はてなキーワード: 血道とは
キワモノ時計コレクターとしてAppleWatchはかなり気になる存在だ。
そこで、時計コレクター側から見て、どの辺にぶつけてくるつもりなのか想像してみた。
あ、「腕時計要らないし」って反応の人は以下読む価値はないッス。
知らないジャンルにはありがちなんだけど、「時計」のジャンルは想像よりも広大。
「ゲーム」とか「家電」とかと同じくらいの広さだと思ってくれた方が良い。
だからまず、簡単に(あくまでも便宜上)子ジャンルに分けとく。
この中で、ぶつかりそうなところと、全く関係ないところと、想像して見てる。
まず、AppleWatchとAppleWatchSportは無関係。
AppleWatchEditionが(値段上は)関係しそうなんだけど、どうかなあ。
雲の上の世界と書いたとおり「これで500万ならお買い得!」とか言われちゃう世界なので。
若干。顧客を食われる可能性はある。
まず、AppleWatchSportは無関係。AppleWatchEditionがチトどうかな、くらい。
で、AppleWatchと直接関係しそうに見えるけど、AppleWatchの値段が安すぎる。
ロレックスやタグ・ホイヤーは、50~150万円ぐらい。激安で10万~30万って世界。
なので、いわゆる機械式時計のジャンルからすると、AppleWatchの価格帯(7万~13万円)は安い。
この手の機械式時計はコレクターが居る子ジャンルでもあるし、普段使いする人達も多いんだけど、
「社会人になったんだから、良い歳になったし」などの、清水ジャンプの1本買いも居る世界。
OMEGAのスピードマスター持ってる社会人の知り合いとか、探せば居るんじゃないかな。
影響大。顧客を食われるというより、売り方を考える必要に迫られる。
まず、AppleWatchEditionとAppleWatchSportは無関係。
AppleWatchがどまんなかでぶつかる。が、まずは売れる人は限定的だと思う。
実用品からオシャレまでと書いたのには理由があって、時計をつけてる人は、ワリとオシャレさんが多い。
もはや、実用品というよりは、ファッションとして身につけている人が多い子ジャンルなのね。
清水ジャンプで15~30万の時計買っちゃった人は、それ一本でずっと行くと思う。
ただ、コレクターで無くても時計2~3本持ってて、付け替えて楽しんでる人は多い。
そういう人は、ワリと既に持ってるんだよね。iPhone持ってる人が追加で買うかな、くらい。
女性で時計をファッションとして身につける人は、あんな四角い時計を選ばないでしょう。
ただ、土建屋やトラック運ちゃんがBluetoothヘッドセットのヘビーユーザーだったりするように、
ビジネスにも色々有りまして、便利となればガーッと広がる可能性はある。iPad使ってる接客業とかね。
影響小。そこまででは無いかなーという印象。
まず、AppleWatchEditionは無関係。
AppleWatchSportがど真ん中なんだけど、AppleWatchも普段使いに出来る、と買う人いそう。
ここ、TIMEXからアシックスまで幅広い参入のある子ジャンルなんだけど、1万円~高くて10万円の世界だから、AppleWatchSportは高い方。
まあ、正直言って「手荒く扱うと壊れそう」「防水弱そう」「高い」の三重苦の気配はする。
ただ、マラソンとかジムとかワリと高所得層(つまり高くても買う人)が多いスポーツも存在するので、デザインで選ぶ人は居そう。
「欲しいんだけど、あのショッキングな色使いの時計はなー」と思ってた人が買いそうな所。
TIMEXとかGARMINとかカシオとか超良いけどね。ダサいと言われると反論はできない。
影響超大。読めないけど、子ジャンルが一新する可能性すらある。
AppleWatchSportとAppleWatchがど真ん中。
スウォッチとかG-SHOCKを職場で付ける人から、普段腕時計を付ける人が羨ましがる所。
ソーラーだのGPS電波時計だの、ギミック満載の時計も多いジャンルではある。
で、ワリとその手の技術って、3~5年で入れ替わるのよね。
10年前のソーラー時計とか、2次電池がダメになっちゃって、修理1万かー、買い換えるかな-みたいな人も居る印象。
ただ、カジュアル時計の世界は1万円~5万円の世界なので、致命的に高いんだよね。軽く倍以上する。
それを乗り越えてくるかなー、という所。
時計コレクターから見ると、Pebbleとかってキワモノの類なんだよね。
既存のスマートウォッチは、全部どれもこれも玩具のキワモノ扱いに見える。
(これを乗り越えたのがG-SHOCKで、あれは本当に凄いことなんですよ)
LG G Watchの接点が錆びるとか、どこまで舐めて参入してきてんだ、みたいな印象。
ベルト巻いて腕につけりゃ良いんでしょ?軽いのならプラでもいいっしょ、みたいなの感じ悪いよ。
そこからするとAppleWatchは丁寧に作ってきたなー、これが最低限だよなーという感じ。
あってストップウォッチ、タイマーくらい。超枯れてる。超進歩無い。
如何に充電しないか、如何に正確な時を刻むかに血道を上げるくらいで、基本デザインのみ。
AppleWatchの致命的な点は、毎日充電がいることと、その充電池どれぐらいでヘタるの?という点。
時計って3年位は電池交換しなくて済むようになってるし、メンテもまあ10年に一回ぐらい。
買って2年で新作が出ます、は実はそこまで致命的じゃないんだよね。他の時計もそれぐらい出てるし。
陳腐化しようがない枯れたジャンルなので。新作良いなあ、でも買い換えるほどじゃないな、的な。
どちらかと言うと、「液晶のバックライトってどれぐらいで交換するの?ちゃんとサポート有るの?」とか
「内蔵バッテリーがヘタってくるの、どれぐらい?そこ、交換いくらぐらいすんの?」とか
アフターケアの部分が気になって買わない時計コレクターが多いと思う。
腕時計って、指輪と同じくらい、珍しくパーソナルな個人所有を強く意識させるものなんだよね。
普段は付けないけど、社会人になって初めて買った時計はまだ持ってる、なんて人は意外に多い。
そういう意味で、AppleWatchは「丁寧にちゃんと時計として作られてる」けど「消耗品の電化製品に見えなくもない」という謎ジャンルなんだよね。
ここで「消耗品ではない」というのを明確にバーンと打ち出せると、新ジャンル確立のきっかけになりそうな所。
まあ、iPhone所有層の一定割合が買うだけで、単体の時計としては超絶の売れ行きになるだろうけどね。
思い出すのはWiiのゲームソフト「スーパーマリオギャラクシー」の為に編成された「マリオギャラクシーオーケストラ」なんだよね。
全世界で1200万本も売れて、日本国内でも100万本超えて、この「マリオギャラクシーオーケストラ」に参加した人って、恐らくここ最近のオーケストラで、最も「人に聞いてもらえた」演奏をした人達なんだよね。たぶん、そういう時計になる気がする。
iPhone6とかのガラスのなめらかさとか観てると、一線を画した上質感はある。
もともとオスとメスでは、どの生物もメスがオスを選別する側だが、人間の場合はさらに顕著だ。
というのも
基本的に性行為が出来るということは、能動的に動き回れる一定以上健康な個体であり、つまり群れに貢献する立場の個体だ。
特に原始人類の生命線である炎の管理や、暖を取る衣服を作る技術、動物性と違い切らすと即飢えに繋がる植物性栄養源の採取など、群れのライフラインは概ねメスの管轄にあった。
そいつが一匹無駄に死ぬのは群れにとっての損失となる。社会性が強ければ強いほど、そういう損失は個体が子供を残すことより重要だ。
群れの構成員が一匹増えるか、一匹減るかという、五分五分のギャンブルなので、必然的に成功確率が高い間は挑んで良いが、成功確率が下がる年齢になると、メスはとっとと閉経して、以降生殖から解放され、単純に社会を維持する活動に専念するようになる。
更にそもそも生まれた子供は、これまた二足歩行の弊害で、他の哺乳類に比べ極めて未熟児の状態で生まれてくる。
成体まで持っていくには、多分なリソースを注ぎ込まねばならず、あまり育てるのに乗り気がしない子供は、原始社会では産まれてまもなく母の手で間引きされた。
選んで選んで、なんなら一生産まない方が群れへの貢献になるなら、一生産まない選択肢も下手に産むよりは良いことであり、それでもなお育てると選んだ子供だけを群れに加えて良い。
女性はひたすらに選ばなくてはならない性だ。
一方男はリスクがない。
時間がたてばたつほど精子は劣化し、それを示す加齢臭によって女性に避けられるため、選ばれる確率は落ちていくものの、別にそれでうっかり選ばれたとしても、特に子供が出来ないか、問題児が出来ても間引けば良いので、とりあえず生殖能力を維持し続けても群れの害にはならない。
ひょっとすると上手い具合に年を食っていても、育てるに値する子供が生まれる確率もないではないし、棚ボタ狙いも込めて、生殖能力は維持され続ける。
かくして例え一生涯相手にされないままでも、性的な存在であることから免れない。
選ばれることがノーリスクな分、選ばれるに越したことはなく、逆に一生選ばれないというのは、自身が無価値な存在であるということをダイレクトに突きつけられる。
なんで自分はこんなに求めているのに、向こうは誰もが片っ端から自分を断り続けて、自分抜きの方が幸せに生きられるというのか。選ぶ側になれるものならなりたい。選ばれたがる必死な相手から、自分は断れる立場になりたい。
しかし基本的にリスクがある側が、リスクと天秤にかけて選ぶ形になるのは当然だ。リスクのせいでそもそも、相手を求める度合いが釣り合っていないのだ。
一方そんな女達も、ノーリスクで選ばれる側に立てる男を羨む。
自分ではなく相手が「選んだことによるリスクの全て」を背負う。相手はそれだけのリスクを背負う覚悟を持った上で選んでくれる。そんな立場。
選ぶものと選ばれるものでは、結果は常に選ぶ者の責任になるが、その全てを負わなくて良い。選ばれずともデメリットはない状態で、あれやこれやつまみ食いする自由がある。
出来るものなら何の責任もなく、そういう立場になりたい。そう羨む。
しばらくして時代が下り、人口密度が高まると、部族闘争が増え、男の地位が高まり、やがて男達がライフラインを握って、全てを支配する文明の時代がやってくる。
初期は誘拐婚などで、オスが好きなメスを強制的に選ぶ方式ができる。
ただこれ、選ばれたがる相手の中から、優越を持って自分が選ぶ立場になれるようなものではない。
どっちかっつーと、選ばれるせいで女性は不幸になる。つまり女性としては選ばれないに越したことはない。女が男に選ばれたがってくれない。結局形的には選べても、根っこは元のままである。
あるいは交換婚が発生する。女を村の財産として別の村と交換する方式だ。
村と村の関係の円滑化にはなるが、やっぱり女性は嫌がるので、実質誘拐婚と同じである。
やがて社会構造が複雑化し、階級が生まれたあたりで、なかなか上手い制度が生まれる。
上位婚・下位婚。身分の高い男性が、低い女性を選んで結婚する。
社会の中で一番高い身分は大体男性が占めるので、最下層の男性を除けば、誰もがそれなりに結婚機会に恵まれる。
めでたしめでたし……か?
しかしオスにとっては、メスとくっつければそれだけでプラス事象だが、メスにとっては自分が選んだ相手以外とくっつくのは、一生独身であることよりも悪いマイナスでしかないことは、どうあがいても変わらないのだ。いくら文明が発達しても。
女は嫌な相手と結ばれるマイナスを帳消しにするだけの、生活環境の向上が約束されてようやく選ばれたがるようになる。
いずれの場合も、金や地位が女を選ぶ権利を持っているのであり、男は金や地位を持つことは出来ても、女を選ぶ権利を手にすることはないのだ。
相手が地位があれば、それを失うリスクが発生する、と一瞬は考えられる。
男がリスクを推してでも女を選ぶ、そんな幻想が成立するように。
しかし実際のところリスクなんて形式的なレベルくらいしかなく、大した障害もなく男は女を選べてしまう。大した覚悟もいらないままだ。
結局このシステムは、擬似的に男を選ぶ者に、女を選ばれる者にしようとはしてくれるけれど、本質的にお互い選ぶ立場にも選ばれる立場にもなれないものだ。
全員が全員、生物的なくびきと無関係に生きられるほど、余裕に溢れているわけではない。
そして中には、膨らんだ幻想を現実とごちゃまぜにしていく人たちもいる。
今でもはてなには、女同士では絶対に仲良くなれないのがデフォだとか、婚期逃して後悔する女とか、あり得ない女の幻想物語を書き散らす人がいる。
今でもブログ界隈には「仕事と私どっちが大事?」的な質問で自分を選んで職場での不幸に耐えたり、複数の女性をリスクなしに渡り歩いた結果職を失う、ありえない男の幻想物語を書き散らす人がいる。
「お前らも男に選ばれないことで不幸になれよぉぉぉぉ」という男の怨嗟と「お前らも女を選ぶことで不幸になれよぉぉぉぉ」という女の怨嗟が漂っている。
どちらも現実には叶わない夢であるがゆえ、怨嗟の声は終わらない。
女にとって独身より下手な男に目をつけられることのほうが不幸だ。女性は嫌いな男をどれだけ断り続けても、無事閉経すればむしろ男に目をつけらずに済む平和な状態になり、後は女同士で楽しく年を取っていくものだし、男性は女をどれだけほいほい軽率に選んでも、まったくリスクを背負わず、何度失敗を繰り返そうが男性社会での信用を失わず、そのまま平和に生き続けるものだ。
考察が合ってるかどうかはしらんが。
いやでも本当に、ハーレムものはいかにして、主人公に選ばれない女の子を不幸にするかに血道をあげて、逆ハーものはいかにして、主人公を選ぶ男の子を不幸にするかに血道をあげてるからなぁ。
基本ハッピーエンドものだから、両者とも不幸になる可能性を匂わせた上で、概ね結ばれた上で不幸を回避するけども。
ハーレムものだと大体、女の子は何かしか問題抱えていて、主人公と仲良くなりつつも、問題が肥大化して行き、何とかしなければならないと思った主人公の行動が、彼女を救ってめでたしめでたし。
逆ハーだと地位が高かったりするキャラは、大体それを失うリスクを犯してでも主人公を選ぶ展開、ってのをやるためにその地位持ってる。地位を失っても二人で新しい人生歩んで、それはそれで幸せ、的な結末がデフォ。
それぞれドス黒い感情を、上手く綺麗な世界に昇華しているというか。
あ、あと青年漫画・少女漫画の、異性の三下悪役とかも特徴的だよなぁ。
青年漫画でヒロイン苛める意地悪な女の子が、主人公とかに声かけた挙句振られて「女として屈辱」みたいな。
ねーよ。声かけた男に選ばれないのは、大した屈辱でもないよ。はんっ、空気よめねー奴、って思う程度だ。
どっちかっつーと声かけてもいねーキモイのに、声かけたと勘違いされて付きまとわれるほうが、よっぽど屈辱的で不幸だ。
逆に少女マンガで、ワルな男の子が所属するワルな組織で、そいつが主人公選んだせいで、「掟破りだ!!」って、男の子ボコボコにしにくる悪人仲間の男。
ねーよ。ボスの女ちょろまかしたとかでもない限り、こいつが食い扶持に困ったら女のところに転がり込ませときゃいいな、いざとなったらソープに沈めて金づるに出来るし上手くやっとけよ、ってくらいだ。
プログラマーという人々は、機会があるたびに自分が書いたプログラム・コードを整理する。
日々の追記作業で複雑になってしまったプログラム・コードは、もう近づくのも嫌なほどの、腐臭を漂わせる。
そうなってしまったら、楽しいはずのプログラム作業もイヤイヤやることになってしまう。
だからコードを整理する。この作業は”リファクタリング”とよばれている。
コードを整理することに血道を上げてきたプログラマーの私だが、
しかし自宅のキッチンはほとんど使えていなかった。カレー調理後の脂まみれのシンクに皿が重なっているのをみるたび、「俺ってずぼらだなぁ…」と嘆いていた。
でもある日ふと思いついて、キッチンも”リファクタリング”してみた。
ずぼらの皆さんの役に立つかもしれないので、ここに紹介します。
こういう「なにかをする度に必ず必要になる」そういうコードはプログラマーの世界では”ボイラープレート”と呼ばれて、蛇蝎のごとく嫌われている。
キッチンばさみを使おう。
左右に分割できるタイプが綺麗に洗えて良い。
で、鍋やフライパンの上で、切る。
唯一困るのは、カボチャが切れないことだが、それはカットカボチャを買ってくることで対応する。
玉ねぎのみじん切りは、ちょうどよいサイズの器に適当に割った玉ねぎを入れ、ハサミを突っ込んでメッタメタに切り刻む。
本職のシェフは怒るだろうが、私達はシェフじゃない。プログラマーだ。
三角コーナーはダメだ。三角コーナーは構造が複雑すぎて、綺麗に洗うのがとても面倒くさい。
受け皿のリングに網の袋を取り付けるタイプもダメ。網を取り替えるため常に清潔になるが、網を付ける構造が複雑なので、その作業がいちいち面倒くさい。
ゴミの溜まった網を取り外す→手が汚れる→生ごみの袋にゴミを捨てる→新しい網をとろうとするが…しかし手が汚れてるんだった。洗う?いやちょっとまて、今はシンクに網がついていない。洗うとゴミが吸い込まれていってしまう… ああ面倒くさい。
浅くて、取り外しやすい受け皿に取り替えよう。
深い受け皿はダメだ。あなたは夏の日にぼたもちを受け皿に落として忘れてしまう(一週間後に白くなっている。表面がうごめいている)。
網が張っているものではなく、曲げた板にたくさん穴を開けたもの(パンチングストレーナーという)、を買うといい。
http://item.rakuten.co.jp/a-life2010/sp-208/
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1080401710
ただし、2つ買う。
今使っている受け皿がゴミでいっぱいになったら、それをとり外し、即座にスペアに取り替える。
受け皿のゴミを生ごみの袋に移したら、シンクで受け皿を綺麗に洗う。移しきれなかったゴミは、たった今取り替えた受け皿にキャッチされる。
このサイクルを繰り返すことで、常に清潔なシンクが保たれる。キープ・イット・清潔・シンク。
貯めといた食器を洗う作業が憂鬱だ。
ならば食器洗い機を買うか? …ダメ。高級なのは問題にならないとしても、食器洗い機自体を洗うのが、とても面倒くさ(そうだ)。置く場所も確保しなければならない。
食器を少なくする。
表面がつるつるしたもの、セラミック製やホーローが良い。フォークなどは角ばっていないものが洗いやすい。
そして、それぞれ1つずつしか持たない。
食べるためには必ず洗わないといけないので、食器を洗い場に貯めておくことがなくなる。
鍋を吹きこぼす。するとコンロの周りが致命的に崩壊していく。受け皿が汚れ、コンロ自体が汚れ、コンロを置いとく台も汚れ、更に悪くすると床まで汚してしまう。
放置しておくとカビが生えたり、白くなったりする(うごめく)。
火力が弱いのが難点で、チャーハンを上手く作れないが、マヨネーズを使うことで解決可能(google:チャーハン パラパラ マヨネーズ)。
こびりついた茶しぶが取れない。
洗剤をつけるスポンジの他に、メラミンスポンジを導入する。
水をつけて使う。使うたび、消しゴムのように削れていく。こびりついた汚れにはこのタイプのスポンジを、油汚れには洗剤のスポンジを、と使い分ける。分割統治だ。
ふきんを引っ掛ける、ふきんを取る、のが地味に面倒だ。
引掛けそこなって落としてしまったり、上手く取れなかったりする。
100均で、コードリール式の携帯の充電ケーブルを買ってくる。
こういうやつだ。
http://nhnl.yosshi7777.com/archives/2110/
コネクタ部分を切り落としてキーホルダー用の小型カラビナgoogle:小型カラビナを付け、ふきんに結びつける。
それをキッチンのシンクの上などに付けておいて、皿を洗うタイミングで、引っ張りだす。
洗い終わったら、長めに引っ張って話すと、スルスルと収納されていく。
オーブントースターでちょっとチーズトーストを焼きたい。チーズってあったっけ?あ、ピザ用チーズがあるや。
ずぼらである私達は、シンクでパンの上にチーズを盛ったりしない。オーブントースターの中でやろうとしてしまう。
すると、チーズはバラバラこぼれ、オーブントースターの中に落ち、加熱すると黒鉛を発して炭化する。
そうなるともう、掃除は不可能だ。
レンジとトースターが一体になったものを使う。多少値が張るが、優先すべきは”面倒くさくないこと”だ。
回転台のないものを選ぶとよい。回転テーブルを洗う手間が省略できる。
機能が破綻しそうになる、その”匂い”がする度に、プログラマーはプログラム・コードをリファクタリングするのです。
ずぼらの皆様のキッチンも洗練していくでしょう。
それでずぼらが治ることはありませんが、キッチンの機能を引き出すことができます。それで十分なのです。
そして、ふつうのずぼらの上を行ってください。
最後まで泣くんじゃない。
システム一式○○万円でござい、と出すと「もっと具体的な根拠を出せ! そんなんで当社の社内決裁通らんわ!」って言われる。言われた。
具体的な根拠(=原価見積もり書的なもの)って何?っていうと、労働集約型産業なので、そのシステム作るのに何人が何ヶ月張り付いたか、に帰結するんだよね。
プログラムコードの行数で原価算出する手法もあったりするんだけど、古い大企業や公的機関といったお固いところほど、人月による詳細内訳が【求められる】。
「発注の前に、プロジェクトのメンバー構成表(各人の実名入り)出して」とかね。開発現場激励という名目の視察チェックが不定期に入ったりとかね。もうね。なんだろうね?
人月計算で見積もり出してプロジェクト動かしてるにも関わらず、システム会社の人間が死んだ魚の眼で一日中キーボードを叩き続けてる理由。
・技術力および経験不足で見積もりミスってる。(および、競争入札で一番安いとこに発注するって言われたから無理なダンピングしてる)
・進行中のプロジェクトにおいて、上流マネジメントの失敗で追加仕様や仕様変更が頻発してる。
・開発メンバーの中に役立たずが混ざってる。
この全てでございます。
最近は裁量労働制がトレンドだから遅くまで煌々と働かせても残業代払わなくていいし、生かさす殺さずで搾り取ろう! ふぁいと!
なんで大きな開発案件ほど、UI 設計にちゃんとした時間と工数割かずに適当にやっちゃうんだろうね? 不思議。
設計の最初の段階で【画面仕様書】という名のポンチ絵を書いて、ユーザ承認が降りたらもうあとは動かしたりしないんだけど。
おおむね、システム開発一筋30年みたいな大ベテランが伝統の技を活かして固定画面でキーボード操作オンリーの前世紀 UI になるか、ロクな経験も無い頭でっかちの若手がドヤ顔で最新トレンドを取り入れてメニューがやたらパカパカ閉じたり開いたりする落ち着きの無い UI 設計になる。なった。
激しく使いづらいと、作ってる側も認識してるけど、その段階ではもうどうしようもない。ゆくみち戻れず。
実現場の利用ユーザには大変申し訳ない限りだけど、これはもうシステム会社まかせにしてても現実問題どうにもならんです。
だって、システム会社は納品済ませれば仕事完了だし。その先毎日10年に渡ってうんこ UI と延々付き合い続けるのは、あなたがたなのだから。
画面仕様書が提示されたら、懇切丁寧に読み込んでチェック入れて赤字だらけにしたものを「バーカバーカ」って言いながら突き返しましょう。
その手間隙は絶対に惜しんではいけない。
開発会社から「ユーザインタビューの時間を下さい」って言われたときに、日常業務が忙しくて時間が取れないって断るのは自殺行為だ。残業してでもたっぷり時間取れ。
エラーメッセージに意味不明のシステム情報出すのは、システム会社が100%悪いですね。
さすがにそこまでユーザ側に設計チェックさせろというのも無理筋な話。TCO に密接に関わるんだからおざなりにせず、もっと気合入れて丁寧に案内作りましょう。
全メッセージ「システムに不具合が発生したため処理を中断します。詳しくはシステム担当にお問い合わせ下さい」とかやらないように。約束だよ?
本業の利益ベースでウン億円も稼ぐ苦労に思いをはべらすと、感情的にもなりますわな。日々 100 円単位でコスト削減努力に血道をあげてるっていうのに!
このあたりはシステム会社の営業がちゃんと、ユーザが心から納得できるように丁寧に説明して理解させろ。頑張れ。超頑張れ。
まあこれについては根本、大規模システムにおける競争入札制度の欠陥ってのが何十年も前から指摘されてて、全く改善の目処が立っていない絶望的な今が有るわけです。
ユーザ側企業は「こんなこといいな、できたらいいな。空を自由に飛びたいな。さて、ハウマッチ?」で競争入札を求めてくるし。
システム企業側は「え? もうちょっと詳しく話を聞かせてくれないとなんとも…あ、とりあえず予算組のために総金額だけ知りたいですか。入札日は2週間後!? あわわ…えーと、んじゃ、どんぶりで…こんぐらい?」って杜撰な見積出して来るし。
まあそんな適当な入札、勇気を出して見送ればいいんですよ。でもそんな適当入札しかないんですよね世の中。武士は喰わねど高楊枝、なれど妻子は喰わしていかねば。
スタートラインがそんなだから、ボタンの掛け違い一つで開発プロジェクトはいともたやすく炎上するし、末端の開発人員はブラックだし、上層部はいつまで経っても終息しない開発とテストのエンドレスエイトに夜も眠れぬ日々を過ごすし、できあがったシステムはうんこでユーザ側も大変だし。幸せってなんだっけ?
システムの要件定義契約と、実際のシステム開発契約を分ければいいんじゃないって皆が思うのだけれど、まあ現実問題これもなかなかねえ。どうすればいいんでしょうね?
仕事のクオリティとかって相当主観的なものだから判定が難しいわけですよ。
たとえば、ある総務の人が、季節ご挨拶を取引企業にするための、物理ご挨拶状みたいなのを作ってるとする。で、このご挨拶状を1ヶ月毎日残業4時間ずつして超完璧で非の打ち所のない職人仕事をした。そんな挨拶状を年に四回作るのが彼の誇りです。――なんて人は理論上存在しうるし、残念なことに、事実いるわけです。
これは極端な例ですけど、そんな職場、わりとあふれてますよね。社内の回覧書類や稟議書類作成に血道を上げて、その書類を完備させるために、周囲に訳の事務仕事を押しつけてる社員いませんか。社内会議の資料作成のために半月かけちゃうひととか。取引先との関係が大事で、大手の既存取引先非常に良い関係を築いている社内的にも有能とされる営業さんは、特定の数社とのお友達関係に入れあげて、新規開拓をないがしろにしてたりしませんか? 開発環境のセットアップや新フレームワークの導入が大好きなエンジニアさん、土日を自主返上してこれで最強の環境になるぞー! とか大喜びでその週にトラブル発生、次の土日も休日返上してもとの環境へ復帰してたり。
こういう環境はメーカー子会社とか、地方レベルで有名なミニ大企業に多いです。
あと、NHKとか役所もみんなこれです。
もちろん、本当に残業しないときつい人は社内にいるんですよ。二割弱とか。その人は上のようなループ自己満足仕事なんてしないで、重要な案件を遂行しています。本当の意味で過酷な仕事です。
じゃその人の仕事を別の仕事が楽な人に割り振ればいいのじゃない? と思うでしょうが、そうも行かないのです。結局仕事の生産性やクオリティって属人的なもので、組織作っても責任ある仕事を完遂できる能力のあるなしってのは、残酷にわかれてしまうんです。仕事ができる人の元に重要な仕事がどんどん集まり、きつくなっていくのは古来からの風景です。仕事能力が低い人に重要案件を振ると、その管理コストや指導コストが、職場のワークプールの上限をあふれてしまったりするのもよくある光景です(これはこれで問題ですが)。
でも八割の側の人は帰ろうと思えば帰れるんですよ。彼らは帰らずに、冒頭のような仕事で残業をしている。
日本において「がんばる」ってのはすごく重要な価値観で、「がんばって」いれば免罪されることって多いわけですよ。で、この「がんばる」は目に見えにくい。一番簡単に「がんばる」を表現する方法が残業なんです。
はっきり指摘しちゃうと、日本の多くの職場における「残業」は、ブラックとか搾取とは関係なく、サラリーマンの自己表現です。
「わたしは頑張ってるサラリーマンです」「職場の輪を乱さないメンバーなんです」っていう自己表現をするためのスタイルなんですよ。
遊んでるとまでは言わないですけど、季節ご挨拶状作ってたりすることは、あるんじゃないですかね。っていうか、その残業、本当に必要な残業じゃなくても、ひとりだけ帰ったら、自分が仕事をさぼっているような、無能なような――そんな風に感じてしまうのでしょう。
上記のような構造があって、「がんばるはバカ」なわけです。
ひとつは「能力とモチベーションがあってもがんばるのはバカ」です。周囲の人はその人を助けてくれません。仕事を押しつけて寄生しています。会社側は「仕事に対して人数は用意しているだろ」と思ってるのでヘルプレスです。周囲を教育しようとしてもその教育コストを支払うのは有能な側(自分)ですから、利益を直接上げる業務と板挟みになって自分が潰れます。「自分を愛してくれない環境のために頑張るのはバカ」というもっともな話です。
もうひとつは「生産的に頑張るのはバカ」です。評価されるのは残業です。何時間机の前に座っていたかであって、仕事の内容ではありません。別の言い方をすれば、勤務態度が評価されるのであって成績で首にするのは難しい日本の法制度、とも言えます。極端な話、会社の机で毎日12時間業務に関係のある雑用をやっているのが一番真面目な(とみなされる)社会の問題です。そこにおいて「机の前に連続で座る以外の戦略(仕事を生産的に頑張る)はバカ」です。
この地獄は一部の搾取的な独裁社長のみが作ったわけではない(もちろんそういう例がないとは言いません)ので、参加者全員が共犯者です。独裁者を妥当すれば幸せになれる思った? 残念衆愚制でした。
みんなで作ったみんなの地獄なので、そういう環境にいて「俺は不幸だ」とかいってる人は、頭が悪い(=バカ)ともいえるでしょう。自分で熱湯を沸かして飛び込んで火傷で七転八倒しているリアクション芸人張りの敢闘賞です。
とっとと足抜けをしてまともな環境にいった人は、この種の職場や人を軽蔑します。結局なんだかんだ言って残業大好きなんだよな、依存型のドMやろうどもめとおもっています。
俺は逆だと思うよ。
フェアで客観的な評価、点数化可能な定量的評価ができると思い込んでるのが歪みの原因。だから受からなかったら人間としての総合点で否定されたみたいに思っちゃうし、点数を稼ぐのに血道を上げちゃうんだろ。最初から主観だってわかってれば、相性の問題だとわかる。
仕事ってのは最終的に、金を出してくれるお客さん(直接客と相対しない場合でも、上司は客の代理だ)にどう満足してもらうかって話になる。そんなの大半が主観的評価だ。たくさん客がいれば統計的に定量化できるかもしれないが、仕事によっては客(もしくはその代理)の数は少ない。
これから長いキャリアの中で主観的評価に晒され続けるのに、入り口だけ客観的にする意味があるのかい。
採用企業の方も客観的評価に頼ることはある。どういう人間が欲しいかはっきり絞れていな場合ね。本来は最初に募集するポジションがあって、必要なスキルレベルや入社後誰と働くことになるかって具体的な話がかなりわかってる状態で採用をかけるべきだ。それなら受ける方も何が求められているかわかりやすいし、実際に同僚や上司になる人間と話せて相性を確認できる。白紙の状態でまとめて採って、その小さいグループを後から社内に割り振ろうとするのは、適材適所という観点からするとひどく不合理だ。(終身雇用とかメンバーシップ型雇用なんて慣習の副産物としては合理的であるのだけれどね。)
面接官の勘で、本来は適任だった人を落としちゃうこともあるだろう。その責任は、そういう判断をした面接官ひいては企業が機会損失としてかぶることになる。それだけの話だ。普段の取引だって、受けとくべきだった話を蹴って後で臍を噛むことはある。雇用契約だってビジネス上の取引の一環だよ。同じこと。
ギスギス楽しいインターネットを遊びたい人、承認欲求がパチパチと音を立てて爆ぜるインターネットを楽しみたい人にお勧めのオンラインゲーム、『はてな村オンライン』。ここでは、はてな村オンラインを楽しく遊ぶための心得について簡単に紹介します。
(株)はてなが提供する一連のネットサービスをフィールドとして、虚栄心にみちたネットバトルやキャッキャウフフを愉しむネットゲームです。2012年現在、はてな村オンラインのプレイヤーとして村人認知されているプレイヤーの数は数百人程度と推定されます。このなかには、現在(株)はてなのサービスを直接利用してはいないけれども村貢献度(後述)の高い、村外プレイヤーを含みます。
好きなように過ごしましょう。
他のネットゲームと同じで、何を最終目標にするかは、その人次第です。PVやはてなブックマーク数を稼ぐも良し、有名人をdisって優越感に溺れるも良し。文学フリマで名刺交換する際にはてなidを印字するためだけにidを取得するのもアリかもしれません。お友達をつくって、コップのなかの嵐を愉しみましょう。
はてなブックマークで他のブックマーカーの尻馬に乗ってみたり、はてなスターを貰えるようなコメントを書いてみましょう。その際、カルマ値(後述)を度外視した、過激な表現を心がけると衆目を集めやすく、自己愛も充たしやすいかもしれませんが、カルマ値を無視したプレイは後でボディブローのようにきいてくるので、あまりおすすめできません。
もう少し本格的にプレイしたい&廃人になりたい人は、はてなブログかはてなダイアリーも開設しましょう。そしてはてな村民とアイデンティファイされている人物に片っ端からトラックバックを送りましょう。
・仕事探し:はてな村には仕事は落ちていません。ゲームと割り切って遊びましょう。
・著名人の追っかけ:はてな村は寒村です。有名人はいません。よそでやったほうが効率的です。
・ネゲット(死語):悪いことは言いません、よそでやったほうが効率的です。
どんなゲームでも、キャラクターのパラメータを把握しなければ快適なゲームプレイは覚束ないものです。はてな村オンラインでもそれは同じ。以下に、通常パラメータを紹介します。
PV数:あなたのはてなダイアリー・はてなブログが閲覧された数です。この数字を積み上げるためにはてな村で頑張っている人もいるとかいないとか。グーグルのページランクなどとも関連するため、PV数を稼いでおくと、はてなダイアリー・はてなブログ上からの言及攻撃力が上昇するので、村人プレイに徹したい人でも本拠地のPVを稼いでおくのはアリ。
被RSS購読者数:PV数と同じく、はてなダイアリー・はてなブログからの言及攻撃力に影響を与えます。
被はてなアンテナ購読者数:昔はRSSと同じぐらい重要でしたが、最近はパラメータとしてはあまり重要ではありません。
被ブックマーク数:あなたがブックマークされた数です。村内での人気指標としては優れていますが、ブロガーとしての実力とは殆ど無関係の数字なので、何千何万と集めてもリアルで良いことがあるわけではありません。とはいえ、はてな村オンラインにおいて、被ブックマーク数というゴミの山に魅了されているプレイヤーは数知れず、このゲームの威信値に間接的に影響を与えます。。
はてなブックマーク被お気に入り数:はてなブックマークを使った言及に際しての攻撃力や影響力を左右します。この数値が高い人は、はてなブックマークを介した攻撃・扇動を効果的に行えます。はてなブックマーク主体のプレイヤーには超重要。
twitter関連のパラメータ:「twitterオンラインとの連携」が実装されてから「twitterオンライン」上のパラメータや言動が「はてな村オンライン」にも影響するようになりました。twitter上で被followers数が大きいと攻撃力が上昇し、twitter上で失言があれば威信値が低下する可能性が生じています。別会社のゲームとはいえ、この点には注意が必要。
はてな村オンライン(やそれに類するネットコミュニティを介したゲーム)が一般的なネットゲームと異なっているのは、数字で表示されていない隠しパラメータが存在することです。はてな村で快適に過ごしたいプレイヤーは、彼我の隠しパラメータ値をできるだけ正確に把握し、それを踏まえた身振りを心がけたほうが良いでしょう。。もちろん、敢えて隠しパラメータを気にせず村の散策を続けるのもひとつの遊び方ですが、たいていマゾプレイになります。
・威信値:村民としての威信の大小を示します。集めても何もいいことはありません。悪いことはいいません、威信値を賭けてネットバトルに明け暮れるのはおやめなさい。しかし、この威信値を巡って個々のアカウントが剣闘試合やネットウォッチに明け暮れるのが「はてな村オンライン」であり、村ゲームの醍醐味なのも確かです。威信値は隠し属性になっているため、ゲームマスターでなければ把握できません。しかし一般的には、
1.PV数
2.被はてなブックマーク数
といったものが威信値に影響するといわれています。威信値を稼いでいると、村イベント開催時にモテたり、他のアカウントに一目置かれたりすることがあります。あくまで「はてな村オンライン」上の栄誉であり、ゲームプレイを彩るトロフィーのようなものと心得ましょう。過度ののめり込みや期待は禁物です。
・村貢献度:「はてな村オンラインへの言及」を行うたびに、あなたの村貢献度は上がります。注意しなければならないのは、「はてな村はあるよ」「はてな村は素晴らしい」といった肯定的な言及だけでなく、「はてな村なんて無い」「はてな村はクソ」といったネガティブな言及も、村貢献度を高めるという点です。また、後述するテクニック「村イベント開催」を行うと、あなたが威信値を獲得するしないに関わらず、村貢献度が大幅に上昇します。村貢献度が上昇するほど、他のアカウントがあなたを「はてな村民」認定する確率が高くなります。非村民プレイやステルス村民プレイを目指している人は気をつけてください。
・村発展度:はてな村オンライン内外すべてのネットユーザーが稼いだ「村貢献度」の総和が、「村発展度」になります。この数値が高くなるほど、「はてな村」というフィクションが実在性を帯びて体感されるようになります。「はてな村はあるよ。」
・カルマ:Paradox社のゲームでいえばBBR(bad boy rate)に相当。お行儀の悪いことをしたり、他人の不幸を喜んだり、誰かを誹謗中傷して回ったりしていると、カルマ値が上昇します。もし、あなたのカルマ値が上昇すると、あなたの行動に対して村民が支持を表明してくれる確率が低下し、不幸なことがあったり失策があったりした時に石を投げられる確率が上昇します。また、ネットバトルで負けた際に相手が「屈辱」を与えてくる確率も高まります。カルマ値が上昇してきたら、良いことをするなり、ほとぼりがさめるまで待つなりしてカルマ値を低下させましょう。あなたが悪村民プレイに徹したいのでなければ、ですが。
なお、カルマ値ははてな村オンライン固有の隠しパラメータではないので、twitterなど他のネットサービスで悪行の限りを尽くしてもちゃんと上昇します。知名度や村貢献度を手っ取り早く稼ぎたい場合は、カルマ値を気にしない狂犬プレイが手っ取り早いのですが、全く無頓着だと後になってカルマ値の高さに苦しめられるかもしれません。アカウントの可燃性に直結しているパラメータなので、炎上マーケティング(後述)を心がけない場合は、ある程度意識して低めに抑えておいたほうがアカウントの運営はやりやすいとは言えます。
[あわせてよみたい]:ゲームで子育て『Fallout 3』: わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる
プレイヤー自身、つまりあなた自身のステータスです。「回線切って寝ろ」は古人の知恵。健康なネットライフは健康な心身に宿ります。
精神的疲労度:疲れていると誤字脱字が増えるだけでなく、内容的にも迂闊な書き込みが増大します。結果として炎上しやすい発言・カルマの悪化しやすい発言が増大するので、ネットバトルにも負けやすくなり、威信値稼ぎプレイ上、不利が生じます。疲れている日のインターネットはやめましょう。
心理的充足度の最大値:この数値が高い人は、心理的飢餓状態に陥るまでの余裕があるぶん、村民プレイにも余裕が出ます。逆にこの数値が低い人がはてな村オンラインをやると、威信値稼ぎに汲々としたり、ネットバトルに血道をあげたりしがちです。そうした執着は即座に他の村民に察知されるので、動きを読まれやすくなり、ネットバトルにも負けやすくなります。こうした問題を避けたい人は、リアルワールドでの心理的な補給線をしっかりと確保したうえでログインしましょう。
現在の心理的充足度:現在の心理的充足度。低くなりすぎると、ステータス異常「心理的飢餓状態」になり、喧嘩っ早く脇の甘いプレイスタイルになってしまいます。一応、はてな村オンライン内でも威信値を稼いだりPV数などを稼いだりして回復させることも可能。ですが、その際の言動が甘くなった隙を他の村民に突かれる危険性はあります。
衝動コントロール能力:あなたの衝動コントロール能力が低い場合、暴投発言や炎上発言が生じやすくなり、たいていの場合、カルマ値も悪化しやすくなります。また、鬱憤が溜まってきたときにアカウントを消す確率も高くなるので、はてな村オンラインにはあまり向きません。
ステータス異常:メンタルヘルスを損ねている場合やアルコールが入っている場合は、迂闊な発言が増えます。回線切って寝るのが得策です。
・メタブックマークでタワーをつくる:通称「ブクマタワー」。はてなブックマークコメントに対してコメントを返し、さらにそのコメントにコメントを返す…際に用いられる戦法。はてなブックマークを主戦場とするプレイヤーに用いられがちで、特に「反論が無いほうが負け・最後に言及した者が勝ち」的な精神年齢の人間にとって、これが威信値を左右することがあります。ただしブクマタワー戦法は「はてなブックマークお気に入り」を減らしてしまいやすいので、はてなブックマークを介したキュレーター戦術の攻撃力低下に繋がります。また、威信値が50を超えたプレイヤーはブクマタワーをやるたびに威信値が1ポイント低下するため、威信値を一定以上集めるプレイスタイルにも向いていません。はてなブックマークを主戦場とし、威信値の高低に拘らないプレイスタイルの人で、なおかつ負けず嫌な人にだけお勧め。
・威信値の高いアカウントへの言及やバトル:あなたのアカウントの威信値が小さいうちは、村のなかでも威信値の高いアカウントのブログに言及したり論戦を展開したりすると、被ブックマーク数やPVを稼ぐきっかけになったり、うまくいけば大物食いをして威信値を一気に稼げたりするかもしれません。喪うべき威信値が無い、村民プレイ初期段階には有効な手段のひとつです。このとき、攻撃的・高踏的な言動を心がけると村のネットウォッチャーに捕捉され、村民としての認知度が跳ね上がるきっかけが得られるかもしれませんが、カルマ値が真っ赤になるかもしれないので注意。
・屈辱を与える:ネットバトルに勝利して威信値を稼ぐ際、敗者に屈辱を与えると威信値を少し多めに稼げます。ただし、あなたのカルマ値が相手のカルマ値よりも悪い場合には、あなたのカルマ値はさらに悪化してしまいます。相手のほうがカルマ値が大幅に悪い場合は、屈辱を与えても悪いことが起こらないばかりでなく、むしろ威信値のボーナスが得られるかもしれません。
・村イベントの開催:はてなダイアリーやはてなブログで「はてな村」に言及した記事を書くと、一定確率ではてな村民がワラワラと集まってきて「村イベント」が起こります。村イベントが起こると、あなたの村貢献度が大幅に上昇し、はてな村の賑わいが(多少なりとも)村外に伝わって村発展度も上昇します。村イベントの内容によって、あなたのカルマ値や威信値が上下するかもしれませんし、あなたに村の素敵なお友達が現れるかもしれません。
※はてな匿名ダイアリーを使った村イベントは、あなた自身のステータスへの影響を除外しながら村発展度を上げる手段になり得ますが、あなたの村貢献度が一定以上の場合、文体や内容を読まれて結局あなたのカルマ値や威信値に影響が出てしまうことがあります。注意しましょう。
・炎上マーケティング戦略:カルマ値の悪化を無視した村民プレイをすれば、あなたは実力以上に知名度や威信値を稼ぐこともできるでしょう。その汚れた知名度や威信値を駆使して、お金を稼いだり、女子をたぶらかしたり、いろんなことができるかもしれません。しかしカルマ値がどんどん悪化していった結果、あなたは多くの村民から(それどころか村外の多くのネットユーザーからも)悪者認定されてしまうでしょう。いったん悪者認定されたあなたは、もはや「屈辱を与えても安全なモブ」であり、ネットバトルで威信値を稼ぎたい人達からみれば理想的な賞金首です。グリーン Permalink | 記事への反応(8) | 20:44
マニフェストに書いてある以上、本来は、改憲は血道を上げて、政治生命をかけて、それがならないなら、国会を即時解散も辞さないぐらいでやらなければならないことで、
いや、いいけど4年後に、改憲してなかったら、自民党も嘘つきだがどうしようって事になるわけで
他にも、書いてある以上4年後に、実績評価の対象にはなるんだよね?とすると、やってなかったら、評価が下がるわけで、すると、やるというモチベーションが上がるわけで、で、やられたら困るわけで。
いずれにしろ、マニフェストを何だと思っているんだろう。とはおもう。
難しすぎて、僕にはわからないよ。
全部できることです。とはいわれているが、マニフェストにはできることを書くんじゃなくて、4年間で実際にやることを書くわけだよね。
一日に一枚アップするために日に何百枚も候補写真撮って加工に励んでたら、
そりゃ勉強する時間は無くなるよねえ。こんなに写真に血道を上げ続けてると
このままでは成績や奨学金が危ない…とは考えなかったのだろうか。
しかし、それはそれとして、このコンテンツに集金価値はあると思う。
可愛い上に、難関大学の女子大生で、ネットで有名人、しかも困っていて、
それを俺様が協力することで助けてやれる!という楽しい参加型コンテンツだ。
彼女自身に援助する価値があるかどうかなんてどうでもいいんだよ。
困っている可愛い女の子に援助して楽しめるチャンスということが重要なんだ。
特に金に困っていない独身男性や中年男性などは、このコンテンツを快く買うだろう。
俺だって当然買って楽しむ。
オウムの信徒制度には、在家のほかに出家がありました。オウムの出家とは、世俗的な関を一切絶ち、麻原に全生涯を捧げ、人類の救済―最終的には解脱させること―と自己の解脱に専念することでした。
出家者は教団施設内で共同生活をすることになります。家族とも絶縁の形になり、解脱するまでは、会うことも、連絡することも禁止でした。財産はすべて教団に布施し、私物として所有できるのは、許可されたもののみでした。飲食は禁止でした。本、新聞、テレビ、ラジオなど、教団外の一切の情報に接することも禁止でした。これらの戒は、苦界に転生する原因となる執着を切るためのものでした。
入信時、私は出家をまったく考えていませんでした。長男という立場上、親の老後を見たいと思っていたからであり、また私が出家すると家庭が崩壊しかねないとも思っていたからです。そもそも、入信前に読んだ麻原の著書によると、在家でも解脱可能だったので、そのような無理をしてまで出家する必要を感じませんでした。
自分が培ってきたものを崩すのは真に恐いことです。入信間もないころ、私はある在家信徒と話をしました。彼は出家の準備のために定職を捨て、アルバイトをして暮らしていました。その話を聞き、私は恐怖心を抱いたのです。実際、昭和六三年十月の私について、母は「就職の内定を喜び、安心している様子だった」旨法廷証言しており、その時点で出家の意志は皆無でした。
ところが、私は出家することになりました。私の入信後、勢力拡大のために、オウムが出家者の増員を図ったのです。私の入信前の一年半の間に約六十人が出家したのに対し、入信後の一年間には約二百人が出家しました。
「現代人は悪業を為しているために来世は苦界に転生する。世紀末に核戦争が起こる。(本文二十一頁)」
―麻原は人類の危機を叫びました。そして、その救済のためとして、信徒に布教活動をさせたり、さらに、出家の必要性を訴え、多くの信徒を出家させたりしました。
このように、一般社会は苦界への転生に至らせる世界として説かれていましたが、それを聞いているうちに、そのとおりの体験が私に起こりました。
私の公判において、友人が次の証言をしました。昭和六十三年晩秋か初冬に私が話した内容です。
町中を歩くとバイブレーションを感じること、電車内のいかがわしい広告を見ると頭が痛くなること、繁華街の近くにいると体調がおかしくなるという話がありました。
当時、私は街中を歩いたり、会話をするなどして非信徒の方と接したりすると、苦界に転生するカルマが移ってくるのを感じました。この感覚の後には、気味悪い暗い世界のヴィジョン(非常に鮮明な、記憶に残る夢)や自分が奇妙な生物になったヴィジョン―カンガルーのような頭部で、鼻の先に目がある―などを見ました。この経験は、カルマが移り、自身が苦界に転生する状態になったことを示すとされていました。さらに、体調も悪くなるので、麻原がエネルギーを込めた石を握りながら、カルマを浄化するための修行をしなければなりませんでした。
また、一般社会の情報は煩悩を増大させて、人々を苦界に転生させると説かれていました。そのために、情報によっては、接すると頭痛などの心身の変調が起きたのです。
他方、当時、日常的に麻原からの心地よいエネルギーが頭頂から入って心が清澄になり、自身のカルマが浄化されるのを感じました。
これらの経験によって、一般社会が人々のカルマを増大させて苦界に転生させるのに対して、麻原だけがカルマを浄化できることをリアルに感じました。そのために私は、麻原の説くとおりに一般社会で通用する価値観は苦界に至らせると思うようになり、解脱・悟りを目指すことにしか意味を見い出せなくなりました。
この状況に関連することとして、検察官の「広瀬から出家の原因、理由を聞いたことがあるか」との確認に対して、私の指導教授は「結局、神秘体験だと言っていた」と法廷証言しています。(当時、私は教授にも入信勧誘していたのです。)また、出家することが、苦界に転生する可能性の高い親を救うことになるとも思うようになりました。子供が出家すると、親の善業になるとされていたからです。出家にあたり一番の障害は親子の情ですが、それを除くために、オウムではそのように説かれていたのです。
こうして、私は出家願望を抱くようになりました。世紀末の人類の破滅というタイム・リミットをにらみながら、家族の説得に要する期間や就職が決まっていた事情なども考慮して、二、三年後の出家になると思っていました。
このような昭和六三年の年末、私は麻原から呼び出されました。麻原は救済が間に合わない、もう自分の都合を言っていられる場合ではないと、出家を強く迫りました。私は麻原に従い、大学院修了後に出家する約束をしました。そして、平成元年三月末に出家しました。
私の出家後、平成元年の四月から、麻原は「ヴァジラヤーナ」の教義に基づく救済を説きはじめました。現代人は悪業を積んでおり、苦界に転生するから、「ポア」して救済すると説いたのです。「ポア」とは、対象の命を絶つことで悪業を消滅させ、高い世界に転生させる意味です。この「ポア」は、前述(二十一頁)のように、麻原に「カルマを背負う―解脱者の情報を与え、悪業を引き受ける―」能力があることを前提としています。
その初めての説法において、麻原は仏典を引用して、「数百人の貿易商を殺して財宝を奪おうとしている悪党がいたが、釈迦牟尼の前生はどうしたのか」と出家者に問いました。私は指名されたので、「だまして捕える」と答えました。ところが、釈迦牟尼の前生は悪党を殺したのです。これは殺されるよりも、悪業を犯して苦界に転生するほうがより苦しむので、殺してそれを防いだという意味です。それまでは、虫を殺すことさえ固く禁じられていたので、私にはこの解答は思いつきませんでした。しかし、ここで麻原は、仏典を引用して「殺人」を肯定したのです。
ただし、このときは、直ちに「ポア」の実践を説いたわけではありませんでした。最後は「まあ、今日君たちに話したかったことは心が弱いほど成就は遅いよということだ」などと結んでいます。私も、実行に移すこととは到底思えませんでした。
ところが、麻原は説法の内容を次第にエスカレートさせていきました。その後の説法では、「末法の世(仏法が廃れ、人々が悪業を為して苦界に転生する時代)の救済を考えるならば、少なくとも一部の人間はヴァジラヤーナの道を歩かなければ、真理の流布はできないと思わないか」などと訴えています。それに対し、出家者一同は「はい!」と応じており、「ポア」に疑問を呈する者は皆無でした。(『ヴァジラヤーナコース教学システム教本』―教団発行の説法集より)
前述(二七~二八頁)のように、私にとっては、現代人が苦界に転生することと、麻原がそれを救済できることは、宗教的経験に基づく現実でした。ですから、私は「ヴァジラヤーナの救済」に疑問を抱くことなく、これを受容しました。なお、麻原は、私が述べたような宗教的経験を根拠として、この教えを説いていました。
さらに、私はいわゆる幽体離脱体験(肉体とは別の身体が肉体から離脱するように知覚する体験などもあったので、私たちの本質は肉体ではなく、肉体が滅んでも魂は輪廻を続けるとの教義を現実として感じていました。そのために、この世における生命よりも、よりよい転生を重視するオウムの価値観に同化していました。このことも「ヴァジラヤーナの救済」を受容した背景だと思います。
このような説法が展開されていたとき、私は解脱・悟りのための集中修行に入りました。第一日目は、立住の姿勢から体を床に投げ出しての礼拝を丸一日、食事も摂らずに不眠不休で繰り返しました。このときは、熱い気体のような麻原の「エネルギー」が頭頂から入るのを感じ、まったく疲れないで集中して修行できたので驚きました。
この集中修業において、最終的に、私は赤、白、青の三色の光をそれぞれ見て、ヨガの第一段階目の解脱・悟りを麻原から認められました。特に青い光はみごとで、自分が宇宙空間に投げ出され、一面に広がる星を見ているようでした。これらの光は、それに対する執着が生じたために、私たちが輪廻を始めたとされるものでした。その輪廻の原因を見極めることは、輪廻から脱した経験(=解脱)を意味しました。
解脱・悟りを認められた後は、以前は身体が固くてまったく組めなかった蓮華座(両足首をももの上に載せる座法)が組めるようになりました。教義によると、これはカルマが浄化された結果と考えられました。また、食事が味気なく、砂でも噛んでいるように感じ、食事に対する執着が消えたように思えました。さらに、小さなことにこだわらなくなり、精神的に楽になりました。
以上は麻原の「エネルギー」を受けた結果のように思われたので、彼が人のカルマを浄化して解脱・悟りに導くことの実体験になりました。
平成二年四月、麻原は古参幹部と理系の出家者計二十人に対して、極秘説法をしました。冒頭、「今つくっているもので、何をするか分かるか」と私に問いました。しばらく前から、何らかの菌の培養を指示されていたのです。目的は聞かされませんでしたが、指示の雰囲気から危険な菌らしいことは分かりました。私は、「ヴァジラヤーナの救済」とする旨を答えました。一年間説法されて、その実行が当然のことのようになっていたのです。
麻原は、「そうか、分かっていたのか」と言い、「ヴァジラヤーナの救済」の開始を宣言しました。
「衆院選の結果―平成二年二月の衆院選に、麻原ら教団関係者二十五人が出馬し、全員が落選―、現代人は通常の布教方法では救済できないことが分かったから、これからはヴァジラヤーナでいく」
そして、麻原が指示したのは、猛毒のボツリヌストキシンを大量生産し、気球に載せて世界中に散布することでした。私たちは、その場で各人の任務も指示され、直ちに作業に取りかかったのです。私はボツリヌス菌の大量培養―容量十立方メートルの水槽四基―の責任者でした。
作業は過酷でした。ヴァジラヤーナの救済になると麻原は血道を上げるので、指示を受ける私は寝る暇もないことがありました。私は約三か月間教団の敷地に缶詰めにされ、風呂にも二度しか入れませんでした。それも関連部品の購入のために業者を訪問するときなどに、指示されての入浴でした。そして、安全対策も杜撰で、非常に危険な状況での作業でした。結局、種菌さえできていなかったことが後で判明したのですが、できていたら私たちが真先に死んでいたと思います。
私たちは、一般社会では無差別大量殺人とみなされる行為を指示され、しかも厳しい作業が続きましたが、誰も疑問を口にすることなく、淡々と行動していました。外部の人が見たら、殺人の準備をしているとは思えなかったでしょう。
それは、私たちにとって、「ヴァジラヤーナの救済」が宗教的経験に基づく現実だったからです。(本文三十一頁)そして出家後も、次のように、そのリアリティは深まるばかりでした。
一般社会が苦界への転生に至らせることに関しては、出家後初めて外出したときに、以前に経験のないほど厳しくカルマが移ってくるのを感じて(本文二十七、二十八頁参照)、危機感を覚えました。出家者に対して外部との接触を厳しく制限するなど、教団が外部の悪影響を警戒していたことが暗示になったのだと思います。また、テレビ・コマーシャルを視聴したところ、その音楽のイメージが頭の中でぐるぐると繰り返されるようになり、集中力が削がれる経験がありました。それは、選挙運動中に、麻原の指示でオウムに関する報道を録画したときのことでした。私の変調に気づいた麻原が、「現世の情報が悪影響を与えている」と作業の中止を指示したので、一般社会の発する情報への警戒心が強まりました。
一方、麻原の救済能力に関しては、その「エネルギー」によって解脱・悟りに導かれたと感じる経験をしたために、さらに奥深さを知った思いでした。
ボツリヌストキシン散布計画が中止された後、私は集中修行に入りました。そして、自分の意識が肉体から離れ、上方のオレンジ色の光に向かう経験などをして、ヨガの第二段階目の解脱・悟りを麻原から認められました。また、認められたその場で、毒ガスホスゲンの生産プラントの製造計画(平成二年十月から三年八月、中止ーオウムでは、次の計画の指示が入り、前の計画が中止されることが多かった)に加わるよう指示されました。その後も、プラズマ兵器、レーザー兵器の開発(同四年十一月から五年十二月、中止)、ロシアにおける武器調査(同五年二月と五月)、炭疽菌の散布計画(同五年五月から六月、失敗)、オーストラリアにおけるウラン調査(同五年九月)、自動小銃AK七四千丁の製造(同六年二月から七年三月、一丁完成、逮捕のため中止)などを麻原から指示されました。
このように、オウムにおいては、「ヴァジラヤーナの救済」の実践は日常的なことでした。
そして、平成七年三月、私たちは地下鉄にサリンと散布する指示を村井秀夫から受けました。麻原の意志とのことでした。その指示は、当時の私には、苦界に転生する人々の救済としか思えませんでした。一般人が抱くであろう「殺人」というイメージがわかなかったのです。
地下鉄サリン事件に関するある共犯者の調書を読むと、私たちが事も無げに行動している様子が散見されます。そのような記述を読むと、残酷な事件を平然と起こしたことについて、自らのことですが戦慄さえ覚え、被害関係者の皆様に対しては心から申し訳なく思います。誠に愚かなことでしたが、オウムの宗教的経験に没入している状態でした。
[ただし、私は決して軽い気持ちで事件に関与したわけではありませんでした。救済とはいえ、「ポア」の行為そのものは、通常の殺人と同様に悪業になるとされていたからです。それまではカルマの浄化に努めてきたのですが、救済のためにカルマを増大させる行為をすることが「ヴァジラヤーナの救済」と意味付けられていたのです。そのカルマは、修行によって再び浄化する必要がありました。さもないと、「カルマの法則(本文二十一頁)によって、自身にも返ってくるとされていたからです。実際、地下鉄から下車した後、私は突然ろれつが回らなくなく、サリン中毒になったことに気付いたのですが、そのときは「カルマが返ってきた」と思いました。]
以上のように、オウムにおいては、非現実な教義が宗教的経験によって受容されました。そして、その教義が社会通念と相容れないものだったために、逸脱した行動がなされました。
他方、「禅」も宗教的経験を起こす技法を用いますが、「悟了同未悟―悟り終われば凡夫に立ち返る―」という教えがあります。これは「禅」の瞑想技法によって起こる日常生活への不適応(本文二十五頁)を防ぐ安全装置ではないでしょうか。何代にもわたって存続している宗教には、問題が起こるのを回避する知恵の蓄積があるのだと思います。
宗教的経験を起こす技法やその経験に基づく思想に係わる場合は、その弊害の予測が困難なので、このように経験的に安全性が保障されていることを確認する必要があるでしょう。
また、私は宗教的経験によって教義の検証が可能と思いオウムに関心を持ったのですが、それは大きな誤りでした。人間の感覚は決して常に真実を反映しているわけではありませんでした。神秘的体験の心理状態は次のようにいわれており、幻覚を真実と認識してしまうこともあるのです。
神秘的な状態は比量的な知性では量り知ることのできない真理の深みを洞察する状態である。それは照明であり、啓示であり、どこまでも明瞭に言い表されえないながらも、意義と重要さとに満ちている。そして普通、それ以後は、一種奇妙な権威の感じを伴うのである。(前出ジェイムズ)
幻覚的な宗教経験によっては、決して“客観的”な真実は検証できません。できるのは“主観的”に教義を追体験することだけです。それ以上のものではありません。
ですから、宗教的経験はあくまでも“個人的”な真実として内界にとどめ、決して外界に適用すべきではありません。オウムはそれを外界に適用して過ちを犯したのです。
【vol.4「恐怖心の喚起」】へ続く。
男性差別や男性弱者を巡っての或る日のやりとり - Togetter
http://b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/180876
まずさあ。
フェミ系の人間で、
礼儀正しく接したり考えたりしてる奴、
真摯に共闘を呼びかけてる奴?
みたいなのを俺は一度も見たことないんだけどw
居たら教えて。
具体的な名前でな。
笑っちゃうよね。
みたいな男にどんだけの特権が付与されてるの一体?
コンビニバイトに男女賃金格差があるなんて聞いたことないけど。
「同階層の底辺男女で素手で取っ組み合いしたら男が勝つかも」ぐらいか?
百歩譲ってあいつらが特権を持ってるとしよう。ゴミみたいな特権を。
で、それを取り沙汰するのってフェミ世界観にとってどれぐらいの意味があんの?
そんなことやってる間に「強者男性」に果敢に戦いを挑んで「支配体制」を転覆すればいいと思うんですガー?
っていうか俺にはとっくに答えがわかってるよ。
特に弱い奴等の「特権」にばっかり執着してあーだこーだ言いたがるのは要するにさあ
自分が弱そうな奴ばっかり狙って憎しみを叩きつけて回ってることへのいいわけだろ?wただの。
ばれてねーとでも思ってんのかってwww
だいたい「強者男性」っていうのが誰なのかは
それを突き詰めていくと「権力分配」「支配構造」なんていうおどろおどろしいけど中身がよくわからん世界観の出来と向き合わなきゃいけなくなるし、
それにそれに、強そうな男は怖いし、ほんとに怖い相手にはいまいち憎しみが湧きにくいのが人間だしね?w
「私たちを敵だと思うな、ちゃんと強者男性を憎め!」って
それ言ってる奴等自身からして「本当の敵」を回避して弱いとこばっか狙って祟ってるんだから、
おめーらってつまりさあ
昔の中国共産党みたいなんだよ。
看板では「日本軍と戦う」って言いながらろくに決戦するでもなく近寄りもせず、
村々を回って武装もしてない住民を狙い「おまえは日本軍に協力した反動分子だろう!」ってボテクリ回して見得を切る。ちょっとすっきりするし軍資金ゲット。
中国人だけが特別にだらしなくてアホ、とかじゃなくて、どこの国にもこういうのって現れるんだよ。
強大な正面の敵と戦うガッツや戦術を出すのは怖いしダルいし能力が足りないってんで、
「敗北主義者」「裏切り者」「反動」の処刑にばっかり血道を上げる奴。
憎しみが強くて臆病者で、個人的ルサンチマンに大義名分つけて暴走するタイプ。
全共闘世代の左翼なんて、「憎むべき官憲」を殺した数より同じ学生に批判付けて殺した数の方がずーっと多いw
俺はお前らも別に嫌いじゃないよ。
とっても人間くさいと思うし、その情動は手に取るようにわかるし。
でもお前らが「弱者男性」どもの敵じゃないとか、味方だとかいうのは無理ありすぎだろw
当時の中国民衆が共産党なんてただのゴロツキ略奪者だと見抜いていたように、
お前等がストレス解消にせよ権利拡充にせよ、常に「弱者男性」を狙うことで達成しようとしてることぐらいは本能で気付く。
自分へのそういう扱いについては犬や猫だってピーンと感づくもんだ。
仮にお前らみたいな「弱者男性」への嗜虐心を持たない
「公正で私心の無いフェミニスト」っていうのが日本のどこかに現れたとしても
そいつでもやっぱり「弱者男性」から敵だと思われる可能性はあるよね。
そのフェミニストが全ての男を弱らせるようなガスをまいたとして、死んでいくのは弱い男だもんw
よっぽど「強者男性」を狙って刺すような限定的で指向的な攻撃を考えない限りは、フェミニストは「弱者男性」の敵だろう実際。
でも刺すっつっても、「強者男性」という幼稚な概念上の存在がどこにいるかはだれにもわからないとw
しょぼいバレバレ詐術はやめて正々堂々と殴り合ったらいいと思います。
GANTZに呼ばれた人みたいな感じに。
あるいは「SNSを使うと高収入になれる」というデマが流れるまで。
世の中は事実と異なる煽り記事があふれている。実際には嘘であることをそれとなくまかりとおすことは風説の流布になる。フィクションであるなら構わないが、それならば断っておく必要があるだろう。そのような煽り記事に対する傾向として、最近の記事を事例として「なぜ高収入の人ほどSNSを使っているのか 」を例に情報の歪みをまとめておきたい。
ソーシャルネットワークで職場の人とつながっている? | DODA ホンネの転職白書
を見てほしい。これから言えるのは
最初の歪みはサンプルの質である。DODAであればそもそも「転職を考えている人間」であろうことが明示されていない。転職を考えているのなら少なくとも、性質上、縁故採用を期待するのは当たり前である。ならば転職者のSNSの利用が高くてもおかしくない。
一部引用すると、
順位 職種別 SNSの利用率
2 IT/通信 64.7%
3 金融 56.9%
順位 職種別 SNSの利用率
1 企画/マーケティング 82.1%
2 クリエイティブ 80.5%
とあるが、これも転職者が前提であれば、あるいは、DODAの顧客が前提であれば、SNSの利用率以前に流動性の高い職種が上位にくることは自
明である。したがって、転職者ほどSNS利用率が高いということではないだろうか。
一部引用すると、
SNS上で仕事関係者と交流するビジネスパーソンは、身近な同僚と会社内のコミュニケーションだけに留まらず、プライベートでも積極的にコミュニケーションをとっていることがうかがえます。一方で上司や部下、取引先については、SNS上では多少距離を置きたいと考えているようです。
このことは転職検討者ならば当然(上司や部下に内緒にしたいため)のことであり、サンプルの質により曲解ではないか。これらはサンプルの質を述べないために起きることである。
1 900万円台 68.4%
2 800万円台 66.7%
3 1000万円以上 60.0%
4 700万円台 57.4%
5 400万円台 56.5%
だそうだが、そもそも900万円台が何人いるのかどうかが述べられていない。相対的には少ないはずというのは予想できるが、傾向その1のとおり、上記職種の年収が比較的高いがゆえに利用率が高いだけではないだろうか。900万円台の人数と職種の比率を述べずして
と結論づけるのは、ないものをあるように見せているだけのようである。それならば、なぜ1000万円以上がなぜ下がっているのか?同じく500~600万円台で下がるのか?その理由も述べられていない。そうではなく「企画/マーケティング、クリエイティブ、ITエンジニアのSNS利用率は比較的高い」というのなら理解できる。実際、この情報からはそれだけしか読み取ることができない。年収が高いビジネスパーソン=SNSを積極利用というのは論理の飛躍ではないか。裏を返せば1000万以上職種は企画/マーケティング、クリエイティブ、ITエンジニアではないということをまず述べるべきであり、DODAの顧客=転職者としては母数が多くない職種ではないと推測できる。おそらく流動性の低い職種であろう。つまり高収入の公務員や医者と考えられる。これらはサンプルの量(と、それに対する比率)を述べないために起きることである。
一部引用すると、
DODAに登録いただいた転職者約5000名の、TOEIC®テストの点数別に平均年収を見てみると、TOEIC®テストの平均点に近い550~599点の平均年収が405万円に対し、900点台は528万円と、123万円も高いことがわかっています(DODA調べ)。これらの調査結果をあわせみると、Facebookなど海外ユーザーとコミュニケーションをとる機会が多いSNSの普及と、語学力が高いユーザーの参加が増えたことが、年収別の利用率に関係していると考えられます。
実際には別の調査であり、まったく関係がない。にもかかわらず、同じ記事で関係されている。なぜなら「550~599点の平均年収が405万円に対し、900点台は528万円と、123万円も高い」ことは年収900万円が利用率の高い説明にはならないからである。TOEIC900点台が528万円であることならば、500万円台は54.3%でしかない。さらに「SNS利用率の高いユーザが英語できること」の調査結果はどこにもない。
※蛇足だが「TOEICの点数と年収の相関」の調査はあるようだ。
http://www.english-resume.net/indiv/ent-41-10.php
しかしDODAのこれらの調査記事は「転職検討者に限ったデータです」あるいは「企画/マーケティング、クリエイティブ、ITエンジニアに限り」などのバイアスに対する前置きさえあれば、特にいかがわしいものではない。間違った推論は余計だとしても、それが転職検討者のデータであるならば、理解できる部分が増える。そして、もっとも問題になのは事実を捻じ曲げたタイトルをつけてしまった次の記事である。
このタイトルはつまるところ「年収高くしたければSNSを利用せよ」という錯覚を引き起こす煽りである。実際にはその相関も因果も何も説明
されていない情報の二次コピーでしかない。少し譲って「「年収900万円台」の利用率は68.4%!」は、DODAの調査からそうであったとしよう。しかし上記で説明したとおり、「なぜ高収入の人ほどSNSを使っているのか」というタイトルは嘘である。実に巧妙に、この記事にはタイトルに嘘が50%含まれている。たぶんこのような誘導に慣れているのだろう。文章中に「なぜ高収入の人ほどSNSを使っているのか」という説明はどこにもない。diamondの記事ならば、せっかくなのでば600万円台、500万円台の利用率がなぜ400万円台より低いのかを分析したらどうだろうか。忙しい500万円~600万円の人はSNSの利用率が低い。とでも書いたらどうか。
これらを真に受けないように対策も述べておく。
http://www.j-cast.com/2009/05/29042167.html
主な利用目的がSNSであるのが36%と世界5か国中最も低い結果ということであり、直接上記の問題と関係はない。だが、どうやら思ったより熱
狂的ではないことは感じ取れる。震災後にSNSの利用ユーザー増えたという時期的なデータもある。
と
http://nensyu-labo.com/2nd_syokugyou.htm
を比べればわかるが、DODAのデータはやはり局所的であり、上記で推測したとおりの前提付きであろう。「流動性の高い職種ではSNS利用率が高い」あるいは「ITに関係する職種ほどSNS利用率が高い」という当たり前のタイトルがふさわしいのではないだろうか。それ以上ではない。
上記のとおり、年収とSNS利用率の相関も因果も確認されていると言いがたい。これを別角度から説明した良記事がある。
http://www.j-cast.com/kaisha/2011/08/24105238.html
このような疑問や批判精神から記事が作られることは、メディアの失われつつある機能であり、稀にしか書かれることはないが、もし存在するのならばそちらの記事を合わせて読むことが重要である。
ということであり、傾向その2は証明されたようだ。これでは確率的なブレの域を出ない。つまり次の調査では異なった結果が出る可能性が高い。
900万円台の人が占める割合は、わずか1.4%。1000万円以上も1.7%に過ぎない。30.8%を占める300万円台の20分の1。高収入者はもともと、SNSの利用率で一喜一憂する必要もないほど少数派だ。「自分はSNSをこんなに使っているのに、なぜ収入が低いのか」と自信を喪失しないようにしたい。
まったくそのとおりである。自信を喪失する必要などまったくない。少数をあたかも全体のように説明してはいけない。
なぜかマスメディアはなぜかSNSの利用を煽る傾向がある。自らの利用率が高いものは良いと当然、適用しようと思うのかもしれないが、私はSNSに熱狂したり血道を上げている人間に立派な人を見かけたことがない。正しいかどうかはわからないが(と、あらかじめことわった上で)現状のSNSの利用率に関する私の感覚を言うのならば、
・SNSの利用率が高い人ほど消費性向が高い
・SNSの利用率が高い人ほど飽きっぽい
それ、資本主義と一緒。 資本主義とは決して良策ではないが、他に方法がない。なぜならば、社会主義のほうが望ましいが、人間は愚かであるから社会主義を適用することができない。
というのと全く同じじゃね。
分散しようとしても、集まっちゃうんだから。無理だろ。 副都心で都庁を新宿に移転しただけでもえらいよ。
それに、首都圏の人間からすれば、一回 リセットするためにある程度 破綻することは織り込み済みだから(JALのように破綻させなければ構造改革できない例が多すぎるため)
マイナスっていわれても、今更驚かないし。地方だって破綻させてリセットと考えてる人は多いと思うよ。
言い方を変えれば、破綻せずに回復してもよし、破綻してリセットしてもよし。でしょ。
破綻させないことに血道をあげるにはもう手遅れだからね。一定の破綻が織り込まれている。
あとは、みんなで努力して、破綻せずにどうするか?というのを 個別に考えるフェーズに来ているだけ。
そういう意味では、戦略というフェーズで、リセットのために破綻やむなし。という所まで来ちゃってるんだから、いまさら、破綻反対、全救済って叫んでも遅いでしょ。
それを叫ぶなら、バブルの真っ只中に叫ばないと。
安い外国製品が入ってきていた頃に、コレでは産業が空洞化する。国内製品を高くても買おうよ!という流れは潰された気がするからねぇ。
あの時、安くて良い物 という フレーズに飛びついた人たちが、自分の給料をめぐりめぐって下げたんだけど。 自分たちで選んだことだからねぇ。
今おきている問題は、バブルの頃にとっくに指摘されていたでしょ。そして、今を選んだ国民がいると。