はてなキーワード: 食卓とは
誰にも話せないからここで吐きださせて欲しい。
場所は田舎。田畑があって、瓦屋根の木造住宅と新築の一軒家がバラバラと小さな集落をつくる、いわゆる農家の集落な趣。
そんな集落の傍に、場違いな頑丈そうなコインロッカーがある。名前を「赤ちゃんロッカー」。どういうわけかそのコインロッカーには好きに新生児を捨てて良く、どういうわけか好きに持ち去って良いことになっていた。
私は屋敷からコインロッカーを監視して、赤ちゃんが捨てられたのを見つけるとすぐさま回収して屋敷に持ち帰り、屋敷の主人へ届ける。屋敷の主人はそれを、倒錯した性衝動の吐け口として利用していた。
私は屋敷で小間使いをしていた。使い終わったそれを主人から受け取ると、私はその足で台所へ向かう。まな板に乗せ包丁を持ち、魚を捌くように胸元から陰唇へ刃を走らせ、潰れた内臓を掻き出し、しっかりと洗い、タオルで水気を拭き取る。処理が終わったそれを、屋敷の母へと渡す。
北関東民独特の感覚だと思うのだけど、栃木群馬茨城県民は互いに自分が上だと思ってる。
自分もその例に漏れず、栃木県こそ北関東のテッペンだと思っていた。
茨城県には親近感はあった。
あらゆる面で似てる。
他県からのイメージは栃木が餃子、茨城は干し芋くらいのもんだろう。
栃木県民だからって餃子が好きなわけでもなく、茨城県民だからって干し芋ばかり食べてるわけでもないが、他県からみたらそう思われてるのが現実だろう。、
製造業も、茨城は海、栃木県は東北道と東北本線東北新幹線と地理的には恵まれているのに、互いにパッとしない。
正直、HITACHIには嫉妬してるが、HITACHIは本社は東京だし、HITACHIをカウントしなければ栃木県の勝ちだ。それに、今は県民所得としても栃木県が上なのだ。
たぶん勝因は、茨城県民の自滅だと思う。茨城県民は怒りっぽく協調性がない。互いに足を引っ張りあってたから、平成の大合併まで村ばっかりだった。天狗党の乱から成長してない。
港を擁するからには、天下人を何人も輩出し東海地方を見習って欲しい。東海地方からトヨタホンダが生まれたのは偶然ではあるまい。
さて、前置きが長くなった。
故郷を離れて上京するまでは、群馬県のことなんてほとんど意識しなかった。
空気のような県であった。
海無し県の栃木県に生まれると、海水浴のために茨城に行くことはあるのだが(栃木の海浜自然の家は茨城にある。租借地みたいなものだ)、群馬とはとんと縁がない。
草津伊香保くらいは聞いたことがあるが、温泉など栃木県内で間に合ってる。
焼きまんじゅうとかいう具なしの小麦菓子があるとか、蒟蒻や葱を好むという情報は流れてくるが、別段憧れもしなかった。
群馬が総理大臣を多く輩出したことは知っていたが、その中に特に思い入れがある人物もいなかったので、コンプレックスを感じることもなかった。初めて群馬の地に足を踏み入れたとき、道の広さに政治家の力を感じたがその程度であった。
埼玉県民は蕎麦も食べない。蕎麦より小麦だ。未開人群馬県民みたいな食生活だった。
栃木県民は海無し県だというのに魚介類を好んで食べるというのに。
そしてロードサイドのヤマダ電機、栃木県の誇りコジマはすっかり埼玉から駆逐されてしまった。
カインズホームが群馬企業のベイシア系列と知った時は衝撃だった。
ベイシア系列のベイシア、カインズホーム、オートアールズ、前述のヤマダ電機、築地銀だこ、悔しいが強い。
一番好きで美味しいと思うのは専門店で食べるキリッと冷えたザルなのだが、立ち食いも好きだし自宅で食べるのも好きだ。
自宅で食べる場合特にやる気が無い場合は、温かい蕎麦がとても良いと思う。
自分はやる気がないダメ人間なのでやる気がないかけ蕎麦を作って食べる。その紹介をしようと思ってこの記事を書いた。
量販店で売っている乾燥蕎麦を使用する。好きなものを選べばいいのだが、やる気なく、だらけて、日常食として、あるいはおやつとして食べたいので、あまり高価なものは避ける。十割とかじゃなく二八とかそれ以下でも良い。
茹でながら汁も用意する。温水器の一番熱い湯で丼を洗いながら温め、そのお湯を入れて、さらにめんつゆの元を入れて、電子レンジに入れてさらに加熱で良い。
麺つゆのもとも好きなメーカーのものでよいのだが、市販のものは甘すぎなので選ぶのに苦労するかもしれない。味噌平醸造株式会社という会社の調味のもとという醤油?麺つゆ?をおすすめしたりする。市販の安い麺つゆとちゃんぽんしたり魔改造にも使える。
十分熱くなった麺つゆin丼に、ザルにとって一応流水で締めた蕎麦をぶっこめば完成だ。まごうことなきかけ蕎麦。
冬場は美味しいが、夏場だってクーラーになれた体には、これが以外なまでにウマウマなのだ。ダメ人間にとっては十分なご飯だ。安いし早いし。
注意点は、必ず一杯のみで作ることだ(なのでこの記事は単身者向けだ)。お腹が減ってるときでも手を抜いて2倍作ろうとかしてはいけない。おかわりがしたければ、一杯食べ終わったあとにもう一度茹でろ。それだけで味が随分保持される。
さて以上で本題は終わりなのだが、ある意味ここからが本編である。
ありとあらゆる不作法が許される自宅メシ。しかも単身者の手抜きメシともなれば宇宙を震撼させるようなやんちゃが飛び出すことは必定。
このかけ蕎麦に何を入れるべきか? について以降は記す。
なんで番外かといえば我が家では常備であり、かけ蕎麦ではレギュ具材であるためだ。乾燥わかめは大さじ一杯位を茹で上がり直前の蕎麦鍋にぶっこんで、そのままザル経由で丼に入る。七味は卓上でかける。
どちらも安物でかまわないが、七味は、案外足が速いというのは覚えておくべきだろう。高級七味だが古くなってしけっているものよりも、安い七味でも新しくて封切りのもののほうが香り高い。つまり、七味は買いだめしないで、どんどん使って回転させるべきだ。
あたりまえだよな。異論のある増田はおるまい。やすいし栄養価があるし風情もあるし、格好いい。食べ方には好みがあるだろうが、半分くらいそばを食べた時点で黄身を割り味変するのが好きだ。
本来ならここではネギについて書くべきだ。小口に切ったネギはたいていの蕎麦屋でかけ蕎麦に入っているし相性抜群定番だと思う。しかし、あれってものぐさダメ人間には結構面倒なのだ……。そのうえ単身者だと分量的にももてあますし。すまない。ダメ人間ですまない。
最近では刻んだネギも売っているが、風味や値段の面でコスパがさほど高いとも感じない。そんなブラザーにおすすめなのがかいわれ大根だ。
温かいそばにかいわれ?と思う諸兄もいるだろうが、気にせずどぼんしちゃってくれ。パックで3〜40円くらいだし、根っこを切って蕎麦の上に直接onすればよい。汁で温まってもその辛さは結構健在で、ネギよりも気の利いた薬味たりうる。
ほうれん草とか小松菜。最近ではなんか小洒落たロゴで京菜なんていう新顔が親戚ヅラで売られているので、それを混ぜてやっても良い。そばを茹でているときに、根っこだけ切ってひと掴み湯にぶっこんでやれば良い。
青菜とこの項は連結である。どんな意味で連結かというと、野菜も食べなきゃ健康に悪いよね、という罪悪感に対するアンサーとして同軸上の話題だからだ。まあおおよそアリバイ以上の意味はないのだが。
さて、キャベツとアスパラも青菜とおなじく茹で蕎麦にinして丼に合流すればOKだ。注意点としては湯で時間を考えて切るサイズを変えることくらいだろうか。
かけ蕎麦に野菜を入れるのは、その分量的な意味ではあり倍以上の意味はあまりないのだが、塩分的な意味では大いにアピールポイントがある。
というのも、アスパラなりキャベツなり青菜なりを一皿料理として副菜にする場合、ドレッシングでも鰹節醤油でもそれなりの塩分が発生してしまうのだが、かけ蕎麦の具材としてinされているのならば、余計な塩分追加がないからだ。
見過ごされがちだがこれは大きな利点だと言えよう。
野菜シリーズにおける注意喚起という意味で上げるのが白菜だ。合うかと思ったら全然ダメ。水が出てしまって味がひどくぼやける。お勧めできない。
前項の塩分理論にしたがえば、しゃぶしゃぶ用の豚肉なんかもありだ。同じように茹で蕎麦と同鍋調理でよい。料理の上手なひとには、アクが出るから別鍋でとか言われると思うが、ダメ人間が手抜きをしたいのだ。50グラムくらいまでなら同じ鍋でいいよ、我が赦す。
惣菜コーナーで買ってきたコロッケを食卓でかけ蕎麦にスクランダーin。冷たいままのコロッケでも良いぞ。
この項目は本来天ぷらの地位だと思うのだが、手抜きかけ蕎麦に安い天ぷらよりも、同じ値段ならコロッケのほうが美味しいと思う。
コロッケにしろ天ぷらにしろ手作りで揚げたてを用意しようなんて真人間はこの記事の対象ではないのでマウント取らないで下しあお願いします。
熱い蕎麦汁にコロッケの衣が解けてコクが出るのは、冬蕎麦におけるひとつの正義だ。手慣れてきた諸兄は、ときに野菜コロッケ、ときにカレーコロッケなどといったさらなる不作法を繰り出しても良い。でもクリームコロッケは合わないぞ。
他にも紹介したい具材は宝竜黒蓮珠のメンバーと同じくらいひしめいているのだが、案外文字数が書けない軟弱な日記なのでここで筆を置く。増田諸兄にはおすすめの追加具材をコメントでご教授願いたい。
うちの男どもはみんなキャンプバカで、私が小さい頃から、兄ちゃんもお父さんもおじいちゃんも、しょっちゅう仲間たちとキャンプ場に数日籠もっては、別人かってくらい日焼けして帰ってきていた。
お父さんの取引先?が持ってる山奥の豪華な別荘地に泊まる年とかもあって、
あとで写真とか動画を見せてもらうと、めっちゃ綺麗なコテージ。テントもピカピカしてて、楽しそうな雰囲気ではあるのだけど、
「じゃあメグも来るか?」と言われると、酒飲んで騒いだり、踊ったり、時には号泣するようなノリにはついていけないかな…と思ってしまう。
今は部屋で絵を描いてる方が楽しいし、私だって子供なりに友達付き合いとかあるし。
コロナになってすぐ、おじいちゃんがゲーセンで感染して入院してからも、残った二人はキャンプ活動を続けていた。
お母さんは心配そうにしてたんだけど、5月のある日、仕事から帰ってきたお父さんが嬉しそうに「今年はうちの庭でやることになった」と宣言したのを聞いて、とうとうキレる。
「うちの庭って、この庭でしょ?」
お母さんにつられて窓から薄暗くなった庭を見てみる。
広く見積もっても車2台も入らないと思う。私は聞く。
「何人来るの?」
「でも、キャンプファイヤー実際に見たら…感動するよ?」
という訳のわからない弁解に、工場勤めから帰ってきた兄ちゃんが「それは確かにそうだ」と同意しだしてバカが一人増えるけど、看護師として働くお母さんは理路整然と撥ね付ける。
「誰かがウイルス持ってたらどうするの?検査は簡単にできないし、ワクチンも間に合ってない状態で、集団感染しないようにキャンプする方法を提示できる?できないよね?もし感染したらおじいちゃんの面倒を見れなくなるし、私も仕事できなくなるよ?」
「キャンプの間、窓を締め切ってれば安全なんだよ!そのためにリーダーが完璧なマニュアルを」
「ちょっと待った」
「なんだよ」
「……『リーダー』って誰よ」
その後の両親とバカ兄の喧嘩とも呼べないようなやり取りによると、お父さんは数年前から「キャンパーズ」なるグループの一員になっていたらしい。
取引先やら飲み友達やらのキャンプ好きが集まって、毎年誰かの家や別荘とかでキャンプを開く、15人程度のサークルで(このあたりで兄ちゃんが「やべえ!」と叫んで会話が中断)、遂に今年のキャンプ地をうちが勝ち取った、それはとても名誉なことだし、今更覆せないと、お父さんは主張している。
「いや違うけど」
「取引先でもないんだよね?」
「だからさっきから言ってるだろ、行きつけのバーのオーナーで」
「じゃあ断れるでしょ!」
「だから!ウチの理事も通ってる店で、理事の友達なの!このキャンプがうまくいったら、確実に出世できるんだって!メグの進学とか……あるだろ?」
いきなり私の名前を出されてお母さんが黙り込み、グダグダだった空気に気まずさが加わる。
「…私はいいよ、大学行けなくても…このままでも」と私は言うけど、私の本音を知っているお母さんは何も言わない。
「感染とか金は心配しなくていいから…絶対家には迷惑かけない。お前はいつも通りにしていい。きっといいキャンプになるよ。な?」
お母さんを抱きしめながら言うお父さんに、兄ちゃんが泣きながら頷いている。
私は誰とも目を合わせられない。
◆
近所で感染者数が少しずつ増える中、1ヶ月後に控えた庭キャンプの準備は着々と進んでいる。
後で兄ちゃんから聞いたら、お父さんはキャンパーズに「うちの庭は狭いけど、キャンプには最適で、家族も大歓迎と言っている。そして何より病床の父に希望を与えたい」と、だいぶ話を盛ってプレゼンしていたらしい。
てか兄ちゃんもいつの間にかキャンパーズのメンバーになっていた。
キャンプで得られるサバイバルの知恵とか、協力することの素晴らしさとかを、食卓で私やお母さんに毎回説明してくるようになったけど、キャンプそのものを否定しているわけではないことに、兄ちゃんは気づかない。
テントなどの資材がメンバー持ち込みじゃなくて全部うち負担だったことが発覚して、両親の喧嘩は激化する。
庭キャンプまで残り7日。
夜中、部屋で新しいペンタブを試していたら怒鳴り声がして、リビングに行くと、お母さんがテンティピの高級テントをケースから出して、裁ちバサミで切ろうとしていた。
「やめろ!」とお父さんが止めに入るけど、かんたんに撥ね飛ばされる。お母さんも長年の病院勤務で腕っぷしは強いのだ。
「これ、リーダーのために買ったんでしょ」静かな声でお母さんが言う。「キャンプが終わったらリーダーにプレゼントするって、ケンから聞いたけど」
「あいつ」
「いくらしたの?」
「………」
「領収書見せてよ。あるんでしょ?」
右手のハサミが反射でギラリと光る。
「…わかった。キャンパーズの事務所に置いてあるから、明日持ってくる」
「……………」
「わかってくれよ…このキャンプで、きっと我が家はいい方向に進むんだ。メグの未来のために、な」
「…私をダシにしないで」
気づいたら口が勝手に動いていた。
「お父さんがキャンプしたいだけでしょ…?そんな高そうなテントとか、ピカピカのウッドデッキとか、バーベキューセットかいっぱい買ってきて、それも全部私のため?私の夢とホントに釣り合い取れるの?」
「………」
「知ってる?クラスの皆、うちのことでヒソヒソ言い合ってんだよ?友達も遊びに誘ってくれなくなったし、フェイスブックで『殺人キャンプ一家』とか書かれて、すぐ先生が言って消してくれたけど…夏休みじゃなかったら、私…」
絶対泣きたくないと思ってたのに、出てきた涙は止まらなかった。
「もう夢とか言わないよ…キャンプなんてやだよ…」
お母さんが私の肩を抱いてくれるけど、お父さんは「絶対大丈夫だから。お父さん疲れたから」とか言いながら2階に行ってしまって、私は追いかけられない。
翌日、お父さんが会社に行ったまま帰ってこなくなる。
その夜キャンパーズからの連絡で、お父さんが胃炎を理由にキャンパーズを脱退したことを知る。
「もしかしたら癌かもしれない。続けられないのが無念でならないが、息子のケンが立派に後を継いでくれる」と言ってたらしいけど、癌は多分嘘だ。会社にはどっかから律儀に通っているらしく、後日フェイスブックで、ステーキを美味そうに完食してるのを撮られていた。
責任を押し付けられた兄は、父を恨むこともなく、よりキャンプ一筋になる。
当然家からお金は出せないので、付き合ってる彼女に借金を無心して、即座に振られる。かわいかったのに。
◆
残り5日。
兄は「感動キャンプのライブ配信」を掲げてSNSでクラウドファンディングを呼びかけるけど、このご時世でのキャンプなんて世間の理解を得られるわけもなく、その日のうちにバッシングをドバドバ浴びる。
でも、一部の好事家が結構な額を出してくれたらしく、リーダーからTwitterで褒められた兄ちゃんは泣いて喜ぶ。
残り4日。
「キャンパーズ」が金持ちの道楽趣味で、中流階級から搾取しているみたいな大げさな記事もあって、反対意見が飛び交う中、「環境に優しい取り組み」「SDGsにも沿っている」「悪と断じるわけにはいかない」みたいな支持コメントもあって、兄ちゃんがまた泣く。
残り3日。
「キャンパーズって、金持ちもそうでない人も、男も女も、どんな人種でも、誰でも参加できるキャンプを目指してるんだ」
最近女性メンバーが増えたキャンパーズが、ネットで脚光を浴びたのをきっかけに、世間に顔向けできる団体になろうとしてるらしい。
「だったら庭キャンプを中止してよ」と言いたいけど、兄のまっすぐな瞳を見上げて私は黙ってしまう。
兄ちゃんはすぐ泣くし鬼バカだけど、長年見てきてたから純粋なキャンプ愛はわかる。
何があっても一つのことに打ち込む姿はかっこいいと思うし、だから私も叶わぬ夢に追いすがっている。
「メンバーにメグのこと言ったら『大歓迎する』って」
「…窓から見てるだけじゃだめ?」
「うん…全然いいんだけど、キャンプファイヤーって実際に皆で囲んだ方が感動が大きいからさ…返事は当日でも良いよ」
そう言って兄ちゃんは買い出しに出かけていった。
残り2日。
リーダーがやってくる。
アウトドア派とは思えない、ゆったりとした体格で高そうなスーツに身を包んだリーダーは、玄関で私たちに深々と頭を下げる。
「この度は、ここをキャンプ地としてくれて、ありがとうございます」
兄ちゃんが例のテントを抱えて持ってくると、リーダーの隣りにいた使用人みたいな人が受け取って、なぜかベンツのトランクに載せる。
それを確認したリーダーがうちの中を眺めながら「僕はどの部屋だい?」と聞いてきて、お母さんと私は「は?」と声を揃える。
あのバカ親父は、リーダーだけテントじゃなくて、部屋に寝泊まりすることを約束していたらしい。
お母さんは出ていった父の部屋を掃除して、ついでに父がキャンプの度に持ち帰ってきた古い雑誌コレクションをすべて処分する。
キャンプ前日。
おじいちゃんが死んだ。
「葬儀はキャンプ後に執り行って欲しい」というリーダーの頼みを、兄ちゃんは断れなかった。
お父さんに連絡すると「安全面を考えて明日のキャンプファイヤーには参加しません」という謎メールが返ってきて、私はすぐ削除する。お母さんは手続きや仕事で疲れて寝込んでいる。
◆
キャンプ当日。
朝から兄ちゃんは資材チェックや芝刈りを一心不乱にやっている。
隣近所の住民たちは、コロナ感染を恐れ隣町に行っていて、いつも以上に静かだ。
夕方、我が家の庭に、リーダーを含む8人の男女が集まってくる。メンバー20人の半数以上が参加を辞退したらしいけど、それでもウチの庭には多すぎるような。
兄ちゃんに負けないくらい瞳がキラキラしているメンバー達は、準備していた資材をものすごい速さで組み立てていき、1時間もしないうちに庭がキャンプ場になる。
空間を無駄なく活用して、コンパクトなテントや炊事場、キャンプファイヤーが整然と並べられていくのを、窓越しに眺めながら思わず「凄い」とつぶやく。
この日から連休を取ったお母さんは、時々メンバーの人にお水をあげたり、手伝ったりしている。せっかくの休みなのに、お母さんは本当に偉い。
そんな様子が兄ちゃんのスマホ越しにインスタライブで配信されていて、1万人くらいが見ている。
やがて日が暮れて、キャンプファイヤーが始まった。
メンバーはそれぞれ、おしゃれな服に着替えて火を囲む。マスクもカラフルだ。
兄ちゃんは既に泣いている。勝負服のジャージはダサいけど、揺らめく炎に照らされてなんとなく様になってる。
昔はお父さんと一緒にキャンプしていたお母さんも、この時だけは幸せそうに火を眺めている。
私も参加しなきゃと思うけど、恥ずかしくて窓を開けることができない。
「皆さん、第20回キャンパーズ定例キャンプへようこそ。この場所に集ってくれたすべてのキャンパーに感謝を伝えます…」
それからしばらくの間、コロナとか社会情勢とかキャンプ用品に関する話が続くけど、死んだおじいちゃんの名前は一回も出てこない。
「…そして今夜、新たなキャンパーが私達の仲間に加わってくれます。メグ!」
ウトウトしてたところで名前を呼ばれて、驚いて目を開けると、火を囲む皆がこちらを見ているのに気づく。体がビクってなったの見られてたかもしれない。
「あなたは希望の象徴です。あなたの参加は、きっと世界中に勇気を与えることになります。どうぞ、共にこの火を囲みましょう」
かなり大げさな歓迎ぶりは鼻につくし、恥ずかしいけど、お母さんを見たら優しく頷いてくれるから、窓を開けようと思った時、リーダーが「さあメグ、立ち上がって」と言った後「ヴフッ」と笑うのを見て、私は一気に冷める。
他のメンバーさんや兄ちゃんには悪いけど、こいつと同じ空気は吸いたくない。
「どうしたんだメグ?…っ今から、君のエホッ、キャンブがっハ、始ばるんだよゼヒ」
リーダーの声が、いつのまにか強烈な咳に変わっていて、振り返るとリーダーの顔が真っ赤に歪んでいる。
ていうか、溶けてる?
「窓をッ、バハ、開げでぅレん」
そのまま崩れるように倒れ、シュウシュウ音を出しながら溶けていくリーダーを見たメンバーから悲鳴が上がる。
「ゲホッ、何だこデべ、デュぼホッ…」
見ると、他のメンバーも咳き込みながら、倒れはじめて、お母さんが駆け寄る。だめ、お母さんも感染する。
「お母さん!」
「開けちゃだめ!!!」と叫ぶお母さんも、苦しそうだ。
庭を見渡したけど、兄ちゃんはどこにもいなくて、勝負服のジャージが脱ぎ捨てられたみたいに芝生に落ちている。
◆
2年前の冬、北欧で見つかった新型コロナウイルス「ALS-CoV」は、宿主の肺胞を溶解させてしまう、致死性ウイルスだった。
感染力は高いものの、寒冷地でのみしか発症例が無かったため、アメリカ南部では感染対策が結構緩かった。
体が頑丈だったおじいちゃんも新型を甘く見ていて、ニューオリンズ郊外のゲーセンで若い兄ちゃんとマスクをせず口論になった時にウイルスをもらって、肺が溶けて亡くなった。
そして、ルイジアナ州の一軒家で突然変異した「ALS-CoVζ+(ゼータプラス)」は、感染後即座に発症するだけでなく、内臓はおろか筋肉や骨組織まで溶かしてしまう最低最悪のウイルスだったらしい。
「らしい」というのは、私が入院中に看護師から盗み聞きしたり、SNSから拾ったりした眉唾情報だからだ。どうやらネットニュースやTVでは報道を差し止められてるっぽい。
でも私はこの目で見た。
きっと買い出しで熱い中毎日駆けずり回ってた超人的な兄ちゃんの体でウイルスが変異したんだと私は勝手に決めつける。
我が家周辺が封鎖されて数ヶ月後、ゼータプラス株の全身溶解現象は消え、ショッキングなライブ動画は「悪質な合成だった」という結論で、みんなすぐ追いかけるのに飽きていった。
残されたキャンパーズも解散、おじいちゃんの葬儀は私の知らない所で執り行われ、お母さんと兄ちゃんのお墓はどこにもないままだ。
私は、CDCの検査と手厚い補償を受けながら、病室で絵を描いている。
1ヶ月前、人懐こいマフィアみたいなおじさんがやってきて「ここに閉じ込めているお詫びがしたい」と、最新型のモジュールを持ってきた。
確かにそれも私の夢だったけど、私以上にその「足」を必要としてる人はいるはずだし、別に立ち上がらなくても、私は私だ。見世物じゃない。笑うヤツは溶けてしまえばいい。
◆
そういえば、50年くらい前、同じようなウイルス流行の真っ只中で、大々的なスポーツイベントを行って世界中から人を集めた国があったらしい。
それまでなんとか感染者数を押さえていたのに、そのイベントの影響で感染者数が爆上がりして病院がパンクしたとか。
きっと、その時も家族をなくして悲しんだ人がたくさんいたに違いない。
キャンプ当日の朝、兄ちゃんお母さんと3人で撮った写真は、ずっと枕元に置いてある。
◆
コロナ禍になって久しいが、最近、自分の家事の負担が大きいことで悩んでいる。家族4人分(自分含む)の洗濯・洗い物・掃除(各部屋・風呂・トイレ)のほぼ全てを私がやっているのだ。
本題に入る前に、自分の家が少し特殊な環境であることを説明しておきたい。
まず、うちは母子家庭なのであるが、母は精神系の病気で家事がまともにできない。
その症状は近年ますます酷くなっており、特に掃除ができず、我が家はゴミ屋敷になりつつあるほどである。リビングには彼女のものが散乱している。
そうなると誰が肩代わりしなければならないか?必然的に同居している誰かがやらざるを得ない。
下の方の弟(以下:下弟)は私とはずっと歳が離れているのであるが、障害があり、元から不登校気味だったのがコロナで加速し、四六時中家にいる。彼もゴミ屋敷化に拍車をかける存在で、家中に彼が引きちぎったプラ製のパックの破片が散らばっているほどである。
上の方(以下:上弟)は1年前に仕事をやめたのだが、なかなか次の仕事が決まらず、つい最近まで就活以外は家でゴロゴロするか遊び歩くだけの存在だった。
下弟は仕方がないとして、上弟は家にいる時間が長いのだから、家を片付けることにエネルギーを注げるはずである。
だが、上弟は家がどんなに散らかっていても見て見ぬ振りをし、全く片付けようとする素振りを見せないのである。
私と上弟は相部屋で、部屋にはドミトリーのように3段ベッドがある。上弟が寝る場所はその1パーテーションであり、昼夜を問わずそこに寝そべりながらスマホを弄っている。
私はその向かい側にある机で作業(仕事・勉強など)をすることが多いのだが、彼がスマホで見ているであろう動画の音声がイヤホンから漏れることもあり、正直かなり鬱陶しい。
「(自分のように在宅での仕事もなく)スマホを弄ってる暇があるなら家事をやれ」。最近、こうした文言の張り紙を彼の「定位置」に残した(口を利くのも嫌なので)。だが、状況は何も変わらなかった。
今度は家事を「洗濯」「洗い物」「掃除」などの項目ごとに分け、現状誰が担当しているかをリスト化したものを置いてみた。これで自分が何もやっていないことに気づくだろうと思いきや、何も改善される気配はなかった。
ところで、ここで我が家の食事風景について話しておいた方がいいかもしれない。
最初のほうで述べた通り、リビングは母や下弟のもので散乱しており、机も例外ではない。
当然、一緒に食卓を囲う「家族団欒」なる日常は失われて久しく、各自でバラバラの時間に食事を取っている。
では、その食事は誰が用意しているか?私の分は私自身で用意しているのだが、他のメンバーは上弟が買ってきたものを食べることが多い。
母は私が中学生くらいの時からご飯を作れなくなり、それ以降、食事は私や上弟がスーパー等で買ってきた惣菜を食べることが多かった。
現在、それはほとんど弟の役目(?)となっており、特に下弟にはよく自分が買ってきたもの(マックなど)を食べさせてくれる。たまに肉や魚を買ってきて調理することもある。
おそらく、彼はこれを「家事」と捉えているのだろう。だが、その後が問題である。彼は調理に使ったフライパンを洗ったりはするものの、自分が使った茶碗・箸・コップおよび惣菜の入っていたパック・ペットボトルといったゴミをそのまま流しに置きっぱなしにし、自分では洗わないのであ
る。
惣菜のパック等、いわゆる「プラごみ」については、汚れがついているものをそのままゴミ袋に捨てていたことが昔あったので、あとで私が洗浄するからそこに置いておけと注意したことがあった。
また、ペットボトルについては何故か水を溜めてシンクに放置するだけで、捨てる前のステップとして必要な水切りをする工夫が微塵も感じられない(最近ラベルは剥がすようになったが)。
だが、自分で洗う努力をしようとせず、未だに私に任せっぱなしなのは疑問である。彼はそんな私に負い目を感じる素振りも見せないどころか、次々とプラごみが出やすい惣菜・弁当を買ってくるばかりである。
また、彼は下弟が好きな餃子を焼くことが多いのだが、その際にコンロ周りに飛び散った油をそのままにしておくことが多い。こういった細かいこともストレスである。
そういえば、少し前にどこかの会社のインスタントラーメンのプロモーション漫画が炎上したことがあった。というのも、その漫画の最後では、妻が不在の間に夫と息子が出した(インスタントラーメンを作るのに使った)洗い物を帰宅後に洗わされていたからである。
まさにこの妻の気分が現在の私だ。
もしかすると、彼は家をホテルか何かと勘違いしており(←何もしなくても勝手に誰かが片付けてくれる)、私のことを召使いか何かだと勘違いしてるのかもしれない。
また、先ほど、母と上弟との間でこんなやりとりがあったのを耳にした。
母「(中身が飛び出て床に散乱しているティッシュケースを見て)これ、朝からあるんだけど何で片付ないの?」
上弟「は?知らんし」
母「気付いたなら片付けなさいよ!」
上弟「気づかないし。というか、あんたも気づいてたなら片付けろよ。矛盾じゃん!」
確かにこの出来事一つを取れば母は矛盾している。だが、母が本当に指摘したかったのは上弟がティッシュケースを片付けなかったことではなく、そういった見て見ぬ振りをする普段からの態度のほうではなかろうか?
彼はこの家の惨状に対して、「自分には関係ない」と感じているに違いない。
一体どうすれば彼は態度を改めて、自ら積極的に家事をやってくれるようになるだろうか?
掃除に関して、私は忙しくて手が回らないので、せめてそれだけでも率先してやってくれれば助かるのだが…
自律神経に不安を感じたら鉄不足や貧血の自覚あろうとなかろうと、
とりあえず鉄とっとくといいよ
https://kagurazaka-clinic.com/depression/
内科的疾患(甲状腺機能低下症、鉄欠乏性貧血、薬物性の疾患など)によって、表向きのうつ状態を引き起こすこともあり、適切な診断と治療が必要です。最近では、「鉄不足」がうつ状態やパニックを呈することがある事がわかってきました。この場合は、向精神薬よりも鉄剤を処方するほうが効果的です。
https://www.mdpi.com/2072-6643/10/11/1707
https://www.bibliomed.org/?mno=36434
[四季報 ONLINE] ヤクルトが大幅反発、「乳酸飲料がうつ病予防・治療に有効」と (2016/06/10)
ヤクルト本社(2267)が大幅反発した。11時02分現在、前日比220円(4.14%)高の5530円と東証1部の値上がり率上位20位以内に食い込んだ。
9日に国立精神・神経医療研究センター神経研究所との共同研究で、腸内の善玉菌が少ないとうつ病リスクが高くなることを世界で初めて明らかにしたと発表し、好感された。そのうえで、乳酸菌飲料やヨーグルトなどのプロバイオティクスの摂取がうつ病の予防や治療に有効な可能性があるとしている。
43人のうつ病性障害患者と57人の健常者の腸内細菌について、善玉菌のビフィズス菌と乳酸かん菌の菌数を比較したところ、うつ病患者がビフィズス菌、乳酸かん菌がともに一定以下であることが判明したという。
日本の精神科医ってものすごくレベル低そう・世界からクソ遅れてそうって偏見持っているけど
日本にはヤクルトがあるし食品メーカー(健康食品)も強いので研究費が降りるのだろう
脳腸相関が科学的に説明できるようになってきています
○ 脳腸相関とは?
機能性消化管疾患の患者さんを診療していて気づくのですが、おなかの症状だけでなく、眠れない、落ち着かない、頭痛、食欲がない、意欲がない、などの精神神経症状を訴えられる患者さんがたくさんおられます。
腸のせいで脳に影響しているのか、脳のせいで腸に影響しているのか難しい悪循環になっているように思えます。「脳腸相関」として医学的には以前からよく知られた現象として有名です。
これまで、便が軟らかくなりやすい下痢型の過敏性腸症候群の患者さんに対しては、「ストレスが原因ですから、生活などのライフスタイルを見直すことが重要です」といった説明をすることが治療の出発だったわけです。ところが、最近の研究によりこのような脳腸相関をある程度科学的に説明することが出来るようになってきました。
過敏性腸症候群の病態においては、腸内フローラの異常、短鎖脂肪酸などの腸内環境の異常により、腸から脳への信号伝達に異常が生じているようです。
消化管内腔の粘膜細胞に刺激が加わると、この信号は迷走神経下神経節を介して延髄孤束核へ、また、脊髄後根神経節を介して視床、皮質へ伝えられると考えられています。これが内臓知覚といわれるものです。この内臓知覚には消化管壁内に存在している内在性知覚ニューロンからの信号も関係していると考えられています。
特に、この内在性知覚ニューロンの情報伝達にはセロトニン3受容体(5-HT3受容体)が関与していると考えられており、過敏性腸症候群の下痢型の治療薬として5-HT3受容体の拮抗薬が著効することが証明され、臨床応用されています。腸内細菌のなかで神経伝達物資であるγアミノ酸(GABA)を産生する菌があることも確認されています。
この菌が少ない子どもは、行動異常、自閉症などになりやすいとされています。自閉症の子どもに対して腸内環境の改善による治療が試みられています。
ストレスの実験モデルとしてラットの脳室内にCRFを注入するモデルがあります。ストレス下で脳から腸へのシグナルの最初は視床下部の室傍核から分泌される副腎皮質刺激ホルモン放出因子(CRF)です。このCRFは、下垂体前葉の副腎皮質刺激ホルモン(ACTH)分泌を刺激し、ACTHは副腎皮質からの糖質コルチコイド分泌を刺激し、ストレスに対して適応する様々な生体反応を起こします。いわゆる視床下部-下垂体-副腎軸(HPA軸)といわれるストレス応答です。さらにCRFは下部消化管(結腸)の運動亢進を起すとされ下痢型過敏性腸症候群のモデルとして使用されています。
こういったCRF投与によるストレス負荷を受けた腸管では、平滑筋刺激による運動亢進だけでなく、腸内の細菌叢にも変化が生じるようです。脳内のストレスが腸管に何らかのシグナルを送り、細菌叢に働きかけているようです。ラットの実験ですが、CRFを注入する前にラットに水溶性食物繊維を前もって投与しておくと、この腸管運動亢進が抑制されることも見いだしています。つまり、様々なストレスに対して腸管内からのアプローチが可能になってきているのです。
私たちが脳で幸せを感じるもとになる「幸せ物質」のひとつがセロトニンなのです。このセロトニンが脳内で正常に作用すると、ヒトは前向きな気持ちを保ち、幸せを実感し、健康ですごせるとされています。
セロトニンが不足すると、怒りやすく、時間が経過してもそれを抑えられなくなり、キレやすくなるようです。
実は、このセロトニンは腸管で作られているのです。さらに、このセロトニンの生成に特定の腸内フローラが関与することが明らかになりました。
無菌マウスの血中セロトニン濃度が通常環境で飼育されているマウスに比較して低濃度であり、無菌マウスは落ちつきがなくなるようです。
このようなマウスを普通の環境に戻したり、乳酸菌などを投与すると、マウスは落ちつきを取りもどします。子どもの脳の発達には腸内細菌の働きが大変重要であるようです。
腸内細菌にはカラダにとってよい作用をする有用菌(善玉菌)と悪い作用をする悪用菌(悪玉菌)が競り合ってすんでいます。この種類の多くは7歳ぐらいまでの生活で決定されるようですが、その後も腸内細菌の種類、量は多くの因子の影響を受けています。図を見てください。現状で私が考えている重要な因子を並べてみました。
有用菌を増加させるために最も重要なものが食物繊維です。特に水溶性の食物繊維が大事です。
大便の80%は水分で、残りの20%は剥がれた腸粘膜細胞、食べ物のカス、腸内フローラです。「バナナ便」と言われるような健康な大便のためにはいろんな対策が必要です。
重要なポイントは、大腸で「発酵」といわれる反応を上手く導き出すことで、この発酵反応には、材料としての食物繊維と主役の有用菌の存在が必須なのです。ところが困ったことに、日本人の食物繊維の摂取量は年々減少して、最近の調査によると、成人の1日当たりの食物繊維の摂取量は男女ともに15gほどに低下しています。
10代、20代では10g前後と極めて少なくなっています。食物繊維を多く含む食材としては、野菜、芋類、キノコ類、海藻類、豆類などがありますが、洋食の普及と共にこういった野菜の摂取が減少しています。
玄米から精白米にする過程で食物繊維は6分の1程度に減少してしまいます。現在の日本人は平均で5〜10gの食物繊維不足と考えられます。発酵食品は世界各地で昔から食卓に並んできました。
日本でおなじみの納豆、酢、みそ、しょうゆ、日本酒、漬け物、ヨーグルトはすべて発酵食品です。これらの発酵食品の製造には、カビ、酵母、細菌などの微生物、いわゆる発酵菌の働きが必要です。
もっとも重要な作用は、このような発酵菌が腸内フローラを有用菌に変化させることと考えられています。ポリフェノールにより腸内細菌の有用菌が増加することも分かってきました。
太陽化学株式会社:食と健康Lab>学術コラム>脳腸相関が科学的に説明できるようになってきています
タイトル通りの内容です。多分というか確実に読みにくいです。
コロナ情勢の中で、陰謀論者が日本でも増えているとどこかで聞いたことはありませんか。
私の母も、この半年間で熱心な創価学会員から、反創価の陰謀論者になりました。
「ビルゲイツが世界を裏から動かしてるんだから」「ワクチンは打っちゃダメ!真実を知って」
学会員である前に私の母であった人は、いつの間にか家にとって有害な人間へと変貌してしまいました。
そんな地獄を生きている私に、同情でも優越感でもいいので何か置いていってくださいませんか。
誰かに相談したくて、でも地域の学会の人には言えないし、友人にはもっと言えない。
そんな苦しみに追い打ちをかけるように、母は熱心に語りかけてくるのです。
「ユニクロ、しまむら、GUの服はウイグル自治区の綿花を使っている企業だから絶対に買わないで」
「公明の山口は中国から多額の賄賂をもらってる。次の選挙では絶対に公明にいれないで」
母が陰謀論者になるまではあっという間でした。
今年の1月、公明党の関係者が政治資金で風俗通いをしていたニュースをご存知でしょうか。
入信から約30年、毎年三桁万を学会に寄付している熱心な信者であった母は、不祥事があったにも関わらずすぐにその関係者を辞めさせなかった山口代表に激怒し、公明党に対して不信感を持ちました。
昔の公明党はもっと庶民の味方だったのに、と毎日のように愚痴をもらしていたある日、1件のニュースが飛び込んできます。中国でウイグル族の虐殺が行われているという内容のものでした。
「世界平和」を掲げている宗教を信仰している母がこの話題に夢中になるのは、猫にちゅ~るを与えるようなものでしょう。
いつしかニュースキャスターの落ち着いた声やバラエティーの騒がしい笑い声とは程遠い、自称専門家の鬼気迫る解説が食卓で流れるBGMになりました。
この時点で止めればよかったのでしょうが、この時私は受験を控えており、自分の進路で精いっぱいの状況だったのです。
そして合否発表後、入学準備も終わってあとは最初の授業を待つ春頃。
母親からYouTubeのリンクが貼られたLINEが届くようになります。メッセージは一言、「聖教新聞社会面には、絶対出てこない、世界的ニュース。(原文ママ)」
そこから、こんなにひどいことをしている中国の習近平を、山口は国賓として招致しようとしている。きっと公明は中国と癒着しているに違いない。この真実を私たち家族に伝えなくては!
そんなあまりにも歪んだ思想を押し付けられることが日常になりました。
「情報の根拠は?」と聞いても「YouTubeにある!Yahoo!ニュースにある!」の一点張りで会話も成立しません。私と父親が説得しようとすればするほど、母は知的障害のある弟を道連れにする形で陰謀論にのめりこんでいきました。
新しい環境・生活に変わったストレスも合わさった私は自殺を考えるようになります。
ただでさえ幼少期から日本では腫れ物を扱うような、酷い場合だと嘲笑される「創価学会」のラベルが貼られた人生に悩んでいたのに、今度は「反学会者の娘」「陰謀論者の娘」のラベルも加わるのか。一生誰にも相談出来ない、理解してもらえないコンプレックスを背負っていくのかと毎日泣いていました。
5月終わりに、母に「死にたいと思っている」という自分の気持ちと、その原因、人間として生理的に嫌いになりかけている母親と顔を合わせることすら苦痛になっている、という旨の手紙を書きました。
一応腹を痛めて産み、浪人まで許してくれた親ですから、愛娘の率直な感情を形に残して見せれば、少しは目が覚めるんじゃないかという期待が半分。この手紙を読んでも変わることがなければ、本当に死ぬことで母に「お前のせいで死んだ」という一生の呪いを残してやれるという気持ち半分でした。
それを読んだ母は「ごめんね」と泣きながら謝り、手紙を渡した日からぱったりと私にそういった話題を振ったりURLを送ってきたりということをしなくなりました。
ちゃんと話をすれば分かってくれるんだ、前の母にだってきっと戻れると、精神的に追い詰められていた当時の私はあまりにも脆い希望を胸に、なんとか死を毎日考える日々から遠のくことが出来ました。
束の間の平和を謳歌している間に、1か月探し続けた進路に関わるバイトにやっとの思いで合格し、家を空けることが徐々に増えていきました。
この時点ですでにお分かりでしょう。リモートで授業を受けているため常に家にいる私が出かけている隙を狙って、母は陰謀論に関する動画をまだ見続けていたのです。
ワクチンについて色々な情報が飛び交っていたことも重なり、陰謀論者として母はどんどん完成していきました。
6月中旬に入ってくると、家事もせず大音量で「誰だお前」と言いたくなるような、妙に高圧的な態度で物申す男性の言葉に耳を傾け、以前から酷かった面前DVとも言える父との喧嘩も激化し、一方的に自分の思想を怒鳴り散らす母の姿がそこにはありました。
最初こそ「やめて」「それ聞くと気分悪くなるんだけど」、と都度声をかけていましたが、すぐに諦めました。前の母であれば聴くことはやめずとも音は小さくしていたのに対し、今は私や家族の言葉は無視してそのまま聴き続けているからです。
今回の都議選では、母の言う事を聞いてくれる、自己決定が出来ず母の決定に従うしかない弟を連れて、毎回入れていた公明ではなく自民に投票したそうです。テーブルの上に共産党のマニフェストが置いてあるのを見つけた時には「今度は左翼の娘のラベルがつくのか」と一周回って笑ってしまいましたが、一応民主主義国家の国民であることは忘れていなかったようで、少しだけ安心しました。
コロナワクチンはビジネスだ、絶対に打つな。若い女性なんだから絶対に打つな、子どもが産めなくなるなど毎日のように言うくせに、コロナウイルスを予防するどころか自らかかりに行くような、自分さえよければいいという自分勝手な行動を今回の旅行以前から繰り返す母に辟易した私は、生活リズムが基本的に合わない父との久しぶりの会話で「家を出たい、最悪縁を切りたいと思っている」と伝えました。
父の返答は、「自分も、お金に余裕があったら別居してたと思う。別居に関しては今も諦めていない。」でした。
さらに毎日のように母との交流があった地域の学会員の方からも、母は疎まれている事実を知りました。
ここで私はようやく、家が、家族が、とっくのとうに修復不可能な段階まで崩壊していることを実感したのです。
今、この日記を書きながらいろいろな家族の思い出が頭の中を駆け巡っています。
一緒にディズニーに行ったな。
私の誕生日に、当時自営業だった店を休んで全員でお祝いしてくれたな。
いろんなところに旅行に行ったな。
最後に家族で仲良く出かけたのはいつだったかな。思い出せないな。
スポーツで大会がある時、毎回家族みんなで応援してきてくれたな。
恥ずかしかったけど、同期に「いい家族だね」って言われた時、すごく嬉しかったんだよ。
「生まれてこなければよかった」なんて思う前は、確かに幸せだったんだよ。
確かに宗教やってたけど、悩みを聞いてくれて、落ち込んでるときは私の好きなもの作って励ましてくれた、私にとって世界でたったひとりの母親だったんだよ。知ってた?ママ。
要点掴んでないし、文章ぐちゃぐちゃだし、意味わかんない日記でごめんなさい。
もしもこの日記を読んでいる人がいたら、お父さんお母さんを大切にしてあげてください。
人によっては救いようのない親もいるだろうけど、そうでなくて、例え口うるさかったとしても、陰謀論を信じていないというだけであなたの親御さんは立派です。
どうしても自分の家族が嫌になったら、母親が元学会員の陰謀論者で、逃げたくても一生母親から逃れられないであろう弟が気掛かりで家から出られない哀れな女がこの日本にいたことを思い出して、それよりはマシだなと安心の材料にでもしてください。
例えそれが蔑みだったとしても、私が生きてきた意味が出来るならそれはそれでいいです。
https://anond.hatelabo.jp/20210703072536
フェミニストは、トイアンア氏に限らず、なんでも勝手に理想を抱いて勝手に持ち上げて勝手に絶望するのをやめろ。
そんなだからフェミニストで人気になった奴は「ちょっとでもぼろを見せたら仲間から撃ち殺される」と恐れて謝れない人間ばかりになってしまうのです。
フェミニストは実際の人間に期待するのをやめなさい。クロワッサンを読むのです
https://anond.hatelabo.jp/20210626212305
フェミニストに必要なのはクロワッサンだとわたしは確信しています。「家事が軽くなる道具と工夫」とか「冬の食卓ラクしておいしい97品」とかが憎悪を無くします。誰かを攻撃して自分が偉くなった気分に浸るより自分の生活を上げましょう。
フェミニストに必要なのはクロワッサンだとわたしは確信しています。「胃腸を整え、血流促進、太らない!健康スープ。」とか「猫の不思議。」とかが他人の評価から解放します。他人からもらういいねの数の中に自分の価値を見つけるより自分の生活を上げましょう。
フェミニストに必要なのはクロワッサンだとわたしは確信しています。「お腹ぽっこり改善プログラム」とか「やっぱり、猫は不思議。」とかがお金やはてなスターへの執着を無くします。拝☆主義に陥るより自分の生活を上げましょう。
フェミニストに必要なのはクロワッサンだとわたしは確信しています。「幸せに生きる人たち、それぞれのルール」とか「人生100年時代のしなやかな生き方。」とかが原罪から救います。罪に向き合わないまま生きるより自分の生活を上げましょう。
夫の義両親と同居させてもらって3年目。義父は80代。年上の夫と結婚したのもあり、30代の私からすると「お父さん」というよりは「おじいちゃん」といった感じだ。この義父がよくわけの分からないとを言う。
初めて言われたのは、まだ同居の準備で夫の実家と自分の家を行き来してた頃。夫実家での用事が終わって自分の家に帰ろうとした時に「帰るんか」と声を描けられたので「うん、また明日ね」と言って帰ろうと靴を履いていたら突然、先程とは全然違う口調で「外うろうろしてたら朝鮮のミサイルに狙われるぞ!」と言って来た。
いきなりだったので凄く恐かった。思わず無視して玄関を出てそのまま帰ったが、帰り道で「ああ、ボケてんのか」と納得することで落ちついた。動きもヨタヨタし、入れ歯が必要なのに普段は付けていないので妙に歪んだ口元をしている老人だ。そりゃボケてはいるかなと。
一緒に暮らし出したら、そういうおかしな発言をよく聞くようになった。内容は基本的に中国人か韓国人にキレているか、大昔の偉人にキレている。「(土地名)に行ったら中国人にだまされるぞ」みたいな感じだ。平安時代の天皇にもキレていたこともある。こういう発言をしている時はうなるように低い声でぶつぶついうので6割くらいしか聞き取れないし、こっちもちゃんと聞く気がないので、多分そんなことを言ってる…程度にしか分からない。(そういってる時の目は完全にいってんなぁといった感じなので、正気じゃないんだろうなと思う)一度、一橋がどうたら〜と言っていたので、一橋大学出身の有名人にキレてんのかなと思っていたら、よく聞いたら徳川御三家の一橋家のことだったのでさすがに笑ってしまった。テレビで見た情報と自身のオリジナル解釈での妄言らしいので、情報の真信憑性は勿論ない。
夫に義父はボケてるのかと聞いたところ、そういう発言は若い時からよく言っていたらしい。しかし、夫は3人兄弟の長男なのだが、兄弟では夫しか言わず、後は義母に言ってるらしい。その時点で、ある程度、人は見て言ってるんだなと思った。この義両親、明らかに長男の夫よりも下の兄弟たちの方を可愛がっているし、夫も子どもの頃から他の兄弟との格差を感じて育ったようだ。2人とも結婚して外で暮らしてはいるが、今でもビックリするような援助を義両親から受けている。援助事態は義両親のお金だし、嫁の立場でどうのこうの文句を言うつもりはない。しかし夫が一番不遇を食らっているのだけはよくわかった。そんな一番扱いが低い息子の嫁だから、こいつにも言っていいと思われたんだなと思っていた。
嘘の害のない情報だが、頻繁に聞いていると非常にうざくなってくる。よく夕飯時に言うが義母も夫もタイミングによればたまにキレてるが、基本は無視でスルーするようにしているので、それに習って私もスルーしていた。スルーしてても義母も夫も相当ムカついてるので場の空気が悪くなるのでごはんがまずくなる。
義母や夫がいる時はまだいい。私が一人でいる時は特に言われる確率が高かった。私は話しの内容よりも、ぶつぶつ唸るような口調が恐くて本当に嫌だったし、他にもイライラさせられることが多い方なので相乗効果でかなりムカついていたが、スルーするよう頑張っていた。
よく義父と単独でエンカウントするのが朝、仕事に行く身支度をするのでトイレに行くのに起きた時だ。朝のコーヒーを用意している義父がよくいる。普段からうざいなと思ってることを朝6時の起き抜けに言われるのは非常にこたえる。そうでなくても昔から私は寝起きの機嫌が非常に悪い。高校の修学旅行で起こしてくれた同室の友達にキレて泣かせてしまったことがある程だ。我ながらよく我慢してるなぁとは思ったが、ある日我慢できなくなった。
一応、朝に鉢合わせすると「おはよう」と挨拶をする。義父も「おはよう」と返してくれる。そして、その「おはよう」とは明らかに違った口調で「(土地名)に行ったら中国人に騙されるぞ」と唸った。その土地名は私が出勤する方向とは真逆の場所な上に、丁度その数日前に義父が明らかな詐欺に騙されかけて家族全員が止めてたところだった。騙されるのはお前じゃろうがい!!とブチ切れてしまった。
朝っぱらだったが、まーまーの声量で「知らんがな!!!!」と言い返した。ちなみに私自身もわりと見た目で舐められる方である。デブで丸くて色が白い上に、移住して15年くらい経つが今だに訛ってるらしい。実母の「女は愛嬌でどうにかなるから笑っときなさい」という教えが染み付いてるので、トータルでどうやらほわっとした優しい印象らしい。職場で「何言っても許してくれそう」とか言われたことがある(そんで失礼なことを平気で言うやつもいる)でも恋人にはわりとすぐキレる方だから、夫はそのギャップが相当恐いらしい。
多分、言い返した時に義父も恐かったようだ。言い返したすぐは、何かぶつぶつ言ってたいたが「だから何??」と強めに言ったら黙った。
その後、一人で居る時に言われることは無くなったし、食卓でも回数が減ったように思っていた。最初は丁度その頃、諸事情で義父の運動量が増えたので「やっぱ運動は健康にいいからボケにも効くんだな」と思っていた。昨日、仕事が終わって家に帰ったら義母が「も〜〜今日は暑かった!!」というので「暑かったね〜」と返したら「暑いし、お父さんは分け分からんことばっかりずっと言うから、もう気がどうにかなりそうだったわ」というのだ。
じじい、やっぱ人を見て言ってるだろう。私が恐くなったから言わなくなっただけのようだ。ボケてる老人ですら人を見てこんな態度なんだから、だいたいの人間、そうなんだろうなと思った。
薄暗い食卓
娘「ごちそうさま」母「まだ残ってるじゃない」娘「食べたくない」換気ファンの音ブゥーーーン
母「ちょっと恵美子!」娘「...」スタスタスタ階段タッタッタ
母「もう、あなたからもなにか言ってください」父「そういう年頃なんだろう...」外の電車ガタンガタン犬ワンワン
場面変わっていきなり外の景色
道路の車の爆音エンジン音ブオオオオオオオオオオオオオン!!ブロロロロロロロ!!
意味もなく黄昏れながら道歩いてる主人公を遠くから移す(歩いてるだけなのにやたら尺が長い)
中盤の修羅場シーン
父「なんか言ったらどうだ」母「・・・」
父「なんか言えって言ってんだろッ!!!」ガシャーンバリーンバキバキドゴォ
クライマックス感動シーン
当時私は24か25で、週末は友だちと会ったり、都心に買い物に行ったりすることが多かったんですが、なぜかその日は久しぶりに、父と自転車で西友に行くことになったのでした。買い物のためというよりも、恒常的に太っていた父の、運動のためだったかもしれません。
スーパーから家まで自転車で10分ちょっとの道、なんとなく父が先を走り、私が追いかけていく中で、自然と父の背中が目に入って、思ったんです。
あれ、パパの背中、思ってたより小さいんだな…と。
身長170cmちょっとに対し体重は90kg近くあり、どちらかというと「大きい」印象を与える父でしたが、背中を丸めてママチャリをこぐ姿は、食卓でビールとウィスキーと焼酎をちゃんぽんで飲んで管を巻いているときよりも、少し縮んだように見えました。
父はその頃60歳近いので、多少は本当に縮んでたのかもしれませんが、小さく見える理由はそれだけじゃないこともわかっていました。私が就職したことで、私のほうの見え方が変わっていたんです。
その頃はネットバブルと言われた時期の真っただ中で、私はそんな会社のひとつに、運良く入れていました。
そこは日本ではわりと大きな「ITベンダー」とか言われる会社の子会社だったので、親会社からエラい人が続々と天下ってきていました。でも当時まだ光ファイバーはおろかADSLすらほとんど普及してない時代、Windows 95が出てから数年って時代なんで、大手ITベンダー出身のはずのエラい人たちでも、じつはパソコンをほとんど使ったことがなかったり、せいぜいメールの読み書きができる程度だったりしました。そんな人たちがいきなり、ネットの会社の役員として送りこまれてくるわけです。しかも親会社はセミナーと称して顧客集めのイベントを開いて、子会社に送り込んだ役員を登壇させ、「ネットで御社のビジネスが変わりますよ」みたいな話をさせるんです。
そこで私がやってた仕事のひとつが、子会社に来て早々に付け焼き刃トークさせられる役員のために講演資料を作ることと、講演当日のカバン持ち(会場のプロジェクターにパソコンつないだり。当時はパワーポイントみたいな大きなデータを相手先に送るのも、容量制限でできなかったりしたのです)でした。私自身もその会社に入るまでネットにほとんど触ったことのないニワカだったので、資料作りといっても実際はもっとコアな先輩社員に依頼してネタ出ししてもらったりする、窓口的な役割です。
そんな、ニワカな私がニワカな役員をサポートする不安な構図だったんですが、講演はそれなりに(多分)好評で、親会社主催のものだけでなく外部のイベントに出張っていくこともありました。大きなホテルの「なんとかの間」とかの華やかな壇上で、スポットライトを浴びながらネットのビジネス活用を語る役員たちは、頭頂部が多少ハレーションしていても(だからこそ?)、いかにもエラい人っぽく見えました。エラい人「っぽい」だけでなく、ニワカであっても数百人を相手に堂々と話ができる、それは一朝一夕には身に着けられないスキルだと今でも思います。
大企業出身のエライ人たちはトークができるだけでなく、部下の扱いも丁寧で、いや私が若い女だからということもおそらくあったのですが、とにかくそういった講演サポート業務の後は、「お礼」と称して素敵なレストランなどに連れて行ってくれました。私はただ窓口になっただけなので、と言うと、じゃあネタ出ししてくれた人たちもみんなで、となり、ずいぶん大人数でごちそうになることもありました(それが会社のお金だったのかポケットマネーだったのかは不明)。
そんなわけで私の会社の人たちは、上司も先輩も同僚も、そこそこ大企業文化の中にいて、都会慣れしていました。「肩で風を切る」ってほどじゃないにしろ、少なくとも必要なときには背筋を伸ばして堂々と振る舞える、そんな人たちが、いつの間にか私にとっての「普通」になっていたのです。
それに対し父は、そんな平成っぽいスマートさとは無縁で生きてきました。そもそも、なぜ私が父を「パパ」と呼ぶことになったのかまったく理解できないような「おとっつぁん」的な風貌だし、人前で話す機会があるとしたら会社の朝礼か親戚の法事くらい、しかも話がムダに長くてつまらない、と家族の中で有名でした。素敵なお店なんか結界が張ってあると感じていたらしく、まれに家族旅行で伊豆のホテルに行ったときには、入り口から赤いじゅうたんが敷いてあることにおののき、「あのー、この、じゅうたんの上、歩いていいんすけ?」(いつも語尾がモゴモゴしている)と質問して失笑を買った、とか、ファミレスでアイスクリームを注文するときに、「フレーバーを選ぶ」という概念をまったく知らず、「えーこの、バニラ・チョコレート・ストロベリー・アイス、頼んます」と全フレーバーを読み上げたとか、そんなエピソードには事欠かない人なのです。
そしてその日も、うら若い娘とお出かけの機会だというのに、会社の作業服だか私服だかわからない、着心地だけが最高の服装で、ボロボロのママチャリに乗って、西友に行くくらいしかできないのです。
でも私は、だからといって、父の存在が恥ずかしいとか、引け目を感じるとかいうわけでもないな、とも思いました。
むしろ、その小さな背中にかかっているものの重さを、改めて感じたんです。
岩手県の奥地でだいたい10人兄弟の3〜5番めくらいに生まれた父(兄弟姉妹の半分くらいが子どものうちに亡くなってるのでいろいろ曖昧)は、中学校を卒業すると集団就職で上京し、小さな運送会社に入りました。最初は15歳で運転もできないので、助手として荷物の積み下ろしから始めて、18歳で免許を取って運転手になり、20代でその運送会社の社長の娘と結婚、30代で子どもが生まれ、それが私の姉と私になります。姉が生まれたあたりから、家族は会社のすぐそばに住むようになり、姉と私は毎日、祖父や父、社員の人たちが働く姿を見ながら育ってきました。
祖父の会社はオイルショックとかいろいろありながらも、高度成長期とバブル景気でそこそこに拡大、多いときは社員(「若い衆」と呼称)数十人を抱えるまでになりました。祖父は会社の仕事より、地元の運送業の顔役的なことをメインでやるようになっていたので、成り行き的に父が現場の切り盛りをしていました。
でも90年代、バブル崩壊以降は会社の業績が右肩下がりになり、銀行からも貸し剥がしを受け、頻繁に資金がショートするようになっていました。高度成長期に「若い衆」だった運転手さんたちも実際はもう全然若くなく、平均年齢50歳くらいになっており、お子さんがいる人たちもたくさんいました。2021年の今と違って景気は悪く、ネット通販からのドライバー需要も発展途上で、万一倒産した場合、ベテラン運転手さんでも簡単に次の仕事が見つかる見込みはありませんでした。
これがドラマだったら、私みたいなネット企業で多少の経験積んだ娘が家業に乗り込み、会社をITで立て直し、引いては業界全体を改革していく…となりそうなところです。でも、そうはなりませんでした。まず私自身、いきなり乗り込んで何か改善できるという自信がなかったし、何ができるかもわからないのに親のコネで会社に入るなんて、社員の人たちに申し訳ないと思っていました。また祖父や父には、私に苦労をかけたくないという思いもあったのだと思います。
なので私としては、今にも倒れそうな会社というボロボロの自転車を、とにかく倒してはいけない、続けなきゃいけないんだという思いで漕ぎ続ける父を、ただただ後ろから、見守ることしかできなかったのです。
高価なスーツを着てスポットライトを浴びることもなければ、お洒落なレストランに部下を従えていくこともない父だけど、私はどんなに誇りに思っていることか。
西友からの帰り道、緑道にかかる橋をのろのろと上っていく父の背中を見ながら、パパの子どもに生まれて本当に良かった、と思いました。
ドラマを見た人向け。
大豆田とわ子の最終回を、何とな〜く家族に付き合って見ていた。
全編見た訳ではなく、家族が見ているときに脇で見る程度の関心の低さで。
最終回は丁度食後のコーヒーが欲しくなって、偶然いつもより長めに食卓に残っていたから、スマホ片手に半身でテキト〜に見ていた。
母がモラハラに怒って娘が「私が教育すればいい」って言うのは一昔前と立場が逆転していてこれはこれで令和だなぁ。
とわ子が「マー」宛てのラブレターを見つけたときも、ドラマならあるだろうな、と思っていた。
亡き母に父以外に愛してる人がいた、なーんてTSUTAYAで一棚にひとつはありそうだなとか考えてた。
けれど、唄がとわ子のことを「可哀想な人」と言ったのに対して、
画面のこちら側にいた家族が「なんで?」と一人言を言ったとき、
「あぁこの人は分からないんだ」
「分からない人がいるんだ」
と考えた瞬間に、私はとわ子に一歩近づいたのだ。
有り体に言えば、親近感を感じた。
という確信が揺らいだとき、大抵は自己肯定感が揺らぐものだと思う。
少なくとも私はそうだった。
自分は親の枷だったんだと感じて、生きるためのハシゴがバラバラと崩れたように思えた。
「親は私が生まれたことで仕方なくその役割を強制されてるんだ」はすぐに「自分はいない方がいいのでは?」という考えに変わった。
とは言ってもそれを理由に自殺しようとは思わない。自殺しない理由が1つ減ったくらいのもんである。だからこうして生きてスマホ見ながらドラマ見るとかしてる。長い人生の中どうせ出てくる絶望の1つだ。
マーに会いに行く二人の気持ちも分かった。
ハシゴを外されたのなら、代わりが欲しくなる。
「そりゃそうしたいよね」と他人事に思った。
「マー」さんが女性だと分かったとき、ぶん殴られたようだった。
「共感しなければ良かった」と思った。
なにしろ、
加えて言えば、母は父の恋愛対象ではなかった。
(私の父は女性であろうと何だろうと「父」であり、私にとって「父」は固有名詞なので父と呼ぶ)
とわ子の「あなたのことが好きだったんですよね」という問いに、
「マー」に「もちろん」と即答されたとき、
目の前が真っ暗になった気がした。
「マー」が簒奪者のように感じた。
「どうして産んだのか」という問いに、時代のせいだとマーが答えかけたとき、足元から自分が崩れていくように感じた。
「あなたは仕方なく生まれたよ」と言いかけられたように感じた。
「ごめん」とマーに謝られたとき、ホッとした。
言いきられなくてホッとした。
という言葉に救われたのは私だった。
「それで正解だった」と言われて救われたのは私だった。
現実の私が救われたのだ。
「私」を選ばなかった方の「父」に
誕生を祝福された気がした。
投げ捨てたくなったのも本当なんだろう。
でもそれを選ばなかったのも本当なんだろう。
ストンと納得した。
足の裏に地面の感触がした。