はてなキーワード: 今井雅之とは
本件の令和6年(行ク)第27号と呼ばれる書面は、その主催者が極めて残酷な集団によってなされ、その集団およびそこに記載されている内容について、暗に多くの者によって
燃やされているのが現実であり、美しくないものは死すべきと言う独善的な考えによって作成されており、一般人はおよそ記載されている内容を信じていないから、検討する価値を見出す余地はない
付言するに一件記録によると、申立人が疎明資料を提出できなかった経緯は次のとおりである。
① 申立人は、2月10日に、新幹線で、宮崎県延岡市に一時帰省し、郵便物を受け取ることができないような状態にした。
② 当裁判所は、2月15日、2月29日までの回答で、3月14日に再度、回答書を送付したが、申立人は、遠隔地にいるため、これらの郵便物は、配達されないか、もしくは
③ 当裁判所は、 3月25日付で、申し立ての却下決定をしたが、申立人は、本件決定がなされた当時、延岡市の自宅におり、3月9日、3月16日に門川市で女性に会うなど
し、3月25日は、同市方財町231の16番地の所在する、令和5年9月27日付で、佐藤まりんに貸していた3万円の取り立てに行っていた日と認められる。すなわち、
申し立て人の3月25日における行動は、その夜間に、まりんの母親に会い、これと話をした後に、懐中電灯で付近の海岸を照らしていただけという事実が存在する。
④ 上記において使用していた懐中電灯は、 申立人がした3月27日にした演説に激怒した、 大貫町5丁目に住んでいる今井雅之が、28日午前2時に、窃取し、
⑤ 申立人は、3月30日に、上記の女性と今一度会った後に、4月4日に電車で東京に帰ることに決定し、4月4日、23時12分に東京駅に到着し、 5日、0時12分に、東京の住所に徒歩で到着した際に、当裁判所が送付した書類一式が郵便受けに入っているのを発見し、中身を確認したと解される。
⑥ 当裁判所が要請を求めた疎明資料の一部は、板橋区蓮根に存在するセブンイレブンから当裁判所に送付されている。今回、当裁判所が特別送達郵便で送付したのは、
2~3年くらいで辞めるんだよな。今井雅之の本で読んだ
お亡くなりになった元自衛官の今井雅之さん脚本のthe Winds of Godっていう舞台が高校の演劇教室であって見たのだけど(演じていたのがどこの劇団なのか調べてなかったし、数年後同じ舞台を見た時に内容がちょっと変わっていた)、
結構うちの高校の人たち感動してて(他の学校の高校生に聞いたらそうでもなかったって言ってた)、
いやー良かった、って一番お世話になってた世界史の先生に軽く言ったんだけど、
その後だったと思うんだけど、経緯はよくわからないのだけど、小林よしのりの戦争論が教室内で流行って、勧められたんだけど、
最初の数ページ読んでこれはやめた方がいいって思ってすぐ閉じた。
世界史の先生が微妙な顔をしていたのはどういう理由からなんだろうとも思った。
うーん、教師に政治的中立性とか言わないで、最初から自分にはバイアスがあるって表明した状態で、授業した方がいいんじゃないかと思った。
あと、戦争の話をマンガで知るのはストレートに入ってきすぎるし、疑問を差し挟む暇がないし、インパクト強すぎると個人的には思っているが。
無意識な部分に入り込むし。
少なくとも、戦争には色んな局面があるし、一冊の本で十把一絡げにして語るのは難しい。
関係者がいなくなることで語りやすくなる部分もあるのかもしれないけど、
関係者がいなくなる前に語るべきことはたくさんあるとも思う。
高校までの歴史学って倫理学が絡む部分があって、大学でやる歴史学とは全然違うよ、とは言っとく。
過去の教訓とかそういうのを歴史学でやるは高校までな感じ。あれは歴史研究ではないと思う。研究の動機にはなり得るが。
日本の高校までの歴史教育は長らく国内国民の被害に終始していたし、市民の視点(主に被害)が大きかったと思う。
そのことが日本人のいい人感を生み出すという功を奏した部分があったという印象を受ける。
なので、近現代史拡充が日本の人の精神性をどう変えるかちょっと気になっている。
頻繁に海外を行き来する国家という単位についての感覚は違うなって。
でもネットでよくわからない情報を元に勝手に思考形成されるよりはいいかなと。
今井雅之のせいで癌が怖くて怖くて仕方ない。1年に1回人間ドック受けた方がいいのかな。まだ30になったばかりだけど。35からは受けましょうみたいなこと書いてあったりするけど。35になったら絶対受ける。でもこの5年どうしたらいいかわからない。胃カメラ検査は最近したけど。大腸はまだ一度もしてない。便の検査は一度したことがあるけど内視鏡はない。痔があって毎日出血してるけど、そういう人に限って痔だろうってことで大腸ガンの発見が遅れるらしいから心配だ。今井雅之は死ぬのかな。嫌いだったけどやっぱり弱ってる人を見るのは悲しい。頑張ってほしい。でも頑張れってのも変だな。うちの死んだ祖父は「頑張れ」って言われるのが嫌いだった。そりゃそうだ。だって頑張ってるんだから。みんな頑張って死ぬんだ。はあ。