2024-01-16

値切り文化が苦手だった

自分実家関西だが大阪ではなかった。


高校生のころ、PC周辺機器必要になった

最寄りの電気量販店ではあまり取り扱いがないみたいだし、どうやら高い。

まだネット通販などがほぼなかったと言える時代で、足や電話で値段比較する世界


PC雑誌などを見ていると、なんといっても関西PC周辺機器を買うならばココ、

ということで、大阪日本橋に行った。


電気店を何軒もまわったが、なるほど確かにしかった周辺機器在庫がある店が多い。

しかし、わざわざここまでやってくるほど安くはない。

「これは値切りしなきゃいけない・・・」と思いながら、売り場をウロついたり

他の店に行ったり戻ったり、途中でゲーセンに行ったりと、とにかくマゴマゴしていた。

元の性格が気弱だったし、この界隈の作法が分からないのだ。


時間もかけて、ようやく店員さんに、

「これ、あの、安くなりますか?駄目ですか?」といった風な言葉を発することができた。

そして、「あーちょっとどうですかね」という店員の返答に対して食い気味に「くく、くださいこれください」と、値札そのままの価格で購入して帰路に着いた。


目的の物が手に入ったが、敗北感でいっぱいだった。

堂々と値切れないだけでこんなにミジメな気持ちになるなんて、大阪の前提が自分性格に合わない、もう嫌だ。

高校生は鼻をツーンとさせながら地下鉄階段を降りていった。


改札をくぐり、トイレにより、小便をしている(個別便器があったか、壁みたいな所にする方式だったかは忘れた)と、

奥に立っていた中年サラリーマン笑顔でやさしく声をかけてきた。

「5000円でなめさせてよ。」

薄いコートでかくれていた下半身こちらに向け、屹立した自身通天閣をこすりながらにじり寄ってくる。

中学生高校生?」などと言いながら。


小便を途中で止め、荷物をまとめて、駅員のいる改札方面に走って逃げていった。

(でも気弱だったので、駅員には何も言わない)


トイレから出たサラリーマンこちらを見つけたが、駅員がそばいるからか、近寄らず、笑顔こちらに手を振って去っていった。

しばらく膝が震えていたが、

身体が持ち直してから、ようやく、再度の帰路についた。


逃げる時にぶつけたか地下鉄喧騒でもまれたかわすれたが、

家につくまでにPC店の袋が破れたので、製品の箱を直で持って帰った。


親に「(目的の物が買えて)よかったね」と言われたとき

私はソファに走っていって、突っ伏して泣きまくったので、親は混乱したと思う。


もう時間もたったので、値切りの文化も変容してると思うけど。

書いているうちに封印していた五千円おじさんの記憶が蘇って記述が分厚くなってしまったが、

主題に戻ると、なんせ落とし所も押し加減も分からない気弱な人間にとっては

値切り文化はすごく苦手意識があったということ。

その後、多少ナイーブさはなくなったもの

海外旅行などで値切りのやりとりの問答には不毛さを感じてけっこう耐え切れない。

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