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貸しはがしとは「融資をした個人や企業に対して、返済期限前に返済を迫ること」
https://www.ide.go.jp/Japanese/IDEsquare/Eyes/2018/ISQ201820_021.html
借金漬けの実情
スリランカの名目GDP(2017年)は871億ドルである。それに対して政府の対外債務は310億ドルとなっている。ちなみにスリランカが2008年から2018年の間に中国から借り入れたのは72億ドルである4。これをスリランカは返済することができないでいる。なぜか。一つには、中国融資の条件が他の国や機関より厳しいからである。金利が2%のものもあるが、なかには6.5%に設定されているものもある。据え置き期間も短い。二つ目には、融資を受けて作られたインフラが利益を生んでいないことがある。コロンボ首都圏とカトナヤケ空港を結ぶ高速道路は、確かに役に立っている。しかし、電力事情を一気に解消すると期待されていたノロッチョライ発電所(8億9000万ドル)は故障を繰り返している。マッタラ空港(1億8000万ドル)は世界一ガラガラの空港と言われている5。ハンバントタ港は2017年の一年間の寄港船数が251隻と惨憺たるありさまだった6。これらの操業による利益を返済に充てることは全くできないどころか、利益を上げているコロンボ港などの稼ぎで赤字を補てんしている状態だったのである。スリランカ側は中国に返済の延期などを求めたが、中国側は聞き入れなかった。
ロシアはなんだかんだ政府の財政黒字と、経常黒字を続けている。この点新自由主義的でもある。
しかし、儲からない段階の科学研究投資は政府がやらないと誰もやらない。だから徐々に産業が劣化していって国が弱くなっている。
中国はバブル以前の日本を真似たから科学研究投資をめちゃくちゃしている。だから世界2位の経済大国となった。
日本は昔は長期的な科学研究投資をしたが、バブル崩壊に貸し剥がしや消費税増税で対抗して長期不景気にし、政府も近視眼的な費用対効果を求める新自由主義に移った。故にどんどん産業が劣化している。
やる気がないだけだ!やる気出せ!起業だ!イノベーションだ!とピエロが叫ぶだけ。歩みだしたやつは餌でしかない。
新自由主義と、科学技術立国自体も対立する概念かもしれない。ロシアはマルクス主義から新自由主義に移ったがために資源国にしかならなかった。中国はマルクス主義から科学技術立国に移ったがために強国になった。
経済学上の投資と言われるのは、資金調達して支出する行為。住宅投資、設備投資、研究投資など。金融市場に金を入れるのは金融投資だが、それだけでは金融市場で止まってしまう。
あくまで金融所得は、株式や債券発行をして資金調達しての設備投資や研究投資に再投資したものは減税、それ以外は増税とメリハリをつけないとならなかったんだよ。
さらに、税制のメリハリをなくして法人税を減税したのも良くなかったな。貯め込んでも減税で貯め込まれて不景気になってますます設備投資や研究投資をしなくなるという悪循環に陥った。
また、日本の資金調達は借入金主体にも関わらず貸し剥がしをした。バブル崩壊で土地を担保にするという枠組みも崩壊した。これで企業が借り入れを嫌うようになった。一方で増資に67%の賛同が必要だったり、優先株を発行するハードルが高い。このあたりの資金調達を使いやすくする必要がある。
そもそも国全体の資金の需要(資金調達しての支出、資金不足)と供給(貯蓄、資金余剰)は一致するんだ。
家計の貯蓄近く、企業が資金調達して支出しているときに政府は中立になる。だけど、バブル崩壊と、貸し剥がしと、貯め込んでも減税の法人税減税と、新自由主義による不景気で、企業が金を貯め込みまくってる。その裏返しで政府が借金しないと景気落ちる状態になってる。
だから、財政出動して景気を上げて、使ったら減税、貯め込んだら減税とメリハリを付けて、再び企業が資金張達して支出している状態に、政府が借金で支えずとも景気が回っていく。ついでに、産業が強くなるから、外貨借金からの財政破綻やハイパーインフレも起きなくなる。
当時私は24か25で、週末は友だちと会ったり、都心に買い物に行ったりすることが多かったんですが、なぜかその日は久しぶりに、父と自転車で西友に行くことになったのでした。買い物のためというよりも、恒常的に太っていた父の、運動のためだったかもしれません。
スーパーから家まで自転車で10分ちょっとの道、なんとなく父が先を走り、私が追いかけていく中で、自然と父の背中が目に入って、思ったんです。
あれ、パパの背中、思ってたより小さいんだな…と。
身長170cmちょっとに対し体重は90kg近くあり、どちらかというと「大きい」印象を与える父でしたが、背中を丸めてママチャリをこぐ姿は、食卓でビールとウィスキーと焼酎をちゃんぽんで飲んで管を巻いているときよりも、少し縮んだように見えました。
父はその頃60歳近いので、多少は本当に縮んでたのかもしれませんが、小さく見える理由はそれだけじゃないこともわかっていました。私が就職したことで、私のほうの見え方が変わっていたんです。
その頃はネットバブルと言われた時期の真っただ中で、私はそんな会社のひとつに、運良く入れていました。
そこは日本ではわりと大きな「ITベンダー」とか言われる会社の子会社だったので、親会社からエラい人が続々と天下ってきていました。でも当時まだ光ファイバーはおろかADSLすらほとんど普及してない時代、Windows 95が出てから数年って時代なんで、大手ITベンダー出身のはずのエラい人たちでも、じつはパソコンをほとんど使ったことがなかったり、せいぜいメールの読み書きができる程度だったりしました。そんな人たちがいきなり、ネットの会社の役員として送りこまれてくるわけです。しかも親会社はセミナーと称して顧客集めのイベントを開いて、子会社に送り込んだ役員を登壇させ、「ネットで御社のビジネスが変わりますよ」みたいな話をさせるんです。
そこで私がやってた仕事のひとつが、子会社に来て早々に付け焼き刃トークさせられる役員のために講演資料を作ることと、講演当日のカバン持ち(会場のプロジェクターにパソコンつないだり。当時はパワーポイントみたいな大きなデータを相手先に送るのも、容量制限でできなかったりしたのです)でした。私自身もその会社に入るまでネットにほとんど触ったことのないニワカだったので、資料作りといっても実際はもっとコアな先輩社員に依頼してネタ出ししてもらったりする、窓口的な役割です。
そんな、ニワカな私がニワカな役員をサポートする不安な構図だったんですが、講演はそれなりに(多分)好評で、親会社主催のものだけでなく外部のイベントに出張っていくこともありました。大きなホテルの「なんとかの間」とかの華やかな壇上で、スポットライトを浴びながらネットのビジネス活用を語る役員たちは、頭頂部が多少ハレーションしていても(だからこそ?)、いかにもエラい人っぽく見えました。エラい人「っぽい」だけでなく、ニワカであっても数百人を相手に堂々と話ができる、それは一朝一夕には身に着けられないスキルだと今でも思います。
大企業出身のエライ人たちはトークができるだけでなく、部下の扱いも丁寧で、いや私が若い女だからということもおそらくあったのですが、とにかくそういった講演サポート業務の後は、「お礼」と称して素敵なレストランなどに連れて行ってくれました。私はただ窓口になっただけなので、と言うと、じゃあネタ出ししてくれた人たちもみんなで、となり、ずいぶん大人数でごちそうになることもありました(それが会社のお金だったのかポケットマネーだったのかは不明)。
そんなわけで私の会社の人たちは、上司も先輩も同僚も、そこそこ大企業文化の中にいて、都会慣れしていました。「肩で風を切る」ってほどじゃないにしろ、少なくとも必要なときには背筋を伸ばして堂々と振る舞える、そんな人たちが、いつの間にか私にとっての「普通」になっていたのです。
それに対し父は、そんな平成っぽいスマートさとは無縁で生きてきました。そもそも、なぜ私が父を「パパ」と呼ぶことになったのかまったく理解できないような「おとっつぁん」的な風貌だし、人前で話す機会があるとしたら会社の朝礼か親戚の法事くらい、しかも話がムダに長くてつまらない、と家族の中で有名でした。素敵なお店なんか結界が張ってあると感じていたらしく、まれに家族旅行で伊豆のホテルに行ったときには、入り口から赤いじゅうたんが敷いてあることにおののき、「あのー、この、じゅうたんの上、歩いていいんすけ?」(いつも語尾がモゴモゴしている)と質問して失笑を買った、とか、ファミレスでアイスクリームを注文するときに、「フレーバーを選ぶ」という概念をまったく知らず、「えーこの、バニラ・チョコレート・ストロベリー・アイス、頼んます」と全フレーバーを読み上げたとか、そんなエピソードには事欠かない人なのです。
そしてその日も、うら若い娘とお出かけの機会だというのに、会社の作業服だか私服だかわからない、着心地だけが最高の服装で、ボロボロのママチャリに乗って、西友に行くくらいしかできないのです。
でも私は、だからといって、父の存在が恥ずかしいとか、引け目を感じるとかいうわけでもないな、とも思いました。
むしろ、その小さな背中にかかっているものの重さを、改めて感じたんです。
岩手県の奥地でだいたい10人兄弟の3〜5番めくらいに生まれた父(兄弟姉妹の半分くらいが子どものうちに亡くなってるのでいろいろ曖昧)は、中学校を卒業すると集団就職で上京し、小さな運送会社に入りました。最初は15歳で運転もできないので、助手として荷物の積み下ろしから始めて、18歳で免許を取って運転手になり、20代でその運送会社の社長の娘と結婚、30代で子どもが生まれ、それが私の姉と私になります。姉が生まれたあたりから、家族は会社のすぐそばに住むようになり、姉と私は毎日、祖父や父、社員の人たちが働く姿を見ながら育ってきました。
祖父の会社はオイルショックとかいろいろありながらも、高度成長期とバブル景気でそこそこに拡大、多いときは社員(「若い衆」と呼称)数十人を抱えるまでになりました。祖父は会社の仕事より、地元の運送業の顔役的なことをメインでやるようになっていたので、成り行き的に父が現場の切り盛りをしていました。
でも90年代、バブル崩壊以降は会社の業績が右肩下がりになり、銀行からも貸し剥がしを受け、頻繁に資金がショートするようになっていました。高度成長期に「若い衆」だった運転手さんたちも実際はもう全然若くなく、平均年齢50歳くらいになっており、お子さんがいる人たちもたくさんいました。2021年の今と違って景気は悪く、ネット通販からのドライバー需要も発展途上で、万一倒産した場合、ベテラン運転手さんでも簡単に次の仕事が見つかる見込みはありませんでした。
これがドラマだったら、私みたいなネット企業で多少の経験積んだ娘が家業に乗り込み、会社をITで立て直し、引いては業界全体を改革していく…となりそうなところです。でも、そうはなりませんでした。まず私自身、いきなり乗り込んで何か改善できるという自信がなかったし、何ができるかもわからないのに親のコネで会社に入るなんて、社員の人たちに申し訳ないと思っていました。また祖父や父には、私に苦労をかけたくないという思いもあったのだと思います。
なので私としては、今にも倒れそうな会社というボロボロの自転車を、とにかく倒してはいけない、続けなきゃいけないんだという思いで漕ぎ続ける父を、ただただ後ろから、見守ることしかできなかったのです。
高価なスーツを着てスポットライトを浴びることもなければ、お洒落なレストランに部下を従えていくこともない父だけど、私はどんなに誇りに思っていることか。
西友からの帰り道、緑道にかかる橋をのろのろと上っていく父の背中を見ながら、パパの子どもに生まれて本当に良かった、と思いました。
反緊縮のもとになってるMMTで投げかけられた問は「財政破綻とは何か?」だよ。
そして、基軸通貨国や経常黒字国は外貨借金が増えないので財政破綻しない。
ただし、基軸通貨国とはいえ、自国が売れるものがなくなれば、基軸通貨国の座を追われる。経常黒字国もそもそも売れるものがなければ経常赤字国に転落する。また、財政出動は景気を良くして輸入を増やすので経常赤字に傾ける作用がある。
しかし、経常赤字に至らない程度の財政出動は問題ない。なおかつ、景気が良くないと設備研究投資をしなくなるため、産業劣化し経常赤字側に傾きやすくなる。事実、日本は時折貿易赤字を出すほど産業が劣化してしまった。
それから、資本主義は全く方向の違う(新)自由主義とケインズ主義からなる。
(新)自由主義は政府が何もしないのが望ましい。税制はフラットに。
そして、社会の致命的な欠点として、大規模経済危機を迎えると、企業が保身に入り、金を貯め込み設備研究投資をしなくなるというものがある。
この状態に陥ると自由主義は何もできない。日本で1990年に起きた。30年経ってもただ産業が劣化しただけ。
ケインズ主義は財政出動をしろと言える。ついでにインフラとか、地球環境を守る技術開発にでも使えばよいだろう。1930年世界大恐慌はそうやって回復した。日本の1990年バブル崩壊も、貸し剥がしや、消費税増税、金を溜め込まれる法人税減税、累進所得税減税をしなければ回復してただろう。