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2016-05-07

Fラン編集者はすぐにダメになる(一部追記)

タイトルFラン編集者とは、私のこと。

学歴関係ないという人もいるけれど、そこそこの大学に行く努力ができる資質段取り力がないと続けれられない仕事だったりします。

異業種を何社か経験してから、中堅の出版社編集者という職業に1年ほどが経つ。

編集者という仕事が、とても向いてない職業だということに気づいて、体が拒絶反応を起こし始める。

朝起きれず、過呼吸をおこす。

撮影もあるし、人や物の手配、テープ起こし、打ち合わせ、ラフを書く…etc

電車に乗るのがやっと。壊したお腹はなおらない。

全部中途半端状態。朝から晩まで仕事

月刊誌でこの有様で、とても1日12~14時間労働を続けるなんてできない。

もう会社にいかず、進行中の企画もすべて放り投げて消えてしまいたい。

大学在学中に、自分スペック以上にアルバイト仕事サークル活動を続けて

3年の前期が終わるころに、ベッドから起き上がれなくなったことがある。

それから半年ぐらいケータイもいじらず、PCにも触れずひたすら横になって

最低限の水と食べ物を食べていた時期がある。

翌年の3月ごろに、「あーこのままじゃダメだ」と思い、少しずつ部屋を片付けて

怖いけれど徐々に外に出て人に慣れるようにした。

4月には内々定をもらっている同級生を横目に、就活をはじめだす。

自分の欲求がなんなのかわからず、白い紙にひたすら思ったことを書き出す。

休みが欲しい」「遊ぶ時間が欲しい」…ひたすらラクになりたいことしかかけなかった。

もう、ダメなんだなと実感する。

校正もなにもしていない、めちゃくちゃな文章から

私の編集者としてのスキルがないことを感じていただけるだろう。

この仕事はやくやめて、逃げて、ゆっくりしたい。

2016-04-04

http://anond.hatelabo.jp/20160404121307

症状は人それぞれなのかもしれないですけど、私の診断名は統合失調症(陰性)です。

幻覚妄想はなく、私はどちらかと言うと鬱に近い症状です。

ときどき幻聴が聞こえることはありますが、薬をきちんと飲んでいれば滅多にないです。この幻聴については、私はずっと幻聴だと気づいていなくて、実際に家の前の道に人がいて立ち話をしているんだ、と思っていました)

気分的に落ち込むことが多い、喜怒哀楽が乏しい、常に(理由もわからず)不安感に襲われている、みたいな症状ですかね(´・ω・`)

たまにパニック発作に似た症状も出ます。(パニック障害を併発しているせいかもしれません。動悸、息切れ吐き気過呼吸になったりもします)

人の多い場所に行くと冷や汗をびっしょりかきます。(おでこに玉みたいになって流れてくるくらい)

常に無気力です。ひどいときはお風呂にも入れませんでした。

2016-03-07

肺が痛いよう

肺が痛い。

というか、呼吸しづらい。

常に息苦しい。

これは・・・恋?とかネタに出来るレベルを超えている気がする。

深呼吸を繰り返すと今度は過呼吸気味で頭痛くなってくる。

酸素缶でも買ってみるかな~。

2016-02-23

http://anond.hatelabo.jp/20160223055805

食用の牛だってうまいとこ切り取る前にやいたらすげぇ臭いんだぜ?(知らないけど)

俺はそれよりは2、3日風呂に入ってない女の股に顔をうずめて鼻で過呼吸になるほど吸い込んだほうが楽しいかな

2016-02-18

地元に帰りたくない

20代男。東京都下に住んでいるが、わけあって熊本人吉市に戻ることになった。

訳あって心身の調子を崩し、しばらく実家で静養しろということである

家族には恵まれた。しかしあの地域には二度と戻りたくない。

あの地域に数か月滞在することを考えただけで発狂しそうになる。ましてや永住なんて、考えただけで卒倒するレベルだ。

東京には最先端情報があり、娯楽がある。交通機関も発達している。

人吉には最先端情報も娯楽もないし、交通機関も何もない。

そのかわりあるのは醜悪な腹の探り合いと野焼きで汚された空気、そして相互監視と密告だけである

ゲシュタポみたいな公権力走狗存在しないものの、人吉球磨で幅を利かすDQNゲシュタポの代わりとして制裁を加える。

情報もなく娯楽もなく、交通機関がないためどこにも行けない。その上旧共産圏彷彿とさせる相互監視と密告、制裁の嵐。

そんなところで人間らしい生活など望むべくもない。

 

いまもこの文章を半泣きかつ過呼吸状態で書いている。意識もとびとびである意識もうろうとしてきた。

もし「一生人吉にいてくれ」といわれたら何のためらいもなく自殺する。

人吉に住むことは死に等しい苦行だ。

さすがにそんなことはないと思いたい。昨今はやりの地方創生政策鑑みると、「一生人吉にいろ。東京に戻るのは許さない!」となる可能性もある。

そうなったら絶望しかない。

2016-01-30

法政大学越智啓太教授よ、「血のつながりのない親子」を差別するのはやめてくれ

最近チンピラが「ガンをつけられて頭にきた」とかい理由で同居している3才児を暴行殺害したというキチガイじみた事件があったが、今日その続報を読んでいたら、こんな記事をみつけた。

http://www.sankei.com/premium/news/160130/prm1601300035-n1.html

大田区大森南マンションでの夕食中、永富容疑者は礼人ちゃんが「自分をにらみつけてきた」と激高した。

さらに「テレビのほうを見た」「またにらんだ」などと次々と因縁をつけ、暴行エスカレートしていった。

母親は「永富容疑者が息子をつかみ、ボーリングボールを投げるようにしてガラス戸棚に投げ飛ばした。正座させて平手打ちしたり、かかとを頭に振り下ろしたりもした」と説明。永富容疑者さらに、ベランダを指さし「行け。死んでしまえ」などと話し、床に包丁を突き立てたという。部屋はマンション4階だった。

身長メートルに満たない礼人ちゃん。けいれんを起こして過呼吸を起こしたところで、凶行は終わった。約1時間半後のことだった。

 

母親は翌26日、礼人ちゃんに水や食事を与えたが、嘔吐(おうと)を繰り返し、失禁もしていた。左耳からは血が流れ出ており、「ママ、苦しい」と漏らしたという。

暴行から丸1日以上が過ぎた27日未明になって母親が「子供に熱があって、反応がない」と119番通報。すでに心肺停止状態で、搬送先の病院で死亡が確認された。


とても痛ましい事件で、このチンピラ(永富容疑者)は死刑にしても気がすまないという人が多いと思う。

 

 

ところで、上のニュースを読んでいて気になったのは、法政大学越智啓太かい犯罪心理学者のコメントだ。

法政大学越智啓太教授犯罪心理学)は、今回のように、自分血縁関係がない子供と同居している場合、「『他人の子』という意識が働き、愛着が持てない。さまざまなストレスのはけ口にされやすい」と指摘。


おいおい、ちょっと待ってくれ。

継父や継母の場合に、虐待等の発生率が、実親の場合に比べて多いというデータはけっこう存在するかもしれない。しかし今回の事件報道を読めば、家庭環境がどうこうみたいな次元を遥かに超越した「狂人」による犯行であることは明らかだ。要は、頭がおかしから虐待したのであって、血のつながりがない子どもを育てることの「ストレスから犯行に及んだなどという説明をするのはどうみても見当違いである。

 

 

自身離婚歴のある妻の連れ子を育てて4年半になる。実子がもともといなかったこともあって、「血のつながりがある場合」と「無い場合」の比較は俺自身にはできないのだが、べつに血のつながりがないからといってストレスなんか感じていないし、ふつうに「かわいい俺の息子」として育てている。

正直、実際にこういう境遇に身を置いてみるまでは、血のつながりの無い親子というのは微妙なもんだろうと想像していたのだが、実際に経験してみると、子どもの年齢が低かった(4歳〜)こともあってか、全く違和感はなかった。一緒に風呂入ったりゲームしたり、公文やその他の習い事に連れて行ったりと、たぶん平均的な実親と同程度かそれ以上にかわいがっているほうだと思う。子どもが難しい計算ができるようになったりすれば俺も喜ぶし、学校に送り出すときは「今日事故とかなければいいのだが」と毎日心配で仕方がない。

「『他人の子』という意識が働き、愛着が持てない。さまざまなストレスのはけ口にされやすい」(越智啓太教授)なんていう実感は全くない。

 

 

自身だけではなく、周りには「血のつながりのない親子」がけっこういるのだが、みんなそれなりに上手くやっている。幼なじみのお父さんが実は実親ではなかったということを、大人になってから知ったこともある。

やや複雑な家庭環境であることは確かだから揉め事が起きやすいのは事実かもしれないのだが、少なくとも、今回の永富容疑者のようなキチガイじみた暴行が発生する可能性を感じたことなど一度もない。

 

 

べつに、「虐待の発生率は、実父の場合より継父の場合のほうが多い」と、調査データに基づいて主張されることには、腹は立たないよ。ぶっちゃけ統計的にはたぶんそうなんだろうと思うし。

ちょっと日本語でググっただけでも

http://www.fukushihoken.metro.tokyo.jp/jicen/gyakutai/index.files/hakusho2.pdf

こんな資料があって、

虐待者の内訳は、実母が63.3%、実父が21.6%と、実父・母が虐待であることが多くなっています。前回調査と、全体の傾向に変化はありません。

実父・母に次いで多いのが、実父以外の父(養・継父と母の内縁の夫)であり、あわせて8.0%となっています


と書かれている。

実父以外の父に育てられた人の割合が、全体としては8%もいないだろうから、やはり家族関係が通常と異なる場合に、虐待が発生しやすいというのは事実なのかもしれない。

 

 

しかし、虐待に至る原因や文脈には色々なものがあるはずで、その色々な要因との間できちんと比較をした、正確な議論をしてもらいたいものだ。要は、「血のつながりがないこと」は、虐待の原因の1番目や2番目に挙げられるほど重要ものなのか?という疑問があるのである

今回の永富容疑者ほど酷い事例ではなかったとしても、虐待に至るような親というのはそもそもおかしい人が多いわけで、その「そもそもおかしい」という点に注意を払わずに、「血のつながりがない」という家庭環境だけを取り上げて犯罪の原因を説明しようとするのは危険というか、俺のように血のつながりのない子をふつうに育てている人間に対する侮辱であると言っていい。

 

 

たとえばだが、仮に「継父の場合虐待発生率が高い」というデータがあったとしても、そのデータだけでは、「継父だから虐待した」のか、「もともとおかしい奴だったから、家庭環境も複雑になったし、子ども虐待した」のか区別を付けることはできない(いわゆる「見せかけの相関」の問題)。

まり、仮に、

「頭おかしい」→「離婚再婚をくりかえしやすく、血のつながりのない子と同居しているケースが比較的多い」

「頭おかしい」→「虐待する」

という2つの別々の因果関係作用しているだけであったとしても、統計データ上は、「血のつながりのない子と同居している」と「虐待する」の間に相関が生まれしまって、あたかも「血のつながりがないから虐待が起きる」かのような錯覚引き起こししまうのだ。

 

 

なお、さっき紹介した資料のなかでは、実親による虐待場合きょうだい揃って虐待されるケースが多いのに対して、継父・継母による虐待場合きょうだい虐待されていないケースが多いとされている。

実父や実母が虐待を行った場合、他のきょうだいに対しても虐待を行うことが多くなっています特に実母にその傾向が強く、「きょうだいはいるが本児のみ虐待」を受けた事例が 22.1%に対し、「本児以外に他の子虐待」を受けた事例が 36.4%となっています

一方で、養・継父及び養・継母はその子ども一人だけを虐待することが多くなっています。養・継父では、「きょうだいはいるが本児のみ虐待」を受けた事例が 61.2%であるのに対し、「本児以外に他の子虐待」を受けた事例が20.0%となっています


これを読んで、一瞬、「継父・継母による虐待は、血のつながりがないことが大きな原因なので、その特定児童けが虐待されている。一方、実親による虐待場合は、それ以外の理由虐待が起きているので、兄弟そろって虐待される場合が多い」という主張なのかと思ったのだが、よく読むと、「本児以外に他の子」というのが、虐待者の実子であるかどうかは示されていないので、そのような主張はできない。

 

 

繰り返すが、越智啓太教授は今回の永富容疑者による礼人ちゃん殺害事件について、

今回のように、自分血縁関係がない子供と同居している場合、「『他人の子』という意識が働き、愛着が持てない。さまざまなストレスのはけ口にされやすい」


と指摘している。取材ではほかにも色々な説明をしたのかもしれないが、少なくとも記事上では、この教授は「子どもボーリングボールを投げるようにしてガラス戸棚に投げ飛ばし正座させて平手打ちし、かかとを頭に振り下ろしたりして殺害したのは、継父だったかである」としか説明していないのである

べつに俺自身は、誰に何と言われようとふつう子どもをかわいがって育てているので構わないのだが、新聞記事学者一般論としてこんな安易説明をするのは、差別以外の何ものでもなく、看過してはならないと思う。

 

 

それで、何なんだこのいい加減な犯罪心理学者とやらは・・・と思っていたら、以下のような記事があった。

 

 

法大教授同性愛揶揄する投稿 批判殺到、「性嗜好と性指向混同」と謝罪

http://www.j-cast.com/2013/01/07160376.html?utm_source=dlvr.it&utm_medium=twitter

 

 

神奈川セクシャルマイノリティー用相談ホットラインができたというニュースに対して、越智啓太教授は、Twitterで「神奈川県同性愛サポートか~次はロリコンとか熟女マニアとかもサポートしなくちゃな」などとツイートして炎上したらしい。

炎上後に色々弁解したらしいが、差別意識がなければこんな発言を口にすることは不可能だろう。

 

 

おそらくこの教授は、血のつながりのない子を育てている俺のような人間や、血のつながりのない親に育てられた俺の幼なじみのような人間に対しても、心のどこかで(あるいはあからさまに)差別しているのだろう。そうでなければ、明らかに「血のつながりの有無」以外に説明されるべき要因が大量にあると思われる今回のような事件に対して、

 

今回のように、自分血縁関係がない子供と同居している場合、「『他人の子』という意識が働き、愛着が持てない。さまざまなストレスのはけ口にされやすい」


などというコメントを寄せることができるわけはない。

 

 

 

■■■■■追記■■■■■

 

おお、増田投稿、3連続で3桁ブクマ達成だわw

それはともかく、ブコメに変なのがあったので少し触れておく。

 

「継父による虐待率が高い」という事実無視して「頭がおかしい奴の奇行」と切り捨てるのも杜撰だ。

データによると虐待事件は、実父6000件に対して、実父以外が2000件と大雑把に考えたら、実父以外の家庭の割合が25%でないと等しいといえないと。明らかに倍以上の虐待率。継父は高リスクなのは完全に事実だな

確かに養父割合を考えたら、実父以外の虐待率の高さは想像よりも遥かに大きい様だな

 

無視しているどころか俺自身が本文でデータを紹介してるのだが(笑)、それはともかく、これらのコメントは(そもそも何を言ってるのか若干分からないところもあるが)俺が書いた本文の基本的理屈理解してない恐れがあるので、一応説明しておこう。

 

 

「継父である場合虐待者になる確率が、実父である場合虐待者になる確率よりも、有意に高い」というのが仮に事実だったとして、本文ですでに言及した「見せかけの相関」の問題無視することにしたとしても、ある人物が虐待者になるかどうかを予測する上で「継父である」という情報重要意味を持つとは限らない。

 

たとえば、性犯罪者女性よりも男性のほうが圧倒的に多いと思うが、だからといって、ある特定の人が将来性犯罪者になるかどうかの予測に、「その人は男性である」という情報が大して役に立つわけではない(役に立つの定義にもよるが)。「男性であることによって、女性であるよりも、性犯罪者になるリスクが◯倍高い」みたいなことは確かに言えるのだが、そもそも男性であろうが女性であろうが性犯罪者になるということ自体レアだとすると、個別のケースで何か判断をする上では、あまり意味のない情報なのだ

またこれは、どこかで性犯罪事件が起きて、なぜそんな事件が起きたのかという原因を考えるときに、「やっぱ男だからですよ。性犯罪者は男が多いんです」なんていう分析をしても意味がないということでもある。

 

これと同じで、仮に継父である場合虐待を犯すリスクが、実父である場合リスクに比べて何倍も高かったとしても(そもそも本当に高いのかは、色々な論文等を読むまで判断できないが)、その差は、ある人が虐待を犯すかどうかの予測の役には立たないかもしれないし、既に起きた虐待事件を振り返って「原因はやっぱり、この人が継父だったからでしょう」なんていう分析をしても意味がないかもしれないのだ。

 

から俺は、べつに継父であることによる虐待リスクの増大については否定していないというか、むしろそれらしきデータを俺自身がわざわざ紹介した上で、「しかし、虐待に至る原因や文脈には色々なものがあるはずで、その色々な要因との間できちんと比較をした、正確な議論をしてもらいたいものだ。要は、「血のつながりがないこと」は、虐待の原因の1番目や2番目に挙げられるほど重要ものなのか?という疑問があるのである。」と言ったわけ。

 

 

今回の越智啓太教授コメントは、たとえていうなら、性犯罪事件ニュースに接して「男だから仕方ないっすよ」とか言ってるのと同じレベルであるように思える。そのぐらい、ナンセンスコメントなのだ

 

 

傾向の話をしているのに「うちはそうじゃない」なんて反論にならない

 

というブコメもあったが、その「傾向の話」は、今回起きた特定事件解釈する上ではあまり役に立たんだろうというのが俺の本文の論旨だ。傾向の話をしても別に良いというか、俺自身がそういうデータを紹介しているのだが、今回の事件についてのコメントでそれに言及するのはナンセンス

なお、「うちはそうじゃない」というのは、増田を盛り上げるためのおまけ情報です。

2016-01-07

いわゆる一発屋(元・紅白歌合戦演歌手)のライブに行った

私はこの歌手の大ファンだ。

でも、知ったのはブームが去ってから

もっと言うと、彼が活動休止してから知り、好きになった。

流行った曲が聴けたりするのは、ネットのすごいところだと思う。

その歌手は、ブームが来てから数年後、活動を休止した。

そして今、再び音源を発表し、ライブ活動をしている。

キャパシティは大きくないものの、近くで彼の歌を聴けることは幸せである

活動休止中、メディアはおろかネットにも出てこず、一部では死亡説が出てしまうくらいだったとか。

そんな中、久々に出てきてくれた彼は活動休止にいたった経緯をファンへ丁寧に話してくれた。

ブームが来てから、2発目のヒットを出せ出せといわんばかりのプレッシャーを強く感じていたそうだ。

事務所からもファンからも。

そんな中で曲を作り、発表していくことが彼にとってとてつもないストレスになってしまった。

やがて、ライブ前後過呼吸を起こすまでに…。

身体を壊しては元も子もないため、お休みをするに至ったようだ。

彼が今作っている曲は、いわゆる「売れ線」ではないが、彼らしくてとても素敵な曲だ。

また、彼の歌唱力は今も昔と変わることのない、すばらしいものである

彼が「一発屋」として世間に消費されてしまったことがとても、もったいなく感じる。

から、今度は「ほどほどにファンのいる、生活に困らない程度」に売れてほしいなと思っている。

おそらくは、今がその状態なんだと思う。

ご本人には申し訳ないが、彼のブームは2度と来てほしくない。

一過性のものとして消費されてほしくないからだ。

ここからわがままになってしまうのだが

自作音源、全てご本人が演奏していてクオリティも高いのだが

やはりインディーズ限界を感じてしまう。

前みたいなやたら豪華なストリングスとかはいらないけれど、彼がもう少し良い録音環境活動できるくらいには売れてほしいかな。

ある種、地下アイドルのファンに近い心理なのかなとか思った。

2015-12-28

出産の思い出

うんこ漏らした

陣痛とは子宮が収縮する痛みである子宮の収縮とともに胎児が出てくるための子宮口が徐々に開いてゆく。10センチ開くと全開大。初産の人は全開するまでに大体10時間以上かかるみたい。私は約11時間で全開した。

子宮口が全開すると分娩台に乗っていよいよ出産する。陣痛に合わせていきんで赤ちゃんを押し出さないといけないんだけど、いきみ方が分からなくて、でもいきんで産んでしまわない限りずっと痛いわけで、とりあえず踏ん張ってみたらうんこが出た。

と言っても自分では見えないし痛みでそれどころでなくてちゃんと確認してないんだけど、私の足元にいた助産師さん達が「ちょっ待って!待って!あ〜あ〜…消毒しまーす」と言っていたので出てしまったようだ。

過呼吸になった

漏らした後は普通に陣痛に合わせていきむことが出来ていたが、だんだん手足と顔面が痺れてきた。助産師さんに「なんか手足と顔が痺れてるんですけど私大丈夫ですか?」と聞いたところ、「それはね、あなたが息を吸い過ぎて過呼吸になってるの。もっと息を吐くようにして」とのこと。私が見たことのある過呼吸状態の人みたいにゼーゼーヒューヒューは言わなかったけど過呼吸になってしまったらしい。この痺れは出産後も1時間くらい続いた。

③産褥パッドを便器に落とした

無事出産しすぐに赤ちゃんを見せてもらえたのだが、正直あまり可愛いとは思わなかった。なんかヌルヌルしていて変な臭いがした。(今は超絶可愛いと思ってます

赤ちゃんのことよりも自分がしんど過ぎてもう分娩台で寝ていることしか出来ない。疲労困憊で起き上がることも出来ない。胎盤を出す後産も終わって会陰切開した部分を縫って(これも痛かった)、下半身が血やら何やらで汚れまくっているので助産師さんが二人掛かりで拭いてくれて下着からパジャマまで服を全部着せてくれた。着せてもらってる間も天井を見上げて横たわるのみ。自分赤ちゃんみたいだった。

その後1時間くらい分娩台でそのまま休んでから入院する大部屋に車椅子で移動した(分娩後1時間母体が急変することがあるので様子をみる必要があるため)。

そんでしばらくしてトイレに行きたくなって便器の前でパンツを下ろしたら産褥パッドが便器に墜落した。

されるがままで自分下半身の状況を分かっておらず、まだ体を上手く動かせないままいい加減にパンツを下ろしたらそうなった。産後はしばらく胎盤の欠片(悪露)が排出されるから生理ナプキンの巨大版みたいな産褥パッドというもの必要なんだけどそれの特大サイズが1枚、更にその上に普通サイズが1枚、知らぬまに装着されていたのだった。これが2枚とも便器に落ちたので、頑張ってなんとか拾い上げました。

以上です。

2015-11-23

道端で泣いてしまった

しばらくぶりの休みがきた。世間では三連休だがうちの職場では関係ない。

勤務時間はまちまちだけれど日数でいうなら社畜と言って差し支えないなと思う。

ここ数日身体の疲れが取れず、気が滅入っていた。

本来なら1日早く休みが取れるはずが、会社の都合で1日ずれた。

たった1日されど1日。

会社では気をつかう事ばかりで、ストレスがたまっていた。

気を遣わなくていいよと色んなところから言われるけれど、そんなの真に受けて気を遣わなかったらグチグチ言われるに決まっているのだ。

まぁ、できる範囲仕事さえやってれば問題はないだろうと、出来る限り率先して仕事手伝ったりしてた。

なんか何事も当たり前だしなんでもないことなんだけれど、色々ストレスだったらしい。限界がきた。

明日休みだけれど、一人だ。誰か誘おうにも予定が合わなかった。

周りは楽しそうな人たちで溢れかえってる。私なんて今仕事終わったばっかだ。

もうなんかわかんないけど無性に惨めったらしくなってきて信号を待ちながらしくしく泣いた。

こんなことで泣いてるのも情けないしと思ってると更にしくしくきてしまって、路地で隠れて泣いた。

電車過呼吸を起こしそうだった。

明日からもまた仕事だ。頑張らなくては。

周りに言われるけどほんと彼氏とかなんとか作りたい。

一人はたまに寂しい。

2015-10-05

救済

 わたしが精神科に通いつつ大学に戻るのって、傷口を消毒しながら新たに傷を作り続けているようなもので。

 しかもその傷の正体が大学に住む魔物のような「なにか」かもしれないし、そもそも魔物なんていなくて、全て悪いのは「わたし」かもしれない。

 ここが厄介で、世界(特に親)は、ただただわたしに優しいのに、わたしの頭がおかしから魔物がいるだけって妄想してる、なんて医者は言う。

 そんなわけない、わたしは見えるんだ、彼らの心の底から思ってることが。わたしは出来損ないで失敗作だと思ってることが。

 どっちに転んだとしてもそれが怖くて傷をどんどん深くしていって、恐怖で震えるだけのわたしは、飛躍した思考で最終的に全世界ヘイトを広げて、Twitterで過激な人たちを身内他人わずさんざdisっては、disしか自分を守れない社会とわたしの醜さにケラケラと笑いつつ、アルコール睡眠薬精神安定剤を足して、クラクラしながら下品話題をひたすらに喋り続ける。

 医者が気づかないうちに処方量じゃ足りないくらいにベンゾジアゼピン依存して、元気なうちに溜め込んでた薬をガバガバ飲んで。

 社会が、世界が、そもそも社会に適合できない自分がもう嫌だから、酒飲んで薬飲んで死んでやれと思って、夏休みが終わる直前に、飲む薬の量、飲む酒の種類、アルコール度数嘔吐せず大量にアルコール摂取する方法、手遅れで親が気付くタイミング……と計算しながら、綿密な自殺計画を嬉々として立ててた。

 しかし、全く自殺未遂とは無関係の部分で、救急車に乗ることになった。

 デート中に、医者曰く「解離」で意識を失ってバスで突然倒れた。普段から過呼吸や脳貧血でよく目の前が暗くなっていたから、倒れる直前の行動も正しかったし、倒れ方もどうやらうまくて、どこもぶつけず怪我もせず、すぐ意識も戻った。

 ただ、バスの運行異常だということで、わたしが意識を失ってる間に救急車を呼ばれていた。とっくの昔に意識を取り戻したわたしは、そこにヘラヘラ笑いながら乗り込んだ。テキパキと働く救急隊員の人にわたしは「ごめんなさい、こんな私元気なのに」って言ってた。

 バスにはわたしが溺愛し、わたしを溺愛してくれる彼氏が一緒に乗ってて、倒れた瞬間も見ていたわけなんだけど、救急車に同乗する彼氏の手を握った。

 真冬の京都でもカイロみたいな温度のうちの人の手が、凍るように冷たかった。

 どっちが病人だよってまたわたしはケラケラと笑ったけど、彼の手をこんなに冷たくするくらいなら死なないほうがマシって思った。

 その日から安定剤と酒を一緒に飲むのをやめた。眠れなくても薬だけにした。

 どうしようもない社会不適合のメンヘラに、彼氏は言う。

 自傷が治るまで気長に待つからね、お薬飲まずにいられるようになるといいね、もしも社会ダメなら一緒にカフェゆっくり営もうね……そんなことを言われている。

 そんなことを言われても、わたしは死のうとしていたんだけれども。

 ――誰かわたしを助けてください

 結局のところメンヘラと呼ばれる人々の心からの願いはそれに尽きるんだと思ってる。

 南条あやメンヘラ神も私の友人の恋人も、現世では自分の心を救えず、救われず、薬物で、飛び降りで、死んでしまった。

 でも、あの世彼女らは救われてるんだろうか。

 そして現世で手の冷たさという救済をされたわたしは、自分に不適合な社会社会に不適合な自分シニカルに眺めつつ、今は安定剤のもたらす眠気と大学という現実に追われつつ、ひとまずはこの世に居座るしかないのである

2015-09-28

今日彼が結婚挨拶で家に来た

うちは昔から家族揃って父が大嫌いで、母親に至っては父の話をするとたまに過呼吸を起こすから

結婚相手に「母親の前で父の話はしないでね」って言ったら、母親と話している間ずっと胸見てやがる。

そっちのチチじゃねーよ……

母親巨乳なのに私はこんなちんちくりんですみませんね。

なんかモヤッとしたので増田に書いてしまった。

2015-09-02

エビが好きなのかチリソースが好きなのかもはや分からない

子供のころは、滅多に行かない外食の中でも

餃子の王将は一段と魅力的で、中でもエビチリは格別だった。

プリッとした食感に、チリソース絶妙マッチして

メニューの中でもわりと脇役のエビチリが頼めるとなると心が躍った。

それ以来わたしは、エビがとても好きなんだと思っていた。

いや、今でも思っている。

おじいちゃんが亡くなったとき

お葬式で見送るとき過呼吸になるくらい悲しかったのに

弁当に出てきたエビ天ぷらは人の分までばくばく食べた。

エビを愛してると思ってた。

しか最近エスニックのお店で生春巻きにソースとして、チリソースが出てきた。

生春巻きとチリソース絶妙マッチしていて

チリソースがでてくると心が躍った。

そのとき気付いた

わたしはエビではなくチリソースが好きだったのかもしれない、と。

鶏肉チリソースの組み合わせもめちゃくちゃうまいのだ。

わたしは勘違いしていたのかもしれない。

しかし今となってはもはや分からない。

これは好きな異性にも言える話で

彼の性格に惹かれて付き合ったけど、もしかしたら財産目当てだったのかもしれないとか

学歴目当てだったのかもしれないとか

でもそれはもはや分からない

知らないままの方がいいこともある。

2015-08-09

いじめの話

夏休みになるとなぜかいじめられていたときのことを思い出す。ただ思い出すだけならいいものの、ひどいときは外出したくなくなるくらい引きずることもある。

そんないじめの体験を少しだけ書きとめることにした。

いじめられていたのは小学校とき。わたしが住んでいる市は治安がそこそこ悪く、暴走族エンジン音がうるさくて眠れないこともしばしば。いわゆるDQNが多いのだ。

そんな市の小学校が大人しいわけもなく、私の学年は特に荒れていた。小学1年生のときから落ち着きがなく、自由トイレに行ったり立ち上がったり大声で話したり、そんなクラスだった。もちろん当時はそれが当たり前だと思っていて、異常だと気付いたのは中学に上がった時だった。

私の学年には問題児が3人ほどいた。全員サイコパス的に人を傷付けるのが好きだった。とにかく暴力暴力暴力。「キモイ」「死ね」そんな言葉挨拶のように飛び交っていて、私自身もその言葉を使っていた。

小学1年生は無事に過ごしたが変化が起きたのは2年のときだった。問題児3人のうちの1人と同じクラスになったのだ。

暴力は止まらない。女子生徒のお腹をごく普通に蹴ったり、弱々しいヲタクっぽい男子生徒を終始嘲笑っていた。教室はいつも異様な雰囲気で、ドラマ女王の教室」のような、いつだって薄暗い煙に覆われているようだった。

何度目かの席替えをして私の隣になったのは彼だった。毎日息を殺して過ごしていた。彼は癇癪持ちで、どういう言葉で行動でキレるのか全く分からなかった。とにかくすぐキレる。自分にその矛先が向かないよう、死んだように過ごした。

そんなある日、私は彼がやけに大人しいためチラチラ彼の様子を伺っていた。「今日は大人しい。よかった」そう思うのもつかの間で、彼は「何見てんだよ」と怒りだし15cm定規で背中をバシバシ切るように叩いてきたのだ。痛い、痛い、痛い。わたしは泣かなかった。担任先生が気付くまで、彼の怒りがどうか静まるように彼の気分をこれ以上損ねないためにも必死に黙っていた。

担任先生が止めてくれた。けれど注意はしない。それがこの学校先生の特徴だった。

それから悪魔の日々は続き、6年になっても問題児3人の行動は落ち着くことなく、むしろ取り巻きを従えてエスカレートしていった。

彼らの独占国家だった。先生たちは助けてくれない。親に言ったらクラスのみんなの前で公開処刑のように暴力を振るわれる。その場にいる先生は、「やめなさい」と諭すように言うばかりで体を張って止めてくれたことなどなかった。彼らに怒鳴り散らすことは一度もなかった。

いじめ王国にすっかり慣れきったわたしは、誰にも心を許せなくなった。男子生徒の暴力暴言いじめの他に、女子生徒の陰湿いじめがあったからだ。

ある一人の女子生徒は王女のようだった。自分の言うことは絶対で、とにかく人を支配したがっていた。今でもその子名前と同じ名前の子と話せないほど、その女子生徒は私のトラウマだ。

明日から〇〇ね」まるでゲームのようにそう告げられ、翌日から無視する女子生徒を決める。ターゲットになった女子生徒と喋りでもすれば自分ターゲットになる。その恐怖でわたしも無視をしていた。仲良かった子さえ守れなかった。彼女不登校になり中学学校には来なかった。わたしはいじめ加害者だ。

わたしは誰とも話さない日々が増えていった。誰かと話せば話す分、自分いじめに関わることになる。学校ではクールぶっていた。けれど家では、母にも父にも言えない苦しみを夜、クッションに押し付けて声を殺して涙を流しながら、「死にたい死にたい」と呟く毎日だった。その時の私はまだ11才。

親友がなにかのきっかけでクラスいじめターゲットになった。明るくいい子だったのだが、問題児には気に食わなかったんだろう。いや、理由なんてない。ただゲームをするように、アリを潰すように、意味もなくそのこをターゲットにしたのだ。

彼女しか友達と呼べる友達がいなかった私は、彼女と話すことで彼女を守ろうとした。しかし、いじめエスカレートするままで、ついには彼女が登校してきた瞬間に彼女の机を彼女に向けて思いっきり投げつけた。

その日の教室地獄絵図だった。女子生徒は号泣、他クラスから先生が飛んでくるものの、問題児の怒りの叫び声は止まらず、「あ″ーーーー」という雄叫びと共に周りの生徒を片っ端から殴る蹴るの暴力。わたしは泣きもせず、ただその光景から目を伏せていた。

先生は何もしてくれない。小学校で学んだことはそれだけだ。担任先生は決まって問題児の生徒をなだめるだけで、先生もまた恐れていた。しかストレスが溜まって、理不尽な怒りが問題児以外の生徒にぶつけられることもあった。授業中に「死ーね死ーね」と叫ぶ問題児には愛想笑いするくせに、少しおしゃべりをした生徒を授業時間中ずっと怒っていたことがあった。先生も狂っていたのだろう。

今となっては少しだけ担任先生に同情できるものの、当時の恨みは消えることがない。

問題児を始め、いじめを率先して行っていた人や助けてくれなかった先生たちは全員不幸になれと思っている。

小学校ときの思い出がない。笑って話せる話はなく、小学校の横を通るとき過呼吸になりながらバレないように下を向いて涙を流す。

いじめ経験から何年も経っているのにわたしは毎年夏に思い出す。毎日死にたいと泣いていたあの日々を。

2015-05-21

理系女子ビッチ化する日

 ああ、あの清純さとはなんだったのだろう。僕はあんな清純さを見たことがなかった。清純さの中に闘争心をもつ、本当の意味で凛とした君の姿は本当に魅力的だった。僕は廊下ですれ違うだけで嬉しかった。一目見られるだけで、すごく嬉しかった。今思い出しただけでもうっとりしてしまう。

 理系学部に入った君は、大勢男子の中に放り込まれた。

 大勢男子が君を見逃すはずがない。君はたくさんの男子からの熱い視線を受けるだろう。親切に扱われるだろう。たくさん話させてもらえるだろう。

 そして君は自分が何者かであるなどとと考えるようになるだろう。プリンセスだ。多くの男がその姿に心奪われ、一言言葉さえかけてもらえば死んでもいい、とさえ思う存在だ。

おめでとう。あなたはもう、プリンセスの一人なのだ。男どもは皆、君のことで心がいっぱいだ。大学研究なんてどうだっていい。君さえ手に入れられるのならばなんだってする。君が少しの微笑みを彼らに手向けたなら彼らは三日三晩過呼吸で、眠れまい。

 だけどある時突然男たちは正気に戻る。「男と女は同数だ。」という現実に気がつくのだ。

しかしたら失礼な男が他の大学ミスコン1位と君のことを比べるかもしれない。

しかしたら失礼な男が他の大学友達彼女と君のことをくらべるかもしれない

しかしたら失礼な男がコンビニバイト女子大生と君のことをくらべるかもしれない

君の人気は大暴落する。

男たちは君の話なんか、聞かなくなってしまった。

君に花束を贈る男なんていなくなってしまった。

君に興味を示す男なんていなくなってしまった。

 君はなんとか人気を取り戻そうとするだろう。

股開の出現確率変数をあげるかもしれない。いや、あげざるをえないのだろう。

そう。君はビッチだ。潜在的ビッチなのだ

2015-02-15

自殺未遂パニック発作向精神薬

先日、自殺未遂をした。色々と詰めが甘かったので本気ではなかったんだろう。未遂で済んだあとには希死念慮はなぜかほぼ消えていた。

家族にかかりつけの精神科に連れて行かれ、強めに向精神薬を処方されて飲んだ(SSRI)。希死念はもう無いとして入院回避した。

その夜、猛烈にこみ上げる恐怖に目を覚まし、激しい動悸と過呼吸が起きた。

何かに恐怖しているのじゃなく、恐怖そのものけが触れるようなリアルさで表象に湧き出てきた。

小さい頃から時折見る悪夢感覚を100倍に濃縮したものの恐怖が4種類くらい断続的に現れた。

何が起きたのかわからず、このまま発狂して廃人となるのかと思えた。地獄だった。

これまでのどんな苦痛よりも苦痛だった。泣き喚き手足はガクガク震えて嘔吐した。

時間ほど苦しんだあと、次第に落ち着いてきて明け方に眠った。

その翌日は恐怖感は残滓のようなものだけ。手足の震えのせいでまともに歩けず。食欲はあまりなかった。また発作がきそうな感覚は少しあったが起きなかった。

症状をググったらパニック障害の発作が近いようだった。

3日ほどでほぼ回復した。その後数週間経ったが、発作は起きていない。

精神科医には診察に行ったが、その時の対応と、発作は薬が原因だと思い信用を失った。あれ以来通院せず、薬は飲んでいない。希死念慮は減り、体調はいい。

今回の発作はいわゆるパニック発作と呼ばれるものだろうか。だとしたらパニック障害で苦しんでいる人には本当に同情する。

2015-02-02

友達猥談フィーバーする話

簀巻きにしたり、ストリップを見せられたり。他にもいろいろやらかしてきたYという男友達がいる。

「いろいろ」については今後も思い出した時に書いていこうとは思ってるんだけど、今日はそもそもの最初の話をしようと思う。

高校3年の時、隣の隣のそのまた隣のクラスタカハシ(大丈夫、ちゃんと偽名。まるっと偽名)と仲良くなった。放課後タカハシ(&彼の悪友たち)と駄弁るのが楽しくて、隣の隣のそのまた隣のクラスにほいほい遊びに行くようになってた。

ら、何か独特の雰囲気男の子に目が留まった。それがY。

普通ね、放課後はまっすぐ帰るか部活に励むかの二択で、教室に残るのはごく少数。しかも誰とも喋らず独りでってのは、かなり妙でしょ。

Yの第一印象は、何て言うのかな……無感動な無表情。

まらなさそうにするんでもなく、誰かを待ってるような焦りも見られない。ただ静かに時の流れに乗ってるような。

あと顔は割と整ってた。肌が透き通るほど白いなんてこともないけど、オス全開なガツガツした顔立ちでもなかった。中性的ってああいう感じかなぁ。

私が「あれ誰くん?」と尋ねると、「あいつなー。すげぇクールっつーか無関心っつーか、とっつきづらいんだよ」とタカハシの悪友が茶化す

Yはそのやり取りが聞こえてるんだろうに、何も言わない。少し離れた席に姿勢良く座ったまま、本を読んでいる。

タカハシが「でもな、」と私の首ねっこを引き寄せて、耳元で囁く。

あいつ、エロい話、イケる口だよ?」

ニィッと笑うタカハシの顔が既にゲスい。

馬鹿か。こいつ馬鹿か。

何が「イケる口だよ?」やねん。イケる口だから何だっつーんだよ。初対面のY君に猥談持ちかけろってか。アホか。

「ヤダーあたしも猥談イケちゃう口なんですーキャハッ♪」とかぶちかませるとでも思ってんのか。品を持て品を。

「あの、Y君は一日何オナニー?」

ごめん、ごめんなさい、わかってる、第一声でコレは無い。ありえない。

オナニー? じゃねぇよ。単位かよ。「ああ、俺は一日3オナニー」とか素敵に会話が成立しても嫌だ。サンオナニーって語感良いですね、今びっくりした。

当然、Y君からは「……何の話?」とこの上なく怪訝そうな返答を戴く。ですよね、ごめん! こんなデリケート話題もっと友情やら愛情やらを深めてから切り込むべきでした!

タカハシは私の背後で何の遠慮も無く爆笑してはる。圧倒的爆笑っぷり。清々しい。過呼吸になって苦しめ。

「せ、せんせー……お……俺ね、一日、4オナニぃ……ぶふぁっ」

別にそんな恥ずかしいこと言わなくていいんですよ、タカハシ君。君に訊いてないですよ、タカハシ君。シャラップ

ああもう羞恥が身体中を這いずり回ってる、今すぐ帰りたい。ここアウェイなの、もう辺境地と呼んでもいいと思うの。自分クラスルームが恋しゅうて恋しゅうてたまらん。

「週に2回くらいかな……」

あろうことかY君、真面目に答えてくれちゃった。1日4オナニーより週2オナニーの方がずっとリアルなのは何でだろう。つーか生々しい。

うわーこの人もやっぱりオナニーするんだ……とか、半ば魂抜けつつ考えちゃう。端整な御尊顔を正面から拝みつつ。

年代のオトコノコが自己処理をしてるところなんて、勿論目撃したことはないから曖昧想像するしかない。

って言うかまだY君のパーソナルデータを一切持ってないのに、よりによって最初に加えられた情報がコレ。数学が好きとか古文が苦手とか妹がいるとか身長172センチとか、そういうの全部すっ飛ばして、まっさらなページに燦然と書き加えられてしまった〈週2オナニー〉の項目。むなしい。

そこからタカハシとY君の友情深め合いが始まった。

回数は?

オカズは?

処理時間は?

サイズは?

特にこの大きさの話は盛り上がってた。

あのね、一応、私もここにいるの。キミら男水入らずの一対一で談義してるつもりかも知らんけど、俯瞰で見てごらん。綺麗な三角形が見えるでしょ。あれがデネブアルタイルベガ……Y君と、タカハシと、それから私ね。相槌打つことさえ躊躇われて、二人の猥談を有難い念仏かなって思いながら拝聴する地蔵ポジションに甘んじてる女子がいるの。「この赤ペンよりも長いか否か」で白熱してないで、気付いて。

って言うかY君、私を好奇の目でチラ見してくるの、止めなさいよ。こいつ趣味悪いなと直感した瞬間である(そしてその予感は的中していたと後の数年で思い知る)。

この日以降も「ヨッ、猥談しようぜ!」とタカハシが私を引きずり込むので(「マリカーしようぜ!」と同じテンションで言ってくるのがムカつく)、何だかんだでYとも仲良くなってしまった。

ちなみに。Yはイニシャルでも何でもなくて、淫猥のY(ワイ)から取りました。この上なく不名誉な命名で、満足してる。

2015-01-16

http://anond.hatelabo.jp/20150116135751

いいから黙って病院に行きなさい

このままだと心も体も壊れるぞ

過呼吸という目に見える体の症状には付き合えても、

心の病気には向きあおうとしない彼氏とは付き合いを考えた方がいい

過呼吸が癖で頭が痛いのでやる気スイッチください

もう10年近く前くらいに過呼吸を起こすようになって、いっときは収まっていたのに最近また特定のことに関すると過呼吸になるようになってしまった。

感情的になると涙が出てきて過呼吸になるか、不安・悩みが募ると過呼吸になる。

昨日の夜は朝の4時すぎまで過呼吸になったわたしの面倒を恋人にみてもらって、迷惑をかけてしまったのも辛い。

から、父親には泣くなと怒鳴られてきたけれど、泣かずに落ち着いて話せるようになる方法がいまだに分からない。

泣くと父親やその他家族を怒らせてきたから泣くのは悪いことだという気持ちはあるのに、どうしても感情が高ぶると涙が出てきてしまう。

それで怒られると過呼もセットでやってくる。

心療内科にかかったほうがいいのかなと恋人相談したけれど、頼らずにやっていこうみたいな結論ちょっと前に出された。

行くほどのものじゃないのかどうかが自分でも分からない。でもすぐに苦しくなって辛い。

発達障害の疑いもあって(国際基準のチェック項目で可能性有りとなったから)、受診したほうがいいんじゃないかとわりと思ってる、けど、一歩踏み出せない。

過呼吸になると頭痛もひどくて、生理前でもないのに微熱も続いて、無気力になってしまう。

恋人には自分に甘いからだって言われた。多分その通りなんだと思う。

他の人が耐えられる頭痛をわたしは耐えられなくて、なにもしないまま1日を過ごしてしまうのは、ひどい甘えだと思う。

でも体が動かなくなる。誰かに思い切り怒られたら動くようになるんだろうか。

2015-01-08

ストレスを受けすぎて

会社ストレスを受けすぎて、いじめターゲットにされて、長期間にわたって苦痛を受け続けていると統合失調症なりますか?

いつも何かに怯えていて外の世界が怖くてたまりません。他人が微笑んで喋りかけてくるのに裏を読んでしまます

言われること全てが自分攻撃していると置き換えます

毎朝、寝汗ぐっしょりで眠れません。不眠を通リ越して過呼吸だけでなく寒気のつよまった寒空の外を歩くのもできなくなりました。

例えば道を歩いていて、心臓バクバクしてきて今ここで倒れたら会社に悪評が広まりネタにされいじめ材料にされる。

絶対倒れられない。とか通行人だけでも周りが全て敵に見えます

これは統合失調症ですか?

2014-10-31

醜く図々しく

欲望に素直なかわいいこはかわいい

欲望に素直なブスはうざい

かわいい娘の性格の悪い所を見つけ出すのはめんどくさい。

ブサイクの良いところを見つけ出すのはめんどくさい。

から私は消極的になりました

メンヘラ女が嫌いです

馬鹿みたいに過呼吸とかリストカットとか

意味のない精神科で薬漬けにされてまあ哀れ

カウンセリングの方がいいんじゃないかしらって感じで

前の職場メンヘラ女がいた

メンヘラ女に会うまで、私もどこか自分はみんなと違くて

おかしいって思い込んでた

そーメンヘラってのはなりたくてなるもんなんだよ

でもメンヘラ物見たらまあかっこ悪くて哀れでさ

嫌悪感がブワッて湧いて、メンヘラごっこやめようって思えたよ

それはよかった出来事

しかしさ、メンヘラで発作が出るってこと伝えずに働くのやめようよ

からわたしの研修、たった一人の女のあんたに上司が頼んだんじゃんか

上司はなにもしらない。

女も一見普通の女だし、初めはすごく人当たりがいいんだ

でも異様な執着ぶり

ただのバイトなのに駅まで勤務するみんなで帰りたがったりとか

周りもそれに従う異様な空気を感じた

たぶん、メンヘラってうつるんだとおもう。

私は夜だから早く帰りたいし、着替えたら、お疲れ様でーすって帰るのが当たり前だと

思ってた、でも女はそれが気に食わなかったらしい

何かとつけて研修中にいちゃもんつけて、仕事を遅らせて、今何時かわかってるの⁉︎時計見てみ⁉︎とか喚く

メンヘラ女はこの黙々と作業の職場に来る前は、他人コミュニケーションとらなきゃいけない職場に一回入ったんだが、まあメンヘラなのもあってうまくいかなかったと言っていた。

悲劇のヒロイン感が嫌だ

お前はなりたくてメンヘラになったんだ、お前の母親も、なりたくてなったんだ。

メンヘラ自称するだけでは、自分の行動は言い訳つかないし、根拠がない

から医者に行く、薬を飲む。なおらない。よけいメンヘラになる

自己暗示だ、あたしはか弱くて、ストレスに弱くて、傷付きやすくて

メンヘラメンヘラにもよるかわからんが、知りたくもないし

閉鎖された世界なんだ 表の世界遮断されてる

絶対安全カプセルはいってんだよ

その上でメンヘラ自称してる

私は自虐するが、私になにか見返りがないことは誰だってわかるはずだ

から誰も私に興味がわかない

生きる気力がないからだ。スピリチュアル世界じゃないがオーラがない。(爆笑

から私はその仕事は残念ながら研修を受けおえずに止めた

特殊職場だったから、話の参考になると思ってワクワクして入ったのに残念だった

もっと図々しくあるべきだったか

バイトリーターのてんかん持ちのもさおが、メンヘラと付き合ってたし絶対立場ないと思った。

なんでもさカップルって他人に対する余裕がないんだろう

もう完全に二人のワールド遮断されてるからだろな

2014-09-26

自分の顔が気持ち悪すぎて死にたいと思いつづけてついに30歳になったが死ねない

中学校時代ずっと顔のことでいじめられていた。だれからも「変な顔w」と笑われていた。ぼくがどんなに努力しても「でも顔は変だよねw」といわれて終わってしまう。小学生時代は走るのが速かった。運動会リレー選手だった。でも結局ぼくは「変な顔のやつ」でしかなかった。「ヘンガオ」や「怪物くん」があだ名だった。中学時代高校時代も学年トップレベルの成績だった。でも「変な顔のやつ」でしかなかった。いったいどうしたらいいのかわからなかった。だれもぼくを認めてくれない。

これはもう東大に行くしかないと思った。でも落ちて、結局地方旧帝大に行った。そこには絶望しかなく、もうすべてがいやで、むなしくて、かなしかった。

ぼくはなぜか大学時代イケメン」「ハンサム」「かっこいい」といわれるようになった。まったく意味がわからず、これが社交辞令というやつか、まったく世の中歪んでいるなくらいの認識だったが、それは完全な確信をもってそう思うのだし、ぼくはどう見てもおかしな顔で、いまだに毎朝エレベーターの鏡を見て落ち込むわけなのだ(あとで説明するがぼくはい障害者向けの作業所に通っている)。

なんども鏡で確認する。どう見ても奇形だ。骨格がおかしく、人間に見えない、なんだろうこれは、ペンギン? それともピスタチオ? 鏡を見るたびに落ち込む。鏡を見てこれはひどいと思ったらもう外には出れない。ひたすら寝込む。引きこもる。そうやって大学5年が終わった(大学にいけなくて1年留年したのだ)。

つのまにかぼくはメンヘラになっていた。大学1年からその傾向はひどくなったかもしれない。大学5年目は卒論を書くだけだったのでなんとか卒業はしたが、もちろん就職活動などはしていない。じつは大学4年目に就職活動をしたのだが、もうまったく完全に頭が真っ白になってしまって、どうしようもなかった。ぼくはわけのわからないことをくちばしっていただろう。それ以来トラウマで、大学卒業実家に帰ってきて、就職活動を親に迫られるとぼくはパニックになってしまって(過呼吸になって呼吸困難になる)、身動きできなくなっていった。どうしたら他人に認めてもらえるのかぼくにはまったくわからないのだ。ぼくは「変な顔のやつ」だ。それはもうどうしようもない。どうしようもない状態からいったいどうやってだれかにぼくの価値を認めてもらったらいいんだ。それはまったく完全に究極の難題だった。死について考えてぼくはよく小さなころからパニック状態になっていたが、まさにそれと同じ現象が起きた。考えが及ばない、まったくの未知、理解範囲外、それは神、神だ! だが神なんかいない! 神の姿なんてぼくらはだれもわからない、というより神に姿があったらそれはおかしいのであって、ぼくにとって、《就職活動他人自分価値を認めさせる》という儀式というものは、まったくの神秘であって、考えの及ばない、彼方の彼方にあるほとんど魔術的な妄想とでもいうべきもので、一般企業で働くということは完全に奇跡のわざでしかなく、それも実現不可能の絵空事、定義の及ばない、ことばの射程の外にある、まったく完全な神秘だった。しか世間人間はみんなそれをあたりまえのようにこなしているという事実がぼくに重くのしかかってきて、それは絶望ということばだけでは言い表すことのできない、とてつもない、ある重層的な空虚陳腐言葉で言えば、そうだ、まさにそれは「世界の終り」だった。そう、世界は終わってしまったのだ。ぼくには理解できない、おそらく認知すらできないなにごとかがこの世界では行われていて、ぼくはそこに存在するだけの強度をそなえていない、おそらく世界脆弱性とでもいうべき……、異端! おお! すばらしい! 圧倒的少数にして弱者! 愚者であり賢者! ぼくにはもうこの物質世界は見えていない。文字通り超然としている。だがなんだ、超然としているというのに、ぼくはこの物質=顔にこだわっているではないか。ぼくの精神は完全にこのけがれた体から離脱しているというのに、しかしぼくのトラウマはまだ完全に顔にとらわれていて、むしろ顔こそすべてであって、かわいいは正義であって、ぼくは美少女が好きであって、いまだに勃起するではないか! なんなのだこれは。とらわれている! この世界に! ぼくはこの世界で認められたかったのか、それともこの世界否定たかったのか、いやちがう、ぼくは自分自身否定されたことによって、まさに自分自身否定される世界というもの肯定することによって、ここに自分存在確立たかったのであり、だがそれは自虐しかなく、自滅でしかなく、まさにこの自縄自縛のなかで、どうしようもない破滅的な未来へ向かってぼくは生きてきたのであった。だが、それも考えてみると、結局、死にたいという欲望に突き動かされたものしかなく、しかしいざ死のうと思うと死ねず、しかし死のうという意志のものが生きることを肯定するなにかとなっていたのであり、もはやなにがなんだかわからない状態で、結局ぼくは精神科受診することになった。

精神科というものはまったくわけがからない。まともに話したのは最初の診察のときだけだ。投薬治療をつづけてきたが、まったく改善は見られない。投薬治療だけでは無理ともちろん医者はわかっていて、カウンセリングも並行してやっているのだが、いや、しかしだね、臨床心理士といっても、しょせんぼくより頭の悪いひとなわけだ。ぼくがひたすらこの世の不正不正義や不条理について語っていったところで、ぼくの真向かいに坐っている、この美女はなにか理解しているのだろうか。ホメロスオウィディウスプラトンについて話していたときホメロスも知らなかったのだが、これは大丈夫なのだろうか。いやしか美女お話できたのだからよしとするか、というかそのひとはぼくを捨ててさっさと結婚してしまって、いまはもうカウンセラーやってないっぽいのね。まったくね、なんなのかね、結局口だけというか、そりゃカウンセラーにはカウンセラー人生があるわけだが、こっちだって人生かけてしゃべりまくっているわけでね。ぼくはいってやったよ。あなたのことが大好きです、幸せになってくださいってね。うん。そうだ。彼女幸せになったのだからぼくは泣いて喜ぶべきなのだろう。でもなんなのだろうねこのむなしさは! ぼくは結局利己的にすぎないが、自分がしあわせになりたいのだよ。しあわせになりたいよ。しあわせってどういうことなのだろうね。いや、もしかしたらいまの状態もしあわせなのかもしれない。障害基礎年金をもらっていて、医療費には困っていないし、両親はまだ生きているし、むしろあんなに厳しかった父親も……、ぼくは彼に虐待とまではいかないのだろうが、幼少期かなり暴力を振るわれて、ちょっとトラウマになっている。まあだからといってアダルトチルドレンというわけではないのだが。むしろいま父は仕事退職してかなりやさしい性格になっている。父があんなにぎらぎらしていたのはまったくくだらないあの世界の滓とでもいうべき労働のせいなのだ。まったくこの世は腐っているね。でもとにかく両親はやさしい。ぼくはまったく役立たずで、そりゃ洗いもの掃除くらいはするが、だからといって、妹みたいに金を稼いでこないわけでね。

就労に向けて頑張りましょうという。ぼくは作業所に入った。B型ではなくて就労移行だ。一般企業での就労? それってどんなものなのだろう。ぼくは最低賃金事務系のアルバイトを体験してみたことがあるが、そこは一日でやめた。そこのババアの指示がまったく理解できなかったため、ここで働くのは無理だと感じたからだ。あれはぼくがおかしかったのだろうか。支援者にはそういわれた。ぼくがおかしかったのだと。おまえに歩み寄りの気持ちが足りないのだと。でもぼくは真剣に真面目に全力で全身全霊を込めてやっていたのだ。しかし、その初日というか、唯一働きに出た日だが、そこをしきっているババアは朝いってもそこにいず、アルバイト女性スタッフがぼくにいった。こんな感じでこんな感じのを作ってください、とね。いや、ぼくは大学卒業後まったく社会に出てなかったわけで、こんな感じの資料をつくれといわれても、いや、そりゃあね、見本があればぼくだってエクセルくらい使えるから、作れるんだが、その見本がないので、その指示、つまり「見やすいように作ってくれ」の「見やすいように」というのがどういうものなのかがまったくわからないわけだ。それはこちらの頭の中に知識として入っていないわけだから。そしてぼくに職歴がないというのはわかっているはずなのに、そういうことを要求してくる。それなので、ぼくは自分にとって見やすいように作ったのだが、それはちがうという。だったら見本を見せろと返す。見本はないという。なんだそれは。ここの職場はいままで同じような資料を作ったことがあるだろうに、そういったノウハウの蓄積といったものはないのか。ないという。なんだそれは。もう意味がわからない。そしてぼくは悪者にされた。ぼくは積極的に説明を求めた。人と話すのは苦手だし、さらに人に話しかけるなんてことはほとんどもう中学以来したことがなかったというのに、そのぼくが、そうだ、障害枠ということでやっているのに、そのぼくがやっと話しかけたのに、不完全な情報を断片的にしか与えてくれない。なんなのだこれは。この資料をもとに作ってください、といわれる、だが、作っている途中にその資料が不完全だということがわかる、なので、ぼくはこの資料だけではつくれないので、もっと正確な情報をくれという、そうすると、なぜだかわからないが、いやいや出してくる。意味がわからない。というか、最初からちゃんと資料を用意しておいてくれないと、いちいちこっちが催促しないといけないのか。なんなのだ、この非効率仕事は。指示するなら、完全な指示をしてほしい。こっちは最低賃金でやとわれている、それも障害者枠でやとわれているクズなのだ。そのクズ創造的な仕事をもとめないでもらいたい。わけがからない。これが社会。これが社会。おそろしい。そもそもなんで入って初日のぼくがそこの常識みたいなものを知ってると思っているんだ? あまりにも想像力がなさすぎないか? なんでぼくがそこの常識、たとえばA班とはどこでなにをやっているどういった人間たちの集まりだということ、そういうものをどうして入って初日のぼくが知っているという前提で話が進んでいるんだ。おかしくないか。どう考えたっておかしい。しか支援者はぼくにコミュニケーション能力がなかったせいだなどという。それはちがうだろう。ババアコミュニケーション能力というかもっと大雑把な意味での能力問題だ。管理し指示を出す側の人間がしっかりしているべきじゃないのか、しか障害者枠で、職歴なしで、やっとここで社会復帰のためのちょっとした労働をさせてもらいますみたいな人間に対してなぜ的確な指示を出さないのか、ぼくにはまったく意味がわからない。その職場空気読んでやってねってそんなのわかるわけがないだろう。3ヶ月や半年そこにいればその場の空気ルールというものもわかるだろうが、入って初日に、どうしてそういった超人的な想像力要求されるのだろう。それは理不尽じゃないのか。そしてそれを理不尽と感じるということがぼくの甘えだと論破される。これはおそろしい。思ったよりも、社会は遠いところにある。いったいどうすればいいのか。社会というもの理不尽だとみんな嬉しそうに言う。腐ってやがる。

作業所に行くと、○○さんは高学歴だし、なんでもできるよね、だからどんどん面接受けようぜみたいなことになっている。たしかハローワークでGATBというテストをやったところ、一番高い数値は160近くあったし、ほかもおおむね130を超えていた。向いてる仕事というのがそのテストでわかるらしいのだが、困ったことに、ぼくに向いてない仕事はない! なんだそれは。この役立たずが! なんでもできるということはなにもできないということだ。ひとは制限があるから頑張れる。無限にひらかれていては神秘主義者になって終りだ。

なにもぼくは自分天才だといいたいのではない。東大には受からなかったし、ネットで例のIQテストをやると138しかでない。こんなもの天才でもなんでもない。ちょっと平均より頭の回転が速いだけだ。中途半端、それがぼくに与えられた称号。といいたいのだが、だが、ぼくの顔は中途半端どころではなくどろどろに崩壊していて、もはや人間ではなく、だが、作業所にはダウン症のひとたちもいて、そういうなかにいると、たしかにぼくはそういうひとたちの一部ではいられるのだけど。でも世間はぼくらを人間とはみなしていない。障害者は殺せ! 隔離せよ! という。生きる価値がないという。

ああ、たしかにそうだ。ぼくらには生きる価値なんてない。でもなぜか生きている。みんな死にたいはずだが、でも生きちゃっているものしょうがないのだから、結局生きている。

さて、どうやってこの顔と向き合っていけばいいのだろう。結局ぼくは自己肯定感をもてずにいるわけだ。結局それなのだ自分に生きる価値があるとだれかが、家族以外のだれかが認めてくれれば、それだけできっと見える世界は変わってくるのに。見える世界を変えるためには努力しなければいけない。しか努力方向性がわからない。ぼくは存在のもの否定されている。能力についてなら努力でかえられるだろう。性格についてならある程度の矯正は可能だ。しかしぼくの顔は! どうしたらいいのか。そういうわけで、ぼくはしばらく口をすぼめて生活していたことがあった。口をすぼめることによって、見える顔が多少変わるからだ。ぼくはそれによってマシな顔になったと信じていたのだが、まわりのひとたちはおかしからやめろという。マスクをしていたら、マスクをはずせといわれる。なぜなのか。

露骨容姿差別存在する。容姿差別はなぜか問題にならないが、かなり重大な問題なのではないだろうか。ブサイクだとなぜいけないのだろう。奇形だとなぜいけないのだろう。

破壊衝動に身を任せてはだめ、テロなんてやっちゃだめだからね、と医者にいわれている。たしかにそうだ。もちろんぼくはそんなことできないだろう。せいぜい机をぶったたいて自分骨折するくらいだ。むなしい。でもすべてをぶっこわしてやりたい気持ちはたしか存在する。

2014-08-05

9才で自殺しようとした

私は9才で親を捨てた。

二度と親だと思って頼らないようにしようと決めた。

私は田舎のしかも人里離れた一軒家で育った。

小学1年生の頃、私には盗癖があった。最初友達の持ち物を盗んだ。

母親からそれを知らされた父は私が失神するまで殴った。頭をガツガツン叩き、誤りながら泣き叫ぶ私をうるさいと叫んでまた殴った。声を出さないように我慢したくても、過呼吸になって喉からしゃっくりが何度もこみ上げた。それを「女ならもっと奇麗に泣け」とあざ笑った。何度も殴るので失神した。気がつくといつも失禁していた。意識が戻っても、それでも父親の怒りが消えるまでは殴られた。翌日父は痛んだ手を見せて「殴る方だって痛いんだ」と誇らしげに私に見せた。

小学生の頃は、私に非があれば、それを理由に何度も殴られた。顔や体を腫らして学校に行ったことは何度もあったが、訴えても大人は見ない振りをしていた。

学校でもいじめられた。小さな学校から同級生は少ない。一度いじめられ役になると卒業までそのままだ。だから友達はいなかった。私は孤独だったが、誰も私を見てくれる人はいなかった。

母は私にとって父にチクる人だった。母は私の行動を監視する役目だった。日記を読み机をあさり、私が何か悪い事をしていないかそれだけを気にしていた。咎められるようなことをしたのを母に見つけれた時、何度も頭を下げて父に言わないようにお願いした。あまり懇願する私を見て、母は父に言わないと約束してくれた。しかし、その夜私は父にまた殴られて失神した。

誰も信じられなくなった。学校でもいじめられ家でも居場所がない。生きていてもしかたがないと思って、大工道具が保管されている小屋で手斧を見つけ、それを持って近くの森に入った。

森の中で手首を切り落とせば死ねるかどうか考えた。もし生き残ったら、騒動を起こした私をまた父は殴るだろうと思った。失敗するのだけは避けなくてはいけないと思った。片手がなくなると、もし生き残った時に生活に不便だろうなとも考えた。手首だけで死ねるのか、じっくり考えたがよくわからなかった。首を落とせば確実だろうが、手斧で自分の首を落とすのは現実的じゃない。どこか血がたくさん出る場所があったと思うが、よく覚えてなかった。

死ぬ方法を考えているうちに、ふと、母のことも思い出した。あの人は私が死んだら悲しむだろうか。

きっと泣くだろう。私の死んでいる姿を見て泣き叫ぶだろう。葬式では悲劇のヒロインだ。大勢の親戚になぐさめられて、かわいそうにと注目を浴びるだろう。しばらくは、私の遺影に花を飾るだろう。でも、あの人は3ヶ月もしないうちに、私のことを忘れるに違いない。

これは確信だった。あの人達幸せで優秀な家族演出することが何よりも大事だった。きっと私の家族は私の死体までもを自分達の不幸な出来事として演出し、葬式では成績のよい手伝いもよくやる優秀な子供だったと褒め称えるに違いない。そしてすぐに私の事など忘れて平穏生活に戻るんだと。

私が今ここで自殺しても無駄だ。誰も悲しまない。そんな自分は悲しすぎるじゃないかと、自分存在があまりにかわいそうで泣いた。それで私は自殺するのを止めた。

これからは親を信じない。大人は誰も信じられないから、生きるために利用する。私はここで生き延びる。早く大人になってこの家から脱出するまで、そのために親を利用する。

9才の決心は、大学生活の開始で実現した。家を出た日のあの気持ちを忘れられない。

※何十年も前の思い出です。心の中に閉じ込めたまま生きてきました。もう父は死にました。まったく悲しくありませんでした。あの頃の事を許すことは私が生きている間ないでしょう。悲しまないのが、私にとっての復讐なのかもしれません。虐待とはそういうものです。世の中から躾という名目虐待がなくなりますように。

2014-07-12

http://anond.hatelabo.jp/20140712175013

現実にあると書いてる増田がいるけど、正直ただのヒステリーとか過呼吸じゃないの?と思ってしまう……

2014-06-06

こういうのなんていったらいいんだろう

別に心拍数が上がったり、脂汗が出たり、過呼吸になったりはしない。

でも心の中「ああ、嫌だ嫌だ腹が立つ不愉快だ」という感情でいっぱいになる。

一秒でも早くその場から逃げたくなる。

満員電車幼児赤ん坊ギャン泣きしてるようないたたまれなさ。

泣きたくなるのはこっちで、自分も一緒に泣いていい?と母親に聞きたくなる。

でも、自分に身体症状は出ないんだ。

明らかに10年前よりも人間が嫌いで怖くなっている。

なのに、人にはそれなりに接することが、まだ可能なんだ。

でも、もう友達を作る気になれないんだ。

人が自分を利用したり踏みつけたりするために近づいてくる気にしかならないんだ。

こういうのはきっと、対人恐怖症とは言えないんじゃないかって思う。

そんなら、なんて言うの?

身体症状を伴わない強烈な対人嫌悪は何て言えばいいの?

えらいひとおしえて。

2014-05-26

娘が結婚したいと言い出した(追記)

5/28anond:20140528080243

しか東京の、10も上の男と。

同居している娘は今年で25になる。

地元に戻って来る約束大学に進学させた。

地元で働きはじめて3年目になる。

娘を大学に行かせるため、金も借りたし汗水垂らして働いた。

その一方で、娘は男作りしていたわけだ。付き合いはじめて6年目らしい。

そういえば、娘は就職活動とき東京に行きたいと言った。

男のために娘は俺と妻との約束を破ろうとした。同じ立場におかれたら誰だって怒るだろ?

娘は最終的にわかってくれたと思っていたんだ。それなのに今、また東京に行きたいと。

しか結婚したいと。

娘が言うには、地元に戻ったのは仕方なくだった、こちらで働くのは苦痛だった、

客は高齢者が多いが罵声を浴びせられることも多く恐怖感が強くなった、職場過呼吸を起こすようになった、

信頼できる人のそばに行きたい、ということだった。泣きながら言った。

過呼吸の件で、つい最近娘は精神科の薬を飲み始めた。職場ストレスも俺は知っていた。

からって仕事を辞めることはないだろう。休職する手もあるだろうに。

実は妻もうつ病精神科に通っている(だいぶ回復し、医師からはそろそろ最終段階と告げられている)

下の息子も学校に馴染めず、恥ずかしながら登校拒否状態だ。

我が家には娘を大学に行かせるために金を出したことや、妻の通院費で貯金ほとんどなく、家計はカツカツだ。

娘には月4万生活費を入れてもらっているが、これがないとかなり苦しくなる。

加えて妻の家事負担を軽減させるため、今まで娘と交代で夕食作り等をやってきた。

俺の職場が高速で片道2時間のところにあるため、娘がいなくなると食生活が回らない。

結婚相手の男だって信用ならない。相手の家族と娘は一度会っているというが、一度どころじゃ人間なんてわからない。

しかも娘は親の俺たちに相談する前に、仕事退職手続きを進めてしまっているらしい。

普通順番が逆だろう!?俺たちに相談もなく!!

しかもそれを止めなかった相手の男も男だ。俺は信用できない。

退職白紙にするなら、俺は結婚相手と会ってもいいと思っている。

それで、何回か会って、もし信用できるなら結婚を許そうと思う。

それが今まで育てた親へのスジだと思っている。今回のようなことは言語道断だ。

【追記】

はてブ等で散々な言われようなので書き足しておきたい。

俺の通勤距離が遠いのは転勤のせいだ。すぐ近くに通えるならそうしてる。こればかりはどうにもならない。年度の終わりにもしかしたら近くに来られるかもしれないから、娘にはせめてそれまで待って欲しかったが、娘はもう限界だと言う。

妻がうつ病にかかったのは、妻の母(同市内に住んでいる)が背骨を負傷して一時的な援助が必要になり、その負担が重なったからだ。

俺のフォロー不足もあっただろうから100%俺のせいではないとは言わない。

娘を大学に行かせたのは、親の俺がいうのもなんだが娘の学力が高く、それを生かしてやりたいと思ったからだ。だから娘の希望通りに進学させた。

娘もその時は「地元に戻って、地元のために働きたい」と言っていたんだ。それなのに娘は変わってしまった。

娘の退職白紙しろというのも、娘の精神状態がよくなく、正常な判断が出来ていないまま先走ったと考えたからだ。俺には家族健康を守る義務がある。

娘は「相手のところに行けばよくなる」と言ってきかないが、もし相手や相手の両親とトラブルがあったら?親元を遠く離れてしまったら誰を頼るんだ?

だって本当は祝福してやりたい。妻だってそうだ。俺たちも反対されて結婚たから娘の気持ちはわかるつもりだ。

妻と俺が若い喧嘩したとき、妻側の実家とはまだ折り合いがついてなかったから、実家に帰るわけにも行かずただ泣いていた妻の姿を覚えている。

から何かあったときに娘が頼れるよう、喧嘩別れのような状態は避けたい。

二度、結婚について話をしたが、二度目の話の終わる頃には娘は空気の抜けたようになってしまった。

妻がそれを見てすっかりショックを受けてしまった。まるで私達が虐待しているようだと。血の繋がった家族なのに、と。

こんなときからこそ、家族皆で助け合っていきたいのに、娘は家族の繋がりが怖いと言う。ショックで堪らない。

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