2020-09-29

育児は女の仕事

育児が雌性に適正があるのは何も人間に限ったことではない。

から人間に近い哺乳類までの多くの動物で、子育てはメスによってなされる。

分業し、効率化することで利が生まれシステムである社会。その最小単位である家族では、人類歴史上、女が子育てを担ってきた。

女性という性が子育てに適正があったことは、世界各所に散らばる人種種族ほとんどで女性子育て役割を担っていることからも、証明されるだろう。

そもそも体の構造からそうなっている。女には子供を育てる器官(おっぱいと呼ぶ)が付いてるし、さらには女性ホルモンの一種とも言われるオキシトシン子育て授乳などによって活発に分泌される。

生物学的にも、文化的にも決定的に子育ては女の仕事だったのだ。今までは。

そう。今まではそうだったのだが、しかし、考えてみるとそれらはすべて、雄性が子育てをできない理由にはならない。

例えば、魚から人間に近い哺乳類まで、子育てがオスによってなされる種がいくつもある。生物の根幹にかかわる領域の違いではないわけだ。

また、世界各所に散らばる人種種族ほとんどで、人類歴史上、男性子育てに参加しなかった社会はおそらくほどんとないだろうし、量の多寡は違えど男性でも子供とのスキンシップオキシトシンが分泌されることがわかっている。

さすがに男性おっぱいはないが、(いやあるが、白い液は違うところから出る)、そもそも生物学的にというなら、高度化された現代社会において、現代人が生業としている仕事の多くは、生物学的に最適化された形ではない。原始的生活をしているならばまだしも、男性性が、機械を操縦するために?部品を組み立てるために?商談をするために?最適化された生物学的な差異を持たらす構造なわけではない。子育てという点においては、おっぱいの代わりに哺乳瓶が開発されている。

育児基本的には同じことである。同じ枠組み、誤解を恐れずに入えば、商談や部品の組み立てと違いがない「仕事」の1つだ。生まれ利益に違いはあれど、適切なタイミングオムツを替えるのは、適切なタイミングで株を売買するのと同じことである。すでに、現代社会では、育児をするにあたり、生物学的な差異はそれほど重要ではなくなっているのだ。

しかし、ではなぜ、現代社会においてはいまだに子育て女性仕事なのだろうか。それは育児という仕事領域位置によるものだとして説明してみたい。

育児は、生の根幹部分に非常に密接した仕事であるところがミソだ。生活まり日常生活との密接度が非常に高い領域なのだ

日常生活との密接度が高いとはどういうことか。例えば、生活と非常に近いシゴトについては、社会における分業が成立しにくい部分でもある。

毎日洗濯ゴミ出し、風呂掃除など、たとえ10分で数千円を稼ぐ収入ベースの人でも、自分の手でやっていることが多いのではないだろうか。これらの仕事は、細切れで、高頻度で、物理的な集約が難しいため、分業ができたとしても家族単位の分業に非常に近い形になるのが実情だ。それらの仕事市場価値が明らかになりづらく、金銭的な評価が難しいことが多い。

育児もそれらと同様であるからこそ、現代においてまで家族という最小単位社会の分業に留まっているし、その結果、今でも生物学的な優勢によって女性仕事となっているのが実情だ。

そのミクロ単位での当然の選択こそが、社会全体を構成するマクロ社会総体としては、家族単位での分業を前提とした社会構成強制的に成立させているのだ。

それは、結果、男性子育てのために仕事を抜けずらく、女性出世しずらい世の中となっている。

分業の深化は社会の高度化とも言えるとすれば、実は社会がまだ未成熟であるだけなのだ

しかし、もちろん、社会の高度化は現代においても着実に進んでいる。例えば保育園だ。マクロ社会システムの中で、保育園というのは非常にその機能を発揮をしている。しかし、それだけでは足りない。

例えば保育園でも、病気をしたら迎えに行くのはおそらく母親なのではないかそもそも送迎は母親で、働き方も、時短勤務=家族単位母親を前提とした、母親としての働き方なのではないか。それでは何も構造は変わっていない。あくまで、ミクロな分業の単位家族の中での役割破壊するほどの変更が必要なのだ。その変更は技術イノベーションの波及によって起こされるのか、社会的な革命によって起きるのかはわからない。しかし、そうすることによって、ようやく男性育児を完全に当たり前に行う社会が到来するのだ。

さて、、、ここで1つ疑問がわく。本当にその変化をする必要があるのだろうか。生物学的な適正を差し置いてまで、必要に迫られる変更なのだろうか。

その必要はある、そして必ずそうなる、と私は考えている。

そもそも人類進歩とは何だろうか。今までの歴史で、人類進歩しているのだろうか。もし仮に今までの歴史進歩だとするならば、人々は幸福を目指して、人間一人一人の欲望が、より多く実現される方向に進んできていて、これからも進んでいくものと考えられるだろう。それらは分業を深化させ、生業多様化させ、経済を拡大させ、技術進歩させた。

今後もヒトは個として欲望をより成就させようとし、社会はより多くのヒトの経済への参加者貪欲に求めていくだろう。ヒトは当然女性を含む。女性も個としての欲望成就させようとし、社会女性経済への参加を貪欲に求めていくことになるのだ。そのエネルギーが必ずや家族単位での役割破壊し、新しい社会を開くことになる。

そして成熟した人間社会においてそれは可能なのだ

もちろん、人類進化過程において、子育てへのモチベーション女性により強く刻まれているということは十分あり得るだろう。それはそれで社会に反映されていくだろう。

重要なのは、それが生物学的な選択によって刻まれものであり、社会構成事由に依るものではないということだ。

仮にその要因が社会構成のナニカよって起こっている問題ならば社会の高度化によって解決されていくべき問題なのだ

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