2017-07-28

ちょっと思い出した

お亡くなりになった元自衛官今井雅之さん脚本のthe Winds of Godっていう舞台高校演劇教室であって見たのだけど(演じていたのがどこの劇団なのか調べてなかったし、数年後同じ舞台を見た時に内容がちょっと変わっていた)、

結構うちの高校の人たち感動してて(他の学校高校生に聞いたらそうでもなかったって言ってた)、

自分もめちゃくちゃ感動(複雑な感情を呼び起こされた)して、

いやー良かった、って一番お世話になってた世界史先生に軽く言ったんだけど、

ちょっと微妙な顔しててあれあれって思ったのよ。

その後だったと思うんだけど、経緯はよくわからないのだけど、小林よしのり戦争論が教室内で流行って、勧められたんだけど、

自分はどんなもんかと思ってちょっと読んでぎょっとした。

最初の数ページ読んでこれはやめた方がいいって思ってすぐ閉じた。

世界史先生微妙な顔をしていたのはどういう理由からなんだろうとも思った。

その後大学歴史学を学ぶことになったのだけど、

お国のためにって言う人(学生)なんかとも出会ったりして、

うーん、教師政治的中立性とか言わないで、最初から自分にはバイアスがあるって表明した状態で、授業した方がいいんじゃないかと思った。

あと、戦争の話をマンガで知るのはストレートに入ってきすぎるし、疑問を差し挟む暇がないし、インパクト強すぎると個人的には思っているが。

無意識な部分に入り込むし。

少なくとも、戦争には色んな局面があるし、一冊の本で十把一絡げにして語るのは難しい。

関係者がいなくなることで語りやすくなる部分もあるのかもしれないけど、

関係者がいなくなる前に語るべきことはたくさんあるとも思う。

高校までの歴史学って倫理学が絡む部分があって、大学でやる歴史学とは全然違うよ、とは言っとく。

過去の教訓とかそういうのを歴史学でやるは高校までな感じ。あれは歴史研究ではないと思う。研究動機にはなり得るが。

日本高校までの歴史教育は長らく国内国民被害に終始していたし、市民視点(主に被害)が大きかったと思う。

海外被害日本軍の話(攻め受け)はあまりやんなかった。

あくま市民の悲しみ悲惨さがメイン。

そのことが日本人のいい人感を生み出すという功を奏した部分があったという印象を受ける。

なので、近現代史拡充が日本の人の精神性をどう変えるかちょっと気になっている。

人口減少と国家存在希薄化はどういう形で起こるかとか。

頻繁に海外を行き来する国家という単位についての感覚は違うなって。

でもネットでよくわからない情報を元に勝手思考形成されるよりはいいかなと。

現実的には、恨みを継承させてもしょうがないし、どこかで許し合うポイント必要だとは思うけどね。

個人的考えだし、感情論に基づく。

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