俺今45。人生振り返って、これまで挫折らしい挫折した経験がない。
学校の勉強、スポ少、習い事、なんでも出だしはそこそこのレベルでこなして、ぼちぼちの出番を与えてもらって。でも何かにずば抜けているわけでもなく、そこそこの成長したら頭打ちで、モチベ下がって、でも叱られるのや失望されるのは嫌だから顔だけは真面目になんとかこなして。大きく成功しないからそんなに目立つことなく、妬まれることもない。ベストじゃないけど、でもまあいっか、次に期待って言えるレベルで踏みとどまるから、露骨にがっかりされることもない。小さい頃思い描いていたまんまではないけど、広い意味でやりたかったことやれているし、ここで人生終わってもまあ良かったねと言えなくもない。出会うべき人にも多分巡り会えて、子供こそいないけど結婚もできたし、裕福ではないけど、ここに至るまで不自由したこともなく、環境にも恵まれて、巡り合わせにも周りに支えられてきたことにも感謝でいっぱいだ。このまま枯れていっても、幸せだと思いながら死んでいけるだろう。でもこの生き方で面白いのか?って、ここ10年単位でなんか引っかかってた。
病気、災害、失業、いじめ、身内の不幸、周りはみんな何か一つは鉄板の苦労話を持っていて、でも自分にはない。いくら無い物ねだりでも、不幸は望まない。死ぬまでぬるま湯に浸かって暮らせるなら、そうしたい。でももし、誰もが一度は大きな不幸に見舞われるなら、遅かれ早かれいつか自分にもその日がやってくるんじゃなかろうか。挫折を知らず、そこから立ち上がる訓練も受けずに、ずっと年取ってからいきなりどん底に突き落とされるくらいなら、早い方が良かった。大人になってからおたふくに罹るとしんどい、みたいな後になるほどしんどい痛みがいつかやってくるんじゃないかと、漠然とした不安が拭えない。
多分、日本で生まれ育ったなら、ほぼもれなくどっかで災害を体験していて、非常事態の自分の心の動き、辛さを共感しあえる部分で繋がっているんだろう。でもそれすら運がいいことに(引越が多かった)、自分は晒されずに回避してここまできているものだから、被災した誰かに心から共感できてる気がしない。いざという時の備えに対して緊張感ももてず、貪欲さもないから、どのコミュニティーにいてもアウェー感が否めない。何を語るにしても表面的で所詮お前には他人事だろう?と思われてるんじゃないかってコンプレックスが湧いて、どうしても一歩引いてしまう自分がいる。きっとみんなどこかで苦難を乗り越えたからこそ、今、強く生きていて輝いてみえるんだろうな、と観客のような気分でこの世界、この時代を生きてた。のうのうと。
で今年、コロナが起きた。
世界的な非常事態となって、客観的に見ても間違いなく、初めて自分が、この特殊な状況の当事者になった。そして案の定、苦労してない俺は、挫折に弱かった。3ヶ月間、職場に行けず、ほとんど出歩けず、家で過ごす非日常の日々を体験してわかった。俺はいざとなったら、いや、いざとなっても、危機感がなさすぎて動けない。失敗体験が少なすぎて、行動して状況を悪化させるくらいなら、何もしない。何かを考えようという発想がない、世の中になんの影響も与えられない人間だった。同じ境遇に置かれた周りを見渡すと、環境にすぐ対応して新しい生活習慣に移行して、ネットワークを活用して、自分に何が必要で、何が提供できるか考えて、みんな行動に移していた。なるほど、挫折経験が産むものはそういう思考回路なのか。それに比べて自分は何やってるんだろうな。コロナの前も後も変わらず、何の価値も生み出してない。引きこもり期間、ずっとそういう思考に陥ってどんどん落ち込んでいった。今思えばそれすらも、何か不幸な自分をファッションで演じてみたかったんだろうなと、恥ずかしい気持ちになるけど。とにかく、ようやくまわりと同じ境遇になったと自覚して改めてわかったが、自分の挫折を感じるセンサーはとても鈍い。実際自分よりもっとしんどい思いをしている人はいつだって絶えないけども、同じ境遇を逆境だと受け止める人がいて、さらにその中には、それを自分への挑戦だと受け止めて、立ち向かっていく人たちが世界を変えている、支えている。それを未だ自分は恵まれているとしか思えないから、敗れて悔しくてそこから這い上がるっていう体験につながらない。そういう思考が育たない。
生き延びるために今を必死に生きている人間がいて、そういう人たちに向かって手を差し伸べることができるサバイバーが多分世の中にたくさんいて、それを求める人が大半なんだろう。それと比べると、挫折のない人間が挫折してこなかった結果どうなるかを語るような場面はほぼない。死ぬほどの苦しみを味わったことがない人の、うすぼんやりした悩みなんて悩みとすら言えないんだろう。そうやって行き場のないモヤモヤを受け止める場所、手を差し伸べてくれる先人はなかなか見当たらない。でも、それこそ自分がずっと知りたかったことだし、もし自分に価値を与えるなら、そういうニッチな生き方の語り部としてのテメエの分際くらいしかない。流されて生きてきた事例、チャレンジせずにサバイブする方法、これからも目立たないように、でもほどほどに必要とされて生きていくために、情熱のない情熱大陸みたいな話を一応書き留めておこう、いつか必要としている誰かにそっと手渡せるように。とようやく心の整理がついて、ひとまず持ち直し今に至る。