同じものを見ていても、見える世界は違う。教養があるとないとでは感じ方も受け取れる情報量も違う。
それでも見たものを整理し、考え、調べ、他者と言葉を交わすことで、教養を得てより「見える」ようになりたいという貪欲さは持っている。
確かに最後まで見ていけば、考察されていたような内容の大部分にはオフィシャルな解答を提示してもらえる。
けれど、特にアニメというのは「描かない」ことで魅せる芸術だ。映像や台詞で表現されなかった事実を推定していくこともまた、楽しいものだ。
そして、どんな作品も結果さえ見られればスッキリする、というものとは限らない。
作品によっては、読者視聴者に問いかけ、考えさせることによってテーマを浮き彫りにしていくタイプの作品がある。
また、例えこの先解決することが分かっていたとしても、考えることで、現状の苦境に立つ登場人物たちの感情と視聴者である自分の感情を接続することができる。
そうして初めて得られる感動というものがあり、そのために考察とは言わないまでも、内容を反芻していく行為は有用なのだ。
これを怠った場合、話がどんな展開を迎えたとしても「ふーん(ハナホジ)」としかならないリスクがあり、それははっきり言って損だ。
せっかく観るのであれば、楽しみ尽くしたい。製作者の描く世界観に適応し没入したい。そういうクリエイティブに対するリスペクトあってこそオタクであるというものだ。
でもキモくて金のないおっさんが苦境に陥っていることはどうでもいいからフィクションの題材にもしないし現実社会上でも考察に値しないんですよねわかります