はてなキーワード: ももちとは
子供の頃に、大人達は全員働いてるし結婚もしている、立派な人たちだと思ってた。
一緒に遊ぶ友達の親達がそうだったし、学校の先生は(結婚はさておき)みんな働いていた。
しかし、実際に大人(自分は30歳)になってみて、無職や独身が意外にも多いことに気付いた。
何より独身率が高すぎる。おそらく7割くらいは結婚していない。ていうか自分がしてない。
人生の多様化という時代の推移という要因ももちろんあるだろうが、今思えば生存バイアスもあるのではないかと思った。
アメリカやヨーロッパのLGBTQや人種差別はキリスト教的価値観からの解放を意味している。
カトリック教会のローマ教皇庁(ヴァチカン)は、イタリア議会で審議中のホモフォビア(同性愛嫌悪)を処罰する法案についてイタリアに抗議した。
わかるかな?権威が反対しているのだ。
日本にももちろん反対する共同体はあるが、そもそも宗教的規範というものが曖昧なので
おれたちは黒人のラッパーの格好をまねするし、中絶もできるし、クリスマスを祝い、初詣に参る。
一般人レベルではちゃんと理解する人も少ないが、同性愛嫌悪まで思うひとも少ない。
26年間生きてきて告白したことも告白されたことももちろんない
顔は目も当てられないほどのブスではない(と信じたい)けど決して可愛くも美人でもない
あとは身長が高すぎる 身バレ怖いから書くの避けるぐらいには高い 女にしては高い方とかじゃなくて日本人にしては高いとかそんな感じ
人の人生に責任持ちたくないから彼氏がめっちゃ欲しい訳でも結婚したい訳でもないんだけど
https://comic-days.com/episode/4856001361249018766
(*入れ込むってのは競馬用語でウマが畜生特有の脈絡のない興奮で空回りして自滅へ向かっちゃう状態のこと)
その上で、俺この主人公の黒い女の子みたいなのがすげー納得いかんのな。
この子とそれを取り巻くすべての状況が不条理かつ低能過ぎて呆れちゃうというか。
ここまでで何言いたいかピンと来たって人が居たら教えて欲しい。あんたは俺の仲間だ。
まずさあ、
大事件か?NO。
そもそも文化祭のクラスの出し物なんて初期状態では誰もコミットしてないわけじゃん。
頑張りましょうねなんて誰も思ってないし責任もない。
誰もそんなたまたま選ばれた人に期待してないし、と言うことはその人の責任もねーのよ。
やる気なく流したっていいし、凄いビジョンを持って取り組んだっていい。
LINEでボケーっと何の足場も提示せずにアイデア募集しました、そりゃなんもこんわ。
無能なのはいいけど感情的なのはやめて欲しい。意味わからんから。
「クラスの出し物が一定の成果を出せなければ全員死にます」なんていう
マガジンのクソ漫画みたいな状況にあるならまだわかるよキレるの。
みんな自分の命がかかってるのに人任せにするなよ!ってことだよね。
でもそうじゃないじゃん。
そのことで責めてくる奴もいない(もし責められたらLINE見せて「お前もなんもしてへんやろボケェ!」ってキレ返せばいい)。
どういう感情で「実行委員という役割」や「文化祭というイベント」に臨んでるわけ?
「有能な自分がやる以上は何らかの成果を必ず出すのだ」っていう自負があるならそれはいいと思うよ。
そういう自負で取り組んだのに上手く行きませんでした、自分の能力の低さに涙が出ました。
でもこの子ってなんか周りへの恨みみたいなものが見えるじゃん?
いやいやいや、別にクラスメートは文化祭のクラスの出し物にコミットするなんて約束してねえじゃん。
そんな意思表示は一度もしてないわけじゃん。
だから実行委員としてはやるもやらないも自分のコントロールで勝手にやってよって話じゃね?
みんなに合わせて適当に流すのはわかる。
我がこととして主体的に取り組んで失敗して涙もわかる。
でもこの子は変な風に当事者意識は強いのにイベントの行方についてはクラスメートに任せてるんだよね。
でもこういう奴マジでいたよな。
ありもしない責任を捏造して他人を糾弾したがる人間がウザくてたまらん。
実行委員にあるのは(人間にあるのは)自分がやると決めて主体的に取り組んだ時の成功や失敗だけだろ。
実行委員は流すことも出来るしすげー頑張ることも出来る。
だからこの子だけじゃなくて終盤の「いい子になった」描写らしいクラスメートも意味わからん。
黒い子が仮にあんま参加してなかったとして、たぬきちゃんに詫びを入れなきゃいけない理由なんかあるか?
「文化祭のクラスの出し物が成功したらクラスメート全員の口座に100万円ふりこまれます」みたいな
クラス全員、お前も利益を受け取るからにはちゃんと労力分担しろやって感情はわかる。
でもクラスの出し物なんてそうじゃないわけじゃん。
やった人間がまあなんか達成感とか良かったねっていう思い出とかの報酬を受け取るだけ。
どっちも自由であって、どっちかがどっかに怒るとか恨むとか詫びるとかマジで意味がわからん。
黒い子が反省すべき点があるとしたら
LINEで「アイデア募集ー!」ってのは到底コミットが集まるようなアプローチではねーよなとか
やりたそうなやつに目を付けて直で話しに行って折衝すべきだったなとか
全員無理矢理追い込むなら教師を動かして説教させてコミット圧を高める手もあったなとか
そういうことじゃねーの?
俺は学校の出し物のたびに思ってたわ。
ここには感情的にならんといけない要素なんかどこにもねーじゃんと。
楽しく自分の裁量でやったりやらなかったり成功したり挫折したりすりゃいいだけじゃんと。
例えば「私はここで結果出すと内申点よくなると睨んでて私の将来のために協力してほしいの!」ってキレるならそれはよくわかるわけ。
おもしれ―女だなってちょっと協力したくもなる。
でも実際はそんなおもしれ―女もいいなくて、ただぼんやりした他人任せの進捗と挫折があるだけで
なんでそこでいちいち感情を持ち込むの?
あの手の出し物で感情的になる女子を見てた時、或いは俺が直で吠えられた時、
「この低能な生物には何をどうしてあげたらいいのかなあ・・・」という感慨しか湧かなかった。
俺はいい奴だから現実的なアイデア出して付き添ったりしたことがある
最初「大喜利」とか言ってたからこいつらスゲーなどんなバカだよと。
世間にキャラを知られたプロの人気芸人がネタを仕込んで台本組んでようやく面白くなるものをお前等がやってどんな勝算が?
しかももちろんネタも出ないしろくに練習する予定もないうえにネタ候補ってのが内輪ネタばっかなの。
それを誰に見せる気なんですかウギャーと。お前等のことなんか何も知らない人達がくるんですよと。
なのに上手く行きそうにないことや狭い友達以外積極的でないことに感情的なの。
んでえーそれは難しいよーつって何で暴発するかわからん感情を刺激しないよーにやめさせて
元から高校生レベルじゃない芸を持ってるやつがいたのでそいつを頼ることにしてそいつ中心の指導で地獄大喜利改めお遊戯発表会くらいにはなって
高校生がみんなで努力した跡は見れるから結構評判が良くてみんな達成感出ましたねーみたいになった。
軌道に乗って以降のクラスには最後までこの漫画みたいな低能丸出しの感情が横溢してた。
いい人とか悪い人とかじゃなくてその低能さと混乱しきった感情を何とかしてくれってずっと思ってた。
最終的にその女子やそいつの友達から「増田くん有難う!」とか言われちゃったんだけど
この低能な生物達とは最後まで疎通が出来なかったなという挫折が俺の手にしたものだった。
俺にとっては自分のミッションとして頑張った結果の挫折っていう満足のいく成果だったからいいんだけど、
自分が一体何に対して感情的になってるのか、一度でいいからきちんと整理してみて欲しいんだけど
一生そういうこともせずにああいう感じに生きていくんだろうな。
アラサーで最近一人暮らしを始めたが、自分が意外と寂しがり屋であることに気づいた。
家に常に一人ぼっちでいるということは、適性がないと意外とつらいものだ。
家族仲がそれほど悪くもなく、それなりに日常会話をしていた家から出てきたからというのもあるかもしれない。
こうなると恋人と同棲なんかをして一緒に過ごしたり、なんなら結婚なんかも考えたいが、これまでの人生でそういった浮いた話とは一切無縁だった。
自慢っぽくなってしまうかもしれないが、自分はいわゆる「陰キャ」に分類される存在だが、それなりに幸せな人生を送ってきたという自負がある。
細かい病気やけがはしたものの、なんだかんだ今まで健康で生きてきている身体を持っている。
友人は多いわけではないが、心から信頼できると胸を張って言える仲の相手が数人いる。
仕事も中学生のころからあこがれていた業界に入り、出向という形ではあるものの、業界でトップクラスの会社で働き、年収も同年代平均より上。
趣味もオタク的なものだが充実しており、休日は頻繁に出かけている。
しかしこれまでの人生、驚くほど「恋愛」というものに縁がなく、街中で見かけるいわゆる「カップル」などはどういった経緯でそのような関係になったのか想像すら追いつかない。
これで「自分は恋愛には興味がない」などという人間だったら納得がいくかもしれないが、全然そんなことはなく、幼いころから思春期までもそれなりに片思いを重ねて、「恋人がほしいなぁ」などといまだにほざくような人間で、そのすべてを空振り続けてきたのである。
たまにネット上などで見かける、「恋愛経験が無い奴は人気者やほとんど話したことない相手を狙ったり、高望みしすぎる」などという論説については、好きになる相手による話なので、あてはまるときももちろんあったが、クラスカースト的に自分と同格(と言っては相手に失礼かもしれないが)で、それなりに親しく話をするような相手だったこともある。
それでもたったの一度ですら成就するという経験を経ることはなく、現在に至ってしまっている。
もちろんこうなる原因は自分や自分のいる環境に何かしら原因はあることはわかっている。
顔や身長など、体質の自分ではどうにもならない部分や、性格・身だしなみ・ファッション・出会いの場などの努力次第でリカバリーできる要素など、思い当たることはたくさんある。
自分もいろいろ試して改善できないかと奮闘したことがあったが、実を結んだことはない。
どう変えていけばいいかなどという答えは、当然ながら恋愛には存在しないのである。
思えばこれまでの人生、好感を得るだけであればそれなりに経験してきているが、「恋愛対象」に入った経験は無かったかもしれない。
もちろん、体感なので相手の方が内心では入っていたなんてことがある可能性も0ではないが、少なくともそれが伝わってきた経験は0だ。
親切に接する、それなりに楽しく過ごすといったことはあっても、相手からは子供か老人と話しているような気分になっていたことであろう。
そんなだから好きな相手がいつの間にか恋人を作っていた経験も少なくない。
そんな人生を送っているうちに「学校」という「何もしなくても多くの出会いがある場所」を卒業してしまい、社会に出ることになった。
社会人生活の忙しさや、それと引き換えに得る金銭的、社会的な自由さを言い訳に、恋愛のことに目を向けるのを先延ばしにしてしまった。
これはそれなりに後悔している。
そもそも一人暮らしを始めるのが遅かったのもあるが、この年になって急に「寂しい寂しい」言い出してしまっては、気持ち悪いだけである。
そうは言っても寂しいのは事実なので、パートナーを探したいが、周回遅れな現状では、何か行動を起こさなければ出会いがあるわけがない。
こんな時に友人を頼れればいいのだが、残念ながら類は友を呼ぶとでも言うのか、恋愛遍歴でいえば似たり寄ったりなので参考にならない。
結局出会いを探したいのだが、そう思うたびにこれまでの恋愛がかすりもしなかった人生が、「お前に恋愛は無理だ」と鎖のように巻き付き、一歩踏み出すのを妨害してくる。
誰でもいい、どうか背中を押してほしい。
「大丈夫だからやってみろと」という根拠のない励ましでもいい。
「こういう方法で出会いが探せるぞ」という具体的なアドバイスでもいい。
「似た経歴だけど自分はこうして恋愛ができた」という実際のエピソードでもいい。
どうか一歩を踏み出すきっかけを作ってほしい。
強がるのはやめて、「寂しい」「恋愛したい」と声をあげるから、助けてほしい。
これまでの人生での恋愛を取り戻すなんてことは無理でも、これからの人生に希望を作ってほしい。
【追記】
などと擁護する言説を撒き散らしてる連中がいる。
なぜなら根本的に男向け18禁漫画を減らすこと自体が二次元文化の破壊でしかない。
まずイラストレーターや同人作家で精力的に活動している人の多くは18禁物に関わったことがある。
ジャンプ、サンデーその他諸々の人気漫画家でももともと18禁で活動していた人が極めて多い。
それこそライターは日本を代表する作家はエロゲ出身者が極めて多い。
売り上げとかそういうレベルの話ではなく絶対に守らないといけない、根幹部分だろう。
だいたい、売れないならばその原因は営業努力、そしてその営業努力を阻んでるポリコレの風潮が原因であって、この件は誰が悪いかはポリコレ一択でしかない。
それこそ大学やその辺の図書館に一冊もエロ漫画はない。そのくせ何の価値もないゴミクズみたいなつまらん小説だの専門書だのが溢れてる。これこそポリコレに基づいた表現の差別以外の何者でもない。
売れないならば他の本よりも、多くのスペースを割いて売れるチャンスを作るべきであって撤去するのは単なるポリコレへの譲歩でしかないと思う。
まず前提として、私はあの件で実際に被害を被ったわけではない。
そして、障害を持つ者皆死ぬべしみたいな過激思想を持つわけでもない。障害を持つ同級生と仲良くしたこともあるし、彼らにだって生きる理由や人権はもちろんある。
一方、今回のような件を擁護する層はどうなんだと思うところもある。そんなある意味矛盾した考えを持つ者と理解していただきたい。
ということで本題
まず私の考えを端的にいうなら、あの線路へ侵入した当人は然るべき処罰を受けてほしい。どのような形であれ。今回の件が実際どんな処罰が必要か、とか、本人ではなく保護者が受けるのではないか、みたいなのは詳しくないので細かくは見過ごしてほしい。
さてツイ主に関してだが、晒すのは良くない。間違いない。そりゃ晒したやつは燃えて然るべし。
ただ、それに対する擁護に近い意見が多いのがどうにも引っかかる。「障害を持った方なんだから仕方ない」「こんなので怒る人がいるからこの社会は…」みたいな類のものだ。
まず前者。「障害者は迷惑行為をしても許される」みたいな風潮は何?というおはなし。
等しく人権があるとするなら等しく裁かれるべきではないだろうか。そりゃ本人からしたら悪いことという自覚はないみたいな話なんだろうが、だとして全く責任を負わなくて良いなんてのはおかしいと思う。今回の動画だって、電車が止まったことで何か取り返しのつかない事態が起こった人だっているだろうし、投げていたあの石が頭にでも当たろうものなら最悪死人が出ていたっておかしくない。なのに、「障害だから仕方ないよね」とはならなくないか?と思うのだ。
事前の対策としてホームドアってのはわかる。ただ鉄道会社から無限に金が湧いてくるわけじゃないし、工事にだって時間がかかる。都心部であればいざ知らず、少し離れたところにも全面ホームドアっていうのはなかなかハードルが高いと思う。出来るなら必要だとは思うけど。
後は「ここまで暴走する可能性があるなら施設に入れるなりすべき」と言う対策?について。引用などを覗く限り、そういう施設はあるにはあるもののパンクしてて受け入れてもらえないらしい。そりゃ大変な話だと思うし同情の気持ちはあるが、そういう施設を増やすのも難しいよなと思う。受け入れられる人数を増やすにしろ介護する側が必要なわけだけど、そりゃそっち側は集まらんよなと思う。やっている人、目指している人は本当にすごいと思うし尊敬する。なぜなら自分は絶対無理だからだ。だって今回の件みたいにいきなり物を投げつけられるみたいな事があっても何も言わずに仕事しなきゃいけないって事だろう?私は本当に怖いと感じるので無理だ。
…とまあ、対策すると言ったって限度があるよなぁという感想を抱いた。犯罪にしろそうだけど、全てを未然に防ぐのは無理。であれば、起こった事に対しては然るべき処罰が必要ではないのか?もし自分の大切な存在が今回のような事態で重傷を負うとか最悪命を落とすなんて事があったとして、「障害だから仕方ないよね」なんて言えたものじゃないと思うのだが。
今回、引用に似たような事案の話を聞いたというツイートがあった。障害を持つ方がキラキラするネックレスに興味を持ちネックレスをしていた女性の胸を触り、それによって警察沙汰になったという話だったが、その障害を持った方の母親は「そんなのおかしい!ただ単に興味を持っただけでいやらしい考えなんてない!理解が足りない!」と言ったというのだ。活動家だというので多少強く話しているかもしれないが、これでネックレスをしていた女性が責められるなんてことあって良いのだろうか。そんなことを言い出したら、いよいよ何でもありではないか。今回の電車の件に関して擁護する声も、何だか近いものを感じて流石にどうなんだと私は思う訳だ。
あと後者。ツイ主が動画で晒したのはもちろん悪い。けど、「これをみて迷惑という方に嫌悪感を覚える」みたいなことの意味がわからない。見ず知らずの人間がなんか暴れて線路入ってって石投げて電車止まるってそりゃ迷惑に決まってるだろう。たとえ急いでいなくたって良い気持ちになることはなくないか?
そりゃ暴れてるんだし障害を持たれていそうな方とわかれば心配の気持ちもある。大丈夫かな?って全くならないわけじゃない。でもまず来るのは「なんだあれ?」の負の感情の人が多いのではないだろうか。少なくとも私はそう。
あと動画撮ってないで手伝いに行けみたいなやつ。動画撮るなはその通り何の異論もございませんって話だが、手伝いに行けるわけなんてないだろう。全く関係のない人間が突っ込んでいって悪化したらどうする?パニックを起こしてしまった人間に赤の他人が近づいて解決の方向に向かうはずないだろう。まして線路の上。駅のホームで暴れる酔っ払いとは話が違う。「やらない善よりやる偽善」とはよく言ったものだが、偽善にしたって無理がなかろうか。
いずれにせよ、動画を無断で撮影しインターネットに批判的に投稿した投稿主に関しては炎上しても仕方ないというかむしろ当然だろうとは思う。しかし、それに対する意見を見ていると、どうにもこうモヤっとした感情が残るのだ。私と似た感想を持つ人ももちろんいたが。
非常に色々考えさせられたもののこんなものTwitterにでも投稿しようものならどうなるかわかったものでもないので、ここに吐き出させていただいた次第である。
さて蛇足ではあるが
あとは今回の場合、おそらく親御さんと思われる方が女性だった。ああなってしまえば大変だろうし、あの後関係各所に謝ったりもしなければいけなかったろう。本当に大変だろうにお疲れ様です、と敬意を示したい。
…ただ、もしあれが父親など男性だったら世間の反応は違かったんだろうなと思ってしまう私がいた。体格あるんだからその前に止めろとか、何でもっと早く何とかしなかったんだとか、そんなリプ・引用が飛び交ってそうだなと思い、それもまた気持ちをモヤっとさせてしまったのだ。悪いインターネットに毒され過ぎたかもしれない。
以上、私が今回の件でどうにも腑に落ちなかったことの雑記である。ここまで目を通してくれた方がいたらありがとうございます。ばらつきまくった文章で申し訳ないですが。
キモオス、バカオス、ポンニチオス、クソオス、反出生主義、ッ(オとかサンとか敬称をつける必要がないから)みたいなワードを見るたびに思う
先にやったのは、女叩きだったよなーと。
先に何年もインターネットで、女は臭い、なんだ女かよ、女の文章、車のエンジンがかからないの(笑)まーん(笑)まんさん(笑)女さん(笑)が蔓延ってたよなあと。それを止める流れはマジでほぼなかったよなと
だからミソジニーは徹底的に叩くけど、ミサンドリーに対しては、ワイは寛容。
あの頃の女はインターネットで自分から理由もなく一般男性を口汚く罵るミームを作ることなどなく、穏やかに話してたよなあと思うからです。
なんでやり返さないんだ、あんな卑劣な奴らに言論の主導権なんて譲る必要ないよ、女みんなで口汚く罵っていいんだよ、あいつらキモくてバカだよ、殴り返せよ、と思ってた
「女でごめん」と謙虚に謝ってれば、キモいセクハラコメントはつくもののまあまあ荒れずにすみましたが、基本的には女の発言は荒らされてた
殴り返すなんて野蛮!悪口を言い返せば同じ土俵に立つことになる。こちらは丁寧に話さなければいけない。平和に過ごすべき!と考える人ももちろんいると思う。
私には全く理解できませんが。
まーん(笑)くっさ(笑)と止まらない止める人はほぼいない書き込みにも穏やかに、「そんなこと言われたら傷つくよ泣。」と言ってみることはできたでしょう(じゃあ書き込むなwww的に返されるだけでしょうが、書いた本人は傷ついたと書いた瞬間に癒されて満足できるかも)
まんさん必死wまあ許してやるよwとか言われながら、書き込めば会話はできるので、怒る必要はない。ということでしょう。それも納得できる。会話が目的であれば、目的は達成できるためです。
「相手も人間なので、ひたすら相手を肯定し続け根気強く優しさと共感を示し続けていれば、ちゃんと話し合える!」と考える人も中にはいるでしょう。
優しさや肯定や共感されたからって相手には返報する義務はありません。勝手に親切を押し付けて勝手に何かを期待するなんて傲慢だと思いますがね。
女さんにも割と良い奴いるんだな(笑)と会話が成立する可能性はありました。会話の成立が目的であれば怒る必要もないのは理解できます。
まあそれはともかく、
増長しすぎた女叩きについに女たちはキレて、現実の痴漢や性犯罪やセクハラにキレて、それらへのばかげた対応にキレて、甘っちょろい性犯罪の認識にキレて、男尊女卑にキレて、クソなテレビやメディアや雑誌やドラマやアニメや漫画や映画での男尊女卑にキレて、
いつしかクソオス、キモオス、ポンニチオスというような呼び名が定着するようになっていった
ワイは女がずっとやり返さないことが不満だったので、嬉しかった。
女叩きやフェミ叩きみたいなクソミームをどんどん作ってる日本横暴インターネットで、女性がお行儀よく美しい言葉を使う必要なんかないからね
むしろ、女は自分からは何かの集団をひたすら叩くミームをあまり作らないので、女がカウンターとしてではなく自ら積極的に気に食わない相手を叩きまくるようになるまで、もっと増長していいと思っている。
なんとなく、まあこういう考えの人は多くいるよなあと思う。みんな自分の好きなように生きる選択をして、それでも社会が成り立っていくようにするにはどうしたらいいんだろう。
私は人間1人あたりが新しい人間1人を生み出さないと、次の世代の負担が爆増してもっともっと厳しい貧しさが到来するぞと思ってすぐ悲しい気持ちになってしまうのだけど(既に私たちの世代が厳しい貧しさを体験している)、次の世代の痛みなど知らぬ、という人もそりゃいるか。とは思った。確かに。でもそれってあんまり大人らしい態度じゃないなと思った。自分が属するグループ、組織、社会の将来を良くする=人類を良くするために生きるのが、人間ってもんじゃないのか。もちろん、次の世代の苦しみが少なくなるように政治でなんとかしようという動きが今後出てくるかもしれない。ただ、団塊、そしてその次に団塊Jrの世代が死に絶えてやっと人口分布がまともになり、若い世代が苦しまなくなる、という、その時代到来までの半世紀くらいで、日本人の貧しさによる精神ズタボロ度はすごいことになってしまうんじゃないか。心配である。
私は人口が漸減していくことには概ね賛成だが(そんなに多くの子供をかかえる余地はもはやこの国にはないし、実際的に仕事に必要な人間の数はこれからどんどん減っていく)、ドデカい退役世代を、細々とした現役世代が養うというのは、無理があるし、つらい。
今の退役世代はまだ貯蓄があるからいいが、団塊Jrが退職し非労働人口になった時に、彼らの生活を金銭面でも身体面でも、現役世代が支え切れるのかは本当にわからない。年金制度の崩壊と言われる2025年は2年後に迫っていて、そこから本当の地獄が始まると思う。
すごく極端で非倫理的な話をすれば、老人達が長生きしすぎで、これは現行の年金制度を作った時には想定されていなかったと思う。そして、老人というのは家や車を新しく買うことはないので、まとまったお金があってもそれを経済に返還できない。子世代の建てる家や土地にどんどん老人たちがお金を出してやればいいと思うのだが、それはそれでしがらみになりそうで、難しい問題だと思う。そうして遺産相続の時が来る頃には、子世代ももはや退役している。長生きしすぎである。頼むから70くらいで死んでくれ。私も70くらいで死にたい。
70くらいなら子世代もまだ40とか50のはずで、孫世代の教育費に遺産を宛てたり、新たに家を建てたりできる。ただ、孫の世話をまかされている祖父母を考えた時に、70は早すぎる。かもしれない。私の祖父は80で死んだ。祖母は認知症を発症し、施設でまだ生きているが90を過ぎ、これは生きすぎだと思う。ただ、戦前生まれの体が頑丈なのであって、敗戦後に生まれた人々はもっと軟弱で、そんなに長生きはしないと思うし、生活習慣が変わったことによる病気も多いと思うので、平均寿命は現実的には80弱くらいになって欲しいと思う。介護現場の人手不足は国の縮図で、少ない現役世代が、自分たちの数倍の人数の入居者の世話をしている。
下の世代が苦しみながら、「もうじゅうぶん生きた、早く死にたい」と言っている世代を支え続ける構図は続く。ただでさえ老人の数が多いところに、出生率1.3というのは、「1.3人の人間の働きで(金銭的にも身体的にも)2人の老人を養う」ことであるから、国が必死になって子供を産ませようとしているのは確かに理論としてはスタンダードだ。
しかし、子供を産み育てる土壌があまりにも貧しくなってしまったために、子供を持つことはかなり難しく、私にはもはや特権化しているように見える。経済面、また、身体面および精神面で一定の条件をクリアし、他人(異性)と生計を一にすることができる人、というのが、現在この国で子供を持つ権利がある人々である。ここがもうかなり狭き門のように思える。異性愛者または子供のために異性と性交することができる人、かつ、健康で共働き+家事+育児ができ、子供の教育費を過不足なく捻出できる人。で、できねェ〜〜〜〜〜。こんな…ハードモードすぎるってばよ。
加えて出産(初産)は30までに済ませておいた方が体の負担が少ないので(と私は思っている)、20代で仕事をしながら、人生のパートナーが誰なのかを見極め、その人と着実な関係を構築しなければならない。ウワーーー!難しいよ。私は友人からもきつく「お前は子供を持ってはならない」と言い含められているとおり、そもそも治療薬の関係で妊娠ができないし、おそらくこの病状では育児にも耐ええないだろう。その前にパートナーがいないことも大きな問題だ。私のような「外れ物」が子供を持てないのはまあ当然として(本当は「家族」というものが欲しかったが…)、それなりに普通の生き方をしている多くの人が、上述のなんらかの条件をクリアしていないために、40年前なら結婚出産をしていたであろう結構なボリューム層が、非婚のままである。
ただ、40年前のように誰でも彼でも結婚出産しましょう、という風潮だと、本来その能力のない人が親になり、私のようなアダルトチルドレンおよび精神障害者が大量発生してしまう。正直、親世代の雑な育児のツケが回って「結婚できない」という人もかなり多いと思う。それを言い出したらキリが無いかもしれないが、ちょうど戦後に生まれた人達というのは、目まぐるしく変わった価値観を土台にする社会を生きながら、親は戦前の四角四面な道徳観念をもっており、それによって躾けられるという、かなり不安定な人達なのである。既にこの世代からして。大人の「未成熟」というのは、敗戦後生まれた人達から始まる問題だと思う。「未成熟」という言い方はよくないかもしれないが、大人としての役割のひとつだと私が思っている、「子供が1人で生きていけるように育てる能力」を有していない人が、この辺りから大量に出てくる。
または、戦前はそこまで個人の責によらず、社会全体でなんとか、どんな子も生きられるようにしよう、という、厳しさ前提の優しさがあったのかもしれない。たとえば子供がだめでも、孫が優秀かもしれない。そうやって、とにかく世代を繋いでいくことが優先されていたのは、日本古来の習慣(家制度)である。敗戦により、新自由主義、個人主義が「日本人なりに」受け入れられた結果、家制度は解体され、本人の希望によってパートナーを見つける形に変わった。それが時代の進歩というもので、これが「自由」である。どんなに下の世代が辛い思いをしようと、私たちは「自由」を手放してはならない。破れ鍋に綴じ蓋だったり、不均衡だったり、時には大きな問題のある相手を宛てがわれてする結婚は終わり、自分にとっての最上の相手を探す時代が訪れた。
そこで、今まで「宛てがわれて」結婚していた層の「問題のある人達」は結婚できなくなり、子供の数は減っている。これは、その人たちの遺伝子が淘汰されるならいいのでは?と一瞬思うが、遺伝というのはそう単純なものではなく、最悪な親からでもまともな子供が生まれたりするので、とりあえず宛てがって産ませよう作戦は、生物の生存戦略としては優秀賞だと思う。
ただし私たちは人間なので、やはり「自由」を捨ててはならない。子供を持たない人間たちは、その仕事によって次世代になんらかのものを残すしか手がない。私たちは「自由」だと体を張って証明すること、そして、自分より後に生まれる命のために、少しでも貧困の構造や社会制度をよりよいものに作り替えておくこと。これは子供を持っている人ももちろんやっていると思うが。私は結局子供は社会で育てるものだと思っているので(親個人の責任はそこまで重くするべきではない)、実際に子を持たない人でも、その働きはひいては次世代のためのものなのだから、誰が子供を持っているとか持っていないとかで揉めるべきではないと思う。
例えば巨悪や天災に抗い続ける人がどこかでぽきっと折れてしまったり、悪役が尊厳も何もなく命乞いをする姿とか。主人公にも誰かを傷付けた経験があるのに、時が経ったらもうそんなこと忘れてしまうみたいなこと。車に轢かれた動物を見て見ぬふりしたとか、歩いて潰した虫に気付かないみたいなことも。
宗教みたいに美しい人格者ももちろん好きですが、上記のような悪辣さというのか、裏の部分?とでも言うんでしょうか。悪気は無く、ただ無意識のうちに聖人君子ではないと証明できてしまう部分。ここに心惹かれます。
「やっと時代が追いついた」
っていうぐらいの感覚…。
「人口が多い国が栄える」理論が正しいなら、とうの昔に失墜してる国はいくらでもあるし、栄えたとして次のステップにシフトできるかは別問題
「自分の高校時代にはもう構築されてた仮説が、ようやく現実になったのがつい最近」
社会の現状に合わせないで、仮説を信じてたら良かったぐらい。
逆に文化や科学技術については、急速に進化しすぎて置いていかれそう。
逆に、「立憲だけはない」と言い続けてる30代だから、上の世代からはけっこうブロックされてたり、反発受け続けてるのよね。
私に時代が追いついてきてよかった。
野党に入れること自体はいいと思うんだが、立民だけは…民主党政権を見た身としてあり得ない。
俺が10年前から言ってる事だよ。一部の例外を除いて基本的には作品と作者は切り離せないってずっと言ってる。やっと気づいてくれた人がいて時代が追いついたなって思った
00年代に年の24時間化とかほざいてた政治家や経営コンサルタントに10年越しで勝利した。よかった、俺に時代が追いついた
よくも悪くも世界が保守化してきたし、自分の国の利益の話をし始めた。地球市民とか言ってた人がバカだと10年前から思ってたが、やっと時代が追いついた
という事例が複数あるけど…これ、逆の事も言えるよね。
「今の高校生たちは、世の中はおじさんや老人が多く、彼らは全然勉強しないか、すごく古いやり方にしがみついてるから、君たちが正しいと思うものが実現するまで20年かかるぞ」
とも言える。
高校生の時のぼくは
という考えで仮説を組んだ。
それはおとなになって実際に見聞きしてみるとそのとおりだった。
新しいことも勉強してるとも限らない。
勉強し続けてる大人ももちろんいるし、勉強どころか実行力もドンドンアップしてる大人もいる。
ただ、社会や政治や経済は、図体がデカすぎるから基本的に動きは遅い。
図体が大きいほど、他人がわかるほどの変化が実現されるのは時間がかかる。
その辺を読みそこねたなぁ…
自分がデブだからデブの話で例えると、デブが10キロ痩せても世間的にはデブなんです。
でも、デブの方が普通の人と同じ運動したくても、体への負担が2倍3倍かかることもあれば、骨格に負担がかかるからできないことも出てくる。
図体が大きいのは色々な意味で強みになるけど…それを変えるのは大変
これ「宗教が悪い」って話じゃなくて、
「自分と社会の間に大きなギャップを感じると、人間は何を信じていいかわからなくなって鬱になる」んだよ。
自分が躁うつ病がひどかった時期があるからわかるんだけども…うつ傾向が出たのは
・高校途中での転校
みたいなことなので、環境と自分のギャップがデカすぎる体験をすると…人間はうつになる。
他の要因ももちろんあるけどね
ぼく成績的には
「合計すると普通ぐらい」
である一方、理科社会数学音楽は人よりできた一方、国語英語美術は本当に苦手だった。
手先が不器用なことと、正解がフワッとしてる割に膨大な処理を求められることは本当に苦手で…これが対人関係や環境変化でやり直す時すごく苦労した。
学生時代は
「がんばれば、大半のことは普通まで行けた」
でも、不況の就活やブラック企業の無茶振りに対しては頑張っても普通にさえ届かなくて、問題になった。
器用貧乏だと思ってたけど、実は逆だった
親が宗教にゴリゴリであるほど、学校と家で使う能力が変わってきて、苦手の克服のために努力する時間が増えておかしくなっていくのだと思う。
人間はメンタルであり、メンタルには周囲の評価がかなりの割合含まれる。
演じないといけない役どころ、求められてるポジションの乖離が激しいほど鬱になりやすい。
環境によって愛されたり嫌われたり、
できることとできないことが激しくて自分の能力を細かく把握できなくなると…自己喪失する
宗教2世のケースで言うと、宗教に適応すれば、他の社会に適応できなくなる危険がある。
逆に、社会と適応してる時に、家に変えると宗教への適応を求められ家族仲が崩壊することもある。
極端な例だけどね
「幸せになりきれない人」
人を疑ってかかったり、知能が低い人間にあわせすぎて全体から見ると極端な意見や対案を持っていてしまったり…不幸や悪意に適応しすぎてる人を見かけるし、自分も陥りがち
何が言いたいかと言うと、
「軽度の精神疾患は、自分と周りとのズレからスタートするから、案外誰でもかかる。」
ということ。
ある人が
と言ってた。
それに加えて、自分で自分を不幸にしてないか、何が向いてるかを見直す整理期間だと思う
動けるようになるまで動かないこと。
向いてないことをやめたり、
違う環境に旅に出たり、新しいこと始めて自分の適性や望みを再確認してみてもいいって話
まぁ…インターネットに書き込んでも、他人をうつにするほどの適応を強要してきたり、他の世界とぜんぜん違うことを求めてくるような人って読んでくれないんだけどね。
宗教にのめり込み過ぎてる親とか、酷いとSNSはおろか友達と遊ぶのも禁止してきそうだから、学校と家との乖離がすごくなりそう…
でも、うつになる程度に主体性を失いそう、周りの環境と合わないし抜け出せない人は「選ぶのは自分」という主体性があるだけは忘れちゃダメ。
ほぼ本能的に
という衝動で色々書いてみたものの…思った以上に、今やってる記事に役立つ思考の整理ができた。
「ぼく/私でいいの?」
はラブコメの定番セリフだけども「すごい人よりもちょうどいい人」だから、いいんだよね。
ぼく・私がちょうどいいなら
当方、30代の女。同性と話していると、車関係でぞんざいに扱われた経験がある人がままいる。
私も昔、いや~な経験をしており、それ以来、車関係には気を付けるようにしている。
これから車を買う方、または車を買った若い方の参考になったら…と言いつつ、単純に長い愚痴である。
先に言っておくと、当時はそこそこの知識しかなく資金力もない学生だったことにより、
販売店に違和感を抱きつつも店を変えるという判断ができなかった私自身にもたくさん反省点がある。
でも若いときって、ある程度の知識があっても柔軟に対応できなかったりすると思う。そういう話として読んでいただければ。
地方の大学生→大学院生。高3で免許取って親の車をずっと乗ってた。
交通の便が悪い実家から都市部の大学に通っており、1年間は自転車→バス→電車→バスで通学したもののくちゃ不便で
かつ交通費もかなり嵩んだことから車購入を決めた(当時はガソリンがとても安く、自宅から車通いの方が経済的だった)。
問題のディーラーで中古車を2台買うことになる。親が車に詳しいから私もすこし車の知識があるくらい。
販売店は、両親が車を購入した地元に昔からある店舗ではなく、大学へ行く途中にある、全国展開の中古車販売もしている某ディーラーで購入することになった。
これは両親が通っている店は自宅から遠く、かつ私の大学と反対方向にあるため、私の生活圏から大きく外れて不便だったから。
当時はこのディーラーの評判は悪くなく、地元の友人や近所の人のなかにも結構ここで購入している人がいた。
(今思えばこの選択の時点で間違ってた。めちゃくちゃ不便だけど、せめて両親が世話になっている地元のディーラーに行けばよかった。)
なお、初めて車を買ったのは大学2年のとき。この時は両親に中古の軽を買ってもらった。
この時の担当は女性店長で、すごく良くしていただいて不満もなかった。
(女性店長はその後エリアマネージャー?的なものになって首都圏に栄転した。優秀な人だったのだろう。)
ちなみに、ほんとうに不便な場所に住んでいて、一人一台車を持つのがごく当たり前の地域だ。
学生身分で車を買ってもらうことについては大目に見てほしい。(社会人になってお金は返しました。)
院進してすぐに2台目を買うことになった。1台目は5年落ち、走行距離5万キロ程度だったが、
私が通学&バイトで少なくとも1日往復80キロほど運転し、すぐに走行距離がとんでもないことになったからだ。
父(自動車製造業に従事し、車好きだから着いてきた)とディーラーを訪れると、新店長(以下「クソ」という。)に引き継がれていた。
今回はバイトで貯めた100万円を基に自分でローンを払うことにしていた。最初にクソに「自分で買うので予算はこれくらいで…」と言っていたのにも関わらず、
クソはずっと父親に向かって話し、お伺いを立てる。父は「娘に着いてきただけで、お金は娘が払うので(娘にきいて)…」と何度も言うが、クソは私を無視。
挙句私には「これはAT車といって…」と免許持ってる人間なら当然知っているようなことを説明しだす。
私が父がついてきて鬱陶しかったが、かえって父がいて良かったかもとげんなりした。
世間では、若い女性がカーディーラーで下に見られることがあるというが、それをまざまざと実感した。
いや、これまでもこの店舗に男性スタッフはいたが、彼らに馬鹿にされたことはなかった。
目の前にいたクソがクソすぎて際立ってクソだったのだ。
何とか苦痛に耐え、購入を決定。買うのは私のため契約するのも私なのだが、クソは父親に契約書を渡した。
父は「娘が買うので…」私に渡してきたが。不毛なやり取りだった。
今思うと、この違和感を感じた時点で車の購入を辞めておけばよかったけど、若さゆえか購入してしまった。後悔している。
車を購入して半年後の点検を購入店ですることが多いとおもうが、私もそうした。
というか購入時に「6か月点検どうしますか?」と言われ、その場で点検日も決めて予約したのだ。
で、点検の1か月前にはディーラーから点検日リマインドの葉書がちゃんと来た。
当日。リマインドの葉書を念のため持ってディーラーへ向かう。予約の13時。
入店して「点検お願いします!」と店員さんにキーを渡すと横からクソが出てきて、
「お姉さん、点検は事前に予約しないとできないの知らないんですか~?」と小馬鹿にしたような感じで笑われる。
えっ、こんなクソが社会で働いているの?と怒り爆発だったが、こちらも大人として冷静に葉書を見せると罰の悪そうな顔をして
ゴニョゴニョ「ハイ、ヤリマァス…」とキー持って整備士に渡しに行った。
退店前にも「1時間程度で終わるんですよね?」と念のため聞く。事前にはそう聞いていたが、念のためバイトを17時からにしていた。
ところがクソは「いや~もしかしたら夕方になるかも」とアホみたいなことを抜かすので、「何時ですか?」と問い詰めると「16時」と。なぜ?
んで、16時ちょい前に車を受けとりに行くと、クソは「ちょっとお待ちください」と言い残し、接客へ。
そりゃ新車買う客のほうがね、たかが6か月点検の客よりも金になるのは分かるけどさ。この仕打ちはないなと思った。
そのまま15分も30分も待たされ、これ以上はバイトに遅刻するから他のスタッフに苦情を言うと、さすがにクソも焦ったのかダッシュで車持ってきた。
この日の出来事は両親や友人にも話したが、「大変だったねえ」と笑い話になるだけであまり深刻な事として伝わらなかった。
この時点でもっと抗議していればよかったし、この時点でこのディーラーを利用するのを止めたほうがよかった。
購入から1年半で車検の時期がきた。あのディーラーで車検だ。なぜ店を変えなかったかというと、当時は私が修論執筆と補助金の申請で忙しく、
寝不足の日々が続いていたため余計なことを考えている余裕がなかったのだろう。
また、1台目のときの車検はむしろ細かい不調を見つけてもらい、整備士はちゃんとした人だと思ったからだ。
車検の季節は冬だったが、このころ、車のエンジンをふかして車体が温まるまでの間、車の前方部分からキュルキュルと異音が聞こえるようになった。
はっきりと聞こえる大きな音だ。私は音の性質からエアコンベルトか何かが滑っている音ではないかと考えた。
ボンネットを開けてみると、場所的に良く見えるものではなかったが摩耗は感じられた。
翌日、エンジンをかけて発進するところを母にスマホで撮ってもらい、単身赴任中だった父に送ったが父も同様の見立てだった。
父は「ベルトの摩耗だと思うから、車検の時に言えば見てくれる。珍しいことじゃないし」と言い、
私も、整備士さんはまともだったし、と思い直して車検に向かうことにしたのだった。
車検当日。念には念を入れ、予約リマインドの葉書を持参していく。父は他県に赴任中だったので、母と行くことにした。
一人で行動したかったが、私の話を聞き入れられないとこまるので人を連れていきたかったのだ。
当時は男性の友人なんていなかったし、同性の友人はみな若い女だ。相手にされないに決まっていた。
ディーラーに着き、予約を忘れてたっぽい様子のクソに葉書を見せて釘をさす(本当にクソ)。
そのうえで録画した映像を見せ、異音のことを伝えた。これでクソでも大丈夫だろう。
翌日。車を受けとりに行くとまさかの「異常なし」回答だった。そんなことある???
誰がどう考えたってどこかおかしい。さすがにいつも私の愚痴を笑って聞いていた母も訝しんで、
「エアコンベルト等は大丈夫だったんですよね?」と聞くも、まったく問題なかったとの回答。
じゃああの異音は何だったのか?そう問い詰めても「さあ?僕は一度もそんな音聞きませんでしたよ?」
「車には何も問題がなかったから、原因不明としか言いようがないですよね?」と開き直り。
ここで私も母も完全に目が覚める。このクソの言っていることは信用ならない。
クソは客を見下している。予約を忘れだけじゃなく、車検も本当はやってないのでは?
怒りがわき上がるばかりだったがもう今はこのクソと関わりたくなく、ひとまず退店。
自宅に帰り父に連絡すると、父も「絶対におかしい」と怒っていた。ベルトはどこか別のところで見てもらうことにした。
車検翌日、大学院があるため通学に車を使う。異音が心配だし、普通なら交通機関で通うところだったが、
この日は運び込まないといけない荷物が大量にあり、車で行く必要があった。(この日に車を使いたくて、あえて少し早めに車検をしていた。)
夜遅くまで大学に残り、車で自宅まで帰っていた午前3時過ぎ、パンッと大きな音が鳴った後にエンジンがきかなくなり
徐々に速度がするすると落ちていった。退避できる路肩もなく、バツが悪いことに国道の大きな交差点の真ん中で車がゆっくり停まってしまった。
かなり交通量の多い交差点だったから、かえってド深夜だったのが不幸中の幸いだ。
車中に留まるべきか、離帯に退避すべきか悩んだが素人考えじゃどうにもならなかったので、
離れたところに三角停止板を置いて、車中でJAFに電話をして助けを求めた。
(その時、ちょうど通りがかった親切なドライバーたちが最寄りのガソリンスタンドまで車を押してくれて事なきを得た。)
JAFの人に見てもらい、これは廃車ですね~と言われる。ついでにお兄さんがエアコンベルトを見せてくれたんだけど、
擦り切れているというよりは、ゴムが古くなって固くなった結果ブチっと断裂してしまっていた。
「普通は車検で見つかるんですけどね~」と言われたので「実は昨日車検に通っています…」というとびっくりしていた。
「参考に聞きたいんですが、どこで車検されました?」とも聞かれた。
JAFの人がこれまた優しくて、事情を察したのか私の任意保険の証書をその場で読み込んでくれて、
「この特約で、おそらくレンタカーを代車として車を借りられます。次の車を買うまで繋げます」と教えてくれ、
任意保険の会社に電話をして私の自宅最寄りのレンタカー店で借りられるよう手配を全てやってくれた。
お陰で通勤通学への影響を最小限におされられた。本当に惚れそうになる。ぜったいJAFには入ったほうがいい。
その後、車を最寄り(と言っても隣市)までレッカーしてもらい、修理工場へ。私はタクシーで帰宅した。
冷静になると同時に、やられた~!!あのクソ~!!!と怒り爆発。
私この業界のことよく分からないけど、雑な車検がまかり通ってるの?それで10万とか取るの??
次の週末、例のディーラーへ。ここで私は怒り心頭で、とにかくクソに文句を言ってやりたいという気持ちに。
しかしクソはよく分からない時期によく分からない理由で異動し、新しい店長が来ていたのだ(左遷?)。
アポ撮った際に車が廃車になったことを伝えていたため、新車のパンフレットをたくさん用意されたおり、
「新車を購入いただける場合、代車はただでお貸しします!」と言われたがそんな気分ではない。
これまでの経緯を話し、「保険の特約で代車は用意しましたので、車は買いません」と言うと、
新店長は(ああ、やっぱり)みたいな反応をしたので、やっぱりクソの移動は左遷で間違いなさそう。
尻ぬぐいする新店長も大変だし罪はないが、こうでもしないと怒りが収まらないので取引終了となった。
当時は若かったし、毎日多忙で車のことばかり考えている余裕はなかったんだけど、自分自身にも反省点はいっぱいある。
異音を感じた時点で乗るのを控えなきゃだめだと思う。でも地方の交通の便が悪いところに住んでいると、そうも言っていられない現実はある。
車がないと生活できないし、バスも2~3時間に1本あればいい方。レンタカー借りたらよかったのかな。
車検で習った範囲ではボンネットのなかも見てたけど、もっと見ていたら確信をもって異常に気付けたかも。でも私の言葉をクソは聞いてくれただろうか。
「エアコンベルトあたりから異音がするので見てください」ではまだ相手にされない程度に知識不足何だろうか。
単身赴任中だったから連れて行かなかったけど、居てもらえばよかった。
私と母だけではこんなに話を聞いてもらえないと思わず悲しかった。ほとんどの店員はまともだと思うけど。
これに尽きる。でも全国的に名の通っている販売店だし、クソの前の女性店長はすごくいい人だったんだよな。
店単位じゃなくて人によっても信頼できるか判断しないといけない。馬鹿にされて違和感を感じた時に店を変えていればよかった。
気を付けていることとしては
男性を連れて行かないと話を聞いてもらえないのは悲しいしそれこそクソ現実だが、車は失敗すると損失額が大きいから、
リスクを抑えるために、恋人や夫を連れて行くようにした。男性ならだれでもいい。本当は一人で堂々と買い物したいさ。
でもそれだけで格段にこちらの言い分を聞いてもらえるんだから、悲しいけど、保険にはなる。
私はまずは夫と一緒にいき、自分の話も聞いてくれる販売員(店)だと思ったらその後は一人で来店するようにしている。
信頼できる口コミ集めは難しいけど、悪い噂はやはり拡散されるので、そういう悪い噂がないお店を選ぶのは大事だと思った。
とくに昔からずっとあるような地元ディーラーは、逆にそこで長年営業できている証左でもある。客商売ですし。
私が行ってた例のディーラー、今ではなかなかの悪評らしい。自分と同世代の友人(女性)も数人、ぞんざいに扱われたと言っていた。
身の回りの男性からの不評は聞かなかった。男性には丁寧な接客だったのだろうか。知らんが。
1店舗だと比較が難しいので、最近では車種に悩んでるふりしていろんな店舗を回るようにしている。
系列店でも人によって営業スタイルも違って逆に面白い。無理な人は営業姿勢から生理的に無理!ってなる。
結果として、今は自分に合う販売員さんから車を買えているし継続してお世話になってる。友人にもその販売員を紹介している。
車検の内容に異議がある場合って、異議申し立てとかなんか対抗手段とかってあるんですかね?
当時は金もない知識も時間もない学生で戦う気力もなく、泣き寝入りでしたけど、次同じ目に遭ったら最後まで戦いたい。それほど怒っている。
いろいろなご意見ありがとう。説明が分かりにく過ぎてごめんなさい。以下で返信します。
元増田みたいな口調でコメント返ししている人がいますが、元増田はこの記事の追記と「追記2」以外で返信しておりません。
1台目も軽(70万くらい)だったけど、学生の身だし、買ってもらう側だったから文句も言えなかったですよね。買ってもらえただけありがたい。
あとウチの親は、「軽は燃費いいし大事に乗れば長持ちするから大丈夫!それに学生に普通は贅沢だ!」という思想もあった。
コメントにもあったけど、田舎は道が狭くて、中央線もない道をぎりぎりすれ違うことも多いから小回りも聞くという都合もある。
さすがに走行距離がアレすぎてすぐにガタが来たから、2台目は1~2年落ちのほぼ新品みたいな中古を買いました(色々込々で120万くらいだったかな。)。
新車や中古の普通車も考えたけど、大学院終わったら就職で引っ越すし、手放すつもりでいたのでなんだかんだ軽に落ち着きました。
これに関しては説明不足でほんとうに申し訳ない。指摘の通り、エアコンベルト断裂=廃車にはならない。
記事では端折って書いたが、実際にはベルトが断裂したような異音のあと、
次第にアクセルを踏み込んでも反応がに鈍くなりがなくなり、そのままするすると速度が落ちていき停まった。
走っていた国道もバイパス?というか、とにかく路肩が狭くてカーブしている道路で、高速道路のようにとばす車も多いから、
安全に退避できる直線道路までなんとか移動しようと焦っていたところ、交差点で本当に動かなくなった感じ。警告灯はつかなかった(なぜ車検に通る??)。
断裂したあとは無理に走っちゃダメと知識として知ってたけど、その時はパニックで何とか退避場所探して進んでしまった。これは良くなかったです。
JAFの人によると、たぶんベルトの異常は前から起こっていて、長期間無理して走っていたのでエンジンがオーバーヒートして焼き切れてしまったのでは?と。
ふつうにエアコンベルトが切れただけでは即廃車にはならないし、ベルトが首の皮1枚で繋がっていただけでかなりエンジンに負荷がかかっていたのでは?
と言われ、車検していればあまり見ない故障の仕方ですね…と苦笑いされてしまいました。複合的な要因もあるかも。
その都度「お客様電話窓口」的なところには電話して改善依頼とかしてたんだ。結局なんにも改善しなかったけどね。
クソ本人にももちろんいろいろ言ったけど響いていないようだった。
それこそ客(私)に対する対応の悪さとか、予約忘れてんじゃないかって話とか、そもそも車検をちゃんとしているのか?とか。
最後の車検の件に関しては、車検で見落としがあったんじゃないかと色々戦おうとしたけど、販売店側(本部)もあの手この手で
「経年による消耗や摩耗や事故故障などは車検保証対象からは外れる可能性がうんたら~」と逃げ腰で対応も悪く、
結局例のクソも異動後に速攻で辞めてたみたいなんだよね。怒りの矛先を失ってしまった。
このままでは時間と気力の無駄だと手を引くことにしました。お金と時間があったらもっといろいろしたかった。(この時は修論が大事だった。)
高い勉強代と思って以後は気をつけてます。でも次の若い世代には痛い目見てほしくないから愚痴として書いてんだ。
今でこそその発想はあるが、当時は単純に大学とバイトで疲弊していて、そのための時間を捻出するのがとても惜しかった。
あと単純に、私の件は「エアコンベルト見て!って言ったら分かるでしょ」と性善説を信じすぎていた。相手がクソなら何言ってもクソ!
父が自動車工場勤務上がりで車に詳しいから、エアコンベルトあたりの異常であることも確信があったし、それを言ったら伝わると思ってたんだよな。
人間、一度は痛い目を見ないとこの辺は学習できないのかもしれない。
そもそも女が車屋行くのがハードル高いよね。学生時代に、こういう時に連れていける男性って彼氏か父親くらいのもんじゃない?当時の私に彼氏はいなかったが…
今後買おうとしている皆さんはほかの車屋の意見をきいてほしい。女性の場合は、なるべく男性を連れて行ってほしい。販売員でハズレ引いたら終わりなので。
そもそも人は一貫性を持ったものではないので、「気にしない」というわけにはいかないですかね。
人格によって記憶が分離されているとかではないので、大した問題ではない気がします。
辛さは本人にしか分からないので、気楽に無責任なことを言いますが。
がっつり肉に喰らいつきたいときもあれば、さっぱりした魚を食べたい時もある。
辛いものを食べたいときもあれば、酸っぱいものを食べたい時もある。
私は納豆が大好きだけど、全く食べたくないときももちろんある。
そういうものではないですか。
さすがに、音楽や服の趣味がころころ変化するのは珍しいと思うけど、そのときに自分の気持ちの赴くように行動すればいいのではないですかね。
(服を気分で選べるほど多彩に取り揃えるのはちょっと難しいけどね)
私はレズだ。自分がレズだということは小学生の時から薄々気がついていて、何年もかけて咀嚼して受け入れてきた。今更そのことを常時悲観して過ごしているなんてことはない。
冒頭にこのような文を置いたのはこの話に欠かせないことだからで、決してマイノリティであるということを見せびらかしたい(?)訳ではないということをご理解いただきたい。
年齢は伏せるが、私は今実家を出て一人暮らしをしている。家族との関係は悪くはないが、とても仲がいいという程でもなく、実家の猫の様子を見せてもらうために定期的に通話をするくらいの関係で落ち着いている。先日その通話で、祖母が心臓病らしいということを告げられた。手術をすればまだ生きていられるとか、祖母はそういう状態になっていたらしい。私は自分から祖母と連絡を取ろうとしていなかったため、そのことを全く知らなかった。親が祖母の病気を知らせてきたのは、きっと私から祖母に連絡をし、元気付けて欲しいという意図が込められていたのだと思う。しかし、私はまだ祖母に連絡を取ることができていない。
私が幼い時、私と祖母との関係は良好だった。祖母は私のことを可愛がってくれ、遊びに来るたびに色々なところへ連れてってくれたし、小学校の運動会も毎年見にきてくれていた。私ももちろん祖母のことが好きであり、祖母が帰ろうとするたびに駄々をこねたりもしていた。
しかし、自分がレズであるということに気がつき、1番そのことに悩んでいた中学生の時だった。その日も数ヶ月に一度祖母が遊びに来る日だった。祖母がテレビをつけると、NHKだったか、当時はそれほど取り上げられることのなかった性的マイノリティの特集がやっていた。そこではレズビアンのカップルのインタビューが放映されていた。私はその番組が見たかった。自分が将来なるかもしれない姿だったからだ。だが、それを見て、祖母は「気持ち悪い」と言った。衝撃だった。自分を愛してくれていると思っていた祖母が、自分の持つ属性を全否定したのだから当然だと思う。当時の私はその出来事にひどく傷つき、そこから私は段々祖母のことを避けるようになった。勉強で忙しいから、とか理由をつけて祖母が来ても部屋に篭ったり、一人暮らしを始めてからはバイトを理由に祖母の家への帰省を断ったりしていた。そうして祖母との関わりが薄くなった今、病気のことを知ったのだ。
祖母は古い時代の人間だからそういう価値観が染みついているということは理解できる。私のような性的マイノリティに気持ち悪いという感情を持つ方は他にもいると思うし、そのこと自体を否定はしない。祖母もまさか目の前にいる孫がレズだとは思いもせずその言葉を言ったはずだ。理解もしているし、仕方のないことだとは思う。
ただ、思うのだ。もし私がレズだと祖母に言っていたら、祖母は私を同じように扱っていただろうか。祖母自身が気持ち悪いと言った属性を持つ私を前に、祖母はどう振る舞うのだろうか。祖母のことは好きだ。ただ結局私はあの言葉からずっと、祖母にとって自分は受け入れられない人間だということに傷ついているのだと思う。
バンド名は伏せるが、思った事をつづらせて頂く。
そして最近若い子のファンも新たに獲得しているあの有名バンドだ。
増田ですまん。
もしここで
・そんな事を読んだ私とファンと彼らが傷つく
・老甲斐〇ね
という思いを若干でもしたなら今すぐにこのウィンドウを閉じて欲しい。
見ないのも権利だ。
上記のように「彼らはエゴサしまくっているからバレたら傷つく」
・ファンから見ればコロナ禍での動きがなかったのが良いとも思えたが、
他のバンドは音楽を守る為に無料配信したりインスタライブをやったり、
色々していた。彼らは何もしなかった。
いや、影で曲を作っていたのはわかる。
けれどもファンに知るすべはなかった。それが歌を作る彼なりの美学的なものなのかもしれない
自分も一ミリも見なかった。人は変わっていくものだから仕方のないことだ。
・ファンクラブをつくらない主義なのは理解したし、それが好きだった。
だが席代の爆値上げ。仕方ないのかもしれないが、そういう区別・差別をしない人なのだと思っていた。
何故なら「音楽が全ての人に届くように」という意志のもと、近くの席とか遠くの席とか分け隔てなくやってくれていたと思っていたから。
自分の意思を通さないんだなあと、今回の席料の変化で改めて思った。
マスコットキャラクターがいるのだが、そのキャラを玩具にして絵をかいたりモノをつくったりするのはギリセーフとして、
・さらに完全に模造品を作り、ばらまいている。
オリジナルのイラストだったりであれば問題ないとは思うが、それも運営にファン層の遊び心を許されている範囲。
ロゴをそのままコピペしたりしたグッズを友達以外に配布するのは駄目。
ただ、そういう「めんどくさいことはわかんないし自分がたのしいからいい」という人がすごく多い。
・ファンは離れたり、入れ替わったり、新しくついたり、色々いる。
それはどのアーティストでも同じこと。
ファン内の謎のルールがあったり、世間一般から見れば異様だったり、もっと言えば宗教じみていたりする。
蜜六と〇〇交換しませんか?なんて平気で連絡がくる世界。最低。
・一方で80%はまともなファン。問題はのこり20%くらいの人たち。
・心に傷を抱えた人が多く、優しく、繊細で、脆い。
だからこそ、感情的な人が多い。感情的なのは良いが、匿名で人を攻撃する攻撃性の高さは圧巻。
こういう方はこういう事を、ターゲットを探しながら永遠に繰り返すのだろう。
80%はまともなファンだ。
・上記に書いた通り、ファン思いに感じさせているのはすごく上手なのだが
・・・・・・いうのは野暮なのでやめておこう、(と思ったら何か動きをしてたらしい)
(インスタとかやってませんでしたっけ…まああの人達らに向いてないんでしょうね……)
・グッズ。もういうことない。
・いい意味でもわるい意味でも、商業バンドなんだな、という感想を最後に感じた。
何かアプリを出したらしい。内容知らないけど。チラっとなんか見えた気がしたけど。
課金制あるんですかそうですか。
アプリ作るのに金かかるのもアップデートやら申請やら莫大な費用かかるのはわかるよ。
あのキャラは「お母さんが100点をくれた時」に描いてくれた子だったような。
みんながぬいぐるみをぶらさげて歩く光景すら違和感があったのに、
もうそれでいいんだと思った。
・ファンクラブは作らない宣言は何だったんだろう。(ぼんやり)(FCじゃないって言ってる人がいるからいいのか)
・ある一人がやらかしたのだが、ファンもほぼ受け入れているし、
メンバー仲良く(見えるよね、そりゃファンからしたらね)音楽をやっていることに、
この一件で、私はメンバーを受け入れられなくなった。
・彼が神だ、聖人だ、と言われているのはわかる。
じゃああとのメンバーは?と思う。メリットと言えば仲良しバンドだと言えることであろう。
それだけで充分に人気を保てるし、バンド名で安心するだろうし。
それでも非常に感謝している。
勇気も元気も楽しい想いでも素晴らしい友人も離れてもそばにいてくれる友達もいる。
今ももちろんいる。いまの色々な事の糧になっている。
矛盾しているように感じるかもしれないが、本当にありがとう。と思っている。
ファン層はがらりと変わり、昔から風物詩だったグッズ交換会やら何やら色々あったみたいだが、そこはもはやよく知らないので割愛する。
もちろん昔のグッズを身に着けているひともいるが、20代前半くらいの人の姿も目立つ。
楽しそうで羨ましかった。
自分も楽しんでいる中の一人だった。
さいたま新都心駅を降りた時、ピアノの演奏をしている人がいて、
「なんの曲だっけ」と思いつつ素通りしたが、上手だった。
けやき広場は久々だ。
彼らで言えば〇年ぶりか。
コロナ禍もすっかり終わり?なのかアルコールも売っていてあの頃と変わらない新緑の広場。
あの空間でいろんな友達と待ち合わせしてあったりしたなあ、と思い出す。
綺麗な想い出は綺麗なままだ。
今でも仲良くしてくれている子とあったのもあそこだ。
人は変わる。
彼らも変わる。
想いも変わるし、ルールも変わる。
知らないうちにいろいろ変わっている。
この数年間のうちに誰かを亡くしたり、誰かが結婚したり、誰かに子が生まれたり、沢山あっただろう。
アーティスト歴の長い彼らは「普遍性」を求められる一方で「変わらなければいけない」こともたくさんあるだろう。
全て理解した上で、自分はその「普遍性」をとても高潔なものだと感じていたことに気付き、
「普遍性」って良いようで悪いし、悪いようで良いし、一見宗教じみでるし、本人たちも大変だろうし、
大変じゃないように意識しないようにしているのかもしれないし、運営がうまいことやってるんだろうし、
でも、ず-っと、仲良しでやっていかなければいけないのって大変だろうなあと思った。
もう大人だから大丈夫だろうけど、20代の時とか凄かったよね。
まあそんなふうに人は変わっていくものなのだ。それは、忘れないで欲しい。
今でいえば推し活だったのだろう、色々なこと。
今では全くやる気にならない。
ちなみに誰の意見も読んでいないし、これを投稿したところで、コメントを見るも見ないも決めていない。
冷めたことをわざわざ記事にする必要はないのではないかという批判は来るだろうことはわかっている。
だが、そういう風な思いをしたり、或いは他の理由で去っていった人が、
自分の知っている限りで物凄く沢山いる。
そして、その人たちは別のところで音楽を楽しんでいる。
色々思うことはあった。
はっきり言って、マナーは悪かった。
「〇〇しないでください」と言ってることをするのは、小学生でも理解できるだろう。
あとは個人的な意見ではあるが、少なくとも、弦の響きが消える瞬間まで拍手しないか、
ただ、最後に独特のソロフレーズがある曲の一瞬終わりだと思わせる空白の時間に拍手するのは
そういう細かいところを気にするのも良くないんだろうし、自分が間違っている可能性もあるのだが、
でも。せめて曲を大事に聞いて欲しい。曲を大事に聞かせて欲しい。
ああ、いや、違うか。
彼は「自由に楽しんで」と言っていたので、あっているのか。
自分は重要なソロフレーズの直前に拍手されるのは違和感を感じるが、彼らがいいならもういいか。
ライブの詳細は伏せる。
今更ネタバレも何もないが。
彼に最後に言われた。
「また絶対会おうな」
曲にもたくさん言われた。
でもな。
タオルすら持ってなかったのは失敗だった。
凄く好きだった。
xx年間、大好きだった。
〇にたいと思った日に、いつも支えてくれた。
怖い時に隣にいれくれた音楽がたくさんあった。
言われた言葉も暗記している。
こんなに大好きだったのに、彼がしたかったらしい「約束」がもはや
本当に本当に真っすぐ綺麗な純粋なものなのかどうか信じられなくなっていたし、
もうこんな気持ちに変わった自分は来る必要性はないのだと改めて感じた。
好きだった音をまた聞く機会があるのかないのか、と言ったら
現時点ではないと言い切れるが、
大地震がおこるかもしれない。
噴火がおきるかもしれない。
誰かがなくなるかもしれない。
その時にまたあの音が、自分を幸せにしてくれたり、強くしてくれたり、弱くしてくれたり、
自由奔放にさせてくれたり、色々な経験を積ませてくれたり、友達を全国に作らせてくれたりした、
あの優しい音と歌詞が頭の中に聞こえてくるのかもしれない。
もっと言いたいことは沢山ある。
おひとりおひとりと対面で話して、あの時何故。と言いたい人もいる。
あれは何を思って。
彼らの音楽の何を聞いて、何を思って、そうなったんだ?と言いたい人もいる。
さよなら。
ずっと、ありがとう。