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はてなキーワード: 幕末とは

2019-07-26

anond:20190726015207

生麦事件で調べてみな。

普通に、刀で外国人斬り殺して、それ口実に日本全体が欧米諸国侵略されそうになってる。

生麦事件ほど有名ではないだけで、幕末の時期は、外国人が斬り殺される事件何度も起きてる。

ただ、欧米諸国の方も、数人切り殺されたからっていって貿易やめたら、自分とこ以外の欧米が儲かるだけだから大事にしなかっただけ。

anond:20190726015207

幕末は逆に荒れた時代だったので、ギラついた侍が多かったと思う

あと普段から殺人用の刃物を持って歩いてる時点で

パイプ持って暴れてるやつの100倍ぐらい怖い

幕末武士って本当に強かったのか?

幕末武士って強いイメージあったけど、よく考えたら二百数十年平和だったんだから

現代日本より平和ボケしてるわけだよね?

強いのか?

今でいうところの剣道の強いやつらの集まりって感じなのかなぁ

ドラマみたいに「武士ですから人斬りなんて当たり前」みたいな感じにはならなそう

2019-07-13

苦手な岡田以蔵タイプがわかった(えふご二次の話)

最初別に嫌いじゃなかったし、苦手とも思わなかったんですよ。

初めまして。トマレモです。

名前は、ちょうど目の前にあった、カゴメトマトレモネードドリンクから

甘酸っぱくて美味しかったよ!

これは某グランドでオーダーな運命二次創作で且つ、BLにも関する話なので、苦手な人、地雷な人、嫌悪感を覚える人は見ないでね。

そういう人で目に入っちゃった人は、速やかにバックして記憶DELETEして下さい。

そして、私の言う「よく」は、大概、私のTwitterタイムラインでのこと。

これはただの、整理と愚痴です。読まれる前提で書いてません。

では、よろしくどーぞ。


えーと。うん、苦手じゃなかったんだよなぁ。帝都が来たあと、以龍か龍以か迷うくらいには。

でも、その後に、違う龍馬右のcpに轢かれて、そっちにどハマリしてから、ジリジリと苦手感が出てきた。

地雷ってほどじゃない。言葉にするなら、

「なぁんかなあ……」

ってくらい。

浮き彫りになったのは、多分閻魔イベント

これは、Twitterフォロワーさんが、私の心境にドンピシャな呟きをしてたのを見て、「あーーー!!それーーー!!わかるーーー!!ありがとうございます!!」となったから、言語化やすい部分。

ギャグにする人もたくさんいた、偶然誘われ忘れてしまった岡田以蔵。その立場を、私のタイムラインでは主に龍以の人が、かわいそかわいそしてお涙頂戴のネタにしてたのを見て、『あ、私はこれ、駄目だ合わない』と思った。

岡田以蔵は、坂本龍馬に置いていかれた。

うん、ある時点では、それは間違いではないんだろう。龍馬土佐を出た。以蔵は残った。

でもその後、史実ネタになるけれど、龍馬は以蔵に会って話をしてる。

時には職の斡旋(勝先生の護衛の話ね)もした。

龍以の人も以龍の人もこの辺ネタにするの好きだよね。「一緒に行こうよ」と手を差し伸べる龍馬先生義理立てしてか、その手を取らない以蔵。何回も色々なパターンを見た。泣いたこともあるよ。いい話は刺さるものだもん。

でも、ここで思う。

岡田以蔵よ、お前、どこが置いて行かれてんの?

先に出ていった。うん。でもその後に一生会えなかったわけじゃないだろ。

会いにきてくれて、何くれとなく、同じ未来を見ないかって話をきっとしただろうよ。

EXP先生幕末むかしばなしでも、「土佐に戻ってこいよ」って言ってるコマあったじゃん。お前、望んで土佐に居たんだろう。望んで、武市に付き従ったんだろう。

自分で選んで、龍馬の手を、取らなかったんだろう?

そうして、非業の死(笑)を遂げたわけだ。

自分で仕える相手を選び、単純バカ扱いに反駁せず、更には思考放棄して、かと言って忠を貫き通せもせず。

それで、最後には原因は全部坂本龍馬で、おまんがわしを置いていったのが悪い???

どこの悲劇のヒロイン様だよ、勝手過ぎるだろうよ、その言い分。

そんでもって。

坂本龍馬は、抑止の守護者って立場で、記憶を保ってる。というのがよくある見解だよね。マイルームボイスでも明らかに帝都のことを覚えてる感、ある。

帝都で、最後最後で、かつての頃のように大切な幼なじみと笑いあえた。

それは、長く長く抑止力として過ごしてきたであろう龍馬にとって、どれだけぶりの、嬉しくて温かい記憶になったんだろう。

その記憶を持って、カルデアに来て、その近々の愛しい記憶を持たない、別人の同じ幼なじみに切り掛かられる。その別人とこれから仲間として戦っていく。

ねえ。どっちがしんどいよ、これ。

それで、イベントやらなんやら、基本突っかかって来るのは以蔵の方じゃん。

くっそ甘えてるよね。何かあれば「りょおまああああ!!」って叫んでさ。それで龍馬は、はいはいって来てくれる。

うん、以蔵スキーな方々は「素直になれないよね」と言ってるのをよく見る。

あれだけ、あれだけのことやらかしておいて(少なくとも、龍馬は手を出したりしてない。何か以蔵へきついことを言った訳でもない)、以蔵は自分勝手に頼るんだよ、龍馬を。

まあ、私は左右で言えば、右の立場思い入れやすい傾向がある。単純にキャラの好みとしても、龍馬の方が好きだ。

から、どうしても、思いは龍馬寄りにはなると思う。

それにしたって、英霊の成り立ちやらエピソードやらがあるにしたって、横暴じゃない?

喧嘩して「自分、まだ怒ってるんですけど?」っていう面倒くさい奴かよ、被虐待児の試し行動かよ…どんだけ甘やかされりゃ気が済むのさ。

坂本龍馬、以蔵が本気で拒めば多分。「わかったよ」って離れてくれるよ。自分が寂しかろうと、それが大切な幼なじみの本当に願うことならね。(二次では、それを超えてくるところが尊い扱いされるやつね)

カルデアで以蔵から責められて、気をつかって、それでもぐだぐだ出身として一纏めに扱われて、その度にご挨拶代わりに何かにつけて大声で怒鳴られて文句言われて(以蔵にその意識はないだろうけど)さ。

そんなことが年がら年中起きてりゃ、そりゃあ、龍馬の方も疲れるだろうよ。偶然、思わず、誘いを忘れるくらいに。

というわけで、私の地雷蔵さんは多分、作者の同情をたっっっぷり詰め込んで「かわいそかわいそ、いぞーさんいいこいいこ、かわいいかわいい」されて造られる、ヒロイン蔵さんなんだろう、と自分の中で着地したわけだ。

スパダリ系・いっそ完全にクズショタポメなんかは、全然平気だしね。支部では今も、お世話になっておりますう。

はー、文字っていう形にしたらスッキリしたー。

てわけで、まあ、こんなのを読む人は居ないだろうけど、読んだ人が居たらお疲れさまでした。

10月のるーしこ出るけど、以龍プチの参加、どうしようかなー。参加申し込み締め切りまで、あと一ヶ月。悩むとしますかー。

※轢かれて、は誤字じゃないです。トントラックで轢かれるくらいの衝撃と共にハマったことを表したかったの。

2019-07-09

anond:20190708000143

以前にも書いたが、観光地の混雑で苦しまない、土日の神田オススメだ。

神田といっても日本に数多ある神田の中でも、泣く子も黙るターミナルステーション東京駅と、世界オタク聖地秋葉原駅に挟まれ神田駅のことだ。

平日でもそれほど混雑しない半端リーマンの街・神田だが、観光客が少ないどこほではない。そもそも街に人が少ないので、土日や祝日になるとまじでゴーストタウンになる。

駅を一歩出れさえすれば、タクシーの列もないし、キャリーバッグに妨げられることもなく、ベビーカーも押し放題だ。

夕方から営業を始める飲み屋ヤワな感じで、客引きの兄ちゃんも押しがいまいち弱いので、ちょい飲みパラダイス銀河だ。(せんべろ立ち飲み屋も多いぞ)

特に最近マスコミ(の一部)で「裏千代田」と呼ばれる神田駅の東側昭和通りを越える地域台東区浅草橋日本橋馬喰町との境目、千代田イーストエンド)はおすすめだ。

ときには、本当に人影が無くなるほどのゴーストタウンぶり。

そこで以下の観光スポットおすすめする。

①お玉ヶ池

むかしむかし、この周辺に住んでいたお玉という美しい娘が二人の男性から求愛に悩んだ末、池に身を投げた伝説の池。現在は、埋め立てられてしまっていて、場所も定かではない。

千葉道場

幕末剣豪千葉周作道場があり坂本龍馬もここに通っていた。岩本町交番南側に「玄武館跡」の碑がある

③十思公園小伝馬町座敷牢跡)

江戸時代牢屋跡で、吉田松陰処刑地。吉田松陰に関する碑が立っている。

④十思湯

サウナで一汗流そう。第2、第4金曜日はふれあいデーのため入浴料100円。

ともかく、もしも観光地の人混みで疲れたら一度、神田に来てみるといい。

かに観光で楽しめるほどの場所ではないが、ミニストップも数店あるから、イートインコーナーでソフトクリームでも舐めるといい。

2019-07-02

西暦2000年まで生きた香淳皇后昭和天皇の妻で上皇陛下の母)。

香淳皇后山県有朋婚約を阻止されそうになった。

その山県有朋幕末普通に戦い抜き、明治5年には新政府汚職事件を起こすほどの大物だった。

こう考えると幕末なんてついこの間だな。

2019-06-10

anond:20190610091202

横だが幕末志士たちの話題ででキャっキャにぎわう女の子たちの横で空気読まずに「沖田総司の顔ってこんなんだったんだよぉ~」とか言ってそう

2019-06-09

土着の差別ってみんなが東京移住すると無くなるよね

ウクライナ人部落差別存在否定するようなこと言って侃々諤々人気だけど、少なくとも東京にいるとその手の差別を感じないというのはわかる。

自分被差別部落ではないけど明治維新徳川に付いた「負け組集落出身で、御一新土地財産を取られたのが現代まで影響しているのか、周囲と比べてあからさまに所得学歴も低い地域で育った。

中学校では「あの集落の子たち」扱いで暴力を伴う虐めを受けてても教師は我関せずでいて、県中から秀才が集まる進学校に入っても「あいつの家のあたりは……」みたいなことを言いふらす人間もいた。

地元でははっきりと差別されていたと言えるけど、進学で上京するとそういうのとは無縁になった。

「当社は明治元勲が発起人となった格式ある財閥企業でございますので、あなたのような出自の者は雇えません」と就職差別されたり、

「うちのご先祖様は新政府のために血を流して戦ったんだ。賊軍の子孫に娘はやれん」と結婚差別されたり、

当たり前だけど、東京では起こらないね

自分出身興信所とかで調べればすぐにわかるし、むしろ自分たちから幕末の動乱では主君最後まで忠義を尽くした。差別に負けずに代議士学者実業家を輩出した」と熱心に発信してるんだけど、東京では誰も知らないし気にしない。

こういう差別って地元に残り続けている人たちの問題なんだよね。

2019-05-30

嫁の使い込み

嫁に家計の使い込みをされていた。5年で総額500万。

全部ガチャゲー。

全部 iTunes からクレカ払いだったから、全履歴を追ってみた。

結婚してからも、本とか読むのが趣味で、携帯ゲームDSとか)もよくやってたのでその延長線ぐらいで、スマホゲームしてるぐらいだと思ってた。

主なゲームは以下の通り

茜さすセカイでキミと詠う:2,449,260

A3!:1,162,080

夢王国と眠れる100人の王子様:810,280

あやかし恋廻り:240,880

ナイトブラッド:65,600

恋愛幕末カレシ:51,140

ミリオンアーサー:56,200

先週、これじゃ駄目だと思ってクレカデータを消したらしい。発覚は家に届いたクレカ請求書たまたま俺が見たため。

どうも普段は速攻でゴミ箱に捨てていたらしい

子供(2人)の将来をどう考えてるんだろう。

子供万引きしてしまった時、叱っていたが一体何考えてたんだろう。

最初は働いて返すとか言ってたが、そんな値段じゃない。

クレカ管理が悪かった、請求書に目を通していなかった俺も悪い。

みなさんも、配偶者予算の透明化をするようにしてください。

6月から依存性の病院に通うことにしたが、これからどうなってくんだろうな。。。

アンダーツリズムin神田

いまオーバーツーリヅムが問題になっている。

そこで、観光地の混雑で苦しむくらいなら、土日の神田に来い、と言いたい。

神田といっても日本に数多ある神田の中でも、泣く子も黙るターミナルステーション東京駅と、世界オタク聖地秋葉原駅に挟まれ神田駅のことだ。

平日でもそれほど混雑しない半端リーマンの街・神田だが、観光客が少ないどこほではない。そもそも街に人が少ないので、土日や祝日になるとまじでゴーストタウンになる。

駅を一歩出れさえすれば、タクシーの列もないし、キャリーバッグに妨げられることもなく、ベビーカーも押し放題だ。

夕方から営業を始める飲み屋ヤワな感じで、客引きの兄ちゃんも押しがいまいち弱いので、ちょい飲みパラダイス銀河だ。(せんべろ立ち飲み屋も多いぞ)

特に最近マスコミ(の一部)で「裏千代田」と呼ばれる神田駅の東側昭和通りを越える地域台東区浅草橋日本橋馬喰町との境目の、千代田イーストエンド)はおすすめだ。

ときには、本当に人影が無くなるほどのゴーストタウンぶり。

じゃあいったいそこで何を楽しめばいいのかと、諸兄(姉)は疑問をもたれるであろう。

そこで以下の観光スポットおすすめする。

①お玉ヶ池

むかしむかし、この周辺に住んでいたお玉という美しい娘が二人の男性から求愛に悩んだ末、池に身を投げた伝説の池。現在は、埋め立てられてしまっていて、場所も定かではない。

千葉道場

幕末剣豪千葉周作道場があり坂本龍馬もここに通っていた。岩本町交番南側に「玄武館跡」の碑がある

③十思公園小伝馬町座敷牢跡)

江戸時代牢屋跡で、吉田松陰処刑地。吉田松陰に関する碑が立っている。

④十思湯

サウナで一汗流そう。第2、第4金曜日はふれあいデーのため入浴料100円。

検索

ともかくだ。

もしも観光地の人混みで疲れたら一度、神田に来てみるといい。

かに観光で楽しめるほどの場所ではないが、ミニストップも数店あるから、イートインコーナーでソフトクリームでも舐めるといいよ。

2019-05-28

anond:20190528095442

観光地の混雑で苦しむくらいなら、土日の神田に来い。

神田といっても日本に数多ある神田の中でも、泣く子も黙るターミナルステーション東京駅と、世界オタク聖地秋葉原駅に挟まれ神田駅のことだ。

平日でもそれほど混雑しない半端リーマンの街・神田だが、土日や祝日になるとまじでゴーストタウンになる。

駅を一歩出れさえすれば、タクシーの列もないし、キャリーバッグに妨げられることもなく、ベビーカーも押し放題だ。

夕方から営業を始める飲み屋ヤワな感じで、客引きの兄ちゃんも押しがいまいち弱いので、ちょい飲みパラダイス銀河だ。(立ち飲み屋も多いぞ)

特に最近マスコミ(の一部)で「裏千代田」と呼ばれる神田駅のイーストサイド台東区浅草橋日本橋馬喰町との境目の、千代田イーストエンド)はおすすめだ。

ときには、本当に人影が見えないほどのゴーストタウンぶり。

じゃあ、いったいそこで何を楽しめばいいのかと、諸兄は疑問をもたれるであろう。

そこで、以下の観光スポットおすすめする。

①お玉ヶ池

むかしむかし、この周辺に住んでいたお玉という美しい娘が二人の男性から求愛に悩んだ末、池に身を投げた伝説の池。現在は、埋め立てられてしまっていて、場所も定かではない。

千葉道場

幕末剣豪千葉周作道場があり坂本龍馬もここに通っていた。岩本町交番南側に「玄武館跡」の碑がある

③十思公園小伝馬町座敷牢跡)

江戸時代牢屋跡で、吉田松陰処刑地。吉田松陰に関する碑が立っている。

④十思湯

サウナで一汗流そう。第2、第4金曜日はふれあいデーのため入浴料100円。

検索

ともかくだ。もしも観光地の人混みで疲れたら一度、神田に来てみるといい。

かに観光で楽しめるほどの場所ではないが、ミニストップも数店あるから、イートインコーナーでソフトクリームでも舐めるといいよ。

2019-05-11

文系学問における注と参考文献の話、補遺

文系学問において資料実在証明するものとは何か」(anond:20190510230425)についたブコメに応答&補足説明します。

参考文献と注は違うよ!

Wikipediaですら参考文献を求められるので、参考文献(ここで言っている注)のない本はある意味Wikipedia以下の信頼性と考えられても仕方がないことを多くの人に知らせるべきだと思う。

参考文献と注は違います! ぜんぜん別です! 参考にした本を並べてあるのが参考文献(厳密にはこの場合「参考文献一覧」)で、本文中の記述の出典を直接明らかにするのが注です!

参考文献と注については、以下の4つの組み合わせが考えられます

  • a)参考文献も注も揃っている
  • b)参考文献はあるが、注はない
  • c)参考文献はないが、注はある
  • d)参考文献も注もない

このうち、研究書として許されるのはaとcだけです。ここで問題にしているのはbとdで、多くの学術的な新書はbであり(中公新書とかでよくあるやつ)、ごくまれにdみたいな本があります最近だと、岩波新書の『ロシア革命』)。

えっ、cも許されるの? はい、許されます。なぜなら、個々の注でしっかりと典拠を示してある場合は、参考文献リスト存在せずとも出典の表示に不自由はないからです。

これだとわかりづらいかもしれないので、架空の例で説明してみます(わかりづらいかと思ったので書き直しました)。

a)増田うんこを漏らした(注1)。一方、同人作家おしっこを描いた(注2)。

(注1)はてな太郎増田研究Hatelabo2019年、819頁。

(注2)Y. Arim, Oshikko Collection (Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies, 2019), p.8107.

参考文献リスト

Arim, Y. Oshikko Collection. Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies, 2019.

はてな太郎増田研究Hatelabo2019年

b)増田うんこを漏らした。一方、同人作家おしっこを描いた。

参考文献リスト

Arim, Y. Oshikko Collection. Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies, 2019.

はてな太郎増田研究Hatelabo2019年

c)増田うんこを漏らした(注1)。一方、同人作家おしっこを描いた(注2)。

(注1)はてな太郎増田研究Hatelabo2019年、819頁。

(注2)Y. Arim, Oshikko Collection (Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies, 2019), p.8107.

d)増田うんこを漏らした。一方、同人作家おしっこを描いた。

cでも十分に出典表示として問題のないことはご理解いただけるでしょうか? 実際、英語圏でもcのような本はたまにあります。そして、著書ではなく論文レベルだと、cのようなやり方を採用している雑誌はとても多いのです(日本語圏でも英語圏でも)。いや、もちろん理想を言えばaみたいな本であるべきなんです。でも、紙幅の都合というものがあり、印刷費が嵩むからどこかを削りたい、となった場合には、真っ先に参考文献が削られてしまうのは致し方ないと思います

日本出版問題は、そこで「参考文献ではなく、注を削ろう!」という話になってしまうことです。違います注か参考文献、ページ数の関係上どちらかを削らないといけないのなら参考文献を削るべきなんです。

もし注がしっかりとつけられていれば、参考文献の欠如は「どんな文献があるかひと目でわかりづらい」程度の問題しかなりません。しかいくら参考文献があったところで、注がなければ「ではこの記述典拠はいったい何なのか」という根本的な問題惹起します(bの例から正しい出典を復元できるでしょうか?)。参考文献は省いても構いません。しかし注を省いてはダメなのです!(学術的な新規性のある本ではなく、学界の定説初心者向けにわかやす纏める本でなら、読みやすさを優先して逆の判断になっても構わないのですが)

もちろん、これはauthor-date方式やMLA styleの注をつける場合には適用できません。どういう方式かというと、次のような方式です。

author-date方式

増田うんこを漏らした(はてな 2019: 819)。一方、同人作家おしっこを描いた(Arim 2019: 8107)。

参考文献リスト

Arim, Y. 2019. Oshikko Collection. Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies.

はてな太郎.2019.『増田研究Hatelabo

MLA style:

増田うんこを漏らした(はてな 819)。一方、同人作家おしっこを描いた(Arim 8107)。

参考文献リスト

Arim, Y. Oshikko Collection. Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies, 2019.

はてな太郎増田研究Hatelabo2019年

こういう方式の注をつける場合には参考文献が絶対必要です。当たり前ですね(author-date方式についてはanond:20190511230117も参照)。

2種類の「参考文献」

自分実験室の試験管”イメージ偏ってるなー(´・_・`)理系論文での引用たことないんかな。普通に出典書いてるし、それを叩き台に積み上げたり、否定したりするんだが。博士論文なんか引用文献沢山乗るしね

理系学問についてのイメージが偏っている点についてはごめんなさい。でも引用については、申し訳ないけれどそちらが勘違いされていると思います(もちろん私は理系論文ちょっとしか読んだことないので、私に事実誤認があれば教えてほしいのですが)。

文系学問において、参考文献には2種類あります

このうち、理系論文で文献として挙げられるのは「先行研究」だけですよね? でも、文系では「一次文献」も参考文献に含まれ、そこへの参照が論文重要な核を占めているのです。

たとえば上皇陛下が書かれた論文(※1)を見てみると、確かに末尾にずらずらっと先行研究が並んでいますが、論文の核となる部分はあくまハゼ遺伝子を解析した部分にあって、それは当然ながら実験室で採られたデータであり、何らかの文献によって引証される類のものではないわけです。

しかし、皇族つながりで天皇陛下が書かれた論文(※2)を例に出すと、この論文において著者の主張の裏付けとなっているのは古文書における記述であって、その原本研究施設が所蔵していたり史料集として公刊されていたりするわけです(史料集って何ぞや、という点については後述)。

私が最初増田で言ったのは、この「一次文献」の問題です。多くの場合理系ではこういう資料引用しないですよね(最近だと古天文学歴史的史料引用するとかあるのかな?)。しかし今回の研究不正がなされたような分野においては、そのような資料こそが研究の核心にあるという話です。

もちろん、慌てて言いますが「なにをデータにするか」は研究対象によって異なります文化人類学のような分野では、ヨソの土地まで出かけていって住人たちとの会話を書き取ったもの資料です(この分野だと「インタビュー」とかいう生易しいものじゃなくて、ヨソの土地に住み込んでその土地言語習得して日常生活を過ごす中で遭遇した会話や出来事を持ち歩いてるノートに書き付ける、という調査方法が採られます。これを参与観察というわけですが、私にゃ無理ですわ)。記述言語学だと研究対象の言語話者にその言語を口に出してもらって記録する(「これを○○語でなんといいますか?」と聞くこともあれば、話者どうしで会話してもらってそれを横で聞くパターンもあり)、というやり方になるんだろうと思います。なので私が言っているのは、あくまでも近現代史やその隣接領域での話だと思ってください。

一次史料からといって信憑性が高いとは限らない

文系生データは出典となる書籍だったり、原典資料がある場所と。原典原典って、どんどん辿っていけるブロックチェーンみたいな形式理想ってわけか。一時情報当事者証言なら信憑性高いって判断にはなるし

違います! 当事者証言からといって必ずしも信憑性が高いわけではありません! たとえば戦争犯罪裁判にかけられた人の証言のことを考えてみてください。彼もしくは彼女証言をそのまま「信憑性が高い」として扱ってしまってよいか? そんなわけはない。

歴史学において一次史料が重視されるのは、それが「生データ」だからです。それはひょっとしたら当事者の保身によって捻じ曲げられているかもしれないし、当事者が間違えているかもしれないし、当事者が見ても聞いてもいないことは書かれていないかもしれない(たとえば「沖縄返還をめぐる日米交渉」を研究しようと思ったとき日本側の史料は「日本側の政策決定過程」を教えてはくれますが、アメリカ外交官たちがどういう考えを持って交渉に臨んでいたかを教えてはくれないのです。それを知りたければアメリカ側の史料を見るしかありません)。けれども新しい研究は必ず一次史料から出発する必要があるのです。何故ならそれは昔の人によって直接書き記されたものから

なので歴史学では「史料批判」というものを重視します。これは説明すると長くなるので詳しくは歴史学入門書とかを読んでほしいんですが、要するに史料に書かれていることはどのくらい信用できるのか、みたいなことを分析するわけですね。あれれ~? おっかしいぞ~? この人、自分は後方にいたか虐殺行為に関わってなかったって言ってるけど、部隊の記録では後方にいたなんてどこにも書いてないよ~?

(「なにが一次史料か」というのも研究対象によって変わります特に科学史史学史といった分野では「他の研究において先行研究とされている文献が一次史料である」という状況がしばしば発生するのですが、この理屈はわかっていただけますよね)

デジタルアーカイブ史料

図書館ScanSnap SV600を完備し研究する皆の熱意でデジタルライブラリが出来るといいな… P2Pで共有されればノード消滅にも耐えられる。しか日本ではプリウスミサイル上級国民は不逮捕で、P2Pプログラマ逮捕なので

出来るといいな、じゃなくて、既にあります

たとえば国立国会図書館デジタルライブラリーには幕末以降の古書が多く登録されていて、PDFで落とすことができます。archive.orgや、フランス国立図書館デジタルライブラリー「Gallica」も有名ですね。こういうところに所蔵されている文献については、わざわざ現地の図書館まで行かなくともPDFダウンロードすればそれでよいわけです。デジタル化によって歴史学者の仕事は格段にやりやすくなりました。18世紀ドイツ語の本をコタツに入ったままで入手できるんだもんなぁ。

しかし、当たり前ですが全ての史料電子化されているわけではありません。国によってデジタルライブラリーの整備状況に違いがありますし、そもそも現代以降に出版された印刷物の数を考えたら全部をデジタル化するなんて人手も時間も足りない、という場合もあるでしょうし、身も蓋もない話をすれば著作権問題もあるでしょう(とある国では、その国の図書館に直接行かないとデジタル化された史料アクセスできなかったりします。てっきりPDFはないと思っていたのですが、著作権上の問題で館内からしかアクセスできないようになっているだけだそうです)。

また、多くの国では、公文書館史料まではデジタル化は及んでいません。元増田でも書きましたが、お役所ちょっとした書き付けなんかも史料になるわけで、それ全部デジタル化しようとしたらとんでもない数になります(これについて、日本戦前外交文書のかなりの数をウェブで読めるので恵まれていますね……アジア歴史資料センター様には足を向けて寝られません)。なので未だに、現地に行って史料を直接見てくる、というのが重要になるわけです。

さらに言うと、史料が必ずしも公的機関によって保存されているとは限らず、貴族武士の子孫のおうちに保管されていて、読みたい人はご当主様の許可を得て読ませてもらう、という場合もあり、当然デジタル化の波は及んでいません。イギリスだと由緒ある大貴族屋敷には私設の文書館付属している場合もあり、日本歴史学者でもソールズベリ侯爵のお屋敷であるハットフィールドハウスに赴いて史料収集している人もいます。謝辞で「史料を閲覧させてくれた当代のソールズベリ侯に感謝する」みたいなこと書いてあって「すごい……」って思いました)

ただ、「みんなが読みたがる重要史料」については、史料をまとめた本を出すとか、史料を集めたマイクロフィルムを作るとか、そういう形で広く公開されている場合があります(たとえば第一次世界大戦の勃発に関しては、イギリスオーストリアなどの当事国が何十巻にも及ぶ史料集を出版していて、東京大学などの国内研究機関にも所蔵されています)。けれどそういうのを購入するのはお金がかかるし、何より発行から何十年も経ってしまうと入手自体が難しくなってしまう(でも著作権は残っているためデジタル化も遅々として進まない)ので、あんまりお金がなかったり新設されたばかりだったりする大学研究者は結局それらを所蔵している大学図書館に行く必要が……

「注があると読者に嫌われる」は本当か?

しろ最後の注を見て次の本を決めたりするので、注があると読まなくなる人というのがいるのにびっくり…

注なんて読みたくなければ飛ばせばいいのに注があると売れない……? やべえな世の中。/ みんな本当に自己防衛意識が弱いよね。優しい世界生きてるんだろうな

注があると読まない人が居るという話、ただ気持ちよくなるために情報摂取してる層には、正確性の担保なんてむしろ邪魔なんだろね。ワイドショー視聴者と同質。

これ、実際に「注があるから読まない」読者が本当にいるのか、と疑ってみるべき案件だと思うんですよね……。「編集から言われて注を外した」という話は学者あいから漏れ聞こえてきますが、「注があるから読んでいて苦痛だった」という話ってなかなか聞かなくないです? いやもちろん編集者のところにはそういう苦情のお便りが届いているのかもしれませんが……。「注があると売れない」という都市伝説が生き長らえているだけのような……(一般読者からしてみれば、注の存在に気づいてなかった、とか、なんか数字が振ってあるけど気にしてなかった、という場合も多いでしょうし)

注は別に読まなくてもいいです

ちゃんと注まで読んでるのね。今まで気にしたことも無かった…我ながら知的レベル低い…

注がついている本を読んでいる段階で十分かと思いますので安心してください。注は、もし興味がないならさらっと読み飛ばしても別に大丈夫ですよ。というか、注で典拠が示されていても、アラビア語とかギリシャ語とか朝鮮語とかロシア語とかで書かれている場合も多々あるわけで、そんなの普通の読者さんにチェックできるわけないですし。ただ、注を見てみると、おっ、ここはちゃんと原史料を読んで書いてるのか、なーんだ、ここは英語二次文献に頼って書いてるんだ、みたいなことがわかっちゃったりするので、学者仕事の裏側を垣間見ることができて面白いですし、どんな情報源を使って書かれているのか? をチェックしてみることは学術書だけでなく普通ニュースとかを読むときにも重要なことだと思いますよ。

ブコメ

物理分野では「参考文献」の意味増田とは異なる。参考文献は本文記述の直接の引用を表す。あとあまり明確に決まってないけど、注は捕捉説明を指す。「参考にした文献一覧」は存在しない。読書案内なら見かける。

誰がReferences(Bibliography)を参考文献と訳したのか。"refer"した文献のリストであって、本文の著述に紐づけられるものだけリストアップすればよく、逆に、何でもかんでも列挙して博識をひけらかすところではない。

や、まあ、文系でもたいていの場合は「引用文献」ってことですよ。それを「参考文献」と呼んでるだけ。参考にはなったけど言及してない文献は、私なら入れない(でも入れる人もいるかも)。

いま史学科にいる人間全員読んでリアルブクマしとけ。懇切丁寧な論文の"文法書"だぞ。

あなたがこの増田に感心してくれたことは嬉しいけれど、史学科の学生上から目線アドバイスしないでください。こんなの初歩の初歩で、史学科の学生さんならとっくに理解してます史学出身じゃない人たちが「そうだったのか~!」って言ってるだけ。別に史学科の常識を知らないのは悪いことじゃないけれど(私も他学科常識とかわかんないし)、自分が知らなかったある分野の初歩の初歩を解説されて、そこで聞きかじった内容をその分野を学んでいる人の前で「お前らこういうのよく読んどけよ~」って言えちゃうの、ちょっと傲慢すぎません?

2019-05-02

anond:20190501125643

それに、大阪冬の陣/夏の陣も江戸時代だし、島原の乱とか大塩平八郎の乱とか一向一揆とかあったし、他にも百姓一揆の類はたっぷり

さらには、長州征伐戊辰戦争などの幕末期の一連の戦争もあった。

それでも、江戸時代に先立つ戦国時代と比べれば遥かに平和だったということは出来るということでしょうね。

そもそも平和などという概念相対的ものに過ぎないわけですから

2019-04-26

けものフレンズ騒動について「幕末志士」の元ファンが思うこと

数日前から話題になっている「幕末志士」の「けものフレンズ騒動について

彼らの有料会員であり、10年近いファンだった自分が考えていることです。

騒動きっかけは「幕末志士」の会員限定生放送中の「坂本」さんの発言きっかけです。

簡単説明すると

彼は「けもフレ騒動の前に起こした騒動」により謹慎中であり、その謹慎中に「けものフレンズ2」の炎上に対して、まとめサイトコメント欄で「対立煽り」をしたり、ツイッター複垢を20個ほど作り「けものフレンズ」の信者からツイートブロックされるかという遊びをしていた、というものです。

もちろん普段幕末志士さんの活動を知らない人からするとこれだけでも十分自慢できることではない、ということは分かるのではないでしょうか。

けものフレンズ」のファンはこの話を聞いて不快になった方や傷つけられたという方も多いでしょう。

しかし「幕末志士」がここまで燃えている原因はこれだけではない、すくなくとも今までの有料会員たちが疑問を呈しているのはこの発言だけではないと思います

先に言ったとおり、「坂本さん」は「けものフレンズ」の騒動の前に起こした騒動謹慎中であり、「自身炎上した時は「訴訟」を起こしたのにも関わらず他の炎上には加担するのか」と言われています

時は2月下旬に遡ります

きっかけは某掲示板とあるリー画像が貼られたこと。その画像坂本さんと思われる人物とその彼女うつっているというものでした。坂本さんは数年前から坂本さん」だと言われる画像が出回っていたこと、リー画像にかかれていた彼女名前坂本さんが一年ほど前に間違って放送中に流出させてしまったラインにあった名前と一致していたこから、本当なのではないかファンの中では情報がどんどん広まっていきました。

そして毎週行われている放送タイトルが「最終回」になったこともあり、引退説までささやかれていました。

しかし「最終回」というタイトル放送は彼らが投稿しているシリーズの実況動画最終回のお知らせであり、坂本さんだと騒がれている人物は「残念ながら別人」だというアナウンスがされ、今回の騒動によって坂本さんの心がポッキリと折れたため活動の休止が宣言されました。

このあたりはyahooニュース等で取り上げられていたため知っている方が多いのではないでしょうか。

しか騒動は収まら坂本さんやその彼女関係する情報もどんどん追加されていきました。

そんな中、全体公開として「チェックメイト」といったタイトル生放送配信されます

内容は騒動に便乗した脅迫メールや家凸による被害の「告訴実況」。

また犯人探しのために今回の情報拡散させた人物含め開示請求訴訟を行うというものです。

そして騒動リー画像の中に一つ真実があり、「ファンから送られてきた写真で抜いてしまい、お礼にグッズを送ってしまった」ことを理由謹慎するということを発表し、謹慎は「最終回」と予告した「くにおくん」の実況動画投稿した後、ということになりました。

しか最終回くにおくん動画は延期が続き、謹慎も延期という前代未聞の状態になります

この間にも実況者であるナポリの男たち」含めた騒動進撃の巨人生放送での騒動など小さい騒動は続いていたのですが割愛します。

結局くにおくん投稿されないまま「謹慎」に入りました。

しかし実質2習慣の謹慎間中ツイッターなどの更新は続けており、謹慎中の生配信中も電話で出演したりと、ファンのなかでも謹慎とは一体と囁かれるほどの状態でした。

そしてようやく謹慎があけた「謹慎終了SP」の配信のなかで今回の「けものフレンズ」の対立煽り等の発言があり、現在騒動に発展した、という状態です。

自身が参加していることが目玉の自作オンラインゲームである幕末オンライン」の中で「ファン」と「幕末志士」の距離の近さが原因で荒れた「幕末オンライン騒動」や動画延期を続ける中、動画があげられなければチャンネルを閉じると発言したせいで荒れた「チャンネル閉鎖騒動」などはありましたが、騒動基本的に「チャンネル会員」の中だけで収まっていましたし外部に漏れるということはありませんでした。

騒動の経緯が長くなってしまいましたが、幕末志士のリスナーは「炎上」続きだったわけです。

元々「幕末志士」の活動自体9割ほど有料の配信で行われているため、今まで火種になりそうな「割れ発言」「差別発言」「問題発言」等ありましたが、表立って燃えるということはありませんでした。

そして同様に今回の「けものフレンズ」に関する発言もいままで通りであれば表に出ないまま終わっていたはずです。

しかし現状として表に出ているわけですし、今までお金を払ってまで聞いていたリスナーの目が炎上続きで覚めてきている、ということなのではないかと思います

かに幕末志士」はかなり昔から幕末再生工作法」や「投コメ炎上」など起こしており、完全にクリーン配信者、ゲーム実況者とは言いづらいでしょう。

しかし三年ほど前に有料チャンネルを開設してからは、表立った炎上はありませんでしたし「任天堂」との公式配信など含め、クリーンイメージ方向性で進んでいたと思います。少なくとも毎週のように炎上している配信者ではなかった筈です。

目が覚めるポイントとしてはいくつもありました。

まず「顔バレ」「彼女バレ」に関しては、「幕末志士」の中の人に興味のない人であれば関係のない話だと思いますしかし「幕末志士」の活動自体プライベートの話も多かったため、そこが嘘となると違和感を持つリスナーはいるでしょう。私自身、顔や彼女について興味があったわけではありません。しかし彼の「非モテネタ」や「西郷さんとエピソード」は「幕末志士」の配信のメインエピソードの一つでもありますし、その部分が嘘となると正直動揺してしまいました。

告訴実況」の配信でも「騒動人物とは別人である」ことに関して具体的な説明はありませんでしたが、彼が「別人」だというのであればその言葉に乗ろう。中の人ではなく、彼らの演じる「幕末志士」というエンターテイメントを楽しもうと心を切り替えました。

少なくとも「顔バレ」「彼女バレ」騒動リスナー含めエンターテイメントとして楽しめるものではなかったですし、「心がポッキリ折れた」と言う坂本さんの発言からしてもわかるように非常に疲れるものでした。

告訴訴訟に関しても本当に被害を受けたのであれば法的手段をとるのは正しい判断でしょう。

しかし、「けものフレンズ騒動でわかるように彼は「あまり良く知らない」炎上に対して、炎上に加担するような行為をし、それを嬉しそうに語ったのです。

けものフレンズ騒動」の中では「坂本さん」が「けものフレンズ2」の味方になるような行為を行ったため炎上したと思っている方も多いと思いますが、今回の騒動失望しているファンとしてはどちらの味方についたか、などは関係ないと思います

「真偽を確認せず面白半分で炎上に参加する。」

この発言は「訴訟問題まで発展せざるを得なくなったほど自分たちを追い詰めてきた人達」と同じ行動なのではないでしょうか。

一連の騒動きっかけで今までの彼の言動、行動にも違和感を持つようになりましたし、信じることができなくなりました。

そして度重なる炎上のなかで「坂本さん」が学ばないことを学びましたし、彼はこれから活動を続けていく限り同じ過ちを繰り返すと思います。私はそう感じました。

坂本さんに何を求めているんだ」「坂本発言の9割嘘なのに今更すぎる」「こんなのファンなら受け入れて当たり前だ」「勝手に期待して失望するな」

などの声があるのも理解しています

しかインターネット上の人間ことなんて誰一人も理解できないように、「坂本さんは昔からこんな人だ」と言っている人達でさえ坂本さんのことを理解することはできませんし、誰もが「勝手幻想」を信じているにすぎません。

坂本さんの発言は9割嘘」だと言っている人でさえ、彼の発言を好きに取捨選択し信じているだけでしょう。

厳選が進められた視聴者のなかでは今はもう坂本さんを全部肯定するような人でなければ、ファンを続けられないというような雰囲気さえ漂っています。例えば「顔バレ」「彼女バレ」騒動で少しでも疑問を呈すれば「犯罪者乙、震えて眠れ」と言われるように。

あんなに楽しかったラジオゲーム実況も今では空虚おもしろいなんて思えなくなってしまいました。

私が信じていた「エンターテイメント」なんてその程度のものだったんです。

すこし違和感を持つと急に目が覚めて、楽しいとは思えなくなりました。それどころか炎上続きの中では苦痛のほうが大きかったです。

これが10年以上応援した「幕末志士というコンテンツ」の離れ時なのだと思います

少しでも「幕末志士」というコンテンツ、また「幕末志士」以外のコンテンツに嵌ってる人達も含めてなのですが、

「今自分が好きなもの」に違和感を持ち、辛いと思うのであれば距離を取るべきだと思います

私はファンならすべて肯定しなくてはならない、という考えは間違いだと思っています

しか改善が見られないと判断したのであればさっさと降りてしまおう、ということです。その表明って大事なんじゃないかと思います

多分この世界にはもっと素敵な、自分たちを傷つけないコンテンツがたくさんあるはずです。残念ながら、私はまだみつけられていないのですが。

最後にですが「けものフレンズ騒動」が起きて個人的には良かったです。

けものフレンズファンはじめとする、外部の人間が「おかしい」と言ってくれなければ永遠と目が覚めることが無かったでしょう。

色々なところで揶揄されていますほとんど「宗教」に近いものだったと実感しています

私はここで降りますが、

厳選に厳選を重ね、濃くなった信者達の中で、より快適な「幕末志士」が続いていくでしょう。

私は「幕末志士」が大好きでした。

いくつになっても、子供時代から変わらずゲームを続ける二人は私にとっての夢でした。

そんな夢にまで見た夢を実現させてくれる二人が大好きでした。

しかし歪な夢の中ではいつか目が覚めてしまう。

そのタイミングが私に取っては今だった。それだけです。

サテー氏の炎上は何が問題なのか解説する

先日燃え上がったこちら

https://matomedane.jp/page/28029


Twitterを見ていると、

「ただのファンアートじゃん」とか「何が問題かわからない、ただのいちゃもん」とか、

あげくのはてには「外圧勢の攻撃だろ」とか言ってる人が思いのほか多くて驚いている。


今回、サテー氏は絶対にやってはならないことをし、燃えるべくして燃えた。

なのにこの「この人のやったことは明らかにアカことなんだ」ってのが、いまいちわかっていない人が多い。

わかってない人が多いせいで、信者VS外圧問題にすり替わりつつさえある。

というかそもそも肝心のサテー氏が自分のしたことのなにが悪いのかをわかっていなかった。それは炎上後の対応のまずさにも見て取れる。

なので、なにがいけないのかを解説しようと思う。

簡単に言ってしまうと、これは「プロ道義」の問題だ。



・今までのサテー氏の漫画

これまでサテー氏は「1コマFGO」と題して、FGOファンアートを定期的に描いてきた。

彼の手法簡単にいうと「ダイジェスト」だ。

ゲーム内の印象的なシーン、または界隈で起きた印象的な出来事。それを抜き出して「ダイジェスト」にする、というもの


サテー氏の個性の一つに、このダイジェストを少ない枚数の中に極端に高密度に詰め込むという独特な手法がある。

彼が今の人気を築いたのは高い画力もさることながら、この独特な手法があったからこそと言っても過言ではないだろう。


ただ一方で、最近の「1コマFGO」は、1シーンだけを抜き出してイラストにすることも増えてきていた。

というよりも、彼の「1コマFGO」は、以前と比べて、「ページ数が増え」かつ「ダイジェストのシーンが減って」きていた。

この変化が実は、まずもっての発端である



・直近のサテー氏の漫画

炎上した件の漫画の一つ前に描かれたものは、ある種の分水嶺として捉えることができる。

これ。

https://twitter.com/syatey_12/status/1119573130098331648

(余談だが、この漫画のことを炎上した原因だと勘違いしている人が一定数いるけど違うよ!)


この作品は、見ればわかるが、イベント極東魔神戦線1945」のストーリーの、クライマックス部分をほぼそのままダイジェストにしたものだ。

クライマックス部分をほぼそのまま」である

この漫画大勢の人に絶賛され、受け入れられた。経験値氏本人もRTしている。

だが、これは分水嶺だった。ギリギリラインだったのだ。



・「ダイジェスト」のさじ加減の話

……なのだ、つまるところ。

従来の、というより初期のサテー氏の「1コマFGO」は、たとえば1ヶ月とか3ヶ月の間にあった出来事、いうなれば「1000の中から印象的だった10を選び取りダイジェストにした」ものだった。

それは、時間とともに少しずつ変化していく。

有り体に言うと、投稿スパンが短くなり、絵の密度が下がり、選ぶシーンのネタバレ度が強くなった。


1000の中から"印象的だった"10を選び取る」が「500の中から"めちゃくちゃ印象的だった"10を選び取る」となり、

やがてそれは、この「絶剱」と題された漫画のような「100の中から"重要な"10を抜き出す」ものになっていく。


サテー氏がこの手法に疲れてきたのか、承認欲求のためにイラスト投稿回数を増やしたかったのか、原因は定かではない。

ただこのさじ加減が間違ってきていることに、きっと彼自身は気付かなかったのだろう。


勘の良い方ならもうおわかりかもしれない。

「絶剱」の後に投稿された、炎上した”幕末昔噺「龍が如く」"は、

100の中から80を抜き出す」どころか「100の中から重要でない20を削ぎ落とす」ほどの、「ダイジェスト」を超えた「リライト」になってしまっていたのだ。



プロ道義

ここで最初に触れた「プロ道義」という話に戻る。

プロ創作物は「成果物」と呼ばれる。仕事の結果であり、作品であり、同時に商品でもある。

いみじくもプロクリエイターであるならば、同じ立場にある「プロ」の作った成果物について、敬意を払わなければならない。

この経緯とは何か。それは「製作者のコアの部分には立ち入らないこと」だ。


たとえばブーディカは蒼月タカオ氏のデザインしたキャラクターだが、たくさんの人によってファンアートが描かれている。

そこにはプロとして活動している人も多くいて、中には蒼月タカオ氏よりも上手い(上手い下手の定義はいろいろあるが本記事では置いておく。「経験値氏よりサテー氏の方が絵が上手い」程度の意味合いとして捉えて欲しい)人もたくさんいる。

だが、彼らプロ作家ファンアートに「ブーディカのカードの構図やポーズ、背景をなにからなにまで真似た『俺の描いたブーディカさんのカード』」なんてものがあるだろうか。

断言してもいいが、絶対にない。あったとしてもそれはセミプロ、もしくはアマチュアの手によるものである


プロ意識があるなら、そういう二次創作絶対にしない。

何故なら、それは「製作者のコアの部分に土足で立ち入ること」だからだ。

製作者がその仕事によって得た社会的評価までもを己の創作に取り込んでしま行為」……と言い換えたらわかりやすいだろうか。

それはひいては、製作者に成り代わろうとする行為であるとも言える。

それはあまり醜悪だ。

プロ道義として、絶対にしてはいけないことだ。

これをやったら戦争である戦争なのである


好きだからこそとか。良かれと思ってとか。宣伝のためだったとか。

関係ない。まったく関係ない。

いかなる理由であれ、結果がどうであれ、線を超えたのなら戦争なのだ

好意による領分侵犯という意味で、フラゲした雑誌キャプチャーアニメ化情報拡散するとか、違法アップロードされた動画を使って紹介するとか、そういうのと本質は変わらない。

手段を間違えたという結果がそこにあるだけである


サテー氏の件の龍馬おりょうさんの漫画を、コミカライズ、と形容している人がいた。

奇しくも言い得て妙だと思う。

コミカライズだとかノベライズかいうのは、作品を作った人間原作者成果物のコアの部分に踏み込む行為である

からこそ「公式なのだ公式に版元がプロに依頼し、原作者がそれを承諾し、コアの部分に入ってくることを許可した上で描かれるのだ。

作品の成果を、その作品によって得られる社会的評価を、原作者と分かち合う行為なのだ


彼は無断でコミカライズをした。それも「漫画コミカライズする」という、よりコアな部分に踏み込む方法で。

これはもう明確に、評価剽窃である

経験値氏が得るはずだった感動の声を、賞賛を、サテー氏は横から割って入ってきて、不当に食い漁った。

公式メディアミックスクリエイター同士のセックスとするなら、これは強姦に等しい。


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結局のところ今回の問題の原因は、

「サテー氏にプロ意識がなかった」

これに尽きる。


前段のことは、プロであるなら誰しも肌感覚でわかっているはずのことで、一方でプロクリエイターとして活動していない人には今ひとつピンとこないことであろう。

サテー氏はピンとこなかった。「ファンアート」と「侵害」の境目がまったく理解できていなかった。

その後の謝罪を見るに、たぶん今でもよくわかっていないと思う。


>「幕末昔ばなし」はもっと詳細が描かれてて細かい事情がわかるのでですね…ぜひお手にとってもらえると


ショートケーキイチゴクリームを先に食べさせておいて「スポンジも美味しいので残り物を買ってね」とはまったく恐れ入る。

これが宣伝行為にもなるものか。

これをきっかけに経験値氏の原作を知った人たちが不憫でならない。彼らは本来なら経験値氏へ向けるはずの感動や興奮をサテー氏に向けた。

いみじくもプロならば、経験値氏が「原作」で描いていない寺田屋騒動あたりのことを「想像して」「創造する」とかにするべきだった。

そういうのが正しい二次創作でありファンアートである


どうか経験値氏の「ぐだぐだエース」を購入して、騒ぎの元になった「マンガ幕末昔ばなし」を読んで欲しい。

まだ在庫があるなら、初出である同人誌の方でもいい。


あの独特なデフォルメ絵に手書き文字を、真っ白のスカスカ漫画と思う人もいるだろうし、下手だと思う人もいるだろう。

だが、あの絵だからこそのテンポがあり、あの白さだからこその間があり、手書き文字からこその空気がある。

過剰にセンチにならず、淡々としていながらメロウで、読み終わった後でしんみりと味が効いてくる、とてもいい漫画から

2019-04-25

もし暴れん坊将軍時代幕末だったら

前編

勤王派の志士や不逞浪士、倒幕を企む藩と黒幕公卿相手に大暴れ

中編

大政奉還天皇政権返上するが引き続き将軍として陸軍の創設に尽力し、「最後の侍」などの不満分子相手に大暴れ

後編

外国相手に大暴れ

勧善懲悪時代劇なので基本上様ツエーのイケイケでよろしく

2019-03-10

現代では老人の価値は大暴落している

昔、中世から幕末に至るまで老人には替えの効かない価値があった

識字率の低い地域や、壽命の短い時代には知識の宝庫たる老人には、敬意を表し保護するだけの

資産価値があった。年齢比ピラミッド的にも60才以上の老人は少数であり、レアリティも高い。

でも現代違う。情報の伝達が容易になり、スマホPCがあらゆる分野の情報を教えてくれる現代

老人の知恵袋価値は極端に落ち込んでいる。壽命も、医学の発展のおかげですっごい雑に生きてても60才を超えるのは容易であり

情報が常に更新され、極力最新版を求められる時代に、学習能力が落ち込む老人は非常に不利な構造となっている。

そんな逆ピラミッド時代にも拘わらず、現代の老人は「自分子供の頃に見た老人と同様のリスペクト」を求める為か

声高に主張し辛い主張な事も相まって、実に歪な時代と化している。国内の老人化は今後数十年後にピークがくる為

現代若者は、更に老いが加速した終末期を見るハメになる。逆ピラミッド人口比を変えるには移民しか無いが

それは別のジャンルに飛び火が行くのでここでは言及しない。

余談だが子供価値はむしろ上がっている。中世時代は幼少期に25%の子が死に、成人できるのはさらに半数とされる為

10人くらい出産する事は珍しくも無かったらしい。更にヨーロッパなんかは14世紀ペスト流行の為、生き延びた老人の知恵袋

文字通りの金言だったのだろう。プラハ辺りの当時の知識の宝庫で半生を過ごした修道士は、現代の老人の何千倍くらいの資産価値があったのだろうか

人の価値を数値化する事は禁忌のように思われているが、可視化出来たらそれはそれで面白そうな気がする。

2019-03-08

「過ぎたるものが二つあり」集

家康に過ぎたるものが二つあり 唐の頭に本多平八

「唐の頭」とは唐物中国製)の珍しい兜のこと。

追記:指摘があったので訂正します。「唐の頭」とは正確にはヤクの毛の兜飾りのことです。武田信玄石田三成が描かれるときに、よく兜に付いているカツラみたいなやつのことですね。珍しくて高価なものではあるのですが、三河武士あいだでやたらと流行っていて、十人いたら七・八人はヤクの毛をつけていたらしいです。というのも、ヤクの毛を大量に積んだ貿易船が難破して三河に漂着したから、棚ぼたで手に入れたんだとか。そら「過ぎたるもの」と言われますわ。

本多平八」とは徳川四天王のひとり、本多忠勝(1548生)のこと。

三方ヶ原の戦いに先立つ一言坂の戦いで、退却する徳川軍の殿を本多忠勝がつとめた。

家康に過ぎたるものが」はその活躍を称賛した落首である

治部少に過ぎたるものが二つあり 島の左近佐和山の城

治部少は石田三成(1560生)のこと。

島左近」(1540生)はもともと筒井氏に仕えていた武将で、一説には当時の三成の禄高の半分である二万石で召し抱えられた。

関ヶ原の戦いで討ち死にしたが、敵の足軽が後々まで悪夢に見たというほどの戦いぶりだったという。

佐和山城」は三成が改修した城で、五層の天守閣を備えた立派なものだったが、中に入ってみると極めて質素な造りだった。

駿河には過ぎたるものが二つあり 富士のお山に原の白隠

富士のお山」とはもちろん富士山のこと。

白隠」とは「臨済宗中興の祖」と言われる高僧・白隠慧鶴(1686生)のこと。

大量の書画を残しており、その作風は荒々しくバランスの崩れたものだが、それが逆に迫力を生んでいるとして現代でも人気が高い。

本所に過ぎたるものが二つあり 津軽屋敷に炭屋塩原

本所とは東京都墨田区地名

津軽屋敷」とは、本所にあった津軽藩の広大な江戸屋敷のこと。

火災ときに版木ではなく太鼓を叩くのが「本所不思議」として知られている。

「炭屋塩原」とは、炭団を改良して一代で豪商となった炭屋の塩原太助(1743生)のこと。

明治期には「塩原多助一代記」として立身出世物語が語られ大人気となった。

亀山に過ぎたるものが二つあり 伊勢屋蘇鉄に京口御門

亀山とは、現在三重県亀山市にあった、東海道亀山宿のこと。

伊勢屋蘇鉄」とは、亀山宿の旅籠伊勢屋の庭にあった蘇鉄の名木のこと。

現在亀山市の文化会館移植されている。

京口御門」とは、亀山宿の西端、つまり京へ向かう道に作られた門のこと。

坂の頂上に建てられ、下から見上げると壮観だという。

岩槻に過ぎたるものが二つあり 児玉南珂と時の鐘

岩槻藩は埼玉県さいたま市にあった小藩。

児玉南珂」(1746生)は高名な儒学者

祖父江島生島事件江島の弟だったため甲斐流罪となり、南柯は甲斐で生まれ岩槻藩士養子となった。

儒学を学んだ南柯は、藩の要職歴任し、隠居後は私塾・遷喬館を立ち上げて子弟教育に努めた。

「時の鐘」とは、城下に時を告げるために1671年に設置された鐘のこと。

改鋳されたもの現在まで残っていて市指定有形文化財となっている。

青山に過ぎたるものが二つあり 鳶の薬缶に原宿山車

青山東京都港区の地名

「鳶の薬缶」とは「薬缶平」と呼ばれた幕末の火消し・平五郎のこと。

本職は鳶職人で、頭がハゲていたので「薬缶」と綽名されたらしい。

原宿山車」とは、青山熊野神社の祭りで使われる山車のこと。

都座に過ぎたるものが二つあり 延寿太夫鶴屋南北

都座とは江戸にあった歌舞伎劇場の一つ。

「延寿太夫」とは、歌舞伎伴奏音楽として発展した浄瑠璃清元節」を創始した、初代・清元延寿太夫(1777生)のこと。

鶴屋南北」とは、「大南北」とも呼ばれる歌舞伎狂言作者、四代目・鶴屋南北(1755生)のこと。

一ノ関に過ぎたるものが二つあり 時の太鼓建部清庵

一関藩は、仙台藩から分知されて成立した小藩で、現在岩手県一関市にあたる。

「時の太鼓」とは、城下に時を告げるための太鼓のことだが、これは幕府から特別許可されたもので、鐘ではなく太鼓が設置されるのは非常に珍しかったらしい。

建部清庵」(1712生)は蘭学を学んだ名医で、『解体新書』で有名な杉田玄白の盟友であった。

八代に過ぎたるものが二つあり 天守屋根乞食の松

これは加藤家が改易されたあとに熊本藩に入った細川忠興の評らしい。

八代城は、熊本県八代市にあった城で、1622年に完成したもの地名から松江城」とも言う。

熊本藩本城はかの熊本城であり、一国に二城あるのは特例である

その気兼ねもあったのか、城は未完成放置されており、天守閣だけは壮麗だったというが、それも1672年落雷消失した。

乞食の松」とは、「浜のお茶屋」とも呼ばれる松浜軒庭園にあった松のことらしいが、詳細は不明

保土ヶ谷に過ぎたるものが二つあり 苅部清兵衛に花見寿司

保土ヶ谷とは、現在神奈川県横浜市にあった、東海道程ヶ谷宿のこと。

「苅部清兵衛」とは、その程ヶ谷宿本陣・名主・問屋を務めた苅部家の当主が名乗る名跡のことで、地元の名士として代々慕われたという。

花見寿司」は程ヶ谷宿名物で、現在でもその伝統を引き継ぐ店があるとか。

挙母には過ぎたる物が二つあり 大手御門に海老名三平

挙母とは、現在愛知県豊田市にあった小藩のこと。

挙母城は、三河尾張美濃信濃遠江伊勢近江が見えるということで七州城とも呼ばれ、「大手御門」とはその立派な正門を指している。

海老名三平」とは、挙母藩の剣術師範役に代々指名された海老名当主名跡で、落語家のことではない。

岸和田に過ぎたるものが二つあり だんじり祭りに千亀利のお城

岸和田とは、現在大阪府岸和田市にあたる岸和田藩のこと。

だんじり祭り」は全国でも有名なお祭りで、1703年から始まったという。

「千亀利のお城」とは岸和田城の別名で、五重の天守に総構えの立派なものだったが、天守閣1827年に焼失している。

鴨方に過ぎたるものが三つあり 拙斎 索我 宮の石橋

鴨方藩は備中の小藩で、現在岡山県浅口市にあたる。

「拙斎」とは、儒学者西山拙斎(1735生)のこと。

松平定信に「昌平坂学問所朱子学を教えるべき」と訴え、これが「寛政異学の禁」の原因となったという。

「索我」とは、絵師田中索我(1742生)のこと。

京都に出て絵を学び、仙洞御所の屏風を描いている。西山拙斎とは親友同士だった。

「宮の石橋」とは、鴨神社参道にある石橋のこと。

川ではなく道に掛かっていて、立体交差となっているのが特徴。

京極に過ぎたるものが三つあり にっかり茶壺に多賀越中

京極とは、讃岐丸亀藩主の京極家のこと。

「にっかり」とは、刀剣乱舞でも有名となった名刀「にっかり青江」のこと。

「茶壺」とは、二代目藩主京極高豊が好んで収集した、陶工野々村仁清の茶壺のこと。

多賀越中」とは、京極家の筆頭家老を代々務めた多賀当主名跡

三原には過ぎたるものが三つあり

三原とは、広島藩の支城である三原城があったところで、現在広島県三原市のこと。

その「過ぎたるもの」とは、まず石高のわりに壮麗な「三原城」。

三原城主であり広島藩筆頭家老であった浅野忠真(1618生)に、徳川家光の娘・月渓院が一目惚れし、駄々をこねて彼の側室に入ったために使用許可された「葵の御紋」。

日光東照宮工事にあたって、難所をわずか十日で仕上げて称賛を集めた家臣「鈴木方衛」の三つだそうな。

安中に過ぎたるものが三つあり

安中とは、現在群馬県安中市にあたる安中藩のこと。

「過ぎたるもの」とは、藩政を改革して名君と謳われた藩主の「板倉勝明(1809生)」。

現在も名所とされる「安中杉並木」。

第六代安中藩主板倉重形のときに作られたという、城下に時を知らせるための「安中様のお太鼓」(一ノ関だけの特別扱いだったはずでは…!?)。

桜田に過ぎたるものが二つあり 火ノ見半鐘に箕輪の重兵衛

桜田東京麻布のあたり。

「火ノ見半鐘」は江戸で最も高いと言われる火の見櫓があったから。

箕輪の重兵衛」は桜田町の名主を代々務めたという家の名跡

永坂に過ぎたるものが二つあり 岡の桜と更科蕎麦

永坂は現在東京麻布永坂町のこと。

「岡の桜」は、御番医師・岡仁庵の屋敷に植えられていた大きな枝垂れ桜のこと。

更科蕎麦」はそのまま更科そばのことで、蕎麦御三家の一つである蕎麦処・更科が永坂にあったことにちなむ。

保科には過ぎたるものが二つあり 表御門に森要蔵

保科とは上総国飯野藩主の保科家のこと。

「表御門」は、三大陣屋と呼ばれる飯野陣屋の門のこと(か?)。

「森要蔵」(1810生)は幕末の著名な剣豪で、保科家に剣術指南役として仕えていた。

この飯野藩保科家の江戸屋敷麻布網代にあった。

森要蔵は藩に召し抱えられたあと、近所の麻布永坂・岡仁庵の屋敷の一部を間借りして道場を構え、

更科そばの初代も、この屋敷に反物商として出入りしていたところ、

蕎麦を打つのが上手いということで藩主から蕎麦屋になることを勧められ、

同じく麻布永坂に店を出した、という縁がある。

高取に過ぎたるものが二つあり 山のお城に谷の昌平

奈良まれ儒学者森田節斎の言葉であり、高取とは現在奈良高取町にあたる高取藩のこと。

「山のお城」は高取城のこと。

日本国内では最大規模の山城で、その白漆喰が輝く様を「巽高取 雪かと見れば 雪ではござらぬ土佐の城」と評した言葉が残る。

「谷の昌平」とは、幕末儒学者・谷三山(1802生)のこと。

若年の頃に聴力を失うが、勉学に励んで大成し、高取藩に召し抱えられて尊王攘夷を説いた。

新城に過ぎたるものが二つあり 前の小川太田白雪

新城は、現在愛知県新城市にあたるが、「新城藩」は藩主安中藩に移封されたため1645年に消滅、代わって旗本の菅沼氏が入った。

「前の小川」とは、新城陣屋の堀へ水を引き入れるために作られた運河のことらしいが、現在存在しない。

太田白雪」(1661生)は、地元名家の生まれで、松尾芭蕉門下の俳人となった。

土浦に過ぎたるものが二つあり 刻の太鼓と関の鉄砲

土浦藩は、現在茨城県土浦市にあたる小藩。

「刻の太鼓」は、例によって城下に時を知らせるための太鼓のこと。

「関の鉄砲」とは、関之信が開いた「関流砲術」のことで、その宗家土浦藩の鉄砲指南を代々務めていた。

下総に過ぎたるものが二つあり 成田不動に久保木蟠龍

下総下総国のことで、現在千葉県北部茨城県西部のあたりを指す。

成田不動」とは、言わずと知れた成田山新勝寺のこと。

久保木蟠龍」とは、儒学者久保木清淵(1762生)のこと。

伊能忠敬と親交が深く、忠敬亡き後は大日本沿海輿地全図の完成を手伝った。

金沢に過ぎたるものが二つあり 刀正次 兜興里

金沢はもちろん現在石川県金沢市、加賀藩金沢城下のこと。

「正次」と「興里」はどちらも鍛冶師で、刀を打たせれば正次が、兜を拵えれば興里が優れていると言われていた。

そこで正次の刀で興里の兜を斬ったところ、兜は両断できなかったが欠け、刀には刃こぼれがなかったため、引き分けということになった。

しかし実のところ、興里は兜が割られないよう小細工をしており、それがなければ正次に負けていただろうと分かっていた。

悔しがった興里は刀を打つようになり、後に「長曽祢虎徹」として知られる名工となった、という伝承があり、歌舞伎演目になっている。

「正次」は志摩兵衛正次という名らしいが、こちらはよく分からない。

番町に過ぎたるものが二つあり 佐野の桜と塙検校

番町とは、東京都千代田区地名

佐野の桜」とは、旗本佐野政言の屋敷にあった見事な枝垂れ桜のこと。

「塙検校」は塙保己一(1746生)のことで、盲人として検校にまでなりながら、著名な国学者でもあった。

秋元に過ぎたるものが二つあり 無の字の槍と岩田彦助

秋元とは、現在埼玉県川越市にあたる川越藩主の秋元喬知のこと。

「無の字の槍」とは、藩祖・泰朝が家康から賜った十文字槍のことで、鞘に「無」の金文字があった。

岩田彦助」(1658生)は、川越藩家老を務めた儒学者のこと。

松山に過ぎたるものが二つあり 河原布衣徒に千秋の寺

松山は、現在愛媛県松山市にあたる伊予松山藩のこと。

河原布衣徒」は河原にいる乞食のことと思われるが、芸が上手かったことを言っているのか、よくわからない。

千秋の寺」はそのまま千秋寺のことで、昔は二十余棟からなる大伽藍があったが、戦火で失われたらしい。

勢州桑名に過ぎたるものが二つあり 銅の鳥居に二朱女郎

勢州伊勢のことで、つまり現在三重県桑名市のこと。

「銅の鳥居」は桑名宗社の青銅製の鳥居のこと。

「二朱女郎」は二朱銀で買える安い遊女のこと。

谷田部に過ぎたるものが三つあり 不動並木広瀬周度 飯塚伊賀

谷田部は現在茨城県つくば市にあった谷田部藩のこと。

「不動並木」とは、谷田部藩主細川興昌(1604生)が植えたもので、沿道に二百本ほどの松が並んでいたというが、現在はない。

広瀬周度」(1782生)は、杉田玄白門下の蘭学医でありつつ、画家としても活躍したという人物

飯塚伊賀七」(1762生)は発明家で、自宅の向かいにある酒屋まで往復するからくり人形や、人力飛行機などを作っていたという。広瀬周度から蘭学知識を得ていたとも。

徳山に過ぎたるものが三つあり 藩主墓所と桜の馬場奈古里人

徳山は、長州藩支藩で、現在山口県周南市のあたりにあった徳山藩のこと。

藩主墓所」は、徳山毛利家の菩提寺である福山大成寺にある歴代当主墓所のこと。

「桜の馬場」とは、初代藩主毛利就隆によって作られた藩士の調馬場のことだが、数百本の桜が植えられて名所となった。

奈古里人」(1671生)は、万役山事件に伴う徳山藩改易の際に活躍し、徳山藩再興運動の中心となった人物

2019-03-05

ジョージ・ポットマン未来政治史

消費税が上がり景気は落ちた。

高景気だけで支持されていた安倍幕府支持率はついに崩壊、時は一気に幕末へ。

幕府自民党)内の改革派である一橋慶喜小泉進次郎)に期待は集まり一度は将軍首相)に就くも、結局、権益構造からは逃れられず根本的な改革は出来ない。

それに業を煮やした薩摩大阪維新)は諸外国との貿易で得た富(IR万博)を元に倒幕(政権奪取)を目指す。幕府との繋がりのあった島津斉彬橋下徹)は亡くなり(政界引退)、その意思を継ぐ西郷大久保松井吉村)だが幕府抵抗は強い。

時を同じくして、攘夷派(左派)として力をつけた長州自由党)の桂(山本太郎)も幕府から弾圧の前に苦渋を舐めていた。

薩摩長州、ともに既得権益打破では目指すところは一致していたが、それまでのわだかまり右派左派イデオロギー)で手を組めない。

そこに目をつけた坂本龍馬(誰だ?)の仲介によって、ついに薩長同盟は成立し、倒幕(政権奪取)を果たした。

新政府内での権力闘争はあるものの、廃藩置県道州制)などの改革は進み、新しい国の土台作りが始まった。

龍馬。このピースがはまればこの話は成立する。

2019-03-03

我々だ!がいろんな界隈から嫌われている件についてそこら辺のアンチ

注意喚起

このブログモラルの欠けらもない。悪口愚痴文句など言いたいことを言うだけのブログなので、彼らのファン絶対に見ないことをおすすめします。

もしこのブログコメントする人は彼らの擁護コメント以外でお願いします。

拙い文章なので細かいところは気にしないでください。

ココ最近Twitterで我々だ!や我々だ!のファンに対してのアンチ長文が出回っている。我々だ!のアンチとしては「周りに迷惑をかけている」「最近面白くない」など。ファンアンチは「マナーが悪い」「民度が低い」「キッズが多い」などなど。

自分は我々だ!はhoi全般マイクラ(見てないシリーズ多々)、マイクラ人狼(途中で切った)、Wot(全部見たか記憶曖昧)は見たことがある。異世界は体に合わなかった。

我々だの実況スタイルは広い層に受け入れられるようにできている。大人数で全員を覚えにくいと最初は思ったが、動画邪魔しない程度の字幕や簡潔なアイコン・色分けでわかりやすいように工夫されていた。薄いがストーリー性があり、企画もよく練られていて安定の面白さ。芝居かかったセリフなども人気のひとつ。まぁ自分が見ていたものだけで言わせてもらうとこんな印象があった。

今回の文章を書くために最近動画をちらっと見てきたが、質の落ち方が酷くていろんな意味で笑った。字幕youtubeでよく見る安っぽいクソデカ文字。「異世界の主役は我々だ!」という漫画キャラクターが決め台詞を言う寒いシーン。何もかもが薄ら寒い。なるほど、昔からファンが離れるのも分かる。

ファンコメントも他の実況動画コメントと比べるまでもなく酷い。「結婚して」だの「〇〇×〇〇萌える(腐を匂わす発言)」だの、自分が言うのもなんだがモラルの欠片もない。

ファン、と一括りしてはさすがに一部の純粋応援しているファン(いるのか知らないが)に申し訳ないので害悪とこれから呼ぶ。害悪達は我々だ!を「二次元キャラクター」かなにかと勘違いしている。そういうもの達が書くイラスト動画内容と関係ない、所謂捏造イラスト」は我々だ界隈のみならず他の実況界隈までも汚している。

関係ないゲームコスプレ女装女体化創作(笑)漫画。何もかもが妄想産物。それを嬉々として描いているもの、見ているもの、全員が狂っている。

どうして他の界隈よりも圧倒的に荒れているのか。それは我々だ本人からファンアートに対する公言が主な原因。

「(我々だ二次創作全般において)私たちは『あらゆる創作表現を歓迎』しており、

表現の自由はこれまでも、そしてこれから保障され続けるべきであると考えています。(一部抜粋)」

コスプレ、成人向け表現(R-18)もルールを守るならOKと書かれている。

頭が可笑しいのでは?

自分が一通り上記グルペン文章を読み終わった後、そう思った。

別にこの文章内容に思ったわけじゃない。重要文章がないことに思った。

どうして「他の実況者のルール自分たちのルールと違うので迷惑をかけないように」と書かないのだろうか。

我々だが現在進行形で荒れ、他の界隈に嫌われるのは、我々だ自身がこういう所に配慮が足らないせいだろう。

そのせいで元我々だ界隈にいた少し有名な害悪が他の界隈に移動した途端に、態度の悪さにそこのファンにボロクソに叩かれて、そこでようやく自分たちがとんだ恥さらしだった事に気づく。なんとも面白い話だ。そこで気づくならまだしも、気づかない馬鹿もいる。そういう奴ほどUターンしてまた我々だの評価を下げる。悪循環だ。

我々だは他の実況者とコラボすると途端に面白さが減る。気の利いたコメントも言えず、痛々しい自分たちのキャラも振る舞えない。幕末のように迷惑はかけないが、孤立してるせいで微妙空気を生み出す。害悪も右にならえで態度が一層悪く見える。

我々だが他の界隈に嫌われなくなる事はほぼない。唯一あるのは、もっと頭のイカれた実況者が現れてそっちに流れていくのを祈るしかない。

幕末志士の件でそこら辺のアンチが今回思ったこ

注意喚起

このブログモラルの欠けらもない。悪口愚痴文句など言いたいことを言うだけのブログなので、彼らのファン絶対に見ないことをおすすめします。

もしこのブログコメントする人は彼らの擁護コメント以外でお願いします。

拙い文章なので細かいところは気にしないでください。一部文章が間違えていたので再投稿し直しました

約8年ほどニコニコ動画に齧り付き、主に実況動画を見続けていた。数多の実況動画を見てき、その中には幕末志士も含まれている。2人が下手な芝居をしつつ楽しそうにゲームプレイする姿は確かに面白い動画だった。だが、かなり活動を休止していたのでてっきりもう引退したんだと思い、そこで興味がなくなった。

だが3、4年前ぐらいに彼らは復活し、活発に活動を始めた。多くのファンがつき動画再生数も過去一。チャンネルも開設し人気がうなぎ登りの実況者。「そんな面白いのか」と、自分も改めて彼らのことが気になり、動画を見つつ彼らの噂やニコニコ大百科などを見た。そして失望した。

炎上商法に腐釣り。その上最近では他の実況者に絡んで迷惑をかける行為。口が悪いが、クソみたいな売り方に嫌気がさす。そして極めつけは彼らを神みたいに崇め奉る頭のイカれた信者達。実況界隈で異色の雰囲気を醸す幕末志士界隈。

売れるためにはなんだってする。周りなんて関係ない。そんな態度を見る度イラついていた。

そんなある日、幕末志士の坂本未成年交際しているという疑惑顔バレ疑惑ネット流出した。その数時間後に「最終回」と題された会員限定生放送

この情報阿鼻叫喚する信者達。その一方で自分は「どうせいつもの炎上商法だ」と考えていたが、引退したらしたで面白いので発表をまっていた。

結局のところ自分は誰でもいいので人を叩きたいだけ。その情報が嘘であろうと本当であろうと、引退しようがしまいが炎上するのは目に見えていた。典型的アンチだ。

そして結果は、「あの情報は嘘で坂本は休止。最終回と題していたのはあるゲーム動画最終回」という、なんともバカが考えそうな釣り方だった。それにほっとして感涙する信者達も気持ち悪すぎてゾッとする。

有料チャンネルスクショを堂々と晒すマナー知らずの馬鹿。「いつまでも待っている」と寒気のするツイート捏造だらけの漫画イラスト(つわはすを思い出す)。自分に酔っている信者が書く読みにくい長文ツイート生放送が終わってからの3日間はまさに地獄だった。

かに「実況活動最終回」とは言ってなかった。深読みした信者気持ち悪く叫んでいただけ。だが、あまりにも幕末志士の対応は酷すぎた。そういう意図題名に入れたんだろう。本当に商売が上手い。それに例の情報に対する説明も薄すぎるし、火に油を注いだだけのように見えた。そこまでして売名行為をしたいのだろうか。下劣すぎて反吐が出る。

なぜファンあん仕打ちでも受け入れられるのだろうか。何が面白いのか。何に感動したのか。わからない。幕末志士のファンはほかのゲーム実況のファンとは違い、過度な擁護をしたがる。いや、ファンとはそういうものだ。自分たちだけは彼らを見守る。応援する。彼らがしたいようにすればいい。そう考えるのが普通だ。だが…あんな拙い否定文章、何回も騙しファン馬鹿にしきって弄ぶお家芸。それにいつまで耐えれるのか。

彼らはい意味でも悪い意味でも実況界隈に影響を与えた。だからもうこれ以上かき乱すようなことはしないで欲しい。色々な人達迷惑を掛けていることをいい加減気づいて欲しい。

2019-02-25

anond:20190224170538

転職・親戚の金無心や暴走ファンによるリアル凸により改名・表向き絶縁による祖母法事に呼ばれず等の精神ストレスこれらが積み重なった上での今回のデマ炎上

一連をリアルタイムで聞いてきたファンであれば心中察するに余りある状況でなぜ「説明をしてほしい」「納得できない」などと偉そうなことを言えるのか不思議でならない。

晒されてしまった一般人というが写真ネット上にあげたのはその一般人や周囲の人間であるしその一般人を巻き込んだのはデマをばらまいた人物である

幕末にその責任を問うのは筋違いも甚だしい。この記事の主には疑心暗鬼勝手に心引き裂かれてろと言いたい。

2019-02-24

幕末志士が好きだった

ゲーム実況動画を好んで見ている。

中でも幕末志士という2人組のゲーム実況者の動画生放送が好きだった。

4半世紀一緒にいた親友同士の軽快な掛け合いと珍妙エピソードに何度腹を抱えたかからない。

動画を見ていると、ゲームをしている二人と一緒に笑っている気分になれた。

2019年2月23日生放送で、幕末志士坂本活動休止宣言した。

休止理由かと思われた流出画像については別人だという言及のみで、度重なる炎上の結果心が折れたための休止宣言だった。

坂本休止中は西郷のみの放送、進行中の幕末志士関連コンテンツも凍結。

今まで水面下でのみ進行中だったコンテンツもなぜか放送に載せ、その休止を伝えていた。

報告だけで終わるかと思いきや、その後二人でスマブラSPプレイして放送終了となった。

非常に混乱した。今もしている。

幕末志士坂本顔写真や、彼女とされている人の情報には興味がない。

しろそこを暴こうとしている人には嫌悪感がある。

しかし、かといって昨日の放送坂本対応に納得できたかと言われればそれも違う。

心が折れてしまった為の活動休止とのことだったが、別人の顔写真が流失した今のタイミングでの休止は

流出した写真自分と認めた」という燃料をアンチに注ぐことにしかならないのではないか

写真は別人だと否定し、写真相手にも迷惑がかかるた流出をやめて欲しいと釘を刺した上で、

何事も無かったように活動を続けることが一番の火消しになるのではないか

そんな考えが頭の中にある。

アンチ間ではすでに、坂本は逃げたという言説が流れている。

活動休止ではなく、西郷への押し付けだという意見もある。

坂本を信じて待とう」というファンもいるが、むしろ昨日の放送で信じることが難しくなってしまった。

一昨日まで信じていた坂本へ、今は説明をしてほしいという気持ちになっている。

幕末志士が好きだった。これからも好きでいたい気持ちもまだある。

これ以上、活動休止理由は語られないのだろうか。

坂本直通のアドレスも消すと語っていた為、義憤メールを送ることもできなくなった。

ファンは信じて待つしかないのか。

それはファンではなく信者ではないのか。

炎上内容も顔写真彼女バレもどうでもいい。

ただただ昨日の放送に納得できない自分がいる。

そして「ずっと待ってます!」というファンの態度に馴染めない自分がいる。

ずっと待っていたい思いと疑心暗鬼で引き裂かれそうな自分がいる。

信者になってしまう前に、アンチになってしまう前に、ファンとしての私の意見をここに残す。

これは幕末志士ファンの私の墓標だ。

私は幕末志士が好きだ。しかし、今回の騒動に対しての対応と昨日の放送は納得できない。

晒されてしまった一般人に対して、クリエイター集団に対して、幕末志士は不誠実な対応だと感じた。

からでも遅くはない、誠実な対応を見せて欲しいと願っている。

幕末志士の活動休止に寄せて

Twitter幕末志士という人気ゲーム実況グループの誰かが、なんかいろいろあって活動休止するというのを見た。

ツイッター上で拾った情報では、休止は一時的ものだという話だったが、それでも活動休止を悲しむ人・応援している人が多く見受けられた。

活動休止といえば、つい先日、嵐も活動休止宣言した。その時は、それ以前にSMAP解散したことファンが悲しんでいるのを見たので、ファンがどんな感想を持っているかなんて調べずともわかると思って調べようともしなかったが、目に入るものはやはり悲しむものが多かったように思う。

国民アイドルグループ・人気ゲーム実況グループ、どっちもファンポジティブな力を与えていたんだろうなと思う。

自分はどうか?彼らのように強烈に夢中になって解散・休止が発表されて悲しむようなものがあるだろうかと考えた。

自分も好きなゲーム実況者というのは居て、応援しているし、動画感想だって書くこともあるけれど、その人が同じような状況で休止すると言ったら?

少なからずショックは受けるだろう。

でも、不思議と「マジかー…」とつぶやいて終わってしまいそうな予感がしている。実際には、その時になってみないとわからない。

その時になってみないとわからないが、なぜか自分の反応が"そうなりそうだな"と予想できた時、そのことが気になった。

自分人生の中の娯楽から完全に供給が絶たれ時、強烈にショックを受けるものが沢山ある。そんな人生の方が楽しいのでは?

周りを見ているといろいろなことで一喜一憂している。みんなは何個そういうものがあるのだろう。

自分場合、"これは"というものをどうにか一つだけ思いつけた。

自分いくら気を使おうとその時は必ず来る。

その時が来るまで、この一つを大切にしていこうと思った。

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