魚から人間に近い哺乳類までの多くの動物で、子育てはメスによってなされる。
分業し、効率化することで利が生まれるシステムである社会。その最小単位である家族では、人類の歴史上、女が子育てを担ってきた。
女性という性が子育てに適正があったことは、世界各所に散らばる人種、種族のほとんどで女性が子育ての役割を担っていることからも、証明されるだろう。
そもそも体の構造からそうなっている。女には子供を育てる器官(おっぱいと呼ぶ)が付いてるし、さらには女性ホルモンの一種とも言われるオキシトシンは子育てや授乳などによって活発に分泌される。
生物学的にも、文化的にも決定的に子育ては女の仕事だったのだ。今までは。
そう。今まではそうだったのだが、しかし、考えてみるとそれらはすべて、雄性が子育てをできない理由にはならない。
例えば、魚から人間に近い哺乳類まで、子育てがオスによってなされる種がいくつもある。生物の根幹にかかわる領域の違いではないわけだ。
また、世界各所に散らばる人種、種族のほとんどで、人類の歴史上、男性が子育てに参加しなかった社会はおそらくほどんとないだろうし、量の多寡は違えど男性でも子供とのスキンシップでオキシトシンが分泌されることがわかっている。
さすがに男性におっぱいはないが、(いやあるが、白い液は違うところから出る)、そもそも生物学的にというなら、高度化された現代社会において、現代人が生業としている仕事の多くは、生物学的に最適化された形ではない。原始的生活をしているならばまだしも、男性性が、機械を操縦するために?部品を組み立てるために?商談をするために?最適化された生物学的な差異を持たらす構造なわけではない。子育てという点においては、おっぱいの代わりに哺乳瓶が開発されている。
育児も基本的には同じことである。同じ枠組み、誤解を恐れずに入えば、商談や部品の組み立てと違いがない「仕事」の1つだ。生まれる利益に違いはあれど、適切なタイミングでオムツを替えるのは、適切なタイミングで株を売買するのと同じことである。すでに、現代社会では、育児をするにあたり、生物学的な差異はそれほど重要ではなくなっているのだ。
しかし、ではなぜ、現代社会においてはいまだに子育ては女性の仕事なのだろうか。それは育児という仕事の領域の位置によるものだとして説明してみたい。
育児は、生の根幹部分に非常に密接した仕事であるところがミソだ。生活つまり、日常生活との密接度が非常に高い領域なのだ。
日常生活との密接度が高いとはどういうことか。例えば、生活と非常に近いシゴトについては、社会における分業が成立しにくい部分でもある。
毎日の洗濯やゴミ出し、風呂掃除など、たとえ10分で数千円を稼ぐ収入ベースの人でも、自分の手でやっていることが多いのではないだろうか。これらの仕事は、細切れで、高頻度で、物理的な集約が難しいため、分業ができたとしても家族単位の分業に非常に近い形になるのが実情だ。それらの仕事は市場価値が明らかになりづらく、金銭的な評価が難しいことが多い。
育児もそれらと同様であるからこそ、現代においてまで家族という最小単位の社会の分業に留まっているし、その結果、今でも生物学的な優勢によって女性の仕事となっているのが実情だ。
そのミクロ単位での当然の選択こそが、社会全体を構成するマクロな社会の総体としては、家族単位での分業を前提とした社会構成を強制的に成立させているのだ。
それは、結果、男性は子育てのために仕事を抜けずらく、女性は出世しずらい世の中となっている。
分業の深化は社会の高度化とも言えるとすれば、実は社会がまだ未成熟であるだけなのだ。
しかし、もちろん、社会の高度化は現代においても着実に進んでいる。例えば保育園だ。マクロな社会のシステムの中で、保育園というのは非常にその機能を発揮をしている。しかし、それだけでは足りない。
例えば保育園でも、病気をしたら迎えに行くのはおそらく母親なのではないか。そもそも送迎は母親で、働き方も、時短勤務=家族単位の母親を前提とした、母親としての働き方なのではないか。それでは何も構造は変わっていない。あくまで、ミクロな分業の単位=家族の中での役割を破壊するほどの変更が必要なのだ。その変更は技術的イノベーションの波及によって起こされるのか、社会的な革命によって起きるのかはわからない。しかし、そうすることによって、ようやく男性が育児を完全に当たり前に行う社会が到来するのだ。
さて、、、ここで1つ疑問がわく。本当にその変化をする必要があるのだろうか。生物学的な適正を差し置いてまで、必要に迫られる変更なのだろうか。
その必要はある、そして必ずそうなる、と私は考えている。
そもそも、人類の進歩とは何だろうか。今までの歴史で、人類は進歩しているのだろうか。もし仮に今までの歴史が進歩だとするならば、人々は幸福を目指して、人間一人一人の欲望が、より多く実現される方向に進んできていて、これからも進んでいくものと考えられるだろう。それらは分業を深化させ、生業を多様化させ、経済を拡大させ、技術を進歩させた。
今後もヒトは個として欲望をより成就させようとし、社会はより多くのヒトの経済への参加者を貪欲に求めていくだろう。ヒトは当然女性を含む。女性も個としての欲望を成就させようとし、社会は女性の経済への参加を貪欲に求めていくことになるのだ。そのエネルギーが必ずや家族単位での役割を破壊し、新しい社会を開くことになる。
もちろん、人類の進化の過程において、子育てへのモチベーションが女性により強く刻まれているということは十分あり得るだろう。それはそれで社会に反映されていくだろう。
なんか頭良さそう
シンジローほど感性されてないがグニャグニャした論法だなー