はてなキーワード: 観劇とは
確か高校の時の友人に誘われて地元の県大会に行った時に上演されていた演劇だと思う。忘れられないと言っても大まかな流れだけなので、以降の台詞は全て意訳である事をご了承願いたい。
登場人物は確かクール系の女の子(以下A)とワンコ系で尽くす感じの女の子(以下B)の二人がメインで、他にも数人の生徒役がいた気がする。そのうち一人は男。
Aは映画かドラマを撮影していてBはその映画の女優として抜擢されていたようだ。Aの撮る作品のためなら何だってすると笑うBと軽く受け流すA。
Aが今撮っている作品はいじめを題材としたもので、話が進むにつれそれはBが実際にクラスメイトから受けていた物を書き起こしたものだと判明する。
Bはいじめられていたあの頃の辛い記憶もAが作品として残してくれる事で素晴らしい思い出に昇華されるはずだと思うと同時に、いじめを受けていない自分はAにとって価値のない存在なのではないかと悩み始める。
Bが当時自分が切った傷の残る左腕を掲げて「Aさんにとっての私の価値ってこれだもんね」と笑うシーンがあり、背筋が冷たくなった。
クライマックスでは自分で用意したナイフで無理やり腕を切ろうとするB、それを止めるためにAはナイフを奪い自らの腕に刺す。Aは自分の傷口を見せながら「貴方の辛かった記憶は此処に残るから、もうやめよう」と泣きつき、二人で抱き合って泣いていた。Bは勿論、今まで大人びた姿を見せていたAの涙がとても鮮明に脳裏にこびりついている。
最後のシーンは楽しそうに撮影をする二人を廊下側から眺めているような構図でそのまま余韻を残す形で幕を下ろした。
あとは確かピアノを弾くシーンがあったと思う。クラシックには疎いので曲名までは正直わからないが、観劇中に既視感を覚えたので恐らく有名な曲目だったんだろう。最初はゆったりしたメロディで途中から激しい曲調に変わる曲だった。情報が少なくてすまない…
他に覚えているシーンは、
・カメラの三脚をスナイパーライフルの如く構えて人を撃つ真似をするB
・高価なカメラを知り合いの大人から借りており、その人の事を尊敬しているA
・Bのロッカーにナイフがある事を知り怯える生徒(Bを昔いじめていた?)
・Bがたくさんお菓子を出してきてそれを二人で食べる
これくらいだろうか
題名も覚えない身で言うのも烏滸がましいが、あれはとても素晴らしかった。ろくに演劇を見てこなかった自分にも真正面から突き刺さって、今でも時々思い出しては感慨深くなる。
出来ることならもう一度見てみたい。
※ ネタバレはしていないつもりです。
※ BL要素はありません。
知り合いの女性(刀ミュオタク)から、「チケットが余ったのでよければ一度観に来ないか」と誘われた。秋ごろのことだった。
彼女(以下、Aとしよう)はひとつの公演でそりゃもう何会場も回る筋金入りで、推し俳優のリリースイベントやバースデーイベントなどにも足繁く通うほどの生粋のオタクだ(ほめてる)。都市圏ならば全国どこでも行くような人物であるが、もちろんこういうジャンルは得てしてチケットの争奪戦が厳しい。というわけで仲間たちと複数人で申し込んで当たった誰かのチケットに便乗して……というのが通例になっているのだが、なんでも我々の地元・愛知会場も同じように複数人で申し込んでいたところうまいこと全員当たってしまい、誘うアテがなかなか見つからなかったため試しに私に声をかけてくれたのだそうだ。(ちなみにA名義で4席あったため、共通の女友達B、Cにも声をかけていた。)
最初は断ろうと思った。まあほぼ間違いなく浮くだろうし、「本当に観たい人がいるはずなのに自分なんかが行ってもいいのか?マナー的に。あとでツイッターで怖い女性ファンたちに匿名で叩かれ、磔刑にかけられるんじゃなかろうか」などということを思ったからなのだが、実際少なからず興味はあったのと、まあお金は出すんだし着席する権利はあるだろうと自分に言い聞かせ、誘いに乗ることにした。
私はもともと、女性向けコンテンツに興味がないわけではなかった。そもそも男性声優のラジオ(DGSとか)を聴く程度にはオタクであったし、アニメはほとんど見ないものの、ハマってしまったFree!!のブルーレイは2期+劇場版までそろっているし(ちなみに推しは宗介)、最近はヒプノシスマイクの曲を聴いており、キャラごとのドラマパートまで聞くようになってしまったし。それに、件の刀剣乱舞もサービス開始から1年程度はプレイしていたこともある。比較的少年系の刀が好きだったので、蛍丸や獅子王を最後までメインの編成に入れていた。
しかし、2次元キャラでもなければ声優でもない、いわばゲーム原作が立ち上がった段階では関係のなかった、俳優たちによるゲーム原作のミュージカルに、果たして惹きつけられるような魅力はあるのか。一応演技のプロではあるが、歌のプロでもなく、ダンスのプロでもない。原作への愛はあるのかとか、クオリティはどうなのかとか、気になる部分はいくつもあったし、今思えば少し懐疑的に見ていたような気もする。その答え合わせのために行ったような側面もあったと思う。
今回の会場はセントレアすぐ横のスカイエキスポという場所。初めて行く所だったので、少し早めに名古屋駅から中部国際空港駅への電車に乗ったのだが、まずここで驚いた。乗客の9割が女性。「え?これは”やった”(女性専用車両に誤って乗ってしまうの意)か?」と思った。必死で背伸びし、血眼になって男性を探したところ、扉のすぐ前にスーツケースを持った初老の紳士を発見した。心から安堵した。私には彼が救世主(メシア)に見えた。違和感に気づいてから紳士を見つけるまで時間にしてわずか3秒ほどのことであったが、私にとってはひとつなぎの大秘宝をめぐる壮大な冒険の時間であった。ワンピースの正体が初老の紳士だったらウケるだろうな。
多くの女性たちはよく見るとなんかカバンとか髪とかに似たようなヒモみたいなやつをつけており、ああ、彼女たちが今日の公演の来場者か、とそれで察しがついた。
私は音楽が好きでライブやフェスにもよく行くのだが、そういったイベントに向かう来場者が一様に身に纏う”モード”みたいなものが好きだ。同じようなアイテムを身に着けた人々が、同じような期待感をもって同じ会場へ向かう。まったくの他人のはずなのに、全員で遠足に来ているような感覚に陥る。私は所有していた唯一の刀剣乱舞関連グッズ、蛍丸のラバーストラップをカバンにつけながら、そんなことを思った。
到着したのは開演の1時間ほど前だった。先に現地に来ていたAと合流し、遅れてくるB・Cを待ちながら辺りを見渡してみた。女性ばかりだ。チラホラ見かける男性も、その多くは隣で開催されているFGOの展示会に訪れたような風采で、見たことあるキャラの見たことないグッズを手に奥の施設へと歩いて行った。事前には聞いていたが、男子トイレはがらんどうで、広々としたスペースの中に3人いただけであった。普通にめちゃくちゃ刀剣男子の缶バッジつけてる方とかもいて驚いた。
B・Cとも合流し、我々は人波に流されるまま会場内へ吸い込まれた。会場内は予想していたより二回り以上大きくて、コンテンツの覇権っぷりを身に染みて感じた。
席は通路側から4席分だった。私のにわか知識でも通路側は人気だと知っていたため、さすがに通路に接する席はAに座ってもらい、私はその隣に座った。Aはなんとも用意周到で、私の分のペンライトやうちわまで用意してくれていた。刀ミュの専用ペンライトは優れもので、推しの色を先に登録しておけるらしい。私は操作の指南を受けながら、スタンダードな青色を初期配置として記憶させた。
またも話がさかのぼるが、私は以前からAに(オタク気質を見抜かれて)刀ミュ関連の画像や動画の視聴を勧められていた。男性が男性を推すというのは恐らくややイレギュラーなことなのだろうが、その中で私は2人の”推し”を見つけた。
1人は鳥越裕貴氏。役は大和守安定だ。刀剣男子自体の役どころとしては真面目で実直ながら、どことなく女性的で可愛らしいキャラクターだ。しかし、私はむしろ、役に入っていない状態の鳥越氏に非常に魅力を感じた。というのも彼は、ツッコミが上手い。
これは私の持論なのだが、いわゆるコント的な場の空気になったとき、「なんとなくボケる」ことは誰にでもできると思っている。もちろんその巧拙については個人差があるが、ボケは簡単なのだ(だからこそ才能の発揮される部分でもあるのだが……)。対してツッコミは、才能だけでは解決できない。その場の状況を整理し、その場に応じた言葉を、できるだけ早く用意する能力は、長年のトレーニングによってのみ形成される。そうして身につけた能力を、玉石混交のボケに対応して発揮してあげるのだ。その点で、ツッコミはサービスだ。だから、適切な、上手いツッコミができる人というのはボケの人数に対してかなり少ない。そして、鳥越氏のツッコミ能力は(少なくとも私が視聴したいくつかの動画でのトークで判断するならば)刀ミュ俳優の中では群を抜いている。おそらくこれは、彼が多様な人物と積極的にコミュニケーションを取り、相手を尊重しながら話すことを心掛けてきたからなのではないか。そんな背景が透けて見えたりするところに人間味と魅力を感じた。(あと筋トレの動画がシンプルに参考になった。)
もう1人の推しは、大平俊也氏。役は今剣。これは役のイメージと本人のイメージがぴったり合致する。中性的・少年的で、あどけなさが残るところが氏の魅力だと思う。普通に顔が可愛い。初めて写真を見たときは、そういう印象だった。
ただ実は、彼に関しては開演前、これ以上の印象がとくになかった。動画などを見ていても、ただ容姿や仕草が可愛らしい真面目な人という感じで、もう一歩魅力を感じる部分に欠けていた。強いて言うなら彼にはただ天真爛漫なだけではない、いわゆる「闇(この言葉が深い意味で使われることってほとんどないのであまり使いたくはないのだが)」を感じたような気がして、そこを興味深く考えたからなのかもしれない。(あとこれは完っっっ全に言いがかりなのだが、邦楽ロック界隈では見た目が中性的なバンドマンほど性欲が強くてファンと寝まくっているという根も葉もない(たぶん葉くらいはある)噂がまことしやかに囁かれており、同じく大平氏も男性的な部分を見せたりするんだろうかという謎の興味もあったのかもしれない。)
そういうわけで、私はひとまず、2人のうちとくに人間として魅力的だなあと思った鳥越氏(安定)を推しとして設定し、ペンライトの色を決めたというわけだ。
私の席から見渡した辺りはほんとうに女性ばかりで、電車内の女性が9割だったとしたらここはもう99割が女性だった。男性の存在についてAに訊いたところ、「まあほとんどが彼女に連れてこられてるだけの人だね」と言っていた。リア充爆発しろという一言でも言いたいところであったが、ここで爆発されたらイベントに影響あるし片付けとか面倒だろうな、と考えて口をつぐんだ。
照明が落ち、舞台が始まる。観劇自体がずいぶんと久しぶりだったので、なんだかいやに緊張した。隣に座るAは早速双眼鏡を取り出し、推しの額に光る汗を堪能しているようだった。(Aは同公演に何度も通っているため構成や内容を覚えてしまっており、推しが出てくる数秒前から出てくる位置にすでに双眼鏡を向けていたためさすがにすごすぎて笑ってしまった)
ドラマパートでは刀剣男子たちが次々に現れ、おのおののキャラクターらしい台詞で我々を楽しませてくれる。思っていたよりも総じて演技のレベルが高く、ちょくちょく挟まれる小ボケも普通に笑える。
そうこうするうち私が注目する安定が現れ、男子たちの会話の輪の中に飛び込んでいった。しかし、私はここで少し違和感を覚える。筋トレの動画を何度も見ていたせいか、あどけない口調の安定と兄貴肌の鳥越氏のイメージが重ならない。まあまあこれはこれでいいか、役なんだから、と納得させながら私は舞台のほうに居直った。
逆に、今剣は役と人物が寸分違わず重なった。大平氏の声・仕草は、本家のゲームで出てきた今剣のイメージとほとんど同じだった。鳥越氏の力不足とかそういうことでは断じてなく、これは純粋に大平氏の持つ魅力と、またそれを見越してあてがわれたキャスティングの妙だと思う。それほどまでに今剣の立ち回りは見事だった。
しばらくすると、おもむろに周囲の女性たちが起立し始めた。なんだなんだ、校歌でも斉唱するんかと思いながら付和雷同、私もペンライトを持って起立した。どうやらここからしばらくはライブパートらしい。ミュージカルと言いながらけっこう現代的な曲(EDMとかそっち寄り)なんだなあなどと思っていると、演者たちがステージで踊りだし、さらには客席中央のステージでもダンスが始まった。
先に言っておくが、歌もダンスも全員上手い。だがその中でも、大平氏のダンスは別格に感じた。なにって、踊っているのがはっきりと”今剣”なのだ。彼は背も高くない、体つきも華奢で、いわゆるダンサーとしての資質は他の刀剣男子に劣っているといえる。しかし、手足のフリが誰よりも大きい。大きいだけでなく、キレもある。そしてその懸命さが、彼のマイナスの資質をいっきにプラスへと逆転させていた。ステージ上で彼の弱点は、はっきりと長所だった。「おそらく今剣が踊ったらこんな風なんだろうな」という彼なりの答えが、あのダンスには込められていた。
踊る彼を見て、この人は無敵だ、と思った。
ダンスに魅入っているのも束の間、舞台はまたすぐにドラマパートに戻り、ライブパートと交互に展開しながら進んでいく。そしてついに山場、俳優たちが客席まで降りてくるフェーズが訪れた。通る刀剣男子から直接手を振ってもらえたり、ウィンクされたりすることを、ファンサービス(ファンサ)というらしい。私は自分の推しが通ったらなんとなくうれしいな、という程度で呑気に構えていた。(隣のAは推しの様子を見ながら奮起していた)
通りがかる刀剣男子たちをぼーっと見ていたときのこと、後ろ側からやってきた和泉守兼定が、私に向かって指をさし、はっきりと目線をくれた。一瞬、自分に向けられたものかどうかわからなかった。よくわからないが笑顔で応えたことだけは覚えている。こんなことを言うとタイトルの通り誤解されそうではあるのだが、私の知る限りあのときの感情に最も近いものは、恋だ。
理由は説明できない。できないのだが、「イケメンが選んでくれた」という感情は、きっと男であってもうれしいのだと思う。それほどまでに私が受けたファンサは衝撃的だった。そして、推しでもない人でこれなのだから、これを自分の推しから直接もらえるなどということがあれば、それはどれほどのクソデカ感情になるのか。想像すると、むしろ恐ろしくなるほどだった。
終演までのライブパート、私は自然と目で今剣を追っていた。彼の、あの衣装でのダンスをもっと見たい。いつまでも見たい。だんだんとそう思うようになっていた。
終演後、私はAに感想を伝えた。予想していたよりずっと面白かったと述べると、Aはしたり顔であった。彼女は物販に行くと(地元なのでここでお金を落としたいという敬虔なオタク然としたことを言っていた)私に伝え、人波に消えていった。
帰りの電車は行きよりも空いていた。今思えば、夜公演まで見ていく人たちがけっこうな数いるのかもしれない。私は大平俊也氏のツイッターアカウントを捜し、迷わずフォローした。
Fear, and Loathing in Las VegasというバンドのMinamiというメンバーがいる。彼はステージ上で、まさに狂人だ。髪を振り乱しながら叫び、かと思ったらわけわからんパラパラみたいなダンスを踊り、でも楽器はちゃんと弾く。そして、嘘くささが一切ない。
Soil&”PIMP”Sessionsというバンドの社長というメンバーがいる。紅白のとき、椎名林檎の後ろでヒマそうにしていたあの人だ。彼はジャズバンドの中にいながら、楽器を(ほとんど)弾かない。彼の担当は”アジテーター(煽動者)”。悪趣味なマフィアみたいな恰好で、ステージ上をふらつきながら、メンバーの演奏をのぞき込んだり、客席をメガホンで煽ったりする。ほんとうにこの役割を必要だと思っているのか。どこまでが演技で、どこまでが素なのか。まったく読めてこない。
私は彼らを見るたび、自分に成しえないことをしていると尊敬する。
私は、エンターテイナーが好きだ。それは、役を”憑依”できる人のことだ。舞台の上で演じる人たちは、素の自分のままではもちろんいられない。しかし、役を演じすぎると、それはそれで嘘くささが付きまとう。だから、役を演じていながら、まるでそれが役だと感じさせない立ち振る舞い。そういう”憑依”を楽しみに、私はミュージシャンのライブへ足を運んでいる。
大平俊也氏は、まさにこのエンターテイナーだと感じた。彼は舞台の上で、間違いなく今剣だった。仕草や声の可愛らしさと、ダンスの躍動感。(あと顔の良さとかもろもろ。)それらをひっくるめて、私はしてやられた。
鳥越氏はもちろん好きだ。しかし、実際に見た舞台では(少なくとも刀剣乱舞という題材では)、大平氏のエンターテイナー性のが私にとっては魅力的だった。それだけのことだ。間違いなく今後も、鳥越氏の動画は見続けると思う。
私は自宅に帰り、もらったペンライトを取り出した。推しの色をピンクに設定し、棚にしっかりとしまった。次は、ピンク色のヒモみたいなやつも手に入れたいところだ。
旦那以外は誰も知らない。かろうじて旦那の同期と少し面識があるくらい。
ここには徒歩で行けるデパートもショッピングモールもないし、好きだったチェーン店のカフェも気分転換によく行っていたスーパー銭湯もない。大きな本屋さんやロフトや無印もない。
関西の大都市までは3〜4時間かかるし、電車やバスに乗るのは苦ではないが往復3000円以上はかかるしなんだか旦那に申し訳ない。
毎日ネットサーフィンをして、それぞれ楽しそうに仕事をして友達と遊ぶ友人達の近況を垣間見て虚しい気持ちになる。
つい数ヶ月前まで私も同じように仕事をして自分の給料で好きなものを買い好きなものを食べていたのに。飛行機に乗って彼氏に会いに行くのがとてつもなく楽しかったのに。
仕事をしようにも、再来年にはここを出てどこかへ行くし今年は数ヶ月単位で職場の変わる旦那についてきて欲しいと言われては正社員にもパートにもなれない。ここでは車がないと職場へ通うのも難しい。言い訳がましいな。
旦那に不満はない。休日はどこかへ出かけようとしてくれるし、観劇にも付き合ってくれ旅行にも行く。ちょっと寂しいのは帰ってきたらすぐ寝てしまうことくらいか。
大学時代はいつもつるむ友達はいなかったし、連絡を取る人はいない。Instagramでフォローしている人が数人。新卒で入った職場の同期は半年で全員辞めた。高校時代の友達はなんだか連絡しづらくなってしまった。私以外にももっと気の合う人がいるのだろうしオタクでなくなった今なにを話せばいいのか…。
好きな芸能人やミュージカルやファッションやコスメや美容の話をしたい。もしもこのまま子供ができたらそんな話は一生できないのだろうか。まだママにはなりたくないしもう少し私個人でいたい。そもそもママ友なんてできなさそうだし、そうなったら子どもによくないだろうけど。
あと少し我慢すればいいのは分かっているし贅沢な悩みなのだろうけれどしんどい。
札幌に飽き飽きしていたけれどここはもっとつまらない。つまらなくなるような努力をできない自分もつまらないし嫌い。結婚したって引っ越したってなにもなかった人間は結局なにもないまま。
一人でどこかに出かけたい。
読み返したら住んでるところもわかりそうなもんだけど別にいいや。
2.5のイケメン俳優等にハマってる人達が楽しそうで憧れてたんだけど、自分もやっと面白いと思える舞台作品に出合い、いわゆるイケメン俳優で「推そう」と思う人ができた。それが2年前のことだった。
それからはその俳優が出る作品を中心に、2.5やそうでない舞台を観に度々劇場へ足を運んだ。
推しはキラキラした外見とスタイルの良さが売りで、どんな舞台に出ても「彼はこのイケメンだらけのお話の世界観の中でも格別なイケメンのキャラなのである」と思わせる華があった。しかしそれ以上にアクションが上手で、いつかまた板の上で大暴れしてほしいなと思っていた。
そんな彼を追いかけているうちに直面したのは、彼の演技力の低さだった。最初は気にならなかったのだが、観劇の回数を重ねるうちに彼の演技はいわゆる「棒」であり、時には主演にもかかわらず共演の元アイドル女優にすら食われている状況だった。これまでは同じくらいのレベルのイケメン俳優とばかり共演していたので気にならなかったのだが、長年活躍しているバイプレイヤーたちとの共演では、彼の台詞回しは抑揚の無さが目立っていた。
私は元々映画が好きだったので、彼がいつか映画に出るまでは応援したいという目標があった。もし舞台を観に行かなくなっても、年間3000円ちょっとくらいのファンクラブ会費はしばらく払い続けてもいいかと思っていた。
今年の年明けにファンクラブから年賀メールが届いた。それは夢小説のように自分の名前が本文に何度か出てくるもので、最終的にメル画で見たような甘ったるい台詞を推しが喋っている体の文章で締められていた。
そのことをネタにしようと思ってスクショを取ったが、私に推しができて楽しそうにしているのを見守ってくれた友人各位にそんなものを見せたくないなと思った。
それから少し迷ったのだけれど、まだ更新期間までだいぶ時間のあるファンクラブを、昨日やっと退会した。
自分の中で「ガチ恋営業のように女性に夢を売る商売をやってのける俳優は、たぶんファンに対して誠実ではない」というイメージがあり、推しがその片鱗を見せたことが残念で仕方なかった。
これまで彼からはそういう匂いがしなかったので安心していたのだが(交流イベント等は定期的にあったが、自分は作品を通した彼が見たいためそれには一度も参加しなかったので雰囲気は不明)、正月のメルマガを見て「この人も事務所も、俳優としての限界を感じたからこういう方向に舵を切ったのでは」という疑いを持ってしまったのだ。
きっと彼はこれから俳優として成長するのは難しい。いつか有名監督の映画に出演してそのアクション能力を充分に発揮してくれることを願っていたが、その願いに投資しても望みは叶わないだろう。
彼は私があらかじめ覚悟していたようなスキャンダルも炎上もなかった。その辺は本当にきちんとしていて有難かった。それでも、生きている人間を応援し続ける事はとても難しいのだ。それがわかっただけで充分だった。
彼のお陰でいろんな俳優(男女含む)、演出家、脚本家や小劇団を知ることができた。俳優を軸に作品と出会うことは今までにない体験だったし、生で見る舞台の面白さも理解できた気がする。
また、残念ながら元推しから感じることはできなかったが、自分にとって「刺さる演技」が何なのか非常に明確に理解できるようになったような気がする。これは今後いろんな実写作品を見る上で役に立つ観点であろう。
何かに熱狂的にハマっている人は楽しそうだ。だが自分はその真似事しかできなかった。だって相手は生きてる人間なのだから。他人に自分の勝手な理想や希望を託し、期待することでエネルギーを得る生き方は、私には無理だった。「ガチ恋営業的な方向に行くのでは」と懸念している自分が気持ち悪かった。
彼の演技が成長してないとか勝手に難癖をつけてしまったけれど、俳優自身のほうが数百倍もっといろいろなことで悩み、苦労しているだろう。頑張っている「人間」そのものを批評することは、作品を批評することと全く違うように思え、私には心苦しかった。世間的にはアイドル俳優(偶像)であっても、私にとっては尊重すべき他人の一人だったから。
彼が仕事でどんなキャリアを積みたいのか、そんな事は私にはわからない。だからこそ自分の「俳優として頭角を現してほしい」という望みを託してしまうのは間違いだったのだと思う。
いろいろ書いたけれど、彼を追いかけていた2年間で得たものは、チケット代よりもはるかに多かったと思う。彼が知名度のある脚本家の作品や、ビッグタイトルに抜擢されるたびにテンションが上がった。追っかけ界隈の文化を色々学べた。現場で出くわす同担たちの会話を隣の席でこっそり聞くのも楽しかったし、ファンたちが心を込めて送ったであろうフラワースタンドの凝った意匠などにも都度感心したものだった。
ファンクラブを退会したことで非常に心が軽くなったことは確かだ。それでも、彼やスタッフたちには感謝の気持ちしかない。追っかけ活動はまさに生涯学習であり、適度に楽しめた私は幸せ者だったと思う。
フランスと近隣国を周る団体のツアー旅行に参加した。これはある日のスケジュールに組み込まれたオペラ観劇での出来事。
自分たちが劇場に入って着席した時、ステージ上では緞帳が上げられたままで演目のリハーサルが行われていた。
自分は「開場して客も入っているのにステージでリハをやるのかよ」と思ったが、毎日観光客を相手に何公演もこなす劇場ならではのある種の効率性を感じつつ、リハーサルの様子を眺めていた。
自分たち日本人ツアー客は中段あたりに2列横並びでまとまって座った。客層は多様で、自分の左席にはユダヤ系と思われる立派な髭をたくわえた紳士、後ろはいかにもフランスらしい高い鼻に小さな眼鏡をちょこんと乗せた可愛らしいおばあさんが座っていた。
ふと右後ろ側から、同じ日本人ツアー客の70歳くらいのオッサンがリハーサルの歌声に合わせて小さく唄うのが聴こえてきた。
リハの演目を知っていて口ずさむならまだ良いのだが、オッサンのメロディーが日本の民謡なのだ。明らかにオペラと調和していない。
気になるのでちらちらと振り返って様子を確認すると、後ろの眼鏡おばあさんが楽しそうにオッサンを見ている。というか民謡の調子に首を頷かせて聴いている。
オッサンも乗ってきたらしく声が一段と大きくなった。酔ってるのか?オッサンの横には奥様と思われる日本人女性が座っている。何故止めないのだろうと思って奥様に視線を移すと「また始まった」と言わんばかりに目をつぶって顔をしかめている。ああなるほど、オッサンがいつもこの調子でウンザリしているんだろう。
そのうちに眼鏡おばあさん、オッサンに「立ち上がって、披露して」という感じにジェスチャーで促す。オッサンも応じて立ち上がってしまう。
自分はいよいよ見かねてオッサンを制そうと思い立ち上がろうとした瞬間、左席の髭の紳士の手がふわりと自分の肩に触れた。
髭紳士は自分に向かって素早く眉を上げてみせ、オッサンに視線を送った。自分は彼が意図するところを察した。「せっかく立ち上がったんだ、まだ開演前だし歌わせてあげようではないか」
ステージからもこちらの状況が見えていたのだろう。ふいにリハーサルの声が止んだ。
オッサンもすぐに状況が飲み込めたらしく、ひと呼吸おいてから朗々と唄い始めた。この瞬間だけステージは客席のオッサンに移った。
両足を踏みしめ、手を打ってリズムを取りながら唄う。やや拙いが元々経験のある感じ、NHKのど自慢ならまずまず合格しそうな調子。
オッサンは2番まで唄ったのち、大きな声で「ありがとうございました!」と言った。柔らかな拍手が起こり、オッサンは着席し、リハーサルが再開した。
左席の髭紳士が示した小さな寛容の態度が同心円状に広がり、誰も傷付くことなく着地できた。自分が見渡す限り皆笑顔だった。
いま考えると眉をひそめた人もいたのだろうが、そんな事は飯を食えば忘れる程度の出来事である。オッサン夫婦にとってはたぶんこの先忘れることのない、恥ずかしくも楽しい旅の思い出として胸に刻まれたことだろう。
自分はすべてが嬉しかった。その場に居合わせた人の寛容な態度、些細な好奇心、機転、他者への興味、ポジティブな感情のあり方が重なったことが。
この温かな感覚をいつまでも記憶に留めておきたいと思い増田に記す。
という夢を見た。
と、言うのも苦学生だったので、生活費の工面のためにバイトをかけもちしており、疲れから寝坊ばかりしていたのだ。
資格取得などが成績に影響するものは、ぎりぎり、なんとか満たしていた。
最後のほうは一日でも休んだら単位を落とす授業がたくさんある状態。
その中の一つに、演技の授業があった。
元々私はこの演技の先生が少し苦手で、前期からさぼりガチではあったのだ。
先生に「とにかく来い。来てれば寝てても不真面目でも単位をやれる」と言われたぐらいだった。
それぐらい私はこの授業をサボる生徒で、おそらく不真面目な生徒だっただろう。
行けば単位をくれるというけれど、行くなら授業は受けなければならない。
前期でさぼりまくった私は、後期ではほとんどさぼることが許されず、しぶしぶ、いやいや、という形で演技の授業を受けていた。
さとうきび畑の唄の、ちょっとしたシーンをするのが最後のテストだった。
私はこの映画を観たことがないので、映画と同じ台本だったのかどうかは解らないけれど、私たち生徒がやる役は、女性教師の役だった。
あるのは教卓一つ。そこに立って、クラスメイトが順番に同じ役をやっていく。
教卓の正面に、演技の先生。
その左右には、既にテストを終えた生徒と、これからテストを受ける生徒が一列に並んでいる。
私の番が来て、教卓の前に立つ。
先生が、他の生徒の時と同じように「よい、スタート」と言ってパンと手を叩く。
ふぅ、と息をついて口を開こうとした瞬間。
教室内に、ピヨピヨピヨと鳥の鳴き声みたいな音が鳴った。
私も、クラスメイトも一瞬目を点にした。
それから、笑いを堪える生徒、何やってんの、と携帯の持ち主を静かに笑う生徒。
携帯の持ち主は、私に「ごめーん!」と言わんばかりのジェスチャーをして、鞄が置いている棚に慌てて移動した。
最後のテストにぴりっとしていた空気はなごんで、たぶん、私が「ちょっとー!」て言いながら笑えば、仕切りなおしされただろう。
他の生徒にそうしていたように、足を組んで、肘をその足の上に置いて。
両手の指を絡めて、そこに顎を乗せている。
まじめな顔で、そして人を見定める目だった。
教卓に両手を置いて、少し俯く。前髪が、私の顔を隠してくれた。
ここは沖縄!!
今の音は鳥の声!!!!
笑ってしまいそうなの唇を噛んで耐えた。心をリセットして、顔を上げる。
他のクラスメイトがそうしたように、私も女性教師として台詞を口にした。
なんとか詰まることなく、最後まで演技を終えて、先生がパンと手を叩く。
テストが終わった瞬間に私は「先生!!絶対あれ加点してください!!」と口にした。
私の声にクラスメイトが笑う。携帯の持ち主は「ほんとごめん!!」と軽いノリで謝った。
先生がいいよと言ってくれたことで、内心「おっ!ラッキー」「これで1は回避だろ!」と思った。
そんな私と、他の生徒たちに、先生がぽつりと喋る。
「静かな劇場で、舞台の最中に、あんなふうに携帯が鳴ると、本当に頭が真っ白になるんだ」
「今どこだっけ、どこまで言ったっけってパニックになるし、頭の中がぐちゃぐちゃになる。演技にだって集中できない」
「増田がやったことは、みんなができることじゃない。あれは、本当にプロでも難しいんだ。お前はよくやった」
若い子が見に来るタイプの舞台ではないけれど、もしかしたら、そんなことが過去にあったのかもしれないと思う。
その日の授業は終わって、しばらくてしてから成績が渡されたとき。
演技の授業に五段階評価の5がついていて驚いた。
他の生徒に、どんな数字がついていたのかはわからない。もしかしたらみんな5だったのかもしれない。
だけど、私が一番良く知ってる。
出席日数でも、授業態度も、それこそ演技の質だって、私は5がつくような生徒ではないのだ。
当時は「あれぐらいのことで5をくれるなんて、先生は甘いなぁ」と思っていた。
卒業してもう随分とたち、そんなこと忘れていたのだけど、少し前に見に行った舞台で似たようなことが起こった。
舞台の上の空気が一瞬止まった。だけどその場の役者さんたちはちゃんと本筋に戻っていった。
でも、空気が一瞬止まったことがわかってしまった。それを感じてやっと先生が言っていた言葉の意味を本当の意味で理解できた。
公演までの間に役者やスタッフが積み上げたものに、一瞬にして傷を付ける行為なのだ。
今までだって何度も舞台は見に行って、そのたびにスマホの電源は切ってきた。
近頃人気を得た二次元はすぐ舞台やらミュージカルやらになる。もうそれは最近の商売の流れなんだと理解しているし、自分の好きな作品が盛り上がるのだから悪いことではないのだろう。そう思っていても、私のように2.5次元を受け入れられていない人間は沢山いる。しかしまあ、私だって自分の好きな作品の派生コンテンツを悪くなんて言いたくない。好意的に捉えている人間たちのように絶賛して楽しみたい。流れに乗りたい。楽しみたい。
だから千秋楽の配信なんかがあれば一応観てみる。もしかしたら今回は好きになれるかもしれない、と期待して毎回家で観てみる。観てもないのに批判する奴は大嫌いだ。だから見る。
でも残念ながら今まで「最高!!!!」と思たものがない。2.5次元が苦手な人間がよく理由に上げる「コスプレ感がキツイ」「脚本が解釈違い」とかそういう点をクリアしていても、最高だな!と思えないのである。ツイッターで流れてくる好意的な感想と自分の感想を照らし合わせて、「確かに、あのシーン良かったな」「あの演出良かったよな」と自分の中にある好意的感想を掘り起こしたりするのだけれども、それでも「え?そんなに絶賛するほどか?」と冷めた感想を消すことができない。
ただ自分でも不思議なことがある。イラストでレポ描いてくれる神がレポ上げてくれると「レポ待ってた!そんなシーンあったんだ!そりゃ最高だな!かわいいに決まってる!私も体感したい!」となるのだが、そのあと実際に見てスンっとなってしまうのだ。イラストで伝えられる2.5次元はOKで、生の2.5次元はダメなのだ。
そういえば私は同級生がジャニーズやらEXILEやらでキャーキャーしているのに同調できないでいたし、俳優さんを追いかけたこともない。もう生きている人間がそんなに好きじゃないのかもしれないとさえ思てきた。(でも好きな女の子のアイドルはいる。矛盾である。)
もしかしたら家で観ているのがよくないのかもしれない。映画は映画館で観たい派だし。現地に行けないにしても、ライブビューイングとかで観るとまた違うかもしれない。あと本物の舞台ってのを観たことがないのもダメなのかもしれない。質の良い舞台ってのを観ないと観劇オタクの気持ちはわからないのかもしれない。
次の2.5次元はライブビューイングで観てみよう。もう私に残されたチャンスはそれしかない。それがダメだったら2.5次元は肌に合わないんだと諦めるしかない。
当時のエンタメといえば観劇だったのだけれども歴史物が流行してね。
当時ネットがあったら中世ナーロッパとか無粋なツッコミする奴もいたかもね
そんで最初はシンプルだったドレスも時代が下るとだんだん派手というか少女趣味になっていってね
絵画も「自然!愛!人間賛歌!」みたいなかんじで古いモチーフ描いたりしてね。その辺りがたぶんロマン主義。
当時の日本がこのあたりの影響を受けて
お陰様で、なんと当日券が当たり、劇場で観劇することができたんだ。
劇場に入った瞬間からKnightsステージの世界が広がっていて、感動でずっと泣いてしまった。
増田が言うように、あんステは確かにキャラクターを舞台装置としてしか使わないところがあるし、Judge of Knightsもアプリの内容とは違う部分がたくさんあったけど、それでも私にとっては最高の作品だったよ。
2.5次元ミュージカルの魅力って、
私は
「共感」と
「ノスタルジー」と
「発見」
なんだと思う。
役者さんが原作とキャラクターをとても研究してくれていることが、観劇していてすごく伝わってきたんだ。
2次元作品って、基本的には「自分と作品(原作)」だけの「ひとりぼっち」な世界じゃない?
それがね、2.5次元ミュージカルになると、「自分と作品(原作)と舞台化に携わる人々」になる。特に目の前に生身で現れる役者さん達からは、命を燃やしながら紡ぐお芝居を通して原作への誠意がとても伝わってくる。
舞台を通して自分が原作を好きな気持ちを再認識できる「ノスタルジー」、
そして「ひとりぼっち」の時は気付くことができなかった、原作への新たな解釈や「発見」。
それらが2.5次元ミュージカルの魅力であり、それを私はJudge of Knightsで始終体験することができた!
だからずっと感動で泣いてしまったし、私にとっては最高の作品だった。
観に行けるように祈ってくれて、本当にありがとう。
ところで、ここに書くには話題が逸れてしまうけれど、久し振りに元記事を読んで「公式チケット定価を10万円にしてほしかった」って自分の主張に笑ってしまった。
ちょうど先日、ヒプマイ舞台化チケットの定価が1枚1万8千円と高額かつ、原作の人気ぶりに反して舞台のチケットが当選しやすかったことも相まって、チケット当選し過ぎな状態からくる「ヒプステ破産」なんて言葉が話題になってたから。
やっぱり定価が高額になれば「とりあえず買う」問題はかなり解消できるんだね。今回はそれに加えて本人確認もガッチガチだからだろうけども。
帝国劇場(東宝)みたいな、先行を買った人が損するような売り方(公式で定価が値下げされたチケットや、同じ値段以下で限定グッズ付きチケットを、後出しで公式が販売するし、後出しで売られる座席よりも先行販売で売った座席の方が不人気席なことがよくあるの)は絶対にやめてほしいけど、
https://twitter.com/2BA_yuu/status/1188447976634515456
ご自分と弟さんの無念ばかりで「弟のことを覚えておいてほしい」とアピールなさっておりますが
観劇できないままになったあの5公演分の客席に座るはずだった存在をもうすっかりお忘れなんですね。
残念ながらご兄弟の演じてる姿についてはまだ観られていないので覚えておくのは無理ですが
存在しなかった観客扱いされた経験と共に別の意味で忘れられない名前になりそうです。
お望み通りで満足ですか。
円盤も予約済みでした。
でももうなんか観たら悔しさに泣きそうで。
円盤でも出番がなるべく少なく扱われるよう
再演ではキャストが変更されるよう
ひたすら祈っています。
こんなつぶやき見なければ公演を観れなかった残念さは
ほどほどに癒えかけてたのに。
ブログも書いた事ない
共感してもらいたいわけでもない
でも今回の中止はどうしても納得いかないからミュの観覧アンケートに本名でご意見した
でもアンケート読んで無いんでしょ?
ニトロにも送ったよ
でも読まないでしょ???読んでもどうしようもないでしょ????
これまで観劇した回はすごく良かった
私はその公演は見られないのに
以下各所に送付した文面
適度に変えてる
ーーーーーーーー
演者様のご病気なら仕方がないと思い、またチケット代はご返金頂けるとの事、誠にありがたく思っております。
それでも、この公演を心待ちにしていた者として、どうしても釈然としない点がいくつかありますので、こうしてフォームより送らせていただきます。
アンケートはお読みになっていないと脚本の先生が仰っておりましたので、以下はただの愚痴として捉えてくださっても構いません。
・アンダーは居なかったのか
昨年の巴里公演では、小狐丸役の北園さんが急病になりましたが、即アンダーを立てて公演したと思います。
そのような不測の事態が既にあったにも関わらず、加古さんというアンサンブルにもおられない役者様を連れてこられたのは、アンダースタディが居なかった事なのでしょうか?
もしアンダーが立てられれば、21日マチネは無理でも、ソワレから再開できたはずです。
また、アンダーという代役の居ない状況だとしたら、演者様のプレッシャーは相当なものになります。
そのような重圧の中、74公演というロングランを演者様にさせるつもりだったのでしょうか?
もしこれが人間役でなく刀剣男士役だったのはどうなっていたのでしょうか?
これでは過去のトラブルを美談として終わらせ、リスク対応に活かせてなかったと思われても仕方ないと思います。
そのあたり、きちんとした説明が欲しいです。
そのあと、アンダーが居るはずと一縷の思いを抱いてツイッターを覗いておりましたが、何もアナウンスがなく失望しました。
それに、23日に参加予定の友人は育児中の為、私が知らせなければ一切情報を得られませんでした。
何故メルマガやローチケのメールで知らせなかったのでしょうか?
大変不誠実に思いますし、実際知らずに会場まで行かれた方がおられるとも聞いております。
現場の状況はどうだったのでしょう?
・病状について
今回急病になられた双葉さんはご兄弟でご出演されておられるので、身内からの情報が勝手に拡散することになりました。
そして謝罪は個人アカウント及び個人HPからしか行われておりません。いくらキャラクターを重視するミュージカル刀剣乱舞とはいえ、公式から何もアナウンスがないのは演者個人の負担が大きすぎます。
これもきちんと発表してください。
・返金で終わるだけの対応について
返金があっただけで嬉しいです。
何かしらの救済は頂けないでしょうか?
正直、昨年の阿津賀志山と比べて対応がお粗末過ぎて、自分の推しが出ている公演なのにとてもぞんざいな扱いを受けているように思い、怒りが治りません。
お金で済ませるなら、正直全くチケットの当たらないプレミア会員など退会して、その分で転売チケットを買った方がマシです。
それでもプレミア会員に入り続け、高い交通費を払ってでも本公演が見たいのは、ひとえにミュージカル刀剣乱舞が好きだからです。
製作陣の方は、ミュージカル刀剣乱舞をもっと一般演劇に近づけたいとインタビューで仰っております。ですが、失礼を承知の上言わせていただければ、現在の運営会社様の対応、及び、演者様の対応(ツイッターでのspiさんの言動には正直怒りが沸騰しました)では、到底一般芸能には近づかないと思います。
太田さんは、今回のことをポジティブに捉えてと言っておりましたが、公演が見られなかった自分にはポジティブには捉えられません。
終わったことですし、私は今回の公演を諦めてお金を受け取ります。しかし、ミュージカル刀剣乱舞の皆様には、どうせお金を返すのだからいいだろうと思って欲しくありません。
きっとアンケートを読んでくださってないでしょうから書きますが、正直私はまだ諦めきれず、転売に手を出すかもしれません。その差額をグッズに使えたらと心より残念に思います。
とあるコンサートチケットの高額転売について、色々考えた事があるので記録しておく。
チケット高額転売とは、その名の通りチケットを定価を超える金額で販売する行為である。
高額転売と聞くと大量のチケットを高額で売り捌く業者、所謂転売ヤーを連想しがちだが、その内業者と思われる割合は意外と少ない。
では他には誰か。
それは非常に悪質な、しかし悪質という自覚のないファンたちによる転売なのである。
ここで一例を挙げる。
友達を誘って行けばそれまでだが、折角なら2公演分入りたい。
なので、残りの1枚は同じコンサートで他の日時のものと交換する。こうすれば金銭も発生しないで、2公演楽しめてハッピー。勿論、合法。
自分のチケットの座席は3階席の後列で需要が少ない。地方公演のチケットなので、人気都市の公演に行きたくても同じ会場同士でしか交換できない。平日なので土日公演と交換してもらえない。
ここで、一度転売し換金してから、希望の公演のチケットに金を積んで入る、という行動を取る。金を経由しチケットを得る。
そうすれば相場の差額を払うだけで当選していない公演に入れるのだ。
相場が定価の5倍だとすると、定価5000円のチケットが大体25000円で取引される。
自分のチケットは何らかの理由で、相場で18000円分の価値しかないが、人気都市・人気日時・良い座席のチケットは70000円で取引されている。
交換してもらえるはずがない。価値も需要も埋められない差があるからである。
しかし例えば同じ会場、少し良い座席、土日公演のチケットが26000円で取引されてるとする。勿論自分は交換したいが、相手にとってメリットは少ない。
(勿論一定数定価主義のファンも存在するが、運良く交換成立する場合は稀である)
そこで一度転売、換金し8000円金を積んで26000円のチケットを手に入れる。
もし残りの1枚を友人に譲ってしまうと2公演目は26000円のマイナスだが、転売すると8000円マイナスで済む。
この場合18000円、定価の3倍強の高額転売だが、その売り上げは26000円のチケットを売った別のファンへ流れている。ファンは結局アーティストの為に金を使い、別のファンもアーティストに払う。
ファンの同士の中で金が回り、アーティストの為に消費される金である。
単純に、通路横席、最前席、いわば「神席」などと呼ばれる座席と、3階の後列や埋もれ席など、「天井」などと呼ばれるクズ席が同じ金額で売られているのに問題がある。
もしくはコンサート中盤と最終日が同じ金額、地方公演と人気都市公演。
肉眼で見れ、触れそうな位置でパフォーマンスをする2時間と、豆粒くらいの見えてるのか見えてないのか、TVで見ている方がマシな2時間が同じ金銭価値な訳がない。
コンサート中盤の中弛みしてきた公演と、最終日の涙ながらに気合の入った公演が同じでいいのか。
基本的にランダム、良い公演良い座席に当たるかは運だ、と言われている。
もしくは手数料である。良い座席、良い日程、良い会場を当てた人へのチケット分プラスアルファの手数料である。
ある界隈では最前席は20歳以下の若いファンしか当たらないという、公表されてないが共通認識の裏ルールがある。若くないが金のあるファンは、絶対に手に入れる事のできない若さを金で買っているのである。
この様に他にも公表されていない選択基準があるのかもしれない。それらは全て運という言葉で片付けられている。
1枚のチケットに、条件が揃えば20万だの30万だの法外的な金額がつく。そしてそれを買うファンが存在する。少なくない数、存在している。
しかし、どうしてもそれが悪だと思う事ができない。良い座席にはその金額に見合う価値があると思い、法外な金額を積んでしまっているのである。
実際、その価値はある。と思う。
通路横の座席の、すぐ近くをアーティストが通り、匂いを感じ、顔を目視でき、喉から声を絞り上げる姿を見れ、マイクが拾わない声を聞ける、そんな生の体験と。
ステージから遠く離れた天井席で、豆粒のようなアーティストを双眼鏡で必死に追いかけている、悲しくなる絶望感。
その2つを経験してしまうと、とてもじゃないが同じ価格だと思えない。
その気持ち、金を出してでも運を買いたいという気持ちは十二分に理解できる。
問題は、運営から離れたファン同士(もしくは転売屋)の間で金が動いてしまっている点である。
だからやはり、金銭差がなく運のみでチケットが選ばれる制度自体に問題がある。元凶である。
舞台であればS席、A席、B席…など前列の座席程料金が高く設定されている場合がある。金を出せば対価としてより良い観劇環境を手に入れられる訳である。
この制度自体は問題ないが、現時点で高額転売は多数存在する。やはり値段設定と座席の区分が相場と合っていない上、日時による区分が存在しないのである。
全席オークション形式にすれば金を払いたいファンは自分の希望する座席に入れる。金のないファンは去るしかない。これなら
運営に金が入り、金があるファンはいくらでも払う。正にwin-winな関係である。
誰かに仲介される事なく純粋なチケットへの対価が金額に表れる。
小金持ち程度のファンも集まれば立派な金づるである。新規ファンを常に増やしたい運営にとって得策とは思えない。
特にSNS主体の現代では、金は無くとも拡散力のあるファンはアーティストの立派な広告塔なのだ。少しの太客よりより多い茶の間ファンなのである。
また道徳的にもよろしくない。という風潮が現在存在しているだろう。
運営から離れたところで相場が生まれる、というのはある種の主張である。
定価以上の金を払ってでもよい席に入りたい、それだけの価値がそのチケットには存在する。良いチケットをくれ、その分金は払う。
しかしその声が届く事はない。
高額転売は終わらない。
世の中には、絵を描くことは好きで幼い時より描いてはいたが、特にその道に進むほど情熱をかけているでもなく、かと言って、趣味の範囲で同人誌を出すアクティブ・タイプなオタクでもなく、ただ気の向いた時や萌えの気持ちを発散するためだけに描くことで満足するタイプのオタクも存在する事をご存知だろうか。そう、私のようなタイプのオタクだ。
描くことは幼い日々より続けていたものの、どうも絵がうまくない。うまくないのだ。高校生になる頃には自分の限界に気付き、同人誌を出すのは絵の上手な人の特権!私みたいな絵の下手なオタクは一生見る側なんだ!と即売会や中古同人誌ショップを巡り、描き手様たちの作品をいそいそ収集する日々だった。
一つ目の転機は、大学に入学してからだったと思う。友人が腐趣味に目覚めたのだ。今までこの友人はオタクでありながらも腐女子ではない、夢女子に近い立ち位置のオタクだった。当時、じわじわ人気が出ていた少年漫画に彼女は「腐女子」としてハマったのだ。わたしはひとまず、近くで同人誌を買うことができるショップを教えたり、それとなくネットマナーを教えたような気がする。一緒に即売会に一般参加などもした。そう楽しんでる中、ある日彼女から「pixivで小説を書いている。今度本を出してみたい。」と言う話を聞かされた。
私は、驚くと同時に、1年も経たないうちに生産者側に回ろうとする行動力に驚嘆した。もちろん応援することにしたし、最初の彼女の小説の表紙デザインを作ったり、売り子として即売会に同席するなどした。あっという間に生み出す側となり、その後も一人でサークル参加を続けていた。「絵を描くのに○○ちゃんは出ないの?もったいない。」などと言われたこともあったが、「私は絵が上手くないから」と言葉を濁した。
私はこの時は、「彼女は特に行動力があったただけ」と思いつつ彼女がやりたいことに真っ向から挑戦できる彼女が眩しく見えた。
二つ目の転機は、私がデジタルイラストを描くことができるようになったことだった。大学半ばから社会人になるまで、およそ4年近く忙しさで絵を描くことができなくなっていた。私は当時「もう社会人になるし、いつまでもオタクでいるわけにはいかないと思っていたしちょうどいいのかな」と思いながら過ごしていた。幼少の折より続いていた唯一の趣味が無くなりつつあるのには常に一抹の物悲しさが付き纏ってはいたが、それを上回る日々の忙しさがそれをも掻き消して行った。社会人になると、日々消耗し、毎日泣いて泣いて過ごしていた。そんな中、友人がとある2.5次元の作品の観劇に誘ってくれた。昔から好きな作品で、是非にと観劇しに行くと、それは素晴らしく楽しく、素敵だった。同時に今すぐ絵を描きたくなった。久々の感覚だった。スケッチブックを引っ張り出して、演者さんが演じていたキャラクターを描き殴った。その日から、毎日毎日スケッチブックに絵を描き、ふと思い立ちそれ専用のツイッターのアカウントを作り、イラストをアップした。その作品を好きな人とも繋がることができ、とても楽しかった。
ある日、彼氏が「お前、デジタルでは描かないの?」と言ってきた。私はどうもデジタル向きではなく苦手意識もあったが、ペンタブを貸してくれて、一からイラストソフトの使い方を教えてくれた。彼氏もオタクで、小説も絵も描けるハイブリッド型のデジタル人間だった。暫く私が絵から離れていたから、今までは提案しなかったそうだ。そしてそこから私はデジタルイラストを導入するに至ったのだ。
三つ目の転機。オタクとしての楽しさを思い出させてくれた前ジャンルで人間関係がゴタつき、私はジャンル移動するに至った。ちょうど熱も少し引いたタイミングに、原作を読んだことのあるアニメが放送となり見事にのめり込んだのだ。ポツポツイラストを上げているとアニメ化中の作品だからか、たくさん反応を貰えてとても楽しくなった。フォロワーもすごく増えて、毎日楽しく過ごしていた。所謂ROM専と呼ばれる人たちにもフォローされたり、何か少し絵師っぽいかもしれないと内心喜んでいた。
そんな中、好きなCPで萌え語りをしていると、よく反応をくれるROM専の方からリプライが飛んできたのだ。内心、ROM専の人も話しかけたりするんだな、と驚いた。内容は「最高です。ぜひ本を出してください。後、小説も書いてください」と。とても驚いた。私は絵を描いてはいるが、同人誌を描く側には一生行けない。本を出せるのは、だって、絵が上手い人だけの特権なのだから、と。私は絵を描くくらいはしていいが、出す側には行くことができない側の人間なのだから。嬉しいが期待に添うことはできない。その気持ちに感謝をしつつ、当たり障りのない文章を返した。「出せる機会があれば出したいですね」などと返したと思う。私はデジタルイラストを描くことは出来るようにはなっていたが、漫画は描くことができなかった。落書き程度ならまだしも、きちんと製本できるような規定を守ったやり方での描き方は知らなかったのだ。しかし時々、その言葉を思い出して、元気を貰っていた。フォロワー同士の付き合いではなくて、ROM専の方からのお言葉だからきっと本当に私に目をかけてくれたんだろうな、と自意識過剰になりながら。
四つ目の転機。仲良くなったフォロワーが、漫画ソフトを一から教えてくれる、という、何とも親切きわまりないフォロワーだった。私は悪いし、すごく迷惑かけるし、と言ったが、私と一緒にイベントに出て本を出してくれるなら一から教えるから!と息を巻いていた。私は、ROM専の方から声をかけていただいた言葉から、いつか機会があれば出したい、と思い続けていたこともあり、とりあえず彼女の使っているのと同じソフトを買い、通話で三日三晩迷惑をかけ時には叱られながら使い方をレクチャーされた。結果として、拙いながらも原稿が作れるようになった。マスターしていないので、基本動作しかできないが、デジタルオンチの私にしては上々だ。まさか、アラサーになってから同人誌を作るよう動くことになるとは思っていなかった。年甲斐がないとか、今から始めるのか?とか、たくさん悩んだが、家族や友人周りが肯定してくれた。
そして先日、はじめてのサークル参加をした。大学時代の字書きの友人も、○○ちゃんが出るなら、と同じ即売会に出てくれた。初めてのサークル参加に浮き足立ち、前日は寝れなかった。まさか、一生描き手には回らないと思ってた自分がサークル参加をするという事実に夜中に感極まり、号泣した。本を出してと声をかけていただいたROM専の方には迷惑を承知の上で、長文のDMで感謝の気持ちを綴った。「あなたの言葉があったから本を出せました。あなたが私を同人作家にしました」と打ちながら泣いた。気持ち悪いDMにその方から丁寧にまた返信をいただいて、また泣いた。
即売会当日、売り子はフォロワーさんに頼んだ。徹夜でむしろハイになっていたので、意外に現場に立つと緊張しなかった。道中の電車では、感極まって二、三回程半泣きになったが。
始まるとお隣さんの同CPのフォロワーさんが初参加で年も近いこともありたくさん話してくださり楽しかった。
早めに撤収し、売り上げは、30弱程。いいのか悪いのかわからなかったが、友人に「そんなもん」と言われたので多分そんなもんなのだろう。何より、「貴方が出るから来るのを決めました!」と言って貰えたり、「pixivでサンプル見てほしくて…」と言って貰えたり、差し入れを貰ったり、とにかく、嬉しかった。こんなに幸せなことが世界にあっていいのかとも思った。
そして帰り道、気付いた。「あぁ、私も同人誌出す側になったんだ…」と。
同人誌の在庫は自宅郵送したが、一冊だけ手元に持って帰ってきた。何度も何度も読み返した。自分が描いたものが本になるのは不思議で、奇妙だった。その夜は、枕元に自分の同人誌を置いて寝た。なんだか自分の本がとても可愛かったのだ。
友人にイベント終わりに、「初めてのサークル参加はどうだった?」と聞かれた。私は、「今まで、同人誌って絵の上手い人だけが出していいと思ってたけど、違うんだね」と言った。友達は「そんなの、やる気の問題だよ」と言っていた。そして全く、その通りだな、と思った。
同人は、何歳から始めてもいいし、誰がやっても良かったのだ。それに気付くのに、何年もかかったが。そして私は、人生二回目のサークル参加をするべく、今もせっせと二冊目の同人誌の原稿をしているのだった。
世の中には、社会人になったら一生ものとして1つは持っておけと言われる高価格帯のアイテムがいくつかある。高級腕時計、財布、バッグ、礼服、革靴、万年筆などが挙げられるだろうか。これらは一度購入すれば数十年も使用に耐えるものがあるし、ビジネスシーンで有利が取れたり、使えば使うほど味が出てくるなどとさえ言われることがある。しかし私は、ビジネスでは全く役に立たないであろう「高い双眼鏡」を1台買うことを強く勧めたい。それも10万円クラスの、持ち運びしやすいコンパクトなタイプだ。「双眼鏡なんて一生使うことない」「双眼鏡に10万円もかけるとか頭おかしい」というのが一般的な感覚だろうし、「一生ものに10万円は安すぎる」「30万出してスワロやツァイスの40mm買え」というのが双眼狂たちの言い分かもしれない。が、私に言わせれば、あらゆる場所に毎日持ち運びできるコンパクト双眼鏡を持っていない人生はもう考えられない。
他の「一生もの」と比較してみると、高級腕時計や財布は確かに所有欲を満たしてくれ、どこに行っても胸を張って使えるファッション性がある。だが時刻の確認だけならスマートフォンやスマートウォッチでもできる上に、そちらの方がはるかに高機能で、人生をちょっと豊かにしてくれるいろいろな体験ができる。財布は現金やカード類を収納するという機能しか持っておらず、その機能自体が人生を劇的に豊かにすることはない。
一度所持してもらえばわかるのだが、双眼鏡には、双眼鏡でしかできない体験というのがあるし、大事に扱えば親子三代にわたって使えるとまで言われるほど頑丈な機器だ。パソコンやスマートフォンなどの電子機器とは比較にならない寿命の長さであり、またこれらには決して代替ができない道具でもある。
では私がなぜ「新社会人」に双眼鏡を勧めるのか。学生時代よりは高い製品に手を出せるぐらいのお金があり、かつ若くて体力があって、ひとり旅や友人との旅行、何の気なしに街を歩くこと、美術館や博物館巡り、コンサートやライブ、ハイキングや登山などのアウトドア活動といった、双眼鏡が最も活かせるシチュエーションである「外出」がしやすいからだ。「友達いないから旅行とか行かない」「仕事で疲れてて外に出る気がしない」「家でガチャ回してる方が楽しい」という声もあるだろう。逆に考えるんだ、「高い双眼鏡を買ったんだから、せっかくだし外に出てたくさん景色を見よう」と。そうして得られた体験は間違いなく一生の糧になる。家でアニメを見たりガチャで爆死したりするのもいいけれど、たまには外の空気を吸いに出かけてみよう。何も電車や車で何キロも離れたところに出かける必要はない。空を流れる雲や、電線に止まっている鳥、街中の高層ビル、遠くに見える山々、夜になれば月に、双眼鏡を向けてみよう。肉眼では特に何とも思わなかっただろうが、双眼鏡を通して見る世界がとんでもなく豊かなことに驚くはずだ。近所で使うだけでなく、連休の旅行やハイキングで使えば旅が何倍も楽しくなるのは請け合いだ。もちろん、新社会人だけでなく、双眼鏡を1台も持たずになんとなく人生を過ごしてきた人たちにも強くオススメしたい。
「外に出て景色を見るだけなら、双眼鏡なんか使わなくてもいいじゃん」という反論もあるだろう。この点に関しては自分の目で確かめてもらうのが一番なのだが、一度見てもらえれば全てが理解できるはずなので述べておこう。いい双眼鏡で見る景色は、肉眼で見るよりもずっとずっと美しい。いい双眼鏡は、ガラスを通して見ていることを全く感じさせないほど見え方が自然で、なおかつ肉眼で見るよりも透明感があって色彩豊かに感じられ、普通に見ていたのでは気づかないディテールもはっきりとわかる。うまく写真や画像で表現できればいいのだが、自分の目の前に圧倒的な迫力で美しい景色が現れることの素晴らしさは、実際に味わってもらわないとなかなか伝わらないのが歯がゆいところだ。双眼鏡を一度も覗いたことがない人や、地方の電気屋でよく売られている数千円程度の双眼鏡(ほとんどは粗悪品レベル)しか見たことがない人は、ぜひ街中の大きな量販店で、3万円を超えるような双眼鏡を覗いてみて欲しい。それだけでも、きちんと作られた双眼鏡がいかによく見えるかがわかるだろう。
私は記事の冒頭で、「10万円クラスの持ち運びしやすい双眼鏡を買え」と書いた。そしてつい先ほど、「3万円を超えるような双眼鏡を覗いてみろ」とも書いた。実を言うと、3万円クラスの双眼鏡があれば十分にいい景色が見られるし、耐久性もバッチリだと言うのが私の意見だ。しかし3万円クラスで、覗きやすく満足のいく見え味を手に入れようとすると、ある程度筐体が大きく重たい機種(具体的にいうと対物レンズ径30mm以上)から選ぶしかないのが現実なのである。人にもよるが、これぐらい大きな双眼鏡を毎日持ち歩くのは厳しいという人が多いと思う。1万円クラスの小さい双眼鏡にもオススメできる機種はある(後述)のだが、どうしても携帯性・耐久性・防水性・覗きやすさ・見え味のどれかを犠牲にせざるを得なくなってくるし、一生使える相棒とするには少し頼りないところがある。
毎日どこへでも持ち運べるほどコンパクトで、見え方が優れていて、耐久性も高い(防水付き)のものを手に入れようとするとどうしてもコストがかかってしまうのだが、ここでは「せっかく高い買い物をしたのだから毎日使おう」という心理がはたらいて、結果的に人生が豊かになるような買い物をしてもらうため、あえて予算は度外視し、記事執筆時点でコンパクト双眼鏡では世界最高峰と言える機種を紹介しようと思う。
それがCarl Zeiss社から出ている「Victory Pocket 8x25」だ。倍率8倍と10倍のモデルが出ているが、圧倒的に8倍をお勧めする。(低倍率をお勧めするのにはそれなりに理由があるのだが、長くなるので割愛)
光学機器に詳しくない方にとっては聞きなれない会社名かもしれないが、カメラレンズや双眼鏡の世界では超一流と言われているドイツのメーカーであり、その品質は折り紙つきだ。実売価格9万円超えと決して安くはない(むしろ超高い)が、その性能は「この1台を買えば全てがうまくいく」と(私に)言わしめるほどである。メガネのあるなしにかかわらず問題なく使え、独特の折りたたみ機構によって収納時にはとてもコンパクトになる。そして視界の広さ・見え方・解像感は30mm径の大きな双眼鏡に匹敵するか、超えていると感じるほどだ。朝から夕方までの明るい時間帯であれば、どこにでも持っていけてあらゆるものをしっかり捉えてくれる最高の相棒になるだろう。
それ以上の細かいスペックについてはあえて語らない。Google検索すればいくらでもレビューが出てくるし、それらを見るよりも実際に自分で使ってみれば全てわかるはずだ。ただし、どんなに高級な双眼鏡であっても自分の目に合う・合わないという相性問題があるので、できれば実店舗で実物を触ってから購入することをお勧めする。また、意外と双眼鏡の正しい使い方というのは認知されていないので、知らない方はぜひ正しい使い方を調べてから店に行こう。使い方を知らないせいで「全然見えないじゃん」と勘違いし、双眼鏡を買わないで人生を終えてしまうのは本当にもったいない。
それから、もし夜に夜景や星を見るために双眼鏡が欲しくなったという人は、残念ながらZeissの技術をもってしても厳しいので、コンパクトタイプの双眼鏡は諦めたほうがいい。6倍30mmや、8倍40mmクラスのものを別に買おう。そのクラスの双眼鏡の選び方については、日の出光学という日本の小さなメーカーが自社のホームページでたいへん詳しく紹介してくれている。他のメーカーのものを検討している場合も含め、双眼鏡の購入前には目を通しておくといいだろう。https://bino.hinode-opt.jp/column/tsukaimichi.html]
また日の出光学の製品は、比較的低価格かつ性能は最高級品と遜色ないレベルなので、双眼鏡の魅力に取り憑かれた方が2台目以降に手に入れるのにとてもお勧めだ。私は観劇用の低倍率機として「A4」(5倍20mm)、手持ちでの星見用に「B+」(6倍30mm)を所有している。いずれも「Victory Pocket 8x25」よりはかさばってしまうのが難点だが、特定の用途で使うサブ機として持つにはとても優れた製品だ。
いきなり双眼鏡に10万円近く払うのは抵抗があるという人は、日の出光学の「A5」を1台目のメイン機として買うのも大いにありだろう。1万円台なので比較的気軽に買えるはずだし、5倍という低倍率に抑えているおかげで、安くコンパクトな割にとてもよく見える。また5倍という低い倍率はコンサートなどで使い勝手がよく、あとで「Victory Pocket 8x25」のような高倍率機を買い足しても決して無駄にならない。万が一気に入らなかったとしても、注文後1ヶ月は無条件で返品を受け付けているのでほとんどリスクなく購入できる。防水機能がついていないことと、非常に人気なのか頻繁に在庫切れになっているのが惜しいところだ。
長くなってしまったが、とにかく、いい双眼鏡というものは人生をとても豊かにしてくれる。これから40年、50年と続く人生において、最高の双眼鏡は最高の相棒になってくれるはずだ。ぜひ、自分の人生への投資だと思って、まずはCarl Zeissの「Victory Pocket 8x25」を手に入れてみてほしい。いい双眼鏡沼を!
「貧乏学生」でググって出てくる「お役立ち情報」がどれも現実離れしてる。
学生が時間を持て余してるって前提なのもクソだし、学生も人間だからストレスフルになると病む。
実際の学生(私)は講義が毎日9時から18時まであるし、ゼミの日(週2)は20時まで。
バイトには週4~5で入るし、レポートも試験も、発表系の講義もあるから勉強でてんてこまいだ。
ゼミの発表がある週はゾンビの方が瑞々しい生命力に溢れている。
そこで、こっちは遊びじゃねえんだぞ~~と検索結果を巡回し続けていると、
過去の増田の「貧乏学生だけど何をしているのかわからなくなってきた。」を見つけた。
https://anond.hatelabo.jp/20161017031727
コレはかなり共感できた。
そこで、先人に倣って増田で愚痴らせてもらう。あわよくば助言が来たりしないかな。
まずは自分について。雪国の底辺国立大に通っている、ド文系の大学3年生。
家族構成は、定年間近の両親と、休職中の兄と、大学3年の私と1年の弟。
趣味は旅行と観劇と文芸。演劇サークルに入っていた頃は、脚本を書いていたのと、制作や舞監といった役割を主に担っていた。
そんな趣味をとうとう絶たざるを得なくなってきたので、こうしてクダを巻いている。
若い頃の苦労は買え、みたいなことわざがあるけれど、私は今本当に苦労を金出して買っている気分だ。
そのくせ将来への展望もない。
毎日をどうしよう、どうやって残り何円で生き延びよう、と思いながら生きている。
そして、9月からは5週間の教育実習、10月以降も卒論の調査が本格的に始まるので、全然バイトに入れない。
演劇サークルに入っていたけど、バイトを入れるため、それから人間関係に嫌気がさして辞めた。本当はもっとやっていたかった。
他の大学の演劇サークルの同期たちが活発に旗揚げしたり公演打ったりしているのを見る度に、お前らは私みたいに苦労してないから演劇ができるんだ、なんて酷いことも考えてしまう。
それもこれも金が無いからなんだ。ちょっと冷静になって、自分の一か月の金策を振り返る。
このバイト代が9月はゼロ、10月以降は3万ほどになって、合計3~6万ほどになることが予想されるので、今切羽詰まっている。
それから、親から4万借りている。これは学費のため。半年の学費26万を、親からの借金24万+どうにか捻り出した2万で払っている。
次に支出。
・家賃は3万。後期入試で大学に入ったため、お得な物件は埋まっていて、ここが一番安かった。
・水道・光熱費は1万。高すぎると思うだろうか。しかし私が住んでいるのは雪国なので、冬にはストーブの灯油代がかかる。
夏は7千円(上下水道2500+電気2000+ガス2500)くらいで済んでいる。しかし冬に備えて一月3千円の積み立てをしているので、出費としては1万円だ。
・通信費は家族割で安くなっているらしいと聞いて、特に何も聞かず親の口座に1万入れている。
ちゃんと聞いていないのは、後で詳しく書くけど親と仲が悪いからだ。1万も入れれば足りてるだろう。余った分は親が要求してやまない仕送りってことで。
・交際費に1万。飲み会に行ったり友達の誕プレを買っていたらすぐ消える。ここは10月から減らせないかと考えているところ。
・貯金に1万。ここで貯めた分でサークル費を払ったり、旅行や観劇に行っている。
自慢したいんだけど、私は貧乏旅行が得意だ。北国から神戸と京都に一泊二日で行って、飛行機代等全部ひっくるめて3万だった。
ヒッチハイクで行けばもっと安かったと思うけど、それだと時間がかかるから。ぱっと行ってバイト入った方がプラスだと思うし。
・残り2万が食費等。これが足りないらしく、バイトの給料日前には残り10円とかになっている。
一応今の所生活は成り立っている。ストレスを溜めすぎないようにちょこちょこ飲みに行ったり、趣味の旅行と観劇もできている。(文芸はほぼ費用ゼロだし)
しかし、10月からは収入が減る。書きながら思ったんだけど、教員採用試験の勉強もあるから予想していたのよりもっとバイトに入れないかもしれない。
厳しいなあ。まだ学費を親に借りれているだけましだけど。
奨学金を増額すればいいのかもしれない。でも、私は卒業したら親に学費を返さなきゃいけないし、加えて仕送りをしなければいけない。
というのも、私が卒業する年に、両親が定年退職する。うつで休職中の兄はまだ奨学金を返しきっていない。弟は院進を考えている。
教員の給料で家族4人を支えていかなければいけない事を考えると、奨学金の返済にあてる分は出来るだけ少ない方が良い。
こんな事なら進学しなければ良かった、なんて考えることもある。
両親は、私が中卒で就職すると思っていた。そこを必死に頭を下げて、高校、大学まで進んできた。
実家は山奥の限界集落にある。高校まで片道2時間、通学バスの定期券は1か月1万円強。お小遣いは基本無し、必要な時は用途を明確にして頼むこと。
教科書や授業で使う問題集のほかは、シャー芯と赤ボールペンと授業で使うノートの分くらいしか頼めなかった。
私はその地方(東北、北陸とか)で一番の大学に行きたくて、職員室のミスプリントをパクって勉強用のノートにしていたし、放課後にお腹がすいたら学校の水道から出る鉄臭い水を入れて飲んでいた。
(弁当は家にあるもので自分で作っていた。だいたい塩むすびだった)
結局その大学には前期試験で落ちて、センター逃げ切りの形で今の大学に入った。
今の大学でたくさんの尊敬する人たちや大切な友だちに出会えたから、後悔はしていない。
でも、大嫌いな両親の顔が一層見れなくなった。受験のために、余計にお金をかけてしまった。
私が両親を嫌う理由は、前時代的な観念を体現したような二人だからだ。進学させてもらった事に感謝はしているが、それとこれとは別だ。
私が女だから進学には猛反対したし、高校で入っていた部活で全国入賞しても、全く興味を示さなかった。
だから私は両親が嫌いだ。
それでも、卒業・就職して両親と縁を切れば、残された兄と弟はどうなるのか。それを思うと、仕送りは確実にしなければいけない。
兄と弟のことは好きだ。同じ親の下で生きてきた同房だから。
兄は復職の目途が立っていない。今は働いていた時の貯金から奨学金を返済しているが、このままだと踏み倒して自己破産だろう。
弟は、私が仕送りしなければ院どころか4年間の学費もままならなくなるだろう。両親が退職して4万の仕送りが出来なくなるんだから。
私は兄弟を助けるためにも、仕送りをしなければいけない。嫌いなクソ両親もそれを望んでいるし。
まてよ、学費の返済に月4万、弟の学費分4万、兄の返済分は今ちょっと分からないけど……月10万は仕送りしなきゃいけないやつ?
え、、詰みじゃん、、
何の話をしていたんだっけ。つい愚痴になってしまいました。申し訳ない。
あ、そうそう。将来を考えると奨学金は増額できないから、どうにか支出から3~4万削らなきゃいけないんだった。
増田を見ているみなさんのご意見が聞きたいです。以下に整理してみます。
家賃3万
通信費1万
交際費1万
貯金1万(あ、好きなバンドのライブに行くため今貯めてる分は8月に使い切ります)
食費等2万