はてなキーワード: ももちとは
バンド名は伏せるが、思った事をつづらせて頂く。
そして最近若い子のファンも新たに獲得しているあの有名バンドだ。
増田ですまん。
もしここで
・そんな事を読んだ私とファンと彼らが傷つく
・老甲斐〇ね
という思いを若干でもしたなら今すぐにこのウィンドウを閉じて欲しい。
見ないのも権利だ。
上記のように「彼らはエゴサしまくっているからバレたら傷つく」
・ファンから見ればコロナ禍での動きがなかったのが良いとも思えたが、
他のバンドは音楽を守る為に無料配信したりインスタライブをやったり、
色々していた。彼らは何もしなかった。
いや、影で曲を作っていたのはわかる。
けれどもファンに知るすべはなかった。それが歌を作る彼なりの美学的なものなのかもしれない
自分も一ミリも見なかった。人は変わっていくものだから仕方のないことだ。
・ファンクラブをつくらない主義なのは理解したし、それが好きだった。
だが席代の爆値上げ。仕方ないのかもしれないが、そういう区別・差別をしない人なのだと思っていた。
何故なら「音楽が全ての人に届くように」という意志のもと、近くの席とか遠くの席とか分け隔てなくやってくれていたと思っていたから。
自分の意思を通さないんだなあと、今回の席料の変化で改めて思った。
マスコットキャラクターがいるのだが、そのキャラを玩具にして絵をかいたりモノをつくったりするのはギリセーフとして、
・さらに完全に模造品を作り、ばらまいている。
オリジナルのイラストだったりであれば問題ないとは思うが、それも運営にファン層の遊び心を許されている範囲。
ロゴをそのままコピペしたりしたグッズを友達以外に配布するのは駄目。
ただ、そういう「めんどくさいことはわかんないし自分がたのしいからいい」という人がすごく多い。
・ファンは離れたり、入れ替わったり、新しくついたり、色々いる。
それはどのアーティストでも同じこと。
ファン内の謎のルールがあったり、世間一般から見れば異様だったり、もっと言えば宗教じみていたりする。
蜜六と〇〇交換しませんか?なんて平気で連絡がくる世界。最低。
・一方で80%はまともなファン。問題はのこり20%くらいの人たち。
・心に傷を抱えた人が多く、優しく、繊細で、脆い。
だからこそ、感情的な人が多い。感情的なのは良いが、匿名で人を攻撃する攻撃性の高さは圧巻。
こういう方はこういう事を、ターゲットを探しながら永遠に繰り返すのだろう。
80%はまともなファンだ。
・上記に書いた通り、ファン思いに感じさせているのはすごく上手なのだが
・・・・・・いうのは野暮なのでやめておこう、(と思ったら何か動きをしてたらしい)
(インスタとかやってませんでしたっけ…まああの人達らに向いてないんでしょうね……)
・グッズ。もういうことない。
・いい意味でもわるい意味でも、商業バンドなんだな、という感想を最後に感じた。
何かアプリを出したらしい。内容知らないけど。チラっとなんか見えた気がしたけど。
課金制あるんですかそうですか。
アプリ作るのに金かかるのもアップデートやら申請やら莫大な費用かかるのはわかるよ。
あのキャラは「お母さんが100点をくれた時」に描いてくれた子だったような。
みんながぬいぐるみをぶらさげて歩く光景すら違和感があったのに、
もうそれでいいんだと思った。
・ファンクラブは作らない宣言は何だったんだろう。(ぼんやり)(FCじゃないって言ってる人がいるからいいのか)
・ある一人がやらかしたのだが、ファンもほぼ受け入れているし、
メンバー仲良く(見えるよね、そりゃファンからしたらね)音楽をやっていることに、
この一件で、私はメンバーを受け入れられなくなった。
・彼が神だ、聖人だ、と言われているのはわかる。
じゃああとのメンバーは?と思う。メリットと言えば仲良しバンドだと言えることであろう。
それだけで充分に人気を保てるし、バンド名で安心するだろうし。
それでも非常に感謝している。
勇気も元気も楽しい想いでも素晴らしい友人も離れてもそばにいてくれる友達もいる。
今ももちろんいる。いまの色々な事の糧になっている。
矛盾しているように感じるかもしれないが、本当にありがとう。と思っている。
ファン層はがらりと変わり、昔から風物詩だったグッズ交換会やら何やら色々あったみたいだが、そこはもはやよく知らないので割愛する。
もちろん昔のグッズを身に着けているひともいるが、20代前半くらいの人の姿も目立つ。
楽しそうで羨ましかった。
自分も楽しんでいる中の一人だった。
さいたま新都心駅を降りた時、ピアノの演奏をしている人がいて、
「なんの曲だっけ」と思いつつ素通りしたが、上手だった。
けやき広場は久々だ。
彼らで言えば〇年ぶりか。
コロナ禍もすっかり終わり?なのかアルコールも売っていてあの頃と変わらない新緑の広場。
あの空間でいろんな友達と待ち合わせしてあったりしたなあ、と思い出す。
綺麗な想い出は綺麗なままだ。
今でも仲良くしてくれている子とあったのもあそこだ。
人は変わる。
彼らも変わる。
想いも変わるし、ルールも変わる。
知らないうちにいろいろ変わっている。
この数年間のうちに誰かを亡くしたり、誰かが結婚したり、誰かに子が生まれたり、沢山あっただろう。
アーティスト歴の長い彼らは「普遍性」を求められる一方で「変わらなければいけない」こともたくさんあるだろう。
全て理解した上で、自分はその「普遍性」をとても高潔なものだと感じていたことに気付き、
「普遍性」って良いようで悪いし、悪いようで良いし、一見宗教じみでるし、本人たちも大変だろうし、
大変じゃないように意識しないようにしているのかもしれないし、運営がうまいことやってるんだろうし、
でも、ず-っと、仲良しでやっていかなければいけないのって大変だろうなあと思った。
もう大人だから大丈夫だろうけど、20代の時とか凄かったよね。
まあそんなふうに人は変わっていくものなのだ。それは、忘れないで欲しい。
今でいえば推し活だったのだろう、色々なこと。
今では全くやる気にならない。
ちなみに誰の意見も読んでいないし、これを投稿したところで、コメントを見るも見ないも決めていない。
冷めたことをわざわざ記事にする必要はないのではないかという批判は来るだろうことはわかっている。
だが、そういう風な思いをしたり、或いは他の理由で去っていった人が、
自分の知っている限りで物凄く沢山いる。
そして、その人たちは別のところで音楽を楽しんでいる。
色々思うことはあった。
はっきり言って、マナーは悪かった。
「〇〇しないでください」と言ってることをするのは、小学生でも理解できるだろう。
あとは個人的な意見ではあるが、少なくとも、弦の響きが消える瞬間まで拍手しないか、
ただ、最後に独特のソロフレーズがある曲の一瞬終わりだと思わせる空白の時間に拍手するのは
そういう細かいところを気にするのも良くないんだろうし、自分が間違っている可能性もあるのだが、
でも。せめて曲を大事に聞いて欲しい。曲を大事に聞かせて欲しい。
ああ、いや、違うか。
彼は「自由に楽しんで」と言っていたので、あっているのか。
自分は重要なソロフレーズの直前に拍手されるのは違和感を感じるが、彼らがいいならもういいか。
ライブの詳細は伏せる。
今更ネタバレも何もないが。
彼に最後に言われた。
「また絶対会おうな」
曲にもたくさん言われた。
でもな。
タオルすら持ってなかったのは失敗だった。
凄く好きだった。
xx年間、大好きだった。
〇にたいと思った日に、いつも支えてくれた。
怖い時に隣にいれくれた音楽がたくさんあった。
言われた言葉も暗記している。
こんなに大好きだったのに、彼がしたかったらしい「約束」がもはや
本当に本当に真っすぐ綺麗な純粋なものなのかどうか信じられなくなっていたし、
もうこんな気持ちに変わった自分は来る必要性はないのだと改めて感じた。
好きだった音をまた聞く機会があるのかないのか、と言ったら
現時点ではないと言い切れるが、
大地震がおこるかもしれない。
噴火がおきるかもしれない。
誰かがなくなるかもしれない。
その時にまたあの音が、自分を幸せにしてくれたり、強くしてくれたり、弱くしてくれたり、
自由奔放にさせてくれたり、色々な経験を積ませてくれたり、友達を全国に作らせてくれたりした、
あの優しい音と歌詞が頭の中に聞こえてくるのかもしれない。
もっと言いたいことは沢山ある。
おひとりおひとりと対面で話して、あの時何故。と言いたい人もいる。
あれは何を思って。
彼らの音楽の何を聞いて、何を思って、そうなったんだ?と言いたい人もいる。
さよなら。
ずっと、ありがとう。
【追記】
一応書いておきますが、元増田と私の友人はほぼ確実に別人です。理由は色々ありますが、わかりやすいのは年齢と家族。それと元増田は自分をデブスと表現していますが、友人はデブでもブスでもないし、むしろ一部の男性たちからはウケる容姿で本人もその自覚があると思います。自己評価が高いけど、自己肯定感が低いというかんじ。
(特にネットで)HSPを名乗る人の中には本当に辛くて、やっと吐き出す場所を見つけた人や誠実な人も多いんだろうと思ってます。Hが本当に(定義が曖昧らしいけど)HSPなのかもわからない。これはただ自己診断でそう名乗った人の近くにいた、私1人の感想です。
---
https://anond.hatelabo.jp/20230526043327
自称HSPの友人に頼まれ異性を紹介したけど、紹介した相手を不意打ちブロックされ、紹介相手に謝った側の人間です。
おそらく私の友人は元増田を書いた人ではないと思うけど、似ている所がいくつもあって読んでて本当にイライラした。特定されそうな部分はぼかしながら私も自分の体験談を書いていく。
友人H(自称HSP)は特に診断を受けたわけではなく、ネットで見かけた『繊細さん』の概念に「これだ!」と思ったらしい。今まで生きづらかった理由がわかってほっとした〜みたいなことを言っていたので、まぁ良かったなと思った。Hは確かに傷つきやすい所があって、例えば高校の文化祭の日にいつもと違う髪型をしてきたHに、クラスのギャル(以下G)が「お!気合い入ってんねー!」と声をかけたことがあった。バカにするようなニュアンスじゃなく、いいじゃ〜ん!というノリだったのだけど、Hは顔を真っ赤にしてトイレに行って髪をほどいた。その後数年間、HはGを避け続けた。
Hは単純な言葉の裏を読もうとするので、話す時はいつも気を遣った。何度も「あの言葉はそういう意味じゃない」「あの人もそんなつもりで言ってない」と説明をする必要があった。それでも付き合いを続けていたのは、趣味が合ったし気遣いもできる子だったからだ。
ただし、男性相手に関係をつくるのは本当に苦手みたいだった。Hは異性に興味がないわけじゃなく、合コンに行ったり「あの人かっこいいね」と言うこともある。でもいざ男の人に近づくと、元増田みたいに本当にどうでもいいことで幻滅し、避けるようになってしまう。元カノが嫌いなタイプだった、LINEの返事が遅かった(でも早すぎるのも嫌)、お店を予約してくれなかった、ヒールが高いのに歩かされた、待ち合わせ時間ジャストに現れた…など、思い出せるだけでまだまだある。正直「相手に言えば?」で済むこともたくさんあった。例えばヒールの件は大学時代、私がHに紹介した男の子へのクレーム(?)だったんだけど、確かにそういう方面に気の利く人ではなかった。でももちろん、相手が足が痛いと言えば無理に歩かせる人ではない(ていうかめちゃくちゃ良いヤツだ)。それとなく私から「今後そう言うところも気をつけてあげて」と伝えることもできるよ?と言ったのだけど、うーん…でも…とモジモジされて終了。
その時は相手もそこまでHを気に入っていたわけじゃないのでふわっと終わった。でもその時の感じからして、「Hは自分が何も言わなくても何もかも汲み取ってくれる、王子様みたいな人じゃないと厳しいんだろうな…」と思った。
それから10年近く経過し、周りが結婚しだしてもHは彼氏ができなかった。流石にこのままじゃダメだと思ったらしく、私たち友人に紹介を頼んできた(本当に元増田と同じだ)。
Hが積極的に恋愛に向き合い、その手伝いを頼んできたのは普通に嬉しく、私を含めた数人が紹介を申し出た。大学時代のことを思い出さない訳じゃなかったけど、もういい大人だし大丈夫かな…と思ったのが間違いだった。
私は同僚や男友達に適当な人がいなかったので、夫に相談して未婚の友人を紹介してもらった。最初は私たち夫婦とH、夫の友人男性と4人で食事し連絡先を交換してもらった。夫の友人とHは何度かデートをしたようで、うまくいくかもなと夫と話していたけど、しばらくして夫の友人サイドから「週末にデートの約束をしてるのに、Hと音信不通になった」と連絡がきた。急いでHに連絡すると、「実は最初からタイプじゃなかった。だけどあなたの紹介だから悪いし、何度か会えば好きになれるかと思ったけどやっぱり無理だった。本当にごめん」とのことだったので、まぁ仕方ないか…とは思った。「全然いいよ。でも一言相談してくれたら、もっとやんわりお断りできたかも」と伝えると、次からは相談してくれるようになった。といっても、私が紹介したのは合計2人で、後の人は相手方から丁寧なお断りがあったのだけど。
他の友人もちらほら男性を紹介したらしいけど、中でもダメージが大きかったのはGだ。彼女は日本有数の大企業のバリキャリで、同期で親友とも言える同僚Dを紹介したらしい。私も数回会ったことのある人で、優しい性格で本当に良い人。ただただ良縁に恵まれなかっただけの男性だ。すごくイケメン!ってわけじゃないけど、見た目だって悪くない。はっきり言って婚活市場じゃ引く手数多だと思う。その人に、Hは3回目のデートでドタキャンブロックをかました。Gは同僚に謝り倒し、Hに連絡を入れたけど、HはGをもブロックしていた。私たち友人に対しては絶対そんなことしないので、本当に驚いた。私や私の紹介した人に対しては、まだ誠実な方だったのだ。
当たり前だけどGも私も、紹介したからと言って絶対付き合ってほしいなんて思ってない。でもなるべく彼女を傷つけないようなちゃんとした人を選んでる。こっちにとっては相手も大事な人なんだから、できるだけ誠実な対応して欲しいだなんて、それこそ「言わなくてもわかるよね?」と思っていた。だってHは、人の言葉をいちいち深読みして傷つくくらい繊細で、その繊細さは他人にも思いやりという形で還元されると思っていたからだ。
Gから相談と愚痴の連絡を受け、私はHにLINEを送った(私はブロックされていなかった)。向こうから会いたいと言われたので平日の夜にカフェで会うことにした。
Hの言い分はほぼ元増田と同じで、蛙化という言葉こそ使っていなかったけれど、ようは「自己評価が低すぎて自分に好意を持ってくれる男性はくだらなく、つまらない男に見えてしまうし、少しでも理想と外れたことをされると『やっぱり本気で大事にしてくれないんだ』と嫌になってしまう」ということだった。
「それでもパートナーがほしい、幸せになりたいという気持ちがあって、勇気をだして紹介を頼んだ。友達が太鼓判を押した人なら、安心して付き合えると思ったけどやっぱり無理で、あなたやGちゃんにどう思われるかと思ったら怖くなって相談できなかった」
「それはわかったけど、どうして急に音信不通やドタキャンなんて常識はずれなことするの。私やGはHの友達だけど、紹介相手のことだって同じくらいの大切なんだよ。特にGは、ほとんど親友みたいな人を紹介してくれたでしょ。そういう人を雑に扱ったら、本人もGも傷つくよ」
ここからHが涙ぐんだので、何も言えなくなった。
「でもDさんは、本当に良い人で好きになれるかと思った。ただ節々でGちゃんの話や褒めたりするので、だんだんGちゃんのことが好き(だった?)なのかと思い始めた。もしかしたらGちゃんもそれを知ってて紹介したのだとしたら…なんて思うと耐えられなかった」
いや………………知らんし………………。
ちなみにDさんの褒めの内容は、Gが「仕事ができる」や「分け隔てなく明るいので助かる」みたいな内容で、異性としてどうこうという感じじゃなかった。
Dさんが今までGに好意を持ったことがないとは言い切れないけれど、共通の知り合いであるGの話題が出るのはおかしなことじゃない。あとGにはマジで他意はないと思う。Gは雑だけど明るくてハッピーなギャル(精神)って感じなので、そんな回りくどいマウント?をするとは思えない
Hはずっと自分が悪いと繰り返してたけど、ところどころで「でも私も辛いんだよ?」「HSPってね…(だから理解して?)」みたいなチラチラを挟んできて、けっこうしんどかった。
HSPの人が全員そうじゃないだろうけど、Hの件があってから「繊細って言う割に他人の痛みに鈍感だな」とか「繊細(なので配慮してほしい)って宣言できる強さがあって羨ましい」なんて意地悪なことを思ってしまう。
私は絶縁まではいかないけど、やっぱり前みたいに仲良くはできない。あと紹介はもう一生しない。ちなみにGの同僚のDさんだけど、最近婚約したと聞いて他人ながら安心した。お相手もGの紹介のようで、GとDさんの間に変なわだかまりが生まれなくて本当に良かったと思った。
【追記】
一応書いておきますが、元増田と私の友人はほぼ確実に別人です。理由は色々ありますが、わかりやすいのは年齢と家族。それと元増田は自分をデブスと表現していますが、友人はデブでもブスでもないし、むしろ一部の男性たちからはウケる容姿で本人もその自覚があると思います。自己評価が高いけど、自己肯定感が低いというかんじ。
(特にネットで)HSPを名乗る人の中には本当に辛くて、やっと吐き出す場所を見つけた人や誠実な人も多いんだろうと思ってます。Hが本当に(定義が曖昧らしいけど)HSPなのかもわからない。これはただ自己診断でそう名乗った人の近くにいた、私1人の感想です。
---
https://anond.hatelabo.jp/20230526043327
自称HSPの友人に頼まれ異性を紹介したけど、紹介した相手を不意打ちブロックされ、紹介相手に謝った側の人間です。
おそらく私の友人は元増田を書いた人ではないと思うけど、似ている所がいくつもあって読んでて本当にイライラした。特定されそうな部分はぼかしながら私も自分の体験談を書いていく。
友人H(自称HSP)は特に診断を受けたわけではなく、ネットで見かけた『繊細さん』の概念に「これだ!」と思ったらしい。今まで生きづらかった理由がわかってほっとした〜みたいなことを言っていたので、まぁ良かったなと思った。Hは確かに傷つきやすい所があって、例えば高校の文化祭の日にいつもと違う髪型をしてきたHに、クラスのギャル(以下G)が「お!気合い入ってんねー!」と声をかけたことがあった。バカにするようなニュアンスじゃなく、いいじゃ〜ん!というノリだったのだけど、Hは顔を真っ赤にしてトイレに行って髪をほどいた。その後数年間、HはGを避け続けた。
Hは単純な言葉の裏を読もうとするので、話す時はいつも気を遣った。何度も「あの言葉はそういう意味じゃない」「あの人もそんなつもりで言ってない」と説明をする必要があった。それでも付き合いを続けていたのは、趣味が合ったし気遣いもできる子だったからだ。
ただし、男性相手に関係をつくるのは本当に苦手みたいだった。Hは異性に興味がないわけじゃなく、合コンに行ったり「あの人かっこいいね」と言うこともある。でもいざ男の人に近づくと、元増田みたいに本当にどうでもいいことで幻滅し、避けるようになってしまう。元カノが嫌いなタイプだった、LINEの返事が遅かった(でも早すぎるのも嫌)、お店を予約してくれなかった、ヒールが高いのに歩かされた、待ち合わせ時間ジャストに現れた…など、思い出せるだけでまだまだある。正直「相手に言えば?」で済むこともたくさんあった。例えばヒールの件は大学時代、私がHに紹介した男の子へのクレーム(?)だったんだけど、確かにそういう方面に気の利く人ではなかった。でももちろん、相手が足が痛いと言えば無理に歩かせる人ではない(ていうかめちゃくちゃ良いヤツだ)。それとなく私から「今後そう言うところも気をつけてあげて」と伝えることもできるよ?と言ったのだけど、うーん…でも…とモジモジされて終了。
その時は相手もそこまでHを気に入っていたわけじゃないのでふわっと終わった。でもその時の感じからして、「Hは自分が何も言わなくても何もかも汲み取ってくれる、王子様みたいな人じゃないと厳しいんだろうな…」と思った。
それから10年近く経過し、周りが結婚しだしてもHは彼氏ができなかった。流石にこのままじゃダメだと思ったらしく、私たち友人に紹介を頼んできた(本当に元増田と同じだ)。
Hが積極的に恋愛に向き合い、その手伝いを頼んできたのは普通に嬉しく、私を含めた数人が紹介を申し出た。大学時代のことを思い出さない訳じゃなかったけど、もういい大人だし大丈夫かな…と思ったのが間違いだった。
私は同僚や男友達に適当な人がいなかったので、夫に相談して未婚の友人を紹介してもらった。最初は私たち夫婦とH、夫の友人男性と4人で食事し連絡先を交換してもらった。夫の友人とHは何度かデートをしたようで、うまくいくかもなと夫と話していたけど、しばらくして夫の友人サイドから「週末にデートの約束をしてるのに、Hと音信不通になった」と連絡がきた。急いでHに連絡すると、「実は最初からタイプじゃなかった。だけどあなたの紹介だから悪いし、何度か会えば好きになれるかと思ったけどやっぱり無理だった。本当にごめん」とのことだったので、まぁ仕方ないか…とは思った。「全然いいよ。でも一言相談してくれたら、もっとやんわりお断りできたかも」と伝えると、次からは相談してくれるようになった。といっても、私が紹介したのは合計2人で、後の人は相手方から丁寧なお断りがあったのだけど。
他の友人もちらほら男性を紹介したらしいけど、中でもダメージが大きかったのはGだ。彼女は日本有数の大企業のバリキャリで、同期で親友とも言える同僚Dを紹介したらしい。私も数回会ったことのある人で、優しい性格で本当に良い人。ただただ良縁に恵まれなかっただけの男性だ。すごくイケメン!ってわけじゃないけど、見た目だって悪くない。はっきり言って婚活市場じゃ引く手数多だと思う。その人に、Hは3回目のデートでドタキャンブロックをかました。Gは同僚に謝り倒し、Hに連絡を入れたけど、HはGをもブロックしていた。私たち友人に対しては絶対そんなことしないので、本当に驚いた。私や私の紹介した人に対しては、まだ誠実な方だったのだ。
当たり前だけどGも私も、紹介したからと言って絶対付き合ってほしいなんて思ってない。でもなるべく彼女を傷つけないようなちゃんとした人を選んでる。こっちにとっては相手も大事な人なんだから、できるだけ誠実な対応して欲しいだなんて、それこそ「言わなくてもわかるよね?」と思っていた。だってHは、人の言葉をいちいち深読みして傷つくくらい繊細で、その繊細さは他人にも思いやりという形で還元されると思っていたからだ。
Gから相談と愚痴の連絡を受け、私はHにLINEを送った(私はブロックされていなかった)。向こうから会いたいと言われたので平日の夜にカフェで会うことにした。
Hの言い分はほぼ元増田と同じで、蛙化という言葉こそ使っていなかったけれど、ようは「自己評価が低すぎて自分に好意を持ってくれる男性はくだらなく、つまらない男に見えてしまうし、少しでも理想と外れたことをされると『やっぱり本気で大事にしてくれないんだ』と嫌になってしまう」ということだった。
「それでもパートナーがほしい、幸せになりたいという気持ちがあって、勇気をだして紹介を頼んだ。友達が太鼓判を押した人なら、安心して付き合えると思ったけどやっぱり無理で、あなたやGちゃんにどう思われるかと思ったら怖くなって相談できなかった」
「それはわかったけど、どうして急に音信不通やドタキャンなんて常識はずれなことするの。私やGはHの友達だけど、紹介相手のことだって同じくらいの大切なんだよ。特にGは、ほとんど親友みたいな人を紹介してくれたでしょ。そういう人を雑に扱ったら、本人もGも傷つくよ」
ここからHが涙ぐんだので、何も言えなくなった。
「でもDさんは、本当に良い人で好きになれるかと思った。ただ節々でGちゃんの話や褒めたりするので、だんだんGちゃんのことが好き(だった?)なのかと思い始めた。もしかしたらGちゃんもそれを知ってて紹介したのだとしたら…なんて思うと耐えられなかった」
いや………………知らんし………………。
ちなみにDさんの褒めの内容は、Gが「仕事ができる」や「分け隔てなく明るいので助かる」みたいな内容で、異性としてどうこうという感じじゃなかった。
Dさんが今までGに好意を持ったことがないとは言い切れないけれど、共通の知り合いであるGの話題が出るのはおかしなことじゃない。あとGにはマジで他意はないと思う。Gは雑だけど明るくてハッピーなギャル(精神)って感じなので、そんな回りくどいマウント?をするとは思えない
Hはずっと自分が悪いと繰り返してたけど、ところどころで「でも私も辛いんだよ?」「HSPってね…(だから理解して?)」みたいなチラチラを挟んできて、けっこうしんどかった。
HSPの人が全員そうじゃないだろうけど、Hの件があってから「繊細って言う割に他人の痛みに鈍感だな」とか「繊細(なので配慮してほしい)って宣言できる強さがあって羨ましい」なんて意地悪なことを思ってしまう。
私は絶縁まではいかないけど、やっぱり前みたいに仲良くはできない。あと紹介はもう一生しない。ちなみにGの同僚のDさんだけど、最近婚約したと聞いて他人ながら安心した。お相手もGの紹介のようで、GとDさんの間に変なわだかまりが生まれなくて本当に良かったと思った。
なろうアニメの「真の仲間じゃないと勇者のパーティーを追い出されたので、辺境でスローライフすることにしました」が好きだ
「真の仲間」で略されることが多い
追放ものの元祖だそうだ。チート付与魔術師みたいに隠れた実力がある系でなく、
本当に最前線の戦いには戦力不足でついていけないが、人の少ない田舎では無双でイキれるぐらいの(実際イキり倒す)実力の主人公が、
あまり有名ではない
同時期に高品質作画アニメは多数送り出されており、なろう系も幾つも放映されていた
ファンタジーなら無職転生や王様ランキングを見てた人が多いはず
ニコニコでもyoutubeでも関連動画はほとんどない。アニメ感想サイトを漁っても実況参加者は少ない
一方で海外ではそれなりに高評価だったようで、youtubeの主題歌動画には海外コメントがそこそこついている
アニメ二期も決定した
説明が長くなったが俺はこのアニメが大好きで、配信で繰り返し何度も見直している
円盤ももちろん買い、先週も何度目か忘れたが全13話を通しで視聴した
誰にも同意されないだろうが構成と演出が神がかっていて見直すたび考察してしまう
おでん屋台の回はファンタジー世界ならではの漆黒の闇と屋台の赤ちょうちんの図を見るたび
「この緊張と弛緩の混ざり合った演出をどうやったら作れるんだ。アニメ実作者でもアニメ評論家でも誰でもいい、金を払うから解説してくれ」と唸っている
先週も蜂蜜酒の回で新たな発見をして「ウテナか!」と唸ってしまった
本題に戻ると、先週、新しい発見があった
「ふらせら」という、20年前に出たギャルゲーのコミカライズ作品で
こちらも解説すると無限に長くなるので端折るが、両作品の共通点は
・主人公たちは戦争の前線で戦っていたが、慮外のトラブルで脱落
・戦争の気配など全く感じない、自然いっぱいの辺境でスローライフを満喫する
となる
「主人公は美少女とじゃれあっててスローライフを満喫している」一方で、「戦争は全く終わってない」点だと思う
戦えるけど戦わない
積極的ではない、結果としての形で前線逃亡したのだが、そんなことは気にせず田舎暮らしを最高に楽しんでいるのが大事なのだ
主人公の周囲では、使命感にかられて参戦を志すもの、主人公に戦線復帰を促すものがいて、戦争を忘れさせてくれない
現代はメディアによって地球の裏で起きていることを臨場感あふれる映像で知ることができる。というより半強制的に知らされさえする
同じ日本の中で起きている犯罪的な虐待や差別を知らなくても、ウクライナの戦争は知っている
なんなら日本社会の身近で起きていることから目を逸らされるために海外の虐殺や差別、戦争報道が溢れかえっているのかもしれない、とすら思える
しかも、その戦争や残酷なジェノサイドは自分たちに全く無関係というわけでもないと、なぜか知らされてしまう
ウイグル民族の弾圧とユニクロの衣服は結び付けられて日常の場に入り込んでくるし、
ウクライナ戦争は「核弾頭が厚木基地や横田基地に打ち込まれるかもしれない」という切実さと結びついて、
「俺たちの日常を維持したいからウクライナ人だけでロシアと戦ってくれ」というジクジクした地続き感を抱えながらニュースを眺める羽目になる
水木しげるが前線から半ば離脱して南の島の楽園暮らしに至ったときは、左腕を失う負傷があったし、
なにより日本のアメリカとの戦争は「お役所仕事でズルズルと開始してしまった、やらなくてもいい無駄な公共事業~太平洋戦争~」だった
だからサボタージュに正当性を見出しえたし、戦後の反戦が強く共感を得られたように、
徴兵で駆り出された者の南の島での戦線離脱に責任感云々を見出す必要もなかった
こんなジクジクした気分から解放されたくて日本国家と一体化したい人たちが出てきてしまうのは理解できる
残念ながら自分は国家と一体化して何かやってる精神状態にはなれない
遠くにある、手出しすることも出来なくはない(実際に行動している人たちも大勢いる)戦争を、まるきり無関係と切り捨てることもできないまま傍観し、
さておきと、自分の生活のために働いて、マンガとアニメとゲームと動画視聴で怠惰に時間を過ごし、
その怠惰さを時おり責められ、ヘラヘラとやり過ごし、改めて怠惰に身をうずめておきたい
あんな小さい女の子がテレビに出て、歌も歌って、踊って、大変そう
代わりが効かない仕事だから休めないし、プレッシャーも半端ないだろうな
学校ももちろん行ってるんだろうし、児童虐待とまでは言わないまでも、NHKがやることではないんじゃないかなって思ってしまう
ゲームやってて一番虚しい瞬間って何かと聞かれたら迷わず「ボタン連打」と答える。
連打しないで済むようにうまく工夫してあるゲームももちろんあるのだけど、いつになってもそれが共通認識になっていかないことが不思議でしょうがない。
アクションゲームとか、画面の中でどれだけキャラクターがスタイリッシュに立ち回っていても、画面の外に目を向ければ猿のように親指でボタンを連打している自分がいる。
このギャップが開けば開くほど虚しくなるしゲームそのものに対して萎える。
なので、基本的には連射機能がついていないコントローラー以外は使わないのだけど、そうなると今度は長押しを求められてキれそうになる。
ひどいのはメトロイド。
通常ステージでも基本的に連射したまま走り続けたほうが敵に邪魔されなくて効率がよいし、QTEでもミサイルを連続で打ち込む時に連打が必須になっている。
なのに突然ボタン長押しによる溜め撃ちを攻略として要求されたりして、その都度操作が止まってテンポがめちゃくちゃに悪くなる。
お前はこのゲームをプレイさせる上で、一体何割の時間連打をさせ続け無いと気がすまないというのか。
それなので最近は背面ボタンがついているコントローラーを使って、連打が必要なボタンをアサインして長押しできるようにしてあるのだけども、これって俺がしなきゃいけない苦労なのおかしくない?
勘違いしてほしくないのは、標準コントローラーに連射機能をつけろと言っているわけではないということ。
券売機でも自販機でも、とにかくなんでもいいけど、ボタンを連打している人がいたらどう思う。
せっかちで落ち着きのない猿としか思わんでしょ。
それくらいボタン連打というのは動物的で理性のない行動の典型なのよ。
なのに、ゲームの世界ではそれが作り手側からあたりまえのように求められているというのは、やっぱりどう考えてもおかしい。
だからといって、連打したくない人に連射機能付きコントローラーが売られていることも、長押しと併用できるように背面ボタンが用意されていることも、どう考えてもいびつ。
そういう本能むき出しで猿のようにボタンを叩き続けることが好きな人を否定するつもりはないけど、それならそれでゲーム側にもそろそろボタン連打の必要性に対する注意書きをつけてほしい。
「このゲームには感情的にボタンを連打する必要があるシーンが含まれています」
最近株式投資で成功した人の話をよく本やネットで調べてるんだけど、まぁほとんどが雰囲気でトレードしてるね。
もちろん前提になるところまでは論理的に考えてるけど(この辺が一般的な養分との違いな気がする)材料を集めて最終的には「上がると思ったから買った」みたいなところに行き着く。
でもこれって考えてみれば当たり前で、株式投資において論理的で再現可能なトレード方法があるならば、アルゴがもっと早く正確に何度もしてしまうので人間の出番はないんだよな。
かといって完全雰囲気でももちろんダメで、論理的と非論理的の割合のセンスが大事なんだろう。
論理的な思考というのは一般人の偏差値を60くらいまで押し上げてくれるものでそこから先は勘とか直感が物をいう世界という感じ。
ちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふとももちちしりふともも
富山を出た30才の女です。
結婚も子育てもしたことなくて、なんの社会的責任も負わずに子供みたいに自分のことばかり考えてる女が、アレも嫌コレも嫌と騒いでいて本当に腹が立つ。
正直、増田にいるような人は結婚出来ない人が多いから、それで共感を得て拡散されてるのかもしれないが。
まず当たり前だが、働いていない成人は正しく「遊んでいる」奴なので、女がどうとか富山がどうとかは関係がない。子供が4〜5人いるなら家事育児に専念するのは素晴らしいが、1人の子供に手のかかる期間など高が知れていて、それが小学校に入っても家で家電のスイッチを押す「仕事」をしているのなら、それは遊び人と言われても仕方がない。
子供の障害や親の介護など、事情のある人に対してはそういうことは言わないし(この辺は確かに人の家庭事情にやたらと詳しい田舎特有の気持ち悪さがある)、働かずに暮らせる社長夫人みたいな人ももちろんいるが、その人たちは労働者のコミュニティとほとんど被らないので「遊んでいる嫁」扱いされることはない。
そして女ばかりが家事をするというのも、現代ではすっかり誤りである。そんな風に富山は地獄である!と孤独に呪詛を吐いているから、地元にいて幸せな結婚生活をする同世代は離れていって、話を聞くこともないのだろうね。元々増田も元増田も彼女らが実家にいた頃はそうだったかもしれないが、共働きが当たり前で育ってきた今の富山の男性は、男性が子供のご飯まで含めて作るし、早く帰宅できた方が家事をする、ただそれだけだ。
元増田の言う、男は『親に仕送りを迫られる』というのも謎だ。親世代の50〜60代はすでに共働きが当たり前だったので、かなり資金力がある。富山の平均世帯収入は東京に次いで高い。仕送りが必要な親を持つ人は、大抵大学には行かないし、多くは同居している。家が広いからね。
元増田はそれなりの進学校といってたので、多分あの学校だろうと予想はつくが、その学力レベルの高校に通う子の多くが親に仕送り必須だなんて、絶対にあり得ない。
差別意識や村八分については、私は富山でも中心部に住んでいたのでよくわからない。あの地域ならそういうことしそうだな…と思い当たる所もあるが、そういう場所にはそうそう新しい人は入ってこないしね。大体なぜそんな話を富山にもいない元増田が頻繁に聞くのか。もし親からの情報がメインだとしたら、親のメンタルを気遣ってあげた方がよい。
私は大学は県外に出て、就職で戻って、主人の転勤でまた県外に出たが、富山で子育てをする友達が本当に羨ましい。
庭付きの広い戸建て、共働きで資金に余裕がある祖父母、満員電車に乗らずとも前後に子供乗せたクソ重いママチャリを立ち漕ぎすることもなく車で送り迎えできる保育園、女が正社員で働くことが当たり前の風潮、公立で十分な学力がつく環境、何をとっても羨ましい。
元増田も妊娠出産は最悪死ぬ!後遺症が残る!女は辛いつらいツライ!と少ない可能性にばかり目を向けずに、愛する人と家庭を作り子育てをするという、無限に広がる幸せに目を向けてほしい。幸あれ。
スプラトゥーン3フェス中だけどまったくノープレイほぼ遊んでないわ。
3色三すくみのトリカラマッチもゼルダのステージを見たいがための1戦だけで終了。
フェスはあればあるほど離れて行っている感じがしてというか、
要は今、
私は『HADES』を始めたのが終わりの始まりだったのよ。
やり込んじゃってるわ。
最終のハデスのところまでは行けるようにはなったんだけど、
まったく太刀打ち出来ないわ。
えーってラスボスと今は思っているハデスの第二形態で散ってしまったわ。
ちゃんと武器のスキルを上げて一点集中して上げていかないと勝ち目がない気がするし、
かと言って武器の強化へ全振りしていると体力のヒットポイントも上がらないし、
というか、
そもそもとして、
レヴェル1の武器で太刀打ち出来るのかしら?ってそもそも論があるわ。
私はローグライクが好きなんだけど、
あ!もしかしてこれギリシア神話で神様がたくさん出てきて街の登場人物にいろいろ話しまくりまくりすてぃーで
私が一番苦手で大嫌いなアールピージーの村人全員に話しかけると言う作業が嫌いなので、
もはや今は懐かしい私の年収低すぎお姉さんを彷彿をさせる逆の登場人物が多すぎるパターンで話すの嫌い!って思っていたけど
話すごとにみんな違うこというのよ!
なんかダンジョンでやられてホームに帰ってくるごとにみんな違うこと言ってくれるので、
え?これみんなに話しかけなくちゃいけない?重荷だと思っていたけど、
それが不思議と苦じゃなくて逆に話し込んじゃう感じだわ。
まあ毎回毎回違うことみんなセリフがたくさんあるからよくしゃべるのよ。
挙げ句の果てには
主人公の身の回りのお世話をしてくれてるメデューサの頭だけみたいなキャラクターがいるんだけど、
よくしゃべるわー。
やったー!ってなったんだけど、
やられてホームに戻ってきて酒場にその1ステージ目のボスがいて、
話しかけたら
お前にやられて機嫌が悪いから話しかけるな!みたいなこと言って
おまえ飲んでんじゃん!って
ボスなのに話せるってところがなんか新鮮だわ。
そんでやられたからその酒場にいるボスももちろん台詞がたくさんあって、
話すごとに話が違うから
ついつい話しちゃうわ。
まあやられてもホームのみんなが調子はどうだい?って迎えてくれてしかもみんな1回1回台詞が違うから驚いちゃうパワーンだわ。
お話話しかけるの嫌いな私でも話しかけるのが好きになっちゃうぐらい
洗濯物で言うと驚きの白さ!ってところかしら。
まあ込み入った話になるけど、
攻撃でチェインが繋がる武器を使ってダメージを与えた後に追加ダメージを与える「辛苦」だったっけ?を与えるスキルをめちゃくちゃ上げるのが今私が見出したパターンなんだけど、
体力任せにガンガン押していっても押せない難しさがあるわ。
まあHADESやったことない人には分からないくて申し訳ないけど、
でさー
ローグライフというか
そう言うゲームの悪いところはついついもう1戦!って
前にも言ったけど
これは私のパターンとあっていてプレイをやめどきがあっていいなと個人的に思っている、
まあ1戦1戦が3分なり5分なりのわりと短時間で済んじゃうし、
ゲーム中って時計みたりしないけどスプラトゥーンならスケジュールが変わったら強制的にインサートしてくるから
あ!もう2時間も経ったんだなぁって
そんでタチが悪いのは
やられても、
次のランダム強化アイテムはいいのが来る!って期待して行うことなのよね。
それが悪循環でもありプレイが続くことでもあり止めどきを見失ってしまうわけでもあり、
でも!でもよ、
私が推している攻撃した後に速水もこみちさん的に言うとどんだけ追いオリーブオイルすんの?でお馴染みの追加ダメージを与える「辛苦」のアビリティーを出やすくするアクセサリみたいなのを装備したら予め出やすくなるから
しかも!
「辛苦」のアビリティーがゲット出来たら「辛苦」が出やすくなる装備を途中でステージが変わったらその装備も変更出来るから、
用がなくなったら次の死んだら復活時にヒットポイント回復!アイテムを装備していけるから、
無駄が無くランダムに頼ること無く欲しいアビリティーを結構運任せじゃなくてゲット出来るところがよいわ。
とか言ってもやっぱりついつい遊び込んじゃうわ。
まあスプラトゥーン3は
寝食をいや食を忘れてまでプレイしちゃうスタイルはさすがに遊びすぎだわ。
ちょっとローグライフの時間がいくらあってもたりないタチの悪さを喰らった感じだわ。
あー時間を気にして遊ばなくちゃね。
うふふ。
夜更かしはなしよ!
また忙しい日々が始まるしねーあーあーだわ。
お茶っ葉計って入れてるんだけど、
最終使い切ったときいつもの8グラムより多くの10グラムだったので
あと水出しルイボスティーウォーラーも同時に作ったので充実してきたわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
DVみたいな家庭だと気づいたのは、二十歳を超えてからだった。
両親は、ふたりとも高校の教員で、小学生の頃から厳しい教育だった。勉強についてはことさらだった。
私は九九の七の段が苦手だった。学校の宿題で出された百ます計算で、七の段があると一度は間違えてしまっていた。目ざとくそれに気づいた数学の教員だった父親は、椅子に座ると私をその前に立たせて、九九を一の段から暗唱させた。
一度間違うと、目の前の父は明らかに機嫌を悪くした。
「違う。もう一回やりなさい」
二度目に間違うと、どうしてわからないのか、というイラつきを見せ始める。
「違うだろ」
三度目に間違うと、いよいよ張り手か拳が飛んでくる。加減は一切存在しない。叩かれた顔が痛み、脳が揺れる感覚で意識がぐらっとする。
「何回間違えるんだ!?」
痛さと恐怖でそのつもりがないのに涙が溢れる。そうすると、父はますます不機嫌になる。
「なんで泣く?お前が悪いんだろう」
台所で洗い物をしている母は助けてはくれなかった。後になって、叩かれた顔を心配するそぶりも、私の記憶の限りではなかった。
母は、私の勉強の内容もそうだが、態度や姿勢についても常に口を出してきていた。
自己啓発本や教育本を私に与えて、私が自分でやる気を出すように”仕向けて”いた。私の娯楽も全て監視して、私がなにか趣味を見つけるとそれを排除しようとした。
※ここで言う「趣味」は、母親が気に食わないあるいは不適切で頭が悪くなる、と思っている趣味のこと。ゲームやアニメ、テレビ、友人と遊びに行くことも制限されていた。
貯めたお小遣いで少しずつ買い揃えた好きだったアーティストのCDを、階段の上から下に投げ落として壊されたこともあった。
両親はどちらも「自分の不機嫌さをアピールして周囲をコントロールしようとする」人間であった。
父は機嫌を悪くすると、まず物音を大げさに立てるようになる。冷蔵庫や扉をバン!と閉め、机に物をドン!ガチャン!と投げるように置き、そして気に障ることがあると机の脚を蹴ったり天板を叩いたりする。
また、大きな声で怒鳴るように威圧する。酷いときは手近なものを壊したり、人に手を上げたりする。そうやって周りの人間に威嚇して、思い通りに動かそうとする。
母の機嫌が悪くなると、まず聞かせるようにため息をつく。家の中を大きな足音を立てて早足で歩き、ため息の頻度も音量も上がる。父よりも危険性は少ないが、より陰湿だな、と思う。
今年1月にこのラランドさんの動画を見て、身に覚えしかなくてしんどくなったのを覚えている。
母は、この動画内で紹介されている5つの型のうち、ほぼすべての構文を使いこなしていた。
特にひどかったのは「論理飛躍型」・「自己否定型」のふたつで、今までこれを言われるたびに、昔の私は必死で母親の機嫌をとっていた。(今になって考えるとバカバカしい)
紹介したように、両親はよく暴言(やそれに近い類の言葉)をよく私に浴びせた。私には兄弟がおらず、また言われたことを相談できるような相手もいなかったため、ただ自分の内に溜め込むしか手立てがなかった。
過去に言われて、未だにフラッシュバックしてはどうしようもない気持ちになる言葉を以下に列挙する。
・お前はどうしてこうも馬鹿なんだ
・どうせお前にはできるわけがない(馬鹿にするように笑いながら)
・早く出て行け
・もう帰ってくるな
・お前なんて死んでしまえ
・育て方を間違えた
・お前はどうなってもいい
書きながら若干辛くて涙が出そうになった。
おそらく本人たちはそれを知らないだろうし、言ったことを覚えてもいないと思う。言われた私だけが、ずっとこの先もこの言葉たちに苦しんで生きていくのかと思うと、やりきれない。
中学や高校で先生に「悩んでることはないか」と聞かれることがある。特にありません、と私は答えた。
親の言うことを聞かないと暴言や暴力が飛んできます、とは言えなかったし、どういうわけかみんなそうなのだと思っているフシがあった。
高校生の時に今でも一番信頼している二人の先生に出会った。おふたりとも、私の父と一緒に働いた経験があって、父と私のことをよく気にかけてくださっていた。はっきりと明言はしなかったが、父のやや高圧的な態度をよく知っていたのだと思う。
ちょうど受験期に入ってますますエスカレートしていく両親の過干渉具合の相談は、この二人の先生にしか話すことができなかった。
(3年生のときはこのお二人とは別の先生が担任だったが、その先生は母とタイプが近く、正直あまり信頼していなかった)
学びたいこととか将来の夢とかでなく、ただ両親から離れて逃げるために都会の大学に行きたいのだという正直な理由も、お二人は納得して聞いてくれた。
出身地を離れた大学に進学して一人暮らしを始めてから、明らかにストレスが減ったのがわかって、いままでどれだけの脅威にさらされていたのかと実感した。自由に出かけて、自由に勉強して、自由に休んで自由に活動した。そのどれもがとてつもなく楽しくて有意義なものだと思った。
趣味が合う友達もできて、修学旅行以外で初めて飛行機に乗って遠征したりした。趣味で本を書いたり、デザインをしてみたりした。合わなかったりできなかったことももちろんあったけど、やってみよう、というチャレンジを端から否定する人はいなかった。それがとても幸せなことだと思った。
昔母が私に言った、「産まなきゃよかったね」という言葉をたまに思い出す。冷静に考えれば勝手に産み落としたのはそちらだろう、という感じなのだけど、言われたときの私は相当にショックを受けた。
だとしたら、親がこんなに自分に対して当たりが強いのも、なぜだかすとんと納得できてしまった。
しつけのような形で父が首を締めてきたこともあった。近くにいた母は父がふざけているだけだと思ったのか、止めようともせず見ているだけだった。
苦しむ私が必死にやめて、離してと叫ぶように言っても離してくれなかった父の手の感触を、今でも思い出せる。
多分きっと、全部忘れているだろうけど。
義父は保険の営業で、我が家も夫・私・子どもと全員いくつか契約させられており、毎月4.5万ほど支払っている。
現在第二子妊娠中なのだが、またもや契約させられるのかと思うと、出費としても痛いし、なにより義父に不信感があるので契約がいやすぎる。
不信感をもったのは、結婚・出産時に半ば強引に契約させられたことももちろんあるのだが、決定的な出来事がある。
・結婚したときに義祖父からご祝儀を100万円いただいた。ありがたく頂戴するつもりだったのだが、「まだ若いふたりには大金だから」といつのまにか義父がその100万を持っていた。
そしてそれを「毎月1万円ずつ振り込むから、この契約してくれ。投資のようなもので、これはご祝儀を増やすための方法だ。おくりものだ」みたいなことを言われた。そして契約させられた。ちなみにこの保険は毎月1万円を超えている。
・ファイナンシャルプランナーに契約内容を見せると、「なんでほぼ同じ保険ふたつも入ってるんですか…これはひどいですね」と言われた
私の実家は遠方なので、子育てをしているとどうしても義両親に頼らざるを得ないときがある。
それを思うと関係性を悪くしたくはなく、ぐっと抑えて契約しているが、第二子のことを考えると気が重い。
どうやったら穏便に断れるのだろうか。
コスプレイヤーというのは既存の漫画やアニメ、ゲームのキャラクターのコンテンツの二次創作としての表現で楽しむ趣味でございます。
はじめのうちはこのスタンスであってもいつから自己承認欲求を求めてしまうようになります。
そして、露出をしたり、流行りの作品のコスプレをして「いいね」集めをしたり、コンカフェで働いてみたり、イベントをしたり撮影会をしたり……
そして、そこに群がった人たちからお金や物を乞う、乞食になっていく……
このような人たちについて少し考えてみたいと思います。
それはこの文の一文にも示しましたがコンテンツの二次創作で自分の好きなキャラクターになりきって遊ぶという高度な変身ごっこです。
これについては人それぞれ思うところはあるかと思いますが、共通して言えるのはそこにはコンテンツへの尊敬と愛があるということは言えるでしょう
承認欲求を求める乞食のコスプレイヤーというのは前述した作法からは外れている外道の方々です。
コンテンツを利用してコスプレというものを隠れ蓑にして、アニメや漫画などのコンテンツを自分の承認欲求を求める道具や自分のフォロワーという顧客リストの餌として使用しています。
いえ、露出しているキャラクターもいますから、本当にそのキャラクターが好きだったその露出については意味があるものですから、表現の一部分として取り扱い今回の問題提起するようなものとしては扱わずむしろ尊敬をされるべきものでしょう。
しかし、残念ながらその意図に反してコスプレをする人間がいるのもまた事実なのです。
承認欲求を求めるのは悪なのか?
承認欲求というものを求めようとするのは悪のような言い方をしているように思われてしまうかもしれませんが、それは誤解です。承認欲求というものは人間であるならばどのような形でもあって然るべきであると思います。
しかし、それを得る手段やまたは対象に問題がある場合はその限りではないと考えています。
では、よい承認欲求というものは何かというとある程度共同体として機能している中での承認です。
これは対象への承認は尊敬されるというものへとつながるものですから「仲間のために背中を見せる」や仲間内によく思われたいということでその共同体の中でのつながりの強化につながるものなどを示唆するものでしたらいいと思います。
しかし、ここで問題視をしている承認欲求は不特定多数に対して向けられるもので、その先にあるのは数字の満足度と人気投票からの乞食行為への移行です。
これを正しい承認欲求という風には考えることはできないというのが『僕』の考えです。
コスプレという分野はSNSでしばしば炎上するという現象がみられます。
コスプレイヤーの金銭トラブル、○○○はやってはいけない、このカメラマンは危ないなどなど……
コスプレという趣味を続けていくと何かが起きるのは当然の事なのですが、他のコスプレイヤーの経験したことを自分もしたというようなことをSNSに書き込んでは、生産性のない議論をしたりします。
また、これらの露出などを過度にしていればそういうものの目当ての連中が集まることは自明の理です。
また、この中にはそういう「変な人間」が紛れ込んでいる可能性が高いのは当たり前のことです。
これらは自分たちを通してある意味目立つ行為としてコスプレのあるあるネタによる共感からその承認欲求をズラして満たしています。
それゆえ、マッチポンプのように自分で火種を作ってはSNSで賛同をする人たちと声をあげて楽しんでいるのです。
次に社会学の視座でみてみましょう。社会学者のスチュアート・ホールの文化的アイデンティティを例に出して考えてみましょう。
現代において自己のアイデンティティというものは内面の核として中心に持つことはなく、SNSなどの他社によって目まぐるしく変化をしていきます。
それゆえ、自分の核をコスプレをしているという記号化することで自分のアイデンティティを保とうとします。
つまり、コスプレが好きなのではなくてコスプレによる自己保存になるわけです。
ここから自己のアイデンティティもコスプレが好きだから、アニメや漫画などのコンテンツ作品が好きだからという気持ちがないためこれらを利用したといってもいいですし、もう少し言葉をならすならば「文化のすりつぶし」によって自己の承認欲求や物乞い精神を養い満たすのです。
そして、このすりつぶしから露出や性欲を商品とする部分への移行をすることでこれらの欲求に応えていきます。
しかし、これらは消費傾向における行為なためいずれその人間は飽きられてしまうという問題も孕んでいます。
コスプレイヤーという女の消費のされ方
コスプレを文化のすりつぶしとして消費をする人間もいれば、一方では創作としてクリエイティブな自己表現として使う人ももちろんいます。
オリジナルの物語を作って表現をしたり、作品に対する愛があるため自分で衣装を作ったり、作品を楽しんだりしています。
コスプレというものはあくまでも非日常的なものであり、ブライマンのようなディズニー化のようなものであるため日常の中に劇的な体験として存在しているはずです。
しかし、SNSなどでフォローしているとそのエコーチェンバーのようなもので非日常性から日常へのものへとなっていきます。
それをよりよいものへと刺激を求める面で色々な方向へと伸びる人もいます。
結語
今回の問題として取り上げたコスプレイヤーは物乞いをする、承認欲求を満たそうとするというものですがこれが全てではないことは御承知頂ければと思います。
「一部の」そういう人たちがいるというもので、これらの問題は金銭的な搾取をされるような問題に多く関わっているのも事実です。
最近は、オレオレ詐欺に対する警戒も強くなってきたため高齢者を狙うよりもこういった傾向のある女性やそこに群がる男性を騙した方がお金になるということで犯罪への対象が変わってきているという事実があります。
このような事例はコスプレイベントなどが発端として起こることが多く、それがあまり表沙汰にもなりません。
SNSでは多く取り上げられることはあっても、「またか」のようなリツイートネタのように扱われている現状があります。
コスプレという趣味に対しての向き合い方、倫理観、コンテンツの楽しみ方はあってもいいとは思いますし、これらがよりよく発展してくれることを漫画やアニメ、コスプレが好きな人間として願う限りです。
10年勤めた会社で2年前から新規事業の管理職任されたけど現場の人間のクオリティが酷すぎてもう辞めたいよ
自分が30歳くらいで現場のパートはみんな60〜70代の女性だから注意とか指導をこころよく思わないだろうし普段はなるべく愛想よくリスペクトを持った態度を心掛けてた
客は障害者で結構繊細な部分もあるから注意しなきゃいけない場面ももちろんあるしそういう時は真面目な顔で話をするけど相手の個人的なことを批判したりしないし自分の伝え方が悪かったという態度も待つようにした
社長に限界でございますと相談したら怒ってばかりじゃなくてコミュニケーションを取りなさいとのこと
そんなんもうやってるよ〜〜〜ん!!!
新規事業立ち上げの時に入社した社員2人が信じられないくらい仕事できなくて発達障害だと思う
誰も頼れない
目の前が真っ暗
この前、5chに「DTMをアンインストールする」というスレッドを見かけた。
時間がない中で、DTMを楽しんでいたらしいのだが、やめてしまうらしい。
曲を聴いてみれば、確かにかなり荒っぽい。しかし、確実に曲になっている。
私は音楽に詳しいわけではないが、やめるほど悲観的になる必要はないのでは、と感じた。
それは、「(DTMをやめて、)勉強に逃げる」というコメントだ。
「勉強から逃げる先に趣味がある」という感性、これが普通だと思う。
勉学に取り組めば、それに優れていくビジョンが持てる。だからこそ、続ける決断に自信を持てる。
芸術ももちろん勉学だと思うが、その他の勉強とは大きく異なる素養を深めていくこと、異なる手順や手続きを重ねることが求められるのだと思う。
確かにスレ主は、「上手くなるステップや展望が見えない」と言っていた。
スレ主がこれまで勉強や学術で成果を出し、他方で芸術に触れてこなかったのであれば、なるほど、「勉強に逃げる」ともあり得る。
勉強するほうが、彼にとってはよほど簡単に成果を見込めるルートであり、いくらDTMは趣味と言えど、こちらのほうが先の見えぬ茨の道、と映るわけだ。
自分は三重県鈴鹿市出身で現在も鈴鹿市在住、幼い頃から鈴鹿という言葉に囲まれて育ってきた。
私の地元には鈴鹿と名のつく施設がたくさんある。遊園地、学校、山脈、企業、デパート等、様々な場所で鈴鹿という言葉が使われているが、それらはもちろん鈴鹿に縁を持つから鈴鹿を名乗っているわけだ。
そんな自分が同じく鈴鹿を名乗る、新進気鋭の俳優「鈴鹿央士」を見ると、どうしても「鈴鹿央士って誰に許可得て鈴鹿を名乗ってるのか?」と感じてしまう。
そもそも鈴鹿という言葉の出自は非常に古く、地名の成立から定かではない。
最も古いところでは日本書紀(西暦720年完成)にも鈴鹿の名は登場し、それでいうと我々鈴鹿市民は1300年以上鈴鹿という地名を守ってきたことになる。由来も鈴をつけた鹿がいたとか、鹿に鈴をつけて川を渡ったとか、古い地名によくあるように色んなふうに言われている。
だいたい鈴鹿をスズシカでなくスズカと読むのもその成立が古いことを表す証左だ。古代の日本では鹿のことを単にカとか、カノシシなどといった。もし令和の時代に鈴と鹿を使った地名を作るならスズシカだろう。でも鈴鹿市は1300年代々住民がその名を守ってきたからスズカと呼ぶのだ。
日本には他に鈴鹿という地名や鈴鹿と呼ばれる事物はない。正真正銘鈴鹿の民がずっと守ってきたからこそ、鈴鹿という日本語が存在するわけである。
鈴鹿央士に関して特段の説明は不要かと思う。それでも知らない人のために説明すると、彼は映画やドラマで広く活躍している俳優だ。最近だと2022年に大ヒットした木曜劇場のドラマ「silent」にも出演していた。要は期待の若手俳優である。
この鈴鹿央士なる人物がテレビに出てきた頃、自分はてっきり鈴鹿という名字は本名なのだろうと思っていた。しかし、名字は芸名で後からつけたものらしい。そうなると鈴鹿という芸名はやはり鈴鹿市に由来するような名前なんじゃないか?とちょっと期待してしまう。鈴鹿央士の芸名命名についてのエピソードがあるので紹介する。
央士が高校2年生だった2016年、ある映画のロケが通学していた高校で行われ、エキストラとして参加。その際、出演者の広瀬すずの目に留まり、広瀬がマネジャーにスカウトするよう進言した。
2018年、スカウトをきっかけに、東京の大学へ進学すると同時に芸能事務所に所属。広瀬すずの「すず」にちなんだ芸名として「鈴鹿央士」とした。
驚いたことにこの俳優は鈴鹿を名乗りながら鈴鹿市とは何ら関係がないらしい。ただ広瀬すずになぞらえて鈴がつく名前なら何でも良かったようだ。
鈴鹿の民が1300年守ってきた鈴鹿という地名、なんら鈴鹿との関係も持たない俳優が、ただ鈴が付く言葉なら何でもよかったという理由で自分の芸名として使っているのはなんだか釈然としない。
それに加えて情報汚染である。最近ニュースサイトでも鈴鹿が踊る題目をたびたび目にするようになった。しかし中身を開いてみると鈴鹿央士の話題である。テレビを見ていても「鈴鹿が〜」という話を聞くことがあった(日テレ系だったと思う)。なんだなんだとテレビを見るとこれまた鈴鹿央士の話題。鈴鹿と言うのに鈴鹿市関係なくガックリくる。
鈴鹿という言葉はこれまで我々鈴鹿市民が使い、我々鈴鹿市民のためにある言葉だったはず。どうして鈴鹿の地に関係のない人間の話題に吸い込まれないとならないのか。
鈴鹿市民だからといって鈴鹿央士の名にケチをつけるな、鈴鹿を名乗ることぐらいいいじゃないかというご意見ももちろんあることと思う。おそらく鈴鹿央士に対するこの憤りは、幼い頃から当たり前に鈴鹿という地名に囲まれてきた人間でないと通じない。なので1つ思考実験をしてみたい。以下はあくまでフィクションの話だ。
最近ハリウッドで新進気鋭のイケメン俳優がデビューした。身長190cm、ふわりとした金髪に青い目、スーツのよく似合う長い足は白人の特徴をよく表している。彼は芸名Mr. Japanを名乗り、現在もドラマに映画に大活躍している。
Japanを名乗った理由は意外だ。彼は学生時代、Justin Bieberに声をかけられそれをきっかけに俳優の道を歩むことになった。この道を進むきっかけになったJustinに感謝の気持ちを込めて、芸名はJで始まるものにしたいと考えた。別に日本に思い入れはなかったがJから始まる適当な単語でMr. Japanを名乗っている。
彼の活躍はニュースサイトでもよく見かける。「Japan映画が大人気!」「いま大注目のJapanに密着」。日本で生まれ育った私達が密かな期待を込めて記事を開くと、その中身はMr. Japanのニュースだった。テレビでもJapanの声を聞く。「Japanの演技は最高ね」「会ってみたいセレブはやっぱりJapanだよ」。メディアではもうすっかりJapan=日本のイメージではなくJapan=イケメン映画俳優になった状況に、日本で生まれ育ったあなたは深く溜息をつくのだった。
もしあなたが上記の思考実験でため息を付いた人物であったら、Mr. Japanに「誰に許可得てJapanを名乗ってるの?」と文句の一つでもつけたい気持ちになったりしないだろうか。そうであればその気持ちは今自分が鈴鹿央士に感じているものと同じものだ。
私は鈴鹿央士に特に攻撃的な感情があるわけではない。ましてバッシングしようとか活動止めさせようだなんてことは微塵も思っていない。ただそれでもやはり、鈴鹿市になんのルーツも思い入れもないのに勝手に鈴鹿を名乗っていることに、深い憤りを覚えてしまうのだ。
最後に、どうして携帯電話でスズカと入力して一発で鈴鹿と変換できるのか、それは鈴鹿市民がこの地名を大切にし守ってきたからこそなのだ。鈴鹿央士さんが鈴鹿市で1300年守られてきた鈴鹿という地名になんの思いも持たないのであれば、さっさと改名してもらいたいものである。
そのまま触れないであげて欲しい。
もちろん、あなたが気付いたことがきっかけで気遣ってあげれそうなのはいいことなんだけど。
性別適合手術の前から埋没できてたってことは、その子はそれだけ自然なんだと思う。
GIDの当事者は手術してからが人生のスタートラインだから、開始前のことを引っ張ってくるのを恐れる人が大半。
広義のトランスジェンダーの人みたいに自分を晒し者にするようなやり方での性別移行はしないし、
GID当事者とトランスジェンダーは別物と割り切って考えていい。
トランス差別だ!とか言う人はGIDの既得権益に乗っかって好き勝手したいタイプの人なので放っておいたらいいと思う。
トランスジェンダーとは別物ですというのは誰も差別なんてしてない。のだけど、
この論を推し進めていくと、じゃあなんでGIDとシスジェンダーは分けたら差別なの?ダブルスタンダードじゃない?と言われてしまう懸念がある。
GID当事者の大多数は自分が感じている性別にそもそも馴染みやすい性質であるし、馴染む努力ももちろんする。
そこまでしてやっと安心して社会的にまともな生活を送れるようになるわけで。
害を及ぼすつもりのない人を排除しようとするのは間違いなく差別。
GID当事者が移行後の性別の人として振る舞い、生きる限り、子供が作れない以外には何の問題もない。
少なくとも、GID当事者とシスジェンダーの関係においては属させて頂く者としての礼儀を弁えているということ。
ところが、狭義のトランスジェンダーとGID当事者だとどうなるか。
トランスジェンダーはあくまで「自分の性別は分かっているがその性別が苦手or異性の生き方が好きなどの理由で異性として生きたい」人たちであるので、
だから、明らかに社会に馴染めない奇抜な格好でも平気な人がいるし、
自分の性別に違和感がないパターンの人なら時間帯で性別を切り替えてたり、自由にしている。
もちろん、トランスジェンダー全員が社会的におかしな人という訳ではないけれど、
「トランス差別だ!」って叫ぶ人たちは大体そういうおかしな人だと思うよ。
誰もトランスジェンダーであること自体を批判したりしてないのにね。
そのくせ、性同一性障害者だけが性別移行できるのはおかしい!→性別適合手術が性別移行の要件に入ってるのはおかしい!と、
ふてぶてしくも権利を横取ろうとしている訳だから、それを批判されて「別物です」と言われたら差別、って逆ギレするのはどうかと思う。
そこそこ大規模(全従業員1万人程度)の企業勤めの増田。企業といっても公社系。
新人や後輩にとっての質問しやすい便利な先輩をやることに疲弊気味。愚痴らせてくれ。
弊社は全く教育に力を入れていない。新人教育も、後輩指導も全然なし。仕組みがてんで出来てない。
いちおう形だけの「新人研修」とか「管理職研修」とかそういうのはあるが、大体外注でありがたい話を聞く系。
とにかく研修費用をケチりたいらしく、気持ちで解決しよう!みたいな薄ら寒い安価なセミナーばっか。
ビジネスマナー講習すらない。トレーナー的な先輩が新人につくとか夢のまた夢。
俺も最初の部署での2年間、直属の上司に放置されて仕事も与えられず、尋ねても教えてもらえず、
暖簾に腕押しでハチャメチャに辛かったんよね。しかも上司と俺と、非常勤だけの部署だったわけよ。
周りの非常勤さんとかに頭下げて、少しずつ小さな仕事を教えてもらって、なんとか生き延びてきた。
だからさ、俺が職歴長くなったら、自分が苦労した分、新人さんや若手にやさしくしよう、質問しやすい雰囲気で仕事できるようにがんばろうと思ってた。(ガチで新人時代しんどかったから)
そもそも弊社、全体的な雰囲気として、困っている人に教えるって雰囲気がない。
たとえば自分らの部屋に課外の誰かが来て、キョロキョロしていると「何か困ってんだな」って分かるじゃん?
だーれも声かけないよね。近くの人が声かけようよ仕事なんだから。でも目を合わせず、カリカリした空気を出して知らんぷり。
空気も悪い。挨拶も返ってこない。直接声をかければしぶしぶ応じてくれる。そんな感じ。
来訪者に新人さんが見かねて対応するけど、新人さんも分からないことだから困り果てていてキョロキョロ。
さらに見かねた増田が部屋の隅から駆け寄る、みたいなことをずーっと繰り返している。
(そもそも普段から新人に業務教えてればなんにも問題ないんだよ。)
弊社に教える文化がないから、やはり上の世代も杜撰な仕事をしていたりする。
マニュアルや手順書が整備されてないし、仕事について質問すると「俺の前任者がそのまた前任者に、10年は〜だったと聞いたらしい」みたいな答えが返ってきたりする。
なんだよ口承文学かよ。
そんな弊社で、いつのまにか増田も部署全体の「困ったらあの人に聞け」的な便利な存在になってしまった。
いいんですよ? 光栄ですよ? 新人さんや若手が直属の上司・先輩に仕事を教えてもらえない、
雰囲気悪すぎて聞きにくいときにさ、増田のとこ来れば解決するならメチャうれしいよ。
この世の中にはしなくていい苦労があると思うんだが、「上司・先輩に放置される」なんてまさしくそれよ。
それが解消されるならできる限りのことはしたい。
増田もそうして助けてもらったからね。歴浅い人は全然聞いてくれよ。
でも、もう俺の業務の範囲超えてんだよね。自係、自課以外の若い子たちも来るわけ。
で、俺別に社内の教育担当とか、チューターとか、なんにもやって無いわけよ? 手当だってないよ。
そこを「若手のためだから」ってやりがい搾取的な文法で俺にしれっと教育押し付けてくる奴らはなに?
弊社にももちろん優しくて、周囲が見えていて、雰囲気も良くて質問しやすい社員がいるよ?
でも新人・若手の教育においては、完全にその親切な社員の善意にズブズブ甘えきっている感じ。
運よく親切な社員が上につくかどうかで今後も社員生命に関わる。
仕事のうえでも、いま財務は〇〇さんだから電話したくないな~前任の××さんは親切だったけど、となる。
そんなんだから親切な人のところにはいろんな質問・相談が殺到しオーバーワーク気味だ。
俺は自分が親切な人だなんて思い上がりたくはないけど、みんなお疲れ様って思ってる。
増田もいつのまにか、他係の新人・若手の指導まで、その他係の先輩に「この子に〇〇教えてあげて」と言われる始末。
業務が立て込んでて~とやんわり断ろうとすると「増田さんのが教えるのうまいから」「新人ちゃんとも仲いいし」だとさ。
そりゃあ仲良くなるよ。あなたの係の誰一人新人さんに仕事のこと教えてあげないもんな。
この新人さん、仕事で使う備品(筆記用具とかね)がどこにあるかも知らなかったよ? 教えてあげようよ。
引継ぎ資料とか業務説明資料も、自分の係に異動してきた人が困らないように、増田がちまちま作り上げてきたわけよ。
それをどこから聞きつけたのか、知らねえ中堅社員「参考にしたいから見せて」といい、モロパクしてるよな?
法制度の改正とかで、資料の一部に影響が出ると「改正後バージョンまだ?」っていけしゃあしゃあと聞いて来てな。
俺はあくまで自分の係の新人・後輩たちのためにやってんだよ。都合よくタダ乗りして、美味しいところだけ、奪っていくんだもんな。
どうせ新人には俺が作った資料渡して読んどいて~で終わりだろ。質問あったら増田さんに聞いて?っていうんだろ。
ところで直属の上司、先輩、何をされているんですか?
特に中間管理職。管理職手当をもらっているな? マネジメントはただ新人を放置することですか。そうですか。
教えもしない、指示一つもしない、なんなら挨拶も返さないで新人が勝手に一人前になるとでもお思いか。
え?業務量が多すぎて教えている暇がない?自分でやったほうが早い?
それこそお前より上のやつに交渉するものお前の仕事だろうが。ほんと何のための管理職手当だ?
新人・若手にそこまで親切にしなくていい、って声もあるけど、それこそ弊社のためにならないからしないよ。
それに放置されている若い世代はなにも悪くないし、仕事するために模索した結果、
他部署の新人・若手が今度ウチに来るかもしれないし、彼ら彼女らがやった仕事がウチと関連することになるし。
なにより若い世代を育てないと10年後20年後に困るのふつうに増田たちじゃん?
それよりさ、若い世代に部署外の増田に凸させに行くほど追い詰めているのを何とかしろよな。
今日も1年目の子が複合機でNアップが分からなくて、「これだから今どきの子は…」とクソ係長が言っていたが、
教えてもないんだから知るわけないだろうよ。全ての大学生が在学中に複合機マスターしてると思っちゃだめだろうよ。
弊社、毎年毎年若手の離職がべらぼうに多いの、そういうところから来てるんだぞ。
割と賃金悪くないし、なんならいい方だし、残業はまあ結構あるが、ちゃんと仕事教えてたらみんな辞めねえよ。
最近、子育て社員の仕事巻き取りの増田がいたけど、やっぱり会社の体質が来るところまで来るとダメだな。
悪い文化が醸成されると、一部社員の頑張りで改善することは不可能に近いんじゃ?
弊社に関しては、一度解体して新たに作り替えたほうがいいんじゃないかってくらい、
上層部も社員の大半も事なかれ主義で、自分が仕事できれば部下も後輩もしらね。って感じ。
誰かどうにかしてくれんかな。俺一人じゃ無理だ。他力本願を許してくれ。
そろそろ辞め時かな。