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2017-05-15

http://anond.hatelabo.jp/20170515165935

その辺って認知行動療法とかでズレを治すとかしか無いんじゃね?

そもそもパニック障害発症とかじゃなくて、パニック障害でも無い一過性過呼吸程度で「俺、パニック障害かも」とか思って、自分からパニック障害になっていく奴が多いって話。

本当に発症したら手帳レベルもあるし、プロに治してもらう必要あるだろうけど、そんなの本当に少なくて、大概はパニック障害手前で、案外治るレベルでしょ。

パニック障害ハードルの低さ

明確な基準いから、気温差や緊張から過呼吸程度でパニック障害とか言っちゃう奴多すぎ

もちろん、本当の障害持ちなら大変だろうけど、可哀そうなのは、そうだと思ってビクビクしたり、心配性になったり、自己判断で薬とか飲んじゃう奴(ヘボな精神科医に当たって診断されたも)

パニック障害でも無いのに、自分からパニック障害発症させちゃうのは、今後の人生の為にも勿体無いよね。

成功体験が一番の治療薬なのに、こういうのに限って「今回はたまたま、運が良かっただけ」みたいに謙遜するし

しょうもない事でもオーバーに褒める親族や友人居ると途端に治る。あら探し、マウンティング大好きな奴が居たら悪化一直線。

2017-03-31

部活動制度なんてやめよう

春山安全登山講習会登山部の高校生が亡くなったニュース

とても悲しく感じると同時に、昔ちょっとだけ高校教員をやっていた自分は、現在部活動の仕組みにまた憤りが湧いてきた。

部活動」を「ただの教員」が監督すること。

この安全面における危険性について、一人でも多くの人に知って欲しくて今回記事を書いている。

もちろん今回責任者とされる教員かばうつもりはない。

悪天候の中自然の力に大きく左右される競技を敢行したり、ビーコンや連絡機器管理がなっていなかったりなど、責任者である以上はその辺りは弁解の余地はない。

ただ、常日頃からこの国の部活動制度自体もっときちんと整えられていれば、このような事故が起こる可能性など元からなかったのではないかと思ってしまう。

在職中、部活動制度は本当に酷いものだった。

大前提としてその日の定時内での業務を終えた後に夜7時8時まで、または土日に終日部活動を見なければいけないし、その手当は土日の「日当」が千円ちょいなどだ。

週休0日など普通だ。

もちろん部活以外の業務ーー授業や授業の準備、テスト作成や200人分の採点、生徒指導クラス運営進路指導受験対策広報などの他の校務分掌ももちろん山ほどある。

これほど多くの業務を一人の教員が抱えているなんて日本くらいで、国際的に見ても異常なことである

ただ今回フォーカスしたいのは「部活動安全面」なので、教員多忙さについては今回は割愛しておく。

(だが本音ではこちらも世間に知ってもらいたい。)

さて私はスポーツ経験なんて高校の時に強豪でも何でもない普通卓球部所属していただけで、体育ではなく一般教科担当だったが、赴任して任されたのはサッカー部

サッカー一般的競技ではあるけれども、10代のまだ加減を知らない若い子たちが全力で取り組むのだから試合普段練習も本当に危ない。

だが、ボクシングなど特別資格必要競技でない限りは、毎年誰かが顧問枠に入らねばならない。

たとえベテランノウハウ必要危険の伴う競技であっても、例えばその年に前任者が離任すれば、適任者がいなくても誰かがその顧問枠に入らねばならないのだ。

そして実際、素人の私が見ていて、ゾッとしたことが何度もあった。

生徒が過呼吸を起こして倒れた。

生徒がボールで顔を打ち前歯がぐらついた。

生徒がもみ合って後頭部から床に倒れ、一瞬意識が飛んだ。

こんな緊急時に、スポーツに関して何の資格も持っていない、ただ「教員」をやっているだけの素人が、人命に関わる判断を速やかにしなければならない。

幸い大事には至らなかったが、運が良かっただけだ。

その生徒たちも、私もだ。

今回多数の若い犠牲者を出してしまった雪山での部活動

引率していた教員たちの中に、どれだけ登山に詳しくて顧問をさせられていた先生たちがいただろうか。

また「ベテラン教員が同行していた」とも報道されたが、私としては「どれだけベテランでも所詮教員だ」と思ってしまう。

だってあくま教員なのだ

登山専門家ではない。

授業をしたり、クラス運営をしたりという多種の職務の傍ら、その「片手間」と言わざるを得ない多忙な状況下で顧問をしてきたに過ぎない。

何年登山部に関わっていても、登山を専門にやっているプロではないのだ。

そんな人たちに子どもたちの安全と命を預けていいのか。

預けさせていいのか。

教員にとっても、子どもたちにとっても、本当に不幸なことだ。

もう、教員監督させる部活動制度はやめよう。

甲子園などの部活動文化が定着している日本では、なかなか難しいと思うけど。

でもせめて、登山サッカーなど危険が伴う競技を、その競技に関して無資格人間に、さらに他の業務多忙な状況下で監督責任押し付けるのは、今すぐにでもやめよう。

お金がかかっても、体育の教員を増やしたり、きちんとしたインストラクターを雇うべきだと思う。

部活動に励む生徒と先生」は青春の一部として美化されがちだが、そこに生徒に対して危険があるのならば、変革が必要ではないだろうか。

この話を「教員になったなら当然のこと」「自分で選んだ職業から仕方ない」で片付けないでほしい。

学校子どもの命を預かる現場だし、実際にこのような事故が起こってしまったのだから、この悪しき因襲と環境は一刻も早く改善されるべきだと思う。

一人でも多くの人が、現場から見た部活動の現状を知ってもらい、「おかしい」と感じてくれることを願っている。

2017-03-24

中学3年生、いじめられてたけど卒業

中学3年生です。

暴力などの、いじめを2年生の時からうけました。

学校に行けなくなり、とても辛かった。

いじめだと認めてくれない全ての先生学校の事が嫌いになって憎んだ。特に担任先生と、前担任先生を憎んだ。

そして学校自体を憎んだし、決して文字にしてはいけない事を考えたりした。

辛くて辛くて、生きていきたくなかった。

もう卒業するから波風立とうがどうでもいい、と思った。

いじめだろ、と強く言ったら認めはしないが「一年早く調査をしたりすればよかった」と先生が言い放ちました。

どうして一年早く何かしてくれなかったの?

あなた一年前にどうにかしてくれればよかったのに。

担任先生いじめが始まった日に「もう終わった事だから」と言って何もケアしてくれなかった。

そもそもその日に何かしてくれればよかったのに。

いじめる生徒は守って、いじめられる生徒は放置を貫きましたね。

当分はあの人たちを恨むことだと思います

多分、いじめてきた奴を見ても過呼吸になりそうにならなくなった頃かな。

涙が止まらない。本当に止まらない。

卒業出来て良かった。

担任先生ありがとう。前担任先生ありがとう教頭先生ありがとう、学年の先生ありがとう、その他の先生ありがとう

感謝してます

恨み、憎しみ、そんなのよりも感謝が強い。

もっと中学校行きたかったな。

2017-03-18

ナナコよりクレカの方が楽

セブンイレブンnanacoのことね。

いやべつにセブンイレブンにこだわってないからにナナコじゃなくてポンタでも良いんだけど。

いやでもポンタは使わないよ。僕は仕事でロ◯ソンにどえらい目にあったからね。

ロ◯ソン社員には感動すらしたもん、あれには。ホント

いや話がそれた。

クレカって最近コンビニ決済すごく簡単になったよね。

あれの一番いいのは言葉を発しなくて良いところ。


まずはナナコのケースを考えてみよう。

店員「お会計320円になります。」

僕「ぁっナナコで・・・ (ボソ」

店員「えっ!?

僕、何も言わずナナコを読み取る機械にナナコを力いっぱい押し付ける。

店員、僕が何かのカードを押し当ててることは分かる。しか割り箸やPOP広告などで見えない。大げさに身を乗り出してやっと分かる。

店員「あぁー↑↑ナナコですね!」ピッ!

プー

店員「アッあの、えー、25円、ですね、足りないようなんですがどうします?」

僕「ハァーハァ−!!」予想外の出来事によって過呼吸に陥る

と、このような事を毎回やっている。とてもうっとうしい。

「ナナコで」なんて言いたくないし、聞き返されるのも嫌だし、変な機械押し付けてその間片手が拘束されるのも嫌だし、チャージする手間も嫌だし、それを忘れた時のパニックも嫌だ。

これ系のやりとりっておサイフケータイも同じことやってるのかな?

おサイフケータイ使ったこと無いからよく分からない。

「アイディーで」とか「クイックペイで」とか、言ってる?

あっ「おサイフで」とかでも良いの?機械自動判別してくれるの?

まあなんか声出して言わないといけないんだから似たようなものかな。

その分クレカは良い。

あの小銭を入れるお皿にクレカを放り込んだらそれだけでいい。

あとは何も言わ無くて良い。

全部店員さんがやってくれる。

チャージし忘れもない。

最高だ。

ただ、うちの近所のセブンイレブンけがそうなのかもしれない。

他のとこの店員は「クレジットカードですね!?」と目を輝かせて聞いてくるのかもしれない。

「一括でよろしいでしょうか!?」などと殺意を抱くような愚問を突きつけて来るのかもしれない。

その辺は各社コンビニ指導しておいてほしいね

いや、・・・指導しないで!

コンビニ店員さんってやること多くて大変らしいし。

っていうか君たちコンビニアマゾン駆逐されてよ。

Amazon Goね。これよこれ。

https://www.youtube.com/watch?v=NrmMk1Myrxc

これあったらクレカ要らないじゃん。

スマホだけでいいし。

いや超嬉しいよこれ。

早くしてアマゾン

日本コンビニは真似しようとしないで。

特にロ◯ソン。

僕はあそこの上層にいる各種決定権を持つオジサンたちには本当に呆れたし、経営陣を総入れ替えでもしない限り何事についても彼らに良い仕組みは作れないと確信してる。

2017-03-05

適応障害からちょい回復したわたしが出来るようになったこと

大学サークルなんやかんやを起因とする適応障害と診断された。のが年末

たぶんそんな重くは…ないのかな?

お薬はレキソタンワイパックス頓服で服用。

レキソタン脱力感が強く出すぎてしまい変えてもらった)

あとは二週間に一回の診察とカウンセリング

先生に「だんだん元のあなたに戻ったのかな?」と言われて、元のあなたってなんやねん、厳密に元の私には戻らんだろうと思ったりなんだり。



出来るようになったことその1

・本が読めるようになった

2回目の診察でどうもご丁寧にADHD傾向の診断も頂いた。

確かに言われてみればADHDの症状に起因することで困ってるわ!どうしたらいいんですか?と先生に聞いたところ。

まあ専門書でも読め。本屋ごまんと売ってるから。とのお言葉を頂戴したので。

試しに心理学の本等々あわせて5冊ぐらい買ってみた。

そしたら読めた。読書が出来た。どえらい驚いた。革命が起きた…

それまでは教科書とか昔はめちゃくちゃ読んでた専門書とか、はたまたレジュメなんかが全く読めなかった。頭に入ってこない。画像だけ頭を駆け抜ける感じ。コントロール+Fを押して必要なとこだけ画像として認識してた。

まりにびっくりして感動し、Kindleワンクリックで本をポチる野郎と化したのであった。





出来るようになったことその2

・お風呂にきちんと入れるようになった、スキンケアできるようになった

毎回お風呂までは三時間ぐらいかけてなんとか辿りついていた。幸い実家しなの風呂は沸いている。

ただ、湯船に入るばっかりで、シャンプーとか、身体洗うとか、そういうのをごまかしていた日のほうが多かった。ただひたすらにダルイ。出来ない日の方が多い。次の日どーしてもやむを得ず出掛ける予定があってもだ。

はい。ちゃんと出来るようになりました。ドライヤーもかけれるようになりました。お風呂上がりに化粧水つけたりなんだりできます

思えばこれ診断受ける三ヶ月前ぐらいから徐々に酷くなってたような…

ていうかドライヤーで、髪の毛乾かしてから寝ると、風邪引かないんですね。すごい。

あとこたつで寝なくなりました。お布団まで行ける!!!




出来るようになったことその3

・昼間に居眠りしなくなった。

まあ疲れてたのもありますが、どこでも昼寝しなくなった。

ある時は眠すぎて学食意識を失ってた。自分もびっくりした。一回ならまだしも。ほぼ毎日だったし。

過眠?ぽいのは治まってきたなあと。





あとなんか1番悪い時期に過呼吸になり駅で倒れまして。それ以来ある種の記憶を想起させる出来事に遭遇すると、過呼吸になったり過呼吸未遂になったりしてたのですが、それもなくなった。動悸息切れぐらいで済んでる。





あとは…ほんとに頭のモヤがすっきり晴れました。半年ぐらい、1歩先も見えなかった。

人の言葉が聴けるんですね。今まで自分の言う事しか信用できなくて。謎の自分ルールにがんじがらめになってました。







そして何より死にたいって思わなくていい日って、こんなに生きやすいんですね。駅を歩いていて、ホームの端に引き寄せられることがないっていいですね。

半年ぐらい忘れてました。この感覚

周りの人、そりゃ毎日楽しそうにしてる訳ですわ。










ちなみに今後の課題就活でぶりかえさないかどうかです。時期もあったり進路変更なんだかんだで就活めちゃくちゃ出遅れまし…た…

2017-02-28

家に宇宙人がいる

宇宙人とは父親だ。

父は知的障害だ。話が通じない。

幸いにして私にはきっと遺伝していない。びっくりするくらい数学が苦手だけれど、日々の生活には困らないレベルだ。

彼はとにかく気にいらないことがあると、騒ぎ散らす。言語障害を抱えているらしい。幼児レベルの――死ねとか殺すとか、燃やすとか、語彙力の死にきった文句を喚くのだ。うち賃貸マンションなのに。ちなみに苦情が来たことはない。これにも驚きが隠せない。

ちなみに父のスイッチが入るタイミングはわからない。なんてことないことですぐに機嫌を損ね、騒ぎ暴力をふるう。

学校とか、勉強とか、そういうことにトラウマがあるらしい。そりゃあその語彙力じゃまともに授業も理解できなかったことだろう。私が勉強をしているのを、邪魔してくる。私は楽しくて勉強しているけれど、あの人からしたら文字ってだけで恐ろしいものなのだ。だから、私達は分かり合えない。

父は作業所でなんとか働いている。けれど、そこでいらないとか言われたとか言われてないとかで今ずっと家にいる。私の就活に関することにも首を突っ込んできて、ここ一週間こちらもだいぶメンタルに来ている。そんな素振り首にも出さないけれど。

何度も離婚しろと母に詰め寄った。母はストーカーと化す可能性に対して危惧している。大学に行かせてくれていることにはこの上なく感謝しているけれど、今までの積み重ねを思うと、父親に殴り殺されればいいのでは?と思う時もある。そんな度胸は父にはないが。

父がこんなに歪んだのは、父の両親、私からすれば祖父母に多大な問題があるのだ。それをわからせようとしても、私の話す言葉理解出来無いから、ずっと無意味なのだ。多分壁にでも話してるほうが生産性があるレベル。結局父は両親を恨みながらも、認められたいのだ。

私も私で父にとらわれている。

性的被害にあったわけではないけれど、他人に触られるのが怖くてたまらないのだ。場合によっては過呼吸のようになる。普通だった私を返してほしい。そもそも普通だった時期があるか曖昧だけれども。

父は私を20歳を超えた人間だと分かれないのだ。そして、自分が何歳かもわかっていない。いつまでも周りが可愛い可愛いと世話を焼いてくれる弟のつもりなのだアラフィフにして。痛いな。

私が家を出て行ったら、この人たちはどう暮らすのだろう。好きにすればいい。私の人生ではない。けれど思うのだ。どこまで両親は私の影のように、私についてくる?

他人本質的に信頼できない。

他人物理的接触ができない。

他人共感することができない。

二十歳を超えたら私の責任でもある。全て親のせいにはできない。愛着問題とか、その他諸々、私が上手いこと向き合って、理解してくれる人とゆっくり関係を構築するしか無い。

私の家には、宇宙人がいる。

永遠に分かり合いようのない、分かり合うための道具がない人がいる。

私が帰りたい家は、どうしたら築けるのだろう。それをずっと、考えている。

2017-02-20

アナル歴15年の俺がセックス時の女の気持ちを教えてやる

 チンポこするしか脳のない猿どもよ、よく読んでいけ。

 俺は男だが、基本的マンコもアナルも同じようなもんだと考えている。マンコもアナル内臓だ。そこで快楽を感じるプロセスにはそれほど大きな差はないと思っている。もちろん想像しかないが、自分経験するアナル快楽と、実際に見聞きする女の感じ方には数多くの共通点がある。

 ちなみに俺はホモではない。ノンケだ。エネマグラを嗜むこともあるが、バイブやディルドーを一人でズコズコするのが好きだ。

セックス中に目をつぶる理由

 アナルを知る前の俺はAVで女が目をつぶるのが不思議だった。(目を開けてるやつはだいたいカメラ目線で演技臭い

 もっと自分を抱いている男のことを見るべきじゃないか。目をつぶり男を無視して自分世界に入ってんじゃねえ。そんなことを思っていた。

 しかし、俺はアナルを知ることで、セックス中に女が目をつぶる意味理解できた。

 快感が繊細なのだ。初期のアナル快感は驚くほど小さい。か細い。それをきっちりと掴んで、意識して快感を増幅していかなくちゃいけない。目を開けていると集中できないのだ。俺は女じゃないしホモでもないからわからないが、目を開けて目の前で男がズコズコと腰を振っているのを見ていたら、たぶん中々集中できない。快感に向き合うために目を閉じざるを得ない。

 だから、男はあまりこっちを見てとか言わないほうがいいようなきがする。集中が途切れる。

 逆にずっと目を開けていても問題なく感じられる女がいるとするのなら、それはものすごい手練ではないかと思う。

あえぎ声は割りとめんどくさい

 あえぎ声をあげる理由はおそらく3つほどある。

1. 男が喜ぶ

2. AVがそんな感じだから

3. 自分の気分を盛り上げる

 他にもあるなら教えてくれ。

 1番目と2番めはどうでもいい。重要なのは3番目だ。

 セックスというのはメンタルでするものだ。気持ちの盛り上がりが快楽に直結する。男だって心が弱っている時などはチンポの勃ちが悪かったり、途中で萎えしまったりするだろう。経験あるだろうフニャチン野郎

 女もアナル快楽を貪るためにはメンタルが最重要なのだ気持ちが乗らない時や、他のことが気になって集中できない時は、なかなか快楽をつかめない。なにをやっても気持ちよくなれない。その気分が乗らない時というのが割りと普通にやってくる。今日ちょっと調子悪いぐらいの感じで。

 俺も今日大丈夫だろうと思ってズコズコし始めるのだが、全然集中できずになにも気持ちよくなれない時とかある。

 そういう時に男がセックスしようとしてきたら、渋々付き合うにしても、なにも感じないし、中をほじくられてただ不快なだけだろう。あえぎ声をあげながら、「さっさとイキやがれ。クソチンポ」と思っているだろう。

 そして、あえぎ声をあげるというのは疲れる。試しにやってみればいい。性的な声じゃなくても「はっはっはっはっ」と強く息を吐いて声をだすのを10分ぐらい続けるとわかる。しんどいAV女優とかよくあんなに声出せると思う。しかし、まあ、気持ちよくて声を出してるならいいんだ。気持ちも盛り上がっていくし、過呼吸効果快感も増す。(息止めオナニーとか窒息オナニーにも通じる)だが、気持ちよくないのに声を出している時は本当にキツイ自分場合オナニーに集中できない時は途中で止めるだけだからいいが、女の場合は男がイクまで付き合わなくちゃいけない。これは本当に苦痛だと思う。

一度スイッチが入るとめちゃくちゃ気持ちよくなる

 このスイッチを入れるのが大変だ。スイッチ入れるためにはこれまで書いてきたような前提が必要だ。

1. セックスオナニーする気分になっている

2. マンコやアナルで小さな快感を捕まえて増幅させていく

 小さな快感を捕まえるのは女が勝手にやるから男は好きにしていいか、と言えばそんなことはない。まあ、はじめは優しくして徐々に感度を上げていくというのは、セックスの基本だから特に説明する必要もないだろう。挿入後も同じだ。いきなり全力ピストンなんてしても中の準備が整っていないから痛いだけだ。中も小さな快感を徐々に大きくしていかなくちゃいけない。スイッチが入っていないうちはピストンすらいらないレベルだ。腰を悪くしたお爺ちゃんになった気持ちで丁寧にやるといいだろう。スイッチが入るまではそのぐらいで十分だ。逆に早すぎるピストンを繰り返すと感覚麻痺してしまって快感が逃げてしまう。

 じゃあどうすればスイッチが入るんだといえば、感度が上がってくると明確に気持ちいいポイントが出現する。スコアを稼ぐと隠しアイテムが出てくるみたいな感じだ。そのポイントを繰り返し何度も重点的に責められると、ものすごい勢いで感度が上がっていってスイッチが入る。もう気持ちいいしか考えられなくなる。バカになる。もう好きにして状態。好きなだけおちんぽついて状態。この状態になって初めて強めのピストンでも気にならなくなるのだ。

 だから自分がイキそうになったからって勝手に高速ピストンを始めるようなやつは糞だ。

 まずは女に気持ちの良いポイントを聞くところから始めたほうがいいんじゃないか。

結論

 自分本意な糞セックスをしてる男はアナル開発しろ

2017-01-20

静岡県韮山高校の体育の授業について まとめ

10年以上前情報も含まれているので、現在とは異なっている可能性もあります

追記(2021/12/02)

この記事について、「昔のことだから今は違う、今の体育は楽」という意見があるようです。

最初記事を書いてから5年ほど経っているので、多少は状況が変わっているかもしれませんが、

大きくは変わっていないと推測できます

理由は、韮山高校体育科教員20年以上異動しないのが慣例になっているからです。

ほとんどの教員40歳前後韮山高校に赴任し、そのまま定年退職まで勤務を続けるというパターンです。

教員達が10年前と変わらない顔ぶれなのに「昔とは違う」と言えるでしょうか?

服装

女子は股下10cm丈の黒いショートパンツホットパンツ?)。体育座りをすると下着ナプキンが見えてしまう。

・太っている生徒は露出した腿がこすれて股ずれを起こしてしまい、赤く腫れあがることがあるが、特に配慮されない。クロカンでは身体的にも精神的にも激しい苦痛を伴う(後述)

ジャージの着用は禁止そもそも学校指定ジャージはない。冬期に寒冷じんましんが出る生徒がいるが、特に配慮されない。

・準備体操まではジャージを着用していても良い。その際のジャージ部活ジャージでも私物でもなんでもいい。

●韮高体操、二人組、ダンス、マット運動

特筆すべき点なし。他校と同じ普通の体育。

以下、補講が科せられる授業について記します。

水泳

・ひたすら泳がされた。

・泳ぎ方は教えてくれなかった。平泳ぎは手足の動かし方が分からなくてできなかった。

・泳ぎ方を教えてほしいと教員に頼むと「他のやつを見て自分で学べ」と言われる。

・授業を欠席・見学すると放課後に補講があり、500m泳がされた。

・補講では足をついていいのはプールの端だけというルールがあった。つまり50mは足をつかずに泳がなくてはならない。

・足をつくと50m無効になった。

・まったく泳げない生徒は10m泳いでは足をつき、プールの端まで戻り、また10m泳いでは足をつき・・・を2時間繰り返し、教員から「もうお前帰っていいよ」といわれるのを待たなければならなかった。

●新体力テスト

韮山高校は新体力テストが男女とも県1位なのを誇っており、新体力テストで記録を伸ばすためにさまざまな工夫(と不正)を行っていた。

・まず全種目のテストを行い、2ヶ月間授業と補講でトレーニングを重ねて記録を伸ばしていく方式

最初テスト目標値に達しなかった種目があると補講票が渡された。

・補講票はA7くらいの紙片で、種目名と氏名欄、補講日とその日の記録を書く欄があった。

・各種目、少なくとも週1日は補講日が設定されていた。

シャトルランなど補講対象者が多い種目は週3日などもあった。

・補講は放課後に行われた。反復横跳びなら反復横跳びを行い、記録を補講票に書いて体育課に提出した。

・記録が目標値に達していれば補講票は返却されない。もうその種目の補講に出る必要はないということ。

・記録が目標値に達していないと「再」のハンコが押されて翌日朝にHRで返却された。

目標値に達するまでは、何回でも補講に出席し続ける必要があった。

・体育の授業での記録を補講票に書いても良いことになっていた。

・体育が苦手な生徒は複数種目で目標値未満なことが多いので、毎日補講に出る必要があった。

・補講が長引いたり、毎日のように補講に出ていると部活動への参加が遅くなってしまった。

・補講は部活動に優先したが、補講のせいで部活動に遅れると顧問から叱責された。

シャトルランの補講に週3回出ていると疲労が溜まって記録がどんどん悪くなった。

・補講対象者が減ってくると一日で全種目を行うこともあった。疲れるし、部活に出られなくなった。

・結局、補講を終わらせるために生徒は実際の記録より高い記録を補講票に書くようになった。

そもそもこの補講システム、生徒が自発的に記録を改ざんするのを狙っていたようだ。

・補講システムが功を奏し、韮高は十年以上連続で新体力テスト県内1位を達成している。チーム韮山の成果である

クロカン

・授業では女子は30分~40分で5km走る。男子は同7km

・授業時間内に走りきれない人は前の授業を途中で抜けて、先に準備してスタートするよう指示があった

・全授業で、絶対指定された距離を走らなければならない。脱落は罪。

・途中で過呼吸を起こすなどしてリタイアした人や授業時間に間に合わなかった人は教員に車で回収されるが、その際必ず罵倒された

 「気持ちが足りない」「気持ちが弱い」「気持ちが表に出ている」など抽象的に罵倒された

男子生徒は背中、肩などを殴られることもあった。

ぜんそくチアノーゼを起こしている人も罵倒されていたし殴られていた。

・さすがに女子には体罰はなかった。

・太っていたり脚が太い生徒は股ずれが悪化出血することがあった。

・股ずれの出血は、はた目には急に生理が始まったようにも見える。恥ずかしさのあまりか、顔を覆って泣きながら走っている生徒がいた。

・股ずれを理由とした体育の見学許可されなかった。

見学した人は後日の放課後に授業と同じ距離を走るノルマがあった。

・たとえば1週間風邪を引いて授業を3回休むと5km*3=15kmが課せられる。風邪が治り次第毎日走って少しずつ返済しなくてはならない。

クロカン本番の順位指定校推薦と密接な関係があると聞いたことがある。

●「韮高の体育は第二の入試

・「韮高の体育は第二の入試」という言い回しがあった。主にお互いを励ますときに使ったりした。

・「韮高の体育は高校入試並みに辛く厳しい」の意だが、体育に耐えられなくて不登校になったり、中退したりしてしまう生徒がいるのは仕方がない、という意味もある。その生徒は「第二の入試」に不合格になった、ということ。

・実際、不登校になって中退する生徒は多い(後述)。

●影響

自律神経失調症になってしまう生徒がいた。

文化部女子生徒を中心に、市販薬の乱用が流行した。「ロキソニンを5錠飲んでから走るとお腹が痛くならない」などのテクニックが広まっていた。

中退率は2%台後半から3%。一応進学校なのに全国平均を大きく上回っている。

(もちろん海外留学などポジティブ理由中退も含まれる)

●近年の動向

地域中学校進学塾でも「韮高の体育は厳しい」と知られるようになったため、

体育が苦手な受験生三島北・沼津東に流れる傾向がある。

そのため韮高生の平均レベルが上がってしまい、体育な苦手な生徒にとってさら過酷環境になった。

2017-01-18

まいどまいどセックスの度に失神されそうになったり過呼吸気味になったりして思うようにセックスが出来ない。

最近じゃセックスの時はコンドームより紙袋の準備を欠かさないようになってきた。バカらしい限りである

そんなに激しくしているつもりはないし、どちらかと言えばムード大事にしたスローセックスを心がけているつもりなのだけど。

どこかに本気でセックスできるメスはおらんかのう。

2017-01-15

生きる目的とは

この時期おなじみの研究室ネタです。

研究室に配属されてから、ずっとこのことを考えている。

もはや何のために生きているのか全くわからない。

もう疲れた。ゴールしたい。

死んだらウンタラカンタラという人はよくいるかも知れないけど、正常じゃない精神をもっているひとは死ぬのが一番ラクな方法であることをしっている。

せっかく死ぬんだから死ぬつもりで頑張れといっている人もいるけど、やっぱり死ぬのが一番ラクなんだ。

ただ、まわりに迷惑をかけたくないからコトを起こさないだけ。

どこでこんなふうになったのか、ちょっと振り返ってみるとする。

これを読んでいる人の反面教師になれれば幸いである。

小学生の頃

そこまで人生に悲観するような人ではなかった。あたりまえだ。このころから壊れていたらそれこそ怖い。

自発的物事に取り組めていろんなことを楽しんで経験できたと思う。

だけど、今思うと凶兆はでていたのかもしれない。

この頃から負けず嫌いだった。負けたくなかった。

ただ要領はよかったので、少ない努力他人を打ち負かすことができた。

この時からか、勝ち負けにこだわり続けるようになったのか。

中学生の頃

この時も持ち前の要領の良さを活かして勝負ごとではそこそこの成績は残してきた。

だけど、嫌な逃げ癖を覚えてしまった。

部活剣道をやっていたが、練習がとても厳しくよくサボっていた。

しか練習をただサボるのではなく、練習中にわざと倒れたり、持病があるといって病院に行くと嘘をついたりしていた。

まり外面を守りながらサボる、クソみたいなサボり方だったのだ。

わざと過呼吸を起こして家に帰ってゲームをしていたということもあった。

救いようが無いな。

高校生の頃

要領が良かったので、地元トップ高校に入ることができた。

しかも無勉強で入ったといろいろな人に誇張していた。

実際は毎日2時間勉強していたのにな。

まり見栄っ張りだったのか、この時からも。

そのせいであとで自分の首を締めることになるとは思ってもいなかっただろうに。

地元トップという理由高校に入った自分は何の目標もなくのうのうと生きていた。

部活中学校の時みたいに苦労したくなかったので、ほとんど遊んでいる登山部に入部した。

この3年間は本当に無駄時間を過ごしていたと思う。

高校3年の夏、担任先生志望校を伝えたら鼻で笑われたから、頭にきて大学受験勉強をした。

それだけだったな。振り返ってみると

大学生の頃

そこそこの大学(旧帝)の理系に入ることができたが、入った目的担任先生を見返してやりたいということだけだった。

入ったあと無気力になり、サークルにも入らず家に引きこもるようになる。

厳密には大学には行っていたので引きこもりでは無いが、授業を受けて帰宅してネットサーフィンをするという日々を繰り返していた。

無論友達ほとんどいない。どこの大学はいるのが重要ではなくて、大学に入って何をやるのかというのが重要であると気付き始める。

このときから、生きる目的を探すように、探すことにすがるようになる。

研究室配属

生きる目的人生目標も無い私は、学年トップの成績がなければ配属競争に負けるという噂があった研究室名前を配属希望書に書いて提出した。

単なる見栄だ。自分他人より優れているということを証明たかった。

いま思うとこれが人生最大の過ちだったと思う。

もちろんその研究室の専攻分野に興味を持っていたのは確かだった。しかし、大まかな動機は上にあったソレだ。

ここの研究室の人たちは皆優秀だった。噂通りだった。

しかもみんな背骨のあった人であった。(http://next49.hatenadiary.jp/entry/20090222/p2

自分にはなかった。もっと言えばこの時に育てることができなかった。

見栄で研究室内でだれもやってない難しいテーマを選び、玉砕した。

そのテーマ研究企業との共同研究だったため、強い責任を感じていた。

また誰もやっていないテーマだったため、質問しにいっても迷惑がかかると思い、質問にあまり行けなかった。

行ったとしてもすごく辛かった。迷惑を掛けている気がして。

次第には研究室に行かなくなった。教授に、先輩に、同期に、クソ野郎レッテルを貼られるのがいやで。

順調に悪循環を築き上げていった。

卒論は糞みたいなのを書き上げて卒業した。自他共に認める糞だった。

大学成績が良かったため、大学から賞を戴いたが、自分は糞製造機にしか過ぎず、もらうには不適切だと思って更に気分が落ち込んだ。

大学院生

旧帝の理系学生は院に行く、というよくわからないしきたりに流されて、大学院に行った。

これも間違いだった。糞製造機と成り果てた自分はもはや研究に熱意もなく、ただただやらなければならないことをこなすだけだった。

面白くもなく、楽しくもない。

昔は楽しかったのかもしれない、もうよくわからない。

M1だが、生きる目的目標もなく、割り振られた仕事すら放棄し、研究室にも行かず、ここ増田愚痴を書いている。

精神科にも行った。カウンセリングにも行った。だけどやっぱり何のために生きているかからなかった。

もうなにもしたくない。生きる目的もない。

こんな苦しいことが続くなら、とっとと楽になりたい。

振り返ってみると、糞野郎になった原因は、逃げて逃げて楽して見栄をはったからだとわかる。

至極当たり前だ。しかも中身がない。

そんな人が、中身のある集団研究室)に放り込まれた結果、病んだだけ。

なるほど。

22年間生きてきて学んだことがこれだけかと思うと涙がでてくる。

あとはどうやって皆に不便を掛けずに退場する方法を考えるだけである

2016-12-27

http://anond.hatelabo.jp/20161130150514

心療内科カウンセラーも親も所詮人間なんで、

相性とかで当たりはずれって絶対にあるんだよ。医者は専門の病状もあるし。

医者探しは苦労するよ。キレたり怒鳴ったりするのだっているんだ。

過呼吸対処を知ってて自分解決させられてるし、その医者よりしっかりしてるんだね。

私は無理して高校に行ったらたくさんの病気が増えちゃってね。

同級生で自立神経失調症の子も無理して会社に出たらこじらせてやめてしまったよ。

君の親も最初にあった医者もたぶん君の指一本も頼りに出来ないと思う。

それでも自分がどうして苦しいのかは探した方がいいと思うんだ。

人は嫌な記憶を奥底にしまうし、忘れたつもりで傷つきっぱなしのことがある。

自分にとって当たり前で大したことないって思ってるつもりで、

小さい頃から叩かれたり怒鳴られたり、我慢している子って多いらしいんだ。

宗教とか入ってない?親だけでなく祖父とか祖母も。

どんなに有名なものでも宗教って時点で偏りは疑うべきなんだ。

君が問題でそうなったっていうのは絶対にない。何かおかし環境があったんじゃないかな?

2016-12-21

セブンコードの話で安堵したクズです

自分小学校くらいか自分はいない方がいいって思うようなポンコツだった。

幼稚園時代は親のママ友付き合いのたびに比較されて叱られてたし、

父親は気分で接し方がコロコロ変わるし、すぐ指摘するので表情を見せるのも怖かった。

小学校では団体行動をするたびに足手まといになり他の子と一緒だったらよかったって言われたりしていた。

よく教室を飛び出したり、グループ行動になりそうになるとすぐ保健室に向かっていた。

幼少期からからさまな不適合ぶりだった。

しか二次障害アスペの発覚は中学不登校になってからさらに経った高校卒業頃だった。

みんなが進路に悩んでいる中、私は教師手帳の取得を勧められた。

カウンセラー就労施設に行けばとか行っていたが、

その施設は怒鳴られ無視され、その後はデイケア先の医者にも怒鳴られ、もう場所探しが怖くなった。

親には学生の頃カウンセラーに怒鳴られれば、話を聞いてもらっているのになんてことをと冷たい目で見られ、

発達障害だとわかればいじめられるのは貴方が変だから相手の悪意を全く考えず責められた。

本当に働けそうにもなかった。今も結婚して専業主婦家事しか出来ない。

本当は働いて旦那もっと出掛けたりカルディ調味料を買ったりしたい。

親に言われた人の辛さがわからない奴って言葉をもう言われないようになりたい。

ただパニックになるせいで勉強が出来ない。塾ですら舌打ちされるんじゃってビクビクしてた。

イライラ不安からすぐめまい過呼吸が起きる私には約束事をするのも難関だ。

からセブンコード社長の話を否定することが出来ない。

私のようなクズが1番言われて困るのはやってることに意味があるという言葉なのだ

そんな言葉が通じる世界なんて私は現実でちっとも見たことないのだ。

何をするにも金、その金の責任を問われ、趣味も捨てると脅されることからろくに作れなくなった。

うつ治療はしたいことをすることらしいが、実際問題、裕福なわけはない。

ただそれでも、私に気を使いながら働くことよりも私がいない方が生産率が高いのは確かだ。

そうしてだらだら罪悪感を感じながら家事をするクズに戻るのである

2016-12-20

教習所がとってもつらい

http://anond.hatelabo.jp/20161128141919

当時は1ヶ月もあれば車に乗るのにも慣れるだろうと思ったけど全く慣れていない。すまない自分

相変わらず1時間の教習だけで身体は丸まり過呼吸気味で胃は縮こまり頭は真っ白で不安感に苛まれながら帰ってる。

これでは生活に支障が出るのでどうにかしたい。そういうのを抑えるサプリとか無いだろうか。

2016-12-09

深呼吸のやり方を忘れた

小学校の体育の時にはスーハスーハーしてたんだよ。

大人になっても深呼吸って必要らしくてさ、気分が落ち着くもんらしいんだ。

だけど意識した途端にノドからムネにかけてがギュッと狭苦しくなるんだ。

んでなぜか過呼吸になってんの。

治療やら親の説教深呼吸へのプレッシャーが激しい。

深呼吸という単語に「落ち着け」「良くなれ」「お前は間違ってる」「黙れ」

みたいな要素が付属されちゃってんの。

今となっては深呼吸文字だけでムネが痛くなるんだ。

落ち着くってどうゆうもんなんだろうな。

2016-11-30

不登校になった話

どこかに気持ちをぶつけたかった。

調べたら匿名ダイアリーが出てきたので書きます

規約など一通り読みましたが、暗黙のルール等に違反していたらごめんなさい。

まりいい表現出てきません。




私はどこから間違ってしまったんだろう。

小さい頃から日常的に死にたいと思っていた。

小学2年生あたりからずっと思っていた。

当時の日記にもそればかり書いた。死にたい死にたい、と。

自宅の二階から飛び降りたこともあった。

手足の打撲で済んだのは運が良かったのか悪かったのか。

陰口や無視日常茶飯事だったが、いじめがあったわけではない。

ただ息苦しかった。世知辛かった。

中学校に入って間もなく、私は不登校になった。

理由があったわけでもない。

ただ心から学校行きたくないと思った。

同じ服を着た知らない人がたくさんいる。それが何故か怖いと思った。

意見が合わないと白い目で見られ、無理に合わせても白い目で見られる。

息苦しかった。

もちろん友達はいたが、ごく少数で、その友達とも次第に話さなくなっていった。

最初心配していた両親からも厳しい視線を向けられた。

あなたが生きていることが恥ずかしい」

「産んだとき幸せだと思えたのに」

「私を馬鹿にしている」

毎日言われた。それでも学校には行けなかった。

それじゃあ制服を着るだけなら、と思って着てみた。

手足が震えた。震えているせいでうまくホックがとめられない。

無理にホックを留めたがすぐに頭が痛くなり、過呼吸を起こした。

対処法は知っていたので、咄嗟キッチンまで這って行き、ビニール袋でなんとか息をした。

その1ヶ月後くらいに、両親に心療内科に連れていかれた。

ああ、私は病気だと思われていたのかと、その時初めて知った。

もう少しカウンセリングに近いもの想像していたが、実際はいくつか問診を受け、シートを記入しただけだった。

その時医師に言われた。

学校を面倒に思っているんだね、毎日行かないと後悔するよ」

今でも忘れない。

医師不登校の私をこう思っているのかと絶望した。

一度たりとも学校を面倒に思ったことはなかった。

毎日きちんと行けたらこんなところに連れていかれるはずがない。

知っているような口を聞かないでくれと思った。

二度と心療内科には行かなくなり、学校夕方にたまに行くだけになった。

そのうち2年になった。成績は死んでいた。

3年になった。気づけば受験生だった。

成績も出席日数も明らかに足りない。

この時期は受験生みんなが慌てるが、私は何もしなかった。

1年の教科書問題を解いてみたりしたが、まったくわからなかった。

学校に行かなかったことは後悔していないけれど、提出物とテストを受けなかったのは後悔した。

結局定時制に行くことにした。夜間ならなんとかなるかもしれないと思った。

受験寸前になって必死勉強し、問題集もだいたい解けるようになった。

たびたびニュース不登校話題が上がる。

不登校登校拒否をする子供を持つ親の記事も読んだ。

「私は子供気持ち理解しているけれど、子供は私の気持ちを分かってくれないんです」

「どうしてこんなに心配しているのかを理解してほしい」

まり覚えていないが、そんなようなことが書いてあった。

この親が心配しているのは世間体じゃないのか。

子供気持ちを本当に理解しているのか。

自分のことで精一杯だから不登校になるのに、親の気持ちなんて分かるわけない。

私はまだ子供だから、何も分からない。

けれど子供ながらに悩んで、考えて、出した答えが登校拒否だったら?

親が無理に行かせる理由がどこにあるのか。

無理に学校に通わせられ、疲れ果てて卒業式直後に自殺した先輩を知っている。

死に対する恐怖に、心の疲労が勝ってしまった結果だと、私は思う。

心の疲労はスタンプカードのようなものだと聞いたことがある。

しかにそのとおり、たまっていくだけで消えていかない。

誤魔化すことはできても、消費はなかなかできない。

スタンプカードがいっぱいになったら私もきっと自殺していただろう。

遺書は公開されなかったが、同じ境遇でなくてもとても苦しんでいたのは想像できる。



まとまらなくてごめんなさい。


不登校登校拒否をするみんなが生きやす世界になりますように。



追記 12/1

たくさんの反応ありがとうございます

どうしてもお礼が言いたかったので追記としました。

誰かに聞いてもらいたくて書いたのですが、こんなにたくさんの意見を頂けるとは思いませんでした。

ひとつひとつ言葉が暖かくて、読んでる最中涙が止まりませんでした。

私の周囲に不登校を受け入れ、理解してくれる方が少なかったので、こんなにも受け入れてくれる方がいたんだと感動しました。

はい中学三年生です。

定時制に向けて受験勉強していますが、通信制高校に勧めてくれる意見が多々あり、少し考えてみようと思います

それだけでなく大学に行ったほうがいいとのコメントも頂き、真剣に考えるきっかけになりました。

この文章を読んでくれた方の中にも、同じ年代の方がいるのではないかと思います

理解してくれる方がこんなにいたこと、世界はとても広いこと、それが希望になればと思います

こんな子供の書いた文章真剣に読んでくださり、そして暖かい言葉をかけていただき、本当にありがとうございます

2016-11-08

人を許すということ

年末、私は仲の良かった(と思っていた)友人に大変ひどい裏切りを受けた。

それまで迷惑をかけられてもまだ許せていたが、その出来事により許せなくなり

LINEブロックメール拒否した。

Facebookは繋がったままだったが今日久々に開いたらその友人から鬼のようDMが来ていた。

つい先週にまでおよぶ。

連絡を取らなくなって10ヶ月近く。

もういい加減許して連絡を取るのが大人のやることだと頭では理解している。

その一方で身体は震えて、少し過呼吸になってしまった。

どっとストレスがたまって、他に何もしたくなくなってしまった。

裏切られた内容は、本人は自覚がない。今までもたくさんの友人から連絡を切られて

その都度自分は悪くないと言い続けていた人間だ。

言ってわかる相手ではなくこちらが悪者にされる。

もう対話は一切したくない。

死んで欲しいとすら思ってる。

でも連絡は来るしFacebookミュートできないしブロックされたらすぐバレる。

いつか許さないといけないんだろうと言う気持ち

どう考えれば許せるんだろうと言う気持ちと戦ってる。

どうすればいいの?

ちなみに裏切りの内容は、彼氏に色目使ってることが発覚したこと。

2016-11-07

響け!ユーフォニアム5話 関西大会スタッフから見た感想

増田は昇降禁止お姉さんみたいなものです。(正しくはお姉さんを指示してた人)

何十回と使っててコンクール中はチーフとして動いたり、舞台装置動かせてもらえてたくらい慣れ親しんでいる場所なので、興奮しました。

(もう違うので書ける)

尼崎にあるアルカイックホールと呼ばれる会場が舞台(数年前名称変わってたな)

外観はサイトで見ていただいて分かるとおり、アニメは忠実に再現

写真をとるための広場や会場入り口あんな感じ。

楽器置場は都ホテルニューアルカイック。

吹奏楽コンクール間中はあそこが楽器置場として使われる。(繋がっている。聖地巡礼は難しいかと)

バスが止まってたところはホテル側だろうか。ホール駐車場屋根の下なので明るくないし広くない。

素晴らしかったのはホール内。(聖地巡礼たかったら吹奏楽するか芸能人になる)

下足箱が完全再現。大量の緑のスリッパに、並んだローファー。妙な狭さ。

コンクール仕様に整備された地下のリハーサル室。緑のシート。赤いカーテン(確か鏡だったかな)

指揮者台と椅子もリハ質付属のもの。完全再現

楽器を出し入れしてた場所は中の声聞こえるんだろうか?まぁいいや。

舞台裏再現。垂れ下がってるコードまで!

ただ待機場所あんなにばらけさせてはもらえない(奥の方で整列して静かにしないと怒られる)

テレビを見ているのは舞台上に学校名などをアナウンスする女性。(あとくそ忙しいのにサボってるスタッフ

あのでこぼこした反響板が一気に動くので、曲終了少し前にはあの裏に居たら超怒られる(頭打って死ぬから。あのホールで唯一気を付けないといけない場所

あのホールの素晴らしさは客席の壁が何故か煉瓦張りなところと、凸凹反響板。

書き込み完璧だった。あの反響板が関西でも音響最高と言われるホールを作り出している。(「音響家が選ぶ優良ホール100選」にも選ばれている)

ライト完璧。実際舞台から見たコンクール仕様で設置された景色

あのホールはよく目に見えないレベルの埃とライトキラキラするので、演奏家になると実際に久美子が見ていた指揮者けが浮かぶ幻想的な景色が見れる。

客席もなにもかも、そっくりそのまま。

全く気にならないけど一応現実と違う点を言うと、会場スタッフもっと多い。

地元ボランティア吹奏楽部学生OB楽器を運び、舞台設置をして、案内をしている。

コンクールメンバーに選ばれなかった生徒たちが待機するのは上手側(アニメは下手側だったかな?)

なのでアニメの倍は人が居る。

リアルを追及すると、あの裏には緊張による過呼吸などで倒れている学生が居たりする。

あとこのアニメには色々ツッコミどころはあるんだけど…………(コーチ少ないとかレッスンしてないとか赤リボンコンクールには出ないとか)

それでもリアリティが凄い!内部のドロドロや、一人楽器に向き合うからこそ起こる友人との共依存関係

モデル校の服装もなんとなくわかる。

増田の下の学年も同じ中学から大量にきて、ある時一気に辞めたので、胃が痛い

胃が痛くなりながら見ている!

全国大会には行ったことが無いので、普門館描写が楽しみ。

このアニメが夢の全国大会に連れて行ってくれるのかなぁと期待しています

リアルすぎて、いろいろ思い出して、5話は泣いちゃったよお姉さん。

父を気持ち悪いと思った過去

先日話題になっていた増田

「娘が気持ち悪い」http://anond.hatelabo.jp/20161102211759

を読んで、昔の自分を見ているようでとても懐かしい気持ちになった。ちなみに私は娘さんの立場です。


私の父は私にとても愛情深く接してくれました。小学校の時、クラスメイト男の子ケンカをしてケガをした時、家に帰って来て母親から話を聞くなり、「うぉぉおお!!俺の娘に、何てことしてくれるんだぁぁああ!!」と突如絶叫して家を飛び出し、暫くして「相手の子の家に怒鳴り込もうと思ったけど、よく考えたら家の場所を知らない」としょぼくれて帰って来るような、私のこととなると見境のなくなってしまう、ちょっとお馬鹿な人でした。私はそんな父が大好きでした。


小学校中学校くらいはそんな父ととても仲良くしていたのですが、私が高校に上がったころ、ある時を境に何故だか父に対し、「気持ち悪い」という感情を抱くようになりました。父は同世代男性比較すると、適度にオシャレにも気を使うし、ハゲでもないし、デブでもないし、清潔感のある男性だったのですが、何故だか父親匂いが嫌だ、と感じるようになりました。次いで休日ちょっと伸びる無精髭が気持ち悪い、洗面所に置いてある髭剃り、歯ブラシ気持ち悪いと次々に父の所有物、如いては父自体嫌悪感を感じるようになりました。


ある日、部活が終わって家に帰ると父が先に帰宅していて、玄関に靴が置いてありました。私は瞬時に「あぁ、この靴と私の靴を近くに置きたくない」と感じ、父の靴を玄関の外に出しました。何の気もなしに、パパッとやってしまったんです。翌朝、父が出勤する際、「あれ?靴がないよ」と言い、母を呼びました。「ないよー?なんで?なんで?」と靴を探す父と母を、私は見て見ぬフリをし、リビングテレビを見ながら朝食を食べていました。暫くして、父を見送った母が戻ってきて、「あなた、お父さんの靴外に出した?」と私に聞きました。私は「臭かったから。外に出しておいた方がいいと思って。忘れてた」と答えました。母は「そうだったの」と、答えただけでしたが、母はあの時点で私の変化に気が付いていたのだと思います


その数日後、私は母に「洗濯するときは父の物と分けて欲しい」とお願いしました。母は私に、前述の増田についたブコメのようなことを一つ一つ教えてくれました。人間動物であり、父に嫌悪感を感じることは正常な働きであること、自分も昔同じ経験をしたから、私の気持ちも十分にわかるということ。最後に「でもお父さんはあなたが大好きだから。それを言うと絶対に傷つくから。なにかこうしたい、ということがあれば、母さんに言ってね」と言ってくれました。その後少しすると父専用の洗濯籠が登場しました。私と母の服はほぼ毎日、もしくは二日に一回洗濯機を回してましたが、父は洗濯籠に1週間分の洗濯物を溜め、週末に自分で洗って干していました。父は特に私に何も言わず淡々としていました。その時の私はそれを見て(いや、実際臭いし、気持ち悪いし、当然でしょ)という思いしかなかったのですが、その後、父の思いを、辛さを痛感させられることになります


ある夜、父がシュークリームを買ってきました。私の大好物です。「よかったら食べて」と言いながら、シュークリーム冷蔵庫に入れる父を私は無視しました。シュークリームは何日も冷蔵庫に入っていました。賞味期限がどんどん近づきますが、私は父の買ったものが食べたくないので放置していました。ある日の夜、キッチン飲み物を取りに行くと、父がリビングシュークリームを食べてました。チラッと一瞥をした私に、「ゴメン。賞味期限切れたから」と父は言いました。私は少し胸が痛くなりました。けれど、そこでも父を無視してしまいました。


父はどちらかと言うとインドア派で、休日は家で読書をしたり、レザークラフトをちょこちょこ作ったりする人でした。けれど私は父と同じ空間にいたくなくて、休日に父が家にいれば私は外出、父がいなければ私が家にいる、というような状態になりました。しかしあるタイミングから休日に父が家にいることがなくなりました。


そんな生活が続き、高校3年に上がる頃、父が事故に巻き込まれました。

土曜日のお昼に家の近くの交差点で、わき見運転をした車に突っ込まれ、頭を打って病院に運ばれました。家に電話が来て、母と大慌てで病院に向かいました。父はICUで呼吸器を付けて寝ていました。お医者さんが頭を強く打っていて、危険状態であり、意識が戻っても障害が残るかもと言いました。号泣する母を見て、私は「こんなドラマみたいな展開が自分家族に起こるなんて」と急な展開に放心しながらも、どうして父にあんなに冷たく当たってしまったんだろう」と激しい後悔に見舞われました。父は何とか一命をとりとめ、搬送から三日後に意識を取り戻しました。けれど障害として、右手の親指から人差し指にかけて痺れが残ってしまいました。一方でこの程度の障害で済んで本当に良かったと、車がガードレールにぶつかってから父に突っ込んだため威力が落ちていたが、場合によっては即死でしたとお医者さんが後から教えてくれました。


父が入院している最中、私は母に「お父さんはどうして事故に巻き込まれたの?」と聞きました。母は「自分で聞きなさい」と、それしか言ってくれませんでした。ある日、私だけで父を見舞いに行ったとき、父に前述のことを聞きました。父は「俺が家にいるとお前が休日家で休めないだろう。だから、外でブラブラしてたんだ」と言い、「俺インドア派だから外での過ごし方がイマイチからなくて、でも最近は水切りにハマってさ、昔よくやったんだけど、河原でこう…石を探すんだよ。できるだけ平べったいヤツを。それをな…」と説明しながら動かす右手が痙攣していて、それを見た私は堰を切ったように号泣してしまいました。相変わらず馬鹿な父にではなく、自分事故の原因だったと知って、それでも私を責めない父に申し訳がなさ過ぎて、私は子供のように、過呼吸寸前になりながら病室で泣きました。「ごめんなさい!ごめんなさい!」と繰り返す私に、父は「母さんから全部聞いていた。暖かく見守ってやってくれと言われた。父さんはお前が大好きだから、お前が頑張ってるなら、父さんも我慢しようと思って」と言いました。その瞬間、私は今まで何を父にしてきたんだろう、父がどんな思いで過ごしていたんだろうと自分が恥ずかしく、情けなくなりました。これが、私の父に対する嫌悪感の終わりです。


あれから10年程経ち、今では周りが不思議がる程、父親とは仲が良いです。父は私に「お前が責任を感じることは一切ない、むしろ不安にしてしまって申し訳なかった」と言っていますが、やはり当時のことには負い目を感じています。「娘が気持ち悪い」の増田さんも、別エントリで娘さんの行動に理解を示すことができた、と発言されていました。世の全ての娘が父親に対し、嫌悪感を抱くとは限りませんが、ブコメにもあった通り、やはり動物である限りは本能の上でしょうがないことだと思います。一方で、やはり人生の先輩である両親が、こういったことに理解を示し、適切な対応を行うことで乗り越えることができる、しかも乗り越えることで更に親子の愛情が深まる大切な時期(イベント)だとも思います。当該エントリを読んで、自身過去を思い出し、勝手に書いてみた次第です。自身過去正当化するつもりは更々ないですし、我が家対応が正しいかったともいえないですが、これが少しでも世のお父さん、娘さんのご参考になればと思います

追記(11/8)

一晩明けてみたら、とても多くのブコメが付いていて、初めてのことに驚いています。厳しいご意見ありがとうございます


私が父にしたことを本能から(議論はあるようですが)と正当化するような書き方をしてしまい、反省しています。私が父にしたことは最低なことで、それはゆるぎない事実です。私が書きたかったのは、そんな馬鹿娘を両親が両親なりにサポートしてくれた、そのことへの感謝でした。今こうして上のようなエントリを書けるのは、両親が「あの時はね」と私に話してくれたおかげでもあります


冗長になってしまうかと思い割愛したのですが、例えば父が自分洗濯をしたことに関しては、両親の話合いの結果だったと聞きました。母は洗濯物を分けるのなら、私の分だけを分けて、自分洗濯をさせると発言したそうですが、父が「自分理不尽発言のせいで、父親自分洗濯を行う姿を見て、何か感じてくれれば」と諭し、結果的にそうなったようです。


私自身、あんなに好きだった父を、何をされた訳でもないのに嫌悪感を抱くようになった時は戸惑いだらけでした。母は父を大好きでしたので、母に影響を受けた訳ではないですし、周囲の友人の中でも、父親と仲の良い子はたくさんいました。けれど、何故か父を気持ち悪いと感じてしまった。ちょうどあの頃「異性」というもの意識し始めて、一番身近にいた異性が父親で、どう接してよいかからなくなっていたのかも知れません。今となって後付けで理由を付けることはいくらでもできますが。


父は「親の立場を利用して、なりふり構わず娘にいう事を聞かす真似はしたくない。一つ一つ自分で気が付いてくれれば良いと思った」と母に言っていたそうです。私はこんなにも勝手なことをしていたのに、両親が一生懸命に考えて私を導いてくれた、そのことに感謝してもしきれません。


「父が事故に遭わなければ最後まで気が付かなかったのでは?」というご意見も尤もです。両親は「いや、いずれは気が付いてくれてたよ。少しづつ変わってたよ」と言っていましたが、我が家のケースは結果論しかありません。


今私は結婚して、男の子が一人います。夫にこの話をしたとき、「もしかたらこの子もすごい反抗期を迎えるかも知れないけれど、一緒に考えて解決していこう」と言ってくれています。こんな風に思え、考えられるのも両親の教えがあったからだと心から思います


意見いただきっぱなしなのも悪いなと思い、少しだけ追記させていただきました。たくさんのご意見ありがとうございました。

2016-09-14

ジャスティン・リー

この事はずっと忘れていて、無意識にそんな経験はなかった事として生きていた。

中学生の頃、体育祭応援団をしていた。

同じ応援団団長は学年が一つ上の喧嘩っぱやくて、後輩をすぐに殴る事で有名な人だった。

その人の事は、以下団長と呼びます

FATの事は嫌いでなるべく関わらない様にしていたんだけど、仲の良い友達が付き合っていたので、度々顔を合わしてしまう事があった。

それでも口はほとんど利かず、からかわれてもシカトしていた。

放課後応援団練習をしに行ったらその日は団長しかおらず、彼女の事で相談があるとか珍しく真剣な顔をして言われたので、サッカー部の部室で話を聞いた。

団長サッカー部だった。

彼女とはあまりうまくいっておらず、実は別に好きな人団長と同じ学年にいると言われた。

団長好きな人は小柄でとてもかわいい人で、私達後輩女子からも人気がある人だった。

私はなるべく友達を傷つけぬ様、早い段階で彼女に別れを告げて欲しいと伝えた。

団長は下を向きながらうなずき、私にお礼したと思う。

部室を出ようとした時、団長に腕を引っ張られてそのままレイプされた。

何が起きたのか意味が分からなかった。

私にも同学年の彼氏がいたけど、手をつなぐ程度の仲だったし、もちろん処女だった。

頭の中真っ白の状態で部室を飛び出したら雨が降っていた。

傘なんか取ってくる余裕もなかったから、そのままずぶ濡れになったまま歩き続けた。

家にはなかなか入れなかった。

誰とも話したくなかった。

今日誕生日で、応援団練習が終わったら彼氏プレゼントを渡しに10分だけ家に来るって約束だったけど、そんなの無理だった。

翌日からも、団長は何事もなかったかの様に過ごしていた。

団長とは絶対に目を合わせたり話したりする事はなかったけど、誰にも何も知られたくなかったので、そのまま応援団を続けた。

それから数年後まで知らなかったけど、団長は私の彼氏に「お前の彼女とヤッたよw」と言ったそうだ。

団長には虚言癖っぽいところがあったので、彼氏は信じなかったと話していた。

その彼氏とは数年付き合ったけど、高校卒業前に別れた。

それから十年後。

私は女友達と二人で都内地元からは県をまたぐ)で飲んでいた。

中学生の頃に起きた事なんてすっかり忘れて、社会人生活を楽しんでいた真っ最中、奴は現れた。

しかけられるまで気づかなかったけど、かなり酔っ払った頃に突然あの団長が話しかけてきたのだ。

何事もなかったかのように、「元気?今何してるの?」とか「どこに住んでるの?」とか聞いてきた気がする。

私は作り笑いだけして何にも答えなかったけど、一緒に飲んでいた友達は何も知らず、ノリの良い団長の会話を楽しみはじめていた。

一刻も早く店を出ようと友達に声を掛けたが、なかなか出てくれない。

私はお手洗いに行った。具合が悪いと友達に伝え、一緒に帰ってくれるよう頼もうと考えた。

席に戻り、友達にその事を伝えようと思ったところから記憶が一切ない。

気がついたら、ラブホテルにいた。

終わったあとみたいだった。

団長は服を着て部屋を出ていくところだった。

まれて初めて、殺意を知った。

ホテル代を投げつけられ、無表情で「またマグロだったね」と言って去って行った。

同じ人間に二度レイプされるなんておかしいし、私に落ち度があったとしか思えないとずっと自分を責め続けた。

二軒目だったし飲み過ぎたのだろうか?

でも、おかしい。

あいつが帰った後も体が重くてだるくて眠たくて、二日酔いとかそういう感じでもなかった。

恐らく、睡眠薬的なものを入れられたのだと思う。

それ以外考えられなかった。

それから度々過呼吸を起こしたりする事はあったけど、私はこれらの記憶を頭の中から抹消していた。

意識的にじゃなく、気がついたらそれについて考えなくなっていた。

そして更に十数年経った今、ジャスティン・リー睡眠薬を飲ませてレイプしている動画を観てしまい、思い出した。

眠ったまままったく動かない女性を平然とレイプしてるジャスティン・リーの姿はあいつの存在を思い出させた。

また、同級生の話から団長レイプされたのは私だけでなく、中学時代から今に至るまでたくさんの女性がいる事が発覚した。

誰も訴えてはいないけど、彼にはきちんと特別にひどい罰が下っていた。

下った罰はとてつもないもので、ここには書けないけど、多くの女性が「ざまーみろ」と思っただろう。

私は彼を訴えようと思った事は一度もなかった。

他の女性達のためにも、きちんと訴えるべきであるという事も分かっている。

でも、訴えなかった。

訴えなくとも、奴にはもっともっと酷い罰が下る…そう信じていた。

思い出したらいたたまれなくなり、増田に投下してしまったが、これを書き終えたらまた普段生活に戻る。

奴の事を引きずって苦しい思いをして生きるなんてゴメンだ。

私は幸せに生きる。

お前にかまっている暇はない。

お前を恨んでる時間があるなら、子供の為に笑う時間を過ごした方がずっといい。

さぁ、これで最後だ。

お前の事はまた封印する。

さようなら

2016-07-28

それでもそろそろ、安楽死は認められてもいいいんじゃないかと思う。

私は、特別障害者に対して差別意識を持っている人間なわけじゃない。

私自身が、精神障害者だ。陰性の統合失調症

まれて初めての「発作」は、かれこれ30年ほど前、まだ8歳だったときに遡る。

それ以来、騙し騙し生活してきた。

ときどき発作で動けなくなり学校を長く休んだりした。

食べ物を受け付けなくなり、倒れて、点滴に通ったりもした。

それでもなんとか大学まで進み、もうすぐ卒業か、っていうところで限界に達した。

車に乗れない。

当然、電車にも乗れない。

大学は1年休学後、退学せざるを得なかった。

通院も出来なくなったから、入院治療をした。

精神病棟は怖かった。

昼夜問わず聞こえる奇声、隣のベッドの女の人は寝てるとき以外は始終ぶつぶつと独り言を言っていた。

盗癖のある患者もいて、よく物を盗まれた。

こんなところにいたら余計頭がおかしくなる、と思って、早々に退院した。

でも、世間から見れば、私もああいう人たちの仲間だ、と思う。

今は、家族の運転でなんとか通院して投薬治療を続けている、けど、未来に対する希望はない。

大学に通えてるときは、このまま順調に大学卒業して、就職して、普通に生活できるのかな、なんて思っていた。

大学は、県内でも一番の国立大学に通っていた。いわゆる、「旧帝国大学」のひとつだ。

その頃は、彼氏も出来たし、友達もいた。

でも今では、引きこもりだ。

重度の引きこもりってわけじゃない。母にくっついて買い物くらいは行く。

でも、一人ではどこにも行けない。

いつくるかわからない発作に怯えて、通常飲む薬とは別に処方されてる頓服を肌身離さず持っている。(家の中でも)

夜中に、発作で飛び起きることもある。

過呼吸と動悸、幻聴なのか幻聴じゃないのかはっきりしない話し声。

家の前で誰かが立ち話をしてるのが聞こえて何度も確認にいくけど、もちろん人影はない。

調子がいいとき幻聴も聞こえない。

でも、少しでも生活サイクルが狂うと、たちまち具合が悪くなる。

から、季節の変わり目なんかは怖い。ちょっとした気候の変化が体調にダイレクトアタックしてくる。

もうすぐ38歳になるのに、結婚はおろか、ちょっとしたバイトさえ出来ない。

から、生きてることに罪悪感を感じている。

家族に対して申し訳ない。

高齢の親は、自分たちがいなくなった後の私の心配ばっかりしている。

1歳年上の兄は、親の死後は自分が面倒を見なきゃいけないと思っていて、長く付き合った彼女との結婚を諦めた。

そんなことしなくてもいい、生活するだけならなんとかなる、と言っても、たぶん家族の心情としては、放置出来ないんだろう。

私が、明らかに重荷になっている。

友達はいない。もうみんな結婚して家庭を持っているから、連絡は絶えた。

彼氏なんているわけない。そもそも外に出ないんだから出会いがない。

そんな状態にあるから年金を少しずつ貯めている。

お金があれば、スイス外国人安楽死させてもらえるらしい。

そんな情報ネットで見たから。(精神疾患場合は駄目っていう情報もあるけど)

日本だって、そろそろ、安楽死を認めてもいいんじゃないの、って思う。

死にたいとは思わないけど、自分がいなくなれば少なくとも家族負担は減らせると思っている。

安楽死という方法は、一部の人にとっては救いになる。

から病気だとかそういう理由のある人には、安楽死、認めてもいいんじゃないの?

自分が苦しいって言うのもあるけど、それ以上に、家族の、とりわけ兄弟人生まで奪うのは、辛い。

いっそ血も涙もない兄弟で、こんな出来損ないの妹なんて気にせずさっさと家を出て結婚するような人間ならよかった。

そんなふうに思ってる障害者もいるってことも、知ってほしい。



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追記。ちょっとブコメに気になる言葉があったので。


手足がないわけじゃないからさっさと自殺しろ、という人がいるけど、これ以上家族の負担になりたくないから(法的に認められた上での)安楽死を望む、という意味理解できませんか?

もちろん、自殺は難しい。

それ以上に、残された家族負担が大きい。

世間の目、ご近所の噂話。

それこそ、兄弟結婚にもかかわってくる話になる。

死んだあとまで家族負担になりたくないと思うのは自然なことじゃないかな?

跡を残さないように死ぬために、樹海へ向かったこともある。

でもね、行動が極端に制限される中、そこまでたどり着けなかったよ。なんとか新幹線まで乗り込んだものの、新幹線の中で意識失って、気がついたのは病院

ブコメした本人が、自殺したいけど手足がないから(不自由から自殺もできない人だったのなら、同じように安楽死が認められるように頑張っていこうよ、と思うけど。

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安楽死と書くからよくなかったかな。

自分意志で、という意味で、尊厳死を認めてほしいと思う。

2016-06-20

http://anond.hatelabo.jp/20160618211423

就活しんどくて死にたい方へ

私も就活生です。未だに内定0です。

もついこの前まで「もう内定取れなかったら自殺しちゃおう」って思ってました。

実際にナイフ自分を刺そうとしましたし大阪とあるの川に飛び込もうとして片足を出したこともあります。その時はたまたま電話が鳴って思いとどまったのですが。

でも、どうでもよくなりました。

「もう関西で働けるなら給料そんな無くてもいいし週休二日なら土日祝日で無くてもいいし。どこでもいいや!今年ダメなら来年やればいいや!」って思いました。そう思ってから気持ちがすごくラクです。生きていて楽しいです。

3月よりも前からインターンシップへの応募や合同セミナーの参加、マナー講座といろいろ予習したもののいざ解禁すると、50社以上ES書いても落とされるし筆記試験勉強したおかげかサクサク通過しましたが面接では落とされ…。恐らく30社以上落ちていると思います。笑いたきゃ笑ってください(笑)

6月1週目ぐらいまでは「そこそこの大学通っていてみんなサクサク内定決まっているのに自分未だ内定無くてみんなより劣っている。恥ずかしい。」と思っていました。親にも「内定まだなの?●●ちゃんはあんたより低い大学なのにもう○○(大手生保)から内定貰ってるじゃない」って言われていました。本当に恥ずかしくて前を見て歩けなかったし電車で涙が止まらなくなり過呼吸起こすことも。

でもさ、そんな病み落ちした私にいつも「無理すんなって。」「いつかは決まるよ。」「まぁぱ~っと飲もう。あ、明日からデレステあんたの推しイベントやるで!」と声をかけてくれる人がいるもんなんですよ。

なので飛び込もうとした時も電話切った後、ふと彼氏友達約束、好きなアニメジャニーズタレントライブ、推しキャラSSRを思い出したわけですよ。

「あ~あのゲームの新作出来なくなるから死ねないな。」「今死んだら数週間後のデートいけねーじゃん。」って思ったらどーでもよくなりました。

身の回りの人はお世辞だとしてもわざわざ遊びにいく時間作ってくれているわけですよ。その人達に何も言わないまま約束破るなんて失礼だなって。

それに私の周りってよく見たらアルバイト生活している人とか非正規雇用同士だけど家族仲良く暮らしている人がいるんですよ。どこにそんな保証があるのか知らんが年収低いのに「嫁が無職でも養う!」なんて言う人もいるんだしww(私自分でお金のやりくりをしていたいので働きますが)。

なので「新卒とか大手とかこだわって死ぬ馬鹿馬鹿しいな。プライド親孝行彼氏やダチと激安居酒屋でちびちび酒飲むかなら後者だな。まぁ~バイトでもしてりゃ自分の金は手に入るんだしいっかー。」と思い就活とか怖くなくなりました。

長くなりましたが言いたいことはですね、

①同じような奴がここにもいるよ。

別に今年ダメでも生きてりゃどーにでもなるよ。笑われたら一緒に笑っとけ。というかこの御時世、正社員になったって不安定なんだし。

仕事が全てではない。たった30分のアニメが生きがいになることもある。

特に②を伝えたいです。金融業界なら今から探しなおしてもまだ50社持ち駒作れます。私は「転居を伴う転勤なし 大学から採用実績あり」で絞っても50社まで持ち駒集めましたよ。私も利用しています就活エージェントの力を借りるのもいいと思います選考に関してはもう、「落とせるもんなら落としてみやがれ!セミナー質問しても雰囲気という言葉しか使えないクソ御社め!」という姿勢で臨んでますだって落ちても怖くないもん。(実はこの姿勢面接受けるようになってから通過のお知らせが来るようになりました。)それに、今後も経済が傾く可能だってあるんですしそれで落ちた会社倒産した時は「え?会社潰れてクビになったぐらいで自殺するの?じゃあ死ねば?」って笑い返してやればいいんですよ。なんなら同業他社就職決まったら落ちた会社潰すつもりで挑めばいいと思います

内定も無いくせに偉そうなこと書きましたが、同じ就活生として応援したいし「そんなことぐらいで死ぬとか」って人の気持ちも考えられない想像力の欠如したコメントをしている奴がうざかったので届けばいいなと。

おめーも一度無職になってみろよ。たまたま“運よく”就職できただけの奴が何上から目線で叩いてるんだよ。自分も職を失う瀬戸際にいるくせに。

まぁ、世の中副業している人もいるって事は人間の数だけ仕事はあるってことですよ。ゆっくり就職先決めていきましょう。

世間の皆さん、笑うなら私を笑いなさい、私もこのクソみたいな文章見て笑ってますから

2016-06-15

うける

ある集まりで飲みに行ったんだよね だいぶよっぱらって吐きそうってか吐くわ早くかえろ~ってお店でたら急に○○じゃね?って声かけられてさ

そこで無視すればよかったものを振りむいたらいかにも結婚式二次会ですって見た目の奴らがいたの

声かけてきたのは良く見たら知ってる顔で そうだこいつ中学とき私のこといじめてたくせに成人式でしれっと写真撮ろうって声かけてきた奴じゃんってうける~~~~なんで今~~~~www

マジでやばい早く逃げよう なんで逃げなきゃいけないんだ ぐるぐる考えてるうちに被害妄想まらなくなって

一緒に飲んでた友人たちまで馬鹿にされてるような気がして(実際されてたかもしれないけど良く覚えてない)

駅のトイレの個室にこもってたらどんどん色んなこと思い出してゲーゲー吐いてた

なんで今楽しく生きられるようになったところでこんなやつらにまた会ってしまったんだ

吐いてるうちに息が苦しくなってお酒に酔ってたのもあるけど頭痛いし気持ち悪いし呼吸おかしくなってくるし

気付いたら過呼吸なって今と過去がごっちゃになってまじで死ぬかと思った

一緒に飲んでた人たちはすっげえ心配してくれたし帰ってくれつっても個室の外から声かけてくれてて尊いわ~~って感じ

最終的にはドアこじあけて助けてくれたし迎え呼んでくれたしなんでここまでしてくれらんだろなありがとう 一緒に飲んでたのがこんなメンヘラでほんとごめんな

でまあ翌日落ち着いてきてからどうしても気になってちょちょっとツイッター検索かけてたら出てきたよあいつらが出席してたであろう結婚式

なんでこいつらがこんな幸せそうな顔してるんだろうな

私はあいつらのせいでこじらせた(ってことにさせて)人間不信になったし

でもそこそこ頑張ってどうにかあいつらと離れたくて勉強してきたんだけど

彼氏もできたしいい友人にも恵まれてさ 他にもね、いろいろ。頑張ってるよ私はたぶん

でもどんなときあいつらにされたこと忘れたことないし今でも突然思い出してよっしゃ死ぬかみたいになるし

カウンセリング受けたりいろいろしてみてもあのとき作った傷は心身共になかなか治らないわけで(ヒュ~~~かっこいい)

ずーーーーーーーーーーーーっっっっっとあの界隈に苦しめられてきたのになんであいつらは普通に幸せなわけ

なんで普通に人生楽しんでるわけ 意味わかんねえよ 

なんで人から愛されて結婚して子どももいて人々から祝福されてるんだよ意味分かんねえよ

こいつら人の人生ぶち壊してんだぞ 知ってるのかお前ら 知っててそうなのか

はぁ~~~~~~~~~意味わかんねえなんでそんなクソみたいな遺伝子残せるんだよ意味分かんねえ~~~~~~~~

まあこんなこと言ったって何にもなんない知ってる~~~~~

だいぶメンタル強くなった(笑)まあ卑屈ではあるんだけど

くっっっっっそ他人に対してドライになったけどそれを活かせる仕事をねえ~~~~しようとしてるよお~~~~~~

それはさておき私は一生このクソみたいな思い出と付き合ってかなきゃいけないんですかね

前世でなにしたんだろうね

せっかく最近やっと人生楽しい~~~~~って思えてたのにぶり返したよ 腹立つ 悲しいとかじゃなくて腹立つ

あいつらはたぶんもう忘れてるよ あんなことあったよね女の子ってこわいよね~みたいなね、そういう話でしか思い出さないんだろうけど

いっそあのときもっと深く切り込んでしぬのは嫌だからうーーーん入院とかしてたら変わった??お前らの意識かわった??

何が言いたいかわかんなくなってきた

2016-06-14

ねえねえ

私は幼いころ、姉の事をねえねえと呼んでいた。

幼い子供は無邪気なものなので、ねえねえという響きだけで面白かった。

「ねえねえ」と言って姉が振り向くのを待つ。

姉がねえねえという言葉に反応して振り向くと、

「ねえねえは呼んでません~、ねえねえって言っただけです~」

言い訳していた。

それがおかしくて、姉と笑い転げていた。

ガヒャッヒョという笑い声で、過呼吸になるくらい、私たちは笑っていた。

2016-05-13

MTRL編集部で働いていた元インターン生へ

株式会社MTRLの社長佐野 恭平さんの記事話題だ。

■ インターンを雇って失敗した話 | MTRL BLOG.TOKYO

多くから批判を浴びたのに対して、社員の一人yutaishikawaさんという人物が社長擁護する記事を書いて、火消しに失敗しているという。

■ 「インターン」ですがなにか? | MTRL BLOG.TOKYO

二人の記事の要旨は、インターンとして雇った学生が戦力として使い物にならなかった、金が無駄になった、彼らは批判をされて当然であり、今後インターンを雇わないのも今回のインターンのせいだ、というもの


有為学生企業経営者が公開リンチ

読んでたまらなく嫌な気分になった。そして、学生の心情を思い、ため息が出た。


この会社で働いていた学生さんへ。

あなたを励まそうと思って、この記事を書いた。「MTRL」「インターン」というキーワードあなたネット検索することがあれば、この記事がいつか、あなたの目に留まるかもしれないと思いながら。

どうか、自分を過度に責めることがないように。


まず、あなたの元ボスは、かなり特殊だという認識を持ってほしい。

日本には約260万の企業がある。それだけありながら、元社員インターネットという公共の場で悪しざまにののし企業はたまにしか出てこない。さらに言うならば、その中でインターン採用している企業は4600社ほどになるのだが、インターンシップ制度趣旨をわきまえていれば、いくらインターン生に不満を持っていようと、それを公言する事はまず無い。

まり佐野 恭平さんという人物が、一般的社会通念を犯しているということ。

何十人とインターンを雇う企業社長が、その年のインターン生をまとめて批判するのとはわけが違う。その場合匿名性が守られるからだが、MTRLという企業ではたった二人しかインターン採用していないというじゃないかインターンには多くの人が関わっている。親、斡旋業者大学などなど。そのすべての人が、この学生の「評価」を知ることになる。経営者として社会的地位もあり、信用される人物が、社会人となる前の一個人を、公共の場で口を極めておとしめた場合危険性を、長年マスコミで働きながら知らないはずがない。


インターン生の成長を願って記事を書いたと、この社長言い訳するかもしれない。だが、動機が正しければ過失責任すべて免れるわけではない。


子供虐待する親は、「子供のため」「しつけのため」「わが子の成長のため」と言って虐待する。

教師が生徒を虐待する場合も、「教育指導の一環としてやった」と言い訳する。それが許されるかどうか、考えればわかるだろう。


コンプライアンスをわきまえた普通企業では、個人を特定できる形でここまでその能力人格を毀損することはしない。

ブレストがろくにできたことは一度もない」

アウトプットを形にすることができなかった」

「口だけであり行動が伴わなかった」

「とにかく自分に甘い性格だった」

仕事なんてたいして任せてもないのに、目の前のことにいっぱいいっぱいになり過呼吸になる」

給料はどの外注さんよりも高額」

「黙って座っているだけで5000円」

「『ファッション鬱』を着飾って」


社長社員がよってたかって、教育の失敗、ジョブトレーニングの失敗を棚に上げて、元インターンだった人間を、ここまでくそみそによくぞけなすもんだ。


この記事を書いた社長は、主婦と生活社月刊誌JUNON(ジュノン)』に連載も持っているという。

日本全国に流通するメディア寄稿している人間が、「社会常識を知らなかった」では済まされまい。


yutaishikawaさんは、「あいつら機能してないと思うんで、早々に切ってください」と社長に進言したという。まともな会社常識のある先輩ならば、半人前の学生を育てようとしても、その芽をつぶすようなことはしない。大学中退たか社会常識がない? そんなことはあるまい。こんなことを公の場で口にしたらいけないくらいはわかりそうなものだ。社長にしてもこの社員にしても、人間尊厳人権をなんと思っているのだろう?


日本では、人権がともすると軽んじられがちだ。キリスト教の「神の前ではすべての人間平等で、等しく神から愛されている」という確信をもとに西洋では人権思想根付いたが、日本にはその土壌がないからだろうか。本来ならば、仏教の「一切衆生悉有仏性」という思想人権思想接ぎ木しなければならなかったのに、明治維新神道重視のため、日本思想の根幹にある仏教人権サポートできなかったのが原因だろうか。


戦後70年で、人権思想が大きく根を張り花を咲かせつつある。しかしながらときおり、大企業社長労働基準法を守らず土日も忘れて働くべきだと放言したり、新卒採用した人物を過労死させながら反省しなかった人物が議員として選ばれることがある。残念なことだと思う。こうした日本人権軽視が、ブラック企業を生み出す遠因となっている。


精神疾患を訴えるまでに追い込まれながら、会社ぐるみ中傷されて傷ついたあなた方へ。


初めての社会経験から、そこでいろいろなことを言われたかもしれない。その通りだと思って、今、自分を強く、強く責めてしまっているかもしれない。それは大きな誤りだ。


もしも一生懸命に頑張ってもうまくいかなかったとしたら、その場所あなたに合わなかっただけだと、まずは思ってほしい。無能だとののしられていても、職を変えたことで大きな成果を上げて、人生好転した人を私は何人も知っている。正しい場所にいなければ成功することはないのだ。もしもスティーブ・ジョブズラジオ局で働いていたとしたら、あのように成功しただろうか、と考えてほしい。こうした思考実験を重ねてほしい。


無知に付け込む人間は、

「ここで結果を出せない人間成功することはない」

などと追い込むが、それに騙されないでほしい。


そして、一人で悩むのではなく、こうした問題に詳しい人に悩みを打ち明けてみてほしい。そうすれば、心が軽くなるかもしれない。


たとえば、b:id:dennou-kurage氏は『脱社畜ブログ』というブログを書いていて、ブラック企業全般について詳しい。あなた会社の中でどのように扱われたのかを、情報提供してみてはどうだろうか。


また、「はてな」には多くの論者がいる。彼らの意見に触れて、洗脳を解いてほしい。たとえば、常に弱者目線に立ち、日ごろ感じる憤りを長年ブログに書き続けているkyoumoe氏の『今日も得る物なしZ』や、揉め事に詳しいhagex氏の『Hagex-day info』という著名ブログ、様々な難問を冷静に斬ることで有名な女性ブロガーtopisyu氏の『斗比主閲子の姑日記』などをのぞいてみるのもお勧めだ。彼らの正論の中で、常識を取り戻してほしいと願ってやまない。


それにしても問題は『JUNON』という雑誌である。次代を担うべき、貴重で弱い学生を数か月で精神疾患寸前まで追い込み、辞めた後も侮辱するような人間執筆の場を与えるということは、彼の行動を支援するということに他ならない。「主婦と生活社」はどうお考えなのだろう? 


こんな雑誌広告を載せている企業もまたしかりだ。現在の号や次号に広告を載せている企業には(時間的に)責任はなかろうが、次の次の号に広告を載せた企業は、今回の社長の行動を黙認していると考えて間違いなかろう。それはどういう企業なのか、機会があれば追ってみたいと思う。

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