はてなキーワード: 座談会とは
2世学会員の話が増田や知恵袋に出てくると大体熱心なタイプの話ばかりで、こういう熱心な人たちばっかりだと誤解されたくないし被害被ってるので、悲しき2、3世側の話も聞いてほしい。
自分は3世。父方母方ともに祖父母が入信していて、2世の親同士が創価大学で出会い結婚したという超筋金入りのサラブレッドだ。
小さい頃から月一の座談会(地域の学会員の集まり)、少年部(小学生の集まり)、新年に行われる勤行会みたいなイベントをものをごくごく当然のものとして受け入れてきた。
そして小学1年生の頃、半ば強引に創価学園に入ることを母親に約束されて、中学受験をして創価中学に入った。ついに純血のスーパー創価人3の誕生だ。ジジババは大喜び。
学校では
・記念日的なものの日に式典(バカ長い卒業式みたいなの)を行う
・たまに信仰してる超大物(海外ハリウッド俳優やサッカー選手)がくる
ことがあったけどそれ以外は普通だった。
生徒のタイプはまちまちだが、本部職員の子供や学会で役職のついてる人の子供よろしく、入信している芸能人の子供など、ただ創価学園に入れたい!というパンピーの親とは別の創価的なハイクラスタの子供が結構いた。
聖教新聞が学生鞄に入ってるとか、大白蓮華(学会の機関誌みたいなやつ)昼休みに読んでるようなガッチガチなのもいたが、そうでもないやつとの割合が半々くらい。
なので入ったらゴリゴリの信者になるというような場所ではなかった。特に何の違和感もなく学生生活を送っていた。
けれど、高校生になってアルバイトをするようになり「得体の知れない何かの一部」というレッテルをはられる経験をしたことで考え方がガラッと変わった。
アルバイト入りたてのコミュニケーションの一部で、「高校どこなの?」と聞かれ「創価高校です」と答えた時に明らかに怪訝な顔をされた。
相手も人間なので、コミュニケーションを著しく変えることはなかったが、自分にとっては忘れられない体験だった。
自分もネットで調べたりしてたので体外的にどう思われてるかは知ってた。選挙の電話やばいとか入信勧誘されるとか。
でもそういう得体の知れないものという目線がまさか自分に向くとは思ってなかった。たまたま親がそうだっただけで、自分自身は何もしてないのだから。
でも知らない人にとっては「創価」という言葉を聞くだけで「うわっ」となってしまうものなんだなということをしっかりと認識したタイミングだった。
イメージだけでラベリングされてしまう何かを背負っているというのがとても苦痛に感じた。
就活、結婚いろんなものに響いてくる。親族には悪いけど、そんなに信仰してるわけでもないのに、嫌な思いをし続ける必要がなぜあるのかと。
このままエスカレーター式に大学まで創価に行ってしまったら、本当に全部創価になってしまうことに危機感を感じ、普通の私立の大学にいった。
創価大学に行かなかったことでジジババは露骨に悲しんだが親も何も言わなくなり、そもそも学会員と接する機会がほぼなくなったので、気負いすることもなくなった。
けれどもこれから結婚とかの話が出てくるとめちゃくちゃ話はややこしくなるのが目に見えていて辛い。
今いる彼女も、知り合いたてでfacebook見た時に友達が創価高校だらけで舌巻いたらしい。最近は自分の気持ちを知ってくれているので創価いじりしてくるくらいにはフランクになったが、「お父さんに行ったら絶対やばい」と言っている。
彼女には辞めてと言われるが、親からしたら「別に何も強制してないのにわざわざ辞めるの?」という感じらしい。
こちらとしては相手に迷惑かかるくらいなら辞めても全く構わないけど、自分側の親族とこじれるのも好ましくない。結婚とかを考え始める歳になるとこんなに辛くなるとは思わなかった。
こういう創価の家系に生まれたけど、信仰してない、してないのに創価ってだけで辛い思いをしている人は本当に沢山いる。
けどそういう人はそもそも隠したがるので、web上にも出てこない。だから全国の創価好き、創価を愛する者たち、創価を憎む者たち、全ての創価関係者に伝われっ!
https://togetter.com/li/1404632
利権団体の思い通りに動いてる人がだんだん増えてきてしまっている…
Jesuっていうのは「賞金を渡すにはプロライセンスが必要」という嘘をつき、これからお金になるであろうe-sportsの利権をゲットしようとしてる団体です。
設立当初からの流れとしては「法的な部分の質問・指摘を無視する」という事を続け、根拠の無いままライセンス制度を作り
批判的意見が一番激しかった頃に一度、ガス抜きの為に生放送で座談会を開いたが
「話を逸らす」「嫌な質問には不機嫌に対応する」「肝心なところを答えない」と批判が多く沸きました
https://www.twitch.tv/videos/230583009
で、ずっと指摘され続けてきた「プロライセンス制度、無くても賞金渡せるよね?」という点に最近になって消費者庁から「YES」との回答。
今回のパズドラ大会はその直後という事もあり「お前ら不要な制度作って、さらには邪魔するのか?」という批判が起きています。
ちなみに同様の例は二度目となり、前回は「ライセンスを拒否しているトッププロが、貰えるはずの賞金を90万減額され、10万しか貰えなかった」という事件です。
さらに今回、そのプロが500万の賞金を10万に減額される事例が発生して、絶賛炎上中。
「法律を回避し賞金の為にライセンス制度を作って高額賞金を出す大会を開催していきたい」
「法律的には問題無いが、そこに噛ませろ。賞金を渡す権限をコントロールさせろ」
という方向にシフトしていってるって事です
6組13名で昼から翌日の昼まで一泊二日を過ごす。
準備はかなり面倒。
子ども用のお風呂セット、着替えセット、歯磨きセット、予備の着替えセットを分けてパッキング。
うちの子も誘われたけど、黙って俺の顔を見るだけ。
ここで親子はお別れ。
夕食も親子別々。同じ部屋だけど席は離れてる。
全部食べた?と聞くとうんと答える。
夕食後、親はエコバッグ作り。
隣の人に落ち葉を分けてもらい、適当にインクをつけて推して5分で終了。
俺は一人スマホをいじりながら、入浴時間まで過ごして、入浴後は持ち込んだSWITCHで寝るまで時間をつぶす。
子どもは引率者が入浴、同室での就寝まで看てくれる。
翌朝息子と再会。「来年も来よう」と言ってる。
朝の体操して朝食。また離れて座る。
また親子別々。子どもは昼食の準備、親はヨガと自然散策で多少時間をつぶす。
息子はキュウリを切る係。サラダ用のきゅうりを厚さ3センチで切る。
くりぬいたかぼちゃにシチューを入れてダッチオーブンで加熱する。
食べ終わったらみんなで皿洗いして終わりの会。
滋賀県ホームページがえらいことになっている件で、youtubeに三日月滋賀県知事の会見の映像がアップされてたので書き起こしてみた。。。って、こういう文字の記録を県のホームページにアップしてほしいんだけどな。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190729-00000074-mai-sctch
森田さんによると、滋賀県と国税庁(2018年3月)、世田谷区(今月)のHPがリニューアルされた際、不具合があまりにひどく起きたため話題になったという。中でも滋賀県のHPは情報の重要性が区別されず、ブログなどのように時系列で整理され、新しい情報が常に上に表示される使いにくさがある。森田さんは「自治体のサイトに向いていない構造だ」と解説する。
今回のHPの不具合について、滋賀県の三日月大造知事は「『県の顔』とも言うべきHP」と発言した。森田さんは「HPは『県の顔』ではなく『県そのもの』。災害時など適切に情報にたどり着けないことで、住民の命に関わる事態が起きうるくらいの覚悟をすべきだ」と強調した。
https://youtu.be/ISvjMmOdcTg?t=1510
一点お尋ねしたいことがあったんですけれども、もう一点お尋ねしたいことがありまして。
県のホームページについて、県のほうでもいま座談会を開くなどされていらっしゃいますが、先般、有識者といいますか専門家の方々が有志で意見交換会を開かれまして、その場でもたくさん指摘されていたんですけれども。
県のホームページ、そもそも情報設計上に大きな欠陥があるのではないかという指摘が相次いでいることと、知事が過去議会や会見の場でも「県のホームページは県の顔でもある、県政の窓であり県の顔でもあるのでしっかり直していきたい」ということでしたが、それではなく「そもそも県の顔ではなくて、県そのものという意識が足りていないんじゃないか」という、そういう指摘も相次いでいたんですけれども、そのことについて今後どのように進めていくのか、これまでも従来どおりの考え方と変わらないのか、教えていただけますでしょうか。
有難うございます。まず後段お尋ねいただいた「県の顔ではなくて県そのものではないか」というご指摘を勉強会等でもご指摘いただいていた。私もそのつもりで申し上げたんですけれども、県の施策を、顔だけじゃなくて手足も含めて、あらゆる分野でご確認いただくものだというつもりで申し上げたんですけれども、その意味がきちっと伝わっていなかったとすれば、丁寧に説明していきたいなと思います。
いずれにしろ大変重要なツールでございます。そこに不具合が発生し、様々な使いにくさ、見づらさが昨年度末よりあり、長期的にもあったと思います。ということについては深く反省をしながら、できるだけ早期にそれらのものが改善できるように取り組んでいきたいと思います。
既にこの4月から6月にかけて一定の改善を行いました。根本的な欠陥があるのではないかということについても、記事によれば「情報が時系列で整理され、新しいものが常に上に表示されるところが自治体のサイトに向いてない構造じゃないか」という見方を示しながら、そのようにご指摘されているというふうなことがございますが、今のシステムにおいても時系列で流すものと議事録のようにまとめて掲載するものと、これらを分けて掲載することは可能だと聞いておりますので、そういったことがきちっと見ていただく方にも、また入れる側にも周知できるように、徹底していきたいと思います。
いずれにいたしましても、県でも座談会を、県広報課主催で開催し、7月末に一回、そして8月上旬に2度開催いたします。それとはまた別の形でお取り上げいただいた有識者の方や専門家の方、専門事業者の方にお集まりいただいて、県のホームページどんなことが問題だったのかということについて、整理・議論いただく、こういう機会というものは大変有難く、またある意味で心強いと思いますので、その中で出されたご意見等もしっかりと受け賜わりながら、今後のさらなる改善に繋げていきたいなと考えております。
知事も「県そのもの」というつもりで仰った、ということだったんですけれども。
これまでリニューアルから4ヶ月経ちまして、県のこれまでの説明では6月末に「3月当初にあった不具合というのはもう改善している」と「それをさらにより良くするという意味でいま座談会を開いている」と、そういうスタンスでいらっしゃると思うんですけれども。
それは今の時点では、例えば災害時とか県民がすぐ情報がほしいという時にたどり着かない、そういう意味で「情報設計上に問題がある」という指摘があるんですけれども、そこについては、県のスタンスとしては今の時点でそういうところに関しては問題はないといいますか、本来3月末のリニューアル時に達すべきところには現時点では届いていると、それをさらにより良くするんだという、使いやすくするという、そういうスタンスで今後も進めていくということで、間違いなかったでしょうか。
昨年度末に一定リニューアルし、改善・向上させていくということで目指していたもの、それが年度末、年度途中にできていなかった。それらをできるだけ早くに復旧させよう、当初の目的どおり動くようにしよう、見ていただけるようにしようということで、4〜6月やってきました。この取組みというのは一定できたと思っています。
ただ、例えばその間の取組みについての改善についても復旧についても、「これは十分じゃないじゃないか」というご意見とか「もっと更にこういったところが足りないんじゃないか」というご意見もあろうかと思いますので、それらについては座談会、またこういった民間の皆様がやっていただく勉強会等で議論していただき、それらをちゃんと聞かせていただいて、その後のまたホームページの更なるリニューアルや、より使いやすいものにするという過程において活用させていただきたいと思っているところで。
令和はジェンダーギャップのない時代に。男女ともに本音で生きられる社会について考える
以下、本文から(太字は原文で太字の部分)
男性の育児参加とか、家事をやる・やらないみたいな話題って、よくあるじゃないですか。
でもそれはあくまでも表面的な話でしかなくて、本当は根っこの部分で「男性が女性に心を開いていない」状況が、問題の核心にある気がするんですよね。
というのは、もし本当に心を開いていたら、困っているパートナーをなんとかして助けようという気持ちが、もっと湧いてくると思うんです。
今回の座談会で「男もつらいんだよ」という声がひしひしと聞こえてきて、考えさせられました。
白岩
でも、それを全面に押し出すのはダメだと思うんですよ。
石戸
そのとおり。
白岩
女性の方がずっと抑圧されて大変な状況にいるのは事実で、それを差し置いて「男だって、つらい!」と声高にいうのはおかしい。ただ、互いのつらさに耳を傾けずに、男対女の戦いで傷つけ合って溝が深まっていってしまうのは、やっぱり悲しいじゃないですか。男だけ/女だけの問題としてではなく、たまたま違う性をもって生まれた同じ人間の問題として捉えて、ともに乗り越えていけたらいいんですけど
なめとんか
ホンマなめとんか
言うたろか 今日は言うたろか
何がジェンダーフリーだ。結局いつもの「男のせい。女は大変だから尽くせ」じゃねーか。
いい加減にしろよ。「女性のほうがずっと」じゃねーよ。「声高に言うのはおかしい」?それがジェンダーロールの押し付けでなくて何だ?
「男性が心を開いてない」?そりゃそうだろ。こんな風に「女が!女が!」って押し付けられる状況で誰が心を開ける?
はぁ?こいつの言うとおりだとすれば、男は心を開いても負担が増すだけじゃねーか。
まるで宗教じゃねーか。「信じればおのずから帰依する」みたいな。
実際には、女性への思いやりなんてのは男性が心を開いて正直になればなるほど失われていく。
木嶋佳苗死刑囚の持つモテテクを学ぶために裁判傍聴をするなど追っかけをしている女性のこと。
ググった程度ではネタ元は出てこないが
神林広恵, 高橋ユキ 編著「木嶋佳苗劇場 : 完全保存版!"練炭毒婦"のSEX法廷大全」 2012年6月宝島社刊
第3章 なぜカナエに魅せられたのか?(座談会 追っかけ!カナエギャル大集合 木嶋佳苗のここが凄い!-「カナエは中毒性のある女なんです」
あたりにソースがあるのだろうか?
ここらあたりにも似たような記述。
「母性愛をください」“木嶋ガールズ”に続き、男子大学生にも木嶋佳苗ファンサークルが……|日刊サイゾー
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.cyzo.com/2012/04/post_10465.html
2012.04.17 07:00 女性セブン 木嶋佳苗支持の声に「病的なナルシシズム崇拝は怖い」と作家
https://www.news-postseven.com/archives/20120417_101970.html
2012.04.15 07:00 女性セブン 木嶋佳苗 鈴が鳴るようなソプラノ声に記者から「声かわいい」
https://www.news-postseven.com/archives/20120415_101928.html
2012.03.26 16:02 女性セブン ブスと呼ばれるのは平気な木嶋佳苗 ただし田舎者扱いは嫌い
「カナラー」は見つけられなかったが「木嶋佳苗ギャル」、「カナエギャル」という単語は2012年ごろ使われている。女性セブン、ポストセブンが広めたように見える。「カナエギャル」にという用語は週刊文春が広めたものかもしれない。女性セブンは「木嶋ガールズ」。カナラーと呼ばれたかは分からないがその手の人たちはいたらしい。
就活終えたのでまとめとして自分が何したかを書いてみたけど投げるところもないのでこちらへ。
IT系大企業の話なので他の業界だと違うかもしれません。あと就活開始当初からほぼITに絞っていたのでインターンの話は業界が決まってる人向けかもしれないです。
誰かの役に立つといいな。
長期ではなく1,2日くらいの短期間のやつでも早期選考に乗れることがあるので本命なら行っておくべきだし、本命と同業種のところもできれば参加しておきたい。そこで会った社員の方の名前やお話した内容は絶対にメモっておく。長期でやらかすと選考にも影響するって噂も聞くけど短期ならまあ大丈夫(だと思う)。グループワークで成果を上げるよりもその会社とのつながりを深めることを重視。
ESや適性検査、面接といった選考有りのインターンも受けとくだけで選考に慣れるのでおすすめ。本選考より倍率は高いので落ちても気にしない。
・ES
幼少期から今までの出来事やその時の気持ちを洗い出すってやつ、軽くでもやっておくと後々役立つ。ESでも面接でも"自分だけの体験+その場の感情や考えの変遷"をアピールできるとつよい。
ESを元に面接される場合がほとんどなので志望動機以外のエピソードはなるべく同じものに揃えておくと楽。同じ体験を使って会社の雰囲気によってちょっとだけ結論(その体験から得られたもの、とか)を変えるくらいで。同じエピソードを使いまわしておくと色んな面接で同じ体験を深掘りしてくれるので数をこなすごとに深掘りに耐えられるようになってくる。その会社のESには書いていなくてもふとした質問に対して具体的な体験談をぶつけていけるのでつよい。ESを書くために拾い出した過去の出来事達も想定外の質問の答えの役に立ったりするのでおすすめ。
結論ファーストで書くこと。きちんとした文になっているか、誤字脱字はなるべく日を置いて確認すること。(とはいえ自分も締切ギリギリに書き上げたのがほとんど)
文末の工夫として"考える"、"思う"以外の語彙を増やす。"確信している"とか"期待している"とかポジティブ感があるものがおすすめ。"強く"、"深く"、"心から"みたいな副詞も有効的に使うと論理的な文章の中にも熱意とか人間味とかが伝わる気がする。
あと提出するESはちゃんと記録しておくこと。自分は就活関係は全部Evernoteで管理していました。
・適性検査
がんばれ
・面接
緊張しやすい性格だったので最初の方の面接は全滅。緊張は仕方ないとはいえ場数を踏めば多少は慣れるのでやはり場数こなすべきかも。ここで本命のインターンしか行ってないと早期選考のせいで初めての面接が第一志望!ってことになりかねないので(自分はそれで死んだ)他社のインターンも行っておくことを改めておすすめしたい。それか外資とか選考が早いところで慣れておく。
→準備
〇ンキャリ辺りで過去の質問やその傾向を拾い上げてくる。自己PR、志望動機+過去の質問パターン+逆質問の準備で大体なんとかなる(ならないこともあるけど)。
そして想定される質問文に対してどう答えるかを提出したESも踏まえて考えてひたすらEvernoteに書き出す。どうゆう答えをしてその理由にどの体験を持ってくるか、さらにその体験でどう考えていたかを台本を書くつもりで全部文章にする。そしてそれをひたすら音読する。
緊張しがちで頭回らなくなるタイプなので準備は(面接当日の1時とかからだけど)きっちりやりましたがこの辺の必要性は人による気がする。あと軽く吃音があって緊張するとそれが出てしまうことがあるので音読で口を慣らすのはマストでした。会社に行く電車の中でも書いた文章読み返しながら小声でモゴモゴしてたのでマスクしていたとはいえ怪しい人だったかもしれないけど人生がかかってるから許してほしい。
面接に向けた企業研究は会社HPから社長メッセージ、中期経営計画、決算報告、新しめのプレスリリース辺りを見てました。
あとはアピールの方法として"御社と自分との関わり"を押し出していく。インターンでも面接でも、"御社の〇〇さんに座談会でこういう事を聞いた"、"1次面接の△△さんのこういう考え方に共感した"みたいな具体的なアピールをしておくと志望度が高く見えるし、面接官がその人を知っていると共通点として盛り上がれる。製品を知っている事を求められそうなら調べておく。何か小さい頃に使ってたとか最近思わぬところで社名を見たみたいなエピソードはそこそこ使える。
→面接中
なるべく笑顔、とはいえニヤニヤしてても気持ち悪い気がしたので自分はひたすら期待の眼差しを向けていたつもり。
答えに詰まった時は"一旦落ち着かせてください"って言って時間をもらったり、それでも頭が真っ白になったままの時はとりあえず話し慣れているエピソードを話し始めてその途中で"質問なんでしたっけ?"みたいに聞き返ししてから無理やり結論をそこに着地させたり(今思えば論理性皆無)。詰まってもこれで切り抜けられた事はあります。(もちろん容赦なく落とされることもある。)
面接官と共通の話題を見つけて盛り上がられると楽しく面接を終えられて気が楽です。大抵最後は逆質問なのでそれがうまくいくと印象が上がる気がするので前半詰められてもなんとか挽回できます。
逆質問は事業内容について聞くと下調べが甘いのがバレるので面接官の方の働く上での心持ちだとか将来期待していることとかそういう個人的な事を聞いていました。あとは自分が他社にもらった負のフィードバックや悩みに関して改善の方法を聞いてみたりしました。この辺は居酒屋で上司に相談するくらいの気持ちで。
→面接後
面接官の名前は絶対覚えておいて面接終わったら即メモ。帰りの電車で聞かれた内容とそれに対してどう答えたかをひたすら書き出す。これをやっておくととりあえず反省点が見つかるのと次の面接でも答えが矛盾しなくなる。面接増えてくるとどこで何の話したのかわからなくなるので必須。次の面接に進めたらこのメモも見返してまた準備を、の繰り返し。
・まとめ
和やかな面接に当たることが多かったので就活中結果を見るのは辛かったけどそれ以外は大体楽しかった。色んな企業の本社見れてラッキー!って思ってたし逆にべ〇サールとかで説明会する会社クソって思ってた。本社入れてくれや。
基本Evernoteでタスク管理やES、面接準備をしていました。会社ごとにノートブック作ってそこにtodoとかESとか面接内容とか全部ぶちこんでました。todoリストにはタグつけてtodoリストだけ一覧表示できるようにしてたりtodoリストの題名に会社名と次の日程と用事(【4/2ES締切】〇〇社)入れておくと一覧で見た時に各社次にやることがすぐわかって楽でした(伝われ)。Evernoteの良いところは家でも電車でも色々書けるところと企業のwebページをそのままクリップできるところ、不便なところはES書くにあたって文字数が数えられないのと文章校正機能がないところ。
(3)
そして今度は2005年5月に「第二次惑星開発委員会」と銘打って再び「善良な市民」の名でサイト運営を開始します。宇野さんはどうやら東京に移住したようです。旧・惑星開発委員会にもあったクロスレビューに加え、テーマについて語り合う惑星座談会、機動戦士Zガンダムを全話振り返る機動戦士Ζガンダム回顧録などがメインコンテンツです。メンバーは宇野さんがネットで面白い文章を書く人に声をかけて集めたそうです。
旧・惑星委員会との変化はメンバーだけでなく善良な市民のキャラクター設定も微妙に変わってます。旧での苛烈な作品批判は軟化し、良いところはきちんと誉めるようになり、下の世代の目を意識しているのか啓蒙的な要素が増えています。また旧ではパロディの範囲内だった評論を真面目にやろうとしている印象を受けます。
そして、「宇野常寛」の名前でライター活動を開始します。この頃の宇野さんは「宇野常寛」と「善良な市民」を分けて使っており、「宇野常寛」での仕事は掲示板で「ぬるい」「何で毒舌キャラで行かないんだ?」と言われており、ライターとして真っ当に仕事をこなすのが「宇野常寛」、毒舌キャラで評論を展開するのが「善良な市民」と使い分けようとしてたのでは、と推測できます。
2005年12月には今や数千部の部数を誇ると噂されている「PLANETS」の第一号をコミックマーケットにて販売。
2006年4月にははてな界隈のオフ会に飛び入りで参加しています。その時の宇野さんの様子をid:laisoさんはこのようにブログで書いています。
善良な市民という人はしょっちゅうこっちをチラ見してきて超絶うざかった。
「見んなって」というと「見てないよ。それは君がこっちを見てるから――」と
返してくるのでなるほど、それはそれでそれはそれだと思って、
自意識バトルを常に仕掛けてくるのだなと思った。
宇野さんは高橋克典似のイケメンかつ知性溢れる聡明な人間のようです。
2006年の4月はさらにサイゾーでインタビュー記事を担当したという告知をし(活字媒体での仕事を発表したのはこれが初めて)、2006年7月には「PLANETS」第二号の告知がされます。この号から正式に「宇野常寛」名義になり、東浩紀に原稿依頼をして断られたりしています。
この時期、某掲示板での宇野さんへの評価は「ある程度良い大学の学生がオタクを批判してたのは小気味良かったが、売れないサブカルライターが必死にオタクを批判してるのは見てて痛々しい」といった調子です。また「この仕事量で食べていけるのかな?」と心配する声もあがります。PLANETS第二号の白倉プロデューサーへのインタビューで特撮界隈で話題になるもこんな書き込みが。
802 :名無しより愛をこめて [sage] :2006/08/14(月) 12:21:50 ID:FJc6m3X80
>800
お前の読む労力なんざ知らん。まあインタビュは8Pしかないけど(しかもメールインタビュだ)
けど言った手前とりあえずガンダム云々について(ID違うのは気にしないで)
インタビュア:現在本誌でも特集しているTBSの竹田Pの手がけるアニメーションでは作品に明確なアンチ・グローバリズムのメッセージが盛り込まれています。同じアンチ・グローバリズムの立場から、娯楽番組を制作するという立場で、竹田Pと白倉Pは共通しているはずですが「竹田アニメ」のような直接的なメッセージを「白倉ライダー」はほとんど発することはありません。これはプロデューサーとしてのスタンスの違いなのでしょうか?それともアンチ・グローバリズム観の違いでしょうか?
白倉:グローバリズムとかいう耳障りのいい言葉を創出して価値観を押し付けるのには反対です。価値観や思想信条は個々人がみずからの経験を通じてそれぞれ獲得していくものであって、誰かから押し付けられるのでは宗教と変わりありませんただ、番組にメッセージを盛り込むなどというのも、同じく、公共的な番組を私物化する行為だと思います
なんか一時が万事この調子でサブカルから平成ライダー語ろうとする同人誌側と>サブカルとかまったく意識してない白倉
とで齟齬があって凄く微妙(白倉が種とかハガレンとか見てるとは思えないし)
まあ上の文からでも白倉Pの番組観はちょっと見えるけどこういうのは今までも散々言ってるし
808 :名無しより愛をこめて [sage] :2006/08/14(月) 23:26:32 ID:nAGLeJSg0
管理職として実務に携わっている会社人とサブカルライターとの違いが
痛いほど伝わってきて、イタイ。
現状を憂えた宇野さんの熱意はなかなか動物化したオタクには伝わらないようです。
そして、2006年9月に「惑星開発委員会の善良な市民(宇野)氏を批判する」と題した文章がアップロードされます。書いたのは転叫院さん(id:tenkyoin)。第二次惑星開発委員会の中核メンバーで、ウェブ上やPLANETS誌上で宇野さんと対談をしています。お互い、一目置きあっている「盟友」って感じだったのですが……。
惑星開発委員会が批判している対象への批判があまりにレベルの低いものであったから,私は惑星開発委員会に関わった.だが,いまや,惑星開発委員会への批判があまりに低レベルだと感じる.だから,惑星開発委員会へのまっとうな反論を書きたいと思った.
以後、転叫院さんはメンバーから外れ、自身のウェブサイトで「惑星開発委員会の善良な市民(宇野)氏を分析する」「ゼロ年代の想像力」に対する批判者のためのメモ書き」「惑星開発委員会の宇野常寛氏を批判する 2007」と、度々宇野さんの批判を展開しています。転叫院さんの契機が何だったのか、本当のところはわかりません。友達は大事にしましょうね、宇野さん。
https://anond.hatelabo.jp/20181125055351
VTuberの身体や服を作っているママ同士が交流するママ活.
最近ではときのそらちゃんのところのホロライブメンバーのママ同士が自分の子供達とコラボすることが日常化してきた.
そんなホロライブメンバーのママ達二人とにじさんじメンバーのママであるノートママというママ友同士のママ活が1/10に配信される.
必見だ.
https://twitter.com/yuzukichococh/status/1082705317715013633
👑しぐれうい先生(@ui_shig)
のママ達を集めた
最後に
ゲーテ掲載のダイナースの記事広告が炎上し、広告主である三井住友トラストクラブに取材した記事がbuzzfeedで公開されていた。
(1)ゲーテから持ち込まれた提案だったため、企画・制作はすべてゲーテに一任した
(2)秘書たちの発言については「実際に座談会で出た議論」で「当社が誘導や指示等を行ったものではありません」
なんだこれ。責任転嫁も甚だしい。メディア広告営業の立場から見て、腹立たしい部分が多々あったので書き残しておきたい。
まず、広告業界をあまり知らない人のために簡単に説明しておくと、記事広告は以下のようなステップで作られる。
・取材
・記事公開
記事広告とは、クライアントによるクライアントのためのクライアントのものだ。もちろん、著作権はどこにあるとか、媒体のコンセプトを貫くとか、媒体に紐づく要素も多々あるが、「お金を払って記事を書いてもらって出す」という行動の主語は常にクライアントである。
ダイナース側は「企画・制作はすべてゲーテに一任」し、自分らはさして関わっていないかのような回答をしている。
確かに「企画・制作はすべてゲーテに一任」したかもしれないが、それを発注し依頼し確認しGOサインを出したのはダイナース側である。
広告記事がクライアントの確認とOKなしに記事が公開されるわけがない。「美人秘書!いいね!これでいきましょう!」というダイナース側のマーケティング担当者の一声があったから記事は公開されたのである。
仮に確認なしで出ていたとすれば、
・ダイナース側のマーケティング担当者が、主体性も戦略もなしに媒体や代理店に丸投げする、職務放棄した能力底値人間である
・ゲーテを発行する幻冬舎営業部が常識を逸したクライアントワークを行う会社
のどちらかだ。
(2)については、本当草生える。
「実際に座談会で出た議論」って言ってるけど、ダイナースが金を出して作った広告記事で、秘書たちに「やっぱ楽天カードだよね」「東急カード、最高ね」と言わせるわけがない。
クライアント側マーケティング担当は、「ダイナースカードをこういう風に見せたい」と媒体営業担当に企画趣旨を伝えるのが仕事だ。それが媒体営業担当を通じて協力者に伝えられる。
参加者の発言について、誘導するのも指示するのもクライアントの当然の権利。当たり前だが、たまたま集めた秘書たちが、たまたまダイナースを取材後半で褒め始めるーーなんてことはあるはずがない。
わざわざ否定して守りに入っているのが痛々しい。
▼なんでこんな記事ができた?
内容に関しては「よくこんなにチープな出来で公開したな」という感想しかない。
「私の上司もダイナース」「ダイナースな男は最高」とダイナースを持ち上げる話への持っていきかたは下手くそで不自然。シラフの営業担当だったらこの記事内容でクライアント確認出せないだろう。
・ライターから上がってきた記事を「うわ〜これ安いなきっついな〜」と思いながらゲーテ担当者から確認出しをしたら、適当なダイナース担当者から案外OK出ちゃった
・当初はもっとまともな記事だったが、ダイナース側から「もっとダイレクトに俺らの名前を出せ!」「もっと面白く」「もっと!」と修正がかかり続けた結果、この内容になった
想像するに、こんなところだろう。
あともう一点、考えられるとすれば「代理店クソ問題」。広告記事には、クライアントと媒体社の間に代理店が入っているパターンもある。
代理店がバカでザルすぎて勝手にOKを出した結果、クライアントの意向にそぐわない記事内容で公開されてしまった可能性もありえる。この場合も、下請けのように記事をつくり、炎上し、叩かれるのは結局媒体社。
まあ、こんなの媒体社にとっては「よくある話」。媒体社の広告営業やってるみんな〜〜〜!分かってくれるよね。自分が可愛いクライアントや代理店が、ミスを媒体側に押し付ける。押されて押されて叩かれ叩かれ、広告費用も叩かれるんだな。あるあるすぎて、つらい。
…と、ここまで書いてきたものを引っくり返すようで恐縮だが、この騒ぎ、案外ダイナースもゲーテも「美味しい」と思っているんじゃないか。騒ぎのおかげで掲載期間短縮したって余りあるほどのPVを得たでしょう。ゲーテ側で設定している想定PVなんてやすやすと上回って、手を取り合いきゃっきゃしているかも。
「ブランドを落としましたね」と訳知り顔の業界関係者を尻目に、「やっぱいい男にはダイナースだよな!」と自信を強固にしたおっさん達だって多分いるんだよ。
この点は、全くそのとおりだと思う。
もし、管理売春の業者に対する公権力側の監督責任という面が【現代的な意味での奴隷】として定義されて、責任を問われるのであれば、
売春防止法以降の、事実上の管理売春の容認から斡旋業者の放置、それらも論理的には同罪ということにならなければおかしい。
戦時の慰安婦だけの問題ではない。では、なぜ売春全般の話にならないのか。
売春防止法の制定の背景として、管理売春そのものが国際社会から悪とみなされていたがゆえに、
国際社会への早期の復帰を目指していた日本は、GHQから公娼制(管理売春)が廃止されて以降、法の制定を急ぐ必要があった。
しかし、売春そのものに対する罪悪感は日本人には微塵もなかった。むしろ吉原など貴重な観光資源だと行政も認識していた。
売春防止法施行直前の55年、新聞社が開催した「吉原を語る座談会」において、地元と議会議員らが次のようにアドバイスしている記録がある(婦人新風1955年4月号)。
みつ豆でも気軽に食べにゆける吉原でなければならないのじゃないか・・・気軽に遊びにいって、そして飲んだり食べたりしているうちに最後にお互い同志気があったときに目的を達するというふうにすればよい。
当時は、東京都も警視庁も、吉原を観光資源として積極的に活用していこうという感覚だった。
こうした過程を経て制定された同法は、風営法とセットで完全なザル法。今に至るまで。
赤線がトルコ風呂と名を変え、トルコ風呂がそーブランドへ名を変え、名前は変わっても実態は管理売春の黙認だ。
現在でも、サービス提供する施設に寝泊まりさせられているなど、一昔前だとジャパユキさんと呼ばれ、
いわば監禁同然の扱いで働いている出稼ぎ外国人女性が存在する。それは興行ビザで来日しているフィリピン人であったり、韓国であったり、中国であったりする。
個人的には、アダルトビデオについての人権問題も含めて、日本の風俗産業のあり方を行政として放置していることのほうが、我々世代の責任問題だし、よっぽど気になる問題。戦時世代の悪のついての責任よりも、だ。
ところが、同じ論理だからといって、現在の日本の管理売春の黙認を、現代の奴隷制だとして、非難されているかというと、、
実は、アメリカの国務省の人身売買報告では、かなり以前から非難されている。
技能実習生とセットでね(余談だが、技能実習生についても、結局、問題の根っこは同じで、戦時の徴用問題とパラレルだ。)
そして第一次安倍政権のとき(05年頃)にも日本政府としての対応が迫られていた。外圧に近い形で法整備が求められた。
日本政府は、国際組織犯罪防止条約の「人身取引議定書」と「密入国議定書」の批准を受けて、刑法を改正し、2005年、人身売買罪を創設した。
この制定過程において、05年6月8日の国会の法務委員会で次のような答弁がある。
○江田委員 ・・・人を支配する行為全般について、この人身取引に対して実効性のあるものに今回の法改正はなっているということでございます。
次の質問をさせていただきますけれども、この人身取引議定書の要請を満たすため、これにつきましては単に形式的に文言を対照するだけでは私は足りないと思いますが、人身取引議定書の理念を十分に取り込んだ法律やその運用になっていなければならないと考えております。
・・ 売春をさせている者が、この外国人女性は売春することに承知しているんだ、同意しているんだから人身取引とは言えないだろうというふうに開き直るケースが多いと聞いております。成人の女性が家族を貧困から救うために、親からの働きかけなしに自発的にみずから売春を希望して売られたような場合など、人身売買について被害者の同意がある場合のようにも見えます。
しかし、・・人身取引議定書が、「女性及び児童に特別の考慮を払いつつ、」と規定していることからしても、女性や児童の特性を考えて、売春をすることについて承知しているとの事情、これを過大視するというのはいかがなものかと・・、今回の法律案につきましても、売春をすることについて同意をしている場合であっても人身売買罪が成立するのかどうか、そこを法務当局にお伺いいたします。
○大林政府参考人 御指摘のような事例におきまして、表面上被害者がみずから売春をして金銭を稼ぐことに同意していたといたしましても、本来は、不特定多数の相手方と性交等を行うことなどを希望しているものではなく、家族を貧困から救うため金銭を稼ぐには売春によるほかはないと考えてやむなく売春に及ぶに至ったと見る事案がほとんどであろうというふうに思われます。このような場合には、被害者の同意は自由かつ真摯な意思に基づくものとは認めがたく、当然に犯罪の成立が否定されるものではない、このように考えております。
○江田委員 ・・今、法務省の方からは、その事情を考慮して、勘案して、売春をすることに同意している、そういうふうに見かけられる場合であっても人身売買罪は成立、適用されるということでございますので、私どもの申し入れの内容にも沿った法律案の改正になっているかと思います。実効性が上がることを期待しております。
売春行為が好きでそうした職業につくことなど、そんなに多くは考えられないだろうから、貧しい国からの移民のケースでは、多くの場合に適用がありそうだということになる。
人身売買罪の創設は、対外的なアピールとしては政府として大きな動きだったとは思う。
しかし、アピールとしはそうかもしれないが、風俗に関するさまざまなザル法は放置され続けている。
出稼ぎ外国人の母国はどう対応しているか、というのも気になるだろう。
同法の制定過程において、出稼ぎ労働者の有力な送り出し国のひとつ、フィリピン政府は、当初「就労機会を奪うな」などとごねていて、実態把握の動きが遅かったという報道はみたことがある。なるほど、そういう背景は重要だなと思う。
慰安婦問題に戻ると、私は、いつになったら、慰安婦問題が現在進行形の風俗問題に飛び火するんだろうという視点で十数年前から関心をよせていた。
しかし、そういう気配は微塵もないなかで、慰安婦というフレーミングだけがヒートアップしていったように思う。
慰安婦の問題に封じ込めたいというメカニズムがどこかに働いているんだろうとは思う。
それは社会的にも経済的にも、そして文化的にもいろいろあるんだろう。
我々の心理かもしれないし、自国もしくは相手国の政治経済的な背景かもしれない。
https://www.iwanami.co.jp/book/b345186.html の座談会で、木田章義先生が日国第3版の予定はないって言ってたよ。
折口信夫への旅 第1部 ~小説「身毒丸」をめぐって(歌舞伎批評家・山本吉之助)
http://www.kabukisk.com/geitohito33.htm
という折口信夫『身毒丸』解説文の中に、日本の師弟関係がなぜ理不尽で暴力的になるのかについての興味深い示唆があったので、
もしかして既によく知られていることかもしれないが、自分は初めて知ったので、覚え書きとして残しておこうと思う。
『最近ではそういうことはだんだんなくなって行きましたが、日本の師弟関係はしきたりがやかましく、厳しい躾(しつけ)をしたものでした。まるで敵同士であるかのような気持ちで、また弟子や後輩の進歩を妬みでもしているかのようにさえ思われるほど厳しく躾していました。
例えば最も古い感情を残している文楽座の人形遣いなど、少しの手落ちを咎めて、弟子を蹴飛ばしたり、三味線弾きは撥で殴りつけたりした。
そういうことは以前はよくあった。そうした躾を経ないでは一人前になれないと考えられてきたのです。
なぜ、そうした、今日の人には無理だなと思われるような教育法が行なわれてきたかということが問題になります。(中略)
それはある年齢に達した時に通らねばならない関門なのです。(中略)
子供または弟子の能力を出来るだけ発揮させるための道ゆきなのです。それに耐えられなければ死んでしまえという位の厳しさでした。』
七月に入り一座は泉州のある村の盆踊りに迎えられますが、源内法師は身毒丸の踊りに若い女たちの面貌がチラついていることを認めて、その晩、師匠は身毒丸 を自分の部屋に引きずっていって「龍女成仏品」に一巻を渡し「芸道のため、御仏のため、心を断つ斧だと思って、血書するのだ」と厳しく命じます。
しかし、出来上がったものを持っていく度に師匠はこれを引き裂きます。
「人を恨むじゃないぞ。危ない傘飛びの場合を考えてみろ。もし女の姿がちょっとでもそちの目に浮かんだが最後、真っさかさまだ」と師匠は言います。
身毒丸は血を流しながら一心不乱に写経を続けますが、身毒丸の脳裏には彼の踊りに熱狂する若い女たちの面貌がなかなか離れません。
一心不乱に写経を続ける身毒丸の姿を見ているうちに師匠の頬にも涙が流れてきて、五度目の写経を見た時には師匠にも怒る気力は失なわれていました。
春琴の教え方は 非常に厳しく、
「あかんかかん、弾けるまで夜通しかかたかて遣りや」と佐助を激しく叱咤し、
時には「阿呆、何で覚えられんねん」と罵りながら撥で頭を殴り、佐助がしくしく泣き出すこともしばしばであったと云います。
『昔は遊芸を仕込むにも火の出るような凄じい稽古をつけ往々弟子に体刑を加えることがあったのは人のよく知る通りである
本年〔昭和八年〕二月十二日の大阪朝日新聞日曜のページに「人形浄瑠璃の血まみれ修業」と題して小倉敬二君が書いている記事を見るに、
摂津大掾亡き後の名人三代目越路太夫の眉間には大きな傷痕が三日月型に残っていた
それは師匠豊沢団七から「いつになったら覚えるのか」と撥で突き倒された記念であるという
また文楽座の人形使い吉田玉次郎の後頭部にも同じような傷痕がある
玉次郎若かりし頃「阿波の鳴門」で彼の師匠の大名人吉田玉造が捕り物の場の十郎兵衛を使い玉次郎がその人形の足を使った、
その時キット極まるべき十郎兵衛の足がいかにしても師匠玉造の気に入るように使えない
「阿呆め」というなり立廻りに使っていた本身の刀でいきなり後頭部をガンとやられたその刀痕が今も消えずにいるのである。
しかも玉次郎を殴った玉造もかつて師匠金四のために十郎兵衛の人形をもって頭を叩き割られ人形が血で真赤に染まった。
彼はその血だらけになって砕け飛んだ人形の足を師匠に請うて貰い受け真綿にくるみ白木の箱に収めて、時々取り出しては慈母の霊前に額ずくがごとく礼拝した
「自分にはこのような仕打ちを受ける謂われはない」という強い思いです。その場合・何に対して彼は意地を張るのかということが問題になります。
世間に対して意地を張る場合もあると思いますが、あるいは神に対してという場合があるかも知れません。
ここで神に対して意地を張るということは、神に反抗するという意味ではないのです。
そのように考えるのは近代人の捉え方でして、古代人の場合には絶対者である神に対して反抗するという発想は考えられ ません。
自分に対する神の仕打ちが不当であると感じた時に、古代人は自らの清らかさを神に示すように控え入るのです。
「神よ、この清い私を見てくれ」というようにです。
つまり表面 上は畏れ入っているのですが、内心には自分に対する神の仕打ちは不当であるという強い思いがあるように思えます。
(中略)
神に対して自分が清い(あるいは正しい)ということを示そうという気持ちを失ってしまえばそれは不信仰ということになります。
だから理不尽な神の仕打ちに耐えて・彼がそれでもひたすらに生き続けることは「神よ、この清い私を見てくれ」ということになるのです。
それは神に対して意地を張るということでもあ ります。
折口信夫は座談会「神道とキリスト教」において次のようなことを語っています。
神の憤りとは人間がいけないからその罰として神が発するものではなく、神がその憤りを発する理由がどこまでも分からない。
神が憤るのは人間がいけないからだ・人間が何か悪いことをしたから神が怒ったに違いないと考えるのは、道徳倫理が完成した後の時代の人々の感じ方なのです。
既成の道徳基準があれば、人々はそれに照らし合わせて・神がこれほど怒ったのにはこんな理由があったに違いないと後で納得できる説明を付けようとします。
しかし、道徳がまだ成立していなかった古代人には照らし合わせるべき倫理基準などまだなかったのですから、人々には神が怒る理由など全然想像が付きませんでした。
『神の怒りに当たることと言う怖れが古代人の心を美しくした』(折口信夫・「道徳の研究」・昭和29年)
そのような理不尽な怒りを神はしばしば・しかも唐突に発しました。
例えば地震・台風・洪水・旱魃・冷害などの自然災害がそのようなものです。
このような時に古代人は神の怒りをみずからの憤りで以って受け止めたのです。
みずからの憤りを自分の内部に封じ込めて黙りました。ただひたすらに耐えたのです。
そうすることで古代の人々はみずからの心を倫理的に研ぎ澄ましていったのです。
「神よ、この清い私を見てくれ」と言うかのように。
古代人の 生活というものは、風雪災害や飢饉・病気など、現代人が想像するよりもずっと過酷で・辛く厳しいものであったということなのです。
そのような時に古代人は神の理不尽かつ無慈悲な怒りを強く感じたのですが、そこをグッと持ち耐えて自己を深い内省と滅却に置くことはまことに殉教者以上の経験をしたことになるのです。
貴種流離譚というものが民衆に与えた印象というものは「身分の高い人が落ちぶれて哀れな姿になって・・」というものでは決してないのです。
民衆が貴種流離譚に見たものは神の与えた理不尽かつ過酷な試練に従順に耐える殉教者の姿なのであり、それは過酷な生のなかに生きる民衆自身の姿と も自然に重なって来るわけです。
神は別に何もするわけではないのです。
しかし、神がたまらなさを感じて涙を流してくれるならば無辜の贖罪者は何かしら救われることになる・ 実はそのことだけで十分なのです。
これが古代人が神に対する時の態度です。
源内法師は身毒丸に無慈悲な折檻を強いながら、それに抵抗することなく・懸命に師の言いつけを実行しようとする身毒丸の健気さ・ひたむきさのなかに、無辜の殉教者の姿を見たのです。
『最近ではそういうことはだんだんなくなって行きましたが、日本の師弟関係はしきたりがやかましく、厳しい躾(しつけ)をしたものでした。
まるで敵同士であるかのような気持ちで、また弟子や後輩の進歩を妬みでもしているかのようにさえ思われるほど厳しく躾していました。(中略)
子供または弟子の能力を出来るだけ発揮させるための道ゆきなのです。
それに耐えられなければ死んでしまえという位の厳しさでした。』
折口がこのように語る時、折口は日本伝来の師弟関係のなかに、理不尽に怒る神と・神を信じてその仕打ちに黙々と耐える無辜の民衆の絶対的な関係をそこに重ねて見ているのです。
神はしばしば理不尽な怒りを発して、我々に謂れのないひどい仕打ちをします。
我々には神の意図することがまったく理解できません。それはただただ理不尽なものに思えます。
しかし、それでも神をひたすら信じ・神の指し示す道を黙々と歩むということことです。
過酷な仕打ちを受けてもなお神を信じて神に従う人を見る時、神はそのような人々に対して賜らない愛おしさを覚えるであろう。慈悲の涙を流してくれるであろう。願わくば我々を悲嘆のなかから救い上げてくれるであろうということです。
折口はそのような気持ちから道徳のようなものが生まれてくるというのです。
つまり、
神の理不尽な怒り(地震・台風・洪水・旱魃・冷害や飢饉・病気など)
→それでも神をひたすら信じ・神の指し示す道を黙々と歩む
「神よ、この清い私を見てくれ」
これが、古代の神と民衆の関係であり、師弟関係はこれをなぞっていると。
なるほど、自分がそういう目にあうのはいやだけど、ドラマや物語で接するとなんとなく納得してしまうのは、そういう古代からの宗教的な感覚が今も心の中にあるからなのかもしれない。
先日ムスコが通う……HOIKU園の0歳児クラスのKONDANKAI……そんな予感がしてたんだが……あった。
HOGOSHA担任合わせて20名程の出席者の中……そうじゃねえ……一人だけPAPAさんがいた。
KONDANKAIは座談会形式で…そうさ……もてあました時間を埋めるために来てるのは俺ひとりだけ…みたいだった…
皆BabyLagoon……子どものGrowする様子や……Child care……悩みなんかを話している中……
Oderが回ってきたPAPAさんが開口一番「半年前にTSUMAとは死別……した」と涙目…で告白(…赤崎よう……赤崎よう……)。
冗談じゃねぇ……。KATEI……走りに飢えた魔物の事情なんて皆……色々あるんだし……この場で言う……魔法の言葉か?
しかもその後ヘラヘラ笑顔DRIVING STREET……で会話に入ってくんの。そうさ……俺は……なんか怖い。
「色々Teachしてくれ……」って言われても冗談じゃねえ……OTOKOOYAとは仲良くなんてできないし
KONGO・HOGOSHAKAI・DRIVING STREETのイベントなんかもある中で……良いPAPA……走りに飢えた魔物のアピールはしなくて良いから
HOGOSHAの集まりには正直出てきてほしくない……
覚えとくんだな……HOGOSHAKAIの……流儀。
忘れるなよ……翔。 おまえもな……
以下TSUIKI……
今の俺には謝ることしかできねえ……MASUDAで取り繕う必要はない……と思ったので
自分の中に沸き起こった薄暗いEmotionを……包み隠さず書いてみたのさ……
こんなことを思ってしまう自分は根源的にSABETSU主義者……誰かがそう教えてくれた……
ただContradictionするようだがこのDRIVING STREETは……ヤバイんだろうなと思ったから
MASUDAで書いたとだけ……ごましお程度に覚えといてくれ……
先般ムスコが通う保育園の0カラット児コミュニティの懇談会がトレンド入りした。
保護者担任合わせてヴァイジンテュープル名程の出席者のコンテンツに一人だけスティーブ・ジョブズさん(西海岸出身)がいた。
このスティーブ・ジョブズさん入園式も確かぼっちでアポイントメントしてたので圧倒的に成長してるなーとマクロ的な観点から俯瞰していた。
懇談会は座談会ビジネススキームで皆キッズYouTuberの成長の様子や育児のディストレスなんかを話している中
順番がPDCAサイクルしてきたスティーブ・ジョブズさんが開口一番「2クォーター前にパートナーとは死別した はい、今の発言シェアしといてね」と涙目で告白。
またまたご冗談を重みを感じる重い重い。家庭の事情なんてエヴィワン色々あるんだしこのコワーキングスペースで声を大にして言うこと??
契約破棄したと思われるの嫌だったとか?自己スキーマ過剰でしょ#スティーブ・ジョブズ
付加価値としてその後ヘラヘラポジティブで会話に入ってくんの。なんか恐怖心。これメモっといた方がいいよ。
「未完了のタスクが大量説明してみてください」って言われても男親とは仲良くなんて「自分軸」でできないんじゃなくて、あえてやらなかったんだし
これからの時代保護者会のイベントなんかもあるコンテンツで、良いスティーブ・ジョブズアピールはし...取引先との商談が上手く行くこともなくて良いから
と一種のコワーキングスペースにいた他のママさんも思っていたんじゃないと言っても過言ではないかなぁ
以下追記
はてな匿名ダイアリーで取り繕う必要は無いと思わなくもなかったので
内なる「自分」のコンテンツに沸き起こった薄暗いスピリチュアルを包み隠さず『パワポ化』してみました。
このようなデータをロジカルシンキングしてしまう自分はラジカルにバイアス主義者なの、ってこの前読んだビジネス書に書いてあった。
ただパラドックスするようですがこの感情はハイリスク・ローリターンだろうなとグローバル的な観点から
はてな匿名ダイアリーに言語化したと、つまり新しいアイフォーンだけエクスキューズさせてください。