はてなキーワード: バブルの崩壊とは
頭の片隅には常に仕事のことがこびりつき、週末であっても業務内容について考えてしまう。
考えない時間を強制的に作り、精神を休めるためには寝るしかない。そして寝るだけの週末ばかりを過ごす。
心の底から楽しい休暇を過ごすためには、日本から時差のある国に行かないと休めない。
自己責任だ。それは知ってる。
社畜だな、その通り。
今の状況が好きなんだろう?そうだね、とドヤ顔で答えられる。
海外旅行に行けるほど給料もらってるんだろう?と言われたら、まあ。というところ。
多分な事件事案解決への祭り感に乗りたい欲を満たし、自己犠牲精神を捧げ、外資企業に所属をするか業務として請け負っている時は
時差を乗り越えないとならない業務にどっぷり浸かりながらいわゆるWeb/IT業界を中心に転々としもう20年以上。
その間、9.11、2018年には初回のドットコム・バブル崩壊、3.11、コロナのパンデミック、ウクライナ紛争、日本元首相の銃撃事件
雇用体系や所属企業が変わっても一貫して24時間365日正常に動いて当たり前のサービスまたは製品を担当しているので
世情にも社内政治にも社内の状況にも全力で振り回される。
気分的にはジェットコースターに乗っているというより、一分一秒途切れず水もなしに高速で脱水している洗濯槽に生身のまま放り込まれている気分。
いやいや例えば、相手に油断をさせるだの、疲労をさせるだの、あえて精神的にプレッシャーを与えるだのは盤外戦と呼ばれて結構あるんですよ。
将棋でなくて、例えばポーカーなんてのはいかに盤外戦を行うかも競技の目玉になってるわけです。
(ポーカーのルールに純粋に従ったら、良い手がそろうまで待つしかないでしょう)
スマホのNMPキャンペーンを利用して、スマホの転売を家族単位で行う人
土地バブルの崩壊を予測したにもかかわらず広めずに空売りした人
心屋カウンセリング
んで、問題なのはその歪みに乗っかるのか、上手く利用して刈り取るのか、ということでしょう?
包丁を突き付ける覚悟がないんなら、鞘を納めて、楽しく将棋ができる人と小さなコミュニティでやっていくしかないでしょう。
ところがあなた達は、私が将棋の例えにのったのを見て、やいの低能男だと罵るわけです。
あなた達がやっていることは、まさに、将棋の最中に包丁で脅すような真似なんですが
それをもってして得た利益って何ですか?
いまのなろうトレンドを見てると、音楽界にあった音圧競争的なものを感じられてならないね、というお話です。あ、そう感じただけで結論はねーです。
ウェブ小説サイト「小説家になろう!」は、日本でも有数のページビューを抱える化け物サイト。そこでは雨のあとでもないのにタケノコがニョキニョキニョキニョキ生えてくるような状況。なのでそこを勝ち登るためのメソッドがどんどん研ぎ澄まされてってます。
これについて雑に現象を収斂すると「長文タイトル(タイトルでどんな内容かを明示する)」「テンプレ化(人々が楽しみたい物語類型に従ったストーリーテリング)」の二つになるでしょうか。特に後者がやばい。ものすごい勢いで物語たちが生まれるってのは、新陳代謝、練磨の速度もそいつに伴ってきます。更に、ガンガン系やエース系、後は各紙のウェブ連載漫画などには、かなりその影響が波及している印象もあります。
が、この流れって、どこまで続くんでしょうね?
と言うのも、音楽業界に似た流れがありました。それが上で書いた、音圧競争です。
音圧ってえのは、簡単に言うと「同じボリュームで、どれだけ音が大きく聞こえるか」の指標です。音楽製作ってな、容量の決められた箱の中にどんなものを入れるか、みたいなところがあって、その箱の中により多く物を詰め込めると、それだけ音圧がでかくなります。
人間、好ましい刺激があると、もっと強い刺激を欲するもんです。音楽の場合、まさにこの「音圧」こそがそれ。でかいは正義。分かりやすい。そして、途中はすっ飛ばしますが、デジタル化で、めっちゃ詰め込みやすくなりました。スコップで穴掘ってた人間に、突然ショベルカーが与えられたぐらいのアレです。
ただね。結局、限界があるんですよね。
どんどんと曲の音圧が上がっていく。すると入れ物にギチギチになっていきます。そこに遊びがなく、息が詰まってくる。
もともと、音の大小ってのは静かなところがあってこそのハデハデしいところです。音圧競争の激化によって生み出された曲たちは、「ぱっつんぱっつんで、メリハリがない」と一部で嫌われるようになりました。その流れの末、 YouTube では「音圧でかけりゃいいってもんじゃねえぞオラ」てきな方策を打ち出します。一定以上の「音圧」がある曲が、強制的に音量を落とされるようになったんですね。このへんの具体的な内容はこちらに。
G.C.M. RECORDS
YouTubeの自分や他人の曲が何dB音量を強制的に下げられているか調べる方法
https://www.gcmstyle.com/youtube-gain-check/
これによって、一定以上の音圧を稼ぐことに意味がなくなりました。リンク先によれば、他の音楽再生サイトもこの流れにしたがっていきます。かくして音圧競争には終止符が打たれ、 「適切な音圧」の枠内で音楽たちは戦いを繰り広げるようになったわけですが。
これがね。いまのなろうトレンドの進み方にかぶる感じがして仕方ねーのです。
この辺の与太話を書こうとした動機。それは、めっちゃなろうトレンドを研究してらっしゃる方、「うっぴー/ライトノベル作法研究所」さんのこのツイートを拝見し、んん? と思ったことでした。
>> You Tubeで昔のエロゲのプレイ動画を見たら。 ・展開がダラダラと劇的に遅い ・主人公下げ。ヒロイン下げなどのストレスがちょこちょこ挟まり、すぐにこれが解消されない ・無駄と思われるシーンが多い。 エロゲは人生のバイブルですが、現代のなろう小説がいかに進化しているか、わかりました <<
https://twitter.com/ranokenn/status/1328484670778920961
うっぴーさんは別のツイートで、なろう作品では「共感させ、大活躍させて、すげぇと言われて、ざまぁすることが超重要」と説かれています。つまり、感情移入できる主人公が強くて、活躍して、ムカつくやつをやっつけて、称賛される。ついでに言えばモテる。それをいかに物語の骨子とできるか、が「なろうで勝ち上がるために」重要だ、と仰るのです。
主人公アゲが作中でなされればなされるほど、読者は高揚する。なので、それをより端的に、継続的に提供し続ける。そういう作品が、勝つ。更に言えば、「長文タイトルで」どのような方向性の主人公アゲがもたらされる物語なのかを、余すところなく語る。
ここで、主人公アゲを「アゲ圧」と呼びましょう。
月刊少年漫画誌の作品などは、「エピソードボスを倒す」というアゲ圧マックスポイントを作るために、途中ではアゲ圧を下げます。主人公のピンチ、初戦の敗北、回想シーン、などですね。これらを積み上げ、エピソードボス撃破、及び後日談というアゲ圧マックスポイント、いわゆるカタルシスを演出する。
っが、なろうではこの悠長なやり方が通用しません。一定以下のアゲ圧となると、読者の離脱が発生するそうなのです。ゆえに、常にアゲ圧の高さをキープ、なんならほぼ全編クライマックスくらいの状態を作るようにせねばならない……のだ、とか。
その精華が、うっぴーさんのツイートに現れているように思うのです。よりスピーディーに、より劇的に、物語を組み上げる。なるほど。けど、それってどこまで行っちゃうの?
「なろう系」を提供する総本山、小説家になろうは、レギュレーション違反以外のことで作品には介入しないのを旨としています。となれば、YouTube が見せたような「いい加減音圧競争やめーや」的介入はありえない。なろうトレンドバブルの崩壊は、自然発生的な形になるんでしょう。
ただ、ならそれがどんな形で発生するのか? また、バブル崩壊後の作品分布はどのようになるのか? こいつについては、自分みたいな半端者ではまったく想像もつかんのです。
以上の話、あえて結論を申し上げれば「おいおい、そのうちなんかおもしれーこと起こりそうだぞ、どーなのよ」となりますでしょうか。いやー、人類たのちい!
あら反応いただけて嬉しい。文通させてね。
一番多いのはこれよね。
信じてないですよ。どちらかと言うとこちらも批判的な立場です。ただし全否定もしません。「なろうという戦場の最先端近くにいる人たちを見ている」ことはすごくて、でも「それを語る氏のメガネ」は曇ってる。そう言う立場でいる中で、無双モテすげぇざまぁという感情を揺さぶるのが「なろうトレンド」という氏の発言には説得力を感じてます。油断するとすぐ否定的言説になるから、敢えてアゲ基調で書いてるけど。
ついでに言っとくと「真に受ける」じゃなくて「分析通りの状況になってる」から言及してるわけであって。今のなろうのランキング眺めてみ? うっぴー氏の分析どおりだし、あとキモいから。
「お前の作品はロミオとジュリエットのパクリだ」とか言われても「はいその通りです」としか答えようないものねー。読んで「パクり元に対してシリアスか」になってくるのかなって思うけど、正直わからん。
すげーいっぱいあるよね。ランキングにずらずら並んでるのを見て正直引いてる。
然り、然り。
このテーマね。申し訳ないけど、他ならないうっぴーさんが回答してるよ。「なろうは時間つぶし、暇つぶしに見る人が多い。こういう人たちは、たとえどれだけ頭がよくても、あまりものを考えずに読めるものが欲しい」ってね。
もと発言者を信用するかどうかはさておき、このテーマそのものは興味深いと思ってるよ。
これ、俺も正直よくわかんない。けど「書きたいものを書いてウケないよりも、書きたくないものを書いてウケたほうが嬉しい」って言ってる人もいるし、そうなんじゃないかな?
せやな。だからその辺の話してないやろ? 「目立つとかってだけ」の話しかしてない。
というかそもそも「ガチで読みたい」人ははじめっからランキングなんぞ頼んねえだろうよってゆうね。そしてガチで読みたい人なんてさらっと読みたい人に較べりゃ圧倒的にパイが少ない。そんな人が求める作品なんざどだいランキングになんぞ上がってこねーでしょう。
奇遇だね、俺もあなたの「珠玉金剛」って表現気持ち悪い。まぁ合わない人同士、ここは距離を置いときましょうや。
ありがとう。技術論云々以前の、こういう感覚的な部分って決して見過ごしちゃならないものだって思うんだよね。
人間、よりわかりやすく、より刺激の強いものを、ってどうしてもなるよねー。
ぐんぐん圧縮され過ぎて、そのうち新規参入の人が見たらただの奇形物にしか見えなくなるんじゃないかなって思ってる。ていうか正直俺には今のなろうトレンドって奇形物の集まりにしか見えない。
わかる。転スラ読んでギブアップしたのもそれ。
謎の圧力にさらされて疲弊するんですね、わかります。確かにそういう作品多い。
「限られた範囲で、いい塩梅で」ってのは、まぁ確かに簡単に実現できるもんでもないしねぇ……。
わかるー。オールオアナッシングのほうが楽だよねー。余計なこと考えなくてすむし。じゃあその方向で、ご自由にどうぞ。
こっちの書きたかったことが一切伝わってないのはわかりました。
もうありそう(こなみ)
年長者というほどの高齢者じゃないが、来年還暦なんで、少しは語る資格あるかな。というか、最近、息子にそんな話をしてた。
私の記憶にある範囲内だけとっても、「世界が終わるんじゃないか」みたいなのは実はいまままで何回もあった。たとえば、
などなど。
で、どれが深刻だったかと言われても、実際には自分の年齢による感じ方の差が大きいので、比較はできない。
たとえば水爆実験による死の灰の恐怖は相当なものだったらしいけど、自分としては母親に「放射能の雨に当たったらハゲるから家に入りなさい」と言われた程度の印象しかない。小さな子どもにとって危機感なんてそんなもんだ。公害問題がひどいときはこれで日本滅亡みたいなこともメディアにはよく書いてあったし、学校の校庭には光化学スモッグ発生を告げる赤い旗が出てたりしたんでそれなりに危機感もあったけど、それよりは「ノストラダムスの大予言」の方が怖かった。スリーマイル島の事故もチェルノブイリの事故も、相当に緊張感はあったけど、遠い場所の話だった(チェルノブイリのときは日本国内にも放射性物質が降ってきたんで、かなり危機感は高かったけど)。なにより、単回の事故だから、ある程度の時間が立つと出口が見えてきて、社会的な緊張はそれほど続かなかった。それに比べれば、福島原発事故は桁違いに危機感が高まった。それがどの程度だったかというのは、増田も覚えてるだろう。
経済的な危機とか戦争とか、そういうのは、かなり他人事だった。バブルの崩壊なんてかなり長い時間をかけてのことだったし、リーマンショックが実際に身の上に影響してくるまでにはだいぶとタイムラグがあった。ニューヨークのツインタワーが崩れたときはものすごく怖かったけど、やっぱり日本のことじゃなかった。湾岸戦争も、やめろとは思ったけど、自分の身に降りかかる危険じゃなかった。オウム事件はもっと身近だったけど、どこか現実味がなかった。
ということで、今回の新型コロナ騒動にいちばん感覚的に近いのは、エイズの世界的流行だろうか。あのときは、ほんと、人類が終わるみたいなことがまことしやかに言われたし、実際、そのくらいに怖かった。今回とちがうのはそれでロックダウンとか自粛とかがなかったことだけど、日本は無関係みたいに言ってたところからだんだんと日本に上陸みたいな展開とか、割と似ているといえば似ていた。もっとタイムスパンは長かったけれど。
それで思うのは、どんだけひどい予測があっても最終的に3年もすれば人間は慣れるのだなあということ。なので、コロナ騒ぎも、たとえ疫学的に収束しなくても、人間は生き延びるし、そして、そのなかで3年もすれば日常を取り戻すだろう。いいことか悪いことかは知らないけど。
バブル芸人とやらが人気である。80年生まれの私は、当時のことを懐かしむ思いを感じつつも、微妙な気分で眺めている。何故?バブル経済は悪だったからである。続く「失われた20年」生み出した元凶。(ちなみに「失われた20年」は英語で”lost two decade”であり、「負けた」という意味もある。)彼女なんかはあの時代を茶化してやってるんだろうからいい。でも、ここのところ、なんか素晴らしい時代だったかのような受け取られ方をされてる雰囲気を感じてしまって、イヤなのだ。
そんな雰囲気を感じてるんだろう、金融関連ではバブル史本の出版がラッシュである。どうせ当時の銀行員か何かが自己正当化の文言を並べてて、こんなことが今後あってはならない、みたいなまとめられ方をしてるんだろう。読んでないから分からないけど。
バブル経済の後遺症が長引いた原因は、バブル崩壊当時、窮地に立たされた銀行を国が救ってしまったことにある。バブル期に後先考えず融資した金が焦げ付き、国全体の金の流れを止めた。いわゆる不良債権問題である。あの時、銀行をじゃんじゃん潰してしまって、焼け野原からスタートした方が良かった。20年を失ってしまったあとでは、そう思える。ちなみに私が大学を卒業したのが2003年、就職率がワーストを記録した年である。バブル崩壊から10年以上過ぎた当時ですら、不良債権問題はくすぶっていた。
今となってはバブル期という一面的な捉え方しかされないが、私が幼少の頃を過ごした80年代は、冷戦の時代でもあった。幼心に最初に覚えている政治家は、中曽根、レーガン、そしてゴルバチョフだ。まだ、ロシアがソ連と呼ばれていた時代、スポーツの国際大会なんかでは「西ドイツ」代表が良く出てたのを思い出す。なんてったって核兵器の量がハンパじゃない。その当時は40何億人くらいだったと思うけど、全人類を殺しても余るくらいの核兵器があった。いわゆるオーバーキルというやつ。
その頃、こういった状況を反映して、人類滅亡後の世界を描くようなマンガや映画が作られていた。私がいちばん思い出すのは、「北斗の拳」と「ターミネーター」だ。「ターミネーター」の方は、スカイネットというコンピューターが暴走して世界を壊滅させてしまうって設定だったと思うが、今、キューバ危機なんかのことも合わせて考えてると、もの凄くリアルだ。ちょっとしたボタンの掛け違いで、全面核戦争に突入してしまう危険性があったのだ。
「北斗の拳」の方は表面的には、格闘技マンガで、私もそのように楽しんでいた部分もある。しかし設定が怖かった。なんといっても「199X年」である。現実に起こりうる未来、世界が滅亡してしまうかもしれない未来。今となっては笑いものではあるが、こんな設定が、時代の中でリアリティーを持ったのである。そして幼い私は、そんな小さな恐怖を受け取ってしまったのである。
80年代から90年代にかけて、バブル経済は崩壊、またソ連が崩壊して冷戦は終結した。この2つの重大な出来事が同時期に起きてしまったことが、日本人にとっては不幸なことだったと思う。冷戦が終わり全面核戦争の危機は去ったにも関わらず、経済的な壊滅状態がやってきてしまい、安心を感じれなかった。「世界は滅亡しない」という安心を。
そんな不安感の中、オウム真理教が登場し、信者を集め、凶行に走った。彼らが持ってた終末思想は麻原個人によるものも大きいが、多くの日本人が心のどこかで持っていた疑念と共振していた。世界は何か別の形で滅亡してしまうんじゃないだろうか?と。阪神大震災がダメ押しになったのも無理はない。95年だ。
ちょっと違うかもしれないけど、90年代末に登場したエヴァンゲリオンにも触れておきたい。エヴァンゲリオンのメインのテーマは親子関係であるとか、成長であるとか、そういったことになるのかも知れない。しかし、設定として「サードインパクト」なる壊滅的な何かが起こった後の世界が舞台となっている。ここでも世界が滅ばない訳では無いのである。いずれにせよ、私達に「世界は滅ばない」と安心させてくれるものではなかった。
そして、21世紀の現在、新たな「終わり」を予感させる出来事が次々と起こっている。それはやはり、2016年のイギリスEU離脱、そしてトランプ大統領の誕生である。世界が大きく動いている。何かこれまでとは違ったことが、起きているし、これからも起きるだろう。もしかしてこれは、「終わりの始まり」なのか・・・。書店に行った。「たとえ世界が終わっても」という新書が並んでいた。
そんな中、話題の「けものフレンズ」を見た。なんでも、「疲れたオッサンを癒やしてくれる」らしい。私も36のいいオッサンで、程よく疲れている。癒やされるか。そして見てみたところ、なかなか楽しくはあるが、いまいちピンと来ない。「すごーい」や「たのしーい」で微笑ませてくれるんじゃないのか。それとも自分には合わないだけなのか。
でも、ふとした時に気がついた。あの世界、「ジャパリパーク」は冷戦の終結と、バブルの崩壊の2つを同時に表現していると。バブル期に日本では、アミューズメントパークが雨後の筍の如く建設され、そしてバブル崩壊と同時に多くが破綻し、そして廃墟化していった。「ジャパリパーク」はそんな廃墟化したアミューズメントパークそのものだ。人間が出てこないし、話題になっているように人類滅亡後の世界に思えなくもないが、アミューズメントパークが倒産しただけだ。冷戦は終わった。世界は終わらない。そう思うと涙が出てきた。
確かにオッサンを癒やす作品だ。でも、私の場合はそのほのぼのとした雰囲気にそのまま癒やされるのでは無かった。自分が幼い頃から育んできてしまった小さな恐怖、心に刺さってしまっていた小さなトゲを、取り去ってくれるという形で、癒やされた。すごーい!
先週からぼんやり考えてきたんだけど、結局、お金の悪いところは消えないってとこだよなあ。
誰かの手にあるお金は経済的な活動を通して他者の手元に移動する。個人の感覚では「手元から消える」けれど、お金側に立った視点で見れば、消えない。移動しただけだ。世界にあるお金はどんどん旅をして(移動を繰り返し)、消えたりしない。それどころか信用創造で増えたりする。それが20世紀の経済発展の原動力になってきたのは確かなんだけれど、コントロールするという視点に立つと、消えない、不死である、不滅であるってのはすごく厄介だ。
自然界にあるものは何でも時間が立つと消えていく。放射能だって、老人だって、消えていく。だから「問題が起きたら耐えて時間経過を待つ」って戦略が取れるし、多分これって生物生存の基本戦略なんだと思う。お金は、そこの「消える」ってシステムが基本構造に組み込まれてないので、災害が起きると手がつけられない。消すためには誰かが買い取って(まあ国だよね)燃やすしか無いわけだけど、それって非情にコストが高い&即時性がないわけで、制御手段としてはいまひとつだよなあ。
100年後の世界は「死ぬお金」で社会が運営されてるんじゃないかなあ。
追記:バブルの崩壊を、「生態系を破壊するほどに増殖したお金が適正規模を回復するために行う自死行為」って見立てる研究って、誰かやってるんじゃないかな。
みんな貧乏で、高度経済成長期になっても貧乏は続いてて、その貧乏人をどう救うかがテーマで、左翼運動なんか盛り上がってさ。
しかしその救うってのは、貧乏人をみんな金持ちにするとかじゃなくて、貧乏自体に価値を見いだそうとしてたと思う。
それでそういう価値観に基づいて作品作ってた宮崎駿や高畑勲が一躍人気になった。
オウムとかサカキバラとか、病気っぽい事件が起きてさ。バブルの崩壊や震災でみんな混乱してさ。
今度はみんな病人だから、病気っぽいモノに価値を見いだし始めた。
そこからつながる今は何かと言えば、不幸の時代じゃないだろうか。
みんな不幸だから、不幸に価値を見いだす時代。まどマギなんかそうだよね。不幸に妥協してる。
インターネットでメンヘラや社畜やニートの不幸自慢を聞いて、楽しんでいる。
不幸に価値を見いだそうとしてる。
現代は不幸の時代だ。みんな不幸で、不幸しか残されていなくて、それを価値にして生きるしかないんだ。
お前も!お前も、お前も、お前も!
■冒頭文
この著者はいつも「欧米は出版物の発行額が減ってないのに、日本だけ減ってる! 日本は異常!」と言ってるが、本当にそうか疑問がある。
日本は大衆にまで出版文化が広まった数少ない国であり、その移り気な大衆が今インターネットに移行しているというだけの話ではないだろうか。
一方の欧米ではそもそも日本ほど一般大衆にまで出版文化が拡がっていない。
人口あたりの出版物発行額を見れば一目瞭然で、つまり日本の80年代~00年代が出版バブルだったというだけの話である。
それをこの著者は「失われた○年」などと大仰に語る。
著者が地場中小書店の立場でのポジショントークに堕しているとしか思えない。
■1:出版科研の売上推移
単なるバブルの崩壊の図だ。「表出している出版危機」などではない。
■2:コミックの売上推移
月刊誌・週刊誌は半減しているが、コミック自体は健闘している。ブックオフなどがなければもっと良かったんじゃね?
という分析は正しい。
まあ、80年代からずっと売れ筋のコミックが書店を支える構図はあったから今さらではあるが。
この項目はひどい。
大型店が地方に出て商店街がシャッター通りになるなんて事例は山ほどある。その書店版が起こっているだけという話。
品揃えも悪く、不便で、綺麗でもない店が潰れるのは単なる淘汰の結果であって、当たり前のこと。
しかしこの著者は「大型店はいかん!」と言うばかり。著者がひいきにしてる中小書店は潰れるかもしれないが、それは健全な競争の結果でしかない。
また、「大型店が出来て小商店を潰すと全体の売上が減る」というトンデモ理論を展開している。
出版物発行額が減少してる問題と、この問題は全くリンクなどしていない。
中嶋の「定価10%増・書店マージン6%増」という提案は書店の苦境を救うにはいい提案だと思う。(ナショナルチェーンが更に元気になる結果となり、中小書店が増えるわけではないが)
あとは再販制が崩れた際に、大型店に対抗する形で、コンビニ型の「やや高いけど近くにあって品揃えも新鮮で綺麗で明るい小さな書店」という業態が成り立つ可能性はあるかも知れない。片岡の言う「生活圏の書店」というのはそういう方向になるだろう。
「書店の知の機能」などという、現状が全く見えていない論点ボケボケの文章なのでスルー。
このクロニクルの著者もあずまんの文の内容については完全スルーしているところが可笑しい。
もちろん時限再販・買切の世界がやってきたら、このクロニクルの著者が肩入れしてる中小地場書店はより激しくなる競争に勝ち残れずに潰れるけどね☆
ただ、提案の3にある付録の件は地味に意味があると思うし、4については新古書店問題も絡めて警察と連携して取り組むべきだとは思う。
■7:取次の立場
日販の社長なら2/12の話なんてどうでも良くて、2/23日経の「買切を増やす」って話の方が100倍も重要だろうに。
(1)書店の売上総利益率を35%と約10ポイント高くする代わりに、返品する場合の返金額は仕入れ代金より低くする
(2)一定期間がたてば書店が小売価格を決められる(時限再販)一方、その後は返品を認めない
あたりの提案についてこのクロニクルの著者は言及すべきだった。
■8:『スティーブ・ジョブズ』
ただ、個々の書籍の事例は別にして、大勢としては今後この数字が上がることはあっても下がることはないという点が重要。
ま、どっちも起きるだろうけど。
これはつまり、電子書籍規格の乱立によるamazonの一人勝ち状態を防ぐというのと、上記の価格破壊を起こさないようにするためのもの。
ここは著者の妄想が素晴らしい。
「出版デジタル機構が出版社を代行し、取次や書店に電子書籍を卸売りする」とか。アホかと。そんなお花畑みたいなこと考えてるのかとがっかりする。
ただ、著者の言う「出版の魅力は許認可でないその自由、民間の知と力によって生じるもので経産省など官の下とかちゃんちゃらおかしい」という主張には心の底から同意。
■11:MARC
「公共図書館の理念なき膨張が書店を潰した」という著者の主張にも同意。
あと図書館・図書館員・図書館担当に異動してきたただの公務員を、貸出数で評価するのはやめるべき。
MARCはどうでもいいが、デファクトスタンダードになってるTRCに統一すればいいと思う。官が税金を使ってJAPAN/MARCをごり押しするとかマジ勘弁。
司書の問題もあるが、上記の通り司書や図書館担当の公務員を評価するシステムの問題が根本。
どうでもいい。
「雑誌とともに形成されてきた、多くの近代の「趣味の共同体」そのものが消えていきつつある」などと著者は書いているが、単にその共同体がネット上に移動しただけの話。
むしろ、雑誌を編集してきた人のような囲碁界周辺の「囲碁を見る側のプロ」が減るのが問題だ。ネットの集合知が代替できる気もするけど。
クロニクルの著者は「何となく楽しい」などとボケた感想を書いて終えているが、これは重要な話題。
出版物の流通経路が、他の流通経路と比べて圧倒的に効率的(返品を抑えられる場合)であるという面を見逃してはいけない。
小売価格の70%近くが販売者に入る流通って他にはほとんど無いのだ。
つまり、見る者が見れば、出版流通は美味しい経路だと言うこと。これは今後更に利用してくる会社が出てくるだろう。
これは書店が生き残る道の一つかもしれない。
■16:著者の宣伝
過去の出版業界について記す人はいてもいいと思うので、まあご自由に活動なさって下さい。
内部的にはもうだいぶ進行しつつあるみたいだけど、世間が知るにはもう少し時間がかかるだろう。
小町より
http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2009/0701/249024.htm?g=04
女性バブルの崩壊?(駄)
先日、夫と兄弟とで集まる機会があり、その席でのお話です。
弟(30代・独身)がいまだ結婚の話ひとつ無いことに対してこう反論したんです。
耳慣れない言葉に説明を求めたところこういう説明が。
「つまりね、かつて女性の価値はバブル期の不動産並みに資産価値があったんだけど、今のご時世、その価値は急落しているんだよ。だって、経済的な面から見ても昔みたいにお金は使えないでしょ?」
弟曰く、女性というものの価値がかつては社会的に高かったが、その価値はバブル経済と同じで不自然に上昇したものだったそうです。バブルであれば当然いつかそれははじけるもので、現在はバブルがはじけた状態だというのです。
ただ、それは女性自体はいまだ気がつかない人も多く、いつかは値上がりするだろう、と借金をして土地を買い占めた資本家が破産していったように、女性も破産(どういう状態を言っているのかは知りませんが)していくだろうと弟は言ってました。
しかも夫もそれは否定していないのです。
確かに、私自身そう美人でもないのに昔はいい目を見ることができた、と感じることもありましたが、少々失礼な物言いですよね。皆さんはどう思いますか?
なお蛇足ですが、そんな上から目線な弟に、だったら男はどうなのよ、と言ったところ、男性バブルは高度成長期が終わった時点ではじけているので、ずいぶん前から質素な物だそうです。そんないじけ根性が女性に縁がない理由では、と思うところもありますが、堅実な男性は人の目に触れにくいのも確かですし。変な女性を連れてくるよりはよっぽどマシかも、と思う自分に女性バブルに納得している可能性を感じて怖いです。
アメリカの不動産バブルで作られたプール付きの豪邸が並ぶgated townが、差し押さえを食らう人が増えてghost town化していると聞く。管理する人のいなくなったプールや雨どいに溜まった水から蚊が発生し、とんでもない状態になっているという話なのである。
ベトナムで枯葉剤を撒いたように殺虫剤を撒いてしまえというのは、幾らなんでもやりすぎであるし、かといって、一軒一軒、蚊の発生源を探して水を廃棄したり殺虫剤を投げ込むという作業をやるには、効率が悪すぎるし、殺虫剤をばらばらに撒いていたのでは、耐性をつけさせてしまうだけとなりかねない。
事業用物件であれば、立地と家賃次第で幾らでも借り手が出てくるが、居住用不動産の場合、基本的に需要は人口や世帯の増加分だけである。破産した人から住居を取り上げるというのは、契約を履行できなくなった以上、必然ではあるが、そうやって取り上げた物件を、有期賃貸として、それまでそこに住んでいた人に貸し付けるというやり方ができないという点が、問題をややこしくしてしまっている。
それらの不動産の所有者は、HELOC(Home Equity Line of Credit)をつかって、評価額が上昇した分だけ担保価値が上昇したとみなして、借り入れを増やしていた為である。この借り入れは、住宅ローンを出している金融機関から、追加融資として、いわゆるサブプライムローン枠が適用され、高金利の借金になっている。もちろん、保有資産価値が上昇した事から、クレジットカードの利用限度額も引き上げられ、より旺盛な消費生活を行えるようになっていた。
それらの水脹れした借金が、不動産バブルの崩壊により、景気の悪化から解雇されて無職になった人々に襲い掛かった。不動産の価値が下落したので担保割れになったので追加担保を入れるか、一括返済するか、破産して債務を整理するかという選択を強いられる事になったのである。追加担保を差し入れる事ができるわけが無いし、解雇されて無職になっているのだから一括返済も無理、となれば、自己破産して債務を整理するしかなくなる。
解雇されて無職になっている事から、住宅を貸与する契約が、結べないのである。
かくして、住人の居ない家が増え、そういった家があちこちにある住宅街の資産価値は暴落し、持ちこたえていた人まで、家を手放さなければならなくなる。Ghost townが出来上がるのである。
と、キーボードの上に、蚊が落ちてきた。蚊さえ落としてしまえば、mosquito coilを燃やし続ける必要は無いのであった。
差し押さえた物件が荒れ果てないように、管理人を雇って住まわせるという、間抜けな話も流れてきている。二度と同じようなバブルが発生しないように、ある程度の規制は必要であるのだが、借金漬けの暮らしを改めるという方向に人民を導くには、どんな規制が有効なのであろうか。
全ての金融機関の信用情報を統合して、年収の一定割合までしか借金できないようにするというプランは、家屋の購入ローンのような高額のローンをどうするのかという問題が発生するし、年収の減少が発生した時に、その情報をいち早く掴んだ所が債権の回収に動くと、それ以外の所が一方的に損失を被る事になる。サラリーマン相手にローンを貸し付ける商売は、給与振込みを請け負った所以外は、一銭も出せないという話になりかねない。