「ヘイト・スピーチ」を含む日記 RSS

はてなキーワード: ヘイト・スピーチとは

2018-09-21

表現の自由ヘイトスピーチ関係

「言ったら社会的フルボッコにされるけれど禁止はしない」ってあたりを落とし所にしたらいいんだけれど、

キモオタは豚だ」と言いながら「ヘイトスピーチ規制せよ」みたいな人たちがいるから話しがややこしいんだよね。あの人達自分たちヘイト・スピーチしてるって認めたら死ぬから

2018-06-09

いわゆるヘイトスピーチ非対称性って本当にあるの?

二度目の異世界転生とか言うなろう作家ラノベアニメ化中止になった件。


日本人が「中国韓国北朝鮮ヘイト・スピーチするのは問題になってアニメ化中止になるのに、向こうは日本核爆弾発射したり抗日ドラマ放送してて問題になってない」っていうじゃないですか?

本当に問題になってないの?


向こうにも意識の高い人が居て「抗日ドラマ反日エンタメなんて恥ずかしいものはやめましょうよ」って言ってないの?


実はそういう人たちがたくさんいて苦々しく思ってるんじゃないの?



海外オタクと話をするとお互いにネトウヨ邪魔で恥ずかしいって話になるんだけど、ネトウヨSJWがすごい邪魔ってことはいつも同じなのに。

でも議論になると海外のそういう人がぜんぜん見えないので、すごい怖い。

海外の声ってそういう「抗日ドラマ反日エンタメが恥ずかしい」っていう人たちが殆ど見えない。

たくさんいると思う。


あいつらだって同じことをやってるじゃないか。どうして日本エンタメだけ向こうは攻撃するんだ?」って、海外の一部しか見えてないんじゃないの?

2017-02-26

安倍さん今、海外いって大丈夫かな?

しか来月あたりもドイツとか行くんじゃなかったっけ?

幼児第二次世界大戦前の軍国主義教育を施し、日ごろからヘイト・スピーチを行っている人物がシンゾー・アベ・メモリアルスクール設立するにあたって、国有地を破格の安値で払い下げたという話は本当か?」とか海外記者会見質問されたらやばいんじゃね?

まあアメリカ大統領オバマじゃなくなったか大丈夫

でもまあ、メルケルには軽蔑されるよね?(もうされてる?)

2016-04-03

ドラマゆとりですがなにか」のスタッフがやってしまった致命的ミス

日本テレビ2016年4月からゆとりですがなにか」という連続ドラマ放送されるという。まあ50代後半にもなる私には今イチ興味ひかれるタイトルではないが、宮藤官九朗さんの関わるドラマは好きな方なので日テレHPドラマ情報をチェックしてみた。すると、イントロダクションで非常にマズイ情報提示されていたのである

「2002年に行われた教育改正。完全週5日制、授業内容、時間数削減、絶対評価導入 ゆとり一世代と呼ばれる 1987年生まれの彼らは今年29歳。 人生の岐路を迎える」

これを読むと、あたかも授業内容や時間が2002年から減っているように読めてしまうが、実際は違うのである

実は、実際に学習量や授業数の削減は1980年から始まっているのであるhttp://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/others/detail/1318313.htm

2002年よりも20年も前であるしか文科省情報を見ると、この1980年の教育改訂は「大幅な学習量削減と思い切って授業時間を減らしたこと」が特色とされており、さらに「ゆとりと充実」というキャッチフレーズまで登場しているのだ。

なぜ、この時の教育を受けた世代を「ゆとり世代」としないのか?

いや、実は本来はこの世代が「ゆとり世代」だった。若い人は昔の記憶が無いだろうが、1980年の教育を受けた世代を「ゆとり世代」だとするのは私のようなオヤジには非常に納得感があるのだ。私は50代後半だから実感としても「ゆとり世代」という言葉が少なくとも十数年前から出ていたことを知っている。

そして、十数年前に10~20代を意味していた「ゆとり世代」が、数十年経過した現在には20~30代にならずに未だに10~20代であり「1987年生まれの彼らは今年29歳になっている」という定義に変わってしまった事も知っている。

定義が途中から変わった表向きの理由として、2002年の学習量削減の方が規模が大きかったという事がある。減った学習量が多いわけだ。

でも、私のような詰め込み世代から見れば、多かれ少なかれ学習量が減っているのだから同じようなモノである。「俺の方が学習量の減りが少ないぞ。だから俺は若い奴らより偉いんだぞ」と言うのは幼稚すぎやしないか?

こういった事を「マズイ」と内心気づいた最初ゆとり世代、つまり1980年の教育を受けた人達は、おそらくネット上などで何らかの工作をしたと思われる。

その結果、何と学習量が最初に減った時期に関する情報自体が長い間ウィキペディアなどで消され続けていたのである。復活したのはつい最近の事だ。

復活したきっかけというのは、池上彰氏の発言が大きいように思う。池上氏はちゃんと文部科学省から情報を得ていたため、ゆとり世代が実は40代も含まれることを知っていたので、それを発言してしまったのである

また、長い間学習量が最初に減った世代に関する情報が隠され続けていた別の要因として「若者バカにする系」を好んで視聴したり支持したりする特定層の人間存在がある。これはヘイト・スピーチ対象をそのまま若者に移したような若者嫌いもいれば「おバカブーム」の支持者のような若者きもいる。どちらも共通しているのは「若者の中でもバカな奴をピックアップして注目する事で優越感に浸れる中高年の娯楽」を重視している事である

マスコミ若者バカにする事を目的とする記事を書いたり、番組制作する事で、一定視聴率なり支持が得られたのだとすれば、そういう社会心理が透けて見える。

人間には嫉妬という感情があり、老いていく自分を日々感じるなかで、身近の若い人が、自分よりも肉体的に優れていたり、容姿キレイだったりすると、無意識にそういった感情が誘発されてしまう。しかも、若い人の多くは自分よりも社会的地位が低い場合が多いため「俺の方がエラいはずなのに、なんでアイツが・・」という気になる。その結果「若者バカにする系」信者となる。

集団というのは、時にそういった感情を生み出すので注意が必要である。そうしないと今回のように事実隠蔽され、多くの人に間違った認識を広めてしまう結果となってしまう。この恐ろしさに気づいている人が、まだ少ないように思う。

まさかこのバカにされる対象自分に関する事に変わったりしないとでも思っているのだろうか。

2015-12-05

誰でもメディアが残したもの

 人権擁護法案

 この法案を覚えている人、いらっしゃるだろうか? 10年程前、日本人権委員設立し、ヘイトスピーチを取り締まろうとした法案だ。

 この法案が出た当時、表現の自由観点からさまざまな批判が行われた。選抜基準不透明であり、実質的言論弾圧になりうる。そうした批判が主だったように思える。

 当然……と、言うか、なんというか、2ちゃんねるでも、当時山ほどあった個人サイトでも人権擁護法案に反対する運動が起こった。

 人権擁護法案反対の同盟(あぁ、「同盟」って単語も懐かしい)も作られた。

 そして、その反対運動は、最近言葉で言えば「カジュアル差別」とともに行われた。

 「実質的言論弾圧になりうる」という、その一点をきりとれば、至極尤もな主張は「在日利権を持っているマイノリティけが得をして、普通の日本人は損をすることになる。それどころか、実質的に、やつらに日本言論支配されることになる」という、明らかに間違った被害者意識、と言うか差別的な主張とセットで行われた。

 当時、世界各地で、人権委員設立が行われていた。具体的な事例は、当時は法務省HP掲載されていた。現在ならば、師岡康子「ヘイト・スピーチとは何か」(岩波新書)やエリックブライシュ「ヘイトスピーチ 表現の自由はどこまで認められるか」(明石書店)などで、当時の流れをつかむことができる。

 だが、そうした観点から、実際の外国人での人権委員活動議論を調べ、紹介するような者はいなかった。

 結局、振り返ってみれば、当時の人権擁護法案反対運動とは、「『他人自由尊厳侵害しない限りは』何を言ってもかまわない」と言う本来表現の自由ではなく「カジュアル差別をしたい」と言う欲望を守るための言論だったのだろう。

 

 別段、驚くべきことでは無い。

 当時のネットでは、すでにカジュアル差別があふれていた。

 YAHOOホロコーストについて検索すると、悪名高き世界史コンテンツが真っ先に出てきた。

 中国人王朝の変わり目に数千万、あるいは億単位人口が増減し、現在漢民族漢民族でもなんでもない得体の知れない雑種と言う、どこから突っ込めば良いのかわからない発言をすることが、「中国史通」の条件だった。

 当然、教科書に書かれている、日中戦争ならびに太平洋戦争当時の日本軍問題行為はすべて中国朝鮮でっちあげと主張する連中が、面白い人、そして、「一方の情報鵜呑みにしない人」の条件だった。

 保障された権利行使する連中を冷笑し、「プロ市民」とあざけり、スイス民間防衛引用しながら中国スパイ呼ばわりすることが、「良識的で政治に関心がある人」の条件だった。人権保障などあきらめ、あるいは現状で満足し、お国迷惑にならないことを第一に考え、軍事増強を唱える。それこそが、「知的」な人間と呼ばれるための条件だった。

 現在、そうした妄言を垂れ流していた個人HPほとんどは消滅している。

 だが、うっかり信じてしまった連中は残った。おそらく、掲示板書き込みをしていたヘビーユーザー氷山の一角で、その何倍ものROM専人間が、上記、カジュアル差別で塗れたデマを信じ、「新しい知見」と考えたであろう事は想像に難くない。

 やっかいな事に、そうした連中のほとんどは、当時自分が疑問に思った事について、情報更新を行っていない。ヘイトスピーチ、そして、その規制法案について語るとき、上であげた該当問題入門書を読むこともせずに、人権擁護法案反対のコピペを唱え続けている連中のなんと多いことか。

 挙句、何の根拠も無く「日本外国と違う。日本においてヘイトスピーチと呼ばれているものは、虐げられた日本人正義の怒りであり、理由の無い差別ではない」などと恥ずかしげも無く言ってみせる。言っていることとやっている事はネオナチほとんど変わらないのだが、彼らに言わせれば違うらしい。

 ホロコースト否定論は相変わらず上位に出てくるし、トンデモ中国史倉山満によって、よりおぞましい物に進化を果たした。

 そして現在twittertogetterには、それらトンデモを真に受けた馬鹿共が今日も元気に、それも大量に発言投稿し続けている。

 だが、忘れてはならない。

 彼らを作り上げたのは、10年前のわれわれだ。中公文庫講談社学術文庫中国の歴史を読むこともせず、

 あるいは、出版されている本を読み、自分攻撃する相手が具体的にどんな主張をしているのか調べることもせず、

 そのくせ、井沢元彦逆説の日本史」や小林よしのり戦争論」を読み、新たな知見に目覚めたとか大それた事を考え、検証の手間を惜しんで、自分HPで全世界に発信してきた私たちだ。

 入門書一冊読まないくせに、そのくせ上記の本を読んだだけで満足し、自分は知識欲旺盛な人間だとのぼせ上がり、そのうぬぼれをwebで全世界に公開した、厚顔無恥私たちだ。

 私たち馬鹿を信じた結果、今の、肥溜めのようなweb界隈がある。それを作ったのは、間違いなく、私たちだ。

 かつて、ネットは誰でもメディアと呼ばれた。その文句のとおり、私たちは多くの情報を発信した。

 だが、振り返ってみて、10年前の私たちは、後世に胸を張れるような情報を発信してきただろうか。

 そして、「古きよき時代」と、あの時代のことを胸を張って言えるだろうか。

 某SNS掲示板やまとめを見ながら、そう言う事を考えずにはいられない。

2009-10-08

http://anond.hatelabo.jp/20091008184929

北守は文章おかしいよね。日本語が喋れない。

北守「もし、自由主義民主主義(自由民主主義)の理念が、必然的に、ヘイト・スピーチ規制をうながすはずであるのであれば、そもそも自由民主主義を標榜する国が多いヨーロッパにおいてヘイト・スピーチ規制が可能であるはずがない。」

それはギャグでやってるのかとつっこみたいw

2009-06-11

http://anond.hatelabo.jp/20090611224550

悪を表現することが偉大でありうるのは、「悪を表現しているから」ではない。戦争の悲惨を表現した作品が名作でありうるとして、その理由が「戦争の悲惨を表現しているから」ではないのと同じように。悪を表現することを通じて、何をしようとしているのか、その表現の意義は何か、ということが、常に問われる。そして、名作・傑作とは、その意義の実現に大きく成功している作品に対して言われる。意義を作者が示す必要はない。しかし、その意義を読み解くことが「誰もできない」ような表現には、表現としての価値はないし、表現としての役割を果たしてもいない。逆に言えば、一人でもちゃんと読み解けるんであれば、そこに価値を見ることは可能だ。

陵辱ゲームはいかに「読み解かれて」いるのか。以上述べたような肯定的な読み解きはまったくない。それは陵辱をたのしむことを目的とした表現であり、つまり、それが肯定されることは前提されている。繰り返すが、「前提されている」だ。それは人間の中にある悪を悪として「問うている」のではなく、それを前提して「たのしんでいる」のだ。そのような「読み解き」を前提するならば、それは純然たるヘイト・スピーチ以外の何物でもない。そんな表現に意義などないし、規制論を押しとどめるものはもはやない、ということになる。これに抵抗したいならば、別の「読み解き」を示す必要がある。ところが、示されない。言い換えれば、陵辱ゲーム擁護論は「表現の自由市場」に参加していない。

これを引用するだけで、「ドン・ジョヴァンニ」を抹殺する必要などないことが分かるのだが。

一本取ったつもりかね?

 
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