はてなキーワード: 二・二六事件とは
毎年3月11日や9月11日を不謹慎だという連中や、「何らかの記念日だし普通の日とすべきだ」と書かれたアンサイクロペディア、全てにぶちぎれた増田が1年全ての日付(8月32日や11月31日なども含める)を不謹慎の日と扱うリスト
それがオールアンラーッキーデイズ(All anrakki days)だ
以下の順番でその日に起きた出来事をチェック
基本は日本縛りだが、あまりにもデカすぎる事件や事象の場合や、不謹慎がない場合は海外も対象に入る
前月にトラップだとかスルーだとかでうるさいから簡潔に説明してやったぞ
現時点で出ている情報から分類するならローンウルフ型のテロなのだが、5.15や2.26と重ねて社会の崩壊を予言してるやつは何を見てるんだ?どこに蜂起した青年将校がいるの?犯行を支持し、加害者の減刑を求める大衆運動でも起きてるのか?
ショックなのはわかるよ。結果として選挙運動中の元首相が暗殺されたわけだから。犯行自体が民主主義に対する卑劣な攻撃であることは確かだね。でも暗殺を義挙として称揚して暴力による社会変革や軍人による政治を希求する民衆のうねりが生じてるか?ないでしょ。日ごろアンチ安倍な人だって大多数は犯人には批判的だよね。実際に起きてるのはむしろテロの原因の擦り付け合い(「アベが」がー、「長期独裁政権」がー)であって、暴力には大半の人が批判的ポジションだよね。
現代日本に解決すべき課題があるのは確かだが、それとこの事件は原因と結果として本当に直結すべきものか?(「捜査関係者」からマスコミにリークされてる)犯人の供述が示してるのはむしろもっと個人的で合理性を欠いて拗らせた恨みだよね。母親がカルトにはまって、安倍はそのカルトに近いから狙ったとか、現時点ではそんな話だろ。これで日本が後進国化した証拠だとか、健康医療分野であればトンデモとかインチキとか言われかねないような雑な分析だし、単にあなたの一時的な興奮の表れだと思う。
参考
銃撃がもし本当なら、それこそ日本が終わり始めてるような話になってしまう。嘘であって欲しい。選挙という民主主義を象徴するイベントで、真っ向から民主主義を否定するような犯罪が起こったことが残念で仕方ない。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4722089126259846050/comment/sisya
五・一五事件、二・二六事件に並んで七・八事件とか呼ばれて歴史年表に載ることになるのかもしれない。まさに戦前レベルに戻った日本。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4722089126259846050/comment/casa1908
戦後に積み上げてきた民主主義や自由主義が515や226の後の日本のように一気に壊れていく本当の終わりの始まりが来てしまった事を漠然と私も感じた。それは今日突然やってきたんじゃないという事も。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4722107413167416482/comment/kohakuirono
・東条英機
近衛内閣で陸相を務め、東条内閣では首相、陸相、内相を兼任。米国に宣戦布告したが、サイパン島陥落の責任を取って辞任した。
陸軍軍人。関東軍参謀として満州事変を起こす。近衛・平沼内閣では陸相を務め、大戦中はシナ派遣軍総参謀長に就任した。
陸軍大将。満州国建国、華北分離工作において中心的役割を果たした。
・松井石根
陸軍軍人。東条内閣で陸軍次官を務めた。ビルマの戦いでは総司令官でありながら、無断で戦線放棄し、日本軍を大混乱に陥らせたにも関わらず大将に昇進した。三奸四愚の一人とされた東條の側近。
・武藤章
陸軍中将。東條の腰巾着として日米開戦の中心的役割を果たした。
・広田弘毅
文官。岡田内閣で外相を務め、広田三原則を決定し、華北分離工作を黙認した。二・二六事件後首相となり、軍部大臣現役武官制を復活した。近衛内閣では外相を務め、日中開戦を黙認した。
・小磯国昭
陸軍大将。米内内閣での拓相ほか、朝鮮総督を務めた。東條の辞任後首相に就任し、戦争を継続した。
・荒木貞夫
陸軍大将。犬養、斉藤内閣で陸相を務めた。皇道派の代表格であったため、二・二六事件後予備役送りになった。近衛・平沼内閣では文相を務め、軍国主義教育を推進した。
陸軍大将。シナ駐屯軍司令官として梅津・何応欽協定を中国に要求した。陸軍次官、関東軍司令官を務めた。ミズーリ号での降伏文書に調印した。
・南次郎
陸軍大将。若槻内閣の陸相として満州事変を起こした。関東軍総司令官や朝鮮総督を務め、内鮮一体化を推進した。
・畑俊六
陸軍大将。阿部・米内内閣で陸相を務めたが、辞職して米内内閣を打倒し、近衛内閣を誕生させた。シナ派遣軍総司令を務めた。
・大島浩
陸軍中将。ドイツ大使館付き武官として日独防共協定の締結、駐独大使として日独伊三国同盟の締結に貢献した。
・鈴木貞一
陸軍中将。近衛・東条内閣で企画院総裁、内閣経済顧問などを務め、戦時経済確立に貢献した。三奸四愚の一人。
・佐藤賢了
陸軍中将。東条内閣では陸軍省軍務局長を務めた。三奸四愚の一人。
陸軍大佐。急進派将校を集めて秘密結社「桜会」を結成、三月事件・十月事件を企画するも失敗。
・平沼騏一郎
山本内閣で法相を務めた。右翼結社国本社を結成。近衛の後を継いで首相に就任したが、独ソ不可侵条約が結ばれると辞職した。
・木戸幸一
近衛内閣の文相、厚相、平沼内閣の内相を務めた。天皇の側近として東條を首相に推薦したが、戦局が不利になると、和平工作に奔走した。
・賀屋興宣
・星野直樹
満州国国務院総務長官、近衛内閣の企画院総裁を務めた。東条内閣では内閣書記官長として東條を支えた。
・白鳥敏夫
・東郷茂徳
東条内閣で外相、拓相を務め、太平洋戦争回避に尽力。鈴木内閣では外相、大東亜相を務め、終戦に尽くした。にも関わらず日米開戦の責任者とされた。
・重光葵
・永野修身
海軍大将。広田内閣で海相を務め、その後、連合艦隊司令長官、軍令部総長を歴任し、戦時中に元帥に就任した。裁判中に急性肺炎で死去した。
・松岡洋右
ジュネーブの国連会議に全権大使として出席し、国連から脱退した。近衛内閣では外相を務め、日独伊三国同盟、日ソ不可侵条約を締結した。裁判中に結核で死去した。
・大川周明
学者。満州事変、二・二六事件、五・一五事件などに連座したほか、「日本二千六百年史」「近世欧羅巴植民史」などを執筆し、軍国主義を主張した。裁判中梅毒による精神異常のため免訴された。
・本庄繁
陸軍大将。関東軍司令官として満州事変を承認。戦後戦犯に指名されたが自決した。
・石原莞爾
陸軍軍人。関東軍参謀として満州事変を起こした。日米開戦に反対し、東条英機と対立したため予備役に編入された。東條との対立、重病のため起訴を免れた。
・近衛文麿
第一次内閣では日中戦争が勃発、近衛声明を発表した。第二次内閣では日独伊三国同盟を締結。戦犯に指名されたが、服毒自殺した。
チェスターコートを着た成人女性が赤色のモンスターエナジーを持って信号待ちをしていた姿が頭から離れない
三つ子の魂百までもって言葉が示している通り、人の習慣ってぜんぜん変わらないってよく言われてて、じっさい二・二六事件の音声を聞くとホントに自分のじいちゃんばあちゃんと話し方が同じでびっくりすることありませんか???わたしはあります
そんなわけで、今の学生ってモンスターエナジー飲んで限界大学生生活している人だらけなので、まるでSFみたいな光景「スーツやコートを着て身なりがしっかりしている若い夫婦がベビーカーを押しながら、モンスターエナジースーパーコーラ(ペットボトルみたいなタイプのやつ)を人差し指と中指でつまみながら歩く、マッポーめいたサイバーパンクみたいな光景が各地でみられるようになるのかなという考えで今も頭がぐるぐるしている
なにより、若者で私服なイメージのエナドリと冬用コートってものすごく絵になるんですよね保証します。だれかそういう絵描いてくれないかな。スーツとコート着た青年男性がペットボトルのエナドリを腕おろした状態で指でつまみ、信号待ちしている光景(横顔がはっきり見える構図)
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国体原理派に属する人数は比較的少数ではあったが、同派がもたらした政治的テロの威力は大きかった。参謀たちや皇族の中にも理解者がおり、中でも特筆すべきは、天皇の弟(1933年までは皇位継承者)で、西田や他の国体原理派リーダーたちの友人であった秩父宮雍仁親王であった。また、国体原理派はかなり反資本主義的であったにもかかわらず、我が身を守りたい財閥から資金を調達することに成功した[26]。三井財閥は血盟団事件(1932年2月-3月)で総帥の團琢磨が暗殺されたのち、青年将校らの動向を探るために「支那関係費」の名目で半年ごとに1万円(平成25年の価値にして約7000万円[27])を北一輝に贈与していた。三井側としてはテロに対する保険の意味があったが、この金は二・二六事件までの北の生活費となり、西田税にもその一部が渡っていた[注釈 1]
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https://anond.hatelabo.jp/20201219095651
(出来事)
1856 日米修好通商条約締結
1860 横浜の外国人居留地において、競馬が行われる(居留地競馬)
1869 戊辰戦争終了
1870 東京招魂社(現・靖国神社)において、初めて洋式競馬が行われる(招魂社競馬。1898年まで)
1874 台湾出兵
1877 西南戦争開始~終了
1894 日清戦争開始
1905 日露戦争終了
桂太郎内閣による馬券発売の公認(黙許)(公認競馬。中央競馬のルーツ)
馬政第一次計画の制定(第一期:1906年~1923年、第二期:1924年~1935年)
帝室御賞典(東京)創設
1907 小岩井農場が種牡馬インタグリオーと20頭の繁殖牝馬(小岩井農場の基礎輸入牝馬)をイギリスより輸入する
1910 韓国併合
改正競馬規程(閣令)を根拠として、産牛馬組合による競馬が開催されるようになる(地方競馬のルーツ)
主要競走に騸馬(せん馬)が出走不可に。芦毛、月毛、河原毛が出走不可に(毛色の制限は1928年まで)
帝室御賞典(阪神)創設
1911 優勝内国産馬連合競走(連合二哩)創設(ラングトンが第1回の勝馬となる)
宮崎競馬場において、商品券付き勝馬投票が実施される(事実上の馬券)。1914年までに全ての競馬倶楽部が実施するようになる
1914 第一次世界大戦開始
1918 第一次世界大戦終了/シベリア出兵(1922年まで)
1922 帝室御賞典(札幌)創設(1937年秋まで。1922年~1924年は春のみ。1925年~1937年は秋のみ)
帝室御賞典(福島)創設(春のみ。1922年春~1937年春)。帝室御賞典(函館)創設(秋のみ。1922年秋~1936年秋)
1923 関東大震災/旧競馬法制定(馬券発売再開)/馬政局廃止
帝室御賞典(函館)創設(春のみ。1923年春~1937年春)。特殊ハンデキャップ競走創設
1925 濠抽混合創設(当初の名称は各内国抽籤濠州産馬混合競走。1932年より目黒記念)
下総御料牧場が2頭の繁殖牝馬(種正・稙道)をアメリカより輸入する
1928 横浜特別創設(1943年秋まで)/連合二哩(牝馬)創設(1928春~1941秋)
1931 満州事変
下総御料牧場が3頭の繁殖牝馬(星旗・星若・星友)をアメリカより輸入する
1932 東京優駿創設(1950年より「日本ダービー」の副称が付く。ワカタカが第1回の勝馬となる)
下総御料牧場が3頭の繁殖牝馬(星濱・星谷・星富)をアメリカより輸入する
1934 中山大障害創設
1936 二・二六事件
1937 日中戦争開始
天皇賞(帝室御賞典)創設(連合二哩並びに各競馬倶楽部で行われていた帝室御賞典を統合。当初秋2600m、春2700mで施行され、第3回からは春秋共に3200mで施行。ハツピーマイト(ハッピーマイト)が第1回(1937年秋・東京)、ハセパークが第2回(1938年春・阪神)の勝馬となる)
連合二哩はこの年限りで廃止。各地の帝室御賞典はこの年春限りで廃止
菊花賞(京都農林省賞典四歳呼馬)、優駿牝馬(オークス)(阪神優駿牝馬)創設
1939 皐月賞(横浜農林省賞典四歳呼馬)、桜花賞(中山四歳牝馬特別)創設(五大クラシック競走が成立)
1941 太平洋戦争開始/セントライトが初のクラシック三冠を達成
1944 競馬開催の一時停止。この年の競馬は能力検定競走として施行される(戦前の競馬はこの年限りで終了)
2歳(旧3歳)競走が競走体系に加わる
1949 朝日杯3歳ステークス(1991年から牡馬及び騸馬(せん馬)限定のレースとなる。現・朝日杯フューチュリティステークス)創設
阪神3歳ステークス(1991年から阪神3歳牝馬ステークスとして牝馬限定のレースとなる。現・阪神ジュベナイルフィリーズ)創設
1951 中央競馬における重勝式馬券の発売(1961年廃止)
トキノミノルが無敗で二冠を達成
日本中央競馬会(略称は1986年までNCK。1987年からJRA)発足(国営競馬時代の終了)
啓衆社(競馬予想紙を発行)が啓衆賞を設け、各年に活躍した競走馬を表彰することを始める(1972年から『優駿』(日本中央競馬会の機関紙)の主催による優駿賞、1987年から日本中央競馬会の主催によるJRA賞となる。最初の年度代表馬はハクリヨウ(ハクリョウ))
1955 日本中央競馬会が英国ジョッキークラブとの間に騎手に対する制裁の相互実施協定を締結する(国際交流の始まり)
東京大賞典(秋の鞍)創設
1958 ハクチカラが戦後の日本調教馬として、初めて海外に遠征する
1956 有馬記念(中山グランプリ)創設(メイヂヒカリが第1回の勝馬となる。八大競走成立)
1963 中央競馬において8枠制が導入される
メイズイとリユウフオーレル(リュウフォーレル)の2頭が年度代表馬に選出される
1965 シンザンが天皇賞秋・有馬記念を制覇し、五冠を達成(当時牡馬が出走できる大レースを全て制覇)
1967 栗東トレーニングセンター開場
1968 中央競馬における繋駕速歩競走はこの年限りで廃止される
1970 大阪万博
スピードシンボリが初めて有馬記念を連覇し、1967年以来2度目の年度代表馬に選出される
1971 ニクソン・ショック
貿易自由化に伴い国内生産者への保護政策が実施されたことにより、持込馬が有馬記念を除く八大競走への出走権を失う
トウメイが天皇賞秋・有馬記念と連勝し、牝馬として初の年度代表馬に選出される
1972 沖縄返還
地方競馬における騎乗速歩競走はこの年限りで廃止される(中央競馬では戦前限り廃止)
ハイセイコーが中央競馬に移籍し、好成績を挙げ、国民的人気を集める(1974年の有馬記念2着(勝馬はタニノチカラ)を最後に引退)
1974 単枠指定制度の導入(1991年10月5日廃止。最初の指定馬は同年の皐月賞におけるキタノカチドキ。最後の指定馬は1991年のセントライト記念におけるレオダーバン)
1977 テンポイントが有馬記念でトウショウボーイとのマッチレースを制し、年度代表馬に選出される(3着はグリーングラス)
1978 美浦トレーニングセンター開場
1615-05-07 大阪城が落城し、大坂夏の陣終わる。豊臣氏滅亡
1853-05-23 アメリカ艦隊、浦賀沖に来航(黒船来航)
1861-04-12 アメリカ南北戦争(1865年5月9日まで)
1868-01-03 王政復古
1868-07-17 東京奠都(「江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔書」煥発)
1871-08-29 廃藩置県
1875-06-28 讒謗律(太政官布告)及び新聞紙条例(太政官布告)公布
1877-05-26 木戸孝允死去
1888-03-09 ヴィルヘルム1世・プロイセン王兼ドイツ皇帝崩御
フリードリヒ皇太子(フリードリヒ3世)がプロイセン王兼ドイツ皇帝に即位。
1888-06-15 フリードリヒ3世崩御。ヴィルヘルム皇太子(ヴィルヘルム2世)がプロイセン王兼ドイツ皇帝に即位。
1894-07-25 日清戦争(1895年4月17日まで。宣戦布告は1894年8月1日。台湾平定終了は1895年11月30日)
1898-07-30 ビスマルク死去
1902-01-30 日英同盟成立(1923年8月17日失効)
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1905-09-05 日露両国講和条約(ポーツマス条約)締結(日露戦争終了、条約発効は同年11月25日)
1912-07-30 明治天皇崩御。皇太子嘉仁親王が践祚。元号が明治から大正に改められる。
1914-07-28 第一次世界大戦(1918年11月11日まで)
1922-02-01 山縣有朋死去
1922-02-06 ワシントン海軍軍縮条約調印
1923-08-17 ワシントン海軍軍縮条約発効
1926-12-25 大正天皇崩御。皇太子裕仁親王(摂政)が践祚。元号が大正から昭和に改められる。
1927-03 昭和金融恐慌
1930 昭和恐慌
1930-10-02 日本、ロンドン海軍軍縮条約を批准
1932-05-15 五・一五事件
1936-01-15 日本、ロンドン海軍軍縮条約を脱退
1936-02-26 二・二六事件
1936-12-31 ワシントン海軍軍縮条約失効
1937-07-07 日中戦争(1945年9月9日まで。盧溝橋事件に始まる。当初は宣戦布告をせず、「支那事変」と呼称)
1939-07-26 アメリカ政府が日米通商航海条約の廃棄を通告
1939-09-01 第二次世界大戦(ドイツがポーランドに侵攻して始まる。1945年9月2日まで)
1940-09 アメリカ、対日屑鉄全面禁輸
1940-09-27 日独伊三国同盟調印
1940-11 日本とアメリカの各種交渉(1941年12月まで)
1940-11-30 日本国中華民国間基本関係ニ関スル条約(日華基本条約)調印
1941-01-08 戦陣訓(陸訓一号)示達
1941-04-13 日ソ中立条約調印
1941-06-22 独ソ戦(ドイツがバルバロッサ作戦を発動したことにより始まる。1945年5月8日まで)
1941-08-28 近衛首相、ルーズベルト・アメリカ大統領に首脳会談を提案(結局、沙汰止みとなる)
1941-12-08 太平洋戦争(日本の英米に対する宣戦布告及び真珠湾攻撃に始まる。1945年9月2日まで)
1941年12月(開戦)~1942年7月頃(フィリピン全土占領)まで日本軍の占領区域は拡大を続ける。
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1942-04-18 米空母から発進したB-25爆撃機によるドーリットル空襲(東京初空襲)
1942-06-05 ミッドウェー海戦
1942-08-07 米軍、ソロモン諸島のガダルカナル島、ツラギ島、ガブツ島、タナンボゴ島に上陸
1943-04-18 山本五十六連合艦隊司令長官、ブーゲンビル島上空で戦死(海軍甲事件)。
1943-05-12 米軍、アッツ島上陸(5月29日まで。日本軍は全滅し、「玉砕」の語の使用始まる)。
1943-11-05 東京で大東亜会議を開催(6日まで)、大東亜共同宣言を発表。
1943-11-22 エジプト・カイロで英米中首脳会談(カイロ会談。26日まで)
1943-11-28 イラン・テヘランで英米ソ首脳会談(テヘラン会談。同年12月1日まで)
1944-06-19 マリアナ沖海戦。日本軍は旗艦大鳳以下空母3隻と搭載機400機を失い、西太平洋の制海権と制空権を喪失。
1944-07 ブレトン・ウッズ協定
1944-07-04 本軍、インパール作戦を中止。
1944-08-02 テニアン島の日本軍玉砕(テニアンの戦い)
1944-09-11 米軍、ペリリュー島上陸(ペリリューの戦い)
1944-10-20 米軍、フィリピン・レイテ島に上陸(レイテ島の戦い)
1944-11-24 米軍の新型爆撃機B-29、マリアナ諸島より東京を初空襲。
1945-02-04 クリミア半島ヤルタで英米ソ首脳会談(ヤルタ会談。11日まで)
1945-04-12 ルーズベルト・アメリカ大統領死去。トルーマン副大統領がアメリカ大統領に就任
1945-05-02 ベルリン陥落
1945-08-06 アメリカ、広島県広島市に原子爆弾を投下
1945-08-09 アメリカ、長崎県長崎市に原子爆弾を投下
1945-08-15 玉音放送
1945-09-02 日本政府、ミズーリ号にて降伏文書調印(太平洋戦争(大東亜戦争)終結)
1945-09-09 日本政府、中華民国南京にて降伏文書調印(日中戦争終結)
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1950-06-25 朝鮮戦争
1951-09-08 日本国との平和条約(サンフランシスコ平和条約)並びに日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約
(日米安保条約)調印
1952-04-28 日本国との平和条約並びに日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約発効
1952-10-15 警察予備隊が保安隊に改組される。浜松に航空学校が設置される(後の航空自衛隊に繋がる)
1953-03-05 スターリン死去
1954-02-01 保安庁に航空準備室が設置される(後の航空自衛隊に繋がる)
1954-05-29 ビルダーバーグ会議初開催
(於オランダ、ヘルダーラント州レンクム、オーステルベーク(Oosterbeek)、ビルダーバーグホテル)
陸上自衛隊(保安隊から改組)、海上自衛隊(海上警備隊から改組)、航空自衛隊(新設)設置
1956-07 昭和31年度年次経済報告(経済白書)発表(「もはや戦後ではない」)
1958-08 大躍進政策
1960-12-27 池田勇人内閣、「国民所得倍増計画」を閣議決定する。
1964-08-02 トンキン湾事件(8月2日及び4日。アメリカによるベトナム戦争への本格的な介入が始まる)
1964-10-10 1964年東京オリンピック(同年10月24日まで)
1966-05-16 無産階級文化大革命(文化大革命)(1976年10月6日まで)
1971-06-17 琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定(沖縄返還協定)締結
1971-08-15 ドル・ショック
1972-05-15 琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定(沖縄返還協定)発効(沖縄復帰)
1972-09-29 日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明
勃発後に産油国による原油公示価格値上げや産油制限が発表され、オイルショックとなる。
1975-11-15 G7サミット初開催(於フランス・ランブイエ)
1978-01-07 イラン革命(1979年2月11日まで)
1978-08-12 日本国と中華人民共和国との間の平和友好条約調印
1978-10-23 日本国と中華人民共和国との間の平和友好条約発効
1978-12-22 改革開放(中国共産党第十一期中央委員会第三回全体会議にて提唱)
1985-09-22 プラザ合意
1987-12-08 中距離核戦力全廃条約(INF条約)発効(2019年8月2日失効)
1989-01-07 昭和天皇崩御。元号が昭和から平成に改められる。
1989-04-01 消費税導入(当初は3%)
1989-06-04 六四天安門事件
1989-12-29 日経平均株価、取引時間中に38,957円44銭の最高値を付ける(史上最高値)。終値は38,915円87銭。
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1993-07 衆院選で自民党が敗北し、非自民連立政権が誕生する(55年体制の終焉)
1993-11-11 欧州連合条約(マーストリヒト条約)発効(調印は1992年2月7日)
1995-11-23 Windows95が日本国内で発売される。
1997-07 アジア通貨危機
1997-11-03 三洋証券、経営破綻(会社更生法の適用を申請する)
2003-03-20 イラク戦争(2011年12月15日まで)
2006-12-30 サッダーム・フセイン死刑執行
リベラルというのが消極的自由主義(商売人を自由にする)=右と、積極的自由主義(政府の関与で結果的に自由になるようにする)=左というが両方ある。
王政が打倒されて自由にしたらいいという流れがあるが、そこで一度自由主義になった結果大恐慌とその後の不況を作った。
二・二六事件も国家を守る兵士の姉妹が貧しさ故に売春宿に売られないとならない状況は何たることか!という、自由主義への反動でなされている。
そこで、ケインズが生まれて、累進税や、需要の創出という流れが生まれた。
ケインズ対自由主義の枠組みであれば左側になり、右側は消え去ったんだよ。
と同時にマルクス対自由主義の枠組みともなり、ここでも右側が消え去った。
相対的に、マルクス対ケインズで、ケインズが右側だったのが1980年代まで。
ただ、1970年台のオイルショックのインフレにケインズが対応できなかったことと、マルクス国家の崩壊でマルクスはだめだということで、かつての自由主義が再び起きた。
しかし、自由主義は根本的に国は自由にしたらいいというだけで、経済政策は金の量も金の回転も全く見ないから、失われた30年を作った。
他の観念で、強者を重んじるという右、弱者を重んじるという左、だが、経済政策は両方新自由主義に巻き込まれた。
故に右の小泉自民党でも左の民主党でも経済政策は公務員にボロカスに石を投げて、法人富裕層減税と同じことをやってる。
ゆえに、中初等教育、大学教育、介護、児童保護、医療みたいな経済原理にそいにくい+公務員が多い産業がみなぼろぼろになってしまった。
https://anond.hatelabo.jp/20170523204731
前にこんな話を書いた。
端的に言うと「歴史が繰り返されるのは『役者』が変わってるから一見して同じ演目をやっていると気づかない」という内容だ。
この後日本の政治は激動したが、結果的に「二・二六事件」は起きなかった。
前回も描いた話だが、安倍晋三という人物は散々ヒトラーに例えられて、マスメディアでも散々危険視されてる。
これだけ警戒されてる人間は、最後まで危険な企てを達成できない。
一部の人たちはよく自分に都合の悪い選挙結果が出ると「愚民」だなんだというが、日本国民の大半は馬鹿じゃない。
「一度やったパターン」なら、回避できる。歴史で勉強して、メディアも散々その危険をあおってくれるからだ。
だからこそ、俺は次に「ヒトラー」になれるのは、これまで一度も「ヒトラー」に例えられてない奴だけだと思っている。
カイロ大学で学んでいたせいか、彼女は民主主義を軽視し、独裁的な手法で次々と物事を決めていたが、メディアは小池百合子を一度もヒトラーとは言わなかった。
俺は、小池百合子が選挙に勝って勢力を広げていくのを見ながら、この政治家は、次の独裁者の役割を担える「役者」だと思った。
国政に出てきたときはいよいよ危ないと思ったが、「排除」の一言で最大の味方だったメディアからそっぽを向かれ、反乱は不発に終わった。
ただ、最近テレビを見ていて「結局、歴史は繰り返しそうだな」という思いが増してきた。
今行われている平昌オリンピックは、1936年の「ベルリンオリンピック」と同じ役目を担っているように見える。
ベルリンオリンピックは、ヒトラー政権化のドイツで開催された夏の五輪だ。
ヒトラー自身はオリンピックを「ユダヤ人の祭典」とみなして毛嫌いしていたが、周囲から「プロパガンダに活用できる」と説得され、力を入れて実施する方向に考えを変えた。
その後の歴史を知っていれば、「なぜヒトラー政権下でオリンピックができたんだ」と不思議に思う人も多いだろうが、このとき、ヒトラーは重要な決定を下していた。
国内からユダヤ人迫害を煽る看板などを撤去し、ユダヤ人を含めたさまざまな人種の出場を認めることで、ヒトラーは無事ベルリンオリンピックを開催にこぎつけた。
その後ヒトラーは「聖火ランナー」をはじめ、これまでのオリンピックになかった演出を効果的に取り入れることで、大会を成功に導いた。
大会の様子は世界中にテレビ中継され、世界中の人々が釘付けになった。
「意思の勝利」の監督でもある女性映画監督、リーフェンシュタールによって、この大会は「オリンピア」という名前で映画化され、その映像は国内外で絶賛された。
この歴史をふまえて、今の平昌オリンピックの様子を思い出してほしい。
開催されているのは韓国・平昌だが、その話題の中心は北朝鮮だ。
開催直前に、金正恩が対話の姿勢を見せたことで、文在寅は喜んで北朝鮮の選手団を迎え入れ、統一チームさえ作った。
開会式には金正恩の妹・金与正が派遣され、世界中のメディアが、その姿を連日報道し続けている。
美女応援団は堂々とスタジアム内での応援を許され、明らかに金日成のものと思われる「美男子の仮面」まで取り出したが、お咎めはなかった。
これらの様子は、世界中のメディアが「融和」の言葉とともに連日報道し、誰もが金与正、美女応援団の存在を知っている。
見事なプロパガンダだ。
アメリカのペンス副大統領は、世論が「朝鮮半島の融和」一色に染められないよう、
北朝鮮に拉致され拷問死した大学生、オットー・ワームビアの家族とともに北朝鮮を訪問していたが、
そのことを取り上げたメディアはごくわずかだ。地上波で取り上げられた時間は、金与正の百分の一以下だろう。
金正恩と北朝鮮は、オリンピックを利用したプロパガンダに、現在進行形で成功している。
その意味を、どれだけ多くの人が真剣に捉えているのか、正直疑問だ。
さらに悪いことに、ヒトラーと違って、金正恩は「核兵器の廃棄」を約束すらしていない。
オリンピックが終われば、すぐにその野心を隠さなくなるはずだ。
ベルリンオリンピックが開催されたのは、1936年だった。
次の開催予定地が何処だったか。思い出した人は、俺が言いたいことを理解してくれていると思う。
いわゆる「幻の東京オリンピック」の年だ。
俺は、2020年のオリンピックが幻になる可能性は、ゼロじゃないと思っている。
前回は、開催される可能性は「50%くらい」じゃないかと書いたが、今は、その可能性はもう少し下がったと思う。
1923 関東大震災
1925 治安維持法制定
1941 太平洋戦争
2011 東日本大震災
2013 秘密保護法制定
2020 東京オリンピック
ほぼ国家公務員しか対象にならない秘密保護法を、世紀の悪法「治安維持法」に見立てるのは無理がある。
この先の出来事も、このままいくと繰り返される可能性が高いかもしれない。
俺は、ここに素直に「自衛隊」を代入していていて、だからこそ、歴史は繰り返さないと思っていた。
戦前の軍部があれだけ暴走できたのは、大新聞と、その後ろにいる国民からの熱烈な応援があったからだ。
今の自衛隊は、国民からの支持率は高いが、メディアからは厳しい視線に晒され続けてる。
文民統制の規定もあり、自衛隊の暴走は不可能に近いし、その動機もない。
三島由紀夫が切腹した頃から、自衛隊はすでにサラリーマンだし、国家に対して反乱を企てるような集団じゃない。
じゃあ誰が「軍部」になるのか?
3.政府の予算の中で「聖域化」され、誰もその関連予算を削れない
この3つの要素を、今持ってるのは誰か?
俺は、現代においては「高齢者」が、戦前の軍部の役割を担うんじゃないかと思った。
そう考えていくと、辻褄が合い始める。
まず、マスメディアにボロクソに叩かれてるアベノミクスだが、あの政策には元ネタがある。
高橋是清が、4度目の大蔵大臣に就任した際に行った金融政策だ。
高橋是清は、井上蔵相が起こしたデフレによる不況を止め、緩やかなインフレを起こすために、積極的な財政出動と「金輸出禁止」による円安政策を行なった。
1931年の話だ。
この政策で国の景気ははっきりと回復へ向かったが、高橋是清は関東大震災以降の支出超過でこれ以上の財政出動が危険だと理解していて、財政健全化へと舵を切った。
要は、震災対応と財政出動で金を使いすぎたから、軍事費含めた国の予算を軒並み削減して、なんとか国の赤字を減らそうとしていた。
これに反抗したのが、当時の軍部だ。
軍部のうち皇道派と呼ばれる人間たちは、富裕層だけに味方している(ように見えた)高橋是清のことを、「君側の奸」と吐き捨てた。
こんな政治家のことは天皇陛下もお嫌いのはずと「忖度」して、クーデターを起こし、殺害した。
世に言う、二・二六事件だ。
高橋是清が殺害されたことで、財政健全化政策も、金融政策も完全に止まった。
あと一歩で回復するかもしれなかった日本の景気は腰折れし、高橋是清が削ろうとして叶わなかった軍事費は、どんどん膨張した。
結果として、財政がどうにもならなくなった日本は、景気回復を「軍部による戦争」にしか求められなくなり、支那事変を引き起こす。
話を現代に戻そう。
「宮内庁、毎日『陛下 公務否定に衝撃』報道を否定 有識者会議意見に不満のご発言『事実ない』」
ただ、ここで重要なのは「マスメディアが、天皇陛下を利用して、政府批判をはじめた」ということだ。
「陛下の心を傷つける専門家会議とそれを主導する安倍晋三は、君側の奸だ」ってわけだ。
こんな、戦前軍部の「皇道派」みたいなことを言う人間が、この現代日本に現れた。
俺は、このニュースを見て、本当にまずいんじゃないかと思った。
安保法制の騒ぎの中で分かったことは、「安倍政治を許さない」とデモをしている人たちには、高齢者が多いということだ。
Twitterなんかで確認する限り、毎日新聞の例の記事も、高齢者らしき人々の中では評判が良く、拡散されているようだ。
安倍政権の支持率は、これまた高齢者に支えられるテレビメディアからの「森友学園」「加計学園」の連続スキャンダル攻勢で、確実に落ちてきている。
俺には、現代の安倍晋三が、戦前の高橋是清と同じ役割を担っているように見えた。
安倍晋三が高橋是清ほど良い政治家かと言われたら正直疑問だが、少なくとも、同じ役どころが回ってきてるようには見える。
これから、マスメディアとそれを後押しする高齢者の力で安倍政権が倒れた場合、日本は、戦前の二・二六事件後と似たような空気になるんじゃないかと思う。
選挙で圧倒的な力を発揮する高齢者に関わる社会保障費を、政治家は、誰も削れなくなる。
膨張した社会保障費が五輪準備費を圧迫し「オリンピックなんて中止すればいい」という声も出始める。
国内だけでは財政の課題を解決できないと判断した国は、「海外」に目を向け始める。
みんな、安倍晋三が「ヒトラー(独裁者)」で、自衛隊が「軍部」の役割を担うと思って警戒してるけど、その形なら、ちゃんと止められるんだよ。
そのパターンは、一回やってるから。だから、どんな馬鹿にもその危険がなんとなく想像できて、歯止めをかけられる。
じゃあ、なんで歴史が繰り返されるのか?
要は、「役者が変わってるから、同じ演目をやってるって気づかない」んだ。
みんな、軍(自衛隊)と独裁者(首相)に注目しておけばいいと思ってる。
でも、そうじゃないんだよ。軍はもう、警戒されてるし、批判もできる。
俺たちが見なきゃいけないのは、今この日本で「政治家が批判できない、聖域化しつつある人たちは誰なのか」ってことなんだ。
俺は、東京オリンピックが2020年に開催できる可能性は、50%くらいだと思ってる。
この1年の政治の動きによっては、「何らかの理由」で、オリンピックが中止される未来が、本気であると思ってる。
たぶん、真正面から高齢者を悪者にしてるこの説は、マスメディアには絶対に載らない。
今、この国が瀬戸際に立ってるってことを、なるべく多くの人に知ってほしい。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/mainichi.jp/articles/20170521/k00/00m/010/097000c
id:hidex7777 明仁天皇は1989年「常に国民の幸福を願いつつ、日本国憲法を遵守し」と即位式で述べた。憲法改正が「悲願」と宣う自称ホシュが斯様な天皇を無意識にでも否定したがるのは想像に難くない。 天皇 憲法 conservatism 5 clicks
天皇が憲法を遵守しまーす!って宣言するのは当たり前じゃない?憲法遵守しません!って言ったらそれこそ退位させるべきじゃない?はてサの妄想の中では「天皇はアベにとって邪魔!」という存在らしいけど、もし天皇が内心「憲法変えた方が良いのに」って思ってたらどうする?そう思ってたとしても、天皇は「憲法を遵守する」と発言するに決まってるけど。
「アベは天皇が憎い」「天皇はアベが憎い」どちらもはてサの妄想。自分たちに都合の良い妄想と言って良いよね。天皇が政治的問題に口を出せないのを良いことに、自分たちの主張の都合の良いように天皇の「お気持ち」を忖度する人々。
id:napsucks 今上天皇は護憲の要だし、一方で天皇制が日本の閉塞感を生みまた右に都合よく利用されている弊害もある。右にとっては逆に、天皇は便利な権威づけの道具である反面、護憲という面倒な主張をする厄介な存在でもある。 6 clicks
で、「護憲という面倒な主張をする厄介な存在」って何?もしアンタが首相で、天皇が憲法カエロ!って言ったらアンタはどーするわけ?
id:trade_heaven 眞子様の婚約も共謀罪の採決からの視線逸らしに利用されたしな。宮内庁は不快感とか言ってないでもっと公に抗議した方がいいんじゃないか。 5 clicks
プッw
id:hobbling 天皇なんて傀儡、政権にたてつく天皇は香川県に追放してうどん漬けにしろ、というのが日本のビューティフルヒストリーじゃん。
はてサの妄想は狂っているというか、アベに対する怒りでもはや地方蔑視もいとわない。香川県の人はどう思うか、ちょっとでも想像した?
id:enemyoffreedom 「皇統を生む機械なんだから自分の意見など言わずひたすらお祈りとセックスだけしてろ」というのをもう少しだけ綺麗な言葉で語るのが日本の保守なので。日本会議系の方々はあまり本音を飾らないから分かりやすいが
id:edo04 「保守」なんて日本の場合、自分の考える「最強のニッポン」に合わないのは天皇であろうと、排除するのに躊躇はない。 6 clicks
ね。とりあえず日本会議の名前を出しておけばいいと思ってるのかな。笑っちゃうよね。
id:mouseion A級戦犯の親族だけあって、考え方は常に天皇の政治利用。とんでもないクズですよ。利用価値がなくなれば退位させる。正に戦前の発想ですわ。国辱を晒し続ける国賊をいつまで野放しにするんだろうか。
天皇の政治利用をしているのはどっち?(毎日新聞によると)アベは天皇の意向を無視してる!って話のはずなのに、「考え方は常に天皇の政治利用」……?何言ってんだろコイツ。「利用価値がなくなれば退位させる」……退位したいって言ったのは天皇じゃん!アベちゃんも、最初は認めないって姿勢だったぞ。もう忘れちゃったのかな。
「まさに戦前の発想」……は「天皇のお気持ち」をやたらと妄想して現首相を攻撃してるお前なんじゃないの?二・二六事件の青年将校たちは「陛下のお気持ち」を妄想して首相をぶっ殺しに行ったんだけど?
id:GOD_tomato 自称保守系は天皇の事を人間と思ってないのか。内容が真っ当なだけに、この程度で政治関与とか可哀想。全て思うがままにならなくてよいが、意向を汲んであげて。 ことば 天皇 天皇制
「この程度で政治関与とかかわいそう」……おぉ、ついに「この程度」程度で憲法をねじ曲げて良いという境地にまで至ったのですね。関心関心。
id:sekirei-9 保守派のやつらは天皇をこれっぽっちも尊敬しておらず、そもそも興味もない。自分たちの思想の道具だと思ってる。今上天皇もそれにお気づきになってショックを受けたらしい。 政治 日本 文化
それで、「自分たちの思想の道具」にしているのはどっちなんですかな?
id:bukome_desu 「天皇や宮内庁が政治介入していいのか」って言ってるバカがいるけど、そういう問題じゃねえよ。「安倍晋三首相の意向を反映して対象に選ばれた」有識者達が天皇なんて傀儡でいい、って言ってることが失礼なんだよ。
おぉ、ついに憲法に書かれている条項を「そういう問題じゃねえ」と否定されてしまいました。まさしくはてサのレベルは完全に底が抜けてしまった。
いいですか?日本国憲法によると、主権は国民にあり、首相はその代表なんですよ?ということはまさしく、首相の意向を反映して選ばれた有識者会議は、まったく日本国民の選出した有識者会議と言って過言ではないじゃないですか。
もし民意=首相の意向を反映せずに有識者会議などというものを作るのだとしたら、参議院は廃止して貴族院でも作ったらいかがですか?
id:Gl17 要するに「当人の意思も国民世論も聞かない、政権の要求を満たす以外のことは考えるな」て趣旨だから、いわゆる社畜問題等と全くのパラレル。これは現政権の明確に一貫した思想で、今件に限った話では全くない。
ふふっw
まったくはてサのレベルは低い低い。天皇というキーワード一つでこれだけボロが出るのだから、後はお察し。
彼らはゴケンーゴケンーと騒ぎ立てながら、天皇が政権批判をした(とも捕れるような記事)が一本出ただけで、天皇の気持ちを考えろ!と憲法もクソもない発言をバンバン漏らしてしまう。
インターネッ党に賛同していたり、関係した人たち、SEALDsをどうせ大したことがないとか言っているみたいなんだけど、この人たちの棚上げ力すごい— 加野瀬未友 (@kanose) 2015, 9月 29
SEALDsの活動には、戦争法案という煽りなど、気になる部分も多々あるのだが、それ以上にSEALDsに関して言及する人たちの発言の方が興味深くて、ついつい追っかけてしまう。何が皆をそこまで駆り立てるのかわからない— 加野瀬未友 (@kanose) 2015, 10月 1
という訳で、SEALDsの奥田愛基氏殺害予告に対する田山たかし氏のツッコミに対する反応は、非常に良いリトマス試験紙になっていて、いろいろあぶり出されている— 加野瀬未友 (@kanose) 2015, 9月 30
たとえば実例を出すと田端信太郎氏。コメントは何もつけてないが、おそらくいいツッコミと思って、リンクしているのだろう10;https://t.co/G6kvADBvRH— 加野瀬未友 (@kanose) 2015, 9月 30
田山たかし氏のツッコミに賛同している人って、SEALDsの主張を理解して何か言っているのではなく、SEALDsに何か言いたかったところにきっかけを与えてくれたから賛同しているんだろうなー。IT系の人にそういう人をよく見かけてアホやなーと思ってみてる— 加野瀬未友 (@kanose) 2015, 9月 30
SEALDsの奥田愛基氏は、集団的自衛権に反対しているが自衛隊などの戦力保持に反対している訳ではないのに、田山たかし氏のツッコミに「まさにそう」とか言っている人たち、バカにしか見えないんだけど… https://t.co/wkLIHGXxNb— 加野瀬未友 (@kanose) 2015, 9月 30
“SEALDsに加わった元家入陣営のメンバーをたしなめたら”これは興味深い。家入氏の政治活動を応援しようと思った人だったら、家入氏が政治活動に興味ない今、SEALDsに入るのも不思議じゃない10;https://t.co/hnZZJJLntT— 加野瀬未友 (@kanose) 2015, 9月 30
新田哲史氏もインターネッ党関係者なんだけど、インターネッ党関係者はSEALDsに何か言わないといけない指令でも出ているのだろうか10;https://t.co/bQxpuAKcb1— 加野瀬未友 (@kanose) 2015, 9月 30
インターネッ党を、二・二六事件に喩えるのなら、家入氏はさしづめ、首相へのかつぎあげに色気を出したものの、結局逃げた真崎甚三郎かな。ただ、家入氏はSEALDsについては、何も言ってないようだし、その点については、ホリエモンや宇佐美氏よりずいぶんマシだ— 加野瀬未友 (@kanose) 2015, 9月 30
“sealdsって皇道派に似て、純粋で、大衆的で、無策だよね”インターネッ党の広報を担当していたが、自分のブログやBLOGOSからインターネッ党の記事を削除している、宇佐美典也氏のお言葉である https://t.co/F80fdv4zEH— 加野瀬未友 (@kanose) 2015, 9月 30
宇佐美典也氏には“インターネッ党って皇道派に似て、純粋で、大衆的で、無策だよね”という言葉を返したいよ…… https://t.co/F80fdv4zEH— 加野瀬未友 (@kanose) 2015, 9月 30
あまつさえめったに更新しないブログをわざわざ更新してまでSEALDsを擁護する内容を投稿↓
主観は人によって違うのでやむをえないが俺の立場は以下のとおり。
俺:今までの解釈の延長線上にあるから、少なくとも新たな問題はない。(9条の改憲するときにかかる時間やコストに言及したのは、君の主張のデメリットや矛盾をつくためにすぎない。俺は先の解釈変更や今般の安保法制のための程度なら9条の改正は不要との考え)
少し付け加える。
今までの解釈が憲法の範囲内だというなら今般の法制もすでに枠にはまっている。
時の政権に特に9条に関する限り、事実上ほぼ無制限の解釈の自由があることになると見ることが可能なのは事実だ。
しかしそれは、現在の制度自体がもつ欠陥(統治行為論により9条に関する限り行政府の一部門が合憲性を事実上最終的に判断する制度)に起因している。制度の欠陥を安部首相がついたとみてもよい。
これが9条だけの話ならばまだしも、他の条文にまで援用されると確かに恐るべきことになる。
補足)
原語がデモクラティズムではないことにそれは現れている。したがってデモクラシーによって守られるべき価値がデモクラシーそのものによって毀損されるのはゆるされず、その価値とは「国民の幸福」である。
なお、侵略が許されないのは、それによって得られたなにかをわれわれ日本国民はもはや「幸福」とは呼ばないからである。
また、近代のデモクラシー以前から国家は存在している。デモクラシーを採用しない国民国家はありえるが、国民国家の基盤がないところに近代デモクラシーは不可能。さらに国民国家は国家の一種に過ぎず、国家は領域、人民、暴力によってなる。(つまりよりもっとも野蛮な国家すら、領土や人民の防衛はその責務である。ましてや現代日本においてをや)
より下部にあるより基礎的な層への脅威はそのままわれわれのデモクラシーへのより根源的な攻撃でもある。これへの防御を表層の制度の字義的解釈に拘泥して阻害したり、それをもってデモクラシーの破壊と叫ぶのは本末転倒。むしろ表層にある制度の欠陥が露呈したとみて、制度の改善をこころみるべきである。
制度の改善が著しく困難な時には、より基礎的な価値を防衛するために統治機構はさまざまな方便を考え出す。
今回の解釈変更も、そもそも安保と自衛隊を黙認するための統治行為論もそれだ。
これについては、まあ、君にはそう見えるかもしれんという感じか。
俺にとって外国の侵略が君が考えるよりは重大な危機と考える理由の一部は「論点の背景にある価値観の相違」の補足に述べたつもりである。多少分かりにくいかも知れないが、筋道はおえるのではと思う。
ところで君は先に大戦の惨禍を縷縷述べ、その原因を国家の暴走にもとめた。
そして、それへの反省あるいは対策として、立憲主義の厳格なる遵守を要求していたように見える。わたしの考えもまた私の主観では立憲主義を厳格に遵守するものであるがそれはともかくとして以下の点を指摘する。
天皇親政により立憲政治を絶命させようとした二・二六事件は立憲主義を逸脱した昭和天皇の勅命によって頓挫させられた。先の大戦はやはり立憲主義を逸脱した昭和天皇の聖断によって収拾された。
デモクラシーが前提とする立憲主義の手続きを墨守することによる不利益はデモクラシーのコストとして甘んじて受けるべきだというなら、昭和天皇は指をくわえて見ているべきだったということになる。
もし本当にそう歴史が推移したならば、前者についてはより早く大戦に突入する結果を招いたことであろうし、後者については惨禍がどれほど拡大したかはまったく俺の想像を越える。
こうした歴史をどう考えているのか。