はてなキーワード: エピローグとは
まさかこんなタイトルのエントリを未読者が読むわけがないと思うが念のため補足すると、このエントリは最終回の内容を含んでいる。未読者はUターン推奨。
さらにいえば、最終回の内容に満足している読者に読まれることも想定していない。あなたはあなたの読み取った【推しの子】を大事にしてほしい。
そのような方々の持つ不満はきっと決まっていて、「何故こんなにも救いがないのか」ということだと思う。
決して読者を苦しめるためだけにこのような結末を描いている訳ではなく、この結末の先にあるものを読者に提示したかったのだと筆者は考えている。
抱えている不平不満に対し、一つの解釈を提供することによって、納得の一助となることができれば幸いである。
こちらについては全読者が納得できると思うが、この作品は「嘘」をメインテーマとしている。芸能界という身近であるが遠い世界を舞台として、その裏側に密めく嘘を真実に芸能界の当事者として向き合うというのが大まかなストーリーだ。
言われてみれば、芸能界というのは嘘に溢れた世界だ。我々がスクリーンや舞台を通して観ている芸能人たちが、その舞台裏ではどのような人間で、どのようなことをを考えているか、我々は全く知らないし、知る権利もない。
しかしながら、スクリーンに映されたキラキラした世界が真実であるのか嘘であるのか、気になってしまうのも人間の性であると思う。そういった層へのリーチとして、元ドルオタがアイドルの子供として転生し、そして本人も芸能界を目指すというストーリーは最適だ。一般人の人格を持ったまま、生まれながらの芸能界の人格を得る訳だから、芸能界と一般のギャップを体感する語り手としてはこれ以上ない設定だと思う。
そして、転生したルビー、アクアもまたそれぞれのスタンスで世間に対し嘘を吐くこととなる。そうして吐いた嘘、すなわちフィクションの裏側を、他でもない本人の視点から嘘も真実もなく全てを体感するという構成。
ゆえにこのストーリーでは、作中の芸能界で起こっていることと、読者が体感したことが一致することを許容するが、作中での世間の芸能界像とは乖離していなければならない。この辺りを把握していないと、なぜ大団円のハッピーエンドでなかったかを理解することができない。
トンチのようなことを言うが、嘘を吐かなければいけなかったから必要に迫られて嘘を吐いているのである。
このように列挙してみると、「嘘を吐く必要性」が明確に整理されたストーリーラインが展開されていると気が付く。
しかし逆に考えてみたらどうだろうか。嘘を吐く必要がない素晴らしい世界だったら?己はこれ以上なく満たされていて、世間様に嘘をつく必要なんてございません。私は生まれついての公正明大です。そのようなキャラが、嘘を吐くことに説得力を持たせることができるか?
さて、【推しの子】のメインテーマを表現するためには、嘘を吐く必然性のある舞台を用意しなければならないというところまで整理できた。そして次に考えるべきは、何を嘘で隠すか、である。
嘘と言っても、方向性が二つに分かれていると筆者は思う。すなわち、
おおよそハッピーとバッドで分ける軸だと解釈してもらって構わない。
もっと他の方向性で区別することもできると思うが、ここでは【推しの子】がなぜハッピーエンドでないかを説明したいので、このようにしている。
さて、後者は想像しやすいが、前者は補足が必要かもしれない。具体的に言えば、クラスの人気者とお付き合いできたという場面を考えて欲しい。あなたは身に余る幸福を自慢したくなるかもしれないが、周りを慮り、付き合っていないと嘘を吐くことにした、といった状況である。想像できただろうか?
そして問題は、この二つの嘘のうち、どちらを【推しの子】で取り扱うべきか、である。そして考えて欲しいのであるが、芸能界を舞台とした漫画を描くとき、どちらの嘘の方がしっくりくるか?
逆に前者を描いていた場合は、
それはそれで見たい気がするが……
というのはともかくとして、ぶっちゃけて言うと、そういう類の漫画は世間に溢れているのである。有馬かなとアクアが注目を集めているのも、推しのアイドルの子供として転生した後に、その推しが殺されるというセンセーショナルで周りとの差別化のされたストーリーで注目を集めたという基盤があったことを忘れてはならない。
改めて考えれば、ハッピーエンドなんてものは、悲劇を隠す嘘の極致に他ならない。人間は例外なく死という悲劇を迎えるし、筆者も画面の前の読者も、人生の最後には消滅の恐怖に怯えながら消滅することになる。あるいは、恐怖を抱かせることすらさせない暴力的な最後を迎えるかもしれない。
例えば、作中の恋愛リアリティショーはアクアとあかねのキスシーンで物語を閉じた。あれこそが恋愛リアリティーショーにおけるハッピーエンドだ。あそこで番組を区切ることで、番組の視聴者に未来に希望を抱かせつつ、大団円で物語を終えることが出来ていた。その後のSNSでの交際報告はエピローグといったところか。
まぁ、アクあかは破局というよりも、アクアの己の手を汚してでも周りを傷付けたくないという優しさと、あかねのアクアだけに手を汚してほしくない死んで欲しくないという意見の相違のために距離を置いたというだけで、全然破局という感じではないんだが……だってそれってつまり相思相愛じゃん……まだ改めて2人の心が通い合う可能性はまだまだあったんだが……
ではなくて。とにもかくにも、
【推しの子】において、作中の登場人物はスタンスはともかくとして、物語の最初から最後まで世間に嘘を吐き続けたが、読者に対して嘘を吐くことは一度もなかった。徹底して、厳しい現実を示し続けた。
作者はやろうと思えば、アクアとカミキヒカルのインタビューのシーンで話を区切ることもできた。実際、あの場面は【推しの子】を「ハッピーエンド」にするか、それとも実際に描かれた「アクアの死という悲劇に遭っても立ち上がる、生きていくことを選ぶ」結末で話を区切るかどうかの分水嶺であったと思う。
ハッピーエンドにする方法は簡単。カミキヒカルはあの場で罪を告白し自首、そのニュースを皮切りに映画はヒット、物語のラストは使命を果たしたアクアが有馬かなの卒業ライブ終了後に告白してハッピーエンド……それが、おそらく1番丸く収まる、読者への優しい嘘だった。いつか訪れる誰かの死を直隠しにする、最も優しい嘘。
そうして、物語はどうしようもない悲劇に向けて突き進んでいく。そして、最後には遺された登場人物たちが、消えない悲しみを嘘で隠しながらも、同じく悲劇という暗黒を生きる人達を照らす希望の光となる……これは、ゴローでもなくアクアでもない「星野アクア」にとって、嘘でもなんでもない、真の救いになったはずだ。そう願いたいし、作者はそういった、悲劇を乗り越えていくエネルギーのようなものを見せたかったのだと思っている。
そしてそれは、表面上のハッピーエンドでは成し得ない。本物の悲劇を乗り越える、嘘偽りのない登場人物たちの心情を描く必要がある。さらに言えば、フィクションのノンフィクションとして「悲しみを乗り越えられない」姿勢を見せつつも、作中のフィクションとして「悲しみを乗り終え世間に希望を与えるアイドル像」を成立させる話の組み立てのためには、今回のような形を避けられなかったのだと思う。
そういった理由を総合して、最終的にこの結末を描くと決心したのではないか。
そして、そのエネルギーを読者に持ち帰って欲しかったのだと思う。現実はフィクション以上に嘘に塗れていて、正気とは思えない凶行もあったりする、明日にも希望のない、夢も持てない真っ暗な世の中だ。その中において煌々と輝き暗闇を照らす「推し」の存在。その光に嘘が含まれてないとは言えないけれども、その光に向かって世界が少しずつ好転していく。
筆者はそう受け取っている[^3]。その一心でこのエントリを書いた。まだこの話を悲劇としか受け取ってない人がいたら、その悲劇の後を懸命に生きるキャラクターたちをもう一度見てほしい。実際筆者は、最終話を見て、そのあと1話から読み直して、最終話のモノローグがそういうことを伝えたかったのではないかと考えるようになった。アクアが死んでショックを受けただけで終わったら、それは勿体無いことだと思う。そんなファンからの一意見を伝えたかった[^4]。
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[1]: 読者の方は当然ご存知だと思うが、作中で「コンテンツとファンは相互監視状態にある」というセリフがある。当然、このセリフを記載した作者がファンを監視していないはずがないと、多くの読者は感じるはずである。その中であえて、その行動を選んだのだから尋常ではない。
[2]: 読者の方は当然ご存知だと思うが、作中では炎上について「その日のメンタル次第では本当に死んでやろうかと思う日もある」というセリフがある。キャラと作者の思想は区分されるべきであるが、そのような思想が作者の脳内の構成要素の一つとして存在していると、多くの読者は感じるはずである。その中であえて、その行動を選んだのだから尋常ではない。
[3]: このエントリを書いてる途中に、赤坂アカ本人のインタビューが出回ってることに気が付き確認したところ、「ディスコミュニケーションを描きたい」といった旨のコメントがあった。じ、じゃあこのエントリの内容は……?となり怖くなったので、とりあえずアルコールを入れた。えっじゃあこのエントリも嘘ってこと?そうなのかな……そうかも……
[4]: そんな気持ちで旧Twitter自称Xを見に行って、検索欄がインプレ稼ぎなんだか炎上目当てなんだからわからないツイートで埋め尽くされていた。インターネットというものはどんどん地獄に堕ちていくな。もう純粋に収益とか考えずに己の意見を発信できるのなんて、もう増田しかないんじゃないか…… 増田、𝑩𝑰𝑮 𝑳𝑶𝑽𝑬 ……住民の質以外の欠点がないな……
俺はアニオリの「軍艦島」が好きなんすよ。
「おはよう」で始まる古い方のアニメでハンター試験中に追加としてやられた特別試験です。
アニオリって聞くと新しい方のハンタの映画とかのせいでちょっとイメージ悪いかもですが、「軍艦島」だけはガチだと思います。
軍艦島の何が良いってハンター同士が和気あいあいとしてる所ですね。
試験ではあるんですけど、立ち位置としては飛行船の延長みたいな空気です。
廃棄された軍艦でそれぞれが部屋を取って暫くそこで宝探しするっていうYMCAとかでありそうなノリなんですよね。
「俺の部屋は陽当り良好だぜ!」「よっしゃ!」→「西日が強すぎだろ!」
ハンター試験って基本的には生きるか死ぬかも隣り合わせなギリギリの空気の中で世界中のヤベー奴らが集まったことで生まれる独特のフワフワした空気が楽しいじゃないですか。
そんでそのあとに本試験に戻ったあとの「さっきまでにこやかにチームプレーしてた奴らがスイッチが切り替わったように冷酷な潰し合いを始める」って振れ幅がちゃんと富樫なんすわ。
私が好きだったハンタの面白さって緩急の強さっていうか、緩いときはバッチリ緩い所にあったんですよね。
殺し合いをすることもあるけど、子どもっぽい遊びに興じたりみんなで合宿や旅行みたいなことしてるあのノリがいいんですよ。
でも蟻編ぐらいからひたすらシリアスシリアスシリアスでもう緩いタイミングが無くなってくるじゃないですか。
HUNTER×HUNTERはゴンがジンをハントした時点でもおう終わっていて、そっからは設定を流用したエピローグであるって説もありますけど、本当に空気が変わった感じがしますね。
グリードアイランドラストの「もうここはお前たちを見守る流れなんだぜ」となった辺りまでが優しい空気がそれなりの長さで続く場面のラストで、そっからは本当にシリアスの帯を締め直すための一瞬の緩みぐらいしかないなと。
十二支んとかも表向きはフワフワしててもその水面下にあるピリつきがハンター試験とはレベルが違うんですよね。
ハンター試験ってどこかで「死ぬぐらいなら来年受ければいいのに」ぐらいには消極性も残されているけど、選挙編って狂言回しを気取ってるヒソカ以外はみんなひたすらガチじゃないですか。
レオリオとかですら口にしてる言葉の内容は緩めだろうが、気持ちのボルテージは全力でシリアスっていうか相当ヤバイレベルにキレてるじゃないっすか。
センリツとかバショウさんとかが画面に出てきても、和みきれないっていうか、+80でヒリついてたのが+30ぐらいのシリアスまで下がるのが精一杯で、決してリラックスムードには反転しきらないといいますか。
これ、俺が知ってるハンタじゃないなって思うんですよね。
そういう意味ではボノレノフとかには期待してたんですけど、ボノもボノで本人なりには物凄いシリアスで、全くリラックスしてないんですよね。
なんか今のハンタは本当にず~~~っとピリピリしてて金がなくて解体される直前の部署みたいな空気で読んでると疲れるんですよね。
ChatGPTに作ってもらったけど
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2033年、日本はかつての独立国家としての地位を失い、米、EU、中国の共同管理下に置かれていた。
主要都市には外国の監視機関が配置され、公共サービスや教育、医療も全て外国資本によって運営されている。
国民の多くは外国企業の管理下で従属的な労働力として働かされている。
日本がここに至るまでには、AI産業への過度な依存と権益保護が国家全体に硬直化をもたらし、社会的・経済的な破綻を招いたことが背景にあった。
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2025年、日本政府は生成AIとデータ活用を国の成長戦略の中心とする国家政策を発表し、生成AIを基盤にした産業拡大に莫大な予算を投じた。
政府は生成AIの開発や導入を担う企業に税制優遇や補助金を与え、生成AI技術が医療、交通、マーケティングなどのあらゆる分野に浸透するよう支援した。
AI関連企業は成長を遂げ、医療データや消費者データの活用が進み、生成AIが社会の基盤として位置づけられた。
政府も「生成AIが生み出す利益と雇用は国益そのものである」として、AI推進の強化に邁進したが、次第に他の産業の投資が相対的に減少していった。
農業、製造業、サービス業などの基幹産業も権益を維持しつつ存在していたが、国家戦略の中心からは外れ、経済の中で徐々に相対的な地位が低下していった。
生成AIを取り巻く一部の企業や産業が権益を享受し続ける中、AI以外の産業は政策支援の外に置かれ、次第に人材や資金がAI産業に偏重するようになった。
産業構造が一極化していくことで、国内市場はAI産業を基盤とした体制に依存するようになり、経済が不安定化する兆しを見せ始めていた。
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AI政策の急進的な推進に対し、慎重派は「一極化した政策は日本の産業と社会の多様性を損なう」と警告を発した。
慎重派は、生成AIとそれを取り巻くデータ利用が急速に進んだ結果、プライバシーや個人の権利が無視されつつあること、そして日本経済がAI産業に過度に依存することで、危機管理が欠如している点を強調した。
慎重派の主張には人権団体や法律家、市民が賛同し、メディアでもAI推進政策への疑問が報じられるようになった。
慎重派は「AI産業ばかりに偏る政策が、日本の産業基盤や国際的な協力体制を脅かしている」と主張し、社会全体がAI推進派と慎重派に分断されていった。
しかし、政府は「生成AIの国際競争力こそが日本経済を支える基盤」として、政策の修正を拒み、AI産業を中心に経済を発展させる姿勢を崩さなかった。
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2029年、欧米諸国は日本のAI政策とその無制限なデータ利用に対する懸念を強め、国際的な規制を強化し始めた。
特にEUは、データ利用に関する域外適用を強化し、日本のAI企業が不正に使用したとされるデータの削除と賠償を求めた。
さらに、日本のAI産業に対する輸出制限も発動され、日本製のAI技術や関連製品は欧米市場から排除される事態に発展した。
国際社会との関係が悪化する中、慎重派は「国際的な信頼を回復するために、AI推進政策を見直すべきだ」と主張。
だが、政府は長年のAI依存構造から離れることができず、「日本の成長は生成AIとともにある」として方針を変えようとはしなかった。
こうして、日本は徐々に国際的な孤立を深め、輸出先を失ったAI産業の成長も鈍化。
国内市場に依存する形となり、日本経済はAI産業に偏重した不安定な構造に陥っていった。
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2030年、ハーグ国際裁判所は、日本政府とAI企業に対し「著作権侵害と個人情報不正利用」の賠償を命じた。
日本は賠償金支払い義務を負い、追加の制裁も相次いで発動され、経済の負担は増加する一方だった。
輸出市場を失ったAI産業は成長が停滞し、国際社会からも信用を失った日本は、経済的な孤立が決定的になった。
さらに、AI産業偏重の中で、AIを利用したインフラ整備が進められていたが、輸出制限や制裁の影響で部品や技術の供給が滞り、インフラの維持も困難に。
データセンターや通信ネットワークに障害が多発し、社会全体のインフラが徐々に不安定化していった。
特に医療や交通、エネルギーといった基幹インフラがAI依存の影響で管理不能に陥る事態が続出し、社会全体が混乱に包まれていった。
経済的負担が増す中、政府は社会保障や公共サービスの維持が難しくなり、福祉や教育、医療などの分野で資金不足が深刻化。
国民生活の基盤が揺らぎ、失業率が急上昇する一方で、貧富の格差も拡大した。
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AI依存経済の偏重と国際的な孤立、インフラ崩壊の影響で、国家としての機能は完全に失われていた。
国連安全保障理事会は緊急会議を開き、日本を米、EU、中国の共同統治下に置くことを決定。
これにより日本は国家主権を失い、外国の管理のもとで再編が進められた。
かつての日本らしい社会は完全に消滅し、国民の多くが外国企業に従属的な形で生活せざるを得なくなった。
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「日本は、技術と経済成長に過度に依存し、社会の変化に対応する力を失った。
この運命はAI技術の危険性だけでなく、既得権益に固執し、国際協調を見失ったときに訪れる破滅の象徴である」
こうして、日本はAI技術の発展と無秩序な推進、経済的偏重と国際的な孤立がもたらす危険性を象徴する教訓として、後世に語り継がれる存在となった。
22世紀、人間の食生活は大きく変わり、合成食品が主流となった未来。しかし、伝統的な食文化を守るため、特定の「食品擬人化プロジェクト」が進行していた。その結果、生成されたのが「ドーナツ人間」、愛称「ドン」。彼はドーナツの見た目と性格を持ちながら、人間と同じ知性と感情を備えた存在である。
ドンは、22世紀に生きるドーナツ擬人化第1号。彼の夢は地球上のあらゆる「伝統的な食文化」を探訪し、ドーナツ文化の起源を見つけ出すことだった。しかし、彼は自分がいつか腐敗してしまうという「賞味期限」という運命を背負っている。彼の旅は、時間との戦いでもある。
• ドン:ドーナツ人間。好奇心旺盛でポジティブだが、賞味期限を気にしている。
• マキ:未来のフードサイエンティスト。ドンの製造に関わった科学者で、ドンに親しみを抱きつつも、科学者としての冷静さを保とうとする。
• シバ:AIガイド。ドンの旅をサポートするが、時折皮肉屋。
ドンは、22世紀の東京で「伝統的な食文化博物館」を訪れ、古代のドーナツやスイーツの展示を見て心を動かされる。そこで彼は、かつてのドーナツ職人たちが、何世紀も前からドーナツを愛し続けたことを知る。マキは、彼の夢を応援し、ドンの旅の計画を手伝うことを決める。
ドンとシバは、時間と場所を超えてさまざまな料理を体験する旅に出発する。彼らは、イタリアの伝統的なデザート、南米の揚げ菓子、フランスのクロワッサンなど、さまざまなデザート文化を探求していく。ドンは、各地で自分と似た「スイーツキャラクター」たちと出会い、友情を築いていくが、次第に自分の賞味期限が迫っていることを感じ始める。
旅の途中、ドンは自分がゆっくりと劣化していくことに気づく。彼の表面にひびが入り、少しずつ硬くなっていくのだ。それでも彼は旅を続ける決意を固めるが、賞味期限が迫るたびに自己存在の意味について悩むようになる。シバは、冷静なAIとして「記録を残すことで不滅になれる」と助言するが、ドンは「記録」だけではなく「体験」が大事だと反論する。
ついにドンは、ドーナツの「起源」を探し出すために、かつてのアメリカへ向かう。そこで彼は、現地の人々と交流し、古代のドーナツ作りを見学しながら、自分が「愛される食べ物」として生まれたことに喜びを感じる。
ドンの劣化は限界に達し、崩れ始める体を感じながらも、最後のメッセージをマキとシバに送る。彼は、自分がただの「食品」ではなく「愛された存在」として旅を終えたことを感謝する。そして、ドンの残した記録と旅の思い出が、次の世代の「擬人化食品」のプロジェクトに活かされ、新たな「スイーツキャラクター」が生まれる。
ドンの旅は終わったが、彼の存在と記録は後世に語り継がれる。マキとシバは、ドンを思い出しながら、彼の遺志を継いだ新たな擬人化キャラクターたちの旅が再び始まる場面で幕を閉じる。
「ドーナツ人間22世紀の旅」は、有限な命の中で自分の存在価値を問い、自らの意義を見出していく物語。ドンは、人間と同じように存在の意味を探し、限られた時間の中で何を残すかというテーマを描いている。
上記の記事に対して皆さまから寄せられたブコメ・トラバをまとめました! 27日27時ごろまでのコメントを基本的には全て網羅した、元記事で増田が挙げていなかった作品群です。みなさまの知見でリストが充実。気まぐれにひと言追加したりしなかったり。作品推しではないかも? の場合も、とにかくお名前は載せました。抜けがあったら申し訳なし。誤字はこっそり直してますので、ぜひご指摘ください。ありがとうございます。この記事について寄せられたブコメを拝見して、注釈を追記しております。
大変失礼いたしました…。「ガラかめ」を殿堂入りにしてご用意した1枠にてお許しいただきたく(名案)
亜藤潤子『扉を開けて』
遠藤淑子『天使ですよ』この方も支持多し! なぜか別花の印象が強く。本誌でピックアップいたしました
神坂智子『シルクロード・シリーズ』80年に楼蘭の美女発見→81年『キャラバンの鈴』で仕事の速さとイマジネーションの豊かさに震えた
柴田昌弘『紅い牙 ブルー・ソネット』。『タイタニック80』で「花ゆめ」に颯爽と見参。『第3の娘』含む1980年に短編の執筆数が一番多く、しかし白泉SF短編のほとんどが電書化されていないのはまさに損失…!『ブルソネ』は白泉社版コミックス4巻カバー(訂正・3巻でした、すみません)の青いソネットが神々しい美しさ
猫十字社『小さなお茶会』Xに流せば2024年の新作で通用しそう。「ビン」の話が好き
藤崎真緒『瞳・元気 KINGDOM』
藤田貴美『赤い群衆』たくさん作品がある中で、何故これを。何故これををを(歓喜)
谷地恵美子『すーぱぁキッド』
吉村菜由『政がゆく』
川原泉『美貌の果実』 ( 『架空の森』推し)『銀のロマンティック…わはは』『森には真理が落ちている』『メイプル戦記』『食欲魔人シリーズ』
山口美由紀『フィーメンニンは謳う』『音匣ガーデン』『おんなのこ季節』『V-K☆カンパニー』
あさづき空太『赤髪の白雪姫』
我孫子三和『みかん絵日記』みかんといえば当時は逢坂みえこ『永遠の野原』のみかん(犬)ではなく、こちらの方が知名度あったかな…。あの頃の「LaLa」一番手くらいに人気あったんじゃなかったか
樹なつみ『朱鷺色三角』『パッションパレード』『八雲立つ』『Oz』エピローグがプロローグでもあった『ラヴ・ストーリィ』(『朱鷺色三角』所収)。構成の妙よ。読みながら最後に「えーっ!」と声が出た
篠有紀子『センシティヴ・パイナップル』( 「閉じられた9月」所収)←増田お気に入り
縞あさと『君は春に目を醒ます』
佐々木けいこ『信長君日記』 みなもと太郎『風雲児たち』(1979~)とほぼ同時期に始まった、おそらく本邦初の信長ギャグ漫画
かわみなみ『シャンペン・シャワー』1983年連載開始。南米のプロリーグを舞台とした、サッカーワールドカップ出場を目指す物語。
『日処』といい、ものすごい漫画が「LaLa」から出るんですよね。増田の年齢的には森川久美『南京路に花吹雪』も忘れ難く、当時の成田美名子は『エイリアン通り』を連載中、樹なつみのブレイク作品『マルチェロ物語』もこの頃で、「LaLa」最初の黄金期だったような。月刊誌(作画時間に余裕が出る・ページ数多くてOK)の性格上、先行の「花ゆめ」に対して大作路線に舵を切って差別化してたのかも。といいつつ増田はその少し前の高口里純『トロピカル半次郎』が好きでした。歌って踊れる数学教師。
80年代初頭はまだ「別冊」「増刊」がなかったせいか美内すずえが『ガラかめ』と『聖アリス帝国』『黒百合の系図』、魔夜峰央は『パタリロ!』と『ラシャーヌ!』、高口里純が花ゆめでは『久美と森男のラブメロディ』を手掛けるなど「花ゆめ」「LaLa」掛け持ち組がいらした記憶。
筑波さくら『目隠しの国』 『嘘解き』路線で別原作なら、ぜひこの作品を実写化してほしい…!
これは間違ってはいけない単語でした。モー様案件は『スター・レッド』「AーA’』あたりが好きで『トーマの心臓』方面に疎いのが、語るに落ちてしまった。また、作中にチラッと出てきた「ギムナジウム」より、パタリロといえば、の「クックロビン音頭」がそもそもモー様大リスペクトだったという。ご指摘深く深く感謝です。
「LaLa」は雑誌を購読していなかったので断片的にしか語れず。寄せられただけでも10選は難しそう。後は頼んだ! みなさまありがとうございました!
……という冗談はさておき、対策委員会編三章は先生の負傷による一時的退場、アツコ救出・列車砲の停止に並行してミカ・ホシノが精神的な問題で暴走する等と似通った部分がある。二番煎じであるがゆえ、後発の展開はまさに時代が許さなかった…と言える部分もある。しかし後先の問題ではない差異も存在する。
(そもそもここも実際何をしたか明言されていないのだが)地下生活者が先生の肉体の脆さを攻めるにあたって、シャーレの直接爆破を選択し、これはプラナによって防がれている。おそらく後にプレナパテスとなった先生はコレによる負傷でシロコ*テラー誕生まで昏睡しており、物語上の位置付けとしてはプラナがリベンジを果たしたシーンではある。
これに対してエデン条約編三章では調印式の会場にミサイルが撃ち込まれた際、シッテムの箱の防御に過負荷がかかったことで後のシーンでサオリに銃撃されるという流れになっている。
地下生活者の爆破とミサイルによる爆破は性質が違う攻撃(実際にヘイローを破壊する爆弾など、特殊な効果を持つ攻撃手段はあるので)という可能性もあるが、見た目上は先発の描写では爆破の後襲撃して排除しようとしているのに、後発の描写では爆破のみにとどめて追撃しておらず、一見すると詰めが甘いように思える。
これに関しては地下生活者の敗因として、多少の問題をチートによるアドリブで解決してしまう性質と初手でフランシスを排除してしまったせいで先生の情報を共有できなかった、というのがあり、手段の差異に限って言えば時間をかけて領地と手駒を用意したベアトリーチェと対極的なプレイングになっただけだとは言える。それでもどうしても後発である以上、シャーレ爆破によって危機感を煽るのは失敗している感が否めない。
エデン条約編三章では先生の不在にあたって、混迷する事態に立ち向かう補習授業部メンバーの姿が描かれる。アリウス出身であるアズサはサオリ達を止めるため単身立ち向かい、ヒフミはそんなアズサを止めようとするし、ハナコはサクラコに託された代行としてトリニティ内での事態収拾を図り、コハルも自分にできることを探し回った末にミカを助けようとする。
この補習授業部の努力は個々人の結果としては実を結ばず、アズサは一時的撤退を余儀なくされ、ヒフミは置いていかれてしまい、ハナコは拘束されかけ、コハルもまた先生の到着が遅れたら危ない状況だった。しかしあくまで直前まで個々人でこなしていた努力はまったく無意味なものではなく、先生のフォローによって歯車が噛み合い、反撃に転じていく。
対策委員会編三章ではどうか。単身突撃しようとするホシノに対してノノミを除く全員でかかって返り討ちに遭う。それだけである。補習授業部のメンバーがアリウス出身、行動力、知略、勇気と優しさと役割分担が為されているのと同様、肉体的に強いシロコ、ネフティスの人間であるノノミ、ブレーン役のアヤネ、情に厚いセリカという形になっているにもかかわらず、である。
その後先生が復帰した際には、先程まで先輩に対する反骨芯に燃えていたアヤネがポッと出てきた提案に飛びついて、そのまま全員先生配下の戦力として状況に振り回されているだけになってしまう。おまけにアヤネ生徒会長はプレジデントに一蹴されて自分でも向いてないと辞退し、ノノミの実家の件は執事の乱心がよくわからないまま処理されて流され、セリカに至ってはコハルのような見せ場のひとつも貰えていない。シロコが生徒会の谷で親越えを果たしかけるのが唯一活躍と呼べる活躍だ。
ベアトリーチェに囚われているアツコを救出する目的で動くアリウススクワッドと先生に並行し、ミカが暴走するのがエデン条約編四章である。アリウススクワッドは前章において敵対していた集団であり、物語の途中途中で彼女たちの過去が描写される。そこにセイアの件で暴走したミカが激突し、彼女の今に至るまでの足跡も開示されていく。
対して対策委員会編三章では、ホシノの後追いで後輩メンバーが追いかけるだけで、ホシノ側はバックボーンがよく分からないまま終わったスオウとの中身のないバトルをした後、後輩達と戦い、シロコに根負けした後地下生活者に話をひっくり返されてお流れになる。初期から実装済みのキャラクターであるがゆえ、アリウススクワッドやミカに比べて掘り下げ描写の余地が無いというのはそうなのだが、新キャラであるスオウに関しても意味不明のまま終わってしまい、いい雰囲気になりかけていた対話も結局キャンセルされてしまう等中身のない尺稼ぎパートのような印象が残る。
エデン条約編に比べてホシノ一人の描写に終始しており、対策委員会メンバーも列車砲の件よりも何よりホシノを止めたいという動機で動いている。結果として、ミカを止めたいけど今はそれどころではないというエデン条約編に対して、対策委員会編はホシノ一人が我慢すれば終わるし、一人を止める目的で一致しているのにどうしてここまで後手後手に回っているのかという印象になってくる。
アツコの救出に関してに限って言えばミカはシナリオ上のお邪魔キャラにはなるのだが、サオリとの対決は物語上重大な意味を持っている。サオリとの対話によってミカは自分の最初の動機を思い出し、他人を自分同様に尊重することを学び、それが他人を他人として拒絶する洗脳を行ってきたベアトリーチェへのカウンターとなり、キリエを歌うに至る。
ホシノとヒナのバトルは演出が豪華なだけで物語上の意味は何もない。一応、真実と事実の差異に関しての先生の台詞から推測するとホシノの真実とヒナの事実という対立軸はあるのだが、ホシノがぜんぜん正気ではない上真実がどうこうと言えるのはユメと邂逅した後の話であり、本当にミカとサオリのような対話は一切なく、ホシノがスオウやシロコと連戦した上で戦い、結局ヒナが列車を破壊して決着を濁すといった結果が分かり切った勝負でしかない。時計じかけのパヴァーヌにおけるネルVSトキのような、ギミックを用いた演出の熱さすらも無い。この後はセト討伐で協力するぐらいしか描写はないのだが、後輩やシロコ*テラーを差し置いてエピローグのスチルまで貰っている。
ホシノとヒナに関しては素材は良いのだから、もっとちゃんとした過程があるのならば応援したかったのが正直なところだ。しかしあまりに何も無いまま結果だけいい雰囲気になっているので、虚無度は顔カプに近くないかと思ってしまう。
ここに関しては本当に順序が悪いと思っている。後輩からの呼びかけを拒絶し、先輩と邂逅し別れて、いい感じの曲と共に先輩がいない後輩との二年間を思い出し戻ってくる……という流れなのだが、ユメと別れた後に後輩からの呼びかけが無いせいでなんか吐き出してスッキリしたから自力で帰って来たような様子になってしまっている。せめて先輩と別れた後、後輩のみんなと言葉を交わし合って、暴走して振り回した件もここで謝って、先輩に見送られながら復活する……というような流れであれば後輩の扱いに関して思う部分は薄かったように思う。
結局三章は何がしたかったのかというと、既に分かり切っている動かしようのない事実に向き合う話を延々やっていたのだが、それは結果の分からない物語に比べて丁寧さが要求される方向性のように思う。前提が覆るからカタルシスが生まれる。ホシノのテラー化をいくら死人を生き返らせるようなものと連呼したところで、急に出てきた説明でしかないし、ユメは普通の死因で死んでいて復活なんかはありえないけどホシノは帰って来たよ、と言われても事前に低くしたハードルを越えただけの話にしか思えない。こうなるぐらいであれば、ユメの死因は特殊なものにしてアビドスへ舞い戻らせ、ケイやアヤメも同様に帰還する可能性を示唆でもしていた方が良かったのではないだろうか。
色々と情報が錯綜しているプロジェクトKV関連について、内情に関する不確定な情報に関しては正直何とも言えない。
ただ一連の話の中でクリエイターは良い物さえ作ってくれれば構わない、という意見を見ることがある。これに関しては問題の内容にもよると思うのだが、出された物で評価するのであればライターの方が最後に携わった対策委員会編三章に関しても作った物であるし、アニメやテキストの差し替えがあったイベント等への影響等も同様に評価するべきではないか。
ストーリーの根幹部分は本当に良かったとは思う。クジラのように息を止めていた=本音を吐露できないでいたホシノ(アニメ版水族館回のシロコとの会話より)が先輩に弱音を吐いた上でこれからも進んでいく覚悟をしたし、シロコ*テラーやプラナは自分たちが元いた世界では守れなかった人たちを守ることができた。最終編の続編的なストーリーとしては本当によかったと思う。
ただ、気になる箇所がいくつかある。これが単に尺や締切の問題ならまあ仕方ないとは思う(明らかに話数が多く、可能な限り設定にケリをつけようとしたことは分かるので)。ただ退社と新プロジェクト立ち上げの一連の流れを見ていると、その描写に関して何か含みがあるような気がしてしまう。
私募ファンド、ネフティスの執事さん、プレジデントの対立のくだり
この辺りに関しては敵対者がコロコロ変わるし執事は心変わりしたかと思うと反省してフェードアウトするし、プレジデントは大人のやり方というわりに子供の癇癪めいた方法で話を反故にする。
この辺りは直近のイベント等でちゃんと説明すれば協力してくれるアクアパークのオーナー、反省してサオリを気遣ってくれるようになるDJ等が出てきていたのもあって、アビドス関係だけこうなの?となってしまう(エデン条約編三章〜四章のトリニティモブもトラブル担当にされていたので、モブやNPCの性格が悪いのはライターの手癖なのかもしれないが)し、エピローグにも居たこともありコレがアビドスの生徒にとっての今後の隣人かぁ…と思うとなんとも言えない。
アニメや最終編でノノミの描写から、実家問題の掘り下げを期待していたので肩透かしを喰らったのが正直なところだ。シナリオ単体だとそのくらいなのだが、退社の件と合わせて考えるとプレジデントとのやり取りは退社のきっかけとなる社内でのトラブルが元になっているのではないか…?という疑念が湧いてしまう。もちろんそんな明言はされていないし、退社の経緯に関しては知る由もないのだが。
スチルを見た時の第一印象は捨て方が雑すぎないか…?というところで、ホシノがユメと言葉を交わして前に進む=きちんとお別れをする、大切な人を弔うというのがこの章の話であるなら、尚更砂漠に打ち捨てるのではなく、綺麗に埋めるとか溶かして別の武器にするとか、やりようはあったと思う。
果たして乱雑に打ち捨てる必要性があったのか、古巣を離れることに対する表現だとすると切り捨てられた感があるし、お話のコアになるキャラクターの大事なシーンに変な文脈が乗ってくるのは正直かなり嫌な気持ちになる。
地下生活者に関して
今回の章での先生の結論は、本当にざっくりした纏め方をすると大人として自分が今やれることをやる、というものだった。それに敵対する存在が、子供のように癇癪を起こし、無敵の空間から一方的に何の責任も負わずに干渉し、チートめいた現実干渉で本来あり得ない現象を起こすというのは対比がバッチリと決まっていたと思う。
だがその上で、どこまでが地下生活者の仕業で、どこまでがそれぞれのキャラクターの動きなのかがハッキリ説明されておらず、よく分からない。先述の私募ファンドと執事とプレジデントに関して、心変わりが早すぎるのもあり、この辺りは操作されていたんじゃないか?と予想することはできる。朝霧スオウの挙動も、プレジデントを裏切って以降はホシノの強さ(キヴォトス最高の神秘としての、ゲマトリア視点のホシノの解釈)しか見ていない様子で、地下生活者の台詞に呼応して動いているので何かしら干渉されているのは間違いない。ホシノへの精神干渉がどの程度なのかは分からない。テラー化直前かもしれないし、三章の合間に頻繁にホシノの回想が挿入されるのはこの時点で干渉を受けていて夢と現実の認識が曖昧になっていたのかもしれない。
しかし実際どこからどこまでがキャラクター本人の挙動なのかは明言されない。自己顕示欲の塊ゆえに全部説明してくれたベアトリーチェや暗躍しているシーンをキッチリ映している申谷カイなど、方向性の違う黒幕でもどこからどこまでが黒幕の仕業でどこが本人の問題なのかはわかりやすかったのだが、単純に説明不足だ。
先生の爆破というファンコミュニティではさんざんアロナバリアで無効化されてきた手段を意気揚々と繰り出してきたり(よりにもよってそこで一旦シナリオの更新がストップするし)、先生の指揮の人数制限問題に関しても制約解除決戦以前からストーリー戦闘内で操作不可の味方が援護してくれる演出なんかもあったわけで、先生が打倒するにあたってのカタルシスが異様に弱かったように思う。対比構造とかモチーフにこだわるあまり動かし方が稚拙ではないだろうか。
メタ的な攻めをするわりに解釈が雑ですぐ癇癪を起こす大人なのに子供みたいなキャラクター、というとファンコミュニティでたまに見かける過激なユーザーを揶揄しているようにも思える。先生への攻撃に関してもファンコミュニティでたまに発生する死ネタ・負傷ネタの風刺であるがゆえこういう手段になったのかもしれない。二次創作へのお気持ちで作られたキャラ造形、と言ってしまうのはさすがに邪推が過ぎるだろうが、ゲマトリアというメタ的な属性を与えられている立ち位置を考えればプレイヤーが元ネタになるのも自然な話だし、それ自体は別に良いと思う。しかしユーザーの層を考えると、ある種の「チー牛」的な属性のキャラを繰り出すのは不用意すぎるし、最後に関わったシナリオでそのキャラを地下へと追い返して退社というのはちょっと危険なメッセージ性が生まれてこないだろうか。
ただ問題はキャラクター設定よりもむしろシナリオ上での動かし方で、地下生活者が三章においてもたらしたものは説明不足なゴチャついた展開と列車砲やセトなどの扱いに困って途中で流れでサクッと処理した設定ばかりで、ホシノやシロコ*テラーの苦悩と決断など、三章の良かった部分とは関りが薄い。シロコ*テラーとプラナとは元の世界の悲劇に関して因縁があるわけだし、アビドスの問題を一段落させたうえでプレナパテスの関係者メインできちんと対決するお話を用意してあげてもよかったのではないか。
表現したいことがあるならそれでいいと思う。けれど実際何がしたかったか、そもそもどこまでやらかしてるのかが分かりにくいし、ユーザーへの不快感の表明だけが文脈としてハッキリしてしまうのだとしたら、ちょっとさすがにどうなんだという感じだ。
朝霧スオウに関して
よくわからないといえば朝霧スオウだ。エピローグでの出番を見る限り確実に何か彼女は彼女で設定がある筈なのだが、ホシノの台詞の通り本当に何だったのかよくわからないまま終わってしまった。最初は対立関係にあると言われてたノゾミとヒカリを対策委員会との交渉時には遠ざけようとしていたり、ノノミの誘拐時には思うところがありそうだったり、なんやかんやノゾミとヒカリが助けているあたりホシノへの執着だけのキャラではないのは確かだろう。
ただ結局地下生活者がどこからどこまで操っていたのかわからないので、対策委員会編三章の動向だけでは本当によく分からないとしか言いようがない。雷帝関連が今後掘り下げられることもあり、シェマタ建造ぐらいの時期の話に関わってくるのかもしれないが……。
ただまあ思い返せばエデン条約編三章でも先の話を知らないとアツコを傷つけられて激怒するサオリのシーンなどはどの口で言っているんだ、と捉えられても仕方のない描写だったりするし、先のシナリオで裏事情を明かすキャラに関して事前には特にフォローが無い描き方をしているだけなのかもしれない。
セトに関して
ホシノのテラー化のついでに副産物のような形で出てきて、ホシノが復帰した後は何故か地下生活者の切り札のような扱いになって、なんか凄いらしいけどそのまま倒されたのでよくわからなかった。
セトに関しては戦闘フィールドや名前の元ネタから明らかにアビドスに関係するボスとしてデザインされているし、新規コンテンツとして無から生まれたボスではなく三章実装にあたってデザインされたボスだろう。
それが新規コンテンツのボスとしてはあまり歓迎された仕様ではなく、シナリオ的にもホシノの復活ついでに処理されているのは単に要素が渋滞したせいなのか、それともわざとなのだろうか。どちらにしろ無茶振り的な実装で調整不足なボスだと思う。
ホシノとヒナの対決に関して
スチルもアニメーションも潤沢な頂上決戦……の割には直前でホシノがシロコに一度競り負けているし、決着としても列車破壊による無効試合なので、演出は凄いのに脚本上の盛り上がりからは妙にズラされている。
ホシノの話に終始すると暗くなってしまうので派手なバトルでバランスを取ろうとしたのかもしれないが、心情的にそれどころではないタイミングで熱いバトルをされても集中できないというのが正直なところだし、その本人を巻き込んでるとなると尚更だ。
ヒナに関してはホシノのテラー化直前の台詞回しに関して、事実に即した言葉を淡々と提示して諭そうとしている。これは単にシナリオ上の都合の台詞ではなく、水着衣装のボイス等から推定するとヒナというキャラクターが確かな事実を礎にして動いており、不確定なものが苦手であるがゆえ、こういう台詞回しになっているわけだ。
事実と真実に関する話はクライマックスでも再度言及されるわけだが、今回の章を経てホシノが辿り着いたのが真実であり、ヒナが重要視しているのは事実である。おそらくはこの対比関係を前提にした上でホシノとヒナをぶつけたかったのだろうが、戦闘時のホシノは絶賛迷走中で、ヒナはゲヘナ編のシナリオがまだ来ていないので、関係が煮詰まってないけどスケジュール的に不可能なのでとりあえずノルマでバトらせたようなバトルだ。正直なところ現状の描写だけではアニメで謎に往年のライバルキャラみたいな扱いをされていたシロコとアルと大差無い関係性だと思う。
頑張っていることを認めてくれると嬉しい、人助けが生きがい、確固たるものが心の拠り所……という、今は先生が適切な距離感で接しているので安定しているものの、ヒナの精神性はもともとコミュニケーションに不安を覚えやすい子のそれだ。そういう部分でヒナの人柄を見て仲良くしてるキラキラ部の二人やまあ……偏愛を向けてるアコちゃんあたりの、頑張りとかが関係ない人間関係が大事になってくる気がするのだが、その辺りは来たるゲヘナ編に期待したい。
後輩の成長に関して
ホシノを止めるために雨雲号を持ち出したり生徒会長に立候補したりと、アヤネの凄さを感じさせるシーンが幾つかあったわりに、普通にそのまま撃退されたりプレジデントには発言を無効にされたり結局会長職は返上したりとなんというか不憫な描写が多かったように思う。
セリカに関してはあまりにも派手でスケールの大きいシナリオと相性が悪かったように思う。アニオリの水族館回でのノノミへのフォローなど、日常パートだといい立ち回りができるだけにもう少しなんとかしてあげてほしい。
今回の章で後輩メンバーたちがしっかり成長してしまうと、ホシノの未練が無くなってしまうので後輩の力で助ける・問題を解決するというストーリーにしにくかったのだろうという推測はできる。だが見せ場を作った上でそれに水を差す形で否定する、という見せ方をする必要はあったのだろうか?
ユメに関して
ホシノの物語の登場人物としては特に文句は無いのだが、プレイヤーの視点としては先生として世界を観測するゲームで、生徒には無限の可能性があると示したのと同じ口でどうすることもできないと言うのは果たしてどうなのか。
全てを許してくれる聖母のような立ち位置に先生として庇護すべき生徒を配置した上で、先生には責任がないと許してもらう(しかも先生と会話したユメは本編の状況を何も知らず、先生とホシノと三人でアビドスにいるパラレルの存在だ)のは些かグロテスクな構図に思える。ヒナの件も後出しで列車砲の件で招集した、という描写で「先生は地下生活者と違って自分の生徒同士を将棋の駒みたくぶつけるようなことはしませんよ」と説明してるわけだが、そこを説明するより地下生活者の干渉範囲のネタばらしとかもっと描写するところがあったんじゃないかと思う。
どうも三章は生徒に対する先生よりも「シャーレの先生」という立ち位置で世界の命運を左右する存在としての在り方に寄った描写が多く感じた。描きたいお話と相性が悪かったんだろうか。でもまあ確かに最終編でアリスが命を賭けるシーンとかもプレイヤーとしては分かった上で生徒を送り出してるわけだし、セカイ系と先生概念が相性悪いという話なのかもしれない。
ユメの死因に関してはそんなに明確に言及する必要があるか? と思うのだが、動いてないのに暑いよのミームへのカウンターとして描写したという説がどうもあるらしい。眉唾な話ではあるが仮にそういう意図だとすると三章完結後の現在、露悪要素のない二次創作に対して面白がってユメの死因をネタにしたコメントを書き込んで不謹慎な大喜利をする風潮がミームの代わりに蔓延っているのだが、果たしてこれが望んだ光景だったのだろうか。結局ネタバレや不謹慎な内容を避ける流れでホシノサクサクが代替としてバズったりしていたし、ミームは変わらず蔓延り、残ったのは悪ノリでキャラを愚弄して面白がる空気感だけ。
しかしギャグパートとシリアスパートで同じ台詞がぜんぜん違う文脈になる、というのはブルーアーカイブのお家芸なので何かしらの目的でわざとやってるのはそうなのかなぁとは思う。
ミームの件も合わせて考えると自分のシナリオ以外で動かされるのが嫌だったから完全に死人として扱ってるんじゃないかと思わないでもない。そういう都合でキャラクターの結末が歪められたとしたら、三章の根幹部分のお話の受け取り方も変わってくる。
対策委員会編に関しては正直初期のストーリーということもあるし、ホシノをメインに据えた話をするにあたってストーリーラインが似通ってしまうのは仕方ないのかもしれない。そこはおそらく三章の問題ではなく一章二章の方が未来でやる話と被ってしまった、というのが正しいのだろう。
ただ、先生の負傷による一時的退場でその間に加速する情勢、精神的に不安定な強い生徒が暴れてるけどそれとは別に対処しなきゃいけない問題がある、という構図はエデン条約編三章と四章そのままの構造だ。対策委員会編だけならまあホシノの問題は二章では何も解決していないから…と言えるのだが、これに関しては単に話のレパートリーが少ないだけではないだろうか。
本筋以外の部分はスケールが大きいが列車砲+スオウやカイザーの軍勢は裏で片付けられているのもあり、ワンパターンを外そうとして派手な設定を入れ、結局扱い切れずに諦めた感もある。頻繁に挿入されてるスチルもこの後負けて即落ちするんだよな…とかカッコつけてるけど後輩の静止振り切って突っ走ってるだけなんだよな…と、シナリオを合わせて見ると微妙な感想になるものが多く、手間と内容が釣り合っていない。
細部が気になるのは退社とプロジェクトの件だけが原因ではない。直近のイベントストーリーでは出来ている部分が出来ていないからだ。
ーve Alive!ではアイリの意図を勘違いしながらもがむしゃらに手を伸ばすメンバーの姿が見られたが、このイベントでのアイリがいなければスイーツ部が存続する意味がない、という言葉こそ対策委員会編三章でユメの意思を継ぎアビドスの為に自分を犠牲にしようとしていたホシノに対して、目的の否定より何より先に掛ける言葉であったのではないか。
say-bing!ではコノカ副局長の立ち回りがブルーアーカイブの根幹となるコミュニケーションであったように思う。カンナにとって大事なものを本人の意図は関係なく尊重し、しかしアクアパークから帰ってきたカンナが楽しそうだった理由はよく分かっていない、というのは他人はどこまでいっても他人である、だけどそれでも、という古則への回答そのものだ。
seaside outsideでは、人殺しの教育しか受けてこなかったような生徒に居場所はあるのかという問いに対してアリウススクワッドのメンバーがそれぞれのやり方で他人と関わる様が見られ、彼女たちにも居場所はあるのだということが示唆されていた。栗浜アケミとそれを慕うスケバンが出てきたのが象徴的で、道を外れた生徒でも受け入れてくれる人がいるというお話を立体的に表現していたように思う。
月下夢騒に関しては続きがある以上結論は出せないし、実質的な卒業済みの生徒=大人であるカイの処遇に関しては大きな不安が残る。しかし、黒幕であるカイが何を仕組んでいるかは明白であり、カグヤの暴走もキサキの門主就任初仕事が手順を無視してのカイの追放だという部分を加味すると山海経の生徒がキサキを Permalink | 記事への反応(1) | 19:52
呪術廻戦があと5話で連載終了らしい。
最近だとヒロアカも残り5話という予告があったが、あれはラスボス戦が終わってエピローグにさしかかったタイミングだったのであまりネタバレ感はなかった。しかし呪術はまだラスボス戦の最中だし、(読者も流石にもう終盤思ってるとは言え)宿儺戦の決着があと数話以内に終わると予告されるのはネタバレに近いしかなり不快だった。
呪術は展開の早さが売りで明らかに引きを意識して週刊連載を強く意識しているし、実際月曜日(と早バレが出回る木曜日)はXのトレンドに高確率で呪術関連のワードが入る。それにもかかわらずあと5話という情報量を持った予告することはその先の展開の予告にもなってしまうし、公式がそういった行いで読者の楽しみを奪うのは本当によくない。
スタレ、序章は専門用語や世界観理解するまで大変だけどちゃんと面白いしヤリーロVは最高だよ
問題は同社の崩壊3thからライターが移動してきたピノコニー編から
ピノコニー編前半も不穏な点はありつつ広げた風呂敷は後半で回収するんだな~くらいだった
後半とエピローグが本当に…
本当に最悪の気分
人気ゲームを排出しつづけているホヨバースの崩壊スターレイルなんだが前バージョンまでがストーリーもキャラも今までで一番クオリティ低かった
序盤は美しいビジュアルに新しい要素と盛り上がったが蓋を空けてみたら矛盾と描写不足、キャラ崩壊とそして特定キャラのごり押し上げたらきりがないくらいで誉められた点が本当に少ない
前半までで新規もたくさん入ってきてたのにごり押しキャラがでてからの短期間でフレンドが半分以上inしなくなった
そしてごり押しキャラがライターの元カノを元にしたというかほぼ投影したキャラで主人公はライターの投影と判明
ストーリーに不必要なデート要素とエピローグはライターのオナニーでプレイヤーはそのオナニーに金払わされてたのが判明した
僕のヒーローアカデミアって漫画、最近最終回を迎えたのでまとめて読んでみたんだけど。
どうも全体として違和感というか、構造的な問題があるように感じる。
この漫画では大多数の人達が個々人によって異なる特殊能力を持ち、それは「個性」と呼ばれている。その「個性」を用いて救助活動をする職業をヒーロー、「個性」を犯罪に用いる人間が敵(ヴィラン)と呼ばれている。
で、敵の親玉としては表向きのラスボスとして立っている若い男性と、その背後にいる「個性」黎明期からの黒幕がいる訳だけど。
このうち黒幕の方は本当に絶対悪とでも言うべき存在で。世界で最初に「個性」に目覚めた人間であり、生まれた時から奪う事が当たり前で、他人を殺し、奪い、利用、支配し、双子の弟への執着も自己の所有物としてのもの。一応、生まれつき身寄りのない孤児で不幸な境遇ではあったものの、彼の人格形成にそういう環境要因を読み取る事は困難。本当に同情の余地など何一つない絶対悪として描かれている。そしてその黒幕は一旦、主人公の幼なじみによって倒される。
一方、ラスボスの方はそれに比べれば同情すべき人間として描かれており、彼を救う事が終盤の主人公の動機になっている。
しかし、主人公とラスボスとの戦いのクライマックスにて、黒幕がラスボスの意識を乗っ取る。
ラスボスは触った対象を崩壊させてしまう「個性」を持ち、幼い頃にその「個性」の覚醒によって家族全員を皆殺しにしてしまった過去があるんだけど。結局彼にその「個性」を植え付けたのは黒幕で、最終的に乗っ取るための仕込みだった事が発覚する。しかも幼少時のラスボスを苦しめた父親すらも、黒幕によって誘導されていた。これは重大な真相の筈なのに、それを知った(と思われる)主人公の反応が特にない。主人公は黒幕を倒した後、改めて精神世界でラスボスと対峙するものの、やった事は許さないと言って倒して終わる。重大な真相の扱いがあまりにも軽い。
仲間達に励まされて最後の力を振り絞る主人公の姿は、感動的ではある。しかし主人公とラスボスの対比構造を強調し、ラスボスを救いたいと言わせてきたのに、最後の戦いはあっさりと、本当にあっさりと終わってしまう。そのせいか主人公の影が薄く感じてしまうというか…。元々、主人公のクラスメイトの父親に過ぎないキャラクターに、多くの筆量を費やした漫画だった。そちらでは彼の虐待の結果として敵に回った長男を瀕死の状態で生かして確保していた。それと比べると主人公とラスボスの顛末は雑というか。ああいう真相があったならば主人公はラスボスを生かして救おうとして、ラスボスが黒幕もろとも自死するとかの方が王道なんじゃないか。
最終回近くのエピローグで、ラスボスに焦点を当てた回がある。しかしその中で黒幕との関係は何故か語られない。専ら大衆やマスコミが愚かで何も分かっていない、といった描写。いや社会がどうこう以前に、悪意を持った特定個人に誘導された結果だし、その特定個人はどう見てもナチュラルボーン絶対悪だったんだが…!?主人公はラスボスの仲間の一人に面会し、最期の言葉を伝えるが、やはり黒幕との関係は特に語らない。その仲間はラスボスは自分達のヒーローだったと言い、獄中で本を書いて出すんだけど、真相を知らずして本が書けるものなんだろうか。
つまり物語全体としては明らかに絶対悪たる黒幕がいて、そいつが大体悪い事になっているのにも関わらず、エピローグでは何故かその存在が触れられず、世間からも主人公からも殆ど無視されるという不思議な事になっている。この漫画全体のテーマとしては、社会全体に問題があり、皆の努力で少しずつよくして行こうという方向性なんだと思うんだけど、それにしてはどうにも黒幕の存在が邪魔。まあ黒幕以外にも自然発生的な「敵」は大勢いて、それに対処する必要があるのは確かなんだけど、それにしても黒幕が作中でやった事が大きすぎてノイズなんだよね。
ヒロアカなあ……
ダークマイトも最終話も全部ノイズで、実際にはラスト3話前と2話前で終わりにするのが綺麗な形だったんだと思うわ。
でも10周年は折角だからやってきおたかったし、10周年と最終話を同時にやるのは勿体ないからちょっとだけ伸ばしたって感じなんだろうね。
ラストはエピローグなんだからジャンプ+辺りで特別編として公開するのが正解で、メインストーリー自体は先週までやってた普通の人のちょっとした優しさがヒーローよりも強い影響力を持ちうるって路線だけで本編は纏めておくべきだった。
んでまあダークマイトについは1年ぐらい待ってテレビアニメがいい感じに進んでいったタイミングを見計らって特別編でやるのがバランスいいわ。
薄明かりが東京の空を染め始める頃、内閣総理大臣の増田太郎はベッドから静かに起き上がった。まだ眠りの中にいる街を見下ろしながら、彼は軽く体を動かして筋肉をほぐす。妻の優子と息子の健一は既に起きていて、リビングで朝食の準備をしていた。
「おはよう、太郎さん。今日も忙しそうね。」優子が微笑みながら声をかける。
「おはよう、パパ!今日のトレーニング、見ててよ!」健一はそう言うと、リビングの一角に設置されたトレーニングマットの上で跳ね回っている。
「おはよう、優子。健一。今日も一日頑張ろう。」太郎は優しく笑い、朝食のテーブルについた。
彼の家族もまた、戦闘能力に長けている。優子はESP(超能力)を持ち、健一もまたその才能を受け継いでいる。家族で過ごす朝のひと時は、太郎にとって心を落ち着かせる重要な時間だ。
朝食を終え、太郎はスーツに身を包み、公用車で国会議事堂へと向かった。今日の議題は、国防強化に関する法案で、賛成派と反対派の間で激しい議論が予想されている。
国会に到着すると、多くの支持者たちが彼を迎えた。彼らの声援が響く中、太郎は議場へと向かう。
議場に足を踏み入れると、他の議員たちもまた、太郎を一目見ようと注目している。この国の政治は個人の戦闘能力に基づき、発言権が決まる。そのため、総理大臣である彼の存在感は圧倒的だった。
「本日の議題に入ります。国防強化法案の採決に入る前に、賛成派と反対派の決闘を行います。」
賛成派と反対派、それぞれが中央に集まり、戦闘の準備を整える。法案成立のためには、賛成者が反対者に武力で勝利する必要がある。この国では、言葉だけではなく、力が正義を示す。
増田太郎は、賛成派の最前線に立ち、反対派のリーダーである藤井健二を見据えた。藤井は、過去に何度も太郎に挑戦してきたが、そのたびに敗北を喫している。
「またお前か、藤井。今日も倒してやる。」太郎は冷静に言い放った。
「今日はそう簡単にはいかないぞ、増田!」藤井は険しい表情で応え、剣を構えた。
決闘が始まると、賛成派と反対派の間で激しい戦闘が繰り広げられた。議場はまるで闘技場のように熱気に包まれ、剣や拳が飛び交う。
増田は圧倒的な力で次々と敵を倒していく。彼の動きは鋭く、正確で、まさに戦士の鑑だ。やがて、賛成派の勝利が確定し、法案は成立する運びとなった。
決闘を終え、無事に法案を成立させた増田は、家族と夕食を取るために官邸に戻った。妻の優子が用意した食事を囲み、久しぶりにリラックスした時間を過ごす。
「今日も大変だったみたいね。でも、無事で良かったわ。」優子が笑顔で太郎を迎える。
「パパ、かっこよかったね!いつか僕もあんな風に戦いたいな。」健一は目を輝かせながら、太郎の話を聞いている。
「ありがとう、二人とも。やっぱり家族と一緒にいる時が、一番安心するよ。」太郎はそう言って、家族の顔を見回した。
しかし、その時だった。突然、窓を破って数人の暗殺者が家の中に侵入してきた。
暗殺者たちは素早く太郎に襲いかかるが、彼は冷静に対応する。だが、彼だけではなく、優子と健一もまた立ち上がった。
「私たちの家族を舐めないで。」優子はそう言うと、ESPを使って暗殺者たちを吹き飛ばした。彼らの動きを封じ、次々に無力化していく。
健一もまた、父親譲りの鋭い動きで敵を翻弄し、次々に倒していく。彼の動きには既に戦士としての才覚が垣間見える。
「こんな人たちに負けるわけにはいかない!」
太郎は最後の一人を叩きのめし、家族で力を合わせて全ての暗殺者を撃退した。
「大丈夫か、二人とも。」太郎は息を整え、優子と健一の無事を確認した。
「うん、大丈夫。私たちの家族を守るのは当然よ。」優子は微笑みながら太郎に近づく。
「僕も、いつかパパみたいになりたい!」健一は興奮しながら言った。
家族の絆を再確認しながら、増田太郎は改めてこの家族を守ることを誓った。
夜が明け、新しい朝が訪れる。増田太郎は再び立ち上がり、国の未来のために闘う決意を固める。愛する家族と共に、彼の戦いは続いていく。