2023-04-13

父親危篤

https://togetter.com/li/1424289

この方は登山中1000m滑落して雪山遭難して生き残った

雪を鼻息で溶かしてすすって、小水をなるべく体が濡れないようにもらして、身動きできないまま体温を温存して救助を数日まった

20年後にようやくこうして体験談投稿したが、それ以前は思い出すたびに、あるいはヘリコプターを見るたびに涙がでてしまっていたのだという

それでなんとなく思い出した話

 

うちの父はもうずっと昔に登山しなくなったのに20年ずっと遭難している

最初はささいなことで、定年後すぐに発熱した、38とか40度

寝て、起きて、本を読んで療養すれば風邪ならなおるのにいつまでもなおらなかった

病院で一万人に一人とかの肺の難病名前がついて

一生悪くなるばかりで治ることはない、次に発熱したら死ぬ可能性もあるかもといわれた

しかに熱を出すたびにだんだん自分でできることが少なくなっていった

いつ熱をだすかもしれぬ体で、肺にも負担をかけるから海外への飛行機にのらなくなって、

それでも自家用車運転して海外から日本にもどってきた子孫の顔を見に行き来した

酸素ボンベをつかいはじめてから焼き肉あきらめた

自家用車ボンベと車いすが載るのに買い替えて身障者マークをつけて

自宅風呂、自宅トイレの順にいけなくなって、要介護認定がついて、うごきすぎて酸欠で失神と失禁してしまう失敗も経た

車いすと、電動ベッドとし瓶の生活がはじまった

 

そうやって発病から20年以上生き延びてとうとう先週寝たきり度C2になった

主治医から「看取り」という言葉も出た

それでも父は頭ははっきりしている、遺書も書いて、お母さんを助けにきてくれという

 

それが先週だれがみてもダメとなって入院しC2認定になって、

脱水のために点滴いれて、そうしたら炎症値がさがってしまった

酸素飽和度は相変わらず低くて手足すらろくにうごかせないけど、この20年の間におしえてたラインで状況を報告してくれてる)

ももう少しもう少しと、代謝を抑えて生き残ろうとしている

もちろん世話をしている母はずいぶんと苦労していて、この20年あまり自由がない、

どころか父のためにありとあらゆることをして体力のつづくかぎり奔走した

なにしろ家を一軒立て替えて住み替えたのだ、普通ではできない

 

父本人も神様のような人ではなくて、ふつうのおじいさんなので

動けないのに口出しして小言爺さんみたいなとこある

母(も老人)の家事に細かくあれしたかとかこれのお礼を言ったかとか、

物を一つ買うにももったいないなど

口出しをしまくってものすごく嫌がられてもいた

 

そもそも父はもとからまり医療健康に詳しくない

子育てにも関与が少なくて、自分家族の手間を減らすために金を使うこともへただ

母の決定にうんうんと従うとこもあるが、ちょっと大きい金がうごくとなると納得させるのに手間暇もかかる

まりセルフケアすら上手ではないか介護の段になると嫌がられて当然なのだと思う

 

でも登山遭難をみていると父も勇気をもって孤独な一人遭難を20年もつづけているのだなとおもった

ロマンとかじゃなくて、むしろ邪魔なんだけど、汚くていやがられるから恥ずかしいはずの失禁すら、

生き延びるために勇気にかえているんだなぁと

 

自分はお父さんとお母さんからまれてよかったんじゃないか

そんな遭難生活私は耐えられるか、支えられるかわからないな

  • 遭難してるじいさん、入院で寝た切り生活をしているうちにちょっと経口でごはんが噛めるようになって、首ももちあげられるようになったそうだ 一気に悪くなってびっくりさせてまた...

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