俺は逆だと思うよ。
フェアで客観的な評価、点数化可能な定量的評価ができると思い込んでるのが歪みの原因。だから受からなかったら人間としての総合点で否定されたみたいに思っちゃうし、点数を稼ぐのに血道を上げちゃうんだろ。最初から主観だってわかってれば、相性の問題だとわかる。
仕事ってのは最終的に、金を出してくれるお客さん(直接客と相対しない場合でも、上司は客の代理だ)にどう満足してもらうかって話になる。そんなの大半が主観的評価だ。たくさん客がいれば統計的に定量化できるかもしれないが、仕事によっては客(もしくはその代理)の数は少ない。
これから長いキャリアの中で主観的評価に晒され続けるのに、入り口だけ客観的にする意味があるのかい。
採用企業の方も客観的評価に頼ることはある。どういう人間が欲しいかはっきり絞れていな場合ね。本来は最初に募集するポジションがあって、必要なスキルレベルや入社後誰と働くことになるかって具体的な話がかなりわかってる状態で採用をかけるべきだ。それなら受ける方も何が求められているかわかりやすいし、実際に同僚や上司になる人間と話せて相性を確認できる。白紙の状態でまとめて採って、その小さいグループを後から社内に割り振ろうとするのは、適材適所という観点からするとひどく不合理だ。(終身雇用とかメンバーシップ型雇用なんて慣習の副産物としては合理的であるのだけれどね。)
面接官の勘で、本来は適任だった人を落としちゃうこともあるだろう。その責任は、そういう判断をした面接官ひいては企業が機会損失としてかぶることになる。それだけの話だ。普段の取引だって、受けとくべきだった話を蹴って後で臍を噛むことはある。雇用契約だってビジネス上の取引の一環だよ。同じこと。
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/potato_gnocchi/20130307/p1 letterdust 大学入試というのは×は点数にならないだけで総合で得点数さえよければ無鉄砲なおバカも通ってしまうが、社会人には「絶...
俺は逆だと思うよ。 フェアで客観的な評価、点数化可能な定量的評価ができると思い込んでるのが歪みの原因。だから受からなかったら人間としての総合点で否定されたみたいに思っち...
社会はなんとなくと成り行きと理不尽で出来てるんだよ。 それを歪んでるっていうんなら社会に向いてないから出てくんなって話だ。