朝日新聞の「中島らもの明るい悩み相談室」に、あるとき、じゃがいもを焼いて味噌をつけて食べると死ぬと聞いたが本当か、という主旨の相談が寄せられたそうです。それに対するらも氏の答えは以下のようなものでした。
「・・『焼きじゃがいもに味噌をつけて食べると死ぬ』というのは本当です。・・・僕の友人の医者の話でも、やはりその実例を見たそうです。その患者さんは今年九八歳になるおじいさんですが、一二の時に焼きじゃがいもに味噌をつけて食べたのを悔やんでなくなったそうです。」
というお話。
この話を読んですこしでも「味噌じゃがいもって、怖いなぁ」と”本気で”思った人は、情報を判断する能力に問題があるのでネット上で情報の拡散はやめましょう。
朝日新聞の「中島らもの明るい悩み相談室」に、あるとき、じゃがいもを焼いて味噌をつけて食べると死ぬと聞いたが本当か、という主旨の相談が寄せられたそうです。それに対するらも氏の答えは以下のようなものでした。
「・・『焼きじゃがいもに味噌をつけて食べると死ぬ』というのは本当です。・・・僕の友人の医者の話でも、やはりその実例を見たそうです。その患者さんは今年九八歳になるおじいさんですが、一二の時に焼きじゃがいもに味噌をつけて食べたのを悔やんでなくなったそうです。」
というお話。
この話を読んですこしでも「味噌じゃがいもって、怖いなぁ」と思った人は、情報を判断する能力に問題があるのでネット上で情報の拡散はやめましょう。
1000年に1度の大災害で放射線、被曝の被害で確定してるのって農水産物の出荷停止と原発近くの住人が避難する必要があったことぐらい?
被曝した人何人もいたけど、それが本当に寿命、健康に影響あったかなんて何年も追跡調査しないと
わからないじゃん。
割と放射線浴びてそうな昔の科学者が意外と長生きだったり、放射線が健康に与える影響がピンと来ない。
代替案を具体化せず、リスクを過少評価してるのは原発反対派も同じでは?
本気で原発反対を望むなら、
増田に書き込みなんて余裕あるな
ヨウ素131がキセノンにベータ崩壊するのを待つしかありません。
東京での花粉症がひどくなるのは、乾燥してて舗装された地面しかなくて再浮上しているからという説があるけど、
放射性物質入りの塵についてはどうなんでしょうか?結局総量は同じ?
ある時、ポップカルチャーに関する考察でお色気強めなマンガのコマを引用したら
「著作権侵害」とか「アダルト画像なのでブログの利用規約違反!」とかいう
メールが複数きたけど無視していた。
用件は来てからじゃないと教えられないという。
ドキドキしながら行ってみたら、所属してる学科の偉い教授やら何やらが5人ほど
会議室で待っていた。
そこで、始めて自分のブログについて「東大生がアダルト画像をブログに・・・」と
一応、著作権にもある程度詳しいので引用の用件を満たしているとか説明したら
ある教授が「公衆送信権」とか「公衆送信可能化権」なんて話を持ち出して
ややこしいことこの上ない。
驚いたのは、東大は匿名のクレームにも真面目に対処しちゃうってことだね。
現状を肯定しているようだが、現状の危険に対する認識については大甘な見方をしておいて、対案に対しては強硬な対応をとる。実現性など。
上から目線を叩いておきながら、非常に上から目線の立場に立つことに熱心な御仁である。
おそらくなにか特別なコンプレックスを「こじらせて」おかしくなっているんだろう。
どこにもそんな印象ねぇよw
「感情論で騒いでいるだけで、説得力のあり実現可能そうな原発の代替案が出てこない。
代替案がでてこないこと自体、消去法で言ったら原発を受け入れざるえない
という印象です。
いちおう言っとくと私は原発容認派であって推進派でない。
現実可能な代替案があるなら、原発を代替案に変えるべきだと思っている。
原発に反対するなら、代替案ださないとどうしようもないよね。
http://anond.hatelabo.jp/20110322085039
この原発騒ぎで田中優のインチキ言論に騙される情弱が大量生産されるかと思うと胸が熱くなるな
バカの一つ覚えのように対案大安といっている池沼じゃね?
そんなことを感じるのは自分だけだろうか。
15年程前、今回地震で被災した宮城県の海岸地域に少しだけ住んでいたことがある。
長期出張だったんだが、現場への送り迎えは会社からの指示で同僚がやることに。
で、自分は社用車の割り当てナシ。
スーパーまで買い物に行くにも、車で10分かかる場所だったんだけどね。
鉄道駅までは、歩いて10分なのだが駅前にはセブンイレブンがあるだけ。
ネットはようやくADSLが出始めのころなので、ダイヤルアップだった。
あと通信手段はPHSのみ。
とにかく、欲しい本を買おうと思っても電車に揺られて仙台まで出向かないと
いけないような場所なわけだ。
でも、次第に余分な物欲がそぎ落とされて行くのを感じた。
ものすごくワクワクしてしまうようになった。
すべて閉店しているのが当たり前だった。
そんな経験があるためか、今、東京で街が死んでしまっているのが
もの凄く心地いい。
それに、選択肢の多すぎる東京のライフスタイルにも、もう疲れた。
景気のこととかを無視するんだったら、もうこのまま街が死んでいる状態が
24時間、いつでもお金がおろせて、いつでも買い物ができる状態は
便利だけど、やっぱり異常だと思う。
そうそう、冒頭の宮城県で暮らしていた時、すごく驚いたことがある。
世間が水で慌しい。そんな中俺は予備校の講師が言っていた事を思い出した。
「僕たちはとても運がいい。なぜなら世界の終わりを体験することができるかもしれないからだ。」
なんだこいつはと思いつつ話を聞いていたが、その講師は続けてこう言った。
今になって「なるほど」と思ってしまった。
若者を見よ。
気が引き締まっているのだ。
友が亡くなったものもあろう。
友がなくなるというのは、皮肉なことに自省を促す。
友達の分まで生きるという意志は向上心を与える。
このような得も言われぬ高揚感は、ここ15年ほどの世代にはなかったものだ。
彼らは実感するだろう。
学ばねばならない。
役に立たねばならない。
強くならねばならない。
大人にならねばならない。
その気概は周りも察知するものであり、映像を介してさえ我々に希望をもたらす。
これを機に、というと天罰のそれと同じたぐいになってしまうが、巨大な出来事は人生をそれ以前と以後に分けるのだ。
彼らは間違いなく今後の日本を支えるだろう。
力強く、我々を脅かすだろう。
今日もデスクで仕事したくなさそうな糞っ垂れな面しやがって。甘ったれが。くたばれ。
「逃げたきゃ逃げてもいいんだぞ?」と言えば「いいです。クビになるかもしれないから。」