はてなキーワード: 過呼吸とは
その辺って認知行動療法とかでズレを治すとかしか無いんじゃね?
そもそも、パニック障害が発症とかじゃなくて、パニック障害でも無い一過性の過呼吸程度で「俺、パニック障害かも」とか思って、自分からパニック障害になっていく奴が多いって話。
本当に発症したら手帳レベルもあるし、プロに治してもらう必要あるだろうけど、そんなの本当に少なくて、大概はパニック障害手前で、案外治るレベルでしょ。
とても悲しく感じると同時に、昔ちょっとだけ高校で教員をやっていた自分は、現在の部活動の仕組みにまた憤りが湧いてきた。
この安全面における危険性について、一人でも多くの人に知って欲しくて今回記事を書いている。
悪天候の中自然の力に大きく左右される競技を敢行したり、ビーコンや連絡機器の管理がなっていなかったりなど、責任者である以上はその辺りは弁解の余地はない。
ただ、常日頃からこの国の部活動制度自体がもっときちんと整えられていれば、このような事故が起こる可能性など元からなかったのではないかと思ってしまう。
大前提としてその日の定時内での業務を終えた後に夜7時8時まで、または土日に終日部活動を見なければいけないし、その手当は土日の「日当」が千円ちょいなどだ。
週休0日など普通だ。
もちろん部活以外の業務ーー授業や授業の準備、テストの作成や200人分の採点、生徒指導、クラス運営、進路指導、受験対策、広報などの他の校務分掌ももちろん山ほどある。
これほど多くの業務を一人の教員が抱えているなんて日本くらいで、国際的に見ても異常なことである。
ただ今回フォーカスしたいのは「部活動の安全面」なので、教員の多忙さについては今回は割愛しておく。
さて私はスポーツ経験なんて高校の時に強豪でも何でもない普通の卓球部に所属していただけで、体育ではなく一般教科担当だったが、赴任して任されたのはサッカー部。
サッカーは一般的な競技ではあるけれども、10代のまだ加減を知らない若い子たちが全力で取り組むのだから、試合も普段の練習も本当に危ない。
だが、ボクシングなど特別な資格が必要な競技でない限りは、毎年誰かが顧問枠に入らねばならない。
たとえベテランのノウハウが必要な危険の伴う競技であっても、例えばその年に前任者が離任すれば、適任者がいなくても誰かがその顧問枠に入らねばならないのだ。
そして実際、素人の私が見ていて、ゾッとしたことが何度もあった。
生徒が過呼吸を起こして倒れた。
生徒がボールで顔を打ち前歯がぐらついた。
こんな緊急時に、スポーツに関して何の資格も持っていない、ただ「教員」をやっているだけの素人が、人命に関わる判断を速やかにしなければならない。
幸い大事には至らなかったが、運が良かっただけだ。
その生徒たちも、私もだ。
引率していた教員たちの中に、どれだけ登山に詳しくて顧問をさせられていた先生たちがいただろうか。
また「ベテランの教員が同行していた」とも報道されたが、私としては「どれだけベテランでも所詮教員だ」と思ってしまう。
授業をしたり、クラス運営をしたりという多種の職務の傍ら、その「片手間」と言わざるを得ない多忙な状況下で顧問をしてきたに過ぎない。
何年登山部に関わっていても、登山を専門にやっているプロではないのだ。
預けさせていいのか。
甲子園などの部活動文化が定着している日本では、なかなか難しいと思うけど。
でもせめて、登山やサッカーなど危険が伴う競技を、その競技に関して無資格の人間に、さらに他の業務で多忙な状況下で監督責任を押し付けるのは、今すぐにでもやめよう。
お金がかかっても、体育の教員を増やしたり、きちんとしたインストラクターを雇うべきだと思う。
「部活動に励む生徒と先生」は青春の一部として美化されがちだが、そこに生徒に対して危険があるのならば、変革が必要ではないだろうか。
この話を「教員になったなら当然のこと」「自分で選んだ職業だから仕方ない」で片付けないでほしい。
学校は子どもの命を預かる現場だし、実際にこのような事故が起こってしまったのだから、この悪しき因襲と環境は一刻も早く改善されるべきだと思う。
中学3年生です。
学校に行けなくなり、とても辛かった。
いじめだと認めてくれない全ての先生と学校の事が嫌いになって憎んだ。特に担任の先生と、前担任の先生を憎んだ。
そして学校自体を憎んだし、決して文字にしてはいけない事を考えたりした。
辛くて辛くて、生きていきたくなかった。
いじめだろ、と強く言ったら認めはしないが「一年早く調査をしたりすればよかった」と先生が言い放ちました。
どうして一年早く何かしてくれなかったの?
前担任の先生がいじめが始まった日に「もう終わった事だから」と言って何もケアしてくれなかった。
そもそもその日に何かしてくれればよかったのに。
いじめる生徒は守って、いじめられる生徒は放置を貫きましたね。
当分はあの人たちを恨むことだと思います。
多分、いじめてきた奴を見ても過呼吸になりそうにならなくなった頃かな。
卒業出来て良かった。
担任の先生、ありがとう。前担任の先生ありがとう、教頭先生ありがとう、学年の先生ありがとう、その他の先生、ありがとう。
恨み、憎しみ、そんなのよりも感謝が強い。
いやべつにセブンイレブンにこだわってないからにナナコじゃなくてポンタでも良いんだけど。
いやでもポンタは使わないよ。僕は仕事でロ◯ソンにどえらい目にあったからね。
いや話がそれた。
あれの一番いいのは言葉を発しなくて良いところ。
まずはナナコのケースを考えてみよう。
僕「ぁっナナコで・・・ (ボソ」
僕、何も言わずナナコを読み取る機械にナナコを力いっぱい押し付ける。
店員、僕が何かのカードを押し当ててることは分かる。しかし割り箸やPOP広告などで見えない。大げさに身を乗り出してやっと分かる。
店員「あぁー↑↑ナナコですね!」ピッ!
プー
店員「アッあの、えー、25円、ですね、足りないようなんですがどうします?」
と、このような事を毎回やっている。とてもうっとうしい。
「ナナコで」なんて言いたくないし、聞き返されるのも嫌だし、変な機械に押し付けてその間片手が拘束されるのも嫌だし、チャージする手間も嫌だし、それを忘れた時のパニックも嫌だ。
これ系のやりとりっておサイフケータイも同じことやってるのかな?
「アイディーで」とか「クイックペイで」とか、言ってる?
あっ「おサイフで」とかでも良いの?機械が自動で判別してくれるの?
まあなんか声出して言わないといけないんだから似たようなものかな。
その分クレカは良い。
あの小銭を入れるお皿にクレカを放り込んだらそれだけでいい。
あとは何も言わ無くて良い。
全部店員さんがやってくれる。
チャージし忘れもない。
最高だ。
ただ、うちの近所のセブンイレブンだけがそうなのかもしれない。
他のとこの店員は「クレジットカードですね!?」と目を輝かせて聞いてくるのかもしれない。
「一括でよろしいでしょうか!?」などと殺意を抱くような愚問を突きつけて来るのかもしれない。
https://www.youtube.com/watch?v=NrmMk1Myrxc
これあったらクレカ要らないじゃん。
スマホだけでいいし。
いや超嬉しいよこれ。
早くしてアマゾン。
特にロ◯ソン。
僕はあそこの上層にいる各種決定権を持つオジサンたちには本当に呆れたし、経営陣を総入れ替えでもしない限り何事についても彼らに良い仕組みは作れないと確信してる。
大学のサークルのなんやかんやを起因とする適応障害と診断された。のが年末。
たぶんそんな重くは…ないのかな?
あとは二週間に一回の診察とカウンセリング。
先生に「だんだん元のあなたに戻ったのかな?」と言われて、元のあなたってなんやねん、厳密に元の私には戻らんだろうと思ったりなんだり。
出来るようになったことその1
・本が読めるようになった
2回目の診察でどうもご丁寧にADHD傾向の診断も頂いた。
確かに言われてみればADHDの症状に起因することで困ってるわ!どうしたらいいんですか?と先生に聞いたところ。
まあ専門書でも読め。本屋にごまんと売ってるから。とのお言葉を頂戴したので。
試しに心理学の本等々あわせて5冊ぐらい買ってみた。
そしたら読めた。読書が出来た。どえらい驚いた。革命が起きた…
それまでは教科書とか昔はめちゃくちゃ読んでた専門書とか、はたまたレジュメなんかが全く読めなかった。頭に入ってこない。画像だけ頭を駆け抜ける感じ。コントロール+Fを押して必要なとこだけ画像として認識してた。
あまりにびっくりして感動し、Kindleワンクリックで本をポチる野郎と化したのであった。
出来るようになったことその2
・お風呂にきちんと入れるようになった、スキンケアできるようになった
毎回お風呂までは三時間ぐらいかけてなんとか辿りついていた。幸い実家暮しなので風呂は沸いている。
ただ、湯船に入るばっかりで、シャンプーとか、身体洗うとか、そういうのをごまかしていた日のほうが多かった。ただひたすらにダルイ。出来ない日の方が多い。次の日どーしてもやむを得ず出掛ける予定があってもだ。
はい。ちゃんと出来るようになりました。ドライヤーもかけれるようになりました。お風呂上がりに化粧水つけたりなんだりできます。
思えばこれ診断受ける三ヶ月前ぐらいから徐々に酷くなってたような…
ていうかドライヤーで、髪の毛乾かしてから寝ると、風邪引かないんですね。すごい。
出来るようになったことその3
・昼間に居眠りしなくなった。
まあ疲れてたのもありますが、どこでも昼寝しなくなった。
ある時は眠すぎて学食で意識を失ってた。自分でもびっくりした。一回ならまだしも。ほぼ毎日だったし。
過眠?ぽいのは治まってきたなあと。
あとなんか1番悪い時期に過呼吸になり駅で倒れまして。それ以来ある種の記憶を想起させる出来事に遭遇すると、過呼吸になったり過呼吸未遂になったりしてたのですが、それもなくなった。動悸息切れぐらいで済んでる。
あとは…ほんとに頭のモヤがすっきり晴れました。半年ぐらい、1歩先も見えなかった。
人の言葉が聴けるんですね。今まで自分の言う事しか信用できなくて。謎の自分ルールにがんじがらめになってました。
そして何より死にたいって思わなくていい日って、こんなに生きやすいんですね。駅を歩いていて、ホームの端に引き寄せられることがないっていいですね。
周りの人、そりゃ毎日楽しそうにしてる訳ですわ。
ちなみに今後の課題は就活でぶりかえさないかどうかです。時期もあったり進路変更なんだかんだで就活めちゃくちゃ出遅れまし…た…
父は知的障害だ。話が通じない。
幸いにして私にはきっと遺伝していない。びっくりするくらい数学が苦手だけれど、日々の生活には困らないレベルだ。
彼はとにかく気にいらないことがあると、騒ぎ散らす。言語に障害を抱えているらしい。幼児レベルの――死ねとか殺すとか、燃やすとか、語彙力の死にきった文句を喚くのだ。うち賃貸のマンションなのに。ちなみに苦情が来たことはない。これにも驚きが隠せない。
ちなみに父のスイッチが入るタイミングはわからない。なんてことないことですぐに機嫌を損ね、騒ぎ暴力をふるう。
学校とか、勉強とか、そういうことにトラウマがあるらしい。そりゃあその語彙力じゃまともに授業も理解できなかったことだろう。私が勉強をしているのを、邪魔してくる。私は楽しくて勉強しているけれど、あの人からしたら文字ってだけで恐ろしいものなのだ。だから、私達は分かり合えない。
父は作業所でなんとか働いている。けれど、そこでいらないとか言われたとか言われてないとかで今ずっと家にいる。私の就活に関することにも首を突っ込んできて、ここ一週間こちらもだいぶメンタルに来ている。そんな素振りお首にも出さないけれど。
何度も離婚しろと母に詰め寄った。母はストーカーと化す可能性に対して危惧している。大学に行かせてくれていることにはこの上なく感謝しているけれど、今までの積み重ねを思うと、父親に殴り殺されればいいのでは?と思う時もある。そんな度胸は父にはないが。
父がこんなに歪んだのは、父の両親、私からすれば祖父母に多大な問題があるのだ。それをわからせようとしても、私の話す言葉が理解出来無いから、ずっと無意味なのだ。多分壁にでも話してるほうが生産性があるレベル。結局父は両親を恨みながらも、認められたいのだ。
私も私で父にとらわれている。
性的被害にあったわけではないけれど、他人に触られるのが怖くてたまらないのだ。場合によっては過呼吸のようになる。普通だった私を返してほしい。そもそも普通だった時期があるか曖昧だけれども。
父は私を20歳を超えた人間だと分かれないのだ。そして、自分が何歳かもわかっていない。いつまでも周りが可愛い可愛いと世話を焼いてくれる弟のつもりなのだ。アラフィフにして。痛いな。
私が家を出て行ったら、この人たちはどう暮らすのだろう。好きにすればいい。私の人生ではない。けれど思うのだ。どこまで両親は私の影のように、私についてくる?
二十歳を超えたら私の責任でもある。全て親のせいにはできない。愛着の問題とか、その他諸々、私が上手いこと向き合って、理解してくれる人とゆっくり関係を構築するしか無い。
私の家には、宇宙人がいる。
永遠に分かり合いようのない、分かり合うための道具がない人がいる。
私が帰りたい家は、どうしたら築けるのだろう。それをずっと、考えている。
チンポこするしか脳のない猿どもよ、よく読んでいけ。
俺は男だが、基本的にマンコもアナルも同じようなもんだと考えている。マンコもアナルも内臓だ。そこで快楽を感じるプロセスにはそれほど大きな差はないと思っている。もちろん想像でしかないが、自分で経験するアナルの快楽と、実際に見聞きする女の感じ方には数多くの共通点がある。
ちなみに俺はホモではない。ノンケだ。エネマグラを嗜むこともあるが、バイブやディルドーを一人でズコズコするのが好きだ。
アナルを知る前の俺はAVで女が目をつぶるのが不思議だった。(目を開けてるやつはだいたいカメラ目線で演技臭い)
もっと自分を抱いている男のことを見るべきじゃないか。目をつぶり男を無視して自分の世界に入ってんじゃねえ。そんなことを思っていた。
しかし、俺はアナルを知ることで、セックス中に女が目をつぶる意味が理解できた。
快感が繊細なのだ。初期のアナルの快感は驚くほど小さい。か細い。それをきっちりと掴んで、意識して快感を増幅していかなくちゃいけない。目を開けていると集中できないのだ。俺は女じゃないしホモでもないからわからないが、目を開けて目の前で男がズコズコと腰を振っているのを見ていたら、たぶん中々集中できない。快感に向き合うために目を閉じざるを得ない。
だから、男はあまりこっちを見てとか言わないほうがいいようなきがする。集中が途切れる。
逆にずっと目を開けていても問題なく感じられる女がいるとするのなら、それはものすごい手練ではないかと思う。
あえぎ声をあげる理由はおそらく3つほどある。
1. 男が喜ぶ
3. 自分の気分を盛り上げる
他にもあるなら教えてくれ。
セックスというのはメンタルでするものだ。気持ちの盛り上がりが快楽に直結する。男だって心が弱っている時などはチンポの勃ちが悪かったり、途中で萎えてしまったりするだろう。経験あるだろうフニャチン野郎。
女もアナルも快楽を貪るためにはメンタルが最重要なのだ。気持ちが乗らない時や、他のことが気になって集中できない時は、なかなか快楽をつかめない。なにをやっても気持ちよくなれない。その気分が乗らない時というのが割りと普通にやってくる。今日ちょっと調子悪いぐらいの感じで。
俺も今日は大丈夫だろうと思ってズコズコし始めるのだが、全然集中できずになにも気持ちよくなれない時とかある。
そういう時に男がセックスしようとしてきたら、渋々付き合うにしても、なにも感じないし、中をほじくられてただ不快なだけだろう。あえぎ声をあげながら、「さっさとイキやがれ。クソチンポ」と思っているだろう。
そして、あえぎ声をあげるというのは疲れる。試しにやってみればいい。性的な声じゃなくても「はっはっはっはっ」と強く息を吐いて声をだすのを10分ぐらい続けるとわかる。しんどい。AV女優とかよくあんなに声出せると思う。しかし、まあ、気持ちよくて声を出してるならいいんだ。気持ちも盛り上がっていくし、過呼吸効果で快感も増す。(息止めオナニーとか窒息オナニーにも通じる)だが、気持ちよくないのに声を出している時は本当にキツイ。自分の場合はオナニーに集中できない時は途中で止めるだけだからいいが、女の場合は男がイクまで付き合わなくちゃいけない。これは本当に苦痛だと思う。
このスイッチを入れるのが大変だ。スイッチ入れるためにはこれまで書いてきたような前提が必要だ。
小さな快感を捕まえるのは女が勝手にやるから男は好きにしていいか、と言えばそんなことはない。まあ、はじめは優しくして徐々に感度を上げていくというのは、セックスの基本だから特に説明する必要もないだろう。挿入後も同じだ。いきなり全力ピストンなんてしても中の準備が整っていないから痛いだけだ。中も小さな快感を徐々に大きくしていかなくちゃいけない。スイッチが入っていないうちはピストンすらいらないレベルだ。腰を悪くしたお爺ちゃんになった気持ちで丁寧にやるといいだろう。スイッチが入るまではそのぐらいで十分だ。逆に早すぎるピストンを繰り返すと感覚が麻痺してしまって快感が逃げてしまう。
じゃあどうすればスイッチが入るんだといえば、感度が上がってくると明確に気持ちいいポイントが出現する。スコアを稼ぐと隠しアイテムが出てくるみたいな感じだ。そのポイントを繰り返し何度も重点的に責められると、ものすごい勢いで感度が上がっていってスイッチが入る。もう気持ちいいしか考えられなくなる。バカになる。もう好きにして状態。好きなだけおちんぽついて状態。この状態になって初めて強めのピストンでも気にならなくなるのだ。
だから、自分がイキそうになったからって勝手に高速ピストンを始めるようなやつは糞だ。
まずは女に気持ちの良いポイントを聞くところから始めたほうがいいんじゃないか。
10年以上前の情報も含まれているので、現在とは異なっている可能性もあります。
この記事について、「昔のことだから今は違う、今の体育は楽」という意見があるようです。
最初に記事を書いてから5年ほど経っているので、多少は状況が変わっているかもしれませんが、
大きくは変わっていないと推測できます。
理由は、韮山高校の体育科の教員は20年以上異動しないのが慣例になっているからです。
ほとんどの教員が40歳前後で韮山高校に赴任し、そのまま定年退職まで勤務を続けるというパターンです。
教員達が10年前と変わらない顔ぶれなのに「昔とは違う」と言えるでしょうか?
●服装
・女子は股下10cm丈の黒いショートパンツ(ホットパンツ?)。体育座りをすると下着やナプキンが見えてしまう。
・太っている生徒は露出した腿がこすれて股ずれを起こしてしまい、赤く腫れあがることがあるが、特に配慮されない。クロカンでは身体的にも精神的にも激しい苦痛を伴う(後述)
・ジャージの着用は禁止。そもそも学校指定のジャージはない。冬期に寒冷じんましんが出る生徒がいるが、特に配慮されない。
・準備体操まではジャージを着用していても良い。その際のジャージは部活のジャージでも私物でもなんでもいい。
以下、補講が科せられる授業について記します。
●水泳
・ひたすら泳がされた。
・泳ぎ方は教えてくれなかった。平泳ぎは手足の動かし方が分からなくてできなかった。
・泳ぎ方を教えてほしいと教員に頼むと「他のやつを見て自分で学べ」と言われる。
・授業を欠席・見学すると放課後に補講があり、500m泳がされた。
・補講では足をついていいのはプールの端だけというルールがあった。つまり50mは足をつかずに泳がなくてはならない。
・足をつくと50m無効になった。
・まったく泳げない生徒は10m泳いでは足をつき、プールの端まで戻り、また10m泳いでは足をつき・・・を2時間繰り返し、教員から「もうお前帰っていいよ」といわれるのを待たなければならなかった。
●新体力テスト
・韮山高校は新体力テストが男女とも県1位なのを誇っており、新体力テストで記録を伸ばすためにさまざまな工夫(と不正)を行っていた。
・まず全種目のテストを行い、2ヶ月間授業と補講でトレーニングを重ねて記録を伸ばしていく方式。
・最初のテストで目標値に達しなかった種目があると補講票が渡された。
・補講票はA7くらいの紙片で、種目名と氏名欄、補講日とその日の記録を書く欄があった。
・各種目、少なくとも週1日は補講日が設定されていた。
・シャトルランなど補講対象者が多い種目は週3日などもあった。
・補講は放課後に行われた。反復横跳びなら反復横跳びを行い、記録を補講票に書いて体育課に提出した。
・記録が目標値に達していれば補講票は返却されない。もうその種目の補講に出る必要はないということ。
・記録が目標値に達していないと「再」のハンコが押されて翌日朝にHRで返却された。
・目標値に達するまでは、何回でも補講に出席し続ける必要があった。
・体育の授業での記録を補講票に書いても良いことになっていた。
・体育が苦手な生徒は複数種目で目標値未満なことが多いので、毎日補講に出る必要があった。
・補講が長引いたり、毎日のように補講に出ていると部活動への参加が遅くなってしまった。
・補講は部活動に優先したが、補講のせいで部活動に遅れると顧問から叱責された。
・シャトルランの補講に週3回出ていると疲労が溜まって記録がどんどん悪くなった。
・補講対象者が減ってくると一日で全種目を行うこともあった。疲れるし、部活に出られなくなった。
・結局、補講を終わらせるために生徒は実際の記録より高い記録を補講票に書くようになった。
・そもそもこの補講システム、生徒が自発的に記録を改ざんするのを狙っていたようだ。
・補講システムが功を奏し、韮高は十年以上連続で新体力テスト県内1位を達成している。チーム韮山の成果である。
●クロカン
・授業時間内に走りきれない人は前の授業を途中で抜けて、先に準備してスタートするよう指示があった
・全授業で、絶対に指定された距離を走らなければならない。脱落は罪。
・途中で過呼吸を起こすなどしてリタイアした人や授業時間に間に合わなかった人は教員に車で回収されるが、その際必ず罵倒された
「気持ちが足りない」「気持ちが弱い」「気持ちが表に出ている」など抽象的に罵倒された
・ぜんそくやチアノーゼを起こしている人も罵倒されていたし殴られていた。
・太っていたり脚が太い生徒は股ずれが悪化し出血することがあった。
・股ずれの出血は、はた目には急に生理が始まったようにも見える。恥ずかしさのあまりか、顔を覆って泣きながら走っている生徒がいた。
・見学した人は後日の放課後に授業と同じ距離を走るノルマがあった。
・たとえば1週間風邪を引いて授業を3回休むと5km*3=15kmが課せられる。風邪が治り次第毎日走って少しずつ返済しなくてはならない。
・クロカン本番の順位は指定校推薦と密接な関係があると聞いたことがある。
●「韮高の体育は第二の入試」
・「韮高の体育は第二の入試」という言い回しがあった。主にお互いを励ますときに使ったりした。
・「韮高の体育は高校入試並みに辛く厳しい」の意だが、体育に耐えられなくて不登校になったり、中退したりしてしまう生徒がいるのは仕方がない、という意味もある。その生徒は「第二の入試」に不合格になった、ということ。
●影響
・文化部の女子生徒を中心に、市販薬の乱用が流行した。「ロキソニンを5錠飲んでから走るとお腹が痛くならない」などのテクニックが広まっていた。
・中退率は2%台後半から3%。一応進学校なのに全国平均を大きく上回っている。
●近年の動向
もはや何のために生きているのか全くわからない。
もう疲れた。ゴールしたい。
死んだらウンタラカンタラという人はよくいるかも知れないけど、正常じゃない精神をもっているひとは死ぬのが一番ラクな方法であることをしっている。
せっかく死ぬんだから死ぬつもりで頑張れといっている人もいるけど、やっぱり死ぬのが一番ラクなんだ。
どこでこんなふうになったのか、ちょっと振り返ってみるとする。
そこまで人生に悲観するような人ではなかった。あたりまえだ。このころから壊れていたらそれこそ怖い。
自発的に物事に取り組めていろんなことを楽しんで経験できたと思う。
だけど、今思うと凶兆はでていたのかもしれない。
ただ要領はよかったので、少ない努力で他人を打ち負かすことができた。
この時からか、勝ち負けにこだわり続けるようになったのか。
この時も持ち前の要領の良さを活かして勝負ごとではそこそこの成績は残してきた。
だけど、嫌な逃げ癖を覚えてしまった。
部活は剣道をやっていたが、練習がとても厳しくよくサボっていた。
しかも練習をただサボるのではなく、練習中にわざと倒れたり、持病があるといって病院に行くと嘘をついたりしていた。
つまり外面を守りながらサボる、クソみたいなサボり方だったのだ。
わざと過呼吸を起こして家に帰ってゲームをしていたということもあった。
救いようが無いな。
そのせいであとで自分の首を締めることになるとは思ってもいなかっただろうに。
地元でトップという理由で高校に入った自分は何の目標もなくのうのうと生きていた。
部活も中学校の時みたいに苦労したくなかったので、ほとんど遊んでいる登山部に入部した。
高校3年の夏、担任の先生に志望校を伝えたら鼻で笑われたから、頭にきて大学受験の勉強をした。
それだけだったな。振り返ってみると
そこそこの大学(旧帝)の理系に入ることができたが、入った目的は担任の先生を見返してやりたいということだけだった。
入ったあと無気力になり、サークルにも入らず家に引きこもるようになる。
厳密には大学には行っていたので引きこもりでは無いが、授業を受けて帰宅してネットサーフィンをするという日々を繰り返していた。
無論友達もほとんどいない。どこの大学にはいるのが重要ではなくて、大学に入って何をやるのかというのが重要であると気付き始める。
このときから、生きる目的を探すように、探すことにすがるようになる。
生きる目的も人生の目標も無い私は、学年トップの成績がなければ配属競争に負けるという噂があった研究室の名前を配属希望書に書いて提出した。
単なる見栄だ。自分が他人より優れているということを証明したかった。
いま思うとこれが人生最大の過ちだったと思う。
もちろんその研究室の専攻分野に興味を持っていたのは確かだった。しかし、大まかな動機は上にあったソレだ。
ここの研究室の人たちは皆優秀だった。噂通りだった。
しかもみんな背骨のあった人であった。(http://next49.hatenadiary.jp/entry/20090222/p2)
自分にはなかった。もっと言えばこの時に育てることができなかった。
見栄で研究室内でだれもやってない難しいテーマを選び、玉砕した。
そのテーマの研究は企業との共同研究だったため、強い責任を感じていた。
また誰もやっていないテーマだったため、質問しにいっても迷惑がかかると思い、質問にあまり行けなかった。
行ったとしてもすごく辛かった。迷惑を掛けている気がして。
次第には研究室に行かなくなった。教授に、先輩に、同期に、クソ野郎のレッテルを貼られるのがいやで。
順調に悪循環を築き上げていった。
卒論は糞みたいなのを書き上げて卒業した。自他共に認める糞だった。
大学成績が良かったため、大学側から賞を戴いたが、自分は糞製造機にしか過ぎず、もらうには不適切だと思って更に気分が落ち込んだ。
旧帝の理系学生は院に行く、というよくわからないしきたりに流されて、大学院に行った。
これも間違いだった。糞製造機と成り果てた自分はもはや研究に熱意もなく、ただただやらなければならないことをこなすだけだった。
面白くもなく、楽しくもない。
今M1だが、生きる目的も目標もなく、割り振られた仕事すら放棄し、研究室にも行かず、ここ増田で愚痴を書いている。
精神科にも行った。カウンセリングにも行った。だけどやっぱり何のために生きているかわからなかった。
もうなにもしたくない。生きる目的もない。
こんな苦しいことが続くなら、とっとと楽になりたい。
振り返ってみると、糞野郎になった原因は、逃げて逃げて楽して見栄をはったからだとわかる。
至極当たり前だ。しかも中身がない。
そんな人が、中身のある集団(研究室)に放り込まれた結果、病んだだけ。
なるほど。
22年間生きてきて学んだことがこれだけかと思うと涙がでてくる。
相性とかで当たりはずれって絶対にあるんだよ。医者は専門の病状もあるし。
医者探しは苦労するよ。キレたり怒鳴ったりするのだっているんだ。
過呼吸の対処を知ってて自分で解決させられてるし、その医者よりしっかりしてるんだね。
同級生で自立神経失調症の子も無理して会社に出たらこじらせてやめてしまったよ。
君の親も最初にあった医者もたぶん君の指一本も頼りに出来ないと思う。
それでも自分がどうして苦しいのかは探した方がいいと思うんだ。
人は嫌な記憶を奥底にしまうし、忘れたつもりで傷つきっぱなしのことがある。
自分は小学校くらいから自分はいない方がいいって思うようなポンコツだった。
幼稚園時代は親のママ友付き合いのたびに比較されて叱られてたし、
父親は気分で接し方がコロコロ変わるし、すぐ指摘するので表情を見せるのも怖かった。
小学校では団体行動をするたびに足手まといになり他の子と一緒だったらよかったって言われたりしていた。
よく教室を飛び出したり、グループ行動になりそうになるとすぐ保健室に向かっていた。
しかし二次障害とアスペの発覚は中学不登校になってからさらに経った高校卒業頃だった。
みんなが進路に悩んでいる中、私は教師に手帳の取得を勧められた。
その施設は怒鳴られ無視され、その後はデイケア先の医者にも怒鳴られ、もう場所探しが怖くなった。
親には学生の頃カウンセラーに怒鳴られれば、話を聞いてもらっているのになんてことをと冷たい目で見られ、
発達障害だとわかればいじめられるのは貴方が変だからと相手の悪意を全く考えず責められた。
本当に働けそうにもなかった。今も結婚して専業主婦。家事しか出来ない。
本当は働いて旦那ともっと出掛けたりカルディで調味料を買ったりしたい。
親に言われた人の辛さがわからない奴って言葉をもう言われないようになりたい。
ただパニックになるせいで勉強が出来ない。塾ですら舌打ちされるんじゃってビクビクしてた。
イライラや不安からすぐめまいと過呼吸が起きる私には約束事をするのも難関だ。
私のようなクズが1番言われて困るのはやってることに意味があるという言葉なのだ。
そんな言葉が通じる世界なんて私は現実でちっとも見たことないのだ。
何をするにも金、その金の責任を問われ、趣味も捨てると脅されることからろくに作れなくなった。
うつの治療はしたいことをすることらしいが、実際問題、裕福なわけはない。
ただそれでも、私に気を使いながら働くことよりも私がいない方が生産率が高いのは確かだ。
規約など一通り読みましたが、暗黙のルール等に違反していたらごめんなさい。
手足の打撲で済んだのは運が良かったのか悪かったのか。
陰口や無視は日常茶飯事だったが、いじめがあったわけではない。
ただ息苦しかった。世知辛かった。
理由があったわけでもない。
同じ服を着た知らない人がたくさんいる。それが何故か怖いと思った。
意見が合わないと白い目で見られ、無理に合わせても白い目で見られる。
息苦しかった。
もちろん友達はいたが、ごく少数で、その友達とも次第に話さなくなっていった。
「あなたが生きていることが恥ずかしい」
「私を馬鹿にしている」
それじゃあ制服を着るだけなら、と思って着てみた。
手足が震えた。震えているせいでうまくホックがとめられない。
無理にホックを留めたがすぐに頭が痛くなり、過呼吸を起こした。
対処法は知っていたので、咄嗟にキッチンまで這って行き、ビニール袋でなんとか息をした。
ああ、私は病気だと思われていたのかと、その時初めて知った。
もう少しカウンセリングに近いものを想像していたが、実際はいくつか問診を受け、シートを記入しただけだった。
その時医師に言われた。
今でも忘れない。
一度たりとも学校を面倒に思ったことはなかった。
毎日きちんと行けたらこんなところに連れていかれるはずがない。
知っているような口を聞かないでくれと思った。
二度と心療内科には行かなくなり、学校も夕方にたまに行くだけになった。
そのうち2年になった。成績は死んでいた。
3年になった。気づけば受験生だった。
成績も出席日数も明らかに足りない。
この時期は受験生みんなが慌てるが、私は何もしなかった。
1年の教科書の問題を解いてみたりしたが、まったくわからなかった。
学校に行かなかったことは後悔していないけれど、提出物とテストを受けなかったのは後悔した。
結局定時制に行くことにした。夜間ならなんとかなるかもしれないと思った。
受験寸前になって必死に勉強し、問題集もだいたい解けるようになった。
「私は子供の気持ちを理解しているけれど、子供は私の気持ちを分かってくれないんです」
あまり覚えていないが、そんなようなことが書いてあった。
自分のことで精一杯だから不登校になるのに、親の気持ちなんて分かるわけない。
けれど子供ながらに悩んで、考えて、出した答えが登校拒否だったら?
親が無理に行かせる理由がどこにあるのか。
無理に学校に通わせられ、疲れ果てて卒業式直後に自殺した先輩を知っている。
死に対する恐怖に、心の疲労が勝ってしまった結果だと、私は思う。
誤魔化すことはできても、消費はなかなかできない。
スタンプカードがいっぱいになったら私もきっと自殺していただろう。
遺書は公開されなかったが、同じ境遇でなくてもとても苦しんでいたのは想像できる。
まとまらなくてごめんなさい。
不登校や登校拒否をするみんなが生きやすい世界になりますように。
追記 12/1
たくさんの反応ありがとうございます。
誰かに聞いてもらいたくて書いたのですが、こんなにたくさんの意見を頂けるとは思いませんでした。
ひとつひとつの言葉が暖かくて、読んでる最中涙が止まりませんでした。
私の周囲に不登校を受け入れ、理解してくれる方が少なかったので、こんなにも受け入れてくれる方がいたんだと感動しました。
定時制に向けて受験勉強していますが、通信制高校に勧めてくれる意見が多々あり、少し考えてみようと思います。
それだけでなく大学に行ったほうがいいとのコメントも頂き、真剣に考えるきっかけになりました。
この文章を読んでくれた方の中にも、同じ年代の方がいるのではないかと思います。
昨年末、私は仲の良かった(と思っていた)友人に大変ひどい裏切りを受けた。
それまで迷惑をかけられてもまだ許せていたが、その出来事により許せなくなり
Facebookは繋がったままだったが今日久々に開いたらその友人から鬼のようにDMが来ていた。
つい先週にまでおよぶ。
連絡を取らなくなって10ヶ月近く。
もういい加減許して連絡を取るのが大人のやることだと頭では理解している。
どっとストレスがたまって、他に何もしたくなくなってしまった。
裏切られた内容は、本人は自覚がない。今までもたくさんの友人から連絡を切られて
もう対話は一切したくない。
死んで欲しいとすら思ってる。
でも連絡は来るしFacebookはミュートできないしブロックされたらすぐバレる。
どう考えれば許せるんだろうと言う気持ちと戦ってる。
どうすればいいの?
増田は昇降禁止お姉さんみたいなものです。(正しくはお姉さんを指示してた人)
何十回と使っててコンクール中はチーフとして動いたり、舞台装置動かせてもらえてたくらい慣れ親しんでいる場所なので、興奮しました。
(もう違うので書ける)
尼崎にあるアルカイックホールと呼ばれる会場が舞台(数年前名称変わってたな)
外観はサイトで見ていただいて分かるとおり、アニメは忠実に再現。
吹奏楽コンクール期間中はあそこが楽器置場として使われる。(繋がっている。聖地巡礼は難しいかと)
バスが止まってたところはホテル側だろうか。ホールの駐車場は屋根の下なので明るくないし広くない。
素晴らしかったのはホール内。(聖地巡礼したかったら吹奏楽するか芸能人になる)
下足箱が完全再現。大量の緑のスリッパに、並んだローファー。妙な狭さ。
コンクール仕様に整備された地下のリハーサル室。緑のシート。赤いカーテン(確か鏡だったかな)
楽器を出し入れしてた場所は中の声聞こえるんだろうか?まぁいいや。
ただ待機場所であんなにばらけさせてはもらえない(奥の方で整列して静かにしないと怒られる)
テレビを見ているのは舞台上に学校名などをアナウンスする女性。(あとくそ忙しいのにサボってるスタッフ)
あのでこぼこした反響板が一気に動くので、曲終了少し前にはあの裏に居たら超怒られる(頭打って死ぬから。あのホールで唯一気を付けないといけない場所)
あのホールの素晴らしさは客席の壁が何故か煉瓦張りなところと、凸凹の反響板。
書き込み完璧だった。あの反響板が関西でも音響最高と言われるホールを作り出している。(「音響家が選ぶ優良ホール100選」にも選ばれている)
ライトも完璧。実際舞台上から見たコンクール仕様で設置された景色。
あのホールはよく目に見えないレベルの埃とライトでキラキラするので、演奏家になると実際に久美子が見ていた指揮者だけが浮かぶ幻想的な景色が見れる。
客席もなにもかも、そっくりそのまま。
全く気にならないけど一応現実と違う点を言うと、会場スタッフはもっと多い。
地元のボランティアの吹奏楽部の学生、OBが楽器を運び、舞台設置をして、案内をしている。
コンクールメンバーに選ばれなかった生徒たちが待機するのは上手側(アニメは下手側だったかな?)
なのでアニメの倍は人が居る。
リアルを追及すると、あの裏には緊張による過呼吸などで倒れている学生が居たりする。
あとこのアニメには色々ツッコミどころはあるんだけど…………(コーチ少ないとかレッスンしてないとか赤リボンでコンクールには出ないとか)
それでもリアリティが凄い!内部のドロドロや、一人楽器に向き合うからこそ起こる友人との共依存関係。
増田の下の学年も同じ中学から大量にきて、ある時一気に辞めたので、胃が痛い!
胃が痛くなりながら見ている!
このアニメが夢の全国大会に連れて行ってくれるのかなぁと期待しています。
リアルすぎて、いろいろ思い出して、5話は泣いちゃったよお姉さん。
「娘が気持ち悪い」http://anond.hatelabo.jp/20161102211759
を読んで、昔の自分を見ているようでとても懐かしい気持ちになった。ちなみに私は娘さんの立場です。
私の父は私にとても愛情深く接してくれました。小学校の時、クラスメイトの男の子とケンカをしてケガをした時、家に帰って来て母親から話を聞くなり、「うぉぉおお!!俺の娘に、何てことしてくれるんだぁぁああ!!」と突如絶叫して家を飛び出し、暫くして「相手の子の家に怒鳴り込もうと思ったけど、よく考えたら家の場所を知らない」としょぼくれて帰って来るような、私のこととなると見境のなくなってしまう、ちょっとお馬鹿な人でした。私はそんな父が大好きでした。
小学校~中学校くらいはそんな父ととても仲良くしていたのですが、私が高校に上がったころ、ある時を境に何故だか父に対し、「気持ち悪い」という感情を抱くようになりました。父は同世代の男性と比較すると、適度にオシャレにも気を使うし、ハゲでもないし、デブでもないし、清潔感のある男性だったのですが、何故だか父親の匂いが嫌だ、と感じるようになりました。次いで休日にちょっと伸びる無精髭が気持ち悪い、洗面所に置いてある髭剃り、歯ブラシが気持ち悪いと次々に父の所有物、如いては父自体に嫌悪感を感じるようになりました。
ある日、部活が終わって家に帰ると父が先に帰宅していて、玄関に靴が置いてありました。私は瞬時に「あぁ、この靴と私の靴を近くに置きたくない」と感じ、父の靴を玄関の外に出しました。何の気もなしに、パパッとやってしまったんです。翌朝、父が出勤する際、「あれ?靴がないよ」と言い、母を呼びました。「ないよー?なんで?なんで?」と靴を探す父と母を、私は見て見ぬフリをし、リビングでテレビを見ながら朝食を食べていました。暫くして、父を見送った母が戻ってきて、「あなた、お父さんの靴外に出した?」と私に聞きました。私は「臭かったから。外に出しておいた方がいいと思って。忘れてた」と答えました。母は「そうだったの」と、答えただけでしたが、母はあの時点で私の変化に気が付いていたのだと思います。
その数日後、私は母に「洗濯するときは父の物と分けて欲しい」とお願いしました。母は私に、前述の増田についたブコメのようなことを一つ一つ教えてくれました。人間も動物であり、父に嫌悪感を感じることは正常な働きであること、自分も昔同じ経験をしたから、私の気持ちも十分にわかるということ。最後に「でもお父さんはあなたが大好きだから。それを言うと絶対に傷つくから。なにかこうしたい、ということがあれば、母さんに言ってね」と言ってくれました。その後少しすると父専用の洗濯籠が登場しました。私と母の服はほぼ毎日、もしくは二日に一回洗濯機を回してましたが、父は洗濯籠に1週間分の洗濯物を溜め、週末に自分で洗って干していました。父は特に私に何も言わず、淡々としていました。その時の私はそれを見て(いや、実際臭いし、気持ち悪いし、当然でしょ)という思いしかなかったのですが、その後、父の思いを、辛さを痛感させられることになります。
ある夜、父がシュークリームを買ってきました。私の大好物です。「よかったら食べて」と言いながら、シュークリームを冷蔵庫に入れる父を私は無視しました。シュークリームは何日も冷蔵庫に入っていました。賞味期限がどんどん近づきますが、私は父の買ったものが食べたくないので放置していました。ある日の夜、キッチンに飲み物を取りに行くと、父がリビングでシュークリームを食べてました。チラッと一瞥をした私に、「ゴメン。賞味期限切れてたから」と父は言いました。私は少し胸が痛くなりました。けれど、そこでも父を無視してしまいました。
父はどちらかと言うとインドア派で、休日は家で読書をしたり、レザークラフトをちょこちょこ作ったりする人でした。けれど私は父と同じ空間にいたくなくて、休日に父が家にいれば私は外出、父がいなければ私が家にいる、というような状態になりました。しかしあるタイミングから、休日に父が家にいることがなくなりました。
そんな生活が続き、高校3年に上がる頃、父が事故に巻き込まれました。
土曜日のお昼に家の近くの交差点で、わき見運転をした車に突っ込まれ、頭を打って病院に運ばれました。家に電話が来て、母と大慌てで病院に向かいました。父はICUで呼吸器を付けて寝ていました。お医者さんが頭を強く打っていて、危険な状態であり、意識が戻っても障害が残るかもと言いました。号泣する母を見て、私は「こんなドラマみたいな展開が自分の家族に起こるなんて」と急な展開に放心しながらも、どうして父にあんなに冷たく当たってしまったんだろう」と激しい後悔に見舞われました。父は何とか一命をとりとめ、搬送から三日後に意識を取り戻しました。けれど障害として、右手の親指から人差し指にかけて痺れが残ってしまいました。一方でこの程度の障害で済んで本当に良かったと、車がガードレールにぶつかってから父に突っ込んだため威力が落ちていたが、場合によっては即死でしたとお医者さんが後から教えてくれました。
父が入院している最中、私は母に「お父さんはどうして事故に巻き込まれたの?」と聞きました。母は「自分で聞きなさい」と、それしか言ってくれませんでした。ある日、私だけで父を見舞いに行ったとき、父に前述のことを聞きました。父は「俺が家にいるとお前が休日家で休めないだろう。だから、外でブラブラしてたんだ」と言い、「俺インドア派だから外での過ごし方がイマイチわからなくて、でも最近は水切りにハマってさ、昔よくやったんだけど、河原でこう…石を探すんだよ。できるだけ平べったいヤツを。それをな…」と説明しながら動かす右手が痙攣していて、それを見た私は堰を切ったように号泣してしまいました。相変わらず馬鹿な父にではなく、自分が事故の原因だったと知って、それでも私を責めない父に申し訳がなさ過ぎて、私は子供のように、過呼吸寸前になりながら病室で泣きました。「ごめんなさい!ごめんなさい!」と繰り返す私に、父は「母さんから全部聞いていた。暖かく見守ってやってくれと言われた。父さんはお前が大好きだから、お前が頑張ってるなら、父さんも我慢しようと思って」と言いました。その瞬間、私は今まで何を父にしてきたんだろう、父がどんな思いで過ごしていたんだろうと自分が恥ずかしく、情けなくなりました。これが、私の父に対する嫌悪感の終わりです。
あれから10年程経ち、今では周りが不思議がる程、父親とは仲が良いです。父は私に「お前が責任を感じることは一切ない、むしろ、不安にしてしまって申し訳なかった」と言っていますが、やはり当時のことには負い目を感じています。「娘が気持ち悪い」の増田さんも、別エントリで娘さんの行動に理解を示すことができた、と発言されていました。世の全ての娘が父親に対し、嫌悪感を抱くとは限りませんが、ブコメにもあった通り、やはり動物である限りは本能の上でしょうがないことだと思います。一方で、やはり人生の先輩である両親が、こういったことに理解を示し、適切な対応を行うことで乗り越えることができる、しかも乗り越えることで更に親子の愛情が深まる大切な時期(イベント)だとも思います。当該エントリを読んで、自身の過去を思い出し、勝手に書いてみた次第です。自身の過去を正当化するつもりは更々ないですし、我が家の対応が正しいかったともいえないですが、これが少しでも世のお父さん、娘さんのご参考になればと思います。
一晩明けてみたら、とても多くのブコメが付いていて、初めてのことに驚いています。厳しいご意見ありがとうございます。
私が父にしたことを本能だから(議論はあるようですが)と正当化するような書き方をしてしまい、反省しています。私が父にしたことは最低なことで、それはゆるぎない事実です。私が書きたかったのは、そんな馬鹿娘を両親が両親なりにサポートしてくれた、そのことへの感謝でした。今こうして上のようなエントリを書けるのは、両親が「あの時はね」と私に話してくれたおかげでもあります。
冗長になってしまうかと思い割愛したのですが、例えば父が自分で洗濯をしたことに関しては、両親の話合いの結果だったと聞きました。母は洗濯物を分けるのなら、私の分だけを分けて、自分で洗濯をさせると発言したそうですが、父が「自分の理不尽な発言のせいで、父親が自分の洗濯を行う姿を見て、何か感じてくれれば」と諭し、結果的にそうなったようです。
私自身、あんなに好きだった父を、何をされた訳でもないのに嫌悪感を抱くようになった時は戸惑いだらけでした。母は父を大好きでしたので、母に影響を受けた訳ではないですし、周囲の友人の中でも、父親と仲の良い子はたくさんいました。けれど、何故か父を気持ち悪いと感じてしまった。ちょうどあの頃「異性」というものを意識し始めて、一番身近にいた異性が父親で、どう接してよいかわからなくなっていたのかも知れません。今となって後付けで理由を付けることはいくらでもできますが。
父は「親の立場を利用して、なりふり構わず娘にいう事を聞かす真似はしたくない。一つ一つ自分で気が付いてくれれば良いと思った」と母に言っていたそうです。私はこんなにも勝手なことをしていたのに、両親が一生懸命に考えて私を導いてくれた、そのことに感謝してもしきれません。
「父が事故に遭わなければ最後まで気が付かなかったのでは?」というご意見も尤もです。両親は「いや、いずれは気が付いてくれてたよ。少しづつ変わってたよ」と言っていましたが、我が家のケースは結果論でしかありません。
今私は結婚して、男の子が一人います。夫にこの話をしたとき、「もしかしたらこの子もすごい反抗期を迎えるかも知れないけれど、一緒に考えて解決していこう」と言ってくれています。こんな風に思え、考えられるのも両親の教えがあったからだと心から思います。
ご意見をいただきっぱなしなのも悪いなと思い、少しだけ追記させていただきました。たくさんのご意見、ありがとうございました。
この事はずっと忘れていて、無意識にそんな経験はなかった事として生きていた。
同じ応援団の団長は学年が一つ上の喧嘩っぱやくて、後輩をすぐに殴る事で有名な人だった。
FATの事は嫌いでなるべく関わらない様にしていたんだけど、仲の良い友達が付き合っていたので、度々顔を合わしてしまう事があった。
放課後、応援団の練習をしに行ったらその日は団長しかおらず、彼女の事で相談があるとか珍しく真剣な顔をして言われたので、サッカー部の部室で話を聞いた。
彼女とはあまりうまくいっておらず、実は別に好きな人が団長と同じ学年にいると言われた。
団長の好きな人は小柄でとてもかわいい人で、私達後輩女子からも人気がある人だった。
私はなるべく友達を傷つけぬ様、早い段階で彼女に別れを告げて欲しいと伝えた。
団長は下を向きながらうなずき、私にお礼したと思う。
部室を出ようとした時、団長に腕を引っ張られてそのままレイプされた。
私にも同学年の彼氏がいたけど、手をつなぐ程度の仲だったし、もちろん処女だった。
頭の中真っ白の状態で部室を飛び出したら雨が降っていた。
傘なんか取ってくる余裕もなかったから、そのままずぶ濡れになったまま歩き続けた。
家にはなかなか入れなかった。
誰とも話したくなかった。
今日が誕生日で、応援団の練習が終わったら彼氏がプレゼントを渡しに10分だけ家に来るって約束だったけど、そんなの無理だった。
団長とは絶対に目を合わせたり話したりする事はなかったけど、誰にも何も知られたくなかったので、そのまま応援団を続けた。
それから数年後まで知らなかったけど、団長は私の彼氏に「お前の彼女とヤッたよw」と言ったそうだ。
団長には虚言癖っぽいところがあったので、彼氏は信じなかったと話していた。
それから十年後。
私は女友達と二人で都内(地元からは県をまたぐ)で飲んでいた。
中学生の頃に起きた事なんてすっかり忘れて、社会人生活を楽しんでいた真っ最中、奴は現れた。
話しかけられるまで気づかなかったけど、かなり酔っ払った頃に突然あの団長が話しかけてきたのだ。
何事もなかったかのように、「元気?今何してるの?」とか「どこに住んでるの?」とか聞いてきた気がする。
私は作り笑いだけして何にも答えなかったけど、一緒に飲んでいた友達は何も知らず、ノリの良い団長の会話を楽しみはじめていた。
一刻も早く店を出ようと友達に声を掛けたが、なかなか出てくれない。
私はお手洗いに行った。具合が悪いと友達に伝え、一緒に帰ってくれるよう頼もうと考えた。
席に戻り、友達にその事を伝えようと思ったところからの記憶が一切ない。
気がついたら、ラブホテルにいた。
終わったあとみたいだった。
団長は服を着て部屋を出ていくところだった。
ホテル代を投げつけられ、無表情で「またマグロだったね」と言って去って行った。
同じ人間に二度レイプされるなんておかしいし、私に落ち度があったとしか思えないとずっと自分を責め続けた。
二軒目だったし飲み過ぎたのだろうか?
でも、おかしい。
あいつが帰った後も体が重くてだるくて眠たくて、二日酔いとかそういう感じでもなかった。
それ以外考えられなかった。
それから度々過呼吸を起こしたりする事はあったけど、私はこれらの記憶を頭の中から抹消していた。
意識的にじゃなく、気がついたらそれについて考えなくなっていた。
そして更に十数年経った今、ジャスティン・リーが睡眠薬を飲ませてレイプしている動画を観てしまい、思い出した。
眠ったまままったく動かない女性を平然とレイプしてるジャスティン・リーの姿はあいつの存在を思い出させた。
また、同級生の話から、団長にレイプされたのは私だけでなく、中学時代から今に至るまでたくさんの女性がいる事が発覚した。
誰も訴えてはいないけど、彼にはきちんと特別にひどい罰が下っていた。
下った罰はとてつもないもので、ここには書けないけど、多くの女性が「ざまーみろ」と思っただろう。
私は彼を訴えようと思った事は一度もなかった。
他の女性達のためにも、きちんと訴えるべきであるという事も分かっている。
でも、訴えなかった。
訴えなくとも、奴にはもっともっと酷い罰が下る…そう信じていた。
思い出したらいたたまれなくなり、増田に投下してしまったが、これを書き終えたらまた普段の生活に戻る。
奴の事を引きずって苦しい思いをして生きるなんてゴメンだ。
私は幸せに生きる。
お前にかまっている暇はない。
お前を恨んでる時間があるなら、子供の為に笑う時間を過ごした方がずっといい。
さぁ、これで最後だ。
お前の事はまた封印する。
私は、特別、障害者に対して差別意識を持っている人間なわけじゃない。
生まれて初めての「発作」は、かれこれ30年ほど前、まだ8歳だったときに遡る。
それ以来、騙し騙し生活してきた。
食べ物を受け付けなくなり、倒れて、点滴に通ったりもした。
それでもなんとか大学まで進み、もうすぐ卒業か、っていうところで限界に達した。
車に乗れない。
当然、電車にも乗れない。
大学は1年休学後、退学せざるを得なかった。
精神病棟は怖かった。
昼夜問わず聞こえる奇声、隣のベッドの女の人は寝てるとき以外は始終ぶつぶつと独り言を言っていた。
こんなところにいたら余計頭がおかしくなる、と思って、早々に退院した。
今は、家族の運転でなんとか通院して投薬治療を続けている、けど、未来に対する希望はない。
大学に通えてるときは、このまま順調に大学卒業して、就職して、普通に生活できるのかな、なんて思っていた。
大学は、県内でも一番の国立大学に通っていた。いわゆる、「旧帝国大学」のひとつだ。
でも今では、引きこもりだ。
重度の引きこもりってわけじゃない。母にくっついて買い物くらいは行く。
でも、一人ではどこにも行けない。
いつくるかわからない発作に怯えて、通常飲む薬とは別に処方されてる頓服を肌身離さず持っている。(家の中でも)
夜中に、発作で飛び起きることもある。
過呼吸と動悸、幻聴なのか幻聴じゃないのかはっきりしない話し声。
家の前で誰かが立ち話をしてるのが聞こえて何度も確認にいくけど、もちろん人影はない。
でも、少しでも生活サイクルが狂うと、たちまち具合が悪くなる。
だから、季節の変わり目なんかは怖い。ちょっとした気候の変化が体調にダイレクトアタックしてくる。
もうすぐ38歳になるのに、結婚はおろか、ちょっとしたバイトさえ出来ない。
だから、生きてることに罪悪感を感じている。
高齢の親は、自分たちがいなくなった後の私の心配ばっかりしている。
1歳年上の兄は、親の死後は自分が面倒を見なきゃいけないと思っていて、長く付き合った彼女との結婚を諦めた。
そんなことしなくてもいい、生活するだけならなんとかなる、と言っても、たぶん家族の心情としては、放置出来ないんだろう。
私が、明らかに重荷になっている。
友達はいない。もうみんな結婚して家庭を持っているから、連絡は絶えた。
彼氏なんているわけない。そもそも外に出ないんだから、出会いがない。
そんな情報をネットで見たから。(精神疾患の場合は駄目っていう情報もあるけど)
日本だって、そろそろ、安楽死を認めてもいいんじゃないの、って思う。
死にたいとは思わないけど、自分がいなくなれば少なくとも家族の負担は減らせると思っている。
だから、病気だとかそういう理由のある人には、安楽死、認めてもいいんじゃないの?
自分が苦しいって言うのもあるけど、それ以上に、家族の、とりわけ兄弟の人生まで奪うのは、辛い。
いっそ血も涙もない兄弟で、こんな出来損ないの妹なんて気にせずさっさと家を出て結婚するような人間ならよかった。
そんなふうに思ってる障害者もいるってことも、知ってほしい。
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手足がないわけじゃないからさっさと自殺しろ、という人がいるけど、これ以上家族の負担になりたくないから(法的に認められた上での)安楽死を望む、という意味を理解できませんか?
もちろん、自殺は難しい。
世間の目、ご近所の噂話。
死んだあとまで家族の負担になりたくないと思うのは自然なことじゃないかな?
でもね、行動が極端に制限される中、そこまでたどり着けなかったよ。なんとか新幹線まで乗り込んだものの、新幹線の中で意識失って、気がついたのは病院。
ブコメした本人が、自殺したいけど手足がないから(不自由だから)自殺もできない人だったのなら、同じように安楽死が認められるように頑張っていこうよ、と思うけど。
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私もついこの前まで「もう内定取れなかったら自殺しちゃおう」って思ってました。
実際にナイフで自分を刺そうとしましたし大阪とあるの川に飛び込もうとして片足を出したこともあります。その時はたまたま電話が鳴って思いとどまったのですが。
でも、どうでもよくなりました。
「もう関西で働けるなら給料そんな無くてもいいし週休二日なら土日祝日で無くてもいいし。どこでもいいや!今年ダメなら来年やればいいや!」って思いました。そう思ってから気持ちがすごくラクです。生きていて楽しいです。
3月よりも前からインターンシップへの応募や合同セミナーの参加、マナー講座といろいろ予習したもののいざ解禁すると、50社以上ES書いても落とされるし筆記試験は勉強したおかげかサクサク通過しましたが面接では落とされ…。恐らく30社以上落ちていると思います。笑いたきゃ笑ってください(笑)
6月1週目ぐらいまでは「そこそこの大学通っていてみんなサクサク内定決まっているのに自分未だ内定無くてみんなより劣っている。恥ずかしい。」と思っていました。親にも「内定まだなの?●●ちゃんはあんたより低い大学なのにもう○○(大手生保)から内定貰ってるじゃない」って言われていました。本当に恥ずかしくて前を見て歩けなかったし電車で涙が止まらなくなり過呼吸起こすことも。
でもさ、そんな病み落ちした私にいつも「無理すんなって。」「いつかは決まるよ。」「まぁぱ~っと飲もう。あ、明日からデレステであんたの推しイベントやるで!」と声をかけてくれる人がいるもんなんですよ。
なので飛び込もうとした時も電話切った後、ふと彼氏や友達の約束、好きなアニメ、ジャニーズタレントのライブ、推しキャラのSSRを思い出したわけですよ。
「あ~あのゲームの新作出来なくなるから死ねないな。」「今死んだら数週間後のデートいけねーじゃん。」って思ったらどーでもよくなりました。
身の回りの人はお世辞だとしてもわざわざ遊びにいく時間作ってくれているわけですよ。その人達に何も言わないまま約束破るなんて失礼だなって。
それに私の周りってよく見たらアルバイトで生活している人とか非正規雇用同士だけど家族仲良く暮らしている人がいるんですよ。どこにそんな保証があるのか知らんが年収低いのに「嫁が無職でも養う!」なんて言う人もいるんだしww(私自分でお金のやりくりをしていたいので働きますが)。
なので「新卒とか大手とかこだわって死ぬの馬鹿馬鹿しいな。プライドと親孝行か彼氏やダチと激安居酒屋でちびちび酒飲むかなら後者だな。まぁ~バイトでもしてりゃ自分の金は手に入るんだしいっかー。」と思い就活とか怖くなくなりました。
長くなりましたが言いたいことはですね、
①同じような奴がここにもいるよ。
②別に今年ダメでも生きてりゃどーにでもなるよ。笑われたら一緒に笑っとけ。というかこの御時世、正社員になったって不安定なんだし。
③仕事が全てではない。たった30分のアニメが生きがいになることもある。
特に②を伝えたいです。金融業界なら今から探しなおしてもまだ50社持ち駒作れます。私は「転居を伴う転勤なし 大学からの採用実績あり」で絞っても50社まで持ち駒集めましたよ。私も利用していますが就活エージェントの力を借りるのもいいと思います。選考に関してはもう、「落とせるもんなら落としてみやがれ!セミナーで質問しても雰囲気という言葉しか使えないクソ御社め!」という姿勢で臨んでます。だって落ちても怖くないもん。(実はこの姿勢で面接受けるようになってから通過のお知らせが来るようになりました。)それに、今後も経済が傾く可能性だってあるんですしそれで落ちた会社が倒産した時は「え?会社潰れてクビになったぐらいで自殺するの?じゃあ死ねば?」って笑い返してやればいいんですよ。なんなら同業他社に就職決まったら落ちた会社潰すつもりで挑めばいいと思います。
内定も無いくせに偉そうなこと書きましたが、同じ就活生として応援したいし「そんなことぐらいで死ぬとか」って人の気持ちも考えられない想像力の欠如したコメントをしている奴がうざかったので届けばいいなと。
おめーも一度無職になってみろよ。たまたま“運よく”就職できただけの奴が何上から目線で叩いてるんだよ。自分も職を失う瀬戸際にいるくせに。
ある集まりで飲みに行ったんだよね だいぶよっぱらって吐きそうってか吐くわ早くかえろ~ってお店でたら急に○○じゃね?って声かけられてさ
そこで無視すればよかったものを振りむいたらいかにも結婚式の二次会ですって見た目の奴らがいたの
声かけてきたのは良く見たら知ってる顔で そうだこいつ中学んとき私のこといじめてたくせに成人式でしれっと写真撮ろうって声かけてきた奴じゃんってうける~~~~なんで今~~~~www
マジでやばい早く逃げよう なんで逃げなきゃいけないんだ ぐるぐる考えてるうちに被害妄想止まらなくなって
一緒に飲んでた友人たちまで馬鹿にされてるような気がして(実際されてたかもしれないけど良く覚えてない)
駅のトイレの個室にこもってたらどんどん色んなこと思い出してゲーゲー吐いてた
なんで今楽しく生きられるようになったところでこんなやつらにまた会ってしまったんだ
吐いてるうちに息が苦しくなってお酒に酔ってたのもあるけど頭痛いし気持ち悪いし呼吸おかしくなってくるし
気付いたら過呼吸なって今と過去がごっちゃになってまじで死ぬかと思った
一緒に飲んでた人たちはすっげえ心配してくれたし帰ってくれつっても個室の外から声かけてくれてて尊いわ~~って感じ
最終的にはドアこじあけて助けてくれたし迎え呼んでくれたしなんでここまでしてくれらんだろなありがとう 一緒に飲んでたのがこんなメンヘラでほんとごめんな
でまあ翌日落ち着いてきてからどうしても気になってちょちょっとツイッターで検索かけてたら出てきたよあいつらが出席してたであろう結婚式
なんでこいつらがこんな幸せそうな顔してるんだろうな
私はあいつらのせいでこじらせた(ってことにさせて)人間不信になったし
でもそこそこ頑張ってどうにかあいつらと離れたくて勉強してきたんだけど
彼氏もできたしいい友人にも恵まれてさ 他にもね、いろいろ。頑張ってるよ私はたぶん
でもどんなときもあいつらにされたこと忘れたことないし今でも突然思い出してよっしゃ死ぬかみたいになるし
カウンセリング受けたりいろいろしてみてもあのとき作った傷は心身共になかなか治らないわけで(ヒュ~~~かっこいい)
ずーーーーーーーーーーーーっっっっっとあの界隈に苦しめられてきたのになんであいつらは普通に幸せなわけ
なんで人から愛されて結婚して子どももいて人々から祝福されてるんだよ意味分かんねえよ
こいつら人の人生ぶち壊してんだぞ 知ってるのかお前ら 知っててそうなのか
はぁ~~~~~~~~~意味わかんねえなんでそんなクソみたいな遺伝子残せるんだよ意味分かんねえ~~~~~~~~
まあこんなこと言ったって何にもなんない知ってる~~~~~
くっっっっっそ他人に対してドライになったけどそれを活かせる仕事をねえ~~~~しようとしてるよお~~~~~~
それはさておき私は一生このクソみたいな思い出と付き合ってかなきゃいけないんですかね
私前世でなにしたんだろうね
せっかく最近やっと人生楽しい~~~~~って思えてたのにぶり返したよ 腹立つ 悲しいとかじゃなくて腹立つ
あいつらはたぶんもう忘れてるよ あんなことあったよね女の子ってこわいよね~みたいなね、そういう話でしか思い出さないんだろうけど
いっそあのときもっと深く切り込んでしぬのは嫌だからうーーーん入院とかしてたら変わった??お前らの意識かわった??
何が言いたいかわかんなくなってきた
■ インターンを雇って失敗した話 | MTRL BLOG.TOKYO
多くから批判を浴びたのに対して、社員の一人yutaishikawaさんという人物が社長を擁護する記事を書いて、火消しに失敗しているという。
■ 「インターン」ですがなにか? | MTRL BLOG.TOKYO
二人の記事の要旨は、インターンとして雇った学生が戦力として使い物にならなかった、金が無駄になった、彼らは批判をされて当然であり、今後インターンを雇わないのも今回のインターンのせいだ、というもの。
読んでたまらなく嫌な気分になった。そして、学生の心情を思い、ため息が出た。
あなたを励まそうと思って、この記事を書いた。「MTRL」「インターン」というキーワードであなたがネットを検索することがあれば、この記事がいつか、あなたの目に留まるかもしれないと思いながら。
どうか、自分を過度に責めることがないように。
まず、あなたの元ボスは、かなり特殊だという認識を持ってほしい。
日本には約260万の企業がある。それだけありながら、元社員をインターネットという公共の場で悪しざまにののしる企業はたまにしか出てこない。さらに言うならば、その中でインターンを採用している企業は4600社ほどになるのだが、インターンシップ制度の趣旨をわきまえていれば、いくらインターン生に不満を持っていようと、それを公言する事はまず無い。
つまり、佐野 恭平さんという人物が、一般的な社会通念を犯しているということ。
何十人とインターンを雇う企業の社長が、その年のインターン生をまとめて批判するのとはわけが違う。その場合は匿名性が守られるからだが、MTRLという企業ではたった二人しかインターンを採用していないというじゃないか。インターンには多くの人が関わっている。親、斡旋業者、大学などなど。そのすべての人が、この学生の「評価」を知ることになる。経営者として社会的地位もあり、信用される人物が、社会人となる前の一個人を、公共の場で口を極めておとしめた場合の危険性を、長年マスコミで働きながら知らないはずがない。
インターン生の成長を願って記事を書いたと、この社長は言い訳するかもしれない。だが、動機が正しければ過失責任すべて免れるわけではない。
子供を虐待する親は、「子供のため」「しつけのため」「わが子の成長のため」と言って虐待する。
教師が生徒を虐待する場合も、「教育指導の一環としてやった」と言い訳する。それが許されるかどうか、考えればわかるだろう。
コンプライアンスをわきまえた普通の企業では、個人を特定できる形でここまでその能力や人格を毀損することはしない。
「ブレストがろくにできたことは一度もない」
「アウトプットを形にすることができなかった」
「口だけであり行動が伴わなかった」
「仕事なんてたいして任せてもないのに、目の前のことにいっぱいいっぱいになり過呼吸になる」
「黙って座っているだけで5000円」
「『ファッション鬱』を着飾って」
社長と社員がよってたかって、教育の失敗、ジョブトレーニングの失敗を棚に上げて、元インターンだった人間を、ここまでくそみそによくぞけなすもんだ。
この記事を書いた社長は、主婦と生活社の月刊誌『JUNON(ジュノン)』に連載も持っているという。
日本全国に流通するメディアに寄稿している人間が、「社会常識を知らなかった」では済まされまい。
yutaishikawaさんは、「あいつら機能してないと思うんで、早々に切ってください」と社長に進言したという。まともな会社の常識のある先輩ならば、半人前の学生を育てようとしても、その芽をつぶすようなことはしない。大学を中退したから社会常識がない? そんなことはあるまい。こんなことを公の場で口にしたらいけないくらいはわかりそうなものだ。社長にしてもこの社員にしても、人間の尊厳や人権をなんと思っているのだろう?
日本では、人権がともすると軽んじられがちだ。キリスト教の「神の前ではすべての人間が平等で、等しく神から愛されている」という確信をもとに西洋では人権思想が根付いたが、日本にはその土壌がないからだろうか。本来ならば、仏教の「一切衆生悉有仏性」という思想に人権思想を接ぎ木しなければならなかったのに、明治維新の神道重視のため、日本の思想の根幹にある仏教が人権をサポートできなかったのが原因だろうか。
戦後70年で、人権思想が大きく根を張り花を咲かせつつある。しかしながらときおり、大企業の社長が労働基準法を守らず土日も忘れて働くべきだと放言したり、新卒採用した人物を過労死させながら反省しなかった人物が議員として選ばれることがある。残念なことだと思う。こうした日本の人権軽視が、ブラック企業を生み出す遠因となっている。
精神疾患を訴えるまでに追い込まれながら、会社ぐるみで中傷されて傷ついたあなた方へ。
初めての社会経験だから、そこでいろいろなことを言われたかもしれない。その通りだと思って、今、自分を強く、強く責めてしまっているかもしれない。それは大きな誤りだ。
もしも一生懸命に頑張ってもうまくいかなかったとしたら、その場所があなたに合わなかっただけだと、まずは思ってほしい。無能だとののしられていても、職を変えたことで大きな成果を上げて、人生が好転した人を私は何人も知っている。正しい場所にいなければ成功することはないのだ。もしもスティーブ・ジョブズがラジオ局で働いていたとしたら、あのように成功しただろうか、と考えてほしい。こうした思考実験を重ねてほしい。
などと追い込むが、それに騙されないでほしい。
そして、一人で悩むのではなく、こうした問題に詳しい人に悩みを打ち明けてみてほしい。そうすれば、心が軽くなるかもしれない。
たとえば、b:id:dennou-kurage氏は『脱社畜ブログ』というブログを書いていて、ブラック企業全般について詳しい。あなたが会社の中でどのように扱われたのかを、情報提供してみてはどうだろうか。
また、「はてな」には多くの論者がいる。彼らの意見に触れて、洗脳を解いてほしい。たとえば、常に弱者の目線に立ち、日ごろ感じる憤りを長年ブログに書き続けているkyoumoe氏の『今日も得る物なしZ』や、揉め事に詳しいhagex氏の『Hagex-day info』という著名ブログ、様々な難問を冷静に斬ることで有名な女性ブロガーtopisyu氏の『斗比主閲子の姑日記』などをのぞいてみるのもお勧めだ。彼らの正論の中で、常識を取り戻してほしいと願ってやまない。
それにしても問題は『JUNON』という雑誌である。次代を担うべき、貴重で弱い学生を数か月で精神疾患寸前まで追い込み、辞めた後も侮辱するような人間に執筆の場を与えるということは、彼の行動を支援するということに他ならない。「主婦と生活社」はどうお考えなのだろう?
こんな雑誌に広告を載せている企業もまたしかりだ。現在の号や次号に広告を載せている企業には(時間的に)責任はなかろうが、次の次の号に広告を載せた企業は、今回の社長の行動を黙認していると考えて間違いなかろう。それはどういう企業なのか、機会があれば追ってみたいと思う。