2019-12-22

パリ劇場にて

フランスと近隣国を周る団体ツアー旅行に参加した。これはある日のスケジュールに組み込まれオペラ観劇での出来事

自分たち劇場に入って着席した時、ステージ上では緞帳が上げられたままで演目リハーサルが行われていた。

自分は「開場して客も入っているのにステージでリハをやるのかよ」と思ったが、毎日観光客相手に何公演もこな劇場ならではのある種の効率性を感じつつ、リハーサルの様子を眺めていた。

自分たち日本人ツアー客は中段あたりに2列横並びでまとまって座った。客層は多様で、自分の左席にはユダヤ系と思われる立派な髭をたくわえた紳士、後ろはいかにフランスらしい高い鼻に小さな眼鏡をちょこんと乗せた可愛らしいおばあさんが座っていた。

ふと右後ろ側から、同じ日本人ツアー客の70歳くらいのオッサンリハーサル歌声に合わせて小さく唄うのが聴こえてきた。

リハの演目を知っていて口ずさむならまだ良いのだが、オッサンメロディー日本民謡なのだ。明らかにオペラ調和していない。

気になるのでちらちらと振り返って様子を確認すると、後ろの眼鏡おばあさんが楽しそうにオッサンを見ている。というか民謡調子に首を頷かせて聴いている。

オッサンも乗ってきたらしく声が一段と大きくなった。酔ってるのか?オッサンの横には奥様と思われる日本人女性が座っている。何故止めないのだろうと思って奥様に視線を移すと「また始まった」と言わんばかりに目をつぶって顔をしかめている。ああなるほど、オッサンがいつもこの調子ウンザリしているんだろう。

そのうちに眼鏡おばあさん、オッサンに「立ち上がって、披露して」という感じにジェスチャーで促す。オッサンも応じて立ち上がってしまう。

自分はいよいよ見かねてオッサンを制そうと思い立ち上がろうとした瞬間、左席の髭の紳士の手がふわりと自分肩に触れた。

紳士自分に向かって素早く眉を上げてみせ、オッサン視線を送った。自分は彼が意図するところを察した。「せっかく立ち上がったんだ、まだ開演前だし歌わせてあげようではないか

ステージからこちらの状況が見えていたのだろう。ふいにリハーサルの声が止んだ。

オッサンもすぐに状況が飲み込めたらしく、ひと呼吸おいてから朗々と唄い始めた。この瞬間だけステージは客席のオッサンに移った。

両足を踏みしめ、手を打ってリズムを取りながら唄う。やや拙いが元々経験のある感じ、NHKのど自慢ならまずまず合格しそうな調子

オッサンは2番まで唄ったのち、大きな声で「ありがとうございました!」と言った。柔らかな拍手が起こり、オッサンは着席し、リハーサルが再開した。

わず3分間程度の出来事だったと思う。

左席の髭紳士が示した小さな寛容の態度が同心円状に広がり、誰も傷付くことなく着地できた。自分が見渡す限り皆笑顔だった。

いま考えると眉をひそめた人もいたのだろうが、そんな事は飯を食えば忘れる程度の出来事であるオッサン夫婦にとってはたぶんこの先忘れることのない、恥ずかしくも楽しい旅の思い出として胸に刻まれたことだろう。

自分はすべてが嬉しかった。その場に居合わせた人の寛容な態度、些細な好奇心、機転、他者への興味、ポジティブ感情のあり方が重なったことが。

この温かな感覚いつまでも記憶に留めておきたいと思い増田に記す。

という夢を見た。

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