はてなキーワード: 食卓とは
なんか、小さい頃は無条件で「ママ大好き!ママが言ってることだから正しい!」って感じだったけど、正直最近は母とは性格が合わないと感じる。
全部が嫌いというわけではない。むしろよく話すし一緒に出かけることも多い。
でも、自分の感情をモロ出しにしたり、自分の脳内で完結していることを話したり、それが家族にならば通じるし許されると思っているところが苦手。というか言っちゃえば嫌い。
明日は1限目、朝9時からオンライン授業がある。私は昔から低血圧で、中学生の頃なんかは毎日フラフラで大変だった。今は上手い付き合い方も覚えたし、昔よりも健康的な血圧になった。
でも母は「スマホで授業聞けるんだから、ソファで横になって授業を受けろ」と言う。
その授業はパソコンのソフトを使って課題を制作する感じのやつで、毎回授業ごとに課題を完成させて提出しないと単位が取れない。
だからスマホで聞いてるだけでは課題も作れない、ソフトの使い方も勉強にならない。
それを伝えても頑固でパソコン関連のことに弱い母には理解してもらえない。
心配してくれるのはありがたいけど、1限目に対面授業があるときには普通に登校してるんだからゴチャゴチャ言わないでほしい。
そんで、さっき「明日は何時に起きるの」と言われたので「7時半くらいかな」と答えたらめちゃくちゃ不機嫌に「ふーん」と言われた。
「リビングの電気消す?」と聞いたら「消してよ、もう寝るんだから」と傍若無人もいいとこな態度で吐き捨てられた。おやすみと言ったら無視。
たぶん、眠くてソファでスマホ見ながら殆ど意識ないみたいな状態のときに、私がトイレ行く音で目が覚めたから不機嫌なんだと思うが、何なんだそのひどい態度。私が一体何をしたの?
こういう、自分の機嫌や気分で周りに対する態度をコロコロ変えるところが嫌い。
きっと明日の朝にはケロッとしてる。そこもムカつく。
こっちはいつまでもモヤモヤしてるのに、あっちだけ忘れて何事もなかったのように振る舞う。
これを父に対してもやるので、家族で食卓を囲んでいただきますってときにやられるともう、空気が凍てつく。ご飯がマズくなる。
あと、話すときにも主語が抜けてて、急になんの脈絡もなく「食べないの?」とか「お金は?」とか言ってくるのもイラッと来る。そこで「何を?」とか「何の?」と聞いたら、まるでこちらが話を聞いていなかったかのように「〇〇のことだよ!」とか言ってくる。
そして地味に理不尽に感じるのが、イヤホンや作業に集中してるときに話しかけられたことに気が付かないと、ケツや後頭部を引っ叩かれたり、大声を出されたりすること。
母は生まれつきなのか後天的なのかは知らないが、片耳が聞こえづらいらしく、たまに近くで話しかけても気が付かないことがある。私は「聞こえづらかったかな」と思って一度声をかけてから本題を話したり、あとでもう一度話したりするが、母は自分がシカトされたら引っ叩く。キレる。
昔からこうだったのだろうか。覚えていない。
それとも加齢でこうなってしまったのだろうか。
まだ40代半ばだが、これからどんどん歳を重ねてもっとひどくなったらと思うと寒気がする。
もちろん初めはただの反抗期かと思っていた。でも、未だに母の嫌なところが目について仕方ない。
なんか、母が不機嫌全開なときでもいつも通りかそれ以上の明るい態度で接することに疲れた。女王と召使いみたい。
私も不機嫌に接していいだろうか。
でもそうしたらもっと不機嫌になるだろうな。
こうやって書いたら、はじめには全部は嫌いじゃないとか書いたけどやっぱり無理かもしれない。
少なくとも、こんな人が同じクラスにいたら絶対関わりたくないと思ってしまう。
なんかもう、ウザ。
私は15年ぐらい前に一か月ほど、そこに滞在していた。
誰かに話せるような事でもないが、思い出をここに書いておく。
そこで好みの子を選ぶ。いなかったら入れ替えでまた10人入ってくる。
何度入れ替えてもぞろぞろと女の子が入ってくる。何十人いるんだろうか。
最終的に一人を選ぶと、シャワー(とミニサウナ)付きの部屋に通される。
後はまぁ、いわゆるお決まりのコース。シャワー浴びて、ベッドに行って。
日本と決定的に違うと思ったのは「脱ぐとき何故か勝手に踊る」のと「やたらツバを吐く」の二点。
どちらも最後まで違和感があったけど、まぁ、慣れれば大した問題じゃない。
女の子の性格は本当にいろいろ。明るい子もいれば暗い子もいる。
中国語で一生懸命にコミュニケーションを取ろうとする子もいれば、カタコトの英語や日本語で頑張ってくれる子もいる。
私は出張で滞在していて、この「サウナ」システムが非常に気に入っていた。
性的な欲求うんぬんというより、正直いろんな女の子の様子が見られるのが楽しかった、というのが一番の理由だった。
そう、値段についてはやはり日本のソープなんかよりは格段に安い。
だいたいどこもAコースとBコースがあって、Aコースはモデル系の高身長美女って感じ。だいたい12000円ぐらい。
Bコースは街の可愛い子ぐらいの感じ。だいたい8000円ぐらい。
中国人男性の好みは「Aコース」みたいなんだが、私は圧倒的に「Bコース」の方が好みの子が多かった。
なので、ほぼ毎晩この「サウナ」に通って、中国のいろんな出身地の女の子と楽しく過ごしていた。
一番思い出に残っているのは最終日についてくれた四川省出身の子だった。
低身長でクリクリっとした目、そしてショートカット(サウナでは珍しい)の女の子だったのだが、この子がとにかく「萌えキャラ」だった。
日本の美少女アニメとかに出てくるキャラクター、もう本当にあれそのもの。
なんか話し言葉の語尾に「~にゃあ」と付くのがまず、萌えポイント。あれは方言か何かだったのか。
さらに圧倒的なドジっ子だったのが萌えポイント。私の頭を洗ってくれようとするのだが、背が届かない。
そこで私がしゃがもうとすると、そんな事しなくていいとジェスチャーする。
そして、バスタブの縁に立って頭を洗ってくれようとしたのだが、足を滑らせて落下。「にゃああ!」と言いながら。
で、そんなサウナライフの一方で、東莞の街には大量の「置屋」があったのでそっちも見学しに行った。
ここはどういう場所かというと、「サウナ」で働けなかった女の子たちが溜まっている場所。
「サウナ」で働くには厳しい面接があって、さらに「身元が明らかな18歳以上」というルールがあった。
そんな置屋の一つに入ってみる。太った黒シャツのおばちゃんが待ち構えていた。
英語っぽい言葉で「あんた日本人?日本人だね?じゃこっちだ!」と腕をつかまれ、どこかに連れていかれる。
連れて行かれた小部屋でおばちゃんが何か叫ぶ。すると……
カウンターテーブルの後ろから、ひょこっと女の子が飛び出してきた。
それも5人ぐらい。あとからあとからひょこひょこ湧いてくる。どうなってるんだあのカウンター。
並んだ女の子たちはハッキリ言って「女児」。5歳から10歳ぐらいの子たちだったと思う。
え、何これ…何が起きてるんだ。
そう思う間もなく、おばちゃんがその子たちのカラフルなTシャツを、片っ端からまくりあげていく。
そしてまた私の腕をつかみ、「ほら触りなよ!」とばかりに引っぱるので、大慌てで手をひっこめた。
「日本人だったらこういうのがいいんだろ?違うのか?」とおばちゃん。
ここで私は少し哀しくなった。何やってるんだよ、日本人……
おばちゃんの説明によると、日本人はいつも団体でこういう女児を買いに来るという。
いわゆる「買春ツアー」というやつなんだろう。しかもロリコン専用の。
なんだかなぁ……という思いを残し、置屋を出る。いずれにせよ、最初から利用するつもりは無かったので。
なぜならこの置屋地帯、衛生的にかなり問題があるという話を聞いていたので……
他に夜遊びと言えば「カラオケ」にも行った。
この「カラオケ」には数タイプあるようで、現地で仲良くなった台湾のおっさんに連れていかれた「カラオケ」はみんな全裸だった。
そこでいい雰囲気になったら、別部屋でイイコトをするらしい。
なんでも、最初に一人、二回戦に二人、三回戦に三人…と女性を増やしていき、七回戦までいったら「北斗七星マスター」みたいな称号が貰えるそうだ。
ちなみに台湾人の女性の好みは「コロコロっとした健康的な女の子」みたいで、全盛期の小向美奈子みたいな子がいっぱいいた。
また、深センから遊びに来ていた若手起業家みたいなグループに連れていかれた「カラオケ」は、普通のナイトクラブみたいな感じだった。
こちらは基本、マンツーマン。薄暗い部屋でイチャついて、いい雰囲気になったら各自店を出ていく感じ。
女の子のレベルは異常に高かった。私もよく分からないままに座らされ、隣にとんでもない美女が座る。
客も女の子も流暢な英語で話しているが、私はそこまで話せないのでおとなしくしていた。
すると、私に付いた女の子が「お腹が空いたなら、うちで一緒にご飯を食べよう」と言ってきた。
唐突な提案に驚きつつも、このままここにいても浮いちゃうし、なんだか面白そうだったのでその提案に乗った。
その子の家まで向かうタクシーの中で、その子には病弱な弟がいて、同居しているという事を知った。
病弱な弟を救うのにお金が必要で…とか、そういう筋書きかな。なんて邪推をしていた。
そして連れていかれたマンションの一室には実際、男の子が待っていた。
三人で一緒にご飯を食べた。食卓を囲んで。黙々と。なんだろう、この展開。
ほぼ無言の食事だったけど、不思議と気まずい感じにはならなかった。
弟さんは最後まで一言も話さなかったけど、目が合うと微笑みかけてくる子だった。
食事が終わったら、ぼーっとテレビを観た。で、少ししてから帰った。普通に帰った。
帰りにいくらか渡そうとしたら、強く拒否された。これはプライベートだから、って。
じゃ、せめて食事代だけでもと言って、無理やりお金を掴ませた。
正直、タクシーに乗った時点で美人局とか、睡眠薬とか、そういうパターンを想定していた自分を恥じる。
そして帰りのタクシー。陽気な運ちゃんが「日本人の友達いっぱいいるんだぜ、このノートを見ろ」といって渡してきた。
日本人と思しき名前が記されている。明らかな偽名だった。そして、名前の上にふりがなみたいな感じでこう書かれている。
「ぼったくり きをつけろ」
なんだかいろいろあった一日だった。
当時の東莞という街は性産業以外にもいろんな闇の側面があって、その中でも海賊版DVDは隆盛を極めていた。
私はそのうちの一つのお店に、ほぼ毎日通っていた。とにかく何でも売っているので、楽しくて仕方がない。
ディズニー映画やジブリ映画の全集セット。勝手にボックスを作り、ウォルトディズニーや宮崎駿の写真がどーんと入っている。
日本アニメも新旧さまざま揃っている。映画ドラえもん全集、ドラゴンボールZあたりが人気だと言っていた。
ルパン三世も全テレビシリーズをまとめたBOXがあった。ルパン一味の他によく知らないおっさんが入ったビジュアルが使われていた。
日本ドラマもかなり充実していた。古畑任三郎BOXとかすごく欲しかったけど買わなかった。
アメリカのプロレスとかも、DVD40枚組とかでデカイBOXにして売っている。本当に何でもある。
海賊版DVDの世界は、内容関係なく「1枚いくら」というシンプルなルールで成り立っている。
最新映画だろうが、過去の名作だろうが、スポーツだろうが音楽だろうが「1枚いくら」。中身はどうでもいいのだ。
当然、著作権なんて関係ない。「なんかこのアニメが入ったDVDはよく売れるね」ぐらいの認識。
なので、枚数が多いBOXをやたらと進めてくるのだ。トムとジェリーとか。NBA大全とか。
毎日通っていた海賊版DVD店は、おばちゃんと幼児で店番をしていた。
幼児は巨大なビニール袋に入った落花生をひたすら食っていて、店中にそのカスが落ちていた。
他のDVD店にも行っていたのだが、ある日、そこの店員の若い兄ちゃんが話しかけてきた。
「今日はすごいヤツが入ったんだよ。一緒に観るか?」
突然の提案だったので少し驚いたが、なかなか無い経験だと思って店の裏についていく。
そこには店員の兄ちゃんの他に二人、たぶん友達?みたいな人たちがウンコ座りで待ち構えていた。
一瞬だけ「あれ、これカツアゲとかそういうのか?」とも思ったけど、それにしてはフレンドリーな雰囲気なので一緒に座る。
日本のAVだった。しかもちょっと前のやつ。もちろんモザイク入り。
兄ちゃん達はそれを、食い入るように見つめていた。もう私の存在なんてどうでもいい感じ。
よく考えてみたら、これだけ巨大な海賊版DVD店が大量にあるのに、アダルトは一回も見かけなかったような……
たぶん闇営業であっても、そういうのは「ご法度」になっているんだろう。
そしてそういうエロDVDは、こうやって店の裏で上映されているんだろう。
この件に限らず思ったのは、当時の東莞は完全な犯罪都市ではあったけど、それなりの秩序はあったという事。
例えば海賊版DVD店も、月に何度か一斉に「休業」する。そしてその日は必ず警察のガサ入れが入る。
先程の「サウナ」という名の風俗店にしても、操業自体は違法だけど「18歳以下」の女性は絶対に雇わない。
ブランド品とかもそうだった。9割はニセモノなんだけど、1割はホンモノだったりする。そして絶対に同じ値段は付けない。
なんだか、そういう暗黙のルールみたいなので成り立っている街だったと思う。
家族で飯を食おうとすると、短くて30分、長くて1時間ほど時間を使わないといけないのが思ってたよりきつい。
飯が出来たら冷めるという理由で食卓にすぐ行かないと嫁はキレ出すし、待たないで食ってくれよ、というとさらにキレる。
味がどうこうとか、嫁や子供と一緒に飯を食う時間そのものに文句があるわけじゃない。
作業をしていれば中断されるし、娯楽を楽しんでいても中断される。
今日はクタクタだから飯を食わないで寝たい、という時も食卓で強制的に飯を食わねばならない。
独り身の時は、正直飯の時間は5分だった。食わないという選択も取れた。
そもそも、自分は旨いものは好きだが、飯を食う時間そのものは無駄だと思っている。
なんなら洗い物をしている時の方が楽しい。
「月見ナントカもう食べましたか~?」という屈託のない声がしたと思ったらテレビの中からで、明らかに月見的有機物の生産能力を得ていない年頃の女児が笑顔で出演しており、その黄色いのと白いのはどこから出てくるのか知っているのか、けっこう意外な場所だよ、などと聞いてみたくもなるし、すぐれたCMだとはまったく思わないが、昨年のCMを使うわけにはいかないことも承知している。昨年は月に着陸した経験のある元宇宙飛行士が月見ナントカを頬張って「月にいたころを思い出すなぁ~」と大きくうなずいたところに月の字と見の字の中央が月のマークになっているロゴが出てくるCMだった。彼が月にいたころはフリーズドライされたきんぴらごぼうを水で戻していたりしたはずなので加熱した鶏卵を見ても「加熱した鶏卵だ」としか思わないと断言できるがCMの効果としてはまずまずで来年も同じ路線を継続できたはずだった。しかし残念なことに月見ナントカの季節が終わったころに彼が夏に犯した盗撮事件―スマートフォンの写真フォルダに入っていたのは黄ばんだパンツの写真ばかりだったという警察の談話が広まって当該メニューを連想しない方が不自然である―が発覚してしてお役御免となってしまった。地球からはるか38万キロ離れた月に着陸して生還しても盗撮をしたいというくだらない欲求にすら勝てない……宇宙の儚さを感じさせる話だが、むしろ人間の性欲の無限の広がりを称賛して詩の一片でも編むべきなのかもしれない。それはともかく、女児は月にも卵にも縁のない存在ではあるものの、少なくとも「無限の広がり問題」についての考慮は必要なく、前年度比で5%も売上が増えれば大成功の部類に入る定番メニューの売り方としてはこれが正解といえよう。ただしそれは人間にとっての話であって、やはり鶏にとっては月見ナントカの季節は憂鬱なのである。しかも中秋の名月は昔も今も一晩で、もう今ごろは月を見ようと思ってもほとんど何も見えないのですが、「月見ナントカの季節」とやらが年々長くなってきているように思うのはわたしだけでしょうか?……などとインターネットの片隅に書いたりしたらそれを見た月見ナントカ製造業の担当の人が短くしてくれたりするかもしれない。そう思って書いている。
物心がついたころには鶏舎におさめられていたので、わたしにとっての世界とは目の前にある餌と両隣の仲間だけなのだが、世話係の人間が見るためのテレビが見える位置にいたことは幸運だった。遠くの檻におさめられてしまった鶏はときどき世話係が紙芝居を見せることで慰めとしているようだが、その紙芝居はカナリアが猫に捕らえられて食べられたり、航空機のエンジンに鷲がつっこんでバラバラになったりするようなものばかりで、要するに「鶏舎の中は不自由と思うかもしれないけれど、とても安全なのでこの境遇に満足すべき」ということが言いたいらしい。そんなことはわかっているしそれなりに感謝もしているのだが、文化も必要なので、せめてすべての鶏がテレビを見られるようにすべきだと思う。
話を月見ナントカに戻そう。鶏にとっては文化の箱であるテレビだが、鶏肉や鶏卵の扱いについては目をそむけたくなるものが少なくなく、人類の存続のために鶏の存在は不可欠であるとはいえ、鶏肉を細かく切って串に刺し、焼いたものを笑顔で頬張るようなシーンを毎日のように目にする。人間に置きかえて考えてほしいのだが、たとえば職場にあるディスプレイで朝から晩まで、人間が細切れにされて焼かれている映像が流されていたとしたら、生産性が大幅に低下してしまうのではないだろうか。よい企画を思いついたとしても「どうせ死ぬんだから」と思えば手が止まるし、エクセルのマクロがデタラメな集計をして日時の売上のグラフが地を這っていたとしても「どうせ死ぬし」と思えばそのままメーリングリストに流してしまうことだろう。「儚い命だが生きている間は後悔しないように一生懸命仕事しよう」などという殊勝な心がけを持つ人類はわずかなのである。それを考えると、モチベーションの下がる映像を見せつけられながらも餌を食べ卵を産み続けるという業務に邁進しているわたしが人間に転生したらひとかどの人物になれるだろうと思うのだが、それにしても月見ナントカだけは耐えがたい。百歩譲ってただ鶏卵を食べるだけならよいのだが、月見ナントカは鶏卵を食べながら、それを鶏の卵としてではなく惑星に喩えているのである。秋になったら月を見たくなるという人類の気持ちも理解しかねるが、月を人類の性器のように隠すことを義務付けられているのならともかく、窓の外に目を遣れば無修正の月を見たいだけ見られるというのに、あえてカーテンを閉めて食卓で月見ナントカを味わう……この習慣を倒錯と言わずして何と言おうか。置きかえてばかりで恐縮だが、人間の胎児を加熱したものを土星に喩えたりしたら、「人間の胎児を加熱するところまでは我慢するが、せめて人間を加熱したものだとして食べてほしい」と思うのが自然な気持ちではないだろうか。
わたしたちが産んでいるのは無精卵なので、人間の胎児と同じとするのは議論が雑なのかもしれないが、月見ナントカに屈辱感を味わいながら月見なんとかの原料をせっせと生産している者がいることは理解していただきたい。月見ナントカを買うなとは言わないが、月ではなくて鶏の卵としてご賞味いただきたい、というお気持ちを書かせていただいた。
元増田です。実害ないと言っていたことでしたが、私に実害が出始めました。愚痴の続きです。
トラブルを起こしている入居者は10月いっぱいで強制退去になるようです。リフォーム代は本人から取れそうにもないので義父母が払うそうですが、そこでいきなり「リフォームが終わったら、あんたら(私たち夫婦)が住んだらいい」と急に言い出しました。
多分私が掃除やゴミを捨てていたのが義母が気に入らなくて嫌われてしまったようです。掃除をしていると義母は無視してどこかへ行きます。たまに「(妊娠しているので)無理しないでね」と言いますが基本的には手伝ってくれません。一度だけ少し参加してくれましたが。床の掃除してるな〜と思ってみていたら、食卓をふく布巾を使って床を磨いていました。ゴミやホコリが溜まって白くなっているような床です。使い古してボロくなったから、そのまま布巾を捨てるのかと思っていたら、掃除が終わった後に、洗ってはいましたがいつもの場所に同じ布巾があったのでビックリしました。もう衛生の基準が違う人なんだとそれで色々諦めましたので、嫌われたのはもういいかなと思ってます。
でも嫌われしまって、私の発言をなんでも悪くとるようになりました。直接は言われてないので夫経由ですが、こんな感じです。
「この押し入れいっぱいの毛布、前に捨てていいっていってたけれど、本当にいいの?(どこか別の場所に動かすなら動かすよ)」→「毛布を勝手にごっそり勝手に捨てる気だ!」
「赤ちゃんの使うものって専用の洗剤を使わないと駄目みたい」→「お父さん(義父)は一番風呂じゃないと駄目なのに、赤ちゃんのためだけに毎日お湯を入れ替えるつもりか!」(※ベビーバス買いました。買った事も以前に言っています。)
他にもたくさんありましたが、思考の飛躍が突飛すぎて忘れましたが全部悪く取られました。
同時期にお腹の子どもが女の子と分かったので伝えたところ、こんな感じになったので関係あるかなと思っています。すでにいる孫でも男の子と女の子でだいぶ差をつけている方なので。
前提が長くなりましたが、引っ越しには夫は乗り気です。凄く近所なのでちょっとした部屋の模様替えくらいに軽く思ってるのかなと思います。友達や親に引っ越すかもと言ったら「よかったじゃん」と言われます。もちろん私も、もうこんな汚い上に好きに掃除もできない家で子育てする自信がないので基本は嬉しいのですが、そればっかりではないです。急な引っ越しな上に現在赤ちゃんのために色々買いそろえていてただでさえ出費が嵩む中に、新たに必要な家電や家具の購入の必要性が出てきました。同居する時に色々覚悟し、気に入っていた家具や家電を処分したりしたので、また買わないといけないの…?というのでげんなりしています。共働きですが、夫は自営業で収入の波があるからといって頑なに夫婦の財布を別にして夫がいくら稼いでいるのかや、貯金がいくらかは分からないので、このプラスの出費が2人でどれくらいの痛手なのかも分からないです。何度も聞いたり私の収入や貯金は相手に教えても頑なに教えてくれません。
そんな不安な上に、入居者の強制退去は10月いっぱいですが、私の出産予定日は12月の中頃。入居者が退去して、そこからリフォーム会社が見積もりして…となってくると11月って引っ越せるの?もしかして産んだばかりの年末〜年明けになるの?その頃って私の身体はどうなってるの?安静にしてなかきゃいけない時期では?(初産です)そもそも強制退去ってどれくらいの効力があるの??ちゃんと10月に出て行くの?夫に上に書いた時期の不安を聞いてみても「俺はわからん」としか言いません。夫が手配してくれるならまだしも、絶対私が率先しないと引っ越しは進みません。同居の時の引っ越しの準備の段取りや業者の予約も全部私がやりました。
実は同じ物件を夫と交際中に義父母の方から、空いたから住むか?と打診があったことがあり、あれこれ検討してる間に「やっぱり入居者決まったから」と断られたこともあります。今回も急に意見を変えて来たので、また気が変わる可能性もあります。まだ今の時点では引っ越しが確定ではない…といった感じです。他にも色んな兼ね合いで同時に片付けている部屋もいくつかあるのですが、どれも同居前提で作業していたのに、引っ越すとなると全ての前提が覆ります。最近はお腹がいよいよ大きくなって身体も重くてしんどいので、休みの日に思ったように作業ができませんし、夫はなんだかんだいって殆ど手伝ってくれません。忙しい仕事の合間に勉強もしているから夫に時間がないのは分かっていますしサポートしたいとは思うのですが、1つは夫の仕事部屋なのに。
更に強制退去を出された入居者ですが、案の定ごねているようです。最初は同意した犬や猫の処分がやはりネックのようです。義母にあれこれ抗議していたようです。夫が「俺たちが住むのに使うからっていうのは絶対黙っといてよ」と言っていたのに、カッとなって相手に言ってしまったようです。退去だけでなくペットの処分まで言い渡しているので遺恨が残るに決まっています。夫に「恨みが俺たちに向いてくるかもしれない。お前もお腹殴られるかもしれないから気をつけとけよ。」と言われました。先にも行った様にこの物件は凄く近所で私も入居者の人の顔は分かりますし、向こうも私が大家の家の嫁というのは絶対分かっています。それを聞いてから毎日恐くて仕方ないです。まだ産休に入っていないので、外に出ないということもできません。既に庭先に猫の糞をまかれるという被害が出ています。
妊娠中はもっと子どものことを考えながら穏やかに過ごせるもんだと思っていたのに…最近気が滅入りすぎて準備もなかなか進みません。せめて引っ越し時期だけでも早く確定して欲しいです。
先週土曜から咳の気配アリ
土曜昼に俺「病院連れてくよ」「一人の時連れてくの大変でしょ」
嫁「(連れてかなくて)いい」
昨日は席が出たので保育園休む。嫁も急遽パート休む。(保育園連れてっても熱37.5度になると迎えに来るよう電話が来る)
「子供を病院に連れてくので遅れます」会社電話した俺の背後で嫁の雷が落ちる。
「何勝手なことしてるの!!」
作り出す。
風呂もまだだったので風呂、子供がぐずって全力で嫌がったので嫁が入れる(俺が入れるよ、とは言ったものの)
娘受け取る。寝室でさんざんごっこ遊び
嫁髪乾かして寝室へ→嫁就寝22時。
俺、嫁にくすぐられてハイテンションの娘氏を
就寝後の咳は2度程度
板間に寝ていた娘を布団上に戻すときの「いたい」で嫁一瞬飛び起きる→「大丈夫」で寝る
俺、1時にシャワー浴びて寝る。
娘も嫁も寝ている。
朝6時45分俺起床、「休んでてもいいよ」を無視して嫁起床
3歳児の「たーべーたくない」に逐一嫁激怒。
自民党 政調会長に高市前総務相 岸田新総裁が起用の意向固める | NHKニュース
岸田さんらしいバランス感覚。
政策ツウの高市さんに仕事してもらいつつ、知名度が上がりやすいポストからは遠ざける。
保守的には「高市総理誕生の布石になるようなポストに当てろよ」
って怒る方もいそうな反面、実務的なところに保守な人を送り込めたことで知識人層は怒りにくいという絶妙な塩梅。
逆に岸田さん的には保守層を冷遇せず、発信力を抑える絶妙な位置。
岸田政権、長持ちするかも!
これもうまい!麻生氏のマスコミへの知名度は活かしつつ、(権限は少ないけど、責任のある立場に置くことで)他人事で攻撃的な発言もさせない。うまいところに置いたなぁ
采配を駆使した絶妙な意思表示と抑えを感じられるの、面白いね。
実務や体力に強い人が勝つなら麻生太郎や菅義偉は1年じゃ退陣してない。賛否はあるが、体力と行動力は高い人達なわけですし
日本の政治の話する度に、俺の中での境界線上のホライゾンの評価が上がっていくの、色々面白い。
「本人に能力がなくても、みんなから愛されてて任せられて、方針を示せるリーダーが日本では強い」
「戦わないことで失うものもある」
麻生太郎氏が頭を抱える「派閥分裂」危機…自民党総裁選“河野支持”“岸田支持”で真っ二つ
分裂というよりリスクヘッジでしょうね。
かなり前から甘利さんが岸田氏支持、河野さんは出馬となれば、1つになる方が難しい
自民党の派閥について勘違いしてる人が多いから言うけど…派閥の長自体は年功序列で、派閥でイデオロギーが決まるとも言い切れないところがあるのよね。
麻生派なんか保守と言われる麻生氏と、麻生氏と政策の方針が違う河野親子が一緒なんだからまとまって動かないこともあるだろうさ
二階氏は親中派と言われてるけど、二階氏が派閥の長になる前はタカ派で有名な人が多かったから、高市支持者も多かった。
江藤氏や亀井静香はもちろん、麻生政権ぐらいまでは保守派から人気の高い中川昭一氏も今の二階派の政治家だし
保守だったら良いとも思ってないけど、二階派と二階氏を分けて語れない保守の人が多かったのは個人的にすげーびっくりした。二階派の中でも、古参や世襲の人は保守も結構いるし、逆に二階氏が拡大路線で入れた人はリベラルな人も多いしで、色々ですよ…あそこは
なんでこの話してるかというと、10年前以上には
二階派になった途端、そのときのことを忘れた人が多かったのは個人的にかなり驚いたわけです。
痛いニュース(ノ∀`):河野太郎、『自民党広報本部長』に起用へ
ってことなんだろうなぁ…。
共闘体制を組めた高市氏は考え方は近いけど、権力は握らせたくないから政調会長だし
岸田文雄さん、食卓のミツワソースが賞味期限切れで好感度を上げる - 市況かぶ全力2階建
岸田さんって「本人はそこまで面白くないけど、見る人が見たらすげー面白い」ってタイプだからなぁ~
「いじられるとすげー面白くなる人」
Twitterのスペースにハマってしまった完全オンライン世代の大学生。
人と話すのなんて勘弁願いたい。
スペースなんて陽キャの集まりで、やっても仕方ないと思っていた。どうせ他愛もない話をずっとしてるんだろう。
ある日の夕方、一人で夕飯を食べる虚しさに耐えきれなくてスペースに入ってしまった。あんなにバカにしてたのに…
初めてのスペースは正直しょうもない話が延々流れてくるだけだった。
くだらないと思った。そしてすごい楽しかった。
世の中には「実りのある話」が流れてくる。
そんな話、本当はちっとも好きじゃなかったことに気づいてしまった。
賢くて上品な話が好きな人になりたかったんだけど、どうでもいいしょうもない話を聞きながら泣いてしまった自分がいる。
そういえば、スペースで知り合った人たちと遊んでみた。今までの自分なら鼻で笑っていたようなことをテノヒラクルーでやってみたら超楽しかった。相手方も楽しんでくれているといいが。
人間関係に対して卑屈でひねくれている見方しか出来なかった自分だけど、少しずつ改善していこうと思う。なんかアドバイスがあったら聞きたいです。
夏休みの宿題は、親戚で旅行に行くというので早めに終わらせた。
弟は旅行先でも宿題をやっていたが、「弟ちゃんは旅行先でも勉強して偉いね」と褒められた。
(その際に、それに比べて兄は…という話があったかは覚えていない)
旅行から帰って、終わった宿題をみんながいる食卓の上に置いてみた。もう終わっていることを示すため。
見つけた母は部屋に来て、「どういうつもりで置いているのか。褒めてほしいとでも言うのか。」と言ったので「ごめんなさいすぐに片付けます」と言った。
僕は自分がなんて浅ましい人間か反省したし、恥ずかしくもなった。(その当時に浅ましいという単語は知らないので、後日(後年?)置き換えているとは思うが)
30を超えても、ふとした瞬間思い出すこの記憶だが、別にオチがあるわけでもなく。親ガチャという言葉を目にしたときに、思い出してしまったのかもしれん
夏休みの宿題は、親戚で旅行に行くというので早めに終わらせた。
弟は旅行先でも宿題をやっていたが、「弟ちゃんは旅行先でも勉強して偉いね」と褒められた。
(その際に、それに比べて兄は…という話があったかは覚えていない)
旅行から帰って、終わった宿題をみんながいる食卓の上に置いてみた。もう終わっていることを示すため。
見つけた母は部屋に来て、「どういうつもりで置いているのか。褒めてほしいとでも言うのか。」と言ったので「ごめんなさいすぐに片付けます」と言った。
僕は自分がなんて浅ましい人間か反省したし、恥ずかしくもなった。(その当時に浅ましいという単語は知らないので、後日(後年?)置き換えているとは思うが)
30を超えても、ふとした瞬間思い出すこの記憶だが、別にオチがあるわけでもなく。親ガチャという言葉を目にしたときに、思い出してしまったのかもしれん
https://www.jstage.jst.go.jp/article/tonyobyo1958/34/12/34_12_1015/_pdf
「欧米 にお いてはDiabetesに 由来 する ものの ほか砂糖 に由来 す る病 名 が多か ったが,糖 尿 に由来
す る病 名 は見 られず,わ が国 を含 むアジア諸 国 とは対 象的で あった(」
「一 般社 会 にお ける糖尿病 の名 称 につい ての問題提起 について
糖尿病 の名 称の変更 に関す る意見 の代表的 な もの として早稲 田大学筑波常治教 授の ご意見 を紹介させ ていただ きた い.
教 授 は 「文芸 春秋 」誌 で次の ように述べてお られ る.(昭 和62年3月 号 よ り抜粋)
「 なに よ りの悩 み は糖 尿病 とい う名 称 で ある.こ の名 まえを口に しなければな らない機会 は圧倒 的に食 卓が多 い.ど う考 えて も尿 という言葉は食卓 にふ さわ し くある まい.
こ の悩 み を医師 に話 して もとん と反応が ない.医 学 の世界 で はす でに この呼称 がす っか り定着 し異和感 がないので あろ う.
素人 の患者の立場で は,病 名 の変 更 を願い たいの である.糖 尿病 とい う名称 じたいすで に時代おくれ とい うこ とにな らないか.高 血圧 とい う言葉が あるのだか ら,こ れ にな らって高血糖 と改称 しては どうだ ろうか.(以 下略)」と述べ てお られる.
まさかこんなことになるなんて。
いつもどおり記憶任せで目分量で下味に漬け込んでおいた唐揚げの味が薄かった。
色々考えて油淋鶏にでもリメイクしようと思ったらごま油がない。
成分表を見てみるとそんなに変わらない感じ。
あれ?行ける?
かける。
なにこれうまい。
うん。そりゃうまいよな。
は?唐揚げの味付け、これでよくない?
ということで、それ以降我が家の唐揚げは下味の塩を半分にしました。
ゼロだとなんか味の締りがなくてだめみたい。
こんなのうまいに決まってる。
ドレッシングってサラダっていうイメージしかなかったけど、なんか、もしかして何にでもうまい?
あとなにが合うんだろ。
それにしても、これでこんなにうまくて家族大喜びなら料理真面目にやるのがアホらしいな。
この扉開けてよかったんかな。
ここで言う輸入牛とは、アメリカ産かオーストラリア産、ステーキ肉で言うと100グラム180円以下のレンジである。もちろん「オージービーフ」等のブランドなど銘打たれていない。
※ 先に断っておくと、肉の匂いや味なんてのは全く好みの問題である。ヤギやマトンの香りを好む人がいるように、こういう匂いがある牛肉を好む人をdisっているわけではない。全く個人的な趣味嗜好によるものである。
子供の頃、輸入牛はほぼスーパーになく、牛肉といえば当たり前のように国産だった。当然他の肉よりも高く、したがって牛肉が食卓に上る日は特別な日だった。そういう時代に食べた牛肉は「あまり匂いのしない,おいしい肉!!」みたいなイメージで、牛はだいたいそんなものだろう、という感じで受け取ってきた。
しかし。
最近スーパーで激安のステーキが売られていて、安さに釣られて買い、期待に胸を膨らませながら焼くと… もう、焼くだけで猛烈な匂いが立ち込めてくるやつがある。
いままで激安牛肉ステーキを買ってきて、鮮度に問題ないもので以下の3つのような匂いがあった。
わらの匂いと言うか牧草の匂いというか。なんと言うか、家畜小屋に立ち込める匂いがする。もっとも、草食動物たる牛がそういう匂いを放つことは正常なことであって、こちらがいかに不自然な肉を食べてきたか、ということでもあるが、それでもキツイ。
昔よくあったタイプ。乳牛を潰した後に食肉にされるとこんな匂いになるとかなんとか。漬け込まれた味付け肉に多かった。最近はあまり出くわさない。
アスファルトともアンモニアとも生乾きのぞうきんともつかないような一種の匂いがある。最近かなりの頻度で出くわす(追記 輸入豚も同じような匂いがする時がある)。これが一番個人的にはキツイ。合いびき肉に混ぜられていることも多く、ハンバーグを作るのも最近ためらわれ始めた。
もちろんステーキにしなければいくらでも回避方法はある。脂や肉汁をできるだけ取り除いて調理すること、調理した後に一晩置いておくこと、カレーなどスパイスをガンガンに効かせること、ワインなどを加えて煮込むなどなど…。でもやっぱりステーキ肉として売られている以上、ステーキとして食べたい。
匂いを消す方法として、玉ねぎに漬ける、水に晒しておく、などの方法も試した。ある程度は効果はあったが、奥底から立ち上ってくる匂いが勝つ、という敗北の歴史を刻んできた。あと漬け込む系はどうしても肉がベショベショになり残念な食感になる。
そこでは、高校に進学すれば優秀、大学受験するのはエリート、地元の国立大学に進学すれば神童扱いされ、島中に知れ渡る。
父は至るところで「うちの倅が〜」などと言いまわっていたのだろうな、外から帰ってくるととても機嫌が良い。そんな3月だった。
おれもおれで、合格通知が来てからというもの「今は経済に関心が合って〜」などと、進学先の学部で何を学びたいかを食卓で高らかに話し、遠回しに「おれはこんなに立派になったんだぞ」と主張していたことを思い出すと小っ恥ずかしくなる。
そんな3月の暮れ。
「この島ともとうとうお別れか」
と見慣れた町並みが車窓の中から点々と切り替わっていくのを眺めつつ、空港に近づくに連れ、明るい未来を描く自分に酔いが増していっていた。
そして空港の搭乗ゲートに入る前、上京する前ということもあり、普段かしこまって話すことのない二人と向き合ってこういった。
「次帰ってくるのは結婚するときかな、10年後とかに綺麗な嫁連れてこれるよう、勉強頑張るよ」
などとフカした。
正確にはフカしてしまった。
おれは結婚を匂わせることで、「息子もここまで成長してくれたのか」などという感慨深い思いを味わって欲しかった。
母はひょうきんな顔で「気が早いな?」などと言っていたが、父はじっとおれを見つめていた。言葉に留め度ない父が、ただ見つめていた。
沈黙を割くように「頑張ってくる」と父さんの返事を聞かぬまま飛行機に搭乗ゲートに乗り込んだ。
開けた飛行場に配備された機体の窓からは、ちょうどフェンスに立ちすくむ両親が見えたが、こちらには気づいていない様子だった。
母親は携帯か何かを俯き眺めていたが、父はこちらをずっと見ていた。表情までは見えなかったが、今思えば搭乗ゲート前で見せたあの表情をしていたのだと思う。
それから2年が過ぎた頃。
大学のこと。島に残った家族のこと。恋愛のことも見栄を張って少しだけした。
そこで少しだけ父さんの話を聞いた。
「あんたが東京行ってから父さんの様子がおかしいのよ?飛行機の音が聞こえると、外に飛び出して、飛行機を眺めて、飛行機の過ぎていったあとも、何もない空を眺めてんだよ」
父さんがそんなことを?
寡黙な父はこちらから話しかけない限りは話さない。公園に行こうとワガママを言っても、「もう少し待って」などといい、気づけば夕方になっていたこともあるような、そんな息子には無関心な父だと思っていた。
母さん曰く、おれが10年ほど帰らないと口走ったことが原因じゃないかという。
空を飛ぶ飛行機を見て、東京に行ってしまった息子が帰ってくるまであと10年か、、、あと9年か、、、そんなことを考えているんじゃないかと母さんは言う。
ズルズルと、ズルズルと27歳になった今。
まだ父さんは飛行機を見ているのだろうか。
飛行機の音が聞こえると、その度に帰ってこない年月を数えているのだろうか?
Yahooの検索履歴。わざわざ調べるような事ではないとは思うけど、つい調べてしまった。
人に聞くよりはマシだと思った。もちろん記念すべき第一回目の誕生日では、そんな事は気にも止めなかった。自分が欠陥人間になってしまったのは、多分記念すべき第14回目の誕生日ぐらいからだろうか。それまでは、一年に一度訪れる、いつもとは違う特別な日という印象。食卓のド真ん中に陣取るホールケーキと、それを取り囲む家族の嬉しそうな顔。それを見るだけで、その日が訪れるのを何日も前から心待ちにしたし、歳の数だけロウソクを吹き消すという行為にも、何の疑問も持たずに全力でやる事が出来た。元凶はSNSだ。僕が中学生になると、Twitterやらmixiやらと、あれよあれよという間にSNSが発展した。それに伴い、自動的に他人の誕生日を知るようになった。今までは仲の良い友達4、5人程度の誕生日しか知らなかったのが、この突如現れた黒船によって、まだあだ名で呼ぶかどうかの瀬戸際にいる人達の誕生日まで分かるようになったのだ。そしてその度に祝う。自分が祝われたいから、祝う。これは戦闘力だ。誕生日にどれだけ多くの人から反応してもらえるかで、その人の戦闘力が表示されるようになったのだ。健全なる少年少女の内側に秘めていた『有名人になりたい症候群』を目覚めさせてしまった。そこからは地獄だった。(そんなゆるい地獄はないが)そして僕はその承認欲求のレースから早々と脱落した。ある時、ふと思ってしまった。『疲れた』そこからは早かった。『誕生日 祝う 理由』簡潔な疑問。『そもそも人の誕生日って、そんなにめでたい事か?』欠陥人間の産まれた日。
誕生日を迎えた朝、鏡で自分の顔を見る。昨日と全く一緒だった。全身を眺める。何も変わってない。人間はゆっくりと変化する。『背伸びだね』『声低くなったね』久しぶりに会う友達にそう言われて、初めて自分が変わった事に気付く。異性だと、7割増しで誇らしい。5歳になると額からツノが生えて、10歳になると背中から羽が生えるのなら、俺は今誕生日を迎えたんだなと実感する事が出来た。自分が何か明確にレベルアップした要素がないのに、年を一つ重ねてもワクワクしない。例えば、初めてハイハイ出来るようになったとか、初めて言葉が喋れるようになったとか、昨日の自分とは何か違う要素が一つでもあれば、腑に落ちるし、それを祝う理由も分かるのだ。誕生日は、自分からその事を言わなければ、誰からも気付かれることはない。自己申告なのだ。『もしかして今日誕生日でしょ?』と聞かれても、それは完全なる勘だ。一か八かで言ってみただけだ。
更に誕生日は一年に一度、生きてさえいれば確実に訪れる。それはこの世に生きる全ての人のスケジュールに刻み込まれているものだ。全員に訪れるものならば、それはもう当たり前の出来事だ。もちろん当たり前じゃない人もいる。産まれながらにして、余命宣告を受ける人も中にはいる。でもそれは少数だ。大多数の人は、何事も無く歳をとる。例えば今が戦時中で、若者の死亡率が50%を上回ってるなら、誕生日が特別なものだと感じる。現代の日本は平和で、不運な事故にでも遭わない限り、生き続ける事は出来る。勿論それはとても幸せな事だ。幸せな事ではあるが、一般的に考えると普通のことだ。100歳からだ。僕の中では、特別感が産まれるのは100歳の誕生日からなのだ。その時だけは『おお、凄えな』となる。長々と説明してきたが、もちろんこれは僕が勝手にそう思ってるだけで、今まさに誕生日を迎えて盛り上がってる家庭にお邪魔して『そんな事する必要あります?』なんて場を白けさせるつもりはない。でも100歳からなのだ。俺は100歳まで生き続ける。そしてその時が来たら、近所中に自慢する。自己申告する。俺の生命力を声高々に。祝え、祝え。100年間我慢したんだ。今日だけは祝え。
鳥胸肉がつらい
安いから買ってるけどつらい
一食で一枚ゆでた胸肉食べるけどつらい
味はともかく顎が疲れてつらいつらいというより痛い
包丁洗いたくないから切らずに茹でてかぶりついてるんだけどそのせいもあって顎がつらい
箸で解体できるかと言えばものすごく時間をかければ茹でた後にほぐせるけどつらい
手じゃ油でベトベトになるからなら最初から包丁使うしていうか包丁使うと手も汚れるし自宅庖丁式かよつらい
スーパーじゃ魚以外でも肉も加工してくれるって噂を聞いたけど100円もしない肉をスライスしてくださいなんてパープルヘイズすぎる
倍の値段で豚の切り落としを買えばハッピーだけど50円の差分が悩ましくてつらい
投資としてなんか、頑丈な袋とハンマーとか手軽な裂き手段を考えるか
世間は常に鳥胸肉を柔らかくすることだけに腐心してるけれど私とは戦ってるステージが違うんだよなぁ
孤独でつらい