処理しなければならないこっちの身にもなってくれ…
この誤字報告の所為で、何度かブロック食らっていらっしゃるそうなんですけどね。
そりゃあんな件数の指摘送ってきたら嫌がらせか荒らしとしか受け取られないでしょうよ…。
私だって報告者が誰だか確認しなかったらブロックしてましたもん。ブロックする為に入力して出てきたのが見たことある名前だったんで、嫌がらせではないんだろうって判断が出来たから思い留まっただけですし。
2作品目の指摘に入ったので、投稿作品全部の報告機能をOFFにしたんでようやく止まったんですけど。
結局2作品合計38万字ばかりに70件近くの指摘を送られてきたんです。そのほとんどが敢えてそっちの字で変換しているどっちの字でもOKってやつの指摘だったんで(件数もかさばって)、またなんともね…(疲)
その指摘も「敢えてじゃなく間違えて覚えてると思った」からしてくださったそうです。曰く「他の作者様は間違えて覚えている人ばかりだったので、指摘したら感謝された」ということで。
なんかもう、この気持ちを上手く言えないんですけどね。小説書きのくせに。
有難迷惑ってこういうこと言うんかなぁ?って感じです。
本当に助かるし有難いのは嘘じゃないんですけど、私が求めてるのは「気づいたときに指摘してくれること」であって、読み直してまで「校正のように誤字チェックをすること」ではないんですよ。
ご本人の誤字チェックが癖になった原因が文芸部に所属していたことかららしいんですけど、それって、部員がお互いに誤字チェックし合うことが当たり前な環境だからじゃないんですかね。
それは別に悪くないし、小説書きとしてはいい習慣になったんじゃないでしょうか。
でも、それは「お互いに誤字チェックをしてもらうこと」が前提であるわけで、頼んでもいないのに読み返してまで探すのは違うと思うんですよ。そこまでしなくていいわ。
ここまでくるともう「作者さんの為」ではなく、ただの「自己満足」になってしまっているような気がします。
誤字報告機能が有効になっている人は「誤字があったら報告して欲しい」とは思っているかも知れないですが(デフォルトでONになってるので無効にし忘れてる可能性もあるけど)別に「読み込んで誤字チェックをして欲しい」とまでは思ってないと思うんですよね。
どうにもそこの違いが理解してくれていないような気がする…
誤字チェック習慣自体は悪いことじゃないから止めるつもりもないし、本人がやりたいならやっていればいいと思っているので、なにも言うつもりはないんですけどね。
だったら「またブロックされた」とかブチブチ言うなって話だと思うんですよ。あの報告の仕方されてたら誰だってブロックぐらいしたくなりますもん。
揉めるつもりはないから、こんなことを本人に直接は言わないですけど。
いや、オブラートを何重にもぐるぐる簀巻きにしてここに書いたことをそれなりに伝えはしたんですけど、オブラートが厚過ぎたのか、ご自分の考えに凝り固まっていて聞くつもりがないのか、伝わらなかったみたいなんでした。(だからこんなとこで愚痴ってるんだった)
なんかもう最後に捨て台詞みたいに「ご迷惑をおかけしたみたいなので、これからは明らかな誤字を見つけても報告は致しません」というようなことを言われたんですけど(だから、別にチェックしてくれとは頼んでねぇって…)
あれを相手が迷惑に感じないと思ってた時点でちょっと考え方に相違があるみたいだなって深く思った次第です。
……もぅ、なにを愚痴りたかったのかもわからなくなってきたよ。愚痴りたかったこと伝わってるかな?
それぐらい疲れちまったんだよ。
取り敢えず、あの「ご迷惑をおかけしたみたいなので云々」の捨て台詞がとても引っかかってます。
あの70件誤字報告を見たあとだったので、やってくれなんてこっちは頼んでもいないってのになんだその言い種?って思ってしまいましたよね。
なんかその一言で、やっぱこの人『誤字指摘出来る程言葉に詳しい自分』に酔ってるだけなんじゃないか、と思いましたわ。
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全部で70件ばかりの指摘が送られてたわけですけど、同じ文字に対しての重複指摘がそのほとんどだったので、実質的な誤字指摘としては30件なかったぐらいだと思います。
一般的にはAだけどBの場合もある、みたいな変換を採用している部分(私はBと書いてるのをAが正しいとしてくる)の指摘も多かったです。だから別に誤字ではないんですよね。
これは私が「間違えて覚えてる」と思ったから指摘してくださったそうです。
プロの校正さんだとこういう場合は確認の赤入れしてくれるものなんでやり取りも出来るんですけど、この誤字報告機能には指摘する機能しかないので、こちらからは説明もなにも出来ないのがネックだったのかな、と思います。そういう機能があればこんな何十件もの指摘を送られることもなかったかなーと。
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・誤字報告機能をオフに~ →2作品目に突入した時点で(指摘最中に切ったら感じ悪いかと思ってその作品以外の)全作品オフにしました。もうやらない宣言頂いたので今はいくつかまたオンに戻してありますけども。
・報告欲しいくせに文句言うな! →そりゃそのとおりなんですけど、まさかこんな重箱の隅をつつく校正者紛いの人が現れるなんて完全に想定外だったんですよ…
そもそも本職校正者の方にお世話になったこともありますけど、AをBに変換している部分に関しては指摘されたことはありませんでした。だからやっぱりあの部分に関しては特に誤字というわけではなかったと思います。
あと、この長文すまんかった。モヤモヤ気分をだらだらと取り留めなく綴った結果3000字を軽く超えてしまったんだ。マジすまんかった。最後まで読んでくれてありがとう。
十年くらい前のある日、子育て支援センターのイベントに参加したら変な奴に話し掛けられた。その人は一見普通っぽいのだけど、その「普通」というのがその頃の乳幼児を持つ母親の平均値みたいな感じではなくて、私が子供の頃によくいたような普通のおばさんといった感じだった。端的にいえばクソダサいの一言に尽きるのだが、なんだかただ服装選びのセンスがないんじゃなくて、普通のおばさんという概念を完璧に表現したようば、そんな完全性と不気味さのある人だった。
そんな感じなのだが、性格はというと異様に朗らかで明るくてノリがいい。でもそれも人工的な香りがする。その人の話を聴いているとずるずる引き込まれるような嫌な引力を感じた。
子育て支援センターなので、その人も子供連れであるのだが、なんかその子も様子が変だった。生後4か月との事だったけど、母親の膝の上にちょこんと載っていて……それはそんなに小さい子なんだから当たり前なんだけど……ひっきりなしにブルブル震えていた。そして身体中が傷だらけだった。見える部分全部に細かな引っ掻き傷のような傷痕があった。しかも、手足は異様に細かった。
母親はその子を膝に載せたまま、大きな身振り手振りを交えながら楽しそうに話し続けていたのだが、話の内容よりも小刻みに震え続ける赤ちゃんの様子が気になって仕方なかった。
結局、私はその人の話の内容が全然頭に入ってこなくて、震え続ける子をこの人は何で全く気にせず、オーバーな手振りをした瞬間に子供が膝から転げ落ちたのもどうでも良さそうな感じで子供を膝の上におき直すや何事もなかったかのように話し続けるのかと、気味が悪くなったので、以来その人のことは素知らぬふりでスルーすることに徹していた。まあその人は私がダメなら別のターゲットに向かうだけだったので、何も問題はなかった。
名著「UNIXという考え方 - UNIX哲学」は本当に名著なのか? 〜 著者のガンカーズは何者なのかとことん調べてみた - Qiita
この記事はよく調べてあるなぁと思う反面,事実関係の間違いも多く当時の空気感など欠けていると思う部分がいくつかある。事実関係に関しては追い切れないので参考文献を挙げるにとどめておくが,空気感のほうはいくつか書いておく。なお当該記事の「当時と今では状況が全然違うんだから,安易に『UNIX 哲学』とかいうな」という主旨には大賛成である。
初期の UNIX の歴史について興味がある向きには次の書籍をお薦めする。
Peter H. Salus『A Quarter Century of UNIX』(1994, Addison-Wesley Publishing)
和訳の『UNIXの1/4世紀』(Peter H. Salus, QUIPU LLC 訳, 2000, アスキー) は絶版のうえ訳も微妙なので薦めづらいが,原書は The Unix Heritage Society (tuhs) で PDF が無償公開されているので,英語が苦にならないのなら読んでみるといい。
また同じく tuhs で無償公開されている Don Libes and Sandy Ressler『Life with UNIX』(1989, Prentice Hall)を読めば80年代終りの UNIX の状況(XENIX についてもしっかり言及されている)や利用者目線での雰囲気もある程度判るだろう。
元記事で一番気になるのが「哲学」という語の捉え方。この言葉の強さに引きずられているように読める。でもこれ,当時は設計の基本的な考え方くらいの意味でわりとよく使われていた言葉なんだよね。たとえば米 BYTE 誌のアーカイブを “philosophy” で全文検索するとこんな感じ。
https://archive.org/details/byte-magazine?query=philosophy&sin=TXT&sort=date
ほぼ毎号のように出現していたのが判るだろう。
もっとも猫も杓子も「哲学」を振りかざしていたわけではないし,UNIX の開発者たちが「哲学」の語を好んで使っていたのも間違いないように思う。傍証の一つが AT&T の定期刊行物『The Bell System Technical Journal』の1978年7, 8月号だ。元記事で言及されているマキルロイの Forword の初出がこれで,ネットのアーカイブから PDF が入手できる。
この号は二部構成になっていて第一部が Atlanta Fiber System に関する論文12本(全172ページ),第二部が UNIX に関する(Preface や Foreword を含む)論文22本(全416ページ)となっている。さて前述の PDF は OCR されているので “philosophy” で全文検索してみると8箇所見つかる。これが見事に全部 UNIX の論文なのだ。もちろん論文の性質もページ数も違うからこれだけで確定的なことはいえないが「日常的に使っていたんだろうなぁ」という推測は成り立つだろう。じつはマキルロイの哲学とされている部分は “Style” であり “philosophy” の語は一切使われていないというのもちょっと面白い。UNIX の開発者たちがなぜ「哲学」という語を好んだか正確なところは判らないが,それまでにない新しい考え方に基づいた OS を開発しているという意識があれば,そういう言葉を選ぶのが自然な時代だったことは間違いない。
UNIX が認知され拡がっていく過程で「哲学」も知られるようになっていった。自分が好むものの良さを他人にも識ってもらいたい,あわよくば他人もそれを好むようになって欲しいという布教活動は今も昔を変らないわけで「哲学」はその便利なツールとなったわけだ。元記事ではガンカースの著作を「外部の人間が後から打ち立てた哲学」と表現しているが,そんなたいしたものではない。マキルロイの論文に影響を受けた布教のためのああいう説教は到るところにあった。たとえば前掲の『Life with UNIX』にもしっかり Philosophy の項がある。また日本で最初期の UNIX 解説本のひとつである,村井純・井上尚司・砂原秀樹『プロフェッショナル UNIX』(1986,アスキー)には冒頭次のような一節がある。
オペレーティング・システムは,コンピュータを使うものにとっての環境を形成する基盤であるから,そのうえで生活する者の個性を尊重し,より良い環境へと作り上げて行く課程を支援するような素材を提供するソフトウェアでなければならない。この主張こそが,UNIX のオペレーティング・システムとしての個性ではないだろうか。
「より良い環境へと作り上げて行く課程を支援するような素材を提供するソフトウェア」とはテキストを入出力フォーマットとする単機能のコマンド群のことで,これらをパイプでつなげたりシェルスクリプトでまとめたりすることで「そのうえで生活する者の個性を尊重し」た「より良い環境へと作り上げて行く」ということだ。こういった説教はありふれたものであった。たんにそれを「哲学」の語を用いて書籍にまとめたのが,たまたまガンカースだったというだけのことである。
そしてじつは UNIX の場合,布教活動とはべつに「哲学」を広めなければならない切実な理由があった。これを説明するのは非常に面倒くさい。当時と今ではあまりにも環境が違うのだが,その違いが判らないと切実さが伝わらないからだ。マア頑張ってみよう。
UNIX は PDP というミニコンピュータ(ミニコン)上に開発された。このミニコンを使うためには専用の部屋に行く必要がある。その部屋は,もちろん場所によって違うわけだが,マアおおよそ学校の教室くらいの大きさだ。長机が何列か並んでおり,そのうえにはブラウン管ディスプレイとキーボードを備えた機器が等間隔に置かれている。壁際にはプリンタが何台かあるだろう。通っていた学校にコンピュータ室などと呼ばれる部屋があったならそれを思い浮かべればだいたい合ってる。ただし置かれている機器はコンピュータではなくコンピュータに接続するための端末装置(ターミナル)だ。端末装置のキーボードで打った文字がコンピュータに送られコンピュータが表示した文字がそのディスプレイに表示される。現在 Unix 系 OS で CLI を使うときターミナルとか xterm という名のアプリケーションを用いるがこれらは端末装置のエミュレータで,もともとは実体のある装置だったわけだ。
さてコンピュータ室にたいていは隣接するかたちでマシンルームなどと呼ばれる六畳くらいの部屋がある。窓ガラスで仕切られたこの部屋には箪笥や洗濯機くらいの大きさの装置が何台か置かれている。これがコンピュータ本体だ。もっともコンピュータが何台もあるわけではない。この箪笥が CPU でそっちの洗濯機がハードディスク,あの机に置かれているタイプライタが管理用コンソールといった具合に何台かある装置全部で一台のコンピュータになる。どこが〝ミニ〟だと突っ込みたくなるかもしれないが「六畳で収まるなんて,なんてミニ!」という時代のお話だ。
端末装置それぞれから(USB のご先祖様の)RS-232 という規格のアオダイショウみたいなケーブルが伸び,マシンルームに置かれたターミナルマルチプレクサと呼ばれるスーツケースに台数分のアオダイショウが刺さってコンピュータとの通信を行う。コンピュータと多数の端末装置を含めたこれら全体をサイトと呼び,root 権限を持って管理業務を行う人をシステム管理者あるいはスーパーユーザと呼んだ。
結構上手に説明できたと思うのだが雰囲気は伝わっただろうか。ここで重要なのは一台のコンピュータを数十人が一斉に使っていたという事実だ。洗濯機とかアオダイショウとかは,マアどうでもいい。
当時の UNIX の評価を一言で表すと〝自由で不安定な OS〟となる。メーカお仕着せではなく自分好みの「より良い環境」を作りあげる自由。さらに他のメインフレームやミニコン用 OS に比べると一般ユーザ権限でできることが圧倒的に多かった。そしてその代償が不安定さ。今では考えられないが UNIX のその不安定さゆえにプロ用 OS ではないと考える向きは多かったし「でも UNIX ってすぐ落ちるじゃん」というのは UNIX アンチ定番のディスりだった。UNIX の落とし方,みたいな情報がなんとなく廻ってきたものだ。
こういった雰囲気を鮮やかに伝えてくれるのが,高野豊『root から / へのメッセージ』(1991,アスキー)だ。当時アスキーが発行していた雑誌『UNIX MAGAZINE』に連載されていた氏のエッセイの1986年11月号から1988年10月号掲載分までをまとめた書籍である。著者の高野氏は勤務先の松下電器で1980年ごろから UNIX サイトのスーパーユーザを務めており,日本では最古参の一人である。この本の中で高野氏は繰返し UNIX の自由さと不安定さに言及している。すこし長くなるが,その中の一つを引用しよう。
CPU は,システムにとって重要な共有資源であるが,この CPU を実質的に停めてしまうことが UNIX ではいとも簡単にできる。たとえば,cc コマンドを10個くらい同時に走らせてみたらよい。VAX-11/780 といえども,同時に実行できるコンパイルはせいぜい3つか4つである。それ以上実行することも当然可能ではあるが,他に与える影響が無視できなくなる。つまり,てきめんに vi のカーソルが動かなくなる。あるいは,すこし大きめなディレクトリ上での ls コマンドの出力が表示されるまでに煙草を1本吸い終えてしまったり,タイムアウトでログインが撥ねつけられたりといったバカげた現象が起きだすのである。こういった状態になると,UNIX は破壊されたに等しい。真夜中,独りで VAX を占有して使っているのなら何をやろうとかまわない。しかし,20人30人と多数の人間が使っているときに勝手をやられると非常に困るのである。当人の仕事が遅れるのは自業自得だとしても,そのとばっちりで他のエディタまで止まってしまうと,もはやどの仕事も進行しなくなる。
ディスクについても同様なことがいえる。UNIX では,ファイルシステムを使いはたすまで大きなファイルを自由に作ることができる。したがって,自分のプロセスがいったいどのくらいの容量のファイルを作り出すのか見当もつけられないようなアマチュアが使うと悲惨なことになる。ディスクを使いはたすと,コンソール・タイプライターにエラー・メッセージが出力されるが,夜中にそれが発生して,コンソール・タイプライターが一晩中エラー・メッセージを打ち続け,朝マシンルームに行ってみると紙を一箱打ち尽くしてしまい,ピーピーと悲しげな声を上げて人を呼んでいた光景を私は何度も見てきた。こうなると,それをしでかした本人のプロセスは当然のこととしても,同じディスクで走っている他のプロセスも先に進めなくなってしまう。すこしでも負荷を夜間にまわそうとする善意は逆転してしまい,わずかでも仕事を先に進めようとする意図も完璧に打ち砕かれてしまうのである。
そして,こうした不安定さが「哲学」を必要としたのだ。自分が利用しているサイトに「cc コマンドを10個くらい同時に走らせ」たり「自分のプロセスがいったいどのくらいの容量のファイルを作り出すのか見当もつけられないようなアマチュア」がいるとその累は自分にも及んでしまう。だからサイトの利用者全員に UNIX の設計の基本的な考え方を理解してもらうことが,自分のために必要だった。UNIX の伝道がより苛烈だった理由のひとつがここにあるのだ。
ミニコン上で誕生した UNIX は 4.3BSD(1986)で最高潮を迎える。注意したいのはミニコン時代の UNIX は Research UNIX と CSRG BSD みたいな区別をせずにまとめて UNIX として扱われていたことだ。実際『プロフェッショナル UNIX』も『root から〜』も UNIX と記述されてはいるが実際には BSD を扱っている。べつに当時の人が無知だったわけではない。なにしろ BSD を利用するためにはまず AT&T から UNIX のライセンスを購入し,そのうえでカリフォルニア大学バークレー校(UCB)から BSD を入手しなければならなかったからその関係は当然広く知られていた。ベル研で発明された UNIX を外部の人たちも含めみんなで改良し,それら全体が UNIX であるという考え方が自然だっただけである。『Life with UNIX』のような英語の文献によく登場する “Berkeley UNIX” という言い回しが当時の気分をよく表している。UNIX vs BSD みたいな捉え方は法廷闘争を経た90年代以降の感覚だ。
もっともそういう70年代風味の牧歌的風景はミニコン世界限定の話であった。BSD そのものはミニコン用のものしかなかったが,そのコードを受け継いだ BSD 系 Unix や AT&T が推し進める System V などがワークステーション市場を舞台に80年代中盤から激しく覇権を争うようになる。いわゆる Unix 戦争で,PC 用 Unix であるマイクロソフトの XENIX も当然参戦した。ミニコン世界が牧歌的だったのは,ぶっちゃけていえば先のない技術だったからだ。ただ Unix 戦争はあくまでも標準という聖杯を争う戦いであり,AT&T と BSD 系 Unix の Sun Microsystems が共同で System V Release 4.0 (SVR4) を作りあげたように後の法廷闘争とは趣が違う。
こうしたミニコン UNIX からワークステーション Unix への転変は Unix そのものや文化にも変化をもたらした。まず激しい競争は Unix の高機能化を加速した。商品として判りやすい惹句が「あれもできます,これもできます」なのは誰もが知っている。もちろん安定性を増すために quota のような利用者の自由を制限する機能も含まれていた。またワークステーション Unix は現在の Unix 系 OS と同様同時に一人が使うものであり前述の布教の必要性は大幅に減じた。達人たちのみの楽園から万人に開かれた道具に変ったのだ。こういった変化を体感したければ『root から〜』と水越賢治『スーパーユーザの日々』(1993,オーム社)を読み比べてみるといい。『スーパーユーザの日々』はワークステーション Unix のシステム管理の入門書だ。この本ではたんに知識を羅列するかわりに架空のソフトウェアハウス(開発会社)を舞台に新卒社員が先輩社員からシステム管理を学ぶという体裁をとっており,そのおかげで架空の話とはいえ90年代前半の雰囲気が堪能できる。出版年でいえば『root から〜』と二年しか違わない『スーパーユーザの日々』の落差は “dog year” と称された当時の激烈な変化まで体感できるだろう。
当時はよくいわれたのに今やほとんど聞かれなくなったものがある。マキルロイの論文の結論部分に書かれたそれは,1973年に出版されたイギリスの経済学者エルンスト・シューマッハーの著作の題名で,中学生の英語力があれば十分に理解できる平明な一文だ。
Small is beautiful.
マキルロイは『人月の神話』を引いて一定の留保をつけてはいるものの,これが UNIX 哲学の背骨であることに違いはない。機能をありったけ詰め込もうとして失敗した “kitchen-in-a-sink” な MULTI•cs のアンチテーゼである UNI•x にとって,これ以上のスローガンがあるだろうか?
ひるがえって現在の Unix 系 OS をみれば,ブクブクと肥え太ったシステムコール,全容を俯瞰するだけでも一苦労するライブラリインターフェイス,一生使うことのないオプションスイッチまみれのコマンド群。UNIX が仮想敵とした OS そのものだ。そのことについてとくになにも思わない。ハードウェアは長足の進歩を遂げ,コンピュータの応用範囲は途方もなく拡がった。UNIX が変らなければたんに打ち棄てられ,歴史書を飾る一項目になっただけだ。ただ現在「UNIX 哲学」を語るならそうした背景は理解していなければならないし,どれだけ繊細な注意を払ったところで〝つまみ食い〟になってしまうことは自覚すべきだ。
安倍と統一教会との関係なんて「現実世界で最も影響力のある統一教会シンパの一人」この一言あれば十分
4月にメッセージ動画を知ってこりゃあかんわってターゲットに決めたんだし供述と何の矛盾も無し
Twitterを見るに山上は「結果が全て」とどっかの元首相と同じ考え方だと思った
2022-07-17
■Fw: Re: スクラム開発チームと業務委託エンジニアの相性が最悪だ(略)
https://note.com/s_semiya/n/n3bb0f927c725
https://terurou.hateblo.jp/entry/2022/07/16/161845
2つよんだ、ぜんぜん違うところが気になったので、じぶんの職務に影響のでないように増田に書く
そもそも正社員雇用ほど採用プロセスが丁寧にできないので選定をミスる
スクラムにせよ、アジャイルにせよ「プロセスやツールよりも個人と対話」なんだとは思うが、業務委託の場合はいかんせん現場に入ってもらうまでの「個人と対話」が全然できない。正社員は割と重厚にプロセスを用意しても普通にできる。カジュアル面談から始まり、現場のメンバー面談、コーディングテスト、などなどいろいろな観点で人となりを知って正式に入社してもらうことになる。
業務委託はそうはいかない、30分から1時間しかない面談一発勝負。意思決定がおそくなると他の会社に内定を取られるので時間との戦い。選考プロセス増やそうものならそれだけでお断り。チームにハマるかな〜?二回面接したいな〜?なんて悠長なことを言っていると採用プロセス中に他社に取られる、そしていつまでたっても人が採用できない。地獄。
スクラムはチームで物事を成し遂げる形で作られている。故にメンバーを育てるという話に関してはもとの記事2つでも触れられています。
元の記事では育つことで単価が高くなる問題がありましたが、そもそも論として会社からすれば正社員よりコストが高い業務委託。いわゆるジュニアメンバーもそこそこにコストがかかるのですが、会社側からすれば「なんでヒヨッコいれて、育てなきゃいけないの?ボランティアじゃないんだよ?」などの感想を頂いたりします。
要するに「業務委託は即戦力なので、育成コストがかかる時点で悪」という話になりがちなのです。元記事の文脈とは若干違うとはわかっていますが、「育てる」というアクションが含まれる場合は「育てなくてもいいやつを探してきて入れ替えろ」になりがちだったりします。チームで成功をつかもうとするんだけど、その人の短所をかばい合うではなくクビを切れと言われる。地獄。
クビを切りを繰り返すとチームが劣化する
スクラムチームは、ゴールを達成し、お互いにサポートすることを確約する。スクラムチームは、ゴールに向けて可能な限り進捗できるように、スプリントの作業に集中する。
スクラムチームのメンバーは、お互いに能⼒のある独⽴した個⼈として尊敬し、⼀緒に働く⼈たちからも同じように尊敬される。
スクラムチームのメンバーは、正しいことをする勇気や困難な問題に取り組む勇気を持つ。
こうあるが「面接時間短くて採用ミスっちゃったんで今月でサヨナラにします!チームのみんなごめんね!」を繰り返したら尊敬もクソもない。ただそれを繰り返す可能性が大いにある。
そしてこの繰り返しが続くと既存メンバーも疑心暗鬼になるし、新しい人入れても「またいなくなっちゃうかもなぁ」みたいな気持ちになって全然モチベーションがあがらない。チーム崩壊まっしぐら。地獄。
以上。
元の文章が「優秀な業務委託がジョインする」という前提で書かれているように見えたので、そうでない業務委託が入る場合の苦悩も書いた。たぶんReで書かれた「業務委託であっても、柔軟に契約条件を相談できる相手であれば」という一言に収束する話だが、たぶんいまのエージェント界隈の仕組み上難しいので、こことの折り合いをつけている人がいたら教えてほしい。
https://note.com/s_semiya/n/n3bb0f927c725
https://terurou.hateblo.jp/entry/2022/07/16/161845
2つよんだ、ぜんぜん違うところが気になったので、じぶんの職務に影響のでないように増田に書く
スクラムにせよ、アジャイルにせよ「プロセスやツールよりも個人と対話」なんだとは思うが、業務委託の場合はいかんせん現場に入ってもらうまでの「個人と対話」が全然できない。正社員は割と重厚にプロセスを用意しても普通にできる。カジュアル面談から始まり、現場のメンバー面談、コーディングテスト、などなどいろいろな観点で人となりを知って正式に入社してもらうことになる。
業務委託はそうはいかない、30分から1時間しかない面談一発勝負。意思決定がおそくなると他の会社に内定を取られるので時間との戦い。選考プロセス増やそうものならそれだけでお断り。チームにハマるかな〜?二回面接したいな〜?なんて悠長なことを言っていると採用プロセス中に他社に取られる、そしていつまでたっても人が採用できない。地獄。
スクラムはチームで物事を成し遂げる形で作られている。故にメンバーを育てるという話に関してはもとの記事2つでも触れられています。
元の記事では育つことで単価が高くなる問題がありましたが、そもそも論として会社からすれば正社員よりコストが高い業務委託。いわゆるジュニアメンバーもそこそこにコストがかかるのですが、会社側からすれば「なんでヒヨッコいれて、育てなきゃいけないの?ボランティアじゃないんだよ?」などの感想を頂いたりします。
要するに「業務委託は即戦力なので、育成コストがかかる時点で悪」という話になりがちなのです。元記事の文脈とは若干違うとはわかっていますが、「育てる」というアクションが含まれる場合は「育てなくてもいいやつを探してきて入れ替えろ」になりがちだったりします。チームで成功をつかもうとするんだけど、その人の短所をかばい合うではなくクビを切れと言われる。地獄。
スクラムチームは、ゴールを達成し、お互いにサポートすることを確約する。スクラムチームは、ゴールに向けて可能な限り進捗できるように、スプリントの作業に集中する。
こうあるが「面接時間短くて採用ミスっちゃったんで今月でサヨナラにします!チームのみんなごめんね!」を繰り返したら尊敬もクソもない。ただそれを繰り返す可能性が大いにある。
そしてこの繰り返しが続くと既存メンバーも疑心暗鬼になるし、新しい人入れても「またいなくなっちゃうかもなぁ」みたいな気持ちになって全然モチベーションがあがらない。チーム崩壊まっしぐら。地獄。
以上。
元の文章が「優秀な業務委託がジョインする」という前提で書かれているように見えたので、そうでない業務委託が入る場合の苦悩も書いた。たぶんReで書かれた「業務委託であっても、柔軟に契約条件を相談できる相手であれば」という一言に収束する話だが、たぶんいまのエージェント界隈の仕組み上難しいので、こことの折り合いをつけている人がいたら教えてほしい。
2022年2月11日「ワールドサミット2022・韓半島平和サミット 開幕式」にて前参議院議長 伊達忠一、前前環境大臣 原田義昭、現衆議院議員 高木宏壽らが出演した日本人代表セッションの書き起こし。
https://www.youtube.com/watch?v=f2ricogBBbE&t=6919s
それでは、プレナリーアドレスのパート2に参ります。日本を代表するリーダーの御二方にお会いしたいと思います。
まずは原田義昭第26代日本環境相、そして伊達忠一第31代日本参議院議長です。それでは日本に繋げてみます。日本どうぞ。
ありがとうございます。私は東京からご挨拶申し上げます。私は日本からご挨拶しております。(私は高木宏壽です(←同時通訳では抜けてた)。)日本の国会の議員です。
IAPP(世界平和議員連合)ジャパンフォーラムの構成員が集まっています。ワールドサミット2022と連携して、このようにテレビ会議で参加しております。
30人ぐらいの日本の議員が、IAPPのジャパンメンバーとして参加しています。皆様、ご挨拶申し上げます。
[拍手]
それでは、IAPPの日本フォーラムの議長であります原田様をご紹介申し上げます。日本の議員として、25年間活躍され、環境相として活躍されました。
IAPPの日本フォーラムを率いています。それでは、お招きしたいと思います。
ありがとうございます。ご紹介ありがとうございました。本日、この場で皆様方に私たちの考えをお話しする機会を得まして大変嬉しく思います。ワールドサミット2022のプレナリーセッションで皆様にお会いできて嬉しく思います。
まず開会に先立ちまして、UPFの創設者ハン・ハクチャ総裁に感謝申し上げます。大きな志を持ってワールドサミット2022を準備してくださいましてありがとうございます。
世界的に重要なテーマであります韓半島の平和をワールドサミット2022で扱います。 私たちはまたカンボジアのフンセン首相にも感謝申し上げます。パンギムン前国連事務総長にも感謝申し上げます。
何よりも私たちが平和、そして安保の状況、特に北東アジア地域を考えるときに、 北東アジア地域は韓国と日本が位置している地域でもあります。1番大きな脅威は、中国の覇権への野望であると言えます。日本のような場合は、何よりも尖閣列島の領有権に対する中国の侵略を懸念しています。中国の海警の船舶がこの地域に進出してきています。だからこれに対抗して日本の海洋警察が日本の漁船の安全を確保するために、 中国の船舶に対して日本の海域から離れるように持続的に警告しなければなりません。また、日本はこれから3、4年の間、発生しうる台湾有事について懸念しています。
3年か4年ぐらいで、もしかしたら台湾有事が発生するのではないかと懸念しています。台湾有事が発生しましたら、これは日米安保同盟において非常事態となります。台湾は日本と100キロぐらい離れています。
日本の沖縄県の米国島から100キロしか離れていません。中国軍が台湾を侵略したら、日本に駐屯している米軍が対応しなければなりません。
また、日本の自衛隊もアメリカの作戦に参加することになろうかと思います。
このような事態が発生しましたら、これは地球上のほかの地域ではなく、この地域、北東アジア地域の問題となります。現在日本は改憲を推進しております。改憲は日本において1番重要な政治的イシューの1つです。
日本の憲法は75年前に発行されてから1回も改正されたことがありません。
日本の憲法が時代遅れにならず現在の地政学的な状況に合わせて改憲されるべきだと思います。特に憲法9条が改正の対象となっています。憲法9条に基づいてお話申し上げますと、日本は軍隊を保有してはなりません。しかし、日本の自衛隊が実際は軍隊の役割を果たしています。これは辻褄の合わない話だと思います。ですから憲法9条はできるだけ早く改正されるべきだと認識しています。
日本は経済的に中国と連帯関係があります。また、中国に対する敵対感を持っているわけではありません。しかし、 日本に対する軍事的な侵害、そして人権蹂躙を見過ごすわけにはいきません。
チベットやウイグル地域での人権問題が中国によって発生しています。また、日本は韓半島の分断に対して懸念しています。1日も早く統一して、1つの単一国家となることを願っています。日本政府は韓半島の統一のために支援する方策を具体的に持っているわけではありません。
しかし、全ての日本の人々は南北が1つになることを願っています。
また同時に、毎週起きている北朝鮮のミサイルの発射に対して懸念の意を持っています。
金正委員長は、国際社会の要求に、そして国際社会の声に耳を傾けて、ミサイルの発射を中断することを切に願っています。
日本とアメリカは重要な共同の価値を持っています。自由開放、そして民主化されたインド太平洋地域の重要性を共有しています。
人権、法治などの共通の価値がインド太平洋地域で達成されることを記念しています。こういったレベルで、 日本、アメリカ、インド、オーストラリアの安保の協議体であるQUADも設立されました。4者の安保対話ですこのような手段を通じて、中国をけん制しようと思います。
韓国が日本とアメリカと同じ価値を共有することができますので、韓国も私たちと共に歩んでいけると思います。
現在の朝鮮を克服するために、韓国と日本とアメリカの協力は必ず必要です。このような協力を通じて、北東アジアの平和と繁栄を築いていきたいと思います。
私たちが共に歩んでいくべき道は平和と繁栄です。しかし残念ながら、韓国と日本、日韓関係は依然として政治的に硬直しています。
また、私と私の日本の同僚は韓国の国会議員の方々に尊敬の意を表します。
両国の関係改善のために私たちの努力を傾けていくことをお約束します。ありがとうございます。
原田大臣、ありがとうございました。続きまして、伊達忠一元参議院議長にスピーチを招待したいと思います。日本語でスピーチをさせていただきます。皆様、通訳レシーバーをご活用ください。伊達忠一議長、よろしくお願いいたします。
前参議院議長の伊達忠一でございます。この度は朝鮮半島の平和という重要なテーマを扱ったワールドサミット2022において、スピーチをする機会をいただきましたこと、誠に光栄に存じます。初めにこの度のサミットの主催者でありUPFの創設者であるハン・ハクチャ総裁に敬意を賞します。また、共同議長であるカンボジア、フンセン首相並びに、パンギムン第8代国連事務総長に心より感謝申し上げます。
私は2年前に韓国で行われたワールドサミット2020に参加させていただきました。
そして光栄なことに世界各国の国家の政府首脳をはじめ、各界各宗の指導者の皆さんがご参集の中、ハン・ハクチャ総裁が引責(?)の壇上において、 日本を代表してご挨拶をさせていただきました。その時の感動は今も忘れることができません。
あの時はまだ新型コロナウイルスが出現したばかりであり、それほどまでに長期間にわたって世界中に大きな影響を与えるとは誰もが想像することができませんでした。
コロナの時代になり、人と人との間に社会的距離を取ることが要請され、国境を超えた人の行き来も制限されるようになりました。
ある意味では、それほど人と人と国と国との関係性を破壊し、互いに孤立させるもののはありません。その意味で今日ほどムン総裁、ハン総裁、ご夫妻が説いておられる共生、共栄、共義の精神が必要とされる時代はありません。
そしてとりわけその切実に必要とされている地域が朝鮮半島でございます。
朝鮮半島は未だに冷戦構造が終結していない世界でも有数の地域であり、大国の利害が空になった世界の縮図とも言える地域です。
従って、朝鮮半島の平和と安定は、日本は元より国際社会全体にとっての大きな利益です。
南北間の信頼関係が構築され、朝鮮半島の平和的統一につながる環境が醸成されるよう、対話と協力を推進されることが重要です。長い歴史と文化と言語を共有する同じ民族同士が互いに戦争し、未だに国士が2つに分断されているという悲劇を思えば、南北統一はまさに韓民族の悲願であろうかと思います。
日本は現在、北朝鮮との間に核ミサイル問題と拉致問題を抱えております。南北の平和的統一を通して、これらの問題が解決されるのであれば、それは日本と言いましても歓迎すべきことであると思います。
北朝鮮は今年に入ってからわずか1カ月の間に7回のミサイル発射を行っており、 これは我が国にとっても大きな懸念となっております。
こうした時期に国連NGOであるUPFが民間外交を通して、平壌との相互信頼を促進し、国際社会のメッセージを北朝鮮に伝えるために、平和を普及するサミット会議を開催することは、まさに時期にかなったことであると存じます。今は、コロナの影響で国境を越えての往来が非常に制限されている状態にありますので、残念ながら、サミット会議に参加するには、韓国の地に行くことができません。 たとえ体は日本国内にあったとしても、心は韓国の地に飛んでいって、お祝いを申し上げたい気持ちでいっぱいでございます。
この度のサミット会議において、世界各国の首脳たち学びにハン・ハクチャ総裁が語られるメッセージを通し、朝鮮半島が抱える様々な問題を解決する道が示され、南北の平和統一に向けて力強い一歩が踏み出されることを心より念いたします。
日本から参加者指導者の皆さん方を代表して、一言ご挨拶をさせていただきました。本当にありがとうございました。
それでは、韓国にマイクをお渡ししたいと思います。ありがとうございました。
https://i.imgur.com/O9EAoU8.png
https://i.imgur.com/gU4Onew.jpg
・UPF公式報告記事 https://upf-jp.org/archives/1946
・統一教会イベントの映像配信に堂々と出演している日本人たち簡易まとめ(2022年7月中旬時点) https://anond.hatelabo.jp/20220717091745
そもそも女性が出世できないと言われてるが、現代の世間一般として出世を強制されることはあまりない。
※あまりと書いたのは中小の場合、エスカレーターで出世「させられる」事があるため。
本当に本当にショックで、いやおかしいだろマジで許せないという出来事があったのでとりあえず書く。
父親とはもう2年半近く口を聞いていない。同じ家に住んでるのに。
事細かな説明をすると長くなるから省略するけど、私は小さい頃から(7歳から〜24歳に至るまで)父親の性差別、人種差別、同性愛嫌悪発言を何十回も聞かされてきた。
私はその度にモヤモヤし、図書館に通っては本を読んだ。こういう発言に侵食されないように、そして自分自身の言葉を獲得するために。
何度か反論しているうちに大喧嘩になって、それ以来一言も口を聞いていない。
しかし今日、母親から聞かされた出来事に言葉を失い、どうすればいいかわからなくなっている。
父親は運送会社勤務なのだが、普段から”嫌われている同僚のおじさん”について話していた。
ある日そのおじさんの携帯電話が壊れて、他の社員たちが「かして」と言ってそれを取り上げ、直そうとしたらしい。
しかし直った途端、あろうことかネットの検索履歴を勝手に見たそうだ。
そこには男性同士のセックスについての閲覧履歴があり、それが職場で噂になったらしい。
そして同僚たちがふざけながら本人に直接、「◯◯さんってホモなんですか?」と聞いていたと、父親が”笑いながら”母親に話したそうだ。
信じられる?おそらく父親は2015年4月に起こった「一橋大学アウティング事件」という出来事すら知らないだろう。そもそも「アウティング」という言葉を知らないだろう。
そのおじさんは同僚たちの発言を聞いた後、「そんなこと言う人たちは嫌いだ」と怒って帰ったそうだが(当たり前だ)
それすらも面白おかしいという様子で、父親は笑っていたそうだ。
近頃東急ハンズのホモフォビア発言や、政治家の「同性愛は精神の障害で依存症」発言が問題になっているが
でも私はそのおじさんの顔も名前も知らない。
父親とはずっと口を聞いていない。話したくないし、なぜか父親の前で口を開くことができない。
喉に何かを押し込まれたみたいに。
自分の身内が差別主義者で、実際に人を攻撃している様子を聞いた/見た時はどうすればいいんだろう。
いや、そんなこと絶対だめだ。
「麦茶、じゃなくて、麦茶入れて下さいでしょ」とか「ありがとうは?」とか、口うるさく言い過ぎたかな…とか考えた時期もあったけど、先日よその子になにか飲む?と聞いたら顔も向けずに「コーラ」と言われ、コーラを渡したらゲーム片手に無言で取られた時に「間違ってなかったな」と感じた。
さんかく3児ママ(@7Gktm)さんの躾についての投稿が話題になりました。ご本人にお話を聞きました。
親が子どもに教えること、伝えることはたくさんあります。そのひとつが、人に対する言葉遣いや礼儀。家庭によって、教え方に温度差があるため、「あれ?」「うちではこういう時、ありがとうって言うんだけどな~」などよその子に違和感を抱くことも。
小学5年生の男の子、3年生の女の子、そして0歳の男の子を育てるさんかく3児ママさんも、モヤモヤしてしまったひとり。
「口うるさいかなって考えていたけど我が子が他所のお家で~くださいとかありがとうごさいますも言わずにいたら嫌だ!嫌すぎる!」
「ままー!お茶ー!と言われたら、お茶がなに? と聞きます! こういうのはクセになるので絶対直した方が良いと思う派」
「うちも同じように言い聞かせてて、言わせてるみたいで良いのかな、、と思うことあるんですけど、ちゃんと躾として続けようと思いました!」
「そういう親の意識や言葉は子供の中に、貯金のように貯まって“資産運用”されます」と将来を見据えるものもありました。
「自分の親は勉強には口出ししなかったのですが、礼儀や感謝を言葉にすること、言葉遣いなどは厳しく教えてもらいました。今ではすごく感謝しています」
「24歳の息子から「俺を厳しく指導してくれてありがとう。全く敬語に困らず どんな年代の人とも話せる」と言われます」
「小学校低学年の頃、友達の家にお邪魔したけど、後日、飲みものを出した際にいただきますを言ってなかったねと指摘され、ショックを受けました。礼儀を教えるのは本人が恥をかかないためです」
「自分はありがとうを言えない子供で、高校生くらいになってから友達がいなくなりました。働き始めてから先輩たちに「ここはありがとうって言おうよ?」と厳しくしつけられた…しんどかったので、マナーの教育は羨ましい」と苦労した経験を打ち明ける人も。
共感の一方で、
「「ありがとう」や「ごめんなさい」の強制は、心ない子どもを育てるだけ! 大人に忖度する子どもを作るだけ!」
「ゲームに集中していたから、その子は精一杯で、コーラと一言で伝えたのかも」
という声も届きました。
こんなとこでウダウダ言ってても何も変わらない。全然政府に伝わってねーんだよ。ここで話してもなかったことになってんだよ。
お前ら送ったことあるか?数分で送れる。メアドとか名前とかテキトーでいい。hoge@example.comでいい。これを見たやつは、どっちでもいいから思ってることを1行でいいから送れ。国葬応援するとか反対とか微妙な気持ちだとか一言でいい。あとで答え合わせしたときに間違っててもいい。
https://www.kantei.go.jp/jp/forms/goiken_ssl.html
https://ssl.jimin.jp/m/contacts
相手に伝えたことが一回もねーのに、意見を聞かないとか、陰でdisるとかやめろ。
「立つ鳥跡を濁さず、でね☆」
これって私がそう心がけるものであって、
辞められる側が言うか?と。
希望退職日の引き伸ばしを言われ、
どうしてもその日に辞めたいなら有休消化はできないかも、とも言われ。
しかもこれが高圧的な態度で繰り広げられるならまだわかるが(?)、
「応援してるから」「頑張って欲しいと思ってるから」とニコニコしながら言ってくる。
でも内心はめちゃくちゃキレてるのバレてるんだよ。
ニコニコ言えばちょろく話まとまると思ってるんだろうな、と見下された気分。
今回の件で過去保守系のチャンネルと関わりのあった人物としては
古谷経衡、篠原常一郎、適菜収、鈴木傾城、坂東忠信、福島香織など(敬称略)
他にもいるかもしれないがそれ以外からは、「統一協会はカルト」「政治と宗教問題をなんとかすべき」の一言が出てこず、あろうことか統一教会を擁護する者までいる。
左翼(自分は5chをウォッチしていて今はほとんど全ての右翼もだが)に同調したくない、安倍さんの死を悼みたい
などとは言っても誰もが知っていてこの嘆かわしいと思われていた問題に切り込むチャンスなはずだ。
今まで保守論壇だと思われていたものは統一教会並びに統一教会の被害者、自民党、保守論壇、そしてネトウヨという経済圏だったのではないかという漠然とした仮説が徐々に説得力を持ちつつある。
自分は典型的な学会2世で、2000年代前半に創価中学・創価高校(創価学園)に通っていた。
いかんせん20年近く前のことなので中学・高校を混同してたり不正確かもしれないけど許して。
地元の5歳ほど上の代に創価中学に合格したひとがいて、それなりの田舎だったこともありレジェンドのように語られていた。
そのレジェンドが通っていたのと同じ地元の塾に小4から通った。創価学会員はこの手の験担ぎが大好きなのだ。
前日に38度の熱を出してしまった。前述のレジェンドも同じようなことがあったなかで合格したらしく、カーチャンは興奮しながら唱題していた。創価学会員はこの手の(ry
当日は携帯ご本尊(お守りご本尊とも呼ばれる)をカーチャンに持たされた。どんなものかはググってくれ。
お決まりの「公共交通機関でお越しください」であったが、トーチャンの車の後部座席に寝ながら向かった。ゲートで係員に止められていたが、後部座席で寝込む俺を見て敷地内の駐車場に誘導してくれた。俺は眠くて寝てただけなのに。
通常の会場とは別室に設けられた体調不良者が集められた部屋で試験を受けた。ポカリ飲み放題で、毛布にくるまって行儀悪く立膝しながら快適に試験を解いた。
俺が受けた年は倍率11倍で過去最高だったとかそのあと聞いた気がする。
創価学園だからといって必ずしも池ちゃんと接触の機会があるわけではないが、俺のいた頃は入学式と卒業式は確定で池ちゃんが来ていた。
普段は会館で見る衛星放送の映像の中にいる池ちゃん(とそのスピーチ)を生で見られるということで、たぶん保護者が一番テンション高かったんじゃないかな。
うちもカーチャンがテンション爆上がりしていて、出席できるのは保護者の片方だけだったがトーチャンは問答無用で蚊帳の外に置かれていた。かわいそう。
ちなみに俺の在校中に池ちゃんが入学式・卒業式に出なかったことが2回ぐらいあって、それまでは皆勤だったから中々の衝撃を学会シーンに与えていたような記憶がある。
あとスピーチ中の池ちゃんはアゲどころで机を手でバンバン叩くことが多く、その少し後に流行ったやる夫AAの「だっておwwwwwバンバン」を見たときに池ちゃんだろこれって悪友と笑ったことがある。
入学式・卒業式ほどじゃない節目イベントのときに池ちゃんからメッセージや差し入れが届くことがあった。
終業式のときなんかに学年主任が「池田先生から差し入れいただきました!」って言って全校生徒にかっぱえびせんが配られるのが定番だった。
コンビニで売ってるようなサイズ感ではなく一回り小さいものだったので「けちくせー」と思った記憶がある。貰い物に文句をつけるな。
何より面倒くさくてウザかったのが、その手のことがあるたびにクラスでA5の便箋が配られて「今回の感想と決意を書いて提出しなさい」と先生から言われたことだった。学会員決意するの好きすぎる。
かっぱえびせんに感想も決意も出るわけもなく、俺は一回も提出したことないがそれで怒られた記憶はない。真面目な生徒は毎回提出していたように思う。
創価学会においては、唱題という行為をすればするほどえらいという価値観がある。本尊にむかってみんなで「なんみょーほーれんげきょー」と連呼するあれね。
校舎の一階に謎の立派な扉があって、その奥に20畳ぐらいの和室と本尊があった。
体育会系のメインストリームなひとたち(サッカー部や野球部)なんかは大きな大会の前になると、朝や昼休みに総出で唱題をしていた。練習すればいいのに。
ほかにも生徒会とかの意識の高い優等生は自発的に空き時間に唱題しに来てた。
ちょっと記憶があいまいなんだけど、誰でもアクセスできる部屋というわけではなく、部活で唱題する人と一緒に応援をしたい人とか、招待制というかクローズドな場所だったような気がする。誰も唱題していない時間に潜り込んで畳の上で昼寝した思い出。
小学生のころ休み時間にサッカーをするのが好きだった。地域のサッカークラブみたいなところにも入りたかったが親に許されず、そのまま下手の横好きで休み時間サッカーを続けていた。
中学に入学してすぐのころ、休み時間サッカーに混ざりたくてそれとなく輪に入ったら横で同級生同士が「なんで増田がここにいんの?プゲラw」と話しているのが聞こえてそれ以降休み時間に中庭に近寄るのはやめた。体育もスポーツも大嫌いになった。
当たり前だが同級生はみんなどこにでもいる普通の思春期10代だった。それまで接した創価学会の大人たちはみんな優しかったので、こんなんだったらこの学校に進んだ意味ないじゃんと思った。
創価学園を語るうえで欠かせないのが愛唱歌の存在で、校歌や寮歌のほかに10種類以上の愛唱歌と呼ばれる歌があった。
昼休みの中庭で、掲揚された三色旗の前で有志で愛唱歌を歌う活動があった気がする。
愛唱歌のうちとりわけ記憶に残っているのは「負けじ魂ここにあり」という歌で、気になる人は歌詞をググってもらえるとわかるけどテンションの上がりそうな勇ましい感じの曲だ。ここぞという機会で歌われていた。
1番から5番まである長い曲で、平時は1番と3番と5番が歌われていた。式典とかの機会だとフルバージョンだったかな。Radio MixとOriginal Mixみたいな。
いわく5番が一番大事だそうで、5番だけが池ちゃんが書いた歌詞だったかな?1番~4番の長い前振りがあって、5番に本命が来る。クラブミュージックか?
これを書きながらググった歌詞を見直したらメロディー覚えてて歌えちゃった。人間の記憶すごい。
創価学会では、学会本部に依頼すると池ちゃんに子供の名前を付けてもらえるサービスがあるのは有名。
池ちゃんネームの割合が結構高かった気がする。クラスに2,3人ぐらいはいた。
中学を卒業してエスカレーターで高校へ進学すると、創価大学への推薦を見据えて学校生活を送る必要が出てくる。
成績に関しては赤点取りまくらなければ大丈夫、ぐらいのラインだったと思う。欠席と遅刻は年間だったか累計だったかで10回まで、みたいな感じだった。
自分は創価大学へ行く気は早々に失っていたので、面倒くさいと思ったら勝手に早退して家でラグナロクオンラインやったりしてた。
成績はボロクソだったが赤点補習をきっちりとこなせば問題なかったので、留年とかそういう問題は皆無だった。なんだかんだで寛容で優しい学校だったと思う。
体育の赤点だけは、夏休みに登校して体育教師が顧問をするサッカー部と一緒にトレーニングをする、みたいな内容でそれが嫌で最低ラインの出席3分の2を維持するハックで乗り切った。
ちなみに一度受けた体育の赤点補習では、俺の休み時間サッカーの件の当事者がサッカー部だったのでそいつが居たが、妙に気遣ってくれたりしてむずがゆかった。あいつ良いやつだったな。
創価学会にはとにかく記念日が多いのだが、記念日の会合で池ちゃんがスピーチをぶると翌日には聖教新聞に全文が掲載される。
総合学習みたいな時間にはその聖教新聞がクラスで配られ一文読みをしていた。ここでもかっぱえびせんのときと同じようにA5の便箋に感想と決意を書かされる。一度も提出したことはないが(ry
池ちゃんのスピーチの全文を読んだことある人がはてなにどれぐらい居るかわからないが、池ちゃんのスピーチって基本的に中身がない(個人の感想です)
「〇〇(歴史上の偉人)は言った、ほにゃららほにゃらら。だから君たちも勉学に努めなさい」一同「ハイッ!」っていうのが池ちゃんスピーチの定番のやり取りで、勉強しろって説法をするときに引用でしか言えないのかこの人、と常に思っていた。
他には「戦争は悲惨だ、最低の行為だ」「いじめはよくない、いじめた人間が100%悪い」みたいなありふれた内容で、何をみんなそんなにありがたがっているのか分からなかった。そのためにはどうしたらいいのか、どうすべきなのか、具体的な方法や理論に言及することが皆無だった。せいぜい本を読めとか勉学に励めとかそれぐらいで、マセガキだった俺の好みの内容ではなかった。
「いついつの会合のスピーチ、めっちゃよかったよね~」と言っている同級生もいたが、松屋と吉野家ぐらいの違いしか俺には分からなかった。
創価学会は独特な語彙やネーミングが多いが、学校にもそれはあらわれていた。
中学のロッカールームは「鳳雛ホール」という名称だった。ほかにも学校内の講堂は「池田講堂」だったり、食堂が「栄光ホール」みたいな名前だった気がする。一番大きい体育館も何か独特の名前があったと思うが覚えていない。俺の卒業後に校舎が建て直されたりしてググっても情報が全然出てこない。
最寄り駅の鷹の台駅から学校までは10分以上玉川上水沿いを歩くのだが、玉川上水沿いの道は「哲学者の道」と呼ばれていた。哲学者の道を横に外れた場所に昔ながらの林があって、そこでエロ本を見つけたことがある。なるほど哲学者の道。
ちなみに近隣の武蔵野美術大学や白梅学園の生徒もここを使って通学していて、妙に大人の女性に見えたなあ。
白梅学園のバス停が前後を創価学園と朝鮮大学校に囲まれている画像なんかが有名だけど、不思議と朝鮮大学校に関する記憶がない。
終業式だか始業式を飛ばして悪友と学校を抜け出して武蔵野美術大学の学祭に遊びに行ったのは楽しかった。
悪友が「創価学園の生徒だけど質問ある?」みたいなスレを立ててVIPで爆伸びしていた。創価系の質問スレはググると結構多いけど、当時2chにどっぷり浸かっていた俺の知る限りでは悪友のスレが元祖だと思う。
校内の写真とかをガンガン上げていて大丈夫かと思った。今でもインターネットで出回る創価学園にまつわる有名画像のいくつかは悪友がアップしたもののはず。
基本的には学会二世しかいないので、典型的な創価学会員の世界観を持っている生徒が多い。
一方俺はネットde真実をゴリゴリにこじらせていたので、普段から池ちゃんや創価学会へ懐疑的なスタンスを公言していたが、それでいじめられたりするようなことはなかった。池ちゃんのいじめを許さないご指導が活きていたのかもしれない。
池ちゃんへのおかしいと思った点を熱心な生徒に話してみたりしたが、全否定されたり人格否定されるようなことはなくまともに議論じ応じてくれたように記憶している。
なにかの学校行事の決意発表大会みたいな学年集会の場で「俺は正直池田大作という人は別に好きではなくて~」みたいに自分の考えを披露したことがあるが(今思うとこじらせすぎている)、それでも「こう考えてる人がいることが分かってよかった。増田の言葉で聞けて良かった」とニュートラルな反応をしてくれた同級生もいたことが印象的。
一方で先生は頑迷な人が多かったように思う。一度英語の先生に「創価学会員はどうして個人なのに人の投票行動に介入するんですか?自分で決めるべきことなのでおかしいと思う」と言ってみたことがあるが、「人は選挙権のほかにも、個人として選挙をお願いする権利もあるんだよ」と答えになっていない返答をされた。いまでも意味わからん。
基本的にあまり好きな先生はいなかったが、現代文のH先生だけは好きだった。
やたらと情熱的な語り口で面白い授業をするひとで、いろんな国へ旅するのが好きで授業の雑談ではその話を臭いぐらいロマンチックに話すので好きだった。
ほかの教科はやる気皆無だったが、現代文だけはノートもしっかり取っていたし、試験前のノート提出もしていた。
あるときH先生に提出したノートを紛失された。丁重に謝罪されてノート点も満点つけてもらった(らしい)が、それ以降H先生の授業へ興味を失った。クソガキすぎる。大人だって失敗するときはあると今ならわかる。
平等や平和を謳う創価学会員もしょせんは人の子なので、スクールカーストは存在していた。
今でいう陽キャは「メジャー」と呼ばれ、陰キャは「マイナー」と呼ばれていた。
ちなみに親が幹部かどうかはスクールカーストには関係なかった。ただディベート大会で全国レベルの成績を残したり、生徒会役員だったりするようなインテリ勢は親が幹部っていうパターンが多かった。そしてインテリ勢はメジャーマイナーの括りにも縛られないアウトサイダー的雰囲気があった。
世は前略プロフィール全盛期、同級生のメジャー勢の女子が前略プロフィール(というかそれに付随するいわゆる「リアル」のページ)で飲酒パーティーの写メ(死語)をアップしていて、学校に垂れ込まれて停学になってた。
停学になったメジャーの女子たちはほとんどその後創価大学へ進学し、銀行員になったり不動産屋になったり売れないクラブDJから水商売の世界に入ったり、様々なよう。
履歴書の学歴の呪いについてのブコメをしている人がいるが、今のところ特に困難だと感じたことはない。
転職もしつつ順当にキャリアと年収を上げて生きてきたけど、「親が創価なんで」の一言でそれ以上深掘りされることも差別されることもない。