横からだけど
みんな、資料は添付しようぜ
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/1505.html
女性の年齢別就業率の推移
原則的に年次が上がるごとにどの年齢層でも就業率は上がっていて
結婚適齢期と思われる層での急激な減少がなくなってきている。
くっそう
どれもこれも ペア ペア ペア ペア
プレゼントの応募まで ペア ペア ペア ペア
ライブとか みてーって おれも招待されてーって
どちくしょーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
応募ぐらいさせろーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
台湾に抜かれたって何年も前に聞いたし、倒産までは余命みたいなもんだったんじゃねーの?
「欧米では韓国製品が日本製品を追い抜いている!脅威だ!」って言われ続けていて、
例えばこれ。
韓国製ディスプレイで溢れる欧州 流行りの電子看板に日本の姿なし
http://business.nikkeibp.co.jp/article/tech/20080917/170797/?rt=nocnt
日経ビジネスオンラインの記事だから読めない人もいるかもしんないけど、
また記事中
「まず、観光地の目抜き通りを歩いていると、現地の売り子から「ニーハオ」と声をかけられることが増えた。というより、残念ながら「コンニチハ」と言われたことは一度もなかった」
とあるけど、島田荘司の小説「アトポス」だったかな、女優がハリウッドに行ったら
「チャイニーズ? オア コリアン?」と聞かれることは何度もあるのに
「チャイニーズ? オア ジャパニーズ?」と聞かれることは一度もない、
と書いていたけど、「アトポス」という書籍が正しかったら書籍の初出は1993年11月。
何年も前から
「海外に出たら日本は知られていない、知名度は圧倒的に中国韓国が上」
という言説があって、んで現実はどうよ?
俺は半導体作りの会社に勤めてないから友人の話を嘘だとは言えないけど(知らないから)、
友人は友人で誤解してる部分が大きいんじゃねーの?
韓国脅威説はもう飽きられてんだよ。
たとえ現実に韓国が日本を追い抜いていたとしても、飽きたって意味で
もーどーでもいー。勝手にしてくれ。
理由は明かしてもらえなかったので余計納得できなかったのだが、
弁護士入れて争う体勢を整えているというところなのに、
そんな下らない理由で切られたなんてなんて下らない、と思ってしまった。
闘うけどね。
「縁故採用→現職の人クビ」っていう構図があることに驚いた。
http://www.jacd.jp/news/column/100513_post-49.html
もう一つは働く女性の増加である。日本的雇用慣行の隠れた前提は、夫が働いて妻が家事子育てをするという家庭内の極端な役割分担である。企業は夫だけでなく妻もまとめて雇っているわけである。家族ぐるみの雇用という考え方で、それが年功賃金、二人分の賃金を出してその代わり夫を徹底的にこき使い、長時間労働は当たり前、企業の命令辞令一本で日本の端からアジアの端まで飛ばされても文句を言わないという包括的な契約になっている。このような頻繁な転勤が成り立つのは、奥さんが必ず付いて行くという前提で行われている。しかしここで女性が正社員として結婚した後もずっと働き続けると、こういうモデルが破綻する。官庁のキャリア同士で結婚すると、どちらかが常に転勤しているのでほとんど一緒に住めないという悲惨な状況もあるが、このように夫も妻も正社員として働いた場合、誰が子供を育てるのかという問題になり、それが実は少子化に結びついている。少子化が大きな問題だとは皆認識しているが、依然出生率の低下が止まらない。その理由は、日本的雇用慣行の中で女性の働く人が増えているという組み合わせである。北欧諸国は日本より高い出生率の下で、日本より高い女性の就業率を実現しているため、女性が働いているから必ずしも出生率が落ちるのではない。日本的雇用慣行が基本的に女性が働かないことを前提としているのに、女性が働き出したから矛盾が起きているのである。少子化問題を考えるためにも、やはり働き方の改革は避けて通れないが、政府の審議会等でもこの問題は避けて通るのである。男女共同参画会議でも、この日本的雇用慣行は一つのタブーとして全然触れない。日本的雇用慣行を維持したままでできる範囲で、男女の平等や少子化対策を行おうとしているので、効果がないのは当たり前なのである。
現在32歳、「超氷河期」と最初に呼ばれた世代で、報道や世間のムードに流されるままに「働けるだけありがたい」なんてくだらない考えから不本意な就職を決めてしまった結果大コケしたわたしからも一言。
大事なのは、企業を選ぶときにはあくまで自分の欲望に忠実に選ぶことであって、間違えても「自分を企業に合わせよう」なんて思ってはいけない。
この人のすすめている「うそ」は、自分の気持ちを偽れ、ということでは絶対にない。
「入りたいと思っている会社に対して、自分という人材をいかに立派に輝かしくプレゼンテージョンできるか」という能力を磨け、ということだ。
そこを絶対に勘違いしないでほしい。
「0を1にするのはだめだが1を100にするのはあり」
本当にこの一言に尽きると思う。
0を1にしてうっかり何かの間違いで採用されてしまった場合、地獄を見る。
これは絶対にやってはいけないことだと思う。
3年生当時のわたしは、志望動機をつくるときにこの「0を1にする」をやっていた。
当時はITバブルが弾けたばかりだったが、依然として学生の関心は高かった。
わたしは面接のさい、まったく興味のないIT業界に対する興味をでっち上げ、もっともらしい理屈でガチガチに固めた。
どことは言わないが、名前を言えば驚かれるぐらいの難関企業だった。
どうせ無理だろうと思っていたが、人事のおっさんが酒でも飲みながら決めたのか、なぜかSEとして採用されてしまった。
正直、SEにまったく興味はなかった。
そもそもなぜ受けに行ったのかも謎だった。
とにかく数多くの企業を回るべきだという気持ちだけでよく考えもせず動いていたように思う。
採用を知らせる電話がかかってきたとき、わたしは直感的に「この会社に就職してはいけない!」と思った。
志望動機を偽って受かっても、きっといいことはない、と、どこかで強く感じていた。
しかし、せっかくこんな立派な会社に採用されたんだし…と、わたしはそこへの就職を決めた。
親に迷惑をかけたくない、というのもあった。
泣こうがわめこうが4年が終わればわたしは大学から押し出される。
そのことを考えると、ぞっとした。
そうやって「0を1にする」ことで採用してくれた会社に4月から勤め始めた。
先輩たちはかわいがってくれた。
1年目の12月、寿退社した先輩の後釜にあてがわれた。
1年目の新人をこの仕事につけるのは明らかな人選ミスだ、と周囲の先輩たちは同情してくれた。
確かにそうだったようだ。
わたしはあっけなく潰れた。
上から能力を試されているのだ、というのもわかっていたのだが、上司を心の中で「くそったれ、死ね」と罵倒しながら、動かない身体を必死に引きずって出社していた。
翌年の12月、辞表を提出した。
辛かったが、一般的に見て驚くほど理不尽だというほどでもない。
誰しもこういう試練の時期を経て一人前になっていくはずだ。
けれどわたしには乗り越えられなかった。
「やってられるかこんなクソつまんねー仕事で心身ともにボロボロになるとかアホくさい」
これが本音であった。
ちなみにSEと言えばデスマーチであるが、あの会社にデスマーチと呼ぶべきものはたぶん存在していない。
働きやすさでいえばかなり恵まれた環境だった。
だからわたしはSEという仕事特有の過酷さに潰されたわけではない。
単にわたしの要領が悪かったのと、渋々選んだ仕事だったから、というだけのことだ。
それでもまだ、わたしは「0を1にする」ことの罪の大きさを十分には認識できていなかった。
派遣で食いつなぎながら次々とブラック企業を受け続け、そのたびに志望動機をないところから作り上げて理論武装し、内定をもらったり落とされたりしながら、わたしは同じ過ちを繰り返そうとしていた。
そしてある日突然、わたしは派遣先に出勤することができなくなった。
身体がうまく動かせなくなったのだ。
それから少しずつ社会復帰しようと思い、学生の頃やっていた塾講師のバイトを始めた。
楽しくて仕方なかった。
加えて大分ほどではないにしてもコネが横行しているのも周知の事実だ。
超氷河期と言われるこのご時世に、そんな時間も金もかかりそうな夢を追いかけることは、贅沢なことなのだと思っていた。
それよりも、現実的に考えて手っ取り早く金がもらえて身分を保障してくれる勤め口を確保するべきなんだと思っていた。
それが、自分にとっても周囲にとっても、一番いいことだと思っていた。
でも違ったのだ。
たぶんわたしは、ついてはいけない嘘をついてしまっていたのだ。
「自分を大事にする」とは「自分の欲望を大事にする」ということで、たぶん「先生になりたい」という欲望をそのまま放っておいたのがわたしにとって致命的に自分を貶めることだったのだ。
親に話したら猛反対された。
今から受けたって受かるわけがない、何年かかると思ってるんだ、それまで生活はどうするんだ。
早期退職した父親と専業主婦の母親。頼み込んだが、彼らのすねをかじることはもうできなかった。
以前勤めていた派遣先に事情を話し、ゆるい仕事場を紹介してもらって、働きながら受験勉強をすることにした。
身体は本当につらかった。
でも、社会人になってから、あんなに充実した気持ちで毎日を過ごしたのは初めてだった。
どちらかというと底辺のほうに近い高校で学力は低い。不良も多い。
高校名を名乗ると、相手を「ああw」とつい嘲笑させたりすることもある。
私立なのに、職員の給料も決して高くはない。
でもわたしは満足している。
ここにわたしは骨を埋めようと思っている。
モンペ対応など面倒なことも多々ある。しかし仕事そのものが苦になることはない。
同業者で父親のコネがあってSEから転向してきたという人がいるが、彼に言わせるとSEのほうが百倍楽なのだそうだ。
してみると、問題の根っこはやはり「向き不向き」なのだと思う。
わたしは、こんなに穏やかで楽しい毎日が来るとは、SEのころには夢にも思っていなかった。
とにかく食えればそれだけで幸せと思わなければいけないのだと思っていた。
でもそれは絶対違う。
「自分を大事にする」とは「自分の欲望を大事にする」「自分の直感を大事にする」ということだと思う。
就活における直感とは、幼い頃から漠然と積み上げてきた価値基準や趣味嗜好によるものだとわたしは思っている。
「この会社に就職してはいけない!」という直感は間違っていなかったし、今勤めている高校から採用の報せを受けたときにも「ここがわたしの居場所になる職場だ!」とわたしは強く感じた。理屈ではなかった。そしてその通りになっている。わたしの直感は、幼い頃の素朴な夢と根強くリンクしていると感じずにはいられない。そしてその通りに行動することがただひとつの正解だったのだと、今になって思う。
だから就活生には、難しく考えすぎず、直感的に「行きたい!」と思った会社を受ければいいんじゃない、と言いたい。
きっとその直感には自分でもわからない多くの判断基準が含まれており、きっとよく当たっている。
もちろん、受けて受かるかどうかわたしは知らない。
運良く採用されても「こんなはずじゃなかった」と思うことも出てくるはずだ。
愚痴りたくなることも山ほどあるだろう。
辞めたくなることもあるだろう。
けれどきっと、不幸は割合小さくて済む。
そして幸福は、きっと割合大きくなるはずだ。
「0を1にする」過ちさえ犯さなければ。
いやまぁ、技術なんていらない政治なんだ!として落ち目を見てるアメリカを見習って
愚痴もまじっていたせいだろうか、何を言ってるかわからない部分もあったが、
いろいろと興味深い話を聞くことができた。
「結局、装置があれば韓国でも中国でもどこでも作れるようになって、値段のたたきあいになっちゃたんだろ」
という私に対して、彼は言った。
「体力勝負で負けたのは否定しない。だけどな、装置があれば誰でも作れるというのは大間違い」
「最大の要因は、やつらの技術力が高かったことだと思う。というかうちの規模の会社が研究開発で対抗できてたのがある意味奇跡。」
ということを彼は熱弁していた。
記憶素子のわずかな物理量(数10フェムトとか言ってた)の変化を
増幅する高精度なアンプだとか、
信号のタイミングを自動調整する回路とかそういうものを作る必要があって、
また、そういった繊細な製品をまともに量産するには大量の試作品が必要で、
それに億単位の費用がかかる。そして、会社の規模が効いてくるのがこの部分だと。
確立されていない技術に対してどれだけトライアンドエラーを繰り返すことができるか
たくさん失敗した分だけ、早くノウハウを得ることができる。
資金力で勝る韓国メーカーは、この部分のアドバンテージが大きかった。
彼の口から出たのはそんな話だった。
いろんな国の名前も聞いたことのないメーカーが乱立して価格勝負のつぶし合いをしていてひどいんだそうな。
メモリだって秋葉原に行けば変なメーカーがたっぷりあるじゃないかと反論したら、
ADATAとかUMAXとかプリントしてあっても中身はうちだったりするのさと言ってた。
要はガワだけ作ってるメーカーはたくさんあるが、中身を作ってるのは
最近言われている話では、『過剰品質』とかも変な話だと言っていた。
設計を工夫したりしてたらしい。
最後に彼が力説していたのが韓国製品は価格よりも品質の面で脅威になっていたということ。
「俺、分解して特性調査したからやつらの技術の高さはよく知ってるよ。」
と。2chとかで、韓国ハイテク製品の劣悪さを書き込んでるやつらは
何も知らないくせによく言うぜとか。
いろいろと考えさせられる話だった。
結局、自分なりに思ったのは、
『装置産業になったから技術の意味がなくなりコスト競争になって負けた』
って言う俗説は違うんじゃないんだろうかということ。
こういう結論でしたと総括しておけば、
誰も誇りが傷つかずに、あれは仕方がなかったんだで終わらせられるもんね。
でも、実際は
『韓国企業は高度な技術を要する分野で日本企業を打ち負かし、倒産に追い込んだ』
というのが事実なんじゃないだろうか。
それだけだ。何の言い訳もあるはずがない。
きっと、これからもいろんな産業がこの国からなくなっていくのだろう。
誰も傷つかない言い訳が広まって、仕方がないと言われながら。
議論自体を封じよう封じようっていうことだよね。
およそ自信のある論点・やましいところのない論点について人間が取る態度じゃない
50点。
あたまでっかちに説得力がないのはそのとおりなんだけど
「毎日困ったり、泣きたくなったりしながらも、一生懸命生きてる」人が何かを知ってるとは限らないんだな。
生活に追われてただの愚図になる人間が大半だから人類の歴史はこうなってんだよ。
甘ったるい安易なロマンは捨てようね。
「人数を値切ろうとする云々」みたいな歯に野球ボールが挟まったみたいな言い方は一回やめて
「確かに中国が主張してきた人数はおかしい、妥当な根拠が無い」って言ってみたらどうかしら
んで妥当なとこまで数字を自主的に切り詰めてから、改めてやればいいじゃん
突かれて痛い部分をそのままにしたり濁したりするんじゃなく
どうかしらapemanさんとか
まずは行司とは間違えることよりも、覆すことの方が悪いという世界に生きる人なんだということを受け入れなさい。
その上で、一般論としてはどうなんだ?と問い直せばよい。