はてなキーワード: 軽蔑とは
なんでお前ら障害者は、健常者を「迫害する者」として迫害し続けるんだ?
なんでお前らマイノリティは、そんなにマジョリティを貶めることにためらいがないんだ?
なんでお前に分からないということが分かるんだ?
なんでどれだけ努力してもお前らに「理解していない」と言い続けられなければならないんだ?
ブコメに付いた「ADHDマン=無能」、「世の中は正常と異常の二者択一」、「席を空けて退場するべし」みたいな言説を見るとヤバさしか感じない
いつまでこんな意見を健常者の代表的な意見として扱われ、つねに何も理解しない愚者として扱われるんだ?
逆に、お前らは俺の何を理解しているんだ?
俺の声を聞いたことはあるか?
俺以外の誰かの声を聞いたことがあるのか?
健常者を常に理解していない愚者として敵を作り上げ、それを攻撃し、常に勝利を収め続けることになぜためらいはないんだ?
融通のきく働き方ができれば最大限のパフォーマンスが上げられるからなんだ?
なんの取り柄もない障害者はどう生きればいいんだ?
もちろんこんな話でないことは理解している。
多様性を認め、具体的にそれを許容するマネジメントに対してアドバイスがしたかったんだろう。
でも、もともとそんな話じゃないから。
「俺がかわいそうだ!!」と叫びだして、他の人が積み上げてきた流れを壊したことを軽蔑する。
そこに敬意を払わなかったことを軽蔑する。
http://s.ameblo.jp/yuka-de/entry-12250601081.html
twitterを見ると、メンバーもファン(風王って打つのめんどい)も祝福モードで、もちろんめでたいとはわたしも、あなたも思っているんだけど、それでも、複雑な気持ちになっていませんか?
そして、『素直に喜べない自分』に、嫌悪感を持っちゃったりしていませんか?
だいじょうぶだよ。
あなたは、無理に喜ばなくてもいいんだよ。
ひどい話だよね。さんざん好きにさせておいてさ、勝手に卒業決めちゃうしさ。
まあ、それもコジくんが決めたことなら、って受け入れてさ、卒業公演もうすぐだな~、コジくんのダンスももう見納めか~なんて思ってたらこれだよ。
わたしはコジくん推しじゃないけれど(もっと言うとガチ恋でもないけど)でも自分の推しにこれやられたら最悪だと思う。
でもさ、コジくんを、ましてやコナンちゃんを傷つけたいわけじゃないもんね。
だから本人になんて言えないし、ましてやフォロワーさんにも言えないし(と、言うか『コナンちゃん最悪!!わたしのことなんだと思ってるの!?!?』的なことわめき散らしている人がもしいたら、たぶんわたしも軽蔑すると思う)、でもどこかにこの気持ちをぶつけたくてぶつけたくてたまらないよね。
だいじょうぶだよ。
あなたが素直に喜べないのは、それまであなたがずっとコジくんのことを好きだったっていう証だから。
その証を、無理に押し潰そうとして、自分を嫌いにならなくていいんだ。
だって、そんなあなたの想いが、ずっとコジくんのパワーになっていたんだから。
そして、コジくんは、自分の力になってくれた人のことを、嫌いになるような人じゃないよ。
それは流行が起きればどこでも起きる話だから気にするだけ無駄だよ
「より詳しい人」を
マーケット界隈ではイノベーター、アーリーアダプターと言ってみたり
本質的には同じで、その「より詳しい人」の周囲には「盛り上がりたいだけの人たち」が自然と集まる
「より詳しい人」は「盛り上がりたいだけの人たち」よりも詳しいという点で優越感を得るが
同時にただ盛り上がりたいだけの人たちを軽蔑もする
でも商業的には、彼ら「盛り上がりたいだけの人たち」を取り込んだほうが良いと思う
彼らは権威に弱く、購買活動をすることでよりコミュニティの中にいるような状態を保とうとするから
・1話のハードルを超えられるか
・その価値に気づけるか
・より深く楽しめるか
1話すら見てない人が、「フレンズ」「〜だね」を口癖だと勘違いしたりするのとかね
痛し痒しなところもあるが、もう少し達観してサーバルちゃんのように多様性を受け入れると良いと思うよ
俺は2chアニメスレに最初の頃から常駐してるが、そろそろ住人らはミームのこと言わなくなった
それより7話について語るのが忙しいからね
本当にふざけんなよ
そもそも大嫌いだったけど本当にむかつく
小さい頃からずっとフィギュアスケートをしている彼が毎回試合を全力で挑んでるのなんて、私にすらわかる
被災して、色々大変なこともたくさんあるだろうし、いやらしい話フィギュアスケートはお金もたくさんかかるだろうし
でも毎回凄い演技を見せてくれる
そういう姿勢に感動する
なのに、Twitterで羽生選手の名前検索すれば出てくること出てくること
『ユーリみたいで感動』
本当にマジでふざけんなよ
え?本当にそんなこと考えてるの?
たかだか少し前に放送されたアニメに彼のうん年の月日は否定されてるの?
しかもトレパクだの原案の方の問題発言が後を経たないあのアニメに?!
確かにフィギュアスケート選手にファンらしい選手がいるのは知っていますよ
名前引っ掛からないようにするとか、鍵かけるとかそんなこともしないで、アニメと現実の選手比較したり、そんなひどいことどうして言えるの?
私はプロフィール欄に『YOIのホモ』とか書いてあるような方が現実の選手とアニメキャラを比較して『羽生選手はユーリにしか見えない!!』とかふざけたこと言うのを、心の底から軽蔑します
同じ日本人として恥ずかしいです
トラックバックを読んで
そもそも『ユーリ おかげ』なんて言葉で検索かけたら擁護的なコメントの方が多くなると思いますけど?
擁護したいのはわかりますけど、わざわざ匿名ブログの愚痴にまでやってきて、そもそも『ユーリ』と『羽生選手』を同一視してるコメントの類いがないor少ないと言う間違った意見を言うのはやめてください
あと、大体少なければいいのかって問題ですし
さっき、テック系ブログのRSSと一緒にホットエントリのRSSを外して、アプリを削除したよ。何年の付き合いだろう?サービス開始からだから・・・悲しくなるから確認せずに行くよ。
最初はダイアリーに書いて、反応なんて全然なくて、広告コメントばかりだったな。いまでもはてなの知り合いはいないんじゃないかな。
ネットコミュ障なんだ。Twitterとか色々やってるけどやりとりする相手なんて誰もいないよ。
僕は君になにもできなかったね。本当に君の事が好きだったのかな?本当に村民になりたかったのかな?多分、違う。本当はブクマされて、スターつけられて、承認欲求を満たしたかったんだ。
意識高い系を笑えないよね。何年も異性にお金を注ぎ込む人を笑えないね。僕もずっとホットエントリを見て、色んなものを買ったりしたんだ。
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どうしてこうなったか?聞きたくもないだろうけど、最後だから言わせてくれよ。
初めて君を見たとき、天国に見えたよ。最新の技術トレンドがここにあってさ。自分の理想郷はここなんだって。技術力をつけて、認められる人間になって、ここの住人になる事が幸せなんだって思ったんだ。
そうやってさ、次々流れてくるトレンドに耳だけが年増になっていって、それを知らない周りの人たちをバカにしてたな。
でもさ、肝心の技術力は全然つかなくてさ、大学生になれば、就職すれば、東京に出れば、新しいマシンがあれば、お金があれば、時間があれば、やる気があればって制約条件がなくなる度に新しい言い訳を考えてたな。
結局、生半可な知識じゃ参加できないってチンケなプライドのせいで勉強会に参加せず、ブログも書かず、なれたのは一番軽蔑するExcelとにらめっこしてるSIer。おいおい、Web系のベンチャーでテックブログ書くんじゃなかったのかよ(笑)
耳年増で、周りをバカにしてたクセに仕事が全然できない自分とのギャップに10年耐えてきたけど、年末に休職したんだ。自律神経失調症。
眠れるんだよ?ごはん食べられるんだよ?ただ、会社の人みんなが怖くなってさ、朝だるくってさ、すげー疲れてさ。苦しくて。仕方ないから受け入れて。っていうか、甘やかして。つまるところ、ズル休みなんだよ。
時間が出来たから、ずっと積ん読になってた技術に正面きって立ち向かってみたんだ。すぐ投げ出したね。理由は分からないけどただ苦痛だった。
作りたいものなんかなかったし。多分、技術を使いこなしてスゴいって言われたかったんだね。
部屋にはPerlやRoR、SQLite、jQuery、node.js、AWS、Haskell、Hadoop、Docker、Raspberry Pi、R、Reactのホコリを被った本がある。彼らはブックオフ行きかな。
最近は時間はあるからさ、はてブばっかやってたんだ。見るのがホットエントリから新着エントリーになったな。いつもみたいに100文字制限ギリギリのコメントだけじゃなくて、10文字くらいの一言コメントも書くようになったんだ。その10文字コメントのうちひとつが100スターくらいもらえてさ。
そのとき分かったんだ、これはずっと片思いなんだって。叶わない恋なんだって。自分が住める世界じゃないんだって。おかしいよね、小学校の頃のプロ野球選手の夢だって、中学生の頃の小説家の夢だって、高校の頃のパンクロックスターの夢だってすぐ諦められたのに、この夢は35歳の今だって諦めきれないんだ。
応用情報取った時も、ネスペ取ったときも、オラクルブロンズ取った時もLPIC 2取った時も全く達成感なかったよ。コレ取るのに何年かかってんだってさ。村民は1ヶ月あれば取れるぞ。同期のアイツだって3ヶ月で取ってるぞ。何が言えるんだってさ。
銃・病原菌・鉄読んだ時もそうだった。で、お前はそこから何かアウトプット出来るのか?ってさ。読むだけなら幼女でも出来るんですけどwって。
伝わる?伝わらないだろうな。みんな高IQですぐに色んな技術を理解出来るじゃない?すごいよ。自分は二浪で駅弁大学しか行けないくらいのバカで、リアルでもネットでも知り合いを作れないコミュ障で自己承認が全然出来ないんだ。
ADHDって言葉を知った時、これだーって思ったけど違ったね。ITの勉強してても過集中が全然ないんだ。
話が逸れたね。認知療法してて、気づいたんだよ。何をしてても自分を認められないんだよ。はてなに受け入れられる事を成し遂げられてないからね。
だから、自分を認めるために、君のことを自分から切り離さなきゃいけない。自分の世界を作らないと。一方的になっちゃうけど、さようなら。勝手だけど、今にも泣きそうだよ。
これからどうしようかな。匿名で好きな事書けるのはココだけなんだ。自信のない間違ってるかもしれない事を書いてもいいのはココだけなんだよね。ここなら見たくないコメントを見なくてすむんだ。
でも、前に進まなきゃ。夢の世界への憧れは終わりだ。目の前の現実世界に適応しなきゃ。また逃げ戻ってくるかもしれないけど、いまはさようならしなきゃ。
最後に何か残せるとしたら・・・スタバのハチミツ、あれ何に使うと思う?あれ、ワッフルを食べるときに使うんだよ。
・・・スベったね。
さようなら。このエントリも2時間すれば次のページ行きだ。そうすると、誰かの目にも触れなくなる。単なるはてなの磁気データになる。
最後にブコメとかつくんじゃないかって浅はかな期待を持ちながらこの内容を登録するボタンを押します。じゃあね。
P.S. 認知療法について書いてくれたこの増田には本当に感謝しています。まだまだ自分について書く事が苦しいけど、正しい道を向いてると信じています。
作る方のメシマズも悲惨だが旦那がメシマズの家庭で育って家の食事に軽蔑を持っている場合も問題だ。一緒に住む前に食事を共にしてても外の食事と家の食事は違うものだったようで、家の食事にそんな感情を持っていることは気づけなかった。
私の場合は食事を出してもどうでもいいものに力を入れられて感想を求められてもうっとおしい 、やりたいからやらせてやってるだけのことだしどうでもいいと何度も言われて離婚も考えていたり。美味しく食べて欲しくて好き嫌いを聞いたりするといわれたことだ。どちらかというとメシマズ関連よりは旦那個人の人間性の問題か。うるさいことを一切言わない義母にも嫌悪が湧いている。
今は食事が楽しみらしい、自分に食事の楽しみを気付かせたなど言われたが、感謝を述べるのではなく褒めてやってるつもりのようであるし憎しみの感情は消えないし食事を作るのはかなり苦痛だ。実家にいる頃食事は楽しみだったし得意ではないながらも料理は好きだったのに。
http://anond.hatelabo.jp/20170213071814
完全にコレじゃん。
http://anond.hatelabo.jp/20170131211441 子孫を残すってシステムは不平等の温床だと思う
親が完璧人間→ベースのメンタルや遺伝的性質が完璧なので何をやっても上手くいってしまう
親がゴミクズ→ベースのメンタルからしてゴミクズなので何をやっても上手くいかないか上手くいってもサイコパスとしての成功
男女の平等や出自の平等が叫ばれるのならば親の違いによる不平等もなんとかするべき
そのバカくんは子孫残すことや私有財産自体が問題だっていってるので社会主義かスパルタ市民の立場。
歴史の中で格ソリューションがどんな末路を辿ったのかを把握する知識とかも、
格差によって差がつくわけで、
格差に憤る人達がバカくんに冷たくするのは筋が通らないっちゃ通らないんだけどね。
はてなは「バカは厳しく批判されていい」って風土だからそのルールでいつも殴りあうし、
「お前等はバカなので俺は殴る!」って態度も論が立ってれば是とされる。
その風土の居心地よさはあるんだけど
バレンタイン、営業戦略から始まったらしい大衆文化は、今や欠かせない一大イベントである。
そして社会に浸透したそれは、様々な側面でもって人間の喜怒哀楽を彩る。
午後のひとときではあるものの、今日は一風変わった様相を呈している。
父はそれらを受け取ると、他にも同じ品を貰っている社員を眺めていた。
学生の頃、男たちの見栄やステータスになりえたものが、いまや社交辞令のアイテムというのも、中々に感慨深いものだとしみじみ感じていたのである。
ところが、こういった文化をただ「そういったものだ」といった風に飲み込めず、馴染めない人間も少なからずいる。
「うう……やはり来るのか」
同僚のフォンさんがそれにあたる人物だった。
「はい、フォンさんもどうぞ」
チョコが食べられないだとかではなく、ただ「何かを貰う」という行為全般に精神を疲弊しているからだ。
「は、はい……ありがとうございます」
それでも体裁を保ちつつ、フォンさんは社員たちのチョコを受け取る。
そうして全員に行き渡ると、社員が持ち場に戻り始めた。
それを確認した後、フォンさんはおもむろに胸ポケットに入れた手帳を取り出した。
「マメですねえ、フォンさん」
「覚えておかないと、ホワイトデーの時に痛い目を見ますからね」
その発言に父は軽く笑おうとするが、フォンさんの大真面目な顔と声の調子に思わず息を呑んだ。
「笑い事ではありません。これを間違えると、“お返し”の無間地獄に陥るんですから」
「無間地獄……」
「貰ったものに対して、相応じゃないものは相手の心象を悪くします。安いものはダメですが、かといって高すぎるものをホワイトデーに“お返し”したら、それを埋めようと“お返し”をしてくる可能性があります。そしてワタシはそれに対して、また“お返し”をしなければならなくなる、ということです」
父が接するようになって気づいたのは、フォンさんはこういった世俗に酷く敏感なことであった。
「うう……チョコが欲しいだなんて一度も言ったことはないのに、それを貰って“お返し”も強制される。だからこの文化は嫌なんだ」
「いやいや、フォンさん。『強制』だなんて、重く受け止めすぎですよ」
「マスダさん。心にもないことを言うのは社交辞令の基本であることは知っていますが、今この場で会話をしているのはあなたとワタシだけだ。そういった無意味な取り繕いはやめていただきたい」
「取り繕いだなんて……滅相もない。なんなら“お返し”なんてしなくてもいいんですよ。彼女たちはそんなこと気にしません」
「『気にしない』んじゃなくて、『気にしないようにしている』んですよ。そんな言葉を鵜呑みにして“お返し”をしなかったら、十中八九ワタシを心の狭いケチな人間だと軽蔑する。強制ではないといいながら、その実“お返し”を当たり前だと思ってるから、そういう考えになるんだ。それは、つまり、社会通念上の強制なんです!」
フォンさんは神経症気味だったが、実際問題としてその側面を父は否定できないのであった。
こういった社会通念をフォンさんに説いてきた張本人なので尚更である。
事態をどう受け止めるかの、丁度いい塩梅なんて分かりはしないのだ。
「推理小説におけるロマンス描写」を、絶対真実な添え物とスルーするのではなく、本当の謎解きは情愛部分にあったのだとみなします。
随時更新
私の持論として。一番大事なことは『自分が作品をスッキリ楽しめたか』という部分であり、正解のない舞台作品の考察というものは『よりスッキリした心で作品を愛する』ために行うべきである、と考えている。
作者の真意とかメッセージとかは観客に都合のいい時にだけ引っ張り出せばよい駒であり、エンタメの世界に『解き明かすべき絶対の謎』なんて無いのである。
「楽しんだモン勝ちや!」である。
その観点で言えば、初見の私の感想は、もうグッドエンドとして十分だった。
http://anond.hatelabo.jp/20170206104211
作品構造を分解すると唸るほどしっかり構築されていることがわかり、「ただ自分が見たままを感じ、考察などせず楽しむべき」類いの舞台ということが浮き彫りになって仕方がない。
しかし私は、好奇心と言うか…感動を共有できない淋しさと言うか…出所のわからない衝動に駆られて、本作を『ミステリー』として推理することに踏み込んでしまった。
そしてこの目的で2回目観劇したことを多いに後悔していたのだけど、今わずかばかりの希望の光が見えてきた。
犯人やトリックを推理する殺人ミステリーではなく、二人の人間の有り様を推理する情愛ミステリー。
簑浦も諸戸も幸せになれる最適解。
ですので、自分でも自分なりのトゥルーエンドを目指しますが、時間にリミットがあるため、もし同じくこの迷宮にうっかり足を踏み入れてしまった探偵さんがいらっしゃれば、ご助言を賜れると幸いです。
目指すゴールは『スッキリ楽しめて、より作品を好きになる』こと。
本作は深い意味で「原作に忠実」だと感じるのだけど、原作をそのまま演じている訳ではない。
今のところ私にとっての最大の謎は、この世界の階層構造と登場人物である。
私に見えたキーパーツを挙げていく。
また、注釈の挿入タイミングを正確に記憶していないので、区別が間違っているかもしれない。
基本的に諸戸は今回の舞台上では同一存在だと考えていますが、そう見えるだけかもしれないため分けておきます。
随時更新
我々は『なぜ』錯覚していた?
前提として、本編はすべて「諸戸」と「簑浦」で代替できる隠喩要素のみで編纂されている。(秀ちゃんの手記、丈五郎の過去、など)
また、一般的に「嫌悪感」を感じるものを排除し、極限まで美しく描いている。(ビジュアルはもちろん、諸戸の性的侵略も)
→諸戸からの握手を握り返さない『箕浦』に諸戸は驚き『私』を見詰める。すると『箕浦』は諸戸の手を握り返した
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随時更新
→本編は経験談の体なのに、諸戸のセリフにも括弧を入れて諸戸のモノローグが挿入されている。簑浦のモノローグはほぼ《私》であるのに、諸戸のモノローグはしっかり《僕》
観劇2回目の備忘録:http://anond.hatelabo.jp/20170208235429
(着眼項目リストと理由:http://anond.hatelabo.jp/20170207171941)
観劇2回目で受けた印象:http://anond.hatelabo.jp/20170209051208
初見感想を書いた後のメモ:http://anond.hatelabo.jp/20170207200710
どうしようもない性癖。
男なら大なり小なり、性癖を抱えているもので、その内容で、パートナーに理解されるされないの差があると思う。
人によっては足を舐める性癖程度でも理解できない人もいれば、ムチでもアメでも持ってこいな人もいる。
たぶん旦那は、お願いしたいけど、出来ないから、こっそり着て、うっかり見られて、嫌悪されて、軽蔑されて、怒られるまでが、セットの性癖かと。
http://anond.hatelabo.jp/20170208235429
率直に書く。総合的な感想や考察は落ち着いたら書くつもりだけど、壁打ち悲しいから書かないかも。(というか他作品観劇したらもう書けなくなるだろうから、勢いつかないと現実的に厳しそう)
トゥルーエンドではないけどグッドエンドはもう前回観れたから、推理の旅を終えていいようにも思っている。あとやはり証人が足りない。私の観たルートより先の話が展開されないと推理が苦しいし淋しい。
初見と印象が違いすぎる。
何が変わった? 私が変わった?
今回はまったくもやもやしなかった。ただあるがまま受け止めてほんと苦しい。
今作はもうずっと『諸戸と簑浦』の話しかしていない。だからもうつらい。世界に二人しか居ない。つらい。
時系列順に。
ちなみに『私』と『箕浦』と《わたし》と《みのうら》と簑浦が出てきます。
手記の内容は、すべて完全に諸戸についての内容。つらすぎ。
『私』は諸戸を「哀れ」と評す。まじかよ。
奥さんがお茶を入れてくれてそれを飲んだはずなのに、誰かいませんか?的なことを言う。え、やっぱこの『私』お亡くなりになってない?
そして諸戸登場。語り部の『私』と会話する。おかしくない?
だから最初は『私』も諸戸も亡くなってて、死後の世界に見えてならなかった。
てゆか、今日見た諸戸がこわくてこわくて、ずっとすごいこわくて。諸戸の亡霊みがやばかった。成仏してない霊感。
初見は王子様のような諸戸だったのに、何が変わった? 私が変わった?
『私』と諸戸は二人で一緒に過去を振り返る。
諸戸との最初の決別、夜の告白の時、聞いてる時の『私』はものすごく悲しそうな切なく美しい顔をする。嫌悪の色ではない。
『私』は諸戸に「性愛には応えられないけれど一緒に遊んだりした友情には感謝しているし君もそれを喜んでいるように見えた」的なことを言うのだけど、これ少なくとも2回目撃している。隠喩だったかそのままだったか…どこだっけ思い出せない丈五郎と道雄だっけ…? すごいつらい。
あのね『私』と『箕浦』が互いに演じた《わたし》と《みのうら》、《わたし》は未来をすべて知っているようで(諸戸の死を含む)、《みのうら》は生きてるからすごく生命力のある反応をする。『私』が《みのうら》になって井戸出たときなんて、それまでとのギャップにちょっとびっくりした。
ここで振り返ったのは過去だから未来ではないけれど、どうにも諸戸からも時間を感じない。(ミスリーみあるけど)
似てきたなと私が感じたのは、この冒頭の『私』と諸戸、諸戸親子、諸戸と吉ちゃん。親子はアフタートークでも言われていたけど…というかあの世界は「諸戸と簑浦に関すること以外すべてカット」されているので、全部が諸戸であり簑浦であってくるしくて無理。常にライフ削ってくる。
大人になってから。『箕浦』は「ここからは僕が」と言って登場する。おかしい。どうして語り部の語る内容にキャラクターが介入できる?
だから私は、ああこれは『演劇』なのだな、と気付く。原作では簑浦が口頭でこの物語を語ってくれるのだっけ?それとも小説? ここではその語り口が『演劇』なのだと。
『箕浦』は『私』が初代に渡そうとした指輪も意気揚々と奪ってくる。《みのうら》演じている『箕浦』は本当に生命力に溢れてる。
嗚呼だめだ寝落ちたらもう思い出せない…『箕浦』だけは「諸戸と簑浦に関すること」が何もない存在だったようにも思えてくるけど、もう私の記憶は証人として使えなくなってしまった。
『私』は決して初代を「美しい」と言わなかった。まわりくどく魅力を説明する。その形容自体に違和感は無いが、乱歩が連載初期から意図的に言語を使っていたのなら、初代を「美しい」と表現しないのは変だ。簑浦にとっての初代の価値が軽すぎる。
『箕浦』は何についても「美しい」と言わなかった。やはり簑浦は矛盾や歪さを抱えていないか? それを『私』と『箕浦』で同時成立させていないか。『私』と『箕浦』は別々の役割をもった役者。
初代は証言する。正面を向いて淡々と切々と語る。あれは諸戸のことではなかったかしら。初代だけに存在する追加情報の時だけ『箕浦』を見て『箕浦』に話しかけてやいなかったか?
『私』のかんばせが本当に何の欠点も無いようなほど美しく、そしてとても表情豊かで観客をガンガン見てくる。目が合うとかじゃなくて、観客の目を見てくる。後方でも目を見てくる。つまり語りかけ度がぱない。あいつはメッセージを発している。
対して『箕浦』からはそんな様子を受けない。《わたし》を演じる時間が短いからかもしれないし、セリフが少ないせいかもしれないし、ずっと座っているから私の座席位置がかすらずそう見えなかっただけかもしれない。
いや、ほかの『役者』もそうだった。わざわざ観客の目を見てきたりしない。あれは『私』だけだ。
(正確な表現を思い出せない…2時間以上の空間を丸暗記してそれを体験した自分の心理思考も記憶して寝落ちリセット回避はこのセリフ量だと流石に無理ゲー過ぎ…でも記録に残すならちゃんとしたい…)
初代が亡くなった時に現場での出来事にしっかり対応していたのは『私』。泣き崩れてずっと耐えているのが『箕浦』。
深山木を訪ねてからは、未来を知っている《わたし》役の『私』は度々悔しそう・つらそう・悲しそうな表情をする。
『私』には彼を救えないから? ねぇ、これ『私』にもそういった感情がちゃんとある描写だよ。
初代と深山木さんを亡くしてから場面転換の際にオープニング曲としか聞こえない音楽が入る。唸りをあげて悶絶する『箕浦』。あ、ここ襲いかかる諸戸の唸りと重なる。
諸戸に関係ないところでも、疑心暗鬼なセリフはすべて『私』が言っていたように思ったけど…いやこれは断言して大丈夫では。
しかし確実に《みのうら》の口から「諸戸を疑っている」主旨の言葉が出たときは『箕浦』が発言するし、
諸戸から「君は疑っているんじゃないのかい」といった疑心暗鬼を抱いている主旨の言葉が出たときに対面しているのは『私』と、徹底していた。
諸戸と『箕浦』が家で初めて会話している時、諸戸を見つめる『私』がくそやばい。愛憎ぶちこんだ流し目の破壊力。軽蔑の目線でもあっただろうか?嗚呼ほんと駄目だ脳がリセットされて正確に思い出せない!
ああ、でもここで諸戸を見つめる『私』は、『私』を見つめる諸戸に似ている。それは性愛を込めた時じゃなくて島で秀ちゃんに夢中になってる『私』を見ている時のそれ。
「子どもは残酷」って諸戸が説明したとき、めちゃくちゃ学生時代の簑浦思い出した。
しかし諸戸の話題が《みのうら》への愛についてから事件の推理パートに移ってからはクソつまんなそうに家ん中ブラブラして諸戸の推理聞き流してる風に壺にしなだれかかってる『私』だるえろかわい過ぎだった。「ねぇ~まだぁ~?」してる子猫ちゃんかよ。たぶん唯一私が萌えれて心を緩められたシーン。
ずっと『私』は推理パートつまんなそうにしていたのかなと思いきや、だるえろかわいいのあそこだけで、曲技団に刑事と行った時とか身を乗り出して聞いていた。
いや、あれは『箕浦』の代わりに演じていたのか?
あそこ本当に諸戸が『箕浦』のことを狙っていた。すごくこわい。じわじわ距離詰めてくる。こわい。あれなんであそこにそんな描写入れたんだろう。あの時の話題は何だっけ…おとっつぁんについて?
秀ちゃんの手記。まじつらい。ぜんぶ諸戸と簑浦の話でつらい。
ぜんぶ諸戸と簑浦の話であるから、『手記の秀ちゃん』に母親が居ないから、この舞台での諸戸にも母親が居なかった。(正確に言うと丈五郎が母親の話をするが、諸戸は母親の話を一切しない)
原作未読であるので自分で確認できないのだが、諸戸が母親について告白する場面はそんなにカットが必要な位置にあるのだろうか?
諸戸が母親から性的虐待を受け、それによって女性に嫌悪感を持ち女性は愛せなくなったこと。親からの愛情が与えられず性行為でだけ情を向けられたから、諸戸が簑浦へ向ける愛情も性愛以外の多様さをみせられないこと。これらは諸戸の歪な愛を単なる超自我とイドのせめぎあいにさせず、諸戸が『かたわ』と比喩できる大きな理由となっていると思う。
手記の後に諸戸がどちらと会話をしていたか覚えていない…記憶の砂が零れ落ちていくの恐ろしい…
おそらく『箕浦』と話している? 系図帳から暗号見つけるのはここか?
島へ行く途中の列車?船?の中、諸戸が「疑っている?」と問いただすのは『私』で、その話題が終わるとすぐに『箕浦』に入れ替わる。
だめだここですべきは事実の羅列ではなく印象という目撃証言を残すことだ。
島に着いた夜。寝ていた『私』と『箕浦』。『私』だけが起き上がり、秀ちゃんと出会う。
そこに現れる諸戸。
私はここにめっちゃ違和感感じて、それまでの流れでやっぱり諸戸も登場人物なのかな…って思ってた気持ちが吹っ飛んだ。なんでここに諸戸が居るの?って思った。『私』と同じ次元の存在だから?
で、原作既読の友人に確認してもらったら、原作ではここに諸戸は居ないししばらく諸戸と合流しないって……
それから呑気に毬遊びをする『私』と『箕浦』を見て、ここでも彼らは『役者』として並列であるとめっちゃ感じた。対話をすることはあっても、物理的に直接交流するシーンはここが…あ、いや初代の指輪を奪ったね。そことここだけのはず。二人存在しないとできない行為だから。
まだ全然考察とか感想にまで至れていないけど、直感だけの変な話しだけど、
諸戸と『私』が同列であることと、『私』と『箕浦』が並列であることは、次元が違っているのですよ。だから諸戸と『箕浦』は同列ではない。
あ、それが《わたし》と『私』か。
丈五郎に帰れと言われてから、諸戸を助ける決心をして、諸戸からメッセージを受け取っているところも、井戸の中も、『箕浦』はずーっと冒険譚の主人公だった。キラキラワクワク輝いていた。秀ちゃんへの恋とか初代の復讐とか諸戸への心配とかじゃなくて、冒険に夢中だった。
諸戸からのメッセージを読むのは『私』で、あいつまた俺に変な気を起こしそうでいやだわ~的な愚痴をこぼし、『箕浦』もそれに乗っかる。「同性愛理解できない」ってまた言う。「頭では理解してるけど全然わかんねー」って言うのはどこだっけ。いやほんとに『箕浦』には友情以外まったく無い。微塵もない。清々しいほどに無い。脈ナシにも程がある。
前述した「諸戸も登場人物なのかな…って」考えに変化しかけたのは、同じく前述の事情聴取のシーンで《みのうら》を演じる『箕浦』をそれこそ蛇のような視線で諸戸が見つめていたから。スポットライトの当たらないところで。その時『私』はスポットライトの中で刑事の事情聴取を聞き入っている。(時系列ぐちゃってごめん。でも記憶が蘇ったものをとにかく書いて残す)
ひえええあんな完全無欠の究極ノンケみたいな『箕浦』に言い寄っても絶対無理だよ諸戸なんで気付かないんだよ異常だろ…ってぐらい怖かった。対してワンチャンありそうに見えるのは『私』。否定してるんだけどなんか匂ってならない。なんか否定だけを信じられない。
あれか? 「『好き』の反対は『嫌い』じゃなくて『無関心』」ってやつか?
(初見感想で書いた「《みのうら》も実は諸戸を愛していたのではないか?という容疑が浮かんでならない」のは、完全に『私』のせい。これは初見からそう。私はこれを初見で「諸戸カンチガイ乙‼」みたいに感じていたから、こいつは諸戸の疑心暗鬼が見せる簑浦だなと思っていた。)
諸戸は『私』を探しさまようラブファントムなのかと思っていたけど、全然《みのうら》演じてる『箕浦』も狙ってくる。
『私』と『箕浦』はだいたい一緒に舞台上に居るんだけど、諸戸が《みのうら》よりも『私』を優先して見つめたのは、
諸戸は簑浦を探しさまようラブファントムという印象に落ち着く。
水責めから『私』はもがき出す。水喰らって噎せるし《みのうら》と諸戸に水ぶっかける。
序章でも鬼との出会いを思い出してる時に喉を掻くから、原作にも白髪化がいつか描写されてないそうだし諸戸生理的に拒否られてない可能性ワンチャン…!?って一瞬思った。違った。
『箕浦』ずっと脅えていて本当にかわいそう。諸戸に抱き締められてもノンケ過ぎて嫌悪感すら無い様でだだ死の恐怖に脅えている。…って、そうだ。『箕浦』は諸戸の性愛に嫌悪感すら返していないわ。性愛なんてもの存在しないようにしか見えない。
「ホモフォビア過ぎて逆に男性とキャッキャする現象」が何か科学的に存在しているのですか?(そんな感想を見かけた。)気になるので詳しい方に教えていただきたい。
それまで『箕浦』を抱きしめて必死に告白していた諸戸(この時の諸戸何故か記憶してない。零れ落ちた感覚もない)が、『私』に「嫉妬している?」と問いかけられた瞬間、逆鱗に触れられたように(地雷ぶち抜かれたみたいに)目を見開いて、そのまま『箕浦』から手を離し、表情も目線も変えず亡霊というか亡者みたいにゆらぁりと『私』の方に移動していき、「ああ、嫉妬している」と答える。
これほんとめっちゃこわい。ラブファントムこわい。ホラーフィクションでよくある悪霊に追いかけられていたのが御札を持った瞬間にこちらが相手から見えなくなってあっさり追いかけられなくなる・あるいは逆に結界が崩壊してそれまで見向きもしなかった悪魔が突然こちらに向かってくる、あれ。完全にあれでこわい。ほんとこわい。
諸戸を否定して死んでたまるかと逃げ出す『私』。諸戸は唸り雄叫びを上げてから『私』を追いかけたっけ?
確かここ最前列目の前に諸戸が来たのに私は目をそらしてしまった。それまでずっと三人の内をを覗きこんでいたけど、目の合うところに居る諸戸の瞳を覗きこむことはできなかった。
そして遂に『私』を捕まえた諸戸。手を掴み上げ触る。
なんというかね、性的な意図をもって犯そうとする時って、例えば、頬を触る(唇を奪おうとする脅迫)、腿を撫で上げる(局部に侵入しようとする脅迫)、みたいな仕草がイメージしやすいんだけど。諸戸は手なんだよね。いや、手を撫でられるのも十分性的な接触になりえるし、手を撫でてくる痴漢とかクソ質悪いと思うんだけど(あれって痴漢に該当するの?冤罪増えそうだから流石に法的には該当しなさそうだよね?まじきもい腹立つ)、もっと分かりやすくセクシャルな表現にしても良かっただろうに、なぜしなかったのか。手なのか。
同じ手でも手を舐めるとか頬擦りするとか自分の身体に触れさせるとか、方法はいろいろあるのに。
あ、そうだ。秀ちゃんは吉ちゃんの手を取って自分の胸に触れさせていた。超嫌がってたけどあれは同じ手の使用でも犯されている感がわかりやすい。
井戸の中での死についてのくだりも、秀ちゃんの手記で隠喩されたまんまでほんとつらい。もう死んでしまいたいという諸戸の叫び。
そうだここ『箕浦』も死んでしまいたいと絶望して挫折して復唱していたのに、『私』が水を挿したんだよね…亡霊を呼び起こしてしまった。
諸戸が嫉妬していることを認めたのが、《みのうら》と秀ちゃんが結ばれてしまうかもしれないことについてなのか。(そう明言してた気もするけど)
それとも「本当はかたわものではなく、簡単な手術で醜い自分を切り離すことができること」なのか。
醜い自分を殺したいけど、殺したらきっと自分も死んでしまうと思ってる諸戸…まじ…
助六さんに「生きたくなかったの?」って聞かれた時に、「世間に顔向けできない」と言った諸戸まじ魂抜けてた。心ここに在らず。ライフが0。助六さんに心の内を回答する必要ないから大正解。しかしイドの超自我破壊と自我乗っ取りを止められなかったことは、この時の諸戸の回答もあながち嘘じゃないなと。
あれ?と言うか水嵩が増さなくなったって表現、昨日あったっけ?
私は水嵩が増さなくなったことを知ってるから、初見ではセリフがあったはず。
『私』と襲いかかる諸戸の図を見ている『箕浦』の表情は、「死者を冒涜せぬよう省略」と『箕浦』が言った場面しか見えなかった。
と言うかこのセリフ初見では聞き逃してたからテラびっくりしたんだけど!
【今】はいつだよ!?って疑問が再浮上した。
初見のとき、序章で『私』が「なお、現在では差別用語となる言葉が登場するが、当時のなんちゃらを変えないためそのまま使用します」云々言ってて、「えっ!?『現在』っていつ!?『当時』っていつ!? 『私』が執筆したとき? 乱歩が執筆した時? 私が観劇している今? ねえあなたは『いつの人』なの!?」って、超混乱した。
まだ決めていない。
少なくとも、丈五郎を目にした諸戸や、井戸を出た時の諸戸は、『登場人物の諸戸』だったから。
それにしても《みのうら》になった『私』の生命力。
佐藤さんの『私』は表情がくるくる変わるしよく動くし観客の目をガン見してきて語りかけ度がぱないけど、アクティブなのにどうにも《わたし》の時は幽霊っぽかったの間違いじゃなかったんだな。ってめちゃ思うぐらい「生きてるかどうか」がなんか明確に違うんだけど。演技力?すごない?やばない?
《わたし》になった『箕浦』と、《みのうら》になった『私』も言葉を交わす。「語り忘れたことあるかな?」
ラストは『箕浦』が読んで、『私』が諸戸の訃報を初めて知ったような顔をしている。井戸で《わたし》役になってからの『箕浦』は、諸戸が鬼籍であることを既に知っていた。
『箕浦』はあまり『私』も諸戸も見ない。助六さんと井戸を脱出しようとした時から、『箕浦』は正面向いてどっしり座って痛ましそうな顔をしている。あれ…顔背けてるのかな…
座ってラストを読んだあと、やって来て『私』に手を伸ばす諸戸の手を宥めるように下ろさせる。
ああそうだ、『箕浦』に向き直った諸戸の表情は見えなかった。
そしてこの物語の語り部は諸戸を憐れにも思っていると序章で明言している。
諸戸の訃報を握り潰すところ。あれね《みのうら》の憎悪というよりも、醜い半身へのやりきれない憎しみに見えた。悔し泣きみたいに表情を潰すところは正直感情が読めなかったよ。ある意味復讐に燃えていた『箕浦』の様子にも近かった。
今回は推理するために三人をずっとガン見するつもりでいたけど最前列譲っていただけたのでピクセルに余裕できて他の演者さんもかなりしっかり拝見できた。
先日、合衆国大統領の完璧なコピー・ロボットを開発してしまった。
信じられない? 信じなくていい。
私は発明したロボット(※こいつを"ロボ・トランプ"とする)と話しているうちに、
『けものフレンズ(※深夜アニメ。アニメオタクが勝手に盛り上がっている)』的話法との類似点を見出した。
『けものフレンズ』を見たオタクは「すごーい!!」「へー!!」「それでそれで!!」
「そうなんだ!!」「○○○? あなたは○○○なフレンズなんだね!」などと単純なコメントをするようになる。
私も最初は小ばかにしていた。
だがこのような単純な応答は、日本で最も高級なホストクラブ(キャバクラ)に行けば簡単に見聞きできる。
「すごいですね」「そうなんですか、知らなかった」「それでどうなったんですか」とか、そういう応答だ。
ロボ・トランプも調子が良い時は「すごいな」「へえ」「それで?」と連発してくれる。
私も気分が良くなってお世辞を言ってみた。
「ロボ・トランプはかっぷくが良くて、威厳があって、男の中の男って感じだ」と言うと「ありがとう」と返してくる。
しかししばらくして「ロボ・トランプは(ピザやコーラばっかりの)やつらの中では細身かも?」と気になってきた。
そこで「ロボ・トランプはスリムで、パワフルな、男の中の男だよ」と言ってみると「ありがとう」と返してくる。
「この前"ロボ・トランプはかっぷくが良い"って話したね? ロボ・トランプは自分のことをどう思ってるんだ?」と聞くと、
「そんな話はしていない」と返してくる。
試しに「ロボ・トランプはデブ野郎だ。そうだろ?」と言うと「うそつきめ」と返してくる。
そこで「ロボ・トランプはガリガリ野郎だ。そうだろ?」と言うと「うそつきめ」と返してくる。
ここにひとつの成果がある。どうやらロボ・トランプは相手の感情や賞賛・軽蔑に敏感に反応して、
これはロボ・トランプが卓越したコミュニケーション能力を持っている事実を示唆している。
私のようなコミュニケーション障害者は「太っている? 痩せている? 基準は? 何年のデータで?」と長孝してしまう。
しかしロボ・トランプはそうしたデータよりも、相手の状態、感情を優先する。
即座に「ありがとう」「うそつきめ」という優れたコミュニケーションを展開することができる。
従来の政治家は私のようなコミュニケーション障害者ばかりで、自分の発言が切り取られないかビクビクしていた。
メディアも「政治家さんは昔、○○○と言ってませんでしたか? 今と違いませんか?」と質問攻めにする。
けものフレンズ的話法はここで「○○○? あなたは○○○が気になるフレンズなんだね!」と返す。
ロボ・トランプは「そんな話はしていない」と返す。
けものフレンズ的話法やロボ・トランプのような真のコミュニケーションで些細なことにとらわれてはいけない。
こんな感じだ。
もし、あなたが私と同じようなコミュニケーション障害を抱えているなら、
『けものフレンズ』というアニメか、合衆国大統領を参考にするといい。
「すごーい!!」「へー!!」「それでそれで!!」「そうなんだ!!」
「すごいな」「へえ」「それで?」「ありがとう」「うそつきめ」
「そんな話はしていない」
どちらか好きな方を選ぶといい。
『けものフレンズ』や合衆国大統領を参考にしてもコミュニケーション能力が伸びない時?
ここで細かいプロフィールを書いても釣りっぽさが増すだけだけだが。
私は東大卒なんだよ(学部卒、就活に失敗した負け組)。で、中2の娘がいる。めっちゃかわいい。くそかわいいぞ。うらやましいだろ。反抗期だけどな。
さて、この前、娘に「なんで勉強するのか」と問われて、答えに窮してしまった。
院進しなかったから「学問そのものの価値」について説明する資格もないし、そんなもん分からない。
就活に失敗して自殺未遂までした身だから、「勉強すれば良いトコに就職してお金持ちになれる」と言うこともできない(余談だが、自殺未遂のときに救急車を呼んでくれた人がいまの妻)。
かろうじて「勉強すれば、くだらない嘘に騙されなくなる。水素水とか、EM菌とか、怪しい新興宗教とか」と言うと、「水素水の何が嘘なの」と返された。「健康に効果があるって言ってるけど嘘だよ」「健康に効果があるって具体的にどういうことを言ってるかちゃんと調べたことある?それに、嘘だってパパがちゃんと立証したの?論文かなにか読んだの?」と言われてしまった。「みんなが嘘って言ってるから嘘って思ってるだけじゃないの?そんなの水素水を信じてる人と変わんないよ」「いまちゃんと調べて反論しようか」「そういう話じゃない。パパが勉強して得たものは、知識や自分の頭で考える能力じゃなくて、信頼のおける情報元とそうでない情報元を識別する能力だけなんじゃないの?学問って権威に服従することなの?」
言ってから気付いたが、オウム真理教の幹部に高学歴が多かったのはあまりにも有名な話であって、「怪しい新興宗教に騙されない」って例示はあかんかったなぁ。
そりゃあ、私にも、東大を受験するために毎日勉強していた時期もある。毎日毎日英単語帳を捲り、世界史の教科書を隅から隅まで読み、文系なのに手が痛くなるほど計算していた。でも、「勉強していた自分」が遠い遠い過去になってしまったいま、なぜ子どもは勉強するのか、なぜ私は勉強していたのか本当に分からなくなってしまった。
追記1:娘に読まれてもバレない程度にはフェイクを入れている(妻に読まれたらおそらくバレる)。ただ会話や内容の本質は損なっていないはずだ。
追記2:結構伸びてて嬉しい。娘の頭が良いというコメントがいくつかあるけれど、少なくとも勉強に関しては、数学が異常にできるのを除いて、これといって優秀なわけではないよ。最低限のことはやっているみたいだけど、そもそも勉強が全く好きではないっぽい。「勉強しないと社会で普通に生きていくことができないから勉強するのだとしても、ではなぜ社会は私たちに勉強を要求するのか」あたりが質問の真意だったと思う。
つーか今気づいたけど、娘も私も「勉強」と「学問」という言葉をほとんど区別せずに使ってた。これが問題だったのかもしれない。
追記3:娘は、私が答えに窮しているのを察するや否やさっさと消えてしまったので娘の本当の気持ちは分からない。私の推測でしかないが、「一応東大卒の父親」を試したんだろう。娘よ、期待に応えられなくてごめん。
自分が東大を目指して勉強したきっかけを考えてみると、何かやりたいことがあったとかではなくて、「周囲の人間に尊敬されたい」「親を喜ばせたい」「モテたい」あたりの気持ちしかなかったと思う。もちろん勉強自体きらいではなかったし、だから続いたのは確かだけどね。
追記4:親が言うのも変だが娘は多分文化系のリア充グループに所属している。先生に怒られるような問題をおこしたことが皆無で、成績も中の上、似たような同級生たちと楽しく生活している中学2年生の女の子に、「将来の選択肢が増える」とか言っても実感が湧かないのかもしれない。娘は教員に怒られるようなことはしないけれど、内心では先生や学校を酷く軽蔑しているようで、「中学のシステムはぜんぶクソ、教員は馬鹿ばかり、数学の教員が数学を分かっていない」などとよく言っている(娘はいつも先生のことを教員と呼ぶけれどこれも中二病かな)。勉強を強制されているという感覚がある一方で、(勉強が好きではないけれども)学問に対する憧れはあるのかもしれない。というのはこの前、娘の部屋で中島義道「哲学の教科書」を見つけたから。自分の利益不利益からもっと勉強しておけばよかったなんて思ったことはないけれど、娘に適切な助言をできないのは本当にかなしい。大学に入ってからも誠実に勉強しておけばよかったと心から思う。
追記5:当たり前だが追記にもフェイクを入れてある。
という後輩の嘆きを聞いていた。
しかし彼女は月に3万は衣服代に投じてるってんだから、ゆゆしきことだ。
で、あれこれ聞いてたら、なるほどかつての自分とまったく同じ呪いにかかっていた。
おしゃれをがんばってるのにおしゃれになれない
何事も「型」を身につけてから自分らしく崩していくほうが手っ取り早いよね!
イラストや漫画描くうえでデッサン力はあって悪いことないよね!
なのにオタクは「個性的であらねばならん」という呪いにかかっていて
ファッション誌が提示する「多くの人がおしゃれと思っている型」をナメくさっていることが多い。
敢えて流行に逆らったりする。やめろ。
情報収集能力は高いはずなのに、ユニクロについては時代が止まっている。
いや先生も着てるかもしれないけど、いまは二階堂ふみも着てるぞ。
「日本人的にいまのスタンダードはこれ」を提示してるユニクロをバカにできるほど
自分はおしゃれなのか問うてみよ。
◆着回しの呪い
毎日違う服着なきゃいけないとか思ってる節がある。
だがモデル体型でもなけりゃ、自分が本当に似合う「正解」のコーデなんて、
そう沢山はつくれないはずだ。
3つでいい。
だから1シーズンにつき「正解」のコーデを3つ確保していれば安泰だ。
着回しなんて一切考える必要ない。
結論としては、
先日、センター試験があった。
もう3年前のことになるけれど、毎年この季節になると受験勉強のことを思い出す。
彼は私と同い年の大学生だ。大学の部活の話などでよく盛り上がったりした。
そしたら、
「え?あぁ俺、推薦なんだよね。だからセンター試験受けてない」
と彼は答えた。
「あ、そうなんだ!評定平均高かったんだね、すごいな」
そう良いながら、彼への気持ちがどんどん冷めていくのを感じていた。
中卒でも、高卒でも、専門卒でも。高専卒でも、大卒でも、院卒でも
そういえば、うちにも推薦入試制度があるが、仲の良い友達は皆私と同じ一般入試組だ。
知らず知らずのうちに、推薦組とは親しくならないようにしていたのかもしれない。
大学には行きたい、けれど一般入試は受けたくない、楽な方法で受かりたい
そういう魂胆が透けて見えるような気がしてしまう(考えすぎだろうか)。
一般で受けて受からないような大学に推薦で入っている人もいる(大学での成績は大抵悪い)
調べてみると、世の中には一度も
ペーパーテストを伴う入学試験を受けたことのない人間はたくさんいるらしい。
彼らに対する気持ちは、ずるい、というのとは違う。単なる軽蔑だ。
推薦をもらえるように良い成績を維持したのだから、その対価として推薦を勝ち取ったのだ
と言う人もいるかもしれない。
推薦入試の人に大しては、どうしても「逃げて楽な道を選んだ」という印象がつきまとう。
あんなに好きだったのにな。
僕は鬱病で内向的で昔から目立ちたくない性格なのに外出すると「デカいデカい」言われ馬鹿にされる
勇気を振り絞って外出した時に学生に「あいつデカくね?」と指さされたときは凍りついた
この国では高身長というだけで人より劣った生き物として畜生のように扱われる
外出時に 男というだけで男だ男だ 女というだけで女だ女だ と騒がれることはないだろう
身長が高いというだけでハンセン病隔離のように家に閉じ込められているようなものだ
店で棚の商品を見てたら横からいきなり「デカい笑」と言われ呆然となることがよくある
「チビ」は人間に使う言葉であり「デカ」は粗大ゴミにも使う言葉
アルバートフィッシュやチャールズマンソンなど殺人鬼の多くも低身長…
低身長の人々のせいで病んだ高身長のメンタル医療費は低身長に払わせたい
中身長や同じ高身長の人からデカいなんて言われたことはほとんどない
友達だと信じていた低身長の人から「デカくね?」と言われたときは本当にショックだったしもう低身長の人々を信じられなくなった
ああまじクソ。あこれは思い出しくそ案件。今ネットで話題になっているヤングアニマルのど根性ガエルの娘、14話。それ見て思い出しクソしました。私の文章読む前に出来れば読んどいてくださるとわかりやすいかな。話題になってない?アクセス集中しすぎて数時間ダウンしてましたってことで。
そのマンガに主人公が母親に明らかに腐ったおかずを食事に与えられ食べることを半ば強要された、提供した母親は一切口にしなかった…というくだりがある。
私も似たようなことを経験している。私のときはスープだった。聖司のときはラーメンだったのかな。とにかく虫が大量に浮いているのだ。水面にうわわわわーーーっとビッシリである。虫が無理な人、食事中の人ごめんね。
虫は1匹2匹というレベルではなく何100何1000という桁だった。一つ一つがとても小さくてコショウくらいのサイズだった。もうとにかく水面にわしゃーって。うーんそうだな、白黒の点描画とかにイメージ近いかも。
最初出されたときあまりの虫の小ささ量の大量さに虫だと気づかずコショウかと思い少しだけ口にしてしまった。しかしスープに浮かぶ黒点をよく見ると小さい手足のようなものがある。え?これ虫じゃない?いや小さすぎてわかりにくいけど確実に虫だ!これ虫が大量に浮いてる?!!!母は自分の器にそのスープをよそって着席していたがすぐさま自分の分を流しに捨てた。
「ごめん。これ虫が浮いてるから食べなくてもいい?」「てめーは人が作った飯食えねーのかよ(機嫌の悪い顔・舌打ち)」「すみません」「最初食ってたんだから食えるだろーがよ!飯捨てれる身分じゃねーこと承知だよなあ!!大丈夫だよお前丈夫だから食っても死ななねえよ いいから出されたもん有難く食え!」「すみません確かに最初頂きましたが虫だと気づいてからは流石に無理です」「いい加減にしろや(テーブルの上の食器を叩きつけて怒りを表現)」「こんなちっちゃいの虫じゃねーだろ野菜についてたゴミだから食える鍋に残ってるやつ全部食えよ」しかし1度虫を見つけてしまうと飲むと言うには躊躇わせる量(満点の星空か?ここは虫の天の川か?)で仕方がなくちまちま取り除いていると「全部一気に飲めや!こんなん虫に見えない、普段汚い机座ってられるんだから虫ぐらい平気だろ(私殴られるのを察知→殴る蹴る)」「お前のせいで貧乏してるんだから出されたもんくらいありがたい食えよ食えねーなら2度と食事出さないカス!死ね!」「じゃなんで自分の分捨てたの?おかあちゃまが飲むなら私も飲むよ。あと虫じゃないって、この手足を見ても虫じゃないって?」
もうね、言葉が通じないですよ。まぁ軽蔑してるんですけど彼女に扶養されてるのでね。軽蔑してる相手に扶養され続けなければいけない。金銭的に優位、体格的にも優位(彼女は体重が私の倍以上ある)だともうこっちには勝ち目ないんですわ。自分の分が悪くなるとそもそも論に持って行っておまえが以前○○しなかったから今こうなってるお前のせいだ!になるんですよね。いやそこまで遡れば私のせいかも知れないし、私のせいで全然構わないですけど今そしてこれからどうしようかという話をしているので時間の無駄。くそ案件。
てかスープ飲んでも丈夫だから死なないとか言ってるのに死ね!って連呼するの笑える。あなたに殴られ蹴られ精神的にも迫害されありとあらゆる拘束を受けたお陰様であっは、こんなに丈夫になりましたとさ!なんてね。
そろそろ後期試験だろうか。
私は4年制薬学部の最後の入学者で、1回生を2回やった薬剤師です。
留年した人間の国家試験体験記というかただおばちゃんが思い出を書くだけなので、気が向いたら読んでいってほしい。
書いてみたらクソ長い。ごめんなさい。
講義をサボったわけではない。(皆勤でもないが)真面目に勉強して2回生に上がれなかったのだ。
こちらのほうが致命的である。
私が親なら退学を勧める。
しかし別学部卒で自身も留年経験のある親は留年を許してくれた。
今思えば、
当時の自分は、いわゆるプライドの高い真面目系クズに該当すると思う。
自分は人並みに頭が良いと思っていて、誰かに頼らずとも自分でなんとか出来ると奢っていた。
元同級生と顔を合わせたくなくて、キャンパスの中で一人になれる場所を探した。
結局それなりに友人もできて、面倒見の良い教授にあたり、その後は国家試験までストレートに合格できたのだけど。
◆その国家試験前の話。
私学なので国家試験前は予備校の先生を招いて講義をするのに、空白の2年に卒業する=合格率に直結しないという理由で私たちにはそれがなかった。
今でも納得いっていない(笑)
ほとんどの子が自費で予備校に行くなか、私はお金もないので、教授が借りてくれた空き教室で毎日自習した。
お湯を沸かすためのポット。
無機質な真っ白の部屋に
これらを持ち込んで占有させて頂いた。
こんなに頑張ったのは初めてだった。
考えたらいつも、あと残り2割か3割の努力ができなくて。
できない、というのはなんとなくだらだらして。
無意識のうちに、全力で努力することが怖かったのかもしれない。
余力を残すことで、結果が出なくても言い逃れできるようにしていた。
ほら、やっぱり真面目系クズだ。
クズにも底が見えた。
勉強していたら、身体がバラバラになるような感覚がして、涙が出て来て、気がついたら貴重品持って大学を飛び出して
行ったことのない駅で降りていた。
風のすごい強い寒い日で、我に返って大学に戻ってコーヒーを飲んだ。
そんな意味不明な1日。
(ちなみに一般的に国試より厳しい卒試は、非常に優しかった。だってお荷物だから追い出したいし…なので割愛。)
今でも全力の努力って中々できないけど、やったことのある人はわかるだろう。
毎日毎日目新しいこともなく、見覚えのあるものを解いてはため息。
解けたら安堵の、解けなければ落胆と不安の。
悔しいことに、この苦しい日々を忘れつつある。
今一児の母だが、出産の痛みさえ1年も経たずに忘れる。
そういう風に人間できている。
だけど、大学を飛び出したあの日のことは、何故かハッキリと覚えている。
◆今、卒試国試前の人へ
6年間も(それ以上かな)本当に良く頑張ったから今そこにあなたは立っている。
ゴールより手前で息を吐かないよう、走り切ってほしい。
◆留年した人へ
ドラマのような、逆転劇は残念ながらない。
留年や休学を繰り返すループに入ると、時間的にも金銭的にも人生に響く。
それは全然悪いことじゃない。
自分の人生を、大事な時期を真剣に考えての判断なら、それは後退ではなく前進だ。
上でサクッと書いたけど、「それなりに友人ができて面倒見の良い教授に出会えた」のは、大学に行き続けたからだ。
必ず授業にはでること。
頑張れ。
自分が打つのも人のを読むのも、プライベートのメールより断然、楽しくてしかたがない。
その強固な型があってなお、滲み出る自意識。
型が強烈であればあるほど、そこからはみ出てくる個性に萌える。
あと、基本的にみんな失礼のないようにしてるはずなんだけど
それがうまくいってないほど萌える。
改行はいい。
なんかまったく改行できないお偉いさんとか
意味不明なところで改行してくるおじさんとか最高だし
「よろしくお願いいたします」を「宜しくお願い致します」って書く人は大抵いい人。
「幸いです」を「さいわいです」って書いてくる人は油断ならない。
語尾をぜんぶ「いただく」にしちゃう奴はかわいいけど凡ミスしがち。
土日はメールボックスをじっとり眺めている。
宜しくお願い致します。
これらは何か問題が起きた時に、責任を誰に課するか(課さないか)という話だ
なにか悪いことがあったとして、「なぜ自分が解決できなかったのか」と考えるタイプだ
これは何でも人のせいにする他罰よりはマシかもしれないが
何かあるたびに自分の不出来に悩むので、非常にうつ病になりやすい性格だ
私は相手に対して怒ることが嫌いだ
そもそも怒りなんて、ほとんどの場合自分の感情を爆発させているだけだと思っている
「お前のために言ってるんだぞ」なんていうのは8割方言い訳に違いない
安易に怒りを露わにする人を軽蔑するし、自分でも感情を抑え込んで、自分の責任にしていた
しかしある時気づいたのだけど
自罰というのは、言い方を変えれば「自分に対して怒っている」のだ
そして私は自罰すらやめようと思った
でも無罰的にもなりたくなかった
問題を放置するというのは、ただの逃避で、また同じ問題が起こると思ったからだ
そんなわけで、「問題には取り組むが、怒らない」というスタンスを取るようにした
そうしているうちに、このスタンスにはいくつか利点がある事に気づいた
一つはどんな状況になっても冷静に目の前の課題に取り組めることだ
目の前の階段を一歩ずつ踏みしめることができる
怒らず、過去を攻めることなく、前だけ見て問題を解決することができる
自分を卑下することもせず、ただただ目標のために自分ができることを着実にする精神が身につく
これは自然災害に対して怒らないのと同じだ
雨が降ってきてイライラする人は少ないだろう
しかし相手が人間だったり、小さい事象だと思わずイライラしてしまう
もう一つ良いことは、場の怒りが増幅されないということだ
怒りというものは伝播する
相手が怒ってるからと言って自分も怒ると、怒りは増幅されてしまう
どんな状態でも、相手に責任があっても自分に責任があっても、とにかく怒らないことで場の怒りは抑制される
ある意味「他人事」「冷たい」対応になるが、ミスが起こるようなシーンではそちらの方がいいと思う
最後に良いこととして、自分に対し寛容になれるということがある
まあ、それでもPCが動かないと未だにキレるんだけど
吐き出したくて感情のままに書きなぐったのですごく読みづらいうえにずいぶん長いです。ごめんなさい。
暇な人は読んでください。そしてこの感情の正体を教えてください。
マイホームを建てて、引越しだのなんだののバタバタのなかでケンカが絶えず、「離婚届を取りに行こう」という言葉が年末に旦那から出てきた。
建てたばかりで離婚なんかあんまりにも残念だと思ったし、ローンとかお互いの仕事の都合とかのもろもろで、離婚したとしてもたぶん家を出ていくのは旦那のほうになるんだけど、それはともかく、こちらももう実はずっと前から旦那に対する愛情とか愛着みたいなのを感じられなくなっていて、一緒にいても息苦しいばかりで、正直会話をするのも苦痛で、たぶんそれは旦那も同じで、何か月もレスだった。
何度こちらの考えや気持ちを伝えてもなかなか変わることができず、悪い意味で典型的な九州男児で男尊女卑の亭主関白、家の中ではいつも横柄な態度で何もしない、いちいち一言多い旦那に愛想が尽き、わたしから離婚を申し出たことも以前あった。話し合った結果離婚はなくなったのだけど、こんなふうに何度か別れ話まで行きつきながらも結局別れずに今まで来ている。ふたりとも優柔不断だからだと思う。どちらかが決断力のあるはっきりした性格だったらとっくに別れていると思う。
わたし自身も、横柄な父親とそれに不満を持ちつつ黙って従う母親のもとで育ったし、旦那の実家も見ているとだいたい似たようなものなので、まあ育ってきた環境がそうなら本人もそう簡単には変われないだろうし、わたし自身も結局、手本となる母親がそうだったのでなんだかんだ言っても知らないうちに旦那の横暴を誘発しているところがあるのはわかっているし、まだまだ日本も過渡期だよな特に九州は、なんて勝手に主語を大きくしたりしてもやもやした気持ちを無理やり押し込めながら生活してきた。
ただ、今回の年末の大ケンカの直後にわたしはインフルエンザにかかってしまって数日間寝込んでいて、そんなときも以前は「自分の食事は自分で用意するから気にしなくていいよ(ドヤァ)」というアレを素で言ってしまう、嫁の食事およびその他の掃除洗濯についてはまったく考えを巡らせることができないほんとにテンプレ通りの困った旦那さんだったのだが、何度か話をするうちに、少しずつ面倒を見ようとするようになってきているのは感じていた。
今回は、それに加えて掃除をしてくれた。
掃除機をかけ、風呂を洗っている音が、熱でぼんやり寝込んでいるところに聞こえてきた。
ああ、ちゃんと考えてくれているんだなあ、と思った。
何度話してもわかってくれない、変わろうとしない、と思うときも多いが、そんなこともないよな、と思った。
だいたいこれもケンカの直後だけで、数日すると、すぐにもとの横柄な人に戻っちゃうんだけどね。それでまた不満が溜まっちゃうんだけど。
でもそのたびに、やれることが増えているのを感じている。それは本当にありがたいし嬉しい。
そういうことも、ケンカしたあとの話し合いのときにはその都度全部伝えている。
わたしもだから変わりたいな、と思って、不満とか違和感を角が立たない言い方で小出しにすることを日ごろから心がけていて、それでもやっぱり期待値が上がってしまうのかイライラが募ってしまうので、まだまだ精進が足りないなとは常々思っている。期待するから腹が立つのであって過剰な期待をはなからしてはいけない。これは完全に自分の精神的な問題なので旦那がどうこうという話ではない。
あとはそもそもの話だがベースの部分の愛情がずいぶん少なくなっているから沸点も下がっているのだろうと思う。
そんなふうにベースの愛情がなくなりつつあるので、話すのが苦痛、一緒にいても息苦しい、という気持ちをなかなか切り替えることができずにいたんだけど、こないだの3連休の真ん中の日に、夢を見た。
旦那が、キャバ嬢みたいな派手な身なりの女の子を3人、連日家に連れて帰ってきて泊めてやっている。
キャバ嬢と言っても平野ノラみたいな昭和な感じの人たちなのだけど、まあとにかく女の子がうちに泊まるようになった。
寝るときだけは、彼女たちの姿がなぜか幼稚園児ぐらいの幼い女の子になる。
なんか、ひよこみたいだな、となんでかわからないけれど思った。
たくさんのひよこが一匹の大型犬にくっついたり乗っかったりしてて、大型犬も静かにそれを受け入れているという写真をネットで見たことがあるが、なんかそんな感じだった。旦那は大柄だから。
何日目かの朝、彼女たちを送りだしてからわたしは旦那に問いただした。
非常に迷惑している、一体何のつもりなのだと彼女たちに対する文句を言うと、旦那は腹を立ててわたしを蹴ってきた(一応書いておくけど現実に暴力を振るわれたことはありません)。
実家に帰るとか、他の友達のところに泊めてもらうとかできないのかと問うと
と、悲しそうに旦那は言った。
そこで目が覚めた。
わたしは親と不仲で、ここ数年連絡を取っていない。向こうからメールや電話は来るがすべて無視している(以前は着信拒否していたのだけど、そうすると母親が義母に電話をしはじめたらしく、義母から「困っている」と言われたので慌てて着拒を解除し、とりあえず義母への電話攻撃はやめさせた)。
家を建てるときも、うちの親に知られると無為に引っかき回して話をめちゃくちゃにするのは明白だったので、黙って建てた。
ただ、旦那の親にもわたしの気持ちを話したのだけどやはり親の立場としては納得がいかないということで、旦那の親はうちの親と今も連絡を取り合っている。
旦那と旦那の親に、うちの親子事情のせいでこれ以上負担をかけられないと思い、先日、夫婦でわたしの実家に行って「家を建てた」という話をしたところだった。
うちの親はいわゆる毒親気味でこういうときに隙を見せると喜々として人格攻撃を始めるので、あえて最後まで儀礼的な態度を崩さなかった。
1時間ほどで話すことを話して、きりのいいところで引き上げた。
自分に子どもができればまた変わるのかもしれないが、思春期を過ぎても両親を「気持ち悪い」と思う感情が消えてくれない。母親の卑屈な作り笑顔も気持ち悪いし、父親の理不尽な人格攻撃や横暴も心底軽蔑している。大人になった今は、親としてというより人としてそれぞれどうにも苦手で、単純に接点を持ちたくない。
その直後にこういう夢を見た。
たぶん、3人の女の子はわたしなんだろうと思った。屈託なく甘える一方で、わたしは本来そこにいるべきでない存在だと思っている。わたしは旦那に不満を持っているが、旦那もわたしと結婚して幸せになったようにはとても見えない。わたしは旦那からいろいろなものを搾取している。わたしは、本当はこの人と結婚してはいけなかった。旦那に苛立ち、息苦しさを感じるたびに、同時にそんなふうにしか思えない自分を責める気持ちと、旦那への罪悪感も増していった。
あんなにも疎ましく思っていたのに、目が覚めると涙がぼろぼろ出て、旦那のことをどうしようもなく愛おしく思う気持ちがぼんやりと湧いてきた。
横で寝ている旦那にくっつくと、旦那は少し驚いたようなそぶりを見せて、また寝た。
本当に、自分に起きたこの変化はなんなのだろう、よくわからない。
彼は煙草を吸うので、ときどき匂いに耐えられなくなることがあった。正直、近くにいたくなかった。寝言もうるさいし、夜中に目が覚めるたびにイライラしていた。
でも今は、旦那の匂いも愛おしい。すごくいい匂いだとなんか知らんけど思う。寝言も愛おしい。
ただ、それと一緒に罪悪感と自責の念もどんどん増えていく。
だから、この気持ちの変化を無邪気に旦那に伝えることができないでいる。
旦那のほうは、もう無理なのかもしれない。
それはもう、仕方がないと思っている。離婚することになるのなら、仕方がない。そう思っている。
でも自分の気持ちは、あのへんな夢を見てから突然変わった。理由はよくわからない。けれどとにかく変わった。
それだけは、まあとにかく伝えなきゃなあ、とは思っている。
どうすれば伝えられるのだろうか。そのまま話してわかってもらえる自信がないし、そもそも罪悪感がもうほんとに半端なくて、やっぱり好きだとかこれからがんばるとかそういうことを口にするのもはばかられるぐらいの罪悪感に押しつぶされそうになっている。それでうまく言えない。
そもそもこういう感情の振れ幅が大きすぎる女性というのが、自分が男だったらめんどくさすぎてもう駄目だろうと思う。
話がしたい。話さなきゃな。