はてなキーワード: 貪欲とは
大学に入って、教師になるために子供と関わろうと思って塾でバイトを始めた。私が入った塾は、初めは個別担当で、半年から一年経ったら集団も持つという方針だった。
宿題やってきた?この問題といてみて、すべてのわたしの発言に全く反応せず、80分間ずっと座っていてどうしようもなかった。休憩中同じ学校の友達とははなしてたので喋れないというわけではなかったんだろうけど…
親友と席替えで離れてしまった腹いせに、担任の授業のことは意図して授業崩壊を起こしていることを楽しそうに毎回話してた。離れた親友と大声で話しているらしい。やんわりと注意すると、「なにが悪いの?席をはなしたあいつ(担任呼び捨て)が悪いんじゃん」と言い放つ。
英語だと英単語、国語は漢字の宿題があり、毎回授業始めに覚えているかテストがある。それにめっちゃキレられた。モンペいわく、単語は塾で覚えさせてこいだそうだ。80分の授業にそこそこのお金払ってるけど全部単語覚えるために消費してええんか?この時は初めてすごく怒鳴られて心が折れた。
(基本電話対応、保護者対応は社員がやって学生はやらないのだが、この日は生徒の授業に合わせて乗り込んできたのでどうしようもなかった)
勉強の仕方はいろいろある。私にも私なりのやり方があるし、生徒にもあって然るべきだ。ただ、自分のやり方を確立できてるのなんて、都立上位校を狙う生徒くらいで、そういう子に限って自分のやり方に拘らず貪欲に私にやり方を聞いて実践してきたりする。親御さんたちも穏やかで、連絡票も普通だった。
問題なのは勉強ができない子とその親。できないくせに文句だけはすごい。偏差値が上がらないことをすごく言ってくる。多分、親も勉強は反復練習ということを知らない。習った日はできるのは当たり前で、それをどれだけ持続させ定着させられるかはが重要なのだが、できない子の親は週に一回80分通うだけでできると思ってる。単元を定着させるまで扱えば他の単元が進まないし、基本定着という作業は自己作業なの理解してほしかった。
一対一の個別授業なのに、授業始まって5分で突っ伏して寝る。毎週。起こしても起きない。じゃあ10分だけ寝て後は集中しようと言っても起きない。
どうすればよかったんだ。
I am play tennis. みたいな。
これに関してはわたしの実力不足もあるが、「正解の文を書けなくてもいいから、be動詞と一般動詞を同じ文に入れるのだけはやめよう」ということを一年経っても定着させてあげることができなかった。
5分が限界だった。
勉強の面白さを教師と生徒で共有でき、生徒に授業崩壊やいじめを起こさないモラルがあり、学生として過ごしてた間モンペの噂は聞かない環境で6年を過ごしてきたわたしは、教師というものを誤解していた。
もちろん、お金を払って授業を受けている子に対し、教育をしていくのは私の仕事だった。でも、無理なものは無理だったのだ。
例えば、授業中全く反応しない生徒にはどうすればよかっただろうか?怒る?親に相談する?反応がなくても教え続ける?心に傷があるのかもと推測して反応がなくてもなにか話しかけ続ける?1週間80分の関係でなにができたのだろう。
この子がクラス40人の中にいたら、1週間に80分もその子に時間をとることはできないだろう。そしてそれが問題になった時に教師は責められる。
元担任の先生に教師を目指すのをやめたことを告白したとき、あなたたちの担任をしてた時は楽しかったけど、若い時はいじめ問題や学級崩壊に悩んで髪の毛がすごく抜けて休職したことがあると聞いた。あんなにパワフルで素敵な先生ですらこんなになるなんて絶対わたしには向いていない職業だったのだ。
教職の授業で、学校のテーマパーク化みたいな文章を読んだことがある。内容はそのまま、学校はテーマパークと化し、親たちは何でもかんでも要求するというものだった。
途中で気づいて諦めてよかった。
前島アナと熊谷アナが入ったことにより華やぐかに思えたニッポン放送女性アナウンサー陣であるが、どちらの新人も十人に一人くらい人にハマる非正統派の美人。前島アナに関しては私と同郷の群馬県出身ということもあり、逃れられない芋っぽさがにじみ出てしまっている。
私の1番の推しである新行アナは、推しの理由がそもそも容姿ではなく、日々政治に関する知識を得ようとする貪欲さ、飯田アナウンサーに食らいついていくその姿勢があってのことである。
私の1番のタイプである箱崎アナウンサーは私と同年生まれということもあり、何故か一歩引いて見てしまう。
結局ニッポン放送女性アナウンサーは半世紀ちゃんこと増山アナウンサーで保っている一枚岩であるということだ。
いつまでたっても可愛すぎる。
こんなくだらないことを話している俺は絶対的観音菩薩的存在である那須アナウンサーの手のひらで踊らされているだけなのである。
https://anond.hatelabo.jp/20201118040213
クソクソクソクソクソクソがあ!!
だから外に出て来んなっつってんだろ!
なんでお前ら外に出てくんだよ
ただの生主だぞ
お前らお賽銭で稼いでんだからそっちで勝手によろしくやってろよ
どんだけ金に強欲貪欲なんだよどうして純粋にコンテンツ楽しもうとするやつの邪魔すんだよ
バチャ豚は脳みそないから企業側に物申すわ コラボして良いこと一個もねぇからな
短い期間で見れば信者が話し合わせるためにやるかもな
いや本当に5ch見てみろって
twitterみたいな全肯定やバチャ豚の巣窟じゃなくて生の声聞けって
ちょっともう本当に怖くなってきた
「仕事にしてしばらく経ったら大して好きでもなかったな」と「○○歳定年説」は、ベクトルが違う。
キャリアアップと言えば、手を動かす → 人を使う、の一択しかなかったから。
今は良い時代だ。
正直、アジャイルとかテストファーストとかDDDとか、どうでも良いと思ってる。
正直、真似事ですら、できるやつはあまりいない(定年説を唱えている界隈では)。
効率だ、品質だ、に、ふんづまったところで、大義名分は、ポンコツを除外できる とても良い言い訳になる。
少数で、歳は食ってるけど、その分、経験はあるやつと、経験は少なくても、知識に貪欲でパワーのあるやつだけでチームが構成できると、とても楽チン。
・はじめに
スクスタ20章をクリアしました。実をいうとストーリー攻略をサボってて、17章で止まっていたのですが、20章をプレイした人たちの阿鼻叫喚を聞いて、気になって急いで進めました。
クリアした感想としては、確かにこれは賛否が別れそうなストーリーだな、と感じました。基本的に私は物語を客観的に見るようにしているのですが、やはり見てて辛い部分もありました。
自分の想いをまとめるために、拙いですが文章を書かせてもらいます。題名の通り、単なる私のお気持ち表明ですので、賛否あると思いますが、他の誰かの感想を否定する気は毛頭ありません。
あと、ネタバレがありますので未クリアの人は気をつけてください。
後、誤字脱字も多いと思いますが許して。
・ 鍾嵐珠(ランジュ)について
19章のラストで登場して、20章でニジガクを引っ掻き回すことになったランジュ。強烈なキャラクター性と理事長の娘という立場もある同好会を徹底的に追い詰める役目だ。
最初に言っておくと、彼女が嫌いだという人がいるが、その意見は正しい。20章における彼女の役割はまさに敵役とも言っても過言ではない。強権を使って(しかもそれは彼女自身の力ではなく理事長の娘、生徒会長の幼馴染という立場を利用して、だ)同好会の自由を奪い、主人公を蔑ろにする。普通にプレイすれば彼女に良い感情をもてというのが無理だ。
しかし、その一方でメタ的な視線を持てば、1話全編でいきなりMVが入ってきてることからすでにモデリングがなされており、曲データも存在することから何らかの形でプレイアブル(と表現するべきかはわからないが)になるのもわかる。
現在、彼女に対する嫌悪感を感じる人が多いのはそれが合わさっているからじゃないだろうか。強権を使って同好会に対してだけ圧政を布き、分断させ、プレイヤーの分身たる”あなた”を蔑ろにする。そんな憎いやつなのに仲間になる可能性が高い。とてもじゃないが受け入れられない、という気持ちが強いのは当然だ。正直、私もその気持ち悪さをどうするべきか悩んでいる。
同じようなことは彼女の幼馴染でもある栞子にも言えるはずである。彼女も個人的な感情で同窓会に対して強く当たっていたが、現在は(正しくは19章まで、だが)同窓会のメンバーとして馴染んでいるし、受け入れている人の方が多いだろう。これは、栞子がシナリオを進めていく上であなたや同窓会のメンバーと交流し、理解して言った上で仲間になることが分かったからだ。心情的にも受け入れやすい。
対するランジュは正直言ってプレイヤーから良い印象はない。幼馴染の栞子が「彼女も悪い人間ではない」とフォローを入れてくれているので、本当は良い部分もあるんだろうが、現状ではプレイヤーはそれを理解できるシーンがない。そんな状態で仲間になる可能性があるのは、受け入れがたいものだと感じる。
一方、彼女の言ってることはある種の正当性もある。スクールアイドルは良くも悪くも見世物だ。表現する側はともかくとして見る側からすれば完成度が高いに越したことはない。それを彼女はプロの力を借りて高度な物へと持っていっている。手段はともかくとして表現する側として完成度が高いものを追い求める姿勢は間違ってはいない。
だが、スクールアイドルとしてどうなのか、なのだかこれは後で纏める。
・果林の選択について
20章で最も批判が集まったように感じているニジガクメンバーの分断。果林と愛はランジュの言葉に一定の理を感じて同好会を離れて部へと向かっていった。正直、果林と愛を推している人には辛すぎる展開だ。私は箱推しなので辛うじて堪え切れたが、自分の推しがシナリオの展開とはいえ敵対する展開は見たくないと思うのは当然だ。しかもそれが、同好会のメンバーを苦しめる役目なのだ。受け入れがたいのは当然だ。
特に果林は同好会ノメンバーにたいして「馴れ合いで入ったわけではない」と言い放ち、ランジュの持っているプロの技術を使ったスキルアップに対して理解を示している。これに私も最初は戸惑ったが、納得はしている。納得できても辛いのは辛いんだけどね。
元々、彼女は読者モデルをやっている。モデル業界には詳しくないものの、アイドルと同じように競争は激しい業界のはずだ。彼女はそこで人気を保つためにあらゆる努力をしていた人間だ。体形に気を使い、いろんな研究もして人気の読者モデルとしての地位を確立した。だから学校でも有名人で、食堂にいれば名前も知らない下級生から話しかけられて、黄色い声を上げさせる、元々はそういう人物である。
そんな彼女がランジュの言葉に理を感じるのは当然だ。少なくともランジュの用意した環境は下手なスクールアイドルでは実現できないレベルのものだ。そこにいることでスキルアップが望めるのならば向上心の高い彼女がそちらを選択を不自然なことではない。これは彼女が薄情というわけではなく、彼女自身がそこまで”スクールアイドル”という存在に本気になっているからだ。だからこそ、貪欲にスキルアップできる場所があるならそちらに向かう。それが例え同好会のメンバーを裏切るような形になっても、だ。理解はできる。だが、やっぱ見てて辛い。
彼女はとにもかくにもギャップが印象的なキャラクターだった。クールビュティーではあるが、子供っぽいところやウブなところ、抜けているところがとにかく描写され、親しみやすい人物として描かれてきたし、プレイヤーもそう思ってきた。だが、20章ではそういう部分は鳴りを潜め、大人としての視点を持ち、ある種残酷な選択が出来る部分も描かれた。19章までの親しみやすい彼女に慣れしたんだプレイヤーが困惑するのも当然ではある。
・エマの怒りについて
果林がある種、大人の選択をしたこと、そしてランジュに対して彼女が最も過敏に反応している。普段のおっとりさからは想像できない、怒気を孕んだ言葉で対応しているシーンが多い。特に果林と対峙した際の会話が顕著。最も、皆を幸せにしたいと願いスクールアイドルをしている彼女とランジュの姿勢は真っ向から対立するものだし、彼女がはっきりとは言わないものの、彼女を拒絶しているのもちょっと新鮮だ。……新鮮なだけで見てるこっちのこころはボロボロなわけだが。アニメニジガクの5話見た後にこんなの見せられるの拷問以外のなにものでもない。
だが、エマは果林に対して怒っているというわけではなく、ランジュのバックダンサーにされている果林の境遇に対して怒っているように感じる。果林のスキルアップに最適な環境であるという言葉に対して、エマは果林自身のステージが見られず、ランジュのバックダンサーの扱いにされていることに怒っている。これは悲しい平行線なのであるが、同好会が元々「個人のキャラクター性を尊重する、そのためにあえて一つのグループにならずにソロ活動をする」という選択をしたからだ。ランジュの活動はそれを否定する形になっており、自分よりも実力があればセンターを譲ると言ってはいるものの、それは実力がなければ果林・愛(そして栞子)の個性を否定するということである。自身の大切な仲間を蔑ろにされている状況、それをエマは許せないのだろう。
20章はとにかく重たい話だった。残った同好会のメンバーは現状を何とかしようとするが、ランジュの強権で身動きが取れず、μ'sの力を借りてなんとか同好会としての体裁は取り戻すものの、状況はあまり好転していない現状だ。
反撃ののろしとして計画されたゲリラライブ、何となく話の展開から上手くは行かないんだろうと覚悟はしていたが、想像以上に辛い展開だった。それは、トップバッターがかすみであったことが大きい。
かすみというキャラは自身を全肯定している。それは「自分はかわいい」という絶対の信頼を持ち、それが自信となって溢れているキャラである。だが、それと同時に彼女はその全肯定の自信の上にあぐらをかくことなく、かわいいを追求し、誰よりも自分がかわいくあれるように努力し、その努力を誇らない人間でもある。彼女がアピールするのはあくまで自身の「かわいい」であり、そのかわいいを生み出すまでの努力は決して見せない。なぜならそれはかわいくないからだ。そのプロフェッショナルさは日常生活ではギャグのオチのように扱われているものの、果林やせつ菜等、仲間たちもいろんな媒体で認めている。
だが、彼女のその全肯定から来る自信は、ゲリラライブを潰すために行われた部のライブで徹底的に打ちのめされる。新進気鋭で演出の完成度も高い部のライブに観客はあっさりと奪い取られ、残されたのは数少ない観客。彼女の積み上げた努力も、ライブにかけた想いも、冷たい現実の前に踏みにじられてしまう。正直、シナリオを読む手が止まってしまった。それぐらいいショッキングな展開だった。
だけど、”中須かすみ”という人物は折れなかった。牙は折られて、満身創痍に打ちのめされても、冷たい現実に声は震えて涙声になっても。だってそれは”可愛くないから”。目の前にいる残ってくれたファンのために、彼女はライブをやり遂げる。
そのかすみの姿に、しずくは可能性を見出す。演出も技術もなにもかもが上のはずのランジュ率いるスクールアイドル部のライブ。だけど、それに勝る何かがかすみのライブにはあった。それはランジュが取りこぼしていて、もしかしたら果林と愛が見失っている何かだ。
その”何か”を確かめるために、しずくはあえて同好会を離れる選択をする。その決意は残念ながら同好会のメンバーには理解できず、可能性を見せたかすみからは拒絶すらされてしまう。だけど、あえて彼女はその道を進む。親友が見せた、おそらくスクールアイドルの輝きを確かめるために。
果林・愛の分断は悲しみや戸惑いという感情が多かったが、しずくのこの決意はむしろ希望に思えた。スクールアイドル部に向かった彼女がどうランジュ、そして果林・愛の2人と向き合うのか、それがどういう結果を貰たらすのか、非常に重要なポジションだと思う。
ランジュの所でも書いたが、彼女の言ってることは全部が全部間違っているわけではない。アイドルとしてファンにライブを見せるにあたって、完成度の高いものを追い求める姿勢は間違ってないし、完成度が高いライブを見せた方が勝つのも当然なのだ。実際、μ'sやAqoursが戦ってきたラブライブという大会はそういう場所だった。
だが、彼女がやっているのは”アイドル”ではなく”スクールアイドル”なのだ。
残った同好会ノメンバーやプレイヤーたる我々が感じているランジュに対する違和感とは、まさにスクールアイドルへの姿勢なのだと思う。そして同時に、セカンドシーズンにおいてニジガクが最初に問われるのは「スクールアイドルとは何か?」なのではないだろうか。
μ'sとAqoursもこの命題に向き合ってきた。μ'sは自身たちの永遠を望む声を聞きながらもそれを「限りある時間の中で輝くもの」とした。Aqoursは時間とともに移り変わりいくことに戸惑いながらも「輝きを受け継ぎ、次代に託していくもの」とした。
ならばニジガクは?
ランジュはスクールアイドルフェスティバルを見てスクールアイドルに憧れて日本へと来た。だが、彼女の姿勢はスクールアイドルとしてはあまりにも歪で、大切なものを見誤っているように感じる。同窓会や”あなた”が感じているそれは、永遠を望まれたμ'sや、3年生が居なくなったAqoursと同じ戸惑いなのだと感じる。
20章は非常に重くて辛い展開だった。だが、希望は確実にあって、私はそれをかすみのライブシーンに強く感じた。そしてしずくの決意の中に感じた。
正直、辛い気持ちが強いのも事実だが、セカンドシーズンはまだ始まったばかりで起承転結の起の部分でしかなく、物語はどう転んでいくのかわからない。賛否が起こる理由もわかる、正直、ここまで拗らせる必要はあったのかと思う。でも、ここだけで判断しては全体が見えない、という気持ちもある。複雑な心境である。
何とも複雑な気持ちなのだが、しばらくはイベントストーリーのほんわかした雰囲気で心を癒しつつ、21章を待つしかないかな……。
某15周年のジャンルならわたし(49)と同年齢ぽい方はそこそこいっぱい居る。50台って書いてる方もみたことある。
15周年でも34歳のころに発売されてた作品。そのころはプライベートが忙しくて一通り原作履修したもののハマらず今ハマりなおし。
育児垢とか離婚したい愚痴を萌えといっしょに流す人もいてほんと女の一生悲喜こもごもやな~って見てる。
自分からはツイにプライベートを出さないようにしてる。お金の貯蓄があって若かろう貧しかろうの同人作家さんの苦境に同情しにくいのもさりながら、
エネルギッシュさ、快楽にたいする貪欲さがオチてきてまた手術や入院だ、白髪どうしよ、なんていういわゆる同窓会鉄板ネタや
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.timakin.com/posts/hacker-and-suits/
IT技術者のイメージが確立した頃のITというのは基本的に技術が収益性を決定していた。ビジネスの人間からすれば「おかしなこと」で、普通に考えれば顧客が何を求めているかが問題だ、という意識があったはずだ。
例えば、(フォードの速い馬車という意味ではなく)顧客がミント味のガムを求めていることが判明したとする。当然、ミント味のガムを製造すれば儲かる! のだが、ITでは「ミント味のガムを製造することを認めてよいかどうか」を決めるのはエンジニアであり、そしてエンジニアは実装言語の仕様書を読んでいるだけで、更にその仕様書は半導体ベンダが決定し、加えてその仕様書も主にカリフォルニア辺りの国立大学の発明を言語化しただけのものだ。つまり、ITにおいては、顧客が何を言おうと、経営者が何を提供したくとも、カリフォルニアの国立大学の研究室の学生が決めたルールに逆らうことは許されなかった(経営者的糖衣構文を使わずに言えば、実際に技術的に不可能)し、商業的に成功するプロジェクトとは「ルールの中で安価に実現可能なもの」と「顧客が欲しているもの」の共通部分のみを的確に選んで提供することができたプロジェクトだけだった。「技術が分かる経営者」とは、現時点の最新のルールを深く把握し、損益にどう出るかイメージを掴みながら商品企画を選べる経営者だった。
ただ僕も不思議だったのは、3[他部署を巻きこみプロジェクトを推進できる]にいるエンジニアですら「事業がわかる」エンジニアとしての評価を得られないケースがあると言うことです。ユーザーにいいものを届けたいし努力をしているつもりだけど、膨大な負荷がかかっているし経営層は何もわかってくれないということで、奥歯を噛み締めながらその場を乗り切っている方は少なくないのかな、と思います。
これはまさに「技術が収益性を決定するのは、本来はおかしなこと」という経営層の理解と、「現世で現実的に可能かどうかが最優先」というエンジニア間の乖離ではないだろうか? 経営層は顧客に価値を提供して対価を受け取りたいのであり、学術的な努力目標を数多く達成したいわけでは、本来はないのだ。だから他部署を巻き込んで膨大な負荷を受け止め新しい技術的知見を得ても、まったく意味がない。過去、技術的な制約を解除することには大きな意味があった。今はそうでもない。高い技術それそのものによる金銭的価値は少なくなったのだ。その結果、顧客が支払う金銭を最大化する製品設計の価値は上昇したし、そもそも元から低くはなかった。
そして、もちろん実行力も大事なのですが、彼らとの共通言語を持った上で会話ができる、具体的には採用方針を考えたりビジネスの状況を踏まえた塩梅での技術選定をしたり、さらには企業の将来像を共に議論するというある種の机上のフェーズですら、彼らは欲して止みません。それさえできれば多少の評価が得られるというのが、隠れた事実のように感じています(もちろん、それが良いとは言ってません)。視座が4にあるだけで相当な評価を得られるということですね。当然議論してるとしばらくしたら人事や社内管理、事業のブラッシュアップ、営業など、全ての方面で駆けずり回ることにはなるのですが。
となると、自らのキャリアに集中したい、技術力への危機感がいい意味で強いエンジニアであればあるほど例の三大美徳に殉じた方が技術者として成長するし、それで評価を獲得できる会社に転職するのが良い、となります。そして経営層からしてもそういうタイプの人だと同じレイヤーで議論をしてくれることへの期待値が高くないので、自然と「事業をわかって」くれないタイプだと見做して配置換えを行います。全てではないですが、こうした負の循環によって過剰にテックリードがいる組織が僕の頭にぼんやり浮かぶことがあります。
「優れたエンジニアは汎用的な問題解決能力が高く、その能力を是非とも経営でも生かしてほしい。あとは興味を持ってくれる人がいるかどうかだけなんだ…」という意見を経営層が漏らすパターンはこっち寄りです。そしてあくまで個人の嗜好性の問題なので、解決難易度が非常に高く、共通解も存在しません。1つ目の問題のように配置換えで多少解決できることではありません。
以上のような理由から、経営層はエンジニアにも「事業をわかって」欲しいと思いながら、その期待値を高く設定することができずにいるという印象を受けました。
まとめると、既存製品の改修にしろ新製品の企画にしろ、採用や企業内の人員配置にしろ、サプライヤや親会社との折衝にしろ、まず収益性をKPIに選び、検討項目を洗い出し、貪欲に裏付けを持って改善するエンジニアの能力を活かしてほしいという話だ。顧客からの売り上げを最大化する商品企画ができないエンジニアが多い、それが要点だろう。この文章にはエンジニアと経営者の言語が疎通しない理由が詰まっている。話の要点を短くまとめていない。要点をまとめないことを要求している。要点を省いている。だから技術的な制約と戦うエンジニアには通じないのだ。正直に「企業は顧客からの売り上げで成り立っている。だからできれば商品企画の段階でも収益性第一で企画進行が出来る奴が欲しい。そして社内外を問わずオジサンが求めているのは常に出会いだ。だから収益の話をグダグダ伸ばせること、酌ができることは必須だ」と言えばいいのだ。
魚から人間に近い哺乳類までの多くの動物で、子育てはメスによってなされる。
分業し、効率化することで利が生まれるシステムである社会。その最小単位である家族では、人類の歴史上、女が子育てを担ってきた。
女性という性が子育てに適正があったことは、世界各所に散らばる人種、種族のほとんどで女性が子育ての役割を担っていることからも、証明されるだろう。
そもそも体の構造からそうなっている。女には子供を育てる器官(おっぱいと呼ぶ)が付いてるし、さらには女性ホルモンの一種とも言われるオキシトシンは子育てや授乳などによって活発に分泌される。
生物学的にも、文化的にも決定的に子育ては女の仕事だったのだ。今までは。
そう。今まではそうだったのだが、しかし、考えてみるとそれらはすべて、雄性が子育てをできない理由にはならない。
例えば、魚から人間に近い哺乳類まで、子育てがオスによってなされる種がいくつもある。生物の根幹にかかわる領域の違いではないわけだ。
また、世界各所に散らばる人種、種族のほとんどで、人類の歴史上、男性が子育てに参加しなかった社会はおそらくほどんとないだろうし、量の多寡は違えど男性でも子供とのスキンシップでオキシトシンが分泌されることがわかっている。
さすがに男性におっぱいはないが、(いやあるが、白い液は違うところから出る)、そもそも生物学的にというなら、高度化された現代社会において、現代人が生業としている仕事の多くは、生物学的に最適化された形ではない。原始的生活をしているならばまだしも、男性性が、機械を操縦するために?部品を組み立てるために?商談をするために?最適化された生物学的な差異を持たらす構造なわけではない。子育てという点においては、おっぱいの代わりに哺乳瓶が開発されている。
育児も基本的には同じことである。同じ枠組み、誤解を恐れずに入えば、商談や部品の組み立てと違いがない「仕事」の1つだ。生まれる利益に違いはあれど、適切なタイミングでオムツを替えるのは、適切なタイミングで株を売買するのと同じことである。すでに、現代社会では、育児をするにあたり、生物学的な差異はそれほど重要ではなくなっているのだ。
しかし、ではなぜ、現代社会においてはいまだに子育ては女性の仕事なのだろうか。それは育児という仕事の領域の位置によるものだとして説明してみたい。
育児は、生の根幹部分に非常に密接した仕事であるところがミソだ。生活つまり、日常生活との密接度が非常に高い領域なのだ。
日常生活との密接度が高いとはどういうことか。例えば、生活と非常に近いシゴトについては、社会における分業が成立しにくい部分でもある。
毎日の洗濯やゴミ出し、風呂掃除など、たとえ10分で数千円を稼ぐ収入ベースの人でも、自分の手でやっていることが多いのではないだろうか。これらの仕事は、細切れで、高頻度で、物理的な集約が難しいため、分業ができたとしても家族単位の分業に非常に近い形になるのが実情だ。それらの仕事は市場価値が明らかになりづらく、金銭的な評価が難しいことが多い。
育児もそれらと同様であるからこそ、現代においてまで家族という最小単位の社会の分業に留まっているし、その結果、今でも生物学的な優勢によって女性の仕事となっているのが実情だ。
そのミクロ単位での当然の選択こそが、社会全体を構成するマクロな社会の総体としては、家族単位での分業を前提とした社会構成を強制的に成立させているのだ。
それは、結果、男性は子育てのために仕事を抜けずらく、女性は出世しずらい世の中となっている。
分業の深化は社会の高度化とも言えるとすれば、実は社会がまだ未成熟であるだけなのだ。
しかし、もちろん、社会の高度化は現代においても着実に進んでいる。例えば保育園だ。マクロな社会のシステムの中で、保育園というのは非常にその機能を発揮をしている。しかし、それだけでは足りない。
例えば保育園でも、病気をしたら迎えに行くのはおそらく母親なのではないか。そもそも送迎は母親で、働き方も、時短勤務=家族単位の母親を前提とした、母親としての働き方なのではないか。それでは何も構造は変わっていない。あくまで、ミクロな分業の単位=家族の中での役割を破壊するほどの変更が必要なのだ。その変更は技術的イノベーションの波及によって起こされるのか、社会的な革命によって起きるのかはわからない。しかし、そうすることによって、ようやく男性が育児を完全に当たり前に行う社会が到来するのだ。
さて、、、ここで1つ疑問がわく。本当にその変化をする必要があるのだろうか。生物学的な適正を差し置いてまで、必要に迫られる変更なのだろうか。
その必要はある、そして必ずそうなる、と私は考えている。
そもそも、人類の進歩とは何だろうか。今までの歴史で、人類は進歩しているのだろうか。もし仮に今までの歴史が進歩だとするならば、人々は幸福を目指して、人間一人一人の欲望が、より多く実現される方向に進んできていて、これからも進んでいくものと考えられるだろう。それらは分業を深化させ、生業を多様化させ、経済を拡大させ、技術を進歩させた。
今後もヒトは個として欲望をより成就させようとし、社会はより多くのヒトの経済への参加者を貪欲に求めていくだろう。ヒトは当然女性を含む。女性も個としての欲望を成就させようとし、社会は女性の経済への参加を貪欲に求めていくことになるのだ。そのエネルギーが必ずや家族単位での役割を破壊し、新しい社会を開くことになる。
もちろん、人類の進化の過程において、子育てへのモチベーションが女性により強く刻まれているということは十分あり得るだろう。それはそれで社会に反映されていくだろう。
俺今45。人生振り返って、これまで挫折らしい挫折した経験がない。
学校の勉強、スポ少、習い事、なんでも出だしはそこそこのレベルでこなして、ぼちぼちの出番を与えてもらって。でも何かにずば抜けているわけでもなく、そこそこの成長したら頭打ちで、モチベ下がって、でも叱られるのや失望されるのは嫌だから顔だけは真面目になんとかこなして。大きく成功しないからそんなに目立つことなく、妬まれることもない。ベストじゃないけど、でもまあいっか、次に期待って言えるレベルで踏みとどまるから、露骨にがっかりされることもない。小さい頃思い描いていたまんまではないけど、広い意味でやりたかったことやれているし、ここで人生終わってもまあ良かったねと言えなくもない。出会うべき人にも多分巡り会えて、子供こそいないけど結婚もできたし、裕福ではないけど、ここに至るまで不自由したこともなく、環境にも恵まれて、巡り合わせにも周りに支えられてきたことにも感謝でいっぱいだ。このまま枯れていっても、幸せだと思いながら死んでいけるだろう。でもこの生き方で面白いのか?って、ここ10年単位でなんか引っかかってた。
病気、災害、失業、いじめ、身内の不幸、周りはみんな何か一つは鉄板の苦労話を持っていて、でも自分にはない。いくら無い物ねだりでも、不幸は望まない。死ぬまでぬるま湯に浸かって暮らせるなら、そうしたい。でももし、誰もが一度は大きな不幸に見舞われるなら、遅かれ早かれいつか自分にもその日がやってくるんじゃなかろうか。挫折を知らず、そこから立ち上がる訓練も受けずに、ずっと年取ってからいきなりどん底に突き落とされるくらいなら、早い方が良かった。大人になってからおたふくに罹るとしんどい、みたいな後になるほどしんどい痛みがいつかやってくるんじゃないかと、漠然とした不安が拭えない。
多分、日本で生まれ育ったなら、ほぼもれなくどっかで災害を体験していて、非常事態の自分の心の動き、辛さを共感しあえる部分で繋がっているんだろう。でもそれすら運がいいことに(引越が多かった)、自分は晒されずに回避してここまできているものだから、被災した誰かに心から共感できてる気がしない。いざという時の備えに対して緊張感ももてず、貪欲さもないから、どのコミュニティーにいてもアウェー感が否めない。何を語るにしても表面的で所詮お前には他人事だろう?と思われてるんじゃないかってコンプレックスが湧いて、どうしても一歩引いてしまう自分がいる。きっとみんなどこかで苦難を乗り越えたからこそ、今、強く生きていて輝いてみえるんだろうな、と観客のような気分でこの世界、この時代を生きてた。のうのうと。
で今年、コロナが起きた。
世界的な非常事態となって、客観的に見ても間違いなく、初めて自分が、この特殊な状況の当事者になった。そして案の定、苦労してない俺は、挫折に弱かった。3ヶ月間、職場に行けず、ほとんど出歩けず、家で過ごす非日常の日々を体験してわかった。俺はいざとなったら、いや、いざとなっても、危機感がなさすぎて動けない。失敗体験が少なすぎて、行動して状況を悪化させるくらいなら、何もしない。何かを考えようという発想がない、世の中になんの影響も与えられない人間だった。同じ境遇に置かれた周りを見渡すと、環境にすぐ対応して新しい生活習慣に移行して、ネットワークを活用して、自分に何が必要で、何が提供できるか考えて、みんな行動に移していた。なるほど、挫折経験が産むものはそういう思考回路なのか。それに比べて自分は何やってるんだろうな。コロナの前も後も変わらず、何の価値も生み出してない。引きこもり期間、ずっとそういう思考に陥ってどんどん落ち込んでいった。今思えばそれすらも、何か不幸な自分をファッションで演じてみたかったんだろうなと、恥ずかしい気持ちになるけど。とにかく、ようやくまわりと同じ境遇になったと自覚して改めてわかったが、自分の挫折を感じるセンサーはとても鈍い。実際自分よりもっとしんどい思いをしている人はいつだって絶えないけども、同じ境遇を逆境だと受け止める人がいて、さらにその中には、それを自分への挑戦だと受け止めて、立ち向かっていく人たちが世界を変えている、支えている。それを未だ自分は恵まれているとしか思えないから、敗れて悔しくてそこから這い上がるっていう体験につながらない。そういう思考が育たない。
生き延びるために今を必死に生きている人間がいて、そういう人たちに向かって手を差し伸べることができるサバイバーが多分世の中にたくさんいて、それを求める人が大半なんだろう。それと比べると、挫折のない人間が挫折してこなかった結果どうなるかを語るような場面はほぼない。死ぬほどの苦しみを味わったことがない人の、うすぼんやりした悩みなんて悩みとすら言えないんだろう。そうやって行き場のないモヤモヤを受け止める場所、手を差し伸べてくれる先人はなかなか見当たらない。でも、それこそ自分がずっと知りたかったことだし、もし自分に価値を与えるなら、そういうニッチな生き方の語り部としてのテメエの分際くらいしかない。流されて生きてきた事例、チャレンジせずにサバイブする方法、これからも目立たないように、でもほどほどに必要とされて生きていくために、情熱のない情熱大陸みたいな話を一応書き留めておこう、いつか必要としている誰かにそっと手渡せるように。とようやく心の整理がついて、ひとまず持ち直し今に至る。
同じものを見ていても、見える世界は違う。教養があるとないとでは感じ方も受け取れる情報量も違う。
それでも見たものを整理し、考え、調べ、他者と言葉を交わすことで、教養を得てより「見える」ようになりたいという貪欲さは持っている。
確かに最後まで見ていけば、考察されていたような内容の大部分にはオフィシャルな解答を提示してもらえる。
けれど、特にアニメというのは「描かない」ことで魅せる芸術だ。映像や台詞で表現されなかった事実を推定していくこともまた、楽しいものだ。
そして、どんな作品も結果さえ見られればスッキリする、というものとは限らない。
作品によっては、読者視聴者に問いかけ、考えさせることによってテーマを浮き彫りにしていくタイプの作品がある。
また、例えこの先解決することが分かっていたとしても、考えることで、現状の苦境に立つ登場人物たちの感情と視聴者である自分の感情を接続することができる。
そうして初めて得られる感動というものがあり、そのために考察とは言わないまでも、内容を反芻していく行為は有用なのだ。
これを怠った場合、話がどんな展開を迎えたとしても「ふーん(ハナホジ)」としかならないリスクがあり、それははっきり言って損だ。
せっかく観るのであれば、楽しみ尽くしたい。製作者の描く世界観に適応し没入したい。そういうクリエイティブに対するリスペクトあってこそオタクであるというものだ。
はてな匿名ダイアリーでは、ネタバレは初期からたびたび言及されていて、
https://anond.hatelabo.jp/20090818004936
それはひとつの悟りだ。ネタバレによって鑑賞の価値がスポイルされる程度の作品なんて、そもそもたいしたモンではないということを知ればよいのだ。
https://anond.hatelabo.jp/20161114191855
映画をよく見てる人は、世界中の映画をすべて見ることは自分には不可能だし、面白い映画もすべては見切れないだろうという、ある種の達観を持ってるんだ。一方、甘ちゃんたちは「見てやるわ。見てやるわ。この世の面白い映画はすべて見てやるわ!」っていう貪欲さを持っていると思うんだよね。まぁ無理なんだけど。だからネタバレに敏感に反応してると思うんだ。
https://anond.hatelabo.jp/20171028122415
プログラマーの世界には、「驚き最小の原則」というルールがある。
アプリを利用しているユーザーが、使っていてビックリするような動きをするアプリは良くないよ、というルールだ。プログラマーたるもの、心理的安全性が脅かされるようなソフト作らないようにしなくてはならない。この原則は広く受け入れられていると思う。
小説や映画などの創作は、そういうものとはまったく異なるのか。でも、なぜ?
私はプログラマーとして何度か、"天才的なコード"を書いてきた。それは大抵ビールを飲み過ぎた午前二時にコミットされるのだが、短くてエレガントでどうしようもなく愛おしいそれは、要するに調子に乗ってアクロバティックな技巧を凝らしたものを美しいなどと言い張っているだけに過ぎず、冷静になってよくみてみるとただただメンテしづらいだけなので、あくる日の朝には作者自身の手で削除される運命にある。それらはもちろん驚き最小の原則に反しているが、作っている当人は楽しいのだ。「俺はコレで明日の世界を変えるんだ!」と意気込んでいる。
誰かを振り回すのは、得もいえぬ快感をともなう。驚かそうとする本人は愉しみの感情で満たされている。
土曜日。今日はしゃぶしゃぶを腹いっぱい食べてやろうと思い、八月の日差しと蝉の声なか、電車に揺られ、ゆず庵に向かった。
席に着くと迷わず一番高い「黒毛和牛コース」を注文し、制限時間が始まるが早いか、薄切りの牛肉を箸で手繰り寄せ、それを軽く湯通ししてから、一気に頬張る。イクラ六貫、ウニ六貫を瞬く間に平らげる。うまい。食べる物が無くなったら、パネルでつぎつぎと新しいものを注文して、怪獣が街を壊す勢いで、黙々と食べ進めていく。タピオカミルクティーを一気に飲み干して小さなゲップをする。幸福だった。
ふと自分を、暴走するカオナシみたいだなと思った。食べても食べても満たされない感覚、いやそれよりももっと根源的な空虚感を覚えた。心にぽっかり大きな穴が空いたかのようだった。それに自分というものが、盲目にして貪欲にかられた哀れな消費者たるを感ぜずにはいられなかった。何だか急にどうでも良くなってしまった。周りの席からは賑やかな、楽しそうな話し声が聞こえてくる。家族連れ、学生のグループ、会社の同僚たち、カップル。みんな誰かと、しゃぶしゃぶを楽しんでいる。それに対して私はひとりだ。何をやっているんだろ、と、言いようのない寂しさに襲われる。心なしか店員さんの視線が痛い。目の前では出汁だけになった鍋がふつふつと音を立てながら、濃くなっていく。さもそれが孤独の深さとでも言いたげに。虚ろな気持ちで二杯のタピオカミルクティーを飲み干すと、氷だけが残る。
粛々と会計を済ませてから外に出る。八月の日差しは相変わらずである。ふと目を見やると、隣に本屋があるのを見つけた。いろんな本を物色してから『異邦人』を手に取った。いつからこの本はここに置かれてたのだろうか。それはどうでもいいことだ。ただ、何だか仲間が見つかったようで嬉しかった。今日はもう帰ろう。それから今日も今日とて増田を綴っている。
コンピュータ・サイエンスを専攻してる大学生なんだけど、最近自分自身がエンジニアに向いてないんじゃないかって感じてる。ていうのも、周りの知人が大学生エンジニアとしてバイトしてたりする中で、同じように企業に混じって開発経験を積んでいくことに億劫になってやる気がでないし、流行りの技術に対して貪欲になることができないんだよね。例えばMySQLとかPythonとかが今の流行りだと思うんだけど、上辺だけの浅い知識をすくってるように見えるから冷めた目で見てしまってやる気がでない。結局、作りたいものがないからそうなるんだと思うけど。ただ技術その他の勉強が嫌いかと言われるとそうではなく、プログラミング言語だとC++とかLispとか本気で勉強してある程度理解できるようになったし、数学も統計に興味があってルベーグ積分までやったし、英語も英検準1級を持ってるし(その他もいろいろ勉強してるけど省略)。だからおそらく自分はただ勉強が好きなだけなんだよね。でもそれをもってエンジニアの世界に飛び込もうと思うととたんに億劫になる。だからただ自分の知的好奇心を満たすのが面白いだけでエンジニアとかにはさほど向いてないんだろうなって思う。他の人で同じように感じてる人っているのかな?
私は第二次性徴があらわれるのが遅かった。
とりあえず生理のようなものがだいたい毎月くるようになったのが高校の半ばごろだった。産婦人科では、子宮が未成熟であると言われた。
そういう訳だから体の発育はものすごく悪く、ガリガリで背ばかり伸びていった(身長は最終的に163cmで止まったが、22歳まで伸び続けた)。もちろん胸などない。なぜか毛は生えた。。理不尽。。
周りには、小学生の頃から生理が来てムチムチの女の子であふれていた。うらやましかった。そういう子は早くに身長が止まって、性に貪欲で早くから彼氏をつくり、部活はバレーボールをしていた。何か法則があるのだろうか。
田舎だから、胸がぺったんこで体型が小学校低学年と変わらないことを同級生や姉に散々揶揄され、当時は死ぬほど悩んだ。親もフォローしてくれなかったな。。修学旅行や宿泊研修では、生理だと嘘をついて絶対に部屋についてるお風呂に入った。このような強いコンプレックスを持つ原因は、育った環境が強く関係していると思う。やはり田舎は糞。
どうして自分には皆のような体の変化が訪れないのだろうと思った。何か悪いことをして、自分だけに罰が与えられているような気持ちだった。
子供の頃から、身長以外の変化があまりないまま来てしまったため、それをうらやましがられることがある。人はないものねだりなのかもしれない。しかし、私は女の子らしい体が喉から手が出るほど欲しかったし、今でも欲しい。自分の力でどうにかなるものではないので、理不尽だと今でも思う。
大人になるにつれて、自分の体型についてだいぶ諦めがつくようになった。でも精神の調子が悪いときに、背が低くてムチムチした乳の大きい女の子や女の人を見ると暗い気持ちになることがある。
おま環かもしれん。
※ただの愚痴。二次創作の話ですが、原作者への配慮や権利云々、一般との棲み分けとかの話はしていません。もちろん同性愛への批判なんてしてないからね※
自分のことをざっくり言うと、キャラ解釈は公式に沿いたいっつー絵を描くオタクです。
腐文化がこんなに女オタク界隈で大きい顔(っていうかメジャー面?)してるのが、単純に疑問なんだよネ。
既存作品でBL創作(妄想)してる人全員がその作品を見て初めからその解釈をしてるって考えるのは不自然じゃない?
元々BL文化を知っててそういう関係性が好きで、その作品にその関係性を適用していると考えるのが自然ってモンでしょ。
BL知らん人がBLじゃない作品を見て腐妄想しないでしょ?だから腐女子ってのは自分の好きな関係性を既存キャラに当て嵌めてブヒってるってことじゃん。
言葉悪い表現だけど、原作レ●プって思ってしまうっす。(もっとイイ言い方なかったのかよ!)
公式のキャラ解釈大事にしてる人(私)からしたら地獄わよ。だってそのキャラは公式でゲイって言われてないもん。ゲイでもない男同士でベーゼなんざしねェーよ。
でも二次創作女オタク界隈入ると腐女子が圧倒的多数派じゃん。公式で一切言及されてない解釈が最大手ってどういうこと!?(おま環?)
驚き桃の木21世紀。解釈違いしかいね~~~~~~~~~!激孤独侍。
腐がイヤなら界隈にいるなよ、っつーツッコミ待ちではない。
だって界隈にいないと本当に自分の絵、誰にも見てもらえないんだもーん!好きなキャラの絵は公式じゃなくても全然見たいし、自分の描いた絵もファンの人たちに見てもらいたいよー。
自分の好きなジャンルだけかもしれないけど、女性多い界隈に行くと腐(エ□も多い)ばっかだし、かと言って男性の方に行くとエ□ばっかだし。
なんでだよ!!!!!!!!公式で性的な描写ないよ!(自分の推しキャラDSだからなおさら絶対にそんなことしないし)
男同士の友情はBLに改変されるわ、性にただれたキャラにされるわ、二次創作ではこれが主流なのかーっ!?
いや分かってるよ。二次創作ってそういうもんだって。公式で出来ないことを皆形にしてるのは分かってる。
見たくなけりゃ見るな!じゃないんだよー、そんなこと自分が一番分かってるよ。公式からの供給だけじゃ、強欲で貪欲な己には足りないんだよー。
(しゃーなし)界隈にいるnot腐絵描き女オタクの自分には少々肩身が狭いというか、TLに解釈一致する人がいないというー。孤独だー。(自分がドマイナーというか、ストライクゾーンが狭すぎるだけなのか。)
棲み分けたい気持ちと棲み分けた先はボッチという事実に苦しむオタク。苦しみながら今も界隈にいる……。
昔は腐女子のことをよく分かっていなかったのもあって(≒女オタクだと思っていた)、自分のこともふわっと腐女子だと思ってた。今までずっと腐女子だらけの界隈にいたし(ジャンルは転々としてたけど)、自分も男キャラが仲良くしてる絵やマンガばっか描いてたから。
当時は嫌悪感という嫌悪感はなかったし、腐女子神絵師さんたちの神絵はよく見に行ってた。〇〇くんかわいー、とかこのネタおもしろ~、とかそれくらいの気持ちで見てた。
二次創作界隈に、BL文化にどっぷり浸かってなかったというのもあると思う。
ツイッターで趣味垢をリア垢から隔離させてから二次創作界隈との距離はグン!と縮まった。私が絵を描く頻度も上がったし、フォロワーさんと話す機会も増えた。
違和感を自覚したのは腐女子フォロワーさんたちとオフ会した時。腐女子という人種とガッツリ会話をしたのはこの時が初めて。
推しCPたちの恋愛のあり方、将来、どんなセッ久する!?、そんな会話が多く飛び出し、驚きの連続。
肩身狭すぎて推しCPいないと人権なかったよあの空間ー。もちろんそんなことはないし、こっちが被害者面してるだけですけど。
腐女子の皆さんの会話に全く話についていけなかったことから、自分が腐女子ではないと自覚した。
単純にBLやエ□が苦手なんじゃ?とも思ったが、というよりは推しがそうなっているのが苦手ってだけだった。だって公式でそのキャラたちエッチしてないし(大体の作品そーだよ)。解釈違いです!
腐女子との、根っこからの乖離を自覚した。自分はキャラ単推しで、その子が友だちと仲良くしてるのが好きだから自分が腐女子だと勘違いしてしまっていたことも自覚した。
自覚があやふやなオタクがBL文化に触れて卒倒したってだけのエピソード。
こういうのはもっと早いうちに経験する人が多いのかも?私がこの歳まで同人誌買ったことも読んだこともイベントに参加したこともなかったから、気付くのが遅かっただけなんだと思う。
えと、(身内が見てるといけないから)弁解するけど、フォロワーさんたちはいい人ばかりです。表現方法は違えど公式を愛しているのは同じだし、今でも仲良くしていただいているし。
単に私があなたたちのキャラ解釈が受け入れられなかったってだけ。一般の目に触れないようにしている方ばかりだから全くもって批判じゃないし、これからも自由に幸せに創作してほしい。
もちろん、腐妄想以外のキャラ解釈の話とか、オタトークはとても楽しいよ!?〇話の〇〇くんカワイイ!とか……。(〇話の〇〇と××完全に付き合ってる!は違う。w)キャラをカワイイという目で見てる私も大概ですね、ハイ←
萌えトークするオタ友は欲しい!!ワイワイ喋るの好きだし。でも周りに解釈合う人がいない。どこかにいるのかな?(ただでさえマイナージャンルだから出会えていないのじゃ)
結局言いたいことは、なんでBLやドスケベがメジャーなんだよ~~~って疑問。愚痴っぽくなってしまったが。
皆スケベ好きだねー。いや嫉妬でもなんでもなくて、単純な疑問。私の頭がおこちゃまなだけか?わからーん。
腐もエ□もないフラットな解釈(偏見)な仲間いないのかー。かー、かー……(エコー)
まとめると、こう。
・おまいらの妄想の産物でしかないBLがこんなに二次創作界隈で大手なのはナゼ?
・人目に触れる機会が多いからメジャー界隈にいたい!でもメジャーと解釈が合わない!ドマイナーオタクより。
以上。^^;
増田の女オタクお気持ち表明大好きだから自分も書いてみたかっただけですー。
誤字脱字とか文章ヘタクソ!とかの報告はいらんよ。内容についての言及ヨロシク!
【7/22追記】
思ったより反応あってウレシー!ありがとうございます(^^♪
>好みの解釈ではない人を見下す人と友達になりたくないと思うよ……
やっぱりそうなのかなー?見下してるっていう自覚はないんだけれども、第三者からそう見えるのなら見下してるんでしょうなー……。気を付けなければ。といっても難しそうだけど。
えーっ!w当方00年代生まれのピチピチギャルでございます。そんなにヘンな口調かあ……汗
【追記】
読み返してみたら自分は例の32歳腐女子の方よりもだいぶ多角的に「痛い」し「ヤバイ」人間だなと思った。なんらかの観測か暇つぶしに役立てて頂ければ幸いです。(たぶん役立たないが)
【本文】
32歳腐女子の方の増田がちょいバズしてアンサー30歳腐女子の方の増田もちょちょバズするなど、なんだよ、今もしかして30代腐女子の波来てんの!?という感じで、我も32歳腐女子(独身、彼氏いたこと無し)の一人として、赤裸々な毎日を告白してみたいと思いました(なんかこの祭りっぽさに乗りたくて)。何も益になることはない増田だと思うので肩の力を抜いて読んでね。
【先週】
・月曜日
バイト休みの日なので思う存分に寝ていたというか、体がほぼ動かない。こんなことってある!?と思うが、32歳の体力なし腐女子(っつーかとっくに女子って歳じゃねえよな、まあ元の意味から離れてる感じだから一応使うけど)ともなると、週6勤務の後にはもはや一日半の休息を必要とするのである。ガッデム。
ちなみに今は夜の街でのバニーガールのバイトしかしていない。昼の仕事は、頭が痛すぎて6月に辞めてしまったのだ。えっ!?頭が痛いだけで仕事を辞める!?さすが32歳腐女子だな……32歳腐女子の面目躍如、というところだが、まじで頭が痛すぎてもう勤務できなくなったのである。昨年12月初旬、突如いつもの肩こり頭痛に対して頼みの綱のEVEが効かなくなり、毎日毎日毎日毎日痛いのでおかしいなと思い病院へ。レントゲンを撮ったら、肩こり頭痛っちゃ肩こり頭痛なんだけど、首の骨が擦り切れてますぜ、ということだった。頚椎ヘルニアのように首の骨が突き出ているわけではないのでその治療はできない、薬と注射で対処していくということになった。その後さまざま鎮痛剤のレベルを上げていき、注射(星状神経節ブロック注射)を続けたが、はっきり言って6月になってとうとう痛みに負けた。嘘だろ。約半年、毎日、死ぬほど頭が痛かった。どうにもならねえ。もう仕事も限界であった。とうとう脳のMRIを撮ることになったが異常はなし。このままだと「線維筋痛症」という診断になりますと言われながらの血液検査。ここまでで検査費2万が吹っ飛んでいる。コロナ禍により収入激減の憂き目にあっていたため精神的にも死んだ(もともと双極性障害二型でもあるので、すぐうつにもなる。ドンマイって感じなのである)。ちなみに精神的に死んでも最長二日で回復する。32歳ともなると二日もあれば回復しちゃうのである。血液検査の結果が出て、どうやらMCTDという膠原病の兆候があるらしく、膠原病の先生の診察の日まで暫し待たれよ、と言われる。
オオオオオオイ結局なんなんだこの痛みは?(ちなみに、膠原病は線維筋痛症を併発しやすく、線維筋痛症は双極性障害との併発が多い)と思いながら、とりあえず線維筋痛症なのだろうと自己判断し、これは「もう痛くないのに脳が痛みの信号を出し続けてしまうバグ」らしいので、つまり「痛くない」と思い込めばいいのでは?ということに気づいた(もはやどの鎮痛剤も注射も効かない状況)。
2日間、痛くても「痛くない」と友達へのLINEでもTwitterでも言い続けた。
まじで痛くなくなった。
イヤッホーーー!!!!!!というわけで、この前の週からバイト(バニー)を本格的に再開していたのである。初っ端から長すぎる。ごめんね。
ちなみにこの日のTwitterを見ると、どうやら夜になって号泣していたようだ。これを「夜泣き」と呼んでいる。とくに何も無くても過去のこと(主に家庭のこと、病気のこと、非常に微々たる割合で恋愛のこと)を思い出して唐突に泣き出すことがある、32歳腐女子はまだまだ赤ちゃんである。
・火曜日
同僚バニー(26歳美女)と上野動物園へ遊びに行く。整理券は12時だったので、雨の中かなりタイトなスケジュールで回る回る!つねにソーシャルディスタンスが徹底されており(おみやげやさんも入場規制していた)、トラさんなどは直接見えるゾーンが封鎖され、遠くからしか見れなかった。マヌルネコ達の館も封鎖されていた。がーん。しかし、大きな動物たちは見ることができ、キリンもゾウもシマウマもシロクマも数十年ぶりに実物を見る私は大感動であった。動物園のあと、星乃珈琲でオムライスを食べ、同僚の買い物(GU)について行ってはしゃぎ、帰ってくる頃には完全にエンストを起こしていた。体力がないというレベルではないのだった。死んだ。
・水曜日
どうやらバイトに行ったようだ。よく覚えていないが恙無くこなしたと思われる。
・木曜日
エアコンをつけようと思って窓を閉め、エアコンをつける前に寝てしまい、部屋の中で軽い熱中症になる。部屋の中で熱中症になるの何度目ですか。3度目です。これだから32歳腐女子は!!そのような自業自得をもってして、バイトに体調不良ですとかぶっこいて遅刻して出勤する。コロナでお客さんが少なかったのでたまたま怒られないですんだ。ラッキー!(水商売では非常に珍しいことに、当店、遅刻や当日欠勤の罰金制度がない)
・金曜日
どうやらこの日もバイトに数分遅刻している。お前遅刻しかしないのか。この日は金曜日なのでさすがに店も忙しく、洗い物をしていたら己の力を制御できず、掴んだだけでふつうのグラスを握り潰して割ってしまい、破片が刺さって流血が止まらなかったりした。しかし肌が強いので特に処置をすることなく絆創膏をきつく巻いておいたら数日後にはかさぶたになった。普通は掴んだだけでグラスは割れないし、皮膚の下にガラスが入ったらもっと怪我するものかと思っていたが、意外に軽めのアクティビティとして通過した。
この日あたり、ナガノさんの「なんか小さくてかわいいやつ」のLINEスタンプが発売されたり、ねこちゃんさんの動画日記が更新されていたりしてご機嫌な一日だった。どちらも32歳腐女子にはすごくおすすめのコンテンツです。癒しですわ〜。
・土曜日
事件。「痛くない」と思い続けることで治まっていたはずの頭痛が、二週間の時を経て、俺の元に舞い戻ってきた……。それはさておき真田さん(おけけパワー中島の漫画で一躍有名に)の漫画が更新され、今回の子はいつ綾城さんに繋がるのかとわくわくした。バイトは普通に出勤したが、「あたまがあたまがあたまがいたいのすけ」というツイートが残っているあたり、限界点突破を感じる。店は早閉めだったので始発まで数十分眠り、何とか回復したようだ。
・日曜日
冬コミが中止とのこと。英断というかもうどうしようもないよな、というTLお通夜ムード。せめて印刷所さんを潰さないために、俺たち本は出し続けようぜ、とTL上で固く誓い合うオタクたち。ちなみに私は字書きである(真田さんは漫画の方なのにあそこまで字書きのヤバイ心性を緻密に捉えていてすごいなあと思う)。初めて書いたのは高一の時のテニスである。カップリングは秘密ですが、ジュニア選抜とだけ言っておきましょう。いやごめんこんなこと言って何も面白くない、せんべでした(千石×跡部)。えっその2人って何?どこ?という感じですが、ジュニア選抜だけが俺たちの生きるよすがだった。当時はなかなか人気で、湯キリコ先生も描いてくれたりしていたんだよ。その後高三あたりから本格的にサイト運営を始め、その頃は銀魂で、毎週ジャンプを買っては友達(同じ字書きにして奇跡的に高校が一緒だった、かつテニスを教えてくれ銀魂にも同時にハマった)と250文字のメール(※docomo)を10通ずつ送り合い、一日のメール送信総数が50通を超えていました。250×50ですでに萌え語りだけで12500文字を超えているので、字書きというのはヤバイ生き物なのである。その頃から15年の時を経て、未だに私はちょいちょい小説の二次創作をしている。小説を書くのは結構、かなり好きだ。書くことのカルマみたいなもの(人気に悩んだりとか)からはわりと自由な性格なので、のんびりと活動できてラッキー、と思っている。
・日曜日
連日のバイトの疲れが出たのか、またしても夕方まで寝ていた。12年来の付き合いの腐女子友達(30歳)とお互い体力が残っていたら会おうか?と言っていたのだが、そのようなものはお互い欠片も残っていなかったので「諦めよう」と即座に結論。30代腐女子たちは潔いのである。
夕方になり、最近できたセフレ(たぶんセフレだと思う)から「今日会う?」と言われたので人生二度目の白金台へ。でかいテレビでヒロアカの続きを視聴し、「やっぱりかっちゃん(爆豪さん)が好きだ」という思いを強くした。
・月曜日
セフレが休日だと言うので、18時までごろごろして(正直私はごろごろするのは好きではないが、なんとなく別の部屋で原稿をしたり神に贈るお誕生日のお祝い絵を描いたりすることがマナーとして憚られたのだ)、疲労を感じながら帰宅。
ちなみに日曜日から月曜日にかけてセックスは3回した。その内訳はこうである。
1回目:前戯は丁寧だったものの、挿れた瞬間に「イきそう」と言われ、マジか!?と思ったが、まじで三擦り半くらいで終わった。おい!!!!!!!!
2回目:なんとなく手コキさせられ、まあいいかと思っていたら「舐めて」と言われ、フェラから前戯なしで挿入。またしても早い。
3回目:なんかまじで今回ちゃんとしたセックスしてなくねえか?と思ってイラついたので、とりあえずなぜかフェラ。何も言われないので「飽きた」と言ってやめたが、「入れて欲しい」と言ってみたら挿入になった。う〜ん。
それと、お世辞なのかどうかよくわからないが、フェラがうまいと今まで複数人に言われた。なぜだと思う?理由はもちろん32歳腐女子だからですね。そこらのオンナとは違うんだよ、読んできたフェラシーンの数が。男が男にするフェラだけどな。だいたい二次創作18禁小説に書いてあるとおりに実践したらOKでした。別に他にネットで調べたりとかしてない。
彼氏がいたことはないんですが、31までに処女を捨てようという企画がバイト先で持ち上がり、私も二次創作18禁小説をよりよく書くためにはいっぺんセックスもしないとな、と思っていたので、その企画に便乗して誕生日の2日前に滑り込みで処女を捨てました(おめでとう)。その後7〜8人?くらいセフレがいたので、というのも、これはけっこう個人差のある事なのでデータを集めないとだめだなと思い、実地でセックス研究した結果ですが、まあ今はもうしなくていいかなという気持ちです。でもいざセフレができると、やはりセックスについて貪欲にデータ収集しようとしてしまいますね。快楽はそこまではないし、行為で絶頂したこともないです。絶頂があればより受けの気持ちがわかるのに、とすこし悔しい気持ちですが、イくのには初体験から数年かかると同僚バニー達から聞いて諦めました。また昨年、ほぼ初めての恋愛(片思い)も経験したので、良い人生勉強になりました。
帰宅後は風呂してバイト。開幕テキーラ5ショットで死にました。
・火曜日
テキーラその他の酒で死んだままバイト。なんとまたしてもテキーラが入る。
・水曜日
ぼろぼろの状態で、大幅に寝坊。バイトに2時間遅刻し、先輩(25歳)に怒られ&慰められて号泣し、その後お得意さんのお客様の連れてきた初めてのお客様(店長の知り合い)に難癖を付けられてキレてしまい(キレるなよ)号泣し、最後は私にキレたそのお客様に慰められ、閉店後付き合いのあるお店の中華料理を諸事情で死ぬほど食べて吐きそうになりながら帰宅。ダイエットの数値がよかったのに全て終わった。店長と「友達が有名人の場合の自分の立ち位置」について熱く語った(私の友達の神絵師たちは漫画家だったりイラストレーターだったり、とにかく神なので店長(友達が国民的ミュージシャン)の話に共感する所が多かった)。
・木曜日
友達の家で友達の小説原稿を下読みする約束があったのにまた寝坊。ほんと寝坊しかしねえな。友達は許してくれたのだがスタバのごろっとしたフラペチーノなどを買い、友の家へ。早く下読みすればいいのに求人応募の締切日だったため(当然何も準備していない)、謝りながら友達の家で自己PRと志望動機を文章化し送信。やっと下読みを始めるも、疲労感により30ページでリタイアした。使えないにも程がある(ちなみに残り80ページ強)。持ち帰って拝読することになった。ちなみに、友達がその原稿のイメソンとしていた、ßźの「LOVE PHANTOM」と、そのアンサーソング「HINOTORI」のライブ映像を見せてもらい、激しく感動する。稲葉さん、松本さん、やっぱパネェ。演出もパネェ。ライブ円盤「HINOTORI」は最高のプロダクト。曲も何もかもいいし、私はここで初めて「LOVE PHANTOM」がオペラ座の怪人をモチーフに取っていることに気がつくというアハ体験をした(32年目の気づき)。
このように、32歳腐女子は毎日楽しく生きています。全然原稿なんかしてません。いや、しろよ!とは思うのですが、健康問題と労働により、「食べて寝て働き、Twitterを見る」が精一杯のところです。でも、動物園に行ったりセフレに会ったりしてたじゃん、と今思いました。いい加減にしろ。ありがとうございました。