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はてなキーワード: 一冊の本とは

2020-06-18

anond:20200604204327

同人文字書き男だけど、お前の界隈おかしいよ。

しろ同人活動をしていると表明している人間が実際には「同人誌を描いてくれた方に感想を送る」という責務を果たしていないことにあるかもしれない。

そんな責務見たことも聞いたことも実感したこともねえよ。お前の界隈おかしいよ。

この界隈には、いわゆる「ボス」的な立場にいる人間がいる。よくオンリーイベントアンソロジーなどの色々な企画を取り仕切ったり、学級委員として何かを回したりする立場人間と言えば、ほどほどの規模の界隈なら心当たりがあるのではないか

そんなやついねえよ。オンリーはやりたいやつが企画して参加したいやつが手を挙げてやるもんだろ。10年以上関わってきた界隈でこないだ新しいオンリー開かれたけど聞いたこともないサークルさんが主催だったよ。それでも毎度コミケにいるような古参から初めて見るような連中まで一堂に会してオンリーやってたよ。界隈で有名な人はいても界隈を取り仕切るやつなんていねえよ。お前の界隈おかしいよ。

ボス程ではないが、同人活動ガチ勢」の中にはちょくちょくそのような人間がいる。Twitterでは自分原稿や界隈の中で行儀が悪い人への愚痴ほとんど。それなのに自分インターネット適当イラストを上げる時は「RTうれしいな」と言っている。もちろん他人イラスト小説ほとんどRTしない。

少なくとも俺のいる界隈では、自分原稿の話ばっかりする人はいるし、厄介さんへの愚痴をたまに呟く人もいるけど、「行儀が悪い人への愚痴」ばっかり呟いてる「ガチ勢」なんて見たことねえよ。普通作品の話とか自分萌えの話とか自分にとっての創作論とかを主に呟くもんでしょ。お前の界隈おかしいよ。

同人文化を支えていこう」などとお題目を唱えている割に自身の……率直に言って絵柄やストーリーが大して練られているわけでもない原稿時間を割いて、お友達以外の他者にはほぼ無関心なのは、彼らの言う「同人文化」もたかが知れているのではないか

同人文化は個々人が自分の好きなことをしてその集積として成り立つもんなんだから自分創作友達との交流を最優先するのは当たり前でしょ。個々人が自分の好きなことを追求できる自由な場があって、その場にお出しされたもの同人文化であって、同人文化を支えるってことはその場を(書き続けるとか読み続けるとかの形で)維持するってことなんだよ。他人ベタベタ干渉することが支えるってことなんじゃねえよ。お前の「同人文化」像おかしいよ。

自分同人誌を読み捨てるタイプオタクだったら、まあそんなもんだろうと納得が行ったのかもしれない。

だが、今まで感想は書くものだと思っていたオタクにとって、この状況はまあまあキツい。

半分答え出てるじゃん。お前が勝手義務だと思ってるだけでそれは義務でもなんでもないんだよ。そのくらいわかろう? 自分の中で縛りプレイするのは勝手だけどそれを他人押し付けたら駄目だよ?

あと、感想送る→活動止まるは見えるけど、感想送らない→活動止まるはすぐには見えないから気づいていないだけじゃないですか。何もしなければ責任を取る必要はないけど、真面目に考えるなら見殺しにしてきた同人作家の数でも数えた方がいいんじゃないですか。感想を送らないことを正当化する人間が一番腹立つんですよ。

俺は最近小説あんまり書いてないけど、それはショボい文字書き(&設定厨)なのでネタが尽きてきたのと、私生活の面で色々なものごとに追われて余裕がないからであって、感想の有無は関係ねえよ。かつての俺は感想がなくても書き続けていたし、ありがたいことに最近過去作への感想をもらってそれ自体はめちゃくちゃ嬉しかったんだけど、だからって書くのを再開する気にはなれない。創作徹頭徹尾自分のためにやることで、感想はそりゃないよりもあった方が嬉しいけどそれで自分創作意欲が左右されたりはしない。

お前が感想によって創作意欲を左右される人間であり、お前の周囲にそういう人間が多いことはわかったが、だから感想を送るべきとかいうクソマナーを作られても困るんだよ。そんなもん知ったこっちゃねえよ。お前のお気持ちを世の中の常識だと思うなよ。どうしても送ってほしけりゃ「私は感想によって創作意欲を左右されるメンタルよわよわ作家なのでなるべく感想ください」とでも本に書いとけよ。そう書いておけば送ってやろうかという気になるファンもいるんじゃねえの? してほしい配慮は口で言わねえと他人にはわかんねえんだからよ。

正確には、界隈の中で本当に仲がよい友人ふたり程、それに地方在住のおそらく主婦業をやられているフォロワーさんからは来た。この方々がいなかったらこんなもの書く前にさっさと同人誌のことは黒歴史にして畳んでいただろう。

は? 同人誌ってのは自分が書いた文章が形になる、それだけで嬉しいもんなんじゃねえの? これまでは自分の頭の中にしかなかった「ぼくが書いた一冊の本」を活字として手に取れるのが最上の喜びなんじゃねえの? 感想なんて来なくたっていいんだよ。お前は自分が生み出した初めての本のことをどう思ってるんだよ? 感想が来なかったか黒歴史なのか? 違うだろ? 感想が来ようが来まいが、自分萌え理想を詰め込んだ一冊の本がそこに存在している、そのこと自体幸せは感じねえの?

お前、自分の本に来た感想のことは気にしてるのに、自分の本それ自体を気にしてるようには(少なくともこの増田からは)見えないんだよな。はっきり言って異常だよ。子供学校に行きはじめたんですけどちっとも友達を家に連れてこなくて~って言ってるみたいに見える。いや子供毎日元気に学校でお勉強してるだけでめちゃくちゃ偉いだろ! 子供を褒めてやれよ!

お前の感覚おかしいよ。

2020-06-11

anond:20200611075103

ネットなんかあるわけない時代他所の事なんて全ては『知らんがな』だろ。

・・・余談になるが、関西出身イラストレーターエッセイストの戦中を描いた半自伝?に、関東出身児童文学者のこれもやはり戦中派の大家が詳細な描写でこれでもか!と当時にそんなリベラル意識を持つことなんて有り得ない大嘘書くな!と糾弾するあまり一冊の本正史(苦笑)として纏めた故事も、そういうことだったような希ガス

2019-12-11

お空の上から選びました・前(短編小説)

「またやっちゃった…」

ヒロコは苛立ちと罪悪感でいっぱいになった胸を抑えて深く溜め息を付いた。

間も無く3歳になる娘のユウが赤くなったあどけない頬をめいっぱい歪ませて泣きじゃくっている。

嫌な周波数の泣き声がヒロコの脳に刺さり容赦なくさぶる。

片付けても片付けてもおもちゃを散らかし、いたずらばかりするユウをきつく叱りつけたのだ。

手をあげる必要などなかったことはわかっている。

同じことを何度繰り返せばいいのか、また抑えきれない怒りを発してしまった。

掌がヒリヒリと痺れている。

我に返った時には遅く、ユウは火が付いたように泣き出した。

それでもヒロコはすぐには動けなかった。

その様子を他人事のように見詰め、抱き寄せる事も出来ず、これを宥めるのも自分仕事かとうんざりし、またそう考えてしま自分が嫌だった。

夫の帰りは今日も遅いのだろう。

激務の為、終電になることがほとんどだ。最後に娘が起きている時間に帰ってきたのはいつの事だったろうか。

日が傾き始めた窓の外に目をやり、逃れられない娘の泣き声と孤独感にヒロコはまた溜め息をついた。

──

「こんなはずじゃなかったのに」

ヒロコはサキの家のリビングクッキーを齧りながら言った。

「イヤイヤ期は大変よね」

サキは応じる。

ヒロコの学生時代の友人だ。

サキの子供はユウの2つ上の男の子で、サキ企業勤めのいわゆるワーママである

ヒロコにとっては気の置けない親友であり、育児の先輩だ。

最近は忙しくて会う機会も減っていたがサキが2人目の出産を間近にして産休に入った為、久しぶりにお茶でもどうかと招待を受けたのだ。

「可愛くない訳じゃないんだけどね、時々イライラが止まらないの。本当にひどいんだよ。なんで何回言ってもわからないんだろう」

自分の家にはない、物珍しいおもちゃの数々に目を輝かせているユウを横目に、ヒロコはまた溜め息をつく。

「片付けは出来ないし、気付いたらすぐ散らかすし、昨日もリビングに水をぶちまけるし、トイレットペーパーは全部出しちゃうし…。毎日毎日片付けに追われてる…!すぐにビービー泣いてうるさくて頭おかしくなりそう。この子、私のこと嫌いなのかなって本気で思う事がある」

愚痴は次から次と溢れ出す。

サキは時折自身体験を交えながらヒロコの言葉にうんうんと耳を傾ける。

ヒロコがアドバイスなどを求めていないことはよくわかっている。

ただただ言葉を吐き出したいだけなのだ

まだ意思の疎通もままならない子供と一日過ごしているだけでどれだけ気力と体力が削られるかサキもよく覚えている。

久しぶりに人と話をしている高揚感と充実感に夢中になるヒロコの気持ちはよくわかった。

「…そろそろ保育園のお迎えに行かないと」

サキカップを置いた。

時間が過ぎるのはあっという間だ。

長居してごめんね」

ヒロコも席を立ち、ユウの散らかしたおもちゃを片付ける。

「帰るよ」

その一言でユウの顔がぷうと膨れた。

「やだ」

ヒロコの目が吊り上がった。

「また始まった…!ワガママ言わないで!!」

「やあぁー!あそぶ!あそぶの!!」

ユウはおもちゃギュッと握りいやいやと首を振る。

「もう時間なの!これ以上いたら迷惑でしょ!」

さなから乱暴おもちゃを取り上げると、ユウはわぁっと泣き声を上げた。

「はぁ…。もううるさい!泣かないでよ!行くよ!」

ヒロコはユウを抱き上げようとしたが、ユウは泣いて暴れ、その手から逃がれようとする。

カァッと目の前が赤くなるような感覚に襲われ、反射的にヒロコの右手にグッと力が入ったが視界にサキの姿が入り、ヒロコは震わせた拳を抑えた。

その分声はヒートアップする。

「泣いたって時間から仕方ないの!暴れないで!」

強引にユウを引き寄せ、そのまま引きずるようにして玄関へ向かう。

「みっともない所見せてごめんね。いつもこんなで…ホントごめん」

辛そうに頭を下げるヒロコにサキは困ったような笑顔を返すと、本棚から一冊の本を取り出してヒロコに渡した。

「ね、良かったらこれ、読んでみて」

──

ヒロコは疲れていた。

「こんなはずじゃなかったのに」

もっと育児って楽しいものだと思ってたのに。

お母さんだからメイクもお洒落ちゃんと出来なくて、髪を振り乱して鬼の形相で子供に怒鳴り、お母さんだから子供の為に我慢ばかりで辛い事ばかり。

ユウの寝顔を見て愛しいと思っても、朝になればまたあの1日が始まると思うと恐怖すら感じた。

の子を産んでいなければ…考えても仕方のないifが頭の中を駆け巡る。

夫は今夜も終電での帰宅になると連絡があった。

めしい。子供の事など考えず、仕事だけしていればいい夫が恨めしかった。

独りの時間はとても長く、虚無で満たされていた。

ふとヒロコはサキに渡された絵本の事を思い出す。

(絵本か…)

本屋へは何度か行ったが子供に何を選べばいいのかわからず、無難そうな物を数冊買ったきりだ。

読み聞かせをしてもユウはすぐに飽きてしま最後まで読み切れた事もなく、読んでいる最中絵本を破かれて怒って以来、開くのをやめた。

サキは何故、絵本なんかを渡して来たのだろう。

から取り出し、表紙を撫ぜた。

『この子は、ママをおこらせるためにいきています

絵本はそんな一文から始まった。

「えぇ…どういうこと?」

口の端に自然と笑みが浮かんだ。

静かなリビングにページをめくる乾いた音が響く。

いたずらで母親を困らせる可愛くない子供が、デフォルメされた絵柄で描かれていた。

(そう、毎日こうよ。嫌になる。この子ユウみたい)

嫌な感情が胸を巡る。

気分が悪くなり、一度は絵本を閉じようかと思った。

しかし、めくるごとにヒロコの手が震えだした。

(あ、このママ…)

絵本の中の母親自分が重なっていく。

(私だ…私がいる…)

『はっきり言って、おこらないママなんかダメだと思う!

あたしがあんたをうんだんだもん!

大好きすぎるからおこるのよ!あんたにはママよりしあわせになってほしいの!!

それがおこるってことなのよ!』

絵本の中のママは涙と鼻水で顔を汚しなから子供に叫んでいた。

ヒロコの目から知らずに涙がこぼれた。

(うん、私、怒りたいんじゃない。ユウが大好き。大好きだから怒ってしまうんだ…!私、間違ってなかったんだ…!)

胸が、身体中がカァッと熱くなった。

堰を切ったようにとめどなく涙が溢れてくる。

ヒロコは絵本を抱き締めて嗚咽を上げた。

ヒロコは昨夜泣き腫らしてむくんだ瞼をこすりながらも、穏やかな気持ちでいた。

今朝も早くからユウは冷蔵庫野菜室に積み木を放り込むいたずらをしていた。

いつものように怒鳴り付けたヒロコだったが、泣いているユウを自然に抱き締める事が出来た。

「あのね、ママはユウが好きだから怒ったんだよ。わかる?ユウの事がどうでもよかったら、怒ったりもしないの。だからユウが悪い事をしたら怒るのよ」

そう。こうやって子供に素直な気持ちを伝えれば良かったのだ。

今はまだ全ては伝わらないかも知れない、けれどきっとわかってくれるはず。

心持ちが違うだけでこんなにも余裕を持っていられるなんて。ヒロコは晴れやかさすら感じていた。

──

もしもしサキ?昨日はありがとう絵本、読んだよ」

追い詰められていた自分気持ち理解し、黙って絵本を渡してくれたサキ感謝を伝えようとヒロコは電話を掛けた。

「何て言うか、助けられた気持ち。私、いっぱいいっぱいだったんだと思う…」

「私もそうだよ」

サキの声は安堵したような響きがあった。

「いい絵本だったでしょう?私も辛いときに読んでるんだ。怒るのは悪いことじゃない、子供の為だって思えると気が楽になるよね」

「うん。ユウにちゃんと向き合えた気がする」

しばらく話を続けたあと、あぁそうだとサキは言った。

「あの絵本を書いた作家さんの講演会が再来週あるんだけど行ってみない?」

講演会?」

そんな堅苦しいのはちょっと…とヒロコは尻込みした。

「ユウも騒ぐしそんな所に連れていけない…」

大丈夫子供連れでも安心して行ける講演会なの。作家さんが子供と遊んでくれたり、絵本読み聞かせをしてくれたりするんだ。親も子供も楽しめていい息抜きになるよ」

本を一冊読んだだけ、どんな人かもわからない絵本作家講演会に3000円も出すのは専業主婦のヒロコにとっては少し高いなと思う金額だった。

だが、子供も沢山来ると言う話だし、ユウにもいい刺激になるかも知れない。

熱心に勧めてくれるサキに押され、せっかくだからと参加を決めた。

講演会と聞いて構えていたが、会場に入って拍子抜けした。

椅子も置かれていないホールブルーシートが敷かれているだけ。

子供大人もその上で体育座りをして待っている。

「なんなの、これ?」

わず口をついて出た言葉サキが拾った。

「知らないとちょっと驚くよね。まぁ座って座って」

サキに促されるまま、ブルーシートの端にそっと腰を降ろした。

キョトキョトと辺りを見回しているユウにサキが声を掛ける。

「ユウちゃん、これから楽しいお兄さんが来て遊んでくれるよ。ご本も読んで貰おうね」

サキの息子ケンタは場馴れしているのか、サキに寄り掛かるようにして静かに座っていた。

ケンタくん、お利口さんだね。ユウとは大違い」

「そんなことないよ。全っ然ダメな子なんだから今日はユウちゃんいるから良い子のフリしてるだけ。もうすぐ赤ちゃんも産まれるんだからもっとお兄ちゃんらしくして貰わないと困っちゃう。ね?ケンタ?…あ、ほら始まるよ!」

それはヒロコが想像していた作家講演会とは全くかけ離れたものだった。

絵本作家と聞いてかなり年配なのだろうと勝手に思っていたヒロコは、40半ばに見える気取らない格好をしたこ男性絵本作家その人であることも驚いた。

作家本人が壇上を降りて子供と触れ合い、子供達が楽しめるように趣向を凝らした様々な遊びが繰り広げられた。

時には大人も一緒に歓声をあげるような賑やかなもので、気付けばユウもキャッキャと声を上げて遊びの輪の中で満面の笑みを浮かべていた。

(凄い…)

今まで自分が知らなかった世界が広がっている。

絵本作家って本当に子供好きなんだね」

そっと囁くとサキ悪戯っぽく笑う。

「この人は特別だよ。こんなに子供の為に自分からやってくれる作家さんなんて聞いたことないもの。生の意見を聞きたいって日本中回って年に何本も講演会開くんだよ。絵本も発売前に講演会読み聞かせして、感想を聞いて手直しするの。凄いでしょ?」

サキ、詳しいね

「前にね、仕事でこの人のイベントに関わった事があって。妥協しないでこだわりを貫く姿勢とか、誰に対してもフランクで、作家なのに偉ぶらない所とか、凄く温かみがあって純粋な人だからファンなっちゃったんだ。しかも、ちょっとかっこいいじゃない?」

作家の事を語るサキの瞳はキラキラと輝いていた。

絵本読み聞かせもなんて上手なんだろう、とヒロコは思った。

子供達は食い入るように作家の手元を見詰め、声を上げて笑っている。

(これがプロ読み聞かせ…!ユウなんて私が読んでも最後まで聞かないのに、こんなに子供の心を掴むなんて。やっぱりプロは違うのね。私もあんな風に感情を込めて読んでみたらいいのかな)

作家は、二冊の本を読み終わり、次が最後読み聞かせだと告げた。

講演会も佳境である

もう終わってしまうのか…と残念な気持ちになるヒロコは気付かないうちにもうこの作家ファンになっているのだ。

新作だと言うそ黄色い表紙の絵本は、作家が渾身の思いを注いで全国のママ達の為に描き上げたのだそうだ。

この明るくて楽しい、優しさに溢れた人が私達ママの為に描いてくれた絵本とは一体どんなものなのだろう。

ヒロコの胸は期待に掻き立てられた。

世界中でママにしたい人はたったひとりでした』

読み上げられた一文にヒロコは頭を殴られたような気がした。

何故子供を産んでしまったのかと後悔が過る事もあった。

周りを見れば大人しい子供もいるのに何故ユウのようないたずらばかりする子だったのかと妬ましい気持ちになることもあった。

子供が親を選んで産まれてきただなんて考えたこともなかったのだ。

作家感情を溢れさせた独特の声音絵本を読み進め、ページを捲っていく。

空の上から下界を覗き、ママになる人を探す沢山の赤ちゃん達。

ひとりぼっちで寂しそうなママを喜ばせたいんだと飛び込んでいく魂。

ヒロコの心は激しく揺さぶられた。

気付けば茫沱たる涙が頬を濡らしていく。

子供は空の上で己の人生を決めてから母の胎内に降りてくる。

母に喜びを与える為に産まれるのだ。

ヒロコは肩を震わせしゃくり上げて泣いた。

その背中を優しくさするサキの頬にも涙が伝う。

そこかしこから鼻をすする音が聞こえる。

作家の声もいつの間にか涙声に変わっていた。

作家を中心に会場の空気が一つになったような感覚をヒロコとサキは味わった。

同じように感じる来場者は他にもいたのではないだろうか。

(自分絵本を読みながら泣くなんて、とても繊細な人なんだ…)

作家自分に寄り添ってくれるような気持ちになり、ヒロコはその涙が温かく感じた。

ママ…?」

ヒロコが泣いている事に気付いたユウが、どうしたの?と母の頬に手を伸ばす。

ヒロコは反射的にその小さな体をギュウと抱き締めた。

「ユウ、ありがとう

何故かはわからない。無性にそう言いたくなった。

「私の為に産まれてきてくれたんだね。ありがとう

講演後に開かれた即売会でヒロコは迷わず黄色い表紙の絵本を買った。

そのまま作家サインが貰えると言う。

感動と感謝を伝えているとまた涙が溢れてきた。

作家はにこにこしながら『ユウひめ、ヒロコひめへ』と言う宛名の下に2人の似顔絵を描いて手渡してくれた。

──

翌日からヒロコはユウに、そのサインの入った絵本積極的読み聞かせた。

講演会で見た絵本作家の姿を脳裏に思い浮かべ、それと同じように読み聞かせをしたのだ。

冗談を言うシーンでユウは笑う。

もう一度ここを読んでとヒロコにせがむ。

こんなこと今まで一度だってなかったのに。

この絵本はまるで魔法のようだと思った。

「ユウもこんな風にお空の上からママを選んだんだって。覚えてる?」

「うん。おじいちゃん

ユウは絵本の中の神様を指差す。

「このおじいちゃんにユウも会ったの?」

「うん」

幾人もの子供たちから聞いた話を元に絵本を描いたとあの作家は言っていた。

本当だ、ユウも産まれる前の記憶を持っているんだ、とヒロコは確信した。

「どこが良くてママを選んだの?」

「うーん…ママかわいい

照れたように小首を傾げながら舌足らずに答えるユウをヒロコはきゅっと抱き締める。

ママ嬉しい~!ユウも可愛いよ!可愛いママを選んだんだからユウが可愛いのも当たり前だよね~!」

ヒロコは幸せ気持ちで満たされていた。

子供からこんなにも愛を貰えると気付かせてくれたこ絵本は、ヒロコにとって正にバイブルとなったのだ。

後半はこちら↓

https://anond.hatelabo.jp/20191211112403

2019-07-17

anond:20190713122155

そんなものはない。

一冊の本で世の中が良くなるなどというのは幻想だ。

2019-02-08

anond:20190208194610

一冊の本の中で順番不統一になんかしてたら即校正されるだろ

エアプかよ

2019-02-03

毒親思い出帖 その1

確か小学校4年の頃

「ベス」という名前をつけ、どんくさい犬だが下手すると布団に連れ込んで一緒に寝たいほどかわいがっていた秋田犬がいた。

しか学校から帰ってきたある日、その子が突然居なくなっていた。

机の上に置かれた「プゥ一等あげますby灰谷健次郎

という一冊の本に変わっていた。

「(妹)にじゃれつくのが危ない」

理由だった。

それから数十年。

毒親が、子どものいない妹に「(私の子供の)どちらかをあげればいいと考えていた」という事が分かった。

今生でご縁を解消したい。

2019-01-22

腐女子カースト底辺同士のマウント合戦~」のこと 2

前回(https://anond.hatelabo.jp/20190122051523)の続きです。

6.欠落は誰にでもある

さまざまな理由から、化粧が出来ない、してくれる協力者もいないという人達に私は会ってきました。

病気怪我治療中の人、あるいは治らない障害を抱えている人が居ました。症状が出ないように薬を飲んでいて、副作用がひどいと教えてくれた人も居ます

発達障害からの注意欠陥、嗅覚・触覚過敏、どれほど頑張っても自分では時間管理ができない人、神経麻痺で手が震えてしまう人、不安障害や、醜形恐怖のために鏡で自分の顔が見られない人も居ました。先天性もあれば事故による後天性もあります

一見しただけではわからない、介助者もいない軽度の人ほど、偏見に晒されてつらい感情を秘めていました。「就活の時期はとても苦しかった」と胸の内を話してくれた人もいました。

それらは対話しなければわかりません。

生きるだけで精一杯の彼女達を外見で判断することは、とても残酷なことだと思いました。

初対面の人へ否応なしに恐怖を抱く人もいます彼女達はあまりにも傷ついてるのです。だけど彼女達も同じもの好きな人なら、親身になって耳を傾けてくれるなら、素直に明るく話せる『普通の』人達でした。

彼女あるいは彼らが、趣味を楽しむことを、ドレスコードもないイベントへ素顔と普段着で行くことを、そのために外出することを、誰が止めて良いでしょうか。

作中では、腐女子の一人のバイセクシャル発言を、言い訳と切って捨てるページもありました。

腐女子仲間の交流という非日常でならカミングアウト出来る人達もいるのです。クエスチョニング(自分性的嗜好がわからない人)も居ます

女性の体で生まれ性自認男性トランスジェンダーであれば、彼もまた女性らしい化粧をひどく嫌がるでしょう。

男性の体で性自認女性の人は、きれいな化粧をしたい彼女自身の願望を世間から嘲笑われて、ひどく悔しがることでしょう。

私自身が、長い間クエスチョニングの状態で、もしかしたら今もそうかもしれません。「雌雄何方でもない究極生命になりたい」などと本気で考えた頃もあります。そうしたキャラクターに憧れたことも。それを中二病黒歴史と切って捨てる気はありません。

その頃に考えた数々の想像は、今の作品作りに役立っています。何がどう人生関係するのかはわからないですし、簡単嘲笑材料にしてはいけません。

そして、結婚して子供もつ腐女子人達カーストの上位に位置すると作品内ではほのめかされていました。

独身の私には、既婚者のまま交友関係を続けてくれる腐女子が幾人かいますが、本人達の多くは決してそんなことを思っていません。

切り詰められた趣味時間一生懸命やりくりしています子供たちが幼く、預けられる人が居なければ、イベントに出ることもできません。離婚経験している人も居ます子供を産めない体の人も居ます彼女達の苦悩を「自虐に見せかけた自慢」などと断定することはできません。

外見に気を使えない分、時間が限られている分、彼女達は会場で迷惑をかけないよう礼儀正しくいようと努力しています

作家さんに送る差し入れを考えたり、相手不快にならないような感想手紙を丁寧に考えてくれます他人の悪意に敏感で、日々変化する対人マナーを注意深く観察しています

賢明な彼あるいは彼女達は、自分がなにか悪いことをしたら、自分を容易く卑下すれば、自分と同じ属性の誰かが心無い偏見を向けられると知っているのです。

自分を奮い立たせなければ、読みたい本を手に入れられないのです。彼女達にとってもイベント会場はまさしく「戦場」なのです。

主人公自身我慢して「普通」を演じてるからといって、どうして不特定多数にもそれを押し付けて、勝手審査してしまうのでしょうか。

腐女子として知り合ったのに、そこでしかできない話があるのに、なぜ、妹や会社の同僚にもできる彼氏の「恋バナ」を主人公はその中でしたいのでしょうか?

誰しもに欠落がありますいくら擬態を頑張っても、つつけば粗が見えることを知っています

見下す主人公よりも、その嘲笑われた「誰か」に共感して悲しみ、怒るのです。これは腐女子一般人も変わりありません。

ここまでくれば主人公の『欠落』は明確に見えてきます恋愛パートナーの有無や、化粧や顔の出来などとは関係のないものです。

物語としては、この欠落を彼女尊敬する『神』の作品で、あるいは腐女子の友人達との交流で埋める方向に少しでも向くと思わせられれば、得る物はあったであろうに、エッセイ漫画として面白くなるであろうに、無視したまま化粧と服装だけに固執し、自分以外の他人嘲笑し苛つきだけ表現して、何処かで見たような「あるある」ネタとしても使い古された、見慣れたエピソードで彩られた孤独な「自分語り」に、なぜ終始してしまうのでしょう?

主人公が妹との会話で傷つくシーンがありますが、それもどこか核心からずれています

描こうと思えばいくらでも描けて、周り込めばそれだけ「面白い」題材になるはずのこの欠落を、なぜ無視して、このように雑に扱ってしまったのでしょう。

作者自身結論が出ていないから?

であれば、必要なのは時間です。自分他人を見つめなければ、表面的な出来事自分内面を掘るだけでページが終わってしまます

結論が出ていてもページ内に収める技術問題

であれば、そのような『制限』を外すべきだったのです。悪意を放り投げてしまうより、収拾可能になるまで、試し読みの範囲伏線を詰めて描くべきだったのです。

そのほうがずっと「面白く」「続きが気になって」読んでもらえるはずです。

その柔軟さと判断力が編集者に無かったとなれば、漫画面白くできなかったのは作者だけの責任には留まりません。

私はそう考えます

7.SNS媒体での発表のリスクについて

ツイッター年齢制限がありません。誰でも登録できます

ツイッター機能として、登録者の興味のある事柄から自発的検索しなくても、プロモーションフォロワーいいねがTLに流れることがあります

日夜ツイッターではプロアマチュアを問わず真の意味で赤裸々な「漫画」が、作り手の欲望善意によって公開されております

読み手は気軽にそれらを楽しむことができます。なんの警戒心もなく、それを読めるのです。

まりツイッターを利用している未成年の、思春期の「腐女子」あるいは「腐男子」達も、この「腐女子カースト」という作品を目にした可能性が高いと言うことです。

今この文書を読んでいるあなたは、どう感じるでしょうか。

腐女子は皆が皆、18禁作品をたしなむ訳ではありません。未成年で、好奇心不安を抱えたまま腐女子世界に飛び込んだばかりの人達現実世界では未来ある学生達がそこにいるのです。

悪意に慣れていない少年少女も当然いますもっと幼くて、ただ漫画というだけで熱心に読む子も居ます。今は内容がわからなくても必ず影響は残ります。『顔芸』と呼ばれる大ゴマをつかって笑わせることは、どんな幼い子供にも通用します。

子供達に対し、自由想像世界に生きる存在であったはずの腐女子達の中に「カースト」が存在するなどと言い含め、ある嗜好を持つだけで現実では最下層の証明になるのだという差別意識を植え付けて、その子たちの無意識に色眼鏡を与え、自尊心を摘み取ってしまっていいのでしょうか。

自分もどうしようもない存在から笑って許して欲しい、などと言う虫のいいお願いを「いい大人」が子供果たしてできるでしょうか?

それとも子供達も自分と同じ目に遭いつらい人生を歩めと言うのでしょうか?

あの時から今もなお続く炎上は、腐女子ひいてはオタク達の怒りでありながら、撒かれた毒を浄化しようという一心不乱の活動でもあるのです。

それが見えない露悪的な人達はこの騒動冷笑しています。私はそれを、昔の自分のように恥じています

これについては個人の快不快に留まる問題ではありません。会社ではなく、一個人があのような悪意を撒いたとしても、彼らは同じように行動するでしょう。

わずかな露悪的な読者層を取り入れるために社会倫理無視して行動したのであれば、そうした会社に集まるのは、いっそう露悪的で短命な漫画ばかりとなってしまうでしょう。

8.倫理と信頼と商売関係

このような感想になってしまいましたが、改めて、私は自由創造性というもの尊重したい側です。

同時に面白くないと思ったもの面白くない、酷いと思えるものを酷い、ノットフォーミー(自分向けではない)な作品はそうだと言える自由もまた有ってほしいと思います

商業作品においてもアマチュアであってもそれはかわりません。ただひとつ願うのは、描き手と読み手企業購入者、互いが互いに優しい形でそれが実現することです。

作品の話になりますが。

今回の騒動を見ていた時に同レーベルの「こじらせブスの処方箋~見た目を気にして病気になりました~」という醜形恐怖を描くエッセイ作品と作者が気になり、こちらは購入しました。

内容は「腐女子カースト」よりも読めました。やりようによっては幾らでも面白くなる題材だと思いました。たった一冊の本では描き切れないはずなのに、始まりから消化不良のまま、読み終わってしまいました。なぜ充分に生かせず、彼女は次々と過激タイトルの新連載に移ってしまったのでしょうか。彼女無料公開している作品を見ていましたが、やはりどこか無理におどけている様な、抑圧されているような、物足りなさを感じてしまいました。

他の主力作品ヘテロ恋愛や性事情を題材にしたものや実録系が多いようです。WEB雑誌系のスポンサー出会い系美容系で占められていることと関係しているのでしょうか。それらへ興味が向くように迎合した作品作りをすることも、おそらく企業戦略としては正しいのでしょう。

しか果たしてそれは、自由創造性でしょうか?

自尊心の低い女性や、夢を求めて来た外国人や、年齢や身体のどうしようもない特徴で偏見に晒された、「世間ちょっとずれた」弱い立場の人々を集めて「見下す対象」を作り抑圧することが、今のレーベルでの狙いなのでしょうか?

そうではないとする証拠が、今回の騒動の中にあったでしょうか?

今連載されている作品達に、作家達に、充分に示せているでしょうか。

そうした雑誌ジャンル伝統的にあることを私は知っています

会社の内部事情について、私は一切知り得ません。

善悪を私が断じることはできません。ユーザー文句をいう事は出来ますが、断罪するわけではありません。

誰かの表現を止めることはできません。

一度出した表現は別の表現で塗り替えることしかできないのです。

多くの人にとって良くなければ、出資するほどではないと思われれば、自然と読者は離れていき、伝統はそこで終わるだけです。


9.おわりに

今回の感想を書く上で、障害者や、性的マイノリティについて書かなければならなくなりました。

それらを教えてくれた人々は、私の大事な読者達です。

私はかつて、仕事をやめたのと同時に、しばらく普通でいることを休もうと思いたちました。世間や周りに合わせようと無理をするのをやめて、家に籠りました。趣味漫画を描くうちに、私は作品を通じてツイッターで人と繋がりました。

読者のフォロワーの一人が、家庭の事で「爆発」し鍵垢で叫んでいた所に遭遇しました。私はその言葉を丁寧に読みました。

私が知り得る知識を総動員して、望んだ人生が歩めない悲しみを、それを他人から非難される恐怖と怒りを一生懸命想像しました。私は彼女問題提起を注意深く見定めようとしました。

リプライではなく空リプで、一緒になって怒り、一緒に笑い飛ばしました。それは一時のSNS上のやりとりでしかないし、実際に顔を合わせる間柄ではないですが、今でも彼女との交友は続いています

上下はありません。私の意見押し付けたわけではありません。

私と彼女は、対等な互いの読者として、信頼する友人として存在しているのです。

彼女理解を諦めて無視したなら、きっとこうはなりませんでした。

信頼関係の構築に大事なのは性格ではありません。ただ己を一度引っ込めて、わからないなら真摯に聴き、調べ、深く考えた上で言葉を使うことが大事だと私は気付きました。彼女が暴れすぎて収拾がつかなくなるほど傷つかないように、考えて行動することでした。

それは自分作品を作る時と同じでした。二次創作で『推し』を見つめて、彼あるいは彼女がどう行動するか考える時と同じでした。

彼女達の苦悩の間に、それでも己自身肯定する言葉があると、パートナー子供を心から愛している気配を見つけられると、私は安心できました。

他人の心の傷を全て想像出来るわけではありません。自分の心の傷に触れられることがあれば、動揺してひどい言葉を投げかけることもありました。ブロックされることもありました。しかしそれは、多くの人がそうなのです。ぶつかり合うことも距離を置くことも恐れてはいけません。本当に知りたいと思うなら、何度でも内省し正しい目で観察すべきなのです。

彼や彼女達が教えてくれた人生エピソードを、私はそのまま作品に描く気にはなれません。自分自身人生すらも。

作品には力があります祈りにも呪いにもなり得ます他人自分幸せにさせられるし、同時に破滅させられます。それほど重く、他人が口出ししてはいけない価値観が誰しもにあるのです。

一度発表したもの簡単に無かったことになりません。丁寧に積み重ねた善意よりも、悪意の一撃の方が取り返しがつかないこともあるのです。

それから私は、世間からちょっとずれた自分感性を、注意深く噛み砕いて、善か悪かも断定しないように、フィクションに載せて描き続けました。自分が好きな作品がどうして好きなのか、どう世間と噛み合わないのか、深く深く悩み、考えました。それを読んだ人達の中に、共感して会いに来てくれた人が何人も居ました。ゆっくり時間をかけてですが、心から対話をすることが出来ました。

世間からちょっとずれた人々にも悲しみがあります。楽しみがあります。それを見下して、ただの自虐的な見世物にして終わってはいけません。

良き人生として昇華すべきなのです。自分自身のために。

漫画を描いている人々、漫画マネジメントする人々、今まさに伸び悩んでいる方に、今一度向き合って頂きたいのです。

「本当に長く愛される作品」というものは何か。

説教ではありません。私自身がまさに悩んでいたから、これからも悩み続けるだろうからこそ、一緒に考えてほしいという願いです。

ただ楽しいから、ただ涙が止まらいから書くというだけでも充分良いのです。書き上げてから、少しだけ手を止めて、考えてほしいのです。一時の利益のために道を見失わないために。


ここまで読んで頂き、ありがとうございました。

ハンドルネームペンネームも、いくらでも変えられる世界です。それは責任放棄することと一緒ではありません。

今回は匿名での投稿ですが、私は私の思ったことをできるかぎり真摯に見つめ、影響を考え、投稿に至りました。それが少しでも伝われば幸いです。

私の活動がいつか誰かの人生と交わることもあるでしょう。

その時には、互いに今より優しくなれていると良いなあと、願っております



追記

これを書いている間に、『COMIC維新りあら』公式ツイッターからお詫び文が出ました。

配信停止までやる必要はなかったかと思いましたが、仕方のない判断かもしれません。

また一冊の本が燃やされたと感じました。

2018-12-13

色んな問題結論一冊の本にまとめて欲しい

今盛り上がってる「圧倒的努力は報われる」というテーマ

「大抵鬱になる」「人に向けていう言葉ではない」

という結論が早々に出てるわけだが、こういう各種議題とその結論を大量にまとめた本を読みたい。

まとめwikiとかでも良い。

はやくしてカズト。

2018-11-21

集中力を取り戻したい

年齢が30代半ばになって、集中力劣化を痛烈に感じている。

読書全然進まない。中身が全く頭に入ってこない。

一冊の本を読むのに2週間ぐらいかかったりする。

原因はなんだろう?

仕事のこととか、食事管理のこととか、翌日以降の仕事のこととか考えると、思考あっちこっち行っちゃうんだよねぇ。

やっぱり年齢も関係あるんだろうな。

スマートドラッグかいものに手を出す人の気持ちちょっとわかるよ…

なんか改善案ないっすかね。

2018-06-16

お前ら経済学経済学いうけど

経済学クイズ

から8年後、2026年に250周年を記念する一冊の本があります

経済学において偉大な功績を残したこの本の名前は何でしょうか!

答えは自分で調べてみてね!

2018-04-15

anond:20180415013316

伝記を考えてみると、人の10から70年の記録を一冊の本にまとめてあったりする。

人の数十年分の経験一冊の本にすることは、普通に考えると不可能な訳だけど、

何が行われているのかと言うと、情報圧縮なんだね。

不要な部分を削り、必要な部分も簡潔に示す。

それにより、実体験ではないものの、たくさんの経験を疑似的に得ることができる。

数学も、情報圧縮により、数千年の英知の結晶教科書になってるけれど、

ぶっちゃけ結晶部分をゴロンと丸のまま出されてる感じで、あれは使い道が分からんことが多いね

2018-04-01

商業じゃねえんだよ、趣味なんだよ。

同人活動、というものをやっている。

といえでも毎月イベントに出るわけじゃなく、

不定期に支部更新して、年に一回イベントに参加する島中文字書きサークルだ。毎月イベントに出るほど本作る体力ないし。


同人で本作ってる」と言うと、必ず「赤字にならない?」と金について聞いてくる輩がいる。必ずだ。「あ、◯◯◯円の赤字だね」と計算してくる輩もいる。

「そりゃまあ赤字になるよ。少数部数でページ数だけはやたら多いし」と穏やかに返しているが、

心中では「うるせえ!!!!!金のために本作ってるわけないだろ!!!!!!!!!!黙れ!!!!!!」と荒れ狂っているのである


好きな推しのやりとりとか、こんな会話とか場面とか、当方考察人間なので脳から溢れ出しそうな想いとか考えとかあるんだ。

ありすぎて早口になってしまいそうな熱を紙に、インクに込めて、一冊の本をだしているんだよ。

自分頑張った料として値段設定しているわけで、儲けるために同人やっているわけじゃねえんだよ。好きでやっている。趣味なんだよこれは。

2018-03-02

需要とか考え始めたら負け

1年前に初めて描いた同人誌の絵や話はめちゃくちゃで。でもたくさん感想をもらえた。凄く嬉しかった。本を出してよかったと思ったし勇気を出してサークル参加してみてよかったと、本当に思った。

それから今日までの約一年間割と早いペースでサークル参加をし、本を出してきた。

が、2ヶ月ほど前に出した本の感想ゼロ件。

その前に出した本には自信がなかった。自分の中で解釈がまとまらず、でも時間がなかったから描くしかなかった。感想なんてもらえると思えなかったし落ち込んでいたかウェブ拍手QRコードは巻末に載せなかった。

それでも相互フォロワーさんが感想をくれて少し救われた。

その後、ちゃんと考えをまとめてしっかり練って描かなければいけないと思ってわたし一冊の本をかきあげた。内容に自信はあった。話のながれも面白いと思った。

ウェブ拍手QRコードもしっかり載せて発行した。感想はいくら待っても来なかった。相互フォロワーさんからも来なかった。

仕方ないと思う他なくて、次のイベントのためにまた作品自分解釈と向き合う。

同人活動なんだから無理なんてしなくていいとわかっているけど、自分の好きなCPサークルが、本が、一冊でも多く世の中に出れば嬉しいという一心漫画イラストを描いている。

でもやっぱりマイナスなことでも全然構わないか感想が欲しい。反応が欲しい。

2018-01-21

自分の性能を高いレベルで維持するために必要もの10か条

1. 深い呼吸。5秒吸って5秒吐く。あとときどき肺がいっぱいになるまで思い切り吸気するのが良い。ストレートネック改善する。

2. 良い姿勢。ただし無理やり正しても駄目。立っているときは踵のやや内側に、座っているときは坐骨全体に体重がかかるよう意識すると自然と背筋が整う。

3. 軽い体操身体の可動域をきちんと使い切るのが大事肩こりには腕立て伏せ。あとこれは体操ではなくヨガだけれどViparita Karaniが効く(精神状態改善したり睡眠時間が減ったり)。

4. 瞑想。呼吸しながら鼻と唇の間の皮膚に意識を集中する。わたし経験としては時間が気になってしまうことが多い(あるいはそれを言い訳にして瞑想を中断してしまうことが多い)ので、タイマーをセットしておくのが良い。20分は続けること。

5. 日光浴。

6. 多すぎない食事タンパク質は多めに摂ること。寝る前3時間は何も食べない。

7. 身体フィットする衣服。これが案外大事で、合わない服を着ていると姿勢が崩れる。

8. 繰り返し読むことに耐える一冊の本

9. 温浴。最低15分は湯に浸かるのが良い。身体が縮こまっているよう感じられるときは交代浴がかなり効く。

10. 音読。必ずしも文章を読む必要はなく、その日起ったことを声に出して振り返ったり、頭のなかに浮かんだイメージを片っ端から描写していくとかでも良い。要は「自分が語るのを聞く」のが大事

2017-12-11

似非科学に関して青春時代の思い出を交えた個人的考察

 似非科学というのはいつの時代もなくならないものだ。パッと思いつく例だけでも、血液型性格診断ゲーム脳環境ホルモン水素水マイナスイオン、等々、枚挙に暇がない。多くはマスコミによって支持され、テレビ番組特集が組まれ、その科学的根拠あいまいにも拘らず世間に流布されて浸透する。テレビ番組などはあたかもその説を「検証」しているかのような映像を作り、怪しい肩書専門家コメントを添える。視聴者の多くはなんとなく「科学的に証明されている説なんだ」と信じ込み、疑問を持つことなく受け入れてしまう。一億総白痴化社会の完成である最近ネット上で多くの意見を比べて読むことができるので、情報収集能力の高い人たちはそこまで騙されやすくないとは思うが、未だテレビ新聞が主な情報源である人たちにとっては、上述の似非科学が今でも信じていることが多い。特に血液型性格診断などは、宗教のように信じ込んでしまっている人も相当数いるだろう。

 私も子供の頃はこれらの似非化学に騙されやす人間だった。最近ほとんど見ないが、昔はテレビが娯楽の中心だったこともあり、夕食時などはよく見ていたものである特に捏造問題で打ち切られた「発掘あるある大事典」などは、親が好きだったこともあって毎週見ていた。その中で血液型性格診断特集を何度か行っていたことは、今でも何となく覚えている。番組の中で「数名の幼稚園児を血液型別に分類してその行動を観察する」という検証が行われており、ものの見事にその血液型の特徴が行動として現れていた。見ていた私は「やっぱり血液型性格には関係があるんだなー」とぼんやりと納得していたが、今になって思い返してみれば数名の幼稚園児の行動で結論を出すのは早急すぎるし、番組が「○型かつ××な性格」の幼稚園児を数名集めることな造作もないことだし、そもそも集められた幼稚園児の血液型が本当に表示通りだと証明する根拠は何も無い。極めつけはあの「あるある」である。そういえば「あるある」マイナスイオン特集も何度かやっていた記憶がある。まあ、放送内容の真偽を検証するのは今となっては不可能に近いことだからやめておくにしても、心理学会において血液型性格判断の真偽は何度も検証されており、いずれも関連性を肯定するものがないことから、かの理論が出鱈目であることは疑いようがないだろう。

 しかし、科学価値は小指の爪の垢ほどもない血液型性格診断であるが、この似非化学が私に教えてくれたことが二つある。それは「人間客観的事実よりも自分が信じたいものを信じる」ということと「何かを信じ込んでいる人間を説得しようという試みは大抵徒労に終わる」ということだ。付け足すなら、当時私はまだ純粋ティーンエイジャーだったので、「大人は平気でうそをつく」ということも学んだと言えよう。

 私が初めて血液型性格診断反証する意見に触れたのは、中学二年生のことだったと記憶している。当時別段読書が好きでもない(むしろ嫌い)だった私が、たまたま休み時間図書館に立ち寄り、ふと目に留まった一冊の本を手に取ったのがきっかけだった。それは村上宣寛という方の著書『「心理テスト」はウソでした。受けたみんなが馬鹿を見た』(2005、日経ビジネス)という本である。新作であったこの本は本棚の上に表紙が見えるように立てられており、そのセンセーショナルタイトルに興味を惹かれたのを覚えている。

 10年以上前に読んだものであるためにうろ覚えな部分もあるが、本の内容は大きく2つに分かれていた。前半が血液型性格診断への反論、後半はまた別の心理テストへの反論が主であった(後半の内容は忘れた)。本文の中で、今日血液型性格診断の源流である能見正比古氏の著書をけちょんけちょんに貶し、また血液型性格診断のような「占い」を人に信じ込ませるための心理テクニックであるバーナム効果」についても詳しく説明があったと記憶している。

 当然、本の内容は著者の考えであり、本の内容が絶対的事実であるとは(今となっては)思わない。しかしこの本の内容は、血液型性格診断科学的根拠のある学説だと何となく思い込んでいた私にとっては、とても衝撃的な物であった。血液型性格診断のものというより、これまで固定観念的に信じ込んでいた常識が、脆くも崩れ去った瞬間で、まさしく目から鱗であった。活字嫌いな私が、数日図書館に通って本を読んだのは、(マンガ喫茶を除けば)後にも先にもこの時だけであろう。「借りて読めよ」と言われるかもしれないが、当時の学校図書館ルールで、新作は借りれなかったのである

 新しい知識を得たら人に言いふらしたくなるのが能のないアホウドリの常である。当時は全盛期こそ過ぎたものの、血液型性格診断世間一般根付いており、それを否定する論調は(少なくとも大手メディアでは)ほとんど存在していなかった。要するに「他の誰も知らないことを自分けが知っている」ような状況だったのだ。腕のケガだと偽って毎日手に包帯を巻いて通学していたリアル中二病の私にとって、これほどドヤれる材料は無い。とは言え、何の脈絡もなく血液型性格診断の話をするのも変である。友人との会話の中で血液型の話が出てくるのを待ち、出てきた瞬間にこれでもかと否定する。それによって「頭が良い奴」と思われて皆からちやほやされる。正に完璧計画だった。

 ところが、実際に反論してみたところ、いずれもあまり芳しくない結果に終わってしまった。どや顔血液型性格診断否定しても、「でも何となく合ってる気がするし…」と、決まって歯切れの悪い反応しか返って来ないのである挙句教師からも「屁理屈ばっかりこねるな」と言われる始末。今となってはどちらが屁理屈なんだと思わざるを得ないが、確かに思い返してみれば、血液型の話でわいわい盛り上がっている時に、キモいデブどや顔否定して来たら、場が白けてしまうのは明白だろう。要するに私の敗因は、イケメンではなかったこである

 冗談はさておくにしても、それ以降、私は血液型性格診断の話が出てきた時、余程仲の良い間柄でなければ、ニコニコして受け流すようにした。まさに2017年現在でも血液型性格診断肯定論者の方が言うところの、「否定する奴はモテない」という説を支持する対応であった。情けないとは思うが、当時ただでさえ友達が少なく、これ以上周りから孤立するようなことは避けたかった私を責めることなど出来るだろうか。ちなみに今は目上の人でなければそれとなく否定している。相変わらずチキンであった。まあ、事実事実として、TPOに合った会話合わせというのは必要だと思っている。

 そこで私が学んだことが、先の「人間客観的事実よりも自分が信じたいものを信じる」「何かを信じ込んでいる人間を説得しようという試みは大抵徒労に終わる」の二つだ。血液型性格診断を信じている人に、上述の心理学会の話や、バーナム効果の話をしても、決まって返ってくる言葉は「でも何となく当たってる気がする」「私の周りでは当たっている」と言ったものだ。査読のある学術誌に投稿された数千人規模の調査結果よりも、自分の身の周りの数名の事例を優先するのである。当然その事例には得てして強い確証バイアスが掛かっているのだが、本人はそれに気付くことができない。「客観的事実よりも自分が信じたいことを信じる」典型である

 これは、似非化学に限らず社会の中のあらゆる現象に対して言えることである。例えば昨今、「若者の○○離れ」という言葉をよく耳にする。○○の中には、テレビ新聞、車、バイク、酒、読書など、ありとあらゆるものが入り得る。そして、その原因は大抵若者帰着させることが多い。「最近の若者は人との関係希薄から酒を飲みながらのコミュニケーションをしないのだ」とか、「世間政治に対して無関心だからテレビ新聞を見ないのだ」とか、とりあえず若者悪者にするような結論が多いが、決して「社会の変化によってニーズも変容し、製品価値相対的に下がった、すなわち製品自体時代の変化に追いつけなくなったのだ」といったような、自らに責任帰着させることは決して言わない。やはり自分が信じたいことしか信じていないのである

 また、血液型性格診断を信じている人の共通点として、否定しようとすればするほど攻撃的になって反論するというものがある。先の中学生の時の教師がその典型例だろう。理論的な反論が出来なくなると「屁理屈をこねるな」と論点をずらして逃げるのである。「否定する奴はモテない」というのも同様で、血液型性格診断の真偽について反論しているのに、「モテるモテない」の話にすり替えさら相手を「お前は場の空気の読めないモテない人間だ」と罵倒しているのである。そうなってしまうと、もはや冷静な会話は成り立たない。こちらがいくら事実を述べても、返って来るのは罵倒だけであり、最終的に相手が逃げてしまうのである。そこに残るのは無駄時間の浪費と徒労感だけで、何ら生産性のない労力を費やされることになる。

 こちらもやはり社会全般で言えることだ。例えば「若者犯罪ゲームアニメによる影響だ」などの持論を展開する人に、「若年層の犯罪率は年々下がり続けており、反対にゲームアニメ市場は伸び続けている。」と反論しても、恐らくその後は謂れなき若者批判罵倒くらいしか返って来ないだろう。論理的反論を受け入れられない人間にとっては、実は事実などどうでも良く、会話を勝ち負けを決める手段としてしか考えていない。そして自分が負けるのが嫌だから最後子供のような罵倒に終始し、逃げてしまうのである。こういった手合いは、「自分の非を素直に認められない」ことも共通点と言えるだろう。人間であれば誰しも少なから負けず嫌いな側面は持っているが、この手の人間特にその傾向が強い(と何の統計的データもなく私の主観でそう思っている)。

 似非科学のような嘘を信じ込んでいる人は、宗教信者に近い。もちろん宗教否定している訳ではない。宗教というものは、「事実か否かを証明する術がない」にもかかわらず、「否定は許されない」というのが特徴である。これ自体別に悪いことではなく、「鰯の頭も信心から」と言うように、それを信じることによって本人の精神的支えとなるのであれば、それで良いと個人的には思っている。客観的証明できなかったとしても、個人の中で信じていれば問題はないのである。ただし行き過ぎると他者に対する不寛容に繋がり、戦争弾圧に容易に発展してしまうため、注意は必要である仏陀キリストと「顔を描いてはいけないあの人」の誰が一番偉いかというような論争は、決して行ってはならないのである(仏陀キリストが同じアパートの一室で生活しているマンガはあるが)。

 「宗教」と「似非科学」の明確な違いは、前者は「事実かどうかわからない(事実であることに重きを置いていない)」のに対し、後者はそれが「明確な嘘」だということである。明確な嘘を流布すれば、社会に対して損害が生まれる。血液型性格診断であれば、近年問題になっている「ブラハラ」なる差別を生じる。ゲーム脳であれば、本来何も悪くないゲーム会社風評被害を受ける。水素水であれば、医学的根拠のないただの水を健康に良いと信じ込んで高額な値段で買わされる消費者が現れる。そして、損をする人の裏側では、他者を騙して得をする悪人存在しているのである。大抵は嘘っぱちの本を書いた奴とその取り巻きだ。

 だからこそ似非化学は撲滅しなければならないし、似非化学の考案者やそれを流布するメディア批判されなければならない。日本表現の自由保障されているから何を言おうと自由であるが、それはあくま公序良俗に反しないことが前提であり、嘘によって不正利益を得るのは詐欺である表現に対して批判を行う自由もあるのだから客観的に見て明らかに事実と異なる論説に対しては、毅然とした態度で批判すべきである

 そして、一般消費者である我々は、常にその情報事実であるか否かを見極める努力が求められる。媒体を問わずメディアは平気で嘘をつく。他人に言われたままのことを信じる人間は、その情報が誤りであった場合他人責任を求めがちである。何が正しいか自分判断し、自分責任において選択する力こそが、情報化社会を生き抜くために必要スキルと言えるのではないだろうか。

 似非科学流行は、社会におけるメディアリテラシー成熟度合いの指標と言えるかもしれない。

2017-07-28

ちょっと思い出した

お亡くなりになった元自衛官今井雅之さん脚本のthe Winds of Godっていう舞台高校演劇教室であって見たのだけど(演じていたのがどこの劇団なのか調べてなかったし、数年後同じ舞台を見た時に内容がちょっと変わっていた)、

結構うちの高校の人たち感動してて(他の学校高校生に聞いたらそうでもなかったって言ってた)、

自分もめちゃくちゃ感動(複雑な感情を呼び起こされた)して、

いやー良かった、って一番お世話になってた世界史先生に軽く言ったんだけど、

ちょっと微妙な顔しててあれあれって思ったのよ。

その後だったと思うんだけど、経緯はよくわからないのだけど、小林よしのり戦争論が教室内で流行って、勧められたんだけど、

自分はどんなもんかと思ってちょっと読んでぎょっとした。

最初の数ページ読んでこれはやめた方がいいって思ってすぐ閉じた。

世界史先生微妙な顔をしていたのはどういう理由からなんだろうとも思った。

その後大学歴史学を学ぶことになったのだけど、

お国のためにって言う人(学生)なんかとも出会ったりして、

うーん、教師政治的中立性とか言わないで、最初から自分にはバイアスがあるって表明した状態で、授業した方がいいんじゃないかと思った。

あと、戦争の話をマンガで知るのはストレートに入ってきすぎるし、疑問を差し挟む暇がないし、インパクト強すぎると個人的には思っているが。

無意識な部分に入り込むし。

少なくとも、戦争には色んな局面があるし、一冊の本で十把一絡げにして語るのは難しい。

関係者がいなくなることで語りやすくなる部分もあるのかもしれないけど、

関係者がいなくなる前に語るべきことはたくさんあるとも思う。

高校までの歴史学って倫理学が絡む部分があって、大学でやる歴史学とは全然違うよ、とは言っとく。

過去の教訓とかそういうのを歴史学でやるは高校までな感じ。あれは歴史研究ではないと思う。研究動機にはなり得るが。

日本高校までの歴史教育は長らく国内国民被害に終始していたし、市民視点(主に被害)が大きかったと思う。

海外被害日本軍の話(攻め受け)はあまりやんなかった。

あくま市民の悲しみ悲惨さがメイン。

そのことが日本人のいい人感を生み出すという功を奏した部分があったという印象を受ける。

なので、近現代史拡充が日本の人の精神性をどう変えるかちょっと気になっている。

人口減少と国家存在希薄化はどういう形で起こるかとか。

頻繁に海外を行き来する国家という単位についての感覚は違うなって。

でもネットでよくわからない情報を元に勝手思考形成されるよりはいいかなと。

現実的には、恨みを継承させてもしょうがないし、どこかで許し合うポイント必要だとは思うけどね。

個人的考えだし、感情論に基づく。

2017-07-27

https://anond.hatelabo.jp/20170727093244

帯も含めて一冊の本なんだよ

いらないって思う人は栞として使えばいいんじゃない

2017-07-17

http://b.hatena.ne.jp/entry/341933330/comment/euphist

「何かにのめりこんで熱くなれた経験」がサッカー応援って、ヤバいくらいつまらない人生だな。

何か新規性の高いモノを作り上げる経験でもなく、意見を戦わせることでもなく、人前で話してウケまくることでもなく、誰かを愛することでもなく、物事見方徹夜で読みふけった一冊の本にひっくり返されることでもなく。

サッカー興行を観に行って騒ぐことが「何かにのめりこんで熱くなれた経験」なのか?

まあ達成感に満たされるにも努力能力必要で、そういう領域に達していない人がいるのも現実だよね。

そう思えば、サッカー興行って高揚感のナマポ、再分配として必要とされてるってことかな。

それはそれでかわいそうな人だ。

……どこまでいっても、サッカー観戦でしか高揚感を得られないなら、そんな興行必要としない人よりもちょっと劣るのだけれど

(とワザワザ言うのはサッカーファン自身がなんだか得意気に、優越感を振りまきながらサッカーファンアピールしているのを目にすることが多いかである

2017-07-09

家庭用ゲームはいい思い出、ソシャゲは後悔の念だけ。なぜなのか。

家庭用ゲーを遊んでいた時間は、思い返した時にいい思い出になっている。

ソシャゲを遊んでいた時間は、思い返した時に後悔しか発生しない。

なんでなのか考えてみたんだけど、ほとんどのソシャゲって結局

飽きるかウンザリして辞めるか以外に「終わり」がないんだよね。

仮に始めた当初どんなに面白いと感じたとしても。

買い切りゲーは結局一冊の本みたいなものなんで、自分なりの名作を

クリアまでやり終えると、そこで綺麗な一つの区切りがつき、いい思い出になる。

この差はとてつもなくデカいよ。

2017-07-07

https://anond.hatelabo.jp/20170707222357

ジェンダーだけでは何の意見表明にもならない。お前が言いたいのはジェンダーフリーのことだろ?俺は、お前が的外れ表現してるのを見逃してやってんだよ。一冊の本でも読んでたらそんな的外れな言い方にならない。俺の専攻は社会学で、ジェンダーに関する本も数冊読んでる。学部レベル専門ではないから詳しいとは言えないが、簡単議論くらいはできる。嘘だと思うなら、お前のお得意のジェンダー論をいい加減披露してみろ。言葉区別もできないやつの意見期待できないけどな。

2017-06-07

あんたは正しいよ。検査なんざ信用できないし、刑務所懲役受けるクズはまた犯罪を犯す率も高い。

http://anond.hatelabo.jp/20170606174324

『服役囚の4人に1人が知的障害者』という現実からして「精神障害知的障害者を束縛させず普通暮らしを!地域で支えよう!」なんて機運の強い地域も危ない。

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秘書給与の詐取で実刑判決を受けた元衆議院議員山本譲司氏は、知的障害を持つ服役囚の介護が服役中の仕事だった。国会議員から一気に受刑者へと転落した時点で、ある程度の覚悟はできていたとは言え、そこには「服役囚の4人に1人が知的障害者」という驚くべき現実山本氏を待っていた。

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約1年半の刑期を終え出所してきた山本氏は、福祉仕事に携わりながら、知的障害者犯罪実態を調べ始めた。そしてそれを一冊の本にまとめたものが、近著「累犯障害者」だった。その中で山本氏は、実社会では生きるすべを持たない知的障害者たちが、繰り返し犯罪を犯しては刑務所に戻ってくる様を克明に描いている。

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犯罪といってもほとんどが「しょんべん刑」と呼ばれる万引き、無銭飲食自転車盗難などだ。そしてそうした犯罪を犯して繰り返し刑務所に戻ってくる障害者たちの多くが、刑務所事実上「終の棲家」としてしまっているのが実態だという。

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おおよそどこの国にも人口の2~3%程度は知的障害者存在するとされる。日本場合その数は300万人程度と推察されるが、その中で障害者認定された際に渡される療育手帳を取得し、公的福祉サービスを受けている人の数は46万人に過ぎない。残る障害者の多くが、福祉の網から漏れたまま、刑務所社会の間を行き来する生活を送っているということになる。

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現実的には、知的障害者の多くにとって公的福祉サービス存在しないに等しいという。厚生養護施設は3ヶ月程度しか障害者を受け入れてくれない。身寄りのない障害者は3ヶ月後には道に放り出される。そして、その多くが、ホームレスのような生活をする中で「しょんべん」犯罪を犯し服役してくる。その後は、同じことの繰り返しとなる。

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特に近年の高齢化によって、身寄りの無い障害者の数が増えていることも、この問題を更に深刻化させている。山本氏はこうした問題の背後には福祉法務行政の両方の問題があると指摘する。現在日本では、一見健常者と見分けがつかない知的障害者に対する福祉が明らかに不十分であると同時に、知的障害者犯罪を犯すと、自らを弁護する能力を持たないため、警察検察に言われるがままに供述調書に署名するケースがほとんどだという。結果的他愛も無い小さな犯罪でも立件され、刑務所送りになる。そして、それが累犯の温床となる。そんな悪循環だ。

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しかし、それにしても本来福祉が担うべき知的障害者保護を、法務行政が、しか刑務所という場で担っていて本当によいのだろうか。そもそも知的障害者刑務所に入る以外に生きるすべがないような社会が正しい社会と言えるのだろうか。このような障害者が生き難い社会というのは、実は健常者も生き難い社会ということなのではないのか。出所以来福祉活動に奔走している山本氏とともに、「服役囚の4分の1が知的障害者」が意味するものを考えた。

以上は http://www.videonews.com/marugeki-talk/296/

医療機関スタッフ累犯障害者10人に聞き取りをしたところ、よく出てきた言葉は、「刑務所に戻りたかった」。では彼らから見て、刑務所はどんなところか。6つの機能役割にまとめられるとのことでした。

セーフティネットとしての刑務所

→3食付き、屋根がある、路頭に迷わない

リセット機能としての刑務所

→塀の外での生活がうまくいかないと、捕まって刑務所からやり直せる

懲役者どうしの安堵感

→思いを共有できる仲間がいる、という安心感

自己治癒としての刑務所

刑務所にいた方が健康

⑤ 「指示に従っていれば大丈夫」という安心感

刑務所の外では、自分で考えて生きていかなくてはいけない

資格取得のための刑務所

時間に余裕があり、資格取得や読書に割く時間たっぷりある

医療機関主催講演会資料より

2017-04-06

http://anond.hatelabo.jp/20170403022649

まるで俺が書いたのかと思ったが、帰宅部だし、高校も推薦じゃなくて一般で入ったから違ってた。

俺も4月から高3になる者だが、おんなじ悩みだよ。大学進学に向けて勉強しようと思って高校入ったけど、最初テストで毛躓いてレベルの低いクラスに入れられたことから駄目になったね。

努力できないのは周りの環境のせいもあると思うよ。環境っていうか尻叩かれないと走り出せないタイプ

今は電子工作に興味があるんだけど、なかなか一冊の本が読み終わらないのよな。しか文系クラスに入ったもんだから理系学部には進めないのはほぼ確定。

親は専門学校に行くぐらいなら働けっていうしさ...。多分来年の春には家から追い出されてるだろうな。

勝手自分語りしてすまんかった。まぁ言いたいことは、努力っていうより目標がほしいんだよな。

図書館行ってみるといいよ。モニターに向かってたって興味は湧いてくることなんてないしさ。今まで読んだことない本とか雑誌とか読んでみるといいね

2017-03-16

恋人の事を思うと何故こんなに苦しいのだろう

彼は一度だって私に「会いたい」と言ってきたことはない。

いつも、いつもいつもいつも、私の方から「会いたい」と言って、

だいたいいつも仕事が忙しい彼が、数ヶ月に1日程度予定を空けてくれて、

私と会ってくれる、そんな交際だった。

お互い30代後半なので、私は彼と結婚したいと思っていた。

でも、相手絶対私なんかとは結婚したいとは思っていないだろうと思っていた。

しかし、この前、なんとなく私の方から「一緒に暮らすなら〜」みたいな話をしたら、

相手も同じような事を思っていたらしく、

結婚に前向きな話をするようになった。

でも、実は我々は未だ一度も性的行為をしたことが無い。

その「結婚」の話が出た夜、

私はなんとか強引にでも肉体関係を結ぼうとしたが、

強烈に相手に拒まれ未遂に終わった。

その日から数週間、彼氏ものすごく冷たくなった。

二度とそういう強引な事をしないって約束してくれない限り、私とはもう会う気が無いと言ってきた。

なんということなんだろう。

結婚の話をしておきながら、何故性行為をしない約束をしなければならないのか。

彼氏との連絡が途絶えた後、

私はセックスレスについて精神医学的な立場から書かれた一冊の本を読んだ。

其処には想像できないような様々な事情で、

性的行為ができない(したくない、怖い、できない)カップル実例が書かれていた。

セックスレスについて治療を受けるカップルはごくわずかで、

さら診療に来た多くのカップルは、治療過程離婚してしまうと書かれていた。

このままでは、もし私が彼と結婚できたとしても、

セックスしたい私と、セックスしたくない彼とで、

やっていける可能性は低い。

でもその本で取り上げたカップルの中には、

奥さんの方からセックスがなくてもいいから、旦那さんと一緒にいたい」

という選択肢を選んだ夫婦もいたそうだ。

この一文を読んだ時、私は号泣した。

セックス好きな人と、果たしてどちらが大事だろうか。

人間なんだから男と女なんだからセックスも含めての男女関係なのではと思ってきた。

でも、一度もセックスしていなくても、

私は彼のことが大好きだ。

彼の事を好きという思いだけで付き合っていた頃は、

楽しい思い出がたくさんあった。

私が「なんとかして彼とセックスしないと」と思い始めてから

どんどん険悪な雰囲気になっていったような気がする。

iPhoneアルバムには、

健全デートをし、健全にご飯を食べる、

楽しそうな彼の写真がたくさん入っている。

私たちには、今まで一度も、男と女関係だったことは無い。

ただただ、友達家族のように、

楽しそうにしている記録だけが手元にある。

でも、その裏でずっと、私はずっとずっと、

彼と男と女関係になりたいと思っていたんだ。

そう思うと、そういういやらしくて不潔な事を相手にずっと抱いていた、

自分が恥ずかしくて醜くて最悪な人間のように思えてくる。

自分が、残虐な強姦魔のような人間に思えてくる。

私は相手の性を尊重できず、

相手の性を雑に扱い、

相手を傷つけた人間として、この世に存在している。

でも、ただ、ただ、ただ、

普通に好きな人と抱き合ったり繋がったりしたかっただけなのに。

相手を激しく傷つけてしまって、

そうして、

大事人間関係が終わってしまおうとしている。

果たして彼は、私にだけ性的欲求を抱かないのか、

それとも他の女性に対してもそうなのか、

何かトラウマがあるのか、

したくないのか、したくてもできないのか、嫌悪感があるのか、恐怖症なのか、

結局何も確認することはできなかった。

怖くて聞けない。

そして、この質問をすることで、

相手が傷ついてしまうのでは無いかと思うと、

耐えられない。

私たちは別れた方が良いはずだ。

でも、好きなのに何故私の方から振らなければならないのだろうとも思う。

相手の方から振ってくれたら楽なのに、

でも相手は何故か振ってはこない。

普通の連絡も無い。

会いたいと言ってくることも無い。

彼は一体私に何を望んでいるのだろう。

しかったデート記憶と記録だけが

私の心を苦しめる。

しかった。一緒にいてものすごく楽しかった。

何故、こんなに苦しまないとならないのだろう。

我々はこの先一体どうしたら良いのだろう。

2016-11-27

東京大学総合図書館書庫をさまよう―中島敦「斗南先生」によせて―

東京大学総合図書館を、平成29年度の一年間閉館する計画が決定されたという。

図書館の開館に合わせ旧図書館改修工事を進めるという段階的な予定が、なぜか、いつのまにか前倒されたらしい。

人々が書き残した文章から過去社会に迫る。そうした人文学を志す私にとって、何よりも思考の源泉となる場所がこの図書館であった。

一年間閉館という自己否定暴挙を取ろうとするのは、畢竟、図書館大学当局内ですら図書館価値が共有されていないからだろう。

議論になるような大きなことを言うのは苦手なので、ここでは私が総合図書館書庫をさまよった話を記したい。

ある日、昼食から総合図書館に戻った私は、三島由紀夫が「灯台のようだ」と表現した階段を4階まで登った。

進まない研究から目を背けようと手に取ったのは、『中島敦全集第一巻(筑摩書房1977年)。

山月記」や「名人伝」といった誰もが知る短編を読むつもりだったが、「斗南先生」という作品が目に入った。

斗南先生とは、中島敦の伯父にあたる無名漢詩中島端のことである

幼少より秀才の誉れ高く、「にもかゝはらず、一生、何らのまとまった仕事もせず、志を得ないで、世を罵り人を罵りながら死んで行つた」。

その遺稿集『斗南存稿』(文求堂書店1932年)を帝大・一高の図書館に寄贈するよう、中島敦は親戚に頼まれる。

気質が似ているとも言われた伯父の晩年の姿を思い出し、躊躇しながらも、遺稿は郵便小包で寄贈することにした、という私記の体をとっている。

一通り読み終えた私は、寄贈されたというその遺稿を確かめに、がたがたのエレベーターで一階に下り書庫に分け入った。

私の歩みに合わせて明りの点く書庫を、請求記号を書きとめた紙をたよりにさまよう。

書庫のなかでもとりわけ人気のない、和装本の並ぶ一角でそれを見つけた。

中島敦が寄贈してから80年余が経つその本は、周りの本とともにわずかに埃っぽく並んでいた。

案に違い、他人が頻繁に開いたような跡も、ましてや書き込みもない。

それと知らねば目立つこともない一冊の本にも、一篇の物語がある。ろくに読めない漢詩に目を通しながら、そんなことを思った。

もし反対運動が実って来年度の閉館が撤回されたとしても、数年もすればあの暗い書庫をさまようことはできなくなる。

本を求めてさまよい、手にとって過去を思うといった行いは、ありふれていながら何と贅沢なものだったのだろうか。

知に触れる日々を、願わくは、私から奪わないで欲しい。

2016-09-07

http://anond.hatelabo.jp/20160903074101

せっかく浮世絵というキーワードが出たので、少し浮世絵見地からコメントを残す。

事実浮世絵美人は一重瞼が圧倒的に多い。

その前に、この文章のなかでいう浮世絵とは、江戸明治期の大衆画、木版画ということで話を進める。

本当は浮世絵定義でそれこそ一冊の本が出来上がってしまいそうなので、たぶんみなが一番あたまに浮かぶ絵として、そういうことにする。

おそらく、浮世絵美人で一番名前が売れたのは、歌麿のものだと思う。

https://data.ukiyo-e.org/tnm/images/C0027082.jpg

他方で、役者絵などは、二重が多い。

https://ja.ukiyo-e.org/image/mfa/sc147410

https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/kunimasa005/kunimasa005_main.jpg

役者歌舞伎ということで自動的男性になるわけで、女性男性という違いが大きいので、これをもってどうとはいえないが、とりあえずそれを覚えておいていただき、次の話に移りたい。

(もう少し言えば、役者絵も理想化して描く場合と、写実的に描く場合と、個性デフォルメを強くして描く場合とがあり、話が違ってくる)

他方で、現代漫画である

男性キャラは、イケメンキャラ糸目である

四乃森蒼紫や流川楓を思い浮かべてほしい。

イケメンキャラというよりは、クール糸目熱血漢、優男=パッチリおめめでふと眉、という図式である

藍染惣右介などわかりやすく、当初の優男の時から、敵役に回りクール性格に変わると目が細くなった。

ここで、仮説を提案したい。

「二重、ぱっちり目は美人を示すアイコンではなく、快活な性格を示すアイコンである

と。

そして、現代においては、快活で明るい女性が求められている(=二重、ぱっちり目)が求められている。

個人的には、セクシー系にはぱっちり目は合わないと思う。

逆に、ぱっちり目でセクシー系も合わないように思う。

そりゃ、セクシー系の壇蜜だってキティちゃんグッズくらい買っててもおかしくないだろうし、ぱっちりおめめの橋本環奈だってアブノーマルハードコアセックスくらいしてかもしれんが、その容姿にふさわしいキャラというものを、われわれは求めている。

再び、浮世絵の話に戻ろう。

その仮説を検証しながら、浮世絵世界での美人の変遷について語ろう。

まず、元号明和時代浮世絵が単色や二色摺りから、多色摺りへ変化したとき絵師鈴木春信である

イニシャルはH.S、ドSでHは鈴木春信と覚えてほしい。

多色刷りという技術的な革新もさることながら、女性像も革新的だった。

一言でいえば、ロリである

江戸時代女性像というのは、それ以前の髪を下したスタイルから、結ったアップスタイルに変化した時代だ。

アップスタイル女性社会進出象徴であり、いなせで粋で大人女性萌えていた。

そんなところに、春信はロリである

服装や髪形だけみれば立派な大人、でも体型はドロリ

教科書的には、はかなげな女性を描いたことになってるらしいが、端的に言えば、ロリハードコア凌辱される絵である

女性糸目である

幼児ポルノは持ってるだけでお縄であるので、持っていないしURLを張り付けることも出来ないが、ハードコアロリ裏ビデオには、おめめパッチリの二重美少女よりも、糸目の薄幸少女がよく似合うと思いませんか!?

春信の絵は、物語性が強く、その絵の場面に至るまでの物語や、続きの物語想像させられる。

そこに、例のエロである

薄幸そうな少女に、極太のデカものがぶち込まれてる絵を一度みてしまうと、エロくない絵をみても

「このあとされちゃうんだろうなぁ」

と思ってしまう。

いくつか、お気に入りの春信の春画アドレスを貼っておく。

スタンダードデカちんにされちゃう

http://okunoin.up.seesaa.net/image/IMG20no.189.jpg

レズプレイであったり

https://data.ukiyo-e.org/mfa/images/sc149258.jpg

春信の時代のものは、春画でも相当お高くて(一般に、春画のほうが安い。芸術自分を騙せば100万でも買えても、エロパロのために何十万もは出す人は少ないんだろう)、春信の浮世絵を買うなら春画おすすめだ。

続いて、鳥居清長。

ロリから反動からか、長身美人を描いた。

https://data.ukiyo-e.org/mfa/images/sc226102.jpg

たぶん8頭身、下手したら9頭身くらいある。

女性を一人だけ描くことはせず、かならず複数女性が絵に並ぶ。

群像劇のような表現を狙ったんだと思う。

自分は、清長が描く美人がけっこう好きだ。

体型も、表情も、健康的な感じがする。

まだこの時代も一重で糸目だね。

続く

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