はてなキーワード: ワーキングプアとは
考えれば考えるほど、医者+製薬会社+官僚の権益確保システムがよくできていて笑うしかない。
さすが日本最高の頭脳がよってたかって長年かけて作り上げたシステム、非の打ち所がない。
あらゆる方面に対してWIN-WINの関係(もしくはそう見えるような状況)を巧妙に作り上げて文句も言われにくくなってところも、もう芸術的といっていい素晴らしさだ。
日本国民は国民皆保険制度により、3割の負担で医療を受けることができる。
どんな医療行為がいくらになるかは診療報酬制度で全国一律となっており、地域差や病院によって負担が不公平にならないようになっている。すばらしい。
現行の診療報酬は
http://www.mhlw.go.jp/shingi/2006/10/dl/s1005-4e.pdf
このへんがオフィシャルなのかな。
うん。よくあるよね。なんだか痛いので整形外科にいくようなパターン。
初診料 270点
検査 577点
画像診断 158点
処方せん料 70点
計 1,075点
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( ゚д゚)
(つд⊂)ゴシゴシ
(;゚д゚)
(つд⊂)ゴシゴシ
_, ._
(;゚ Д゚)
高っ!
レントゲン1発撮って1580円(MRIなら8500円!)いつもどおりの処方せん書いて700円。なんという戦略的価格。
でも、3割負担だから請求されるのは3225円。これぐらいなら。まあ…ちょっと高いけど、また痛くなったらお願いしようかと思うよね。これが老人なら2割負担だから2150円。それなら毎日のように通って看護師さんに優しく湿布貼り替えてもらおうかって思うよね。
でも病院には10,750円ちゃんと支払われる。そりゃ儲かるよ!八百屋がトマト1個300円で売って、でもお客は90円しか払わなくていいってなってたら、そりゃあ八百屋儲かるよ!
もちろん残りの7割はみんなの給料から結構な金額天引きされてる健康保険。価格の7割を税金で補助してもらえる産業なんて医療をおいて他にはない。医者が開業するとき銀行は喜んで億単位の資金を貸し出してくれる。回収できる確率が非常に高いことが判ってるからだ。その辺の社長さんが起業するときあちこちから1000万借りるのにする苦労に比べたらえらい違いだ。
住宅地の路地裏にひっそりあるお爺ちゃん先生がのんびりやってる内科医院とか、あれでも潰れないどころか、ベンツ乗って大きい家に住んでるからね。しかも100m歩く間にそんな病院が3軒あったりして。そんで息子はお金かけてええとこの医学部行ってこんどは資本金いらずで後を継ぐね。なに、新しいレントゲンが2000万?よっしゃ父ちゃんが開業祝いにポーンと現金一括買いしちゃろ。
http://nensyu-labo.com/sikaku_isya.htm
「開業後しばらくの間は借入金の返済に追われる日々となります。」とか書いてあるけど10年ぐらいで返し終わったらあとはジャンジャン儲かる日々だからね。
そんな現代の貴族とも言うべきお医者さん。でもさすがにそれは他業種に比べてあまりにも保護されすぎだろう、皆保険制度なんてやめちまえ、という話には、ほとんどならない。
「お金のない人でも、等しく医療を受けることができるようにしましょう」
という国民皆保険の精神はどこからも文句のつけようがない正義だからだ。素晴らしい。
また、全国一律の価格設定になっていて、それ以外の価格を提示してはいけないという縛りがあって、さらに医療法で病院の広告宣伝にはものすごく厳しい制限がかかっている。具体的には、例えば病院の「売りや自慢できるところ」を不特定多数に向けて宣伝できない。看板に書いていいのは病院名と科目名ぐらい。
http://www.mhlw.go.jp/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/iryou/kokokukisei/index.html
つまり、市場原理が著しく制限され、働かないようになっている。
するとどうなるか。
経営に力を入れて儲けようとする病院と、そうでない病院に差が生まれにくくなる(口コミ等で多少の差はできるが決定的にはならない)。つまり住宅地の路地裏に(略)内科医院が潰れない。一般企業だと起業したら9割は数年で潰れるけど、病院はよっぽどのことがないと潰れない。潰れないどころかベンツ乗って(略)。
でもそんなのおかしいじゃないか、もっと競争を働かせて過剰な町医者は淘汰されるべきだ、という話には、まずならない。
「全ての市民がかかりつけ医(ホームドクター)を持って日常的に健康を保ち、難しい症状の場合だけ、大きい基幹病院に行くようにしましょう」
という「サテライト構想」は、文句のつけようがなく国民全員の利益にかなっているように見えるからだ。
もう鮮やかすぎて感心するしかない。
定期的に、医師不足が叫ばれている。そういうときテレビのワイドショーに出てくるのは産婦人科と基幹病院の救急救命。「当直明けで外来もこなさないといけない」「ちょっとしたことですぐ訴訟されちゃう」激務や責任でドロップアウトしてしまう医師も多い。医師をもっと増やすべきなんじゃないか。
医者になって開業すれば貴族になれるって判ってるんだから医者になりたがる高校生はいくらでもいるだろう。医学部を新設して定員をどーんと増やしてちょっとキャンペーンはればあっという間に(医学部6年+経験を積む数年ぐらいで)医師不足解消できるよ。
という議論が出た時、反対したのは日本医師会。
http://dl.med.or.jp/dl-med/teireikaiken/20100714_1.pdf
医師数増加に関する日本医師会の見解 -医学部を新設すべきか-
また、G7 平均(G8 からロシアを除く)の人口 1,000 人当たり医師数は 2.9人である。仮に日本の人口 1,000 人当たり医師数をG7平均なみに引き上げるとすると、現状の人口を前提に医師数を1.3倍に増加させる必要がある。
と、先進国との比較で医師数が少ないというデータには触れながらも、
1.教員確保のため、医療現場から医師を引き揚げざるを得ず、地域医療崩壊を加速する。
2.教員が分散し、医学教育の水準、ひいては、医療の質の低下をまねく。
3.人口減少など社会の変化に対応した医師養成数の柔軟な見直しを行いにくくなる。
1医育機関当たり医師数は289 人であるが、二次医療圏の約 4割では、医療施設従事医師数が289人以下である。医学部が新設されることにより、地域でさらに医療崩壊が進むことを否定できない。
として、医学部新設には反対。既存の医学部の定員増でゆるやかに変化していけばいいというのんびりした見解。
実際のところ、なんであの激務のお医者さんたちが「全然人が足りない!」ってなってるのかって、つまり忙しくてそれほど儲からない勤務医よりも楽で儲かる開業医のほうがいいからみんなそっちに行っちゃってるからからなわけだけど、華麗にスルー。そこには触れられたくないんだろうね。貴族制度の崩壊につながるといけないからね。
月18万もらってる生活保護の受給者を妬む人がすごく多い割には、月100万以上稼ぐ開業医を妬む人は少ない。「開業医ちょっと楽して儲け過ぎじゃね?」という話題があんまりどこからも出ないのと、定期的にテレビやマンガで格好いい医師の話が印象づけられるのもそこそこ影響してるんじゃないかと思う。ああいうのに出てくるのは必ず勤務医か離島とか過疎地の忙しそうなお医者さんで、間違っても町の暇そうなのにベンツ乗って(略)お医者さんは出てこない。
病院だけじゃなく、薬局に流れこむお金も税金で7割ブーストされている。そこで儲かってる製薬会社にも広告宣伝の制限はあるけど、TVCMをしてもいいってことにはなっててつまり大スポンサーなわけで、その辺が関係してるんじゃないかと思うのはこれは僕の単なる想像だけど。
医師が国に守られてるみたいなこと言ってるけど、制度を決めるのは官僚と政治家であって医師でなく云々。もちろんその点についても抜かりはない。
官僚は東大卒のエスタブリッシュメント。エリート同士はやっぱり理解し合いやすいし、お互い得になるスキームを賢い者同士で作りましょう、ということにはなる。厚生労働省には元医師が医系技官としてしっかり入り込んでたりもする。医療費の規模が大きくなる=厚生労働省の予算が大きくなるのだからやはりWIN-WINの関係だ。出産一時金が30万円から50万円に上った途端、町の産婦人科の出産料金が軒並み50万円に上がったのにそういうのを規制しようなんて話には一切ならなかったのは記憶に新しい。
政治家は票を沢山動員する団体の味方。日本医師会は超強力な圧力団体だ。なんせ会員数16万人
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%8C%BB%E5%B8%AB%E4%BC%9A
に加えて、病院の看護師や事務員、介護職員も動員できる(選挙の時期になると医師会から誰々を応援すべしというプリントが配られる)ことから、いったい何百万票規模になるのやら。
介護職員なんか、ワーキングプアの代名詞みたいなのに、まんまと医師会の言うこと聞いて医師がお金持ちになる手助けしてるという。でも自分たちの給料上げろとかって全国一斉ストライキなんて企てもしない。いい子たちやなあ。
たくさんブクマもついてめでたいことです。自分の意見を書いてなかったので書きますよ。
☓ 医者が儲け過ぎてて妬ましいので医者は貧しくなってワーキングプアになれ! ←そんなこと思いもしない。ただ飛行機のパイロットよりちょっと安いぐらいでよくない?とは思う。
☓ 国民皆保険が糞だからやめちまえ! ←素晴らしいって本文でも言ってるじゃん。安い負担で医療が受けられるのは本当にいいこと。
◯ アメリカよりはまし ←ほんとそう思う。アメリカがひどすぎて、っていうか、アメリカの市民生活にかかわる社会システムは見習わないほうがいいものが多すぎる。若者の死因第2位が殺人なんておかしい。
現状をこうこう変えるべきとか思いつきもしない。だってどこかを変えたらどこかに不利益がでるもの。そんな風に、しっかり独占と税金ブーストによる利益を確保しながら、心理的にも構造的にも変化を受けづらいようなしくみになってるところが「凄すぎる」って話です。
あまちゃんが好き。
一番見てたのはちゅらさんだけど、
ここまで一話も逃さず見続けているのは初めて。
元々、宮藤作品は好きだし、キャストも面白そうなので見始めた。
で、案の定、面白かったわけで。
(コスプレもすっぴんもかわいいし、ブログとは別の、昔手作りしたと思われる魔法のiらんど的な携帯サイトも愛おしい)
潮騒のメモリーも歌える。(Kyon2風の方で)
なんでこんなに流行ってのかずっと考えてて、
日本は9割以上、田舎者か、田舎者だった人たちで構成されてるからなんだな。
というところにたどり着いた。
それはこの間、太巻さんもGMT47の説明してるときに似たこと言ってて、やっぱり!!と膝を打ったんだけど。
で、生粋の東京人だとしても、なんか東京しっくりこねえなあと思ってる人の気持ちは、アキが引き受けてる。
だとしら、もう、人気が出ないわけない。
みんなの気持ちが詰まってるから。詰まったうえで、夢も見させてくれるから。
今までのあまちゃんには、東京に出ても、帰ってきた人しかいなかった。
東京に負けて。夢破れて。
そんな東京に行って、アキちゃんどうするの? どうなっちゃうの?
そして何より、私たちはどうすればいいの……?
東京に残ってても挫折感を感じながらなんとか生きてる人がほとんど。
東京で成功していたとしても、過去には絶対砂を噛むような経験をしている。
みんな東京で、嫌な思いいっぱいしてる。
そんな東京に……。
なんとなくたらたらと就職して早○年。
だけど東京が良い理由も思いつかない。
でも仕事は休みが少ないから、田舎で週休二日有給もちゃんと取れるところに就職して、遠征してきた方が賢い。
営業ができない。窒息しそうになりながら、なあなあで生きてる。
友達も少ない。
というか、たぶん大切にしないから、結婚式とかに呼んでもらえない。
悩みを打ち明けられるのは一人だけ。それも相手はどう思ってるんだか。
そんな中でまた友達を失った。
まあ、手放しで好きって言える子じゃなかったけど、
その子が懐柔してる友人たちも離れていくかもしれない。
(こうやって書くとほんとクズだな……。)
それなのにまだ、東京にしがみついてる。
負けたって思いたくないから。
戦いを避けて避けて、勝ち負けが出ないように。ずるっこ。
アキにとっての故郷を、克服するために。
私は東京にいる。
東京を克服したい。
アキが成功しても、失敗しても、私の気持ちは寄り添っていられるだろうか。
どちらに転んでも、
東京に私がいないと困るって、少しでも思ってもらえるように。
地味で暗くて向上心も協調性も存在感も個性も華もないパッとしない子で終わらないよいうに。
て、とりあえずまだ袖が浜なんだけどね、アキとユイ……。
人々は
「幸せとは何か」と自分に問い続けながら死んでいく、なんていうことはない。
答えはとてもシンプルだ。
幸せとは、
(A)喜怒哀楽のうち「喜/楽」に属する種類の感情が、長期的に発生しつづけている状態
のことである。
世の中には幸せな人と、不幸な人が居る。
しかし、たとえば大金や権力を得ても、不幸と感じる人がいれば、
人によって違いはあるが…(A)が幸せと感じる、ということには全く違いが無い。
「怒/哀」が長期的に発生していることを幸せと思う人は居ないのである。
(B)大金を得る・異性を獲得する・結婚する・見た目が美しくなる・権力を得る・皆から尊敬される・頭脳明晰になる・友達が1000人出来る・可愛い子供が生まれる・ペットを飼う…………。
これらの例のような、一般的には幸せになるかもしれない、と思われている事、それは、幸せ "そのもの" ではない。
つまり、(B)は、(A)を発生させるための、「手段」である。
あなたたちの、「目的」が、幸せになること、である場合、(B)が目的であると勘違いしていないだろうか。(B)は「手段」である。目的ではない。目的は(A)である。
目的が(A)であると理解できたとき、実はちょっとした悟りが得られる。
(悟り)(A)を得られるならば、手段(B)は何でもいい。
いま特に、自分が不幸だと思っているタイプの人に問いたいが…(B)手段 を妙に、難易度が高いものに設定していないだろうか。たとえば以下のような。
・いまFランク大学の学生だが、勉強しなおして東大に入りなおせば幸せになれるだろう。
・いま年収200万のワーキングプアで不幸だが、転職して年収1000万円になったら幸せになれるだろう。
・いま童貞の魔法使いだが、10代の可愛い女の子を口説いて結婚できたら幸せになれるだろう。
・いま浮気ばかりする旦那と結婚してしまい後悔しているが、離婚してもっといい男と結婚しなおせば幸せになれるだろう。
発想の転換をしてほしい。(A)を得られるならば、手段は何でもいい。「御大層な事を達成」しなくてもいい。
「喜/楽」に属する種類の感情が、連続的に発生しさえすれば幸せになる。
・むかしから読みたいと思って先送りしていた面白い小説を読む。
・すきな食べ物を食べる。
上記のような手段は、
(a)「喜/楽」に属する種類の感情が、短 期 的 に発生
する手段だが、これを、いくつも行えば、つまり(A)に変化する。(同種のことを連続、って意味じゃない。)
格闘ゲーム的に言えば、小キックだけ延々と当て続けて勝つ、みたいな方法。
(a)+(a)+(a)+(a)+(a)+(a)+(a)+(a)+(a)+(a)+(a)+(a)+(a)+(a)+.......=(A)
となるのだ。
■それでは成功者になるにはどうすればいいのか
ここまでの説明を読んだだけでは、「惨めなのを我慢しろというのか」という因縁つけをしたくなっている人がいるだろうが、まだ続きがある。いわゆる「成功者」になれば幸せになれますよね、と思っている人向け。
ストレスがなく、体が健康で、太りすぎても痩せすぎても居ない。(b)
(A)になっている。
勿論、成功者の定義はいろいろあると思うが、歴史の教科書に載るレベルになりたい場合は、時代背景などの変えようがない設定も必要で、結局は「生まれ直す」しか手がないので、手が届く範囲ということで上記の定義としておく。
また、著名人有名人の成功者について思い浮かべている人は、「単に周囲に祭り上げられただけで、当人は(A)状態ではなかった」人は除外してほしい。ヤク漬けになった芸能人とか、自殺した作家とか。
(b)をいくつも手に入れたら(A)が発生して成功者として完成した
(A)状態になったら、そのあと徐々に、(b)も発生した。
ハア?って思ってるでしょ。でも、これが分からないと成功者には成れないの。
人間社会の中で、成功者になるためには、どうしても人と人とのネットワーク、繋がりを無視することはできないが、あなたが「繋がりたい」と思う人とはどんな人だろうか?
ではないだろうか。勿論、引き籠もり属性の人は、そういう人をリア充認定して、忌み嫌うもの、と考える人も居るだろうが、そこまで捻くれている人まで扱ってると、切りがないので、横においておく。
【第一段階】(C)になることによって、周囲に自分の手助けをしてくれる人を引き寄せる
まずはこれ。こうなるためには、
(a)+(a)+(a)+(a)+(a)+(a)+(a)+(a)+(a)+(a)+(a)+(a)+(a)+(a)+.......=(A) →(C)的な人物像
となる。「喜/楽」に属する種類の感情が、長期的に発生しつづけていれば、自然と顔はニコニコとし、他人から好まれるキャラになっているはずだ。
【第二段階】自分の感情の(A)を守るため、人間関係を整理する
人が集まってくると、どうしても、不快な思いをさせるタイプの人間も寄ってくる。これらから離れる。これは無理やり離れようとするのではなく、自分の周囲に集まってきた人々の中で、(C)属性の人とつきあう時間をなるべく長くするという方法を使う。
【第三段階】自分も(C)属性、周囲も(C)属性、という人間関係を構築したら、あとは流れるに任せる
あとは「船のオールから手を離すように」流れにまかせる。但し、「こういう人物になりたい、こういうモノ、コトが欲しい」というのは明確にしておくこと。
■それでは能力を高めるにはどうしたらいいのか
ここまでの説明を読んだだけでは、「自分の能力が低ければ成功できねえよ」という因縁つけをしたくなっている人がいるだろうが、まだ続きがある。いわゆる「成功者」になれば幸せになれますよね、と思っている人向け。
【何らかの能力が高い人は、どうやってそれを手に入れたのか】
努力ではありません。以上。
というと無慈悲だが、努力の努という文字、「奴の力」つまり「奴隷の力」という文字を書く。
努力=奴隷の力が2つも。なんとも馬鹿らしい。やってられるか。
あなたがアニメが好きだとしたら、色々な作品に出てくるキャラクターの名前を100人程度言える、という人は居ると思う。
アニメに全く興味がない人から見たら、ものすごい努力をして暗記をしたように見えているが、当の本人は、なんの努力もしていないはずだ。楽しくアニメを見ていたら、いつのまにか名前を覚えていた。それだけのはずだ。
何らかの能力が高い人は、これと同じ仕組を使っただけだ。対象が、アニメではなく、英語であるとか、数学や科学であるとか、野球やサッカーであるとか。それだけである。
たとえば野球選手になって成功した人には、子供の頃、親が野球が好きで、しょっちゅう見に行ったり、親と一緒にキャッチボールをしたりした…という人は全く珍しくもない。その人が野球が好きになり、成功したのは、単純接触効果によるものだ。何かを好きになりたいなら、単純接触効果を使えばいい。ググる→http://goo.gl/HDv9C
好きになってしまえば、あとは手法を細かく説明してもらうまでもないだろう。
さらに、その対象を好きになると、それを学習するような行為を行うと、(a)が発生するようになっていく。
高めたい能力に関係する行為をする → (a)発生 → (a)+(a)+(a)+(a)+(a)+.......=(A)
驚くよね。
いわゆる、「自己能力が高い成功者」というのは、その能力を磨く過程自体が、(A)になりうる=幸せなのだ。
◆
…と、ここまで書いてネタバラシするが、これらは、「引き寄せの法則(ロンダ・バーン系、ヒックス系)」の"本来"言いたいことである。よくよく読むとだんだん理解できていくのであるが、ロンダ系もヒックス系も、最大に重要視していることとは、「よい気分で居ること」である。つまり(a)や(A)であると。願えば物品を手に入れることができる、というのは全く本筋ではなく、本を売り込むためのストーリー作りとしての肉付けにすぎない。まあ、あながち嘘というわけでもないのだが。やってみればわかる。
また、引き寄せの法則だけでなく、いくつかの複数の宗教、もしくは単なる公衆道徳としても、「感謝」という行為を重視しているが、これは、(a)のために非常に有効な手段だからである。
感謝という感情とは、自分の周囲から、なんらかの物品や、行為などを受け取ったときに発生する、「喜/楽」に属する種類の感情である、と説明すると、感謝とは本来的には何なのか?と理解できるだろう。
ちなみに私は「「成功者」になれば幸せになれますよね」とは全然思ってない。どのみち(A)が幸せ本体なので、成功者になるなんていうのは、どうでもいいと思ってる。他人から尊敬されるなんていう手法を使わなくても、(A)は得られる。それに、人生なんて、死ぬまでの暇つぶしである。
■最後に
(a)を得るために、他人に迷惑をかける行為をしないように。それをやると、後日何らかの形で、「反撃を食らう」ため、けっきょく後日、不快な思いをしてしまうことになるので、元の木阿弥である。「喜/楽」を得ても、後日「怒/哀」で相殺されるのでは意味がない。
タイトルはちょっとだけ釣りです。「彼女」とか書いてるけれど別に恋人ではありません。
別に付き合っている訳ではない年上の友人がいる。アメリカまで留学して PhD を取ってきた高学歴の女性で、ハッキリ言ってかなり美人だ。当然英語も普通に話せるし、自信を持った話し方もすることができる。しかし話をしていて何か違和感を感じていた。
今までこの違和感は何なのだろうかと考えていたのだけれど、それは「神の見えざる手を無視した行動」なのではないかと思うようになった。まとまっていないけれどメモ代わりに書いておく。以下チラ裏。
彼女は PhD を持っているのだが、その専門は「食えない」分野で、アメリカの大学で学位を取って帰国した後も、今までずっと非常勤で食いつないでいるらしい。いわゆる「高学歴ワーキングプア」で、当然年齢が上がるほど、常勤ポストを見つけることのできる可能性は低くなってしまう。
彼女自身は研究以外の能力 (語学だったり) も持っていたりするのだが、彼女自身も研究者としての道を簡単に捨て去ることはできないような印象を受けるっす。大学の非常勤だけでは食べていけないので、スキルを活かしたバイト (これが本職になっていないのがミソ) をしながら大学で講義したり論文書いたりという生活を何年も送っている。その (研究とは直接関係ない) スキルを活かせば、(研究者でないにしろ) 今より楽で安定した生活ができると思うのだけれど。
ハタから見ていると、その専攻で研究者をする限りお先真っ暗に見えるのだけれど、思い切って研究者から足を洗ったという話も聞かない。その分野で 10 年以上勉強/研究して、その後も働き続けてきた訳だし、大きなお世話だとも思うんだけれど。
神の見えざる手というのは市場の需要と供給から決定されるというのが中学校で学んだ内容なのだけど、どうも彼女はそういうのを無視しているような気がするんだよね。年齢が上がり、大学が潰れていくと言われているなかで、常勤ポストを得るのはますます難しくなっていく…。更に文系の中でもかなり募集の少ない分野っぽいしさ。職歴的な意味でも早いうちに自分のいる分野を変えたほう (つまり研究から足を洗ったほうが) が有利だと思うのだけれど (っていうか、彼女自身もその自覚はあるようなんだけれど)、未だに実行できていない。「今年が勝負の年で、今年ダメだったら、研究者以外の道を本気で模索する」と言ってたのは 4 年前だったかな?
見通しが甘いという一言に集約できるのかも知れないけれど、ハッキリ言って美人だし最終的にどうにかできてしまうのかも知れない。でもさ、あなたのその美も年齢と共に衰えていくわけだよね。何が最悪の事態なのか、そしてそれを回避するにはどうすれば良いのか…。多分頭のなかではシミュレーションできていると思うのだけれど、行動に移せていないということなのかな。
私より年上だし、言った所で (っていうか、何度も指摘しているんだけれどさ) 本人が変わるとは思えないっすよ。でも私も将来損益分岐点とか神の見えざる手を無視した (というか、現状に合わない) 行動を取ってしまうかもしれないので、自分に向けての自戒も込めて文章書いた。チラ裏スマソ。
1.iPad mini、それは美しい
おそらく多くの読者はご存知ないだろうが、
あなたの体内では、食欲も失せるようなグロテスクな物体が蠢いているのだ。
見た目が9割であるとする哲学書が大衆に支持されたことは記憶に新しい。
名は体を表すなら、"見た目はものの本質を表す"。(Dertar-lamae Chapter.8)
鏡の中はイケメンでも写真には異星人が写ることから証明されるように。
iPad miniと腎臓を撮影し検証する頃には、自ずと答えは出ているはずだ。
多数の経済リスクを抱える現代において、ローリスクハイリターンな選択であると、
また、多数の有名人がブログで絶賛するネオサイコメトリカル増田外科は、非常に安全な可能性が高い。
日本が世界有数の富裕層を保持する一方、ワーキングプアという問題は、
目の上のタンコブのように我々を悩ませている。
だからこそ、未来ある諸君はここで一肌脱ぎ、無謀な誠意を示すことが大事なのだ。
くだらない自分から素晴らしい他人へ、これこそが”価値を創る”真のイノベーションである。
新世代の奉仕を身をもって提示できるリーダーを、時代は求めている。
弘法筆を選ばず、という言葉の欺瞞には、賢い読者であればお気付きであろう。
才能ある者が力を発揮するには、一定水準のインフラが必要なのだ。
しかしインフラを手に入れた時、誰もが思うのは「こんなはずではなかった」・・・
同じ土俵に立ったことで、己の無力さに落胆し、モチベーションの再定義を迫れられる。
己の身体の一部が他人の一部として働くということは、
自我形成、自己認識と自己同一性と社会適応、現実認識に寄与し、上記のような”心のスキマ”にフィットするのだ。
人と同じ事をしていては、いつか乗り遅れ、烏合の衆の藻屑と消えてしまう。
かといって、無防備な雛が荒波に飛び出すのは、無知のなせる技であると
Mursder Saikoh氏の著名な論文で言及されたのは既知の通りだ。
「皆が使っている」・・・これ以上にどのような肯定があるだろう。
さあ、急げ、摘出。
ホッテントリにこんなのが入ってた。
高学歴ワーキングプア問題・・・東大院卒就職率56%、京大院卒は非常勤講師にゴミ収集バイトを掛持ちしている現実
http://hamusoku.com/archives/7674931.html
「学歴は武器、どころか足かせとなった。名だたる大学院を出ても非正規雇用、あるいは無職となってしまう者たちが続々と生まれている。京都大学大学院で博士号を取得したAさん。30代前半で他の大学の授業を週に2科目担当する非常勤講師だが、同時に毎朝の「ゴミ収集アルバイト」も続けている。生活を維持できないからだ。」
元ネタSAPIOだし、マジレスするのもあれなんだけど、当事者としては「当たり前の話じゃん」というのが感想。
「東大、京大+さらに博士号なんだから、超高学歴じゃん」と人は言う。
けれど、それは大きな誤解だ。日本の企業における高学歴は「受験歴」、院卒で得られるのは「研究歴」なんだから。受験歴っていうのは高校までのお勉強がそつなくこなせることの証明で、研究歴っていうのは問題を発見し、情報を集め、新しい知見を得る能力の証明だ。終身雇用を前提とした日本の企業が求めているのは前者だけ。読み書きソロバンの能力が高ければ、それでよし。あとは入社してから育てるから、というのが日本の企業の採用方針。というか社畜には「問題を発見し、情報を集め、新しい知見を得」たりされちゃ困るのかもしれない。
研究者っていうのはある意味、音楽家なんかに似ている。その分野でしか通用しないスキルをコツコツと磨き続けるという意味で。企業からしたら、大学卒業して何年も音楽活動だけに没頭していた人間を、普通の職種で採用する理由がないのと同じように、大学で研究を続けていた人間を採用する理由もないのである。企業からみたら、そういう人たちは、無駄に年をとっているだけだ。
たとえばヴァイオリニストが、オーケストラでの職を得るまでは、フリーターとして食いつないで行かなければいけないのと同じように、研究者だってごみ収集のバイトをしながらでも食いつないでいくしかない。博士号をとったらすぐ大学の先生になれるかっていうと、そうではなくて「教歴」というものが必要になる。いわゆる「助教」のポストがどんどん経済的な理由で減らされている今、記事にあるみたいに、非常勤を掛け持ちして、バイトしながら「教歴」をつけていくしかない。学振とかの援助をもらえない場合ね。こういう、「博士をとって教歴をつけている途中の人」というのは統計上「無職」になるので、就職率56%というのは決して低い数字ではないと思う。(まあ、理系が押し上げているんだろうけど)
「博士が100人いる村」というのが出ていたけれど、「音大出のヴァイオリニストが100人いる村」でも似たような結果になるんじゃないか。16人がソリストになって、14人はオーケストラに就職、20人はバイオリンの先生…といった具合に。ヴァイオリニストに対する社会の需要は、もちろんないとは言えない。でも医師に対する需要よりはきっと少ない。研究者だっておなじくらい需要の少ないところで、戦わなきゃいけない。
数年間、ワープアして耐え忍んで、その先に大学教授のポストがあればいいけど、運がなければ一生ワープアなので、どこまでしがみつくかは、とても慎重な判断を要するところだ。この0か100かっていう感じはすごいよね。ギャンブルそのものだ。でも、まあそれは研究者に限った話ではなくて、音楽家でも、美術家でも、俳優でも、なんにせよ専門性をもとめられるプロフェッショナルになる場合には似たようなものなんだと思う。
研究者っていうのはそれだけリスキーな商売で、社会からもそんなに必要とされていないんだっていう認識を、学生に持たせることは必要かもしれない。あとから「こんなはずじゃなかった」ってならないように。
(2012.12/19 17時頃、ブクマコメントへの返信などを末尾に追記致しました)
http://lkhjkljkljdkljl.hatenablog.com/entry/2012/12/19/112633
↑こちらのエントリを拝見しまして、なるほど現場の危機感はリアルに伝わってくるなと感じる半面、「そこはカール・マルクス先生が150年前に通過した場所ですよ」と思わずにいられなかったので、ここで簡単に解説してみようと思います。
まず、「どうして商品の値段が下がるのか?」ですが、これは資本主義社会において工業化が進めば不可避の現象である、とマルクス先生は言います。
理屈としては単純で、かつては作るのが難しかった製品でも、大量生産が可能になればそれだけで安価で提供されるようになりますし、やがて生産技術が陳腐化して他社も似たような製品を作り始めれば、さらに価格は下がっていくわけです。これは恐らく、多くの方が直感的に理解できると思いますし、今の日本ですと家電業界が、正にこの値下げ競争に世界レベルで直面し、息も絶え絶えになっているわけです。
マルクス先生が偉かったのは、ここまでで話を終えず、「じゃあ工場で働く労働者はどうなるのよ?」という問いを立てたところです。
先生は、普通の労働者を、「自らの労働力を〝商品〟として市場に提供しているのだ」と考えます。これは工場労働者に限らずホワイトカラーでも同じですが、
「自らの体力・時間を勤め先に〝切り売り〟して、対価として賃金を得ている」
と考えれば理解しやすいでしょう。
で、「資本主義社会においては、商品の価格は下がっていくのが当然だ」ということは既に触れた通りですが、これは「労働力」という〝商品〟についても同じ現象が起こります。要するに、放っておくと(←ここが重要)、労働者の賃金や労働条件も下がっていきます。分かりやすく言えば、「本当は嫌なんだけど、低い時給でも我慢して働かなくちゃ」という状態です。実際に日本でも、「サービス残業」「ワーキングプア」という形で、賃金の低落傾向の長期化は頭の痛い問題であり続けています(※以下に注釈)。
さて、これで話が済めばいいのですが、ここで問題になるのは、「労働者もまた人間である」ということです。
人間が人間らしく生きるためには、家に帰って飯を食って寝るだけでは不十分です。例えば旨い酒を呑むとかエロゲを楽しむとか嫁さん子供を連れて遊びに行くとか、それぞれのやり方で活力を取り戻すことが必要になります。しかし、賃金が際限なく下がっていくと、こういった「労働力の再生産」に充てられるお金も減らさざるを得ない。こうなると人心が荒んでいきますし、資本家との経済格差も広がる一方ですから、「放っておくと暴力革命の危険も出てきますよ」とマルクス先生は指摘しました。
まあ、ここから一気に飛躍して「どうせ暴力革命が不可避なら自分たちでやってやるぜ、共産主義ばんざい」等と言い出した人々がいたのも事実ですし、私としても「それはどうなのよ」と思います。が、だからといって何もしないと、「失う物の無い人」が暴発してえらい事態が起こることも、我々は既に経験しています。秋葉原の加藤さんとか電車の人身事故とか、頻発すると困ったことになりますね。
ではどうするか?ですが、有効な方策は、ある程度はっきりしています。
一つは、あくまで経済成長を追求することです。そのためには基幹産業へのテコ入れが必要になります。しかし、ここで日本特有の「急速な少子高齢化」という問題に直面します。産業を拡大させようにも、労働人口が減っていくのですから、どうにもなりません。しかも高齢化が進みますから、将来的には医療・介護部門に労働力を割かねばならなくなるのですが。これらの部門は当然ながら高成長は望めません。
もっとも、この解決策は簡単で、「積極的に移民を導入する」という手があります。OECDなんかからも、しきりに焚きつけられています。しかし、日本では移民導入政策がスムーズに進んでこなかったのは皆様もご存じの通り。特に安倍氏に代表される自民党の路線では、「日本を取り戻す」のだそうですから、政策としての食い合わせが悪い。そもそも戦時中に朝鮮・中国から連れてきた労働者に対し、戦後しかるべき対応を怠ったため今なお続く禍根を招いている、という件を蒸し返される可能性もあります。
他には、北欧型の社会民主主義という路線もありそうです。但し、「社会民主主義」というのは、語弊を恐れず言えば「ソフトな社会主義」です。「働かざる者食うべからず」というスローガンは有名ですが、主婦だろうが老人だろうが働ける人はみんな労働力市場に出てもらう、税金もガッツリ納めて頂く、その代わり「働いてくれるなら」各種の社会保障でしっかり面倒は見るよ、と。何だかかなり厳しそうな世の中ですが、しかし北欧などではこの路線でまずまず上手くやっているわけで、政策として真面目に検討する余地は十分にあるのでは、と私は思います。
但し、こうした路線を代表してくれるかも、と淡く期待していた民主党がドジョウ野郎の「純化路線」とやらでさっくり御破算と相成りましたので、当分は巻き返しも難しいでしょうね。
(※)なお、ここまでで説明した「商品価格・労働賃金の低落傾向」を「デフレ」と称する方々も散見されます。繰り返しになりますが、この低落傾向は資本主義社会なら不可避の事態であり、国全体の財政がどうとかいう話とは本質的には無関係です。「世の中全体としてはインフレだし商品価格・賃金も見かけ上は上がっているが、相対的には伸びてない」という事態も十分に起こり得るわけです(というか、マルクスが生きていた頃のヨーロッパはそんな感じでした)。ですので、この文章では「デフレ」という単語はなるべく使用を避けました。
率直に言えば、お腹の緩さは薬でマシになったらしいけどおつむの緩さがマシになったか今ひとつ信用ならない安倍ちゃんの「リフレ政策」とやらに私が全く期待していない理由も、ここにあります。そもそも、十数年にわたって量的緩和をやっても現状程度の成果しか得られていないのに、「逐次投入だからダメだった」と今更になって宣える神経が分かりません。景気が上向かなかったのは、「新たな産業セクターの確立に失敗した」ことや「賃金水準が上向かないので内需が活発になってこない」ことも理由としては大きいはずで、ここを放置したままでは、せいぜい一時的な景気テコ入れに終わるのではという危惧もあります。
(以下、12/19追記)
ちなみに「ハードな社会主義」がどんなものかというと、例えばソヴィエト連邦の場合、「働かざる者食うべからず」と同時に「失業者は存在しない」という大前提がありましたので、労働が可能な状態なら「働かない」という選択は許されず、検挙の対象となりました。それでも労働を忌避するなら、刑務所かラーゲリ(=強制労働キャンプ)か精神病院に送り込まれるわけです。なお現在では、ラーゲリでの強制労働があったからこそ、特に戦後復興期のソ連経済は維持できたのだという見解が主流です。
労働力を「大量生産する」という言語感覚は私には理解できかねますが、別に労働者の総数が増えなくても、例えば労働者それぞれの技量が平準化すれば〝商品〟としての価値は下落します。例えば、昔はWord・Excelを使えたり英語が喋れたりできれば給料に色を付けてもらえたものですが、今ではそうでもありませんね。それは「誰でも使えて当たり前」になったから、即ち技術が陳腐化したからです。
当然ながら、移民の導入etc.で労働者が大量供給されるようになれば、やはり賃金は下がります。
id:humidさん
過分なお褒めを頂き光栄ですっ!
実は仕事で小説を書いてたんですけど編集者とケンカして切られちゃいまして(・ω<)
いい人紹介して下さいよー(`・ω・´)ノ ヨロシクー
いやいや、私の妄想などではなく、社会政策としては既に実例があります。例えば「あくまで経済成長路線」の代表は米国ですし、それを踏まえてこそ「とにかく規制緩和」のシカゴ学派などが登場したわけでしょう?
だいたい、「ぼくのかんがえたしゃかいかいかく」というのは、「原始共産制に基づいた太陽光・無農薬コミューンを形成して云々」みたいなヤマギシ会も裸足で逃げ出すようなことを宣ってる方にこそ相応しいと愚考致しますが。
いくら初めての増田だからって、「命がけの跳躍」とか大事なキーワードを省いちゃったのはダメダメですね……
やっぱりセンパイからしたら、大月書店版なんかじゃ物足りないですよね? この際だから、センパイみたいな凄くできる人に、原書の講読を手取り足取りお願いできればなー、なんて……(チラッチラッ
id:raituさん
さはさりながら、生産管理技術そのものも、いずれ陳腐化は避けられません。おおもとのブログエントリにあった「効率化はもう限界」という叫びは、謙虚に受け止めねばならないでしょう。
21世紀になれば単純労働は全部ロボットにお任せ、人間様は時々ボタン押すだけでラクラクウマー、そんなふうに考えてた時期が俺にもありました……
それはさておき、実際には「新たな機械を開発・導入するよりも、労働者を使い倒す方がコスト面で勝るので機械化のインセンティブが働かない」職場というのも珍しくありません。
また、仮に単純労働をどんどん機械化していったとしても、その後に残るのは接客や介護など「機械化できない」仕事であり、それは人間が引き受けざるを得ません。「労働力も〝商品〟である」という前提は変わりませんから、いずれ労働賃金の低落化に直面することは避けられないのです。この点においては今の所、「移民労働力の活用」あるいは「高負担・高福祉社会の実現」以外に、有効な方策は描かれていないように思われます。
平素よりお世話になっております。
http://anond.hatelabo.jp/20120922164617
とある地方公務員が日々思ったことを10のコラムに分けて書いてみた
http://anond.hatelabo.jp/20121012225331
http://anond.hatelabo.jp/20121013233222
今回は地方で地味に活躍している日本共産党について書いてみたいと思います。
※これは地方公務員の立場というよりも、あくまで私の個人的な意見です。
※私は日本共産党員ではありません。
※また、一部は私自身の体験ではなく、別の同僚の体験も含まれています。
職務を行なっていると、地方議員と絡むことが多いです。特に議員は地域と密接に関係しているので支持者の陳情や苦情などを仲介して窓口にやってくるわけです。
たとえば、コンバインを通したいから農道を舗装してくれとか、今度町内会でイベントするから職員を派遣してくれ、といった類ですね。
その中で日本共産党の主戦場は、なんと行っても福祉部門です。生活保護、健康保険、介護保険、といった分野は特に力を入れています。
そして、生活保護では一緒に窓口にやってきて、受給希望者にマンツーマンで手続きを教えている光景を見ることができます。
共産党の議員が生保の窓口に来るというと、何か高圧的なイメージを持つ人もいるかもしれませんが、むしろ逆でお手数をおかけしてすみません、といった感じでやってきます。
日本共産党の議員は、元々福祉現場で働いていた経験のある人も多いので、福祉現場の苦労がわかるのかもしれません。
また、日本共産党はおばちゃん議員も多いので、気楽な感じで話せることも多く、生活保護受給者の世話を焼いているおばちゃんって感じです。
私は役所に入る前は、日本共産党=左翼=ヤバい人みたいなイメージしかなかったのですが、福祉に関われば関わるほど日本共産党の福祉における役割は大きいと感じるようになりました。
ケースワーカー、民生委員だけでは対応できない地域の特殊な問題も、共産党の議員、もしくは共産党関係者が間に入ることで解決した事例もあります。
※逆に保守系の議員は、横柄な人が多いです。やはり、地方議員といえど地域に対して一定の影響力をもっていますので、農業団体、建設業、医師、自営業、商工などなど、あらゆる方面でやはり保守系議員の影響力があります。
地方はやはり、保守系議員の力が圧倒的に強いので職員も神経を使う相手です。ただ、保守系の議員といっても、別に熱狂的な自民党議員というわけでなく、農家のおっちゃんだったけど青年活動していた成り行きで自民党会派に入ったというケースが多いです。
なので、根が地方のおっちゃんなので理屈よりも情とかお付き合いとか理屈じゃないところで落とし所を探るらしいです。(ベテラン職員はこれが本当に上手い。)
逆に若手保守議員は、尖閣問題とか憲法改正とか異常に関心が強いので、ちょっと怖いです。まぁ、元々代議士秘書していた人が多いからかもしれませんが、、、
生活保護を希望する人の中には、本当に困った人がいます。生活保護を支給してもすぐパチンコに使ってしまう人。家庭訪問で話をしようにも、すぐ怒る人。要するに普通の生活が営めない人です。
そういう方の自立支援をサポートするのを本来ケースワーカーに求められているわけですが、現在ケースワーカー一人当たり100世帯以上受け持つ事もザラなので、そんな余裕ありません。
また、公務員の人事システム上、ケースワーカーとして十分に実力が身につく前に異動になってしまい専門性が身につかないという問題があります。
その間隙をついて、日本共産党が独自の支援体制を作っています。具体的には地区ごとに相談窓口(法律、医療、税金)などをワンストップに受け入れる体制を作っています。
これは後述しますが、これが日本共産党の強みであり、他の政党にはない点でしょう。
また、日本共産党の人は、何というか普通の私達がみたら、ちょっとお人好しなんじゃないか、ということ平気でやります。
・時々いる困った市民にも切々と説得
などなど、はっきり言って行政なら、それはいくらなんでもやりすぎ、業務の範囲外とおもわれることもやります。
当然、いくらなんでもということはしませんが、基本的に良い人が多いです。
生活保護は、現在の日本共産党がオスプレイ、原発、大阪維新の会と同じくらい関心のあるテーマの一つです。
日本共産党という政党は基本的に個人事務所というよりも、あくまで日本共産党の支部ということで地方議員の事務所を構えています。
その日本共産党の事務所は、だいたい経済的に困窮した人の相談場所として利用されているようです。
どういうマーケティングを行なっているか本当に謎ですが、日本共産党の事務所にはワーキングプア、高齢者、障害者といった社会的弱者を見つけ、行政の支援につなげています。
日本共産党の支援で生活保護を受給した方に話しを聞いたことがあるのですが、その方はもともとホームレスをしていたところに共産党の議員が差し入れを毎日持ってきてことがきっかけで知り合い、生活保護を受給した方です。
最初は生活保護は恥ずかしいと思っていたが、毎日その議員と話をしているうちに考えが変わってきたとのことです。
なので、共産党のマーケティングと書きましたが内実は地道なドブ板営業なのかなぁと思いました。確かに共産党の支持組織としては医療生協や民商、共産党系の労働組合である自治労連などがありますが、案外普通の議員なら相手にしないような、つまり票にならないような市民を特に重視しているのかもしれません。
かつてエントリーの中で共産党のネットワークについて書きましたが、改めて書きたいと思います。日本共産党は先述の通り医療機関として医療生協、中小企業、零細企業組合として民主商工会、その他にも多くの組織と連携しているので非常に行政としては重宝しています。
だいたい地域の貧困問題に取り組んでいる団体があれば、直接的、間接的にせよ、共産党関係者が絡んでいることが多いと思います。それは共産党に限らず、社民党にせよ、民主党左派にせよ、いわゆる人権派、リベラル派というものは草の根でネットワークを作っているようです。
現在の日本は、自民党にせよ、民主党にせよ、基本的に保守派が大多数であるので、リベラル派というものが弱いという土壌があります。なので、人権問題に取り組んでいる弁護士や活動家は、政党の選択肢が少ないので共産党を支持しているというのが現状のようです。(当然、熱狂的な共産党支持者もいますが)ただ、弱者救済で積極的に取り組み、それなりに体制ができているのは今の主要政党では日本共産党ぐらいであるのは事実だと思います。
告白すると、お付き合いの関係で私もしんぶん赤旗を取るようになりました。ちなみにしんぶん赤旗というのは共産党の機関紙ですが、しんぶんという名前からわかるように独自の視点からニュースを発信しています。
最初はお付き合いで購読していたのですが、案外おもしろい。当然、あくまで共産党のバイアスがかかっているわけですが、それが逆にはっきりしているからわかりやすいです。
たとえば、最近話題になった次長課長の河本問題も、生活保護の扶養義務について詳細に書いていました。あれは実務をやっている人間ならわかるのですが、そもそも不正受給ではありませんし、扶養義務も道義的には人それぞれ感じるところがあるかもしれませんが生活保護法では定められていません。
憲法25条を持ち出すこともなく、現在の法制度では特に問題はありませんでしたが、ある保守系女性議員がきっかけで、マスコミが一斉にキャンペーンを行なっている中でしんぶん赤旗だけは筋が通っていました。
しんぶん赤旗は、大企業スポンサーがいないということでスクープが多いように思います。原発の裏にあった談合などは、原発ムラの実態もわかりましたので非常に興味深いものでした。
なので、他の新聞にはない視点を与えてくれるのがしんぶん赤旗の面白いところかな、と
ただ分析に関しては、特に安全保障についてはちょっと疑問が残るところは多々ありますが。その話題は今回のエントリーから外れるので控えます。
また経済政策に関しても、消費増税は内需を冷え込ませるのはそのとおりですが、その財源として法人税増税といった大企業の社会的責任の強化、労働規制の強化というのはちょっと今の社会情勢から見て厳しいのかなぁとも思います。
ただ何にせよ、分析能力に関しては僕も修行中ですので、コレも控えたいと思います。
また、やっぱり共産党の機関紙であるせいか、やたら大躍進とか、大きな一歩とか、煽りっぽい見出しになるのは仕方がないですね。
確かに日本共産党が与党に入るのは、やっぱり怖いです。ただ、日本共産党は現在のような貧困が存在している社会情勢ではやはり必要だと思います。
今後、消費税増税によってより一層中小零細企業が淘汰され、失業が増えれば、より共産党の存在意義が増すことになると思います。
これって、大学の時にちょっとカジッたマルクスの歴史観そのままじゃないかと、ちょっと不安になったりします。
ただ、本来政治の役割はあくまで弱者のためにあり、決して圧力団体の手足ではないはずですが、現状は後者の方が当たり前になっています。
弱者救済は、地方であれ、生活保護受給者であれ、時にバラマキと呼ばれます。なので、強い人に力を集中させれば、結果的に弱者におこぼれが回ってくるという学説がありますが、果たしてそうでしょうか。
仮にそれが事実だとしても、その恩恵はいつ弱者に回るのでしょうか。だったら、行政、ましては政治なんて本当に要らないのかもしれません。
資本主義の発展でも、弱者の救済でもどちらにせよ共産党の存在が必要だと思います。
皮肉なことに資本主義の発展を語る上で、所得の再分配がなくては資本主義の発展はありえませんので、共産党の活動が結果的に資本主義の延命に貢献しているのではないかと思ったりもします。
以上のように共産党推しでちょっと辟易した人もいますが、共産党のあの直向な姿はそれなりの奉仕の精神がなければ真似できないと思います。
共産党の実直な姿こそ、本来公僕としての公務員に求められているのかと思うと、何だか身の引き締まる思いです。
追記です。
http://anond.hatelabo.jp/20121022220611
ブログを始めました
お仕事がんばってる?
僕は相変わらずかな。
こんな人がいるおかげで世界は動いてるんだなって最近思うようになったよ。
近頃金欠で、なかなかお店に行けなくてごめんね。
あまり派手な下着は好きじゃなかったけど、あのときは本当に燃えちゃった
話はかわるけど、、僕は自己嫌悪になることが多くて
はやく起業して、よくわかんないけど、なんとか稼いでリエちゃんと暮らしたいんだけど
(あ、まずはリエちゃんと気持ちを確かめる方が先かな?笑)
なかなかうまくいかなくて、
時間管理術とか、引き寄せの法則とか色んな本読んで勉強してるんだ
今日、とってもきれいな夕日の写真が撮れたからリエちゃんにも送るね。
本当は一緒に見たかった・・な~んて、贅沢だよね、ゴメン(^^;)
夕日のあとには綺麗な月が見えて、僕はぼんやりと考えたんだ。
あぁ、リエちゃんは今頃僕と違う男とどんなことをしてるんだろうって
リエちゃんだってこんな事言われたら傷つくと思う、でも、考えちゃうんだ・・。
リエちゃんを守ってあげられなくて、つらくて、つらくて、
ねぇ、リエちゃん、リエちゃん、リエちゃん、君は誰だっけ?
ああ、僕はそうだ僕は風俗に行ったことがない
じゃあリエちゃんは誰なんだ。リエちゃんは僕のオナペットか。AKBのメンバーなのかな
違うよ僕はこうじゃない、私だ。あぁリエなんて女知らねぇよ。
そうだ。ジジイに犯されるリエを見て気持ち良くなって、私は超バッドな気分。
だって私はこんなに頭が悪い。コンビニのバイトすら勤まらない。
でもなんかあるかもしれない。
もしかしたら明日雷に打たれて、顏が佐々木希になって巨乳で私の愛液を顏に塗った人は永遠の命を得られる
うまく言えないけど、とっても悔しい。
毎日夜になると両親が「いい旅夢気分」を観ていて、
大学全入時代という単語が最初に聞かれてから久しいが、今度は学習塾全入時代が到来するという言葉を耳にした。
実際に到来するかどうかはおいておいて、個人的にはあまり好ましいとは思えない。
勉強ができる人とできない人の割合はピラミッド型でちょうどいい。高学歴は少数いればいい。
みんながみんな東大に入れるくらいの頭脳を持っているとしたら誰が今のフリーターや派遣が支えている産業に就くというのか。
勉強ができる人間(高学歴)と言うのは往々にしてプライドが高い。そんな人間が就職で失敗して低賃金でしかも馬車馬のように働かされる飲食店で働くことになろうものなら精神崩壊して自殺するのが落ちだ。
現代の自殺の原因のひとつとしてが就職に失敗した高学歴が社会的負い目を感じて首をつるケースは確実に存在する。
高い授業料を払ってくれた親へ申し訳ないし、いままでがんばってきた自分を否定されるのだから。
もし適当に高認とって就職に失敗しても自殺するケースはさほどないだろう。
高学歴ワーキングプアという単語が最近聞かれるようになったが、このことから分かるように高学歴はあぶれている。もうこれ以上必要ない。
最近AKB48が何かと話題だ。先日あった総選挙なんかはいよいよ全国盛り上がる国民的イベントの様相を帯びてきて当団体の人気を示すものになっている。一方でその商法などなど問題点が多いこともかねてから指摘されて久しい。ちょっと自分用メモ程度にまとめていくのでよかったら参考にしてください。
いや、別に言うまでもないことだけど総合プロデュースの秋元康氏、AKS窪田氏、Office48芝氏が電通らメディアを巻き込んで立ち上げたアイドルプロジェクトになります。このへんキーワードにしてググるだけでもいろいろ出てくるので興味のある方は調べてみればいいんじゃないかなと。各メディア巻き込んで且つ、所属メンバーの事務所を分散したまさに"総占拠”。素敵ですね。(※参考 http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20120607/233074/)
まさかここまで人気になるとか思ってもなかったんじゃないかな。とかとか言ってみるものの別に個人的にAKB自体を負の塊のような見方はしてなくて、むしろ不況やら自然災害やらでなんだか閉塞感漂う日本の世の中に明るさをもたらしている側面は少なからずあると思っていて、その点は少なからず本当に意義のある団体だと思うんです。
ただ一方で最近になって様々に問題点を指摘する声が多くなってきたのでちょっと整理。もちろんマスメディアはAKBを扱うのはタブー的になってしまうのは理解されるところなのでね。あそこまで様々に数字持ってる団体と関係が悪化するのなんて、そりゃその数字で飯食ってる業界からしたら下手に触れないのは理解できるわけで。まあそれはともかくとして、
最も頻繁に取り沙汰されるのがこの握手券商法に関して。これでCDを売ってもCDは廃棄にいって音楽としての価値は微妙なのに握手券欲しさにCDが売れてオリコン1位常連に。これって音楽業界的にどうなの、的な話が多い昨今ですね。(※参考 http://matome.naver.jp/odai/2133826050573002201)
で、結論からいうとこれに関してはいろいろと分けて考えなきゃいけないなあと。個人的にはよく言われるほど悪いこと一辺倒ではないのかなとは思ったりします。
音楽業界からするとCDが売れること自体はもちろんいいことなわけで、AKB団体自体や関連事務所らもそれを喜びます。また資源にやさしくないので握手券だけ売ればいいじゃないか的な、批判が多かったのだけれど、これも個人的には業界利益を考えると必ずしも合理的では無いと思っていて、ここで書いたレーベルやまたプレス(要するにCDという商品それ自体を実際に作るところ)にも利益をもたらすことになるので「たとえ無駄でもCDを作って売ったことにする」ことをやめるというのは業界だけの部分合理性を考えるとそう簡単にやめよう、とはならんのがわかります。(というかその辺の音楽業界全体に利益がわたって、悪い顔されないようにしてるあたりが前述の秋元さんはじめとするマネージャ陣のしたたかなところかなと。)まあ、もちろん環境的によくないというのは事実なので、それなら環境団体NPOみたいなのが頑張って反対するくらいの話にしかならんでしょさしあたり。
よって「CDの過剰生産」自体は何を問題とするかによるけれどもちろん必ずしも悪といえないということになります。論点として環境・資源的視点 対 商業 に凝り固まってるきらいがあるけれど、音楽業界の延命治療的な側面(まあ穴掘って自分で埋める公共事業的なもんですね)を置き去りにするとこの話はあまりに短絡的になりすぎるかなと。(もちろん新しいビジネスモデルを構築できずに苦しんでいる音楽業界をこのような形で延命治療するのはいかがなものか、という批判はここにおいて非常に真っ当且つ建設的なものだと思います。ここは後述)
で、音楽業界の目的として、やはり「よりよい音楽を消費者に提供する」のが一応建前上の至上命題ということになってます。で、そのためにはもちろん健全な利益を出して業界自体のサステナビリティを保っていくようなのは手段の一つとして認められるところなので(この辺出版業界の押し紙的な話と非常に似てますね)、この商法が音楽業界が「よりよい音楽を消費者に提供する」目的には経済的には音楽業界に資している一方で、他のアーティストの露出機会を食ってしまっているという機会費用的な側面を考え合わせるともしかすると我々の音楽文化はよりよいものにはなっていないのかもしれません。カラオケで歌う曲とか良い感じの作業用BGMが継続的に提供されるだけで嬉しいんですけどね。最近そういった状況が実現できているかというと正直微妙でしょ。AKBの曲ばっかりヘビーローテションするのも飽きちゃった。
また、メンバーがその他業界に今後展開していく(お芝居、グラビアとか)にあたってパフォーマンスが非常に下がることが予想されます。これも個人的には実はあまりよく思ってません。やっぱりどうしても彼女らにそういったパフォ-マンスの質を求めるのはかなり難しいからです、ただでさえ忙しくて稽古はできないし、またグラビアとか見てもお世辞にもルックスが他のグラビアやってる人達よりいいとはいえないあたり、別に彼女らをDISりたいわけではなくて、やっぱり専門で分業を行うことがより豊かなものを生み出せることがあるのでこの場合も然りなのかなと思ってる次第です。
いろいろ漏れやダブリがある記述なのはさておき、ファンは幸せなの、つまり消費者の側はどうなのかね、っていう話。これもあまり言い始めるときりはないからなあ... ただガチャとかの話に似て、一人で何百枚購入とかして破産寸前までいったり依存的な精神状態になったりするのがいたりするけどそれ自体はこの団体に関連するものに一切を責めれないですよね...(コンプガチャの件も規制理由は射幸心煽るなとかだし)会いにいけるのコンセプト自体はファンを喜ばせるのに成功してるんじゃないでしょうか。
あまり焦点があてられないのは個人的には少し不思議に思うのは、少女ら側の労働負担に関してです。これだけの人気団体になったのだから、多少は忙しくて当たり前、というのは至極当然で、まあ有名税だ贅沢な悩みを吐かずに頑張れ、というのは一理あるとは思うのですが、これも程度問題なので、例えば最近とあるメンバーが体調を崩して入院したけれどもなんとか復活してライブで笑顔を見せた、みたいな話もあったじゃないですか。どうなんですかね、健康な15やそこらの少女が過労で体調を崩すような労働環境が果たして健全なんですかね。
また、より個別の話をするなら、ここにおいて握手会の商法は最も糾弾されるべきだと個人的には思っています。なぜならちょっと知ってる方なら知ってる話しなんですが、握手会これずっと立ちっぱなしでベルトコンベア的に次々流れるファンの人々と握手をすることになってるんです。一人10秒とかで。これ非常にきついですよ。もちろんこれだけで体壊した、というわけではないんですが、自分も一度参加させてもらったことがあるんですが、大したコミュニケーションができる場ではなかったように記憶してます。(※偏見を拝するために書いておくけど、そこまで熱心なファンではないけど社会見学的なノリで行きました)あれだったら、もっと抽選くらいにして一人あたりのコミュニケーションを高めたほうがいいとは思うのですが、もちろん握手券の拡販のためにはそれができないジレンマを抱えるため、そのような案は検討されなくなるのは言うまでもありません。本当にファンならこの辺声をあげたらいいのにと思うけどそういう話ってないんですね。
それでありながら個別の有名所、例えば前田敦子さんや大島優子さんらでも個人の給与が推計で3~4千万と出てますね。末端メンバーになるとまさにワーキングプアに近いような言い方をされることが時々ありますね。これだけ稼ぎだす団体がこのような利益配分というのは少し胴元が持って行きすぎに見えるんですけどどうなんですかね。これで夢を売るとか言っても無理だと思うんだけど、アメリカンドリームな壮大な夢を見ないのは日本のお国柄かしらね。
とりとめもなくメモしたんだけど何かしら参考になれば幸いです。以上見たように、個人的には世の中を明るくしたり、共通の話題としてはすごくいい、けど、音楽業界がその微妙な体質を無駄に延命するのに加担してしまっていたり、本業以外に今後侵食することで他のコンテンツの質が下がることが予想されること、またメンバーの人達の労働環境に大いに改善部分が見られるあたりは問題なのかなと思っています。
もちろん繰り返すけど世の中を楽しくするあれってことで総合的にはいいと思ってるんですけどね。総選挙の大島さんの笑顔の写真は良かったですね。
『まっとうな』価格の仕事を取れる子はPEGGS経由のを受けなきゃいいだけだし
『まっとうな』価格の仕事を取れない子が、PEGGS経由で依頼を受けるだけに思える。
品質それなりでいいので安い絵を使いたい、
安いのならこのレベルの人でも使ってみたい、って需要は確実にある。
ただ単にそこを潰してどうするんだって思う。
そもそもさあ、
誰を雇ってどんな対価を支払ってたってどうでもいいわけで、
そういう条件なら全部君のいうとおり。
でも今回問題になってる件では
で、この企業のビジネスモデルは仕入を馬鹿みたいなクソ値で買い叩かないと成立しない。
この企業のために絵を描く人でちゃんとご飯食べていける人は居ないよね。
従業員でも外部請負でも、生活していけないような金額で労働力を買い叩いて初めて利益が出るようなモデルや企業は
現代社会には存在しちゃいけねーんだよ。法律でもそう決まってる。
最低賃金てのが何のためにあるかっていうのも
答はそういうこと。
「労働に対する対価」ってブコメあったが、買い手の付かない絵は『金銭的には』1円の価値もないわけで、
街角で歌ってるストリートミュージシャンが「労働に対する対価」を求めるような違和感を感じる。
実力勝負の世界において、それ専業で食えない層がバイトや本職を別に持ちながら
(広い意味で)趣味の時間を使って切磋琢磨する、というのは絵にかかわらずどこにでもある。
ダメダメ。
一人前になるまで見習いをしつつバイトで食いつなぐ、は勝手だけど
そういう奴の足元見て買い叩いていいって話はない。
もっとはっきり言えば、
生活できる程度の対価を得られない腕前の人は、仕事とる資格がないんだよ。
仮に
イラストレーター「ボクは腕がないので一枚100円でいいです!」
企業「ほら、彼もこう言ってる!」
なんて具合に2者の利害が一致しててもダメ。
それやり始めると社会のためにならないんだよ。
生き延びるべきでない劣等なビジネスモデルが生き延びちゃうし、
ワーキングプアが増えてっちゃうし、
こういうのは学校で全部教えてくれるのに真面目に勉強して無い奴は
「何が悪いの?」なんてとんまなこと言ったり
おめでとう。この博士課程を かちぬいたのは
きみたちがはじめてです。
1番目「博士課程?
きょうじゅ「わたしが つくった
2番目「どういうことだ?
あきあきしていました。
そこで アカハラを よびだしたのです。
4番目「なに かんがえてんだ!
おもしろくしてくれました。
たいくつしてきました。
3番目「そこで 博士課程‥か?
きょうじゅ「そう!そのとおり!!
ほしかったのです!
1番目「なにもかも あんたが かいた
内規だったわけだ。
きえていきました。
しすべき うんめいをせおった
ちっぽけな若手研究者が ひっしに
いきていく すがたは
わたしさえも かんどうさせるものが ありました。
わたしは このかんどうをあたえてくれた
きみたちに おれいがしたい!
どんな学位でも かなえて あげましょう。
2番目「おまえのために ここまで
研究したんじゃねえ!
してくれたな!
すべては わたしが つくった モノなのです。
主人公「おれたちは モノじゃない!
どこまでも たのしい 若手たちだ!
きょうじゅ「どうしても 書く つもりですね。
めに やきつけておけ!!
実名主義のインターネットがどんなものなのか。自分の知りうるかぎりでは他に台頭しているSNSがないし、自分が普段覗いている匿名主義のインターネットの世界とはまた違うのだろうという予想はあった。
そんなわけで自分の出身校も登録してみた。そんなことをしたのは初めてだ。mixiなどの国内SNSでは信用性がいまいち持てなかったから。
そこで出てきたのが、卒業してから今まではあまり付き合ってる友人がいなかった中学と高校のコミュニティだった。中高一貫でどちらもそこそこの私立の進学校だった。一人に見つかるとコミュニティ全体に見つかるのも時間の問題という状態で、あっという間に友人の数が増えていった。
そして自分は驚いた。そこにいたのはほとんどが大企業などに勤めているサラリーマンを大黒柱におく家庭を持つ層のコミュニティだった。それは不況や就職難や少子化などの不安な日本の社会を形成するニュースとはあまり関係ないように見える、豊かな家庭を形成するコミュニティだった。
だいたいの家庭が子どもを二人以上もうけ、家族で海外旅行は年1回。持ち家を買い、人生を謳歌しているように見える人ばかりで形成されたそのコミュニティは、未だに高度経済成長期の頃の1億総中流家庭を彷彿とさせられた。
そして自分が普段見ているインターネットの世界とは全く異なるもののように見えた。30代の年収が400万前後っていうデータはどこに行ったんだ?ワーキングプアは?若い人に金がないから子どもを作れないというニュースは?自分も含め、ニュースサイト等に溢れるあきらめと絶望の混じったコメントをしている輩はどこにいったんだろう?
そして驚きが収まると共に思い知った。自分が見ていた世界がいかに狭いかということに。
そういう豊かな家庭を持つ層はわざわざネットに大量に時間を費やさないのだ。第一にそんな暇がない。だからそういう人たちの意見はネットの世論として出てこない。TVだけしか見ない人とネットだけしか見ない人の間で世論が違うように、そこには住む水の違いのような温度差があった。うまくいっている人は豊かなコミュニティに残り続け、落ちこぼれた人はそのコミュニティからも落ちこぼれていく。自分がそうだったように。