はてなキーワード: 食卓とは
当時私は24か25で、週末は友だちと会ったり、都心に買い物に行ったりすることが多かったんですが、なぜかその日は久しぶりに、父と自転車で西友に行くことになったのでした。買い物のためというよりも、恒常的に太っていた父の、運動のためだったかもしれません。
スーパーから家まで自転車で10分ちょっとの道、なんとなく父が先を走り、私が追いかけていく中で、自然と父の背中が目に入って、思ったんです。
あれ、パパの背中、思ってたより小さいんだな…と。
身長170cmちょっとに対し体重は90kg近くあり、どちらかというと「大きい」印象を与える父でしたが、背中を丸めてママチャリをこぐ姿は、食卓でビールとウィスキーと焼酎をちゃんぽんで飲んで管を巻いているときよりも、少し縮んだように見えました。
父はその頃60歳近いので、多少は本当に縮んでたのかもしれませんが、小さく見える理由はそれだけじゃないこともわかっていました。私が就職したことで、私のほうの見え方が変わっていたんです。
その頃はネットバブルと言われた時期の真っただ中で、私はそんな会社のひとつに、運良く入れていました。
そこは日本ではわりと大きな「ITベンダー」とか言われる会社の子会社だったので、親会社からエラい人が続々と天下ってきていました。でも当時まだ光ファイバーはおろかADSLすらほとんど普及してない時代、Windows 95が出てから数年って時代なんで、大手ITベンダー出身のはずのエラい人たちでも、じつはパソコンをほとんど使ったことがなかったり、せいぜいメールの読み書きができる程度だったりしました。そんな人たちがいきなり、ネットの会社の役員として送りこまれてくるわけです。しかも親会社はセミナーと称して顧客集めのイベントを開いて、子会社に送り込んだ役員を登壇させ、「ネットで御社のビジネスが変わりますよ」みたいな話をさせるんです。
そこで私がやってた仕事のひとつが、子会社に来て早々に付け焼き刃トークさせられる役員のために講演資料を作ることと、講演当日のカバン持ち(会場のプロジェクターにパソコンつないだり。当時はパワーポイントみたいな大きなデータを相手先に送るのも、容量制限でできなかったりしたのです)でした。私自身もその会社に入るまでネットにほとんど触ったことのないニワカだったので、資料作りといっても実際はもっとコアな先輩社員に依頼してネタ出ししてもらったりする、窓口的な役割です。
そんな、ニワカな私がニワカな役員をサポートする不安な構図だったんですが、講演はそれなりに(多分)好評で、親会社主催のものだけでなく外部のイベントに出張っていくこともありました。大きなホテルの「なんとかの間」とかの華やかな壇上で、スポットライトを浴びながらネットのビジネス活用を語る役員たちは、頭頂部が多少ハレーションしていても(だからこそ?)、いかにもエラい人っぽく見えました。エラい人「っぽい」だけでなく、ニワカであっても数百人を相手に堂々と話ができる、それは一朝一夕には身に着けられないスキルだと今でも思います。
大企業出身のエライ人たちはトークができるだけでなく、部下の扱いも丁寧で、いや私が若い女だからということもおそらくあったのですが、とにかくそういった講演サポート業務の後は、「お礼」と称して素敵なレストランなどに連れて行ってくれました。私はただ窓口になっただけなので、と言うと、じゃあネタ出ししてくれた人たちもみんなで、となり、ずいぶん大人数でごちそうになることもありました(それが会社のお金だったのかポケットマネーだったのかは不明)。
そんなわけで私の会社の人たちは、上司も先輩も同僚も、そこそこ大企業文化の中にいて、都会慣れしていました。「肩で風を切る」ってほどじゃないにしろ、少なくとも必要なときには背筋を伸ばして堂々と振る舞える、そんな人たちが、いつの間にか私にとっての「普通」になっていたのです。
それに対し父は、そんな平成っぽいスマートさとは無縁で生きてきました。そもそも、なぜ私が父を「パパ」と呼ぶことになったのかまったく理解できないような「おとっつぁん」的な風貌だし、人前で話す機会があるとしたら会社の朝礼か親戚の法事くらい、しかも話がムダに長くてつまらない、と家族の中で有名でした。素敵なお店なんか結界が張ってあると感じていたらしく、まれに家族旅行で伊豆のホテルに行ったときには、入り口から赤いじゅうたんが敷いてあることにおののき、「あのー、この、じゅうたんの上、歩いていいんすけ?」(いつも語尾がモゴモゴしている)と質問して失笑を買った、とか、ファミレスでアイスクリームを注文するときに、「フレーバーを選ぶ」という概念をまったく知らず、「えーこの、バニラ・チョコレート・ストロベリー・アイス、頼んます」と全フレーバーを読み上げたとか、そんなエピソードには事欠かない人なのです。
そしてその日も、うら若い娘とお出かけの機会だというのに、会社の作業服だか私服だかわからない、着心地だけが最高の服装で、ボロボロのママチャリに乗って、西友に行くくらいしかできないのです。
でも私は、だからといって、父の存在が恥ずかしいとか、引け目を感じるとかいうわけでもないな、とも思いました。
むしろ、その小さな背中にかかっているものの重さを、改めて感じたんです。
岩手県の奥地でだいたい10人兄弟の3〜5番めくらいに生まれた父(兄弟姉妹の半分くらいが子どものうちに亡くなってるのでいろいろ曖昧)は、中学校を卒業すると集団就職で上京し、小さな運送会社に入りました。最初は15歳で運転もできないので、助手として荷物の積み下ろしから始めて、18歳で免許を取って運転手になり、20代でその運送会社の社長の娘と結婚、30代で子どもが生まれ、それが私の姉と私になります。姉が生まれたあたりから、家族は会社のすぐそばに住むようになり、姉と私は毎日、祖父や父、社員の人たちが働く姿を見ながら育ってきました。
祖父の会社はオイルショックとかいろいろありながらも、高度成長期とバブル景気でそこそこに拡大、多いときは社員(「若い衆」と呼称)数十人を抱えるまでになりました。祖父は会社の仕事より、地元の運送業の顔役的なことをメインでやるようになっていたので、成り行き的に父が現場の切り盛りをしていました。
でも90年代、バブル崩壊以降は会社の業績が右肩下がりになり、銀行からも貸し剥がしを受け、頻繁に資金がショートするようになっていました。高度成長期に「若い衆」だった運転手さんたちも実際はもう全然若くなく、平均年齢50歳くらいになっており、お子さんがいる人たちもたくさんいました。2021年の今と違って景気は悪く、ネット通販からのドライバー需要も発展途上で、万一倒産した場合、ベテラン運転手さんでも簡単に次の仕事が見つかる見込みはありませんでした。
これがドラマだったら、私みたいなネット企業で多少の経験積んだ娘が家業に乗り込み、会社をITで立て直し、引いては業界全体を改革していく…となりそうなところです。でも、そうはなりませんでした。まず私自身、いきなり乗り込んで何か改善できるという自信がなかったし、何ができるかもわからないのに親のコネで会社に入るなんて、社員の人たちに申し訳ないと思っていました。また祖父や父には、私に苦労をかけたくないという思いもあったのだと思います。
なので私としては、今にも倒れそうな会社というボロボロの自転車を、とにかく倒してはいけない、続けなきゃいけないんだという思いで漕ぎ続ける父を、ただただ後ろから、見守ることしかできなかったのです。
高価なスーツを着てスポットライトを浴びることもなければ、お洒落なレストランに部下を従えていくこともない父だけど、私はどんなに誇りに思っていることか。
西友からの帰り道、緑道にかかる橋をのろのろと上っていく父の背中を見ながら、パパの子どもに生まれて本当に良かった、と思いました。
ドラマを見た人向け。
大豆田とわ子の最終回を、何とな〜く家族に付き合って見ていた。
全編見た訳ではなく、家族が見ているときに脇で見る程度の関心の低さで。
最終回は丁度食後のコーヒーが欲しくなって、偶然いつもより長めに食卓に残っていたから、スマホ片手に半身でテキト〜に見ていた。
母がモラハラに怒って娘が「私が教育すればいい」って言うのは一昔前と立場が逆転していてこれはこれで令和だなぁ。
とわ子が「マー」宛てのラブレターを見つけたときも、ドラマならあるだろうな、と思っていた。
亡き母に父以外に愛してる人がいた、なーんてTSUTAYAで一棚にひとつはありそうだなとか考えてた。
けれど、唄がとわ子のことを「可哀想な人」と言ったのに対して、
画面のこちら側にいた家族が「なんで?」と一人言を言ったとき、
「あぁこの人は分からないんだ」
「分からない人がいるんだ」
と考えた瞬間に、私はとわ子に一歩近づいたのだ。
有り体に言えば、親近感を感じた。
という確信が揺らいだとき、大抵は自己肯定感が揺らぐものだと思う。
少なくとも私はそうだった。
自分は親の枷だったんだと感じて、生きるためのハシゴがバラバラと崩れたように思えた。
「親は私が生まれたことで仕方なくその役割を強制されてるんだ」はすぐに「自分はいない方がいいのでは?」という考えに変わった。
とは言ってもそれを理由に自殺しようとは思わない。自殺しない理由が1つ減ったくらいのもんである。だからこうして生きてスマホ見ながらドラマ見るとかしてる。長い人生の中どうせ出てくる絶望の1つだ。
マーに会いに行く二人の気持ちも分かった。
ハシゴを外されたのなら、代わりが欲しくなる。
「そりゃそうしたいよね」と他人事に思った。
「マー」さんが女性だと分かったとき、ぶん殴られたようだった。
「共感しなければ良かった」と思った。
なにしろ、
加えて言えば、母は父の恋愛対象ではなかった。
(私の父は女性であろうと何だろうと「父」であり、私にとって「父」は固有名詞なので父と呼ぶ)
とわ子の「あなたのことが好きだったんですよね」という問いに、
「マー」に「もちろん」と即答されたとき、
目の前が真っ暗になった気がした。
「マー」が簒奪者のように感じた。
「どうして産んだのか」という問いに、時代のせいだとマーが答えかけたとき、足元から自分が崩れていくように感じた。
「あなたは仕方なく生まれたよ」と言いかけられたように感じた。
「ごめん」とマーに謝られたとき、ホッとした。
言いきられなくてホッとした。
という言葉に救われたのは私だった。
「それで正解だった」と言われて救われたのは私だった。
現実の私が救われたのだ。
「私」を選ばなかった方の「父」に
誕生を祝福された気がした。
投げ捨てたくなったのも本当なんだろう。
でもそれを選ばなかったのも本当なんだろう。
ストンと納得した。
足の裏に地面の感触がした。
うちは家族全員ぶん皿をわけてる。私んちの父が食い尽くし系で、弟にも食い尽くしを許してたせいで、母と祖母と私と妹はあまり食べられない暮らししてたから。
夫も父ほど酷くないけど食い尽くし系なので、皿分けないと夫ばかり食べちゃって、他の家族がどんだけ食えてないかわかんないから皿分けることにした。
やっぱり皿を分けるのは、自分のぶんはこれだけっていうのが分かるから、ある程度の抑止力にはなる。
でも、ご飯のお代わりとか、おかずが足りないと文句言いながら冷蔵庫から納豆とか一人分サイズの充填豆腐とか、次々勝手に出してきて食べちゃうという問題は残る。
食後に一人でコンビニ行って、なんか飲み食いしてから帰って来たりもしてるようだし。それは小遣いの範囲内だろって言われたら終いなので私は文句言わんでいるけど、それで小遣いのほとんどを些細な飲食に使っちゃって、月末にはお金足りなくなったってせびってくるんだから、これはこれで問題なんだけどね。
不満に思うならそんな男と結婚すんな、なんでそういう男だって結婚前に見抜けなかったんだよって話だけど、結婚当時の私は人を見る目0のアホでボーッとした小娘だったというのは認めざるを得ない、つらい。所詮21歳大学生(夫と付き合い始めた当時)なんてそんなもんだろという気も今となってはするけど。
子供がいないうちは、夫に食い尽くされることなんか真面目に考えなくても済んでしまった。ただ、私が父と弟の食い尽くし被害者だったから、将来は家族一人一人の分が確保された家庭を作るのが夢と思ってたので、特に夫がどうとか関係なく、食事の皿を分けていた。なんとなく、うちのエンゲル係数高くね?(夫の満腹する量にあわせて飯つくってたから)と思ってはいたけど。
ところが、子供ができて大人と同じものを食べるようになってから、夫が皿を分けると洗いものが増えて大変だろと言い出した。それは優しいといえば優しい言葉だったのかもしれないが、いざ大皿に家族全員ぶんよそって出すと、夫は私どころか子供のぶんも考えずに食べたいぶんだけバクバク食ってしまう。そして自分の気に入らないものには一切箸を着けない。そんなことになってしまって初めて、夫も父と同じ食い尽くし系なんだなって……たぶんそれ以前にも気づくべき時はいくらでもあったんだろうけど……子供の取り分がなくなる危機感を持った時に初めて思い知った。それで、うちの食卓は家族一人ぶんずつ皿を分けるのが掟化した。
里芋とネギは近い区画に植えられたことで、どちらが家族の寵愛を受けるのかで度々論争になった。
里芋は甘く煮付け、すりおろしても美味しく、ふかしても美味しいわれこそ食卓を飾るべきだとまくし立てた。
ネギも負けてはいなかった。薬膳にもなり、薬味にもなり、夏にも活躍し、冬に煮付けてもうまく、漬物の友にもなるわれこそが食卓にふさわしいと里芋を攻め立てた。
畑の主人が寝入ってから議論は続き、ついに朝日が出る頃にはトマトも参加して一発触発の事態となった。
引くに引けなくなった三者の軍勢は朝日と同時にトランペットをかき鳴らし、それぞれの土地と食卓を守るべく進軍を開始した。アリシンを含むネギは強かった。その殺菌効果により里芋の土地を荒らしてゆく。トマトの根が持つ毒素も強かった。しかし里芋にはしぶしかなかった。しかしぬめり成分ムチンはしばしばネギを足止めした。これもネギには有効であったが、トマトにはさほど効かなかった。トマトの実はもともと完熟状態であった。かくしてネギの土地はトマトの実でグジュグジュになり、トマトの土地はアリシンで辛味あふれる地と化した。里芋の地もアリシンとトマトの毒素で荒れ果て、遠征に出たそれぞれの根や実はその無残な死体を晒すことになった。
翌朝、寝ぼけながら出てきた主人は荒れ果てた農作物を見て、ああ、イノシシが来たな、と思っただけだった。
しかし、その日も暮れて主人が寝静まると、農作物たちはそれぞれの土地の縮小を理由に聖地奪還と称して争いを繰り広げた。栄養を栄養で洗う戦いは続いてゆくのだ。
「研究所流出説」を甦らせた素人ネット調査団、新型コロナの始祖ウイルスを「発見」!|ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
武漢研究所は長年、危険なコロナウイルスの機能獲得実験を行っていた|ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
ニューズウィークが新型コロナウィルス(SARS-CoV-2)の武漢ウィルス研究所(WIV)起源説をぶち上げているがひどくお粗末だ。
なぜお粗末かと言うと、ほぼデバンク済みの『コロナウィルス人工説』である上にその中でも完全に粉砕されている『RaTG13起源説』を提唱しているからである。
RaTG13は新型コロナウィルス(SARS-CoV-2)と最も近縁だが、これをいじってSARS-CoV-2を作ったという主張は既に反証済みなのだ。
詳しく説明しよう。
SARS-CoV-2とRaTG13のゲノムの相同性は約96%。しかしそれでは遠すぎる。
SARS-CoV-2の最も近い親類は、武漢ウイルス学研究所に保管されていたRaTG13という名前のコウモリウイルスです。このウイルスがSARS-CoV-2の起源であるという根拠のない憶測がいくつかあります。
ただし、
(i) RaTG13はCOVID-19が最初に発生した武漢(湖北省)とは別の省(雲南省)からサンプリングされました。
(ii) SARS-CoV-2とRaTG13の間のゲノム配列の相違のレベルは、平均50年(少なくとも20年)の進化的距離に相当します。
実際、Boni et al. (2020)の推定ではSARS-CoV-2とRaTG13が共通祖先から分岐したのは約39~71年前であった。さらに言えばSARS-CoV-2とRaTG13は祖先と子孫ではなく同じ祖先をもつ兄弟である。
研究室でRaTG13を培養して進化させてもSARS-CoV-2にはならないし、仮になり得るとしてもそれにはうん十年かかる。
WIVがRaTG13を見つける前、何なら研究所設立前から培養してなきゃいけないねえ。
Gain-of-Function research (GOF,機能獲得研究)には培養だけでなくゲノムを切り貼りしたキメラウィルスを作製する方法がある。これだ!
ゲノムを組み替えてキメラウィルスを作った場合、組み替えた部分だけ違っていて他のゲノム領域はほぼ同一になる。仮に組み換え後に培養を経ても変異の分布に痕跡が残る。
しかし、RaTG13とSARS-CoV-2の相違(変異)はゲノム全域にわたりほぼ均等に分布している(Zhou et al., 2020)。これはRaTG13のゲノムを組み替えてSARS-CoV-2を作ったとする主張の決定的な反証である。
これはRaTG13に限った話じゃないが、SARS-CoV-2は近縁のコロナウィルス(CoV)が持っていない特徴をいくつも持っている。
やつのスパイクたんぱくのRBD配列は2019年時点では他に類似の配列を持つものがいなかったし、フューリン多塩基切断部位とO-結合型グリカンも近縁のCoVでは見られなかった。
仮にSARS-CoV-2を研究室で作製するなら、これらの当時未知だった特徴をどうやって組み込んだのか説明できない。
意図的に組み込んだのではなく、培養中に進化して偶然できたと答えようにも、2020年に野生動物(センザンコウ)から発見されたCoVのもつRBD配列はSARS-CoV-2とほぼ同じだったという事実が立ちふさがる。
研究室の選択圧のもと進化した配列が、自然環境下で進化してできたそれと偶然一致するのはまずあり得ない。
あり得たとしても、『自然環境にはSARS-CoV-2に類似した特徴を持つ未知のCoVが色々いる』可能性の方がはるかに高い。
以上から、RaTG13に限らず当時の地球においてSARS-CoV-2を人工的に生み出すためのバックボーンウィルスを人類は持っておらず、このウィルスは自然環境下で進化したものだと考えるのが妥当である(Andersen et al., 2020)、と言うわけだ。
『RaTG13起源説』は科学的に完膚なきまでに粉砕されている陰謀論である。
“証拠がない”ではなく“否定する証拠がある”レベルの仮説である。WIV起源説に好意的な研究者ですら肯定していない。
ニューズウィークの記事の前編のタイトルは『「研究所流出説」を甦らせた素人ネット調査団、新型コロナの始祖ウイルスを「発見」!』であるが、『RaTG13はSARS-CoV-2の始祖ウィルスではない』という科学的事実の前には滑稽と言うしかない。
“「研究所流出説」を甦らせた”と言うのも嘘で、最近のWIVへの追及は『研究所経由説』とでも呼ぶべき新しい(本当は古いけど陰謀論に隠れて無視されてた)説による。
ニューズウィークの記事の前編も後編も、あれが怪しいこれが怪しいと疑惑をてんこ盛りにしていたが、その怪しさを全部『RaTG13起源説』に紐づけしたせいで、台無し。
過激な陰謀論がピックアップされてしまえば、類似のしかし陰謀論とはとても言えない“あり得る仮説”でさえ、十把一絡げに陰謀論扱いされてしまうという危機感を持ってほしい。
『RaTG13起源説』みたいな糞陰謀論で『研究所経由説』をつぶそうとするのはやめてくれ。
Andersen et al. (2020)やLiu et al. (2020)、Hakim (2021)など、SARS-CoV-2を研究室内で作り出すのは合理的に考えれば不可能であることがわかり、初期の雑い陰謀論(含『RaTG13起源説』)はだいたい駆逐された。
そのおかげで『ウィルスは自然起源だが拡散にはWIVが関わっているかもしれない』という元々あった穏当な仮説が台頭してきた。
SARS-CoV-2は野生動物に起源をもつが、WIVの研究員がそれを武漢に持って来たかもしれないと言う説です。厳密に言えば研究所起源の説ではありません。
最近の、WIVを追求する流れは主にこの説が念頭に置かれています。
SARS-CoV-2の起源に関する現在の最有力な仮説は以下ですが、
宿主(起源):祖先ウィルスの宿主。人との接触が少ない野生動物。コウモリが有力。
↓
中間宿主:人との接触が頻繁な動物。ウィルスを媒介するほか、感染中にウィルスが進化する場合も。SARSの時はハクビシン(有力)、MERSの時はラクダ(確信)、COVID-19では……?
↓
ヒト集団
中間宿主のポジションあるいは中間宿主とヒト集団の間のポジションに“研究員/研究所”を置いたのが研究所経由説です。
『ウィルス探してフィールドワーク。コウモリひしめく洞窟で、SARS-CoV-2に感染して武漢に帰ってきました』と言うわけです。亜種として『サンプルをラボに持ち込んでから流出しちゃった』バージョンもありますが大意は変わりません。
この説の利点は『まったく無理がない』ことです。ウィルス学的なエビデンスと競合することもなければ未知のウィルスをでっちあげる必要もない。
ウィルスに感染しているかもしれない動物やウィルスを含んでいるかもしれないサンプルを採取する立場の人が、その途上でウィルスに感染したかもしれないと言うのは非常に合理的な考えです。
もちろん、食卓に並ぶべく中国各地で採集された野生動物たちによって武漢の生鮮市場にウィルスが持ち込まれた可能性も当然あります。
あるいはミンクなどの家畜の群れでウィルスがサーキュレートしていたかもしれません。
たまたま山歩きをしていた市民がコウモリとバッティング(激うまギャグ)して感染した可能性もあるでしょう。
重要なのは、これが“あり得る仮説”であり、検証が可能であることです。
そう、検証が可能なのです。中国側が研究所職員・学生の血液サンプルや、武漢の血液銀行のサンプル(19年12月より古いやつ)を提供してくれれば、非常に多くのことがわかるはずです。
WIVの職員が皆陰性であれば、選択肢が一つ消え、他の仮説がより確からしくなります。
陽性であれば、その陽性者の行動を追跡することでわかることが多々あります。野外採集には行かず生鮮市場を訪れていれば、感染源は市場かも知れません。野外採集に行っていれば、その行先に祖先ウィルスがいるかもしれません。
あるいはWIVとは関係なく12月よりずっと前からCOVID-19が蔓延していたことが明るみに出るかもしれません。
WHOは19年12月よりずっと前に武漢でCOVID-19のような症状を出した人を見つけました。それも90人以上。
アメリカはWIVの職員3人が11月にCOVID-19のような症状で入院したのを明らかにしました。バイデン大統領は継続調査を求めました。
今、中国やWIVに対しての批判とはつまり、検証への非協力への非難であるともいえましょう。
何故データを出さないのか?出しさえすれば否定できる仮説に対して、何故データを出さずに否定しようとするのか?何を隠しているんだ?HEY!!
『研究所経由説を選択肢から外しはしない』という各国の研究者やWHOの声明は、ほっかむりは許さんぞという宣言なのです。
野生動物起源一本やり(WIVの関与は無視)にすると、どうしたって武漢の血液データへの追及は弱まりますからね。
親愛なるブックマーカー諸氏におきましては、同じラベルでも中身は違いますので糞(『RaTG13起源説』等)も味噌も一緒くたにしてしまわないようお願いいたします。
自分も30代女性。10代の頃は父親に揶揄されるのが嫌で男っぽい格好をしてたり、化粧覚えるのも遅かったりして普通の女性みたいになるまで時間がかかったタチだけど、いまは普通のOLに擬態してる。
服
なんかよくわからなかったけどロングスカート履いてみるところから始めた。今は丈長めが流行ってるし、膝下〜くるぶしくらいの布多めスカート履いておけばなんとなくスタイルは隠せる。上半身は逆に自分の体型ギリギリの無地の服着てれば大体OK。腕に肉がついててもそんなに気にならん。上下どちらかを白or黒にしたらあとは何着ても許される気がする。(白T+ベージュスカートとか、青ブラウス+黒スカートとか)
体型
髪
長いなら半年にいっぺん美容室に行くといいけど、3ヶ月に一度くらいいくと、お手入れしてる感じがあって楽しい。染めてないならもっと長いスパンで問題なし。剛毛なら縮毛すると楽らしいけど気恥ずかしくて私はやったことない。アイロン覚えると身支度の幅が広がる。
脂質
化粧してるなら化粧落とし、そうでないなら洗顔を丁寧にやってほしい。時間は15秒くらいでいいから手のひらであっためた化粧落としか、洗顔の泡で端から端まで洗ってくれ。ちなみに洗顔料泡立てるの面倒だから買うのは泡のまま出てくるボトルでいい。あとは化粧水だけよりはクリームだけのほうがいいから、めんどくさいならオールインワンか、ニベアクリームを買うといい。古いのだけは使うな、1年使い切れなかったら捨てて新しいの買ってほしい。
体毛
ただ10万払ってできる範囲で脱毛できるなら楽ちんすぎて世界が変わる。
いまはセルフでも有能な機械がいっぱいあるから光脱毛器買うのもいいよ。
インスタント味噌汁に海藻とか卵とかトマトをぶち込んだりすると他の栄養素とれた気持ちになる。
余裕があったらキャベツかレタスちぎって食べるか、玉ねぎスライスすると食卓が豪華になって楽しい。
運動習慣
えらい。
毎日回してるの素晴らしい。
化粧
好きじゃないなら無理しなくていいと思うが。
血色がいいと自分のテンションがあがるからチークと色付きリップ塗るのおすすめ。
セルフケアは、無理なくできる範囲でやることがいいと思うから自分のテンションがあがることだけやるのがいいと思うよ。自分をケアできてない!って罪悪感があるなら、まずは髪をトリートメンしてみるとか洗顔長めにやってみるとか、いい匂いのシャンプー買ってみるとか、やりやすいとこから手をつければいい。好きなことするのが1番だよ。
冷製パスタのレシピを見て、「ああ、いいなー」って思ったけど旦那が前に冷製パスタを作るなって言っていたことを思いだしげんなりした
旦那は食べられないものが多くてこまる。辛いもの、もずく、スーパーのさしみ、ドライカレー、魚卵ほんと色々
以前、コープのミールキットのルーローファンを食卓に出したら「まずい」と言っていたのにコープのTVCMにルーローファンが出てきてそれを見た旦那が「あれ、おいしそう」って呑気に言ってて私が「あれ、あんた不味いって言ってたじゃん」って突っ込んだ
作ってもらった料理をまずい、食べたくないって言う方は簡単だけど、言われた方はメンタルがズタズタになるんだわ
旦那が作った料理がおいしくないと思ってもそれをストレートに言ったり、不愉快な顔をしたりしない
シチューを作ったときにジャガイモが溶けてドロドロになってても顔色も変えずに黙って食べた
そうすると、グラタン皿にバターを塗ったりする手間が増える…とか作る人の手間のことをわかってないから好き勝手言う
鶏肉と玉ねぎとほうれん草のグラタンにしようとしたら「マカロニを入れろ」と言う
マカロニ茹でる手間が増えるし、残りのマカロニを消費しないといけなくなるのわかってますかあなた
マカロニって少量売りしてないよ
自分に食べたいものをあるなら、自分で作るべきで、家にごはんを作ってくれる人がいるのなら、ごはんを作ってくれる人に全部任せたらいいのよ
弱者男性問題の解決に必要なのは雑誌クロワッサンだとわたしは確信しています。「家事が軽くなる道具と工夫」とか「冬の食卓ラクしておいしい97品」とかがモテない男性を救います。誰かがおれを愛してくれないかなとぼーっと思い煩うより自分の生活を上げましょう。— はまりー (@travis02130213) April 30, 2021
anond:20210522002724 ふむふむ。
容姿...170cm80kgデブ、塩顔ブサメン、丸坊主、両耳にピアス
生活...1k8畳5万、部屋きれい、シャワー3日に1回、掃除・洗濯は最適化済
仕事...一人親方、貯金300万、今年度の推定年収100万円未満
趣味...ドカ食い、アル中、ネトゲ、Youtube、2chまとめ記事、はてな、読書
友人...男友達多め、女友達ゼロ (話はするがヤりたくなるので本音が出ない)
sex...年に数回異なる素人とノーマルなやつ。性処理は毎日
etc...アル中亭主関白な父親から母への心理的DVに声を押し殺し続けた日々。他人が怒られる、不機嫌だと喉が締まる後遺症
(1)好みの女性がたくさんいて"わし"が大きくなった p.12
(2)ゴリラ禍でも優しくてマメで面倒見が良いオスがモテる事がわかった p.86
(1)好みの女性がたくさんいて"わし"が大きくなった p.12
アンケートに協力してくれた38組の買い物上手たち
30代以上の女の顔写真が1ページにワサッと。きれいな女を見ると頑張ろうと言う気になる、コイツらとクソやりてぇから努力しよ
(2)ゴリラ禍でも優しくてマメで面倒見が良いオスがモテる事がわかった p.86
類人猿飼育者とカラス研究者の対談。動物と人間の習性の類似性について。このクロワッサンで最高の記事
その他にも
ハシブトカラス(そこら辺にいるカラス) の「カア」という単発の鳴き声は、周波数の種類が個体ごとに決まっているので、おそらく声を聞けばほぼ誰なのかわかるんです。
世界観が変わって良き
紹介記事の文章「あなたの生き方はあなたにしか通用しない」でポチ
p.12「38人のオシャレな生き方」から p.93 「あなたの生き方はあなたにしか通用しない」の流れが最高
たまーにシュワシュワくるキムチが無性に食べたくなる。でも甘辛い or 塩辛いキムチばかり
市販品でシュワシュワキムチに出会えない。いつも期待して買い、食ってはガッカリした
甘酒ということは、塩麹でもいけるな。一生市販のキムチを買わずに済む
シュワシュワキムチ
欲しいもの特になかった。40になって物増やす気になれん。厳選する段階
同じくなかった。
ターク製の鉄フライパン載ってたが、キレイ好き>料理好きなヤツは生活の質が下がる
毎回の油ならしでキッチン周りが中華料理屋の臭いを放つようになる
食器も床もトイレの扉も洗濯機もベタベタ、換気扇フィルターは半月で油まみれ
そんなもん未来のオシャレさんにすすめんなクソ
・クソポエミー
Amazon Alexaのアラーム音が鳴り、カーテンが自動で開く(Switch Bot)。朝日と共に起床。コーヒーメーカーが自動でコーヒーをドリップし始める(スマート全自動コーヒーメーカー+Style)。
キッチンでトーストをトースターにセットし、風呂へ。シャワーの湯を出す。パジャマと下着を脱ぎ、パジャマは即座に洗濯機へぶちこむ。
シェービングクリームを塗ったくり、髭を剃る。泡のついた顔のまま、シャワーの下へ立つ。頭を濡らしながら、全身シャンプーをボディスポンジで泡立てる。この間にシェービングクリームが落ちる。
髪→身体の順で洗う。秒数を数えながら立った状態で洗うことでつい時間をかけてしまう事態を防ぎ、2分以内にシャワーを完了することができる。
洗濯機に取り付けた「洗濯機前ラック(towerシリーズ 山崎実業)」から大判フェイスタオル(東急ハンズで購入)を手に取り全身を急いで拭く。洗濯機の上のラックからエアリズム(UNIQLO)のシャツを取り出し着る。パンツと靴下を手に持ち、トイレへ。
排便しながら、靴下を履き、パンツを足首にセット。トイレに置いたドライヤー(Panasonic)で髪を乾かす。髪が乾いたら、尻を拭き、トイレを流す。立ち上がりながらパンツを履く。
コーヒーをマグカップへ注ぎ、皿にラップを貼る。トースターからトーストを取り皿に乗せる。冷蔵庫からレタスとゆで卵を出す。
ボールに水を張ってレタスを洗い、ゆで卵の殻を剥く。使い終わったボールは簡単に水ですすいでシンクの横の壁にかける。片手に朝食、片手にコーヒー入りのマグカップを手に持ち食卓へ。
手を合わせ、いただきますという。朝食が始まる。
タイマーによってテレビが自動でつく。はなかっぱを見ながら、コーヒーを飲む。
皿とマグカップを持ってキッチンへ。ラップは剥がしてゴミ箱へ。マグカップで水を汲み、ほ?のりコーヒー味のする水でコンサータを飲む。マグカップとコーヒーサーバーを簡単に洗う。マグカップで水を汲み、コーヒーメーカーのタンク入れる。空のコーヒーサーバーを所定の位置に、洗った皿・マグカップは濡れたままトースターの上へ。
明日の朝食の準備が整う。
洗濯機の上の棚にかけたハンガーから、形状記憶シャツ(1200円/枚)を取り、着る。ボタンを閉めながら玄関へ向かう。
玄関のコートかけからスラックスを取り、履く。と同時に、玄関先の全身鏡で寝癖をチェック。寝癖が有れば玄関のドアにマグネットで貼り付けたワックスを手に取り、整える。
シューズボックスの上の棚で充電して置いた仕事用のスマートフォンでその日の天気・気温を確認。腕時計をつけ、気候を考慮してジャケットを着、傘を持つ。
シューズボックス上の棚に置いた、ガムボトルから歯磨き用のガムを出し、口に放り込む。
スマホで鍵を閉め、駅まで歩く。カーテンを閉めるテレビ・照明を消すなどが自動で実行される。
だいたいこの時間に駅に着く。ポケットからさっきむしりとった日めくりカレンダーをだし、噛んでいたガムを包む。7:45分の電車に乗る。
自席のPCの電源をつける。会社のゴミ箱にガムを捨てる。歯磨きセットを持ってトイレへ。歯を磨き、排尿する。席に戻り、その日のタスクを確認する。
始業。はてな匿名ダイアリーにアクセスし、増田を書く。
実家暮らしで去年からテレワークをしている。ずっと座りっぱなしだからか腰に違和感があり、去年から整体に通い始めた。
先日、整体に出かけて、出かけたついでに母の日のプレゼントやら洋服やら必要なものを買ってから帰った。すると帰宅するなり父親が開口一番怒鳴りつけてきた。
正直に「整体と買い物。母の日のプレゼントも買った」と伝えたら、「どっちも行かなくても死なないんだから、行くのを控えろ。食料なら近所のスーパーで買えばいい。余計な外出でコロナをうつしたらどうするんだ。今は医療が受けづらい。俺のような高齢者の死亡率を知っているか。まだ死にたくないんだ」と捲し立てられた。
父曰く、整体なんてものは普段から運動とストレッチを欠かさず行えば行かずに済むものらしく、母の日のプレゼントも「余計なもの」らしく、洋服も「買わなくても死なないもの」らしい。
実家暮らしである以上、家族を慮って外出を控えることは当然であり、半日にも満たない外出であっても非常識らしい。
家族のことを考えろという点についてはわからないでもないが、我が家は夫婦間の冷戦がずっと続いており、家族で食卓を囲むことはまずあり得ない。使う食材や調味料も母・私と父とで分かれているほどの徹底っぷりだ。冷蔵庫のスペースだって明確に区切られている。
父と会話することも年に2,3回あればいい方で、「一つ屋根の下にいる他人」という認識の方がしっくりくる。それが、このコロナ禍、何回目かの緊急事態宣言中に急に父親ヅラをし出したのがおかしかった。
何より、「自分が死にたくない」という気持ちが一番で、「コロナにかかったら若者だって重症化するかもしれない」とか、娘である私に対する言葉が一切なかったことに違和感があった。
70歳オーバーの父は誰がどう見ても高齢者であることに変わりはない。感染時のリスクが高い、確かにそうだろう。だが我が市ではもうすぐワクチンの接種が始まる。高齢者から優先的に。
父の言い分では、俺がワクチンを受けたらお前は好きにしろ、ということなのだろうか。
私が実家に留まっているのは、以前母が倒れたことがあったからだ。今は回復している。その時父親は母に対して何もしなかった。「家族」なのに。
せめて母の面倒だけでも、と思っていたが、父親が怒鳴る顔を見てなんだかどうでも良くなった。父との喧嘩はもう数え切れないくらい起きているが、今回「早く出て行け」とまで言われたから、留まる理由が薄らいできた。
コロナ禍の中、引っ越しのためにあちこちの内見をするのもそれこそ感染が怖いから嫌だったのだが、もう家を出ようと思う。今後介護のために戻れと言われても無視をしよう。勝手に死んでくれ。お金なら出すから介護サービスを受けて欲しい。
それと母は離婚を希望してるんだから、早く印鑑を押して欲しい。怒鳴り散らして自分のことしか考えていないあなたのことなんて、誰も愛していない。
買い物に行って、スーパーに入っているケーキ屋さんの前を通った時にふと5号のホールケーキに目が留まった。
今まではっきりホールケーキの値段を知らなかったけど3千円くらいだった。
みんなが誕生日にケーキを食べていると知って、欲しくなって自分も親にねだった記憶があるが、一度も買ってもらったことはない。
自分も兄も大学院まで奨学金なしで行かせてくれたし、父は余ったお金で晩年別荘を建てている。
欲しがれば望遠鏡だって買ってもらえたと思うけど誕生日にケーキは買ってくれなかった。
今考えてみると誕生日にケーキを買う意味を見出せなかったんだと思う。
わざわざそうめんを流して食べたり、誕生日に切られてないケーキが食卓に並んだりする経験も大切なんじゃないかなと、ふと思った。
それだけ。別に両親を恨んだりはしてない。
うちも現在猫4匹、全部元野良を室内で飼ってるますが、置き餌にしていつでも好きなだけ食べれるようにしておくと、一週間もしないうちにテーブルや台所にある食べ物に手を出さなくなりますよ。
食卓に乗るなど、されて困ることがあれば、その瞬間に大声で叱るようにしましょう。どんな猫でも、やっちゃダメなことはすぐ覚えます。
水は大きめの給水器で1日2回チェンジ、餌皿は1日1回洗う、トイレはちょいちょい見廻ってウンチとり、とある程度清潔さを保つことだけを心がけて、あとは猫の好きなようにさせておくと、なんというか生活の中に溶け込む感じで、当初ほど神経質にならなくなると思います。シャワーはごく稀にやりますが、お互いに大変な思いをするので、普段はたま~に全身丸ごとレンジでチンした蒸しタオルで拭いてます。
障子や柱を気にするなら、ガリガリウォールを頭数分用意して、爪切りすればそこそこ防げます。
あとこれは人それぞれですが、そこまで外に出たがる猫で、もし戻ってこないようなことになっても、それはそれで運命と割り切る、という考え方もあるかと思います。
放し飼いにすることでご近所トラブルがあるとしたら庭にウンチとかだと思いますが、まあ田舎だと土地広いし、そもそも野原があるのでそっちですますことが多いはずです。
それに庭にウンチされてても、たぶん気づかないw
といいますか一昔前は放し飼いのほうが当たり前だったわけで、そうでなければどうやって繁殖するんだという。
外から帰ってきた時の汚れが気になる場合には、特に良い方法はありませんので、あしからず。外飼いしているうちって、農業やってたりとかホントに田舎のところが多いから、そういうのあまり気にされないんですよね。自然と共に生きてる感じ。
まあいずれにせよ、あまり神経質にならないのが肝かなと。そのうちお互いに無理なく共存できるバランスに落ち着くんじゃないかな。
たぶんお前たちは自分ちで作ったチャーハンがべちょべちょだったのがトラウマで、その反動で極度にパラパラなチャーハンを求めるようになったのだろう。
お前らのチャーハンメンタルが弱ったところにネットの悪い奴らが忍び寄ってきて、こうささやいたに違いない!
と……
いいか正気に戻れ、落ち着いて近所の中華料理屋か、大阪でも餃子のでもなんでもいいから王将に行ってチャーハン頼んでこい。そして観察しろ。そうすれば気付くはずだ。
もちろんべちょべちょでもないんだが、それに比べて卵かけごはんチャーハンのパラパラ度合いは「やりすぎ」だ。パラパラになるのはなるんだろうが、その代償かのようにパッサパサになる。
ほんっとにパッサパサ。マジでパッサパサ。でもみんな気にしない。「べちょべちょじゃない」というだけで満足してしまう。ダメだ。そこから抜け出せ。あれはあれであんかけチャーハンとかに使うといいんだが、単なる具を混ぜただけのチャーハンであればパッサパサ過ぎて食うに困る。
べちょべちょチャーハンがトラウマになったせいで「お店のチャーハンはこんなんじゃなくて、とにかくパラパラの、もうめっちゃパラパラで、パラパラなんだ!」と思い込んでしまった人間による妄執の果て。それが卵かけごはんチャーハンだ。
ちょい固めのご飯を炊いて、鍋に油をたっぷり入れてカンカンに熱してから溶き玉子を先に入れて、そのあとすぐ白飯を放り込んでお玉の背中で米を均すように炒めると、まあ味付き中華ご飯ぐらいにはなる。悪いこと言わないからこっちにしておけ。
チャーハンとペペロンチーノの話題は荒れるとわかってはいるが、ただパラパラなだけのボソボソしたチャーハンを錬成して食卓が気まずくなってしまうのは忍びない。悪いことは言わん。卵先混ぜ式はもうやめろ。
漁港の街で私は生まれ育ち、私の両親の友人には多数の漁業関係者が存在した。私が幼い頃は、父も本業の合間にパートタイムで彼らの漁船に乗っていた。このため現在に至るまで、魚介類に関しては新鮮かつ上質のものを食べられると云う恵まれた境遇にある。決して裕福な家庭ではなかった(だからこそ父もパートタイム漁師をしていた)が、魚介類に関しては、近所の漁師のおじさんおばさんが呉れるもので事足りていた。おそらく私の実家は、金を出して魚介類を食べることはゼロに等しい。私が「わざわざお金を出してまで、外食で焼き魚を食べる気にならない」と言う理由は、これである。
はてなブックマークでは「増田は美味しい焼き魚を食べられる店を知らないのだろう」といった声も有ったが、そもそも「美味しいものを食べられるのは外食の店だけ」というのが、都市部居住者の傲りである。はてなブックマーカーは都市部居住の富裕層が大多数だから、良い魚介類を外食の店に行かなくても食べられるような「田舎の漁業関係者やそれに近しい人間」の存在など、頭に浮かばなかったのだろう。まるで、美術館で若い女性観覧者を見つけると、勝手に初心者だと決めつけてレクチャーを始める「教えたがりオジサン」のように。
このような美味しい魚介類を好きなだけ、たらふく食べられる境遇で育てられたため、魚の骨を綺麗にむしって余すところなく食べるように、私は両親から入念に教育された。これは現在でも変わらない。家族以外の人間との食事の席で、しばしば「骨格標本でも作るつもりか?」とドン引きされる始末である。頬肉を食べて眼球をしゃぶるぐらい、焼き魚を食べるならば普通のことだ。
非都市部の非富裕層で育てられたので「好き嫌いを言わず、食卓に出されたものは残さず有り難く食べろ」「食べ残しは二度の殺生」と躾けられた。だから私の前に出されたものは、全て有り難く食べる。それが礼儀である。仮に「郷里で食べられる新鮮かつ上質な魚介類」には遥かに劣るような代物であっても、である。そんな時でも、骨むしりマシーンとして育てられた私の習性は、遺憾無く発揮されてしまう。ボクサーが反射的にコンビネーションブロウを出すようなものである。
ボロボロ溢れやすい食べ物も勿論ちゃんと残さず食べる。単に「自分から進んで選択しない」というだけのことである。だから、食べ残しされた可哀想な三色そぼろは存在しない。安心して欲しい。
鮎はどうなのか?と言う声も有ったが、答えは一つである。頭から丸齧りして骨一つ残さず食べる。他にどうしろと言うのだ?鮎は、焼くだけでなく甘露煮も良い。
美味しい鮎だけでなく、現在の居住地では、妻の実家のツテでイノシシ肉、果物、米を食べる機会が多い。これらも当然「わざわざ外食で食べたくないもの」である。
最後に一つ、これだけは言っておきたい。
家に帰ったら、壁にそのような箇条書きがあった。
ある日、突然のできごとである。
これは何かと母に尋ねたら、父の貼り紙だと返ってきた。
これは何かと父に尋ねたら、毎日読みなさいと返ってきた。
幸いにして食卓での斉唱などを強要されることはなかったが、それだけだ。
父親の言動はあまりに急で、しかし箇条書きは剥がされることなく、日に日に行為は激化する。
そのような話を、わたしはそれまでに聞かされたことがなかった。
資産も家業も何もない我が家であなたは急に何を言いだすのかと、尋ねられたらよかったのだが、あいにく新品の条項には、父を敬い従うことが、はっきり提示されていた。
おじの家を訪ねては、
「これはおまえのおじの長男(二人姉弟の弟である)のものになる」
「これは長男である俺のものに、ゆくゆくは俺の長男であるおまえの弟のものになるということだ」
常日ごろ私に対して、つき従うことに向いていないとか、反抗的な精神性だとか、そうした評価を的確に下してきたわりに、今回のことが原因で私から見放されるとは、毛頭思いつくこともできなかったらしい。
大学進学を機に、私は弟か祖母の冠婚葬祭でもないかぎり帰らないと宣言して家を出た。
その間に、父は彼自身の実家とも、母の実家とも関係を悪くした。
父は三人兄妹の兄で、二人の妹がいる。
うち末の妹の息子たちは、たいそう祖父母に愛されていた。
漁港の街で私は生まれ育ち、私の両親の友人には多数の漁業関係者が存在した。私が幼い頃は、父も本業の合間にパートタイムで彼らの漁船に乗っていた。このため現在に至るまで、魚介類に関しては新鮮かつ上質のものを食べられると云う恵まれた境遇にある。決して裕福な家庭ではなかった(だからこそ父もパートタイム漁師をしていた)が、魚介類に関しては、近所の漁師のおじさんおばさんが呉れるもので事足りていた。おそらく私の実家は、金を出して魚介類を食べることはゼロに等しい。私が「わざわざお金を出してまで、外食で焼き魚を食べる気にならない」と言う理由は、これである。
はてなブックマークでは「増田は美味しい焼き魚を食べられる店を知らないのだろう」といった声も有ったが、そもそも「美味しいものを食べられるのは外食の店だけ」というのが、都市部居住者の傲りである。はてなブックマーカーは都市部居住の富裕層が大多数だから、良い魚介類を外食の店に行かなくても食べられるような「田舎の漁業関係者やそれに近しい人間」の存在など、頭に浮かばなかったのだろう。まるで、美術館で若い女性観覧者を見つけると、勝手に初心者だと決めつけてレクチャーを始める「教えたがりオジサン」のように。
このような美味しい魚介類を好きなだけ、たらふく食べられる境遇で育てられたため、魚の骨を綺麗にむしって余すところなく食べるように、私は両親から入念に教育された。これは現在でも変わらない。家族以外の人間との食事の席で、しばしば「骨格標本でも作るつもりか?」とドン引きされる始末である。頬肉を食べて眼球をしゃぶるぐらい、焼き魚を食べるならば普通のことだ。
非都市部の非富裕層で育てられたので「好き嫌いを言わず、食卓に出されたものは残さず有り難く食べろ」「食べ残しは二度の殺生」と躾けられた。だから私の前に出されたものは、全て有り難く食べる。それが礼儀である。仮に「郷里で食べられる新鮮かつ上質な魚介類」には遥かに劣るような代物であっても、である。そんな時でも、骨むしりマシーンとして育てられた私の習性は、遺憾無く発揮されてしまう。ボクサーが反射的にコンビネーションブロウを出すようなものである。
ボロボロ溢れやすい食べ物も勿論ちゃんと残さず食べる。単に「自分から進んで選択しない」というだけのことである。だから、食べ残しされた可哀想な三色そぼろは存在しない。安心して欲しい。
鮎はどうなのか?と言う声も有ったが、答えは一つである。頭から丸齧りして骨一つ残さず食べる。他にどうしろと言うのだ?鮎は、焼くだけでなく甘露煮も良い。
美味しい鮎だけでなく、現在の居住地では、妻の実家のツテでイノシシ肉、果物、米を食べる機会が多い。これらも当然「わざわざ外食で食べたくないもの」である。
最後に一つ、これだけは言っておきたい。